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【ウィアード・ワンダラー・アンド・ワイアード・ウィッチ】

◇総合目次 ◇初めて購読した方へ

この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードの加筆修正板は上の物理書籍に収録されています。また第2部のコミカライズが、現在チャンピオンRED誌上で行われています。


【ウィアード・ワンダラー・アンド・ワイアード・ウィッチ】



 頭痛。身体が重い。ホリイ・ムラカミは、最低限の暗号化もされていない不衛生な無線LAN電波が飛び交う、薄汚い民宿サルーン「MASUDA」の一室……軋むベッド上で、緩慢に目を開けた。左網膜にインプラントされたサイバネアイが気怠げに起動し、蛍光緑色のIRCシスログを視界に吐き出す。 

 一番安心して眠れる姿勢、右半身を下にしたまま、未だ動かない。これまでの逃避行を鑑みれば、余りに短すぎる休息であった。そう、眠ってしまったのだ。意外にも。(((うえっ、何、この臭い)))その女コードロジストに最初に異状を伝達したのは、サイバネ化されていない原始的な五感であった。 

 ホリイは眉間に皺を寄せ、顔をしかめた。スラムの便所に蔓延る疫病めいた粗悪ウィルスが、茶色い染み付きの電波に乗って自身のファイアウォールを撫でるような不快感を味わった。LANを念入りに閉じる。異臭は消えない。(((疑似感覚ではない)))昨夜何があったのか。徐々に思い出してきた。 

 嗅覚、そして聴覚が働く。耳障りな羽音。蠅だ。異臭が鼻を突く。(((これ、強いアルコールの匂い……それから……腐った肉……!?)))昨夜の記憶が掘り出されるよりも速く、ホリイの肉体は危険回避行動を取り、跳ね起きた!異臭!それは、ベッドのすぐ隣にある死体から発せられていたからだ! 

 次の瞬間、ぼろぼろのウェスタンハットを被ったその死体は、「参ったな」とでも言いたげな表情で振り向き、彼女を見た。瞼が腐り落ちたその瞳で。ナムアミダブツ!「アイエエエエ!」ホリイはバネ仕掛けめいてベッドから飛び降り、甲高い叫び声を上げようとした。だが、彼女の悲鳴は掻き消された。 

「ンンーッ!」ホリイはベッドの横でゾンビーの偉丈夫に背後を取られ、包帯の上に革手袋を嵌めた大きな手で、口を封じられていたからだ。信じ難い早業だ。ホリイには、何が起こったのか解らなかった。サイバネアイですら、その動きを捕捉できなかった。何故ならその男は、ニンジャだったからだ。 

「嬢ちゃん、叫ぶんなら、出てってもらうぞ。俺は面倒事は嫌いなんだ」死体は言った。「ここは四階だ。いいか、まだ叫ぼうってんなら、あんたをそこの窓から冷たい道路に放り捨てて、テクノギャングか、ヤクザか、それかアマクダリの連中に、足の骨が折れて身動きできないあんたを回収させて……」 

 アマクダリ。その恐るべき秘密結社の名を聞くと、ホリイは抵抗を止めた。「……このサルーンが静かになったら、俺はまた独りで酒でも呑むとする。どうだ、それがいいか?」「ンーッ」ホリイは今は静かに、首を横に振った。「そりゃあよかった」死体は穏やかに手を離した。「俺もやりたくなかった」 

 ホリイはベッドの上に座り込み、冷や汗を拭い、息を整えた。その死体は、少し離れた壁際で、明滅するLEDボンボリの下で彼女に背を向けながら、黒く分厚いカソックコートを襟元まで閉じ、匂い消しの強アルコールを呷っていた。「ごめんなさい」ホリイは昨夜の事を思い出し、奥ゆかしく謝罪した。 

 まだホリイは混乱していた。何故自分は死体に謝罪しているのかと。だが彼女は昨夜、サルーンでこの男に実際助けを求めたのだ。ゾンビーだなどとは知らなかったが。「俺も、悪かった」彼女を衝動的に放り投げずに良かったと思いながら、死体は返した。彼はこの60秒間で随分ニューロンを酷使した。

 死体は装束を整え終えると、ホリイから影のようにしか見えない場所に歩いて、振り向いた。その顔も、目深に被った帽子で殆ど見えなかった。彼は自分の腐った肉体を見られたくないのだ。面倒が起こるからだ。「……まだ少し、気が動転しているから」ホリイは、暗い闇に潜む怪物に向かって言った。 

「昨夜の事を思い出さないと。だから、改めて自己紹介を」気丈な女コードロジストは言った。「ドーモ、ホリイ・ムラカミです」彼女はベッドに座ったまま、暗がりの怪物にオジギした。彼のシルエットは、何故か先程よりも遥かに小さく感じられた。「……ドーモ、ジェノサイドです」死体は応えた。 

【ウィアード・ワンダラー・アンド・ワイアード・ウィッチ】

 ナカニ・ストリートの民宿サルーン「MASUDA」の一室で、二人は奇妙な対話を続けた。彼の足元、灰色の安物カーペットには、腐り果てた肉体から滴り落ちた強アルコールの染みが広がっていた。ホリイは、昨夜何があったのか思い出し始めた。如何にして死体と寝る事になったのか、その顛末を。 

 ……夜。重金属酸性雨の降りしきるネオサイタマの夜を、フードを目深に被った女が独り、時折後方を振り返りながら歩いていた。 

 治安維持警察ハイデッカーの装甲車が、渋滞を押し分け進む。ホリイは反射的に、歩道をスキャンする漢字サーチライトから目を逸らす。直後、アナキストが歩道から装甲車へ突撃した。「ウワーッ管理社会!」「ザッケンナコラー市民!」装甲車から怒号。「アバーッ!」彼は余りに呆気なく轢殺された。

 サイバーサングラスをかけた市民の群は、黙々と歩道を歩き続けた。ビルの大型モニタには共和国との見えぬ“戦争”。ホリイも、凄まじい恐怖と抑圧感を感じながら、口を固く結んで歩き続けた。「これはすごいですよ!」「私のだ!」後方では誰かが車道の死体に群がり、サイバネ機器や銃器を漁る。 

 ゴゴゴゴゴ……マグロツェッペリンが低空飛行し、過剰消費と隣人監視を煽るネコネコカワイイの最新PVで絨毯爆撃する。いつからこれらの光景はチャメシ・インシデントとなってしまったのだろう?ホリイは思案した。全ては、市民が気づかぬうちに進行した。気づいた時には、全てが手遅れだった。 

 ホリイは故郷へ向かっていた。ナカニ・ストリートへ。彼女の市民IDデータに、ナカニの文字は無い。もう十年も前……高校の寮に入る際に、ハッカーに履歴を書き換えてもらったからだ。「市民!」「IDを提示しなさい市民!」少し先のハイデッカー治安検問所を見ながら、彼女は表情を強張らせた。

「安心して秩序」「みんなで協力」「戦時下なので」の赤色LED文字が、検問の大型電光板に流れる。「市民ID、それから社員証……役に立つといいけど」ホリイはディストリクト境界検問へ向かう信号待ちの列で、祈るように独りごちた。信号機の上では監視カメラが無表情に市民をスキャンする。 

 ほとんど素通りに近い速度で、市民の列は検問所を越える。全員を精密スキャンし、身体検査を行っている時間は無いからだ。今は、まだ。あからさまな薬中やアナキストだけが弾かれる。「安心だ!」「治安が良くなっている!」当初は難色を示していた市民も、今ではハイデッカーを歓迎しつつある。 

「市民!」厳めしいハイデッカーが、ハンディスキャナを掲げ手招きする。「ドーモ」ホリイは微笑み、IDを提示した。オナタカミ社系列カチグミ企業社員証もだ。ピボッ。……結果は市民には見えない。「……」3人並んで座るハイデッカー隊員が、無言のまま全員同時にUNIX画面に見入った。 

 (((何でこんなに時間がかかるの?)))ホリイは心臓を掴まれるような恐怖感を味わった。「何か、問題でも?」「……この先は治安の悪いディストリクトです、市民」ハイデッカーが敬礼しながら言った。彼らの装備はオナタカミ社製の最新型であり、オナカタミ・トルーパーズと呼ぶ市民もいる。 

「私の自由でしょう?自分の安全くらい守れるわ」ホリイは強気に出た。相手がただのマッポならば、この手の面倒なカチグミ・サラリマンを、おとがめ無しで通すものだ。だがハイデッカーは違った。「今夜は許可できません、市民。ご自宅までエスコートします。それまで、あちらのセキュリティ室に」

 ホリイは従うしか無かった。セキュリティドアを抜け、「まず確認」「市民を守る」などの画一的ポスターが貼られた廊下を抜け、タタミ6畳ほどの個室に通された。「ご協力ドーモ、市民!」付き添いのハイデッカーは敬礼してドアをロックし、廊下でタンを吐いてから、検問所へ戻って行った。 

「「気分の問題〜!」」オイランドロイド・アイドルデュオのテクノ歌謡曲が静かに流れる室内で、ホリイは思案した。(((これって、体よく捕まったって事?)))彼女は愚かではない。汗が滲む。彼女の論理的思考は、謎のヤクザめいた追跡者らとハイデッカーの間に、何らかのリンクを示唆した。 

 何か見えない強大な力が、自分を圧し潰そうとしている。それを論理的にも、また本能的にも、ホリイは感じ取っていた。彼女に取っての全ての災難は、極北の地、ドサンコ・ウェイストランドから始まった。彼女の部署の上司と同僚数名が、ある日突然、ドサンコ支社に飛ばされ、帰ってこなかった。 

 ホリイは選ばれなかった。ホリイと親しかったマスイが飛ばされ、すぐに音信不通となった。軍事関係のプロジェクトであれば、連絡が取れなくなるのは不思議なことではない。だが、何かが妙だった。すぐに新たなUNIX技術者やハッカーが補充され、彼女の部署は見かけ上、もとのサイズに戻った。 

 少し経つと、また数名がドサンコに飛ばされた。それが3度続いた。彼らも戻らなかった。やがて、ドサンコ・コロニー群での大規模暴動事件やグリズリー攻撃が発表され、派遣された社員の全員死亡が発表された。……ホリイは好奇心により、いや、猜疑心と正義感により、詮索を行ってしまったのだ。 

 だが、平安時代の軍師ミヤモト・マサシのコトワザにもある通り「詮索好きの犬は警棒で殴られる」。社内データを探索したホリイは、謎の秘密結社アマクダリ・セクトの名を知ってしまった。そして今夜、彼女はアマクダリ紋タイピンを付けた三人組をマンションの駐車場で偶然発見し、逃走したのだ。 

 (((私には力がある。私はギフトを授かった。それを彼らに渡す気は無い……!)))ホリイは自分に言い聞かせるように、ひとりごちた。そして、壁にあるLAN端子口を見た。ハイデッカーの施設でハッキングを行えば、もはや言い逃れも後戻りもできぬだろう。だが彼女は自らの直感を信じた。 

 5分後。検問所に非常警報が鳴り響き、全てのセキュリティドアがアンロックされた。「アイエエエエ!」「火災!?」列に並ぶ市民がどよめいた。ホリイは混乱に乗じ、検問の先へ逃げた。検問所では丁度、3人の追跡者と3人のハイデッカーが会話を行っていた。その姿はまるで6つ子のようだった。 

「何事だ!火災ではないぞ!ハッキングか!?」「アイエエエエエ!ウィルスです!」ハイデッカー所属ハッカーの叫び声。「道をあけろ市民!」「アイエエエエ暴力!」「マテッコラー市民!ホリイ・ムラカミ=サン!」「アイエーエエエ!」怒号、絶叫、混乱、それらを振り返らず、ホリイは逃げた。 

 ホリイは幼い頃の生きる知恵を呼び戻し、マケグミ市民の雑踏に巧みに紛れ、治安の悪いマネキ・ディストリクトを逃げた。髪型を変え、露店で売っていたデジ・トライバル文様の即席蛍光流体タトゥーを左頬に入れた。ハイデッカーの影響力には未だムラがあり、多様性のケオスが彼女を覆い隠した。 

 ナカニ・ストリートは近い。十年ぶりの帰郷だ。いまや彼女は、欲深いヨタモノやギャングの目からその身分を隠すべきカチグミだ。些かのタイムラグを経て、凄まじい不安感が彼女の上にのしかかる。そこに自分の居場所はあるだろうか?カチグミ・マンションは検問の遥か後ろ側にあり、もう戻れない。

「私には力がある」ホリイはフードを再び目深に被り直し、自らを鼓舞するように独りごちた。音声ではなく、網膜サイバネアイに文字列として。「いつの日か、精緻と知略をきわめた、狙い澄ましたコーディングで、世界すら変えるほどの。その力が私のニューロンの中に宿っている。だから生き残る」 

 ホリイは己の力を信じていた。センセイが言った通り、己の中には途方も無い力と可能性が宿ると。たった1個のプログラムで、世界すらも裏返すと。……コードロジストを志す者は、皆、そのような大志や野望を抱く。そしてしばしば増長し失敗する。だが彼女は同時に、自らの力の種類も知っていた。 

 コードロジストとは職業名ではない。いまや動作原理が半ば不明となってしまった旧世紀のコードやプロトコルを研究し、それを主にウィルスの形で操る者たちに対して、ハッカーから与えられる尊称だ。蔑称はウィッチ。当然ながら、旧世紀のUNIXハードウェアについても深い知識を持つ者が多い。 

 半ば直感に頼った、神秘的なコーディングでプログラムを紡ぐ彼らは、ハッカーの一専門分野のようにも見える。だが、ハッカーのようなIRC戦闘能力は有さず、タイピング速度もさほど速くない。ハッカーを電脳空間の表舞台で戦うサムライと喩えるならば、コードロジストはいわば武器職人である。 

「何も無い街」「直結された貴方なら」「チョット体験」…時代遅れのネオンが彼方に見え始めた。ナカニ・ストリートが近い。唾を呑む。彼女はカラテ・ドージョーに通った事もない脆弱な女性だ。スラムの路地裏から太い腕が伸びれば、無抵抗のまま闇に引きずり込まれ、戻る事はないと知っている。 

「オペアンプ」「金が無い」「バカ」「基板」等のスプレー文字がブロック塀を支配する。猥雑な道に並ぶ違法露店。ナカニ・ストリートだ。「俺を睨んだな!?睨んだな!?」「アイエエエエエ!」テクノギャングが幅を利かせ、サイバーグラスをかけた露天商を締め上げている。治安が悪化している。 

 ホリイはフードを一層目深に被り、蛍光タトゥーを微かに露出させ、旧世紀の発掘パーツを買い付けにきた剣呑なローグハッカーめいて歩こうとした。だが内心は、足が竦みそうな不安とともにあった。十年前とは、何もかもが変わっている。見知った顔はいるだろうか?彼らは自分を認識するだろうか? 

 ホリイは避難所として、自らの故郷を選んだ。だがそれは正解だったのか?大学卒業以来、ナカニ・ストリートの者とは全く連絡を取れていない。変わり果てた街は彼女を異物として排除しそうな気配だ。彼女自身も、ストリートに蔓延する物理電波両面の不衛生に対し、思わず顔をしかめた。十年は長い。

「カワイイ半導体!」「実際安い!」「旧世紀ポリゴン!」ホリイは露天商らの顔をスキャンしながら、注意深く進んだ。(((まずは……センセイを探さないと……)))彼女が頼るべき相手は、この街最大のカリスマ存在にして、かつてホリイの才能を見いだした恩師、クラタ・メイジンである。 

 だが、露天商へのインタビューは実際難航した。暗号が変わってしまったのか、人が変わってしまったのか、かつて彼女が知っていた符牒を用いても、クラタ・メイジンの居所は掴めなかったのだ。加えて、彼らは何かを恐れているようだった。雑居ビルの違法基板屋やデータショップでも同じ事だった。 

「あんたァ、人を探してんのか……?悪い事は言わねえから、もと来たとこに帰りなァ。この街ァ、もうなァ……」地元民らしきLED編笠の老人が、失意のホリイを見かね、声をかけた。ホリイは記憶のスイッチが入ったような気がした。この暖かみ。かつて貧しさの中にも存在していた暖かみがまだ。 

 その時「「「ザッケンナコラー!」」」「「「スッゾコラー!」」」突如、ストリートでヤクザとギャングが銃撃戦を開始した!ナムサン!「アバーッ!」LED編笠老人に流れ弾が命中し卒倒!即死!「アイエエエ……アイエエエエエエ!」ホリイが絶叫!「「アイエエエエエエエ!」」逃げ惑う市民! 

