逆噴射小説大賞2019:エントリー作品

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アルフォンス・ミュシャ:死季

 これがミュシャか――暗殺者はそう思った。ひび割れたような肌の深い皺に、柳の枝を思わせる長い髭。藤椅子に浅く腰掛け、現世を忘れたかのごとく微睡んでいた。初代ボヘミア皇帝にして最強の魔術師、アルフォンス・ミュシャは当年とって79歳になる。

 燭台が照らす暗い広間の隅で、殺し屋は肩透かしを食ったような気分で短刀を手に取った。そしてその瞬間、自分が死地の只中にあることを知った。

「解れよ」呆けたよう

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方舟と根絶やしザメ

 ギルガメシュとエンキドゥはそれはそれは広い船の甲板を歩いていた。周りには陸地さながらに石造りの小屋が並んでいるが、これは神命を受けて作られた方舟がひとりでに増築を続けているためである。出航した始めの日には大通りが、二日目には上水路が、三日目には下水道が整えられた。事態が変化を見せたのはそれからだ。

「それで」ギルガメシュが言った。「アンフィスバエナはどうなった」

「殺られタ」エンキドゥが答え

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死の翼ふれるべし

 立ち並ぶ煙突が薄暗い煙を吐いていた。

 煙は一団となって宙を流れる。その一部は空に薄く広がって月を隠し、一部は寝静まった家並みの屋根の上に垂れ落ちる。工場地帯の西には名だたる探偵たちが葬られたピラミッド群の天を衝く威容があり、煙はその中腹に当たって二筋に分かれる。煙から突き出た先端部だけが月光を浴びて輝いている。

 ピラミッドのふもとは、一帯が背の高い生け垣で仕切られた迷路じみた庭園になって

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