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【FREE SAMPLE】ニード・フォー・アナザー・クルセイド


「知らん顔だな。中身はただのヤクザか、つまらん……」

 ニンジャは血を吐き捨ててから、心底残念そうに舌打ちすると、血と汚物まみれのテング・オメーンを男の顔に戻した。そして右腕を振り上げ、オメーンの長い鼻を、情け容赦ないカラテ・チョップの一撃で切断した。カラン、カランと空虚な音を立て、切断された鼻が足元に転がる。既に死んだのか、男は項垂れたまま動かない。

 それでもまだこのニンジャ、ディサイプルの怒りは収まらなかった。むしろ、この男がただのヤクザであったという事実により、堪えがたい怒りが腹の底から沸々と湧き上がってくるのだった。

「ただのヤクザが……ヤクザごときが、調子に乗りおって……! イヤーッ!」

 ニンジャの拳が、椅子に縛り付けられた男の鳩尾へと叩き込まれた。

「ウッ……」

 テング・オメーンの男は項垂れたまま小さく痙攣し、低いうめき声を喉の奥から漏らした。未だ生きている。ぼたり、ぼたりと、オメーンの顎から血と汚物の滴が垂れ落ち、彼のヤクザスーツと、磨き上げられたヤクザシューズを汚した。

 いまだ生きている。だが彼は身動きできない。殴られるがままだ。その逞しい両脚は椅子に、雄々しい両腕と胴体は椅子ごと後方の柱に、それぞれ金属製ワイヤーと鎖で拘束されている。インガオホー。これがニンジャに挑みアンブッシュ殺に失敗したニンジャハンターの、哀れな末路なのか。

「……ヤクザ天狗=サン……」

 倉庫の隅、薄汚い血だまりの中に這いつくばった瀕死のレッサーヤクザが、祈るように彼の名を呼んだ。

 ヤクザ天狗。孤高のニンジャハンター。これまでに数名のニンジャを狩り殺し、生き延びた男。

 だがいまや、彼はニンジャの殺人カラテ・コンビネーションによって打ち据えられた。ニンジャハントの切り札である二挺の赤漆塗りオートマチック・ヤクザガン「アブソリューション」と「リデンプション」も、使い込まれたドス・ダガーも、そして背負い式ジェットパックも、全て剥ぎ取られ、倉庫の床に投げ捨てられていた。

 武器は無し。身動き不能。孤立無援。

「イヤーッ!」

 ニンジャが、さらなるカラテパンチを繰り出した。

「グワーッ……!」

 ヤクザ天狗のうめき声は、廃マグロ倉庫の壁で小さく反響し、虚無の中へと吸われていった。

「……ヤクザ天狗=サン……!」

 瀕死のレッサーヤクザは、まるで自分が痛めつけられているように歯を食いしばり、涙を流し、震え、目を閉じた。そして嗚咽した。体から、血が流れ出し続けていた。

 天井のタングステン灯が、バチバチと火花を散らす。

 広い倉庫内。床には大の字に倒れたヤクザの死体が三つ。その横に「メデューサ」と書かれた穴だらけのノボリ。白目を剥いたオイランの死体が二つ。血の海に空薬莢多数。ケンの体から流れ出した血も、それら全てと重なって、床一面に混ざり合い、どこからどこまでが誰の血なのか、もう解らない。血が流れすぎた。

 少し離れた場所には、大金の入った血まみれのボストンバッグがひとつ。ケンはそこに這い寄ろうとしていた。ディサイプルは、ケンの動きには目もくれない。ケンは既に、スリケンと銃弾を受けて致命的な出血。仮にボストンバッグを手にしたとて、どこへも逃げられはしない。何の意味も無い足掻き。それでもヤクザはカネに引き寄せられる。ネオンサインの光に引き寄せられる蛾のように。

「泣き喚くがいい、ヤクザ天狗=サン!」

 ディサイプルの怒りと嗜虐心は、ただ、目の前のヤクザ天狗にのみ注がれていた。殺そうと思えば、今すぐにでもカラテチョップで首を飛ばせる。だが、しなかった。この男を生きたまま組織に差し出せば、ボスからかなりのインセンティブ報酬を得られるからだ。加えて、ニンジャである自分を傷つけ、あまつさえ恐怖の感情さえも思い出させたこの男を、そう簡単に殺すわけにはいかなかった。

