【チューブド・マグロ・ライフサイクル】
この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードの加筆修正版が、上記リンクから購入できる第2部の物理書籍/電子書籍第3巻「荒野の三忍」に収録されています。また、第2部のコミカライズがチャンピオンREDで行われています。
【チューブド・マグロ・ライフサイクル】
1
基盤めいて整然と走るアッパーガイオンの街路に、夕暮れ刻を報せる鐘の音が鳴り響く。サイバーサングラスで眼を保護した観光客らは、五重塔のシルエットに重なった沈み行く夕陽をカメラに収め、キョート・リパブリックの誇る奥ゆかしい美しさに感服していた。
同時刻。数百メートル真下。アンダーガイオン下層部の工場エリアでも、第1シフト労働終了を告げる雅楽的サイレンが鳴っていた。地下都市アンダーガイオンに夕暮れは無い。ガコン、ガコンという武骨な機械音が上空で鳴り響き、擬似太陽が消灯される。ディジタル的に一日のサイクルが形作られる。
オレンジ色の作業服を着た労働者ヨシチュニ・ヒロシは、監視ゲートで労働賃金を受け取ると、オミヤゲ・ペナント工場を後にした。労働者の群れは、今夜のスシや電脳マイコセンターを求め、魚群めいてオイシイ・ストリートへ向かう。ヒロシも数時間ぶりにIRC端末を操作しながら、流れに乗った。
労働者達は、マグロ&ドラゴン社の経営するファストフード・チェーン店「ネギトロ・ゲンキナ」の列に並んだ。後頭部に極彩色のLANチューブを何本もインプラントされて尾びれを動かす、マグロの立体カンバンがトレードマークだ。「全機械化」「人件費が無くて安い」などのノボリが威勢よく躍る。
店内に席は無い。ヒロシは硬貨をスリットに入れ、重点シールが貼られた「ネギトロ」ボタンを押す。オブツダンめいた小型ドアが静かに開き、樹脂製ドンブリに入った米が落下してくる。続いて蛇口めいた装置が突き出し、旨そうなネギトロをトッピングした。ヒロシはそれを持って店外に出る。
アンダーガイオンの夜は暗い。ヨシチュニは下層行きリフトに向かって路地を歩く。彼はまだ若く、未来に漠然とした希望を抱いていた。いつかこのサイクルから抜け出し、観光業に就いて上層に行くのだと。そのためにもマグロは欠かせない。上質なウマミ成分はニューロンをテクノ活性化させるからだ。
むろん、ドンブリ・ポン社やマグロ&ドラゴン社のケミカル加工ネギトロには、テクノウマミ成分など含まれていない。知能指数が上がった気がするのは、プラシーボ効果だ。リアル大トロ粉末などは、ヤクザが闇社会で流通させており、目が飛び出るほどの末端価格となっている。ヨシチュニとは無縁だ。
「ニィイイイイーッ!ニィイイイイーッ!」ネギトロの臭いをかぎつけ、路地裏に隠れていた薄汚い鹿が駆け寄ってきた!「アイエエエエエ!?」携帯IRCに熱中していたヨシチュニは、接近を許してしまう!ウカツ!鹿たちは彼の手からビニル袋を引っ手繰ると、重金属粉塵まみれの地面に叩き落とす!
「ブッダファック!」ヨシチュニは口汚い罵りの言葉を吐きながら、鹿を追い払おうとする。だが暴力を振るうことはできない。鹿はブディズムにおけるホーリーアニマルであり、キョートでは手厚く保護されているからだ。ガイオン上層で観光客を楽しませる高貴な鹿はむろん、下層の鹿も同様である。
このまま彼はマグロを奪われてしまうのか?その時!大型サファリカーめいた武装車がストリートに止まり、鹿を引き寄せる特定周波数テクノを流した。鹿たちが引き寄せられる!「ドッソイオラーッ!」「ニィイイイイーッ!?」車の屋根に乗っていたスモトリ作業員が、サスマタで容赦なく鹿を捕獲!
大型武装車の中には、すでに十数匹の鹿が捕獲されているようだ。それとは別に、数名の下層労働者が乗っている。「これは何ですか?」ヨシチュニは運転席に近づく。助手席にいたガスマスクの男が、運転手に何か指示した。運転手はにこやかに答える。「ドーモ、簡単なアルバイトをしませんか?」
「どんなアルバイトですか?」「……まあ、鹿に関することだよ。見ての通りね。市当局の許可も得てる、合法な仕事だ。今乗るなら、すぐに1万円渡すよ。市民証、見せて」運転手がスキャナをかざす。ヨシチュニ・ヒロシ。20歳。第9階層。選挙権無し。身寄りも無し。理想的なアルバイターだ。
「乗らないンなら、もう行くよ?」「アッハイ、乗ります」ヨシチュニは慌てる。黒いスーツを着た、双子のように同じ背格好の作業員が後部ドアを開け、懐から機械的な動きで万札を取り出してヨシチュニに渡した。それから携帯IRC端末の電源を切らせると、彼を鹿といっしょに車内に詰め込んだ。
一体何のバイトか、とヨシチュニは少しだけ不安になった。幸いにも、仕事上がりにタノシイドリンクを飲んだので、彼の思考はたいへんポジティブである。最下層やネオサイタマなら、このままどこかに拉致されて臓器を取られてもおかしくないが、ここは第8階層だ……そんな無法、あるワケがない。
「ネコ、ネコ、カワイイー…!ネコ、ネコ、カワイイー…!」錆び付いたスピーカから無機質なカワイイテクノが流れる。そこは観光バスほどの広さで、椅子は無い。人間と鹿は金網で分けられていた。車内は鹿糞尿の悪臭で満ちているが、彼は気にせず踵でリズムを取り、ネギトロを胃袋に詰め込んだ。
フフッ、思いがけない副収入だ、とヨシチュニはポケット内の万札の手触りを確かめた。それからボロボロの観光ハンドブックを取り出し、キョートの歴史を勉強する。2年前に旅行者から貰ったものだ。いつか優秀なガイドになるためには、キョートの地理や歴史や遺跡に詳しくなければならない。
ネコネコカワイイのCDを買ったら、残ったカネは手術のために貯金しよう、と彼は考える。違法サイバネ手術を受けて脳内HDDとバイオLAN端子を埋め込めば、外国語を覚えたり年号を暗記する手間は省けるはずなので、今勉強するのは大まかなイメージだけで十分だ、とヨシチュニは考えていた。
ページを手繰る指は、アッパーガイオンのオイラン地区情報でぴたりと止まる。「十万円かア……スゴイんだろうなア……!」考えたことも無かった。ポケットの中に指を伸ばし、万札を撫でる。バイトが終わる頃には、十万円が手に入っているかもしれない。そう考えると、ケミカルな笑みがこぼれた。
「トンネル入るドスエ」電子マイコ音声が流れ、窓の外の装甲シャッターが下りると、光は薄緑のLED灯だけになった。さて、勉強は終わりだ、とヨシチュニは本を閉じる。そして車内を見渡す。彼は最近「ガイドに必要不可欠なのは、観察力とコミュニケーション能力だ」という大きな事実を知った。
(((その2つなら、生まれた時から得意だ)))ヨシチュニは笑みを浮かべる。車内の人数は、ざっと10数名。自分よりいくらか歳上の、ぼんやりとした表情の労働者、パンクス、無軌道学生がほとんど……だがその中に一人だけ、明らかに眼の輝きの違う男がいた。ヨシチュニは興味を惹かれた。
鹿にセンベイを与えるその男の眼は、しかし、サツバツとした危険な輝きを宿していた。細身のサイバーブルゾン。腕と脚に金属製ギプスめいたパンク装飾。ターコイズ色のモヒカン。眉は剃り落とされ、焦燥に満ちた青い眼は、サンドペーパーで擦られたビー玉のようにザラついたアトモスフィアだ。
「ドーモ、ヨシチュニです」「ドーモ……マサムネです」モヒカンは彼を観察するように上から下まで眼を二度往復させ、そう言った。予想外に、秘めた知性を感じさせる物腰だった。「……何で俺に話しかけた?」「コミュニケーションの練習で」ヨシチュニが屈託なく笑う「観光ガイドになるために」
「ハッ!」マサムネは嫌世的に短く笑う「……それだけか、それだけか……」「期待外れでしたか?」ヨシチュニが聞く。マサムネは周囲を見渡してから、声を潜めて言った「お前はこの中で一番マトモだ。若いからだろう。だから話す。俺には記憶が無い。だが前に一度、俺は、同じバイトに行った」
「アイエッ?」ヨシチュニは混乱した。タノシイドリンクの効果が、理性によって薄れ始める。この武装車はどこか、とても危険な場所へ向かっているのではないかという、漠然とした不安が鎌首をもたげ始めた。「どういう事ですか?」「覚えていない。とても大切で、しかし危険な事だった気がする」
「ちょっとわからないですね」ヨシチュニが返す。「俺はパンクスに変装し、この鹿狩り車が来るのを待っていた。何故変装したか?俺はかつて……どこかから脱走した気がしたからだ」「どこかっていうのは、まさか…」「これから向かう先だ」マサムネは低い声で言った。眼がぎらぎらと輝いていた。
2
「エー、では次の人、中に入ってください」白衣を着たヨロシサン製薬の研究員が、サイバーメガホンで新たなアルバイターを呼んだ。白セルロイドの上から強化プラスティックでコーティングされたような、チューブめいた無機質な廊下には、白い清潔な服を着せられた下層労働者数名が列を作っている。
列の先頭にはヨシチュニ・ヒロシ。少し緊張していたが、研究員の物静かな顔とヨロシサン製薬のバッジを見て、落ち着きを取り戻す。(((そうだ、これはヨロシサンの新薬実験だ。大手企業じゃないか、安心だ!信頼感!儲かる!)))笑顔を作り、研究員に小さく一礼する。そしてフスマに向かった。
「おい、俺に先に行かせろや…」粗暴な腕がヨシチュニの肩を掴んだ。列の最後尾に並んでいた屈強な体つきの男で、名はヨダギ。岩から削り出されたように彫りが深く、筋肉質の体はヨシチュニの2倍の重量を誇る。「これで仕事は全部終わりなんだろ?とっとと帰って、オイランハウスに行きてえんだ」
「なあ、どうなんだい?」ヨダギは首を鳴らしながら研究員に問う。廊下の天井に備わった銃口付ビデオカメラ2機が自分の頭を捕捉していることに、彼は気付いていない。「いいですよ、どうぞ」研究員は壁のボタンを押し、ヨダギを小部屋に入れて「すみませんね」とヨシチュニに笑いかける。
2畳ほどの小部屋にヨダギが入ると、後ろでドアが閉まった。目の前には分厚いドアが。壁にはヨロシサン製薬の各種ドリンク自販機が埋め込まれ、カネを入れなくても自由に飲める。正面ドアに貼られたポスターには「静かに待ってください」「開くと奥へ」と、蛙と兎が吹き出し付きで解説していた。
少しして「開くドスエ」と電子マイコ音声。前方のドアが開き、圧縮空気が仰々しく排出される。「何だ、こりゃア……?」ドアから出たヨダギは驚嘆した。目の前に広がっていたのは、爆撃されたビル街めいた広大な廃墟である!BLAMBLAMBLAM!いずこかで銃声!「アイエエエエエ!」悲鳴!
