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【リキシャー・ディセント・アルゴリズム】

この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードの加筆修正版が、上記リンクから購入できる第2部の物理書籍/電子書籍第1巻「キョート殺伐都市#1:ザイバツ強襲!」に収録されています。また、このエピソードのコミックスも下記リンクから購入可能です。


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【リキシャー・ディセント・アルゴリズム】



 ガイオン・シティを、重金属酸性雨の香りに満ちた夜闇が包む。電子基盤のように規則的な道路や水路。黒漆塗りの低階層ビル群に、洗練されたネオン文字やプラズマカンバンの灯りが燈る。五重塔がコンデンサめいた等間隔で並び、最上階に備わった大型アンプからサイバーな雅楽音声を鳴り響かせていた。

「ハヤイ!ハヤイ!」独特の掛け声とともに、リキシャードライバーは小さな橋を渡る。その横を、黒い傘をさしたマイコたちが一列で歩き、リキシャーの上に座るサラリマンに静かに微笑みかけた。彼女たちの目元は奥ゆかしいサイバーサングラスで隠されており、安くはない色気をそれとなく感じさせる。

「カナリ!カナリ!」この精悍な若いドライバーの名は、アナカ・マコト。競泳水着じみたボディスーツの上から、濃いグレーのジュー・ウェアを羽織り、強化樹脂笠を被っている。ジュー・ウェアには、体側に沿って透明のチューブが備わり、蛍光ブルーの液体が循環して奥ゆかしいサイバー感を高めていた。

「ブッダ!これはすごいですね!」リキシャーの上に乗ったサラリマンが、思わず声を上げた。ガイオン・シティに並ぶヨーカンめいたビル群の黒い壁が、1区画ごとに1つの巨大なディスプレイと化して、いくつもの漢字、オイラン、ニュース番組、株価チャート、ネコネコカワイイなどを映し出したからだ。

「キョート・リパブリックでは、全てが計画的に建設されていますからね。ハヤイ!ハヤイ!」アナカは足を止めずに乗客に声をかけた。「知っていますよその位!」突然、乗客が激昂する「私はキョート・ニュービーじゃないですよ!私はあのヨロシサン製薬の社員ですよ?!頻繁に出張に来ているんです!」

「アイエエエ!シツレイ致しました!」アナカは謝罪する。慣れたものだ。こうした手合いは多い。ネオサイタマの連中は、キョート・ニュービーであることにコンプレックスを抱く。無理からぬことだ。それはエジプト文明にも匹敵するキョート平安文明に対して余所者らが感じる、ある種の畏怖なのだろう。

「お詫びと言ってはなんですが、道すがらにある、良いキンギョ屋を紹介しましょうか?オイランへのプレゼントに最適です」「オイランだって!?今日は商談なんですよ!私がどれだけ本場のマイコセンターに行きたいと思っているか、わからないでしょうね?!」「アイエエエ、こいつはシツレイ……」

 それから10分ほどして、アナカの引くリキシャーは、商談が行われるという五重塔に到着した。車を止め、屈辱的な立膝の状態を取り、乗客が降りるのを待つ。これもサービスの一環だ。「遅かったから半額しか払わないぞ!」サラリマンがすごむ。「条例で禁止されています」アナカが目を伏せたまま言う。

 キョート流の巧みな話術の前に、サラリマンは成す術もない。しぶしぶ、財布から素子を取り出してアナカに手渡すと、腹いせとばかりに編笠にツバを吐き捨てていった。アナカは稼ぎを懐に入れる。これが丸々手に入ればかなりの額だが、8割はリキシャー等々のレンタル代として会社にピンハネされるのだ。

「せめて独立できればな……」陰鬱な重金属酸性雨に頭を抑えられながら、アナカは素子をチェックする。彼はこの仕事を始めてまだ1年。悪夢のような遺跡発掘プロジェクトで貯めた金を元手に、地下の違法オスモウカジノでそれを倍にし、何とかリキシャー会社に登録することができた。

 その時!真っ黒い人影が、叫び声とともに突如落下してくる!「アイエエエエエエエ!アイ!アイエエエエエエエエエエ!」足を滑らせた五重塔修復作業員だ!

 アナカは素早い機転でリキシャーを旋回させ、作業員の落下地点から離れた。「アバーッ!」作業員は即死!その死体はすぐに清掃バイオスモトリたちの背負う袋に入れられ、観光客の目から隠されるだろう。コワイ!だがこのような惨事や隠蔽は、キョート・リパブリックではチャメシ・インシデントなのだ!

 アナカはそれから黙々と仕事をこなし、8組ほどの乗客を運んだ。違法キンギョ屋に客を連れ込むことにも2度成功し、店主から多少のマージンを受け取った。彼のリキシャーに乗った客は誰しも、ガイオン・シティの奥ゆかしさと、洗練された美しさを讃える。それが、アナカには苛立たしかった。

((何が奥ゆかしいものか!この都市はファンデーションで塗り固められたエンシェント・オイランだ!))ビルを隠すほどのバイオ柳の枝葉が揺れる下を、アナカは黙々と駆け抜ける。ホウリュウ・テンプルの鐘の音が、風に乗って聞こえてきた。ライトアップされたキョート城が、山並みに浮かび上がった。

 カナリハヤイ社のガレージに戻ったアナカは、エントランスに置かれたターミナル装置に左手をかざす。社員全員の左手には、発信装置付ICチップがインプラントされているのだ。「オツカレサマドス」電子マイコ音声が労をねぎらい、ターミナルのフタが開いて稼ぎを回収する。

 見ろ、オイランの化粧はすでに剥がれかけている。リキシャー・ガレージは、観光客が絶対に立ち入らない場所だからだ。薄暗いガレージのあちこちでタングステン・ボンボリが明滅し、壁に備わった基盤や切れた高圧電線からバチバチと火花が散っている。錆びた大型ファンが軋んだ音を立てて回転している。

 数百台以上のリキシャーが整然と並ぶ広大なガレージの中を、アナカは静かに歩く。そして所定の位置にリキシャーを止め、明日に備えて整備点検を行った。「これは……?」ふと、薄い物体が彼の手に触れる。フロッピーディスクだ。入念に書込禁止状態にしてあるところを見ると、かなりの機密情報だろう。

 裏面を確認してみる。メモ欄には、ヨロシサン製薬の社印と「バイオ鹿計画」の文字。ナムアミダブツ!何たる邪悪な文言であろうか?ヨロシサン製薬の暗黒メガコーポ的側面を知らないアナカにも、このファイルの危険性はすぐに理解できた。

 だが「同じ穴にフェレットとタヌキ」というコトワザもある。自ら手を突っ込んで試してみるまで、それが危険かチャンスかは誰にもわからないという、詩聖ミヤモトマサシの残した名句だ。アナカの脳裏にもこのコトワザが浮かんだのだろう。彼はフロッピーを静かに懐に入れる。その時!「おい!アナカ!」

「ハイ!?」アナカはとっさに返事をして、平静を装う。彼を呼ぶ声は、ガレージの壁に端から端まで並んでいる、ヨロシサン製薬のドリンク販売機の辺りから聞こえた。「ハイじゃないだろ、アナカ!こっちに来い!」そこには、バリキドリンクを飲む先輩ドライバーたちの姿があった。

 アナカは小さく舌打ちしながら近づく。相手の数は6人。いずれも、長年に及ぶリキシャーの操縦で鍛え上げられた屈強な男達だ。リーダー格であるタジモトは、違法薬物の運びにも手を染め、体の様々な部位をサイバネ置換している。「今日はサア、俺たちバリキナイトなんだけど、君もドウ?」とタジモト。

 ヨロシサン製薬が販売している活力バリキドリンクは、表向きは何の変哲もない健康飲料だが、オーバードーズすることによって異常興奮状態へとトリップできる。中毒性も高く、中層および下層労働者たちにとって欠かすことのできない合法薬物のひとつだ。バリキドリンクの誘惑に勝てる労働者は少ない。

 だがアナカは、バリキの誘惑に勝てる数少ない労働者の一人であった。「……すんません、タジモト=サン、妻が帰りを待っているんで……金も無いですし」「ア?また断るの、アナカ?ア?お前さ、一年経つけど、俺たちと一度もバリキナイトしないヨネ?ア?もしかして、俺たちのこと、バカにしてんノ?」

「いえ、そういうわけじゃないんで、帰りますんで」アナカがそそくさとガレージから出ようとすると、タジモトのサイバーサングラスが威圧的に赤く光り、「ムラハチ重点」というLED文字を点滅させた。コワイ!それを見た2人のモヒカンが素早くアナカの両脇に回り込み、ボディーブローを叩き込む!

「アバーッ!」腹を強打され、その場にくずおれるアナカ!顔をしかめながら、バリキドリンク自販機にもたれかかる!「ア?どうしたの、アナカ、転んだの?」平然と言い放つタジモト!続けざま、2人のモヒカンはアナカの懐に入っている百円玉をひとつ残らず奪い取り、自販機のスリットに流し込んだ!

 キャバァーン!キャバァーン!投入音が続けざまに鳴り、クレジットの数字が猛烈な勢いで増えてゆく!「金が無いんならサア、俺がおごってやるヨ」タジモトは哄笑しながらバリキドリンクのボタンを叩きまくる!ガルガルガル、ギュゴン!ガルガルガル、ギュゴン!バリキドリンクが次々と飛び出してくる!

「ア?飲まないの?好きなだけ飲みナヨ?」タジモトが目配せすると、モヒカンたちがアナカの腕を押さえつけ、バリキドリンクの中身を強引に流し込んでいった。5本、10本、15本……ナムアミダブツ!それ以上はアブナイ!

 ……それから5分後……リキシャー・ガレージには、朦朧とした意識のまま嘔吐を繰り返すアナカだけが残されていた。「アバーッ!」記憶容量増築サイバネ手術のために貯めていた金が、奪い取られてしまった。タジモト一味に対する殺意が沸々と湧き上がる。「アバーッ!」

 だが、アナカは実際にそれを行動に移すほど愚かではない。万が一にも、懐の中に収めたフロッピーが奪われるか破壊されるかしていたら、彼はそのような自暴自棄な行動を取っていたかもしれないが……幸いにも、大金をもたらしてくれるであろうフェレットは、まだアナカの懐の中に残されていたのだ。

 アナカはよろよろと立ち上がり、積み上げられたバリキドリンクの瓶を忌々しげに蹴り飛ばしてから、ガレージを出た。ユニホームを返却し、対汚染ブルゾンに着替えてキョート駅へと向かう。

 アナカが駅に着くと、スピーカーアンプを搭載した小型のフクスケ・ドローンが駅周辺を飛び回り、観光客に対してアンダー・ガイオンへの下降自粛を呼びかけていた。「…ツーリストの方々に警告です……第五階層ドラゴンゲート以北、第六階層ゴリラゲート以西で引き続き暴動発生中……死傷者は数百人…」

 あえてアンダー・ガイオンに潜ろうという連中の気が知れん、とアナカは労働者用の列に並びながら苦笑した。バリキのせいだろうか、目が血走り、笑いが止まらない。遥かにいい気分だ。後ろにいたバリキ中毒と思しき遺跡修復労働者が肩を叩き、同じような目で笑いかけてきた。アナカも笑った。

 建物の中でツーリストたちは整然とした列に並び、パスポートをチェックされている。一方、アンダーガイオンに暮らす労働者たちは、身分チェックもないまま、横三十人ほどの雑然とした群れとなって、次々と大型リフトに送り込まれてゆく。地上に暮らすのは難しいが、下降するのは誰にでも簡単なことだ。

 ギュグン!数十人乗りの大型リフトが止まり、黄色と黒の警戒色で塗られたバーが下がる。労働者たちはゾンビのような足取りでリフトに乗り込み、ガイオンシティ交通課の制服を着てマスクを被ったバイオスモトリたちが、限界まで乗客を押し込む。ギュグン!10秒も経たないうちにリフトは降下を始める。

 キョート・リパブリックは、日本から独立した国家であり、入国にはパスポートが必要だ。鎖国状態にある日本だが、唯一、キョート・リパブリックとだけは国交がある。また、キョートには諸外国に繋がるハブ空港が存在する。要するにキョートとは、日本が外貨と貿易品を手にするためのデジマなのである。

 キョートの経済収入の8割は、観光業に関連したものだ。理想的サイバー都市である地上部に住処を持てるのは、カチグミ企業社員か、犯罪組織のトップか、観光業従事者くらいのものであり、全人口の1パーセント弱に過ぎない。それ以外の労働者は全て、逆ピラミッド型の広大な地下都市で暮らしている。

 観覧車のように次から次へと降りてくるこの大型リフトは、アッパー・ガイオンとアンダー・ガイオンを繋ぐリフトの中でも最大級のもののひとつだが、他にも無数のリフトがあり、ガイオンシティ当局にも全容を把握しきれていない。アナカたちを載せたリフトは、軋んだ音を立てて地下第5階層で止まった。

 第5階層はアンダー・ガイオンの中でも最も広大なエリアで、中心部は4階層分の吹き抜けになっており、違法増築を重ねた高層ビル群が乱立している。その猥雑さは、ネオサイタマのツチノコ・ストリートを思わせるほどで、クリスマス電飾が施された竹林のごとく、無数の商業的ネオンサインが瞬いていた。

「素材の良品」「実際安い」「武田信玄」……ネオサイタマと何ら変わらない虚無的な商業メッセージが、アンダー・ガイオンの市民らを容赦なく洗脳している。扇情的なハードテクノが鳴り響き、感情を麻痺させていく。西の工業エリアから排気し切れなかった汚染大気が混じり、喉と肺を容赦なく攻撃する。

 そこかしこに立ち並ぶバリキ自動販売機の誘惑を振り払いながら、アナカは東区画へと向かった。「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」バリキドリンクの麻薬的成分のおかげで、ストリート・オイランの胸元がいつもより扇情的に見えるが、家で待つ妻を思い浮かべ、アナカは黙々とストイックに歩き続ける。

 居住区へ続くコリドーは、全面がスピーカーとモニタであり、洗脳装置そのものだ。激しい光の明滅と、非人間的なデジタルビートに乗って、オイランドロイド・アイドルデュオのマッポー的なウィスパーボイスが響く。「……激しく前後に動く。ほとんど違法行為。激しく上下に動く。あなたは共犯者……」

 ナムアミダブツ!何たるディストピア!もはや、あの奥ゆかしいキョートは存在しないのか?!すべてのモラルが破壊され、経済という毒によって堕落しきったアンダー・ガイオンは、ネオサイタマが東のゴモラであれば、まさに西のソドムである!それはまさに、古事記に予言されたマッポーの情景であった!

