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「かつて天才だった俺たちへ」をかなり聴いている 他(本兌有)


20200916

少し涼しく、過ごしやすくなってきました。いかがお過ごしでしょうか。


「かつて天才だった俺たちへ」をかなり聴いている

Creepy Nutsの新曲「かつて天才だった俺たちへ」が凄く凄く良い曲で、かなりリリックに感動してしまった。俺、昭和の人間で随分長く生きてきたものですが、本当にこの歌の内容に共感してしまうな。

中学校の頃、ピアノがすごいうまい山田くん(名前忘れたので仮名)がいたんだけど、彼が壇上でピアノを弾くと、「エッ……男?」みたいにざわついたり「男がピアノwww」とかバカにしてる奴とかいた。「男がピアノwww」とかバカにしてたやつはピアノ当然弾けないのに、そいつよりなにか打ち込んでいるものがあるわけでもないのに、上からバカにして否定する社会が、そこにできていた。子供心にもそういう足引っ張り社会に対するすごい怒りを胸にビキビキ育てながら俺は育った。べつに学校が「目立つ奴を嘲笑しよう」なんていう具体的な悪意の教育をしてるわけじゃないんだけど、「極めて限られたジャンルの集団労働だけに最適化されたような教育」が結果的にそういう風潮を形作っていったさまがそこにあった。一箇所に集められ、ああしなさい、こうしなさい、って洗礼されていくうちに、人は最適な態度を学んでいってしまうのだ。インスピレーションに罪悪感を覚えるようになり、「俺はああいう風にバカにされないように目立たないようにしとこ」となり、最悪、なんか違うやつがいると嘲笑したり足を引っ張ったりすることを楽しみにするようなすさんだ人間に育っていくこと、宇宙の天秤が、穏やかに他人を認め合うすこやかな秩序の世界から遠ざかっていく……そういうのが嫌だった……。

話は逸れたように思えるが逸れてない。この歌ではまさにそういう記憶と怒りを俺に喚起する。かつて神童だった誰もが、他人に笑われたりつっこまれたりして気にしていっているうちにどんどん挑戦意志を潰していって「見る影もない」状態に仕上がっていくやるせなさについて歌われている。他人からのからかい、否定は、悪意のない、すごく気軽で気楽な、くだらない攻撃だ。だけどそれが社会を形成し、ボディブローみたいに効いていく。笑ったりつっこんだりしてくる奴らは人生になんの責任もとらないが、それでいてそのコントロールのパワーは強い。成長の過程で俺たちはそういった理不尽なコントロールの影響からフリーではいられない。しかし、そのうえで、今からでもまだやれるんだよ、つって。今からでも俺もやっていくんだ、つって歌ってる。それが、もう泣けちゃうんだよな。人の人生は、自分で自分を救おうとして、自分が思うあるべき自己を取り戻していく獲得の歩みであり、成長の過程で周囲から不本意に押し付けられたものから、自ら選び取ったものに少しずつ入れ替えていく行いの連続と蓄積、不断の戦いだ。俺も貴方も、いまだに広がり続ける銀河であって、やっていくんだ。そういうことを思ったのだった。


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