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【アンエクスペクテッド・ゲスト】

◇総合目次 ◇初めて購読した方へ

この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードは書籍版未収録のエピソードです。また第2部のコミカライズが、現在チャンピオンRED誌上で行われています。


【アンエクスペクテッド・ゲスト】


1


 ピークタイムよりやや早いが、カフェテリアは既にごった返している。「リゾート、リゾート、あなたを、癒して」遠い歌声と、緩んだ弦楽器の音。水牛にまたがった黄色いビキニ水着オイラン4人が、燦々と降り注ぐ太陽の下、砂浜の上でフラめいた軽快な踊りを踊る。その青いセンスの動きは刺激的だ。

 空席を探す二人組。瘦せぎすの男が横並びの良い席を見つけ、指差した。彼の右手指は2本のケジメ痕。間違いなくヤクザだ。一緒に歩く傷跡とタトゥーらだけのいかつい男も、間違いなくヤクザだろう。二人はどっかと席に座り、正面の相席ガイジンに声をかけた。「ニイちゃん。ここ、空いてるよな?」

「どうぞ」ガイジンが顔も上げずに返事をした。爽やかな白Tシャツ、髪は短い金髪、ナチョビーンズを美味そうに頬張り、口元へ運んだ。いかつい男は彼を睨み、黒シャツの袖をまくる。「フウー……いい汗かいたぜ」そこには「悪い」「意味する」「破壊」などと書かれた凶悪なイレズミ。危険な男だ。

 だがこの獣じみた示威行動を前にしても、ガイジンはまだ顔を上げず、無言でビーンズを口に運んでいる。二人組は顔を見合わせ、片眉を吊り上げて、おどけたような顔を作った。それからいかついヤクザは、ガイジンに和かに話しかけた。「なあニイちゃん、俺たちゃ退屈してんだよ。話でもしようぜ」

「まだここに来て日が浅いんだろ?顔を見りゃわかるぜ、ニイちゃん。どうだい、ここの感想は?」「最高だね」ガイジンがようやく顔を上げ、スマイルを作った。「知らなかったけど、ここはまるで悪党の楽園さ」陽気でスピリチュアルなシャミセンの音が聞こえていた。「俺や、あんたたちみたいな」

「ああ、そうさ。で、ニイちゃんは、いつまで滞在するんだい?」「ほとぼりが冷めるまでだろ?でももう、ヒマでヒマで……」ガイジンは肩をすくめ、舌打ちしてから続けた。「それは退屈です、前後の時です」短い沈黙。「「「HAHAHAHAHAHA!」」」3人は顔を見合わせて笑った。

 PHEW……!その重サイバネガイジン、ラッキー・ジェイクは、心の中で汗を拭った。ジャパニーズ・リアルヤクザとの揉め事は、何としても避けたかったからだ。当然である。ようやく賞金稼ぎから逃げ続ける日々を脱し、束の間の安息を手に入れたというのに、敢えて面倒事を起こしたい者などいない。

 ネオサイタマから帰国しようと悪戦苦闘する中で、ジェイクは数々の厄介ごとに巻き込まれ、リアルヤクザの執念深さを学んだ。「で、ナチョ・ビーンズの味はどうだい?」瘦せぎすのヤクザが満面の笑みを浮かべ、ジェイクに話しかけてくる。何か悪いプランに誘おうとする聖書の蛇めいた狡猾な声で。

 ジェイクは心の中で舌打ちした。ここにいる限り、こいつらとは何度も顔を合わせるだろう。フレンドリーに振舞いすぎてもダメだ。ナメられず、かつ敵意がないことを示し、ほどほどで手を引く。……ジョーク交じりの会話でもう少し様子見し、いざとなれば日本語が解らないフリだ。俺の得意分野だな。

「最高さ、上の上」ジェイクは両手をサムズアップし微笑んだ。「ここにケモ・ビールがあればさらに最高だ」「ビールだってよ……!」「HAHAHA……!」ヤクザたちが顔を見合わせ苦笑した。「ラッキー・ジェイク=サン、じゃあ何でミルクなんか注文したんだ?」「そりゃママのミルクかい?」

「ママの?おいおいこれは…」ジェイクは顔をしかめ、目を細めながら、水色のミルクパックの側面にある製造バーコードをサイバネ・アイでスキャンした。何故、右の瘦せぎすヤクザが自分の名前を知っているのか訝しみながら。「…タマチャン乳業製だぜ」「ならお前のママがそこで働いてんだろ?」

 ジェイクは眉をひそめた。まだ確信は持てぬが、相手のジョークは度を越している。(((こいつら、最初から俺にケンカを吹っかけるつもりで対面に座ったってのか……?クソッタレめ、少々ナメられちまったか?)))嫌な汗が滲んだ。「あんたら、相当なワルだと思うが、俺に関わらない方がいい」

「「HAHAHAHAHA……!」」ヤクザ2人はまた顔を見合わせて笑った。そして瘦せぎすヤクザが言った。「なら、何をしでかしてここに来たんだよ、ママをファック&サヨナラでもしたのか?」「いいや」ジェイクはにこやかに言った。「3億円を強奪して、ジャンボジェットをハイジャックさ」

「ファック!3億円!」逞しいヤクザが驚き目を丸くした。もう一人のヤクザは鼻で笑うように言った。「へえ?3億はどこにあるんだよ?」「没収されちまったからここに居るんだろ」とジェイク。「そりゃ全くラッキーじゃなかったな、ジェイク=サン。3億持ってたらお前を許してやってたんだが」

「YEEEART!」ジェイクは突如、配給プレートを痩せヤクザに投げつけテーブルに立ち、カラテキックで顎を蹴り上げる!「グワーッ!」SMAAASH!直後、ジェイクが座っていた椅子をフォークが貫通!テーブルの下では、凶悪な囚人武器フォーク・ガンが、彼の腹を狙い続けていたのだ!

 ナムアミダブツ!果たして何が起こったのか!?食堂内は騒然となる!「貴方!」「グワーッ!」「庶子!」「グワーッ!」ラッキー・ジェイクは痩せヤクザを殴り続ける!この男はデスシャドウ・ヤクザクランの執念深い殺し屋、ヤナギ!付け加えるならば、彼はジェイクのせいで無期懲役を食った男!

「助けてエーッ!」ヤナギは両手を上げ監視マッポにアピールする!既にフォーク・ガンは投げ捨てられ、周囲で囃し立てる囚人たちの間に転がり、証拠隠滅されている!相棒の逞ましい刺青ヤクザが、目にかかったナチョ・ビーンズを払いのけ、ジェイクに殴りかかる!「イヤーッ!」「グワーッ!?」

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「ゴボーッ!」丸太めいた太い腕が、ジェイクを殴りつける!圧倒的なカラテの差だ!「「ホウ!ホウ!ホウ!ホウ!」」「「キル!キル!キル!キル!」」熱狂した囚人達が拳を振り上げ彼らを囲む!テーブルの上に乗って囃し立てる者も!コワイ!

「イヤーッ!」「ゴボーッ!」痛烈!大男はジェイクを殺す気だ!間合いを離そうとするも、背後から何者かに押し返される!「「ホウ!ホウ!ホウ!」」「死ね!ジェイク、死ね!」「「キル!キル!キル!」」「今度こそ死ねーッ!」囚人たちの声の中には、明らかにジェイクを恨む者たちの罵声が!