 閉鎖された地下アーケード街を思わせる、無数のシャッター。ふと気がつくと、アナカはいつの間にか第八階層タコ区画にある自分の家の前に立っていた。まだニューロンの中にサイバーテクノの騒音がこびりつき、激しいフラッシュが網膜の奥で焦げ付いているかのような不快感。頭を軽く振って頬を叩く。

 アナカは鍵を開けて、重い防犯シャッターを持ち上げる。それからショウジ戸を開け、狭くも快適な我が家に戻った。妻のヨモコはまだ起きているようだ。温かく家庭的な光が彼を癒した。後ろから物騒な銃声と罵声が聞こえてきたので、アナカはすぐにシャッターを下ろす。

 彼らが暮らしているのは、中流階層が暮らす第八階層ではごく一般的なファミリー物件だ。シャッターとショウジ戸を開けると廊下があり、左右に部屋が1つずつ。地下都市の宿命として窓は存在せず、廊下の突き当たりにあるイミテーション丸窓の向こうには、静かなサンスイ風景の映像が映し出されている。

「あなた、遅かったのね」清楚な和服に身を包んだヨモコは、丸窓の下に並べられた白い小石を整え直し、木桶に汲んだ水をインテリア用の小さなトウロウにかけていた。そのハンナリと奥ゆかしい光景に、アナカは心底安らぎを覚えるのだった。

「実は、まだ少し仕事が…」バリキで輝く目を見せないよう、アナカはサイバーサングラスを着用していた。しかし、腹の中から湧き上がるケミカル臭を隠すことはできない。胃酸交じりの酷い悪臭だ。ヨモコは微かに顔をしかめつつも、夫には夫の都合があるのだと自らに言い聞かせ、にこやかに頷いた。

「遅くなるかもしれない。寝ておいてくれ」アナカは冷蔵庫に入っていたザゼンドリンクを何本かポケットに仕舞うと、洗面所で顔を洗い、百円玉を数個持ってすぐに家を出た。ヨモコは静かに自らの夫を見送るも、妙な胸騒ぎを覚えるのだった。「リキシャー会社のガラの悪い人達とつるんでいるのかしら…」

 アナカは、ダウナー系飲料であるザゼンドリンクを飲み、昂ぶったニューロンを抑制しながらタコ区画の第19番地へと向かう。彼にはツテがあった。フロッピーディスクを解読可能なUNIXを持ち、イリーガルな世界にも精通し、かつ信頼が置ける男……それは私立探偵タカギ・ガンドーをおいて他にない。

「思った通り、まだ営業中か」アナカは胸を撫で下ろす。周囲の商店が軒並みシャッターを下ろす中、ガンドー探偵事務所のカンバンには、まだ灯りが燈っていた。アナカにはそれが希望の灯火に見えた。ヤバいヤマにはスピードが命だからだ。可愛いフェレットがいつタヌキに変わって暴れだすか解らない。

 ガンドー探偵事務所の鉄製のカンバンには、ブルズアイ・ランタンじみた道具を持って飛ぶ鴉が描かれていた。これは、ガンドーと呼ばれる古代の懐中電灯である。高度な文明を有していた日本は、平安時代に既に懐中電灯を発明していたのだ。この闇を照らす光こそが、タカギ・ガンドーの名の由来であった。



 赤黒い装束に身を包んだ独りのニンジャが、満身創痍のまま重金属酸性雨に打たれ、不毛の荒野を歩む。天頂には暗雲が渦巻き、時折、焼き切れたニューロンを思わせる雷光が走った。キモンの方角には、首を刈り取るシックルめいた不吉な三日月が所在無く浮かぶ。

 ここはバトルフィールド・セキバハラ。ガイオン・シティのはるか東に横たわる、広大な古戦場跡である(訳注:関ヶ原か)。江戸時代、ここで悲惨な大戦争が起こり、サムライやニンジャやダイミョが大勢死んだ。ネットワーク化された現在でもなお人々は太古の怨念を恐れ、この地に住み着こうとはしない。

 無人の荒野を冷たい風が吹く。北の方角には、倒壊を免れた大門の一つが、月明かりの下で雄雄しくそびえ立っていた。その後ろには遠い昔に廃線となったレイルウェイが数本、遺棄されたトロッコたちとともに、重金属酸性雨による風化の時を静かに待ち続けている。

 滅亡したマストドンを思わせる錆び果てた巨大掘削機械や、発掘キャンプのテント跡の横を、ニンジャは静かに通過する。大昔の胸壁の残骸や砕けたカワラ、焼け焦げた投石器、転売価値のない鎧や折れたカタナ、砕けた人骨…それらが積まれた発掘ポイントが風雨に晒され、サツバツとした雰囲気を漂わせる。

 この荒れ果てた古戦場は、まるで死闘に次ぐ死闘で荒みきった自分の魂のようだと、そのニンジャはニューロンの中で呟いた。それに答えを返す者はいない。かつてであれば、ナラク・ニンジャが彼を嘲笑ったであろうか。だが、魂の同居人であるナラク・ニンジャは力を失い、深い眠りについてしまったのだ。

 彼の名はニンジャスレイヤー。復讐の戦士。孤独なる狩人。そして殺人者。ネオサイタマの覇権をめぐるソウカイ・シンジケートとザイバツ・シャドーギルドの抗争に巻き込まれて妻子を失い、自らも瀕死の重傷を負った悲運のサラリマン、フジキド・ケンジの成れの果てである。

 ラオモトとの決着の後、フジキドはザイバツの尖兵によって蹂躙されるネオサイタマを見て大きな衝撃を受けた。その後、ナンシーが解読したパンチドテープからマルノウチ抗争の真実を知った彼は、休む間もなく新幹線に乗り、凱旋するザイバツニンジャを殺害しつつ、敵の本拠地キョートへと潜入したのだ。

 その後も彼は、何人ものニンジャを無慈悲にスレイしていった。だが、ザイバツ・シンジケートの秘密に繋がる核心的な情報は、一向に手に入らない。それどころか、キョートに到着してから間もなく、ザイバツのストーカーがニンジャスレイヤーを付け狙い始めた。……敵の尾行はすでに1ヶ月近くにも及ぶ。

 BOOOM!不意に雷が落ち、荒野に立つ見事な一本松を真っ二つに引き裂いて燃やした。休息を求めるニンジャスレイヤーは、平安時代の大門や発掘キャンプから遠く離れ、一本松と背の低いススキがまばらに生えるだけの侘しい焼け野原へと足を踏み入れていた。

「スゥーッ!ハァーッ!スゥーッ!ハァーッ!」ニンジャスレイヤーはおもむろに、焼け焦げた一本松を背にして正座をし、チャドーの呼吸を開始した。彼はこの1ヶ月近く、まともに睡眠を取れていない。ナラクの力を借りれば、片目を開けたまま眠ることもできたかもしれないが、今は叶わぬのであった。

 一方、ニンジャスレイヤーが背を預ける一本松から50ヤードほど離れた場所には……夜闇に溶け込む灰色のニンジャ装束の男!

 匍匐前進の姿勢でススキの間に身を隠し、ニンジャスレイヤーの姿を真正面から見据えるそのニンジャの名は……フォビア。ザイバツ・シャドーギルドの斥候ニンジャである。ニンジャソウルの憑依によって彼が得たものは、超人的な隠密行動能力と、いかなるレーダーにも映らない異常ステルス体質であった。

「フゥーッ!フゥーッ!」フォビアは目を血走らせながら、精密マニピュレータめいた無駄の無い動きで、ズバリ・アドレナリンのミニアンプルを自らの首元に注射する。完璧な動きだ。よく訓練されたマッポドッグですら、彼の動作音をキャッチすることは難しいだろう。

「ニンジャスレイヤー=サンめ、何という強敵なのだ……」フォビアはサイレンサー付サイバーメンポの奥で、小さく独りごちた。サイバーアイに置換された右眼がカメラレンズのように突き出し、標的の姿を拡大する。「ほぼ1ヶ月、ズバリもシャカリキも無しで活動を続けるとは……およそ人間とは思えん」

 それは同時に、フォビアもまたほぼ1ヶ月近く、睡眠らしい睡眠も取らぬままニンジャスレイヤーをストーキングし続けていることを意味した。そのコードネームが示す通り、フォビアの得意技は敵をストーキングし続けて、敵を狂気に陥れることである。常人ならば3日、ニンジャでも2週間程度で発狂した。

 このままでは、フォビアが先に体力を使い果たしてしまうだろう。そう思っていた矢先、標的であるニンジャスレイヤーの動きに変化が現れた。何事か独り言が増え、動作にも冴えが失われ始め……そして突然、ニンジャスレイヤーはガイオン・シティを離れて、このセキバハラへとやってきたのだ。

 これは狂気の前兆に違いない、とフォビアは確信していた。一ヶ月に渡る忍耐が、ついに実を結ぶ。フォビアは、ニンジャスレイヤーを始末するというキンボシを独りで味わうため、他のニンジャに協力を仰ぐこともなく、単身この古戦場跡へとやってきたのだ。

「今ならば殺せる……」フォビアはサイバーメンポの奥で舌なめずりをした。人間は理性が消し飛び狂気に陥る直前が、最も無防備となる。完全に狂気に陥ると、逆に凶暴性が増し、殺害しにくくなるものだ。今がチャンスであると、ストーカーの本能が知らせていた。フォビアは、音もなく匍匐前進を続ける。

「フゥーッ!フゥーッ!」フォビアは敵まで10ヤードの位置に近づく。タタミにして約5枚。ニンジャにとっては十分に必殺の間合いである。掌に汗がにじむ。相手は目を閉じたまま正座をし、まだこちらの接近に気付いていない。フォビアは意を決した。今こそ奴を殺し、ロードからチャワンを授かるのだ!

 BOOOOM!北の方角で再び落雷。その音と同時に、フォビアは動いた!「イヤーッ!」フォビアの右手から、黒い四本のクナイ・ダートが放たれる!と同時に、フォビアは跳躍していた!ガゼルに飛び掛るピューマのように!その両手には白兵戦用の大きなクナイが握られている!ナムアミダブツ!

 死を暗示する4本のクナイダートが、ニンジャスレイヤーの眉間、目、喉、心臓に向かって接近する。アブナイ!だがその瞬間、ニンジャスレイヤーはかっと目を見開き、正座の状態から流れるような動きでブリッジを決め、紙一重でこれを回避したのだ!タツジン!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは続けざま、飛び掛ってくるフォビアをカラテ・スプリングキックで撃墜した!「グワーッ!」フォビアの体はコマのように回転しながら吹っ飛び、「セキバハラ」と書かれた錆びた立て札に命中する。

 素早く体勢を立て直したフォビアは反射的に身を隠そうとするが、すでにニンジャスレイヤーはオジギの姿勢に入っていた。「ドーモ、ニンジャスレイヤーです」「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン、フォビアです」

 その刹那!気勢とともにニンジャスレイヤーの右腕がムチのようにしなり、目にも止まらぬ速度で2枚のスリケンが射出された。 「イヤーッ!」 「グワーッ!」 スリケンがフォビアの両目に突き刺さる!右のサイバーアイは投擲速度200km超の表示のまま破壊され、左目からは血が激しく噴出した!

 フォビアは素早く側転を打ち、一本松の陰に身を隠そうと試みる。「……バカな!バカな!俺のストーキング攻撃によって、狂気に陥りかけていたのではないのか?!」

 だがニンジャスレイヤーは、フォビアの側転移動を予測していた。ニンジャスレイヤーの右腕がムチのようにしなり、目にも止まらぬ速度で2枚のスリケンが射出される! 「イヤーッ!」 「グワーッ!」スリケンがフォビアの喉元に突き刺さった!壊れたスプリンクラーのように、喉から血がふき出す!

「グワーッ!グワーッ!」フォビアは血を吐きながら転げまわる。 「狂気など、初めから私の中にある」ニンジャスレイヤーはぞっとするほど恐ろしい声とともに近寄ってきた「オヌシの負けだ、観念せよ。ザイバツ・シャドーギルドについて、洗いざらい喋ってもらうぞ」。

 だがその直後、「サヨナラ!」と叫び、フォビアは突然爆発四散を遂げたのだ!…ニンジャスレイヤーの目の前には、物言わぬ黒焦げの死体だけが残されていた。デジャヴ感に襲われ、ふとフォビアの胸元を探るが、マキモノの類は見当たらない。ザイバツの危機管理体制は、ソウカイヤよりも遥かに上だった。

 ニンジャスレイヤーは無力感と焦燥感にさいなまれ、天を仰ぐ。またしても、ザイバツの手がかりは無しだ。キョート・リパブリックに来てからというもの、何もかもが巧く行かない。キョート・ニュービーであったフジキドには土地勘もなく、地下階層都市でどのように敵を狩ればよいかがまだ掴めないのだ。

 精神的な面でもまた、フジキドは支えを失っていた。フユコとトチノキの墓標であるスゴイタカイ・ビルからは遥か遠く離れ、まるで故郷の土を失った吸血鬼のように落ち着かない。盟友であるナンシーは急性ザゼン中毒に陥り、ネオサイタマを離れることができない。……そして、ナラク・ニンジャの休眠だ。

 ナラク・ニンジャさえいれば、フォビアなどに1ヶ月も追跡を許すことはなかっただろう。ナラクがフートンの奥で休眠に入ってから、ニンジャソウルを感知する能力や、傷を塞いで新たなニンジャ装束を縫い上げる能力が、明らかに弱まっているのだ。……何事も、失ってからその重要性に気付くものである。

「インガオホー……」ニンジャスレイヤーは鋼鉄メンポの奥で静かに呟きながら、西に向かって踵を返した。向かい風が強く吹きつけ、ニンジャ装束の首元に巻かれたマフラーのごときぼろ布を後方に長く吹き流す。

 ニンジャスレイヤーは懐から耐水マキモノを取り出す。ナンシーから託されたこのマキモノには、キョートについての有益な情報が記されている。追跡者を始末した今、その中のひとつへ向かう準備が整った。目的地はガンドー探偵事務所。果たしてタカギ・ガンドーなる男は、信頼に足るコネなのであろうか?


(あらすじ:舞台は地下階層都市アンダー・ガイオン。妻とともに中産階級へと這い上がってきた若きリキシャー・ドライバーのアナカは、偶然にもヨロシサン製薬の邪悪な陰謀を収めたフロッピーディスクを入手。大金の匂いを感じた彼は、既知のツテである私立探偵ガンドーの事務所を訪れるのだった……)

 ガンドー探偵事務所は、応接室と奥にある小さな電脳部屋だけという、簡素な作りだった。壁には「探偵」と書かれたショドーが数枚、スモトリの手形色紙、骨董レコードなどがいくらか飾られている程度。基盤や書類や瓶の類がそこかしこに堆く積まれ、タヌキオブジェの上には、うっすらと埃が被っていた。

 薄暗い電脳部屋に通されたアナカは、煙草の灰まみれの革張りソファに座っている。薄汚いテーブルを挟んでタカギ・ガンドーが座り、粗悪なスピリットを呷っていた。彼の背後と左側面には、緑色の光を放つ巨大なUNIXが聳え立ち、床は足の踏み場も無いほどのLANケーブルで覆われている。

 ガンドーは190センチ近い偉丈夫で、短く刈り込んだ髪はズバリ中毒の影響と思われる完全な白。若干くたびれた肉体は、それでもよく鍛え上げられている。眠そうな目蓋が印象的な顔は、30代なのか40代なのかはっきりしない。ネイティブ・アメリカンの酋長めいたほう齢線が、頬に深く刻まれている。

「さて、いつものやつだよ、ガンドー=サン」アナカは自宅の机の引き出しから持ってきた、高純度ズバリのアンプルと、1グラムごとに分包された純白の中トロ粉末を取り出す。リキシャー・ドライバーたちの暴君であるタジモトから課されている、今月分の販売ノルマだ。

 粉と液体を小指で採ってぺろりと舐めると、ガンドーは頷き、色褪せた茶色いダスターコートのポケットから、輪ゴムでぞんざいに巻かれたくしゃくしゃのオールド・イェンの束を取り出して机の上に置いた。オールド・イェンはキョートの通貨だ。「ちょっと待った、ガンドー=サン。今回は、金は要らない」

「要らないって?」ガンドーはおどけた様子で札の図案を指差す「セイント・ニチレン=サンが、恋しそうにアナカ=サンを見つめてるぜ?」。声は笑っているが、ガンドーの目は明らかに曇る。警告じみた様子だ。関係を持って二年になるが、それはあくまでもドライな関係である。アナカは少々気圧された。

 だが、ここで一歩踏み出さねば、大金は掴めない。妻と、やがて生まれるであろう子を連れて、地上に行きたい。ディジタルな夜空ではなく、本物の夜空を仰がせたい。アナカは、ブルゾンからフロッピーを取り出して机の上に置いた。「その金を依頼料にしたいんだ。こいつを解読して大金をせしめるための」

「オイオイ……こりゃ、フロッピーじゃないか。ハッカーがよく使う」ガンドーは、そのフロッピーを様々な角度から眺めながら言う。興味をひくことにはまず成功だ、とアナカは思った。ガンドーが依頼を請け負う基準は金額の大小ではない。彼自身が興味を持つかどうかが、最も大きな要素なのだ。

「見な。入念に、上書き禁止タブまでONになってやがる。しかも相手は、あの暗黒メガコーポ、ヨロシサン製薬ときたもんだ」「暗黒メガコーポ?」アナカが問う。アナカは堅気の人間であり、裏社会の事情には疎い。「ああ、何でもない」ガンドーはフロッピーをUNIXの一台にスロットインした。

 側面のモニタのひとつに向かい合ってから、ガンドーはウイスキーで割ったズバリを煽る。遥かに良い。開いたコートの奥、胸元に吊ったホルスターの二丁拳銃が、UNIXの画面に照らされて鈍い照り返しを見せた。「依頼を受けるかどうか、軽く内容を見てから決める。いいかい?」「ハイ、ヨロコンデー」

 ガンドーはタノシイハッキング・キーボードと向かい合い、スゴイ級ハッカー並のタイピング速度でフロッピーの内容を解読しにかかった。トミーガンが連射されるかのような凄まじい打鍵音が、一瞬たりとも鳴り止まない。タツジン!さらにガンドーは足の裏でペダルを踏み、スピーカーのスイッチを入れる。

 ズズズンズズンズズズズンイヨーッ!ズズズンズズンズズズズンイッイヨーッ!歪んだスピーカー音とともに、レトロなテクノが流れ出す。伝説のヨコヅナ「アンダーハンダー」が入場テーマとして使っていた有名な曲だ。「ハッハー!」薬物と音楽がニューロンを刺激し、ガンドーのテンションは上がる。

 だがその時!ブガー!ブガー!ブガー!ブガー!UNIXの上に設置されたマッポサイレンが回転し、モニタの一台にアスキーアートで大きく「重点」の文字が映し出された!「オイオイ!何だ!?マッタナシか!?」ガンドーは物理タイピングを止め、モニタに見入る。アナカは静かに失禁していた。

 モニタ上に『大変危険な』とメッセージが現れ、フロッピーの中から断片的にGREPされた大変危険な行が表示された!……『ヨロシサン製薬、アンダー・ガイオン、違法に金を払う、ザイバツ・シャドーギルド』……「オイオイオイオイ!やばいな!ザイバツ絡みかよ!」ガンドーが頭をかきむしる!

