【ストレイト・アウタ・ネオサイタマ】
これは2021年4月1日に特別放送されたラップ次元特別プログラムです。ニンジャスレイヤー本編には設定上の関係は一切ありません。
前編
伝説のチャンプ、MC Wasshoi!がネオサイタマから姿を消してから、十年が経過しようとしていた。
暴力と不条理が支配するネオサイタマのスラム街では、子供が路地でオリガミを折っているだけでも治安維持警察によって銃撃される。かくのごとく荒みきったゲットー生活の中、幼馴染をかばって逮捕されたマスラダは、塀の中で19歳になっていた。
過酷な看守暴力とギャングの暴力にまみれた少年院で彼の魂を救ったのは……ラップだった。
【ストレイト・アウタ・ネオサイタマ】
タフなラジカセのフルボリュームで食堂に流されるのはブンバップのビート。ラジカセもフルボリュームも当然、違反。しかし少年院のボス、ゴウシの圧倒的体格と圧倒的凶暴性は全ての看守ルールを無視して余りある。ゴウシの周りにたむろするのはことごとく札付きのワル。そこに……一人が近づく。
「YO、そこで見てる看守、俺らは無視するコンプライアンス」「出所してすぐに掴むサクセス」「イエー……」向かい合って互いにラップを繰り出し、気の利いた言葉を吐き出せば仲間たちが歓声をあげる。ゴウシは顔をあげ、近づいてきた一人を睨む。……マスラダ。
「隔絶のなか磨き上げるスキルと滑舌」低く、しかし聞き取りやすい刺すようなフロウで、マスラダがサイファーに加わると、ゴウシは恐ろしい睨み顔を和らげ、マスラダと20段階の複雑な握手をした。「今日までだってな」「ああ」マスラダは頷いた。殺し合い寸前の緊張関係にあった彼らも今はマイメンだ。
血と暴力がはびこっていた少年院に秩序と相互理解をもたらしたのはマスラダのラップだった。殴り合っては独房に放り込まれる、その繰り返しだったマスラダは、ある日をさかいにラップをするようになっていた。それがこの塀の中のすべてを変えた。そしてマイメンたちはマスラダを送り出す。
「俺は後二年はここにいる」ゴウシは言った。マスラダは答える。「おれが身元、引き受けてやる」ゴウシは笑う。「自分の心配しろ。お前、外で何やっていくつもりだ」「さあな」「俺はラップやるぜ」「そうか」「MCアナイアレイターだ。覚えとけ」彼らのもとに、看守が緊張しながら近づく。「来い!」
◆◆◆
ガゴーン! 鉄扉が重々しく締まり、マスラダは外に締め出された。カンオケ・トレーラーが少年院前の道路を激しく走り過ぎる。「安い。安い。実際安い」ドローンが広告音声をリピートし、遠くには巨大な工場建築物が夜に光を滲ませる……。マスラダは持たされた封筒の小銭で屋台ソバを食べ、去った。
◆◆◆
キタノ・ストリートの行き場のない若者たちが集まるのは、レンタルビデオショップ兼バーガーショップ「ビデオタキ」と決まっている。店主のTAKIくんは滝のように雄大で包容力のある男としてフッドの信頼を一心に集めるデカい男だ。今日も店の前では若者たちが円陣を組み、サイファーに興じている……。
「イェ、イェー、いつでも感じてるストリートの鼓動、考える前に俺ならいつだって行動」「そう、どうすりゃいいのかわからねえ時も、俺らならば感じてるTAKIくんの王道……」
レペゼン・キタノの若者達は、クールで実家が太いオシャレなトコシマや、ハードなケオサキ、といった他の地区と比べて精細は欠ける。どちらかといえばクラスで後ろの方のひ弱なオタク達だ。「実際俺らニボシかもしんねえが、マイク持てば星々」「普段それは星々、だけど今日輝くのは懐のナイフ、力任せに切り裂くBULL SHIT(ボウシッ)」
サブロ、ネイサン、カキオ、ジャッキー、ザカリー。今日の彼らのサイファーは普段とは違う。前のめりのフロウには、次第に悲壮感と敵意が強まってゆく。なぜなら……。
「……やめようぜ」ザカリーが止めた。「茶番は終わりだ。キアイ十分入ったろ」「う……うん」「そうだね」「俺達が、やるしかねえんだ」「TAKIくん、まだ無事かな」
「もう、無事とか死んでるとか関係ねえ」サブロが得物の金属バットを振り上げた。「拉致られたTAKIくんが生きてれば助けるし、死んでれば魂を受け継ぐ。どっちにしても太くていかつい金属バットをガツンだ……!」「や……やってやる」「ヤッテミンゾ!」
