アイアンアトラス

【アイアン・アトラス・ブラックアウト!】(アイアンアトラス第3話)前編

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 前略。おねえさん。僕はもうダメだと思います。現在僕は、ネオサイタマ某所の密室に閉じ込められています。出口はありません。ドアの外にはツチグモ・ギャングの一員が見張っていて、脱出する事はかないません。

 思えば、あの男と偶然付き合いができてしまったことが、運の尽きだったと思います。あの男……アイアンアトラスと名乗るニンジャ……あいつがサイバー・クラブの「無限大です」でツチグモ・ギャングの奴らにケンカを売ったのです。

 ツチグモ・ギャングとは、ネオサイタマで暴れているフーディーギャングの一派です。彼らは人気DJのマミノコにカネをたかっていて、関係を切りたがっていた彼女に実力行使に出ました。運悪く、僕が「無限大です」に遊びに来ていた時の事でした。そのときあのアイアンアトラスも居合わせていたのです。アイアンアトラスはツチグモ・ギャングの奴らをボコボコにしましたが……。

「ハァ……」

 もうこれ以上書けるスペースがない。コミタはボールペンでフライヤー裏面に書き込んだ手紙を眺め、発作的にグシャグシャに丸め、また戻し、奇麗に折りたたんでポケットにしまった。

 恐らく自分はあと半日もせずに殺されるだろう。コミタは絶望的な想像を巡らせた。マスターベーションを録画されたり、額にオメコ・ヤロウとタトゥーされたり、タバコの火を押し付けられたり、色んな拷問を受けた末に、ひどい死にざまをするだろう。後日に99マイルズ・ベイあたりで死体で発見されたとき、この手紙が発見者の目に入って、せめて自分を知る人間に、自分の死が伝わるようにしたいと考えた。

 コミタがツチグモ・ギャングの手に落ちたのは昨晩のことだ。それは送信者不明のIRC通信だった。「わたしの事、覚えてる? この前、最高だったね!」というメッセージだ。(エッ! チュリ=サン!?)コミタはそのとき、思わず声に出して名を呼んだ。

 チュリはホットな女だった。最初は暴力バーのホステスとして現れた。「無限大です」では怪しいデジタル飲料ゼントロンを売るキャンペーン・ガールだった。最初の出会いはひどいものだったが、二度目の出会いはクラブの騒動から共に逃げたことで吊り橋効果が生まれ、かなりイイ感じだった。もう少しで行為できるところだった。実際二人は退廃ホテル前までは行ったのだ!

「クソッ……それを……僕はバカだ!」コミタは回想を中断し、悔しさと後悔に胸を掻きむしった。「どうして僕は!」

 退廃ホテル前まで来たものの、部屋は満室だった。それでチュリのテンションが醒めてしまった……。チュリの胸の谷間が思い起こされる。あのおっぱいにコミタは触れてもいない。あのおっぱいに触りもせずに……死ぬのか……!

 「絶対あれは、やれたんだ……! もっと僕が決断的で……もっとこう……グイッと肩を抱いて、もっと積極的に……クソーッ……!」

 コミタはコンクリートの上を転がったが、それも数秒。もっと差し迫った危機に自分が直面している事は忘れようもない。そう、結局その匿名メールはチュリからのものではなかった。ツチグモ・ギャングがホットなメッセージを偽装してコミタをおびき寄せたに過ぎなかった。

 コミタは危険に対する想像力が足りなかった。スケベな顔で、待ち合わせ指定場所である紛争公園(ヤナマンチ社とコンドン・ビバレッジ社の企業紛争エリアを一望できる高台に作られた公園で、ヤナマンチやオムラの戦闘機械が激しく火力をぶつけ合うさまを見ながらランチが食べられる)にノコノコ向かったコミタは、後ろから麻袋をかぶせられ、ボコボコに殴られて気を失った。気が付けば、この狭い部屋に転がされていた。

 この部屋はコミタのワンルーム・マンションの一室よりも狭い。窓はひとつあるが、鉄格子がはめられている。よくこんなサイコな場所が用意できたものだ。窓の外からは断続的な工事の音が聞こえてくる。「安い。安い。実際安い……」その手の広告音声もだ。つまりここは少なくともネオサイタマで、人里離れた場所ではないという事だ。

 もちろんコミタは覚醒当初、大声を上げて助けを求め、開かないドアをゴンゴン叩いて訴えた。しかしすぐ外の廊下で見張っているギャングに「スッゾオラー! ウルッセッゾコラー!」と咎められ、断念した。

 扉越しに得意げに話すそいつから、コミタは事のあらましをある程度知らされた。コミタを罠にかけたのはツチグモ・ギャングである事。ツチグモ・ギャングがアイアンアトラスを捜している事。コミタはアイアンアトラスの仲間と思われているという事。コミタのIRC端末のIDが既にバレている事(それゆえにおびき寄せられてしまった)……。