「ブザマに命乞いしろ! イヤーッ!」

 みたび、ニンジャの拳がヤクザ天狗に叩き込まれた。それは獲物を痛めつけ、恐怖を刻みつけるための、残忍なカラテであった。

「ゴボーッ……」

 ヤクザ天狗はオメーンの奥で嘔吐した。それでも、彼の口から悲鳴や命乞いの言葉が漏れ出すことは、決して無かった。

「……せ……聖戦は、止められぬ……」

 ヤクザ天狗はニンジャの力を持たない。彼はチャントで己の魂を守る。彼は魂を鋼鉄のように硬くする。為すべきことを為すために。悲鳴の代わりにヤクザ天狗が漏らすのは、謎めいたモージョーのみ。

「……ニンジャが山の上でカタナを高々と掲げると、そこに雷が落ちて……四方八方にほとばしり……まばゆい……稲妻と雹がエジプト全土を襲った。……カタナを掲げるニンジャの……笑い声が……響き渡った……」

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ……狂人めが……!」

 ディサイプルは苦しげに顔をしかめ、がくりと片膝をついた。ディサイプル自身もまた、重傷を負っているのだ。先ほどのアンブッシュで重金属弾を何発も喰らい、右足はネズミに食い荒らされたチーズ状。ソウカイヤから支給されたZBRアドレナリン応急キットが、彼に一時間足らずの無痛状態と異常高揚をもたらしていた。

 事の発端は、すぐそこで死にかけているケンという名のレッサーヤクザであった。

 ソウカイ・シンジケートに吸収された「ダークメデューサ・ヤクザクラン」の所属であるこの若者は、吸収合併以降、日毎に厳しくなるミカジメ・フィーのノルマ上納とニンジャの横暴に追い詰められ、ただでさえ乏しい想像力と判断力を失った後、居酒屋でサケを奢ってくれたグレーターヤクザに焚き付けられて軽率に反乱を企てた。

 手筈の大半は、そのグレーターヤクザが整えてくれた。彼の手引きで、ケンはダークメデューサ・ヤクザクランのオヤブンの奥方とシークレット・ネンゴロ関係性になった。三度目に自宅に招かれた折、用意していた新型メン・タイで奥方がラリっている隙をつき、ケンは金庫から大金と未公開株権を奪って逃げた。こうして大金の詰まったボストンバッグとチャカ・ガンを手にしたケンは、オキナワ行きのリムジンと旅券を手にすべく、グレーターヤクザの待つこの廃倉庫アジトにたどり着いたのだ。

 そこでケンの目論見は、粉々に打ち砕かれた。グレーターヤクザやその部下、そしてお抱えのオイランたちは、冷ややかな笑みで彼を迎えた。何かが妙だとケンが思った時、ニンジャが回転しながら天井から飛び降りてきた。

(((ドーモ、私の名前はディサイプルです。ご苦労だったな、ケン=サン)))

 仲間だと思っていたグレーターヤクザとオイランの後ろに、ソウカイ・ニンジャがいたのだ。全てグルだった。ケンは嵌められたのだ。

(((貴様はタマ・リバーに浮かんでもらう。このカネは俺が100パーセント着服する)))

(((ちくしょう……こ、こんな非道が……!)))

(((こんな非道が? 罷り通るのだ! 何故ならば俺はニンジャだからだ! 愚かなゴミ虫めが!)))

 突きつけられる四つの銃口とスリケン。ケンが絶望に飲まれかけた時。

 廃倉庫の扉が蹴破られた。

(((神々の使者、ヤクザ天狗参上……!)))

 テング・オメーンにヤクザスーツ姿の男が現れ、朗々たる声でアイサツした。倉庫内のアトモスフィアが凍りつき、全員の目が、この天狗面の狂人に注がれた。この男が何者なのか、ケンは知らなかった。会ったことも、その名を聞いたこともなかった。

(((ドーモ、ヤクザ天狗=サン、ディサイプルで……)))

(((ザッケンナコラーッ……!)))

 雨のような重金属弾がアイサツを遮った。廃マグロ倉庫は銃弾とスリケンが乱れ飛ぶ血の海へと変わった。ケンもチャカ・ガンを構え、ヤバレカバレで戦った。

 だがヤクザ天狗のアンブッシュは失敗した。ニンジャを殺しきれなかったのだ。ヤクザ天狗はディサイプルの殺人カラテ・コンビネーションによって打ち据えられた。ケンが得たのは、カネの詰まったボストンバッグとオキナワ旅券ではなく、その腹に突き刺さったスリケンと、腿に残ったグレーターヤクザの銃弾だけだった。

