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S1第8話【ザイバツ・シャドーギルド】

総合目次 シーズン1目次




1

 キョート・リパブリック、ガイオン地表。2038年以降の試練の10年期は、変化の無い事を何より尊ぶ都をも、否応のない変動に呑み込んだ。磁気嵐と共に経済上の優位は消え去り、闘争と破壊が碁盤の目を洗った。それでも朱塗りの五重塔はいまだ等間隔にそびえ立ち、誇らしく天を指す。

「エッホ! エッホ!」サイバネ・リキシャー・ドライバーは観光客と武装ガイドをリキシャーに乗せて観光ルートを走り抜ける。時刻はちょうど正午過ぎ。狂言強盗団やバイオグール達もこの時間帯は大人しい。「ここから見えるキョート城跡ときたら、たまらないですよ!」「本当だ」観光客も笑顔だ。

「ゆっくり写真でも撮ってくださいね。ウチの武装ガイドは凄腕だし、変な奴が来ても殺します。なあ、ノブザメ!」「まかしてくださいよ」リキシャー後部にスタンバイしたハッピ姿の全身サイバネティクス武装ガイドが力こぶ仕草をすると、観光客の老紳士は笑顔を深めた。「いやあ、本当に頼もし……」

 DOOOOOOM 

 武装ガイドは再起動した。周囲に生命反応は……まばらにある。だが彼のパートナーも、観光客も、ただの肉となっていた。正確には、血のマンデルブロ・サインに変わり果てていた。地面にはコンパスで測ったような円形の「抉れ」が無数に、ランダムに生じていた。空気にオゾンが溢れていた。

「何……だ、こりゃ」ノブザメは起こった出来事を確かめようとした。塀が、道路が、木々が、屋根が抉れ、失われ、大小のマンデルブロ・サインが重なり合っている。ZZZZOOOOM……彼の後ろで、五重塔が傾き、倒れていった。マンデルブロの中から黒い水晶が生え始めた。


◆◆◆


 キョート・リパブリックと時間差さほどなく、ローマ。電子戦争や試練の10年期をも生き延びたコロッセオが、つい数分前に起こった黒い爆発、それに伴う醜い「抉れ」によって、巨大なスイスチーズめいた有様になっていた。病んだ色の火がそこかしこに灯り、やはり黒い水晶が生え始めた。


◆◆◆


 そして……ベルリン。鉄条網で覆われ、見張り櫓がそこかしこに築かれた壁が、ある地点で50メートルほど消失し、破壊の痕跡には黒い水晶が育ちはじめていた。

「……」生きて動く者があった。赤黒の装束を着たニンジャは円形の「抉れ」の間をしめやかに歩き進み、痕跡を感じ取ろうと努めていた。


【ザイバツ・シャドーギルド】


 動きの気配。ニンジャスレイヤーはそちらへ目線を飛ばす。「だ、ダメだ……ダメだ」石くれにまみれ、震えているのは、ひどく傷ついた男だ。ただ、このベルリンの自警団や物乞い、商人の類いとはアトモスフィアが違った。彼のニンジャ洞察力は、死にかけたその男が「余所者」であると見て取った。 

『オイ! 返事しろ、ニンジャスレイヤー=サン!』タキの喚き声がニューロンに響いた。「無事だ」ニンジャスレイヤーは答えた。「情報の通りか」『そりゃそうだ! オレを誰だと思ってやがる。だから気をつけろッつったんだ』「黙っていろ」ニンジャスレイヤーは瀕死の男に近づく。

「お前。話せるか」ニンジャスレイヤーは声をかけた。男の意識は混濁していた。「お、俺は、俺はやったか?」「何?」「見えないんだ」両目は真っ赤で、眼球は無く、涙の代わりに血が流れていた。「これで……うまくいったかなあ?」「何がだ」「嗚呼……」男が掲げた右腕は肘から先が無く、断面が青く光っていた。その光もやがて弱まり、黒く焦げた。

『何が起きてる! オイ!』タキが騒ぐ。男は力尽き、動かなくなった。ニンジャスレイヤーは男の外套を探る。仰々しく、時代がかった服装だ。やがて彼は焦げた端末と手帳を見つけた。手帳を開き、あらためる。『どうした!』「こいつだ」『マジか』「多分な」手帳はウキハシ・パスポートだ。

「正規の手段で入国している」『どこからだ』「……」ニンジャスレイヤーは眉根を寄せた。「旧チェコ共和国、デジ・プラーグ」『デジ・プラーグだと? あんな所から? ともかく、なあ、身をもって体験したんじゃねえか? その目で見たんだろ。被害をよ。今回のは、なあ、やめとかねえか? ヒットしたニンジャは例のブラスハートでもねえし……』

 ニンジャスレイヤーはタキとのやり取りを思い起こしていた。新たにその動向の一端が明らかになったサンズ・オブ・ケオス構成員の情報を、タキは素知らぬ顔で一度スルーしかけた。ニンジャスレイヤーはその不自然を見咎め、彼を脅し、強いて、情報を深く掘らせたのである。

(今度の奴はヤバイ)タキは言った。数秒置いて、再度、強調した。(その……マジでヤバイ)(そうか)(わかってねえな。畜生、オレはだんだん後悔し始めてる。いや、ずっと前から後悔してる。だけどその百倍後悔するようになる)(何故だ)(こいつテロリストだ。カルト。個人の規模じゃねえ)

(もう少し詳しく話せ)(こいつ、ここ最近世界中の都市で無差別な破壊をやらかしてる。メガコーポが何社も賞金をかけてる)(殺して儲かるのに、なぜお前が避ける)(ふざけるな。とんでもねえ規模の被害を出しやがるんだぞ。目的もわからねえ。カルトの信者を使って、とにかく殺して、壊す!)

(カルト? 何を信奉している)(アー……)タキはモニタに大映しになった紋様に目をすがめた。(魔術…かな?)(そいつの名前は)(エゾテリスムだ)(何処にいる)(さあ?)

 ……そうした会話が為されたのは三日前のこと。三日間の強行軍の結果、こうして居場所の手がかりを掴んだ。旧チェコ共和国、デジ・プラーグ。成程、この服装は魔術師気取りか。

 立て続けに起こったキョートとローマの被害。その後、ネットワークに流出した標的地、ベルリン。ニンジャスレイヤーは企業のウキハシ・ポータルを繰り返し利用して、タキが必死で探し集めたテロ行為の足跡をトレースし、エゾテリスムの痕跡を探し回った。「順調だ」ニンジャスレイヤーは呟いた。タキはもはや無言。


◆◆◆


 今回の作戦はサダカル・ヤシモ・エンタープライズ社とオムラ・エンパイア社の共同で、その構成比率は7:3。メインとなる戦力は無限軌道式の戦車部隊で、上空には有人ヘリコプターが展開している。針葉樹林に霧が被さり、雪の峰々は展開する企業軍隊を超然と見下ろしていた。

 緯度・経度でいえば、そこは亜北極圏、かつてカナダ領であった土地だ。国家はもはやなく……その地域に至っては、企業豪族の領土ですらない。支配者はウインドウォーカーと呼ばれる神秘の存在であり、サダカル・ヤシモ社の目下の最大の敵であった。

 そう、今まさに、針葉樹林の霧の中を驚くべき速度で移動する人型の影こそがウインドウォーカーだ。この揺れは地震ではない。ウインドウォーカーの移動に伴う揺れに過ぎない。そして今、サダカル・ヤシモ社側の指揮官は高精度ゴーグルを通して影の動きを睨み、一斉攻撃のタイミングをはかっていた。

 ゴーグルのディスプレイ上に「射程範囲内な」の文字が灯る。信頼のおけるプロダクトだ。彼は有線マイクを口元に引き寄せ、号令を……「アイエエエエエ!」彼は目から出血し、悲鳴を上げた。ウインドウォーカーと目が合ったのだ。巨人は霧越しに、ただ彼を凝視した。間違いなく。ゆえに彼は狂った。

「アイエエ! アイエエエ!」付け加えるなら、彼はニンジャだった。しかしウインドウォーカーが押し付けてきたイド(意志)の力は破格過ぎた。「ガルガンチュア」彼は呟いた。それが、ウインドウォーカーがニューロンを通して名乗った名だ。

 副官が部隊に指示し、発狂した彼を迅速に退避させた。巨人が……目視の距離に至った。DOOOM! DOOOM! DOOOOM! 戦車隊が立て続けに主砲を撃ち込んだ。ガルガンチュアはうるさそうに手をかざし、砲弾を防いだ。企業軍は攻撃を継続する。ガルガンチュアが接近する。戦闘が始まった。

 戦闘? 子供が父親秘蔵のミニチュア・ジオラマを無邪気に破壊するのにも似た光景だった。戦車が宙を飛び、ヘリコプターは地を舐めた。イクサの趨勢は5分ほどで見えた。準備不足……あまりにも。

「こんなバカな……」オムラ・エンパイア側の司令官、パワード武者鎧を着たオムラ傍系のベンジャミン・オムラはあんぐりと口を開け、数キロ先の破滅光景を見守った。巨人が吠え、風が吹いた。

 HQテントが確かに揺れた。ベンジャミンは反射的に頭髪と戦略机を押さえた。「撤退……撤退を……! オムラがこれ以上恩を売ってやる義理は無い……!」「司令官! ご覧ください!」誰かが叫んだ。ベンジャミンはモニタを見た。巨人の周囲の空に黒い稲妻が走った。企業軍人たちは息を呑んだ。

 一瞬後、空に現れたのは、五つの直方の影だった。機影? 彼らは訝しんだ。およそ航空力学を無視した、方舟めいた形状、見ているとどこか不安を覚える奇妙なバランスをした、黒一色の浮遊物だった。

「なんだッ!」ベンジャミンはモニタにかぶりついた。サダカル・ヤシモ社の新兵器であれば大事(おおごと)だ。彼の凝視の中で、五つの方舟は輝く光の粒を地面にばら撒いた。

 KABOOM……KRATOOM……激しい光と爆発がガルガンチュアの足元を満たす。地上部隊のいくらかが爆発に呑まれて通信途絶した。ゴウオオオン……巨人が憤怒に吠えた。光が薄れると、焼け野原には徒歩の影が隊列を組んでいた。

「あれは……」「ニンジャ……?」然り、ニンジャだった。現れたニンジャはどうやら3人。彼らそれぞれが、100人ほどのユニットを率いている。ベンジャミン達にはわかりようもないが、ニンジャに率いられる者らは黒い影めいた装束を着、人ならざる眼光を光らせるデミ・ニンジャ達だ。

 ブオウー。ホラ貝の音が響き渡った。まるで平安時代だ。しかしHQテントの者達はわけのわからぬ恐怖に震えるしかなかった。彼らは巨人の足元で渦めいて展開し、矢を射掛けた。然り、矢だ。まるで平安時代だ!「AAAARGH!」巨人が苦痛に身をよじる。矢尻一つ一つが超自然の光を帯びている! 

 ブオッ、ブオウー。ニンジャの一人が再び合図のホラ貝を鳴らした。デミ・ニンジャのユニットは巨人の足元めがけ、一斉に鎖を投げかけた。巨人は鎖を振り払い、引きちぎる。その間も超自然の矢は射掛けられ続ける。「オーマイブッダ!」前線の戦車兵が感嘆の声をあげた。「救い……アバーッ!?」

 戦車兵は恐怖に凍り付いて死に、その死体から黒いガスが絞り出されると、数百メートルを飛行して、ニンジャの一人がかざした手に吸い込まれていった。ニンジャは1メートル宙に浮いた状態で、何らかの不浄のジツを行っている。前線の兵士の成れの果てたる黒いガスが力となって彼に呑み込まれる。

「イヤーッ!」ガルガンチュアに斧で斬りつけたニンジャが20メートルの高さから着地し、邪悪なニンジャに声をかけた。「ジツの発動はまだか! ディヤーザル=サン!」「脆弱な魂だ……時が必要……!」「チイーッ!」斧のニンジャは再び跳んだ。ガルガンチュアは呆気なくその身体を掴み取った。

「主ーッ!」斧のニンジャは叫んだ。「アバーッ!」ガルガンチュアは斧のニンジャを握り潰し、手の中で爆発四散させた。そのとき、矢の嵐がついに効果を見せ、巨人に片膝をつかせた。振り上げた腕に鎖が投げかけられ、動きを封じる。「イヤーッ!」巨人の足を、今一人のニンジャが駆け上がる。

「AAAARGH!」ガルガンチュアが叫んだ。「ジツ、成れり!」ディヤーザルは黒い瘴気の塊を放った。この攻撃のために戦場の戦車兵達の生き残りの相当数がサクリファイスされた。ナムアミダブツ! 黒い瘴気は巨人の身体に大蛇めいて巻き付き、責めさいなむ!「ゴウオオオーン!」

「バカな」ディヤーザルは目を剥いた。ガルガンチュアは瘴気拘束を数秒で振り払い、再び立ち上がった。「イヤーッ!」身体を駆け上がっていたニンジャは体毛を伝って心臓付近に到達し、手にしたツルギを繰り返し突き刺した。巨人は蚊でも潰すように、そのニンジャを叩き潰した。「アバーッ!」

 怒り狂ったガルガンチュアが手足を振るうたび、デミ・ニンジャの十名が撥ね飛ばされる。ディヤーザルは後ずさった。「ならぬ……これでは……」「ディヤーザル=サン……!」地に落ちた瀕死ニンジャのか細い声を彼は聞いた。「手ごたえはあった……この機を逃すな」「しかし」「主を呼べ……!」

 ディヤーザルの額を脂汗が流れ落ちた。巨人の胸元にはツルギが刺さり、超自然の毒がその傷を腐らせている。確かに千載一遇の好機、それが今失われつつある。ディヤーザルのジツも効かず、他の二人は敗れた。「呼べ……!」彼はなお逡巡した。主を呼ぶ代償は大きい。主自身にとってもだ。

「ゴウオオオオン!」ガルガンチュアが足を振り上げ、瀕死のニンジャをカイシャクしようとする。ディヤーザルは腹を決めた。「イヤーッ!」彼は両手をかざし、瀕死のニンジャに向けた。「サラバだ! リクトール=サン!」「応! アノヨで会010010011」リクトールの身体が黒く爆ぜた。

 ZZZZOOOOOOM……一秒後、ガルガンチュアがその身体を踏み潰した。否。一瞬早く、影が走り出た。「主……スミマセン。ご武運を!」ディヤーザルは安堵と恥に顔をしかめ、その場でケジメした。影は巨人の攻撃をフリップ・ジャンプで回避し、着地した。

 その者はもはやリクトールではなかった。オブシディアン色の甲冑で全身を鎧った戦士だった。彼は巨人に向かって合掌し、アイサツした。「ドーモ。ガルガンチュア=サン。ダークニンジャです」合掌した手を離すと、掌から刃が徐々に生えていった。彼はニンジャ大剣を掌から引き抜き、片手で構えた。

(ドーモ。ダークニンジャ=サン。ガルガンチュアです)巨人の表情は虚ろであったが、念話によってダークニンジャのニューロンに直接アイサツした。ノイズ・パルスが走り、企業軍の通信機器を損傷させた。巨人は拳を天高く振り上げ……打ち下ろした。