「やるぞ!」「ブッコロスゾ!」「チャメスゾ!」彼らは互いに叫び合い、胸を拳で叩いてテンションを上げていった。だが、その時!「ぜ……絶対にダメよ!」奥から出てきたのは病気で蒼い顔をした、TAKIの妹のコトブキだった。「そんな事しても兄さんは喜ばない……!」若者たちは顔を見合わせる。
TAKIくんの店を手伝うコトブキは病弱だが朗らかな笑顔でキタノのフッドのマドンナだった。ザカリーはしかし、怒鳴り返した。「じゃあ、コトチャンはTAKIくん殺されても黙って諦めろってのかよ!」「俺らオタクだけど、こ、このままじゃキタノの先輩の伝統が潰される」カキオが震えた。「そうなりゃ、キタノのストリート・ルールはおしまいだ」
TAKIは華厳の滝のように雄大な性格によって、他のフッドの者達にさえ一目置かれる存在だ。揉め事があれば呼ばれて出向き、穏やかに調停し、ネオサイタマのストリートの秩序の安全弁として働いてきた。キタノの若者が弱くても一定の勢力を維持できているのは、ひとえにTAKIくんの人徳によるのだ。
そんな彼が……拉致された。
TAKIくんを拉致したのは、薄紙のようにバランスが保たれていたストリートに突如現れた邪悪なる集団「志麻名我シ(シマナガシ)」だった。闇社会をバックに持つとされるリーダーの千葉a.k.aMCクロスカタナは、手っ取り早く悪名を轟かせるべく、誰もが愛するTAKIくんを毒牙にかけたのだ……!
ケツモチの存在をほのめかす黒漆塗りのヤクザリムジンでビデオタキにやってきた千葉は、双子の兄弟めいて恐ろしいクローンクルーを動員し、平和にサイファーしていたキタノの彼らを人質に取る形で、TAKIくんの身柄を押さえた。(オレが行く。だから頼む。こいつらには手出ししないでくれ……!)
「兄さんは……皆に犠牲になってほしくないから……!」コトブキは泣き崩れた。「だ、だけど……このままじゃ!」ジャッキーは悔しがる。万事休す!
……その時だ。「誰だ!」「チャメスゾ!」サブロたちオタクが、ふらりと敷地に入ってきた若者に反応した。「マ……」コトブキが目を見開いた。「マスラダくん!?」
「ああ。悪い」マスラダは頭を掻いた。「ここぐらいしか、知ってる場所がなかった」「ウ、ウワアーッ!」コトブキは様々な感情がない混ぜになってマスラダにしがみつき、泣いた。ザカリー達は困惑と少しの嫉妬でマスラダを見た。「誰?」「コトチャンの知り合い?」「し、知らねえ奴だ……!」
「でかい声が、そっちの道まで聞こえてきたぞ」マスラダはコトブキを落ち着かせると、彼らを見渡した。「事情はだいたいわかった。……おれに任せておけ。TAKIくんには個人的に恩がある」「エ!?」「急に何だよ!?」「チャメスんですけど!?」「マスラダくん、そんな……出所したばかりで、また」
「また塀の中に戻るつもりはない」マスラダはコトブキに首を振った。「今度戻れば少年院じゃなく、オニガモン刑務所だしな」「どうするつもりだよ!」サブロがバットを振り上げた。「やらなきゃやられるんだよ!」「よせ」マスラダはバットを掴み、ねじった。「ラッパーは、ラップで戦う」
◆◆◆
ZOOM! ZOOM! ZOOM! トコロザワ区のナイトクラブ「筋」! まさにその筋の闇組織との繋がりを暗喩するかのような屋号をネオン煌めかせる漆黒建築物は今、宴たけなわ! 駐車場にはブートレグ売りやTシャツ売り、デモテープ配りやラップ・オタク、プッシャー、ホットなレゲエダンサー娘が列を為していた!
エントランスでは黒服のクローンクルーがガッチリとセキュリティ警護し、運転免許証等の写真付き生年月日確認公文書を必ず確認し、ボディチェックも厳重に行う。「ザッケンナコラー……カラーコピーだな!」「アイエエエ! だってシックスゲイツ見たいんだよ!」「帰れ!」年齢確認厳重!
入念なエントランス・チェックをくぐり抜けたキッズ達は喜びに顔を輝かせて薄暗いホールに入ってゆく! ズム、ズム、ズム……オープニングDJがラップ・クラシックでフロアを温める中、ステージ上には一人また一人と、カリスマティックな影が現れ始めた。志麻名我シの精鋭クルー「シックスゲイツ」だ!