 そして今、この有様であった。

 ディサイプルは笑い、よろめきながら、倉庫の壁に向かって歩いた。途中、強化三重構造チタン・カーボン製IRC端末をニンジャ装束の胸元から取り出し、血だまりの中に放り捨てながら歩いた。ディサイプルの命を銃弾から救ったIRC端末は、ピンク色のネオンの輝きを断末魔めいて放ちながら転がり、バチバチと火花を散らした。

「このまま楽に死ねると思うなよ、ヤクザ天狗=サン! 貴様にジゴクを見せてやる! シンジケートに楯突く虫を、ボスは決して許さん!」

 ディサイプルは壁に埋め込まれた受話器を取り、素早くダイヤルし、ソウカイ・ネットに呼び掛けた。

「モシモシ! モシモシ! ヤクザ天狗を捕獲しました! 今すぐ増援と救護を……!」

 ツーッ、ツーッ、ツーッ、ツーッ。冷酷なビジー・トーンが受話器から返る。ディサイプルは壁に寄りかかり、舌打ちした。ZBRアドレナリンの波が一時引き、全身に倦怠感が広がり、受話器が鉛のように重く感じられた。

「ヤクザ天狗=サン、貴様まさか、事前にこのアジトの電話回線を切断して……!」

「……聖戦を止めることはできぬ……」

「コシャクな狂人めが……!」

「……贖罪(リデンプション)と赦し(アブソリューション)を……」

「戯言を!」

 ディサイプルは己の手が震えているのに気づいた。それは、怒りと恐怖が入り混じった震えだった。

「……ファラオは畏れ入り、みたびドゲザした……」

「そのクソッタレの戯言を止めろ!」

 ディサイプルが怒鳴った。だがヤクザ天狗は止めなかった。

「……聖戦は……止められぬ……」

 もうほとんど意識はなく、壊れたテープレコーダーめいて、うわごとを繰り返しているだけに見えた。

 ディサイプルは受話器を持つ手をわなわなと震わせた。手の震えが強まり、受話器がメキメキと軋み始めた。ディサイプルはいまや、自分がヤクザ天狗という男の狂気を恐れていることに気づいた。

「……バカな、俺はニンジャだ! 末端といえどソウカイヤのニンジャだ……! 奴はただのテング・オメーンを被ったヤクザだぞ……! 何故、俺が、ヤクザごときを恐れねばならん……!?」

 充血した目を今にも飛び出しそうなほど見開き、ディサイプルは狂おしげに頭を掻き毟って、壁を殴りつけた。

 何が起ころうとしているのか悟ったケンは、ヤクザ天狗の身を案じた。神々よ、あの男を助け給えと。

「殺さねばならん! シンジケートの指示など待っている場合ではない! 殺さねばならん! 今すぐに! ヤクザ天狗=サン、貴様を殺す! 殺す! 命乞いをしろ!」

「……贖罪の聖戦を……」

 CRAAAAASH! ディサイプルはニンジャ筋力を振り絞り、右手で受話器を握力粉砕した! ナムアミダブツ!

「死ね! ヤクザ天狗=サン! 死ねーッ!」

 左手でスリケンを構え、投擲姿勢を取った!

 その時である。

 ディサイプルの後方で、コンクリート壁が粉砕されたのは。

 SMAAAAASH!

「何だと……!?」
 ディサイプルはニンジャ反射神経で振り返り、恐怖に目を見開いた。ニンジャアドレナリンが湧き出し、彼の視界はスローモーションに変わった。

 それは聖戦(クルセイド)と名付けられた、黒いヤクザモービルであった。それはヤクザ天狗の無線LANによって遠隔操縦され、時速893kmめいた黒い砲弾となって突撃し、廃倉庫の壁を突き破ったのだ。

「イ、イヤーッ!」

 ディサイプルは咄嗟に素早い四連続側転を打った。轢殺こそ免れたが、素早い四連続側転が災いし、着地時に右足が折れ、脛の骨が肉と皮とニンジャ装束を突き破った。アンブッシュの重金属弾で抉られていた箇所であった。

「グワーーーッ!?」

 ディサイプルの足から、壊れたスプリンクラーめいて血が吹き出した。

 ギャギャギャギャギャ! そのまま倉庫内を走り抜けたヤクザモービルは、マグロめいて転がるヤクザ死体やオイラン死体を再轢殺しながら、ヤクザ天狗が縛り付けられている柱めがけて走り、真後ろから激突した。ヤクザ天狗は可能なかぎり頭を低く下げて体を丸め、飛行機墜落時ポーズを取っていた。それはレッキングボールの一撃めいて強烈だった。

 SMAAAAAASH!