 ネオ・ロポンギの殺人カラテ・ドージョーで受けた1ヶ月間の集中トレーニングが全身に蘇る!「イヤーッ!」「YEEEART!」ジェイクは大男の連続パンチを凌ぎながら配膳台まで後退。そして熱々に煮えたポークビーンズ鍋をぶちまけた!「YEEEEEART!」「グワーーーッ!?」賢い!

「YEARRRT!」「グワーッ!」「YEARRRT!」「グワーッ!」形勢逆転!ジェイクが大男に馬乗りになり、左右のカラテパンチを叩き込む!だが背後からヤナギ!「イヤーッ!」「グワーッ!」さらに、興奮した別の囚人が加勢!彼は相当恨みを買っている!「イヤーッ!」「グワーッ!」

「死ね!ジェイク!」「ア……ア……」馬乗りで首をしめられるジェイク!ブガー!ブガー!ブガー!食堂内に暴動レッドアラート!「「「ケンカやめなさい!」」」鎮圧銃を持ったマッポ部隊が廊下を走ってくる!「リゾート、リゾ……ザザザ、あなたを……ザリザリ」リゾート光景を映し出す天井のブラウン菅TVにノイズ!

「庶子……」ジェイクは声をあげた。マッポ部隊はまだ遠い。(((あんたの魂にも救いあれ……あんたはまだ、このマッポーの荒野をさまよい続けるんだな。でも大丈夫だ、あんたは正しい判断をしたんだ。いつだって、また戻れるよ))))友人の声が、薄れゆく意識の中でソーマト・リコールした。

「あれは何だ?」くだらないIRC賭けショーギに興じていた監視塔の狙撃マッポが、何かに気づき、相方に言った。「アアッ?」相方はレッドアラートの方向を見た。「食堂で騒ぎか?クソッ!ついてねえ。運動場なら俺たちの出番なのによ」「いや、あれだって」彼は相方の肩を叩き、上空を指差した。

「ヨロシサン?」夕暮れ時の空を、ヨロシサン製薬の大型輸送機が、おかしな角度で飛行していた。問題は、何故それが、飛行禁止区域であるスガモ重犯罪刑務所の上を飛んでいるのかという事だ。さらなる問題は、その下腹部に吊られていた巨大輸送コンテナが、火花を散らしながら降ってきた事だ。

「ヨロシ・バイオサイバネティカ」「企業秘密」「冷凍保存中」と書かれた巨大コンテナが監視塔の上をかすめ、総合棟めがけて落下。そして激突し、老朽コンクリをトーフめいて破壊し、さらに別の棟にめり込んだ。「オウ」「オウ、ファーック」二人の狙撃手は何もできず、ただ呆然と眺めていた。

 KA-DOOOM!一拍遅れて、凄まじい地響きと連鎖爆発が監視塔まで伝わってきた。「おい、どうすんだよこれ」相方が言った。直後、さらに大きな影が彼らの頭上から降ってきた。その重装甲でスガモ人工島の迎撃システムを突破しながら。「「アイエエエエエエ!?アイエーエエエエエエエ!」」

 KA-DOOOOOOOOOOM!ヨロシサン重要機密輸送機はスガモ重犯罪刑務所に墜落、爆発炎上した。監視塔の狙撃マッポたちは落下に巻き込まれて死に、上司に事態の説明をする必要は無くなった。大型の破片がニワトリ棟やネズミ棟、ウサギ棟などに降り注ぎ、そこかしこで火の手が上がった。

 だがこの一連の落下と爆発は、スガモ重犯罪刑務所に収容された凶悪犯罪者たちにとって、ジゴクの幕開けに過ぎなかったのである。おお、見よ。立ち上る凄まじい粉塵……囚人たちが恐る恐る見守る中、冷凍睡眠コンテナが、内側から押し開けられた。……カンゼンタイが目覚めたのだ。


2

 Y2Kによる世界秩序の崩壊後、IPアドレス資源を巡り、過酷な電子戦争を経過した未来。鎖国状態にある日本の首都、電脳都市ネオサイタマは、人類史上においても有数の犯罪都市である。

 重金属酸性雨が降り続き、IRCネットは監視され、空には威圧的なツェッペリンの群が泳ぐ。政府より力を持つ暗黒メガコーポの搾取に気付かぬまま人々はサラリマンとなり、偽物のスシを食い、カロウシしてゆく。こうした閉塞感の檻から脱しようと、人はあまりにも容易く犯罪行為に手を染めるのだ。

 違法生体LAN端子を頭蓋に埋めこんだハッカー、肉体を戦闘サイバネ化して省みぬヤクザ、寺社仏閣を爆破するブラックメタリストの首魁、メガデモ電脳麻薬ビデオテープ製造者、果てはスモトリだけを狙う連続スモトリ殺人鬼まで……そうした有象無象の重犯罪者らが仲良く手を合わせる場所がある。

 それがここ、暗黒の大河タマ・リバーの中州に築かれた

 監獄島、スガモ重犯罪刑務所だ。上空から見たそれは、黒漆塗りのオボンの上に置かれたグンカンロールじみて見える。だがその上には、華やかなネギトロもイクラも無い。犯罪者とマッポが詰まった灰色の老朽建物群と、寂しく枯れた松林だけだ。

 中央総合棟から放射状に広がる十二の監獄棟。それらとゲートをビョウブめいて隔てるアドミン棟。収容人数は一千名。陸との接点は一個の鉄橋のみ。橋両端には鋼鉄のゲート。川には機雷。対空設備も存在。脱出は不可能。だが、囚人はあえて逃げようなどとは考えない。外の世界より遥かに安全なのだ。

 そして今……皮肉にもスガモ監獄島は、ある公僕たちが守りを固め、体勢を立て直すための拠点となっていた。アドミン棟の機密ルーム内。12畳のタタミ部屋。チャブに4人が円座し、傷を癒し、作戦を練る。彼らこそは、治安維持警察ハイデッカーに従わぬ反乱分子、ネオサイタマ市警の49課である。

 機密ルーム内には重い沈黙が流れる。ザブトンに正座して腕を組む黒眼帯の老人ノボセ・ゲンソン。彼はネオサイタマ市警の良心の砦であり、49課の長でもある。「爺さん、どう打って出る」袖をまくり上げたデッカー、タフガイが、スシを摘みながら彼に問う。この逞しい男はニンジャソウル憑依者だ。

「ハイデッカーを全員ブッ殺して、緑色の血のプールを作ってやる」金髪を短く刈った筋肉質の女デッカーが吐き捨てるように言った。彼女もまたニンジャだ。「……」対面の生真面目そうな若者が眉をひそめ、小さく首を振ってため息をつく。彼の名はナカジマ、またの名をスポイラー。彼もニンジャだ。

「ナカジマてめえ!」女デッカーのデッドエンドが立ち上がり、スポイラーを突然殴り飛ばした!「グワーッ!」「何か文句があんのなら言ってみろ!それともタマ無しか!?ハイデッカー包囲網から逃げる時に、どっかで落としてきたか?エエッ!?」「やめよ!」ノボセが一喝。彼女は渋々、着席した。

「あの女ハッカーを"取り逃がしてしまった"事、わしは正しい判断であったと信じている」ノボセ老が強い眼差しとともに言った。「……だが、NSPD上層部は未だ様子見を続けている。調整は難航している。今日はあまりにも動乱の1日であった。今夜中に結論は出まい。あと少し、耐え忍ぶのだ」

