シェア
満月の夜。 俺は、足場の悪い山道を、六〇キロの袋を担いで歩いていた。事前に掘っておいた穴に到着する。穴の横に袋を降ろすと、鈍い音が響いた。 袋のファスナーを開ける。 ヘッドライトが死体を照らし出した。 若い男。 茶髪に、軽薄そうな顔つき。その右半分は、口径の大きな銃で撃たれたらしく、無くなってしまっていた。 この男が殺された理由――それは、俺の仕事には関係がない。俺はただ埋めるだけだ。 手袋をした手で、死体を担ぎ上げようとした。 その時。 男の残された
白石瓜生の数年ぶりの帰郷は、水深20メートルの湖の中だった。 陽光は遠く、深く暗い湖中の中。ダイバースーツに内蔵された水中ライトが、懐かしい実家を照らした。窓が開いていたので、彼は二階から入り込んだ。かつての己の部屋であった。 散乱した室内を想像していたが、予想に反し、ほぼ記憶のままの光景がそこにあった。ベッドがあり、机があり、本棚がある。それらを目の当たりにし、白石はようやく自分が帰ってこれたのだと実感した。 大学生三年の夏であった。大地震と土砂崩れ。度重なる
地獄の灼けた風の中、スカートのはためきをギギは感じる。今やこのセーラー服すら、親方との絆の拠り所だ。 身の丈3m、鶏頭の鬼が向かい来る。ギギは身を屈め、鬼の股下をすり抜けた。そして脚に組み付き、後ろへ倒れながら投げた。親方直伝、スープレックス。灰色の大地に、赤銅色の巨体が衝突した。 ギギの脳裏に親方の記憶が蘇る。強烈なラリアット。温かい握手。鬼祓いショーの日々。優しい親方は、人類と地獄が開戦した日、書置きを残して消えた。 「俺が祓ってくる」 鶏鬼が身を起こす。
三日前に起きた月の消失に、吸血族はむしろ困惑していた。夜の一族と呼ばれてはいるものの、視界は光源を頼っている。獲物の血が吸いにくくなり、不利益しかなかったのだ。なのに彼女は、事もなげにこう言った。 「月光って要は反射した日光でしょ? チクチクしてウザかったのよね。だから食べてやったの」 一族が処分を決めかねてる間に、彼女、ルナギアは忽然と姿を消した。果たしてどんな手段で宙を渡ったか、いかなる手段で月を消したのか。それらが不明なまま、今度は太陽が小さくなり始めた。星見の
我が家は母ひとり子ひとりだから、ずっと父親が欲しかった。 運動会や授業参観、叱られた友人の愚痴すら羨ましかった。 だから、九つのとき、初めて行った夜市で沢山の父が売られているのを見たときは本当に嬉しかった。 脳が痺れる甘い煙と香具師のがなり声が漂う蝦蟇通りの夜市で、母に手を引かれながら露店を見て回った。父屋の前を過るとき、母は手の力を強め、足を速めた。 でも、檻の中のひとりと目が合ったとき、必ず自分の父にすると心に決めた。 それからは新聞配達から赤子の世話までして金を稼
通学中の電車で痴漢を目撃した。侍だった。 白髪雑じりの中年男が、若いOLの身体を無遠慮にまさぐっている。 その行為を咎める者はいない。理由は、男が腰に佩いている刀だ。平民が侍の行為に口を挟めば、無礼討ちにされても文句は言えない。女性もそれが分かっているから、助けを呼ぶ事もできないのだ。 「やめなよ、おじさん」 凛とした声が車両の中に響く。 俺の隣にいた紅緒が、いつの間にか男の後ろに立っていた。止める間もなかった。 「なんだ、お前は──」 お楽しみを邪魔され
人間生きていれば誰しも全力で誰かにラリアットしたい時ってあるよな。間違いなく今がそうだ。 ここは廃ビルの屋上。何ならフェンスの外に立たされており、もうすぐ落下コース間違いなしだ。しかしその前に、俺の背後にいる半グレだか全グレだかを片っ端からラリアットして一足先にビル下のアスファルトに叩き込みたい。その上で俺の自由意思で自由落下し、先に落下したグレグレ達を緩衝材にして無傷生還を決めたい。決めたいのだ。 そう思ったら頭より体が動き出してしまう。俺の両手は腰の後ろでがっつり縄