プアプアープアー! 効果音が鳴り響くと、キッズが歓声で応える。「YOYOワッツアップ、シックスゲイツ・インダハウス! こン中に今夜限界まで楽しみたいッて奴はどんだけ居ンだよ!」MCガーランドが煽ると、キッズの歓声はさらに増す。隣にはMC公家。「イェー、イェー」悠然と歩きながらマイクチェック。
プアプアープアー! シックスゲイツはその名に反して七人で構成されるクルーだ。他にはMCヘヴンリイ、MCオフェンダー、MCヒュージ、MCソニックブーム、そしてリーダーのMC千葉a.k.a.クロスカタナ。だがステージ上の頭数は7人に留まらない。30人ぐらいのタフなクルー達でごった返している。
彼らはビートに乗って身体をゆらすが、特に何かをするわけではない。ステージ上に沢山存在している事が大事なのだ。MC千葉はスポットライトの下、銀髪と冷たい美貌で大入りの会場を見渡す。そしてステージ袖を。「フン……」袖には彼の父が派遣したお目付け役、荒木がおり、厳しい目で見守っていた。
MC千葉の父、老元寛はネオサイタマにその名を轟かす恐るべきヤクザであり、闇組織「ソウカイ・シンジケート」の首領、闇社会のドンである。千葉はゆくゆくは組織の後継者となることを運命づけられていた。ヤクザとなる前から、ストリートの悪のカリスマとして申し分ない存在に上り詰めねばならない。
邪悪ラップレーベル「志麻名我シ」の立ち上げ、邪悪クルー「シックスゲイツ」のアルバム・デビュー、そしてこの邪悪クラブ「筋」の落成、そしてTAKIくんの拉致……それらは全て遠大な闇支配計画の一環なのである!
「ハーコー野郎ひきずって転がす」「拉致ったワックの額に焼印」「イキがるフェイク野郎のセーフティパス破る」「オタクに不良、俺ら前にすりゃ五十歩百歩」「要は志麻名我シ慈悲は為し」容赦なきマイクリレー!
MC千葉は進み出る。他の六人が積み上げたリリックに悠然と進み出、それを収穫するのだ。「YOここはネオサイタマ、モラル速攻忘れな、さもなきゃバビロンにナメられてダシガラ、志麻名我シ慈悲は無し!」冷たく支配的なフロウ! ステージをうろつく30人超のクルー! キッズ達は熱狂!「ワオオーッ!」
「こン中に無慈悲を見たい奴どんんだけ居ンだよ!」MCガーランドがキッズを煽った。「ワオオーッ!」全員が手を上げ下げする! MCヘヴンリイが上から垂れ下がる鎖を掴み、力任せに引きずった。すると、プアプアープアー! 鎖の力でゆっくりとステージ奥で起き上がったのは……巨大な十字の磔台である!
プアプアープアー! スモークが炊かれ、光に照らし出されたのは……力なくうなだれた金髪の男!「た…TAKIくん!?」「TAKIくんだ!」どよめくキッズ。逞しく大柄な身体とどこか物悲しげな青い目で知られるネオサイタマのストリート賢者が今、無残に打ち据えられた瀕死の姿で磔台に縛り付けられていた。
「知っての通りこいつはTAKI……フェイクなストリートの象徴」MC千葉は冷酷に語った。フロアが静まり返った。「馴れ合いのシーンは要らない。志麻名我シはリアル。今日のパーティーを以て、リアルがフェイクを公開処刑し、新たなネオサイタマのストリート秩序を作り出す」「嗚呼……」どよめき!
30人超のクルーはステージ上をうろつき、観客を煽ったり肩を組んだりしながら、少し不安げに目配せした。MC千葉以外のシックスゲイツも、どこか落ち着かないアトモスフィアを一瞬漂わせた。だがMCオフェンダーが甲高い声でマイクに叫んだ。「千葉くん! 早くフェイク野郎がブザマに死ぬの見てェよ!」
TAKIくんの磔台はその場の者達に死と破滅と暴力を明確に印象づけた。それは決して諸手を挙げて賛同できるものではない。だがシックスゲイツの中で特に悪い噂が絶えないMCオフェンダーはボルテージを高めていた。その凶暴性が他のクルーに伝わり、観衆に伝わり、アトモスフィアは過熱してゆく……!