「グワーーーーッ!」

 椅子に拘束されたまま、ヤクザ天狗は突き上げられるような衝撃を受け、激しく全身を揺さぶられた。ブッダが天界で巨大な鐘をつき鳴らしたかの如く、倉庫内の空気がビリビリと揺れ、凄まじい衝突音が響いた。天井からキナコ・パウダーめいた大量の粉塵が降り注いだ。四角いコンクリート柱が砕かれ、ヒビが入った。やがて柱はメキメキと音を立てながらゆっくりと傾き、ヤクザモービルの上に倒れた。

 この世の終わりのごとき死の静寂が、倉庫内を覆っていた。ヤクザ天狗は柱の破壊によって腕と胴体の拘束を脱し、椅子ごと横に倒れていた。彼はそのまま一分近く、死んだように動かなかったが、やがてドス・ダガーを拾い上げ、椅子のワイヤー拘束を解き、ガレキの中から這い出し始めた。

 ZZZZZT……。ヤクザモービルのフロントは完全破損。ドアもひしゃげた状態で開き、内部からバチバチと火花を散らす。ヤクザ天狗はあらかじめ周辺に待機させていたヤクザモービルを使って倉庫の壁を砕き、ニンジャを奇襲し、自らを拘束していた柱を破壊したのである。およそ正気の沙汰では無かった。

「アイエエエエエエ……」

 何が起こったのか理解できぬまま、ボストンバッグの横でケンは唖然とし、陸に打ち上げられたマグロのように、口をぱくぱくとさせていた。彼がナメクジめいて這い進んできた血の道と、ヤクザモービルの血染めのタイヤ痕が、すぐ後ろで交差していた。

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ……」

 ヤクザ天狗はコンクリート床で大の字に転がったまま、苦しげに息を吐いた。

「ウウーッ……」

 ヤクザモービルを挟んだ反対側では、ディサイプルがガレキの中に倒れ、折れた脚を押さえながら呻いていた。満身創痍の体からは、ニンジャの血が失われ続けていた。

「ウウウウーッ……」

 ヤクザ天狗は呻きながら体を転がし、うつ伏せの状態になった。倉庫内はまだ深海のように静まり返り、粉塵のパーティクルが舞っていた。ヒュンヒュンヒュンヒュン……壁に取り付けられた巨大なファンが回り、路地裏で明滅するLED光を招き入れ、青白い光の筋を廃倉庫の虚空に描き出していた。

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ……イヤーッ!」

 ディサイプルが動いた。苦悶に顔を歪めながら、瓦礫の上でネックスプリングを決めた。着地と同時に、ZBRアドレナリンの閾値を超えるほどの激痛が折れた足に走った。彼は歯を食いしばり、カラテを構えながら、素早く倉庫の四方を見渡した。ヤクザ天狗は力尽きたかのように、身動きひとつしなかった。

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ……! ソウカイヤに……救援を請わねば……!」

 短い状況判断を行い、ディサイプルは逃げた。折れた脚を引きずりながら、回廊へと消えていった。

「……ヤクザ天狗=サン!」

 ケンは必死で声を振り絞った。

「ッケンナコラーッ……」呻き声が返った。

「……ヤクザ天狗=サン、あいつが、ニンジャが逃げちまう……!」

 瀕死の重傷でありながらも、ケンは自分の傷の手当てを請うのではなく、真っ先にそれをヤクザ天狗に伝えた。それを伝えねばならないと本能で解っていたからだ。ケンはヤクザ天狗が何者なのか知らない。ただ、ヤクザ天狗はあのニンジャを追わねばならない。ヤクザの本能がそれを彼に伝えていた!

「ウウーッ……」

 ヤクザ天狗はオメーンの下で歯を食いしばり、サイバネを軋ませながらプッシュアップで上半身を起こしてゆく。破れたヤクザスーツの奥で、バチバチと火花が散る。盛大にクラッシュした事故車を持ち上げるジャッキめいて、少しずつ、ヤクザ天狗の体が起き上がってゆく!

「タッ……テコラーッ!」

 ナムアミダブツ! ヤクザ天狗は獣の吼え声めいたヤクザスラングとともに、ついに両足で立ち上がった! 彼はニンジャのような超人的な力を持たない。モータル、常人である。ただ鋼のような意志力と狂気の力だけがヤクザ天狗を立ち上がらせ、ニンジャに立ち向かわせるのだ! 

