noteのフロンティア荒野で生き残るサバイバルガイド(逆噴射聡一郎)
ダイハードテイルズ編集部注:この記事の後、2017年4月にエディタの大幅改修や機能改善などがあり、画像の貼り付けがドラッグドロップに対応したり、どのページからでも一発でノートを作成できるようになったりなど、多くの過酷さが改善されました。デザインポリシーを守りながら、日々noteは進化しているようです。資料性を重視して、逆噴射聡一郎先生の文章は当時のままアーカイブしてゆきます。
よくきたな。おれは逆噴射聡一郎だ。noteには購読だけではなく自分で記事を書く機能がある。だが、おまえはそんな丸腰でnoteの荒野を生き残れると思ってのか。ここはいわば過酷なニューメキシコの荒野だ。油断したやつからダニートレホに殺される前にそもそもその辺のサボテンにさされて死ぬ。おまえは元来サボテンに刺されてしぬような間抜けではないはずだ。だが、銃の打ち方すらわかっていない。おまえはかつて強力なガンスリンガーだったが、タルサドゥームの罠にはまって忘れてしまったのだ。スマッホの予測変換に頼りきり、リツイットボタンとかシェーアーボタンとかを押しただけで銃を撃った気になっていたからだ。おまえは直ちにこの荒野で生き残る方法を学び、サヴァイヴしろ。さもなくばサボテンにさされて新たな休眠アカウントを荒野にひとつ晒すことになる。
逆噴射聡一郎先生プロフィール:社会派コラムニスト。昔からダイハードテイルズ・マガジンに時々寄稿してくださいます。
おれはプロだ。おれはつねに新しい開拓地をもとめてさすらう。おれは今までかなりのインターネット修羅場をくぐり、古傷を作り、哭き、そのたびに強くなった。たとえば個人サイトにバレッテンボードシステムと呼ばれるビービーエースをFTPによって設置したり、HTMLタグによって文字を太字化する方法や、ターゲットブランクといったプロにのみ使用が許される強力な弾丸についてをなまんできた。スマッホの登場によっておれはあほになったが、それでもフロンティアスピリッムを忘れたことはない。そんな真の男であるおれが新たな開拓地へとたどり着いた。noteだ。
家に帰れ
note。このフロンティアに翻訳チームの奴らより先に辿り着いていたおれは、さっそくブロッゴ記事を書こうと試みた。おれにとって記事を書くことは、マリアッチがギターを弾き、アーノルドシュワルツェネッガーがコナンソードを振るうのと同じであり、いわば生き残るために銃を撃つにもひとしい。そして・・・・おれは即座に挫折した。おれは何ひとつ書けなかった。このnoteという場所は、いっさいの甘えを許さないニューメキシコ州だという事をいっぱつで理解した。なぜなら書くボタンがみあたらないのだ。おれは自分のページにいるはずだった。だが書けない。つまり、技術が足りないのだ。銃ひとつまんぞくにあつかえないのだ。おれはみじめさに泣いた。そしてテキーらを飲んだ・・・・・。
それから三日目のことだ。おれは過去の多くの栄光を思い出していた。HTML時代・・・それは人が自然とともに暮らし、広告とかはなく、弱者は死んでいた時代・・・・。おれは生き延びねばならない。そして、最終的におれは学び取った。書くボタンはあった。書くページにあったのだ。書くページ・・・それはこれだ。
いろんなボタンアイコンが並んでおり、エネルギーではちきれそうな感じを感じさせる。おまえはまずこの場所へたどり着かねばならない。ここがお前の家だ。書くページに行きたいときは、おまえが今いるサイトの右上にある家のマークを押せ。
そうすると書くページに行くのだ。おまえはこれで一人前のように銃を撃つことができるようになった。最低限の生き延びるすべを学んだ。おれは一人でこの荒野に来たため、これを学ぶのに三日間ほど時間を要したが、おまえはその必要がないだろう。こんなことも知らずに三日間このnoteの荒野をさまよえば、サボテンに刺されて死に、おまえのアカウントは死にアカウントになっていたはずだ。だがおまえはまずそのあわれなサボテン死を免れた。ビールで乾杯しよう。焚火を囲むがいい。
真のプロは下書きを保存する
おれはプロだ。だから食品を買うときはプロの為の店であるHANAMASAを使うし、真の男であるさいとうたかをプロのように、常にプロであることを主張する。そして真のプロは書き上げたテキストをよく見直す。誤字脱字などにはとくに注意を支払っている。だから書いた記事はすぐ後悔せず、まず下書き保存する。しかしnoteには、下書き保存のボタンがないのだ。いったいこれはどういうことだ?