 さらにその時!『オコシヤス』と電子マイコ音声が鳴った!来客だ!ガンドーは自動解読プログラムを走らせたまま、落ち着かない様子で応接室へ向かおうとし……ショウジ戸に手をかけ振り返った。「かなり危険なデータだ。キーボードに触るなよ」ショウジ戸を開け、もう一度振り返る「爆発するからな」

 ガンドーが応接室に入ると、そこには薄汚いトレンチコートを羽織り、ハンチング帽を目深に被った男が立っていた。背中にはバックパックを背負っている。旅行者か?「オイオイオイオイ!どこの惑星から来たんだ!?」「ドーモ、タカギ・ガンドー=サン。イチロー・モリタです」「ドーモ、ガンドーです」

「俺の名前を知っているってことは、ただの旅行者じゃないな、依頼者だ。そうに違いない」ガンドーは落ち着かない様子で部屋の中を歩き回り、イチロー・モリタの肩を押して、外に追い出そうとした。「でもな、今別件で仕事中。それに、俺は紹介者無しじゃ依頼を受けん主義だ」「……ナンシー・リー」

 その名を出した途端、ガンドーの態度が一変した。新しい玩具を見つけた鴉のように。彼のニューロンはマルチタスクに向いていない。「ナンシー・リーだと?あのヤバイ級ハッカー、ナンシー・リー=サンか?!」この半年間のうちに彼女の名は、一部のハッカー達の間で伝説的なまでの名声を得ていたのだ。

 ……一方、電脳部屋では、独り残されたアナカがぼんやりと十数個のUNIXディスプレイを見つめていた。洪水のように流れる緑色の文字列、テクノのビート、そして急性バリキ中毒によるハイテンションが混じり、神経が昂ぶる。自分の心臓音が異様に大きく聞こえ始め、テクノビートと入り混じった。

「ザイバツとか何とか言ってたが、何のことだろう」アナカは心の中で呟いているつもりが口に出していた。「あのガンドー=サンが取り乱す所をみると、よほどヤバイ情報だな。いいぞ、いいぞ。こんなチャンスはおそらく生涯一度だ。これでリキシャー仕事ともサヨナラ!ヨモコを地上に連れてってやれる」

 テクノのビートに乗って、ソファに座った体が自然と跳ねる。莫大なカネを手に入れて、地上へ……そしてどうする?……具体的なイメージは何も湧かないが、カネさえあればどうにでもなる。この世界はそうやって動いてる。まるで王になって玉座に座っている気分だ。こらえようとしても笑いが止まらない。

 アナカの目には、緑色のUNIX文字が飛び出して見え始めた。そしてそれは次第に、和服を着て舞い踊る妻、ヨモコの姿に変わってゆく。ヨモコは薄幸だ。下層階層のショーユ工場から出される汚染大気で、彼女は肺を病んだ。だから結婚して上の階層に連れてきた。でもまだ十分じゃない。治安が悪すぎる。

 妻の身の安全の事もある。それだけじゃない。ギャングや反乱分子や狂言強盗団が徘徊する階層で、昼も夜も銃撃戦が絶えない階層で、子にまともな教育を受けさせられるわけがない。自分が運び仕事以外に稼ぐ手段を知らないのは、アッパーのような教育を受けられなかったからだ。アナカはそう考えていた。

 おお、ナムアミダブツ!他愛もない幻覚を見ていたアナカの目には、到底気付くことなどできなかっただろう!或いは、あと数分早くガンドーが戻ってきていれば、この異常事態を未然に回避できたに違いない!フロッピー内に隠されていた防衛プログラムが密かに動き出し、自動IRC接続を開始したのだ!

 だが、探偵事務所のIPがいずこかのIRC部屋に転送されているとは露知らず、ガンドーはイチロー・モリタなる男を応接室のソファに座らせ、チャブに向かい合っていた。「ということは、ネオサイタマから来たのか?」「いかにも」「ナンシー=サンの正規の紹介だという証明は」「電子署名素子がある」

 ガンドーは素子をバイオLAN端子に挿入する。ニューロン内にオイラン姿のナンシーが3D投影され、「イチロー・モリタ」とショドーを始めた。「ヒュウ!どうやら本物らしい!モリタ=サン、あんたは一体何者なんだ?彼女とどんな関係に…」問いただそうとした時、相手はソファで寝息をたてていた。

 ガンドーは両手を広げておどけたポーズを取ってから、右手で頭を押さえて笑った。「ハッハー!まるでネオサイタマから歩いて来たって感じだな!」ズバリが良い具合に回ってきたようで、タノシイ感に包まれる。実際、彼は陽気な男だ。ズバリカクテルが回っている間は。そして、それはほぼ四六時中だ。

 イチロー・モリタを起こそうかどうか思案しながら立ち上がったとき、ガンドーはふと重要な忘れ物に気付いた。電脳部屋のショウジ戸を開けると、ソファに座ったまま狂ったように笑い飛び跳ねるアナカの姿があった。「おいおい、勘弁してくれよ!アナカ=サン!俺を笑い死にさせる気か!?」

 根は真面目なアナカが薬物でトリップするなど珍しいことだ。ガンドーは先ほどから感じていた嫌な予感が、さらに現実味を帯びてきたと思った。アナカはこの一件から速やかに手を引かせるべきだ。そう考えながらガンドーは部屋の照明をつけてスピーカーの音を消し、空瓶に入っていた水をアナカにかける。

「アイエエエエエエ?」我に返ったアナカは、マグロのように口をパクつかせながら周辺を見渡す。ガンドーはUNIX画面を見るが……ナムサン!すでにIRC自動接続の痕跡は消えてしまっていた。ガンドーはフロッピーを取り出し、それを机の上に置いて真面目な顔でアナカに向かい合う。

「アナカ=サン、いいか、火遊びは終わりだ。この依頼は受けられない。ヤバすぎる組織が関わってる。大金を得るなんて夢からとっとと醒めて、まっすぐ家に帰るんだ」「アイエエエエ?!」アナカは叫んだ。妄想の玉座が消え、現実に引き戻される。「じゃあフロッピーを…」「駄目だ」ガンドーが抑えた。

「ナンデ?フロッピーナンデ!?」アナカが激しく混乱する。「このフロッピーの存在自体がヤバすぎる」とガンドー「俺の読みが間違ってないなら、近い将来、これを回収するためにエージェントが送り込まれるだろう。だから、これは俺が預かる。このフロッピーの事は忘れて、奥さんのところに帰るんだ」

「薬の代金は払う。それを持って帰るんだ」ガンドーが言い放つ。(((ガンドー=サンは自分を騙して、このフロッピーを奪い取るつもりでいるのでは?)))その瞬間、オーバードーズしたバリキの化学作用と混乱により、アナカのニューロン内で何かがショートした!

 次の瞬間、二人はほぼ同時に立ち上がり、懐から拳銃を抜いて互いの顔に向け合っていた。コワイ!アナカのそれは小型のオートマ拳銃、ガンドーのそれは重厚な年代物リボルバー。実際には、ガンドーのほうが明らかに早く銃を抜いており、アナカの頭を吹き飛ばすことができた。だが、彼はそうしなかった。

「オイオイオイ、アナカ=サン、これは何の冗談だ?マッタナシだぞ?」「フロッピーを渡せ!」アナカの声はやや震えていた「ガンドー=サン、あんたは俺を騙して独りで大金をせしめようとしてるんだ!そうだろ!」「勘弁してくれよ、アナカ=サン。俺はお前のためを思って言ってるんだぜ」その時!

『オイデヤス』電子マイコ音声が再び鳴り、新たな来客を告げた。「オイオイオイオイ、どうなってんだよ今日は!俺はモテモテだな!」ガンドーは銃口を逸らさないまま、おどけた様子でショウジ戸へと下がる。机に置かれたフロッピーはアナカの手に。だが、どちらにせよこの建物に出入口は一つしかない。

「いいか、一緒にゆっくり下ろそうぜ、ゆっくりだ」ショウジ戸に手をかけながら、ガンドーが先に銃口を下ろしてゆく。続いて、アナカも荒い息を吐きながら銃口を下ろし、空いた手でフロッピーを懐に仕舞う。「アナカ=サン、俺が客と話をしてる間に、頭を冷やしとけよ!」ガンドーは応接室に向かった。

 ガンドーは拳銃をホルスターに素早く仕舞ってから、にこやかな笑顔で応接室に向かう。「土星から遠いところようこそ!悪いな、今日はもう店じまい……」ガンドーの声が止まる。それもそのはず、探偵事務所のノレンをくぐって現れた一団は、どう見ても客などではなかったからだ。

「イヨオーッ!」「イヨ!イヨオーッ!」「イヨオーッ!」奇声を上げる5人組は、黒いツナギを着て、オキナやオカメや武田信玄のラバーマスクを被り、手には機関銃やカタナを持っていた!そして何の警告もないまま発砲!「グワーッ狂言強盗団!」ガンドーは紙一重の横っ飛びで回避し、二丁拳銃を抜く!

「イヨオーッ!」「イヨ!イヨオーッ!」「イヨオーッ!」奇声を上げる5人組は、黒いツナギを着て、オキナやオカメや武田信玄のラバーマスクを被り、手には機関銃やカタナを持っていた!そして何の警告もないまま発砲!「グワーッ狂言強盗団!」ガンドーは紙一重の横っ飛びで回避し、二丁拳銃を抜く!

 トミーガンを装備したハンニャが制圧射撃を行い、応接室内の書類や基盤や電灯が破壊される!ソファの背後に飛び込むガンドー!「オイオイオイ!ブツメツかよ!」対面のソファに座ったイチロー・モリタは、背を狂言強盗団に向けて眠ったままだ!制圧射撃が一瞬止み、カタナを構えた狂言強盗4人が迫る!

「イヨオーッ!」「イヨ!イヨオーッ!」敵が近づいてくるのを感じ取ったガンドーは素早く身を起こす!「イヤーッ!」気勢を上げ、異様な外見の49マグナム二丁を胸の前で交差するように構えてから、素早くカラテの姿勢を取る!ゴウランガ!これこそは、暗黒武道ピストルカラテの構え!

「イヨオーッ!」オキナ面がカタナを左上段に構えて飛び掛かる!ナムサン!だがガンドーは素早いカラテで斬撃を回避してから、相手の懐へと飛び込む!そして拳銃を握った右腕で、敵のみぞおちに痛烈なボディブローを喰らわせた!49マグナムの銃身を深くねじりこむ!「イヤーッ!」「グワーッ!?」

 痛烈なカラテを叩き込まれ、オキナの体が数センチ浮く!内臓破裂の手応え!さらにガンドーは容赦なく引き金を引いた!「ハッハー!」49マグナムが火を噴き、オキナの体に大穴を穿つ!ソクシ!その死体はワイヤーアクションめいて吹っ飛び、トミーガンを構えていたハンニャに命中!ナムアミダブツ!

 49マグナムの射撃反動は常軌を逸している。訓練を積んだデッカーでも、片手でそれを制御するのは至難の業だ。だが、暗黒武道ピストルカラテにおいて、反動は次なるカラテを生むエネルギーである!見よ!ガンドーの右背後から迫ってきたオカメのこめかみに、信じ難い速度の右エルボーがめり込んだ!

「イ!イヨオーッ!」接近戦は不利と見た狂言強盗の一人が距離を取り、懐からオートマチック拳銃を抜き、ガンドーに銃口を向ける!アブナイ!だが、ズバリ・アドレナリンでニューロンを覚醒させているガンドーにとっては、この程度の攻撃を予測することなどベイビー・サブミッション!

 敵の銃が唸りをあげる前に、ガンドーは素早く身体を捻り、両手に握った49マグナムを瀕死のオカメに向けて発射!「イヤーッ!」「グワーッ!」ネギトロめいた肉片と化す!と同時に2挺分の反動をバックステップの力に追加し、ガンドー自身が後方にワイヤーアクションめいて跳び、見事に弾を回避した!

 バックジャンプするガンドーの背後には、カタナを構えた武田信玄!このままでは背中から突っ込んでしまう!だがガンドーは空中で右手の49マグナムを左脇の下に通し、射撃してきたヒョットコに向けて二連射!反動を得たガンドーは空中で腰を捻り、背後の武田信玄に対して左足のボレーキックを決める!

「アバーッ!」武田信玄の首がサッカーボールめいて吹っ飛ぶ!同時にヒョットコも心臓を撃ち抜かれ即死!着地を決めたガンドーはチャブの上にダブルキックをしながら飛び乗り、カラテの姿勢を取る。左右の正拳突きを空中で4回繰り出しカタを決めると、両手を腰に引いて静かにオジギをした。タツジン!

「イ…イヨオーッ…」吹っ飛んできた仲間の死体によって押しつぶされ、脳震盪を起こしていたトミーガンのハンニャが、ふらふらと身体を起こす。「ウープス!いけねえ」ガンドーはホルスターに仕舞いかけていた左の49マグナムで普通に遠隔射撃を決め、これを射殺。イチロー・モリタはまだ眠っていた。

 恐るべし、暗黒武道ピストルカラテ。何たる殺傷力か!だが、その様子を密かに窺う者たちがいたことを、ニンジャならぬ常人であるガンドーには察知できなかった。ガンドー探偵事務所の向かいにある廃墟化したテンプラ屋の暗がりの中で、2人のザイバツ・ニンジャが戦闘の一部始終を観察していたのだ!


あらすじ:偶然にもヨロシサン製薬の陰謀を収めたフロッピーを入手したリキシャー・ドライバーのアナカは、これを使って大金を得る方法は無いものかと私立探偵ガンドーの事務所に向かう。だがフロッピーには防衛プログラムが備わっており、ザイバツ・シャドーギルドのニンジャが接近していた……。

 カコーンというシシオドシ電子音が、暗い廊下に響いた。湿った月は高く、ウシミツアワーが近い。北東からの風が松の枝葉を揺らす。アナカ・ヨモコは夫の帰りを待ちながら、夜の庭を眺めていた。これらの映像は、全てがイミテイションである。彼らは地下階層都市アンダー・ガイオンに暮らしているのだ。

(((あの人がこんな遅くまで帰ってこないなんて、珍しい……。そういえば、いつもとどこか様子が違っていた……)))ヨモコの脳裏に、不安がよぎる。夫が何か良からぬことに手を染めているのではないか、という第六感だ。その時、不意に電話が鳴り、ヨモコは小動物のように体を小さく揺らした。

 夫だろうか?そう考えながら、ヨモコはタヌキ電話に手を伸ばす。「ドーモ、アナカですが」「ドーモ、カナリハヤイ社の者ですが」「あ……夫がお世話になっております」「マコト=サンはお帰りですか?」「いいえ、帰ってきてからまたどこかへ……」「フロッピーめいた物を持って帰りませんでしたか?」

 「フロッピー?ちょっと分かりません」「帰ってきたら、すぐに電話をください。ではオタッシャデー!」ブツン、という音がヨモコの耳に突き刺さる。声の調子からも、先方はかなり焦っているようだ。不安を募らせたヨモコは、ショウジ戸を開けてシャッターの外を確認したが、通りにはだれもいなかった。


◆◆◆


 右手にはオートマチック拳銃、左手にはフロッピーディスク。アナカ・マコトは、ガンドー探偵事務所電脳室の机の下で震えていた。突然、あの特徴的な叫び声と共に狂言強盗団が事務所を攻撃し、ガンドーと殺し合いを始めたからだ。彼は銃撃でショウジ戸に穿たれた丸い穴から、事務所の様子を窺っていた。

 チャブの上に乗ったガンドーは、49リボルバーに弾丸を再装填しながら、事務所の惨状を見渡し大声で毒づいている。アナカには、何が起こったのかさっぱりわからなかった。ガンドーが裏社会の知識や武道に精通していることは察していたが、彼が殺し合いを繰り広げる姿を見るのは初めてだったからだ。

 アナカに殺人の経験はない。薬物の運びが、彼がこれまでに犯した最も重い犯罪だ。そしてその程度の犯罪は、ここキョート・リパブリックではチャメシ・インデントである。ガンドーがこの一件から手を引けと言った理由が、今ならばよく分かる。でも自分にはこれしか能が無いんだ、とアナカは独りごちた。

 意を決したアナカがガンドーの目を盗み、素早く電脳部屋から出て事務所を突っ切ろうとしかけた、まさにその時……!ガンドー探偵事務所のノレンをくぐり、2人のニンジャが事務所に姿を現した!