「ダッテメッコラー!」「ワドルナッケングラー!」BLAMBLAMBLAM!血も凍るような恐るべきヤクザスラングと銃声が、ストリートを覆う悲鳴を上から塗りつぶす。「アバーッ!」露天商がまた独り、屋台に突っ伏して死んだ。貴重なパーツが道に投げ出され、逃げ惑う人々に踏みしだかれる。

「ブッダ!また縄張り争いだ!」「もうこのストリートはオシマイだ!」露天商らが逃げながら叫ぶ。「アイエエエエエ!」ホリイも頭を低くしながら闇雲に逃げた。銃弾がすぐ傍をかすめた。そして彼女は十字路を曲がり、咄嗟の判断で、いかがわしい民宿サルーン「MASUDA」に飛び込んだのだ。 

 完全に恐慌状態に陥っていたホリイは、その前後の記憶がやや覚束ない。だが暫くすると銃撃戦は収まり、同じく逃げ込んでいた露天商らは、あたかもこれがチャメシ・インシデントであるかのように、死体の転がるストリートへと戻ったのだ。ホリイは彼らの正気の沙汰を疑いながら、酒場に留まった。 

 酒場に安全に留まるには、酒を注文し、居場所を確保する必要がある。だがホリイは「MASUDA」に入店したことなど無く、この手の店が持つ暗黙のルールにも精通していなかった。運び屋、フリーランスヤクザ、ヤク中、筋金入りのローグハッカー、高級サイバネ娼婦らが、不審の目で彼女を見た。 

 ホリイは祈るような気持ちで、自分の居所を探した。いかな探究心に満ちた有能なコードロジストといえど、彼女は裏社会の住人ではない。ここでは完全に無価値で無力であり、異物であった。彼女は視線を避ける暗がりを求め、オスモウ・ウェスタンのギター演奏が鳴り響く店内を、奥へ奥へと進んだ。 

 何時注文したか覚えていないが、彼女は並々と注がれた重いケモビールジョッキを危うげに揺らしながら持ち、ダンスパーティの相手にあぶれた壁の花めいて右往左往していた。入口の方向を振り向いた時、彼女のサイバネアイは、危険な兆候を察知した。黒尽くめの追跡者3人組が踏み込んできていた。 

 3人組は騒ぎを起こす気配は無く、客らに何かを聞き込みしていた。自分を探しにきたのだ。ホリイは絶望に呑まれかけた。そのとき彼女は見たのだ。民宿サルーンの隅の、最も暗く不吉な場所で、丸テーブルで独り静かにウイスキーを呑む、ぼろぼろのカソックコートにウェスタンハットの偉丈夫を。 

 ホリイは、その男の周囲だけ影が濃くなっているかのような錯覚を覚えた。その男の周囲には、他のヨタモノとは違う、奇妙なアトモスフィアが漂っていた。……どうにでもなれ。「ドーモ、ご一緒してもいい?」死を覚悟した大胆さから、ホリイは入口に背を向け、その男と同じ丸テーブルに陣取った。 

「……ドーゾ」音楽に聴き入っていたその男は、ワンテンポ遅れて、嗄れた声で応えた。きついアルコール臭が漂ってきた。銃弾の穴がいくつも開いたウェスタンハットの下では、瞼の無い目が不気味に輝いたが、彼はそれをホリイには見せなかった。ホリイはむしろ、その穏やかな物腰に安堵を覚えた。 

 ホリイのサイバネアイは、丸テーブルに何本も置かれた酒瓶のひとつにフォーカスしていた。そこには店内の後方の様子が反射し、映り込んでいた。じわじわと、追跡者たちが背後から迫ってくるのが解った。アマクダリという名の、顔の無いシステムが。 

「あとでわけを話すから、お願い」ホリイはフードを脱ぎ、その男に助けを求めた。彼女の今の髪型はツイン・オダンゴと呼ばれるそれで、利発そうな額を晒していた。黒い眉は力強く、辛抱強さと我の強さを感じさせる。「面倒事は……」「追われてるの。私を常連か何かだと言ってくれればそれで…」 

「面倒事は…御免だ。俺は今夜は静かに、酒を飲んでいたいだけなんだ」その男は店内の様子を……人探し中と思しきクローンヤクザどもを見渡しながら、淡々と乾いた口調で言った。それがこの男、ジェノサイドの嘘偽らざる本音であった。ホリイは目を閉じ、歯を食いしばって、観念した様子だった。 

 ジェノサイドは思案した。向こうでは、憔悴した店主のツルギ老人が、カウンターから身を乗り出し、祈るように成り行きを見守っていた。ジェノサイドにとって、クローンヤクザを殺すのは造作も無いが、ようやく見つけたこの快適なサルーンの中で、殺しはしたくなかった。少なくとも今夜くらいは。 

 店主は知っていた。客も知っていた。この流れ者を怒らせると、何が起こるのかを。そして彼の存在により、MASUDA周辺が、縄張り争いの緩衝地帯になっていたことを。……ホリイの右肩に手が置かれた。だがそれはクローンヤクザではなく死者の手だった。彼はホリイに立つよう小声で促した。 

 ジェノサイドはホリイに肩を見せるよう助言し、彼女を連れて階段を登った。追っ手は、髪型を変えタトゥーを入れたホリイに気づかなかった。2階から上は民宿だ。「その女は?」行司姿の店員が形だけ問うた。「俺のゲイシャだ」「あんたがそう言うなら、そうなんだろう」行司は畏まって道を開けた。




「大変ですぜ、 厄介な事になりやした!」薄暗いヤクザクラン事務所に、邪悪な蟹刺繍の革ジャンを着たレッサーヤクザが息を切らして入ってきた。その右目はサイバネ。加えて左手のケジメが二本。髪型は逆立てた赤毛。「報告せい」革張りチェアに座る頭目がイクラスシを摘みながら低い声で問うた。 

 赤毛ヤクザは、頭目の鋭い眼光と、事務所内にいた他のグレーターヤクザ数名の剣呑な視線を浴びることになった。「ハクイ!テメッコラー!ブラックハンド=サンが御食事中だろうがコラー!」案の定、礼儀作法にうるさいグレーターヤクザが怒声を浴びせた。「す、すいやせん!でも一大事なんです!」

「おい」ブラックハンドと呼ばれた頭目が、そのグレーターヤクザを手招きした。事務所の中でも、ブラックハンドの周囲だけは照明が当たらずに暗く、不気味なアトモスフィアだ。手元のイクラスシだけが、鮮烈に、赤い。「ハ、ハイ……」グレーターヤクザが近づく。直後「イヤーッ!」「グワーッ!」 

 ナムサン!何たる早業か!?グレーターヤクザは一瞬のうちに後頭部を掴まれ、その顔面を強化ガラス張りヤクザデスクに叩き付けられ鼻を砕かれ、床に転がされていたのだ!鮮血の飛沫が、イクラスシの盛られた大きな黒漆オボンに線を引いていた。「ア……アバッ……」「俺は、報告しろと言ったのだ」 

「へい!解りやした!」赤毛のヤクザ、ハクイは、乱れた息を整え報告を始めた。伝統あるヤクザクラン、カットスロート・カニ・ヤクザクランを乗っ取って久しい極悪非道の簒奪者、ブラックハンドに対して。「テクノギャング団の連中が、あのゾンビー野郎をヨージンボーに雇おうとしているんです!」 

「何ィ……?それは確かな話か?」スシを摘むブラックハンドの手が止まる。「へい、MASUDAのサルーンに、テクノギャング団の交渉人が来て、あのゾンビー野郎のテーブルに行ったと」「それで……詳細は?」「調べてやす。交渉人は何か話して、生きて出てきやした。殺されると思ったんですが」 

「そもそもあのゾンビーニンジャは、交渉が通じるのか?」ブラックハンドは訝しんだ。「酒場に居着いてるくれえですから、そりゃあ、出来るんじゃねえんですかね」ハクイの報告は全くもって不確かだ。だが場末のヤクザクラン構成員の能力などたかが知れている。ブラックハンドはそれを知っている。 

「噂が本当なら、厄介ですぜ。あの日のこと覚えてると思いやすが。あの野郎が来るまでは、うちが優位に立ってたんです」ハクイが言った。「あの日も、うちのクランとDシズムIIIファミリーは、ストリートの覇権をかけて、そりゃもう血みどろの争いで、酒場の前であっちの幹部を殺そうとしてた」 

「それをあの野郎、おっかねえ鎖付バズソーを振り回して、酒場の前で抗争してた若いモン、あっちもこっちも、合わせて10人くれえと、それからクローンヤクザと、関係ねえペケロッパ・カルトの巡礼者5人くれえ、あっという間に、ネギトロに変えちまったんです」ハクイは左手を振った。「俺の指も」

「もしあの野郎が雇われたら、そりゃあもう、厄介ですぜ。なにしろ、向こうはこれで……ニンジャが……二人になっちまうんです」ハクイが言った。ブラックハンドは返さず、何事か思案しながらスシを咀嚼した。室内に重い緊張感。「俺何か、まずい事……言いましたかね」ハクイが恐る恐る問うた。 

 チャを呑み終え、ブラックハンドが言った。「……貴様はイディオットだが、運がいい。見所がある」「ド、ドーモ」ハクイは震え上がった。卓上ボンボリに蛾が飛び込み、革張りチェアに深々と腰掛ける頭目の顔と、秘密めいた紋章を照らした。アマクダリ・ニンジャだ……!右目には醜い傷痕がある。 

「貴様が交渉人になり、あのゾンビーニンジャの所に行ってこい。奴らがどんな条件を提示したのか調べろ」ブラックハンドが言った。「アイエエエエエエ!そ……そんな!?俺が交渉人に……!?」ハクイは怖じ気づいた。壁際のグレーターヤクザたちは、有無を言わさぬ目つきで彼を睨んでいた。 

 

◆◆◆

 

 ナカニ・ストリート、地下採掘施設内。テクノギャング団「DシズムIIIファミリー」のUNIXアジトにて。 

「ボス、ジェノサイド=サンとの交渉は、失敗に終わったとのこと」黒いハッカーギャングスーツを着たGNマサルVIが、幹部のDシズムVIIにそう報告した。両者の目元は、テクノギャング団特有の、特徴的なサイバーサングラスによって覆われている。「失敗に終わった?交渉人は殺されたか?」 

「ノープ。非好戦的アプローチにより、同じテーブルにつくことに成功。しかし十分経過しても何ら反応が無かったとのこと」GNマサルVIが淡々と報告した。「彼はついに死んだのでは?」DシズムVIIが訝しんだ。「いえ、呻き声はあったとのこと」GNマサルVIが言った。「眠っていたのやも」

「銃で頭をブチ抜いてみれば、確かめられただろうによ」DシズムVIIが事も無げに言った。GNマサルVIは肩をすくめた。「生きていたら、怒り狂ったゾンビーニンジャが殴り込んでくるんですよ?」「…で、死臭に耐えきれず、交渉人は泣いて帰ってきたか?」「メッセージ素子を遺させました」 

「で、もうひとつの報告は」「我々の動きを察したヤクザが、逆にジェノサイド=サンを雇うべく、MASUDAに交渉人を送ったとのこと」「ハーン……」DシズムVIIはしばし葉巻を燻らせた。それから突然、チャカ・ガンの引き金を引いた。BLAM!「アバーッ!」GNマサルVIの膝を貫通! 

「ファック野郎が!それであの腐れニューロン野郎がヤクザ側のヨージンボーについたら、どうなると思ってんだファック野郎が!」DシズムVIIは激高し、床にへたりこむGNマサルVIの腹を蹴り付けた!「アバーッ!」「てめえの生体LAN端子をファックしてやろうか!このファック野郎が!」 

「アイエエエエ!」GNマサルVIは首の後ろの生体LAN端子周辺をチャカガンの硬い銃口でねぶられ失禁!テクノギャング団は、ハッカーカルトと典型的マフィアの配合存在のようなものだ。彼らの本性は結局の所ゴロツキのヨタモノであり、暴威がハッカースーツを着込んだだけの犯罪集団なのだ! 

「DシズムVII=サン、その辺にしておけ」金網ドアを開け、突然ニンジャ装束の男が現れた。身体の一部に武骨なサイバネ化が見られる。そしてアマクダリ紋も。おお、何たる事!この男もまたアマクダリ・ニンジャか!「そいつをもう一回交渉人として送り込めばいい。死んでも構わん奴だからな」 

「ドレッドノート=サン、流石はうちのファミリーの参謀だ!」DシズムVIIが両手を広げて笑う。ドレッドノートと呼ばれたニンジャも机の葉巻を取り、吸った。「あいつを雇えるなら、一気に戦争だ。あのゾンビーニンジャのせいで、ずいぶんと無駄な時間を食った。その分も一気に巻き返す」 

「だが、仮にあいつらがヨージンボーを雇ったら……向こうはニンジャが……2人」DシズムVIIが言う。「仮にそうなったとしても、奴らは急には攻め込めんだろう。強引に攻め込めば、クラタ・メイジンとロービットマインを失う事になる。ストリートの価値は無に帰す」ドレッドノートが言った。 

「確かにそうだ。あの死体は見境無く殺す事しかできん。雇っても、守るだけだ」DシズムVIIが頷く。「ブラックハンド=サンがよほどのイディオットでない限りはな」ドレッドノートはサイバネ置換された右腕の幻肢感覚に舌打ちした。机の上のバイオ溶液シリンダには、仇敵の眼球が浮かんでいた。

 

◆◆◆

 

「クラタ・メイジンが……地下に軟禁されている?」ホリイは耳を疑った。高齢のメイジンに対して、信じ難いシツレイ行為だ。「シツレイなんてもんじゃねえよ、無茶苦茶さ。この街はもう終わりだよ、お客さん」店主のツルギ・マスダ老人は、ケモビール・ジョッキを磨きながら口惜しげにぼやいた。 

 酒場は営業時間外。ここにはカウンターを挟んでホリイとツルギ老人、離れたテーブルにジェノサイド。それだけだ。「お客さん、見たとこローグハッカーか何かか。おれみてえな老いぼれにゃ、細かい区別ができねえけどよ。メイジンに会おうとして来たなら、アテが外れちまったな」老人が言った。 

 ホリイは押し黙る。「悪い事ァ言わねえ、とっとと、この呪われた街から出て行ったがいいぜ。今日の小競り合いだって可愛いもんさ。あそこの御人が居なけりゃ、今頃もっとでかい抗争で、街は死んでた。……じきに、また始まる。な?早く出てきな。追われてンなら、なおさらだ」老人は声を潜めた。 

「もう行くあてが無いの。ライトある?」「ライトって」「つまり、ライト」ホリイにも、符牒の通じる確証は無かった。「もしかすると、あんた」ツルギ老人は旧型サイバネ義足を鳴らして歩き、レジの下から特殊波長スキャナーを持ってきた。ホリイは上着を脱いで袖をまくり、上腕部を露出させた。 

「驚いたなこりゃ。ここの出で、しかも、クラタ・メイジンの弟子か」ツルギ老人は、ホリイの左上腕部に朧げに浮かび上がった特殊蛍光タトゥーを確認した。十年の月日が蛍光成分を劣化させかけていたが、辛うじて遺されていた。「残ってて良かった」ホリイ自身も、それを見るのは十年ぶりだった。 

「十年前はこんなじゃなかった。治安は悪かったけど、毎日のようにヤクザとギャングが大通りで殺し合いなんて、想像もできない。お願い、一体何が起こったのか、話して」ホリイは懇願した。それを知らねば、自分は生き延びれない。ツルギ老人は不条理への悪態をつきながら、事の次第を語り始めた。

 かつてナカニ・ストリートは、モグリの医者と違法横流しパーツ屋が多少軒を連ねる程度で、他には何の特徴もない、典型的マケグミ地域であった。状況が変わり始めたのは、25年近く前。温泉を掘ろうとしていた狂人が、偶然にもストリートの地下で大規模な旧世紀UNIX不法投棄場を掘り当てた。 

 狂人は失望の余りセプクして死んだが、そこはストリートにとって大きな価値を持つ鉱脈めいた場所となった。住民の多くは、ここで危険な採掘作業を行い、レアな電子部品やデータを掘り出し、ストリートに並ぶ違法基板屋やデータ屋で売るようになった。その中心人物が、クラタ・メイジンであった。 

 クラタ・メイジンは、偉大なコードロジストにして、ハンダ付けの熟練者であった。彼は四本のコテを精密に操り、コーティングされた旧世紀ICを傷ひとつつけず取り外した。また発掘されたラジオ・グリモアの膨大な情報を脳内記憶し、型番と形状だけで数千種類以上のパーツ価値を即座に言い当てた。

 ハッカーカルト教団員や野心的なローグハッカーがそれらの買い付けに訪れ、慎ましいマーケットが形成されていった。地下にはジェネレータ廃棄物や凶暴バイオアニマル群生地もあり危険だったが、住民は役割分担を行い、秘密を守りながら、辛抱強く採掘を続けた。事態が変わり始めたのは十年前だ。 