「あいつを……あいつを追ってくれ! ヤクザ天狗=サン!」

 ケンは右手の指先から血を滴らせながら、オートマチック・ヤクザガンの転がっている場所をヤクザ天狗に指し示した!

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ……!」

 ディサイプルは片足をブザマに引きずりながら、長い回廊を逃げた。積み上げられた錆だらけのコンテナやドラム缶を、左へ左へと乱暴に押し倒しながら進んだ。足が折れ、常人の三倍近い脚力を活かすこともできない。異常なほど噴き出してくる汗を拭いながら、ディサイプルは走った。

 出血が止まらない。ディサイプルの生命は危険にさらされていた。直ちにソウカイ・シンジケートと連絡を取らねばならない。こちらから連絡を取らない限り、シンジケートは今夜、自分のような末端をあえて気には留めないだろう。シンジケートは現在、ネオサイタマ内におけるザイバツの動きに神経を尖がらせており、シックスゲイツの監視の目は、このような場末のストリートや零細ヤクザクランの同行などには向けられていないのだ。

 ソウカイヤとザイバツ。二大ニンジャ組織の軋轢が生み出す剣呑アトモスフィアの中で、ディサイプルの非道な現金着服計画は何件も順調に進んでいたが、今夜はそれが逆に仇となった。そして狂ったニンジャハンターを引き寄せ。

「スッゾコラーーーーッ!」

 ヤクザスラングが回廊に響き渡った。ディサイプルは目を見開き、後方の暗がりを振り返った。ヤクザスーツに天狗面の狂人が追いかけてきていた。オメーンの奥ではサイバネアイが不気味に輝き、飛び回る羽虫のようなランダム・パターンを空中に描いていた。

 ディサイプルは、ひと瞬きのわずかな時間で、迎撃するか否かの状況判断を迫られた。……敵は満身創痍だ。ジェットパックは背負っていない。だが、その黒レザー手袋には赤漆塗りのオートマチック・ヤクザガンが握られている。このLAN直結型拳銃は、ニンジャにとってすら致命的だ。ディサイプルは先程、それを身を以て味わった。

 加えてヤクザ天狗を殺したところで、ソウカイヤ救護班の到着が早まるわけではない。己はニンジャだ。本来、モータルなど歯牙にもかけぬほどのニンジャの血が、大いなるカラテが、今この瞬間も全身から流れ出しているのだ。許せぬ。だが、これ以上の血を失うわけにもゆかぬ。たかが天狗面の狂人一人を殺すことと、ニンジャである己の命を繋ぐことでは、その価値に雲泥の差がある……!

 ディサイプルは前方に視線を戻し、一心不乱の逃走を続けた。

 廃倉庫回廊の暗闇を、バチバチと明滅するタングステン非常ボンボリ灯に照らされながら、ハンターとその獲物は走り続けた。

「ザッケンナ……コラーッ!」

「ハァーッ! ハァーッ! ハァーッ! ハァーッ!」

 BLAM! BLAMBLAMBLAM! 後方からの銃撃!

「イヤーッ!」素晴らしい飛び込み前転! 銃弾がディサイプルを掠める! 着地から素早く立ち上がり、ニンジャは走り出す!

 BLAMBLAMBLAM! 再度の銃撃!

「イヤーッ!」ディサイプルはニンジャ反射神経による左右へのスウェーとブリッジで弾丸を紙一重回避しながら、死に物狂いで走った。傷と疲弊ゆえ、その速度はニンジャとは思えぬ緩慢さであった。

「……マテッコラーッ!」

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」

 ディサイプルはロックドアを荒々しい三連続ショルダーチャージでこじ開け、建物外への脱出路を開いた。デスタニ・ストリートのスラム街と冷たい重金属酸性雨がニンジャを出迎えた。

 BLAM! 銃弾が足元のタイルをえぐり、闇の中で踊った。天狗はまだ追ってきていた。時刻はウシミツアワー。ストリートは巨大な死神が歩いた後のように静まり返っていた。

「イヤーッ!」

 ディサイプルは飛び込み前転で次の銃弾を回避しながら、ストリートへと飛び出した。ヤクザ天狗がなおもその後を追った。

「「……ハァーッ! ……ハァーッ! ……ハァーッ! ……ハァーッ!」」

 銃撃。回避。人気のないストリートで継続する死のチェイス。出血がじわじわとニンジャの体力を奪う。二者の距離が徐々に縮まってゆく。まるでゴールを争うヤクザオリンピック長距離マラソン選手の如く、二者は体を傾げ、苦しげに肩で息をしながら、必死で腕を振り上げ、重金属酸性雨の中を走った。

