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おまえは「1917 命をかけた伝令」で地獄の戦場に立ち向かう(逆噴射聡一郎)


よくきたな。おれは逆噴射聡一郎だ。おれは毎日すごい量のテキストを書いているが、だれにも読ませるつもりはない。おれは何者にも縛られないWOLF - 狼 - であり、冒険の毎日なので賞とかINTERNETのトマトとかは関係ない。ただ、てキーラをのみながらSTREETを歩いて、見たくなったやつをその時々に見る。今回おれがナチスの追っ手をまくために廃墟と化したSHINJUKUの夜を逃げていたところ、その地下に隠れていたフランス人のベイブと出会い、彼女は「1917・・・・イクォール・・・・・MEXICO・・・・・」と囁いた・・・・。おれはすぐさま映画館に向かい1917を見て、自分自身の中の野生の本当がめざめるのを感じ、今これを書いている・・・。

逆噴射聡一郎先生プロフィール:社会派コラムニスト。昔からダイハードテイルズ・マガジンに時々寄稿してくださいます。この記事には映画の内容に関するある程度のネタバレが含まれていますので、ご注意ください。


おまえは第一次世界大戦を知っているか?

1917・・・・・・・それは年号であり、第一次世界大戦をしめす獣の数字にほかならない。第一次世界大戦は1914年にはじまり1919年に終わった。つまりそのど真ん中だ。とゆうことは、1917は戦争映画なのか? そう、おれはこの前見たT-34のWWⅡから一転、今度はもうひとつ前の世界大戦へと果敢に飛び込んだ格好だ。

おまえは第Ⅰ次世界対戦を知っているだろうか? Wikipediaとかを読んだだけで知ったつもりになっていないだろうか? おれはF・P・Sなどで第一次世界大戦をなんども駆け抜けた真の男なので、おまえにその過酷な真実を語る義務がある。WWW1とは世界が戦った戦争であり・・・・・・第一次の名がついていることから分かる通り・・・・・何もかもが新しいことづくめの戦争であった。

一体何が初めてだったか? 簡単にゆうと、この戦争は初めての「総力戦」だった。それまでの戦争といえば、貴族の連中が常備軍とか騎士とかを使って戦うのが戦争であり、そいつらが勝手にやっていたので、農民とかはあんまり関係がなかった。しかし産業革命とかで社会の仕組みが変わった事により、どいつもこいつも自主的に戦争に行ってGUNをぶっ放すことができる時代になったのだ。村とか町の若い奴らが、兵隊募集の言葉に乗って、いっぱつ男をあげるために軽い気持ちで志願して戦場に行くことすらある。ろくに訓練とかもされてない、それまで家でNETFLIXとかを見て平和に生きていたやつらが冒険気分で全土から集まり・・・・すぐに帰ってこられると思っていたのに戦争はどんどん長引き・・・・・・・そして・・・・・・・・全員が地獄を見た。どれくらい地獄かというと、Wikipediaによればこの戦争の間に戦闘員900万人以上と非戦闘員700万人以上が死んだとある。とんでもない数字でありおれは全くわけがわからない。

他にもいろいろあるが、第1次世界大戦では据え置き型のでかい機関銃が戦場を支配していた。機関銃に根性論とかは通用せず、走って向かってくるやつらは単なる良いマトであり、はっきりいって何も出来ない間に、待ち構える機関銃にハチの巣にされたり、砲弾で吹っ飛ばされて、気のいい奴らも全員死んでいった。・・・・・END OF MEXICO・・・・。では機関銃に撃たれないためにはどうすればよいのか? 塹壕だ。地面に穴を掘って溝を作り、機関銃から撃たれないようにして、それを少しずつ伸ばす。そこを兵隊はよちよち進んでいった。しかも、いつ敵が攻めてくるかわからないので、兵士たちは塹壕の中で生活しなければならない。さらに塹壕と機関銃を敵から守るため、地上には鉄条網が張られた。