 ダークニンジャは黒い光めいて横へ滑るように移動し、巨大な拳を回避した。ジグザグに動く黒い光は巨人の手の甲へ、そのまま手首へ、腕へと、絡みつくように駆け上がる。「AAARGH……」ガルガンチュアは逆の左手でダークニンジャを払いのけた。ダークニンジャは宙返りして左手に飛び移った。

 巨人は両腕を振り回し、針葉樹に叩きつけた。ダークニンジャはニンジャ大剣を腕に突き刺し、勢いをつけて、腕の外周を切り裂き、跳んだ。腕輪めいた切り傷が生じ、黒い血が針葉樹林を汚染した。「イヤーッ!」甲冑のダークニンジャは紫の稲妻を放ち、空中で飛行軌道を変え、胸に大剣を突き刺す。

 リクトールが表皮を破り、微かに穿った傷口を、ダークニンジャの大剣は深々と抉った。「AAAAAARGH!」ガルガンチュアは咆哮を放った。針葉樹が風を受けて揺れた。ダークニンジャは既に大剣の刃の上に飛び乗っていた。なんたるニンジャバランス感覚か。彼は刃の上で腰の鞘からワキザシを抜き、二刀流で構えた。

 ガルガンチュアは胸に刺さった棘めいた大剣を引き抜こうとする。だがダークニンジャはワキザシ・ダガーの二刀流を超常的速度で繰り出し、血肉を切り裂き、抉り、分け入った。「AAARGH! AAAARGH!」ガルガンチュアがよろめき、地を揺らした。やがて、びくりと一際強く震え、倒れ込んだ。

「主」ディヤーザルは呻いた。ガルガンチュアは崩れるように仰向けに倒れ、動きを停めた。胸元から高々と黒い血が噴出し、巨人の身体を伝い、奇怪な沼を生じる。やがて胸の穴からダークニンジャが這い上がった。超自然の甲冑は巨人の酸めいた血を拒絶し、蒸発させてゆく。彼は何かを手にしている。

 それこそが……拳大の黒い石こそが、今回の遠征の目的である。ダークニンジャはディヤーザルに歩み寄る。その後ろで巨人の身体は急速に劣化し、崩れ、萎びていった。だが、滅びてはいない。時を経れば呪われた巨人は再び起き上がり、この地を霧とともに彷徨い始める。どちらにせよ、もはや用済みだ。

「大儀でございました」ディヤーザルは跪く。「みすみす御身の御力を……。ケジメ致しました」左手小指を掌に乗せ、恭しく差し出す。ダークニンジャが手をかざすと、ケジメ指は焼け焦げて風に散った。「帰還する」「ハーッ!」上空、シャドーシップの船体が緑の光に脈打つと、二人は転移し、消えた。

 地上に残されたデミ・ニンジャたちを転移回収すると、それらシャドーシップもまた、一隻、また一隻と、超自然コトダマ転移によって姿を消した。後には、力失せた巨人と、半壊状態の企業軍が、霧の中に残された。


◆◆◆


 かつてサハと称されていた極寒の地に、謎めいた大規模な奴隷農場がある。外界からの繋がりを絶たれたその地では、非ニンジャの農奴が黙々と痩せた作物を育て、夜毎、その日いちにち死なずに済んだことを寿ぎながら暮らしている。

 彼らが現在の立場に置かれてから、一年にも満たぬであろう。彼ら自身、ネングを取り立てる者らが何者なのかは把握していない。与えられたコメはねじれて黒く、奇怪であったが、育ちは早く、彼ら自身の最低限の腹をも満たす。上空に時折、蜃気楼めいて映し出される影の城に、彼らの領主は住まう。

 その影の城こそがキョート城、かつてキョート共和国に在り、オヒガンの果てに呑まれた末に、いまだ狭間の地に浮かぶ神秘の城郭であり、ザイバツ・シャドーギルドという謎めいたニンジャ組織がカラテ社会を築く、闇のヴァルハラ宮殿であった。

 シャドーシップ5隻はキョート城へ無事帰還した。城内のシャドーシップはそれが全てではなく、同様のもの、より大きなものも存在する。それら黒い方舟はこの世ならざる技術によって建造されたオーパーツで、ギルドの者達もその成り立ちの詳細は知らぬ。オヒガンの彼方の岸辺、神話的なイクサを経て、彼らが接収した戦力であった。

 戻りきたダークニンジャを出迎えたのはネクサスである。現在、上級のニンジャ達はイクサの地に赴いている者が殆どだ。ダークニンジャはディヤーザルを下がらせ、この黒ローブ姿の古株のニンジャとともに水晶昇降機に乗り込んだ。

 上昇する水晶昇降機の中で、早々にネクサスは切り出した。「やや見過ごせぬ出来事が……」「申せ」ダークニンジャは促す。水晶昇降機からは、接舷したシャドーシップからぞろぞろとデミ・ニンジャが降り、整列ののち再配置される様が見下ろせる。ディヤーザルは己の居室へ戻った。眠れぬだろう。

「これを」ネクサスは手をかざし、水晶の壁にコトダマ空間の観測ログを映し出した。ウキハシ・ポータルを用いてコトダマ空間をジャンプする者達がキョート城に感知された場合、ここにログが残る。「……」「左様。ニンジャスレイヤーでございます。それも、ごく短期間に数度確かめられておりますな」

「そうか」ダークニンジャは目を細めた。ネクサスはフードの奥で目を光らせた。「当然、ノイズゆえの誤感知や見逃しを勘定に入れねばなりませぬが、これほどはっきりと痕跡を残したとなれば、間違いは無いかと。ニンジャスレイヤー、即ち、ナラク・ニンジャでございます」

 ダークニンジャ=フジオ・カタクラは、端的にいって、ナラク・ニンジャのソウルを必要としている。ニンジャの始祖神を殺そうと試みるダークニンジャは、ナラクのソウルを邪剣ベッピンの糧とし、以て、神殺しの手段を得ねばならない。

 キョート城が現世へ再接触を果たしたのは一年をさかのぼらない。時空を跳躍したがゆえに、ギルドの者らは体感ではほんの一年強の時を過ごした程度であろう。

 現世への再接触後、彼らは否応無しに古代リアルニンジャ達との多方面でのイクサに直面した。何人かのリアルニンジャを倒し、今回はガルガンチュアを首尾よく仕留めたものの、ベッピンの復活にはいまだ多くの要素が必要となる。

 完全な状態のベッピンを用いずしてニンジャスレイヤーを殺せば、ナラクは再び散って消え隠れ、再出現まで時を待つ必要が出る。「命さえ残せば良いのです。ゆえに、生かして捕らえ……」ネクサスは言った。「……手足を捥ぐなどして、地下牢に繋ぎ、時が満ちるを待つのがよきかと」「よかろう」

 水晶壁に世界地図が映し出される。銀河めいて散らばるソウルの星々がネクサスのしぐさ一つで掻き消え、ただ一粒の星だけが残った。ネクサスは呟いた。「彼奴の現在の居場所にございますな。これなるは……デジ・プラーグ。比較的厄介な地ではございますが」「構わぬ。戦士を選ぶとする」 

 シャドーギルドは現在、「オベロン」が率いる複数のニンジャクランとの戦闘状態にある。差し向ける事が可能なニンジャ戦士はどうしても限られてくる。しかしながら、突如として観測されたニンジャスレイヤーをこのまま放置に任せ、みすみす好機を逸するいわれはない。使い捨てても構わぬ斥候が必要だ……。


◆◆◆


 石畳で覆われた路の端、四角い蓋が微かに動いた。そこから赤黒の手甲で覆われた手が突き出し、地面を探り、しめやかに這い上がった。表通りの喧騒が伝わって来る。彼に気づいた通行者はいない。ニンジャスレイヤーは地下穴を振り返り、「問題ない。上がってこい」と囁いた。

「フンッ……!」コトブキは必死の形相で、力を込めて這い上がった。片手で身体を支え、もう一方の手ではスーツケースに固執していた為である。その間、ニンジャスレイヤーは周囲をじっと警戒した。企業ウキハシ・ポータルの無断使用による「国際旅行」にも、否応無しに慣れてくる。

『どうだ、入れたか、"コア" によ?』タキの通信が入る。「地下水路から侵入した」ニンジャスレイヤーは答えた。『よし。ま、せいぜい気をつけろや』「打って変わって、優しい色合いです」コトブキが家々の石壁を眺め、嬉しそうに言った。

 ニンジャスレイヤーは頭上の空を見上げ、目を細めた。「青い」


2

 真上の青空から徐々に視線を下げていくと、それが円形に切り取られたかのように不自然であることがわかる。渦めいた境界から外側の空はメガロ灰色で、高層建築が高壁めいて連なっている。高層建築の光や屋上部のビーコン、パルスは遠雷めいて、今ふたりが立つ石の市街とは対照的な暗さだった。

 ふたりがまず転移したのは、あの高層建築群が最初だ。ウキハシ・ポータル施設から脱出すると、そこは迷路めいてパイプと空中通路で繋がれ、大地は遥か数十メートル下に霞んで見えるような、ネオサイタマのジャンクをより冷たく凝(こご)らせたような高層迷宮だった。

 タキのナビゲーションを頼りに、ダストシュートから地下通路へ降り、湿って暗く、気味の悪いバイオ生物が飛沫をあげる水路を延々と進んだ挙句に、ようやくこの場所へ至ったわけだ。「これで落ち着きましたね」コトブキが言った。花柄の刺繍のロングスカートは民族衣装のオマージュであろう。

 一方のニンジャスレイヤーは間に合わせめいたカーキ色のポンチョを装束の上から被っていた。どちらにせよ、ちぐはぐな二人連れである。そしてコトブキの民族衣装テイストも、この旧市街(コア)を歩く者たちの染み入るような黒い装いからは異質だった。

 プカプカプー……大道芸人のアコーデオンが鳴る。表通りは行き来する人々も数多く、観光客の割合も十分に多い。石畳や壁の色はややワインレッドの色合いを含んで暖かく、木々には黄金色の葉が連なり、市場では色とりどりの飾り布やガラス玉、魔術タリスマンの商いが行われていた。二人は足取りを早め、雑踏に紛れ込んだ。

「ここは間違いなくデジ・プラーグの旧市街(コア)です」コトブキはガイドブックを開いた。「重金属雲はビームで消し飛ばされていて、プラハ城を腐食から守っているんですね!」指差した先、高い丘に、青銅色の塔が見えた。「歴史の保存の意図が見えますね。キョートと通底する思想でしょうか?」

「妙な眺めだ」ニンジャスレイヤーは呟いた。遠景には常にジャンクの存在がちらつく。この極めて美しい小径も、遠目には電子戦争以前そのままのプラハ城も、青空も、ドーナツめいた高層建築の新市街(ウォール)によって全方向を包囲されている。歴史保存……何の為に? 観光の為だけではあるまい。

「天使の柱ですよ。凄いです」コトブキは城を照らす光に言及した。「テクノロジーが作り出した自然美で、昔には無かったんです。だから、進歩だと思います」「ああ」ニンジャスレイヤーはもはや構わず、移動を開始した。携帯端末の地図にはタキが指定した「後ろ暗い区画」のサイン。そこを目指す。

(まず「後ろ暗い区画」に入る。入り口は偽装されているが、どうって事ねえ)

 タキの事前説明を思い返す。

(そこで偽装デジ・タリスマンを調達しろ。旧市街は魔術ギルドが互いにしのぎを削り合う場所で、新市街より余程ヤバい場所だ。しかも、いいか、お前は魔術ギルドにアサルトをかけるんだぞ)

 目印にすべきは、プラハ城に至るカレル橋だ。ここからまだ距離がある。ニンジャスレイヤーは走り出した。道は狭く、どこを通っても、黄色い落ち葉が風に舞っていた。赤黒の風に目を留める者は少ないが、稀に目で追う者もいる。やがて引き離されていたコトブキが、強引に近道を継いで再合流した。

「荷物は預けました……うわあ」コトブキが感嘆の声をあげた。カレル橋を渡った先に見えるのがプラハ城だ。ちぐはぐな様式をひとつところに集積して成り立つ、歴史的ケオス。その美と迫力は現在もなお強烈にニューロンを揺さぶる眺めだ。雨でもないのに傘をさして歩く集団を追い越し、二人は橋を渡る。

 プカプカプー。アコーデオン奏者はどこにでもいる。大道芸人がジョルリ人形めかした踊りを踊っている。川を行き交う船では人々がパーティーを繰り広げている。橋の中央では十字架像が通行者を睨み据えている。その十字架像の辺りを境に、ニンジャスレイヤーのニンジャ第六感は微かな違和を覚える。

 対岸へ渡りきると、皮膚に刺さるような小さな痛みは確かな感覚となった。ニンジャスレイヤーは石段を降り、わけもなく木陰に隠れて、追いかけてくるコトブキを待った。「まってください!」彼女を通し、タキはUNIX端末に物理ハッキングをかける事が可能だ。置いてゆくわけにもいかない。

 注意せよ。ナラクがニューロンに警告の呟きを発する。マスラダも承知していた。既に、プラハ城の「黄金の小道」に相当に近い。だがまだ踏み入ってはならない。明確に危険な場所なのだ。タキの言葉だけでは真偽不明のところ、実際に近くへ寄れば、試すまでもない事実であることがわかった。

 そしてその危険の感覚は、おそらく彼が求める今回のサツガイ接触者、「エゾテリスム」のニンジャ存在感をも含んでいることだろう。コトブキが追いつくと、ニンジャスレイヤーは木陰から出、周囲に注意しながら、川沿いに橋の裏側へ忍び入った。「あります。仕掛けです」コトブキが石壁を指差した。

「わかるのか」「周波数です」コトブキは壁の石の一つへ近寄り、無造作にブロックの一つを外して見せた。現れた溝にはLAN端子があった。「繋ぎますよ」コトブキが首筋からケーブルを引き出した。『いいぞ。やれ』タキが通信を返した。『周りに誰もいねえな? 危ねえぞ』「問題ない」

『オレの凄みを見せてやっからよ。どんだけオレが大事かって事を』タキが恩着せがましく言った。カリカリ。壁の奥で音が鳴り、コトブキが痙攣し、白目を剥いた。キャバアーン! 壁の奥でファンファーレが鳴った。コトブキは意識を取り戻した。壁がドンデン返しめいて回転し、二人を通路へ導いた。

『いいか。他の奴が来たら、隠れてやり過ごせ。本当は入場の資格が要るんだ、その先は。物理の証は用意できなかった』タキが言った。「道はひとつしか存在しない」ニンジャスレイヤーが言った。『アア? じゃあ、逆ギレしてやり過ごせ。それか、殺しちまえ』「罪のない市民を殺してはいけませんよ」コトブキが言った。

 トンネルが……不意に開けた。そこは地下に作られた石造りの広場で、おそらくこの真上にはプラハ城が位置していることだろう。中央に柱があり、天井付近に「přátelství 」と刻まれている。柱を囲むように複数台の自動販売機が設置されている。「誰もいない。なんだ、あのベンダーは」

『ベンダー? ビンゴだぜ! そこで間違いねえ。そこはな、デジ・プラーグ・コアの魔術ギルドが共用で使ってるホールだ。緩衝地帯なんだ。誰もいねえな? 用があるのは自動販売機だ。急げ。アクセスしろ。コトブキを使え』「全部で6台あります」『全部同じだ。早くしろ』再びLANケーブル接続。

 コトブキが白目を剥き、自動販売機のモニタにウサギとカエルが表示され、走り始めた。『またオレの凄みを見せてやる。デジ・タリスマンを偽装するぞ。説明した通り、黄金の小道は部外者完全立ち入り禁止の閉鎖区域、しかもあの狭い中に複数のギルドがある。ニンジャもいる。普通なら八つ裂きだ』

 ハッキングに伴い、タキの早口も加速する。『奴らは互いに憎み合ってるが、余所者・侵入者への憎しみはその百倍だ。身内である事を相互に保証する為に、デジ・タリスマンを緩衝地帯で発行する仕組みにしたワケだ。それを持ってりゃ、身内って事で、あらためて仲良くケンカできるんだ。疑心暗鬼のクソ共だ……よし!』キャバアーン!