おれはすぐに理解した。ここはアンドゥするような腰抜けは生き残れないニュ0メキシコの荒野なのだということを。おまえらはなんでもピコピコとゲーミングしていることで現実のリアルな皮膚感覚を完全に忘れた。おまえはDRUAGAの塔を知っているか? これは真の男のためのR.P.Gゲームであり、セーブ機能はなかった。60階をクリアするためにT.V.とゲーム機本体をつけっぱなしにしなければならない。あるいはFINALファンータージー3の最後のほうのダンジョンは3時間ぐらいセーブが無い。そういう世界が帰って来た・・・・そう思った。プロだけが生き残れる世界が来たのだと。しかし、それはおれの勘違いであることが次第にわかりはじめた。
最近のGAMEはオートセービングであり、やっていると勝手にほぞんされる。おまえは知らなかったかもしれないが、そういう世界がすでに到来している。そしてこのnoteも、そういうオートセービングシステムを採用しており、書いたやつはだいたい一分前ぐらいまで勝手に保存されているのだ。それでも気になるやつは、上にある「note」のロゴをクリックしろ。これは意味が分からないが下書き保存ボタンだ。これは100パーセントかくじつであることが確かめられている。あるいは右上の「キャンセル」を押せば、たぶん保存される。キャンセルといいながら実際は下書き保存だ。消えてもおれは責任は取らないがおれは消えた事が無い。
あと、停電とかでブラウーザーが強制終了したりして書きかけが全部消えたようにみえることがまれにある。そのときおれは酒と女に逃避したが、次の日にブラウーザーを開きなおし、相当おじゃんになったように見えた記事の「下書き編集」まで行って確かめたらなんか消えていなかった。そういうこともあるので、消えたと思ったら下書き編集を開いてみてみるといいだろう。それでも消えてたらそこまでだ。
画像とかの貼りつけ
左のほうに出たりでなかったりする「+」マークをさわれ。すると、画像を貼ったりツイートを貼ったりできる。今のバージョンではまだ画像のドラッグ&ドロップには対応していない。画像はセンタリングされる。でかくするか小さくするかしか選べない。画像を左に寄せてテキストで吹き出しをつけようとか小賢しいことをしようとしたやつは、即座にサボテンにさされて死をむかいるだろう。なぜいつも+マークが必ず出ないのかは知らない。荒野にいつもウサギがいるとは限らないのと同じだ。+マークは間抜けではない。みすみすおまえに狩られるつもりはないのだ。おまえは執拗に改行したり戻したりを繰り返せばいずれ+マークは出現するだろう。このようなMexicoの洗礼がおまえを待っている。
ミニマルな文字装飾
男ならレイアウトに四の五の言わず、ミニマル性によって得られた時間を一文字でも多く書くことに費やせ。おれはnoteの潔いレイアウトと装飾の少なさから、そういうメッセージを受け取った。
だいたいテキストのブロッゴとか持とうとするやつは、レイアウトとか行間の1ミリとかにこだわりすぎて時間を使いすぎるという反省がある。だがこのスマッホ時代に、そんな表面的な自己満足はどうでもよい。どうせスマッホは見た目がバラバラだ。そんなことをしている暇があれば、一個でも多く作品を書けというメッセージだとおれは感じている。
時刻をいじることはできない
おまえはhatenaなどの安全装置がついたブロッゴシステムに慣れ、発表後の記事の時刻をいつでも操作できると思っているだろう。あるいは、一度公開した記事をまた下書きに突っ込んだりできると考えていたはずだ。そのような腰抜けはMEXICOの地では生き残ることはできない。サボテンにさされて死ぬだけだ。時刻を決めて予約投稿することはできる。この事実からも、あえて時刻をいじれないようにしてRealさをちゅいきゅうしているのだという意気込みが感じられる。
スマホアプリでは書くな