「オイテメェ、何騒いでんだコラ。物音したぞ」扉の外から声がした。「正座してンのかコラ?」

「アッハイ、スミマセン!」コミタは慌てて言われたとおりにした。「ちゃんと正座してます! 本当です!」

「アッコラー!? スッゾオラー!?」

 ガシャン! 荒っぽく鉄扉が開けられ、フードを被った恐ろしげな男が現れた。男はコミタに襲いかかるそぶりをし、コミタがビクリとするとゲラゲラ笑った。

「ギャハハハ! ビビッテンジャネッゾオラー! テメェ覚悟はできてんだろうな? ツチグモをナメたらどんな風になるか、テメェと……テメェのお友達とでしっかり前例作るハメになってる事わかってんだろうな?」

「アッハイ、わかってます、いえ、助けてください! 僕、完全に部外者だし、被害者で……現場からもあのアイアンアトラスに無理やりさらわれて……」

「知らねえよそんな事はよォ」ギャングは舌打ちした。「関係ねえよ。そういうのはタランテラ=サンに勝手に言い訳してろっつうんだよ。聞くわけねえけど。タランテラ=サン、マジハンパねえから。お前、わかってんの? タランテラ=サンはなァ……」

 ギャングは言葉を溜めた。

「……ニンジャだヨ?」

「アイエッ……」

 コミタは青ざめたが、その衝撃の受け方はギャングの望んでいた反応よりもだいぶ弱かったようだった。アイアンアトラスの無茶苦茶のせいで、コミタに既にある程度の耐性……慣れのようなものが生まれてしまっていたのだ。ギャングのこめかみに青筋が浮かんだので、コミタは過剰に驚いて見せた。

「アイエエエエ! ニンジャ! 二、ニンジャーッ!? ニンジャアイエエエエ!?」

「ギャハハハハハ! テメェの運命、終わりだから!」ギャングはコミタを指さして笑った。「テメェただ死ぬだけで済むと思ってたら甘すぎるヨ? タランテラ=サン、はっきり言ってハンパねえ残酷だから。何されッか、わかってる?」

「エッ……いえ……ど、どうか、命だけは……」

「だから命が助からねェのは前提だっつうの! 死ぬ前に何されッか、それを想像しろっつうの!」

「えっと……わからないです……助けてください……」

「まずアレだ。テメェは俺らが見ている前でマスターベーションをする。それを録画して、IRCに放流してやんよ。で、その額には、タトゥーだな。そうだなァ……。オメコ・ヤロウとか、そういうやつだよ。クククク! そんでタバコの火を押し付けてよォ、切り刻んで、後は99マイルズ・ベイに捨てられて、死体は鳥と犬の餌になンだよ。めちゃくちゃおもしれえよなァ!?」

「アイエッ……アイエエエ! 助けてください! どうか……」

「オラッ!」

 ギャングは笑いながらコミタの顔面に蹴りを食らわせた。

「アイエエエ!」

 コミタは床に叩きつけられた。ギャングはコミタの髪を掴んで持ち上げ、いたぶるように数度殴りつけた。

「オラッ。コラッ」「アイエエエ! アイエエエーッ!」

「ギャハハハハ! ギャッハハハハハ! アバーッ!?

 SPLAAAAASH! コミタの目の前で、ギャングの顔が真っ二つに割れた。そして鮮血が降り注いだ。

「アイエエエエ! アイエエエエエ!」

 コミタは壁際まで跳び下がり、激しく泣き叫んだ。頭を割られたギャングは当然死に、うつぶせに倒れた。戸口には修道士めいた黒いフード装束を着た男が立っていた。その手には血塗れのカタナが握られている。男は蜘蛛の巣の意匠がレリーフされたメンポをしている。そして冷徹な眼差し……。まぎれもなく、ニンジャだった。

「僕に断りもなしに、勝手にお客を虐めるんじゃないよ。クズめ」

 ニンジャはうつ伏せの死体を罵り、足で蹴り転がした。

「ア、アイエエエエ! ニンジャ! ニンジャナンデ!」

 コミタは恐怖のあまりショック症状に陥り、痙攣しながら叫んだ。ニンジャはツカツカと歩いてきて、コミタの頬を張った。

「イヤーッ!」「アバーッ!」

 手加減があった。少なくとも殺さぬだけの。

「僕がタランテラだよ、コミタ・アクモ=サン……。ツチグモ・ギャングのリーダーだ」

「アイエエエエエ!」

「色々教えてもらいたいんだよねェ。『無限大です』でキミと一緒に結構ドギツイ事してくれちゃったコの事……アイアンアトラスだっけ? キミ、アイアンアトラスの友達なんデショ?」