「ウオオオーッ!?」困惑するヨダギ!後方でドアが自動的に閉じる!「もはや後戻りはできないドスエ」無機質な電子マイコ音声!「壁に掛かっている武器で武装ドスエ」ヨダギはドアの左右を見た。なるほど、確かに壁があり、各種装備が吊るされている。ここは恐ろしいほど巨大な戦闘実験室なのだ。
「ニイイイィィィーッ!」鹿の鳴き声が聞こえる。妙な胸騒ぎを覚える。「ブッダ!何が起こるってんだ!?」ヨダギは戦争映画のワンシーンを思い出しながらプロテクター付きの防弾ベストを纏い、ガレキから足を守るためにコンバットブーツを履く。それからオートマチック拳銃とカタナで武装した。
待合室で飲んだ四本のバリキドリンクと2本のコブラZが回ってきたのか、ヨダギは眼を血走らせ、歯を喰いしばり、ベトコンめいた形相でガレキの中を駆け抜ける。「畜生め、何だろうとやってやるぜ、ブッ殺してやる!」小高い場所に上ると、20メートルほど先にマシンガンで武装した人影が見えた。
(((あれを殺すのか?)))ヨダギが身を屈める。だが違った。マシンガンを持ったアルバイターは、別な方向にフルオート射撃を繰り出したのだ!「アイエエエエエ!アイエエエエエ!」アルバイターの絶叫!(((何だ!?マシンガンを持ってる奴が、あそこまでビビるような敵とは何だ!?)))
「ニィイイイイイーッ!」鹿の声!?「アイエエエエ!」断末魔の絶叫が響き渡る!四本足の黒い影が恐ろしいスピードで走りこんできて、一瞬でマシンガン男をキリタンポめいた死体に変えたのだ!そしてその奇怪な影は、今度はヨダギめがけて一直線に接近してくる!ヤリの穂先をぎらつかせながら!
「鹿!?人間!?…違う!」ヨダギは拳銃を乱射しながら、おそるべき敵の姿を見た。ナムアミダブツ!それは常人が正視してはならぬ、あまりにもおぞましき姿!逞しい大型バイオ鹿の四本足に、人間の上半身!しかも上半身はニンジャ装束に包まれている!「アイエエエエ!アイエーエエエエエエ!」
「ニィイイイイイイーッ!ニィイイイイイイーッ!」ギリシャ神話のセントールを思わせるそのニンジャ存在は、ガレキの山で作られた悪路を軽々と踏破し、駆け上り、銃弾を回避して、右手に構えた電磁ヤリを容赦なくヨダギに向かって突き立てた。…ヨダギは悲鳴を上げる間もなく、一瞬で絶命した。
◆◆◆
モニタ室。全方位を防弾ガラスに覆われ、安全な高所から最新のバイオニンジャ被検体「セントール」の戦いぶりをモニタできる。室内には主任研究員のヨシダ先生、そしてザイバツ・シャドーギルドから監視役兼施設防衛役として派遣されたエージェント、スカベンジャーがいた。彼は当然ニンジャだ。
「今後想定される戦場の九割は、市民ゲリラを相手にした廃墟での戦闘。四本足なのでその辺は得意です」ヨシダ・アモト先生が解説する「しかも半分鹿なので、日本人は攻撃を躊躇します」「冒涜的なバケモノだな…」濃紫色のニンジャ装束を纏ったスカベンジャーは、メンポの奥で自嘲気味に呟いた。
「しかしヨシダ=サン、問題はニンジャだ…」スカベンジャーが問う「鹿と人間をヨロシサン製薬のバイオ技術で融合させ、最強の殺戮マシーンを造り出す……そこまではいい。だが何故、あいつはニンジャなのだ?」「あれは……」ヨシダ先生は口ごもる「偶然の産物なのです、爆発事故によって……」
「爆発事故によって偶然ニンジャソウルが憑依した、と……?」スカベンジャーが射竦めるような目で主任研究員を見る。「ハイ」とヨシダ。「……ザイバツはニンジャソウルに対する実験行為を禁止している。支配階級たるニンジャがモルモットめいた扱いを受けては、我らの理想が揺らぐからだ……」
「ハイ、リー先生は狂っていました。彼はもうヨロシサン製薬の人間ではありませんから、無関係です」ヨシダは理想的な回答を返す。ソウカイヤ壊滅後、リー先生はザイバツの後ろ盾を求め、両者間で協力体制が築かれかけたが、彼の実験はあまりにもシャドーギルドの理想にとって有害であったのだ。
「……まあ、堅苦しい話は抜きにしよう、ヨシダ=サン」スカベンジャーが小さく笑う「心配は無用だ。俺の見立てでは、セントールの実験に何も問題は無い。そしてそれが、ザイバツ・シャドーギルドの答えだと思って構わん。少なくとも、俺がヨロシサン実験部門の監視役である限りはな……」
「ハイ。では、次のアルバイターを投入しますか?」ヨシダ先生がボタンに手をかける。「いや、待て」そう言いながらスカベンジャーは、自らの掌を天井のライトにかざした。血管の中を、緑色の特殊細胞が流れている。「ヨシダ先生、あんたが施してくれたバイオ手術の成果を、実戦で試すとしよう」
◆◆◆
「イヤーッ!」スカベンジャーは中央モニタ室の床を開け放つと、軽やかに前方回転しながら眼下の戦闘実験区画へと降下!「イヤーッ!」崩落した四階建てビルディングの給水塔、隣のビルの「おうどん」カンバン、さらに隣のビルの「ザンダー」カンバンを蹴り渡り、ガレキの山の上に着地した!
「ドーモ、セントール=サン、スカベンジャーです」流れるようなアイサツ。背後で崩れ落ちるカンバンが、日常と地続きのポストカタストロフィー感を醸し出す。「ニィイイイーッ……ドーモ、セントール……です……」異形のニンジャもまた、鹿めいた知性を振り絞り、ぎこちないアイサツを決めた。
オジギ終了から、わずか0.5秒!「ニィイイイーッ!」狩猟本能に衝き動かされたセントールは、後脚で棹立ちになってから、電磁ヤリを水平に構えて一直線に騎兵突撃を敢行!廃墟と化したビル街を神話的生物兵器が駆け抜ける光景は、とてもコワイ!古事記に予言されしマッポーの一側面なのか!?
「イヤーッ!」スカベンジャーは2枚のスリケンを投擲!さらに前宙でセントールの突進を回避!「ニィイイイーッ!」胸に2枚のスリケンが突き刺さり血が吹き出すが、怪物は意に介さない!すぐさま突進を中断し、後方を取ろうとする敵めがけて鹿めいたキック!「ニィイイイーッ!」「グワーッ!」
肋骨胸骨粉砕!ワイヤーアクションめいて吹っ飛び、黒焦げのビル壁へと叩きつけられるスカベンジャー!間髪入れず、電磁ヤリをぐるぐると回しながら、セントールが突進してくる!「ニィイイイーッ!」「グワーッ!」電磁ヤリがスカベンジャーの腹部を貫通!壁に串刺しにされ動けない!ナムサン!