「コロセー! コロセ! コ・ロ・セ!」「コ・ロ・セ!」「コ・ロセ!」プアプアープアー! プアプアープアー! ズームズームズーム! 激しい重低音が鳴り響く。「筋」の最強のサウンドシステムが、狂騒を、これから始まる名状しがたい残虐ショーを煽り立てる!「YOまずは一番手この俺MCオフェンダーだ!」
ズームズーム!「偽善者そのじつ媚びへつらいの人生観! スカッとしたか? 剥がしてやるぜ面の皮!」ワオオーッ!「YO次はこの麿、MC公家インダハウスYO、滲み出るリアルそれは麿が撃ち出す機関銃」ワオオーッ!「お前ら耳かっぽじって聞け、俺がMCヘヴンリイ、ナメたやつはとにかくブッ殺すつまりTAKI」
ズームズーム!「俺がMCヒュージ! TAKIはまるで風紀委員、解散してやるぜその衆議院、暴力が俺のルーティーン」ワオオーッ!「ドーモ俺様がMCソニックブーム! ナメ過ぎなんだよ大人のルール、志麻名我シこそがキングメーカー、わからせてやるよドグサレが!」ワオオーッ!
恐るべきサイファーが磔台の瀕死のTAKIくんを責めさいなむ。彼は言葉を発する事もできず、ただ弱々しく呻き、ステージ上の狂騒を眺めるしかない。磔台の下には寿司とテキーラがあり、MC千葉は見せつけるようにそれを愉しんでいたが、やがてリレーに再び応えるべく、冷徹にマイクを手に取った……。
「YOYO」
「!?」MC千葉は訝しんだ。そのYOYOは千葉が発した言葉ではなかった。ステージ上を特に何もせずうろつく30人超のクルー達の中に、彼の部下ではない不審な存在が一人混じっている事を、彼の帝王の目は一発で見抜いたのだ。マイクはそいつだ!「壁の中で再び生まれ、そして今おれ、まさにここに立つ」
30人超のクルーのなかで、彼の周囲にいたMCレッドゴリラとMCセンチピードが声を荒げ、暴力でその者を排除しようとした。「よそ者テメッコラー!?」しかしその者は目の前にマイクを掲げ、決断的に言った。「事情などどうでもいい。おれはマスラダ。ライムする為ここに参加。ただ吐き捨てるポエトリー」
「グワーッ!」「グワーッ!?」MCレッドゴリラとMCセンチピードは雷に打たれたような衝撃を受け、痙攣しながら後ずさった。何故か? 少なくとも、諸君がニンジャであればわかる。ニンジャがライムしグルーヴが生まれれば、それを暴力で止めるのは不粋の極みであり、物理的に拒まれてしまうのだ。
そう。その瞬間、MC千葉a.k.a.クロスカタナは……そしてシックスゲイツのラッパー達は即座に理解した。既に戦いは始まっている。ラッパーがラップで挑まれれば、当然ラップで応えねばならない。古事記にも書かれている。ステージ上、彼らはマスラダを円陣包囲した。……バトルが今、始まった。
後編
(読者諸氏:通常のラップのバトルでは、ビートを止めずに8小節を交互に2~4回やり、その結果を審査員投票や客の声援の大小、もしくはその複合で決着する仕組みである。ただし今回それをそのままやると今日中に終わらない量になるので、芸術上の表現において適切に省略される)
「ハアーッ! ハアーッ! な、なんとか入れた!」ザカリーとカキオはフロア後方をじりじりと移動し、他の客たちの間をうまくすり抜けながら、ステージがしっかり見える位置に行こうとした。途中、自然愛好家チームのサイゴン・ネイションやハイテク機材が自慢のKATANA等、他のクルーの強面も見かけた。
謎の闇のレーベル「志麻名我シ」の伸長は、日頃からシノギを削る各地域のラッパーにとっても無視できないマターなのだ。ザカリー達は恐ろしいMCフォレストやMCユカノの前を何食わぬ顔でなんとか通過し、KATANAのMC氷川もやり過ごした。そしてステージ……「た……TAKIくん!?」「そしてマスラダ!?」
彼らは息を呑んだ。磔刑に処されているTAKIくん。なんたる惨たらしい真似を!? 悔しさとみじめさに彼らの頬を涙が伝う。だが今、TAKIくんとコトブキの旧知の存在らしきあのマスラダという男が、磔台とDJブースを前に、シックスゲイツのMCオフェンダーと対峙しているのだ!「あいつ! バトルするのか?」
「な、何て事だ」カキオがずれた眼鏡を直した。「MCオフェンダーは、ひ、日頃から女衒行為や振り込め詐欺、脅迫や恫喝と何でもありのハスリングで恐れられているMCじゃないか。な、何をされるかわからないよ」「だけどマスラダ、落ち着いてる。きっと勝算があるはずだ」「クソ……俺達が強ければ」
「YOYO、そしたら先攻後攻を決めるジャンケンをしてくれ」レフェリーを務めるのは、その場に居合わせた一応中立的なビートボクサーのMrモモジだ。MCオフェンダーはマスラダに顔を近づけて威圧したが、マスラダは動じない。「ジャンケン、ポン」マスラダが勝った。「後攻で」
「やった! 後攻取れたよ! 後攻有利じゃないか?」「い、一般的にはそうだ。なぜなら相手のディスを受けてそれに対応したアンサーを返していけるからね。だけど……」喜ぶザカリーの横でカキオが心配した。「懸念事項もあるんだ」ズムズムズムズム! ビート開始!「地獄へようこそ! 狩るぜその首!」
巻き舌の荒々しい大声のフロウでMCオフェンダーがマスラダに食らいついた。「まず言っとく! おめおめ後攻選んでるオメェ! 気持ちで最初から負けてンな! バトルに乗り込み後攻を取る! マジでくだらねえしダセえ! アーイ?」ワオオーッ! 客が湧いた。「アーッ」カキオが頭を抱えた。「これが不味いんだ」
「そうなのか?」「後攻を取る=積極性がなくてワック(ダサい)、そういう決めつけでマウントを取っていくんだよ! これは裏目に出たんじゃ……」やきもきするカキオ達を他所に、腕を組んで俯きながらじっと動かずMCオフェンダーのディスを聞いていたマスラダはスッと顔を上げた。そして反撃した!