「ニンジャ!?ニンジャナンデ!?」ガンドーは泡を食って、チャブの上から二丁拳銃の銃口をそれぞれのニンジャに向けて威圧した。彼が本物のニンジャを見るのはこれが初めてである。彼は個人的にザイバツの調査を進めていたが、まだそのエージェントと接触を果たすほどの深入りはしていなかったのだ。

「「ドーモ」」2人のニンジャが同時にオジギをする。「シャドウウィーヴです」全身にクナイダート・ベルトを仕込んだ灰色装束のニンジャが先にアイサツした。「ブラックドラゴンです」次に、黒装束にウロコの模様を描かれたニンジャがアイサツした。彼の瞳に白目は無く、全てがオハギめいた黒だった。

「ハ!俺に何の用だ?紹介者なしの依頼は受けないぜ?」ガンドーの額に汗が滲む。「フロッピーを返してもらおう」ブラックドラゴンが言った。「…ははあ、解ったぞ」ガンドーがごくりと唾を呑む「お前ら、ザイバツ・シャドーギルドだな?」言い終わるよりも早く、ガンドーは両のトリガーを引いていた!

 BLAM!BLAM!49マグナムが唸りをあげる!だが次の瞬間、ニンジャたちは素早いブリッジでこれを回避!コワイ!常人には不可能な反射速度だ!「オイオイオイ!冗談だろ?!」チャブを蹴り、ピストルカラテの構えで飛び掛るガンドー!ブラックドラゴンは体を起こして、ジュー・ジツを構えた!

「「イヤーッ!」」ガンドーとブラックドラゴンのカラテが激突する!シャドウウィーヴは側転して距離を取り、ガンドーの後方から戦闘の様子を観察した。実のところ、彼はニュービーである。ザイバツ・シテンノの1人であるブラックドラゴンと共に行動することで、インストラクションを受けているのだ。

 シャドウウィーヴは、チャブの上からマスターの戦いぶりを観察していた。ガンドーもブラックドラゴンも、ともに互いの手の内を探り合っているような状態だ。……ふと、前方のソファに薄汚い浮浪者のような男が座って寝息を立てているのが見えたが、シャドウウィーヴはそれに何ら重要性を感じなかった。

「イヤーッ!」49リボルバーを握ったガンドーのストレートが、ブラックドラゴンに対し繰り出される!打撃で心臓を一時的に止めてから、直後に発砲して止めを刺すという、おそるべきコンボだ!……だが、所詮は常人の技である。ブラックドラゴンはニンジャ反射神経により、敵のカラテを易々とかわす!

「イヤーッ!」ガンドーの攻撃を回避したブラックドラゴンは、そのままガンドーの顔、胸、腹にキックを3連発で叩き込み、事務所の壁に向けて吹っ飛ばした!「グワーッ!」積み上げられたUNIX基盤が崩れ、埃が舞い上がる!「クソッタレめ!」ガンドーは唾を吐く。口の中が切れ、血が混じっていた。

(((驚いたな、こいつはマジでニンジャだ。まともにやって、勝てる気がしねえ)))ガンドーはズバリで覚醒したニューロン内で、冷静な戦力分析を行っていた。だが、相手がザイバツだとしたら、降伏は選択肢に入れられない。ザイバツの秘密に近づき過ぎてしまったものは、消されるに違いないからだ。

「イヤーッ!イヤーッ!」ガンドーは不屈の意志を表明するようにピストルカラテの演舞を決め、敵を威圧した。そして突撃!「「イヤーッ!」」再び、人間とニンジャのカラテが激突する!やはりブラックドラゴンの動きからは、手加減が感じられた……ニュービーに手本を見せようとしているかのような。

「シャドウウィーヴ!支援のプラクティスだ!」ブラックドラゴンは開脚ジャンプでガンドーの射撃を回避しながら、まっすぐ差し出した掌の指四本をクイクイと動かした。「ハイヨロコンデー!」シャドウウィーヴは両肩に備わったクナイを1本ずつ抜き、両腕をムチのようにしならせ投擲!「イヤーッ!」

 切れ味鋭いクナイ・ダートが、ガンドーめがけて飛ぶ!ナムサン!しかし2本ともガンドーの体にはかすりもせず、少し離れた床に突き刺さった!ニュービーゆえの過ちか?否!これこそが、シャドウウィーヴの持つ恐るべきカナシバリ・ジツだったのだ!見よ、影を縫われたガンドーは全く身動きが取れない!

「何だ?!」ガンドーは中腰でダブルパンチを繰り出した姿勢のまま、ローマ彫像のように凍り付いてしまった。「悪くない!」ブラックドラゴンはガンドーに接近し、顔、胸、腹へと連続キックを決め、反対側の壁に吹っ飛ばす!「グワーッ!」ガンドーはまるで動くモクジンのように弄ばれてしまっている!

 吐血するガンドー。ズバリのおかげで痛みは感じないが、アバラが何本かイカレているはずだ。「カナシバリ・ジツは解けただろう?もう数セット付き合ってもらおうか、カラテマン」ブラックドラゴンはガンドーを引きずり起こし、強制的にファイティングポーズを取らせた。

(((流石はマスター!あのピストルカラテ使いが、手も足も出ない!ブラックドラゴン=サンの下でよかった!ちゃんと経験が積める!レッドゴリラ=サンの下だったら、今頃死んでいたかもしれない!)))シャドウウィーヴは心の中で叫びながら、次の支援のために両肩から2本のクナイ・ダートを抜く。

 ……その時、シャドウウィーヴの視線はふと、前方のソファに座っている男のもとに引き寄せられた。ただの浮浪者とばかり思われていたその男の体は、いつの間にか、赤黒いニンジャ装束によって包まれていたのだ。ブッダ!思わぬ事態に、シャドウウィーヴは取り乱した!「ニンジャ!?ニンジャナンデ?!」

 シャドウウィーヴは、混濁したニューロンをクロックアップさせる。(((先程まで奴は薄汚い浮浪者だった。何故突然ニンジャ装束に?口元を覆う「忍」「殺」のメンポがどことなく不吉だ。しかし奴は未だ眠っている。今なら殺せるか?俺のクナイ・ダートで?マスターの判断を仰ぐ時間は……無い!)))

「イヤーッ!」極限状態にも近い一瞬の判断の後、シャドウウィーヴはソファでうつむき寝息を立てる謎のニンジャめがけて、2本のクナイ・ダートを投擲!(((眠っている相手ならば、影を狙う必要も無い!サヨナラ!その無防備な左右の頚動脈に、俺のクナイ・ダートを突き立ててやるぜェーッ!!)))

 ナムアミダブツ!2本のクナイが突き刺さる!だがその直前、謎のニンジャの指先が反射的に動き、人差し指と中指の最小限の動きでクナイをつかんでいた!タツジン!「忍」「殺」メンポの奥から深い呼気が漏れ、その男は両目をかっと見開く!「……ドーモ、ニンジャスレイヤーです。ニンジャ殺すべし!」

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」半ばパニックに陥ったシャドウウィーヴは、目の前の敵に向かってクナイ・ダートを狂ったように投げつける!ニンジャスレイヤーへの恐怖ではなく、この失態によってマスターであるブラックドラゴンに見限られるのではないかという不安が、彼を焦燥させているのだ!

「Wasshoi!」ニンジャスレイヤーはソファに座った姿勢のまま上方に跳ね上がりクナイ・ダートをかわすと、天井のシーリングファンに掴まり、体のバネを活かして素早くスウィングしてから、空中ブランコめいた痛烈なダブルカラテキックをシャドウウィーヴの胸板に叩き込んだ!「イヤーッ!」

「グワーッ!」シャドウウィーヴの体がくの字に折れ曲がって吹っ飛ぶ!電脳部屋へ続くショウジ戸が木っ端微塵に破壊され、UNIXに体を叩きつけられる!モニタが数個破壊され、激しい火花が散った!インガオホー!「アイエエエエエエエ!?」間近でニンジャを見たアナカは、成すすべも無く失禁する!

「ニンジャスレイヤー=サンだと!?」ピストルカラテを紙一重でかわし続けていたブラックドラゴンは、ガンドーに痛烈なサマーソルトキックを叩き込んでから、チャブ上のニンジャスレイヤーへと飛び掛った!「相手を入れ替えるぞ!」「ヨロコンデー!」シャドウは吐血しながらマスターの命令に答える!

「「イヤーッ!!」」チャブ上でタツジン同士のジュー=ジツが激突し、小規模なソニックブームが発生する!「オイオイオイ!俺の事務所を……!」頭を振って脳震盪から回復したガンドーはブラックドラゴンを追おうとしたが、電脳部屋からシャドウウィーヴが弾丸のように飛び出し、カラテを挑んできた!

「「イヤーッ!」」「「イヤーッ!」」「「イヤーッ!」」「「イヤーッ!」」ブッダ!たちまち、ガンドー探偵事務所の全域が壮絶なニンジャたちの戦場と化した!銃弾とスリケンとクナイとカラテが乱れ飛び、狂乱したマザー・バイオスモトリが屋内で転げ回ったかのような凄まじい破壊が引き起こされる!

「アイエエエエ!アイ!アイエエエエエ!アイエエエエエエエエエエエエエ!!」絶叫とともに電脳部屋から飛び出したのは、アナカ!全裸でスターリングラード攻防戦を駆け抜けるにも等しい、ほとんど自殺行為だ!だが彼は、ニンジャたちの戦闘の横を偶然にも無傷で走り抜け、屋外へと脱出!ゴウランガ!

「フロッピー重点!」ガンドーと戦闘を続けていたシャドウウィーヴのニンジャ動体視力は、ジャンク基盤の山の陰を小動物のように走り抜けて行くアナカの左手に、ミッションの目的であるフロッピーを確かに見た!だが何たるウカツ!ニュービーじみた一瞬の油断が、ガンドーに付け入る隙を与えてしまう!

「イヤーッ!」反動の力を乗せたガンドーの高速右裏拳が、シャドウウィーヴに対して繰り出される!しかも手首をひねり、鋼鉄のグリップを叩きつける構えだ!「イヤーッ!」シャドウウィーヴは右腕でこれを辛うじてガード!だがこれはフェイントであった!ガンドーの右脇の下から左の拳銃の銃口が光る!

 BLAM!49マグナムがオニめいた銃声を放った直後、シャドウウィーヴの右肘から先が、小型のブラックホールに呑まれたかのように丸い血の渦を描いて消し飛ぶ!「グワーッ?!」間髪入れず、ガンドーは射撃の反動をカラテの力に変え、右回し蹴りで相手を蹴り飛ばし、壁に痛烈に叩きつけた!

「ムウウウウウーッ!」シャドウウィーヴの劣勢と、フロッピー所持者の逃亡を確認したブラックドラゴンは、ニンジャスレイヤーの攻撃を素早い三連続バク転で回避してから高く後方跳躍し、事務所の隅に置かれたオブツダンの上に立膝姿勢で着地!そしておもむろに、口元を覆うカーボンメンポを外した!

 ナムアミダブツ!黒いメンポの下に隠されていたのは、違法サイバネ手術によって生み出された、ドラゴンを思わせる肉食爬虫類めいたおぞましい異形の口であった!針のように鋭い無数の歯が並ぶ!「シテンノ!」ブラックドラゴンが気勢を上げると、その口から刺激性の黒い煙が勢い良く吐き出された!

「「「グワーッ!」」」一瞬にして探偵事務所は黒い毒霧によって覆われる!ガンドー、ニンジャスレイヤー、シャドウウィーヴの視界が奪われ、眼球に激しい痛みが走る!「ゲホッ!俺の…事務所……!ゲホオオーーッ!」ガンドーが地べたを這う横を、弟子を背負ったブラックドラゴンが駆け抜けていった!

「オイ……待て……!ゲホッ!ゲホオオオーッ!」ガンドーは空気の流れだけを頼りに、外を目指し匍匐前進で進む。意識が遠くなる。後ろからイチロー・モリタ、いや、ニンジャスレイヤーの声が聞こえた「すまぬ、私のせいで」。するとガンドーの体が不意に軽くなり、一瞬後には屋外に運び出されていた。

 ガンドーは大きく空気を吸い、肺の奥から黒煙を駆逐した。アンダーガイオンの汚染大気が、初めて美味く感じられた。「悪いが話は後だ、あのニンジャどもを追う」鋭い声が聞こえ、すぐに遠ざかる。独り残されたガンドーは、道路で大の字に寝転がったまま、手帳を開いて呟いた「やっぱりブツメツかよ…」



あらすじ:ザイバツとヨロシサン製薬の陰謀を収めたフロッピーを偶然入手してしまった、リキシャードライバーのアナカ。私立探偵ガンドーの事務所にフロッピーを持ち込むが、そこへザイバツの刺客やニンジャスレイヤーが現れ修羅場に。アナカはガンドーの忠告を聞かず、フロッピーを持って逃げ……。

「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」アナカは目を血走らせながら、アンダー・ガイオンの猥雑たる繁華街を駆け抜ける。ストリートオイラン、ヤクザ、無軌道学生、夜勤サラリマンなどを乱暴にかきわけながら。「スッゾコラー!」「ザッケンナコラー!」ヤクザたちの罵声は、すぐに後方へと消えていった。

(((まさかニンジャが実在するなんて…)))アナカがこれまで抱いていた世界に対するリアリティが、ニューロンの中で激しい音を立てて崩壊を始めていた。一般的な日本人にとってニンジャは半神的存在であり、フィクションの中の怪物と考えられている。

(((くそったれめ!ニンジャが何だ!俺にはこれしかない!俺みたいな労働者が妻を連れてアッパー・ガイオンに行くには、どうしてもこのフロッピーで大金を掴む必要があるんだ!ヨモコ!待っていろよ!大金を持って帰るからな!)))アナカは自分を言いくるめるように、ニューロンの中で独りごちた。

 急性バリキ中毒とニンジャリアリティ・ショック症状を同時に起こしてしまったアナカの頭は、ひどく混濁していた。だが、仮に彼が正気だったとしても、ガンドーという協力者無しでどうやってフロッピーからカネを作るのか、そしてカネを手に入れたらどうするのかについて、ビジョンは皆無だっただろう。

(((フロッピーと拳銃、フロッピーと拳銃だ!どうやってカネを作る?考えろ!考えろ!考えろ!…いや、今は走れ!ニンジャから逃げ切るんだ!)))アナカは思考を停止した。彼は意固地になっていた。どう考えても現状を打開する術はない。その事実から無意識のうちに目を背け、アナカはただ走った。

 信号で一時停止を余儀なくされていると、「サービスの範囲内」と書かれたプラカードを持つストリート・オイランの腕がアナカの肩に絡みつき、犯罪的に豊満な胸の谷間を押し付けてきた。バリキ中毒で覚醒した脳が、香水やフェロモン臭をいつもより敏感に感じ取って、アナカの心臓を激しく拍動させる。

「ウ?ウワーッ!ウワーッ!」罪悪感と激しい欲情がニューロンの中でヨコヅナ級タイトルマッチを開催し、アナカは頭を掻きむしる。右手にオートマチック拳銃を握ったまま。「アイエエエエ!サイコ野郎!?」身の危険を感じたストリートオイランは、咄嗟に悲鳴を上げ、アナカを車道に突き出した。

 ブロロロロロン!!パパオー!モウン!!モウーン!!パッパパパパパオー!!水牛を満載にしたチョッコビン・エクスプレス社のトレーラーが、四つん這いのアナカめがけ猛スピードで突っ込んでくる!コワイ!ズバリ中毒にあるアナカの目には、それが巨大なピンク色の象に見えた!「アババババーッ!?」

「アイ!アイエエエエ!」アナカは道路に身を投げ、咄嗟に仰向けになる。ナムサン!暑い排気ガスが、アナカの頬を撫でた。力無く失禁。チョッコビン社のトレーラーは、幸運にも鼻先数センチの場所を通過してゆく。「アイエエエエ!」アナカはフラフラと起き上がり、頬を叩くと、再び闇雲に駆け出した。

「ハァーッ!ハァーッ!」それから数十分、アナカは走り続けた。あてどもなく階層を上下し、裏路地や雑踏を駆け抜けた。ケミカル臭の汗が滴る。今、彼を最も力強く誘惑するのは、ストリートオイランではなく、100メートルおきに等間隔で配置されたヨロシサン製薬のバリキドリンク自販機であった。

 ブルゾンの中には、家から持ってきた百円玉が数枚。僅か数百円ではあるが、絶対に無駄にしたくない。妻とアッパー・ガイオンに行くために、職場での付き合いを拒否し続けて貯めたカネだ。だがバリキ自販機が現れ、その横に立つ扇情的なノボリを見るたび、スリットに百円玉を入れたい衝動に駆られる。

(((アイエエエエ!駄目だ!バリキドリンクなんか買っていたら駄目だ!頭がこれ以上おかしくなったらどうする!それに、スリットに100円玉を入れている間にニンジャに追いつかれるかも?!相手はニンジャだぞ!購入ボタンを押したらドリンクの代わりにニンジャが出てくるかもしれない!)))