 前方十字路、右手から伸びる長いヘッドライト光が見えた。

「タクシー!」

 血みどろの半神的存在が加速し、手を挙げた。

「ザッ……ケンナコラーッ!」

 後方から、ヤクザ天狗の悔しげな怒号が浴びせられた。贖罪の天使は重金属弾のリロードを行っており、即座の射撃が不可能であった。ディサイプルはその隙を突いたのだ。

「タクシー!」

 勝機を得たディサイプルがさらにスプリント加速し、両手を掲げ、車道に飛び出した。一度止めさえすればタクシーをカラテ強奪し、近隣のソウカイ事務所まで逃げおおせられる。通信装置を積んでいればなお良い。ディサイプルの顔が残忍に歪んだ。……だが。

 ギャギャギャギャギャギャ! タクシーは反対車線まではみ出るほど大きくカーブしながら、時速666kmじみた速度でディサイプルの横を素通りして、そのまま走り去っていった。

 サイバーサングラスをかけた無表情なタクシードライバーには、助けを求めて飛び出してきた人影が何者であったか判断するための時間も、またそのようなものの素性に気を払う道理も無かった。彼はただインプットに対し反射的に行動した。用心深いネオサイタマのタクシードライバーは知っている。重金属酸性雨の中を走っているような者を乗せるべきではないと。この無慈悲な街では、誰かに追跡されて助けを請うているような者を乗せるべきではないと。

「おのれ!」ディサイプルが血眼でスリケンを構えた。

「ダッテメッコラーッ!」

 BLAMBLAMBLAM!

 オートマチック・ヤクザガンが、ついにディサイプルを捕えた。

「グワーーッ!?」

 重金属弾が背中側から突き刺さり、ニンジャの肺を粗悪なビニール袋のように引っ張りながら破り、そのまま胸骨を砕いて突き抜けて、反対車線側のブロック塀に命中した。崩れかけたブロック塀には「情にサスマタを突き刺せば、メイルストロームへと流される」の警句がスプレーで殴り書きされていた。

「グワーーーーーーーッ!」

 ディサイプルは血を吐きながら、空中できりもみ回転し、ずぶ濡れのアスファルトに背中から叩きつけられた。彼はロードキルされた蛙めいて仰向けに転がり、ブザマに痙攣し、ニンジャの血を流し続けた。体温とカラテが失われてゆく。冷たい重金属酸性雨がそれをすぐに押し流し、ミステリアス蒸気を吐き出す汚水側溝へとフラッシュする。

「……ハァーッ! ……ハァーッ……ハァーッ……!」ヤクザ天狗が息を切らしながら駆け寄り、すぐ横に立って銃を構えようとしたが、あまりの苦しさに項垂れ、両膝に手を当てて喘いだ。そして嘔吐した。汚物と血が、重金属酸性雨に溶けてゆく。冷たい重金属酸性雨がそれをすぐに押し流し、ミステリアス蒸気を吐き出す汚水側溝へとフラッシュする。

 その間も、ディサイプルには何もできなかった。カラテは尽き果て、もはや指先ひとつ動かすこともできなかった。ヤクザ天狗は再び体を起こし、オメーンの口元をヤクザスーツの袖で拭うと、赤漆塗りのオートマチック・ヤクザガンを構えた。ディサイプルは死を悟った。

「ヤ……ヤクザ天狗=サン、教えてくれ……お前は何が望みだ。何故ニンジャを殺している……」

「ファラオが……私にドスダガーを投げ寄越した。お前達全員をジゴクへと送り返す……」

 ヤクザ天狗は自らが考案したチャントを唱え続けていた。ディサイプルの耳には、ただの狂人の言葉にしか聞こえなかった。そして自分は、ただの狂人に追い詰められて殺されるのだと。いや、あるいは、この街の狂気によって殺されるのか。

「頼む……教えてくれ。……カネか? 恨みか? 復讐か? 俺に理解出来る理由を示してくれ……」

「贖罪だ……私がお前達を生み出してしまったのだから」

「やめろ、やめてくれ、ヤクザ天狗=サン……」ディサイプルは狂気に身震いし、ブザマに命乞いをした。怖気を振るい、全身から熱と感覚が失われていった。ゴボゴボと、ニンジャの喉で血の音が鳴った。ニンジャソウル憑依によって半神的存在と化した男は、スラム街の泥水の中で死に行こうとしていた。

「やめてくれ」

 ヤクザ天狗はやめなかった。歯を食いしばり、論理トリガを引いた。

「ブッダエイメン!」BLAMN!

