シェア
時間が無い。早く殺してあげなければ。 俺の全身を包む特殊作業服を、その思いと熱気とが満たしていた。 満島六郎。79歳。推定、ベッドで急死。 満島栄子。74歳。同、転倒し頭部を強打、死亡。 問題なのは、寄り添う様に死んだ彼らに隣人が気付くまで半日要したことだった。 「白化、始まってますね」 「ああ。マズい」 俺は六郎氏の頭部にスキャナを当てる。死後17時間。危険域だ。頭全体を白い光が覆い始めている。残念だが死を悼む暇はない。 「夫さんは緊急処理を行う」 「
柔い背に刺棒を挿れる度、琉の華奢な身体は悶え、施術台を微かに揺らす。 額の汗を拭い、俺は慎重に輪郭線を彫る。 もう後戻りはできない。 深呼吸。顔料の鈍い香りで気を静めると、十年来の教えが脳裏に蘇る。 「尋、邪念は敵だ。心が絵に表れる」 師匠は姿を消し、人の背を切り刻む悪鬼へ堕ちた。 発端は、俺の背が青く染まった日。 ◇ 一週間前。幾年も耐え忍び待ち望んだ独立の記念に、俺は自作の下絵を彫るよう願った。青き憤怒尊、不動明王。師匠の十八番を。 心は絵に表れる
壁に埋め込まれた時計がやかましく騒ぎ立てている。朝の7時。日付を日曜に戻したい気分を払いのけ、角のとれた安っぽい四角い窓から外を見る。途方もない真っ黒な空間で巨大な恒星が赤い有毒光を放っている。味気ない景色だ。 気分を変えるためコーヒーを淹れよう。お気に入りのマグカップ、熱い湯気と良い香り、程よい苦みを感じれば落ち込んだ気分も少しはましになる。 「おはよう! 良いお目覚めかな」 天井のハッチが開き、四角くて油っこい顔が覗いている。船長のリンキーだ。あの顔は目の前の窓
身の丈七尺の大柄。左肩の上には塵避けの外套を纏った少女。入唐後の二年半で良嗣が集めた衆目は数知れず、今も四人の男の視線を浴びている。 左肩でオトが呟いた。 「別に辞めなくたって」 二人は商隊と共に砂漠を征き、西域を目指していた。昨晩オトの寝具を捲った商人に、良嗣が鉄拳を振るうまでは。 「奴らは信用できん」 「割符はどうすんの」 陽関の関所を通る術が無ければ、敦煌からの──否、海をも越えた旅路が水泡に帰す。状況は深刻だった。 口論が白熱する最中、遂に視線の主達は姿
ダニーは腰を上げた。襟を正し、息を吐く。 若き弁護士が特例として囚人に代わり、仮釈放を訴えかける。 「皆さんはこう思っているでしょう。なぜこの男は、邪悪な宇宙人の肩なんか持つのだろうと。なぜなら、私は彼が悪人ではないと信じているからです。確かに彼は、60万の地球人を虐殺しました。しかしそれは300年も昔の話です。なによりあれは事故だった。彼にとっての軽い挨拶が、不運にも多くの人間を熱滅させてしまった……それを深く後悔しているからこそ、彼は終身刑三回分の期間、服役したので
「逆噴射だ!」 艦長の命に従い、総舵手がスラスターを起こした。 404基の炎筒が、火を吹いて闇を裂き、ハイパーウェーブが巻き起こる。 だが、KSエンジンのパワーをもってしても、強大な引力を引き剥がせなかった。 I・E(インフィニット・エクスペリエンス)号は、暗黒の海に浮かぶとある惑星へと引き込まれてゆく。 ――…… 墜落から一週間が経った。 あくまで我々の基準時換算で、だが。 私達は、高度な文明を築いていた原住生物達と友好的な関係を結ぶことに成功
その日、ワラキア領内のトゥルゴヴィシュテの城は混乱に満ちていた。混乱の中心には一人の男。黒革の鎧を纏い、奇怪な武器を携えて単身乗り込んできたその男に、城の警備兵は圧倒されていた。 「うわぁぁぁっ!」 兵士の一人が槍を突き出し男へと迫る。しかし男は槍の穂先をするりと躱し、柄を掴んで兵士を引き寄せる。体勢を崩した兵士の首を鷲掴みにすると、恐怖に歪んだその顔をじろりと睨みつける。兵士は血の涙を流していた。男は呟く。 「ふむ。血涙ということは眼球の毛細血管がやられているな。眼圧も
古びた風が舞う十二番街の裏路地、枯草の絡まった鉄柵の間の階段で下層二区へと降りる。踊り場には古びた鉄扉が。扉を叩くと覗き穴が開き、銀貨一枚で買った合言葉がここで必要となった。 鉄扉の先は古い石柱と丸いテーブルが並ぶ地下空間へとなっていた。噂の秘密酒場であるが客は数えるほどしかおらず、どのテーブルに酒も料理も置かれてい無い。ランタンが置かれ静かに燃えているだけの乾いた空気とそれを誤魔化すかのような香の匂い。 左の胸ポケットから皺だらけの紙を出し再び目を通した。出入口か
腐っていた。 生きながら、腐っていた。 里美の、あの透けるような白い肌。何度も何度も飽きもせずに愛撫した、陶磁器のように滑らかな肌は見る影も無くなっていた。 落ち窪んだ眼窩、痩せこけた頬。 爛れたように変色した肌の所々からどす黒く濁った膿が滲みだしている。どこからやってきたのか、1ミリほどの小さな羽虫がその膿に音もなく群がっていて、何度払っても執拗に集まってくる。 ぷん、と鼻をつく臭いが漂ってくる。甘ったるい中に刺激臭の混じったその臭いは、およそ生きているものの放つ臭いと
5人目のダミアン・サンダースはアイルランドの山羊飼いだ。彼は父親と共に小さな農場を経営し、人との接触を避けて暮らしてきたらしい。時折嘶くような声で叫び、その音で山羊を集める。それが日課の男だった。彼が失踪したのは、3日ほど前らしい。SNSの投稿を翻訳し、俺はそう結論付けた。 1人目はニューオリンズのトランペッター。2人目は釜山に住む外国人留学生。年齢も顔も背格好も全く同じ『ダミアン・サンダース』という男が世界中に偏在していて、こいつはその5人目らしい。床に転がるそいつの顔
七七志信は、同学年と比べ小さい体をさらに縮こまらせた。 派手なアクセサリーやらピアスやらを十二分に着けた外星人3人に周囲を固められていたからである。 ギラギラと輝き蛾を吸い寄せる蛍光灯がランドセルを照らし、スピーカーからの重低音が腹に響く中、頭上では知らない言葉が交わされている。時折触手で出来た男がずろずろと体に手を這わすので、鳥肌が止まらない。 虎に似た容姿の女が口元をぐにゃりと歪める。志信は恐怖でどうにかなりそうであった。 どうしてこんなことになったんだっけ、と
アスファルトに誰かが捨てたガムがたまたまここにあって、俺の因果か横たわる。アスファルトのざらざらとガムのまったりとした感触が、一度に頬に刺してきてその声に重なる。へらへらしてろ。一生そこで溶けてろと、靴の先で脇腹を抉るように蹴られ、転がされてしばしローリング。 アルマジロみたいなやり方で、膝を抱えながら耐える。耐えていると胸の 奥のほうで生まれる何かを感じる。孕むってこういうことか?男は自分の手を使いたくないのか足や肩で俺をいたぶる。目の前にジェリービーンズを散らかしたみた