 潤沢なカネが流れ込むと、それを嗅ぎ付ける者が現れる。周辺に縄張りを持つカットスロート・カニ・ヤクザクランが、上納金と引換に警備を始めたのだ。当初、それは悪くない関係だった。このクランは伝統的な価値観を有し、UNIXにも詳しくなかったため、金さえ払えば安全を保障したからだ。 

「私が街を出た直後から……そんな事が」「で、五年くれえ前から、ヤクザの様子がおかしくなった。オヤブンが死んだとかなんとか……多分あれは代替わりに失敗したんだろう。三年前にも、内部でクーデターかなんかだって聞いたな」ツルギ老人は言った。「そっからはもう、横暴の限りさ」 

「無茶な採掘をやって、また有望なロービットマインを見つけたはいいが、暮らしは少しも楽にならねえ。全部搾り取られちまう。逆らったら即、ケジメだ!」ツルギ老人はカウンターを叩いた。「そこへテクノギャングまでやってきて抗争を始めたもんだから、もう目も当てられねえ!カーッ!ペッ!」 

「カネが動くったって、たかが知れてるだろ。慎ましい街だぜ」「解るわ」ホリイが頷く。「なのに、あいつら、何でそんなに争う?こりゃ絶対、上の奴ら同士の因縁だろうな。どっちも、引っ込みが付かねえんだ。ヤクザとギャングの抗争は一進一退。ここの民宿サルーン周辺が、緩衝地帯になってる」 

「商店の八割とサイバネ組合、パーツ鑑定技師組合が、ヤクザの支配下だ。テクノギャングは押されてたが、奇襲攻撃でロービットマインとクラタ・メイジンを奪った」老人は腕組みした。「採掘したのを売り捌くには、互いが取引しなくちゃならねえ。毎日のように軋轢が生まれる。街は荒む一方さ」 

「マッポやハイデッカーは?」ホリイが問う。「見て見ぬ振りさ、解るだろ。神父もボンズもこの街を捨てて逃げちまったよ。人が死んでも、残ってるのはサイバネ取りと臓器売りだけさね。年に一度のオーボン・フェスティバル、覚えてるか」「ええ、好きだった」「もう何年もやってない」「そんな」 

 ナカニ・ストリートでは年に一度、オーボンの時期に、住人による慎ましいフェスが行われてきた。オヒガンと現世を繋ぐゲートが開き、祖先のスピリットが地上を歩むとされるオーボンの夜は、オショガツと並ぶ重要な日本伝統文化だ。それが開催されぬとは、何を意味するか。もはや言うまでもない。 

「あの御人が居なかったら、この街は終わってたぜ。少なくとも、うちは廃業だ。みんな死んじまうからな」……それは、破滅を先延ばしにしただけやも知れぬ。ここに残る住民たちは、逃げ出す気力も、他に行く当ても無い。暗黒管理体勢や共和国との戦争が、住民の移住や再起をさらに厳しくしていた。

 二人は奥のテーブルを一瞥した。ジェノサイドは酒瓶の中身をグラスに注ぐ姿勢のまま、30分以上も動かない。「…arrgh…」唸り声を時折漏らすのみ。「ああいう時間が増えてきた」老人は言った。「こんな事、言いたかねえが、旦那はもう駄目かもしらん…。何も食わねえ。酒飲んでばっかりだ」

「ねえ、ツルギ=サン、何かいいアイディアは無い?」ホリイが問う。「クラタ・メイジンか、その弟子たちと、少しでいいから話をしたいの」「話すだけなら簡単だ。腕のタトゥーを見せりゃ、ヤクザもギャングも、大喜びであんたを捕まえて檻の中に入れるだろ。そんなのがいいのかい?」「まさか」 

「ならヤクザになるか、ギャングになるかだ。ヤクザ事務所には弟子たちが何人か、あとギャングの地下施設にはクラタ・メイジンが捕われてるって噂だ」「ヤクザかギャングに?無理でしょうね」「ああ、そうだろう。答えは、とっとと出て行くことさ。薄情と思われても仕方ねえがよ」老人は言った。 

 ホリイは溜息をついた。急げば追跡者をまけるかもしれない。だが何処へ逃げる?彼女は無力で、カラテ段位も無く、他に信頼できる友も恩師も居ない。口座も凍結された。八方塞がりだ。…ここで、彼女はジェノサイドの言葉を思い出す。「アマクダリ」「アマクダリ?」「ツルギ=サン、知ってる?」 

「旦那も、おっかねえ声で言ってたな。…アマクダリ……セクト…。ああ、そうだ。思い出したぜ。旦那にも同じ事を聞かれたんだ。で、知らねえと言ったら、忘れろと言われたのさ」「成る程ね」ホリイは何度も頷いた。寝室でのジェノサイドの言葉……彼だけが何かを知っている。アマクダリの事を。 

「……うっかり口車に乗せられて、口にしちまったぜ。旦那には黙っといてくれ」ツルギ老人は脇腹を掻きながら言った。酒場の奥をちらりと見るが、幸い、まだジェノサイドは死体めいて硬直したままだった。「言わないわ」ホリイが返す。 

 (((もしかすると、ジェノサイド=サンもアマクダリの敵……。だとすると、私が追われている経緯を話せば、彼は手助けしてくれるかもしれない……。でも、確証はどこにも無い……)))ホリイは思案した。「待てよ、そうだ、旦那だ……!」そのとき、ツルギが何か別のアイディアを思いついた。 

「安全にギャングの一味になる方法があるかもな」ツルギが言った。「旦那をヨージンボーにしようと、ギャングが交渉に来た。あの調子だから、返事はしてねえし、あの性格だから、断ると思うがよ。交渉したいって言やあ、旦那はギャングの施設に入れるだろ。ゲイシャなら一緒についていって当然だ」

「私の状況を話して、一緒に連れて行ってもらうって事?」ホリイが問う。可能性はある。だが危険を冒しても、出来る事といえば、檻越しにメイジンと話ができる程度だろう。その価値はあるのか。またそもそも「問題は、旦那がそんな面倒くせえ頼みを受けるかどうかだけどよ」ツルギ老人が代弁した。

「それに、彼がギャング側についたら、均衡が崩れて、ストリートにまた戦争が…」「ああ、確かにそうだ」老人が額をぴしゃりと叩く。「これでヤクザの方からも話がありゃ、両方話を聞くだけ聞いて、勿体ぶって引き延ばせるんだがなあ。ミヤモト・マサシのコトワザにも、そういうのがあったんだ」 

『ドッソイ!』不意に、酒場の電子呼び出し音が鳴る。こんな時間に誰が。「ちょっと待っててくれ」ツルギ老人が訝しみながら、UNIX端末のところへサイバネ義足を引きずりながら歩いていった。残されたホリイは、フードをまた目深に被り、俯いた。ジェノサイドはまだ、固まったままだった。 

 カタカタカタ、カタカタカタカタ……閉店状態の薄暗い酒場に、IRCタイプ音が響き渡る。ツルギ老人と外の訪問者が、何事か対話しているのだ。少しすると、シャッターの隙間からマキモノがねじこまれ、訪問者は安堵の息をついて帰って行った。老人はマキモノを持ってカウンターに帰ってきた。 

「何だったの」ホリイは不安そうだ。「ヤクザの交渉人だった。あいつら、ギャング団が交渉に来た事を知ってやがった。直接会わせろと言って来たが、こんな状態の旦那と会わせるわけにもいかねえ」とツルギ老人。「上で寝てるから、起こすと滅茶苦茶に怒って事務所に殴り込むぞと言ってやった」 

「それで、どうなるの」「どうなるかは、旦那次第だ。旦那が動き出したら、話をするしかねえだろう。あんたと話をするうちに、このジジイもよ、腹を括ろうかと思えてきたんだ。旦那が来て、少しだけ平和になったが、それはこの酒場だけだ。結局、何かせにゃあ、この街は遅かれ早かれ死んじまう」 

「そうね、話をする」ホリイは頷いた。彼女は知っている。彼はゾンビーで、しかもニンジャだ。怪物だ。だが昨夜、何の縁も無い、助けた所で何の得も無い彼女を、ジェノサイドは匿った。サルーンの寝室では彼女をひとりの人間として扱い、敬意を払った。「話をしなくちゃ」ホリイは老人に言った。 

「俺はジジイだからよ、どうしても一言多くなっちまう」老人は囁いた「解っちゃいると思うが、あんまり旦那の“コートの内側”について、どうこう言わねえ事だ」「解ってる」「ああ見えて、結構気にしてんのさ」「解ってる」「怒ってなけりゃ、意外と奥ゆかしいんだ」「解ってる」彼女は頷いた。 



 ぽた、ぽた、と、アルコールの滴る音が死者の耳に届いた。「……arrrgh……」丸テーブルに向かいウイスキー瓶を傾けたまま、蝋人形めいて固まっていたジェノサイドは、目を覚ましたように低い唸り声を上げた。それを眠りと呼ぶに相応しいかは解らない。腐りかけた脳が起こす行動不能現象だ。 

 (((くそったれめ)))ジェノサイドはグラスの中身を呷り、立ち上がる。それから酒場の大時計を睨み、カウンターへ歩いた。時間の欠落。(((何か喰わなくちゃならねえ……肉を)))ジェノサイドが己の腐敗し続ける肉体を癒すには、補食が必要だ。肉を。ただの肉では駄目だ。ニンジャの肉を。 

 彼が求めるのは真の安らぎだ。それには欠落した記憶を取り戻さねばならぬ。だがその記憶にはウジが沸いている。(((ブッダ、てめえの墓を掘り返して小便かけて、もう一度埋めてやりたい気分だぜ)))スカーフで口元を隠し、ハットを目深に被る。恐怖と緊張の臭い……爺さんと娘は強張っている。 

 ジェノサイドは元殺し屋だ。恐れられるのは慣れている。このリヴィングヘル状態は、ブッダが彼に与えた酷薄な裁きなのかもしれぬ。「サケをくれ」血の付いたくしゃくしゃの万札を取り出し、それをカウンターに置いて老人に言った。「強いのだ。シャドウタイガーを」「ヨロコンデー」老人は頷いた。 

 この相撲サルーンはいい。客に敬意を払う。今はいないが、スモトリが爪弾く曲もいい。このような店は減ってきた。静寂を好むゾンビーが身を隠し、酒を飲み、音楽に浸れるような、奥ゆかしく猥雑な店が。「arrggh」ジェノサイドは香水代わりのシャドウタイガーを呷った。強く華やかなサケだ。 

「ジェノサイド=サン、邪魔して悪いんだが、また面倒な事になっちまったよ…」ツルギ・マスダ老人は、ヤクザの交渉人が置いて行ったマキモノを、カウンターの上に置いた。「……」ジェノサイドはすぐには答えず、サケ・グラスを揺らしていた。老人が目配せすると、ホリイが一部始終を話し始めた。 

「お願い。あなたが何を求めているか解らないけど、きっと相応の代価を払うから」ホリイが言った。ツルギ老人も所々に合いの手を入れた。「頼む、ジェノサイド=サン、何とかならねえか。この街が少しでもマシになるんなら、ずっと俺の店に泊まってくれていいんだ。酒代も、宿泊代も、要らねえさ」 

 (((ブッダ、くそったれのアスホールめ)))ジェノサイドは何も答えず、再びサケを呷った。事態は複雑になるばかりだ。彼はこの街の抗争にニンジャが絡んでいるところまでは嗅ぎ付けている。だが問題は、ニューロンの腐敗だ。このところ現実は、まるで途切れがちな古いシネマめいて覚束ない。 

 闇雲に乗り込んで行き、出てきたニンジャを殺して肉を喰う…そう簡単に行くものではない事は解っている。イクサで自制心が吹き飛べば、彼はストリート全体を血の海に変えるだろう。それは望まない。ましてや二人に、自分がニンジャ喰らいである事を明かしたくはない。特に、女には刺激が強かろう。 

 (((そう、この女だ)))ジェノサイドは僅かに首を動かし、ホリイを一瞥した。酒。相撲バー。ウェスタン・ギターの音。どこかへ逃げようとする女。腐敗するニューロンの片隅にこびりついた記憶。おそらくは生前の。(((何故俺はこの女をかくまった。面倒事が増えるのは解っていたろう))) 

「ここ最近、物忘れが激しくなっちまったが……」不意に、ジェノサイドは口を開いた。「嬢ちゃん、忘れねえうちに一個聞かせちゃくれねえか。以前、俺と会ったことがあるか?こういうバーかサルーンで」「……?無いわ」「昔……殺し屋だった頃の俺とも?」「無いと思う」「そうかよ」 

 しばしの沈黙。ホリイは嘘をついてでも話を合わせるべきだったかと、やや表情を固くした。「……なら嬢ちゃん、なんで俺に助けを求めた?」「さあ……本当に切羽詰まっていたから、もう解らないけど……」ホリイは言った。この男にはどうも嘘をつけない。「たぶん、神父の格好をしていたから」 

「ハッ!」ジェノサイドは自嘲気味に笑い、サケを飲み乾した。(((この格好のせいか!)))……何故自分が、黒いカソックコートを着ることに固執するのか。その理由すらも、今となっては朧げにしか思い出せない。ニンジャの肉を喰らいニューロンを再生しても、記憶までは復元されないからだ。 

「それで、嬢ちゃん、あんたが俺のゲイシャになって、交渉を手伝うと言ったな」ジェノサイドは立ち上がった。袖の奥でじゃらりと鎖が鳴った。「そう」ホリイは頷いた。肝の座った女だ。頭も切れる。ここしか帰る場所は無く、生存に全てを賭けている。いい女だ。そういう女の頼みは、断り辛い。 

『ドッソイ!』不意に、酒場の電子呼び出し音が鳴る。こんな時間に誰が。ツルギ老人が訝しみ、UNIX端末のところへ歩いていった。そして外の相手を確認すると、血相を変え二人を手招きする。「こないだ来たギャングの交渉人だ。車椅子に乗ってやがる。奴ら、もう待っていられねえって顔だな」 

 酒場の外には、車椅子のGNマサルVIがいた。前回送った交渉人は彼が射殺し、代わりに自分でジェノサイドを雇うためにやって来たのだ。『これは最後のバーゲンに近い』彼はシャッター前でIRCをタイプした。『私を殺すなら殺せ。彼をヤクザに取られる前に、ファミリーは行動を起こすだろう』 

「俺ァ、長いことサルーンやってるからよ、覚悟決めた野郎の顔ってのは解るんだ。相手がサイバーサングラスをかけててもよ。このギャングは、まさしくそういう顔だぜ」ツルギ老人はそう説明した。「逆に言やあ奴ら、本気で旦那の力を欲してんだ。本気で交渉する気だ。騙し討ちはされねえだろう」 

 ややモウロクしてはいるが、ツルギ老人はこうした機微を読む力に長ける。だが彼は交渉代理人にはなれない。ジェノサイドと組んでいると思われると厄介だからだ。「今会えって事?」ホリイが察し、フードを目深に被る。ツルギ老人がカウンターの下から旧式の武骨なサイバーサングラスを手渡した。 

「丁度いい。俺の時間も省ける。会ってやる」ジェノサイドは重いブーツで床を軋ませながら、ゆっくりとシャッターへ向かう。ホリイはやや急ぎ足で、彼の横に寄り添う。「なあ、嬢ちゃん。名前はどうすんだ。本名は、ちいとマズいだろ。通り名を考えろ」ジェノサイドが小声で言う。ホリイが頷く。 

「ウィッチ…」ホリイは呟いた。咄嗟に思いついたのは、頭の中にエコーし続けるその蔑称だった。追っ手もコードロジストの秘密までは知らぬ。だがそれだけでは不足。自分はジェノサイドのゲイシャなのだから。「……ワイアード・ウィッチ」「そりゃ、おっかねえ名前だな」ジェノサイドが笑った。 

 

◆◆◆

 

 ジェノサイドがシャッターを開け、交渉に応じることを告げると、交渉人GNマサルVIは失禁しそうなほど驚いた。「サケ飲んだら行くから、ギャングビルで待ってろ」「わ、私が同伴しますが……」交渉人が汗を拭きながら言った。「テメエの歩くペースに合わせてたら、俺は腹が立ってくるかもな」 

 GNマサルVIは失禁しながらサイバー車椅子を操作し、大通りへと戻った。かくしてジェノサイドとホリイは、MASUDAで最低限の作戦を立ててから、悠々とギャングビルへ向かったのだ。ジェノサイドの姿を見ると、住民たちは逃げるように道を開け、暗い窓の奥からは奇異の視線を投げかけた。 