「サヨナラ!」脳天に銃弾を受け、ディサイプルは爆発四散した。

「ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ、ハァーッ……」

 ケンは廃マグロ倉庫の床に座り込み、大金で膨れ上がったボストンバッグの腹を愛おしげに撫でていた。蛮勇の熱狂は冷め、意識が薄れ始めていた。ケンの脇腹と腿からは、際限なく血が流れ続けていた。床には血の染みが広がり、先に死んだグレーターヤクザやオイランたちの血と混ざり合い、全てが冷たく変わろうとしていた。

 自分は死ぬだろう。何を得られただろう。何を残せただろう。すぐ横には、ケンの手で額に銃弾を撃ち込まれたグレーターヤクザが、白目を剥いて死んでいた。ケンが兄のように慕っていたこのグレーターヤクザも、所詮はニンジャの下僕であり、自分を罠に嵌めた裏切者に過ぎなかった。大金を持って帰った自分を、バカなガキでも見るように、冷笑で迎えるだけだった。

 物音が聞こえた。重金属酸性雨まみれのヤクザ天狗が廃倉庫に戻ってきた。彼は何かを倉庫の床に放り投げ、屈みこんで二枚のセンベイを配置し、チャントを唱えて火を放った。彼が何をしているのか、ケンには全く理解できなかった。それからヤクザ天狗はガレキに埋まったジェットパックを掘り出して背負い直すと、破壊されたサイバネ部から火花を散らし、荊の道を歩く殉教者めいて苦しげに息をしながら、ケンのもとへと近づいてきた。

「ヤクザ天狗=サン……アンタは……一体何モンなんだ……?」

 血溜まりの中で、ケンはうわごとのように呟いた。ヤクザ天狗は答えた。

「神々の使者」

「神々の……」

「お前が、私を呼んだのだ」

「呼んだ覚えは……」

「呼んだのだ」

 ヤクザ天狗は歩み寄り、瀕死のレッサーヤクザの前にすっくと立った。ケンの視線はまず、彼の磨き上げられた艶のあるヤクザシューズに惹きつけられ、ソンケイが高まった。次いで、傷だらけのヤクザスーツと彼のたくましい肉体、破壊されたサイバネ、そして表情読めぬテング・オメーンを見た。ケンは目を細め、その奥を見透そうとした。仮面の奥に隠された、哀しい男の表情を。

 ヤクザ天狗はオメーンの奥で、静かに涙を流しているようだった。

「このバッグの中身は、ニンジャハントの報酬、および車の弁償代として頂く」

 ヤクザ天狗は手を伸ばし、ケンが抱きしめている血まみれのボストンバッグを奪い取った。ケンは支えを失い、よろめいた。

「……ヤクザ天狗=サン、カネは持って行ってください。俺ァもう死にます。でも……怖いんです。ニンジャが……」

「ニンジャは殺した」

「ニンジャを、殺した……」ケンは歯を食いしばって笑った。「ヤクザ天狗=サン、あんた、すげえんだな……。ニンジャも殺せるんだ……。もっと早くあんたに出会えてたら、俺……。でも、もうダメだ。俺、もう死んじまうよ」ケンの体がガクガクと震え始めた。「怖え……まだニンジャが怖えんだ。あのニンジャが、俺を追って、ジゴクまでやってくるんじゃないかって……」

 ブザマな涙が零れ落ちた。

「……これを咥えろ」

 ヤクザ天狗は、胸元から一枚のオモチを取り出した。

「ニンジャの悪夢が浄化される」

 ソンケイに打たれ、ケンは涙を流した。

「ありがとう……ありがとうございます……ヤクザ天狗=サン」

「痛むか」

「ハイ」

「楽にしてやろう」

「ハイ」

 ヤクザ天狗はおもむろにケンを抱き上げた。ケンのねばつく血が上等なヤクザスーツを汚しても、ヤクザ天狗は気にしなかった。彼はそのまま、ケンをヤクザモービルの運転席に向かって運んだ。ケンはもう言葉も発せないほどに衰弱していた。このレッサーヤクザが命を取り留める見込みは、皆無だった。

 ケンはヤクザ天狗の腕の中で、それを視界の端に見た。先ほど燃やされたものが何なのか、ケンはようやく理解した。それはニンジャの生首であった。これから死ぬことが怖いはずなのに、ケンの表情は驚くほど穏やかだった。ニンジャの生首を包む炎は、揺らめく暖炉の炎にも似た安らぎをケンの胸にもたらした。