おまえは鉄条網について「ただのトゲトゲしたやつでしょ?」くらいナメているかもしれないが、それはとんだ間違いであり、実際には死のバリアだ。おれが子供だった頃は町にもけっこう有刺鉄線が普通にあった。狂犬病を持った野良犬が涎を垂らしてSTREETを徘徊し、ドラム缶が並ぶ空き地には有刺鉄線が張られていた。そこにはスマッホの予測変換もドナルド・トランプも電子対戦ゲームのファン・メールもEMOTEすらもない。そうゆうかこくな時代があったのだ。とにかく鉄条網に引っかかったが最後、服とか皮とかが裂けて動けなくなり、傷口からは菌とかが入り、どうにもならなくなる。しかも戦いは長期化しているので、ろくな手当も受けられず、破傷風と狂犬病による死を待つばかりとなる。そこにはおまえの死を慰みてくれるベイブも犬もいない。ノーマンズランドにはサボテン一つ生えていない。華々しい騎士の一騎打ちとかもない。そうゆうロマンも何もない戦場なのだ。


クソゲーの完成

機関銃、塹壕、鉄条網・・・・・この3要素が第一次世界大戦を形作ったとゆっても過言ではないだろう。

この3つが揃った戦場は、ガン待ちプレイスタイルが圧倒的に有利な環境であり、攻めるとダメージがすごいので、両陣営共にずっと待つことになる。つまり「攻めずにガン待ちしないと勝てないが、ガン待ちしていると兵士たちが疲弊して死んでゆく」とゆう対戦バランスが生まれた。カンのいいやつはわかるがこれはクソゲーだ。格ゲーであれば60秒とかイライラを我慢すればいいが、実際の戦争ではガン待ちするのにめちゃくちゃ体力がいるし、そうゆうのをやらされるのは末端の兵士たちだ。こうしてどんどんガン待ち有利のクソゲ=は長引き、運営はNerfとかバランス調整もサボり、兵士たちは家に帰れないまま、冷たい泥水の中で病気とかにかかり、靴下がめちゃくちゃ冷えて免疫もなくなり、シラミとかがたかり、何もかもが最悪になっていった。世界中がこのクソゲーに付き合わされたのだ。

さらに第一次大戦はルール無用の残虐ファイトだった。「前例がないので試しにやってみます」とゆうかんじで、ろくにバランス調整もされていないひどい兵器が次から次へと投入された。毒ガス・・・火炎放射器・・・イギリスの変な戦車とか・・・・この映画ではそれらは出てこないが・・・・・しかもそんなものの脅威にさらされるのは、職業軍人とかではなく、もともと素人だったはずの若い奴らばかりなのだ。WAR・・・・このような戦争はけっして繰り返されてはならない。おれはTVシリーズ「ヤング・インディー・ジョーンズ」とか、映像の世紀とか、Pジャックのゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールドとか・・・あるいは世界史の教師が興奮して妙にディテールが細かくまくしたててしゃべっていた授業とかで、WWIにまつわる知識を育てていっていた。そして今回の「1917」である。


おまえは西部戦線の只中に立たされる

この映画を見たおれは、開始5分で震え、激しく感情を揺さぶられることになった。まず映画が始まり、そこそこ平和な風景がパンすると、2人の若い兵士が、のどかな草原で寝ている。そこで寝ているのは、The Libertinesのピートみたいなロンドン風の顔をしたライアンと、その友人のスコだ。つまりどっちも英国人だ。そしてスコはすぐ死にそうな弱っちい顔つきをしている。ライアンは地図が読めるということで、2人はボスのところに呼び出され、特別な伝令の命令がくだされることとなった。