 対凶悪犯罪専門の49課は、かつては悪徳デッカーやサイコパスの吹き溜まりであった。だがNSPD内部にまで邪悪なニンジャ組織アマクダリ・セクトの堕落の触手が迫った事を悟ったノボセは、密かに49課の長となり、ニンジャソウル憑依者を内部に抱え、対ニンジャ犯罪の特殊チームを作ったのだ。

「アオカビをもって結核菌を制する。これ即ちペニシリンの発見なり」その近代コトワザは確かな合理性をはらんでいる。ニンジャソウル憑依者という得体の知れぬ力を用いねば、ニンジャ組織には対抗できぬ。公僕でありながらこの苦渋の選択を選ばねばならぬほど、ネオサイタマは腐敗しているのだ。

 この考えの下、ノボセらはニンジャ事件被害者をスガモに集め情報を集積してきた。独自の調査によりニンジャスレイヤーの正体にもたどり着いた。そして今夜……指名手配されたFKG(フジキド・ケンジ・グループ)の女ハッカー、ナンシー・リーを発見しつつも、ハイデッカーの手から逃したのだ。

「上のタマ無し連中が、明日結論を出せるとは思えないね」デッドエンドが言った。彼女の発言は暴力的だが、常にある種の真実を捉えている。「今日この混乱のうちにハイデッカーを潰したほうがいい」「俺たちゃいいぜ、ニンジャだ」タフガイは彼女を諭すように言った。「爺さんの家族はどうなる」

 孫娘ムギコを含むノボセの家族は、一時的にネオサイタマの北へと避難している。だが49課の正体とノボセ・ゲンセンの企みがおそらくアマクダリ・セクトに露見してしまった今、どれほどの安全が確保されているだろう。さらに49課が解体され、公権力の守りまで失えば、全ての努力は無に帰する。

「今は耐え忍ぶのだ。わしらはNSPDを、49課を水際で存続させねばならぬ。お前達はデッカーである事に意味がある。それを軽々しく投げ捨ててはならぬ」ノボセは厳格なるドージョー主めいて言った「反撃機会はわしが必ず見出す」タフガイ、スポイラー、そしてデッドエンドも彼の言葉に頷いた。

 ノボセは厳しい表情で頷き、手元のチャに視線を落とし、そこに孫娘の面影を投影した。直後。KA-DOOOOOOM!凄まじい衝突音が監獄島に響き渡った!続けざま、爆発とさらに大きな揺れ!「何だ!」「ファック!」「アマクダリの攻撃か!?」「ありえん!この監獄島を直接攻撃など……!」

「あれを見てください!」スポイラーが強化ショウジ戸を開き、窓の外を指差した。そこには信じがたい光景が広がっていた。真っ二つに折れたヨロシサン大型輸送機の機首部が、鉄橋に墜落し、もろとも爆発炎上していた。スポイラーの額に、嫌な汗が滲んだ。「スガモ監獄島が、完全孤立した……?」

「お……おい、あれは!」スポイラーの横から窓の外を睨んでいたタフガイが、何かを発見し、双眼鏡をスポイラーに手渡した!「あ…あれは!」「ラッコだ!」タマ・リバーに生息するという幻のラッコだ!それはいくらか離れた場所で水面に仰向けに浮き、燃え落ちる鉄橋を、哀しげな目で見ていた。

 重汚染されたタマ・リバーで生存し続けるラッコは、ネオサイタマ市民にとって希望の象徴とも言える稀少存在であり、年一度でも目撃されればニュースとなる。そのラッコは今、人類文明を哀れむような超然的な眼差しでスガモ監獄島を一瞥した後、名状し難い恐怖から逃れるように泳ぎ去っていった。

「総合棟が半壊しているぞ!ウサギ棟!ニワトリ棟もだ!」廊下からデッドエンドが叫んだ。KA-DOOOM!さらなる爆発。悲鳴。アラート。炎。銃声。「ちくしょうめ、いったい何が起こってやがる!」タフガイが唸った。彼はスポイラーにノボセの警護を任せ、即座にデッドエンドと飛び出した。

◆◆◆

『火の用心!火の用心!』威圧的な電子音声と非常ボンボリの回転。火災警報が発令され、一部の棟ではスプリンクラーが作動を開始していた。常に収容人数が数百パーセント超の過密状態にあり、数千人の犯罪者がスシめいてひしめくスガモ監獄島において、火災は最も警戒すべきインシデントである。

 ヨロシ・バイオサイバネティカ社の大型輸送機から墜落したその鋼鉄製カーゴは、まるで無力なショージ戸を破るかのように中央総合棟の老朽コンクリート壁を易々と突き抜けた。そして途中にいた何人もの囚人をネギトロじみた死体に変えながら滑り、囚人収容棟のひとつ、ドラゴン棟に突き刺さった。

 広いレクリエーション室内は一瞬にしてガレキと舞い上がる粉塵に満たされ、天井から吊るされたタングステン灯がバチバチと火花を散らす。ガゴンプシュー!鋼鉄カーゴが圧縮空気を吐き出し、ハッチが自動的に開かれた。囚人たちは廊下側まで避難し、目を大きく見開き、遠巻きに成りゆきを見守る。

「中に誰かいるのか!?」2人の看守マッポが暴徒鎮圧ショットガンを構えながら、じりじりと鋼鉄カーゴに接近する。『火の用心!火の用心!これよりコールされる棟の囚人は、グラウンドまで避難重点……』一度も聴いた事のない類の非常プログラム音声が、看守たちの心音を速め、汗をにじませる。

「凍っていたのか……?」看守の1人はカーゴ側面に触れ、一面を覆う白い霜と冷気に気づいた。払い退けるとそこには、白い字で書かれたバーコードと紋章、漢字に似た奇妙な言語。スキャンを行う。解読不能。唯一解ったのは、それがヨロシサン社内でのみ用いられるクリプト・カンジである事。

 カーゴの容量は大型トレーラーの積荷程度。それが冷凍保存に近い状態で、大型輸送機によって空輸されていた。それが墜落したのか。では積荷は。「一体、何が」看守が横を振り向くと、ハッチ付近に向かっていたもう一人が、いつの間にか姿を消していた。「おい、勝手に中に入るな!」返事が無い。

「おい!ヨロシサンと面倒ごとを構えたいのか!?ヤメロ!」看守はショットガンを強く握りしめながら、先程まで仲間が立っていた場所へと走った。CHOMP!GULP!SPLAT!SPLAT!SPLAT!コンテナ内から奇妙な音が聞こえてきた。そして弱々しい悲鳴。「アイエエエエエ……」

「おい、何だ!?何が起こっている!?」看守はハッチ部から距離を取りながら、その内側に向かってショットガンを構えた。「中に何がいたんだ!?」カーゴ内は暗い。制御UNIXの微かなLED光、破損したと思しき装置類の立てる火花。そして、邪悪な赤い3つの眼が輝いた。「アイエッ!?」

 看守のショットガンに装着された小型の漢字ライトが、一瞬、それを照らし出した。人型の何か、怪物としか呼べないものが、仲間の看守を、無造作に食っている。SPLAT!SPLAT!血飛沫が飛んだ。「アイエエエエエエ!」看守は悲鳴を上げ、逃げようとし、転倒した。片方の足裏に違和感。

「アイエッ!?」大きさはピザ程度、灰色のオモチめいた粘着質の物体が、靴裏にべったりと張り付いていた。より正確に言うならば、それは奇怪な粘液を分泌し、看守用ブーツの革とゴム底を溶かし、靴下も足裏の肉も溶かし、骨までも溶かそうとしていた。そして恐るべき事に、痛みは感じなかった。

 看守はパニックに陥った。「アイエエエエエエエ!溶ける!」そして気付いた。粘着物体には蔦めいた触手があり、コンテナの中に伸びていることを。己は、魚めいて釣られたのだと。「yyyyyyRRRRysh」それは、闇の中で嘲笑うような声を上げた。看守はショットガンの引き金を引いた。

 BLAMN!だが散弾はトレーラー内の影ではなく、天井のタングステン灯に命中した。彼の足を捉えていた触手が一瞬で引き戻されたのだ。看守の体は無力なジョルリめいて仰向けに倒れ、ガレキに後頭部を強打し、闇の中へと足先から飛ぶように消えていった。CHOMP!GULP!SPLAT!

