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【サイレント・ナイト・プロトコル】#1

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 安い。安い。実際安い。

 薄寒い空気が音をよく通し、遠い街区の広告音声が、ここキタノ・ストリートにも届く。半透明の蜃気楼めいたホロ広告ポールやマグロ広告ツェッペリンが黄色がかった灰の空を彩り、視線を落とせば、ひび割れたコンクリートから生えた雑草が白い花をつけている。

「向こう三軒両隣」。店の軒先のみならず、周辺も掃除すべしという不文律を示したコトワザである。それは堕落都市ネオサイタマにおいてもいまだ力を持つルールであり、最低限の秩序を維持する要となっている事は確かだった。コトブキはこの日も機嫌よく路上を掃き清め、ピザタキの店内へ戻った。

 カウンターを見ると、店主のタキはエッチポルノピンナップ誌を枕にして、溶けたように眠っている。地下ではなくこちらで夜を明かしたのは珍しいことだ。昨晩は野球のネオサイタマリーグのプレーオフで、居残りの客たちとヒートアップした。もはやその形跡はない。手際良い清掃で、給与にインセンティブだ。

 コトブキの両目に「清」「掃」の漢字が灯り、ダイナーをスキャン。網膜に「衛生状態:営業可能」と表示され、特殊なモードが終了すると、再び彼女の瞳は美しい翡翠色で、瞳の奥には四枚翼オイランドロイド女神の意匠がある。タキはよれよれのニットのカーディガンを毛布代わりにしている。

 コトブキは微笑み、店の隅のピンボール筐体の電源を入れた。デロリロリロ。電子音が鳴り響き、液晶画面に単色の01滝が流れ、フリッパーがガチャガチャと駆動する。「タキ=サン」コトブキは声をかけた。「営業時間が近いですよ」返事はない。彼女はカウンター奥に入った。

 横にあるUNIXデッキの電源がONだ。このデッキは地下4階の設備(タキは勿体つけて「メインフレーム」と呼んでいる)に直結した子機で、1階に居るタキが接客しながらIRCメッセージの送受信やホットなコンテンツ漁りをするためのものだ。「タキ=サン。端末放置はあまり良くないのでは」返事無し。

 コトブキはやや緊張した。タキが無謀なハッキングで脳波フラットラインの危機を迎えた事は一度や二度ではない。LANケーブルは挿さっていない。タキの油っぽい金髪をかきわけ、首後ろを確認すると、端子焦げは見られない。モニタのサスペンド画面を叩いた。「復帰な」の文字が表示された。

 ビクン! タキがマナイタ上のサーモンめいて動いた。そして、「ンガッ、ガガ……ガッ」堰き止めたイビキを開放、身を起こしてコトブキを振り返った。頭を掻いて、またうつ伏せになり、寝直した。「まあよかったです」コトブキは呟いた。デッキがサスペンド復帰し、モニタが点灯した。

「実際安い」「1億円借りられるって本当?」「サイバー増大手術」「洗う」「アイドル募集。人間であればOK」「私はマダム。援助したいです」「お前をハッキングしたので振り込め」広告マルウェアの嵐めいて、勝手に開かれたと思しきウインドウ群を閉じてゆく。元凶のカーウォッシュ映像も閉じる。

 その時コトブキは気付いた。カーウォッシュ映像窓の下に見過ごされたアラート表示だ。緊急性の高いフラグが付与されたメッセージが2件あった。受信したチャネルをサーチ。「CANOPUS」のアスキーアート斜体文字が浮かび上がった。コトブキは息を呑んだ。

「カノープス」。至極シンプルなこのIRCチャネルは、メッセージ送受信の機能だけを有している。このチャネルの代理人はニンジャスレイヤーだ。このチャネルの管理者は故人で、長く放置されていた。ニンジャスレイヤーがタキにチャネルをハックさせ、admin権限を得たのだ。

 この故人のもとにいまだ送られてくる「依頼」を、ニンジャスレイヤーは代理人として解決する。カノープスとは何者なのか。ニンジャスレイヤー、すなわちマスラダ・カイに縁ある人物である事は確かだ。だが、彼は多くを語らない。