命令の内容はこうだ。今ライアンたちがいる場所からいくらか離れたところに、1600人くらいのイギリス軍の連隊がいて、明日の朝に進撃を開始しようとしている。だが航空偵察の結果、ドイツ軍は撤退に見せかけてイギリス軍にあえて進撃させ、そいつらを罠にハメるという作戦であることがわかった・・・・・・だから、この1600人をみすみす進撃させれば、そいつらは全滅する。完全な無駄死にだ。しかも、その連隊にはライアンの兄貴もいるのだ。こうしてライアンとスコは、伝令として戦線を突っ切り、この進撃を中止させるとゆう任務を与えられた。スコはめちゃめちゃ嫌がるが、ライアンは大切な家族の命がかかっているとあって、がぜん燃えてきた。だがこれは簡単な任務ではない。伝令が多いと目立ってしまうので、ドイツ軍がいるかもしれない場所をたった2人だけで渡らなくてはいけないのだ。フロドとSAMのような旅が始まるのだ。

この辺まで来て、おれは気付いた。映画の開始からここまで、映像はカットの切り替えもエリアロード時間もないまま、シームレスにつながっていることに。もしかしてこのままワンカっとでいくつもりなのか・・・・? 演技とかで間違ったらどうするんだ・・・? 近くをパトがサイレン鳴らして通ったら・・・・? おれはそうゆう製作側の緊張感をも感じ取り、ライアンとスコの旅の過酷さが何倍にも思えるようになった。そして実際・・・・・・映画はそのままシームレスに続くことになる。これは相当にすごく、恐ろしい戦争のありさまをR・E・A・Lに伝えるには相当に理にかなったやり方だとすぐに感じた。

命令を受けた2人がそのまま司令部を出ていくと、彼らを映したままカメラも一緒に動いてゆく。まず驚かされるのは、塹壕はこうも深くて長いのかとゆうことだ。路地裏しかない、ひとつの小さな街のようだ。狭い場所で、左右に高くそびえる壁という感じで、外は見えない。考えてみれば当たり前だ。外が見えるとゆうことは、相手からも見えるとゆうことを意味し、ライフルで撃たれてしぬことを意味するからだ。だがおれは今までそれを実感として知ることがなかった。この映画の強烈なシームレス映像によってわからされた格好だ。

この狭い場所に人がひしめいており、座り込んでタバコを吸ったり、負傷した奴らが運ばれていくとすれ違ったり、とにかく人間がぎっしりいる。これはただごとではない。視点となるライアンとスコの周囲に、無限に・・・どこまでも・・・・・・人間がひしめいて、それぞれ勝手に生きて、ランダムに動いている。これは真の世界だ。おれはそう思った。プレイ・ステーショーン7のオープンワールドゲーム世界がついに実現してしまったのかと思った。そのくらい背景世界がすごいのだ。


カメラはずっと伝令役の主人公を追い続ける。つねに半径数メートルの世界だ。高い塹壕の上の地上には何があるか、這い出さないとわからない。ものすごい閉塞感だ。否応なしにおれはライアンやスコたちと同じ場所、同じ目線の高さに立たされる事になった。戦線は膠着していて、塹壕の中にいると戦況を俯瞰的に見渡すことなどできない。ライアンは「クリスマスに帰れると思っていたのに」とぼやく。この戦争がどうゆう戦争なのか、場所はどこで、どんな経緯で戦端が開かれたのか、そうゆう情報は作中ほとんど説明されない。つまり、ゼイシャルノットグローオールドで実際に喋っていた連中よろしく、総力戦で志願した奴らの「わかんねえけどドイツの野郎どもと戦う事になったからいっぱつ男を見せてやるぜ!」くらいの何も知らなさレベルの視点からスタートして、ライアンやスコの旅に同行し、困難と向かい合うことになる。