 それでも「実際安い」というノボリを見ると、アナカはついフラフラと自販機の前でスピードを落とし、100円玉をスリットに投入してしまうのであった。キャバァーン!思考力を奪う戦闘的な電子音が鳴り響き、激しいレインボーパターンで購入ボタンが点灯する!ナムアミダブツ!

「ウワーッ!!ちくしょう!ちくしょう!何で薬物がこんなに簡単に手に入るんだよこの国は!」アナカはドリンク取り出し口に向かって叫びながら、さらにオートマチック拳銃を突っ込み、わけのわからないことを叫びながらトリガーを3度引いた。「アーレー!」「コワイ!」周囲の市民は逃げ出していた。

 キャバキャバァーン!!アナカの撃ち込んだ銃弾によって誤作動が起こったのか、自販機に備わったディジタル・スロットが回転し、「ヨ」「ロ」「シ」「サ」「ン」の5文字が揃った!取り出し口から無数のバリキドリンク、ザゼンドリンク、タノシイドリンク、コブラ9などが吐き出される!

「バリキドリンクだ!」「タノシイドリンク!」遠巻きに成り行きを見守っていた市民たちが、銃を持ったまま取り出し口に向かって叫び続けるアナカのことも忘れ、ジゴクのグールたちのようにドリンク剤に群がり始めた。ヨクバリ!まさに古事記に予言されたマッポー・アポカリプスの一側面である!

「俺のドリンクだ!俺のドリンクを取るな!!」アナカは上に向かって一発発砲し、強欲な下層市民たちを威嚇してから、道路に散らばったドリンク数本を手当たり次第にポケットに押し込み、そのまま走り去る。アナカがいなくなると、再び下層市民らがこれに群がって、見苦しい奪い合いを始めた。

 それからどこをどう走ったのか。気がつくとアナカは、長い一本道のシャッター街を駆け抜けていた。そうとう深い階層まで来たのかもしれない。シャッターや壁にも「アブナイ」「法律が通用しない」「スラムダンク」などの、剣呑なスプレー文字が目立ち始めた。ドラム缶もそこかしこに転がっている。

 重低音と炎の灯りが、先のL字路を曲がった先から漏れ出してくる。何かまずい場所……ギャングのアジトや、ペケロッパ・カルトのネストのような一帯に足を踏み入れてしまったのでは?アナカは本能的にそう感じとった。しかし戻る道は無い。一本道を引き返せば、ニンジャに掴まってゲームオーバーだ。

 ナムサン!アナカは勢いに任せL字路を曲がった!その直後、交代で見張りに立つために歩いてきていた逞しいモヒカンが、アナカと出会い頭で衝突する!ふらつくアナカ。反射的にモヒカンは、鋼鉄トゲ付きリストバンドが巻かれた腕でアナカを捕まえる!「アイエエエ!?アナカ!?アナカじゃねえの?!」

 このモヒカン、カナリハヤイ社の同僚、サトウ=サンでは!?サイオー・ホース!目の前には、タジモト率いるリキシャー・ギャング団のアジトが広がっていたのだ!L字路の先は隙間無く積み上げられた赤いショーユ・ドラム缶で行き止まりになっており、タタミ百畳ほどの小さな空間が横たわっていた。

 この掃き溜めのような空間には、ありとあらゆるアナーキー的な要素が押し込められていた。粉っぽいガレキ、トゲトゲのレザーを着たモヒカンやチョンマゲ、ブラックメタルを流し続ける大型スピーカー、イカを焼くドラム缶、文字にするのもはばかられるネオンサインの数々、有刺鉄線で囲われた土俵……。

 そしてその中央には、大型ハーレーによって引かれるけばけばしい改造リキシャー!座席部分はタタミと豪奢な紫色のフートンで形作られ、両脇にストリート・オイランを侍らせたタジモトが、とても高級なオーガニック・トビッコスシを喰らっていた!

 タジモトはサイバーサングラスに備わった赤いライトで、この思いがけない闖入者の姿を捉える。「ア?お前こんなとこで何してンノ?」それから油断ならない手つきで左右のオイランの胸を揉んだ。「アタシ今体温何℃あるのかなーー!!」薬物を打たれたオイランたちは、うわ言のような嬌声をあげるのみ。

「ア?ていうかアナカ、お前、手にそれ何持っちゃってるワケ?拳銃と、フロッピー?」タジモトはリキシャーから飛び降りると、トビッコ粒がついた口元に嫌らしい笑みを浮かべながら、興味深そうにアナカのもとへ歩み寄った。「助けてくれ、タジモト=サン!ニンジャに!ニンジャに追われてるんだ!!」

「ニンジャ…?」タジモトが呟く。その場にいた全員が無言になる。直後、連鎖爆発のように全員が一斉に腹を抱えて笑い出した。「ニンジャに追われてるってよ!」「ニンジャ!ニンジャナンデ!?」「ニンジャ!ニンジャー!」「アタシ今体温何℃あるのかなーーー!!」「ニンジャが実在するかよバカ!」

「タジモト=サン、俺が見てきます、ニンジャが本当にいたらヤバイですから!」レザーベストを着たチョンマゲが、軽い足取りでガレキを踏み越え、シャッター街へと向かった。「うん」タジモトは興味なさそうに相槌を打った後、アナカの前に手を差し出した「アナカ、その拳銃とフロッピー寄越すよネ?」

「ナンデ?」アナカは血走った目と銃口をタジモトに向けた。「ア?ナンデって、カネの臭いがプンプンするじゃん、ソレ。フロッピーとか、良くわかんないけどサ。ア?ていうか、アナカさ、ナンデ俺に銃口向けてンノ?職場の先輩だよね、俺」

「ア?ア?」ヤクザじみた威圧的な足取りで、タジモトが近づく。アナカの腕が震える。果たして彼のニューロンに、どのような不正パルスが走ったのかは定かではないが、アナカはマグロのように口をパクパクさせながら……静かにトリガを引いた。BLAM!銃弾がタジモトの胸めがけて飛んでゆく!

 無謀な弾丸で、人生の突破口は開けるだろうか?時と場合によるが、今夜は不可能であった。キィン、という耳障りな金属音が響いた。衝撃でタジモトの体が数センチ浮く。肉体の8割以上をサイバネ置換したタジモトに銃弾は効かなかった。レザーベストを貫通した弾丸は、金属線維製の左胸で潰れていた。

 アナカがもう一発トリガーを引こうとした直前、タジモトの痛烈なパンチが彼の顔面にめり込んでいた。インガオホー!視界を暗転させたアナカは、体をきりもみ回転させながら吹っ飛び、土俵の周りの有刺鉄線柵に背中から突っ込んで、そのまま糸の切れたジョルリのように気絶した。

「ア?何、ちゃんと差し入れも持って来てんジャン?偉いネ、アナカ」タジモトは、気絶してなお硬く握られたアナカの手から拳銃とフロッピーを無理矢理引き剥がした後、ポケットからドリンクを奪って取り巻きたちに投げ渡した。「後で、皆でアナカの家に遊びに行こうカナ?奥さんにアイサツしないとネ」

 その時!シャッター街から不意に悲鳴が上がった!「アイエエエエエエエ!ニンジャ!ニンジャー!」偵察に出ていたチョンマゲの声が響く!

 まさか本当にニンジャが?全員がシャッター街へと続く暗がりに注目する。……しかし現れたのは、ベストをニンジャ頭巾のごとく顔に巻いたチョンマゲであった。「イヤーッ!ニンジャ!タツジン!」チョンマゲはでたらめな構えでチョップやキックを繰り出す。その場にいた全員は、また大いに笑った。

「何だよ!ニンジャはいなかったのかよ!」ヤリを持ったモヒカンが、土俵の上から声をかける。チョンマゲはベスト頭巾を取って素顔を露にし、ベストを羽織り直しつつ笑った「当たり前だろ!ニンジャが実在するワケ……あれ?」チョンマゲは自分の右こめかみに突然突き刺さった、鋼鉄の塊に手を伸ばす。

「あれ?この形は、スリケン?あれ?てことは、ニンジャ?」チョンマゲがそう言い終わらぬうちに、続けざまに2枚のスリケンが闇を切り裂きながら飛んできて、チョンマゲの頬と頚動脈に突き刺さった。「アイエエエエエエ!」チョンマゲは絶叫し、首からスプリンクラーのごとく血を噴き出させつつ即死!

 チョンマゲが倒れた次の瞬間、闇の中から連続バク転を打ちながら、2人のニンジャが姿を現す!「「イヤーッ!」」銃器を持ったギャング達が闇雲に発砲するが、ニンジャの体にはかすりもしない!「ウオオオーッ!」サスマタやヤリを持ったモヒカンたちが、タジモトの命令を受けて突き進む!

 片腕を失い、応急キットで止血を行ったシャドウウィーヴ。戦闘力は格段に落ちている。だがカラテの訓練すらされていない常人に対しては、片腕でも十分だった。「イヤーッ!」「アバババーッ!」前蹴りで蹴り飛ばされたモヒカンの生首が、奥の壁に設置されたバスケットゴールに収まる!スリーポイント!

 ブラックドラゴンの戦法は極めて残虐なものだった。「イヤーッ!」まずはモヒカンの両腕をチョップで切断した後、棘のように鋭い歯でモヒカンの喉を噛み千切る!T-REXのごとき顎!首をひねってマグロめいた肉片を後方に投げ捨てると、両腕と首を失ったモヒカンはすでに失禁しながら絶命していた!

「「「アイエエエエエエエエエエエエ!」」」恐慌状態に陥った下っ端のギャングたちは、レミングスのように逃げ惑う。だが、このL字路の袋小路に出口は無く、逃げ出すにはニンジャたちの横をすり抜けるしかないのだ。…そして無論、ニンジャたちには、1人たりとて目撃者を逃がすつもりなどなかった。

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」シャドウウィーヴは側転から開脚ジャンプを決めた後、空中でクナイ・ダートを3連発!クナイは隅を走り抜けようとしたギャング3人の影に突き刺さる!ナムアミダブツ!カナシバリ・ジツが働き、ギャングたちはその場で身動きが取れない!「ナンデ!?ナンデ!?」

「イイイヤアアーッ!」ブラックドラゴンが連続バク転を決め、身動きの取れないギャングたちへと迫る。そして流れるようなチョップで3人の首を次々と切断!「「「ナンデアバーッ!?」」」壮絶な地獄絵図!「「アタシ今体温何℃あるんだろーーー!!」」オイランたちも改造リキシャーの上で絶叫した!

「ナマッコラー!スッゾコラー!!」棍棒を持った巨漢のリキシャードライバーが、酒に焼けた声を振り絞りながら、ブラックドラゴンに殴りかかる!豪快なスイング!だがブラックドラゴンは素早いダッキングでこれをかわし、巨漢の胸にパンチを8発、腹に4発のケリ・キックを叩き込んだ!「イヤーッ!」

「オボーッ!」激しく嘔吐するリキシャードライバー!さらにブラックドラゴンは爬虫類めいた滑らかな動きで相手の背後に回り込み、ニンジャ筋力を使って巨体をバックブリーカー的に抱え上げる!そしてイカを焼いていたドラム缶の中に頭から叩き込んだ!「オゴーッ!」巨漢は足をばたつかせながら絶命!

 殺戮開始からわずか1分。すでにこの空間には、四肢や首を切断された死体が30体以上転がっていた。まるでツキジだ。ブロロロロロオン!大型ハーレーが唸りを上げる!タジモトの乗り込んだ改造リキシャーが牽引され、ライオンの絵と「連合グループ」とミンチョ体で書かれたネオンが威嚇的に点滅する!

「ザッケンナコラー!」タジモトはローマ式戦車めいた改造リキシャーの座席から、サイバーショットガンでシャドウウィーヴを狙う!BLAM!BLAM!オイランが泣き喚く!さらにこれを牽引するハーレーの操縦者も、ライトの横に備わった火炎放射器で敵を丸焼きにせんと、猛スピードで迫った!

「イヤーッ!」シャドウウィーヴは大きく開脚ジャンプし、軽々とこの突進を回避!リキシャーバイクの行く手にはブラックドラゴンが待ち構えており、その口から黒い煙を吐きかけた!「「グワーッ!」」「「アーレエエエエ!」刺激性の毒ガスが、ギャングやオイランから視界を容赦なく奪い去る!

「アイエーエエエエエエエ!!」大型ハーレーは、偶然ガレキの中に置かれていた古いダットサンをジャンプ台のように使い、そのままキリモミ回転しながらジャンプ!後方でダットサンが爆発し、派手な火柱が上がった!衝撃で固定具が破壊され、改造リキシャーは横転!オイランとタジモトが投げ出される!

「イヤーッ!」シャドウウィーヴはイカ焼きドラム缶から突き出していた巨漢の両足の裏を足場にして着地すると、そのまま軽やかにムーンサルト・ジャンプを決め、空中からクナイ・ダートを連発した!「「アーレエエエエエ!」」サツバツ!オイランたちは額にクナイを突き立てられ即死!

 タジモトはむせ込みながら立ち上がる。右のこめかみに指を伸ばし、視神経をシャットダウンして、サイバーサングラスの映像とニューロンを直結させる。直後、目の前に、コールタールのように真っ黒い目玉を持つニンジャの顔が現れた。「アッコラー!」タジモトは反射的に右のサイバーパンチを繰り出す!

 しかしサイバネ義手で武装されたタジモトの右腕は、ブラックドラゴンのジュー・ジツによって軽々と受け流されてしまう。そして鋭いカラテで肘から先を切断!「アイエエエエエ!」さらに耳の近くまで裂けたブラックドラゴンの口が、タジモトの顔面に噛みつく!コワイ!鼻と口に対して直に黒煙を注入!

 いかに全身をサイバネ置換し、強力な合金で体表の弱点を覆っていたとしても、体内に毒ガスを注ぎ込まれれば無力!「脳!溶けた!脳!!溶けた!!」タジモトは失禁しながらガレキの上に転がり、虫のように体をばたつかせた!胸元からフロッピーがまろび出て、ブラックドラゴンが抜け目なくそれを奪う!

