パルプ小説の書き方(実践編0):「パルプ小説とは何か?」(逆噴射聡一郎)
よく来たな。おれは逆噴射聡一郎だ。おれは毎日ものすごい量のテキストを書いているが、だれにも読ませるつもりはない。
だがおれは逆噴射小説大賞2020で初めてパルプ小説に触れたやつの乾燥などに触れ・・・・・「応募してみたけどそもそもパルプって何かよくわからないから、これで合ってるかどうか不安」とゆう声を、わりと多くみかけた。そこでおれもそろそろパルプ小説がなんなのか感がいる時期に来たと言えるだろう。
逆噴射聡一郎先生プロフィール:社会派コラムニスト。昔からダイハードテイルズ・マガジンに時々寄稿してくださいます。当マガジン上にて「パルプ小説の書き方講座」を連載していただいています。
パルプ小説とは何か?
はっきり言ってパルプ小説の定義とかどうでもいい。パルプとゆうのは小説のジャンルではなく・・・・・アティチュード(態度や姿勢)のことだからだ。おまえがパルプだと思ったら、それはとうぜんパルプだ。この意味がよくわからないやつや、初めて「パルプ小説」とゆう言葉を聞いてとまどったやつは、いっそ「エンタテイメント小説」に読みかえればいい。要するに・・・・おまえがいま一番面白いと思う小説を書いて送ればそれでいい。
そもそも逆噴射小説大賞2020の結果発表をみれば・・・・いろいろなジャンルの小説が最終選考に並んでいることがわかるだろう。小説として面白いことが一番大切だ。ジャンルやフォーマットはなんでもいい。べつに銃を撃たなくてもいいし・・・・人が死ななくてもいい。べつにFワードを使う必要はないし・・・・ブシェーミとかウマサーマンとかトラボルたが出演する必要もないし・・・・・主役がハードボイルド探偵である必要もない。わかったら今すぐお前が一番面白いと思う小説を書き始めろ。
それでも何か定義が欲しいやつや、「エンタテイメント小説ってなんですか」とゆうやつのために、ここにおれがいま考えるパルプ小説の定義をぜんぶ書いておいた。「パルプ小説の書き方」は、すべてこの考え方が基本になっている。なぜならおれが書いているからだ。パルプ小説の正確な歴史講座を受けて安心したいやつは、カルチャースクールにでも行ってこい。
いいか、パルプ小説は実践し続けているやつが一番偉い。おまえがパルプ小説を書いてそれがパルプだと言い張っていれば、どこの誰もそれになんくせつける権利はない。そうゆうあほと腰抜けはほっておけ。そして今すぐにパルプしろ。その手に握ったGUNの撃鉄を起こせ。
パルプ小説とは・・・・
パルプ小説とは、おまえの食い扶持にして突破手段であり、おまえはそれをもってメイクマネーしたり這い上がったりサクセスすることを、何ら引け目に思わない。むしろ貪欲に上を目指していく。そのためにおまえはセンスを研ぎすまし、スキルをみがき続ける。
パルプ小説とは、エンタテイメントであり、読者を楽しませようという外向きのエネルギーと、陽性のバイブスをもって書かれるものである。ネガティブな出来事に起因するものでも、おまえの反骨精神によって転換し、出力時は純然たるエネルギーとなっていなければならない。他人を不幸にする目的で書かれたものは、エンタテイメントではない。
パルプ小説とは、趣味的であり、衝動的であり、読者以前にまずおまえ個人の「これを書きたい」という欲求と楽しみが根本になければならない。それが売れる売れないは結果論であり、二の次である。
パルプ小説とは、つねに最先端であり、たんなる懐古趣味や権威主義ではない。何故なら、過去の偉大なパルプ作品群も、その当時における最新の技巧と発想と時代性をもって切り拓かれたものだからである。よって、過去の偉大な作品群へのリスペクトも大事だが、それらを過度に参照したり、またそれらの顔色をうかがっているだけでは、それはパルプではない。
PRACTICE0:自分で考えろ
プラクティス0:おまえの書いた作品がパルプしているかどうかを考えろ。これは真の男であるおまえ自身が考え、おまえ自身がセルフチェックして答えを出すべきことだ。周りを見回して大人しくパルプしていたら、そのうちだれかから1級パルプ認定証をもらえると思っていたら、大まちがいだ。また、おまえは1級パルプ鑑定士でもない。ここに書いてあるパルプの定義はおれだけのものであり、おまえがどこかの誰かに対してジャッジを下すためのものでもない。結局最後は、だれもがひとりでMEXICOの荒野を歩くことになる。だから自分で考えろ。だれも信じるな、おれも信じるな。
今回のON・LINEセミナーはここまでだ。次回からはまた銃の扱い方に戻る。PRACTICE...EVERYDAY.....。
(逆噴射聡一郎)
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