 明智光秀との戦いに勝利し、ネオサイタマへ帰還したニンジャスレイヤーは、この「カノープス」チャネルを通して、荒事解決の仕事をするようになった。電子ネットワーク上で「ニンジャスレイヤー」の名を用いれば、正体不明のウイルスが情報を消去してしまう。代替のアカウントは有効ではあった。

 依頼の内容は様々だ。「ニンジャに脅されている」「主人がニンジャに攫われました」「つきまといの被害に遭っている」。物騒な人助けが多い。欺瞞やひやかしの類を排除し、緊急性の高いものから片付けていく。カリュドーンの戦いが終わると、カノープスの代理人としての仕事も再び増え始めた。

 タキは嫌々ながら、コトブキは喜んで、マスラダの仕事を手伝う。これはネオサイタマに帰ってからのマスラダ自身がすすんで選び取った生業であり、外の世界につながる手段であった。……而して今、緊急のメッセージ。アクセスは可能だが、プライバシー的な躊躇もある。迷った後、彼女は開いた。

 ひとつ。『私達は99マイルズ・ベイで、スクラップを集めて生計を立てています。御存知の通り、シャッタードランドは生存権が保証されておらず、日々命がけです。そんな中で先日、我々の住居の近くに恐ろしいニンジャカルトが棲み着いてしまったのです。既に殺された仲間も居ます。彼らは奇妙な儀式に明け暮れています。サンズ・オブ・ケオスというのが、カルトの名のようです。画像を添付いたします』ランダムに飛び出した八本の矢の旗。『どうかお助けください。座標を送ります』

「……」コトブキは眉根を寄せた。メッセージは既読だった。ニンジャスレイヤーは既に動いている。アラート表示も消さず、すぐに飛び出したのだろうか。

 コトブキは逸る気持ちを抑え、もうひとつのメッセージを確認した。『IRCでは盗聴の危険がある。直接話をしたい。日時については明かせないが、その時が来た際に、君はこのメッセージを思い出してほしい。それで充分だ』

 送信者情報は自ら削り取ったかのように不明だった。まるで何も言っていないに等しい、空虚なメッセージだ。だがコトブキは胸騒ぎがした。それはオイランドロイドとしての計算能力や危機感知能力の領域外の心が感じ取った恐ろしさだった。


【サイレント・ナイト・プロトコル】


 アルカナム・コンプレックス、ネオサイタマ支社オフィスの一室。タタミ8枚ほどの部屋に照明は灯されておらず、UNIXデッキのライトとスライド投射機のバックライトだけが光源だ。そこにエージェントが二人居た。ダークスーツを着た男女。正確には三人。三人目の男はシリンダーに入って、机の上。

 髭面でサイバーサングラスをかけた精悍な男の名は、ハイエージェント・ビル・モーヤマ。金髪碧眼の女はエージェント・ザルニーツァ。シリンダーの中に浮いている脳はエージェント・ジョン。ジョンは任務中の致命傷を生き延び、脳となった結果、強い感知能力を獲得した。

 狭い闇には厳粛なアトモスフィアがあった。ビル・モーヤマはケースに納められたマイクロフィルムをみずから取り、投射機にセットした。壁面には何らかの事件現場が映し出された。建物側面に頭部を押し付けられ、削られながら落下してゆくニンジャ。凄惨な瞬間だ。「ニンジャの名はマローダーだ」

『強盗殺人の常習ニンジャです』ジョンがシリンダーのライトを明滅させた。『この映像は市民によって偶然撮影されたものですね』「うむ。ここでマローダーを殺したのはニンジャスレイヤーだ」『恐ろしいです』ビルはフィルムを差し替える。「次だ。知っての通り、この者はパイドパイパー

『我が社の機密を盗み出そうとした。大胆な奴ですね』「一日のなかで数分。機をうかがっては社屋屋上へ忍び入り、そのたび社員を遠隔コントロールして計画を進め、逃走……。それを繰り返し、徐々に犯行を進めていった厄介なニンジャだ」『これもニンジャスレイヤーが殺したわけですね……!』