3D酔いが10分くらいだけおれを襲う

F・P・SとかT・P・Sが苦手なやつは、この冒頭5分の映像だけで、吐き気をもよおしかけるだろう。それは塹壕のひどい状況とか、死体を食うネズミとか、そうゆうののせいできもちわるくなったのではなく、単純にあまりにR・E・A・Lなカメラワークで、おまえの三半規管がダメージを受けるからだ。しかし、この3D酔いダメージがあることによって、塹壕とゆう名のMEXICOとそこに生きる真の男たちのいきづかいを、開始10分であっという間にリアルに感じさせてくれるとゆう利点がある。なお、本気で酔いそうになるのは最初の10分くらいだけなので、マジで3D酔いに弱いやつも安心していいだろう。

ここまででまだ開始10分だ。2人が歩いてゆく先、どんどn負傷者が増えてゆく。ここはまじでやばいという事が完全に証明されていく。「この状況であっちの戦場まで行くのか? あほすぎる。お前は絶対に死ぬ」案内してくれるやつは全員そう言い放つ。チュートリアルも「外にころがってる馬の死体と兵士の死体が撃たれる場所の目印だから、それに気をつけて進め」程度の雑さだ。死体が目印? どういう事だ? そんなものでわかるのか? 外はどんな事になっているのか? ライアンたちは意を決して塹壕から這い出す。ライアンたちが塹壕から身を乗り出すまで、カメラは外の状況をぜんぜん見せてくれない。ライアンたちと同じ視点、同じ視界だ。想像を絶する緊張感だ。そしてぐぐっと上がる・・・・そこには・・・・確かに馬の死体・・・・そして兵士の死体があるのだ。しかも、想像していたのよりずっと目と鼻の先だ! これは何を意味するのか? ほんの数メートル進むだけで命がけの世界がこの先ひろがっているということなのだ。ライアンとスコはこの世界でやっていかねばならないのだ!


過酷なオープンワールドだ

塹壕から這い出し、目の当たりにするWorld War I・・・・おれがまず思ったのは、デモンズソウルの腐れ谷とか、ダークソウルの病み村とかだった。比較対象にそうゆうものが自然に出てくるくらい地獄だとゆうことだ。説明されるまでもなくそれがいっぱつで伝わる世界だ。ライアンとスコは悲鳴をあげ、呻き、つんのめりながら、命のない地獄を進んでいく・・・・ここまでが開始15分ぐらいの出来事だ。カメラはどこまでも半径なんメートルとかの世界だ。そこに、今までおれが知っていたつもりだったが見たこともなかった戦争の光景が次々に飛び込んでくる。行く先々、現れる他の兵隊、協力できる奴、襲ってくる奴、遠くを飛んでドッグファイトしている戦闘機、戦場となった廃墟にうごめくわずかな人々・・・。さまざまなエンカウントがある。観たことのない映像、はじめての体験がいくらでも飛び出してくる。

戦場はおそろしい。敵は撃ってくる。何もしてこないかと思うと襲ってくる。見えないどこかから銃弾が飛来し、すぐそばの柱とかにぶち当たる。はっきりいっておれは完全に度肝を抜かれていた。このシームレスの感覚はモダンなゲーミングの体験に近いところがある。おれが「ゲームっぽい映画」とゆうときは、1000%いい意味で使っている。思えばビデオゲームにおいてもおれは主人公となるキャラクターの肩の後ろあたりに視点を置いて、その体験を進めていく。さっき挙げたダークソウルとかも病み村から更に降りていったらそのまま場面転換せずにシームレスにイザリスに辿り着いた。一人称のゲームとかでも、よく斜面を誤って滑り降りたり転がったりした先に新しいステージがあったりとかする。ゴッド・オブ・ウォーのように具体的に場面転換なしを意識したゲームも最近あった。なんかそういうゲームのような舞台芸術のような時代性を感じ、おれは興奮した。

長回し手法自体はずっと連綿とあるものだが、とにかく凄いものは凄い。そしてこの1917においてはそのシームレスな映像が表現したい内容にガッチリと噛み合っていた。あくまで主人公が神とかではなく何も俯瞰できない一個の個人、イチ兵士であり、そこにフォーカスした映画であるというR.E.A.Lを、やっているのだ。


