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【テラー・フロム・ディープ・シー】

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「安心して。このクルーザーには、最新式の魚群探知ナビゲーショーン・システムを積んでいるの」圧着式サイバー・ダイビングスーツを纏ったナンシー・リー報道特派員が、ソナーレーダーの波形調整をしながら言った。「この程度の岩礁なら難なく避けて通れるわ」

「そして、この海域に出没するというUMAニンジャがクルーザーの下を横切ったならば……」イチロー・モリタ報道特派員が、波形モニタに映る色とりどりのスペクトル・パターンを一瞥し、険しい顔で返した。「その大きさや形状だけでなく、移動速度までも計測できるという事か」

「その通りよ。ただし、ひとつだけ但し書きが必要ね」

「但し書きとは?」

「いま試算してみたけど、今回の事件にニンジャが関わっている可能性は25%に過ぎないの」ナンシーはスーツの締め付けと気密性を確認しながら、すまなそうに首を横に振った。

「25%あれば十分だ」モリタ特派員は、ソナー・レーダーの波形から実際の海面へと視線を戻した。そしてサイバーカムを構え直し、四方の海に対する警戒と撮影を再開する。完全防水式、二十四時間の連続撮影が可能な、ミハル・オプティ社製のミリタリーモデルだ。

「そう言うと思ったわ」ナンシーは入念な屈伸運動を行いながら、小さく微笑んだ。前方には広大なる海。都市における調査とは比べ物にならないほどの困難が二人を待ち受けているだろう。だが彼女の胸には、オキナワの日差しよりも熱く眩しいジャーナリストの使命感とガッツが燃えているのだ。

 ……二、三年前からこの海域で、巨大水棲生物の目撃情報や、原因不明の海難事故が相次いでいた。犠牲となっているのは無軌道ダイバーだけでなく、オキナワ海上警備保障のパトロール船、オーガニック食材を求めて漕ぎ出す地元の伝統的漁師たち、さらには安価な航路を求める格安旅行会社の小型ツアー船までもが含まれていた。だが彼らはインガオホーとして顧みられず、ありふれた海難事故の数字のひとつとして切り捨てられてゆく。人知れず、犠牲者が生まれ続けている。

 日本政府が一帯の調査に乗り出す気配はない。理由は単純である。経済的な見返りが乏しいからだ。NSTV社も同様に、そのような瑣末な事件を調査し報道する気などない。どこの暗黒メガコーポもカネを出しはしないだろう。タマ・リバーで生きるラッコの映像を繰り返し放映するほうが、遥かに高い視聴率を得られる。

 こうした状況下で戦うのは、ナンシーにとって極めて分の悪い賭けである。ただし……UMAが実在するならば話は別だ。UMA映像を撮影できれば、その報道特番は必ずや市民の無関心を突破できるだけの視聴率を得て、その陰に隠された社会的不正を白日のもとに晒す事ができるに違いない。ナンシーの試算によれば、UMAが実在しその撮影に成功する確率は、わずかに10%以下。UMAの正体がニンジャである可能性よりもさらに低い。

 オッズは最悪だ。それでもナンシー・リーはUMAの実在、そして社会正義と人間性の勝利に賭ける。そんな強い信念を持つ彼女であるから、ニンジャスレイヤーの行動と執念についてもまた共感し、互いに敬意を払う事ができるのであろう。

「必ず、真実を暴いてみせるわ……!」ナンシーは黒いティアドロップ型サングラスで焼け付くような紫外線から目を守ると、額から垂れる玉のような汗を拭い、潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。この過酷な環境すべてが、ナンシー・リーのジャーナリストとしての決意を試しているかのようであった。

 二人の報道特派員を乗せたクルーザーは、彼方の人工波発生プラント群から生み出される複雑な波に揺られながら、太陽を背負いながら北北東へと進んだ。陸地はもはや遥か遠い。西の空に目をやれば、ジャンボジェット機や暗黒メガコーポの輸送機が飛び交っている。

 地球温暖化により、オキナワ諸島の大半は水没したが、残された陸地の周囲には数々の暗黒メガコーポが作った洋上ユニットが浮かび、連結されて、大規模な水上都市を築いている。一部の水上都市は密閉型であり、その内部ではデミ太陽光が輝いているという。それならば、わざわざこの南国までやってくる必要もないはずなのに、それでもなお人々は約束の地オキナワの魔力に引き寄せられるのだ。

 そして二人の報道特派員は、それらの人工的オキナワ・リゾート圏から遠く離れ、目的の海域……地元の漁師や無軌道ダイバーしか知らない秘密のサンゴ礁エリアへと向かう。問題の海域に差し掛かる頃、すでに太陽は天頂から傾きかけていた。出発から数時間が経過していたが、依然として、ソナーレーダーに巨大生物の反応は無い。ナンシーもしばしばダイヴを行ったが、海中に異常は見られなかった。

 事前調査から得られたUMAの身体的特徴は、全長少なくとも二十メートル。水中での最高移動速度は100キロ近くにも達する。攻撃的な性格を持ち、水中銃を持つダイバーすらも容赦なく襲うという。そんな怪物が実在するならば、すでにソナー・レーダーには何らかの反応があっておかしくない。だが……オキナワ・シーサーペントやオキナワ・クラーケンの名で恐れられるUMAが出現する気配は、なにひとつ存在しなかったのである。

 そして目的の海域に到達して数十分後……調査班をトラブルが襲った。

「どういうことかしら、ソナーシステムの調子が悪いわ」濃縮パインジュースで水分補給を行いながらナンシーが言った。ソナーレーダーに、閾値を超えたノイズが混じり始めたのだ。「故障かしら……? 残念だけど、今日はここで調査を打ち切りにしましょう。ホテルに戻って態勢を整え、また明日に」

「待て、あれを見ろ、ナンシー=サン……!」辛抱強くカメラを構え続けていたモリタ特派員が、水平線の彼方に何かを見つけた。辺りはドライアイスが撒かれたのかと思えるほど不自然に白く濁り、泡立ち、上空にはバイオカモメやバイオペリカンの群れが旋回している。そしてしばしば餌を求めて滑空を行っている。問題は、その餌が何かということだ。

「あれは……!」双眼鏡を構えたナンシーは、思わず口元に手を当てた。

 白骨死体である……! 洋上に白骨死体が浮かんでいたのだ……! 報道クルーザーは速やかにその死体の周囲へと近づいた。ナムサン……! 僅かに残った服の切れ端から、それはオキナワ近海警備隊の死体に相違無かった!

「間違いないわ、UMAに襲われて食べられた犠牲者ね」

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