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【アット・ザ・マウンテン・オブ・ブッダネス】


「ネオサイタマの人! あなた大変バカなことよ! あのテンプル行くつもりでしょう?」

「そうだ」トレンチコートにバックパック姿のガイジンは答えた。

「ハー!」ラマに跨がる農夫シャン・ケンはため息をつき、肩をすくめた。錆びた左のサイバネ義手が軋んだ。「あなた、あのカンバン信じてるね? バカなことよ」

 ここは中国大陸奥地。霧深きケイ・リン山脈の中腹には平安時代のサンスイを思わせるスペクタクル風景が今なお残されている。すなわちオーカー色のマッポー級汚染大気と灰色の霧が混じり合った神秘的な湖、そしてそこからタケノコめいて生える無数の岩山である。遥か上空には観光招福マグロツェッペリンが飛び交うが、地上へと降りてくる者は皆無だ。ここは文明から見棄てられた土地であり、ファストフード・スシデリバリーもUNIX房も存在しない。

 ではカンバンとは何か。テンプルだ。シャン・ケンの視線の先には吊り橋があり、その向こうの岩山には古い5階建てのブッダテンプルがある。そのテンプルの窓からは色褪せたカラフル・タルチョが吊られ、「免费Wi-Fi热点」「提供する」などの魅惑的なカンバンが掲げられているのだ。

「バカなこと?」トレンチコートの男は問い返した。

「そう、あなたバカなことよ。あのテンプルには、ボンズ、いないね。人間、いないね。Wi-Fi、あるよ。でもそこに、ニンジャもいるのこと!」

「ニンジャ……」男の目つきが変わった。その眼光は赤く、鋭かった。高価なサイバネアイであろうかとシャン・ケンは推測した。

「そう! ニンジャのいること間違いないよ! 麓の村にはスリケン拾った者いるよ! そしてあそこにいるニンジャ、情け容赦ない化け物よ。フリーWi-Fiカンバンに引き寄せられてきた旅行者や村の者を、チョウチンアンコみたいに捕えて殺すのよ! そして多分……」シャン・ケンは苦虫を噛み潰したような顔で言った。「食べちゃうよ」

「どんな姿のニンジャだ」

「解らないよ……だって、あのテンプルに近づいた人、誰も戻らないから……。ここにいるのすら危険よ。あなたこれなら十分離れてると思う? 吊り橋があるからね! だけど、ニンジャが腹空かせてたら、ここまで来るかもしれないよ! あなた、そうしたら、終わりよ!」

「ならば、オヌシはなぜ危険を冒し、ここまで登ってきた?」

「……電波ね。この辺りでIRC使えるの、あのテンプルのWi-Fi電波しか無いよ」シャン・ケンは表情を曇らせ、麓の荒廃した棚田を一瞥した。ラマの瞳も心なしか不安そうに潤んでいた。「私のこの左腕と右足のサイバネ、最新ドライバをIRCからダウンロードしないと完全動かなくなったよ。だからもう、実際一年近くも動かないよ。鍬も握れないから、コメが作れないよ」

「ニンジャが棲み、Wi-Fiを餌に卑劣な罠を張っている……そういう事だな」

「そうよ! あなた物分りいいガイジンね! 理解したら悪いこと言わずに……」と頷きかけ、シャン・ケンは違和感に気付いた。「あなた、もしかして、Wi-Fi電波じゃなくてニンジャ探しに来たか? 最初からそれ知ってたか!? そんな人、滅多にいないよ! そんなガイジン、初めてよ!」

「旅の途中、偶然ニンジャの噂を聞きつけたゆえ、足を運んだ」

「あなた、危険を知ったうえでテンプル行く! それ一番のバカよ! 相手ニンジャよ! 言葉も常識も通じないよ! この辺りですら危ないのことよ! 止めたのに、IRC中毒だった私の妻も……帰らなかったよ……一番のバカだったよ」

「そうか」男の声には恐怖ではなく、決然たる怒りが篭っていた。

「あなた、なんでニンジャ探してる? もしかして、ニンジャからカラテ習うの? 無理よ? なんで探してる?」

「私は其奴を殺しにきた」トレンチコートの男はシャン・ケンに背を向け、吊り橋へと歩き始めた。拳をかたく握りしめながら。

「エッ、殺す? ニンジャを?」シャン・ケンは蒼白した。男の体格は良い。カラテ有段者だろうか。だがそれでも……人間がニンジャに勝てるはずはないのだ。「あなたまるで、中世の放浪騎士よ。そんなの絶対に無理なことよ! 英雄気取りやめて、ここから写真撮って、ニンジャ来る前に帰るといいよ! ほら、いいスペクタクル風景よ! IRC-SNSで人気者なれるよ! 命あっての物種よ! 私もう帰るよ! 一緒に帰らないの!?」

 トレンチコートの男は振り返りもせず、吊り橋を渡り始めた。その先には霧深い湖が広がり、松の木がまばらに生えた岩山と断崖絶壁、そして五重塔めいたコクゾ・テンプルがあった。チチチチ、チチチチチ、と幽かな音を鳴らしながら、霧の中で無線LANアンテナの先の青色LED灯が明滅していた。あたかも、船乗りを魅惑し引き寄せるセイレンの呼び声のごとく。

「あなた! もしも!」シャン・ケンは峠を下りながら、振り返り、呼びかけた。男も足を止め、振り返った。霧に覆われ、もうほとんどお互いの姿は見えなかった。「そこで妻のフィービー見つけたら、連れて帰ってきてよ……! ピンク色のIRCパンダフォン持ってるよ……!」「わかった」シャン・ケンの悲痛な言葉を聞き遂げると、男は小さく頷き、また吊り橋を先へと進んでいった。

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