 デジタル・ファンファーレが鳴り、日付と無意味なIDが刻印されたメダルが二枚、吐き出された。ニンジャスレイヤーはそれらを掴み取った。「行くぞ」トランス状態から復帰したコトブキを促し、出口を振り返った。鉄扉が落下し、二人をpřátelstvíの広場に閉じ込めた。『何だ? ヤバい』

 たちまち、自動販売機のモニタのウサギとカエルが棍棒を手にして暴れ始め、アラートが鳴り始めた。『そんな筈はねえ! そのタリスマンはしっかり偽装できてる。お前らがヘマしたんじゃねえか? オレのせいじゃねえ!』「イヤーッ!」KRAAASH! ニンジャスレイヤーは鉄扉を殴りつけた。

「タリスマン発行のシステムと、警備システムが別々に走っていたんだと思います。後者をうまく騙せなかったのでは」コトブキが言った。『誰が失敗したかをあげつらうより、脱出が先だろうが! 未来を見ろ』「イヤーッ!」KRAAASH! 鉄扉が破砕した。しかし次の鉄扉が待ち構えていた。無益!

「イヤーッ!」KRAAASH! ニンジャスレイヤーは鉄扉を殴りつける。「ニンジャスレイヤー=サン! ガスが……成分解析ができればいいのですが」コトブキが床を指差した。青い煙が足首の高さにまで立ち込めてきていた。「イヤーッ!」KRAAASH! 扉が破砕した。奥に……三枚目の鉄扉……!

『大丈夫か? 九割はうまくいってたんだ。上出来だろうが。未来を見ろよ!』「イヤーッ!」KRAAASH!「イヤーッ!」KRAAASH! 扉が破砕した。その奥、四枚目の鉄扉を背に、男が立っている。つばの広い旅人帽を被った黒ずくめの男だ。ニンジャスレイヤーは拳を構えた。

「マッタ!」黒い男は両手を突き出した。「害意はない。何が起きておるかも概ね理解した。お前さんらは幸運だ。俺でよかった。ゲホゲホッ、こいつはしんどいぞ。息を止めろ。死ぬからな! お嬢ちゃんも。お嬢ちゃん、ン? 必要ないか? こりゃシツレイ!」男は駆け寄り、ニンジャスレイヤーとコトブキに触れた。

 酒臭い息がニンジャスレイヤーにかかった。つむじ風が彼らを包んだ。一瞬後、彼らの姿は消失した。警報音は鳴り続けていた。彼らがいた筈のトンネルの中途、有毒ガスが名残めいて渦を巻いていた。


◆◆◆


 ルツィエと出会ったのは三ヶ月前のことで、そのとき彼は一介の冒険魔術師に過ぎなかった。彼はニンジャで、その点、一般的な魔術師連中よりも相当なアドバンテージがあった。長いスペル・チャントや没薬の助けを借りずとも、マンデルブロの世界に触れることが容易い……ある意味では。

 太古の昔より、エレメンタルの世界は物質界と重なり合って存在し、人はしばしば、そこに満ちるエテルを汲み出すことで神秘の力を得てきた。ニンジャのジツも然りだ。既にそれを経験的に知っている彼は、それゆえ魔術師の聖地たるデジ・プラーグにもさして執着はなく、ほんの物見遊山のつもりだった。

 しかし、恋とは瞬間的に燃えるものだ。ルツィエはルビーのような女だった。宝石めいて硬く、冷たく、発する色は激しかった。ゆえに彼はデジ・プラーグで旅券を破り捨て、己の詩情と機知の全てをかけた戦いを始めた。彼女が「無限遠」における最重鎮のウィッチであると知れても、彼はひるまなかった。

「無限遠」はハッカー・カルトの一種で、ジプシー・ウィッチの実力者が徐々に集まり、形成されていった団体だ。流浪の末に彼らはこのデジ・プラーグに入り込んだ。排他的な各魔術ギルドは当然「無限遠」を敵視したが、彼らは断絶したギルド同士の緩衝材役を買って出、短期間で居場所を築いた。

 然り。魔術ギルドの三巨頭、「金の牡鹿」「年輪」「空の手」、そのどれもが、互いに睨み合いながら、等しく「無限遠」と握手をかわした。ウィッチ……別の言葉で称するならば、コードロジスト……の提供する「デジ・プラーグ2」は、神秘に接続する手段として、無視できぬ魔術的インフラだったのだ。

 風が吹き過ぎると、そこは「火薬塔」の屋上部だ。彼はかしこまって手を差し出し、口の端を歪めてウインクした。ルツィエは冷たいルビーの目で彼を見た。根負けして、くすりと笑った。「そうだろう? 踊らぬ手はあるまいて」彼は手を取り、踊り出した。デジ・プラーグの夜景は金を溶かす炉のようだ。

「あまりに美しい。御身には見慣れた景色かも知れぬが……」「そんな事はない」ルツィエは微笑んだ。「結局、私も他所者だもの」「さらってきた甲斐があった」「そのようね」「いつでも連れ出しに参る」「便利なタクシーね」「然り、御身の尊さを褒め称えるサービスもつく」流星群が斜めに閃いた。

 三ヶ月は瞬きにひとしく、美しい日々であれば、なおさらだ。「無限遠」を侵食した邪悪は、火のような速度を持っていた。当初は騎士めいて颯爽と現れ、必要とされる資金を供出し、損失を肩代わりし、誰も正確にはその罠を知らぬ間に、身動きのできぬよう絡め取る。あの決定的な夜、彼は窓の外にいた。

「承服できない。そのような決定は聞いていない」「手続きは経ていますよ」邪悪は椅子から立たず、ただ脚を組み替えて、ルツィエと近しい者達を見上げた。黄金の小道のその邸宅は「無限遠」の所有だったが、さも主人が客をもてなすように、彼はルツィエらに椅子を勧めた。それがエゾテリスムだった。

「殺すか」ルツィエの傍らのニンジャが端的に確認した。ルツィエの護衛四人のうち、一人がニンジャだった。黄金の道にはニンジャの魔術師も何人かおり、彼らと渡り合う為にカラテの武力は必要だ。あのニンジャの名は何だったか……ブリストル……ブリーシンガメン……忘れた。誰であろうと同じだ。

「面白い! ウィッチ式の交渉とはそれですか。野蛮ですな」エゾテリスムは椅子から立たずに手を叩いた。「ご覧の通り、私は一人です。どうぞ殺してご覧なさい」「……」ルツィエは口を開きかけたが、護衛ニンジャの攻撃は素早かった。「イヤーッ!」エゾテリスムは片手を掲げた。

 ルツィエは息を呑んだ。エゾテリスムはチョップを片手で受け止めた。「然り。私もニンジャです」エゾテリスムは眉ひとつ動かさずに言った。そして護衛の者らが膝から崩れ、うつ伏せに突っ伏した。彼らの身体から黒い霧が湧き出し、エゾテリスムの身体に吸い込まれたようだった。

「そしてこれはジツです。サクリファイス・ジツ。命を糧に、より強い……」エゾテリスムが腕に力を込めると、ニンジャは弾かれ、天井に叩きつけられた。天井でニンジャがもがいた。「より強い効果が。このように」エゾテリスムは指を鳴らした。ニンジャは膨れ上がり、爆発四散した。「サヨナラ!」

 ルツィエが後ずさった。顔面蒼白。エゾテリスムはようやく椅子から立ち上がり、踏み出す。一歩。二歩。……何を傍観している? 突入しろ。愛する女の危機だ。窓の外、彼は己に言い聞かせる。窓を蹴破り、エントリーし、あのエゾテリスムとかいうニンジャにアイサツしろ。……しかし。

 ルツィエの視線が窓の外へ向き、思いがけず彼を捉えた。ルツィエは目配せした。助けるな。逃げろ。そう伝えたのだ。エゾテリスムはルツィエの手を掴んだ。「乱暴な真似はしません。私とてギリギリの駆け引きの線上にあるわけでして」ルツィエは再度、目線で伝えた。逃げろと。

 彼は……唸り声すらあげられず……俯き……跳び降りた。然り、逃げたのだ。勝てるはずのない相手。策を練る。弱点を探す。いつか。いずれ。然り、誰がどう言おうと、愛する女を捨てて逃げたのだ。それまでの人生で彼がとってきた選択、いつものやり方だ。なにも驚く事はない。なぜ涙が出る?


◆◆◆


 風が吹き抜け、カーテンを揺らし、テーブルが倒れて砂糖壺の中身が床に溢れた。「これはしたり!」黒ずくめのニンジャは旅人帽を押さえた。ニンジャスレイヤーとコトブキは室内を見渡した。「……民家?」コトブキが呟いた。ニンジャが目を丸くした。「おや、吐き気はないかね? 流石よな」

「そういう酔いはしない仕組みですね」コトブキが頷いた。ニンジャスレイヤーは何か言おうとした。黒ずくめのニンジャはズカズカと近づく。「ここの家主には心苦しいが、さあ、次のジャンプだ」風が三人を取り囲んだ。

 次の出現地点は赤紫の屋根の1メートル上空だった。「これは、これはしたり!」ニンジャが旅人帽を押さえた。斜めの屋根でコトブキがたたらを踏んだ。ニンジャスレイヤーは何か言おうとした。ニンジャはズカズカと近づく。「誰かに見られたら面倒だ。さあ、次のジャンプだ」風が三人を取り囲んだ。

 次の出現地点は甲板の上だった。気楽な船上パーティーの真っ最中だ。風が吹き抜け、ワイングラスが吹き飛び、悲鳴が上がった。「まあ!」コトブキはグラスのひとつを反射的に掴んだ。ニンジャスレイヤーが何か言うより早く、旅人帽を押さえたニンジャがズカズカと近づく。風が三人を取り囲んだ。

 次の出現地点はどこかのUNIX個室だった。三人はドスンと音を立てて着地した。「いや、大丈夫だとも! 見られるより早かった! なにしろそれがニンジャの抜け目なさであるからして」ニンジャはコトブキからワイングラスを受け取ると、溢れずにいたワインをぐいと呷った。「……フーッ……まずはここが目的地よ」

 コトブキはタタミ6枚ほどの狭い室内を見渡した。机にはUNIXデッキ。複数のサイバーゴーグルが壁にかかっている。ニンジャスレイヤーは無言で黒ずくめのニンジャをじっと見た。「……なんだね? ン?……ああ、これはシツレイをば。ドーモ。コルヴェットです」彼はせわしなくアイサツした。

 ニンジャスレイヤーらはアイサツを返したが、コルヴェットの続く言葉を待った。コルヴェットはワインを飲み干し、机に置いた。「感謝の言葉は要らんぞ。確かにお前さんらは無謀な探索行の末、絶体絶命の危機にあったが……」「どうやった」「カゼのジツよ」コルヴェットは指をくるくると回した。

「おれ達を助けたのか」「然り」コルヴェットは頷いた。「当然それは慈善事業とは違ってな……俺にも意図があってのこと」「何者だ?」「お前さんらと似たようなもの。旅人よ」彼は懐からスキットルを取り出し、さらに酒を呷った。「ただし滞在期間が、ちと長い。帰れんのだ。愛した女が、ちと悪かったな! 凶運というやつよ」

「愛ですか」と、コトブキ。コルヴェットは帽子を傾けて視線を隠し、懐からペンとメモを取り出した。そして何らかの概念図を描き始めた。「俺の事はいい。元来、俺は詩人なのだ。つい一言二言多くなってしまうわけよ。著作もある。ああ、俺の話ではなかったな。つまり俺はお前さんらを監視していた」

「監視だと?」「それはちと……繊細な話ゆえ、デジ・プラーグ2にて」コルヴェットは言った。「"2" について、どこまで知っとるかね? いや答えんでいい! 直接体験するのが早い。そこのゴーグルをかけたまえ。遠慮するな。料金も要らん。奢りだ」彼は壁を指差し、デッキの電源をONにした。

「これがデジ・プラーグ1だ」コルヴェットは二つの楕円が重なった絵図を見せ、順にペンで指した。「で、こっちが2。2には今から入る。ゴーグルをかけろ。簡単だ」ニンジャスレイヤーとコトブキは目を見交わす。コルヴェットから害意は感じられない。コトブキはゴーグルを装着した。「あら!」

「何だ?」「凄いですよ! 緑色で」コトブキが答えた。ニンジャスレイヤーはゴーグルを装着した。こめかみがチリチリして、視界が暗転した。

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 視界が復帰すると、UNIXルームはコンクリートではなく、緑のワイヤフレームに変わっていた。コトブキもコルヴェットも室内に居る。緑の線の姿で。

「……」ニンジャスレイヤーは壁を眺めた。その表面を文字列がノイズめいて高速で流れている。「デジ・プラーグ2へようこそ」コルヴェットが言った。「これが、いわば魔術の真髄へ至る前庭、あるいは煉獄よ。ここでかわす会話ならば、傍受盗聴の心配はない。話を続けるとしよう」 

「監視とはどういう事だ」ニンジャスレイヤーは切り出した。「うむ、懸念はそこよな! ワカル」コルヴェットは頷き、「俺は新市街のウキハシ・ポータル周辺に網を張って、ニンジャを観察しておる。めぼしい奴がおらんかとな。俺はこの数ヶ月、未練がましくウロついておる。蛙のようにブザマにな」

 ワイヤフレーム状態であっても、コルヴェットの身振りは激しい。「つまり、旧市街の魔術ギルドの監視網が捕捉するよりも先にめぼしいニンジャを見出し、ヴェールをかけてやるわけだ。おかげでお前さんら、楽に動けただろうが? ずっとその動きを追いながら、狙いが何なのか見極めようとしておった」

「そんな」コトブキが呟いた。「見られていたなんて」「悪意はない! 怖い顔をせんでくれ! いや、ここでは表情はわからんが。それでお前さんら、一直線にカレル橋・プラハ城と向かって、"後ろ暗い区画" に入っていくもんだから、そりゃ驚いたぞ。ハッキングに失敗、罠の発動、後はご存知の通り」