ここでスカベンジャーに不可解な動き!自らのニンジャ装束の懐に手を差し込み、何か小型の……キノコじみた物体を取り出す。これは一体!?だがそれを口元へ運ぶ寸前、セントールのフックが叩き込まれた!「ニィイイイーッ!」「グワーッ!」続けざま顔面へと左右のカラテ連打!吹き飛ぶキノコ!
さらにセントールの猛攻!前脚で腹部にケリキックを連発する!「ニィイイイーッ!」「グワーッ!」二本の腕と二本の脚が同時に襲い掛かる非人間的カラテ!ヨシダ先生は緊急停止ボタンに指をかける!だが「止めるなよ!実戦に緊急停止は無い!」スカベンジャーが右手を掲げ人差指を左右に振った!
半死の状態でも、彼の戦意は未だ衰えていないのだ!「イヤーッ!」電撃的なチョップでヤリの柄を破壊し、窮地を脱する!さらにセントールの肩を踏み台にして跳躍し、傾いたビルの壁を蹴って、反対側の屋上へと着地!そして胸元から再び……キノコじみた物体を取り出し……咀嚼するというのか!?
……一方のセントールは、禍々しい割れ蹄を打ち鳴らして怒りを露にすると、自らも逞しい四本足でビル壁を蹴り、マウンテンゴートめいた巧みさで垂直移動。血の跡を辿り、手負いの獲物を追う。人間の狡猾さと、野生動物の狩猟本能、そして邪悪なニンジャソウルが三位一体となった……冒涜的怪物!
屋上で獲物を発見!背を向けている!セントールは大角を低く構えて肉弾突進!だが、振り返ってジュー・ジツを構えたスカベンジャーの目には余裕の笑み。ナムアミダブツ!腹部の傷が泡立ち、驚くべき速さで肉体再生が行われているではないか!「ニィイイイーッ!」「イヤーッ!」交錯するカラテ!
「ニィ……イイイイイーッ……」首の後ろにチョップを叩き込まれた怪物は、泥酔したパン神めいてよろめき、床の崩落部を踏み外すと、そのまま転落して失神した。「……やはり、戦闘中には使えんか……」給水塔の上に立ったスカベンジャーは、完全に塞がった傷跡を撫でながら冷静な分析を行った。
一体何故、彼の傷は再生したのか?ジツを使ったのか?…否、マツタケである。ニンジャにしか耐えられない特殊バイオ手術を受けた彼は、マツタケと呼ばれる特殊なキノコを経口摂取することにより、驚異的速度で肉体再生を行える体を手にしたのだ。彼もまた、恐るべきバイオ技術の怪物なのである。
「ヨシダ先生、手術の結果は上出来だ。むろん、今後の手術で、対象となるキノコの幅は増えるのだろうな?」スカベンジャーはインカムのスイッチを押し、通信を行う。「もちろんです」と先生。「セントールの能力も把握した。手加減したとはいえマスター位階の俺に手傷を負わせた。悪くない……」
「大変お世話になっております!」とヨシダ先生。「それでだ……ニンジャではないただのバイオ騎兵は、すでに完成しているのか?」「いいえ……」ヨシダ先生の表情が曇る「先の爆発事故で研究員数名が死亡し、バイオ融合手術のエキスパートも失いました。彼の置き土産がセントールなのです……」
「……何だと?」ニンジャの眉根が動く。「も、勿論ネオサイタマから人材を補充し、融合バイオ手術やクローン実験は継続していますよ!そのために材料を集めています。しかしどれも拒否反応が起こり、2~3日で絶命、または狂死するのです」「なるほどな……実験を継続しろ」「ヨロコンデー!」
(((この再生能力と俺のジツ、そしてヨロシサン製薬の後ろ盾があれば……グランドマスターの座も夢ではない。おお、全てはロード・オブ・ザイバツと、来たるべき理想世界のために……!ニューワールドオダー……!)))スカベンジャーは直立不動の姿勢で、静かにバンザイ・チャントを捧げた。
◆◆◆
直前で実験が中断されたため、ヨシチュニ・ヒロシは他のアルバイターたちと共に、下の階のリラクゼーション・ホールに返された。ここでは被験者たちのヘルスコンディションを崩さないように、木製の板に盛られた上質なオーガニック・スシが支給される。スシは完全食品だからだ。
上品な畳の香りが漂う広いホールには、真白い服を着せられた三十人ほどのアルバイターたち。ガスマスクを被ったクローンヤクザたちが、消毒液噴霧器を背負って定期的に巡回している。「やっぱりうまいなァ、これ……」ヨシチュニはチャブに座り、マグロやグンカンやイカを黙々と口に頬張った。
緑茶を飲み干して息をつくと、彼は白い天井を見上げ、ここ3日間のことを反芻する。……ヨロシサン製薬施設に到着した彼らは一列に並べられ、基礎的な身体検査が行われた。血液検査の段階でいつの間にかマサムネとは別れており、その日はスシを食って寝た。それだけで日当1万円がもらえるのだ。
二日目も体力検査や知能検査などが続き、スシを食って万札をもらって寝た。そして三日目。昼のスシを食った後に、上階に送り込まれ……最終実験の直前でアクシデントが起こり中断した。誰も文句を言う者はいない。またスシを食って寝るだけで、万札が手に入るからだ。あとは明日まで自由時間だ。
残念ながら私物は一時没収されたので、ガイド本で勉強はできないが、キョート観光ガイドTVが流れているので、それを観ればよい。ホールには埋め込み式TVモニタが複数あり、あちらでは何人かが最新PV映像に合わせてテクノダンスを踊っている。ここはまるでブッダの理想郷、ニルヴァーナだ。
「……こんな簡単でいいのか?」ヨシチュニは少し疑問を抱いた。周囲を見渡すと、他のアルバイターたちは一様にリラックスした……あるいは下層民特有のボンヤリとした顔つきでスシを食ったり、TVを見たり、寝たりしている。「俺の考えすぎだよな…」彼はタノシイドリンクを開け、飲み干した。
ホールにも無料の自販機がある。バリキ、ザゼン、タノシイ、コブラZなど……ヨロシサン製薬から市販されている栄養ドリンク類は、用法用量を守らずに服用すると、様々な麻薬的効用を得られる。タノシイドリンクであれば連続3本摂取で軽いトリップ。多幸感を前借りし、いずれ感情が枯れ果てる。
まだ疑念と不安が治まらないヨシチュニは、三本目の蓋を捻ろうとする。不意に誰かの手が横から伸び、それを止めた。ターコイズ色のモヒカンパンクス。記憶を失った男、マサムネだ。別のホールにいたのか、時間がずれていたのか、初日に別れて以来の再会である。「ここ、座っていいな?」「ハイ」
マサムネが同じチャブに座り、ニヒルな表情でスシを食う。ヨシチュニは少し安心感を覚えた。マサムネはドリンクを飲まない。「……何万儲かった?」「2万です。寝たらさらに1万」「何万でも同じだ……全員死ぬ」「エッ?」理解不能。再びヨシチュニを不安感が襲う。「……記憶が少し、戻った」
3
アンダーガイオン。薄暗い場末の将棋バー。カウンターに掛けられた「マイコと将棋な」「勝つとは」「ほとんど違法行為」などのいかがわしい桃色ネオンサインが、部分漏電でバチバチと青白い火花を散らす。壁に這う無数のLANケーブルの奥には、とても大きな王将の駒が見える。
壁際に並んだ小さな将棋席の一つに、コートを着た二人の男。一人は私立探偵タカギ・ガンドー。もう一人はイチロー・モリタ。白いテーブルには盤面が刻まれ、ウィスキーグラスとナッツを置くための窪みもある。二人は将棋を打ちつつ、ザイバツとヨロシサン製薬の陰謀について情報交換を行っていた。
「風邪薬工場に偽装か……」小型端末に目を通すイチロー・モリタ。フロッピーから吸い出した機密情報がコピーされている。「正確には、風邪薬工場が主体で、その中に違法研究施設がある」私立探偵が付け加えた。破壊工作は難しい。風邪薬工場に被害が及べば、値上で割を食うのはアンダーの市民だ。
ガンドーにとっては災難続きだ。バイオ鹿計画の機密フロッピーを入手したばかりに、事務所を襲撃されることとなった。今ではザイバツ・シャドーギルドの刺客が、彼と依頼人イチロー・モリタを狙っているのだ。依頼人の目的はザイバツの破壊。そのためにまずは敵の本拠地と全貌を知ろうとしている。
「施設は呆れるほど縦長だ。第8階層からアッパーガイオンまで続いている」ガンドーは網膜ディスプレイのワイヤフレム映像を確認しながら言う「地表部分は山林。オーガニック・マツタケやメイプルの群生地だ。公文書上は別のオーガニック食品会社が所有しているが、実際はヨロシサン製薬の敷地だ」
イチロー・モリタも、情報端末で施設内の地図を調べる「不明エリアが多いが…」「完全解読前にフロッピーを奪われたからな。情報は完璧じゃない。で、だ。あんたが死んだマグロみたいに寝てる間に、俺は第8階層の施設入口を偵察してきた。鹿と下層市民がひっきりなしに送り込まれ…・出てこねえ」
