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満月の夜。 俺は、足場の悪い山道を、六〇キロの袋を担いで歩いていた。事前に掘っておいた穴に到着する。穴の横に袋を降ろすと、鈍い音が響いた。 袋のファスナーを開ける。 ヘッドライトが死体を照らし出した。 若い男。 茶髪に、軽薄そうな顔つき。その右半分は、口径の大きな銃で撃たれたらしく、無くなってしまっていた。 この男が殺された理由――それは、俺の仕事には関係がない。俺はただ埋めるだけだ。 手袋をした手で、死体を担ぎ上げようとした。 その時。 男の残された
狭い独房で口をぱくぱくと動かす山ン本の姿は滑稽だが、傍らで首を掻きむしっている看守数名の死体があるなら話は別だ。心停止、自傷、出血多量。どれもが顔を青褪めさせ、年甲斐もなく失禁していた。 仲間にハンドサインを送る。銃は最終手段だ。今回はスカウト目的で、殺しじゃない。タブレット上の指示を改めて反芻し、ヤツの正面に立つ。 削ぎ落とした耳が疼いた。“暗殺怪談師”との交渉なら、俺たちが適任だ。壇ノ浦組が本家の赦しを得るには、このシノギを成功させるしかない。 『山ン本五郎か?
通学中の電車で痴漢を目撃した。侍だった。 白髪雑じりの中年男が、若いOLの身体を無遠慮にまさぐっている。 その行為を咎める者はいない。理由は、男が腰に佩いている刀だ。平民が侍の行為に口を挟めば、無礼討ちにされても文句は言えない。女性もそれが分かっているから、助けを呼ぶ事もできないのだ。 「やめなよ、おじさん」 凛とした声が車両の中に響く。 俺の隣にいた紅緒が、いつの間にか男の後ろに立っていた。止める間もなかった。 「なんだ、お前は──」 お楽しみを邪魔され
辺りを見渡す。ギリシア意匠の柱に臙脂色のカーペット、絵画、薄暗い照明、眼前の暗黒、果てには輪郭すら朧気なドア。 一歩、また一歩と近づく。耳のないゴッホが見ている気がする。エルドリッチでは無いはずだ。胸を押しつぶすような不安を息と共に吐き出すと、フィルターを通したくぐもった呼気が響き渡った。 トシュ、トシュと特殊スーツ越しの足音。喉から体内へ流れ落ちる唾の嚥下音。耳から響く心音。オレンジと白の特殊素材に包まれた腕は震えて、真鍮色のドアノブをひねる。 あっけなく鍵は
第二種殺しの免許保有者は、自動火器に加えてある種の爆発物と毒物も仕事で扱うことができる。おれはスイッチを握り込む。 ドアの蝶番が吹き飛んだ。 おれはご機嫌だった。全額前払いという好条件の救出任務を請けたのだ。それも指名で。調子に乗って一人でメインフロアに忍び込み、強襲をかけた。アサルトライフルとかサブマシンガンを撃ってくるやつらをすみやかに制圧して、神経質にあちこち巡る。救出対象はどこだ? 向こうで、誰かが手を振り上げている。投げナイフか、グレネードか。反射的に頭を
「ハロー、ミスタ・メルグ。私が依頼者のアンドレアよ」 米国、サウス刑務所、面会室。 手錠をかけられた女が、パイプ椅子に優雅に凭れていた。髪は金糸、肌は白磁、瞳は碧玉の様。その美しさに見合う笑みで私を見つめる。思わず心臓が高鳴り、視線が吸い込まれそうだ。 ――この笑顔こそ、女の武器。 これで女は、数多の男を魅了した。 そして無抵抗の男達を殺し、解体し、喰い散らかし……女は死刑宣告された。 寸での所で視線を逸らす。 私は最後の晩餐を振舞いに来ただけだ。 呑み
漆黒の雷雲は去り、瑠璃色に澄んだ空が広がる。 乾季のカトマンズを突如襲った局地的な落雷は、僅か十分間で千発を超えた。煉瓦造りの家々は崩れ、焦げた衣服を纏う人々が路上に伏す。千切れた電線の束から噴出した火花が、泥水に溺れ弾ける。 肌はおろか瞳さえ灼かれることなく、異邦人たちは平然と焦土を歩んでいた。 「良い撮れ高だ」 惨状を嬉々として写し続けるチャドの姿に、ギルは息を飲んだ。 「お前はどうだった?」 無邪気な声に促されるまま、ギルは撮り溜めた雷を見返した。寺院への直撃