「そうだ」ビルは苦々しく頷いた。「ニンジャスレイヤー=サンの先走りによって、我が社は尋問の機会を失った。だが現在、このパイドパイパーが所属する組織がハンザイ・コンスピラシーであった事が判明している」『機密情報が彼らの元に渡った……』「どの程度解析されたか不明だが、その通りだ」

『ニンジャスレイヤー=サンは何故パイドパイパーを追っていたのでしょう?』「判明している」と、ビル。「彼は、パイドパイパーの過去の犯罪被害者遺族からの依頼で動いていた。美術館の警備員が遠隔操作され、盗みの片棒を担がされた。警備員は汚名の中でセプクした」『なんという事でしょう』 

「その後、犯罪の証拠が提示され、名誉回復が行われた」『それは良かったです。しかし、いかなる方法によって依頼人はニンジャスレイヤー=サンとコンタクトを?』「これだ」ビルはフィルムを入れ替えた。「CANOPUS」のサイトのスクリーンショットが映し出された。

『ロウ・ファイな個人チャネルですね。メッセージ送信機能しかありません』「このチャネルを隠れ蓑に、匿名で依頼を受信しているようだ」『カノープスとは?』「ニンジャの名だ。数年前にネオサイタマでフリーランスのトラブルシューターをしていた。恐らく故人であり、彼はこれを利用している」

『こう言ってはなんですが、卑近な仕事ですね』ジョンは光った。『アヴァター級ニンジャを少なくとも2体破壊し、明智光秀を倒したニンジャとなれば、要人も引く手あまたに思えます。なぜ彼は個人相手の始末屋じみた仕事を?』「その実、このアルカナムも奴を持て余している」ビルは指摘した。「極めて危険であるがゆえ自由。ゆえに危険だ」

『謎も多いです。ネットワーク上に情報が驚くほど少ない』ジョンは考え込んだ。ビルは映像スライドを切り替えた。次に映し出されたのは死屍累々のヤクザ庭園だった。ニンジャスレイヤーは毒使いのニンジャを爆発四散させた。「このニンジャの名はヴェノモス。新興の暗殺組織ヘイ・ジウの構成員だ」

『なぜヘイ・ジウと敵対を』「アルカナムもヘイ・ジウの被害を受けている。調査中ではあるが、敵対理由など想像に難くはない」ビルはスライドを切り替えた。ジョンは訝しんだ。『これは? ユーレイじみた館ですね。恐ろしいです』「サイコミラージュというニンジャが猟奇的な事件を引き起こしていた」

『これもニンジャスレイヤー=サンが?』「そうだ、殺した」ビルは頷いた。「サイコミラージュはサンズ・オブ・ケオスの構成員である事が確認されている。彼らの不法占拠による様々な被害が報告されている。それに関連しての依頼か、あるいは散逸レリックにまつわる動きやもしれん」

『レリック! そうです。大変な事になりました……』ジョンが言った。ビルは映像を切り替える。ダイハンジョウの強盗殺人騒ぎに関するデータが流れる。そこで倒されたニンジャの名はブレイドレイス

「あの流星の夜以後、ニンジャスレイヤー=サンの行動はレリック回収絡みの動きが増えてゆく。それは先日の契約時に確認した通りだ」ビルはザルニーツァを見た。ザルニーツァは頷いた。

『流星の夜。そう表現すれば実際ロマンチックですが、皮肉めいてもいます』「その通りだ」ビルはKOL博覧会の夜にフォーカスする。「あの夜にまつわる苦々しい敗北と散逸の体験を風化させてはならない。アヴァター級ニンジャ、ブギーマン……。私とザルニーツァ=サンがここに居る理由そのものだ」

 映像が切り替わる。KOL博覧会屋上、横に寝た巨大なカタナ型オブジェクトの上で行われた死闘、そして爆発四散。撒き散らされるレリックの光。「ここでニンジャスレイヤー=サンはブギーマンを爆発四散させた。レリックはネオサイタマ中に撒き散らされたのだ」『彼の動機は何だったのでしょうか?』

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