「……ここに間違いなくニンジャがいる。潜入し、尋問し、殺す」イチロー・モリタは静かな怒りを篭めて言った「ガンドー=サン、礼を言う。ここから先はニンジャの世界だ」トークンを盤上に置くと、足早に出口へ。酒には少しも口をつけていない。一刻一秒も無駄にできぬような焦燥感を纏っていた。
「……ゲホッ、ゲホーッ!ブッダ!待てよ!無謀すぎやしねえか……!」センベイを口に運んでいたガンドーはむせ込み、ズバリウィスキーで流し込むと、イチロー・モリタの後を追った。しかしノーレンを潜って街路に出ると、彼の姿はもうどこかに消えていた。……まるでニンジャのように。
「ニィイイイーッ」代わりに一頭の野良鹿が擦り寄ってきた。ガンドーは慌てずセンベイを与える。鹿は本能的にセンベイを好む。かつてブッダが鹿にこの聖なる食品を与えたからだとも言われる。「暗黒メガコーポのせいで、お前らもいい迷惑だよな」私立探偵は鹿の頭を軽く撫でてから、雑踏に紛れた。
◆◆◆
研究施設の薄暗い廊下を、マサムネとヨシチュニは忍び足で歩く。「ガイオン下層部の暴動発生率が低い理由を考えたことは……あるか?」とマサムネ。「いいえ」「あれを見ろ」とマサムネがガラス越しに指差す先には、ドリンク製造プラントが無人稼動している「下層用には無気力物質が入っている」
「聞いたこと、ないですよ」「鹿狩り車の中でも言ったろ?全てを疑えと。ブッダは死んだ。この世界は……暗黒メガコーポ経済に支配されているんだ…」マサムネは嫌世的な口調で吐き捨てる。「そんな……」ヨシチュニはポケットに仕舞った三本目のタノシイに無意識に手を伸ばし、はっと自制する。
(((待てよ、この人は正気なのか?妄想サイコパスなのでは?)))ヨシチュニは怯えていた。漠然とした不安感から逃れるため、彼はマサムネと行動を共にしたが、その結果得られたのは、より具体的で得体の知れない恐怖だったのだ。養殖トラック水槽から突如水揚げされたマグロのような心境だ。
彼が思案する間も、マサムネのリードは止まらない。施設内の構造を初めから知っていたかのように、監視を巧みに逃れながら先へ先へと進む。マサムネがLAN直結でセキュリティドアを開くたび、ヨシチュニは後戻り不能の不安感を募らせた。「あなたは何者なんです?ハッカー?アナーキスト?」
「俺が何者だったのか……まだ完全に思い出せない」マサムネは美容遺伝子手術の産物である青い瞳で、廊下の先の闇を睨む「何か、欠落したピースがある。今確かなことは……少し前まで、俺は確実にこのバイオ鹿研究施設にいた。そして爆発……そう、爆発事故が起こり、その混乱に乗じて脱走した」
「バイオ鹿研究所?それは一体……アイエッ…!」ヨシチュニが言いかけた瞬間、マサムネは彼の口を手で抑え強引に引き寄せた!ナムアミダブツ!そしてサイバーロッカーの陰に身を隠すよう促す!突き当たりの十字路から、ガラガラという音が聞こえた。クローンヤクザたちが台車を押している音だ!
台車の上には、マスタード色の大きな袋に詰め込まれたバイオハザード廃棄物が積み上げられていた。むろん、中身はマスタードでもケチャップでもない。不意にバランスが崩れ、袋のひとつが転げ落ちた。袋に穴が開き、そこから突き出したのは……血まみれの鹿の角と人間の手!ナ、ナムアミダブツ!
「「アッコラー!ザッケンナコラー!」」クローンヤクザたちが同時に悪態をつき、痰を吐く。崩れた袋を二人ががりで積み上げると、廊下を先へと進んでいった。「あ、あれは一体」ヨシチュニは失禁せざるを得なかった。「俺たちが辿ろうとしていた……末路だ…」マサムネが押し殺した声で囁く。
「先を急ぐぞ。お前を逃がしてやりたい」マサムネが言う。サイバーロッカーの陰から出る2人。「何で僕を助けてくれるんですか……アイエッ!」ヨシチュニが質問しかけたその瞬間、マサムネは彼の口を手で抑え強引に引き寄せた!ガラガラガラガラガラ!今度は逆方向から別のヤクザ台車が接近だ!
台車には冷凍マグロやイカが積み上げられていた。体にはマグロ&ドラゴン社の刻印とバーコード。不意にバランスが崩れ、イカのひとつが転げ落ちた。「「ダッテメッコラー!」」クローンヤクザが同時に悪態をつき、痰を吐く。崩れたイカを二人ががりで積み上げると、廊下を先へと進んでいった。
「あ、あれは一体」ヨシチュニは声を震わせた。「海産物だ……スシになる…俺たちが食べていたものだ」マサムネが押し殺した声で囁く。もう台車は来ない。廃棄物は左へ、イカとマグロは右へ。2人は素早くその運搬廊下を横切ろうとするが、ヨシチュニがバランスを崩し転倒!「アイエエエエ!」
ウカツ!マサムネが舌打ちし、振り返って手を差し伸べる。見ると、廊下の中央部に窪みが。クローンヤクザたちが台車のバランスを崩していたのは、これが原因だったのだ!何たる不注意か!「アッコラー!」「ザッケンナコラー!」彼方からクローンヤクザの声!2人は運搬廊下を横切り、駆けた!
目の前には『研究者だけの』と書かれた扉。「このエレベータだ……」マサムネはLAN端子にケーブルを伸ばし、突破を試みた。ヨシチュニが背後を振り返る。クローンヤクザが一列に並んで整然と接近!ドアが開く!乗り込む2人!閉じるドア!差し込まれるヤクザの腕!それを蹴り出すマサムネ!
ギュグン!研究者用高速エレベータが上昇を開始する。マサムネとヨシチュニは床に座り込み、息を荒げていた。「すいません……イカを生まれて初めて見て……取り乱しました……すいません……」「気にするな……」マサムネは悲壮な決意を秘めた青い瞳で天井を睨む「……昔、お前に似た奴がいた」
「記憶が……戻ったんですか?」とヨシチュニ。このマッポー的実験施設から脱するためのカギがマサムネの失われた記憶であることは、ほぼ間違いない。「あと少しなんだ……」マサムネは眉間に皺を作りこめかみを圧す「……お前に似た、屈託の無い笑顔でそいつは笑い……進んで被検体になった」
「友達、だったんですか?」とヨシチュニ。「覚えていない。……この実験施設で初めて会ったんだろう。いい奴だったよ。……そいつは実験が終われば大金が貰えると信じ……笑顔でバイオ合成手術室に向かい……カプセルに入った……」マサムネの脳裏に爆発事故直前の光景がフラッシュバックする。
その時!乱暴な音が鳴り、エレベータが止まって扉が開いた。「……ここじゃない、早すぎるぞ」マサムネが上階ボタンを叩くが、操作パネルが反応しない。LAN直結を試みるも、直後に自動IRC攻撃を受け、首筋に火花が散る!素早くケーブルを抜くが、ファイアウォールを焼き切られてしまった!
マサムネが咳き込みながら、ヨシチュニに続くよう促す「……動きが察知されたのかもしれん。別ルートだ……」2人はエレベータから出ると、クローンヤクザの怒声や靴音の反響から逃げつつ、真白い廊下を駆けた。そして壁に唐突に現れた鉄製タラップを昇り、天井のトラップドアを……押し開ける!
マンホール状ハッチが開き、2人は夜の廃墟へと這い出した。交差点に立つ巨大クラゲめいた軍事用ボンボリが静かな光を放ち、ハッチの開閉で吹き上げられた灰色の粉塵を映し出す。「ゲホッ、ゲホッ!地表……?」「……違う。廃墟に似せた、広大な戦闘実験室だ」マサムネの顔つきが険しさを増す。
「あと少しだ……ここさえ抜ければ……!」マサムネが瓦礫の山を登り、手を引く。被験者用サンダルの隙間から、割れたガラス片が忍び込み、容赦なく二人の足を切り裂いた。マサムネを信じ苦痛に耐えるヨシチュニ。だがその時、警報ブザーが実験室内に鳴り響き、サーチライトの光が2人を捉える!
「ニンジャかと思えばただの人間か!」崩れたビルの屋上には、サーチライトの光を背負うニンジャの影!スカベンジャーである!それは無力な2人を嘲笑うかのように言い放った!「研究所の秘密を知ったからには、モルモットめいた実験動物として働いてから死んでもらおう!セントールを放てい!」
「ハイヨロコンデー!」数十メートル上のモニタ室で、ヨシダ先生が開閉ボタンを押す。分厚いシャッターがゆっくりと開く!「ニィイイイイーッ!」凶暴な怪物の唸り声がその内側から洩れ出る!コワイ!殺戮を待ちきれない怪物は重い鎖を打ち鳴らし、蹄を荒々しく何度もシャッターに叩きつけた!