「お前が私を呼んだのだ」

 ヤクザ天狗はケンを運転席に乗せ終えると、弟の名誉を讃えるオヤブンめいて、彼の肩を叩いた。そしてだらりと力なく垂れたケンの腕を、穴開きの革グローブに覆われたその手を、片方ずつ順番に、ヤクザモービルのハンドルに乗せ、握らせてやった。ケンがこれほど力強く厳しい車のハンドルを握ったのは、生まれて初めてだった。

「お前がニンジャを殺したのだ」

 それを聞き、ケンはオモチを咥えたまま涙を流し、声を詰まらせて泣いた。ようやく解った。自分は誰かに褒めて欲しかったのだと。彼の眼の前には、強大なるヤクザモービルの、ヒビ割れた防弾フロントガラスが広がっていた。柱とガレキに押しつぶされ、暗黒が広がるフロントガラスは、蜘蛛の巣にまみれた場末の映画スクリーンのように見えた。

 ソーマト・リコールが始まった。薄暗い車道とヘッドライト。中央分離帯のミニマル・パターン。ケンは幼い頃、父の膝の上に座り、ハンドルに手を乗せた日のことを思い出した。街の外れまで荷物を運ぶだけの、小さくてダサいクルマだった。幼いケンが夢見たのは、分厚い装甲に守られた、強力なクルマ。銃弾を雨粒のようにはじき返し、どこまでも行ける。壁をぶち壊し、自分をここではないどこかに連れて行ってくれる。上等なスーツを着たヤクザスタが転がす、武装リムジンやヤクザベンツのようないかついクルマ。クソッタレのスラムから脱出させてくれる、暴力のパスポート。いつの日か自分もグレーターヤクザになって、黒く厳しいヤクザリムジンを転がす。

 そして……その先は考えていなかった。だからこれでいい。ケンはそう考えた。ニンジャの悪夢は消え去り、他愛も無い暴力の夢だけが残った。ファオンファオンファオンファオン……マッポのサイレン音が近づいていた。

「さらばだ」

 ヤクザ天狗は踵を返し、大金の入ったボストンバッグを抱え上げた。そして背負い式のジェットパックを点火し、飛び立った。クルセイドが壁に開けた大穴を抜け、きりもみ回転し、廃マグロ倉庫の屋上近くまで急上昇した。

 KRA-TOOOOOM!

 倉庫でヤクザモービルが爆発し、そこにあったもの全てを、炎によって覆い隠した。ヤクザも、オイランも、ニンジャも、馬鹿げた夢も何もかも。ヤクザモービルの運転席では、一人の狂った勇敢なレッサーヤクザが、ハンドルを握ったまま安らかな死を遂げていた。

 一億円の入ったボストンバッグを抱えながら、ヤクザ天狗はビルの谷間を飛翔した。壊れかけた背負い式ジェットパックから、途切れ途切れの噴射煙を吐き出しながら。

 ぞっとするような冷気がネオサイタマを包んでいた。重金属酸性雨は次第に雪へ変わろうとしていた。あと二週間ほどで、街はクリスマス一色に染まるだろう。ブンブンブーン、ブンブンブーン、ブンブンブーンブブーン……気の早い電子音楽が、陰鬱で単調なベース音とともに摩天楼に木霊していた。

 類い稀なる幸運か、あるいはジャンボジェットに乗った神々の導きか、摩天楼の頂に座すガーゴイルの目がヤクザ天狗の姿を捉えることはなかった。シックスゲイツたちの警戒の眼差しは、ネオサイタマ港湾地区で発見されたばかりのザイバツの痕跡へと向けられていたからだ。

 やがてマッポが、少ししてソウカイ・シンジケートの放ったエージェントが、廃マグロ倉庫に駆けつけた。だがこれはどう見ても、ヤクザクランの内部抗争……そして追い詰められたヤクザが黒いヤクザモービルに乗り込み、テッポダマ・タクティクスを仕掛けた結果としか思えなかった。一億円もまた、その業火の中で焼き払われたとしか考えられなかった。

 ニンジャの痕跡を伝えるものは、何一つ、残されてはいなかった。ヤクザ天狗は新たな聖戦に向かって、終わりの見えない闇の中を飛び続けた。このカネで新たな聖戦を、新たなヤクザモービルを調達せねばならない。

 ヤクザ天狗。彼は孤高のニンジャハンターであり、ソウカイヤの暴虐にただ独り抗う者であった。

【終】

このノートは「ニンジャスレイヤープラス」から試し読み用に抜粋されたサンプル記事です。


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