 全ては一瞬の出来事であった。「アイエエエエエ……?」「今、一体何が……?」遠巻きに見守っていた囚人たちは、巻き上がる粉塵を払いのけながら、目をこすった。「何をしている!各人の部屋に戻りなさい!」「ここは危ない!他の看守はどこへ行った!?」追加の看守2人が廊下からやってきた。

「さっきの銃声は何だ!?」「それが、皆あのコンテナの中に消えちまって」「おい待て、何か聞こえるぞ!」CHOMP!GULP!CHOMP!GULP!2人の看守はショットガンを構え、コンテナのハッチへと近寄った。投げ縄めいて触手が飛び、片方を絡め取って、コンテナの中へ飲み込んだ。

「アイエエエエエ!?アイエエエエエエエ!」BLAMN!BLAMN!BLAMN!残された看守はパニックに陥り、トレーラー内に向かって闇雲に射撃を行った。「おい看守さん!何がいるんだ!」「何を撃っているんだ!?」囚人たちはあまりの恐怖に凍りつき、その場から身動きができなかった。

 やがて銃声が止んだ。コンテナ内に残っていたUNIX機器は全て破壊され、バチバチと火花を放ち、煙を上げていた。「ハァーッ!ハァーッ!やったぞ!何だ、何だったんだ今のは!?」看守は完全な真っ暗闇に向かってライトを掲げた。次の瞬間、また赤い三つ目が輝き、跳んだ。「アイエッ!?」

 それは蛍光緑の血を滴らせながら、獣じみた前傾姿勢でコンテナから飛び出し、殴りつけた。あるいは不愉快そうに薙ぎはらった。ヘルメットを被った看守の首がラグビーボールめいて飛び、囚人たちの所へ。「アイエッ?」凶悪殺人犯の大男が、花嫁ブーケめいてそれをキャッチし、目を白黒させた。

 CHOMP!GULP!CHOMP!GULP!SPLAT!SPLAT!SPLAT!天井のタングステン灯がバチバチと火花を散らし明滅し、その怪物の影を囚人たちに詳らかにした。「yyyyyyyyyRRRysh」それは看守の死体を引き裂き、捕食していた。「「アイエエエエエエエ!」」

 ナムアミダブツ!殺されるのではない。食われるのだ。言葉の通じぬ何かに。その本能的恐怖によって、囚人たちは恐慌に陥った。押し合いながら、狭い廊下への入り口に向かって、我先にと逃げた。怪物が背後から飛びかかり虐殺を開始した。それは歓喜していた。ここはオレンジ色の餌に満ちている。

◆◆◆

 オレンジ色ツナギを着た囚人達が既に5百人近くグラウンドに集まり、整列を始めていた。墜落した輸送機破片の直撃を受け、いくつかの棟で火の手が上がっている。マッポ消防隊員がホースを構え、そこかしこで放水を行う。囚人の多くは、ここでホースが己に苦痛以外の物をもたらす所を初めて見た。

 囚人の反応は様々だ。火と煙を見て興奮する者。降りだした重金属酸性雨に罵声を浴びせる者。不安な目で成り行きを見守る者。……それらの中で、ヤマヒロは苦笑いした。「クソッタレめ、パーティーが台無しだな」彼の目は笑っておらず、獲物を狙うタイガーのように、鋭い周囲の観察を続けている。

「でもパーティーしてなけりゃ、俺たち今頃、死んでたかもしれませんよ」隣でタロが屈託無く笑った。ハッカーのイシカワを含む他の5人も小さく頷いた。彼らはウサギ棟の囚人仲間……ヤマヒロ一味だ。この7人は先程までウサギ棟ショーギ室で、タロの誕生日と出所3ヶ月前パーティーを行っていた。

 ショーギ室ではなく各々の号室にいたならば、彼らの何人かは、この輸送機墜落事故のせいで今頃ガレキの下でネギトロになっていたかもしれない。「ああそうだな、クソッタレめ」ヤマヒロは唸るように言った。「何で俺たちゃツイてねえんだろうな」その間も彼の耳は狡猾に周囲の噂話を拾い上げる。

「もうじき消火も終わりそうですね」タロが言う。「戻ったら避難時に痛めたイシカワ=サンの足も医療室で見て……」「医療室はどうせ満員だ、我慢するよ」イシカワが肩をすくめる。「それより、俺の号室が無事に残ってりゃいいんだが」そして手の平で、ポツポツと降る重金属酸性雨を受け止めた。

「おい、まだ気ィ抜くんじゃねえぞ」ヤマヒロが一同の目を見ながら重い声で言った。額には脂汗。輸送機が対空砲撃を受け墜落……ヨロシ系列の社章……大型コンテナ落下……49課のデッカーが奔走……鉄橋が落ちた……?彼の耳に入るのは不穏な情報ばかり。グレーターヤクザセンスが危険を告げる。

「スンマセン……なんかこう」タロが複雑な表情で頭を掻いた。退屈な刑務所の日常に突然降って湧いた火災騒ぎ、三ヶ月後の出所とその先の不安、まだ何年以上も牢獄に残るヤマヒロ達のこと。様々な事が、まだ若い彼の心を掻き乱していたのだ。外にはもう、兄弟と呼べる者は居ない。「スンマセン」

 ヤマヒロは額の汗を拭いながら、にかりと笑んだ。「だがビビるのは違う。危険が増えりゃチャンスも増える。全員一緒に動け。今は密林のタイガーみてえに目を光らせてろ。そしてイザとなったら、躊躇なく動くぞ。特にタロ、テメエはどうにも呑気で優しすぎる。下手な動きするんじゃねえぞ」「ハイ」

◆◆◆

 レクリエーション室の一瞬の惨劇から10分が経過。壁に空いた大穴から、男は薄暗い室内へと忍び込んだ。室内のバイタルサインは皆無。かすかなブーツ音を響かせながら、彼はコンテナへと向かった。Zzzzzzzt。耳障りな電磁ノイズが鳴り、彼の体を覆う光学迷彩コートの効果が解除される。

「***何たる失態***」彼は呼吸器から苦しげな声を発する。3ピーススーツにブレストプレート、小型ジェットパック、光学迷彩コート、赤い丸レンズ付ガスマスクヘルム……その威厳と、己の体内には汚染物質を1μグラムも侵入させぬという意気込みは、まさにヨロシ系列企業の重役の風格だ。