「アイエエエエ!ニンジャナンデ!?アイエエエエ!次は何が!?」ヨシチュニは恐怖におののく。「あいつの……成れの果てだ……!」マサムネは片手でサーチライトの光を遮ると、シャッターの方向を睨み、右手をポケットに隠した。シャッターが開ききり、セントールがその冒涜的な姿を…現す!
「ニィイイイイーッ!ニィイイイイーッ!」電子錠が外れて鎖の拘束が解かれると、セントールは怒りを顕に戦闘実験室へと躍り出た。敵はサーチライトに照らし出された人影。瓦礫の山に向かって駆ける!だがここで、マサムネは秘密裏に持ち込んだ丸い物体をポケットから取り出した!これは一体!?
「……しまった!センベイだ!」驚愕とともにモニタを見つめるヨシダ先生は、操作パネルを拳で叩いて顔を歪めた「何故センベイの秘密を!?あいつは何者だ!?」。マサムネはセンベイをかざし、声も枯れよと必死の形相で叫ぶ!「ヨタロウ=サン、俺だーッ!思い出せーッ!思い出してくれーッ!」
するとどうだ。おお……ゴウランガ!セントールの蹄音は次第に穏やかになり、飼い主のもとに擦り寄る無邪気な犬めいてマサムネの横にやってきたではないか。そして腰を下ろしてオジギし、センベイをねだった。ヨシチュニはただ震えながら、ニンジャ覆面を被った鹿角を持つ人間の眼を見ていた。
「ヨシダ先生、これは何だ!セプクものの事態だぞ!」スカベンジャーはIRCインカムで叱責する。「ご迷惑をおかけしています!」とヨシダ先生「セントールには鹿の本能が残っており、センベイに抗えないのです!奴は失敗作です!人間でも鹿でもニンジャでもない、最低最悪の失敗作なのです!」
それだけではないはずだ……ヨシダ先生は狼狽しながらも、マサムネの顔画像に対しUNIX解析プログラムを走らせていた。ただのモヒカンだと思って甘く見ていたのが間違いだった。室内のモニタに無数の被験者の顔画像が小刻みに現れては『不一致な』の文字が出る。「奴は……奴はもしかして…」
「イヤーッ!」スカベンジャーはマサムネ目掛け、4枚のスリケンを投擲!「ニィイイイイーッ!」セントールが角でこれを弾く!だが弾き損ねた一枚が、マサムネの背中に命中!「グワーッ!」痛ましい悲鳴!それを聞いたセントールは曇りのない瞳に怒りをたたえ、迷わずスカベンジャーに突撃する!
「……アイエエエエ?怪物が……戦ってくれているんですか……?」ヨシチュニは信じ難い光景を見ながら、マサムネの膝にしがみついて震えていた。全くわけがわからないが、廃墟で2人のニンジャが戦っている。「そうだ……彼を救い出すために来たんだ。あの時は、俺だけが逃げ出してしまった」
「イヤーッ!」「ニィイイイイイーッ!」「イヤーッ!」「ニィイイイイイーッ!」カラテ段位はスカベンジャーが明らかに上!セントールは何度も蹴り飛ばされて地に転がり、鹿の横腹や背中をガラス片で切り裂かれる。だがマサムネの声をニンジャ聴力で聞いた彼は、力が漲るのを感じ、戦い続けた。
「援護が必要だ……何か武器は……」マサムネが背中の痛みを堪えながら、辺りを見回す。ヨシチュニも立ち上がった。自分も戦わねば。自分には人よりも優れた観察力がある。「マサムネ=サン、あれ!」瓦礫の下に隠れた無傷のオートマチック銃を発見!マサムネはそれを拾い、コッキングを行った。
マサムネは汗を浮かべながら、ガレキ山の下でカラテを続ける2人のニンジャに向かって拳銃を向けた。ニンジャの戦闘は、常人の目に追えないほどの速度と、予想できないトリッキーな動きが特徴だ。セントールを巻き添えにせず、スカベンジャーだけを狙えるか?マサムネは死せるブッダに祈った。
だがその時!戦闘実験室にヨシダ先生の緊急放送が鳴り響いたのだ!「マサムネ=サンじゃないか!ドーモ、ヨシダです!爆発事故で死んだと思っていた!一体何をやっている!?」「ヨシダ……サン?あんたは誰だ!?」マサムネの手が震える……冒涜的記憶が蘇る恐怖に!「俺は……誰なんだ!?」
「マサムネ=サン、君はもしや記憶喪失か?」とヨシダ先生「それでそんな姿に!思い出せ!思い出すんだ!ビョウキ、トシヨリ、ヨロシサンだ!君は遺伝子の髄まで愛社精神に満ちた、ヨロシサン製薬のバイオ技術者だったろう!その怪物、セントールを生み出したのは君だ!馬鹿な真似はやめろ!」
「……セントール=サン!このイディオットめ!止めろ!それは味方だ!こっちに来い!」マサムネは銃口を逸らし、カラテ停止命令を叫んだ。まるで別人のように冷酷で無慈悲な声だった。セントールは不服そうな唸りをあげつつ、命令に従った。次いでマサムネはヨシチュニに銃を向ける。「エッ?」
「ヨシチュニ=サン、君は適正があると思う」と、ぞっとするほど無機質な声でマサムネ「君の愚鈍で無垢な精神は、第二のセントールになれる可能性を秘めているだろう」「え……アイ……アイエーエエエエエエエエ!」ナムサン!信じていたマサムネすらもが敵に回るとは!もはや逃げ場無し!
このままヨシチュニは下半身を切断されて鹿の肩口に融合され、ケンタウロスめいた姿となった上に、その頭蓋骨に鹿の角をインプラントされてしまうのであろうか……!?全ての望みが潰えかけたその時!突如マンホールの蓋が勢い良く開いた!
そこから高速回転ジャンプで出現したのは、動脈血のように紅い赤黒のニンジャ装束を着た謎の人影!「Wasshoi!」ニンジャはサーチライトの光を切り裂いて跳躍し、ビル壁を蹴り上がりながら屋上に着地すると、直立不動の姿勢でアイサツを決めた!「ドーモ、ニンジャスレイヤーです……!」
4
「ドーモ、ニンジャスレイヤーです……」鋼鉄メンポのスリットからジゴクめいた息が吐き出される「ニンジャ……殺すべし」。これに対し、ビルの廃墟を見上げながら、2人の敵ニンジャも即座にアイサツを返した「ドーモ、セントールです」「ドーモ、ザイバツ・シャドーギルドのスカベンジャーです」
オジギ終了からわずかに0コンマ3秒!ニンジャスレイヤーは爆発的な速度で両手を鞭のようにしならせ、眼下の敵ニンジャに対し6枚のスリケンを投擲した。タツジン!「イヤーッ!」スカベンジャーは連続側転でこれを回避!「ニィイイイイーッ!」セントールも危険な大角でこれを弾く!
「イヤーッ!」敵が回避行動によって分断されたところへ、殺戮者の鋭いトビゲリ!「ニィイイイイーッ!」鹿胴体に命中!ガレキの中に倒れるセントール!ニンジャスレイヤーは間髪いれずに横マウントポジションを奪い、左右のパウンドだ!「イヤーッ!」「ニィーッ!」「イヤーッ!」「ニィーッ!」
だがセントールは、その危険な大角で相手を振り払おうとする。「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの両腕のうち、ブレーサーに守られていない部分が一瞬にして引き裂かれ、血に染まった!何たる殺傷力!まさに究極のバイオ騎兵である!さらにセントールは強靭な四肢を使い、マウントを跳ねのけた!
(((鹿とニンジャ……油断ならぬ恐るべき怪物!)))ニンジャスレイヤーは二連続バク転から廃墟の壁を蹴って三角跳びを決めた。そこへスカベンジャーのスリケン攻撃!「イヤーッ!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは飛来するスリケンを人差し指と中指で挟み、最低限の動作で後方へ受け流す!
「ニンジャスレイヤー=サン、貴様の相手は俺だ。ブッダにも等しい力を手に入れたこの俺を、倒せるものなら倒してみるがいい…!」スカベンジャーは、突き出した右腕の人差し指と中指を曲げて挑発を行う。飛びかかるニンジャスレイヤー!たちまち激しいカラテの応酬!「イヤーッ!」「グワーッ!」
純粋なカラテでは、ニンジャスレイヤーが上であった。スカベンジャーは何発も重いチョップを受けつつも、致命打を巧みに回避し、ニンジャスレイヤーを誘い寄せたのである。そのまま二人のニンジャは廃墟ビル街を飛び渡り、エマージェンシー扉を破壊して、あっという間に戦闘実験室から姿を消した。
「ニィイイイイイーッ!」マウント攻撃で受けた脳震盪から回復したセントールは、後ろ足で激しく地面を蹴り、この戦闘に加わろうとしていた。だが、モニタ室からヨシダ先生の声が響き、これを制止させたのだ。「マサムネ=サン!戦闘はザイバツに任せればいい!貴重な被検体と共に退避したまえ!」
「止まれ!セントール!」マサムネの冷たい声が浴びせられると、怪物じみたニンジャは不服そうに蹄を打ち鳴らした後、向き直ってマサムネの後に続いた。「マ、マサムネ=サン……助け……」声を震わせるヨシチュニ。「先に歩け!」マサムネは彼の背中に銃口を突きつけたまま、廃墟の一つを指差す。
「そのアルバイターは殺さないのか?」スピーカー越しにヨシダ先生の声が降ってくる。威圧的な残響とともに。「…彼には適性があります!第2のセントールを作るために必要なのです!」マサムネが天に向かって叫んだ。「アイエエエエエ!嫌だ!」混乱し耳を塞ぎ、その場に立ち尽くすヨシチュニ!