「このフロッピーを奪った黒幕はお前か?とてもそのようなインテリジェンスがあるようには見えんが……」ブラックドラゴンは、タジモトの右手にインプラントされた労働者ICチップをスキャニングする。不審な点は無い。どこかの末端ヤクザクランとつながりを持つ、ただのギャングの1人だろう。

「俺じゃなくて……あっちにいる……土俵のところにいる……アナカって奴です……あいつが……偶然……フロッピーを持ってきてアバーッ!」タジモトは途中まで言いかけると、鼻の穴から粘液化した脳味噌を垂らして絶命する。ブラックドラゴンはゆっくりと、土俵の脇に横たわるアナカに視線を向けた。

 シャドウウィーヴも、ブラックドラゴンの後ろに続いてアナカへと近づく。アナカは気を失っているのか、あるいは死んでいるのか……仮に生きていたとしても、有刺鉄線に絡め取られて立ち上がることすら困難だろう。メンポを付け直したブラックドラゴンはかがみこみ、スキャナをアナカの掌に近づけた。

「カナリハヤイ社勤務……25歳……妻1人……通常居住区……」ブラックドラゴンはアナカの労働者データをスキャニングする。やはり単純に、ヨロシサンの営業がカナリハヤイ社のリキシャーにフロッピーを置き忘れた……それだけのくだらない事件だったのか?ブラックドラゴンは眉を寄せた。

「う……あ……」ピコピコピコピコというスキャニングの電子音に気付き、アナカがゆっくりと目を開けた。視界はまだぼやけている。アンタイブディズム・ブラックメタルの重低音が、バチバチと火花を散らす近くのウーファースピーカーから響き、ジゴクで乱打されるタイコのように脳髄を揺らしていた。

「おい」ブラックドラゴンはシャドウウィーヴからクナイを1本受け取ると、それをアナカの掌に無造作に突き刺した。「アイエエエエエエ!」正気づき、叫び声を上げるアナカ。「答えねば殺す。このフロッピーを手に入れたのは偶然か?」「はい」「ヨロシサンの営業をリキシャーに載せたか?」「はい」

「だがどうも腑に落ちん」ブラックドラゴンは一切の感情を見せない漆黒の眼でアナカを見た。「タカギ・ガンドーやニンジャスレイヤーとの接点が謎のままだ」「アー……ハイ……アー……」アナカは何かを訴えようとしたが、ろれつが回らない。「連れ帰って尋問するか」「アー……帰してください……家」

「お前の女も一緒に尋問する」「アー……?」「お前の労働者データは全てスキャンした」「アー……・?」「今頃クローンヤクザ軍団が、お前の家に向かっているところだ」

(((ヨモコが、ヤクザに?)))突如、アナカのニューロンが混濁状態から醒めた。急性バリキ中毒が自然に切れたのだ。だがこれには副作用もある。アナカの呼吸が速まり、体内酸素濃度が急上昇を始めた。手足が硬直し、ヒモノのように動かなくなってゆく。喉が詰まり声も出ない。「アーッ!アーッ!」

(((ごめん、ヨモコ…。アッパーに行くには、危ない橋を渡るしかなかった。俺には何も無いから。それしかないだろ。でも、死ぬなら俺だけだろうと思ってた!それが、まさかニンジャだなんて!お前を巻き込むことになるなんて!ブッダ!こんな理不尽が許されるのか!?何でニンジャなんだよ!?)))

「アーッ…」だがアナカの叫びは声にもならない。彼の精神は発狂寸前だ。(((誰か!俺に力を!憎い!ニンジャが憎い!……力をくれ!俺に力をくれ!ニンジャを殺す力を!……俺をニンジャにしてくれ!俺は目の前のニンジャを殺し!全ニンジャを殺し!ヨモコのところまで!走り抜ける!ヨモコ!)))

「Wasshoi!」路地を塞ぐ陰鬱なショーユドラム缶の山を、鋭角的なトビゲリで突き破りながら、赤黒いニンジャ装束の男がこのキリングフィールドへと乱入してきたのだ!そしてイカ焼きドラム缶から生えた二本の足の上に着地!ゴウランガ!炎に照らされ、「忍」「殺」の鋼鉄メンポが不気味に輝く!

 腕を組んだ直立不動のポーズを取ると、ニンジャスレイヤーは拳と掌を合わせて静かにオジギした。滾る殺忍衝動を象徴するかのように、首に巻かれたマフラー状の襤褸布が風も無いのに後方に吹き流される。「ドーモ、ブラックドラゴン=サン、シャドウウィーヴ=サン……ザイバツニンジャ、死すべし!!」



あらすじ:ヨロシサン製薬とザイバツの陰謀を収めたフロッピーを偶然入手した、リキシャードライバーのアナカ。ザイバツの放った2人の残忍なニンジャは、地下階層都市アンダーガイオンの路地裏にアナカを追い詰めた。もはやこれまでか?だが、そこへニンジャスレイヤーが現れ、オジギをしたのだ!

「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン、ブラックドラゴンです」「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン、シャドウウィーヴです」2人のザイバツニンジャは抜け目ない警戒感とともにオジギを返す。その直後!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーが跳んだ!ブリッツクリーグめいた電撃的トビゲリが空気を裂く!

 その狙いはシャドウウィーヴ!ニュービーにありがちなオジギ終了後の硬直時間を突いた、見事なアンブッシュだ!「イヤーッ!」シャドウは咄嗟に両腕でこれをガード!だが片腕を半分失っている彼にとって、ニンジャスレイヤーのトビゲリはあまりに痛烈すぎた!「グワーッ!」激痛に顔を歪めるシャドウ!

「イヤーッ!イヤーッ!」着地と同時に、流れるような動きでシャドウの負傷した片腕に四連続キックを叩き込むニンジャスレイヤー!敵の負傷箇所を見逃さない、無慈悲なサツバツファイトだ!「グワーッ!」シャドウの姿勢が崩れる!刹那、ジュー・ジツ・タックルを決めてマウントポジションを奪った!

 シャドウウィーヴに馬乗りになったニンジャスレイヤーは、右ストレートを敵顔面へ叩き込む!「イヤーッ!」「グワーッ!」左!「イヤーッ!」「グワーッ!」右!左!右!左!右!左!ブラックドラゴンとシャドウウィーヴの連携を見たフジキドは、まずこの支援役を爆発四散させるべきと判断したのだ!

 シャドウウィーヴの視界にサンズ・リヴァーの影がちらつく!あと1発でも強打を叩き込まれれば、彼は死ぬだろう!「イイイヤアアアアーッ!」ニンジャスレイヤーは右腕を高く振り上げ、必殺のカイシャク・ブロウを打ち下ろすためのタメを作った!だがそこへ、背後からブラックドラゴンの低空トビゲリ!

「グワーッ!」ナムサン!ニンジャスレイヤーの体がワイヤーアクションめいて弾き飛ばれ、イカ焼きドラム缶に激突!あと1秒あればシャドウウィーヴを爆発四散させられていたであろうが、カバーに入るのがザイバツ・シテンノのブラックドラゴンであることを考えると、この作戦は少々無謀すぎたのだ。

「シャドウウィーヴ、負傷したお前はむしろ足手まといだ」ブラックドラゴンは黒い眼をニュービーに向け、フロッピーを投げ渡した「先に戻れ。俺はニンジャスレイヤー=サンを始末してから戻る」「……ハ、ハイヨロコンデー!」シャドウは首を振って視界を取り戻し、ジゴクめいた袋小路から逃走を図る。

 絡みつくイカを振り払いならがネックスプリングで体を起こしたニンジャスレイヤーは、L字路を走り去ろうとするシャドウウィーヴの背後めがけて4発のスリケンを投擲!背を見せた敵に対して、まるで息をするかのように取る、ほとんど反射的な行動である!「イヤーッ!」

「イヤーッ!」ブラックドラゴンも素早く4枚のスリケンを投擲してこれを撃墜!鋭い金属音が袋小路に響く!「ニンジャスレイヤー=サン、お前の相手はこの俺だ!シテンノ!」ブラックドラゴンは前方宙返りジャンプでニンジャスレイヤーとの距離を一気に詰める!「「イヤーッ!」」両者のカラテが激突!

『……真の物語を歌う、三度呪われしオイランの声はキョート山脈の寂しい雨に消え。タイガーに騎乗したブッダの軍勢が村々を焼き落とし、油断ならない速度で俺の元へ近づく。剣を取れ。呪われし者達の聖戦の刻。俺は錆び付いた血濡れのマサカリを振り上げ聖徳太子の首を撥ねる!聖徳太子の首を!……』

 ……聖人を殺せと歌うブラックメタルバンド「カナガワ」のマッポー的な楽曲が大型スピーカーから吐き出される中、2人のニンジャは一進一退のカラテを続ける!「「イヤーッ!」」両者のカラテの実力はほぼ互角!(((ナラクの力さえあれば…)))フジキドは浮かびかけたその考えをすぐに拭い去った。

「「イヤーッ!イヤーッ!」」両掌を目の前で回転させ、猫同士がじゃれあうかのような動作を取るニンジャたち。もし両者の間に冷凍マグロを投げこめば、一瞬にしてネギトロと化すだろう。常人にとても理解できないだろうが、実は極めて致命的な打撃、防御、受け流しが超高速で繰り返されているのだ。

「イヤーッ!」ここで意表をつくブラックドラゴンの足技!ニンジャスレイヤーはこれを難なくガード。だがこれはフェイントであった。ブラックドラゴンはメンポを外し、ニンジャスレイヤーの顔面目掛けて強酸性の黒煙を吐きかける!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはこれを紙一重の側転で回避!

 ニンジャスレイヤーはそのまま5連続の側転を決めた後、「大好評」と極太ミンチョ体で書かれたネオン・カンバンを蹴って飛び、有刺鉄線土俵の上にひらりと着地した。そして乱れかけていたジュー・ジツを整え直す。(((あの毒煙攻撃がある以上、至近距離での戦闘は不利か……)))

「随分とザイバツ・ニンジャを殺してくれたようだな、ニンジャスレイヤー=サン!死ね!このアンダーガイオンがお前のオブツダンだ!」ブラックドラゴンはオブシダンめいた黒眼を残忍な殺意によってギラギラと光らせながら、ニンジャスレイヤーの立つ土俵へと飛び込んでくる!コワイ!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは手近なドラム缶をキックで破壊する!ゴウランガ!中からリーチに優れるヤリが出現!これならばブラックドラゴンの毒煙を警戒しながら、6フィート離れて戦うことができるか?ヤリを構えたニンジャスレイヤーは突きを連発で繰り出し、ブラックドラゴンを迎え撃つ!

 確かに、ニンジャスレイヤーはヤリ・ジツなど体得していない。だが彼の持つ圧倒的なカラテによって繰り出される高速突きは、ブラックドラゴンを警戒させ、中距離を保ちながら有利な間合いで戦いを進めるために十分な威力を持っていたのだ。「ニンジャスレイヤー=サン、味な真似をッ……!」

 ヤリをかわしダッキング・ステップで飛び込んだブラックドラゴンに対し、ニンジャスレイヤーのレッグスイープが決まる!「イヤーッ!」「グワーッ!ウカツ!」ブラックドラゴンの体が土俵に倒れ、塩じみた砂煙が舞い上がった!

「イヤーッ!イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは敵に容赦なく止めを刺すべく、すかさずヤリを足下のブラックドラゴンに対して連続で突き出す!「イヤーッ!イヤーッ!」ブラックドラゴンは素早く横に転がり、紙一重で回避!鋭いヤリの穂先が、チーズをえぐるアイスピックのように土俵に次々と穴を穿つ!

 ここで一瞬、ヤリが深く土俵に突き刺さり、動きが鈍る。「シテンノ!」ブラックドラゴンはスプリングキックを繰り出し、土俵の周囲を覆う有刺鉄線柵めがけてニンジャスレイヤーを蹴り飛ばした!続けざま、ブラックドラゴンは手近なドラム缶をキックで破壊!ナムアミダブツ!中から長いボーが出現した!

 ボーとは、戦闘用に作られた棒状の武具である。宗教戒律上、刃物が使えないバトルボンズたちのために生み出された、古の殺人武器なのだ。「イヤーッ!」ブラックドラゴンはボーを巧みに操り、肩や脇の下を通しながらぐるぐると回転させた後、その強度を確かめるように土俵を叩き、戦闘姿勢を取った!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーの痛烈なヤリ・スラスト! だがブラックドラゴンはボーの先端を精密マニピュレータのように回転させ、ヤリの突きを受け流した。さらに、土俵を突いたヤリの穂先を自らの足先で踏みつけてニンジャスレイヤーの動きを封じた状態で、ボーを大きく振り回す!

「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの体に、何発もボーの強打が浴びせられる!古代ニンジャ神話において、イカは仲間たちから恨みを買い、浜辺で仲間たちに囲まれてボーで叩かれたため、全ての骨を失ったといわれる。ブラックドラゴンのボー攻撃は、こうした古事を髣髴とさせるほどの無慈悲さであった!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはカラテを振り絞り、ヤリを勢い良く持ち上げる。穂先を踏んでいたブラックドラゴンの体が、ニンジャスレイヤーの後方へと投げ飛ばされた。その着地硬直を狙って、ニンジャスレイヤーが背後へと駆け込む!ヤリを捨て、必殺のカラテチョップに全てを賭ける構えだ!

「イイイイヤアアアアアーッ!」右手を斜めに振りかぶりながら、土俵を蹴って駆け込むニンジャスレイヤー!一撃で敵の首をカイシャクするつもりだ!だが、おお、ナムサン!ブラックドラゴンは着地と同時に前転して立膝の姿勢を取った後、後方を薙ぎ払うようにボー・レッグスイープを繰り出したのだ!

「グワーッ?」ニンジャスレイヤーはボーに脚を打たれ、転倒!インガオホー!勝利を焦り、上半身にばかり意識を集中したからだ。ああ、ナラク・ニンジャが健在であれば、おそらくフジキドをそう罵ったであろう。だがナラクはラオモトとの最終決戦でカラテを使い果たし、休眠状態に入ってしまったのだ。

「イイイヤアアアアーッ!」ブラックドラゴンもボーを投げ捨て、最大最強のジツを使うべく自らの喉元に手を伸ばす「シテンノ!」。おそるべき掛け声と共に、ショドーのごとく黒く濃い強酸性の毒煙が吐き出され、土俵際に転がるニンジャスレイヤーの体を包み込んだ!「グワーッ!」

 ニンジャスレイヤーは素早くネックスプリングで立ち上がり、息を止めたまま毒煙からの脱出を試みる。だが……おお、ブッダ!ブラックドラゴンが吐き出した濃い黒煙は、まるで意志を持った影のようにニンジャスレイヤーの周囲にまとわりつき、雲散する気配も無く彼を責め苛む!「グワーッ!グワーッ!」

「俺のジツにかかったな、ニンジャスレイヤー=サン!お前の負けだ!」ブラックドラゴンは視界を失った敵の側面や背面をキープし続けながら、情け容赦の無いカラテの連打を叩き込む!これぞブラックドラゴンの奥の手、おそるべきヤミウチ・ジツであった!このジツにかかって生き延びたニンジャは皆無!

 背後からのケリキック!「イヤーッ!」「グワーッ!」右側面からのトラースキック!「イヤーッ!」「グワーッ!」左側面からのサマーソルトキック!「イヤーッ!」「グワーッ!」背後!右!左!背後!右!左!背後!右!左!「グワーッ!!」視界を完全に奪われたニンジャスレイヤーには成す術がない!

「とどめだニンジャスレイヤー=サン!サヨナラ!」ブラックドラゴンは5回バク転を決めて距離を取った後、毒煙に包まれたままのニンジャスレイヤーへと一直線に駆け込み、イナズマめいたトビゲリを繰り出す!「イイイイヤアアアーーッ!」「グワーーーッ!」ニンジャスレイヤーの体が弾き飛ばされた!

 まるで車が衝突したかのような衝撃!ニンジャスレイヤーは壁に背中から叩きつけられる!表面のコンクリートが割れ、中のレンガまでもが砕け散った。「大好評」と書かれたネオンカンバンが、バチバチと火花を散らしながら落下し、ニンジャスレイヤーの体を押し潰した!ガレキの粉塵が周囲に巻き上がる!

