【日報】おまえはバーフバリで現代の神話を目撃する(逆噴射聡一郎)


よくきたな。おれは逆噴射聡一郎だ。おれは毎日すごい量のテキストを書いているが、誰にも読ませるつもりはない。しかし今回おれはインドから突然現れた真の男のための映画「バーフバリ 王の凱旋」を知り、いてもたってもいられなくなったので、この記事を書いて公開することにした。

逆噴射聡一郎先生プロフィール:社会派コラムニスト。昔からダイハードテイルズ・マガジンに時々寄稿してくださいます。


今すぐ観に行かないやつは腰抜け

耳ざといおまえは、すでに「バーフバリ」の文字列をTwitterとかのタイムライン上で目にしているかもしれない。だがおまえは妙にひねくれており、乗り遅れたのが悔しく、そうゆうポッと出のバズワードをあえて見てみないふりをしているのが賢いと考えて、ひとり悦に入っているとゆう有様だ。もしくは、「インド・・・・ムトゥ踊るマハラジャとかロボットとかそうゆうやつだろう・・・・・」といった石器時代のような決めつけで全然映画館に行かない。これはどちらも完全な腰抜けであり、完全にどうしようもないことが証明されている。いつからおまえはそんなになってしまったのか? スマッホンの予測変換のせいで、おまえの中の真の男は死んでしまったのだろうか? だが仮にそうだとしても・・・・・・よみがえる。バーフバリを見ることでだ。

「これは2なの? 1を見たほうがいいの?」お前はすぐそうやって聞いてくるかもしれない。真の男はそういうときにいちいち前作とか予習とか気にしない。観に行くべきだと感じたらすぐ劇場に行ってみて確かめろ。そうゆうビリビリする緊張感を思い出せ。そうしなければバーフバリ王の凱旋は上映期間が終了し、おまえはおれがこんなにすすめたにもかかわらず、最高の映画体験をせずに2018年を終え、真の男のための映画とはなにかを知るきっかけをひとつ失った状態で、年老い、やがて・・・・・・・死ぬ。だから今すぐ観に行くべきだ。つけくわえるなら映画本編が始まる前に親切な前回のあらすじがあるから2から見てもなにひとつ問題ない。


真の男のための物語

バーフバリが何なのかについても、おれは落ち着いて説明しておくべきだと思った。バーフバリは映画だ。それはインドで作られた。お前はインド映画にどういうイメージを持っている?「ふーん、ボリウッド?長くて横からたくさん人間が出てきて踊り不条理なかんじで主演男優が髭が生えているやつでしょ?」お前はいきなりそうやって決めつけてどうしようもない。つまり、お前はこの時点で百個ぐらい間違いを犯している。

そもそもバーフバリはボリウッドではない。テルグ語の映画なのでトリウッドだ。おれはそういう段階から学んでいった。不条理でもない。エスエッフエクスをつかい、すごい視覚表現がれんぱつするが、それはいわば詩的なメタファー、けれん、心象風景の誇張といったものであり、合理的精神に基づく。これは100パーセントまじめな映画だ。お前もすぐにそれがわかる。おれは真の男の映画しか愛さない。なんかちょっとマニア的に調子に乗った表現が出て、映画自身が「どう?おもしろいでしょ?」みたいな態度を示したとたんにおれは機嫌を損ね、そのまま劇場を出て酒場に向かい、テキーラを一杯決め込む。だがバーフバリにそんなものは皆無だった。

この映画が始まると、圧倒的な色彩とアクションと動きがあり、すごい音楽が鳴って、太鼓が鼓膜と下腹を震わせる。そして偉大なる王バーフバリが巨大な台車を引いて扉を破って出現し、暴れる象に粉をかけておとなしくさせる。これがふつうの腰抜けCG映画だったら、暴れる象にカレーをかける動きを見たお前は「なんか派手で過剰であえて面白いね」とか知ったようなことを言ったことだろう。だが、この真の男のための映画バーフバリは違う。お前はもはやこの時点でそういう知ったようなコメントができる状態ではなくなり、痙攣し始める。失禁する奴もいるだろう。はっきり言って、バーフバリについては言葉であらすじを聞いても何がすごいのかおまえは全くわからないはずだ。言葉で聞くのと実物を見るのとは大違いだ。お前がいま鼻をほじりながらスマッホしている部屋のドアを開けて、とつぜん筋肉モリモリのコナンが出現した時のことを想像してみるがいい。この映画には、そのくらいのインパクトと筋肉の説得力があるのだ。

バーフバリはあまりにも真の男であり、その動き、立ち振る舞い、表情、すべての要素によって、圧倒的な英雄性でお前をいっぱつで打ち据え、輝くような王としての説得力を発揮してすべてのあほを黙らせる。「あんな暴れている象を優しく大人しくさせた・・・・・ガネーシャの山車のうえにたつバーフバリの威光・・・・・真の王だ・・・・・!」。そうゆうふうにだ。おまえはもはや口を開けて目を見開き、涙を流して呻くことしかできないであろう。「サホーレ、バーフバリ・・・・」と。


完全にシンプルなストーリーを深い人間造形が突き動かす

バーフバリのストーリーは、貴種流離譚というやつだ。つまりドラクエの最初の村でわんぱくに生まれ育った主人公が旅に出てすごい城に辿り着き、そこの跡継ぎであることを知るとゆうような話だ。マヒシュマティ王国は悪の王によって圧制が敷かれたすごいディストピアで、レジスタンスが今にも立ち上がって戦おうとしている。そんな王国に真の王が戻ってくる・・・。滝の流れる絶壁を登って・・・。彼は自分の出自を知らなかったが、惚れたベイブのために亡国の王妃を救出し、すべての真実をしった。そして自分の父親である偉大な王を殺した僭王に復讐するのだ。