ごりっ、と重い鉄の塊が右のこめかみに押し付けられた。ヨシチュニは嗚咽を洩らし、凍りついた。マサムネが構えるオートマチック拳銃だ。ヨシチュニは堰を切ったように泣いた。恐怖だけではない。マサムネと力を合わせれば、このジゴクから脱出できると思っていたのに、裏切られた無念さだった。
「……全てを疑え……」ヨシチュニに銃口を押し当てたまま、マサムネは耳元で小さく囁いた。「……エッ?」ヨシチュニが問い返そうとした途端、マサムネは彼の背中へと乱暴なケリ・キックを入れる。「……アイエエエエエ!」ガレキの山を転がるヨシチュニ!「歩け!」マサムネの無慈悲な命令!
◆◆◆
夜霧にけぶるキョート山脈の裾野。見事な松や楓が自生する神秘的な山林へと、ニンジャスレイヤーは迷い込んでいた。ヨロシサン製薬の実験施設はアッパーガイオン地表部まで続いている……ガンドーから提供されたデータの通りだ。土壌は湿った紅葉に覆われ、松の根元にはマツタケが顔を覗かせる。
ジュー・ジツを構えたフジキドは、全方位に警戒を怠らぬままゆっくりと霧の中を歩く。落葉と湿った土が僅かに沈む。彼がセントールよりもこちらを優先したのは、挑発に乗ったからではない。バイオニンジャは所詮ヨロシサンの駒であり、ザイバツの情報を有さない……ゆえに後で殺せばよいからだ。
それにしても、この悪臭は何とかならぬものか。これでは、鋭敏すぎるニンジャ嗅覚が逆に仇となる。フジキドは軽い吐気を催した。マツタケは高級食材であり、自生の大物ともなれば、ツキジに眠る旧世紀の未汚染冷凍マグロ並の価格を誇るが、いかんせん臭い。腐った死体の臭いを放つキノコなのだ。
それでも日本人はマツタケの香りを好み、カンポと呼ばれるオリエンタル的薬効成分を珍重する。松の木の下に死体を埋めると、そのマツタケは美味くなるという伝説も古事記にある。これは古来より、日本ではキノコが神々やそれに連なる人間の霊的な食べ物とみなされてきた事に関連するのだろう。
「イヤーッ!」突如、ニンジャスレイヤーの背後の落葉の山がつむじ風めいて巻き上がり、土中からスカベンジャーが間欠泉めいて飛び出した!ドトン・ジツ!出現と同時にスリケンを投擲!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはこれを受け流し、カラテに持ち込む!「イヤーッ!」「イヤーッ!」
カラテを打ち交わしながら、フジキドは微かな違和感を覚えた。敵のカラテ段位が上がっているように思える。しかも、先程両腕の骨を破壊した筈なのに、そのダメージが微塵も感じられない。……ナムアミダブツ!フジキドはまだ、逆にフーリンカザンの中へと誘い出されたことに気付いていないのだ!
「イヤーッ!」渾身の力を乗せたニンジャスレイヤーのカラテ!肋骨粉砕!「グワーッ!」弾き飛ばされるスカベンジャー!だが彼は松の枝を掴んで大回転を決め、そのまま地面へと魚雷めいて勢いよく飛び降り、ドトン・ジツを使う!ニンジャスレイヤーが近寄ると、すでにその気配は消えていたのだ!
(((またしても……!)))ニンジャスレイヤーは落葉を蹴散らしながら、メンポの奥で舌打した。先程から何度も、止めを刺す直前でドトン・ジツを使われている。そのたびに敵は姿を消し、傷を回復した状態で再び現れるのだ。一方、少しずつではあるがフジキドの側にはダメージが蓄積している。
彼は再び四方にジュー・ジツを構えた。キョート山脈の山肌には「精神的」の文字がライトアップされ、彼方でウシミツ・アワーを告げる陰鬱な鐘の音。だが、ナラク・ニンジャは目覚めない。ナラクが健在ならば敵に憑依したニンジャソウルの正体を看破し、フジキドの愚かさを一喝したであろう……。
スカベンジャーに憑依したソウルの正体は、ドトン・ジツを得意とするキノコニンジャ・クランのグレーター・ニンジャであった。平安時代、キノコニンジャ・クランは山野の戦場で無敵の力を誇るのみならず、キノコの臭いを嗅ぎ分けたり、キノコから毒薬や秘薬を調合する知識にも長けていたという。
だが、このマッポーの世ではどうか?ニンジャの主戦場はコンクリートに覆われたメガロシティである。平安時代のキノコもほとんど絶滅するかバイオ植物に置換されてしまった。彼がキノコによる超回復能力付与手術を行うよう要請した理由は、ソウルの残響がもたらした、キノコへの妄執なのだ……!
フジキドは拳に残った感触を確かめながら、ジュー・ジツの構えで霧の中を歩く。手応えは確かにあった。あと少しで敵を仕留められる筈、と考えながら。だが、それすらも敵の策略であることに、彼は気付いていない。スカベンジャーは彼を誘い込むため、はじめから敢えて実力をセーブしていたのだ。
突如土中から、2本の腕がタケノコめいて出現する。ドトン・ジツ!「イヤーッ!」「グワーッ!?」ニンジャスレイヤーは咄嗟に回避動作を取った。ナムサン!一瞬でも反応が遅れていれば、両脚の腱を切り裂かれていただろう。彼の両すねには、鋭い二本のクナイが突き立てられていたのである。
「イヤーッ!」スカベンジャーは、紅葉の落葉を盛大に撒き散らしつつ、土中から全身を露にする「愚かなり!ニンジャスレイヤー=サン!貴様はこの俺には勝てん!」そして両脚を負傷したニンジャスレイヤーに対し、近接カラテを挑む!「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」
「ヌウウウウーッ!」徐々に押され始めるニンジャスレイヤー。重い蹴りを受けて後退し、立膝状態に追い込まれた。(((誘い込まれてはならん、逆に誘い込むのだ……)))脳裏に去来するは、亡き師ゲンドーソーの教え。フジキドは立膝姿勢のまま、敵の突撃を待った。カウンターを決めるために!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは前方宙返りと同時に鋭い蹴りをくり出す。これは伝説のカラテ技、サマーソルトキック!「グワーッ!」弾き飛ばされるスカベンジャー!だが……浅い!スカベンジャーは目の前の勝利に功を焦るようなサンシタめいた戦い方はせず、常に敵の反撃に注意を払うのだ!
スカベンジャーは敵から追撃を受ける前に、落葉の山の中へ飛び込み、再びドトン・ジツで気配を消す。土中を高速で掘り進みながら、彼は松の木の下で手を伸ばし、マツタケを採取し、咀嚼するのだ。(((俺は無敵だ!永遠にでも戦えるぞ!)))破壊された肉体を再生しながら、彼は心中で嗤った。
一方、ヨロシサン製薬の地下実験施設では。ヨシチュニ、マサムネ、セントールの三者が、廃墟に隠された大型エレベータを使って、ヨシダ先生の待つモニタ室へと上昇を続けていた。重苦しい無言の時間が続く。天井の四隅に備わった銃口付監視カメラが、独立した生物のようにせわしなく動いている。
ヨシチュニは必死で状況を整理しようとしていた。生きることにここまで必死になったのは、生まれて初めてだった。漠然とした不安への打開策を考えるたびに、蓄積した無気力物質が眠気を引き起こしてきたからだ。しかし今、極限状態で分泌された脳内麻薬は、無気力物質の力を遥かに上回っている。
問題は、今のマサムネが誰の味方なのか、ということだ。マサムネはかつて、血も涙も無いヨロシサン製薬の研究員で、セントールを作った時の爆発事故が原因で記憶を失い、脱走した……らしい。なら、先程の言葉の意味は何だ?全てを疑え?これは芝居ってことか?だとすると、マサムネの本心は…?
