S5第8話【アクセス・ディナイド・666】全セクションまとめ版
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オノマチ・ツルゴは曇った表情で三名の名前を入力し、推定死亡時刻を追記する。
「AM01:22……ぐらい、か……」ぶつぶつと呟きながら、監視カメラ映像を送ってゆく。灰色の、ザラザラとおぼつかない映像。複数のカメラを切り替えてゆく。地下サーバールームだ。
ここトクボ・ファイナンス本社ビルの地下2階は、地下駐車場めいて広大なフロア空間となっている。カメラが映すフロアには、四角い柱が等間隔に配置されている。シメナワが巻かれた柱……それら全てが、トクボ・ファイナンスを支える屋台骨のサーバーシステムだ。
オノマチはこの設備を取り仕切る部署のカカリチョであった。モニタに反射する彼の顔は疲労で弛み、眼鏡のレンズはぺたぺたと白い。
監視カメラは多数あり、なるべく死角がないようになっている。天井視点の映像だと、サーバー空間はまるでクォータービューのアドベンチャーゲームめいている。炎の勇者が剣と盾を構えて進み、棺桶から蘇るマミーを倒せば1000経験点。魔法の宝石を探す。オノマチが学生時代にハマったゲームの記憶が重なる。
だが今、彼が見ているのは、指揮する勇者の一団ではなく、部下の保守社員たちの足取りであった。3人はメンテナンス信号を発信している機器を特定し、しめやかに進む。普段なら対応社員はせいぜい2人だ。だがその夜は3人だった。もしもの為にだ。
この時点で既に、部署の人間、警備の人間、あわせて8人が死亡していた。単なるメンテ作業でも気が抜けない。それゆえの3名だ。オノマチは手元のホイールを動かし、時間の流れを速めた。画面のノイズが増し、彼らの動きが加速する。AM…01:20…21…22。3人は苦しみもがき、倒れ、動かなくなっていた。
「うう……」オノマチは呻いた。手塩にかけて育てた部下の惨たらしい死のさまを、何度も確認したい上司など居るだろうか。しかも、何度巻き戻しても、何度カメラを切り替えても、決定的瞬間の数秒前後はひときわノイズが濃かった。ノイズが晴れると、その時もはや「何か」は終わり、彼らは苦しみ、死体となる。
オノマチは沈痛に首を振り、「死因不明:情報取得できず」と入力した。……これで、今月に入っての殉職者は11名。彼らの死体は無菌状態の低温空間で、眠るように放置されたままだ。回収もままならぬ状況である。
「……」オノマチは椅子にもたれ、部署内を見渡した。目があった部下は皆、目を伏せた。「大丈夫だよ」オノマチは口の端を歪めて笑い、低く呟いた。
これ以上、部下を失えば、カイシャの業務が立ち行かなくなる。営業社員達は保守部門の業務を侮っているが、サーバーはトクボの心臓であり脳なのだ。どれだけ華々しく仕事を振り回そうが、その肝心の仕事が出来なくなれば、全てが終わりだ。
何故、こんな状況になっている? あらためてオノマチは自問した。先月まではルーチンワークめいた業務をこなす日々だった。トクボ・ファイナンスの取引、他社へのソリューション提供、それらを担う巨大なサーバー設備の保守管理。明智光秀が侵攻しても止まらなかったサーバーだ。ずっと順調だった。
それが今や、事態はジゴクめいている。サーバールームで、人が死ぬ。原因は不明。調査・解決しようと立ち入った者は、同様に死ぬ。月が変わり一週間が経過した時点で、死者は11人を数えた。何が起きている? それすらわからない。機器は無慈悲なメンテナンス要求信号を発し続けている……!