「ち、違います、違うんです」

 コミタは必死で首を横に振った。

「僕はアイツとグワーッ!」

 申し開きは途中で邪魔された。タランテラのケリ・キックを顔面に喰らい、コミタは吹き飛ばされて壁に衝突した。

「アイエエエエ!」

「そういうの、もうイイから。キミ、アイアンアトラスと一緒にクラブから飛び出していったじゃない。それで、ウチの若い奴らに迷惑かけてくれちゃったってワケでショ? それ、わかってるから」

「アイエエエエエ!」

「奴は何処にいる。言え」

「ほ、本当に知らないんです……! いつもアイツと、たまたま出くわしちゃうんですよォ! 迷惑なんですよォ!」

「チッ」

 タランテラは懐からIRC端末を取り出した。ナムサン……コミタのものだ。ここに連れて来られる際にギャングに没収されたものだ。

「エート、これのパスワード教えて」

「あ、あの……命だけは……」

「そういうのいいから」

「パスワードは、エット、コミタ・テンサイ・ジーニアス……です……」

「テンサイ・ジーニアスだと? 眼鏡ボーイ? ハン?」タランテラは床に落ちたコミタの眼鏡を拾い、コミタの顔にかけた。「これでテンサイ気取りかい? ア?」

「だ、だって人に見せるものじゃないからァ……」

「イキリやがってさあ。まあいいや。で? アイアンアトラスとのメッセージのやり取り、あるデショ?」

「あ……はい……それはあります……」

"楽しかったナ! また遊ぼうナ!" "お前、あの女とガッツリファックできたか? 気持ちよかったか? それともお前、肝心なとこでヤレなかったとか!"」タランテラはメッセージを読み上げた。「マジ友達じゃんヨ。ホント、キミ、テキトーな事ぬかして、いい度胸してんね。僕、ニンジャだヨ?」

「か、勝手に送ってくるんですよォ!」

「呼び出して。今すぐに」

「エ……」

「呼び出すんだよ。……わかるでショ」

 タランテラはカタナの先で、頭を割られた死体を指し示した。そしてコミタに携帯端末を返した。

「その……アイアンアトラスを呼び出したら……その……どうするんでしょうか」

「ン」

 タランテラはカタナの先で、頭を割られた死体を指し示した。コミタは泣きながら愛想笑いした。

「で、でェ……ですよねェ……!」

「早く呼び出して」

 コミタは震えあがった。彼は正義の徒ではない。だが、言われてハイそうですかと他人を売れるような図太さを持ち合わせてもいない。彼がたとえば末端のヤクザであったり、冷酷なニンジャ組織の構成員であったりすれば、また違っただろう。だがコミタは人を裏切る勇気も持ち合わせない小市民である。

 彼は逡巡した。自分の行いによって、自分以外の人間が、こうやって頭を割られて死ぬのだ。それはひどい話だった。それをすれば、多分コミタは一生、罪悪感の夢を見て暮らさねばならなくなる。重すぎる十字架だ。どうしてこんな最悪な事に……。コミタはさめざめ泣いた。確かにアイアンアトラスは迷惑極まりない存在であり、恐ろしいニンジャであったが、少なくともコミタに悪意をもって害を与えてくる奴ではなかった。まだしも極悪非道の奴だったなら喜んで売ってやったのに、つくづくアイツは「呼べや!」「グワーッ!」

 タランテラのケリ・キックが再度入った。手加減されているとはいえ、コミタは十二分に死の危険を感じた。

「と、ところでェ! どうやって僕を呼び出したんですか? ぼ、僕のIRCのIDって……」

「脇が甘い無軌道大学生の一匹や二匹、呼び出すの簡単すぎるッて話でショ! 早く呼べや!」

「グワーッ!」

 コミタは嗚咽しながらアイアンアトラスに音声IRCコールを入れる。タランテラと頭を割られた死体を交互に見る。ひどすぎる。こんな状況は最悪だ。

『モシモシ』

 ストコココピロペペー! ジャララララ! グワララララララチーンチーンチーン! 凄まじい爆音が飛び出した。恐らく彼はパチンコ・ステーションにいる!

