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「ハーン:ザ・ラスト・ハンター、およびその他の物語」プレビュー(1)

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「アイエエエエエエエエエエエエエエエエ! 出た! 出たアアアアアッ!」トミキチは狂ったように喚き散らし、死に物狂いで松林の中を駆けていた。ワラジ・サンダルを履いた足がもつれ、転がり、枯れ枝とシロツメクサの茂みの中に頭から突っ込んだ。「グワーッ!」

 目の前には幸運の象徴たる四つ葉のクローバーがあったが、今のトミキチにとっての幸運など、精々、提灯の灯りが持ちこたえた事くらいのものであった。誰も彼の叫びを聞きつけてくれる者などいなかった。逃げろ。追いつかれたらどうする。トミキチは泡を食って立ち上がり、提灯で後方の闇の中を一瞬だけ照らすと、再び松林を走り始めた。

「アイエエエエエエエ! 助けて! 助けてくれエーッ!」今にも掻き消えそうな提灯の灯りだけを頼りに、トミキチは街道沿いを闇雲に逃げ回った。ここは江戸から西へ四百マイルの開拓地。霧深いキノクニ・ヴァレイの暗黒の松林。空には青褪めた満月がひとつ。この時間となれば、もはや馬も馬車も往来せぬ。

 もはやこれまでかとトミキチが観念したその時。彼は、闇の中に浮かぶ赤い提灯の灯りを見た。それは蕎麦屋の屋台であった。何故、こんな街外れの暗黒の松林に、蕎麦屋が?……だが、助かった。命拾いをした。「おい、誰か!誰かいるかーッ!?」トミキチは駆け込んで暖簾をくぐり、席についた。

「どうなさったね、若いの」屋台の奥で背を向けたまま、蕎麦屋が言った「追剝ぎにでも遭ったかね?」

「ハァーッ! ハァーッ! 聞いてくれよ! 追剝ぎなんてモンじゃねえよ! 追剝ぎの方がよっぽどマシだぜ! 俺ァ見たんだよ! ありゃあ、絶対……」ヨーカイだ。そう心の中で叫び、トミキチは怖気を振るった。

「絶対、何ですかい?」「ありゃあ、絶対……」暗闇の中で見た化物の貌が脳裏に蘇り、トミキチの声は弱々しくなっていった。トミキチはごくりと生唾を飲んで頭を振り、その光景を己の記憶から放逐せんと試みた。余りの恐怖に、体は墓場の土の如く冷え切っていた。

「……何でもねえよ! それより、蕎麦だ! 寒気が止まらねえ!とりあえず、あったかい蕎麦をくれ!」

「ははあ、何を見たか、わかりましたぜ。……この辺にゃ、出るんですよ」蕎麦屋は仕込みでもしているのか、背を向けたまま返した。

「出る? 何がだよ!? 勿体つけてねえで、いいから蕎麦をくれッて言ってンだよ! このままじゃ、どうにかなっちまいそうなんだよ! 俺の頭がよォ!!」トミキチは逆上した。

 だが、すぐに異変に気付いた。

「イヒヒヒヒ…」背を向けたままの蕎麦屋店主が、不気味に笑い始めたのだ。こいつは何かがおかしいぞ、とトミキチが思った瞬間。

「そいつぁ、きっと、こんな貌の奴だったんじゃあないですかい……!?」地獄の最下層から響くような不吉な笑い声とともに蕎麦屋は振り向いた!

 そこには、剥かれた茹で卵の如き異形の面相! 目も、鼻も、口すらもなく、真っ白なラバーめいた皮膚が不気味に蠢いているのみ! これこそは、群れ成して旅人を狂気に陥れるという忌まわしきヨーカイの眷属、ノッペラボウに他ならなかった!

「アイエエエエエエエエエエエエエ! また出たアアアアアアア!」トミキチは叫んだ!彼は今夜、三度目のノッペラボウに遭遇したのだ! 最初は、街道沿いに座り込んでいた旅のオイラン! 次に虚無僧! そして三度目はこの蕎麦屋店主! 逃げ切ったと思うたび、貌の無い悪夢はトミキチを嘲笑うように彼の前に現れたのである!