「まずはお手並み拝見、丁重にもてなしてみれば、お前はセオリー任せの後攻批判、何億回も擦られたネタ、結局中身のないバトル・インターン。個性もなければフロウもなし。ただただ苦痛の8小節2回」ワオオーッ! 湧く観客! MCオフェンダーは殴られたようによろめいた。
「な、なんだって!? アイツ、ビデオタキで見たときにはあんなに寡黙だったのに……」カキオが慄く。ザカリーが感心した。「確かにお前がこうやって後攻批判のまずさを言うくらい鉄板のネタだもんな! それを逆についたんだな!」「マスラダ……やるかもしれねえ! TAKIくんとどんな関係だったんだ……」
ズキュズキュ! ブレイクのスクラッチを待ちかねたように、MCオフェンダーが食って掛かる。「俺はここでフッドをしょってる! 仲間の為に今ここに立ってる! 俺のこのバイブスにお前は跪く!」ズキュズキュ! 再びマスラダのターンだ。「フッドを背負う? またお定まりの言葉か。仲間の為にとお前は言う、じゃあ具体的な内容を訊く」
MCオフェンダーは目を血走らせる。まだビートが残っている。マスラダは一歩踏み込む。「借りた言葉に単調なフロウ。頭が高い下郎!」そしてTAKIくんを指差しながらしめる。「磔になったおれのマイメン、引きずり下ろす為、今ここで再見」ワオオーッ!「TAKIくんを助けるため?」「何者なんだ!」歓声!
「ア……」MCオフェンダーは呻き声をあげ、静止した。もはや決を取るまでもない。マスラダはシックスゲイツ最初の一人を降したのだ。「なんて奴だ……」ザカリーは震えた。「恐ろしいMCオフェンダーを言葉でやっつけちまった。ラップで戦うってこういう事なんだ……それを俺達は……金属バットだのカチコミだの……」
二人目に立ちはだかったのはMC公家だ。「おれはマスラダ。今すぐにあげろ白旗。誰の目にも明らかだ、この場の善玉悪玉が」「YOYO~アアーハァー」MC公家は驚くべき美声を張り上げ、場の空気を塗り替えた。古典発声!「即ち麿の能スタイル、麿の美技に酔うべし、下賤の者に作り出せぬフロウじゃ」ワオオーッ!
「アアーハァー、ハァー、アアアー」上下に複雑にうねる節回しと美声! ザカリーとカキオは不安に目を見交わす。だがそのときマスラダはやや離れた地点で、芝居がかった仕草で肩をすくめてみせる。MC公家はステージから客を真正面に見てラップすることに執心し、マスラダをもはや見ていないのだ。
「消費する小節で小規模の商売か。しょっぱいライブしたいならしょっぴかれるまで自由にやれ。CDの宣伝、どうぞご自由に」ワ、ワオオーッ! 客が湧いた。「性格が悪い!」カキオが舌を巻いた。「確かに自分のフロウに浸るのは筋が悪いが、それをセコいプロモ行為にまで引きずり下ろしてしまった!」
「ア……麿は……」MC公家のフロウにもはや自信の満ち溢れはない! またしてもマスラダの勝ちが決まった。マスラダは額の汗を拭い、ペットボトルの水を飲んだ。「大丈夫かな」ザカリーが心配した。「あと5人倒さないといけないんだろ。スタミナがもつだろうか」「し、信じるしかないよマスラダを」
そしてMCヘヴンリイ!「テメェ夜道であったら見てろよコラ。ボコボコにして骨とかも折る! わかってんのかコラ、おいコラ! 絶対に逃げンじゃねえぞ! 拉致る!」「それをされたマイメンが横に居る。おれはそれを知った上でここに来てる。お前は同じ話を繰り返すだけだ」「アアッ関係ねぇよ! 関係ねえ!」
マスラダは少しも恐れを見せず、真正面から、威圧するMCヘヴンリイを睨み返す。少年院で生きるか死ぬかの日々をラップで切り抜けたマスラダには、巨大な身体や暴力を売りにした相手など、そよ風にも等しい。「テメェ殺すぞ!」頭に血がのぼったMCヘヴンリイが殴りかかる!「イヤーッ!」拳を止める!