 ジェノサイドの近くには誰も寄り付こうとせず、見ようとすらしない。「そろそろ出ていく頃合だったのさ」歩く死体が言う。ホリイは、彼がストリートの英雄めいた存在かと思っていたが、実際そんなことは無かった。彼は不吉な流れ者の無差別殺戮者だ。ヤクザやギャングと同じ、恐怖の対象なのだ。 

 彼の正体はゾンビーでニンジャ。それを知っているのはツルギ老人とホリイだけ。その事実が知れ渡れば、彼はサルーンにも居られなくなるだろう。大通りに達する頃、もう彼らの行く方向には誰独りもいなくなった。乾いた風が吹き付け「ワンドフォー」「高価買取」などと書かれたビラが砂埃に舞う。 

「MASUDAの酒場で話してるのと、何も変わりゃしねえ」ジェノサイドは吐き捨てるように言った。「……サルーンに留まっていた理由は?」ホリイが問う。「いい店だったからな」「それだけ?」「……」ジェノサイドは立ち止まった。彼はいつもは、立ち入った質問を許さない。 

 だが今は別だ。彼はいつ“停止”するか分からない。それは数十秒かもしれないし、数分かもしれない。驚くべき事に、彼自身はそれに対し切羽詰まった危機感を抱いていない。おそらくは、ニンジャで、既に死体だからだろう。いずれにせよ、可能な限り情報を共有しておくべきだろう、と彼は考えた。 

 ジェノサイドは実際そのまま、蝋人形めいて一分近く立ち止まっていた。飛んできた基板ビラが顔にはり付いた。ホリイは何も言わず、返答を待っていた。死体は思い出したように再び歩き出し、ビラを払った。「昔、あの爺さんには世話になった」「このストリートに来た事が?」「十年前かそこらだ」 

「俺は何かヘタを打って、身を隠した。それを、訳も聞かず、匿ってくれた。あの爺さんはモウロクしちまって、覚えてないようだが」ジェノサイドはそう答えたが、実際、彼の記憶のほうがあやしいものだった。何より彼自身がそれを分かっていた。「そういう事でな。頼まれりゃ、無下に断れんのさ」 

「解ったわ」ホリイは頷いた。「ギャングどもに話す必要は無さそうだけど。でも、話してくれてありがとう。間を持たせるのに役立つかも」「奴らにゃ言うな」ジェノサイドが恐ろしげな唸り声で言った。「ナメられるだろうが。間違っても、俺をお人好しのイディオットだと思わせるんじゃねえぞ」 

「解った」ホリイは身を強張らせ、それでも何か腑に落ちず、返した。「じゃあ何で、話してくれたの」「万が一、俺がそれを忘れて、爺さんをブチ殺そうとした時のための保険だ。いいか、俺は……」死体は少し間を置いて言った。「俺はジェノサイドだ。冷酷非情の殺し屋で、ゾンビーで、ニンジャだ」

 ジェノサイドと彼のハッカー・ゲイシャは、そのような会話を繰り返しながら、ギャングビルへ向かった。黄色と黒のペンキで粗く塗装された鉄柵の上には、「ギャング」「支配」「集団的な暴力」と書かれた荒々しいネオンカンバンが掲げられ、トミーガンを持った屈強なスーツの男二人が立っていた。 

 車椅子の交渉人が、彼らをうやうやしく迎え入れた。途中、ゲイシャに対して銃を突きつけ誰何しようとした愚かなギャングがいたため、ジェノサイドはその男をネクロカラテで殴りつけ、壁の染みへと変えた。二人は手のつけられぬ凶悪犯めいた眼差しを浴びながら奥へ進み、交渉のテーブルについた。 

「途中でひとり殺した。俺をナメやがったからだ」ジェノサイドはソファに身を沈めて言った。ホリイも精一杯アウトローじみた調子で、彼の横に座った。「構わないとも」ギャングの幹部DシズムIVが、大テーブルを挟み、大層な防弾ガラス越しに彼らと向かい合った。「それはこちらの落ち度だ」 

 歓迎の意志を示すため、上等な酒がいくつも運ばれてきた。ジェノサイドは旧世紀バーボンを目ざとく見つけると、蓋を開けて呷り、暗い室内の様子をうかがった。壁に並ぶUNIXの電子光。防弾ガラスの向こう側。腕を組んで壁に寄りかかり、目を合わせず横を向いているサイバネの男。ニンジャだ。 

 防弾ガラスは分厚い。対ニンジャ用だ。一撃で割れるか?難儀だ。閉所ではバズソーも使い難い。何より、女が死ぬだろう。何事もそう簡単には行かぬのだ。「俺をヨージンボーとして雇いたいってのは、アンタか」ジェノサイドはDシズムIVに言った。「先に言っておくが、ヤクザも俺に声をかけてる」

「俺はメンツを大事にする。声をかけられたからには、向こうとも会わなくちゃいけねえ」旧世紀バーボンの複雑な香りが、腐った鼻孔をくすぐる。何か、朧げな古い光景が、白黒モンタージュめいてフラッシュバックする。彼はいい気分だった。これならば、少し面倒な交渉事もやろうという気になる。 

「だが俺は、最初に声をかけてきたあんた方により敬意を払う。だからこうしてやって来た。それにあんたらは懐も広い。細かい事でグダグダ言わねえ」「ああそうだ」DシズムIVは頷いた。ニンジャ慣れしており、肝もすわっている。「最初に流れ着いた時、うちの兵隊も多少殺したが……まあいい」 

「うちの幹部が命拾いしたからだ。逆にあんたは、厄介なグレーターヤクザをネギトロに変えていた。それは次の日、ピザにして奴らに送りつけてやったぜ」「ハ!」ジェノサイドは短く笑った。ホリイは恐るべき暴力の洪水に小さく身震いした。だが怖くはなかった。己の隣にはニンジャがいるからだ。 

「ならとっとと、交渉に入ろうぜ。俺の腕は確かだ」ジェノサイドは適当な酒瓶を取ってコルクを抜くと、ホリイにぞんざいに手渡した。「相応の代価を支払うなら、グレーターヤクザだろうがニンジャだろうが、何でもブッ殺してやるぜ」「……」ニンジャの言葉に反応し、サイバネ男が彼を一瞥した。 

「お察しの通り、向こうにもニンジャがいる。直情的で愚かだが相当なカラテだ。うちのドレッドノート=サンですら……」DシズムIVは咳払いした。「なら、相応のカネを提示するんだな。俺を安く買おうなんざ思うなよ。一回こっきりだ。それを見て、俺は何も返事せず、向こうの話も聞きに行く」 

「解った、少しショドーとハンコの時間を……長くは掛かるまい、酒をいくらでも」DシズムIVが言う。「……なら、その間に見たいモノがある」ジェノサイドが立ち上がった。「地下にUNIX鉱脈があるらしいじゃねえか。退屈しのぎに見せてもらおうか。うちのハッカー・ゲイシャが物好きでな」 

「勿論だ。ファミリーの客人を向かわせるには、いささか気が引ける、クソみてえな場所だがよ」DシズムIVはこれを了解した。彼としても、ジェノサイドを雇うための金額について、またこの男を本当にヨージンボーとして信用して良いか、ドレッドノートや副官らと最終調整を行いたかったからだ。 

 ゴゴゴゴゴ……武骨な昇降リフトが地下の足場をノックして揺れる。トミーガンを持った見張りギャングが出迎える。ジェノサイドとホリイ、そして車椅子のGNマサルVIは、広大なロービットマインの最上層に降り立った。「認証ゲートがあります」車椅子ギャングが先行し、LAN直結で解除した。 

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ……」ゲートの先には、一輪車を押しながら、ライト付ヘルメットの労働者たちが坑道や危険な崖の足場を行き交うのが見える。認証ゲートをくぐる時、ホリイは一瞬どきりとした。それはハイデッカー検問所と同型の……オナタカミ社製の市民管理ゲートだったからだ。 

 市民データが連携しているかどうかは解らないが、幸い、ゲート機能はGNマサルVIが一時的に解除した。ジェノサイドが引っ掛かりでもしたら、何が起こるかわからないからだ。三人はゲートを抜け、安全な監視用の足場を進んだ。途中で、突然ジェノサイドが立ち止まった。……“停止”したのだ。 

「ウワーッ!」崖では過剰労働疲弊したUNIX採掘労働者が、足を滑らせ暗黒へ落下していった。「ねえ、どうしたの」打ち合わせの通り、ホリイは腐臭を放つジェノサイドの首に横からすがりつき、背伸びして耳元で問うた。返事は無い。だが、相手が何か喋っているのを聞くように、彼女は頷いた。 

「何か問題でも」GNマサルVIが振り返り、サイバー車椅子を巧みに操作しながら戻ってきた。ホリイは相手に見せつけるように、ジェノサイドの横で数度頷き、それから手を振った。緊張で声が震えぬよう、直結したサイバーサングラスで答えた。「もう飽きたから、お前たちだけで行ってこいって」 

「ヨロコンデー!」ギャングはジェノサイドの重圧から解放され、晴れやかな気持ちで暗黒採掘施設を案内した。坑道、Y2K地殻変動で刻まれた断層、それに渡されたバンブー足場、タタミ敷きのハンダ溶接所、そこかしこで蠢くマグロ目の人々。幼いホリイが見た希望の光は微塵も残っていなかった。 

「あれは何?」ホリイが反対の壁面を指差し問うた。それが何か知っていたが、敢えて問うた。「ああ……ライブラリです。薄気味悪いカルト共がそう呼んでるんです」ギャングが答えた。掘り出された旧世紀のラジオ・グリモアが何千冊も、金属製の棚に詰め込まれていた。かつてより肥大化している。 

「ゾクゾクするわね」ハッカー・ゲイシャが言った。「そうでしょう」GNマサルVIには理解できぬ嗜好だったが、ゲイシャを上機嫌にする事が彼の役目だった。「近くで見たいわ」「危険ですよ」「そのための護衛じゃないの?」「……その通りです」GNマサルVIは渋々、彼女をそこへ案内した。 

「ハァーッ、ハァーッ……」坊主頭の男が、所蔵グリモアの年代を遡るように足場を急ぐ。彼はただの労働者ではない。クラタ・メイジンの弟子のひとりだ。その手には鑑定待ちICチップが握られている。目的のグリモアに向かう途中……彼は偶然、上から釣り糸めいて垂れるLANケーブルを見た。 

「……これは」男は監視カメラに気取られぬよう、ライトの陰で上段の様子をうかがった。確とは解らぬが、身知らぬ女がそれを垂らしている。ギャングが彼女を護衛しているのか。何か様子がおかしい。だが、LAN直結がすぐそこにある。暗黒体制に抑圧されていた烈しい感情が、男の胸で爆発した。 

「ナムサン……!」男はごくりと唾を呑み、艶やかな黒いケーブルを睨んだ。それはブッダがジゴクへ垂らすという希望の糸か。あるいは破滅を招く罠か。だがどちらにせよ、ここには破滅しか待っていないのだ。彼は覚悟を決め、自らの錆び付いた生体LAN端子へと、素早い手つきでそれを挿入した。 

 0101110……IRCが接続された途端、男はまずウイルスの先制攻撃を受け、殴られたように頭を揺らした。「アイエッ!?」むろん致死性ではない。それは気付けの一撃めいて、男に正しい判断力を与えた。彼は思いがけないIRCネームを見た。ホリイ・ムラカミ。クラタ・メイジンの弟子だ。 

 ホリイはライブラリの最上段、ぎしぎしと揺れるバンブー足場の上に立つ。十年前ほど身軽ではないが、まだ大丈夫だ。少し離れた所には車椅子のギャングがいて、周囲に銃を向けている。彼女はグリモアを検索しつつ、意識をIRCに集中する。垂らしたケーブルに見張りが気づかないよう祈りながら。 

『あまり時間が無い。クラタ・メイジンは無事?』ホリイが問う。彼女はライブラリに来るのがクラタ・メイジンの弟子だけであることを知っている。『生きているが、良くない』男が返す。『皆を解放したい、でもどうしたらいいか解らない』『無理だ、ニンジャがいる』『こっちにもニンジャがいる』 

『状況を教えて。手短に。圧縮して。今はあまり長居できない。怪しまれる』ホリイが言った。男は了解し、データを転送した。それと同時に、ニューロンの速度でIRC発言を行った。『セキュリティと監視ギャングの二段構えを突破できない。さらに、幹部連中は遠隔操作型の爆破装置を持っている』 

『爆破装置』ホリイが言った。『ロービットマイン最上層、クラタ・メイジンの独房、そして我々の房室が吹き飛ぶ。大勢死ぬだろう』『なんて事を』ホリイは思わず口に手を当てる。バンブー足場が音を立て揺れる。『ギャングどもは、ここをヤクザに明け渡すくらいなら、全て台無しにするつもりだ』 

『という事は、ナカニ・コードロジストの秘密は……』ホリイが気づく。『漏らしていない。我々をただのデバイス鑑定カルトだと思っている。些細なカネを稼ぐための歯車の一部だ』『正体を明かし、価値を理解させれば生き延びられる……』『クラタ・メイジンはそれを望まない。智慧を悪用される』 

『爆破されれば、蓄積した智慧も失われる』ホリイは過剰採掘で荒廃したロービットマインを一瞥した。悔しさに歯噛みしながら。『説明した所で、彼らは真の価値など理解しない。フジサンで採掘されるレアアースと同じだ。カネを生むか生まないか。生むなら搾り取り、枯れたらイナゴのように去る』 

『でも』ホリイは言いかけたが、言葉が見つからぬ。外の世界に出てよく解った。過去への探究心を持ち、それを正しく制御できる者は、あまりに少ない。『ホリイ、ここへ戻るべきではなかった。十年前から、遅かれ早かれこうなる事は解っていた。だからメイジンは、有能な者を外の世界へ送り出した』

『システムに追われてるの。帰る場所は結局、ここしか無かった。それに地上も同じ。遅かれ早かれここと同じ運命をたどる。暗黒管理社会が到来する』ホリイが言った。『だがホリイ、君ほどの力があれば』『その力をどう使えばいいのかまだ解らない。クラタ・メイジンを助け出して、アイサツしたい』

『解った。ホリイ、データ送信を終えた。命懸けで抜いたセキュリティ装置のデータもある』『ウィルスを作れる』『コーディングが全く間に合わない。複雑だ』『私ならできる』ホリイが言う。『オナタカミ系列のコードは見慣れている』『実際に流し込む作業が危険だ』『考えがある。また必ず来る』 

 束の間のロービットマイン観光を終えたホリイ・ムラカミとGNマサルVIは、再び足場クレーンに乗って戻ってきた。ジェノサイドは先程と同じ場所に立ち、ホリイを待っていた。まだ“停止”したままなのでは、とホリイが案じた。だが死体はゆっくりと酒瓶を口に運び、唸った。「シケた鉱山だぜ」 

 

◆◆◆

 

 流れ者と魔女は、再びストリートの大通りをMASUDA方面に向かって歩いた。ヤクザの事務所に行くためだ。来た時と同様、誰もが息をひそめ、恐れ、道を開けた。重金属酸性雨が近そうだった。もぬけの殻となった教会の十字架が、雷の光を背負い、ストリートを歩く二人に烙印めいた影を刻んだ。 

「下手に手を出せば、鉱山が吹っ飛ぶって寸法か。面倒くせェな」ジェノサイドの懐には、テクノギャング団から受け取ったマキモノがある。そこには、彼をヨージンボーとして雇うためのオファー内容が幹部の手で直筆ショドーされ、ハンコが押されているのだ。「嬢ちゃん、さっきは上出来だったな」 

「昔、よく足場で遊んだから。随分変わったけど」「ああ、奴を騙したブラフのほうだ」死体が返す。「騙すのは慣れてる。ずっと出自を偽ってきたから」ホリイは自嘲気味に笑った。「ウィッチを忌み嫌うハッカーや企業も多い。関係ないのに逆恨みされて、魔女狩りに逢ったコードロジストもいる」 

「おかしな話だぜ」ジェノサイドは不意に、自分が何故こんな厄介事に首を突っ込んでいるのか不思議に思った。そのときまた雷鳴が轟き、教会のステンドグラス光景がフラッシュバックした。「くだらねェ……」彼らはまた会話を続け、小雨の中を歩いた。遠くに禍々しいカニの電飾大型看板が見えた。 

 その威容はまさしく、カットスロート・カニ・ヤクザクランの事務所ビルに相違無し。入口には「悪」「嫌」「鋏」などの漢字が書かれた暴力的チョウチンが掲げられている。「スンマッセン!」漆塗りの上等な傘を持ったレッサーヤクザのハクイが二人に気づき、大慌てで駆け寄ってきた。 

「スンマッセン!雨の中、わざわざスンマッセン!」ハクイが傘を手渡す。「ギャングの所に行ったって聞いて、俺ァもう、いつオヤブンに殺されちまうか、気が気じゃなかったんですよ。で」ハクイはやや困惑した。「そちらのマブなお嬢さんは?」「俺のゲイシャだ。文句あンのか」「めっそうも!」 