「アイエーエエエエエエエエエエエエエエエエ!」提灯の灯りが頼りなく揺れ、狂気が彼の精神と理性の火を完全に吹き消さんとした。

 その時。松林の暗がりから長さ1メートルの鋼鉄銛が飛来し、屋台の木組みを木っ端微塵に破壊し、トミキチの顔のすぐ横を飛び、ノッペラボウの胸に深々と突き刺さった。「グワーッ!?」ノッペラボウは血を吐き、3メートルも弾き飛ばされた。

 刃先が背中側まで貫通するや否や、ゴシック様式のハープーンじみた刺々しい鋼鉄銛は先端部を四つに展開させ、鮮肉フックの如くノッペラボウの体に食い込んでいた。もはや引き抜くことは不可能である。「アイエエエエエエエエエエエエエエ!」無様な悲鳴をあげるのは、いまやノッペラボウの番であった。

 蕎麦屋に擬態したノッペラボウは地に倒れ伏し、もがき、這って逃れようとした。だが鋼鉄銛は鎖を備えていた。鎖はガチャガチャと無慈悲に巻き取られていった。釣り上げられた魚の如く、ノッペラボウはゆっくりと、闇の中に引き寄せられる。指を強張らせ、地面に突き立てて抗おうとするが、無駄だった。

「アイエエエエエエ……一体何が?」トミキチは目を見開き、シロツメクサの茂みの中をブザマに引きずられてゆくノッペラボウの姿を凝視していた。トミキチは驚きで腰が抜け、立ち上がる事もできなかった。だが、何が起こったのか、知りたかった。恐る恐る、這って進み、提灯を掲げた。そして、見た。

 鳥居の下に、黒い軍馬。鞍の上には、風変わりなコートと山高帽を被った、年の頃四十の偉丈夫。「幽霊十両」「妖怪五十両」と書かれたぼろぼろの旗が二本。その鞍の背もたれには仏壇と箪笥の複合物の如き装置が備わり、銛発射機と四個の鋼鉄ウインチ、そして鎖を巻き上げる手回し棒が左右に伸びていた。ガチャリ、ガチャリと、巻き上げられる鋼鉄の音。

「キノクニ・ヴァレイの暗黒の松林を根城とする、ノッペラボウ三兄妹の長兄に相違無いな」馬上の男は呵々と笑い、逞しい右腕に力を込めてウインチを巻き上げながら、奇妙なアクセントで言った。「貴様が最後だ。見るがいい」

 革手袋をはめた男の手が指差す先。漆黒の軍馬が背負う複合ウインチ装置の後ろには、既に二本の鎖が引きずられていた。無論、その先にはこの男が狩った獲物。ローマ式戦車の後ろに鎖で結え付けられた犠牲者の如く、既に二体のノッペラボウが馬に引きずり回され、無残な死体へと変わっていたのである。

「おお! おお!」蕎麦屋店主に擬態したノッペラボウは、同胞たちの末路を知り、呻き、罵った。「呪わしや! 貴様、ヤーヘルの一人か! ショーグンの犬! ヤナギダの下僕! 殺戮者! 呪われろ! 呪われろ! 永遠に呪われ」BLAM! BLAM! BLAM!

 馬上の男は聞く耳持たず。ウインチェスターM1873式ライフル銃を構えて、立て続けに三発。足元の蕎麦屋に対して、銃弾を撃ち込んだ。

「ウッ!」うつ伏せになったノッペラボウの体は、泥の上で小さく三度跳ね、失禁し、物言わぬ死体へと変わった。ブルルルル、と、黒い軍馬が満足げに鼻を鳴らした。

「アイエエエエエ……」トミキチは目を白黒させてそれを見ていた。「し、信じられねえ……! ノッペラボウを……ヨーカイを……殺しちまった……!?」彼は、それが危険な事であると知りながらも、破滅的狂気から己を救ってくれたこの偉丈夫の顔を照らすべく、未だガタガタと震える手で、提灯を掲げた。

 その倫敦製と思しき鐔広帽の落とす深い影と、傷だらけの分厚い革製インバネス・コートの高い襟の間に隠された、その偉丈夫の顔を、トミキチは、何としても見たいと思ったのだ。ヨーカイを撃ち殺した男の顔を。「だ、旦那! あんたは一体……!」

