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鱈野エビスは息を呑んだ。 横断歩道の向こう。桜並木に一人の少女が佇んでいる。桜舞う春の風に吹かれながら、少女の髪は艶めいて見えた。その凛とした佇まいは神々しく、畏敬の念すら抱かせる。 平等院鳳子。 私立夢殿学園のアイドル……いや、カリスマ。 エビスは高鳴る胸を押さえた。チャンスだ。ようやく二人きりになれる。下校時のこのタイミング。今なら鳳子の取り巻きはいない……だから。 やつを、殺せる。 鞄に隠したナイフを握りしめ、エビスはゆっくりと歩を進めた。 俺は知っ
「やめた方がいいよ」 隣を歩く少女は、そう言って顔を覗き込んできた。長い金髪が揺れる。 クリスマスの夜。大通りは、カップル達で溢れている。 行き交う人の中で、少女の姿は浮いていた。バニースーツを着ているのだ。どう考えても屋外で着る服ではないだろう。 だが、通行人達が彼女に目を向ける事はなかった。 何故なら、彼女は俺が脳内で作り出した幻覚だからだ。 「向いてないよ、蓮には、殺し屋とか」 幻聴。この言葉も、俺にしか聞こえない。 少し前から視える様になった、スト
空港のバックヤード、冷たい床を背に、腕に渾身のチカラを込めて、俺はチュパカブラの首を締めていた。 なんだってチュパカブラの首なんか締めているのか? 仕事だからだ。 俺は税関職員だ。といっても、一般にイメージされるような薬物取締はしていない。空港に運ばれてきた動物が輸入禁止のものでないかチェックするのが俺の仕事だ。基本、イヌネコと書類を適当に眺めるだけ。 だが、違法な動物を運ぶやつもいる。カワウソのような希少動物、危険なコモドドラゴンやユニコーン、殺人ビーバーを密
白い息を吐いて、1杯では値段もつかない安酒をあおる。とうてい酔えないこれは地下墳墓の探索のお供に相応しい。石造りの不潔で不気味な通路をひとり歩く。ときたま同業者か化け物の物音が彼方から聞こえてくる。骸骨はカチャリ、ゾンビはベチャリ。ただし、レイス……救い難き悪意に満ちた魂の怪物からは、何も聞こえない。寒気だけが奴を感じる唯一の手掛かり。だから安酒で暖まり感覚を研ぎ澄まさなければならない。 長い通路の最後に行き当たり、腐った木の扉を静かに開ける。蝶番の軋む音が響くが、化け物ど
「クリスマスと正月がいっぺんに来た気分だぜ……」 メタルかなにかを熱唱する爺さんの傍らでおれは呟くが、鐘みたいな歌声にかき消されて自分の耳にも届かない。クソダサいセーターに赤白の帽子。薄暗いカラオケルーム、ディスプレイに照らされて濁る色。 彼だけがマイクを握って、もう十曲ほど歌っただろうか。その歳で随分パワフルな声が出せるものだ、場違いな感心を抱きながらそのさまを眺めていると、爺さんは初めておれに向かい合う。 「ここに呼んだのは他でもない、わたしの橇について話すためだ
黄昏と夜とを別つように、丸みを帯びた有機体が西の空へ堕ちてゆく。 対龍迎撃専用飛空挺。 その格納庫に並んだ九つのケージから〈猟犬〉と呼ばれる対龍種強化型外骨格に身を包んだ一団が宙に放たれる。 エイリアンさながらのつるりとして鏡面めいた黒い頭部、棘の生えた獰猛な四肢。そして咒詛防御仕様の刻印済甲冑が全身を覆っている。 視界は良好、ノイズも許容範囲。 僕らは速やかに〈灰の坩堝〉を降下して此度の厄災の震源地ーー虚龍の巣へと近づいていく。 僕らに名前はないが識別
身の丈七尺の大柄。左肩の上には塵避けの外套を纏った少女。入唐後の二年半で良嗣が集めた衆目は数知れず、今も四人の男の視線を浴びている。 左肩でオトが呟いた。 「別に辞めなくたって」 二人は商隊と共に砂漠を征き、西域を目指していた。昨晩オトの寝具を捲った商人に、良嗣が鉄拳を振るうまでは。 「奴らは信用できん」 「割符はどうすんの」 陽関の関所を通る術が無ければ、敦煌からの──否、海をも越えた旅路が水泡に帰す。状況は深刻だった。 口論が白熱する最中、遂に視線の主達は姿
まずカメラが回復する。 青空と暗黒雲海。 意識のタイムスタンプを確認。断絶は数秒間。 身体ダメージ診断・軽微。武装・レーダー使用不可。カメラは生きている。 友軍機反応、識別名『エフティー』。800m後下方。後輩の僚機。 インパクト前に入っていた通信の復号完了。ミサオから。《準備完了。北倉庫の地下15階で。妨害警戒》 現在通信機故障。 ブロンソンはエフティーに向け友好的にアームを振る。 エフティーからミサイルが放たれる。 ブロンソンはコンマ遅れつつ撹乱チャフ
2025年、夏。 ついに西塚市の犯罪率が120%を超えた。 原因は明白で、10年前、政府は治安維持のため西塚市を犯罪特区に指定し、以来、凶悪犯罪者をこの街に送り込み続けたのだ。おかげで市の年間死者数は50万人を超え、毎日どこかで死体の山が見つかる。 「………」 そこは西塚市役所。 その一室にいる、1人の男。 小木曽正平、現市長である。 彼は疑問に思う。 なぜ、どうしてこうなった? 彼はこの街で生まれ、この街で育った。昔は死体なんてどこにもない、普通