ヨシチュニはエレベータ内を観察した。監視カメラが光る。先程、戦闘実験室でマサムネが取った行動の理由は、監視の目を欺くためではないか?ヨシチュニは頭が爆発しそうだった。今できることは、早まった行動を取らないこと、そしてマサムネの行動を注意深く観察することだけだ、と結論付けた。
フスマが開き、モニタ室に入るマサムネたち。すでに救護スタッフが控えており、マサムネの背中に突き刺さったスリケンの応急手当を行った。ヨシチュニは拘束着を着せられ、クローンヤクザ2体に両脇を抑えられて静かに失禁している。セントールはマサムネの命令に忠実に、部屋の隅に控えていた。
「……ドーモ、ヨシダ先生」マサムネは立ったままで治療を受け、研究所長にアイサツした。「マサムネ=サン、まさか生きていたとは、僥倖だ!」ヨシダ先生はマサムネと握手すると、興奮した面持ちで、バイオ的な専門用語をまくし立てる。ヨシチュニには、それが遠い世界のモージョーに聞こえた。
「ヨシダ先生、バイオ鹿計画より前に……。先程のニンジャは何者ですか?ニンジャスレイヤーと名乗っていましたが」「ああ、あれか。ザイバツに単身戦いを挑んでいる、愚かな野良ニンジャだそうだ。ニンジャの世界のことは良く解らんがね。いずれにせよスカベンジャー=サンに勝てるはずは無い」
ヨシダ先生は監視モニタ映像をマツタケ群生地に切り替え、得意げに笑った「これがその理由だ!ヨロシサンのバイオ技術の力だ!」モニタのひとつには、手術終了直後に撮影された資料映像……スカベンジャーが肉体を破壊される様子、そしてマツタケの力で再生を行う様子が克明に映し出されていた!
「インプラントした第二の人造胃袋でカンポを摂取することにより、ナノバイオ細胞が全身を駆け巡り、肉体を修復する……ヨシダ先生、あなたは何と恐ろしい技術をザイバツに渡してしまったんだ……」とマサムネ。「渡してはいないとも。スカベンジャー=サンは……ある種の奴隷だ」とヨシダ先生。
「ここまで大掛かりなバイオ手術を受ければ、いかなニンジャとて、定期的なバイオインゴットの摂取が必要だ。さらに、今回の手術で、スカベンジャー=サンの肉体にはヨロシDNAコードが埋め込まれた」ヨシダ先生は引きつったように笑う「……彼はヨロシサン製薬には逆らえないんだ、一生ね」
難解なバイオ用語で生命を語る二人に、ヨシチュニは恐怖した。神々の会話を盗み聞きしたモータルめいて、無力さを思い知る。「あなたの発案ですか?」「ああ」とヨシダ先生。「怪物じみていますな」「君にはかなわんよ。本物の怪物を造りだしたんだからね、セントールを……」ヨシダ先生は笑う。
「それなんですがねヨシダ先生……非常に申し上げにくい事なんですが……」応急手当を終えたマサムネは、ポケットに突っ込んだ拳銃を抜き、それをおもむろにヨシダ先生に向けた。……声色が変わる!ヨシチュニの知る、あの嫌世的でニヒルなターコイズモヒカンの声に!「……俺は今日で退職する」
「エッ?」目を白黒させるヨシダ先生。「「ザッケンナコラー!」」最新型のクローンヤクザ2体がヨシチュニを放置し、腰のドスダガーを抜いて襲い掛かってくる!「ヨタロウ=サン!」「ニィイイイイイーッ!」マサムネの呼び掛けに応え、セントールは鎖を解かれた猛獣のごとく飛びかかった!
「ニィイイイーッ!」「グワーッ!」「ニィイイイーッ!」「グワーッ!」セントールの殺人的な大角によってクローンヤクザは全員死ぬ!「考え直せ、マサムネ=サン!企業年金が貰えないぞ!」ヨシダ先生が必死で説得を試みる。だが無理な話だ。そもそも彼には、マサムネの裏切る理由が解らない。
マサムネはヨシチュニの拘束を解くと、それをヨシダ先生に着せた。「狂ったか?マサムネ=サン!ヨロシサンに逆らって生きていけるとでも?君は有能だ!君の頭脳を無駄にしてはならない!」「……ヨシダ先生、俺の頭脳は欠陥品なのです。俺の造る物がどんな悲劇を招くか、想像すらできなかった」
「そんな馬鹿げた理由で!」「……ヨシダ先生、あんたも一度記憶を失ってパンクスにでもなって、ケミカル物質の摂取を何週間か抜いてみたらいいんじゃないか……」マサムネはモニタ室の複雑なUNIXを操作し、火災発生時の緊急ボタンを押す。ブガー!ブガー!全隔壁とエレベータが開放される!
◆◆◆
「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」ニンジャスレイヤーは全身から血を流し、広大な松林の中でジュー・ジツを構えていた。「フワーッハッハッハッハ!」落ち葉の中から笑い声!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはスリケンを投擲する!だがそれはただの盛り土だ!背後からスカベンジャーが出現!
「イヤーッ!」スカベンジャーは背後から組み付き、強力なカラテでチョークスリーパーを仕掛ける!「ヌゥーッ!」フジキドは左右に暴れた後、逆イポン背負いでこれを切り返す!逆イポン背負いは、相手の肘を折りながら投げる暗黒カラテ技だ!「グワーッ!」松に叩きつけられるスカベンジャー!
手応えあり。明らかに腕を折ったはず。だが、またしてもニンジャスレイヤーが止めを刺す前に、スカベンジャーはドトン・ジツで消えてしまったのだ。(((奴のジツの正体は何だ?恐ろしいまでの肉体回復能力なのか?いや、それとも、このマツタケ群生地自体が、何らかのゲン・ジツなのか?)))
満身創痍のニンジャスレイヤーは、視界がサイケデリック回転し始めたことに気付く。スカベンジャーのクナイに、何らかの毒物が塗られていた可能性が高い。ならばチャドーか?いや、ザゼンしている間に背後から襲われて終わりだ。ではどうすれば……?その時、懐のUNIX無線端末が鳴った!
「ハァーッ、ハァーッ……ドーモ、ニンジャスレイヤーです」「ガンドーだ!研究所で反乱が起こった!施設へのハッキング攻撃中に、反乱研究員とコンタクトを取ることに成功した!いいか、敵ニンジャの再生能力の秘密はマツタケだ!だが、この群生地には何万本ものマツタケがある!そこでだ……」
ニンジャスレイヤーは覚束ない視界のまま松林を走り、地下実験施設に続くいくつものハッチを開いた。奇襲スリケン攻撃を背中や腕に受けながらも、ひたすらその行動を繰り返したのだ。(((ついに毒が脳まで回ったか?いや、これもまだ芝居かもしれん)))スカベンジャーはなおも用心深かった。
十数個のハッチを開き終えたニンジャスレイヤーは、脚をふらつかせながら、再びジュー・ジツを構えた。「イヤーッ!」彼の不屈の闘志を嘲笑うかのように、前方の紅葉落葉の中から出現するスカベンジャー!直立不動の姿勢で着地する!「逃げ道は無いぞ、ニンジャスレイヤー=サン。貴様の負けだ」
「マツタケ……」ニンジャスレイヤーが言い放つ。覆面の下でぎくりとした表情を作るスカベンジャー。「……マツタケがオヌシの再生能力の源だな、スカベンジャー=サン。それゆえ私を松林におびき寄せた……!」「……いかにもその通りだニンジャスレイヤー=サン!だがそれを知ってどうなる?」
「耳を澄ますがいい、薄汚い死肉漁りのハイエナめ。オヌシを殺すのはライオンでもタイガーでもない……」「何を、面妖な……!」スカベンジャーは警戒する。もしや、ニンジャスレイヤーが何らかのジツやヒサツ・ワザを隠し持っているのではないかと勘繰ったのだ。だが、それはジツではなかった!
「ニィイイイイーッ!」「ニィ!ニィイイイイイーッ!」「ニィイイイイイーッ!」「ニィイイイイイーッ!」「ニィイイイイイイイーッ!」それは鹿の大群!隔壁のロックを開放されたことで地下研究所から脱走した無数の鹿たちが、ニンジャスレイヤーの開いたハッチから一斉に飛び出してきたのだ!
「ニィイイイイーッ!」「ニィ!ニィイイイイイーッ!」「ニィイイイイイーッ!」「ニィイイイイイーッ!」「ニィイイイイイイイーッ!」広大な松林の全域に出現した鹿たちは、培養シャーレを汚染するジャームめいて一瞬で地面を覆いつくした。貪欲な彼らはマツタケの臭いを嗅ぎつけ……喰らう!
「しまった!マツタケが!」狼狽するスカベンジャー!スリケンを投擲して鹿の虐殺を試みるが、とうてい殺しきれる数ではない!イナゴの群れに抗うファラオのように無力だ!そこで生まれた一瞬の隙目掛けて、ニンジャスレイヤーの杭打ちめいた低空トビゲリ!「イヤーッ!」「グワーッ!」
雄大な楓に叩きつけられるスカベンジャー!枝葉が揺れ、紅葉が月光に照らされて舞い落ち、鹿との間に雅なコントラストを生み出した。花札タロットに描かれる滅びの暗示のカードにも酷似した、幻想的な光景だ。地面に向け落下するスカベンジャー。それよりも速くフジキドのカラテが叩き込まれる!
右ストレート!「イヤーッ!」「グワーッ!」左ストレート!「イヤーッ!」「グワーッ!」右ストレート!「イヤーッ!」「グワーッ!」左ストレート!「イヤーッ!」「グワーッ!」右!「イヤーッ!」「グワーッ!」左!「イヤーッ!」「グワーッ!」「答えろ……ザイバツの本拠地は、どこだ?」
「答えるものか!俺のロードへの忠誠心は、死してなお砕けん」「では死ね」右!「イヤーッ!」「グワーッ!」左!「イヤーッ!」「グワーッ!」右!「イヤーッ!」「グワーッ!」左!「イヤーッ!」「グワーッ!」右!「イヤーッ!」「グワーッ!」左!「イヤーッ!」「グワーッ!こ、答える!」
「駄目だ」とニンジャスレイヤーの眼光が無慈悲に光る!「オヌシのような手合いは嘘を吐く。ゆえに直ちに殺す!」右!「イヤーッ!」「グワーッ!」左!「イヤーッ!」「グワーッ!」渾身のカラテチョップ!「イイイイヤアアーッ!」「グワーッ!サ…サヨナラ!」スカベンジャーの体は爆発四散!