山杉翠がたくさんの自分に気づいたのは、Vtuber【ベーン=ビー】の雑談配信を見ている最中だった。初めての高額スパチャを投入した時、画面に黄金の筋が走り、複数の投げ銭が行われた。最高金額だった。 「ベンちゃんありがと!」「いつもいつもいつもお世話になってるよ!」「前から疑問だったけどビーってなに?」「現出しました」「幹の人見てる?」 スパチャが流れる。最高金額を叩き続ける寄付の数は百に昇る。 「あ……みんな、ありがとね……」としかビーはいえなくなったが、スパチャは続
ピンポーン。 6度目のインターフォン。 やはり返事は無い。 (何が何でも親権を取るべきだった) 國谷巽はかつての我が家の前で額に汗を浮かべる。 協議の上、2か月に一度と定められた娘との面会日。 いつも同じボロボロのジャージ。 他の子に羨ましがられた長く綺麗な髪はボサボサで、枯れ枝のような両腕で覚束なくナイフとフォークを使い、「この前おとうさんと会ったとき以来」というハンバーグを口に運んでいた。 11度目。 巽は意を決し懐に手を伸ばす。 娘がこっそり
想像を絶する景色が広がっていた。青と黒。地球の大気層と、宇宙が織りなす壮大なるコントラスト。地上百キロメートル。概念上の地球と宇宙の境界線――カーマンライン。 そこにあるのは静寂、そして高揚だった。 軌道エレベーターに設置された「飛び込み台」の上。来栖紫苑と真空とを隔てているのは、特殊な宇宙服のみだった。管制室からの情報がバイザーに映しだされ、通信が隣に立つ男の声を伝えてくる。 『僕らに相応しい光景だ』 そう呟く男の横顔は美しく、バイザー越しでも眩しかった。
格付けは、済んだ。 第三世代夢鯨が魚群に食い尽くされていく。 「今……しかなイ…瞬間ヺ……」 若年層向けローン広告のフレーズを言い終えぬまま、夢鯨は消滅した。 「うーむあの第三世代を完全排除とは……」 「デカいのが取り柄ならバラバラにして砕く、簡単なアプローチですよ」 「いやぁよくやってくれた。このピラニアの発表で株価は急上昇だな」 社長が笑顔で俺の肩を抱く。アドブロックの開発ベンチャーは数多あるが、第三世代夢広告の完全排除はうちが世界初だ。 「大学仲
倉庫を整理していると、隅に耐火布の被さった小山があるのに気づいた。 近くで札束を数えているボスに訊いてみると「軍の放出品、年代モノ」というので、布をはぐると、巨人が喰うような鉄色のピーナッツが二本足で立っていた。 6発の銃弾。 戦闘服の装甲は滑るように受け流した。 真っすぐ伸ばした左腕の先、砲口が赤い火柱を噴いて、弾を撃ち尽くしたボスの腰から上を、後ろの壁まで丸く抉るように溶かした。 メカオタクを拉致したまぬけ。 自分の顔がニヤけているのに気づく。嫌な感じがし
そり立つ壁に挑む48番の義足が爆散した。ジェット噴射の使用は定石だが、出力制御を失敗しては無意味だ。 義体の破損は即失格となる。コースの床が抜け、48番は1stステージ37人目の犠牲者となった。 控室のモニターを前に、選手たちは猛々しい歓声を上げた。最先端の全身義体さえ買える大金を得るのは、完走者唯一人。サドンデスの脅威は少ないに限るが、結局JIRAIYAは己と戦う競技だろう。彼らは理解しているのか? 「本家で見た顔だな」 喧騒から離れ屈伸していると、53番の伸縮
サクラメント市警は善良な一般市民には無害である。 ──本当だ。 「ご協力感謝しますベックさん。ではこちら免許証で」 丁寧にこちらへ免許証を返す。 ──こちらは嘘だ。 僕はベックという名ではないし、1980年7月12日生まれでもないしカンザスにも住んでいない。 もちろんこんな大型トラックのライセンスなんて持っちゃいない。 「失礼ですが荷台には?」 「牛肉だよ。ファイター・タウンまで」 ──これは嘘ではない。僕は牛肉を積んでサンディエゴへ向かっている。