 彼はニンジャか?……違う。ニンジャであれば、墜落からの緊急脱出時に肋骨を折ることも、片方の丸レンズにブザマなヒビを入れることも、IRC通信機に損傷を負う事も無かっただろう。彼はヨロシ・バイオサイバネティカ社の第8開発部長である。そして墜落輸送機の唯一の生き残り社員であった。

 彼は監獄島に着地した瞬間、即座にセプクをしようと考えた。今、この空のカーゴを見た時もだ。だがそうしなかった。彼は再報告を行った。「***不測の事態です。タマ・リバー上空をデモンストレーション輸送していた輸送機が墜落……***」ザリザリザリ…… IRC通信機のノイズが酷い。

「***積荷ごとスガモ・プリズンに落下。そしてカンゼンタイが……休眠処理が施されていた筈のそれが……***」ザリザリザリ……彼は周囲の血の跡や"食べカス"を一瞥した。「***捕食行動を開始***」ザリザリザリ…… ノイズは更に酷い。果たしてどこまで本社に伝わっているだろう。

 彼がセプクしなかった理由。それは、積荷の重要さゆえである。それを野放しにした場合、何が起こるのか、彼は全て知っている。彼は為すべきことを為すために、危険を冒し、監獄島内で秘密行動を開始したのだ。「***スガモ監獄島は孤立。囚人数、数千名。数時間で最悪の事態危険性***」

 彼は損傷したIRC通信機が火花を散らし煙を吹くまでのわずかな時間で、手短に、本社への事態の報告と救援要請を告げた。「***報告終了***」彼はコンテナから降りて歩き、その側面に刻字されたクリプト・カンジと社章へ、深い愛社精神とともにオジギした。

 そのクリプト・カンジの意味は、カンゼンタイ。日本社会において、新たな漢字の創造は禁忌の行いである。平安時代に定められたセットが全てであり、人々はそれを神々の定めた法の如く厳守してきた。だが、ヨロシサンはやるのだ。そして生物の理すらも操作し、ニンジャすらも生体兵器に変えるのだ。

 おお、カンゼンタイ。究極の生命体。輝かしき地球の未来。ヨロシ・バイオサイバネティカの社運を握るもの。「***明日もヨロシサン***」彼はチャントを唱え終えると、バイタルサインを追い、粛々たる足取りで進んだ。血みどろの廊下へ。Zzzzzzt。再び光学迷彩コートがONになった。



3

 彼は実際ひどい混乱の中にあった。「どうなっとるんだ、これは……?」カブセ医師は神妙な顔で窓の外を見渡し、既にびしょ濡れのハンカチで汗を拭った。だが拭っても拭っても、手の平と額から汗がにじみ出してきた。

 カブセ・ソウヤマ。48歳。全く流行遅れのスラックスに、気の抜けた野暮ったい厚手のジャケットと、間抜けな柄のワイシャツ。髪はフケだらけ。とりたてて何の主張もなさそうなその顔には、脂と指紋だらけの分厚いメガネ。自分は医者だと主張するようにピンと整えられた口ヒゲだけが妙に場違いだ。

 彼はスガモ重犯罪刑務所に勤務する医者の一人だ。その身なりを見れば解るように、このポジションの年収は低い。安物のパックド・スシと化学トーフで食いつなぐ毎日だ。囚人と隣り合わせのリスクに対して、全く不当に安い賃金と言えるだろう。だが残念ながらNSPDには、予算が不足しているのだ。

 低い年収に相応しく、カブセもまた能力と経験が不足していた。それでも、囚人の毎月の健康診断で体重などを計り、サイバー聴診器で胸の音を聞くことには問題なかった。彼にはその程度しか求められていないのだ。「フウーム」メガネの端には血飛沫が飛んでいた。それにも気づかず、彼は顎を撫でた。

「フウーム……フウーム……これは……」カブセの目の前には、ネギトロめいた2個の死体が転がっている。マッポの死体だ。アドミン棟4階。輸送機の残骸が直撃し半壊したこの取調室に、生存者は彼ひとりだ。机の上には彼のために用意されたポークカツレツ・ライスボウルが、まだ湯気を上げている。

 最後の晩餐めいたカツレツ・ライスボウルが供されたという事は、これ即ち、カブセの取り調べが佳境に入っていた事を意味する。これは日本警察機構における不文律であり、自白を求める取り調べの最後通牒を意味する。このポイント・オブ・ノー・リターンを過ぎた場合、罪の減免はもはや期待できない。

(ねえカブセ=サン、このZBR備蓄量の増減、どうもおかしいですよね)(カブセテメッコラー!いい加減吐いたらどうだコラー!)(待ってください!まだ決まったわけじゃないですよ!でも早く吐いた方がいいですよカブセ=サン!)彼は死体を交互に見渡し、先ほど自分が言われた言葉を反芻した。

 実際カブセは人生の破滅を覚悟していた。3年前から彼は、チンケな違法物品の運び屋をしていたのだ。上級職員の中には、暗黒メガコーポと癒着している者もいると聞く。だが彼は誰からも重要と思われておらず、また自分でもそうした大物を相手にビズをする勇気がなかったため、運び屋になったのだ。

 証拠が揃ったら、どうなる。メンキョは剥奪され自分が囚人となるのだ。「クソーッ!まさかこんな事になるとは……!アンセスターにどう言い訳すればいいんだ!」カブセは頭を抱えた。「ハッ……!」そして取調室の監視カメラを見上げ、それが破壊されていることに気づき、安堵の息をついた。

「どうすればいいんだクソーッ!」カブセは座り、取調机で頭を抱えた。「今なら証拠隠滅できるか?」何が起こったのかは、棟内放送でおおよそ掴んだ。混乱に乗じれば、チャンスがある。「いや、ダメだ、ダメだ……心配だ」事態は収束しつつあるようにも見える。すぐここにもマッポが来るのでは?

「クソッ!クソーッ!」カブセは机を両手で叩いた。ボウルドライスが転げ、チャワンが割れ、ガレキに中身がぶちまけられた。彼にはもう後がない。住宅ローン支払いはかさむ一方だ。そのうえ投獄されたとあっては、死後間違いなくアノヨでアンセスター(訳注:祖先)にムラハチされると彼は恐れた。

 KABOOOOM!監獄棟側でまた小爆発が起こった。割れ砕けた鉄格子窓越しに、カブセはその火をボンヤリと見ていた。そして我に返った。隠蔽チャンスは今しかない。このチャンスに乗らねば自分は一生後悔する!待っていれば事態が悪くなるだけだ!この波に乗り遅れたら、今度こそオシマイだ!

「よし」やるべきことは決まっていた。UNIXの物理ログをすべて破壊消去し、さらに動かぬ証拠である備蓄薬剤や持ち込んだ違法物品在庫も、この事故にかこつけて破壊焼却するのだ!「やるぞ!」こんな危険な証拠隠滅に手を染めるのは何年ぶりだろう。十年?二十年?三十年?いや、初めてだ!

 目的地は2箇所。UNIXがあるアドミン棟の個人室。そして中央総合棟の医務室だ。だが、マッポに阻まれた時に押し切れるか?彼は不安になった。心臓が爆発しそうだ。その時、脳内アドレナリンがピークに達した!「ウワアアアアーッ!」彼は血みどろの床で転がりながらマインドセットを行った!