「うるさ……ア……アイアンアトラス=サン!? ぼ、僕だよ! エト……UNIXマンだよ!」

『アー? 聴こえねえーよ!』

「ギャハハハハハ! UNIXマン! ギャッハハハハ!」

 タランテラが手を叩いて笑った。

「キミ、UNIXマン! じ、自称して……クククク!」

「だ、だってそうなんですよ! アイツの中では……」

『ストコココピロペペー! ジャララララ! グワララララララチーンチーンチーン! オイ聴こえねえっつうの! 俺、忙しいんストコココピロペペー! ジャララララ! グワララララララチーンチーンチーン!』

「UNIXマンだよォ! ぼ、僕だよォ! アイアンアトラス=サン! 助……あ、ちがう、あ、遊ばない?」

 コミタの眼前、タランテラは恐ろしい目で睨んでいる。そして筆談で呼び出し場所の指示を入れる。コミタは言われたとおりにした。

「に、2時間後に、トロイモノ・ストリートの交差点来れる? あのさ、ぼ、僕、た……タノシイなイベントがあるからさ……だからアイアンアトラス=サンと……」

『ストコココピロペペー! ジャララララ! グワララララララチーンチーンチーン!』

 ブツン。通信が途絶した。タランテラはものすごい形相で睨んでいる。コミタは頷いた。

「き、来ます。トロイモノ・ストリートで待ち合わせの約束、できました……」

「ッたく手間ばっかりかけやがって。本当ボンクラだよね、キミ」

「アッハイ、ボ、ボンクラです……」

 戸口に現れた手下ギャングを、タランテラは振り返った。

「兵隊集めて」「ハイヨロコンデー!」「あ、それから、ピザ頼んで」「チョット・ピザですよね」「そう。アボカド・マグロ・ピザで、分厚いやつね」「ハイヨロコンデー」

 手下ギャングは深いオジギをして、駆け去った。コミタの腹が鳴った。タランテラはコミタを見た。

「なに、キミ、お腹鳴ってんの? ナメてる?」

「スミマセン!」

「まあいいか。僕と一緒に食べる? 人生最後のご飯になるだろうし」

「アッハイ……アッ……命、助け……」

「来な」

 タランテラはコミタを部屋の外に連れ出した。ナムサン……そこは恐らく退廃ホテルの廃墟であり、昼だというのに薄暗く、嫌な臭いがこもり、あちこちに蜘蛛の巣が張っていた。タランテラはコミタと共にエレベーターに乗り込んだ(エレベーターは動いていた)。

「キミ、ピザを食べた後、どうなるかワカル?」「いえ……」

 タランテラの目が残忍に細まった。

「楽しませてもらうよ、コミタ=サン。キミは僕らが見ている前でマスターベーションをする。ブザマにね。しっかりイくまでやめさせないよ? その様子はキッチリ録画して、IRCに放流するから。ツチグモ・ギャングをナメたらどうなるか、そういう話だから。で、額にはタトゥーを入れる。どんなタトゥーにしようか? オメコ・ヤロウにしよう!」

「アイエエエ……!」

「そのあと、キミの体中にタバコの火を押し付けて、切り刻んで、99マイルズ・ベイに捨てる。……。……どうしたの?」

「ア……いえ……本当にコワイです……」

「なんかおかしいな、キミ」

 タランテラはコミタをじっと見た。コミタは嗚咽しながら首を振った。

 エレベーターを降りると、そこは退廃ホテルの入り口のロビーだった。幾つかのボンボリライトが照らすガランとした空間だ。天井には黒いスプレーで恐ろしげな蜘蛛のグラフィティが施されている。壁には空き部屋を示す液晶パネルが並ぶ。どれも空室表示である。神棚には片目がないダルマと、蜘蛛を漬け込んだ奇怪なサケの瓶が備えられている。持ち込みUNIXデッキを操作していた5、6人のツチグモ・ギャング構成員が顔をあげ、タランテラに「オツカレサマデス」とアイサツした。UNIXモニタには回転するドクロが表示されている。何らかのIRC詐欺ビジネスであろう。間違いなくここはツチグモ・ギャングの本拠地だ……!

「兵隊、30分程で集まってきます。ブッ殺してやりましょうよ!」ギャングの一人が勢い込んだ。「……で、そのニボシ、どうするんスか?」

「ピザを食わせてやって、それから虐めてから殺す」「流石!」「ピザやるんスか? 優しいッスね!」

 コミタにはもう泣き叫ぶ気力もなかった。こんな状況なのに、コミタは先日のあの明け方……チュリと入ったホテルが満席だった事を思い出し、後悔の念にとらわれた。こんなふうに空室ばかりだったなら……あのとき……しかし現実はそうではない。コミタはかなわぬ願いを抱いたまま、拷問されて、死ぬのだ。

 ピンボボン……。ピンボボン……。出入口のブザーが鳴った。

「ピザ、来たッスね」

 手下ギャングが向かった。自動フスマが開き、「来店」のチョウチンが回転した。現れたのは7フィートを超える長身の男だった。コミタの心臓が極めて強く打った。

「嘘だ……ナンデ」

 コミタは唖然となった。タランテラはコミタを見、それから入り口を見た。コミタは呟いた。

「ア……アイアンアトラス=サン……」

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