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机への平手打ちが、研究室に響く。 「ですから。AI学助教授の貴方に、コレの自律AIを作って欲しいんです」 合歓垣燻離と学生証で名乗った彼女は、スマホを突きつけた。映るはVアイドルのライブアーカイブ。 青白黄に光るステージ上、ツインテールとドレスを揺らして踊り、笑顔を振り撒き熱唱する。 『まだまだ! 次はこの曲!』 熱量全開のパフォーマンスの中、ウインクのファンサも忘れない。 音夢崎すやり。 登録者84万人の、今に煌めくVアイドル。 コレの自律AI――人の
わたしも悪かったがムジも少しは悪いと思う。ムジが地球から来たくせにチンチラを知らないのが悪い。思わず人間でいうところの人差し指を細く伸ばしてムジの鼻の穴に突っ込み、そのまま先端を脳に突き刺してあのふかふかで素晴らしいねずみについての情報を流しこんでしまった。 「あああ!どうしよう!部屋にチンチラがいるのに!早く帰らないと!」 ムジは涙と鼻水を垂らし、わたしの肩を掴んでゆする。揺れる両肩が根元から外れた。ムジは目を剥いてオレンジ色に輝くゼリー状の脱落面を見ている。わたし
壁に埋め込まれた時計がやかましく騒ぎ立てている。朝の7時。日付を日曜に戻したい気分を払いのけ、角のとれた安っぽい四角い窓から外を見る。途方もない真っ黒な空間で巨大な恒星が赤い有毒光を放っている。味気ない景色だ。 気分を変えるためコーヒーを淹れよう。お気に入りのマグカップ、熱い湯気と良い香り、程よい苦みを感じれば落ち込んだ気分も少しはましになる。 「おはよう! 良いお目覚めかな」 天井のハッチが開き、四角くて油っこい顔が覗いている。船長のリンキーだ。あの顔は目の前の窓
あの時、スタジアムに登場したラガムたちを迎えたのは、大地が揺れたと錯覚するほどの凄まじい喝采だった。 虚無の荒野が広がる魂には、それが響くことも、火が通うようなこともない――少なくとも、彼ら自身はそう考えていた。 ……だが、どうだ。 平らかな心に真新しい太陽が浮かび上がったかのようだった。 「これは苦しいな」ソーマが苦笑気味に言った。歩を進める度、獣じみた肢体を構成する漆黒のフレームがギチギチと音を立てた。「これじゃあ、道はあったんだって思っちゃうじゃないか」 そう
ゴーグルは白く凍り付いていて、視界がほとんど真っ白だった。 「本部、こちらエクスプローラ04。俺以外のエクスプローラ隊全員と連絡が取れない……本部応答せよ……本部?」 氷点下の領域に突入して4時間が経過していた。他の隊員との通信は全て途絶、それどころか後方の拠点との通信すら途絶していた。 雑音しか聞こえない無線を切る。大きく息を吐こうとして思いとどまった。いくらマスクをしていても、氷点下の吹雪の中でため息なんかつけばきっと喉の奥まで凍る。 見回せば建物の影に倒れてい
警報がコクピットに鳴り響く。計器のほとんどは異常を示していた。 私の宇宙船は惑星の重力に囚われ、地上へ引きずり下ろされつつあった。 宇宙船のエネルギーを全てシールドに回す。私に出来るのはこれだけだ。 墜落による激しい衝撃。シールドで私の命は守られたが、宇宙船は深刻な損傷を負う。 悲嘆にくれる時間はない。私は周囲の安全確認で船外へ出た。 墜落地点の近くに廃村があった。建物や放置された日用品から察するに、文明レベルは地球史の産業革命以前といったところか。遭難中でなけ
『それ』の初発症状は不眠と動悸である。 『それ』は進行するとある一つのことしか考えられなくなる疾患である。 『それ』は時には苦痛を、時には快楽すら生じ得るものである。 『それ』は旧暦21世紀において疾患概念すら存在していなかった。 ――正確には疾患であると考えられていなかった、か。 人類が宇宙へ進出することは必然だった。 大気汚染は深刻なものになり、木は枯れ果て、海は死に絶えた。 そんなにも環境が崩壊してもなお、人類はしぶとく生き残った。 だから、新暦1NR(旧暦30世紀)