「スガモ刑務所内で大事故発生!私も軽傷を負った!だが私は医者だ!そこかしこに重傷者だ!私は必要とされている!相当な献身的態度だ!」カブセはガレキを転がり己を鼓舞した。眼鏡にヒビが入った。「行くぞ!誰も私を止める事はできない!マッポでもだ!命がかかっているんだぞ!囚人の命が!」

「ウオオオーッ!日頃誰も彼も私をいないもののように扱いおって!だが私はここにいるんだ!囚人の命を救うためにだぞ!私に口を出すな!」そして彼は狂気めいた光で目をギラギラと輝かせながら、取調室から逃げ出した!そして廊下を駆ける!証拠隠滅のために!「私は医者だ!」ナムアミダブツ!

◆◆◆

「アイエエエエ痛い!もう駄目だ!もう駄目だ!医者かレスキュー隊を早く!アイエエエエエ!アイエーエエエエエ!」「待ってろセイブ=サン!この鉄棒さえありゃあ……ウオーッ!」筋骨隆々の囚人が鉄パイプを使い、セイブ=サンを押し潰したガレキ除去を試みる。だが動かぬ!出血も続き危険!

 ここはコンテナと輸送機残骸の直撃で大きな被害を受けたドラゴン棟の一室だ。「きっともう皆監獄島から逃げちまったんだ!もう誰も戻って来ねえ!」「バカ!セイブ=サン!諦めんじゃねえ!」セイブはパニックに陥り、キンテツが彼を励ます。既に囚人らはグラウンドに避難し棟内に人の気配はない。

 非常LEDボンボリの明滅が二人を照らす。「ハンシン=サンはまだ戻らないのか!?」「ああ、まだだ、クソッタレめ!」この場には先程まで仲間のハンシンもいたが、ガレキ除去困難と見て、彼は助けを呼びに行ったのだ。「クソ!遅すぎる!俺がグラウンドを見てくる!」「心細い!」「すぐ戻る!」

「ハァーッ!ハァーッ!」キンテツは傾いて軋んだドアをこじ開け、ドラゴン棟の廊下を走る。焦げ臭い匂いと煙がまだ燻っている。廊下に看守マッポの暴徒鎮圧ショットガンが転がっていた。「看守め、ショットガンも放り捨てて一目散に逃げやがったってのか!クソッタレめ!」ガレキを越えて走る。

 その時「アイエエエエエエエ!」棟内のどこかから、断末魔めいた悲鳴。鬼気迫る声だった。キンテツは思わず足を止め、後方を振り返った。だが、セイブの声ではない。軽く安堵の息をつき、振り返って走ろうとする「何だおい、まだ棟内で爆発が起こってん……の……か……?」彼は異状に気付いた。

 廊下の左右には、避難して空になった囚人たちの共同室がある。妙なのは、血飛沫が飛んでいることだった。輸送機残骸の直撃を受けた部屋ならまだしも、傷一つ付いていない部屋でさえ、そうなのだ。「何だオイ……暴動寸前だったのか……?」ショットガンの銃弾痕もあった。嫌な汗が額から垂れる。

 そして彼は、さらなる異状に気付いた。床に何かネバネバとした粘液じみた物が残っており、ナメクジの大群が這ったかのように床を覆っている。所々、マーブル色スーパーボールめいて、オレンジ色と赤と白が混じっている。「オイ、待てよ」本能が彼に危険を告げた。「本当に、皆、避難したのか?」

「オイ、何だあれは……」彼は血飛沫の軌跡を目で追い、その先の壁を見た。こんな事をしている場合ではないとは解っている。だが恐怖という抗い難い引力に引き寄せられるように、空っぽの共同室に入り、壁に刺さった物体の正体を確かめた。それは、骨色のスリケンだった。恐怖で視界が歪み始めた。

「スリ……ケン…?」有り得ない。この場に存在してはならぬ物体だ。キンテツは呆然と立ち尽くす。「アイエエエエエエエ!」再び悲鳴。セイブの声だ!キンテツは我に返った。「おい、何があった!?」「アイエエエエエ!」「待ってろ!」キンテツは廊下のショットガンを拾い上げ、走り戻った!

「何だ!いったい何が落ちてきやがったってんだ!?」ショットガンを構えながら走る。彼はZBRでもキメたかのように頭が冴え渡っていた。それは本能的恐怖がもたらす一瞬の洞察だった。「オイ!ちくしょう!セイブ=サン!」だが、返事はもう無かった。彼は元の部屋に駆け込んだ。そして見た。

 それは彼を見て「yyyRRRRysh」と言った。身の丈3メートル近い、四本腕の人型の何かが、安物のトイめいて千切れたセイブの上半身を片手で掴んでいた。怪物の背中からは四本の触手が生え、別の生物めいてのたうっていた。その2本には、別の囚人が絡め取られ、後ろに引きずられていた。

「アイエエエエ!」BLAMN!キンテツは絶叫しながら散弾銃の引き金を引いた。それは怪物の体と、既に死体になっているセイブの上半身に命中した。怪物は小さく仰け反ったが……ただ、それだけだった。「yyyyrrrr」それは嘲笑うように、喉をゴボゴボと鳴らした。キンテツは失禁した。

 彼は逃げようとした。目にも止まらぬ速さで触手の一本が飛び、足に絡みついた。「yyyRRRysh」「アイエエエエ!」彼は転倒しガレキに頭を打った。だが痛みも絶叫もすぐに消えた。もう一本の触手先端が彼の顔をとらえ、イカめいたその先端部の孔から、麻痺性の溶解粘液を分泌したからだ。

◆◆◆

『ドーモ、こちらアドミン棟、スポイラーです』「ドーモ、こちらデッドエンド、イヤーッ!」彼女は左手で無線機を耳に当て、右手で囚人を殴り飛ばしていた。『グラウンドの様子はどうですか』「聞こえるだろ!最悪だ!イヤーッ!おい貴様ら!死にたくないなら正座してろ!点呼中だ!イヤーッ!」

 ドラゴン棟、ウサギ棟、ニワトリ棟は大きな被害を受け、それらの棟の囚人は中央総合棟のグラウンドに集められていた。島内では未だそこかしこで爆発炎上が続いている。その炎を見て興奮したパイロマニア囚人たちが奇声を上げ暴徒化しかけたため、49課の暴力女デッカーが拳で黙らせているのだ。

『あとどのくらいグラウンドに留めて置けそうですか?』「重金属酸性雨の勢い次第だな!」デッドエンドが舌打ちした。実際、グラウンドには不穏なアトモスフィアが満ち、燻っている。『とにかく、今夜は島内のマッポが必要人員の30%すら割っている事を、囚人に悟られないようにしてください』

「なら天気に祈るんだな」『ニワトリ棟はまだ火災が続いている』スガモ監獄島内各所を飛び回っているタフガイが、無線に割り込んだ。『俺がこれから墜落したエンジンの処理をする。とっととバルブを閉めねえと、カブーム、だ』「お前がやるのか?」『ああ』「失敗したら記念碑を建ててもらうぞ」

 しばし、司令室からは何も応答なし。ノボセ老とスポイラー、そしてスガモの副署長が、重い表情でショートブリーフィングを行っているさまが目に浮かぶ。……少しして、再び無線。『中央総合棟の火は収まっています。現在グラウンドに避難している3棟の囚人を、すべて、総合棟に入れてください』