 二人はすぐに奥の宴会場へと通された。待っていたのはブラックハンドと数名のグレーターヤクザ。彼らは当初、この見覚えの無いワイアード・ウィッチというゲイシャを訝しんだが、アマクダリ・ネットにそのような名前は登録されておらず、またネンゴロを侮辱するとシツレイに当たるため、黙認した。

 隻眼のニンジャ、ブラックハンドは間違いなく手練だ。タタミ八枚の距離で座っている。やや遠い。グレーターヤクザも直結型ヤクザガンで武装しているだろう。次に彼は、横に座る無力なホリイを見た。彼女は脆い。「……俺はメンツを重んじる」ジェノサイドは、ギャングの時と同様、会話を進めた。 

「俺はいったんヨージンボーになったら、絶対に買収なんざされねえ。ただし十分時間をかけて吟味する」「良い事だ」その言葉は、ヤクザ文化を重んじるブラックハンドを頷かせた。「俺はナメた真似は許さねえ。騙して使おうなんざ思うな。単刀直入に聞くぜ。あんたら、どっちもアマクダリだな?」 

「……その通りだ」ブラックハンドが腕を組み、頷いた。「なら俺のデータもあるだろう。俺はアマクダリと面倒事を構えるのは御免だぜ」「その心配は無用……」ブラックハンドは目の前に置かれた冷たいニョタイモリ器から、マグロ・スシを摘んで口元に運んだ。「ここはアマクダリ内の緩衝地帯だ」 

「緩衝地帯だァ……?」ジェノサイドはよく熱されたシャドウタイガーを口に運んだ。「ザイバツは滅び、もはや外敵は無し。ゆえにイクサを求めるアマクダリ下部組織同士が、このような価値の低いゴミ溜めを巡って、争っておるのよ」ブラックハンドは笑った。「大ごとにせぬうちは、おとがめ無し」 

「暇潰しか?」「否。奴とは因縁がある。これは命と組織とメンツをかけたイクサだ」ブラックハンドが返す。ホリイは、ニンジャの暴虐に対し、怒りと恐怖が同時に沸き起こるのを感じた。ニンジャにとってストリートは、あのひんやりと冷蔵されスシを盛られた、哀れな自我破壊オイランと同じなのだ。

 ここでまた、ジェノサイドは不意に“停止”した。ホリイは心臓が止まりそうな緊張感と心細さに襲われた。「……どうした、ジェノサイド=サン、サケが気に入らなかったか?」ブラックハンドが問う。「……arrrgh……」ジェノサイドは唸ったまま動かない。何か、間を持たせねばならない。 

「シーッ……」ホリイは口に人差し指を当て、サイバーサングラスの液晶面に警告文を走らせた。ヤクザ達の剣呑な視線が、彼女に集まる。『サケを味わっている時の彼を邪魔すると、酷い事になる』ワザマエ……!さらに、ウカツなギャングがいかにして壁の染みに変わったかを、多少脚色して伝えた。 

 それは実際、30秒程度の沈黙であった。ホリイには何分間も続いているかのように思えた。(((ナムサン……!)))次の話題も思いつかず、頭の中が真っ白になった。だが、幸いなるかな、部屋の隅の電子シシオドシが鳴るのとほぼ同時に、ジェノサイドは再び動き始めたのだ。「……いいサケだ」 

「良かった!」「安心した!」ヤクザたちが全員、安堵の表情を作る。ジェノサイドらは再び交渉の流れを掴んだ。「あんた方の勝算を知りたい。奴ら、相当に守りを固めてやがる。いざとなりゃ、鉱山を爆破して、手渡さねえつもりだ。警告が来てるだろ?」「ああ。腰抜け共のくだらんブラフだろう」 

「それが、ブラフじゃねえのさ。奴らは本気だ。全部埋めるほどの爆薬じゃねえが、相当数の鑑定士や採掘者が死ぬだろうな」「奴が考えそうな女々しい戦法だな!」ブラックハンドの片目に侮蔑の怒りが燃える。「そんな事をされりゃ、たとえ勝ってもあんたらの懐が痛むだろ。俺の儲けが減るわけだ」 

「何か策があるとでも?」「待て、俺ァまだあんたの側についた訳じゃねえ。ただよォ、余りに女々しい戦法は好かねェ……だから警告をと思っただけだ。ちなみに、俺のゲイシャはハッカーだ。俺をヨージンボーに雇うんなら、もれなく有能なハッカーがついてくる」「成る程な」ブラックハンドが唸る。

「極論、支払い次第だが、俺ァどちらかと言えばヤクザ流のほうが好みだ。ヤクザは、一度決めたら裏切らねえからな」ジェノサイドは残ったサケを流し込み、息を吐く。「それに向こうの……ドレッドノート=サンか。あれは随分歪んだタマだぜ。戦利品の目玉を自慢げにホルマリン漬けにしてやがる」 

「……ッ!」ブラックハンドがマグロ・スシを握り砕く。「だが、俺に先に声をかけてきたのは向こうだ。そこのメンツも立てにゃならん。悪くねえ値もつけてくれたからな」ジェノサイドはギャングのマキモノをその場に置いて立ち上がった。「少し庭を見せてくれ。それから、いい値を頼むぜ……」 

 

◆◆◆

 

 ジェノサイドはヤクザ側とギャング側、両者のマキモノを携えて、民宿サルーンMASUDAへと戻った。ブラックハンドは当然、その場での即決を求めたが、熟考したいと言い、結論を先延ばしにしたのだ。既に営業中だったため、ジェノサイドとホリイはサルーンの部屋へと戻り、作戦会議を行った。 

 万札、違法トロ粉末、未公開株券、違法素子……両者の支払いは様々なフォーマットに分割されてるが、ヤクザのほうがやや高い。兵隊の戦力も、ヤクザのほうが上。「だがドレッドノートの方が策士だ」とジェノサイド。「それに、最終的にギャング側につかないと鉱山にアクセスできない」とホリイ。 

「ウイルスってのを作るのに、どれだけかかる」ジェノサイドが問う。ゾンビーはその方面に疎い。「データを見たけど、少なくとも…3日」ホリイが答える。腐れた脳に染み付いた、呪わしい殺し屋の勘が、ジェノサイドに警告する。「そこまで引き延ばしはできねェ」「2日なら?」「…ギリギリだな」

 ヤクザとギャングは一触即発の状態だ。ヨージンボーの動きが決まれば、一日以内に、大規模な襲撃か全面戦争が始まるだろう。ホリイの勝機は、それまでにウイルスを完成させ、ジェノサイドとギャング側につくこと。そして決闘で戦力が出払っている間に、ウイルスで地下システムを崩壊させる。 

 ジェノサイドにも、それは妥当な作戦だった。まずはギャング側に付き、ブラックハンドを殺して喰う。そこでニューロンを再生できれば、あとはどうとでもなる。喰えなかったとしても、ブラックハンドを殺しギャング側のアジトに戻ってきた時に、地下の混乱に乗じドレッドノートを殺して喰えばいい。

 ニンジャ喰らいの真実については伏せたまま、ジェノサイドはこう忠告した。「ドレッドノートは頭がキレる。油断はできねえ。テクノギャング共は義理も何も持ち合わせちゃいねえ。ブラックハンドを始末できりゃ、俺たちが邪魔になる。だから、可能な限り早くドレッドノートもブチ殺す必要がある」 

「何かそれについて、出来る事は?」「殺すのは俺の仕事だ。嬢ちゃんは、ウイルスを作ンだろ。とっとと続けろ」「解ったわ。……あと」ホリイはサイバネアイから掌の間に仮想投影したウイルス構造モデルを回しかけ、止めた。「あなたのために、何かできることは。例えば、その、記憶を補うとか」 

 ジェノサイドは酒を呑みに向かおうと、部屋のドアを開けていた。ホリイの方を向き、心底不思議そうに言った。「俺のためにだと?」「そう」ホリイは頷いた。「くだらねェ…」彼は不機嫌そうにドアを締め、真ん中に銃弾の貫通痕を持つウェスタンハットを目深に被り、ブーツを鳴らして階段を下りた。

 …それからホリイは、ほぼ不眠不休でウイルスを作った。ニンジャの支配を転覆させ、虐げられた仲間を助けるために。そしてその先に……イメージは酷く朧げだが、何らかの形でジェノサイドに恩を返したいと思いながら。二人はギャングとヤクザのビルを交互に訪れ、危険な引き延ばし工作も行った。 

 ……そして二日後、ホリイは大仕事を完成させた。テクノギャング団の警備システムを崩壊させるためのウイルスをコーディングし終えたのだ。ヤクザとギャングの寛容さは限界に達しつつあり、いつ暴発してもおかしくない状態だった。夕刻、ジェノサイドは両勢力の交渉人をMASUDAに呼びつけた。

「待たせたな、俺はどっちのヨージンボーになるか、決めたぜ。それは今夜の夜十二時から有効だ」ジェノサイドはいつものテーブルに向かい、腕を組んでいた。両勢力の交渉人がその前で正座し、固唾を呑んで答えを待った。しばしの沈黙の後、動く死体は言った。「……DシズムIIIファミリーだ」 

「ヤッタ!」GNマサルVIがバンザイし、歓喜の涙を流した。「チックショー!」ハクイはその場で床を叩いて悔しがり、さらにドスダガーで指をケジメする。ナムサン!「チックショー……」彼はブザマに泣きじゃくり、よろよろと出て行った。ジェノサイドは何の感慨も見せず、サケを呑んでいた。

「チックショー……」夕闇に包まれた大通りを歩きながら、ハクイは恐怖に震えていた。ブラックハンドは激怒するだろう。ジェノサイドが向こうについた戦力差も顧みず、怒りに任せ全面戦争を受けて立つだろう。「死にたくねえなァ……」その前にブラックハンドが彼を撲殺する可能性も実際高い。 

「ジェノサイド……ちくしょうめ……上手い事言いやがってよォ」ハクイは死刑宣告を受けた囚人めいて、よろよろと、十分で帰れる道をその三倍もかけて歩いた。辺りには何やら、不吉な夕霧が立ちこめていた。……ガゴガゴガゴガゴ、ガゴガゴガゴガゴ……大通りの外れから、何か妙な物音がした。 

 ドルルルルルルルルン、ガガガガガガガゴガガガ!「アイエエエエ!棺桶!」「アイエエエエエ!」後ろで悲鳴と騒音が聞こえた。「オウイエー、たわわに実った魔女だぜェー」武骨なストーナーロックの音。「何だよ……うるせえな……それどころじゃねえんだよ……」ハクイは苛立ちながら歩いた。 

 ガガガガゴガガガ!「アイエエエエ!」前方から歩いてきたハッカーが、何か恐るべきものを見て腰を抜かした。「うるせえって言ってんだよ!ザッケンナコラー!」BLAM!ハクイは自暴自棄に陥り、目の前のハッカーを射殺!「ペケロッパ!」無惨!「おい、テメェー」背後から不気味な嗄れ声! 

「ダッテメッ」ハクイは銃を構えたまま後ろを振り向いた。「……アイエエエエエ」そして声を失いへたり込んだ。そこには、鋼鉄棺桶を引きずるチョッパーバイクと、それに跨がる山高帽の男がいた。ジゴクの最下層からバイクで飛び出してきた悪鬼めいて、何もかもが異様なアトモスフィアだった。 

「テメェー、ヤクザだろォー」体を黒包帯とボロボロのコートで覆ったその男は、気怠そうにソードオフショットガンを構えた。「アッハイ」ハクイは恐怖に震えた。「ならハッパ持ってンだろォー、たんまりとよォー……」「あります」「案内しろよォー、それから、聞かせろよォー」「な、何を」 

「ハ、ハ、ハァー……決まってんだろォー……」不気味に濁った死者の目で、その男はハクイを睨め下ろした。乾燥ハッパ葉巻を咥えた彼の口からは、エクトプラズムめいて盛大な煙が吐き出された。「あの湿っぽい野郎のことを……ジェーノサイドのコトをよォー」 

 翌日、正午近く。珍しくも、空を満たす重金属酸性雲は乱れ、ところどころに開いた穴から、ネオサイタマに病んだ陽光が降り注いでいた。不穏な乾いた風がピュウピュウと吹き、ナカニ・ストリートの空はターコイズ原石のごとく、濁った水色と茶色と黒のマーブル模様を呈していた。 

 ひときわ強い風が吹き、オーカーがかった重金属粉塵が足元で巻き上がる。決闘の時を前に、街はゴーストタウンめいた静けさ。数十名からなるテクノギャングの軍団が、ナカニ・ストリートを進む。その先頭に立つのは、彼らが雇った恐るべきヨージンボーにしてゾンビーニンジャ、ジェノサイドだ。 

 ザッザッザッ。粉塵まみれの乾いたストリートを整然と歩む、スーツ姿のテクノギャングたち。彼らは全員がサイバーサングラスとトミーガンで武装している。彼らはマッポセルと同様の無線LANリンクを行い、組織的行動を取れるのだ。片腕をサイバネ置換したニンジャ、ドレッドノートの姿も見える。 

「モウン……モウーン」飼い主が慌てて逃げ出したため、置き去りにされたのだろう。電柱に括り付けられた哀れなバイオ水牛が、剣呑アトモスフィアに恐れ入り、鳴いた。「モウーン」「黙れ」BLAMN!その声に苛立ったギャング幹部が、無造作にこれを射殺した。ストリートは再び、静かになった。 

 彼らの向かう先は、廃業民宿サルーンとサイバネ雑居ビルが並ぶ一帯だ。ここならば、ヤクザとギャングが全面戦争を行っても、ストリートの犠牲者は最小限に抑えられる。ツルギ・マスダ老店主はジェノサイドに何度もそう語った。そして昨夜、ジェノサイドはギャング団にここで戦う事を提案したのだ。 

 ヨージンボーを得たギャング団は、当初、有利な篭城戦も視野に入れていた。だがホリイの作戦を実行するには、ギャング団アジト地下のロービットマインを手薄にする必要があった。そこでジェノサイドは、正面決戦を提案した。ヨージンボー交渉で双方の戦力を見てきた彼の言葉には、説得力があった。 

 幹部のDシズムIVにとって、全面戦争は望む所だった。「おい、ファミリーで一番ショドーとオリガミが上手い奴を連れてこい」と、DシズムIVは手下に命じた。抜かりない参謀ドレッドノートも、ジェノサイドの力を存分に活かすには、屋外で戦う必要がある事を理解していたため、これに賛成した。 

 そして昨夜、寂しいウシミツ・アワーの鐘が鳴り響くのと同時に、カットスロート・カニ・ヤクザクランの事務所ビルへ、大きなオリガミメールが運ばれた。それは死を象徴する銀色の和紙で折られた蟹であり、開くと、真昼の決闘を挑む内容が達筆でしたためられていた。ヤクザは激昂し、受けて立った。 

 思った通り、ヤクザどもは挑発に乗ってきたと、DシズムIVは満悦した。ジェノサイドがこの街に流れ着く直前まで、兵力バランスはヤクザ側が優勢であった。だが彼をヨージンボーを迎えた事で、今は明らかにギャング団が優勢。この好機を逃さず、ヤクザが後に引けぬような挑発を行ったのである。 9 

 不意に、ジェノサイドが立ち止まった。まだ決闘場所へは遠い。ギャング団も立ち往生し、互いに顔を見合わせ、サイバーサングラスで会話した。「……」ドレッドノートは黙して腕を組み、様子を伺う。「ど、どうしたんですか……?」幹部に顎で命令されたサンシタが、様子を見に横へ向かう。 

「決闘場所はまだ先ですぜ」サンシタが言う。DシズムIVが時計を気にし、『どうにかしろ』の言葉をサンシタに送る。本来は、ゲイシャであるワイアード・ウィッチだけが彼に話しかける事を許される状況だ。しかし彼女はここではなく、最も堅牢なシェルターであるロービットマイン監視室にいる。 

「ジェノサイド=サン、頼みま」サンシタが腐臭と醜さに顔を歪めながら、ジェノサイドに恐る恐る触れようとした時。突如ゾンビーは動き出し、無造作なネクロカラテパンチで頭を吹き飛ばした!「アバーッ!」サツバツ!「うるせェな……考え事の邪魔すんじゃねェ……」そして酒を取り出し呑んだ。 

 男は黒いカソックコートの袖で口元を拭う。「Arrrgh…」強烈なアルコール臭気を吐き出し、ヨージンボーは再び歩き出した。テクノギャング団も、再び動き始めた。ストリートにはサンシタと水牛の死体が残され、無益に流されたどす黒い血には、キナコめいた重金属砂塵がまとわりついていた。 