「やめろよヘヴンリイくん!」「まずいって!」「さすがにアレだよ!」ステージ上のクルーがヘヴンリイを押さえた。MC千葉は舌打ちした。「YOYO、ワンツーワンツー」マスラダは奥へ引っ張られて退場するMCヘヴンリイには一切興味なさそうにマイクチェックをする。恫喝が効いていないのだ!
マスラダは水をもう一度口に含み、深く呼吸する。(お前やるじゃねえか)芥ゴウシa.k.a.MCアナイアレイターとの監獄サイファーの記憶が去来する。(どこでラップなんか習ったんだよお前?)そう、あれは娯楽室に残されていた一枚の赤黒のレコードだ……。
レコードを再生したのは、暴力に明け暮れていた抜身のナイフじみたマスラダには単なる気まぐれに過ぎなかった。しかしスピーカー至近距離から吐き出されたソウルフルなビートが、彼の心を揺さぶったのだ。ニンジャのように鋭く力強く、行動する力に満ち溢れたソウルフルな……いわばニンジャソウル!
「テメェ……ベコボコにへこましてやりてェツラしてるぜ……!」MCソニックブームが拳をボキボキと鳴らしながらマスラダと向かい合った。マスラダはMCソニックブームの構築美の高いフロウとライムを正面から受けず、蛇革の靴と金糸ラメ紫のシャツを切り口に、悪趣味なファッションに矛先を向けた。
「2路線乗り換えた先の場末の商店街」等の具体的かつ徹底的なディスに始まり、聞いたものを一瞬困惑させる「ボードヴィル芸人」等の複雑な単語で煙に巻き、MCソニックブームを挑発した。当初は言いがかりに過ぎなかったはずの言葉が、抉った傷を押し広げるように深くしていった。ザカリーは震えた。
「お前のセンスには興味がねえ。俺は俺、俺が最高だ。それが俺のヒップホップ」「ならば、アレも最高か」マスラダはMCソニックブームの言葉を引き出し、返すターンで不意にTAKIくんの磔台を示した。「アレのどこがヒップホップ? 少なくともおれはそう思わない」「ウグ!」MCソニックブームは詰まった。
「要するにおれが言いたいのはそれ。己があるなら今すぐわかれ。ボスがおかしけりゃ遊んでる場合じゃねえ!」「ヌ……俺は……俺は!」MCソニックブームは膝をついた。シックスゲイツ達は歯を食いしばり、互いを見、それからMC千葉を見た。隣のMCヘルカイトが言葉を探した。「やっぱり不味いんじゃ」
「何がだ」「TAKIくんを暴力でチャメスってのは……ちょっと、正直引いちゃうッていうか。やっぱ、俺らヒップホップだし……ヤクザじゃないっていうか」「……!」MC千葉は怯んだ。舞台袖でお目付け役の荒木の目が光った。「イヤーッ!」「グワーッ!」MC千葉は扇子でMCヘルカイトを殴打!
「このッ! 俺がどんな思いを胸にのし上がろうとしているか貴様はわからんのか!」「グワーッ! スンマセン!」「ええい!」MC千葉はMCヘルカイトの顔を踏みにじった。「恐怖こそが最強のパワードラッグだ!」「千葉くん」MCガーランドが、肩に手を置いた。「コイツ許してやってください。反省してる」
「次はどいつだ」マスラダは淡々とマイクをチェックする。MCヒュージが向かっていく。ズクズク。レジデントDJは舞台袖の揉め事に困惑しながらビートを流す。「志麻名我シ、慈悲はなし……俺は……」精細のないフロウ。フッドがゴタついているせいで、ヒュージの魂が……ニンジャソウルが乗らないのだ。
しかも観衆は突然現れて勝ち続けるマスラダを既に大きく贔屓して見ていた。場の空気を受けてマスラダのテンションは更に上がり、フロウは冴え上がる。「TAKIくんは風紀委員じゃない。アイツはまるで滝、何でも飲み込む調停者」「滝……やや適切ではない気もするが、勢いがある!」カキオは頷いた。
しかもMCヒュージがサイファーで口にした罵倒をここで引用したのはテクニカルだった。言葉には責任が伴う。以前に吐いた言葉をもとに詰められればそれは鋭いダメージともなるのだ。「うう」朦朧状態のTAKIくんが呻き声をあげる。「待ってろTAKIくん、何人でもおれはやる!」マスラダ語気荒し!