 沈着冷静なスポイラーの声に従い、デッドエンドが拡声器で命令を飛ばす。「……いいかブタども!重金属酸性雨くらいでギャアギャア喚くな!お前らは小学生か!?雨でタマが冷えて縮み上がってるのか!?ズブ濡れになって泣いてもママはいないぞ!とっとと立って歩け!騒ぐな!イヤーッ!」

「列を飛ばさない!」「ちゃんと並んで!」看守マッポたちが厳しい声で誘導する。ゾロゾロと、オレンジ色のツナギを着た囚人たちの長い列が中央総合棟に向って続くのを見ながら、デッドエンドは他の者たちから距離を取り、無線に戻った。「…爺さん、結局全体の状況はどうなってる。完全孤立か?」

 しばしの沈黙。彼女はガムを噛みながら総合棟入口のマッポや囚人を睨みつけ、しかめっ面で待った。『そうです』とスポイラーが答えた。『橋が完全に落ちました。川には機雷があります。現状、この島から脱出する手段は、僕らが乗ってきたヘリ1台だけです。アドミン棟の屋上に留めた、アレです』

『さらに、ネオサイタマに昨夜から広がっている不穏なアトモスフィア。およびハイデッカーとの衝突により、僕らは組織内でも孤立しています。人員も不足中です。現状、外から誰かが増援を送ってくれるとは思えません』「ハァ?火災でもか?」スポイラーは静かに答えた。『通信が途絶中なんです』

「通信が、途絶……?」彼女は片眉を吊り上げた。『ハイ、先ほどから、マッポネットに接続できないんです。無線LANもダメです。おそらく、墜落事故によって基幹LANケーブルの断線が生じたんじゃないかと』「ついさっきまで使えたんだろ?」『現在、UNIXに詳しいマッポが調査中です』

◆◆◆

「これは……!」アドミン棟内、暗い電算機室内でライトをかざしながら指差し点検を行う一人のマッポ。「基幹LANケーブルが……切断されている!」彼は声を震わせた。何故ならば、それは人為的に切断されたとしか思えなかったからだ。彼はゴクリと唾を飲む。内部に、それを行った人間がいる?

「アイエエエエ!大変だぞ……今すぐ司令室に知らせアバーッ!」突如マッポは倒れた。ナムアミダブツ!カロウシであろうか?いや違う!Zzzzzzzt。電磁ノイズ音が鳴り、すぐ横に、光学迷彩を解除したヨロシ・バイオサイバネティカ社のあの男が現れたではないか!その手にはニードルガン!

 標的はバイオ毒針弾で心停止。証拠は残らない。「明日もヨロシサン」彼はチャントを捧げ、サイバネ強化された腕で死体を引きずり、物陰に隠した。シュコーッ。ガスマスクから荒い息が漏れる。彼の名はコーゾ。ヨロシ・バイオサイバネティカ社第8開発部長、そして墜落機の唯一の生き残り社員。

 シュコーッ。彼は無線機を拾い上げ、廊下へと向かった。そして再び光学迷彩コートをONにする。Zzzzzt。コーゾの輪郭はぼやけ、透明になって消えた。暗黒メガコーポ重役に相応しいサイバネ装備の数々。だが中身は常人だ。彼は鎮痛薬を超えて伝わる墜落時の怪我の痛みを歯噛みして耐えた。

 コーゾの目的はただひとつ。カンゼンタイ存在の事実を隠蔽し続け、本社からのサブジュゲイター到着を待ち、ヨロシ・ジツでこれを安全に回収することだ。覚醒直後の状態では、カンゼンタイには弱点が多すぎるからだ。カンゼンタイを絶対に無駄にはしない。……狂った愛社精神が彼を突き動かす!

 コーッ、シュコーッ……。微かなガスマスク排気音とともに、姿見えぬ男はアドミン棟内を進む。やがて、前方で物音が聞こえ、彼は身構えた。自分が光学迷彩状態にあることを確認しながら、彼はニードルガンを構えて静かにその部屋へと向かった。薬瓶の割れる音や、おかしな叫び声が聞こえてきた。

 完全な光学迷彩ステルスだった。この状態のコーゾを発見できるのは、よほど上等なサイバネ者か、わずかな匂いも嗅ぎつける野生動物か、あるいはニンジャくらいのものだろう。彼は息を潜め、開いたドアから中を見た。「私は医者だ!一刻も早く怪我人を助けねばならん!」血まみれの妙な男がいた。

「囚人であっても、人は人、命は命だ!ウオーッ!」彼は突如UNIXを机から投げ落とし破壊した。それから色あせたリュックサックの中に、乱暴に薬剤やコナや注射針を詰め込んでいった。「私は医者だ!」「……」コーゾは短い状況判断の後、ニードルガンを下ろし、部屋の前から去っていった。

 狂人か。好都合だ。貴重なニードルガンの弾数を浪費することもない。存在自体がマッポに対する妨害工作になろう。コーゾは頷き先へと進んだ。(ビョーキ、トシヨリ、ヨロシサン)と繰り返しチャントを唱えながら。後方では、医者が部屋から飛び出し、何か叫びながら廊下を逆方向に走って行った。

 外では陽が沈み、グラウンドを闇が覆い始め、雨脚が強くなった。カブセ医師は雨の中を総合棟へと走った。ヤマヒロたちは、濡れた服に文句をつけながら、総合棟の食堂へ向かう長い列を作っていた。その横を、ストレッチャーに乗せられた意識不明のガイジンが、医務室へ運ばれてようとしていた。


4

 中央総合棟の医務室はすでに、大勢の負傷者でパックド・スシめいた状態になっていた。廊下にまで囚人があふれ出し、うめき声を上げている。「マズイですよね」「当直マッポが少ないのがバレたら暴動可能性ですね」列をなす囚人たちを見ながら、守衛マッポ2人は顔を見合わせ、複雑な表情を作った。

 その時!「どくんだ!どきたまえ!道をあけないか!」囚人たちの行列の向こうで叫び声!「「ワッツ!?」」守衛マッポは血相を変える!誰かが列を割り込もうとしているのか!?列を守ることが美徳である日本人にあるまじき、暴動誘発可能性行為である!「「ちょっとやめないか!」」守衛が駆ける!

「どきたまえ!私が診る!私以外に、誰がやるというんだ!」「「あ、あなたは……!」」守衛マッポ2人は思いがけない人物と遭遇した。それはカブセ医師であった!「私は医者だ!」カブセの白衣は血まみれで、全身に大量の器具やシリンジや薬瓶をベルト固定していた。まるで動く診療所であった。

「カブセ=サン、なぜあなたがここに!?もう勤務時間は終わっているはずなのに、何故……!」この末端マッポたちは、まだカブセ医師の罪状を知らぬのだ。「カブセ=サン、あなた自身もケガをしているんじゃないですか!?」「それに危険です!まだ爆発や火災の危険性が…!」マッポたちが止める。

「応急手当てならばマッポでもできます。総合棟は危険なんです。(いつ暴動が起こってもおかしくは……!)」マッポの一人が声をひそめて言った。だがカブセの目は、有無をいわさぬ使命感でギラギラと輝いていた。「そんなことを言っている場合か!私は医者だ!そして目の前に患者がいるんだぞ!」

「うう……」ストレッチャーに乗せられた重サイバネガイジンがうめき声をあげた。意識不明の重体であった。「フウーム!見たまえ!極めて危険な状態にある!」「庶子……」「今すぐZBRを倍量注射しかない!その横の火傷患者には、シャカリキ成分を3倍量投与だ!」カブセは医療行為を開始した。