黄昏と夜とを別つように、丸みを帯びた有機体が西の空へ堕ちてゆく。 対龍迎撃専用飛空挺。 その格納庫に並んだ九つのケージから〈猟犬〉と呼ばれる対龍種強化型外骨格に身を包んだ一団が宙に放たれる。 エイリアンさながらのつるりとして鏡面めいた黒い頭部、棘の生えた獰猛な四肢。そして咒詛防御仕様の刻印済甲冑が全身を覆っている。 視界は良好、ノイズも許容範囲。 僕らは速やかに〈灰の坩堝〉を降下して此度の厄災の震源地ーー虚龍の巣へと近づいていく。 僕らに名前はないが識別
絵画理論では、物の中身まで描写する。赤目のうさぎがいるのは?その奥の血の色が透けて見えるからで、出血している訳ではない。人の視覚が表面だと思っているものは、すでに多層だ。その様子を写し取れないと、良い絵にならない。 3DCGでは、表面より内側は作られない。ペットゲームに出てくるうさぎの、毛皮を剥いだりする?うさぎの体内には、ただ虚無が入っている。概念化された身体機能や、物理演算の為の数値は持つが、視覚化されない。見えない部分にコストは払えない。 プラモデル――これは
女が前を歩いている。薄暗がりの中。 ケツから目が離せない。 女は選ばれた。 この先に路地がある。 路地に入れーーなんて。あ、マジだ。路地に入った。 俺も行っちゃうもんね。 ポケットにカッター。ある。刃を出しておかなくちゃ。 額の傷跡に指を這わせる。俺は俺だ。ほっとする。 足音を立てずに追いついて、こう、肩に手を乗せるじゃん。 振り向くじゃん。 そこをね。ジャっとね。 カッターで。喉だよ。ゴリッて言うまで押し込んでから切るといい。 あは!切れた。切れた。 逃げ
題名:ケルトの魔弾 妹が殺されたのはハロウィンの夜、裸体の腹がさかれていた。額にはケルト文字で呪いときざまれている。私は成人すると警察に入隊した。 「……タイキ……セヨ……」 骨伝導イヤホンマイクは聞き取りにくい。警察用の簡易エスペラントでも、ノイズで消えそうだ。 足下に小指ほどの火蜥蜴が私の落としたタバコの火を吸っている。大きくなれば厄介だが、今は見逃す。 (ハロウィンの夜よ、魔物の力が増してるわ) 肩に小さくのっているケットシーは、まだ幼いから簡単な仕
ダニーは腰を上げた。襟を正し、息を吐く。 若き弁護士が特例として囚人に代わり、仮釈放を訴えかける。 「皆さんはこう思っているでしょう。なぜこの男は、邪悪な宇宙人の肩なんか持つのだろうと。なぜなら、私は彼が悪人ではないと信じているからです。確かに彼は、60万の地球人を虐殺しました。しかしそれは300年も昔の話です。なによりあれは事故だった。彼にとっての軽い挨拶が、不運にも多くの人間を熱滅させてしまった……それを深く後悔しているからこそ、彼は終身刑三回分の期間、服役したので
扉を開けると月面だった。 反射的に閉める。 もう一度、恐る恐る開ける。 黒い空、灰色の荒野、立ち尽くす星条旗。写真でしか知らなかった光景が、廊下の代わりに広がっていた。 「輪郭が、異様にはっきりしてる」 「空気が無いからだ。可視光を邪魔するものがないのさ」 「でも普通、生身で宇宙に晒されたらただじゃ済まないと思う」 「こちらの技術力の賜物だ。そもそも現在の地球の方が、余程普通からかけ離れているのだがね」 聞き流しつつ足元、転がっている石を一つ拾う。 それから振
俺はひとり浜辺を歩いていた。日は沈んだばかりで、空は橙色から藍色に変わりつつある。海岸は緩く弧を描いている。対岸には俺が住んでいた街が見える。街は輝いている。ビルの谷間にホログラムの巨人が立っている。水着姿の美女だ。手には炭酸飲料の缶がある。街からCMの声が聞こえる。途切れ途切れで、なにを言っているかはわからない。 海岸線に沿って堤防が伸びている。堤防の上には道路がある。ときどき、車が通る。ヘッドライトが俺を照らしては遠ざかっていく。海風を嗅ぐ。夏の海の臭いがする。生き物が