オノマチは報告書をまとめると、深呼吸。意を決して立ち上がった。残り少ない部下達が、カカリチョであるオノマチの挙動を目で追っている。オノマチは彼らに頷き、決然と、ガラスで区切られた課長室に向かった。
【アクセス・ディナイド・666】
1時間後。オノマチは独り、地下2階サーバールームの入り口に居た。彼の表情は絶望そのものであった。
防寒服に着替えたオノマチがUNIX認証機に管理キーを挿すと、重い隔壁が開いた。彼を迎え入れ、背後で隔壁が閉じる。「洗浄プロセスな。しばらくそのままお待ち下さいドスエ」赤い光が照らす。薬品だか何だかが音を立てて噴射される。オノマチは残り洗浄時間を示すデジタル表示を見つめる。
――「何を言っているんだオノマチ=サン?」課長が呆気にとられてオノマチを見つめるさまが、目を閉じたオノマチの瞼に浮かんだ。「ですから、解決部署からエージェントを派遣していただきたいのです」オノマチは食い下がった。「現場は限界です……!」「解決部署ってキミ、わかってる?」「え?」
課長は机に指で「N」の文字をなぞった。「ニンジャ」を示す不吉な文字だ。オノマチは反射的に畏怖し、唾を飲んだ。課長は頷いた。「他社のスパイや武装社員と殺し合いをするのが解決部署の仕事だよ。平社員のそんな……何だかわからない出来事の為に動く便利屋か何かだと思ってるのか?」
「し……しかし実際に8人……いえ、もう11人も死んでいます。警備会社の人間も含まれます!」「困ったことだ」「警備会社は追加人員をよこすどころか、我が社を訴えるという話ですよね?」「そうだ。問題山積なんだよ」課長は唸った。オノマチは鼻白んだ。その問題を解決する話ではないか!
「あのな、心臓発作だかカロウシだかで、たまたま乱数の偏りで死者が多かったとして、だよ?」課長はオノマチを睨んだ。「どう申し開きするんだ? 解決部署のエージェントを、ただのサーバールームに入らせて! それで、何もありませんでしたね……ッて、子供の使いじゃないンだよ!」「しかし!」
「監視カメラ映像まで逐一チェックして、その上で原因不明なんだろう!」「現に人が死んでますよ! 課長、しかもルーム内のサーバーから要メンテの信号が発せられています!」「直さなきゃいかんじゃないか、それは」「そうなんです! ですから、その為には危険を排除しないと!」「何の危険だ」
「それが……わからなくて……」「語るに落ちたじゃないか」課長は鼻を鳴らした。「蓋然性というやつだ。蓋然性の問題だ」「しかし……これ以上人員が失われれば……!」「オノマチ=サン」課長は深刻な顔を近づけ、囁いた。「その難しいところを対処するのが我々なんだよ」「……!」
「キミは賢い。わかってくれる筈だ」課長は続けた。「まずいんだよ……事案化するのは! 今なら、リカバーできる筈だ。何事もなかったと」「見過ごせと!?」「うまくやってほしい。キミも一蓮托生だぞ。私もキミも、問題を起こした人間のレッテルを貼られ、出世できなくなる。死が待つんだ」
「しかし」「これ以上の犠牲者は出してはならない。上に知られるなど、もっての他だ。キミには期待している。問題解決の手腕を。……耐えてくれ」課長はオノマチの肩に手を置いた。「来年度まで」
――「洗浄プロセス、終了ドスエ」
合成マイコ音声が、オノマチの物思いを破った。残り時間がゼロとなり、前方の隔壁が開いた。冷たい空気が足元から流れ込んでくる。オノマチは懐中電灯をつけた。深呼吸。そして闇の中へ足を踏み入れた。