「……」「……」DシズムIVとドレッドノートはサイバーサングラスで短く言葉を交わし、頷いた。死体を雇ったのだ。少々の不便はあろう。だがカラテは確かだ。この殺戮兵器じみたニンジャを敵陣に放り込めば、回転バズソーが勝手に料理をする。カニの手足を切断し、労せずして息の根を止める。 

『後始末の手間もかからんだろう』ドレッドノートは冷酷な表情のまま、サイバーサングラスで言った。『その通り』DシズムIVは下卑た笑みを浮かべた。ヤクザさえ始末すれば、ヨージンボーも不要。隙を見て始末し、あのゲイシャは自分のネンゴロにすればよいと、DシズムIVは考えているのだ。 

 彼らだけではない。無表情な行進を続けるテクノギャング全員が、この抗争に終止符が打たれた時のブレイコウ重点期間を心待ちにし、邪悪な欲望をたぎらせている。……こちらはニンジャが二人!向こうは一人!勝利は固い。先程サンシタが一人死んだのも、望む所。生き残った自分のスシが増える。 

 ヒュウウウウウーッ……ヒュウウウウウウウウウーッ……ひときわサツバツとした風が、ナカニ・ストリートを吹き抜ける。病んだ太陽は間もなく、ハイヌーンに達するだろう。正午まであと数分。「アスホールどもが来ましたぜ!」誰かが叫んだ。砂煙の向こうに、行進するヤクザクラン軍団が見えた。 

「ザッケンナコラー!」「スッゾコラー!」テクノギャングに対し、ヤクザ側の外見はまさに愚連隊か、江戸時代のヨタモノを思わせた。ある者は上半身裸でタトゥーを露にし、抜き身のカタナを肩に乗せる。ある者は黒光りするスーツを着込み、殺戮銃器オートマチック・ヤクザガンを握っている。 

「ゴートゥー・アノヨ!」「キルナイン・ユー!」「ケツ・ノ・アナ!」テクノギャングも凶暴な罵声を浴びせる。まるで獣だ。敵意と殺意が増幅されてゆく。だが両陣営が50メートルほどの間合で睨み合う頃、モータル同士の罵り合いは、もはや鳴りを潜めていた。ニンジャ存在感が場を圧している。 

 最初にアイサツしたのは両軍の宿敵ニンジャ同士であった。「ドーモ、ブラックハンドです。女々しい腰抜けのギャングども、今日こそ貴様らに引導を渡してくれる」「ドーモ、ドレッドノートです。こちらはヨージンボーのジェノサイド=サンです」ドレッドノートは敵の挑発を嘲笑うように無視した。 

「ドーモ、ジェノサイドです」不快な陽光の侵入を遮るようにハットの角度を直してから、ゾンビーニンジャは気怠げにアイサツした。腐ったニューロンが、ちりちりと灼け焦げるようだ。陽光。喧噪。敵意。周りに蠅の群れがいるような鬱陶しさ。何もかも面倒だ。とっととこいつら皆殺しにして…… 

 ジェノサイドはふと、ストリート右手中央にある廃チャペルの高い鐘つき台を見た。そして舌打ちした。(((何だよテメェ)))台の上にいたのはツルギ老人であった。中立な立会人を選び、正午の鐘を鳴らさせる手はずだとはギャングから聞いていた。(((だからって、何でテメェが来ンだよ))) 

 最初に鐘つき役に選ばれたのは従業員スモトリだったが、彼が代役を買って出たのだ。ツルギ老人は鐘つき台の上から黒いカソックコートの旦那を一瞥し、覚悟を決めた力強い笑顔を送った。(俺はジジイだからよ、どうにも身勝手なんだ。派手にやってくれよ!)ツルギ老人は祈るように小さく呟いた。 

「……クソったれが……くだらねェ……」ジェノサイドは握っていたカスク瓶を喇叭飲みで呷り、廃チャペル前の石畳へと、無造作に放り投げた。緑がかった瓶が割れ、半分ほど残っていた中身がストリートに染み込んだ。ツルギ老人はUNIX時計を見た。あと3分。彼は袖をまくり、木槌を握った。 

 ストリートでは決闘の時を前にした狂犬めいて、ヤクザとギャングが睨み合っていた。戦力差はやはりギャングが優位。だが何か妙だ。ヤクザ側の兵隊の士気が低くない。むしろ高い。実際高い。ドレッドノートが眉根を寄せた。「……実はひとつ、言い忘れていた事があった」ブラックハンドが言った。 

「何だ。降伏でも申し出るか。お前のセプクで手打ちにしてやらんでもないぞ」ドレッドノートが返す。ヤクザどもがニヤニヤと笑い出した。「……お前は俺を直情的なイディオットだと思っていただろう。あの果たし状を見た俺は、怒りに任せ、この決闘を受けて立ったのだろう、愚かなヤクザだ、と」 

 ブラックハンドは勿体ぶるように、相手の戦力を右から左へ見渡した。「フゥーム…」そして頷いた。決闘の場を、不穏なアトモスフィアが包み込む。「実は、こちらもヨージンボーを雇った」手を叩く。最後尾から何かを引きずる音が聞こえる。レッサーヤクザが数人がかりで、何かを引きずってくる。 

(何だありゃあ)ツルギ老人は目をこすった。棺桶だ。レッサーヤクザどもは鋼鉄棺桶を引っ張ってくる。(何が入ってんだ)棺桶の隙間からは、白い煙がもくもくと漏れている。その臭いはジェノサイドの嗅覚を不快にくすぐった。それは記憶と結びついた。死者は無意識のうちに唸り声を上げていた。 

「一体何が…」ロービットマイン監視室で作戦決行の時を待っていたホリイも、決闘場の異変に気づいていた。鐘つき台には何基もカメラが置かれ、その映像が両陣営の本部に届けられていたからだ。後々アマクダリ中枢から追求を受けた際、これが正式な決闘である事を証明するための映像記録である。 

 その鋼鉄棺桶には、白く粗末なペイントで七枚の葉とクロスボーンの意匠と、「ハッパ」というカタカナがショドーされていた。異様だ。「セ……センセイ、時間です」ブラックハンドに促され、レッサーヤクザのひとりが蓋を叩いた。返事が無い。ブラックハンドから『とっととやれ』の合図が飛ぶ。 

 レッサーヤクザは覚悟を決め蓋を開けた。「セ……センセ」BLAMN!「アバーッ!」ナムサン!内側からソードオフ・ショットガンの至近銃撃を喰らい、彼は一瞬でネギトロめいた死体に変わる!「うるせェー……」そして山高帽を被った長身のゾンビーニンジャが、煙の中でゆっくりと身をもたげた。

「ファハァー…」大きく欠伸をするかのように、その乾燥死体は盛大な煙を吐き出した。「いるなァ……ジェーーェエエエノ……サイード。随分探したぜェー」彼は緩慢な動きでブラックハンドの横に立った。その男の姿を見るや反射的に、ジェノサイドの袖の下には、回転バズソーがじゃらりと垂れた。 

「やっぱりテメエか」ジェノサイドの目が緑色に輝く。「オウイエー、イエー、驚いたかァー。今日こそ返してもらうからなァー……」ソードオフ・ショットガン二挺を胸の前でクロス状に構えたその乾燥死体は、苛立つジェノサイドに対して、愉快そうにアイサツした。「ドーモ、エルドリッチです」 

 ナムアミダブツ!ヤクザ側は恐るべきニンジャのヨージンボーを獲得していたのだ!しかも、ジェノサイドの宿敵たるエルドリッチを!「彼のワザマエは確かだ」ブラックハンドが好敵手を嘲笑うように言った。この隠し球を前に決闘場のアトモスフィア主導権は逆転し、いまや完全にヤクザ側が支配! 

 最早ギャング側に主導権を奪い返す時間など無し。そして正午!「……ナムサン!」ツルギ老人が木槌を振り上げる!何が起こるか予測不可能!(でもやるしかない!)ホリイは意を決し立ち上がる!(今しかない!)ホリイは懐に隠していたフロッピー数枚を扇子めいて広げ、UNIX端末群を睨んだ! 

 ジェノサイドとエルドリッチ!そしてドレッドノートとブラックハンドが睨み合う!「楽しもうぜェー」二挺ショットガンの銃口がジェノサイドに狙いを定め、黒いカソックコートの袖の下では鎖付きバズソーが甲高い回転音を上げ始める!正午!カーン!カーン!カーン!ツルギ老人が鐘を鳴らした! 

「イヤーッ!」ジェノサイドは右の回転バズソーを飛ばす!「オウイエー!」BLAM!ショットガン散弾が命中し、軌跡を逸らす!「イヤーッ!」間髪入れず左バズソーが飛ぶ!「ハハー!」BLAMN!再びショットガン!逸れたバズソーは後方のヤクザの頭を斜めにスライス!「アバーッ!」即死! 

「今日こそ殺してやるぜェー!」エルドリッチは残った銃弾でジェノサイド本体を狙うが、「イヤーッ!」手首のスナップによって引き戻されたバズソーの鎖が、ショットガンの銃身に絡み付く!BLAMN!明後日の方向に散弾が発射され、周囲にいたヤクザを一瞬でネギトロに変える!「アバーッ!」 

「オウ、イエー」エルドリッチはヤクザの鮮烈な死に様を見て笑った。引き戻されたもう片方のバズソーが首を狙って迫るが、これを屈み込んで易々と回避!ハヤイ!そして一旦ショットガンを背中に収め、分銅鎖鎌を構えて跳躍!飛び掛かる!ジェノサイドも左右のバズソーを振り回しながら突撃する! 

 大通りの反対側では、ブラックハンドとドレッドノートの戦闘も開始していた。ドレッドノートの戦闘義手、テッコV8デッカー・カスタムが展開!論理トリガが引かれ、おびただしい銃弾を吐き出す!BRATATATATATA!「イヤーッ!」ブラックハンドはこれをジグザグ走行で回避し、肉薄! 

 ドレッドノートのサイバネアイがその走行軌道をトレスする。「イヤーッ!」懐に飛び込んでくる相手に対し、狙い澄ましたケリ・キック!「イヤーッ!」ブラックハンドはこれをブロック回避!そのまま素早いバックナックルを繰り出す!「イヤーッ!」ドレッドノートが戦闘義手でこれを弾く!互角! 

「ザッケンナコラー!」「ゴートゥー・アノヨ!」「スッゾコラー!」「キルナイン・ユー!」常人の反射神経ゆえワンテンポ遅れ、総勢200名近いヤクザとギャングも戦闘を開始した!飛び交う銃弾!カタナ!カラテ!血飛沫!大通りに放置された旧式車や屋台、左右に並ぶ廃屋は即席の遮蔽物と化す!

『FマシダIIIセル ろ廃屋1階』『inc サイバネヤクザ2』『rgr』兵数では劣るものの、テクノギャングは小規模無線LANとIRCを用い、高度な連携を組む。BRATATATA!「ダッテメッコラグワーッ!」突撃ヤクザが迎撃され即死!日頃のUNIXシミュレーションの成果だ! 

『inc ニンジャ 2』『wtf!?』ニンジャの接近だ!「「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」」ブラックハンドが狂犬めいたカラテで力押しし、ドレッドノートに後退を強いている!凄まじい高速カラテを繰り出し、凌ぎながら、廃屋内に展開していたテクノギャングのセルへと接近!アブナイ! 

「イイイヤアアーッ!」ブラックハンドの腕から水に溶ける墨汁めいたオーラが立ち上る!これはかつて宿敵の片腕を奪ったヤミ・ケン!致命的な踏み込みチョップ突きが来る!「イヤーッ!」ドレッドノートは紙一重の側転回避!手刀は背後のギャングの胸とその後ろの分厚い壁を貫通!「アバーッ!」 

 ドレッドノートは敵の右側面へ逃れた。眼球の無い側だ。着地から即座にトビゲリ!「イヤーッ!」だが相手もこれに対応!「イヤーッ!」ブリッジ回避!ハヤイ!くり貫かれたギャングの胸と壁は、墨汁めいた煙を上げながら楕円形状に広がるように消滅しており、彼は手刀を造作も無く引き抜けるのだ!

「イヤーッ!」別な廃サルーンでは、エルドリッチがカウンターを蹴って跳躍!バズソー回避!そのまま鎖分銅投擲!ジャラジャラジャラ!ジェノサイドの左腕に絡み付く!「クソが…」「ハハァー!」着地し、鎖の手応えを確かめるエルドリッチ!両者は鎖で繋がれたままタタミ四枚の距離で睨み合う! 

「どうだァー、まだ思い出さねえかァー?」鎖を引く力は強い。両者ともに強大なネクロカラテの使い手だ。「ちょっと削ってみたら思い出すかァー……イヤーッ!」エルドリッチは右手で分銅鎖鎌を握ったまま、背中のソードオフ・ショットガンを抜く!BLAMBLAM!頭部を狙って散弾が飛ぶ! 

「イヤーッ!」激しい金属音!ジェノサイドはネクロカラテを左腕に集中させ一気に引き寄せると、鎖に覆われた腕で己の頭部を守ったのだ!続けざま、バランスを乱した敵をハンマー投げのハンマーめいて振り回し、木製バーカウンターに叩き付けた!「ナメやがって!」「アバーッ!」砕け散る木材! 

「おいヤバイぞ、奴らもニンジャを……!」「戦況はどうなってる」ロービットマイン監視室では、警備ギャングたちが固唾を呑んで、カメラの映像を見守っていた。誰にも見咎められぬまま、ホリイは壁に並ぶ監視システムのUNIXへと、ウィルス入りのフロッピーを一台、また一台と挿入してゆく。 

 ジャコン、ギュギュギュギュ……UNIX筐体内のベルトが回転し、プログラムが強制実行され、ホリイの組み上げた強力なウイルスをシステム内部へ注入せんとする。一台、また一台。コードロジストは、臨機応変な高速タイピング戦闘を行えない。ドミノ倒しと同じ。最初の一押し。あとは祈るだけ。 

 あと一台。やや遠い。ホリイは深呼吸し、ギャングが振り向かない事を祈った。ロービットマイン監視モニタには、地上で何が起こっているかも解らず、坑道内待機所で祈るように手を取り合う採掘労働者たち。かつての自分と良く似た背格好の少女が一人。だが自由を知らぬその瞳は、鈍く曇っている。 

 (((私には力がある……!)))ホリイは自らを鼓舞するようにフロッピーを握った。意を決し、最後のUNIX端末へ近づく。震える指先で、フロッピーを挿入する。微かな駆動音。息を吐き、最初に座っていた椅子へ戻ろうとした時「おい、ゲイシャ、何をしている」ギャングが一斉に振り向いた。 

 ストリートでは未だ一進一退の攻防が続き、銃弾が飛び交っていた。次第に、ヤクザとギャングの死体が増え始めた。「ハッパ足りねェー……一時撤退だァー」突き破った廃サルーンの壁を抜けて、エルドリッチは隣の廃チャペルの方向へと逃げていった。それを追い、ジェノサイドも穴を抜ける。 

 不意に、ジェノサイドの聴覚から、全ての騒音がシャットオフされた。白黒映画めいた、ぎこちないフレームレトの風景へと変わる。割れていたはずのステンドグラスは復元され、いつしか、昼から夜へと変わっていた。(……俺は、戻ってきたのか?)ジェノサイドは、部屋の隅に立つ若い神父を見た。 

「こんな夜更けにどなたですか」「ジジイの神父に会いにきた。また罪を重ねちまったからな。しかも、大半は覚えてねェ……」「そうでしたか……ですが、彼はもういません」「死んだのか」「はい」欠落ノイズ。「……肉もソウルも呪われてんのさ、二重にな」「あなたには、まだスピリットがある」 

「ジジイと同じ事を言ってンのか。良く解らねェが……それだって、ロクなもんじゃねえさ」「たとえ貴方がどんな肉体を持っていようとも」激しい雷光。「アイエエエエエ!」照らされたゾンビーニンジャを見て、その若い神父は恐怖の叫び声を上げ、だが必死で堪えるように口元を抑え、座り込んだ。 

「アイエエエエ……い、命ばかりは……!」いつしか若い神父は、恐怖に恐れ戦く重傷ヤクザに変わっていた。ヤクザは目の前で停止したジェノサイドに対し、必死で命乞いしていた。周囲の風景も廃チャペルへ戻り、怒号と銃声がふたたび彼の腐った頭の中をハエの群れの羽音のように引っ掻き回した。 

「イヤーッ!」ジャラジャラジャラ!チャペルの外から投げ込まれた鎖分銅に、ジェノサイドは反応できなかった。それは再び腕に巻き付いた。エルドリッチの有無を言わさぬネクロカラテが、彼をストリートに引きずり出した。ジェノサイドの巨体は粉っぽい大通りをごろごろと転がり、立ち上がった。 

「今日こそ解体してやるぜェー」エルドリッチは鎖で動きを封じ、カマで何度も斬り付ける!「グワーッ!」腐肉が切り刻まれる!「ふざけんじゃねェー……テメエの事なんざ、覚えてねェって言ってンだろうが……!」ジェノサイドは迫るカマを掴みそのまま殴りつける!「イヤーッ!」「グワーッ!」 

 丸太を振り回すようなネクロカラテ中弾蹴り!「イヤーッ!」「グワーッ!」さらにジェノサイドは両手を握りしめ、重いハンマーブローを相手の脳天に叩き落とす!「イヤーッ!」「グワーッ!」鎖分銅の拘束が外れる!大きく踏み込んで、ネクロカラテ・ストレート!「イヤーッ!」「アバーッ!」 

 エルドリッチは吹っ飛び、不運なギャング二人を巻き添えにしながら廃ビルの壁に叩き付けられた!「アバーッ!」「ゼツ……」とどめを刺すべく、ジェノサイドは両手のバズソーを振り回し、遠心力にカラテの勢いを乗せる!そして「……メツ!」壁際のエルドリッチをバズソー切断すべく、投擲! 