これは完全に神話定型にもとづいている。どっかで聞いたとかパクリとかそうゆうレベルの話ではない。そもそもおまえの遺伝子が知っている話だ。ゆえに完全に強固であり、知ったようなやつらがどんなケチをつけようとも堅牢で、びくともしない。塵一つ落ちてこない。なにひとつ「あえて」を狙っていない。真正面だ。おまえはこの映画を真正面から受け止めねばならないことにすぐに気づく。

この映画には、真の男とあほと腰抜けが登場する。敵であるあほのバラーラデーヴァ(左)は腰抜けのおやじと陰謀を極め、バーフバリを追い落とした。だがバーフバリはどこに左遷されてもその場所で民衆の心を掴み、鼓舞し、勇気を与えた・・・・。生まれながらの王だからだ。ゆえにこそバラーラデーヴァはバーフバリを憎む。じぶんが絶対になれない存在、すなわち真の男であることをなにかにつけてわからされてしまうからだ。バーフバリさえいなければ、こいつもそこそこやれる王になったにちがいない。だが・・・・許せなかったのだ。そうゆう生生しい苦悩が過不足ない描写で伝えられている。

バラーラデーヴァを例に出したが、全部の人物がとにかく丁寧に作られていっる。ヒロインのデーヴぁせーな王妃の苛烈さ・・・・ちょう強いがさまざまなことに悩み国を統治することの大変さをお前にわからせる国母シヴァガミ・・・・奴隷でさいきょうの戦士にしてバーフバリにすごい忠誠をもっているカッタッパ・・・・。その全員が真の男だ。おれはいずれ小説講座でお前に伝えようと思っていたが、面白い話とはなにか・・・・それはパーでもチョキでもなく、いっぱつで頭を殴ってぶっ飛ばすような強烈なグーで殴れとゆうことだ。グーに手を抜かなければ最強につよい。チョキをどうひねくろうと、そんなのは血の滴るうまいステーキにはかなわない。シンプルな話でも突き詰めれば深みは作れるということを、このバーフバリは教えてくれるだろう。

それは結局、ちゃんと体を鍛えて、ちゃんとドラマを作るということだ。丁寧に造形された人間たちがそれゆえにとても理解できる心の動きをし、アーノルドのようにちゃんと鍛え上げられた真のプロテインが互いに衝突し、エネルギーが爆発する・・・・そしてその爆発をそのまま音にしたようなミュージックが音でガンガン魂を震わせてくる・・・・おまえは文明国カリフォルニアの堕落に浸り、ポテトフライ度やハンバーガーのインスタントなハイカロリーとかリアリティTVに毒され、ブロックバスターハリウッド映画のきまりきった話や、ポリテカリー全方面にはいりょした誰にも怒られない話が王道だと勘違いさせられて育った。だが今その認識が揺さぶられ、崩される時がきたのだ。王道とは神話であり、おまえの遺伝子にある心の風景・・・・それがバーフバリだ。

現代の神話

この話は神話伝説的な貴種流離譚なので、もちろん王が主人公だ。生まれながらにして王となる宿命を与えられている。これをきいたとたん、腰抜けどもはしたり顔で「支配者・・・・被支配者・・・・民主主義的にポリテカリーじゃない。だからよくないね」とか全然本質ではないことを言う。こうゆう完全なあほは言葉遊びにおぼれ、真実を見ようとせず、メキシコでトレホのナイフが刺さる前にちょっとした日差しに焼かれたぐらいで死ぬうらなり坊やだ。

このインド中世ファンタジーにおいて民衆は強くかっこよく美しい王族に夢と希望と未来への期待を集めた。そして真の王はその気持ちに応え、強くあり、先陣を切って外敵を倒し民衆の命をすくうことでそれに答えた。現代社会の尺度とは違う価値観のなかで人間としての善をちゅいきゅうする姿勢が求められた。それは努力目標ではなく義務だ。だからシヴァガミは国を統治する責任に人間として悩み、間違い、死んだりとかしたし、国を乗っ取ったバラーラデーヴァは全然幸せになれず常に偽りの玉座に苦しみ続けた。真の王とはなにか? 正義とは何か? どうゆうものなのか? 

その答えの一つが現代とは違った社会制度の中で違った角度から光を照らされ、けっかとして、一人の人間が人間としてよく生きることとは何かをあぶりだす、そうゆう作品だ。ゆえに中世的でありながらデーヴァセーナーもシヴァガミもなよなよした単にホットなベイブではなく力強さと決断力をもつすごいやつとして現代的に描写されている。特にすごいのはシヴァガミの人間臭さと迫真の演技だ。大事なのはこういうことであって、チームの人種を全員バラエティに富ませろとかそういう風紀委員みたいないちゃもんつけルールとかではない。そういうことゆう奴に限って、RGBとかの表面的なところしか見ておらず、メキシコでゆだんして死ぬ。真の男はそんなものに惑わされない。真の男のための映画であるバーフバリもまた、そうしたタルサドゥームどもの空虚な言葉をよせつけず、生きる上で本当に大切なものをおまえに何度でも気づかせるだろう。

生まれがどうとかポリテカリーとかどうでもいい。バーフバリをみたやつは、誰もが王になれる。誰の心の中にも、王のように気高くふるまう権利と力がねむっている。バーフバリをみることでおまえはそれを思い出し、精神的にひとつ強くなる。これはそうゆう精神的な王の話であり、神話なのだ。

(逆噴射聡一郎)


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