 ニンジャスレイヤーは終始ついて回った奇妙な感覚に思いを馳せる。あれがコルヴェットの片鱗か。コルヴェットは言った。「自画自賛させてもらうと、俺のニンジャ野伏力はローグニンジャ・クラン由来ゆえ、特に卓越したものだ。何も気付かんでも自信喪失する事ァないぞ、物騒な名前のニンジャ殿」

「目的を言え」と、ニンジャスレイヤー。「これはしたり! 詩人ゆえ言葉を尽くしてしまうサガでな。本題に入ろう。つまり……取引だ、ニンジャスレイヤー=サン」コルヴェットの電子姿が身を乗り出した。「偽装タリスマンで黄金の小道に潜り込もうというからには、奴を出し抜きたいクチであろう」「奴とは?」ニンジャスレイヤーは注意深く訊き返した。

 コルヴェットは咳払いした。「エゾテリスムの事だ。当然であろう」コトブキがニンジャスレイヤーを見た。コルヴェットは首を傾げた。「どうした? 何がおかしい。俺がエゾテリスムの名をわかったからかね? ああそうか、この都の現状をお前さんらは知らんからな……今や、デジ・プラーグにおいて意味ある魔術師といえば即ちエゾテリスムなのだ。情けない事にな」

 コルヴェットは颯爽とUNIXルームのドアを開け、狭い廊下から裏路地に出た。空は真っ黒だ。ニンジャスレイヤーは空に浮かぶ黄金の立方体を見上げ、視線を地上に戻した。建物の輪郭や石畳が緑のグリッドで表されている。「リアルなものだろう。これがデジ・プラーグ2」「現実か?」

「現実? ああ、その意味ではそうだ」コルヴェットは頷き、足踏みをした。「お前さんらは俺について屋外に出た。ゴーグルの座標同期が済んでいる。物質界のお前さんらも、今この緯度経度に立っておる」「あそこの表通りを歩いている方々は?」コトブキが指さした。「現実ですか?」

「然り。ネットワークに接続しておるならば見える。だが、正直このままウロウロするのはお勧めできんぞ。オフラインの馬車に轢かれたり、猫でも踏んだらコトだからな」コトブキは直立不動になった。「デジ・プラーグ2の利点は秘密会議と……これだ」コルヴェットの額から光が生じ、頭上へ浮上した。

「ついてこい」コルヴェットが言った。ニンジャスレイヤーは離人症めいて己を見下ろす。コトブキもついてきた。「そうだ。ここでは労なくしてそれができる」コルヴェットが言った。「デジ・プラーグ2は、飛翔……真実へ近づく為の魔術の訓練にもってこいだ。都を見下ろせ。美しいだろう」

 眼下には緑のワイヤフレーム魔都がひろがっている。巨大な壁がそれを囲んでいる。「ウィッチたちはここを、デジ・プラーグ1とそっくりそのまま同じに作った。魔術的にそれが重要だったのだな」「おれの身体はどこだ?」「立ち話の状態だ。危険はない! 城からかなり遠いし、もし敵が近づけば俺にわかる。そしてこのデジ・プラーグ2の中において対話できるのは、許可した相手同士だけだ」「……」

「なに、こめかみのツマミでゴーグルの透過率を下げたり、なんだったら、不安になれば外してしまえばよい! 所詮ここは無害な仮想箱庭なのだ。おそるべき魔術深淵への探索は不要だ。それは魔術師たちに任せておけ」三人は数十メートル上空を飛翔し、静止した。「お前たちを連れて行きたい場所があるが、まずここで話そう。よい眺めだろう」 

「エゾテリスムの何を知っている」ニンジャスレイヤーが切り出した。コルヴェットが自嘲的に笑った。「今や、この都の魔術師の全員がエゾテリスムを知っているとも。そして、誰も奴を押し退ける事ができん。「金の牡鹿」も「年輪」も「空の手」も、今のエゾテリスムには手を出せんよ」 

 コルヴェットは話し始めた。「デジ・プラーグ2をもたらしたのは余所者のジプシー・ウィッチの集団『無限遠(インフィニット・スキズム)』だ。ケンカばかりしている3つの主要魔術ギルドは『無限遠』をかすがいにして、均衡状態を得た。この箱庭は魔術にとって重要でな。『無限遠』は、ギルド同士の融和をデジ・プラーグ2利用の条件に定めた。奴らにとっては面白くない話だが、拒絶すれば他のギルドに置いて行かれるだけだ。結果的にそれがプラハに平和をもたらしたわけだよ」「志が高いのですね!」

「さあな。俺もジプシー・ウィッチのそのあたりの狙いは詳しく知らん。それに、本当に必要なのは、3だ。3は、カネがかかる」「この世界の3ですか?」「然り! 2は箱庭に過ぎぬ。3は……真実への橋、賢者の石に至る道なのだ。『無限遠』は秘密を解き明かさねばならない。だが研究資金は幾らでも必要だ。まるで底に穴の穿たれた樽よ。で、そこにつけこんだのが、何というたか……どこぞの投資ベンチャーよ。呪わしきエゾテリスムと繋がり、魔術社会に侵入した!」

「カネの話か」「然り、カネとは恐ろしい。天の神秘すらも地に堕ちる。永劫の呪いよ。『無限遠』は投資によって乗っ取られた。誰も気づかぬうちにな。そして、顧問としてエゾテリスムがやって来た。ギルドに属さぬはぐれ魔術師。昔は軽んじられていたが、その時既に、奴は凄まじい力をつけていた」

 ワイヤフレーム状態でもコルヴェットの無念の表情は察せられた。「奴は『無限遠』の中核を握り……そのシステムをもちいて、やがて……恐るべき行いを始めた。ニュースは見るか? お前さん。キョート。ベルリン。ローマ。無残な事件を」「知っている」「あれはエゾテリスムの仕業だ。魔術師の間では周知だが」「情報を得た」

「話が早い。あの大規模破壊行為は奴の固有のジツが引き起こしたものだ。不自然な力だ」「不自然?」ニンジャスレイヤーが聞き咎めた。「ンン……お前さんに直感的に理解してもらえるか自信は無いが、二つの遠い分野の力をだな……」

「わかる」ニンジャスレイヤーは確信をもって頷いた。「与えられた力だ。おれの敵はその種の『不自然な力』を持つ」彼は端的に言った。「おれは奴を殺しに来た」「殺すだと! その為にここへ? 奴に恨みでも?」「……お前に話す事は無い」「ま、まあよかろう。とにかく予想外に目的が一致しておったわ」

「お前は魔術ギルドの人間か」「否、違う」コルヴェットは首を振った。「俺も元来、部外者よ。この手のくだらん揉め事話は聞き流し、他所へ去ればそれでよかった。否、実際その機会もあった。だが、未練がな……」「愛ゆえに」コトブキが呟いた。コルヴェットは狼狽した。「何をいきなり」「さっき言っていました。愛!」

「よさんか、お嬢ちゃん」「胸を張ってください。愛ゆえに……素敵ですよ!」コトブキは拘った。コルヴェットは大きく咳払いして会話の手綱を掴みなおした。「『無限遠』の筆頭の女が幽閉されている。組織は人質の脅しとカネで乗っ取られたのさ。俺は……ああそうだ、その女を助けたいんでな」 

「助けましょう! ニンジャスレイヤー=サン!」「お前がエゾテリスムのもとまで案内するのか? コルヴェット=サン」「ああ手を貸す。悪い話じゃあるまい。三大ギルドも協力する。言っておくがエゾテリスムは行き当たりばったりでは到底……」「女は後だ。お前が勝手に探せ。エゾテリスムが先だ」

「あ、ああ、それで構わんさ。俺の問題だ」「私が、ちゃんと協力しますからね」コトブキが優しく言い、コルヴェットを困惑させた。ニンジャスレイヤーは思考した。場当たりなのは、この男も余程だ。さして詳しくも知らぬ自分を担ぎ上げるか。切羽詰まっているのか、ヤバレカバレなのか。

「しからば、交渉成立。目的は同じだ。奴を倒す」コルヴェットが念を押した。ニンジャスレイヤーは頷いた。コルヴェットが頭を下げた。「ヨロシクオネガイイタシマス」ハンコは無くとも、強力な礼儀作法の縛りである。「……」ニンジャスレイヤーは応じた。「ヨロシクオネガイイタシマス」

 彼らはデジ・プラーグ2の空を飛翔した。やがて前方に屹立する塔の姿。天文時計塔である。「黄金の小道を追い出された魔術ギルドの重鎮どもの集会場よ」飛びながらコルヴェットが説明した。「お互いに応じれば、離れた場所の奴らとも会話が可能だ。あすこで侵入経路のブリーフィングと行こう」

 コルヴェットの後を追って飛びながら、ニンジャスレイヤーはこの男に不審点や齟齬矛盾が無かったかを吟味した。この男がどのような焦りを抱えていようと、役に立つならば構わない。裏切るならば……仮に彼がユウジョウ不履行を行い、牙を剥いたならば、どう反撃し殺すかを、ニンジャスレイヤーは繰り返しシミュレートし続けた。

 やがて天文時計塔の中へ至り、コルヴェットが接続を許可すると、複数のアカウントが可視化された。デジ・プラーグ2は電子箱庭であり、そこで相互に情報を通信できるのは互いに許可しあった者同士に限られる。これは大前提だ。システム基盤を掌握したエゾテリスムですら、この秘密通信の原則は崩せない。

 アイサツの仕草ひとつで、彼らの気難しさと非消極性が伝わってきた。彼らは堰を切ったように言葉を浴びせかけた。「そ奴らは?」「素性はいかに」「コルヴェット=サン、どういう経緯だ?」「お歴々! ちと手加減願いたい」コルヴェットは苦笑した。「あんた達が延々会議をしている間に俺は駆けずり回ってだね……」「頼んだ覚えはない」「そもそもこれは内内の問題だ」「お前も他所者には違いない」

「貴方たち、義心は無いのですか!」コトブキが口を挟んだ。「このコルヴェット=サンは愛の為に……それに、敵は無差別破壊行為をしています! 今この時もきっと被害が。成敗しないと子供達が眠れない夜が……」「何だ、コルヴェット=サン、この不快なアカウントは」「不明瞭だ」「非論理的だ」

「旗色が悪いな」ニンジャスレイヤーは他人事めいて言った。コルヴェットは電子的に身を乗り出した。「貴公らは高みの見物をしてい給え! 汚れ仕事は我らにて。危険も我らが負うのみよ。ただ黄金の小道と聖ヴィート大聖堂を繋ぐ経路の標(しるべ)を得たい。それだけだ。それだけで構わんのだ」

「危険は被ると?」「然りよ!」「フム」彼らは顔を見合わせた。「待て」うち一人が指摘した。「イクサが起こってデジ・プラーグの魔術的基盤に歪みが生じればどうなる? 十年百年の修復が必要となろう。その責を他所者は負えまい」「そうだな……」

「バカ! どうしようもない」コトブキが罵った。「交渉はここまで! とんだファック野郎どもです!」コトブキは怒り狂い、魔術師たちは呆れた。コルヴェットがなだめる。「お前さんはそこで黙っとれ、な? いいか、お歴々、俺が言いたいのは……」ZZZT! ワイヤフレーム世界がふいに毛羽立ち、亀裂めいたノイズが走り抜けた。ZZZZZZT! 

 世界が明滅し、唸り、再びワイヤフレームが復帰した。「奴だ」ニンジャスレイヤーが呟いた。魔術師たちは息を呑み、互いに目を見かわした。「フン。またぞろ、どこかの都市がやられたんだろうよ」コルヴェットが言った。「奴に更なるサクリファイスが流れ込むぞ。次は更に大きい歪みになろうな」

「……」魔術師のアトモスフィアが変化した。拒絶から恐怖へ。そこにコルヴェットが畳みかけた。「今のでおわかりだろう。危険なのだ! 今なら止められる。もう一度言う、お歴々に直接の危害は及ばんよ。俺達がすべて被る。奴を倒す。失敗したとしても俺達が死ぬのみだ。万事問題なしだ!」

「黄金の小道で戦闘するべからず。絶対に。それが条件だ」「当然だとも」コルヴェットが請け合った。「……よかろう」魔術師のアカウントが明滅し、デジ・プラーグ2の精密な複製都市上に標(しるべ)の炎が灯っていった。それは迷宮めいたプラハ城の侵入経路を示すものだった。

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 ゴーグルを外すと、コルヴェットがバツが悪そうにしていた。コトブキは不機嫌に屋内へ戻っていった。「見苦しいところを見せた。いや、奴らは身内でもないが、その……まあ何と申したらよいか。協力は取り付けられたゆえ……」「少なくとも、お前の事はわかった」ニンジャスレイヤーが呟いた。

「何?」「お前の必死ぶりに繕いが無い事はわかった、と言っているんだ」ニンジャスレイヤーは言った。「この家にザゼンできる場所はあるか」「ああ、あるとも」「案内しろ」


3

 狭い部屋の飾り窓から斜めに差し込む陽光が、宙に舞う埃を白く光らせる。広さは無いが、濃厚で独特なかぐわしさを含んだ空気で満たされた、力のある部屋だった。用途不明の真鍮魔術具が置かれた机に、エゾテリスムは銀の杯を三つ並べた。「まさかブラスハート=サンが直接ここにおいでになるとは、驚きですね」

「それはもう、我々……サンズ・オブ・ケオスの特定の二人が頻繁に会談し、ビズをしているとなると、ククク」部屋のもう一人、デシケイターは面白そうに含み笑いをした。「まあ、落ち着かんのじゃないかね。あのパワープレイヤーは」デシケイターの瞳は乾いていた。エゾテリスムは指を立てた。「シッ。彼は強大です」

「それは疑いようもない。だが、御さねばなるまい」デシケイターは小声で囁いた。「仮にやつが三度目の接触を……ンンッ。クク、ククク」彼は咳払いし、笑い始めた。エゾテリスムは氷の中からワインを取り出し、ボトルネックを無雑作にチョップで切断した。やがてドアが開き、三人目……ブラスハートが現れた。

 デシケイターとエゾテリスムはあらためてブラスハートとアイサツをかわした。室内の酸素濃度が下がり、重力が増したような感覚がエゾテリスムらを捉えた。ブラスハートの体格は特に秀でており、無言のカラテ圧力を発していた。それだけではなく、名状しがたいなにか……油断ならぬ空気を持っていた。

 アトモスフィアの理由をエゾテリスムらは既に知っている。ブラスハートはサツガイに二度接触し、二度にわたり力を得たのだ。ブラスハートが虚言で飾るニンジャでない事はもともと明らかだが、実際目にする事で、あらためて事実が裏付けられた。「ようこそ遠路はるばると。美しい都でしょう」エゾテリスムは水を向けた。

「微睡んでいるな」ブラスハートの目はどこを見ているかもわからぬ。デシケイターは咳払いした。「貴殿がこうして実在していた事に感動を禁じえませんな、ブラスハート=サン! サンズ・オブ・ケオスの誰一人、その詳細を知らずにきた貴殿が、こうして直接においでになるとは。我々としてもサツガイの情報について貴殿から是非得たいところ……」