 ……否。ジェノサイドはバズソー投擲直前の姿勢で、再びニューロンの腐敗ショートを起こし、停止してしまった。バズソーもまた回転力を弱め、振り子めいて彼のもとに留まった。「何だァー……?」エルドリッチが立ち上がる。ジェノサイドのすぐ横をヤクザの流れ弾が霞める。だが彼は動かない。 

「「「スッゾコラー!」」」これに気づいたヤクザが屋台の陰からジェノサイドを射撃!BLAMBLAMBLAM!弾丸が腹を、脚を、頬を、肩を貫通!立ち尽くすジェノサイド!アブナイ!「手ェ出すんじゃねェー」BLAMNBLAMN!「「「アバーッ!」」」突如、エルドリッチがヤクザ射殺! 

「そいつは、俺が殺さなきゃなんねェー。なあ、ジェーエエノ、サイード……そうだろォー」ジャカッ!一挺だけになったソードオフ・ショットガンを再装填し、エルドリッチは銃口をジェノサイドに向けた。「何やってんだァー?」BLAMN!散弾がジェノサイドの右肩口に命中!凄まじい腐肉ゴア! 

 混乱の中で、彼のヨージンボー契約違反行為に気づく者はいない。「抵抗しねえのかァー。死んだかァー」エルドリッチがさらに接近し、煙を吹きかける。ジェノサイドはなおも動かない。「つまんねェー」エルドリッチは銃を肩に乗せ、舌打ちして後ろを向いた。「動くまで他の殺して待ってるぜェー」 

 エルドリッチは他の獲物を探しながら、怠そうに何歩か歩いた。「やっぱり、それも面倒くせェー!!」突如振り返り、ショットガン発砲!BLAMN!ジェノサイドの顔面に散弾が命中!ジェノサイドは顔面から煙を立ち上らせ、後方にゆっくり倒れる。「…arrrgh…」低い呻き声を発しながら。 

 ズウン……黄色い粉塵を巻き上げながら、ジェノサイドが倒れる。ジャカッ!エルドリッチはショットガンを最装填!「動けねえの見逃すわけがねェだろォー。イヤーッ!」BLAMN!脚部!BLAMN!腹部!ナムアミダブツ!「オウイエー。骨は固えぜェー。もうちょいハンサムにしてやろうかァ」 

 カウボーイハットは何処かへ飛んでいき、古い弾痕の開いた頭が露出している。散弾を食らって顔の肉はほとんど弾け飛び、骨が露出している。目玉は片方潰れ、乱杭歯も半分以上が砕けた。「動けねエの撃つのは楽だぜェー」ジャカッ!エルドリッチはその発見を素直に喜び、銃口を再び顔面に向けた。 

 ナムアミダブツ!ソードオフショットガンを密着状態で撃てば、いかなジェノサイドとて頭蓋骨を砕かれ脳髄を撒き散らすことになろう!通りで大の字に倒れるジェノサイドを監視モニタ内に見、ホリイは顔面を蒼白させた!「あばよォー」エルドリッチは何の躊躇いも無くトリガを引く!BLAMN! 

 だが……おお、見よ!銃弾がジェノサイドの頭を破壊する0コンマ2秒前!彼の片目に再び、不吉な緑色の光が宿り、電気刺激カエル筋肉めいた速さで腕を動かしショットガン銃身を払い除けたのだ!「イヤーッ!」銃弾は道にめりこみ、粉塵を巻き上げる!「チィーッ……!」舌打ちするエルドリッチ! 

 ホリイはホールドアップ姿勢で後ずさりながら、ギャング3人と後ろに監視モニタに、交互に視線を送った。いつの間にか、ジェノサイドは再び動き出し、カラテを開始している。まだ望みは絶たれていない。「ねえ、私が何かしたとでも……?私に手を出したら、後でどうなるか解ってるわよね……?」 

「ヨ、ヨージンボーのゲイシャに手を出すほどバカじゃねえさ」ギャングが尻込みする。ホリイがまだ強気に出れるのは、この立場ゆえだ。「でもな……何か妙だぜ……UNIX端末を触ってたろ?」別の一人が訝しむ。「なら、気の済むまで調べてみたら」彼女は視線を感じ胸元を閉じる。「端末をね」 

「俺がやる。何かあったら解っているな」「俺もやる」二人のハッカーがUNIX前に座り、ハッキング痕跡を探すべくタイプを開始。三人目は念のため、ホリイに銃を突きつけ待機。(((まだファイアウォールを突破できていない……?)))ホリイは唾を呑む。(((速く、速く、速く……!))) 

 BEEP!突如1台のUNIXがビープ音を発した。「何だ」ハッカーギャングの一人が、画面に表示された文字を読み上げる。「……あなた方が私のともがらを出てゆかせぬならば……何だこりゃ?」「ウィルスか」「いや、データベースに存在しない」「外部ハッキング?」「まさか、物理遮断してる」

 BEEP!隣もビープ音を発した。ホリイは貞操帯めいて固く閉ざしていた無線LANを開く。データ流入。アクセス。ハッカーたちが響めく。遅い。魔女が笑む。『私はあなた方に、蝗の群れを解き放つであろう』文章の後半が自動タイプされる。直後、室内の全UNIXはオーバーフローし爆発した。 

 KABOOM!「アバーッ!」UNIXモニタ爆発を真正面から喰らいハッカー即死!KABOOM!「何がアバーッ!」隣のハッカーも即死!KABOOM!KABOOM!「アイエエエ!」銃を突きつけていた男が狼狽!ホリイはその隙をついて生体LAN端子へ直結!「アバッ!」ウイルスで始末! 

 警報システムは破壊され鳴らぬ。ホリイは監視室を出、UNIX回廊に向かって歩き出す。懐からさらなるフロッピーを取り出し、扇状に広げる。ジャカッ!ジャカッ!ジャカッ!回廊に並ぶUNIX群へフロッピーを挿入しながら、彼女は決然たる表情で歩んだ。魔女の怒りを受けるべき時が来たのだ! 





「何だ、何が起こっている!」アジト入口で見張りをしていた車椅子のギャング、GNマサルVIが、サイバーサングラスを押さえ狼狽する。ネットワークが死んでいる。「裏切りか?まさか」唯一生き残っているのは、地下の監視ギャングたちが装備するサイバーサングラスとの狭域無線LANだけだ。 

 GNマサルVIは、視界を監視ギャングの一人とリンクさせた。『ゴートゥー・アノヨ!』監視ギャングは右手に拳銃を持ち、荒々しく叫びながらUNIX回廊を駆ける。ゲイシャは後方を振り返りながら逃げる。BLAMN!発砲!「ンアーッ!」ゲイシャが倒れる。頭の付近からバチバチと火花が散る。 

 ホリイは頭を振った。(((まだ生きてる)))破壊されたサイバーグラスが火花を散らし、足元に落ちた。背には、まだロック解除されていない重いドア。監視ギャング2人が銃を構え歩み寄る。(((来い、来い、来い…)))ホリイのサイバネアイは、回廊のUNIXがマゼンタ色に染まるのを見た。 

「何をするつもりだった」「気でも狂ったか」「死体のお相手をするくらいだからな」「さては、ヤクザの犬か?」テクノギャングが近づいてくる。サイバーサングラスから緑色の光が発せられ、ホリイの素顔をスキャンする。ホリイは両手を上げ敵を睨み返し、何も返さない。(((もう少し……!))) 

「話す気がねえなら拷問だ」「手っ取り早く行くぜ」「嬢ちゃん、安心しろよ、俺たちは拷問のプロだ。地下の野郎どもで慣れてるからな」テクノギャングらがマゼンタ色に染まったUNIXの横を通過する。『おい、待て、その女は……!』スキャンデータを解析したGNマサルVIが警告IRCを送る! 

「……」ホリイが何か呟いた。「ビッチ、何か言ったか?」ホリイは答えた。「ファック、オフ」直後、回廊のUNIXは連鎖爆発を起こした。KABOOOM!「グワーッ!」ギャングの頭の右横にあったUNIXがオーバーフロー爆発し即死!KABOOOOM!「アバーッ!」後ろのギャングも爆死! 

「ゴートゥー・アノヨ!」「ケツ・ノ・アナ!」さらに二人のギャングが角を曲がってきた。ホリイは立ち上がり、サイバネアイの視界を制御システムリンクさせ、怒りとともに右手で宙を薙ぎ払った。ただそれだけで、妖術が働いたかのように、UNIXが連鎖爆発を起こしテクノギャングを爆死させた。 

「アイエエエエ……ホーリーシッ……!ホーリーシット!!」GNマサルVIは失禁した。爆死時の視界リンクショックによって震えながら、頭を抱えた。もはや無線LANリンクに反応するテクノギャングは居ない。地下は制圧された。たった一人の女に。アマクダリに手配された女に。 

「あの女が全ての元凶だ……!」キュイイイイイ……!彼は意を決し、決闘の場に向かうべくサイバー車椅子をターボ起動させた。数日前、アマクダリのクローンヤクザが、逃亡中の女を追って一帯を捜索した。一触即発状態にあったヤクザとギャングは積極的には協力せず、ただ自由に捜索を行わせた。 

「あの女……始めから俺たち両方をハメるつもりだったんだ……!」キュイイイイイイイイ!砂煙を巻き上げながら、サイバー車椅子はナカニ・ストリートを駆け抜ける。ゴーストタウンめいて静まり返った街を。主を失った教会の横を。やがて乾いた銃声とカラテシャウトが彼方に聞こえ始めた。 

「「イヤーッ!」」投げ放たれた鎖鎌と回転バズソーが空中でぶつかり、凄まじい火花を上げて左右に逸れる。「アババーッ!」「グワーッ!」SPLAT!SPLAT!周囲に居た不運なヤクザとギャングが、たちまちネギトロめいた死体に変わる!二人のゾンビーニンジャは再び接近し、殴り合った! 

「イヤーッ!」ジェノサイドの拳が胸に命中!「アーッ、ちくしょオー……」よろめくエルドリッチ。だがさらに殴り掛かろうとした所へ「イヤーッ!」エルドリッチの後ろ回し蹴り!重いブーツの踵が相手の肋骨を砕く。「クソッ……」「オウイエー」舌なめずりし、さらに全体重を乗せたケリキック! 

 SMAAASH!ショットガン銃撃で満身創痍となっていたジェノサイドは、これに耐えられぬ。暴風雨に吹き飛ばされる小屋めいて吹っ飛び、壁に叩き付けられた!「まだだァー」ジャラジャラジャラ!腕に鎖がからみつき、引き寄せられる!ジェノサイドは前方に倒れ、オーカー色の粉塵にまみれた。 

 バオオオオオン!「イエー……ハハー!」エルドリッチは路地裏に隠したチョッパーバイクに跨がり、猛スピードでジェノサイドを引きずり回す!コートが、頭皮が、腐肉が削り取られてゆく!ナムサン!「「イヤーッ!」」戦闘中だったドレッドノートとブラックハンドはこれを跳躍回避!戦闘続行! 

 BLAMBLAMBLAM!通りを挟んだ建物同士で、ヤクザとギャングが激しく撃ち合う。流れ弾がしばしばバイクやジェノサイドに命中し、エルドリッチの山高帽に風穴を空けた。「ここじゃちいと狭いかァー」エルドリッチは大きく旋回し、反対側のストリートの端に向けて再びアクセルを吹かす。 

 ジェノサイドは回転バズソーを廃サルーンの柱めがけて素早く投げつけた!ジャラジャラジャラ!巻き付いた鎖はアンカーめいてジェノサイドの身体とバイク前進を止める!「ナメやがって……!」さらに両腕にありったけのネクロカラテを注ぐ!限界を超え、ぶちぶちと筋繊維が千切れる。痛みは無い。 

「何だァー…」エルドリッチが気づいた時、既にチョッパーバイクは斜め後ろに引っ張られ、横転を始めていた。さらに後方では、廃墟サルーンの柱がへし折れ、張り出し屋根の上に乗っていたギャング三人が悲鳴とともにストリートに叩き付けられようとしていた。KABOOOM!バイクが横転爆発! 

「「アイエエエエエ!」」横転爆発したチョッパーバイクに巻き込まれヤクザが爆死!「俺が燃えるのは御免だぜェー」エルドリッチは間一髪で跳躍回避!着地から、相手を睨む。片腕を千切れさせながらカラテを構えるジェノサイドを。まだ両者の腕を繋いだ鎖は外れていない。 

「イヤーッ!」「……アバーッ……」「イヤーッ!」「……アバーッ……」「イヤーッ!」「……アバーッ……」一方的カラテがジェノサイドに叩き込まれる!「そろそろ終わりかァー」エルドリッチは鎖を相手の首に巻き直し、後方から全力で締め上げた。ジェノサイドは鎖を掴んでもがき、抵抗した。 

「ヤクザどもに聞いたぜェー。ゲイシャを奴隷にして連れ歩いてるってなァー。死体のくせによォー、女の前でカッコつけやがってよォー。何様のつもりだァー……?」「……アバーッ……」首の肉がこそげおち、めきめきと骨が軋む。いまや、エルドリッチの力はジェノサイドのそれを上回っている。 

 (((くそったれめ、俺は何やってんだ)))視界の端に、鐘つき台で前のめりに倒れる老人の姿が見える。長期戦で戦場が広がってゆく。流れ弾がまた、彼の頭を真横から貫き、脳味噌を盛大に吹き飛ばした。世界が白黒に変わる。騒音が遠ざかる。(((ああ、ちくしょうめ、何もかも台無しか))) 

「邪魔すんじゃねェー」エルドリッチがまたショットガンを抜き、不運なギャングを射殺した。「女が裏切った!全部あの腐れ脳みそ野郎と企んだ罠だ!」車椅子の男が到着し、狂ったように叫び触れ回る。(((女ァ……?誰だ……俺は…)))再びジェノサイドの脳内で、蠅が飛び回るような不快感。 

 (((うるせェー……人がせっかくいい気分で寝ようとしてンのに…)))ジェノサイドの胸を苛立ちが満たす。「……ふざけやがって!」GULP!ジェノサイドは圧し折られかけた首を捻り、目の前にあるジャーキーめいた乾燥腐肉に喰らいついた!エルドリッチの悲鳴!腕の肉を噛みちぎり!咀嚼! 

「ARRRRGH!」怪物めいてさらに喰らいつく!不格好な歯形がコートごと、エルドリッチの肉を喰いちぎる!何たるニンジャ・カンニバル行為!「ジェエエエノ、サイード……よくも、俺を喰いやがったなァー……」悲鳴がスローモーションめいて聞こえる!ジェノサイドの破壊組織再生が始まる! 

「ARRRRRGH!」ジェノサイドは片目を緑色に光らせながら、ニンジャ肉を貪り食らう!おお……何たる悪魔的光景か!腐れた脳細胞がミミズめいて脈打ち、繋ぎ合わされる!信じ難い速度で、過去の記憶がソーマト・リコールめいて蘇る!ニューロンが再生し、腐り落ちた記憶がバイパスされる! 