「グワーッ!」MCヒュージが吹き飛ばされ、敗北した。MCガーランドが彼を受け止める。MC千葉は怒りに任せて扇子を折り、「もういいッ! 見ておれん。この俺が倒す!」自らマスラダの元に向かっていった。マスラダはもはや肩で息をしている。目を閉じ、呼吸を整える。「スウーッ……フウーッ……!」
MC千葉a.k.aクロスカタナは怒りとともにジャンケンし、後攻をもぎとった。水分補給するMC千葉の傍らに、舞台袖から遣わされてきた男がしめやかに近寄った。MCトラッフルホッグだ。「アイツの過去を素早く電子的に調べ上げました。聞いてくだせえ。アイツはガキの頃弱虫のいじめられっ子だったんでさ」
「何だと?」「コトブキっていう近所の女……ええと、TAKIくんの妹なんですけどね、その女がアイツを助けてね、いじめてた奴らにそのたび石を投げて追い払ったんでさ。奴は泣きながら後ろに隠れて…キキッ、とんだフェイク野郎じゃねえですか? アイツが少年院に入ったのも、何の事はねえ、タフな犯罪は実際してねえ。逃げた奴に罪をなすられたんでさ」
「……」「後ろに隠れているだけのチキン野郎ッてわけでさァ。少年院でもパシられてたに違いないですぜ、どう考えてもね! 今の少年院をシメてるのは芥ゴウシ、フダつきのワルですからねェ!」「……」「キキキ……千葉くゥん……荒木さんが見てる……お父さんに良いとこ見せねェと……俺も出世できねえよ……!」
「イヤーッ!」「グワーッ!」反射的にMC千葉はMCトラッフルホッグにチョップを食らわせ、ステージから蹴り落とした。そして再びマスラダと向かい合った。眉間に皺寄せ、MC千葉は策を練る。然り、勝つ為の策をだ! ズク、ズク、ズク、ズク! ビートが始まり、マスラダがラップを始めた!
「おれはマスラダ、レペゼン少年院のパシリだ!」「ぬグッ!」MC千葉は思わず怯んだ。マスラダは畳み掛ける。「やられてもやり返せない年齢一桁、しがみついたのは近所の子の背中、逃避したオリガミの中。しまいにゃしたてられた強盗犯、塀の中じゃ過酷な暴力の集団」
マスラダは先手を打って己を開示した。MC千葉に耳打ちするMCトラッフルホッグの目つきと仕草で相手の材料はだいたいわかっていた。そもそも、恥じるべき過去など、何ひとつなかった。彼はラップしながらセイシンテキの境地にあった。理不尽な運命の中でハリネズミめいて歪み、そしてラップに救われた。
赤黒のレコード。裏に書かれた真偽不明のサイン、MC Wasshoi。変わっていく同室の連中。変わっていく所内の連中……! 彼はただ、それを吐き出せばよかった。赤黒のレコードのイメージが背中に渦巻き、アブストラクトな存在が語りかけた。(((マスラダ……ラップすべし! そこに答えはある!)))