「サツガイは啓示だ。探すなどと、おこがましい」ブラスハートは言った。エゾテリスムらは視線を交わした。「……貴方も神秘の話をなさる御方でしたか」エゾテリスムが皮肉めかした。ブラスハートの肩の上の空気は陽炎めいて滲んでいる。「神秘? そういう見方をするのであろうな。魔術師は」「……あらためて、何故この地へ?」デシケイターが切り出した。ブラスハートは濁った眼で見返した。

「俺に求めるのではない。俺が求めるのだ」殺気が室内を満たす。エゾテリスムはワインを杯に注いだ。「サンズ・オブ・ケオスは相互扶助の集い。そう剣呑になさらず。カンパイ」促す。睨み合ったまま杯を傾ける。ブラスハートは杯を置く。ガラスが溶け、机を焦がして流れた。

「私が何か……持っていると?」エゾテリスムは苦笑した。ブラスハートは超然として言った。「駆け引きは要らぬ。<髄>をもらう。既に貴様には無用のものだろう」「<髄>?」デシケイターは訊き返したが、エゾテリスムは真顔でブラスハートを見返した。ブラスハートは言った。「貴様は俺に勝てまい。拒否はさせぬ」

「自信がおありのようだ。サツガイに二度触れた結果ですか」エゾテリスムは指を動かし、何らかのジツの予備動作を行う。ブラスハートはそのままだ。音を立ててワインの瓶と二つの杯がひとりでに割れ砕けた。「……非建設的な諍いは避けたい」やがてエゾテリスムが言い、同意を示した。掌に胡桃大の黒い石があった。

 ブラスハートは無雑作にそれを取り、懐に入れた。「俺の用は、これだけだ」「どこへ帰られる?」「俺が求めるのだ。お前ではない」ブラスハートは繰り返した。エゾテリスムは低く息を吐いた。「サツガイを通し、何を求めておられる」「力だ」彼は答えた。

「それはそれは……」魔術師は目を閉じる。「私には一度の接触で十分です。我がジツ、サツガイの力、そしてこのデジ・プラーグという都。それが無限に力を引き出す。無尽蔵の力が私に集まる。貴方以上の力が」「見解の相違だな。お前は畢竟、ニンジャに過ぎない」ブラスハートは言った。「ヌンジャに至る道はひとつだ」

 ……ヌンジャ。

「夢見がちな話よ」デシケイターが鼻で笑った。ブラスハートはデシケイターを一瞥し、戸口へ向かった。「邪魔をしたな。オタッシャデ」「オタッシャデ」ブラスハートは退出した。ウキハシか、旅客機か、定かではないが、どこへなりと消えるだろう。デシケイターは肩をすくめてエゾテリスムを見た。

「……ブラスハート=サンが、去りました。プラハ城敷地を」数分後、エゾテリスムが告げた。デシケイターは乾いた笑いを笑う。「聞きたい話も増えたが、まあいい。本題に入ろう。首尾はどうだ」「報道機関で御覧の通りです」エゾテリスムがほくそ笑んだ。「もはやこれは既定のシステム。破壊し、力を得、エメツを産む」

「マーベラス。勝ちイクサしかしたくないのだ。俺は我儘でね」デシケイターが頷いた。「わざわざ日にちを今日にあわせて、アプレンティスが控えておりますよ」エゾテリスムは言った。「株主殿にリアルタイムでお見せする為に」「ははは」デシケイターはワインの杯の破壊を思い出し、眉をしかめた。

 エゾテリスムは水晶球型UNIXモニタに映像を投影した。見上げる景色。丸屋根を持つ尖塔が無数に建ち、日本語とヒンズー語がミクスチュアされた巨大な看板が埋め尽くす。「御覧の通りムンバイです。これはアプレンティスのサイバネ視界を受信しています」「ああ、いいね」デシケイターは頷いた。

 視点者は己の震える手を覗き込んだ。掌には「沌」の漢字。刺青めいて。「見えますか? あの漢字が、私がこのアプレンティスに刻んだ印です。ま、貴方にならば明かしても構わないでしょう、ビジネス・パートナー殿。あれはオヒガン・ボム。サツガイの力です。そして……」『真実だ。神秘への接続だ』UNIXスピーカーから視点者の苦悩の呟きが聞こえてくる。

「ハ、ハ、ハ! 然り、神秘への接続! ある意味では!」エゾテリスムは笑った。「我がアプレンティスはそれをこそ求め、ギルドの門戸を叩く。教育と修練が彼らに目的を与えています」「外道よなあ!」デシケイターが噴き出した。「ま、外道こそが世界をイノベートするよな、うん」「人聞きの悪い!」

 エゾテリスムは純金の魔術的UNIXデッキからLANケーブルを引き出し、首筋に接続した。「ここでやるのか。てっきり魔法陣でもセッティングするのかと。俺はとばっちりを食わんかね?」「この部屋そのものが魔法陣ですよ。ワインを割られようと、書物があろうと」「結果が伴うなら何でもいいさ」

「デジ・プラーグ2は物理世界のデジ・プラーグ1を精巧に模した電子世界です。それ自体は箱庭に過ぎませんが、その相似ゆえに、デジ・プラーグ3からデジ・プラーグ2への電子的干渉はデジ・プラーグ1にも影響する。現世干渉です」エゾテリスムはなだらかに語る。デシケイターの理解など求めぬかのように。

「もともと3が2より先に存在していた。否……フフフ、オヒガンの一側面……コトダマ空間の一角……呼び名など何でも構わない。さて、しかしこの大切な都を傷つけるわけにはいきません。では、どうするか? ウキハシ・ポータルです。デジ・プラーグ2上に模倣されたウキハシの概念を利用する!」

 視点者はムンバイの街をふらふらと歩く。デシケイターは映像を凝視し、固唾をのむ。エゾテリスムは興奮し、半ば叫んでいる。「疑似的に他の都市上にデジ・プラーグ2と同一レイヤーの次元を設定し、デジ・プラーグ3からアクセスする。繋ぐことができる。そしてオヒガン・ボムが現世と魔術次元を……シェイクするのだ!」

「……わからん!」デシケイターは笑顔で頷いた。「だが、やれ!」「イヤーッ!」エゾテリスムの両目が白熱した。『アバッ!? アババーッ!?』ムンバイのアプレンティスが断末魔の絶叫を上げた。ザリザリザリ、ブツン。映像が途絶えた。デシケイターは思い立ち、壁掛けTVモニタをONにした。

 チャネルを切り替え、ニュース速報へ。国際オイランキャスターが淡々と原稿を読み上げる背後には不明瞭なライブ映像。『これはたった今の謎の破壊の直前に撮影されたもので……』街の一角に不意に、無数の黒いモザイクが生じ、分裂し、拡散し、はじけ飛んだ。『類似した事件が……』

 モザイクが去っても、抉られた斑の街は戻らなかった。削り取られた破壊の痕に黒い水晶が石筍めいて生えているのを、デシケイターはしっかりと確認した。「マーベラス!」彼は手を叩いた。「最高のイノベーション! 勝利の味だ!」エゾテリスムを見る。魔術師はのけ反り、痙攣した。「おお、おお!」

「平気かね?」デシケイターは興味も無さそうに気遣おうとして……畏怖した。それは明らかな「力」の流入だった。痙攣が去ると、エゾテリスムは震えながら後ずさりし、恍惚に呻いた。「アー……平気ですとも……我がサクリファイス・ジツ。電子ネットワークを通じ、破壊地にて砕かれた生命力を回収しました」

「いや、素晴らしい、とにかく素晴らしい」デシケイターは笑った。「結果が全てだ。エメツ採掘のパテントで俺は死ぬほど稼がせてもらう。お前は潤沢な資金を以て、真実とやらを好きに研究できる。WIN-WIN! イノベーティブだ! だが多少その、都市中心の破壊をせずに済むようにせんとな」

「努力しますよ」エゾテリスムはせせら笑った。「この地を企業軍に嗅ぎつけられた場合、その者らを苦も無く焼き払うには、まだまだサクリファイスしてゆかねばなりませんからね」「その通り! いや、最高だ」デシケイターはエゾテリスムと握手した。「サンズ・オブ・ケオスの出会いにカンパイ」

 幾つかの確認事項の擦り合わせを行い、デシケイターは慌ただしく退出する。「個人投資に興味があれば何でも相談してくれ。なかなか楽しいものだぞ」彼は振り返って言った。エゾテリスムはかしこまったオジギで見送った。

 ……このときの破壊がデジ・プラーグ2を激しく揺らし、時計塔の者らを狼狽させたのだ。

 この時点では、エゾテリスムはこの都に潜り込んだ赤黒の異物については知る由もなかった。ましてや、その赤黒の異物を標的として、着々とシャドーシップの超自然羅針盤を都に設定し、兵の編成を行うザイバツ・シャドーギルドの動きについては。


◆◆◆


 ニンジャスレイヤーとコトブキは張り詰めた表情でプラハ城の門をくぐった。光線が彼らの身体を走査し、疑似タリスマンを探った。赤いランプが緑に変わると、コトブキが、ほっと胸を撫でおろした。彼女は大きなリボンが背中についた黒いドレスを着ていた。城の敷地内の者に倣った魔術的な装いだ。

 プラハ城は無数の歴史的建築物の集積体である。塔、聖堂、火薬庫、家々……それらのありようは電子戦争以前と殆ど変わらぬままに保持されている。コトブキはゴーグルをかけ、デジ・プラーグ2の視界を重ね合わせる。二人の後ろで人型の影がちらつく。カゼのジツでステルスしたコルヴェットだ。

(タリスマンが効いとる)コルヴェットが囁いた。(決して戦闘するな。すれば、何もかも滅茶苦茶だ。エゾテリスムは守りを固め、取りつく島は失せる。破壊によって掛け替えなき美の精髄に瑕疵が生ずれば、都を保つ均衡が崩れ……)「見えます。ルートがしっかりと」コトブキはワイヤフレーム世界のガイドを見ながら呟いた。

(ガイドに従い、まずは黄金の小道だ。タリスマンを強化せねばならん。より強い権限を上書きせねば、大聖堂には……ウムッ)コルヴェットは息を止め、しゃがみ込んだ。道行く黒衣の者達はニンジャスレイヤーとコトブキを胡乱気に眺め、通過した。(フー。俺は顔が割れておってな。さあ行くぞ)

「……」ニンジャスレイヤーは立ち止まり、ひそかに呻いた。(どうしたね)コルヴェットが囁いた。「何でもない」彼は首を振り、コトブキに続いた。彼は重くのしかかるような歴史と美の質量に囲まれていた。 


◆◆◆


 淡い色合いの小ぶりの家々が軒を連ねる黄金小路は、踏み入るなり、独特のにおいのする空気でニンジャスレイヤーを警戒させた。妙な感覚だ。予想していた規模感よりずっと広く、建物は通常の二倍の密度でひしめき合い、混沌としていた。『で? コトブキのそのオモシロ・ゴーグルか?』タキは憮然。

「壁には魔術的な文言がさまざまに書かれていますね。それから街路のあちらこちらに魔法陣。私にはその真意はわかりませんが」(わからんでもいい)コルヴェットが言った。(デジ・プラーグ2に必要以上にとらわれるべからず。必要なのは無限遠の隠し道のサインだ)『オレにはアクセスできねえぞ』

「黙っていろ」ニンジャスレイヤーが言った。タキはサポート役名目で電子的に同行しているが、その真の役割は、コルヴェットらの監視だ。詩人ニンジャや魔術ギルドの連中がエゾテリスムにニンジャスレイヤーを売る動きを見せれば、タキがそれをニンジャスレイヤーにひそかに警告する。

 坂から坂、角から角へ。外からは到底そのように作られている事が想像も出来ぬ、小さな迷宮だ。目の前のマンホールが開き、黒服の魔術師が這い出して、平然と歩き去った。或いは、窓から縄梯子が降り、やはり黒服の魔術師が滑り降り、歩き去った。(注意せよ。こ奴ら皆、もはやエゾテリスムの下僕だ)

「あれは」コトブキがデジ・プラーグ2を通して察知し、警戒を促す。やがて現れたのは建物の二階ほどの身長を持つ、多関節の人型だった。(ゴーレムだ。走査光は念のため避けるのだぞ)人型は数歩ごとに立ち止まり、一つ目から赤いレーザーを照射するのだった。三人はしめやかに横を走り抜ける。

『何だありゃ? モーターヤブの仲間か? 無線LANに繋がってやがる。プロテクトは触らねえぞ』「賢明だな。黄金小路を守護する自律機械だ。今はエゾテリスムが管理しとる」『邪魔くせえな。さっさと先に進め』通りがかった人混みの後方に紛れるように進むうち、コトブキが立ち止まった。「ここ!」

 コトブキは何の変哲もない煉瓦の壁を指さす。「教えてもらった魔法陣がここに」「よし」周囲を気にしながら、コルヴェットがステルスを解く。コトブキが指さす場所に偽装タリスマンを当てる。【無限遠の兄弟ですか?】発せられる電子音。コトブキは壁に隠されたソケットにLANケーブルを直結した。

「その通りだ。無限遠の議長であるルツィエ=サンの推薦を持って、我らは……」コルヴェットが返答を引き延ばす隙に、タキがコトブキを通してシステムにアクセスした。『絶対うまくいかねえんだからな? いいな?』前回の失敗の経験からタキが請け合った。「いい。やれ」ニンジャスレイヤーが答えた。

【タリスマン認証更新、無限遠の兄弟】冷たい電子音が答えた。コルヴェットは素早くそれを懐に入れた。『限界だ!』タキが悲鳴を上げた。「ピガガガッ!」コトブキが痙攣する。ニンジャスレイヤーはLANケーブルを引き抜いた。【不正アクセスを感知!】たちまち電子音が敵意を剥き出しにする!