 ……「何をするカーッ!叡智が!オーパーツがーッ!」叫ぶリー先生。ネクロ電解槽前の死闘。……「懺悔に参ったか、切羽詰まった御様子だの。聖職者を殺すとバチが当たるぞ、お前さん」逃亡中の彼をかくまった老神父。……それよりも前……視界が曇る……彼はカプセルの中に詰め込まれている…… 

 ……「イヒーッ!イヒヒヒヒーッ!成功だネェー!非検体3号は圧倒的、圧倒的な成功!ゼツメツ・ニンジャのソウルが入った!最強のゾンビーニンジャの誕生だ……!」リー先生の耳障りな笑い声。カプセルが開き…彼は歩み出る。濁った目で、ガラスに映る己の姿を見た。鉛色の体。目鼻口から出血。 

「……アバー……」彼は呻いた。鎖が鳴った。拘束されているのだ。実験動物めいて。「アーン!リー先生、駄目ですわ!組織崩壊はやっぱり止まりませんわ!」豊満な女が何か叫んでいる。彼はふらつきながら歩き、後ろを振り返った。「ゼツメツ」と極太書体でラベルされた、もう片方のカプセルを。 

 プシュー。白衣スモトリたちの手で、ソウル抽出元カプセルが開かれる。その中で手足を折り曲げ倒れ、ミイラめいた死体に変わっていたのは……本来のゼツメツ・ニンジャソウル憑依者だ!黒く変色した肌。白く長い髪。ナムアミダブツ!その乾燥死体は、半開きの濁った目で、被検体3号を……見た! 

「アバー……俺は……俺は……」「リ、リ、リー先生!し、し、喋りました!3号が喋りました!」男の助手が困惑する。「俺は……アバー……誰だ……?」「知性がありそうですわ!」「これは凄い!高位ソウルがもたらした知性かもしれないねェー!INWゾンビーニンジャ第3号!ジェノサイド!」 

「俺は……俺は……ジェノサイド」彼は何度もそれを繰り返した。「アーン!リー先生、こっちの搾りカスはどうすれば?」「爆発四散してないネェー、これはカロウシしたのだ。そんなの興味ないからゾンビ犬のエサにしなさい。私はジェノサイドをもっと詳しく調べねば!」「アーン!先生、私も!」 

 白衣スモトリたちは、乾涸びた死体を処理袋の中に詰め込んだ。それは小さく唸った。その場の誰にも聞こえぬ声で。(((……ジェエエエエエノ、サイイイイイド……))) 

「ジェエエエエノ、サイイイイイド!」突如、ジェノサイドの聴覚と視覚が戻る!「……喰いやがったぜェー、俺を、俺の腕をよォー……!」タタミ3枚の距離で、エルドリッチは負傷した左腕をだらりと垂らし、右腕でソードオフショットガンを撃つ!BLAMN!ジェノサイドはこれを反射的に回避! 

「ARRRRRGH!」虐殺の獣めいた唸り声で、ジェノサイドは飛び掛かった!理性は消し飛ぶ!さらなる肉を!さらなる記憶を求めて!「ARRRGH!」鈎爪めいて強張らせた手で、左右に切り裂く!「あぶねェー」相手はこれを紙一重のダッキングで回避!脇腹に密着ショットガン!BLAMN! 

 ジェノサイドは脇腹を吹き飛ばされ、本体も回転しながら吹っ飛んだ!だが意に介さず、着地から再び襲いかかる!「ARRRRGH!」「面白くなってきたぜェー……何か思い出したようなツラだなァー。俺には解るぜェー。何しろ、俺たちは繋がってるからなァー」エルドリッチもネクロカラテ応戦! 

「ジェエエノ、サーイド、お前は俺だァー……!」SMAAASH!エルドリッチのネクロカラテ前蹴りが、顎を蹴り上げる!ジェノサイドは仰け反ったまま、ネクロカラテ正拳突き!CRAAAASH!「効いたぜェー……」ふらつくエルドリッチ!ジェノサイドがその肉に喰らいつこうと飛び掛かる! 

「やらねェー」エルドリッチは素早く飛び退き、ソードオフショットガンで射撃!BLAMN!「ARRRGH!」ジェノサイドの片腕が肩から爆ぜる!「喰われるのはごめんだぜェー、てめえをバラバラにして、殺して、搾り取って、返してもらうからなァー。このニンジャ喰いのバケモン野郎ォー…」 

 いまやジェノサイドの腐敗した心臓は、ゼツメツ・ソウルがもたらす殺戮衝動に満たされていた!崩壊しかけた肉体をカラテの力で動かし、恐るべき瞬発力を生むと……飛び掛かる!「ARRRGH!」ショットガンを構えた腕を薙ぎ払い、殴りつける!「アバーッ!」BLAM!散弾は明後日の方向へ! 

 ゼツメツ衝動に身を委ねれば、この男を丸ごと貪り食えるやもしれぬ。だが、その先に何が起こるか。暴走した彼はストリートを血の海に変えるまで、盲目的に殺し続けるだろう。これまで何度もそうして窮地を切り抜けた。あるいは……それよりも酷い何かが起こる。何しろ、この男の肉は“特別”だ。 

「殺してやるぜェー」エルドリッチが鎖鎌で死の円弧を描く!アブナイ!「ごちゃごちゃうるせェー……!」ジェノサイドはそれをつかみ取り、死者の握力で砕いた!ゴウランガ!「やべェー」「イヤーッ!」踏み込んで重いネクロカラテフック!「アバーッ!」顔面を殴られよろめくエルドリッチ! 

「俺は…」ジェノサイドはさらに踏み込み、ネクロカラテボディブロー!命中!「ちくしょォー」敵は大きく体勢を崩す!「俺は…!」ジェノサイドは残った片腕を大きく後ろに引き、タメを作る。「やべェー」「……ジェノサイドだ!」SMAAAAASH!エルドリッチは砲弾めいて弾き飛ばされた! 

 CRASH!CRASH!CRAAAASH!エルドリッチの身体は、廃教会のガラスと壁を何枚も突き破って飛び、ガレキに埋もれた。「……Arrrrgh……」ジェノサイドはゼツメツ衝動を堪えるように、唸った。そして、サツバツとした風が運んできたウエスタンハットを掴み、被り直した。 

 片腕のまま、ジェノサイドは横を向いた。ビュウウウウウウウウ……再び激しい突風が吹き、ぼろぼろの帽子を飛ばそうとした。彼はそれを押さえ、つばの下から敵を睨んだ。敵。それはいまや、彼以外の全員であった。裏切りに気づいたギャングとヤクザは、全員で彼に銃口とカラテを向けていたのだ。 

「一時共闘だ!アマクダリのために!」ブラックハンドがサルーンの屋根の上で手勢に呼びかける。「お尋ね者のハッカーゲイシャが地下を攻撃している!」反対側の屋根の上にはドレッドノート。「死体野郎はヨージンボー戦術で我々の共倒れを画策していた!」「攻撃目標ロック!視界リンクせよ!」 

「ケッ、仲のいい事だぜ」ジェノサイドは吐き捨てた。じゃらり。袖から鎖が垂れ、片腕がバズソーを回し始めた。首領二人の攻撃命令を待ち、兵隊共が固唾を呑む。「ナメおって!貴様の真の狙いを言え!」ブラックハンドが威圧的に問うが、死体は歩き続ける。「貴様、それ以上近づくんじゃねえ!」 

 ((((殺すのは俺の仕事だ、祈っといてくれよ)))ジェノサイドはさらに大きく、鎖付きバズソーを回転させ、駆けた。何か己のうちの聖なるものを忘れぬよう、呟きながら。「ホーリイ」無数の銃口が待ち受ける敵陣に向かって。「俺は」「「殺せ!」」敵が抹殺命令を下す!「ジェノサイドだ!」 

 その瞬間、蝗は解き放たれた。ギャング団アジトの制御UNIXとの狭域無線LANを経由して密かにウイルス感染していたGNマサルVIのサイバーサングラス。そこから周囲にいたテクノギャング全員へと。強烈なノイズが一瞬、テクノギャング全員とドレッドノートの視界を蝗の大群めいて覆った。 

 集中豪雨めいた銃弾の中を死者は突き進んだ。バズソーを弾避けに使ったが、かなりの肉が抉り取られた。彼はまずヤクザ側の中央に飛び込んだ。『ならば見よ』SPLAT!SPLAT!死者が振り回す回転バズソーで、即座に十数人が死体に変わった。「「「アバーッ!」」」『私は蝗を解き放つ』 

 ギャングが混乱する間に、たちまち殺戮の嵐が吹き荒れた。回転バズソーは甲高い唸りを上げた。『そして見よ』ブラックハンドが飛び掛かり、心臓に向けてヤミ・ケン手刀を放った。ジェノサイドはそれを受けた。代わりに腕を掴み、敵の肩口に喰らいついた。『それは汝の地に育つ木を全て食い倒す』 

 ギャング団がサイバーサングラスを放り捨てた時、死者は既にヤクザの半数を殺し、ブラックハンドの首を噛み千切り、咀嚼していた。ドレッドノートがまとめて射殺すべく命令を下した。集中した銃弾が死者の胸を、腹を、あるいは頭を貫通した。ブラックハンドは射殺されたが、死者はなおも動いた。 

 死者は叫び、バズソーを振り回しながら反対側のサルーン屋根へ大跳躍を打った。撃ち抜かれた彼の肉は、即座に再生された。『それは先の災いを逃れたものを喰らう』ギャング団は戦慄し、失禁し、逃げ惑い、あるいは赦しを請うた。だが彼は容赦なくバズソーを振るい、鎖の届く全てを肉片に変えた。 

 ストリートは血飛沫と臓物と切断された四肢で満たされ、地は見えなくなった。崩壊してゆく自軍を前に、いよいよドレッドノートが挑みかかった。両者は激しくカラテを打ち合い、彼はサイバネ義手で死者の牙を防いだ。だがついにはネクロカラテが勝り、回転バズソーが義手を、次いで脚を切断した。 

 死者は彼を喰らい終えると、再び殺戮を始めた。いつしか腕は繋がり、死の嵐は強さを増していた。最後に残ったのは、恐怖に狂った赤毛のレッサーヤクザであった。それは老人を抱え、銃を突きつけ何事か叫んだ。ジェノサイドには何も聞こえなかった。彼はバズソーを投擲し、最後のヤクザを殺した。 

 BLAM!ツルギ老人のこめかみに当てられていた銃は手首ごと切断され、回転しながら空を飛び、銃弾は鐘つき台の鐘に命中して鳴った。レッサーヤクザは首から噴水めいた血飛沫を上げ、老人とともに後ろに倒れた。 

 弔鐘めいた鐘の音がストリートに響いた。敵の気配はもはや無し。ジェノサイドは近くのギャングの死体から二枚の布を引き剥がすと、その一枚をバンダナめいて巻き、己の目から下を覆い隠した。それからツルギ老人に歩み寄り、抱え上げ、彼の肩口の傷にもう一枚を強く巻いて止血した。 

「旦那、どうなった」ツルギ老人は苦しげに問うた。ジェノサイドの顔は布に隠され見えなかった。空はいつのまにか黒い雨雲に覆われていた。「ブッ殺してやった」彼は吐き捨てるように言った。「ヤクザも、ギャングも、全員、ブッ殺してやった。命乞いする奴も、逃げる奴も、全員だ。ゼツメツだ」 

 老人は何か言おうとしたが、言葉に詰まった。「……わかったろ、ロクなもんじゃねえのさ」ジェノサイドが言った。 

 

◆◆◆

 

 ロービットマインは、解放を祝う声に満ちていた。爆破の恐怖に怯えていた採掘労働者らが、そして弟子たちの手でフートンごと抱えられたクラタ・メイジンが、ホリイに先導され出口へ向かった。彼女が歩むと地下の検問装置は自ずと開き、彼女が手をかざすと天井の自動操縦マシンガンは頭を垂れた。 

 地上の有様を、ホリイは把握できていなかった。決闘場のカメラは破壊され、ネットワークも沈黙していたからだ。ギャングかヤクザが健在ならば、まだ戦いが待っている。ならば、ともがらを偽りの希望に導いているのかもしれない。だが彼女の表情は力強かった。疫病と死者の力を信じていたからだ。 

 ホリイは人々を連れ坑道を歩き、橋を渡った。再び黒いフードを被った彼女は、どこか近付き難く、恐ろしげなアトモスフィアを纏っていた。しかし近寄って仰ぎ見れば、何も変わらぬホリイの顔があった。「教えて」採掘労働者の少女が、両親の止めるのも聞かず、岩がちな道を走って彼女に近づいた。 

「教える?何を」ホリイは歩みを止めず微笑みかけた。マグロめいていた少女の瞳にはいまや、坑道を照らすボンボリめいた灯りが宿っていた。「……妖術を」少女はその言葉が両親や神々の耳に届かぬよう、囁くように言った。「妖術ね」ホリイは小さく笑った。彼女は何を為すべきか見いだしていた。 

「いずれ教えてあげるわ。貴女には力がある。いずれ、世界をも裏返すほどの力が。私もそれを、この街で学んだの」ホリイは言った。かつてクラタ・メイジンから授かった言葉の通りに。「ありがとう」少女はそれを聞くと驚き、世界の真理の一端に触れたような顔で、両親のもとへ走り戻っていった。 

「……ホリイ」フートンごと抱えられたメイジンが、彼女の横に近づいた。その目はもはや盲目に近く、衰えた体力はサイバネ手術も受け付けぬ。「……なぜ戻ってきたのか」「……センセイ、私の運命は、私が考えていたよりも遥かに強く、この街に接続されていました」ホリイは気丈に答えた。 

「……そうであったか」メイジンは白く長い髭を撫でた。「……ナカニ・ストリートが暗黒へ向かっていると悟った儂は、有能な弟子たちを全て外へと送り出し、連絡も絶った……」「わかっています」ホリイが頷いた。「ですが、外の世界も同じでした。探究心を持つ者は皆、隠れ住まねばなりません」 

「……そうであったか」メイジンは再び頷き、髭を撫でた。「……ここに残るか?」「センセイ、私が邪魔でなければ」「……邪魔なものか」メイジンは小さく笑い、それ以上はもう何も問わなかった。ホリイたちは坑道を出で、荒廃したギャングビルへと到達した。戦える者たちはトミーガンを取った。 

 地上は重金属酸性雨が振り、血を洗い流し始めていた。「何もない街」というネオン看板がバチバチと鳴った。ホリイの両脇には銃を持った数名の男が控え、後方には襤褸布を纏う移民めいた一団が続いた。ホリイは遠い教会の十字架に祈った。(((神よ、死者と共に歩む事を祝福してくれますか))) 

 そして一団は見た。ストリートの反対側から、老人を抱えてやってくる、異様なアトモスフィアの偉丈夫の影を。ぼろぼろのカソックコートにウエスタンハットの男を。その口元は黒布で覆われていた。ホリイは後続の男たちに待つよう言い、一人で雨の中を走り、ジェノサイドのもとへ駆け寄った。 

「……arrrgh……ホーリイ」ジェノサイドが歩き続けながら言った。雨に濡れたコートからは、おびただしい返り血が滴った。「気を失った爺さんを、サルーンに運ぶ。それが、この街でやる最後の仕事だ」「……最後の?」ホリイは狼狽した。これまで保ってきた気丈な表情が、見る間に崩れた。 

 ジェノサイドは答えなかった。「最後の?」ホリイはもう一度聞いた。「最後だ」彼は歩みを止めずに言った。「出て行くの?」「もっとクソみてえな場所の方が、俺にはお似合いだ」「サルーンが気に入ってたのなら、この街に留まったって」「いいか、俺の後には厄介な野郎が纏わりついて来るんだ」 

「アマクダリのこと?」「棺桶に入った野郎だ」ジェノサイドは苛立たしげに言った。「俺を追い回してる」戦闘の後、ガレキの中にもはやエルドリッチの痕跡は無かった。ハッパ棺桶も、忽然と消えていた。ジェノサイドには感じ取れた。あの男がまだ生きており、一時的に遠ざかっただけである事を。 

「私も一緒に」ホリイは衝動的に言いかけて、堪えた。そして、20メートルほど離れて恐る恐るついてくる一団を振り返った。いま、ナカニ・ストリートには自分の力が必要だ。ギャングとヤクザの支配は終わったが、いずれまた、新たな災いがやってくるだろう。 

「まだ何も」ホリイはフードを上げて言った。涙は雨が隠してくれた。「あなたにしてあげてない」「…arrrrgh……なら、ホーリイ」死者はサルーンの灯りを認めて頷いた。「行く前に一杯だけ、付き合え。強いスピリットでも呷って、歯に詰まったクソみてえなスモーク臭を、洗い流すからな」 



【ウィアード・ワンダラー・アンド・ワイアード・ウィッチ】終


N-FILES(設定資料、原作者コメンタリー)

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あらすじ:覇権を巡ってヤクザとギャングが抗争を行うナカニ・ストリート。現れたジェノサイドが小競り合い中の双方の兵隊を虐殺し、サルーンに居座ったため、両勢力に緩衝地帯が生まれ抗争は鈍化。両陣営はジェノサイドをヨージンボーに引き入れ、敵勢力を一気に叩き潰そうとしていた。そこへ、この街で生まれ育ったコードロジストのお尋ね者、ホリイ・ムラカミが流れ着く……。メイン執筆者はフィリップ・N・モーゼズ。

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