 弱々しく差し込む提灯の光にくすぐられ、偉丈夫は眩しそうに目を細め、咳払いした。男の額と眉間に深い皺が寄った。そこには、風雨に吹き曝された厳めしいガイジンの顔があった。肩口まである灰色の頭髪は波打ち、いかつい顎の周りはやはり灰色の無精髭。加えて、その男は隻眼であった。

「あんたは一体、何者なんです!?」トミキチは問うた。

 隻眼のガイジン偉丈夫は何も言わず、ただ、革手袋に包まれた手で、己の左目を覆う黒の眼帯を指差した。それは狩り殺したレッサー・テングの革を、タンニンと偉大なるヤドリギの液で丹念になめして作った、底無し井戸の坑の如く黒い眼帯であった。

 その眼帯に、漢字が一文字。ゴシック鬚英字じみた厳めしい書体で、「半」と刺繍されていた。それこそが、この男の名であった。トミキチは雷撃の如き畏敬の念に打たれ、深い溜息とともに、彼の名を呼んだ。

「……ハーン……!?」

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ハーンが妖怪を殺す! 殺す! 撃ち殺す!

トレヴォー・S・マイルズ著【ハーン:ザ・ラスト・ハンター】を表題作とした、ニンジャスレイヤー翻訳チーム(本兌 有+杉 ライカ)によるアンソロジー物理書籍が、2016年秋筑摩書房より刊行予定! イラストレーションは「エリア51」「ジャバウォッキー1914」などで有名な漫画家の久正人さん! コントラストの効いたスタイリッシュで映画的なイラストレーションが、最高にパルプする!


いきさつ

 2016年春、N.Y.に飛んだ我々がB・ボンド氏から受け取った分厚い封筒の中には、ハーン・シリーズをはじめ、未だ知られざる強大なパルプノベル同人誌が何冊も封入されていた! ダークファンタジーアクション、SF、ホラー、Sushi、Tofu、Sempai、MMO……恐るべきパンドラの箱がいま開かれる!

 シブヤ・センパイ・ハイスクールに転校してきた少女が巨大ロボでカイジュウと戦うエミリー・R・スミス著【エミリー・ウィズ・アイアンドレス】! 豆腐スペースコロニーの寂寥と狂気を描くスティーヴン・ヘインズワース著【阿弥陀6】! その他、日本テーマで選りすぐった短編を、仔細な解説と共に収録! 乞うご期待!


エミリー・ウィズ・アイアンドレス「運命の慟哭」冒頭部より

……これを読んでる全ての人へ、こんにちは。私の名前はエミリー・ラスティゲイツ。オレゴン州ポートランド生まれ。高校二年生。父親は誰だかわからない混血で、母親の英語もスラヴ訛りだった。髪は黒、肌の色は雪のように白くて、瞳の色はシャイニー・ジェットブラック。でもその奥にときどき、赤い炎のようなきらめきが走るから、クラスの皆は私の事を気味悪がった。別に私はゴスじゃない。でも正直言うと、カーストの最下層で、誰にも相手にされなかった。でもそれは、私が自分の本当の価値に気付いてなかっただけ。私の中の価値を信じる勇気が、ほんの少し足りなかっただけ。6ヶ月前、交換留学生としてシブヤ・センパイ・ハイスクールに来た時から、錆び付いていた運命の歯車は回り始めたのだ。

 私の本当の名前は、エミリー・フォン・ドラクル・イチゾク・ラスティゲイツ・ザ・ドーンブリンガー・M-22。数千万人に一人が持つ特殊遺伝子、ウンメイテキ・ジーンの持ち主であり、富士山の火口から攻めてくる人類の敵、カイジュウに対抗する力を秘めた、この地球にとっての最後の希望、だった。……でも、センパイ、ごめん。私はもう、戦えない。


2016年秋をパルプにしろ!

◆2016年秋をパルプにしろ! ダイハードテイルズ出版局がおくる【ハーン:ザ・ラスト・ハンター】およびその他の物語! 待て続報!◆



注:本ノートは2016年5月20日にTwitter上 @DHTLS で行われた「ハーン:ザ・ラスト・ハンター及びその他の物語」(仮)のプレビューツイート内容をまとめたものです。そのため、一部内容が実際に収録される本文と異なっています(物理書籍は140文字区切りではありません)。

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