 頭上、ラッパを掲げた天使像が耳障りなハウリング・ノイズを発生させた。ダーン! ダーン! 二階の鎧窓の幾つかが開き、魔術師が顔を出して指さした。「今だ!」コルヴェットはニンジャスレイヤーとコトブキを抱えた。「イヤーッ!」風が渦を巻き、何枚かの黄金の木の葉とともに、彼らの姿は霞んだ。

 魔術師たちが集まり、指さし、ゴーレムが到達し、警報音が鳴り響く。だが煉瓦壁の前は既に無人だった。コルヴェット達はもはやそのとき、ヴィート大聖堂の一階ホールに出現し、手近の柱の陰に走り込んで、身を潜めていたのだ。

「よし! ここまで計画通りよ!」詩人はスキットルの酒を呷った。ヴィート大聖堂。「やるな! タキ=サンとやら。よいか、ここからは電撃的にゆかねばならん」コルヴェットはニンジャスレイヤーを見た。赤黒のジゴクめいたニンジャは飾り窓から差し込む光を受ける聖人像を、絶望めいて見上げていた。無数のアーチ、石、金色と光とガラスを受けて、彼は畏れていた。

 コルヴェットはニンジャスレイヤーの肩を揺さぶった。ニンジャスレイヤーは頭を振った。コルヴェットは彼をじっと見た。「さて、ここで道はわかれる! だがお前さんの目的が俺を助けもしよう。よいか、俺の麗しの女は南塔に幽閉されておると見た。一方、エゾテリスムはメインタワーだ」

「静かだ」ニンジャスレイヤーは呟いた。大ホールに人の存在は無い。コルヴェットは頷き、「エゾテリスムは誰をも信用しとらんのだ。おのが神秘を……デジ・プラーグ3の秘密を分かち合う気はない。この地に他者を近づけはしない。それが奴のあだとなる」「……」ニンジャスレイヤーは走り出した。

「幸運を!」コルヴェットは手を振り、南塔の螺旋階段へ向かった。「私もお供します!」コトブキがついてくる。「約束です!」「そりゃありがたい!」一足飛びに進みながら、コルヴェットは息を弾ませた。「せっかくの来訪者がむさくるしいおやじ独りでは、ルツィエもがっかりするだろうよ」

 二人はグルグルと周り続けた。長い長い上昇だ。無限にも等しい。コルヴェットのニューロンに万感が押し寄せる。偽装タリスマンをアップデートし、ほんの一瞬でもヴィート大聖堂への進入権を得れば、その隙をつき、カゼのジツを用いて飛び込める目算だった。成功だ。そして二度目は無い。このまま果たさねば。

 昇りきると、そこにはまず、鐘があり、床には憔悴しきった女がひとり居た。女の足首には鉄の輪が嵌められ、鎖で鋼鉄製のUNIXデッキに繋げられていた。世界との繋がりは断たれ、ただデジ・プラーグ2と3をADMINする事だけを許された、閉じたUNIXだった。コルヴェットは立ち尽くす。

 鐘、そしてルツィエの向こう、窓の光に埃が舞っている。逆光のルツィエは顔を上げ、霞んだ目でコルヴェットの方向を見た。「そこに誰か」かすれ声には正気の響きがあった。コルヴェットは一歩、二歩、踏み出した。「おお……おお。ルツィエよ。俺だ……コルヴェットだ」「嗚呼……!」コトブキは目を見開いた。


◆◆◆


「イヤーッ!」その時ニンジャスレイヤーはメインタワーの隠し部屋のドアを蹴り開け、純金のUNIX、書物、フロッピーディスク、ワイン、羅針盤、調度類がひしめく室内にダイナミックエントリーしていた。背中を向けて椅子に座っている不吉なニンジャが肩を震わせ、笑った。

「ドーモ。エゾテリスムです」不吉なニンジャは身じろぎし、次の瞬間にはニンジャスレイヤーの正面でオジギをしていた。「成る程……貴方がどう言いくるめられたかは知らないが……貴方のような他所のニンジャをヨージンボとして雇い入れるとは、いよいよ三大魔術ギルドの威信も地に堕ちたというところですか」

「魔術ギルドなど、知った事か」ニンジャスレイヤーはエゾテリスムの爛爛と輝く目を見据えた。そしてアイサツを返した。「ドーモ。ニンジャスレイヤーです。……サツガイを知っているな」「サツガイ? ハ! ハハ!」エゾテリスムが嘲笑った。「貴方がそうか! 私はよからぬ兆候を見ていました!」

 (((マスラダ。サツガイのにおいだ))) ナラクが示唆した。(((こ奴一匹にあらず。二つ、三つ、グググ……確かにここにおった!)))「貴様から引き出す情報が幾つかありそうだ」ニンジャスレイヤーは言った。エゾテリスムは笑い続ける。「貴方、何人も殺しましたね! 我が同胞を! そうか!」

 ニンジャスレイヤーは前傾し、カラテを構えた。その時、ニューロンにさざ波が走った。彼は眉根を寄せ、困惑した。おぼえのない記憶の片鱗だった。

 ガラス張りの壁。チャブ・テーブルの向こうに座る影。「ゴアイサツサマ生命」のビルに、獲物を仕留めに入った。しかしそれは罠だった……いつの昔とも知れぬ他者の記憶。この状況が喚起した記憶……罠の記憶!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは咄嗟に状況判断し、後ろに跳んだ。エゾテリスムの狂笑が破裂した。

KABOOOOOOM!

 爆発音と震動がコルヴェットを慄かせた。コトブキがコルヴェットの首根を掴み、後ろへ引きずり倒した。「グワーッ!」不意を突かれて床を舐めるコルヴェットの一瞬前の地点を、明らかに致命的な、力ある接触がかすめた。一瞬前まで存在しなかった者がそこに出現していた。

「ハ! ハハハ! ンンーッ!」黒いモザイク状に輪郭を揺らしながら、不吉極まるニンジャがルツィエを遮るように立っていた。コトブキは警戒し、後ずさった。その者は鋼鉄製のUNIXを媒介して出現したように見えた。何らかの魔術的なジツだ。「エゾテリスム=サンですか」「ンンン……然り!」

「ウオオッ!」コルヴェットはゴロゴロと床を転がり、コトブキの横に立った。エゾテリスムは侮蔑的に見た。「思いがけぬ幸運に救われましたね。ええと……」「ドーモ。コルヴェットです」「余所者のしみったれたニンジャ殿。ヨージンボはたった今、死にましたよ」魔術師は手をポッと開いた。 

「以前から貴方のブザマな動きには多少注意を払っておりました。老いぼれどもと違い、未練が……あったようですから」エゾテリスムはルツィエの顎に触れ、上を向かせた。「ヤメロ!」コルヴェットが唸った。「俺は何をするかわからんぞ。やめろ」「この女には敬意を払っております。ご安心なさい」

「ファック野郎!」「待て!」カンフーで殴りかかるコトブキをコルヴェットは制した。そして心の中で彼女に礼を言った。冷静になれたからだ。彼女がいなければ、無謀に殴りかかったのはコルヴェット自身だったろう。ヤバレカバレはダメだ。だが……。

 エゾテリスムの輪郭は黒く煮えたぎっていた。「あの赤黒のニンジャに私を襲わせ、この女を救い出そうというわけですか。相手が私でなければ、その企みは成功していた事でしょう」彼はほとんど恍惚としていた。

「サクリファイスを重ね、比類なきニンジャとなった今の私には、森羅万象の動きすべてが、手に取るようにわかります。この聖堂に近づく者の敵意……害意……そうしたものさえも。護衛など要らぬ。下僕数名で十分です。そして貴方の蛮勇を断てば、私に仇為す者もいなくなる」

「ルツィエよ! 麗しきジプシーの姫!」コルヴェットは叫んだ。「今しばらくの辛抱だ。必ず俺が救い出して見せるゆえ」「ハッハハハハ! 愛! 見果てぬ希望を口にするのも良いでしょう! ですが格が違うのだ、野良ニンジャよ! この女と貴方では、有用性の格が違う!」

「わかっておるわ、下衆め!」コルヴェットは身を沈め、魔術的な予備動作を取る。「格の違いを超える、それが我が愛、課せられし厄介な宿命よ! ゆえに俺は……」「信じている」ルツィエが言った。「信じているよ、コルヴェット=サン。戦って」「そうだ。さすが俺が愛した女だ」コルヴェットはニヤリと笑った。

「イヤーッ!」エゾテリスムはコルヴェットの胴体をチョップ突きで貫いた。だがそれは残像だった。コルヴェットは旋風を伴ってエゾテリスムを躱し、鋼鉄製UNIXめがけ全力の飛び蹴りを放った。KRAAASH!「何を!」エゾテリスムは叫んだ。デッキが火花を散らし、明らかに魔術師を狼狽させた。

 効果の程はわからぬ。所詮デッキなど端末に過ぎず、エゾテリスムにいかほどの打撃も与えるまい。だが、ほんの数秒、注意を引ければよかった。背を向けてコルヴェットらに集中しているエゾテリスムには見えず、コルヴェットとコトブキには見えていた。窓の外から振り子めいて迫る赤黒の影が。

「イイイイヤアアーッ!」KRAAAASH! 窓が破砕し、燃えながら突入して来たニンジャスレイヤーの蹴りはエゾテリスムを捉えた。「グワーッ!」「イイイイヤアアーッ!」防御姿勢を取ろうとするエゾテリスムに、ニンジャスレイヤーは猛烈な二撃目の回し蹴りを叩き込んだ。「グワーッ!」

 ナムサン。時間を60秒ほど巻き戻せば容易くわかる。ニンジャ第六感の警鐘に従ったニンジャスレイヤーは、エゾテリスムによる爆発を伴う不可解なテレポーテーション攻撃をすれすれで回避。瞬時に塔の外への脱出を果たすと、空中でフックロープを放ち、コルヴェットらの南塔へ突入したのであった。

 ニンジャスレイヤーの恐るべきカラテ・アンブッシュを受けたエゾテリスムは鐘に叩きつけられ、鐘ごと塔の外へ弾き出された。「グワーッ!」魔術師は瞬時に態勢復帰し、鐘を蹴って塔の屋根に飛び移った。「ええい……!」「イヤーッ!」それを追うニンジャスレイヤー! 当然、彼も屋根へ!

 彼らは大聖堂の尖塔の上で殺意をもって睨み合った。KRAASH……鐘が中庭に落下したのが号砲だった。二者は互いに襲い掛かった!

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」尖塔の上で、激しいカラテ応酬が始まった。そのときだった。円形に切り取られた青空をにわかに雲が塞ぎ、黒い雷光がバチバチと生じた。神秘的カラテが天候を左右したか。否。それは別の事象だった。黒い稲妻は空に黒い方舟を残していった。 

『ファック! 何だありゃ! 何だありゃ……あれも……なんだ、あれもまたぞろ魔術がどうとか言いやがるのか? ふざけ……』タキの通信がニューロンに波を立てた。しかしそれもノイズの中に隠れ消え、かわりに表出してきたのはマスラダの殺意と融け合った邪悪なるナラク・ニンジャの殺意であった。

「イヤーッ!」「イヤーッ!」赤黒く燃えるニンジャスレイヤーの拳とエゾテリスムの黒く滲む拳がぶつかり合った。一打。二打。三打。エゾテリスムの拳は超自然の黒い軌道を残す。ニンジャスレイヤーの先ほどのアンブッシュ攻撃はエゾテリスムに爆発四散相当のダメージを残した筈。しかし、これは……!

「イヤーッ!」「……イヤーッ!」「……イヤーッ!」足を止め、打ち合うたび、両者は大きくのけ反る。のけ反りながら殴り返す。そのたび、ニンジャスレイヤーが徐々に押され始めていた。やがて……押し負けた!「イヤーッ!」「グワーッ!?」

「ハァーハハハ……ハハハハァー! ハハハ、ゲホゲホッ、ガボボッ……!」エゾテリスムは血を吐きながら笑い、よろめくニンジャスレイヤーの首を掴んだ。「ガボッ……私のサクリファイス・ジツは無尽蔵の力をもたらす……!」

「無尽蔵だと? 無尽蔵?」ニンジャスレイヤーは至近でエゾテリスムを凝視した。エゾテリスムはニンジャ握力で締め上げた。意識が濁る。マスラダは決して目をそらさぬ。サツガイ接触者の瞳の奥底に、あの日の光景が繰り返される。アユミ。円状にランダムな八つの刃を飛び出させたスリケン。サツガイ。

 アユミの顔も、その時、血溜まりに映り込んだマスラダ自身の顔も、もはやまるで遠い昔の出来事のように擦れ、ぼやけ、朧だ。それでもナラク・ニンジャはマスラダの怒りを糧に黒い炎を燃やし、力に換えて、カラテをもたらす。それでいい。為すべきことを為すだけだ。こいつを殺せばいいのだ。

 一方、エゾテリスムは彼の内なるジゴクに気づきようもない。ただ、愉悦に目を細め、締め上げる力を強める。溢れんばかりの生命力が魔術師の身体を満たしている。犠牲となったムンバイの市民のエネルギーが。ウキハシ・ポータルで繋がっている都市ならば、地球上のどこからでも命を得られる。素晴らしい。

 オヒガンと卑近世界を重ね、破損させて、命を収奪し、エメツ資源を生み出す。命は力になり、資源はカネになる。全てがエゾテリスムのもとに集まる。サツガイとの接触がそれを可能にした。

 彼にとって、サツガイとの接触は、眩しい「全知」の瞬間だった。一瞬の全知が、哀しみを残し、去った。彼は餓えていた。

 だが同時に、あの瞬間を永遠のものに固定できると確信していた。サツガイは既にそれができるだけの力を彼に贈ってある。ブラスハートは何度もサツガイに接触しようとしている。愚かな行為だ。サツガイはきっかけに過ぎない。

(見解の相違だな。お前は畢竟、ニンジャに過ぎない)

 憤怒がにわかにエゾテリスムのニューロンを満たした。ブラスハート。奴は危険だ。エゾテリスムはいずれ地球上の卑しい命を喰らいつくし、オヒガンの神秘と100%のシンクロを果たし、全知の現人神となる。その輝かしき過程において、ブラスハートは必ず最大の障害となる。排除せねばならぬ。最大の障害……まして、眼前のこの煩わしい有象無象ごときにかかずらっている場合では……。 

 眼前の……眼前……ニンジャスレイヤーの目には、無惨に殺められた女、八つの刃を円状に生やしたスリケンが映る。(何故おれではなくアユミを殺した)(何?)エゾテリスムのニューロンに灼熱の憤怒が押し寄せた。だらりと垂れていたニンジャスレイヤーの腕が上がり、エゾテリスムの手首を掴んだ。

(何故だ! 答えろ!)(グワーッ!?)エゾテリスムの手の感覚が消失した。ニンジャスレイヤーを締め上げていたはずだ。焼き切れている。感覚が。憎しみが流れ込んでくる。(何故殺した)(何故だ)(ニンジャ)(ニンジャに殺された)(ニンジャ)エゾテリスムの脳裏は不可解な焼野の光景を映す。

(ニンジャ)(ニンジャ)(ニンジャ!)(((ニンジャ! 殺すべし!))) ナラク・ニンジャ! 極めて不吉かつ邪悪な名がエゾテリスムに焼き付いた。エゾテリスムは声にならぬ悲鳴を上げ、ニンジャスレイヤーを拒絶しようとする。膨大なる怒り! それがエゾテリスム自身を苛んでいる。

 エゾテリスムはサクリファイス・ジツの使い手。モータルの命を搾取し、己のエネルギーに変換することができる。今の彼にはムンバイ市民から搾取した命が溢れている。だが……それが暴れている。彼を焼いている。何故。不可解であった。しかもそれで終わりではなかった。サクリファイスした命を呼び水に、ニンジャスレイヤーの中から怒涛めいた感情、数え切れぬ憎しみが流れ込んでくる……!

「アアアア! AAAARGH!?」身をもぎ離そうとする。ニンジャスレイヤーは左手でエゾテリスムの首を掴んだ。二者の体内で憎悪が激烈な循環をはじめた。内なる炎! 「苦しい!」エゾテリスムは叫んだ。「これは! 何だ!」「苦しむがいい!」ニンジャスレイヤーは嘲笑った。「苦しみ続けろ! モータルの怒りを知れ!」

 そして今、上空には黒い稲妻が激しく散り、黒い方舟の下、プラハ城を構成する美しき複合建築物の屋根の上に、続々と謎めいたニンジャ存在が出現し始めていた。彼らは容易に標的を見つけ出した。大聖堂の尖塔の上、ニンジャスレイヤーはそれらに構わず、エゾテリスムを殺しにかかっていた。

「貴様の力はわかった……それは貴様のものではない!」ニンジャスレイヤーは叫んだ。エゾテリスムの両目が赤黒の炎を噴き出す!「アバーッ!? アバーッ!」エゾテリスムは痙攣した。死の顎が彼を捉えようとしていた。ゆえに彼は最後の手段に出た!「まだだ!」掌に「沌」の字が浮かび上がる!