スマッホなど信じるな。あれは腰抜けが使う軟弱な武器であり、閲覧用とわりきってPCで書け。だいたいアイフォンーもアンドロ井戸もカットペーストが進化せず、不便でどうしようもない。「指で選択範囲がうまく指定できないよお」「まちがえて改行して消しちゃった」そんなふうに泣きながらちまちまやり直すのは完ぜんに人生のむだだ。だからおれはnoteに限らず、スマッホでふつうのブロゴとかを書いたこともない。ただ、イメージを貼ったり、トーク(Twitterのような140文字制限のやつ)を投稿したりする時にはスマホアプリも便利だ。
マガジン
マガジンは書いた記事(ノート)をまとめておくカテゴリてきなものだ。「カテゴリ? ありのままのおれにそんなものは必要ない・・・だれもおれをカテゴライズできない・・・・」そういうやつは、なしでもいい。だがマガジンを作っておけば、おまえが何を書いてるのかを、見に来たやつにいっぱつで伝えられる。中身が1個とか2個でもかまわない。これから何をしようとしているのかがわかればいい。だいたいnoteに慣れてきたやつは、新しいアカウントを見つけた場合、その自己紹介文だけでなくマガジンのラインナップとかタイトルを見るだろう。粉っぽい風が吹く過酷なニューメキシコの荒野では記事の読み込みは重く、ざっと直近の3、4記事くらいしか見えないからだ。呑気に道端でローディングしてるやつはサボテンの陰から現れたダニートレホにナイフで刺されて死ぬので、道路には必ずマガジンという名の看板を立てておけ。また、気に入った記事を収集するのにもマガジンは役立つ。noteでは別に全てを自分で作り出さなくても生きていける。だがそれでも、何でその収集マガジンを作ったのかをちゃんと書いていないと、誰にも良さが伝わらない。それはもったいない。
ヘッダーやタグがないと生き残れない
ヘッダーをつけろ。ヘッダーが無い記事は、過酷なニューメキシコの宿場街でカンバン無しで営業しようとするようなものだ。おれはさっき、男ならレイアウトに四の五の言わず、ミニマル性によって得られた時間を一文字でも多く書くことに費やせと言ったが、あれは間違いだった。ヘッダーが重要だ。そしてヘッダーと同じくらい最も重要なのは「タグ」だ。タグは投稿後にいくらでも変更できる。タグはいっぱいつけたほうがいい。「エッでもTwitterだとタグいっぱいつけるのはダサい」ごっちゃにするな。ここはなんでもない猫ちゃんの画像が毎日のように数万RTされるようになった肥沃なTwitter州ではない。フロンティアを求めて真の男が彷徨ってくる過酷なnoteの荒野だ。そこを、これからおまえにも徹底的にわからせてやる。無駄死にしないためにだ。
noteの検索能力をナメるな
いいか、noteの検索の目は、大西部開拓地ニューメキシコの保安官のようにザルだ。それはここが真の男の地だからだ。おまえはサルーンを開くならSALOONと看板を掲げなければならない。おまえはTwitterの検索能力の高さにすっかり飼い慣らされ、自分からタグを積極的につけていくことの貪欲さを失ってしまった。むしろそれは奥ゆかしさを欠いた恥ずべき行為だと思い込むようになってしまった。さながらでかい山の奥にこもって一人でハンマーを振り続ける刀鍛冶やイチローのように、黙々とやってることがストイックで偉いと思うようになった。これもタルサドゥームに操られた腰抜けどもが妖術を弄び、わけのわからないタグをベイブの画像と混ぜて貼ることでPVをかせぐという悪どいことを始めたため、お前の中に「タグをたくさん貼ること、イクォール、イービル」という概念が刷り込まれてしまったからだ。そして、むりもない、Twitter州では、ウインドに気になる言葉を入れて検索するだけで、ユーザープロフィールもツイート内容もすべて丸見えになっていた。あれは便利だったと言っておこう。