「娘を返せ!ここにいるんだろ!」 森から飛び出した男が鷹の襟首を掴んだ。目は血走り、顔は赤かった。 「落ち着いてくださいよ。森で娘さんとはぐれたんですか?この道真っすぐ行くと村があって交番もあるんで行きましょうよ」 鷹は突然の事態にも人懐っこく笑いなだめようとする。 見た目は40代ほど、縞模様の長袖にジーンズ、やせ型。変なおっさん相手に鷹も気の毒である。 笑いながら鷹は僕に目線を送った。一人でもできるのに……だがこう頼ってくれてうれしい。 男が後ろに注意を向け
眠くて仕方がなかった。 秋分祭の最中は誰も寝てはいけない。〝極輝夜〟に眠れなくなってしまうから。 祭りの三日目は誰も彼もがへとへとで、片付けもせず正午になると皆家路を急ぐ。そして床に就くのだ。 弟の泣き声がした。母に抱かれて微睡んでしまい、父が叩き起こしたらしい。懐かしい。僕もやられたっけ。 「極輝夜に起きていると、月に連れ去られてしまうのよ」 母が泣く弟をあやしながら言った。僕は弟の頭を撫でてやった。 その夜、弟は消えた。 父は村で革職人をしていたが、それ以来
「早よせぇや、代わりにお前ら埋めてまうぞボケッ!」 廃寺の欄干に腰を下ろした兄が罵声を飛ばすと、明が舌打ちをしてスコップを地面に突き刺した。隣で同じく穴を掘っていた俺が「やめとけや」と忠告するより先に兄が明へと詰め寄る。 「何や」 「いや……なんで一番の当事者が後ろでふんぞり返ってんのかな、と思って」 しばしの沈黙の後、鈍い音とともに明が土の中へ顔を突っ込んだ。兄の殴打によるものだと気付くより先に、倒れた明を目掛けて白い革靴の先が何度も突き刺さる。 「兄貴、マズいって!
職安通りの交差点で、ユキオは今日の獲物を決めた。 顔に龍を彫った半グレが対岸から歩いてくる。肩で風切る仕草は高揚感の表れだ。パンツの右ポケットの膨らみは現ナマを詰めた財布に違いない。 それを盗る。 まずは歩調のテンポを盗む。BPMは112、一秒間に二歩足らずのペースを正確に刻んで接近する。 次に呼吸。雑踏に耳を澄ませ獲物の呼気を聴き分ける。自信有りげな深めの息吹を寸分違わずなぞり尽くす。 そして、心。表情と仕草から推測する。 ナイフじみた眼光とそびやかす肩、威嚇
第二種殺しの免許保有者は、自動火器に加えてある種の爆発物と毒物も仕事で扱うことができる。おれはスイッチを握り込む。 ドアの蝶番が吹き飛んだ。 おれはご機嫌だった。全額前払いという好条件の救出任務を請けたのだ。それも指名で。調子に乗って一人でメインフロアに忍び込み、強襲をかけた。アサルトライフルとかサブマシンガンを撃ってくるやつらをすみやかに制圧して、神経質にあちこち巡る。救出対象はどこだ? 向こうで、誰かが手を振り上げている。投げナイフか、グレネードか。反射的に頭を
#逆噴射小説大賞2024 異形(いぎょう) 【787字】 川端に白い酔芙蓉の花が咲いている。その白い花に白い蝶が遊んでいる。 白い蝶に誘われるままに、僕は乾いた石の橋を渡った。 少し坂になった凸凹の未舗装の道の側にはすべての面がトタンでできた箱ような家がいくつも並び、みな同じ時を経たように錆びていた。 人の気配はない。 ここには住めない。直観的にそう思わせるのは、きっと開口部らしきものが見当たらないからなのだろう。 蝶が立ち止まった。その青いドアを押し開き、扉を潜る
僕は扉を開けて教室の中に入った。 教室の中には赤い夕陽が差し込んでいた。光と闇の、極端なコントラストだった。僕は目を細める。 窓際の席に知らない制服を着た少女が座っていた。他には誰もいない。 僕は彼女に歩み寄る。 彼女の髪は短かった。右手に剃刀を持っているのが見えた。ああ、手首を切っているのか。 「へい」近づき、声をかける。 彼女は僕を見た。泣いていた。僕は笑った。 「なんで女の子って、手首を切るんだ? 何の意味が?」 「……髪がなくなったから、手