 ナムサン! それはオヒガン・ボムの発動! エゾテリスムにはいまだ勝算あり! 自らの身体を触媒にボムを発動し、ニンジャスレイヤーをオヒガンに衝突させて殺す! その命をサクリファイスし、彼自身の死を免れる! その余波で少なくともヴィート大聖堂は跡形を留めるまい。デジ・プラーグ2の再構築にも手間取るだろう。

 エゾテリスムにとって、それは極めて不快で、不本意な事態であった。デジ・プラーグは既に彼の手に落ちている。魔術ギルドももはや烏合の衆に過ぎない。彼は先の先を見ていた。超人、世界支配者、真実の具現。その筈だった。それを……謂れのない、なおかつ明確な殺意をもって、彼の足元を掬いに現れたこの余所者は何者だ?

 ニンジャスレイヤー……? サンズ・オブ・ケオスを狙う……サツガイへの復讐の為に? 愚かな! 極限状態で泥のように鈍化した時間の中で、エゾテリスムはあらためてこの赤黒のニンジャを呪った。邪魔者、不条理、わけのわからぬ存在、狂人!

 死者の苦悶と憎悪が互いの身体を循環するなか、互いの思考も混じり合っていた。マスラダはエゾテリスムの意思と繋がり、一瞬後に起こる惨事を知った。破壊の運命。大聖堂の崩壊を。その眼から溢れていた赤黒の炎が凝縮し、点のようにすぼまった。

「ニンジャスレイヤー=サン!」彼は間近に旋風を感じ、呼びかける声をきいた。それはカゼのジツで不意に現れたコルヴェットだった。何か言おうとする彼にかぶせるように、ニンジャスレイヤーは言った。「上へ投げろ! おれたちを!」ニンジャスレイヤーの背に、縄めいた筋肉が浮き上がった。彼はエゾテリスムのジツの発動を無理やりに押さえ込んだ。それは1秒か。2秒か!? 

 コルヴェットは状況判断した。彼は当初、ニンジャスレイヤーめがけ集まって来る謎のニンジャ軍勢を見、状況を打開すべく転移したのである。だが、彼はニンジャスレイヤーの言葉を聞き、エゾテリスムから異常な緊張を感じ取った。彼は言われるまま身を投げ出し、二者に触れた。

 旋風が起こり、彼は数十メートル上空に、二者とともに再出現した。コルヴェットはデジ・プラーグを見下ろし、呻いた。ニンジャスレイヤーは腕を引き抜き、脈動する肉塊を握り潰した。それはエゾテリスムの心臓だった。魔術師は血を吐き、血走った目を見開いた。その身体が風船めいて膨れ上がる。「アバッ、アバババッ……!」

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはエゾテリスムを蹴り飛ばした。コルヴェットは手足をばたつかせ、ニンジャスレイヤーの足にしがみついた。再び旋風が巻き起こった。風が包んだのは彼ら二人だけだ。エゾテリスムは大聖堂の遥か上空。黒いモザイク状の巨大なネガティブ球体を虚空に生じ、砕け散って消えた。

 微細エメツの破片がパラパラと降り注ぐ中、二者は大聖堂の屋根に再出現した。「アバーッ!」コルヴェットは屋根に叩きつけられでもしたかのように這いつくばり、苦悶していた。「こたえるわい! これは! 殺ッたか? ニンジャスレイヤー=サン!」「……」ニンジャスレイヤーは上空を見る。「殺した」

「お、俺の手で殺してやりたかったのはやまやまだが! 残念ながら力及ばぬゆえ、ゲホ! ゲホーッ!」ニンジャスレイヤーはコルヴェットに手を貸し、助け起こす。コルヴェットは膝をついた。「ま、まだ動けぬ。この領域で、さすがに無茶をした」「お前の目的は果たしたのか」「左様……コトブキ=サンの助けを借りておる」

「そうか」ニンジャスレイヤーはカラテを構え、大聖堂の屋根に続々と飛び移って来るニンジャ達を睨み据える。奇妙な者達だ。ニンジャ装束に身を包んでいるが、その実存は影か幻めいて曖昧にも見える。彼らはニンジャスレイヤーを包囲にかかった。コルヴェットは四つん這いで荒い息を吐いている。

「立て」ニンジャスレイヤーは言った。コルヴェットは咳き込んだ。「お、俺は置いてゆけ」「こいつらは魔術ギルドか」「違う。わからん。置いてゆけ。話し合いで何とかできる。俺は魅力的だ、弁も立つ。愛する女も助け、万能感に満ちておる、ゲホッ!」

 ニンジャスレイヤーは彼の前に立った。 


4

「……」「……」ニンジャ達は言葉を知らぬかのようにふるまいながら、じわりじわりと包囲を進める。ニンジャスレイヤーは姿勢を低める。このまま雪崩れ込んで乱戦が始まるかと思いきや、やがて彼らの中のひとりが一歩前へ踏み出し、アイサツした。「ドーモ。ボイリングメタルです」

 更に一人、ニンジャが踏み出す。「ドーモ。ヘラルドです」ここに至り、ニンジャスレイヤーはある程度理解していた。名有りの者と名無しの者がおり、後者はおぼろけで、カラテの圧も弱い。前者はこの二人のみ。上空に浮かぶ黒い方舟との関連があるか。「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」

「ニンジャスレイヤー=サン。貴公に用がある」ヘラルドが陰気に言った。「お、穏やかでないな」コルヴェットが口を挟んだ。「いやシツレイ。コルヴェットです。アンタら何だね」彼は懐から震える手でスキットルを取り出した。「取り込み中で……」「イヤーッ!」ヘラルドはスリケンを投げた。

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはチョップでスリケンを焼き切り、睨み据えた。「なにか用か」「我々はザイバツ・シャドーギルドのニンジャ」ヘラルドとボイリングメタルはカラテを構えた。「貴公の身柄が目的だ」「手足のひとつふたつ、奪ってもよい」「……」ニンジャスレイヤーは答えず、ただ、足元に唾を吐いた。

「「イヤーッ!」」ヘラルドとボイリングメタルは同時に襲い掛かった。「イヤーッ!」「グワーッ!?」ニンジャスレイヤーはヘラルドの顔面に瞬間的な拳を叩き込み、のけ反らせると、ボイリングメタルのタックルを受け止めた。すると、ナムサン! 掴まれた部位が白煙を上げ始めた。異常高熱のジツである!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは構わず、横へ投げ飛ばした。

「イヤーッ!」「イヤーッ!」そこへデミ・ニンジャたちが一斉に襲い掛かった。「イイイイイヤアアーッ!」ニンジャスレイヤーは仁王立ちになり、手近の者から殴りつけ、掴み、爪で抉り、蹴り、頭突きを食らわせ、投げ飛ばし、押し退け、肘打ちを食らわせ、弾き飛ばした。「イヤーッ!」ヘラルドが横合いから奇襲をかける。ニンジャスレイヤーとチョップがかち合う! 

「イヤーッ!」「グワーッ!」ボイリングメタルの踵落としがニンジャスレイヤーの肩を捉えた。二対一……分が悪い!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは踵落としに耐え、足を掴み返し、背負い投げでヘラルドに叩きつけた。「グワーッ!」そこへ再びデミ・ニンジャ達が押し寄せる。厄介極まる波状攻撃である!

「逃げろというのに!」コルヴェットが空のスキットルを捨てた。「勇気百倍……どうにか腰が立ったぞ、なあ!」コルヴェットが酒臭い息を吐き、ニンジャスレイヤーを掴んだ。「もうひと旅行といこうぞ!」旋風が彼らを包んだ。景色が霞み、大聖堂正面の地面に出現した。「ハアーッ! ハアーッ! ええい、まるで離れておらんわ……!」

「平気か」「酒は百薬の長!」強がってはいるが、無事でないのは明らかだ。「よいか、その……俺のジツはな、酒精がな、エテルを……」「喋るな」ニンジャスレイヤーは唸り、コルヴェットの襟首をぐいと引いた。コルヴェットは帽子を押さえながら共に歩き出した。頭上、大聖堂から、続々とデミ・ニンジャたちが降りて来る。

 静まり返っていたプラハ城敷地は、立て続けの異変……黒い方舟の出現とエゾテリスムの空中爆散とで騒然となり、思い思いの方向へ魔術師達が走り回っていた。ニンジャスレイヤーは時折コルヴェットに肩を貸しながら、黄金小路に至った。「アバーッ!」魔術師達を殺しながら、デミ・ニンジャの別動隊が現れた。

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは怒り狂った大型猫科動物じみて真正面から襲い掛かり、蹴散らし、殺し、蹂躙してゆく!「クソッ! いかんぞ、これではいかん!」コルヴェットは罵りながら路上市場の果物籠をひっくり返し、花瓶を叩き割り、氷樽の中のシードルを見つけ出した。「背に腹は、ヒック、かえられんぞ!」

 コルヴェットは酒瓶を呷りながらニンジャスレイヤーを眺め、呟いた。「ルツィエよ、俺はやり切ったな」やがてニンジャスレイヤーに群がるデミ・ニンジャの一人が標的をあらため、コルヴェットに迫った。「イヤーッ!」「グワーッ!」コルヴェットは力任せに酒瓶を振り下ろして脳天を叩き割り、「イヤーッ!」「アバーッ!」砕けた瓶を突き刺してトドメを刺した。「だが俺は生きるぞ!」

 振り返ると、大聖堂部隊がヘラルドとボイリングメタルを先陣に続々と追い来ていた。コルヴェットは帽子を押さえた。「そうとも、生きるともよ! ここが命の張りどころよ……!」いまだ戦闘を続けるニンジャスレイヤーのもとへ駆け寄り、そのマフラーめいた布を掴む!「ゆくぞ!」

 旋風が二者を……そして何人かのデミ・ニンジャを包み込む。消失の瞬間、ヘラルドがタックルをかけた。彼らはまとめてプラハ城正門付近に出現した。「オゴゴーッ!」コルヴェットは床を転げ、痙攣した。「イヤーッ!」「「アバーッ!」」ニンジャスレイヤーはデミ・ニンジャ同士の頭をかち合わせて殺し、ヘラルドと掴み合った。 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」逃げ惑う魔術師らの悲鳴、怒声が響くなか、彼らは上になり下になり、石畳をゴロゴロと転がり、殴り合った。「イヤーッ!」ヘラルドがマウントを取り、ニンジャスレイヤーを繰り返し殴りつけた。「イヤーッ! イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはパウンドを防ぎ、耐え続ける。

 コルヴェットは震えた。「まずいぞ……クソッ……」彼はもはや力尽き、仰向け状態から微かに頭を上げて絶望的にニンジャスレイヤー達を見守るしかない。ザイバツ? 何者だ? ニンジャスレイヤーとは何者なのか? 悲鳴が立て続き、黄金小路の方角からデミ・ニンジャの集団が、そしてボイリングメタルが出現した。

 コルヴェットは手をかざしたが、何ができるでもなかった。このまま這いずってプラハ城を離れ、逃げてしまえ。そしてルツィエのもとへ。「ハッハハハ!」彼は己を強いて笑った。バカバカしい。笑いが力をもたらした。身を起こした。カジバチカラというやつか。よろめきながら、彼は向かっていった。

 彼は両手を広げ、ニンジャスレイヤー達の横を悠然と歩き過ぎ、ボイリングメタルらに向かって立ちはだかった。「皆の衆お立合い! 我こそはコルヴェット、カゼのジツをおさめし冒険魔術師にして、国家崩壊世界随一の文化人、ニンジャ、稀代の詩人なり。ザイバツとやら、さてこの俺を退かせるか?」

 ボイリングメタルは訝しみ、奇襲攻撃を警戒した。その後ろにデミ・ニンジャ達が集まって来る。「よいか! ニンジャスレイヤー=サンと、ええと、ヘラルド=サンとやらは誇り高き一騎打ちの最中と見た。ゆえに、それ以上近づいてみろ! この……」懐に手を入れ、取り出したのは、「なんと。白薔薇か」

 ボイリングメタルはコルヴェットを指さした。デミ・ニンジャが殺到した。コルヴェットは笑い続けた。やけくその笑いだった。BRATATATATATATATA……BRATATA……高密度の銃声が明後日の方向から聞こえてきた。BRRRRTTTTT!「グワーッ!」「グワーッ!?」銃弾の嵐がデミ・ニンジャを薙ぎ倒した。

 大いなる混乱がその場に訪れた。BRATATATA! BRATATATA!「グワーッ!」「グワーッ!」蜂の巣となって薙ぎ倒されるデミ・ニンジャの死体に押し倒されながら、コルヴェットはそちらの方向を見た。のしのしと歩いて来るゴーレムの姿があり、その肩の上では明るいオレンジの髪と黒いドレスの娘がガトリング・ガンを構え、今も撃ちまくっていた。

「コトブキ=サン!」コルヴェットは呆気にとられた。「ゴーレムはまだしも……その……」「オムラ社のマシンガンですよ! ジャンク品ですが」コトブキは叫び、ガトリング・ガンの排熱処理を行った。「旅の荷物です! 預けていたんです」DDOOOM……ゴーレムたちの重い足音と震動はひとつではない。

 DOOM…DOOOM……宝石めいたアイカメラを明滅させ、二体目、三体目のゴーレムが正門付近に集まってきていた。「という事は……」コルヴェットは察した。魔術ギルドが重い腰を上げたか! 胡乱な余所者の為に!『ありがとう冒険魔術師殿』タキの回線にルツィエの通信が相乗りした。『恩に着る』

「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーはイクサの機運の変化に乗じてヘラルドのマウントを脱し、力任せに殴り返す。すかさずデミ・ニンジャが制圧を試みるが、BRATATATATA!「グワーッ!」「グワーッ!」それを阻んだのはコトブキの銃撃である!

『コアに入り込んだ異物は速やかに取り除かねばならぬ。我ら自身の為にも』"空の手" の長の声。『そなたは確かにミッションを成功させた。ご苦労』"金の牡鹿"。『これが我らにとって最善の判断だ、わかるな』"年輪"。コルヴェットは苦笑した。つい先ほどまで虜囚の身であったルツィエがすかさず調整に奔走した事は想像に難くない。タヌキどもめ。だが、老人たちのバツの悪そうな様子に、彼は多少の溜飲を下げた。

 BRATATATATA……BRRRTTT……DOOOM……DDOOOOM……「グワーッ!」「グワーッ!」ガトリング砲の火線が石畳に撥ね、ゴーレムたちがデミ・ニンジャを蹴散らし、殴りつけた。ボイリングメタルは後退し、ニンジャスレイヤーとヘラルドは再び向かい合った。正門の上に幾つかの影が見えた。魔術ギルドのニンジャ達であった。ザイバツはしかし……少しも士気を減じず、再び押し寄せた。

 ニンジャスレイヤーはヘラルドとカラテを重ねた。「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」ワン・インチ距離、攻撃に攻撃を重ね、火花と黒炎が爆ぜて散る。その両脇でゴーレムとデミ・ニンジャがぶつかり合う。コトブキがなにか叫ぶ。土煙が立ちこめ、銃弾と血と叫びが混じり合う。

「イヤーッ!」「グワーッ!」ヘラルドのカラテ正拳突きはニンジャスレイヤーの拳をそらし、メンポに叩き込まれた。ヘラルドのカラテは洗練されている。それはザイバツ・シャドーギルドのカラテ。ニンジャスレイヤーの野蛮なカラテは徐々に対応され始めていた。火と憎しみが必要だ。もっと必要だ!