だがこのニューメキシコではそうはいかない。まずnoteには本文検索能力が無い。皆無だ。例えばドリトスマニアのおまえがドリトス記事を書き、タイトルと本文に何度となく「ドリトス」と入れアイコンをドリトスにし、プロフィールの本文にまで「ドリトスが好きだ」と書いたとしても、noteの検索はそれをはっけんなどしない。おまえが自らの意思でタグに「#ドリトス」 「#ナチョス」「#サルサ」 などと打ち込まない限り、おまえのその記事は誰の目にも触れられることなく、流され、忘れ去られてゆく。おまえは「おれの人生には何の意味もなかった・・・」などと思い込み、情熱を失い、酒とベイブに溺れ、子を産み、FPSゲームすらもしなくなり・・・・そして老いて死ぬのだ。
いいか、タグに限らずTwitter州やhatena州やFB州のルールは忘れろ。ここは新天地だ。そしておまえは新天地でその記事を書いた。ドリトスの記事だ。記事を書いたということは、その情報が誰かに読まれるべき価値があると思ったからだ。お前の野生の本当がそれを告げていたのだ。ならば次は、お前がドリトスの記事を書いたことを知らしめねばならない。おまえが生きて、ドリトスを食い、それについて考えたことを。そうしなければ、お前はこの過酷なメキシコの荒野で飢え、サボテンにさされて死ぬだろう・・・。
「人様に見せるレベルではないので」などというクソみたいな自尊心は、サメにでも食わせろ。noteを閉じて家に帰れ。家に帰ってもまたテキストを書くページにたどり着く。おれのいってることがわかるな。仮におまえの書いた記事がほんとうにクソみたいなレベルだったとしても、そういうレベルの記事が存在することには何らかの意味がある。仮におまえのかいたドリトス記事のタグをジャすティンビーバーが見つけて、チョー気に入って100万円振り込んできたとしよう(noteはユーザーサポートがある日突然振り込まれる)。この100万円は、お前が無から生み出した価値だ。お前が行動しなかったら生まれてすらいなかった価値だ。だから生き残るために、たくましくタグをつけていけ。検索の機能が変わったらそのときまた考えろ。
今回のまとめ
noteは正直いって、他のSNSやブログに慣れたやつからすれば、めちゃくちゃ使いづらい。チュートリアルもクソもない。昔の洋ゲー、すなわちUltima Onlineの最初のやつとかで、いきなり何の説明もなくだだっ広い世界に放り出されて草むらにいるガラガラヘビに噛まれて死ぬのに似ている。だが慣れてくると、そのミニマルさには意味があることがわかってくる。おれたちは果たして、意味もないアマゾンリンクを貼ることに意味があったのだろうか・・・文字をなんか過剰に大文字にしたり色とかつけまくる意味があったのだろうか・・・・・・最初に有名人〇〇人フォロ=しましょうみたいなのに意味はあるのか・・・・・そういった野生のミニマルさを取り戻していく。そして小手先のテクニックではない、真のテキストの魅力だけで生きるガンスリンガー………真の男へとおまえを再び鍛え上げるための荒野であることがわかるはずだ。
猫ちゃんの画像がRTされてくるのを眺めたければTwitter州にもどればいいし、イノベーション広告を見たければFB州にもどればいい。noteは甘くない。RT機能もないしシェアボタンもない。「+」ボタンも出たり消えたりするし、画像を貼るとすぐ下の引用符の中のテキストが丸ごと消滅することすらある。全てが過酷なのだ。だがこの過酷な日差しが照りつけるニューメキシコでは、おまえが何かを書き、積極的に何かを探しに行き、行き先のボードや看板を掲げて、何かを主張しない限り生き残れないという、すぎさりしインターネット開拓期の輝きが、最新の機能とともにある。その過酷なミニマルさはきっと、お前の創造性を刺激するために意図的に与えられた飢えと乾きなのだ。
(逆噴射聡一郎プロ)