かこくな戦場で、成し遂げねばならない

ここは最悪の戦場であり、人が人として扱われない場所だ。誰もその全貌を把握しておらず、塹壕には人がひしめき、地上には死が広がり、死んだやつは埋葬されることもなく、野ざらし、いや、それどころか、泥と混じり合って地面に一体化してしまうありさまで尊厳のかけらも与えられない。犬ですら死んでいる。DOG・・・・・なぜ犬が死ななければならない? 戦争をおっぱじめたわけでも戦争に参加したわけでもない犬っころまで無残に死んで横たわっているのだ。牛も死にサボテンすらも生えていない。

そんななかでライアンとスコは、何のために伝令という仕事をまっとうしようとするのか。たしかに、伝令しなければ1600人が死ぬ。だが大きすぎてすぐにはスッと胸に落ちてこない数字だろう。ましてやドイツの皇帝がどうとか、この2人には知った事ではないだろう。ライアンにとってその目的意識の源にあるのは、家族を助けたいという素朴な決意だった。そしてスコを動かしたのは、友情・・・・ライアンのために最後までやりとげるということだ。理屈を越えて衝き動かす極限の状況下、止まれば死ぬ。スコはどんどん真の男の顔つきになってゆく。ならばやっていくだけ・・・・友情、そして、自分を超えたところにある、なにかの大いなる使命を果たすために・・・そうゆう悲壮さにおれは凄みを感じた。

そしてこの映画には、地獄でありながら・・・・・・あるいは、地獄であるがゆえに・・・美しい場面もたくさんあるのだ。それは黙示録宗教画のような、恐ろしい美だ。砲撃を受けて闇夜に燃え上がるフランス村の廃墟のマジでおそろしい映像などは、まるで美しい悪夢のようであり、それを体験したやつの頭の中を、そのまま覗いているかのようだ。不確かな人間の体験に基づいているからこそ、フランス村の廃墟で出会うベイブと赤ん坊のシーケンスなどは、驚くほど唐突に始まって唐突に終わり、幻想的で、美しいのだろう。スコが死にかけながら川を流された時に見た花や、連隊の兵士たちが朝焼けの中で聞いていた歌なども、きっと全部そうなのではないだろうか。それがワンカットなのでなおさら時間感覚が狂っていく。まるでシェルショックにかかったスコの見る幻覚を一緒に見ているかのように、時間感覚がトんでしまった、どこか現実離れした美しさがある。そして考える・・・・WW1はどうしようもないクソゲーだが、まったく救いがないわけではなく、クソゲーの中で必死でもがいた人間たちの営みの中には、そうゆう美を目の当たりにする瞬間や、けだかい行いがあったのかもしれない。そう思わされる。映画の力によって、おれはそうゆう光景をまざまざと見せつけられた。これはリアルタイムで動くジオラマのようなものだ。背景ではどんどん勝手にかぞえきれないくらいの話が展開する。この映画はそうゆう凄さに圧倒されるし、大スクリーンならではの贅沢な没入感だとおれは思った。この映画はライアンとスコが主人公ではあるが、その背景でうごめく世界全てが主役なのだ。

この映画の上映期間はいつまでか知らないので、おまえはとっとと劇場で見ておくべきだろう。この映画を見れば、おまえはバランス調整の見込みもない暗黒クソゲーの中で真の男たちが必死にあがき、生きて、なにかを成し遂げようとするさまを、半径数メートルのところでその息遣いを感じながら、いっしょに見届けることになる。それは鮮烈な体験だ。そしてWARの非人間的な悲惨さや残酷さだけでなく人間のフィルターを通した強さや美しさもある。・・・・こうした情け容赦のない冒険の果てに待ち構える静かな結末におまえが居合わせし時・・・・・・・「1917 命をかけた伝令」を映画館で観たのは正解だったとはっきりわかるはずだ。

(逆噴射聡一郎)


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