「全てがおれだ、それでいいんだ。信じろ、打ち込め、ただ突き進め、やれ、やっていけ。おれは言う、ただそれだけ。ただそれだけだ!」「グワーッ!」MC千葉は胸を押さえて後ずさった。鼻から溢れた血が床に落ちる。彼は己を強いて踏みとどまり、マスラダを睨みつけた。「YO……YO……!」
マスラダは頷き、ステップを踏み、手招きの仕草をした。MC千葉はマイクを握りしめた。「俺はMC千葉a.k.aクロスカタナ! 誰の名付けでもない俺のコトダマ! クソみたいな期待に負けてられっか、しゃにむに欲した恐怖と力! TAKIを潰して見せつける強さだ! だが……」……だが? MC千葉は自らを訝しんだ。
「俺は作った、志麻名我シ、俺だけの世界と、俺の店<筋>。ついてきた仲間、囲む同じ飯……それが……いつしか……」マスラダは無言でMC千葉を見据える。MC千葉のフロウはもはやフロウではなかった。それは独白だった。「俺の目的は親父の組織を継ぐ事……親父の目にかなう事……それが第一に」
「千葉くん」MCガーランドが呟いた。MC千葉は磔のTAKIくんを見上げた。「TAKIは最後まで仲間を庇ってた。クソダサいオタクだと俺は嘲笑った。ブチのめして……だけどTAKIは、他のやつの心配ばかりしてやがった……それで俺は……俺は、止まるわけにはいかなかった……俺は」「何故だ」マスラダが問う。
「お前には志麻名我シがあり、シックスゲイツがある。仲間がいてプロップスがある。なんでそいつらを破滅に引っ張ろうとする」「俺は……俺は……!」MC千葉は言葉を失う。マスラダは黙って待った。やがてTAKIの磔台を示した。「もう、いいか?」MC千葉は止めなかった。30人超のクルーも止めなかった。
「イヤーッ!」マスラダはカラテ・パンチで磔台の根本を破壊した。倒れてきた十字架からTAKIくんを解放し、そこにあった寿司を咀嚼させた。「しっかりしろTAKIくん。おれだ。帰ったぞ」「オレ……オレは……夢を見ているのか。それとも、ここがヴァルハラ」「おれはマスラダ」TAKIくんは涙をこぼした。
「千葉くん」MCガーランドがMC千葉のもとに歩み寄った。「俺らの負けだ」「……」「奴の勝ちだ。こッからまた、始めようぜ」「……クッ……」MC千葉は歯を食いしばり、かすかに頷いた。MCガーランドはMR.モモジに目配せした。モモジはマスラダの手を取り、上に挙げさせた。「皆! 勝者はコイツだ!」
「ワオオーッ!」「ワオオーッ!」固唾を呑んで見守っていたオーディエンスが湧いた!「認めんぞ! 坊っちゃん、アンタねえ、わかってんだろうなあ!」荒木が泡を吹いて舞台袖から走って来た。「キッチリと雑魚どもに恐怖見せつけて君臨してよォ、そうやって組長の目にかなうんだよォ!」「やめだ!」MC千葉は叫んだ。「くだらん!」
「な……!?」荒木はあっけにとられ、長い前髪をいじって我に返り、そして掴みかかろうとした。「アンタは組長の息子のワンオブゼムだってのに、調子乗るんじゃねえんだよォ! 俺はアンタのお目付け役! 他の息子どもは競争相手だろうがよ! アンタが負けてゴミになっちまったら俺の人生真っ暗なんだよォ! TAKIを殺さねェと!」チャカを構える!
「イヤーッ!」その瞬間、マスラダの手が動いていた。彼の背中に渦巻く赤黒のソウルがそうさせたのだ。手の速度が赤黒い風を生み出し、それは星型の飛翔物となって、荒木の手に突き刺さったのだ!「グワーッ!」取り落とすチャカ!「ザッケンナコラー!」「スッゾオラー!」クルーが荒木をチャメす!
「こんな……嘘だ……俺の出世……暗黒闇支配なのにーッ!」ボコボコにされた荒木はステージから投げ落とされ、興奮した観衆の上を、さらにボコボコにされながらクラウドサーフじみて押し流されていった。「ワオオーッ!」「ワオーッ!」湧きかえる観衆!「ゴーウランガー!」ジャンプするザカリー達!
「マスラダ……それは一体」TAKIくんが弱々しく彼に尋ねた。マスラダは少し考え、そして首を振った。「知らないし、ラップに関係ない」「フ……そうだな。お前……」TAKIは微笑んだ。「強くなったな」ペウー!ペウペウー!DJがファンファーレを鳴らし、観客が応えた。
Mr.モモジが呼びかけた。「つうわけでな、色々あったけどな、若い時は苦労を色々したほうがいいッちうワケよ。ほれ、お前ら、ほれ。ラップのバトルが終わったらノーサイドよ」彼はMC千葉とマスラダの手を取り、とりあえず握手させた。様々な困難が彼らを待つだろう。老元寛は甘くない。だが……今は。
ペウー! ペウペウー!「マスラダ、まずはウイニングラップせえ! それから、この場の全員でサイファー・タイムだでな!」ペウー! ペウペウー!「「ワオオオーッ!」」歓声止まぬなか、マスラダはマイクを持ち、咳払いした。そして……始めた。「YO、おれはマスラダ」
【ストレイト・アウタ・ネオサイタマ】
サイファーの光景にスタッフロールが重なりつつ、ここに終わる。
N-FILES:補足と設定資料集
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