「問題化を避ける」という課長のアティチュードは、テコでも動かしようがない……現時点では。オノマチのまとめた報告に、具体的な内容が無さ過ぎるのが弱味だ。蓋然性云々で片付けられない、動かぬ証拠とでも言うべきものを自ら持ち帰って、突きつける。もはや、それしかないのだ。ヤバレカバレであった。
地下2階は闇だ。照明が機器のノイズとなるからだ。そして凍える寒さ。これも機器の為。シメナワを巻かれた、ぼんやりと光を漏らす、黒い、四角い柱の列が、闇の奥に溶けてゆく。オノマチの目はサイバネ・アイに置換されていない。その為、防寒服に録画デバイスを装着してある。
「ハアーッ……ハアーッ……!」オノマチは懐中電灯の円い光を揺らし、墓標めいた広大な空間をほとんど手探りのように進む。サーバー機器に巻かれたシメナワは、突発的なアクシデントを防ぐ最後の祈り、神頼みだ。人事を尽くして天命を待つとなれば、そんな手段にも訴えたくなるものだ。
しかしそれらシメナワは、追い詰められたオノマチに勇気を与えるというよりは、闇とともに得体の知れぬアトモスフィアを醸成し、魔術的恐怖とでもいうべき感情を喚起していた。「蓋然性だ……ただの心臓発作やカロウシ。何もヤバい事なんてない。大丈夫だ」恐怖を打ち消すべく、オノマチは課長の言葉を利用し、自身に言い聞かせた。本末転倒であったが。
「何も起こらない……いや、起こってくれないと困る……保守業務が出来な……アイエッ!」柔らかく、固いものを、オノマチは踏みつけた。オノマチは足元を懐中電灯で照らした。「……アイエエエエエ!」
ナムアミダブツ。それは実際、死体だった。防寒服を着、手を強張らせた格好で、仰向けに倒れていた。サーバールームは無菌かつ低温。その身体は雪山めいて腐敗から守られていた。「これは……トモノビ=サンか」オノマチは屈み込み、彼の恐怖に歪んだ顔の、せめて目を閉じようと「アイエエエ!?」
オノマチは飛び上がるように後退りして、懐中電灯の光を逸らせた。もう照らし直す勇気はなかった。大丈夫だ。このサーバールームで死者がそのまま回収出来ずに居ることは前提知識だ。なにもおかしい事はない。問題ない。見なかった。額になにか漢字のようなものを見た気がしたが、絶対に気のせいだ。
気のせいではなかったとしても、とにかくボディカメラが撮ってくれているだろう。今あえて恐怖を試す必要はない。彼は周囲を照らす。異常は無し。携帯端末で碁盤の目めいた地図を表示する。このままクローリングを終えるまでに11の死体と出くわすのだ。覚悟を決めなければならない。彼は歩き出した。
闇。寒い。寒い。部下はこんな不安と恐怖のなかで保守業務を行っていたのか。課長は事なかれ主義のどうしようもない奴だ。だが、呑気に部下を送り込んで、これ程の犠牲者を発生させるに至ったのは、他ならぬ自分ではないのか。オノマチは闇の中にいる。円い光が揺れる。シメナワ。淡いUNIXライト。
事態はオノマチの認識の速度を遥かに超えていた。これは仕方がなかった。誰もが最適な対応を取れるとは限らない。重要なのは、リカバーすること……そのために最善を……「なんだ?」オノマチは再び足を止めた。「……声……」オノマチは息を潜めた。
……歌?
しいいいい、いいいいい、ちいいいい……。
「アイエッ」オノマチは耳を凝らし、その方向に懐中電灯を向ける。……いいいいい……「アイ……」そのものが! 飛び出した!「アイエエエ!」オノマチは叫んだ!「アイエエエエエ! アイエーエエエエ! アイエエエエエー!」走り出した!「それ」も、オノマチめがけ走り出した!