「イヤーッ!」ボイリングメタルが屋根上に飛びあがった。そして赤い球体をゴーレムめがけ投げつけた。「ゴウオオン!」コトブキが肩に乗るゴーレムの頭部が飛沫を上げ、崩壊する! ナムサン! それは煮えた鉄塊!「イヤーッ!」更に一投!「ゴウオオオン!」ゴーレムは機能不全を起こし、尻餅をつく!

「ンンーッ!」コトブキは落ちかかるが、しぶとく耐え、もはや停止オブジェクトと化したゴーレムの肩でガトリングを更に撃ち続けた。BRATATATA!「イヤーッ!」魔術ニンジャの一人がボイリングメタルを阻止にかかった。「ドーモ。テウルギアです。イヤーッ!」アシッド・タッチ・ジツによる接触攻撃だ!

「ドーモ。ボイリングメタルです。イヤーッ!」テウルギアが繰り出したアシッド・タッチの右腕が第一関節から溶解し、刎ね飛ばされた。「グワーッ!?」「イヤーッ!」「アバーッ!」ボイリングメタルの左腕が肋骨を割ると、テウルギアの両目とメンポから溶岩めいた融解血肉が噴出!「サヨナラ!」爆発四散!

「雑魚が!」ボイリングメタルは吠え、叩きつけられるゴーレム・パンチを殴り返す。巨大な拳が融解する!「ゴウオオン!」「ドーモ、ノンフォーチュナです。イヤーッ!」「イヤーッ!」更に、接近してきた新たな魔術ニンジャに応戦する!「ゴウオオオン!」「「アバーッ!」」ゴーレムがデミ・ニンジャを蹴る!

「ゴウオオオン!」「ゴウオオオオン!」ゴーレムの増援が正門をくぐり現れる!『下がって! 少しずつ!』ルツィエがコルヴェットに指示した。『プラハ城の敷地から離れて!』コルヴェットは壁に寄りかかり、息を整える。「どうだ……ニンジャスレイヤー=サン! 退けるか……!?」

「ハイヤーッ!」コトブキはもはや徒手、手近のデミ・ニンジャを殴りつけ、回し蹴りで蹴り飛ばす。太刀打ちできず呑まれかかるが、老魔術ニンジャのピカトリクスが彼女を援護しに現れた。「イヤーッ!」「グワーッ!」ピカトリクスは輝きの掌打でデミ・ニンジャを弾き飛ばした。

 弾かれたデミ・ニンジャは他のデミ・ニンジャに衝突し、輝きが連鎖して激烈に痙攣させた。「グワーッ!」「グワーッ!」「こちらへ……おお……なんと精緻な」コトブキに手を貸したピカトリクスはその美しさに驚嘆した。「わたし、自我があります」「存じております。敷地外へ退避を」「でも、ニンジャスレイヤー=サンが!」

「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーはヘラルドの打撃をさらにもらった。「ニンジャスレイヤー=サン!」コトブキが叫ぶ。デミ・ニンジャが押し寄せ、合流を許さぬ。「巻き込まれますぞ!」ピカトリクスが多少強引にコトブキを下がらせる! 乱戦する二陣営が動き始めた……!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは拳を繰り出す。ヘラルドは防いだ。「貴公のカラテは見切った……!」ヘラルドが呟き、チョップを打ち込む。「イヤーッ!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは強引に頭突きで弾き返した。さらに胸部に一打!「イヤーッ!」「グワーッ!」

 ヘラルドの肩越し、屋根上ではボイリングメタルがノンフォーチュナを爆発四散させた!「サヨナラ!」「次の雑魚をよこせ! おらんのなら……!」ボイリングメタルはカラテ戦闘を継続するニンジャスレイヤーとヘラルドを見やった。「ヘラルド=サン! 未熟者! カタをつけろ!」そして加勢に跳ぶ!

 ニンジャスレイヤーのニューロンが加速し、泥めいて時間が鈍った。ナラク・ニンジャが頷いた。(((然り……憎悪が足りぬ。燃やし尽くし、殺し尽くせ。オヌシは足りぬ……まだ足りぬ。儂から力を引き出せ。無限に引き出せ!))) 殺意と激昂に霞んだ視界に、アユミ、円状の八つ刃のスリケン……!

 ボイリングメタルが迫る。二対一に持ち込まれれば覆せまい。ナラク・ニンジャ。カラテ内燃機関に許容値を超える黒炎が染み出す。だがそのとき、マスラダは己の背中を見ていた。自我から剥がれ、無限に暴れ狂わんとする死神の背中を。美と歴史が息苦しいほどに積み重なったこの地の只中で。

 ニンジャスレイヤーの両目から赤黒い血が流れ、筋肉が火を噴き、軋んだ。(((マスラダ……!)))「手綱を握るのは、おれ自身……!」凝縮された時間の中で、ヘラルドのカラテを反芻し、組み立て直し、理解し、再構築しようと努める。断頭チョップが迫る。ニンジャスレイヤーは拳を前に出した。

「イヤーッ!」「グワーッ!?」チョップよりも早く、ニンジャスレイヤーの拳がヘラルドの顔面に届いていた。ヘラルドのメンポが砕け、困惑する顔があらわとなる。ニンジャスレイヤーは敵に流し込んだカラテの反動を感じていた。然り……入った。「アバーッ!?」ヘラルドの顔面が爆ぜた。

 ヘラルドの顔の左半分がはじけ、眼球が宙を飛んだ。爆発四散させるにはもう一撃要る! だが!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは割り込んだボイリングメタルにヤリめいたサイドキックを繰り出し、間合いを突き放す!「イヤーッ!」バック転を繰り出す!「イヤーッ!」更にバック転!「イヤーッ!」

 ゴーン……ゴーン……そのとき、鐘が鳴った。音が消失し、色が消失した。ニンジャスレイヤーの視界は、まるでサイバーゴーグルを装着した時のように、デジ・プラーグ2の電子情景を重ね合わせていた。何かがまずい……「イヤーッ!」コルヴェットが飛び出し、ニンジャスレイヤーを受け止めた。

「イヤーッ!」旋風が彼らを包み、異様な深淵からニンジャスレイヤーを引き剥がした。彼らは正門の外、避難を終えた魔術師達の眼前に出現し、ゴロゴロと転がって、突っ伏した。「何と……何たる真似を、コルヴェット=サン」ピカトリクスが驚愕した。「危険すぎる!」「アバーッ!」痙攣!

「大変です!」コトブキが駆け出し、痙攣するコルヴェットの心臓を殴りつけた。「イヤーッ!」電光が走った。「アバババーッ!」AEDだ!「……!」ニンジャスレイヤーは頭を振って、身を起こした。魔術師達が後ずさった。彼は正門を見た。門の向こうが白く消失している!「何が起きている!?」

「ドーモ。ピカトリクスです。所属は "空の手"。今この時重要ではありませんな」老魔術師がオジギした。「平たく言いますと、オヒガンより出現した者達を、オヒガンへ送り返すのです。プラハ城の領域を……デジ・プラーグ2を経由し、デジ・プラーグ3に繋いだのです」消失したプラハ城を示す。

「城ごと滅ぼしたのか」「否。御覧なさい」ピカトリクスは厳かに言った。彼らが見守る中、やがて門の向こう、白い虚空が明滅し、もとのプラハ城が復帰した。機能停止したゴーレム達や魔術師の死体も戻って来た。だがしかし、ザイバツ・シャドーギルドの者らは見当たらなかった。 

「ルツィエ=サンはデジ・プラーグ2、そして3を管理する最大権限の持ち主。救出されるや、彼女は休まずデッキに接続し、問題対処に当たりました。突如現れし者らがオヒガンから跳び現れた事実を、ログを辿って割り出し、いまだ繋がり続けている事を割り出した。ゆえに、送り返す事が出来ると」

「……げに恐るべきはジプシー・ウィッチの魔術ということか」コルヴェットが弱弱しく言った。AEDが功を奏したと見える。「そして……あれよ。フーリンカザンよな。何と言うたか……ザイバツ……およそ、横紙破りには適さぬ場所でイクサをおっぱじめたな」「大きな賭けでした。浮かれなさるな」

 ニンジャスレイヤーは彼らの会話を聞きながら、己の拳を見ていた。ヘラルドを打ち抜いた感覚を焼きつけようとしていた。殺すに至らなかった無念、隙あらば領域を超えようとするナラクの暴威、ザイバツ・シャドーギルドの謎。

『アー、アー、どうなった、妙なノイズが続いたが』タキが通信を繋いだ。

 ニンジャスレイヤーとタキは経緯の擦り合わせを行った。タキは唸った。『どっちにしろ、そこはとっとと離れたがいいぜ。オヒガンから現れた連中を送り返した? 無茶苦茶だろ。それができンのは、要はエゾテリスムが世界中で大規模破壊をやらかした元になったシステムだぞ。ロクなもんじゃねえ』「……だろうな」

『まあいい。念を押すが、エゾテリスムの野郎はお前が殺したんだよな? まじない師どもにちゃんと証明書を書かせろよ、いいか。で、早く帰れ。あいつには懸賞金がかかってた。それを使って……ピザタキの抵当が相当ヤベエんだ。詳細は後で話すが……』

「さて。俺もおさらばだ」コルヴェットが起き上がった。コトブキが慌てて支えた。ピカトリクスは意外そうにした。「ルツィエ=サンがお呼びです。ギルド長も」「報告資料は近著と共に後ほど送るゆえ」コルヴェットは言った。「俺は忙しい」「何処へ行く」ニンジャスレイヤーが尋ねた。

「お前さんに礼が出来とらん」コルヴェットは真顔で言った。「借りを返す。ちょうど、返す当てが出来た。ははは、お前さんがエゾテリスムを殺した時は、どう返そうかと心配しておった。だが、例のザイバツとやらが……」「何?」「まじないをしてやる。だが、設備が要る」「何の為の」

「カゼの刺青よ」コルヴェットは指先を擦り合わせた。「ザイバツ。明らかにお前を狙っておったろ。お前、今後行く先々で、奴らと今のイクサを繰り返す事になるぞ。他所ではデジ・プラーグのフーリンカザンも無い。ここに永住するか? いやいや、さすがに魔術師連中がそこまで許すものか」

 ニンジャスレイヤーは頷きも、断りもしなかった。「決まりだ。だが最先端のタトゥー・テックに依頼せんとな。まあそれはおいおい……」「待ってください。その後は?」コトブキが口を挟んだ。コルヴェットは首を傾げた。「その後か? そりゃ気ままな冒険の旅に戻るとも」

「ルツィエ=サンは?」「何?」「愛の件ですよ!」コトブキが問い詰める。「アイサツもせずに……命を懸けて戦ったのではないですか! 愛の為に!」「お嬢ちゃんにはわかるまいよ。この機微はな」コルヴェットはにっこり笑った。「ちと気恥ずかしい台詞も吐いてしまった。顔を合わせる気になれん。当分はな!」

「実際、頑固な御仁ゆえ」ピカトリクスが諦め、コルヴェットに手を差し出した。コルヴェットは頷き、手を触れぬ魔術師式の握手をした。「さて、ネオサイタマ。案内してくれ給えよ」コルヴェットはニンジャスレイヤーとコトブキに向き直り、笑いかけた。「悪徳と退廃と貪婪の都。筆が疼くわい」

「お許しあれ、魔術ギルドは正式な返礼の記録は残さぬでしょうが……」ピカトリクスが三人に言った。「……そういう組織なのです。ですが、せめてわたくし個人からの感謝を述べさせていただきたい。旅の方々。アリガトゴザイマス」老魔術師がオジギすると、他の者らも同じように頭を下げた。

「よさんか、ぎこちない真似は!」コルヴェットがカラカラと笑った。そして歩き出した。ニンジャスレイヤーが、コトブキが彼に続いた。コトブキは「良くないと思うんです」と繰り返していた。


◆◆◆


「アバーッ! アバババーッ! AAARGH!」キョート城、シャドーシップ発着場に、ヘラルドの叫びが響き渡った。ボイリングメタルは足を止め、振り返った。「男前になったではないか。死にぞこないめ」「AAAARGH!」ヘラルドは叫び、傷を掻きむしった。その叫びは苦痛と憤怒に満ちていた。

「ニンジャスレイヤーッ!」ヘラルドは狂い叫び仰け反った。応急処置包帯も解け散ってしまった。「イヤーッ!」「グワーッ!」ヘラルドは手近のデミ・ニンジャを殴りつけた。ブザマ! ボイリングメタルは鼻を鳴らして去ろうとした。

「……これは」だが、彼はすぐに足を止め、跪いた。甲冑姿のダークニンジャが、そこにいた。王は彼を立たせ、尋ねた。「ニンジャスレイヤーは如何に」「は……」ボイリングメタルはタント・ダガーを取り出した。ケジメもしくはセプクの為に。「よせ。ひとつ尋ねたい」ダークニンジャは言った。 

「お前が対したニンジャスレイヤーは、かつてのそれであったか?」ダークニンジャの問いの意味を、ボイリングメタルは理解した。ボイリングメタルは数秒黙考したのち、厳かに首を横に振った。「ただ……奇妙な感覚ですが……同じようでもあり。別の人間であったとしても、少なくとも偽物の類いではありませぬ。あれは、ニンジャスレイヤーです」


◆◆◆


 黄金小路のその邸宅は「無限遠」の所有であり、かつては、ちょっとした陰惨な出来事の舞台ともなった。しかしこの邸宅をアサルトした野心深きエゾテリスムは遂に葬り去られ、失われたもの、壊されたものの欠落を抱えながら、再びルツィエのウィッチとしての日常が始まろうとしていた。 

 現実の街を模倣した地を電子世界上に構築し、以て、キンカク・テンプル輝くオヒガン世界への通路とする。大それた行いであり、事実、それが今回の巨大な悲劇を推進する力ともなってしまった。しかし不変の真実と神秘に至ろうとする願いは有耶無耶にはできない。それは画家に絵筆を捨てさせる事だ。

 ただ彼女はあらためて、真実と神秘の力に対し、より一層、敬虔であらねばならない。そう思った。街の傷を癒し、オヒガンの無限に比すればあまりにも弱くささやかな探求を絶やさぬよう。人の営みを絶やさぬように。「……」ガタガタと窓枠が風に揺れた。ルツィエは窓に近づいた。

「……」窓を開けると、何かが落ちかかった。ルツィエは手をのばしてそれを取った。白い薔薇の花だった。「伊達男」ルツィエは呟き、噴き出した。窓から身を乗り出したが、当然、誰が見えるでもなかった。 


【ザイバツ・シャドーギルド】終わり

【第9話に続く】


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