 それでもまだ黒煙は晴れない。コワイ!何たる危険なジツであろうか!煙が肺に忍び込み始めたが、フジキドの体は動かない。意識が薄れ始めた……思考が言葉から01111010111111010111へと変わってゆく……

 ……「ここは…」ニューロンに構築されたローカルコトダマ空間内に、フジキドは立っていた。わずか8畳の暗い和室。窓の外からは湿った重金属酸性雨の音が聞こえる。ここは言わば精神のチャノマであった。バーバヤガとの接触によって、フジキドが不完全な形で得たコトダマ空間へのアクセス能力である。

 だが、フジキドにはまだこの能力の意味が理解できていない。彼は今、単に死の淵に立ち幻影を見ていると思っていることだろう。下を見下ろすと、「忍」「殺」と毛筆で書かれたフートンの中に、ナラクらしき人影が覚束ない眠りを眠っていた。タタミの上に立つフジキドは、それを静かに見下ろし近づく。

「ナラクよ」フジキドはフートンの横にどっかと腰を下ろし、アグラを組んだ。「ナラクよ、ニューロンの同居者よ。オヌシはまだ起きられぬのか?目の前にニンジャがいるというのに」だが返事はない。フジキドはいささか自己嫌悪に陥った。今回の敗北の責任を、ナラクに向けているような気がしたからだ。

 ナラクが休眠状態に陥ってしまったそもそもの理由は、ラオモトのヒサツ・ワザから、フジキドの肉体を守りぬくためであったというのに。「……ナラクよ、思えば、オヌシが何者なのか何も知らぬのだな。何故オヌシは、私に憑依したのだ?ニンジャソウルとは何なのだ?オヌシは、どこから来たのだ……?」

「ナラクよ……」フジキドの意識はニューロン内からも薄れてゆく……ローカルコトダマ空間内での体も、次第に指先から0101101011111001101010101111111の集合体へと変わり始めてゆく……


◆◆◆


 アナカ・ヨモコは、窓モニタに映った月夜の竹林を眺めながら、眠れぬ夜を過していた。夫のマコトが帰ってこない。それだけならまだ珍しい話ではないのだが、今夜は特に妙な胸騒ぎがするのだ。バリキ臭い息、会社からの突然の電話、行き先も告げず出て行った……今思えば、今夜は何もかもが異常だった。

 不意に、カコーンという電子シシオドシ音が鳴った。誰かが家のインターホンを押したのだ。夫だろうか?と、ヨモコは考え、すぐにその考えを改めた。「あの人、いつも、インターホンなんて鳴らさない……ゴホゴホッ!」緊張のあまり、かつて低階層居住区でショーユ排煙にやられた肺がうずき始めた。

 ヨモコは震える指先で窓モニタの表示を切り替える。シャッター前の映像が映し出された。サングラスをかけて背広を着た、数人の男が立っている。ヨモコは直感的に恐怖を感じ、居留守を使おうかと思ったが、会社の人であれば迷惑がかかると思い、マイクボタンを押した。「どちらさまでしょう……ゴホッ」

「「「「ザッケンナコラー!」」」」全員が同時にヤクザスラングを叫んだ!コワイ!ヨモコは恐怖のあまり床にへたりこむ!善良なる市民である彼女は知らぬだろうが、彼らはザイバツのクローンヤクザだ!「ナマッコラー!!アナカ・マコト出せやコラー!!スッゾコラー!!」リーダー格のヤクザが叫ぶ!

「いません!いません!帰ってきてません!」ヨモコは床に座り込み、耳を塞ぎながら絶叫する!ヤクザスラングの持つ独特な響きは、一般市民に対して原始的恐怖を引き起こすのだ。

 クローンヤクザたちは顔を見合わせると、完璧な同調パターンを見せながら同時に頷いた。指令級ヤクザが顎先で指示を出し、2人のクローンヤクザが懐から携帯式の小型電動丸ノコを取り出す。キュイイイイイイイイン!!と甲高い音が鳴り響き、アナカ家のシャッターが容赦なく切断され始めた!ナムサン!

「アイエエエエエエ!」甲高い電動丸ノコの音を聞きながら、アナカ・ヨモコは絶叫する!だが不運にも、この地下階層都市アンダー・ガイオンにおいて、この程度の悲劇はチャメシ・インシデントなのだ。誰もトラブルに巻き込まれたいなどとは思わない。通りは無人シャッター街のように静まり返っていた!

◆◆◆

「ヨモコー……!ヨモコー……!」妻の名をうわごとのようにくり返しながら、有刺鉄線を抜け、ガレキの中を這い進むアナカ。過剰酸素により手足が硬直し、動きが覚束ない。彼は生まれたばかりのキリンのように無様な四つん這いで、ネオンカンバンに潰された謎のニンジャのもとへと這い寄っていた。

 何故アナカがそのような行動を取っているのかは、おそらく彼自身にも分からないだろう。少なくとも、理性的な行動ではなかった。ただアナカに解っていたのは、あの理不尽なショーユドラム缶の壁を突き崩し、突如現れた赤黒のニンジャこそが、自分にとっての最後の希望なのであるということだけだ。

 アナカはネオンカンバンの上に這い登り、硬直した腕でガラスを叩く。バチバチと火花が散り、彼の肌を焦がす。「ヨモコー……!ヨモコー……!ニンジャー……!ニンジャー……!」アナカは泣きながらカンバンを叩いた。この下に、自分の最後の希望が埋まっているのだ。

 勝ち誇った足取りで、土俵上からゆっくりとブラックドラゴンが近づいてくる。アナカを片手で軽々と掴み上げ、コメダワラか何かのようにぞんざいに横に投げ捨てる。「お前はそこで震えているがいい。ニンジャスレイヤー=サンの爆発に巻き込まれぬようにな」

「イヤーッ!」ブラックドラゴンはカンバンにキックを加え、これを切断する。ヤミウチ・ジツの毒煙が晴れ、白目を剥いたニンジャスレイヤーの上半身が露になった。腰から下は重いカンバンに潰されたままだ。「べイン・オブ・ソウカイヤことニンジャスレイヤー=サンも、シテンノの敵ではなかった!」

 ニューロン内のチャノマに座すフジキドは、燃えるような怒りに包まれていた。自らの無力に対する怒りだ。あの男がうわごとのようにくり返しているのは、おそらくは妻の名であろう。だがその声に答えることはできない。連戦に次ぐ連戦によって、フジキドのカラテもまた枯渇寸前の状態にあったからだ。

 その時である!不意に、チャノマ内に聞き慣れぬ声が響いた!(((誰か!俺に力を!憎い!ニンジャが憎い!……力をくれ!俺に力をくれ!ニンジャを殺す力を!……俺をニンジャにしてくれ!俺は目の前のニンジャを殺し!全ニンジャを殺し!ヨモコのところまで!走り抜ける!ヨモコ!ヨモコ……!)))

 これはいかなるサイバー的怪異か!?アナカがニューロンの中で絶叫した憎悪の言葉が、エーテルという名のインターフェースを介し、フジキドのローカルコトダマ空間内に侵入を果たしたのか!?あるいはバーバヤガにより励起されたフジキドのニューロンが、復讐の叫びをテレパスめいて受信したのか!?

 ザリザリザリザリというノイズが、精神チャノマのTVから漏れ出した!画面が明るくなり、フジキドの記憶が狂気的なソーマト・リコールじみてフラッシュバックされる!フジキドは悲痛な叫びを上げ、拳をタタミに振り下ろす!クリスマスの夜!スゴイタカイビル!テンプラ!トチノキ!フユコ!ニンジャ!

「ナラクよ起きてくれ!」フジキドはタタミを叩き声を振りしぼる!「オヌシの力が必要だ!これ以上の悲劇は許されん!起きねばならん!起きて戦わねばならん!ナラクよ!己は全てのニンジャを殺すと誓った!全ての不条理を殺すと誓った!起きてくれ!己の信念が、ニンジャソウルと共に砕け散る前に!」

 アナカの魂の絶叫がフジキドに力をもたらす。01になりかけていた指先が元に戻る。タタミを叩く拳に黒い熱がこもった。「ナラクよ!何故オヌシはあの日、私のニューロンに憑依した!?ナラクよ、オヌシは何者なのだ!?オヌシはどこから来た!?オヌシは何故、全ニンジャを憎むのだ!?ナラクよ!!」

 ザリザリザリザリ、というノイズが再び精神チャノマのTVから鳴った。ガピー!ガガピー!凄まじいノイズ音だ。その直後……地上の全ての者から忘却されていた遠い過去のコトダマが、ペケロッパ・カルトが崇拝するFM音源めいたノイズ交じりの音声となって漏れ出した。「…殺す!……全ニンジャを!」

「…!ナラクよ、これは、オヌシの記憶なのか…!?」フジキドが驚愕の声をあげる。フートンの中に横たわるナラク・ニンジャの体が、耐え難い過去の悪夢に襲われているかのように、激しい身悶えを始めた!ナラクは横たわったまま、見えない敵と戦うかのように、空中に対して必死でチョップを繰り出す!

「たとえ……ザリザリザリ……儂の肉体が……ザリザリザリ……死のうとも……ガガ!ガガピー!……ニンジャソウルは死なぬ!……ガガガガガガ……カツ・ワンソー!!……ガガピー!……遺志を継ぐ者は、数千年の時を隔て……必ずや現れるぞ!……その時こそ……ガガガ…・・・全ニンジャ、死すべし!」

「死ね!ニンジャスレイヤー=サン!死ね!」ブラックドラゴンがカイシャクのために右足を振り上げる!……だが待て!夜よ、聞くがいい!ウシミツ・アワーを告げるディストーションまみれの鐘の音を!大型スピーカーから吐き出されていたアンタイブディズム・レディオ番組が、不吉な時報を告げたのだ!

「イヤーッ!」ブラックドラゴンの右足が敵の頭部を破壊すべく、勢い良く振り下ろされる!だがこのクー・デ・グラは、黒い炎によって包まれたニンジャスレイヤーの両腕によってガードされたのだ!「バカナー!?」ブラックドラゴンが驚きのあまり叫び声を漏らす!

「イイイヤアアアアアアアーッ!!」ニンジャスレイヤーは鋼鉄メンポのスリットからジゴクの蒸気のごとき吐息を吐き出しながら、下半身を潰しているカンバンの残骸をブリッジの力だけで弾き飛ばした!タツジン!「イヤーッ!」ブラックドラゴンは言い知れぬ不安感に襲われ、バク転で距離を取る!

 だがナラク化したニンジャスレイヤーの突進速度は、ブラックドラゴンの予想を遥かに上回っていた。ガレキの上に横たわっていたニンジャスレイヤーの体がぼやけて消え、その両眼に燈った赤い光の軌跡だけが、ブラックドラゴンの眼前へと高速で接近する。ブンシン・ジツ!「しまっ…!」「サツバツ!!」

 ブラックドラゴンの眼前に突如出現したニンジャスレイヤーは、黒い炎に包まれた右腕で、相手の顔面に強烈なカラテ・ストレートを叩き込む!「グワーッ!」ブラックドラゴンはジゴクめいた硫黄の臭いを感じながら、後方へと吹っ飛んだ!受身すら取れずに土俵に激突!後頭部を打ち据える!「アガッ……」

 土俵に激突した衝撃でブラックドラゴンの体が浮き上がっている隙に、ニンジャスレイヤーはジュージツ・タックルを決め、マウントポジションを取った!スゴイ!間髪いれず、左右のストレートをブラックドラゴンの顔面に対して連続で繰り出す!「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」

 カラテの差は圧倒的だった!ベイビー・サブミッションの極致である!ブラックドラゴンは最後の賭けとして、至近距離での毒煙攻撃を試みる!「シテンノ!」「サツバツ!」だがニンジャスレイヤーは、おそるべき掛け声とともに、敵の口の中へと狙い済ました右ストレートを叩き込む!「グワーッ!?」

 右手の黒い炎がブラックドラゴンの喉を焼く!そのままニンジャスレイヤーは、左腕で胸骨へのハンマーストレートを繰り出し続ける!ハイクを詠ませる慈悲すらも無い!(((シャドウウィーヴ!シャドウウィーヴ!援護を!援護してくれ!)))死を直感したブラックドラゴンが、言葉にならぬ言葉で叫ぶ!

「小僧、助けなど来ぬぞ」右腕を爬虫類じみた口から引き抜いたナラク・ニンジャは、それをひときわ大きく振りかぶりつつ言い放った「ニンジャ、死すべし!!」。横殴りに叩きつける殺人的カラテ・フック!!ブラックドラゴンの首がスロットマシンめいて回転し、千切れる!「サヨナラ!!!」爆発四散!


◆◆◆


 チュイイイイイイン、チュイ、チュイイイイイン!「「スッゾコラー!」」電灯の落とされた暗い路地にヤクザスラングと電動丸ノコの回転音が響き、シャッターが血を流しているかのように火花を散らしていた。あと1分もあれば、人が通れるほどの穴が開くだろう。司令ヤクザは満足げにうなずく。その時!

 不意に、左手の方向から凄まじい光量のサイバーマグライトが照らされたのだ!「「「「ザッケンナコラー!?」」」」クローンヤクザは全員同時に左手で目元を覆いつつ、チャカを抜いて横に向き直った。10メートル先には、くたびれたコートを羽織る大柄の男が、独り。「誰だ、テメエ?」と司令ヤクザ。

「探偵だよ」その声の主はタカギ・ガンドー!ジャイロモーターで浮遊するIRC遠隔操作型サイバーマグライトで敵を照らしながら、ガンドーは両手に握った49マグナムをクローンヤクザ軍団に向ける!「「「「「ナマッコラー!」」」」」BLAMBLAMBLAMBLAMBLAMBLAMBLAM……


あらすじ:ヨロシサン製薬とザイバツの陰謀を収めたフロッピーを偶然入手した、リキシャードライバーのアナカ。ザイバツの放った2人の残忍なニンジャは、ギャング団のアジトである袋小路にアナカを追い詰めた。もはやこれまでか?だがそこへニンジャスレイヤーが現れ、ニンジャは爆発四散したのだ。

 ニンジャスレイヤーは黒焦げになったブラックドラゴンの死体を片足で踏みつけながら、自らの手足を覆う不吉なナラクの炎を見つめていた。フジキドの意識はもはや、完全にチャノマから現実世界に引き戻されている。渦巻いていた黒い炎は、見る間に勢いを弱めていった。両眼がフジキドのそれへと変わる。

「ナラク……」ニンジャスレイヤーは鋼鉄メンポの奥から、表情を押し殺した声を吐いた。右手を目の前で握り、開き、また握り、僅かに残ったナラク・ニンジャのソウルの気配を確かめる。だがそれも、黒い煤のように消えていってしまった。ナラク・ニンジャは、再び休眠状態へと戻ってしまったのである。

 逃走したもう一人のザイバツ・ニンジャ、シャドウウィーヴを追う事は、もはや不可能だろう。距離が離れすぎている。ニンジャスレイヤーは舌打ちした。ニンジャソウルの遠隔感知は、ナラクが休眠状態ではほぼ不可能だからだ。無理を承知で追うか?そう考えた矢先、背後から声が聞こえた。「俺を……」

 声の主はガレキの上で仰向けに倒れるアナカ・マコトであった。「俺を……ニンジャに……してください……」アナカは一縷の望みをかけて、自らを覗き込むニンジャスレイヤーにそう懇願した。「俺にはもう……何も無いんです……学も力も根性も無い……ニンジャになるくらいしか……妻を幸せには……」

「悪い夢から早く醒めることだな」ニンジャスレイヤーは冷たく言い放った「オヌシがニンジャになれば、私はオヌシを殺すだろう。あのザイバツどもと同じように。容赦なく」。「アイエエエエ…」アナカは力無く嘆息した。絶望して眼を閉じ、妻の姿をニューロンに思い浮かべていると、不意に体が浮いた。

 疲弊したアナカの体は、タジモトが所有していた改造リキシャーの豪華なシルクフートン地座席の上に横たえられていた。アナカは驚き、目を開く。体はまだ覚束ない。ギャングから奪ったジュー・ウェアと編笠をまとうイチロー・モリタが、熟練のドライバーめいた姿勢で鋼鉄バーを握っていた。

「お客さん、家まで運びますよ」リキシャー・ドライバーは静かに言った「案内してください。私はキョート・ニュービーなんです」。「ドーモ……ドーモ……」アナカは座席に身を横たえ、嗚咽を洩らしながら謝意を伝えた「このL字路を抜けたら、まっすぐチョンチョンジ・ジャンクションまで……」。

「急いで……妻が……アブナイ…」悲痛な叫びを聞き、フジキドは満身創痍の体に鞭を入れた。リキシャーはアンダー・ガイオンを風のように駆け抜ける。戦闘時にシャーシが傷んだのか、キイキイという頼りない音を発しながら。アナカの人生のごとく、いつ空中分解してもおかしくない危うさを感じさせた。

◆◆◆


 キョート城、謁見の間。

 ボンボリに照らされた薄暗い広間。壁には古代エジプトのアブシンベル神殿を思わせる荘厳なレリーフが刻まれ、その上には神々しい光を放つ隻眼を戴いた、巨大な黄金浮遊ピラミッドが描かれている。「ニューワールドオダー」と横書きされたショドーが漆塗りの額に飾られ、ザイバツの思想を暗示していた。

 賢明なる読者諸氏は知っているだろうが、このレリーフに彫られるべきモチーフは玉座に座すファラオたちだ。しかし、謁見の間にしつらえられた彫像たちは、その全員が不吉なニンジャ装束に身を包み、エジプト的な武器や杖のようなものを握っているのだった。見る者の正気を奪いかねない邪悪さである。

 巨大なニンジャファラオ彫像たちの中心には、荘厳なるロード・オブ・ザイバツの玉座がある。ロードの体は上等な黒いスーツに包まれ、手は絹製の白い手袋によって覆われていた。その表情は、紫色の神秘的なノレンによって隠され、いささかも窺い知ることはできない。

「閣下、シャドウウィーヴがディスクを携え帰還いたしましたぞ」ロード・オブ・ザイバツの側近ニンジャ、パラゴンが、重苦しいワインレッド色のカーテンの奥から姿を現した。「フォーフォーフォーフォー……」ロードは満足そうな声とともに、膝の上に乗せた金魚のように美しい毛並みの三毛猫を撫でる。

「これに」シャドウウィーヴは漆塗りのオボンに載せたフロッピーディスクを掲げながら、うやうやしく謁見の間に入場してきた。タタミ敷きの床では、先程からヨロシサン製薬の重役と営業がドゲザの姿勢を続けている。その横を通りながら、シャドウウィーヴはこの人間たちに対して強い侮蔑の念を抱いた。

 シャドウウィーヴはロードの玉座の横で立膝の姿勢を取り、オボンを高く掲げる。「フォーフォーフォー…良い働きであった」ロードはディスクを手に取り、書込み禁止タブやディスク本体部などを一瞥すると、それをオボンに戻し、ヨロシサン製薬に渡すよう促す。「……して、ブラックドラゴンは何処へ?」

「マスターは、死にました」シャドウウィーヴが感情を抑制した声で答える「ニンジャスレイヤー=サンの手にかかって」。「何だと?」ロードの声に僅かな怒気がこもる。バイオ三毛猫が恐怖を感じ、膝の上から飛び降りて丸まった。ロードは両手を合わせ、静かに呟く「シテンノすらも殺すとは……」。

「このたびは大変お世話になりました」ヨロシサンの重役は、フロシキに包まれた重箱を献上する。パラゴンがこれを回収し、ロードのもとへと携えていった。ずっしりと重い。中身はかなりの数のコーベイン、すなわち加工ゴールド・インゴットである。

 コーベインを1枚手に取ったロードは、等級を確かめてから、玉座の下に投げ捨てた。魅惑的な黄金の輝きに惹かれ、三毛猫がじゃれつく。ザイバツ随一の博学者であり古典コトワザにも造詣の深いパラゴンは、すぐさま主君の意図を読み取った。ネコにコーベイン!進物を捧げてきた者に対する最上級の嘲笑!