ニンジャの爆発が、一瞬、松林を橙色に照らす。鹿たちは咀嚼を止め、夜空に向かって満足そうに、しかしどこか物悲しそうに嘶くと、再びマツタケを貪り始めた。カラテを使い果たしたフジキドはその場にへたり込み、松の枝に背を預けて、しばし目を閉じる。サツバツ。チリチリと鈴虫が鳴いていた。
5
「火災ドスエ……火災ドスエ……」ヨロシサン製薬地下研究所の統合モニタ室には、電子マイコ音声による無機質なアラートが鳴り響いていた。非常ボンボリが回転し、室内は赤と黒、そしてUNIXが放つ緑色の光に支配される。
捕獲されていた哀れな鹿たちは、野火に終われる狂った獣の群のごとく、地上に向かって突き進んだ。一部のアルバイターは、持てるだけのドリンク剤を持って脱出したが、大半の者は火災報知設備の誤作動を疑い(下層ではよくあることだ)、バイト代を満額貰うためにリラクゼーションホールに残った。
モニタ室にはLAN直結でマザーUNIXを操作するマサムネ、その左右に控えて数十個のモニタ映像を見るヨシチュニ、セントール。部屋の隅には、拘束具を着せられたヨシダ先生。白い床ではネギトロめいた死体に変わった2体のクローンヤクザの血液が、緑からどす黒い赤へと酸化するところだった。
「こんな反抗は無意味だ、マサムネ=サン!」ヨシダ先生は体をよじらせながら言った「すぐに本社が異常に気付き施設のUNIX権限を奪い返す!クローンヤクザ軍団が雪崩れ込んできて、君らを殺すぞ!無関係の研究員も死ぬかもしれない!良心の呵責が原因なら、独りで静かにセプクでもしたまえ!」
「……良心の呵責?」マサムネは自嘲的な笑みを浮かべ、6個のUNIX画面を青い瞳で睨みながら答えた「俺に良心なんていうものが、残っているとは思えないな……。そんな言葉で俺は止まらない。俺はブッダじゃない。研究員や、鹿や、アルバイター……全て救うことなんか、はなから……諦めてる」
「……セプクは後でするだろう」マサムネは誰にともなく言った「その前に、成すべきことがある……大切なことが……。……俺も昔は考えていた。バイオの力で幸福な未来が訪れることを。俺はアンダーガイオンの出だ。家族でただ独り、ネオサイタマに留学で送り出され、ヨロシサン製薬に入った……」
「……俺は薄情だったよ。カチグミに成りすますため、容姿を変え、思考を変え……いつしか……」廊下側で大きな物音がした。防弾ガラス越しに、クローンヤクザ軍団の姿が見える。ロックを物理的に破壊し、雪崩れ込もうとしているのか。セントールはそちらを向き、威嚇のために低い唸り声を上げた。
「クローンヤクザだ。今ならまだ間に合う。マサムネ=サン、無駄な抵抗をやめるんだ」ヨシダ先生は同じ繰言を続けている。三人のうち、誰も彼の動きを警戒する者はない。彼は冷汗を垂らしながら脳内UNIXにコマンドを送る。首の端子穴から寄生虫めいたバイオLANケーブルが生え、床を這った。
流石はヨロシサン製薬の管理職。冒涜的な特殊肉体改造だ。LAN端子はそのまま、天井の監視カメラ銃に這い寄る。「……俺は結局、けちな人間なのさ。より善い社会なんか、どうでもいい。……助けたいと思った人間だけを助けたい……」マサムネはUNIX制御に集中し、この動きを察知していない。
「統制下な」「統制下な」「統制下な」「統制下な」……UNIX画面に次々と重点ウィンドウが出現し、極太ミンチョ体でアラートメッセージが点滅する。ヨロシサン製薬キョート支部が異常に気付き、施設制御権をリモートで奪い返しにきたのだ。火災警報が止まり、モニタ室のロックが……解除!
「「「ザッケンナコラー!!」」」雪崩れ込んでくるクローンヤクザ軍団!「ニィイイイイーッ!」身を挺して突撃するセントール!「……ブッダファック!あと少しで……!」マサムネがLAN直結のタイピング速度をブーストし、統制権の再奪還を試みる。ヨシダ先生の制御するカメラ銃が……動く!
マサムネから預かったオートマチック拳銃で廊下側を警戒していたヨシチュニは、ヨシダ先生の繰言が止まった事に嫌な予感を覚え、背後を振り向いた。ナムアミダブツ!水色のLANケーブルがいつの間にか天井に!?監視カメラ銃が動いた!?「マサムネ=サン!アブナイ!」絶叫するヨシチュニ!
ヨシチュニは生まれて初めて銃を使った!闇雲にトリガを引く!セントールは銃器で武装したクローンヤクザと戦闘を続ける!「ニィイイイーッ!」「グワーッ!」「アバーッ!」BLAMBLAMBLAMBLAMBLAM!室内に入り乱れる銃声と絶叫!「グワーッ!」「グワーッ!」「アバーッ!」
……1分後。ヨシチュニは床で仰向けに倒れていた。頭痛を堪えながら、目を開く。視界の周囲が、霧の掛かったように白くぼやけている。体に銃創は無い。クローンヤクザに背後から頭を殴り飛ばされたのだが、彼はそれを覚えていない。無我夢中で叫び、トリガを引いていたからだ。
ヨシチュニは起き上がった。室内は数十体以上のクローンヤクザの死体と真っ赤な血で染め上げられていた。部屋の隅ではヨシダ先生が絶命し、足先をビクビクと痙攣させていた。モニタの中では彼の最高傑作であるスカベンジャーがちょうど爆発四散をとげていたが、彼はそれを見ることなく息絶えた。
「……ニィィィィーッ……」低く哀しげな鳴き声を聞き、ヨシチュニは身体を強張らせた。背後を振り向く。傷だらけの怪物が力無く横たわるマサムネを両腕で抱え上げていた。「……ニィィィィィーッ……ニィィィィーッ……」怪物は鳴き続けた「……ニィイイイ……サン……ニイサン……オニイサン」
「……兄さん?」ヨシチュニは頭を押さえながら言った。ヨシチュニの声を聞いたセントールは、荒々しい嘶き声をひとつ残し、マサムネを抱えたままモニタ室から走り去っていった。拳銃を握ったままモニタ室に残されたヨシチュニは、セントールの作った死体の道を追って、ヤバレカバレで脱出した。
◆◆◆
アンダーガイオン下層部の工場エリアで、第1シフト労働終了を告げる雅楽的サイレンが鳴った。地下都市アンダーガイオンに夕暮れは無い。ガコン、ガコンという武骨な機械音が上空で鳴り響き、擬似太陽が消灯される。ディジタル的に一日のサイクルが形作られる。
オレンジ色の作業服を着た労働者ヨシチュニ・ヒロシは、監視ゲートで労働賃金を受け取ると、オミヤゲ・ペナント工場を後にした。労働者の群れは、今夜のスシや電脳マイコセンターを求め、魚群めいてオイシイ・ストリートへ向かう。ヒロシも数時間ぶりにIRC端末を操作しながら、流れに乗った。
アンダーガイオンも、下層労働者たちも、ヨロシサン製薬も、何も変わってはいない。工場事故は隠蔽され、またいつものトカゲの尻尾切りだ。変わったのは、ヨシチュニ・ヒロシの生活だけである。暗黒メガコーポの恐怖を工場の仲間たちに説こうとした彼は、アナーキストと思われムラハチにされた。
いつまでここに居られるだろう。ヨシチュニは不穏なアトモスフィアと疑念の視線を感じながら、環状水槽を泳がされるマグロめいた労働者たちの列に並んだ。ネギトロ丼に並び、トークンを入れて、購入し……それから、また不安感に襲われて、ヨロシサン製薬の合法栄養ドリンク剤販売機の前に立つ。
(((マサムネ=サン、僕は強くないんです。戦えませんよ……)))自販機のLEDメッセージボードに、「不安が病気」のドット文字が流れる。ヨシチュニの指が、購入ボタンに向かう。その手を止めるマサムネは、もういない。ヨシチュニはしばし葛藤し、それから……硬貨返却ボタンを押した。
「僕には観察力とコミュニケーション能力しかないんです。あなたのように強くないんです。だから、あなたのような人を、また、探します……そのために……」ポケットに入れた万札の感触を確かめながら、彼はパンクス用ヘアサロンへと向かった。ターコイズ・モヒカンとして生まれ変わるために。
【チューブド・マグロ・ライフサイクル】終
N-FILES(原作者コメンタリー、設定資料)
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N-FILESは原作者コメンタリーや設定資料等を含んでいます。
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