オノマチは走る! 一心不乱に!「しいいいい!」声が後ろ! すぐ後ろだ! 声! ガサガサという音は何だ!?「アイエエエエ!」オノマチは首の後ろに不穏な暖かさを感じる! その瞬間、彼は不意につんのめった! うつ伏せに倒れた! 社員の死体に躓いたのだ。「いいいいい……!」声は近い。近いままだ。
「ヤアア! ヤアア……」オノマチは子供めいて泣きながら、這い進んだ。もはや失禁していた。必死だった。気づけば懐中電灯は手になかった。転んだ時に手離したのだ。闇だ。道標はサーバーの淡いUNIXライトだけだ。寒い。寒い。ガサガサという音、「しいいいい」という声は、しかし、後ろ、やや遠かった。
懐中電灯が囮になってくれたのかもしれない。それで助かったのかもしれない。この後オノマチはそう述懐する。
……そう。どうやってか、彼はサーバールームのもと来た入り口に戻ることが出来ていた。壁に突き当たり、それに沿って進んだのか。単なる幸運か。オノマチは、この遭遇を、生き延びた。
時刻は既にウシミツ・アワーだった。「オツカレサマデス」何も知らぬ一階の守衛が、足を引きずるように階段で上がってきたオノマチに奥ゆかしくアイサツした。守衛はカップ・ヤキソバを食べていた。オノマチは防寒服姿のまま、夢遊病めいた足取りで自分のオフィスに戻った。
記憶はぼんやりしていた。実感が薄く、漠然とした不安の霧をかきわけるようだった。残業している部下はいなかった。薄明かりのなか、自分のデスクに座ったオノマチは、ボディカメラを探り、UNIXデッキに接続した。……画像が流れる。
テープの引き伸ばしめいた、歪んだ歌。画像がノイズにまみれた。「え?」オノマチは巻き戻した。画像はノイズにまみれた。「待ってくれよ」巻き戻した。画像はノイズにまみれた。「ふ、ふざけるなよ……」彼はデスクを叩いた。ダンッ! 自分でも驚くような大きな音が出た。ひとりだった。無駄足……無駄足だ……! 彼は突っ伏し、泣いた。
だが、背中の震えも、嗚咽も、すぐに止まった。オノマチは顔を上げた。何が起こったのか。何もかもぼんやりしている。だが、本当に起こった事なのだ。この状況の自分を信じられるのは自分だけだ。「確かに俺は "それ" に襲われた。確かに俺は見たんだ。”それ” を。それだけは、それだけは確かなんだ……!」
物理的な証拠がほとんど更新されなかった現状では、課長は絶対に動かない。当然、解決部署のエージェントを要請する事は出来ない。となれば、打てる手はひとつだ。オノマチはIRCに接続した。そして憑かれたようにタイピングを加速させた。ならば個人的に雇うのだ。プロフェッショナルを!
◆◆◆
翌日は、折よく休日だった。
オノマチはビジネストークの飛び交う喫茶店の奥の席で、その人物とテーブルを挟み向かい合っていた。「状況は概ね把握いたしました」広い肩幅、頑強な面構え、恐ろしげなメンポに似合わず、その者の物腰は謙虚で奥ゆかしい様子だった。「サーバールームに、有害な怪異」
「はい。間違いないんです」オノマチはおずおずと言った。「それそのものの映像が……残せていないのですが……私はこの目で見ました。襲われたのです。昨日の事です!」オノマチは次第にヒートアップする。「わ、私もこの身が危機に曝されるまで何処か半信半疑だったのかもしれません。しかし!」
「ええ、特に疑いませんよ」その者は頷いた。「手に負えず、という事ですね。一般企業の認識からすれば、超常的な出来事……社内の動きが鈍いのは尤もです」「それでも人が死んでいるんです。11人も。死体も回収出来ていません」「些事とされてしまうのでしょうね。残念ながら」
「でも……」「そうです。そういう状況下に、私のような者のビジネスチャンスが……いや失礼……貢献できる余地があるわけですよ」彼は名刺を差し出した。そこには「ホイスラー」の名と、「神秘修練者」の肩書きが書かれていた。
「事態は決して楽観できる状況ではないと、まず申しておきます」ホイスラーは言った。オノマチは唾を飲んだ。しばしの沈黙の後、ホイスラーは言った。「ですがお任せください。類似の状況の対処の経験があります」「なんとか……なりますか」「ええ。恐らくは」彼は答えた。「私は、ニンジャです」
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