「ザッケンナコラー!」パラゴンはコーベイン重箱を床に叩きつけながら、ヤクザスラングを叫んだ!コワイ!片腕をケジメした営業は、ドゲザの姿勢のまま祈るような気持ちで失禁する。「この程度で済むか!ナマッコラー!貴様らのせいでニンジャが1人死んだんだぞ!どれだけの損失だ!スッゾコラー!」

「アイエエエ……大変シツレイ致しました」ヨロシサン製薬キョート支部の課長が、さらに深くドゲザする。失禁は無い。さすがは万魔殿ヨロシサン製薬で重役の地位にまで上りつめた男である「これ以外に、最新のクローンヤクザ12ダースを無料進呈させていただきます」。「アッコラー!?」とパラゴン。

「フォーフォーフォー……まあよい、パラゴンよ。余はヨロシサン製薬の真摯さに胸を打たれた」ロードが玉座から威厳に満ちた声を放つ「これで手を打つとしよう」。「「ハイヨロコンデー!」」ヨロシサン製薬の重役と営業は、トリュフを嗅ぎ当てた豚のように、額をしきりにタタミにこすりつけた。

「……だが、貴様は余の神聖なる謁見の間を汚したがゆえ、生かしてはおかん」ロードは玉座に備わった秘密のボタンを押す!「アバーッ!?」突然、営業のドゲザしていたタタミがくるりと90度回転した!ナムアミダブツ!ヨロシサンの営業はドゲザの姿勢のまま、10メートル下のヤクザピットへと落下!

「フォーフォーフォーフォーーー!!」「アイエエエエエ!アイ!アイエエエエエ!」ナムサン!薄暗いヤクザピットの中には、無数のクローンヤクザがひしめいているのだ!「では私はこれにて……」ヨロシサンの絶叫とロードの高笑いを背に、シャドウウィーヴは静かにフスマをあけて謁見の間を退室した。

 シャドウウィーヴは、携帯IRC端末に送信されてきたマスターの最後の言葉を読み直しながら、ピンク色のボンボリに照らされたキョート城の白壁回廊を歩いていた。『シャドウウィーヴ!シャドウウィーヴ!援護を!援護してくれ!…………サヨナラ!』無念の涙が、IRC端末の液晶画面に滴る。

 かつてブラックドラゴンは彼にこう語った。『何故ニュービーのお前を鍛えているかだと?お前のジツには可能性があるからだ。俺のジツは所詮、サイバネ手術によって強化されたカラテの一種に過ぎん。お前には未来があるのだ。ザイバツの目指す理想世界のために、いずれお前の力が必要となるだろう』と。

 鎮痛成分が切れ、シャドウウィーヴの片腕が痛み始めた。だが彼のニューロンは、マスターを失った衝撃と仇敵に対する怒りで塗りつぶされ、片腕を失っていることすら忘れて、彼に空を切る虚しい左右連続パンチを繰り出させるのであった。「おのれ、ニンジャスレイヤー!いつか必ずマスターの仇を……!」

「そして必ずや、マスターが夢見た理想世界を……!」彼は、壁に掲げられたおそるべきショドー・スローガン『格差社会』を仰ぎ見た。ニンジャは人間ではない。人間との和解は不可能。残されたる道は、下賎な人間どもの罪を罰し、ニンジャ秩序とマネーに支配されるカースト社会を築くことしかないのだ!

◆◆◆

 アナカ・マコトを載せた改造リキシャーは、死屍累々たるマイホーム前にたどり着く。銃弾によって半ば破壊された町内名ネオンサインが、バチバチと火花を散らす。その下では一仕事を終えたタカギ・ガンドーが安煙草を吹かしながら、ブーツについたクローンヤクザの血をコンクリートの柱に拭っていた。

「オイオイオイ、誰かと思ったぜ」ガンドーは煙草を血だまりに投げ捨て火を消すと、アナカに肩を貸してリキシャーから下ろした。バリキ禁断症状も薄れ、アナカは自分の足で立つことができた。頭も冴えてきたようで、ガンドーが自分に何をしてくれたのかすぐに悟った。「ガンドー=サン、ドーモ……」

「ドーモじゃねえよ、アナカ=サン」ガンドーはアナカの背中を叩いた「もう一仕事だ。奥さんを連れてきな」「何で…?」「決まってんだろ、逃げるんだよ。ザイバツはすぐに次のヤクザを送り込んでくるぜ」「逃げる場所なんて……」「偽造ICチップとあわせて、俺が調達してやるさ。階層は下るけどな」

「下降(ディセント)……またあのショーユ大気汚染階層に、妻を……」アナカがそう言いかけると、ガンドーは無言で背中を押した。つんのめるように歩きながら、アナカは切り裂かれたシャッターをくぐってヨモコの待つ薄暗い我が家へと消えていった。「3分以内に出発だ!」ガンドーの声が聞こえる。

 ガンドーは胸元からズバリ入り安酒を取り出すと、それを軽く呷ってから、イチロー・モリタに話しかけた。「あいつらが帰ってきたら、俺の知ってる暗黒不動産屋まで頼む。保証人が要らん闇の物件屋だ。道案内は俺がやる。依頼人のあんたに頼んで悪いが、非常事態だ。引き受けてくれるか?」「受けよう」

 それから1分ほど、無言の時間が続いた。フジキドの視界がぼやける。体を動かしているか会話を続けていなければ、疲労のせいでいつ体が眠りに落ちるか解らない。そこでイチロー・モリタことフジキド・ケンジは、何の含みも無く、ガンドーにシンプルな質問を投げた。「何故、私立探偵をやっている?」

「どうしようもなく暗いトコにな、ライトを当てんだよ」ガンドーは煙草を吹かしながら、どこか照れ臭そうに、ぶっきらぼうに答えた「鴉の懐中電灯でな」。「鴉の?」フジキドは、探偵事務所の前に置かれたカンバンを思い出した。「面倒くせえからこの話は無しだ。それよりあんたは、何でニンジャを…」

 そこまで言いかけた時、シャッターの奥からアナカ・マコトと和服姿のアナカ・ヨモコが出てきた。マコトは背中に紐でサイバー窓を背負い、涙で頬を濡らしたヨモコは、ハンコやジュッテなどの貴重品を持っている。改造リキシャーと異様な風体の2人組を見たヨモコは、思わず立ち止まり、夫に耳打ちした。

「大丈夫なの?」と。「大丈夫だ、あの2人は……」アナカ・マコトは彼らを何と形容すべきか少し迷った。それから妻を安心させるため、精一杯の笑顔を作って言った「……信頼できる男たちだ。だから、頼む。俺と一緒に、あのリキシャーに乗ってくれないか?俺に愛想をつかすなら、その後でいいから」

 マコトは続ける「俺のせいなんだ。もうここに住めない。また俺たちは下降…」「愛想なんて、つかしませんよ!」ヨモコは精一杯の笑顔を作った。目が細くなり涙が押し出された。コケシめいた和服や黒髪とも相まって、ヨモコの風貌はさらにコケシめいた。「あなたが信じた人たちなら、着いていきます!」

「よし、きっかり3分だな」ガンドーは2人を後部座席に座るよう促すと、誰もいなくなったアナカ家の中に入っていった「忘れモンが無いか、ちょっと見てくるだけだ」。その言葉通り、彼はすぐにシャッターをくぐって出てきて、ナビのために前の座席についた。

 3人が席についたのを見計らうと、フジキドはニンジャ脚力で改造リキシャーを動かし始めた。常人の力では牽けるはずも無い、チャリオットめいた重いリキシャーを。路地を曲がり、クローンヤクザの死体の山が見えなくなりかける頃、ガンドーがアナカ家に仕掛けた爆弾が爆発し、全ての証拠を焼き払った。

「ヒッ!」と、爆音におののくヨモコは夫の肩にすがり、軽い咳の発作を見せた。どうにか妻を連れて逃げ果せることができ、アナカは安堵の息をついたが、それと同時に、どうしようもない無力感に苛まれてもいた。(((俺には何も武器が無い……この先どうやったら、ヨモコをまた上に連れて来れる)))

 アナカ・マコトはサツバツたる真実に気付いてしまったのだ。自分は救いようが無いほど凡庸であると。かといって、ニンジャにもなれないのだと。ナムサン!確かにこれは、出口なしの陰鬱なマッポー的袋小路にはまったかのようにも見える。…だが彼は、それよりも重要な事実をまだ自覚できていないのだ。

 自分には、人を見る目があるのだと。下層階層の出自ゆえ、両親は彼に高等教育を施すことこそできなかったが、何よりも重要なインストラクションを施していたようだ。タジモト、ヨロシサン、ヨモコ、ガンドー……何を軽蔑し、何に敬意を払い信頼すべきかを、彼は無意識のうちに理解しているではないか。

 ……確かに、それは逆に苦しい生き方を強いる枷となるやも知れぬ。だが少なくとも今回は、その力が、アナカ・マコトと彼の妻を救ったのだ。アナカがこの事実に気付く日は、果たして来るだろうか?あるいはマッポーが先に訪れ、世界は破滅するかも知れぬ。ショッギョ・ムッジョ……全ては神のみぞ知る。

「これは……?」アナカの肘が、何か固いものに当たった。壷だ。タジモトのものだろうか?蓋を開けると、中には輪ゴムで巻かれた大量の札、数枚のコーベイン、分包化された大トロ粉末などが収められていた。「オイオイオイオイ、何だこりゃ?」ガンドーがリキシャーを引くフジキドに訊いた。

「知らぬ」フジキドは短く返す「前の客の忘れ物だろう。ギャングどものな」。「だってよ、アナカ!」とガンドー「全部持ってったらどうだ?どうせお前はもう、リキシャー会社にゃ戻れないんだからな」。同じ穴にタヌキとフェレット……アナカは、今回こそはカワイイフェレットを捕まえたようだ。

「オイオイオイ、やっぱりちょっと待て」ガンドーは何か思い出したように振り返り、足のつきやすい大トロ粉末を壷から抜いた。それでもまだアナカが再出発するには十二分なカネが残されている「俺もガンドー探偵事務所の修理代をもらっとくぜ、いいだろ?」「ハイヨロコンデー」アナカは小さく笑った。

◆◆◆

 ガンドーの肩に担がれたフジキドは、窓の無い六畳間に降ろされて、ようやく眠りから醒めた。横にリュックサックやコートなどが雑然と放り投げられる。「ここは…?」リキシャー装束のままフジキドが問う。「俺の隠れ家だ」とガンドー「まあ好きに休んどいてくれよ。死んだマグロのようにな。話は後だ」

「ドーモ……」フジキドはその提案に応じることにした。この1ヶ月の連戦は、彼の体力と精神力を間違いなく削ぎ落としていたからだ。ザイバツと本格的に事を構えるには、体力を回復することが先決である。カラテが疲労で澱めば、ニューロンもおのずと澱む。これすなわち、フーリンカザンの教えである。

「じゃあ、俺はちょっと野暮用があるからな……」ガンドーがフスマを閉じかけると、フジキドはふと思い出したように訊いた。「ディテクティヴ=サン、この部屋の方角は…」「方角?」ガンドーが不思議な顔を作り、すぐに一人で得心する「ああ、そういうことか。北ならあっちだ」そしてフスマを閉じた。

「今時、敬虔な奴だな……」ガンドーは狭い階段を降り、雑然とした倉庫のような部屋を抜けた。ガンドーは、フジキドが極めて敬虔なブディストであると早合点したのだろう。北の方角に頭を向けて眠ることは、ブッダの死を再現する行為であり、敬虔なブディストにとっては許しがたい背徳行為である。

(((ブッダなんざ、いるんだか、いねえんだか……)))ガンドーはズバリのウィスキー割を軽く呷りながら独りごちる。今日は散々な一日だった。何しろ金がない。ガンドー探偵事務所、存続の危機だ。こんな時は、ゲイシャに限る。大トロ粉末でも売って、高級ゲイシャとネンゴロでもしてくるか……。

(((畜生、やっぱりコーベインの1枚くらい貰っときゃよかったな……)))。私立探偵(ディテクティヴ)タカギ・ガンドーは、フジキドを残し、夜明け近いアンダー・ガイオンへと消えた。ナンシーの紹介という点も大きかったが、ガンドーはわずか数時間のうちに、彼が信頼に足る男だと判断したのだ。

 フジキドはタタミに正座したまま、荷物の中から鏡と剃刀を取り出し、長く伸びた無精ひげを剃る。疲弊し蒼ざめた、それでいて精悍な頬が現れた。髪も近いうちに切らなくては……前髪を指で挟んで伸ばし、長さを確かめながら、フジキドはそう独りごちた。サラリマン時代の習慣はいつになっても抜けない。

 それからフジキドは、首から下げたオマモリ・タリスマンの中からくちゃくちゃの写真を数枚取り出し、東向きの壁にこれらをピンで留めた。妻子の墓標、マルノウチ・スゴイタカイビルの方角だった。ネオサイタマは、キョートから何千マイルも東に位置している。その二点を繋ぐための、大切な儀式だった。

(((タカギ・ガンドー、腕の立つ男だ)))フジキドは東に向かって手を合わせながら、ニューロンの中で独りごちた。(((ナンシー=サンが紹介するだけのことはある。ニンジャソウル憑依者でないのに、あのカラテ。彼がニンジャでなくて、本当に良かった。さもなくば、彼を殺さねばならぬ故……)))

 しばしフジキドは思考を止め、目を閉じ、亡き妻子に祈りを捧げる。フユコの細い腕と、トチノキを抱き上げた時の心地良い重さが蘇る。耐えがたい悲しみの波が1ヶ月ぶりに押し寄せ、胸の奥底の憎悪の炉が再び沸々と煮え始めた。(((ダークニンジャ……あの男もいま、おそらくはキョートに……!)))

 そしてナラク。(((カツ・ワンソー。おそらくはその言葉が、最初に追うべき唯一の手がかり……)))フジキドは目を見開いた。自らのニューロンに憑依した邪悪なるニンジャソウル、ナラク・ニンジャ。しかし、その邪悪を招き寄せたのは他ならぬ自分でもある。もはや、目を逸らすわけにはいかぬのだ。

 フジキドはその身を横たえ、コートで即席の枕を作った。キョートで己が成すべきことは多い。あまりにも多い。だが今はまず、休もう。疲労は怒りや哀しみさえも鈍らせる。そして目が覚めたらスシを食い、再び作戦を練るのだ……3度呼吸をしないうちに、フジキドの意識は眠りの中へと落ちていった……。


【リキシャー・ディセント・アルゴリズム】終わり





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