 カブセ医師は血と汗にまみれながら、驚くべきペースで診断をこなし、マッポ救急隊員に指示を飛ばしていった。まるで、何らかの神聖なる使命に突き動かされているかのようであった。「スゴイ」「なんて献身的な人なんだ……」2人の守衛マッポは離れたところからカブセを見つめ、驚きの息を吐いた。

 日頃、カブセは囚人だけでなく職員からもナメられていた。空気じみた無価値な存在であり、真の敗者とみなされていた。「俺は今まであの人を誤解していたかもしれない……」「医師のかがみだ……俺はなんだか涙が出てきた」「君たち!」カブセが振り返り、叫んだ。「「ハイ!」」「手伝いたまえ!」

「ハァーッ!ハァーッ!」カブセは息を切らし、囚人患者の波をかきわけながら、気難しい天才作曲家めいた表情と足取りで、医務室と廊下を行き来した。棚に肩がぶつかり、ZBRアドレナリンの小さな薬瓶が転がって割れた。だがこのケオスの中では、その程度のアクシデントなど誰も気にしなかった。

◆◆◆

「ヤマヒロ=サン、どうしたんですか……?」「おう、何でもねえよ」凄まじい冷や汗であった。ヤマヒロとその仲間は、総合棟の図書室に一時集められ、他の囚人たちとともにパックド・スシめいて押し込められていた。

 周りの囚人たちは退屈そうに雑談を始めている。まるで過ぎ去った台風をなごり惜しむかのように。だが、グレーターヤクザであるヤマヒロは、その静けさがむしろ恐ろしかった。「チクショウめ……」ヤマヒロは、この先に迫るただならぬ不穏アトモスフィアを感じ取り、止まらぬ冷や汗をまた拭った。

「……前に、脱獄プランを話したことがあったよな」ヤマヒロは自分の仲間たちにだけ聞こえるよう、声を潜めて言った。「ハイ」イシカワが返答した。彼もまた、ヤマヒロの焦燥感が伝染したように、額におびただしい汗を滲ませていた。「エッ」二人のやりとりを見て、タロは不安そうな顔を作った。

「何で今、脱獄を……?」タロが恐る恐る問うた。ヤマヒロはタバコを吸うように指3本を口元に当てながら言った。「万が一の場合に備えてさ…なあ、おい?」「本来なら10個のセキュリティ問題を突破する必要があるが」イシカワが言葉をつないだ。「今ならそれが2個。80%ディスカウント中」

「だが別な問題も浮上。橋が崩落している可能性。その場合は、アドミン棟屋上にある緊急用のヘリを使うしかない。早い者勝ちのバーゲンセール」イシカワは引きつった笑みを浮かべる。「そして何より、俺たちは囚人ステータス。ハッキングの必要性あり。どこかで武器調達のオプションも欲しいね」

「今ならマッポの注意が逸れてるが、難易度そのものが上がっちまったって事か…」ヤマヒロは細く息を吹いた。「で、肝心のハッキングは?いけそうなのか、イシカワ?」「率直に行こう」イシカワは埋められた生体LAN端子に手を当てながら言った。「LAN直結不可。タイプ速度が全く足りない」

「やっぱりそうか……チクショウめ」ヤマヒロは重い息を吐いた。また汗が滲んだ。ここに投獄される囚人は皆、当然、生体LAN端子を埋められている。たとえテンサイ級のタイプ速度を誇る強大なハッカー犯罪者がいても、物理肉体タイピングの枷にはめられれば、翼を奪われた天使の如く無様だ。

「サイモンジなら、あるいは」イシカワはいささか自嘲的に言った。「サイモンジ……」ヤマヒロや他の仲間達は、声を潜めて、その名を復唱した。囚人ならば皆、その名を一度は聞いた事がある。地下の懲罰独房には、伝説のハッカーが投獄されているという。神の指を持つ男、サイモンジ・ヤナギダ。

 サイモンジ・ヤナギダ。年齢不詳。生体LAN端子を持たず、純粋なタイプ速度とUNIXコマンドテクだけでテンサイ級ハッカーとなった男。今から14年前の伝説的なオムラ・インダストリ社株仕手電脳戦、俗に言う”黒いスシ事件”では、ヤバイ級ハッカーのニューロンを物理タイプで焼いたという。

「だが、サイモンジは生死すら定かじゃねえ……本当の伝説だ」ヤマヒロは言った。「地下に忍び込む事自体は、今なら簡単だろうが……」イシカワは地下懲罰房に入れられたある狂人の人造皮膚の顔を思い出し、怖気をふるって言った。「伝説にすがるなんてのは、本当に狂気の沙汰の最後の狂気の手段」

「ですよね」タロがほっとしたように息を吐いた。「それに、サイモンジは14年前に投獄されたんでしょ?ならもうタイプ速度なんて衰えてて当然…」「サエてるな、タロ」ヤマヒロが空しく笑う。「そう、つまり」イシカワは緊張からくる偏頭痛に顔をしかめた。「脱獄不可能」「ニン……ジャ……」

「「「「「アイエッ!?」」」」」突如、超自然のカタナが頭上をかすめたかのように、アトモスフィアが極限まで張り詰めた!ヤマヒロ一味は全員がニンジャ事件被害者なのだ!ニンジャ……?誰がニンジャと言ったのか……!?ヤマヒロは、部屋の隅でうずくまる見知らぬ囚人に、恐る恐る近づいた。

「ニン……ジャ……アイエエエ……」そのスキンヘッド囚人は、頭を両手で押さえながら、うわごとのようにそう繰り返して、ガタガタと震えていた。オレンジ色囚人服の胸には、ドラゴン棟を示す漢字が刺繍されていた。「おい……!どうしたってんだ……!おい……!」ヤマヒロが男の肩を揺すった。

 ヤマヒロはアンモニア臭に顔をしかめた。「何だこりゃあ」「私の名前はハンシンです……セイブ=サンお父さんお母さん、ごめんなさい……アイエエエエ……ニンジャ……コワイ……取れない……溶けて……」「何だ、こりゃあ……!」ハンシンの右手は溶け、側頭部と癒着している!ナムアミダブツ!

 見るも無残な有様であった。囚人服には鋭い裂傷もあった。カタナ、あるいはスリケンを想起させた。即ちニンジャである。「おい、医務室に運ぶぞ」ヤマヒロが小さく震えながら言った。「プランが必要になっちまったな」皆、息を飲み、頷いた。青ざめた不運なタロを見て、ヤマヒロはかぶりを振った。

◆◆◆

「おい、嫌な予感が当たったぞ。ナカジマ、後で一発殴るからな」デッドエンドの手は、無線機をひねり潰しそうなほど強張っていた。彼女はアドミン棟の電算機室で、守衛マッポの死体と切断された基幹LANケーブルを発見したのだ。死体に目立った外傷はなく、一見するとカロウシにしか見えない。

 だがデッカーの本能がデッドエンドに告げていた。これはカロウシでも自殺でもない。殺人だ。何者かが基幹LANケーブルを切断して監獄島をを電子的孤立させ、さらに様子を見に来た守衛マッポを殺したのだ。「職員の中に裏切り者がいるかもな」千切れたケーブルからバチバチと青白い火花が散った。

「ナカジマ、爺さんの守りを固めろ」彼女は吐き捨てるように言った。『了解です、スミマセン』「墜落機も調べたが、ヨロシサンのクソどもは全員アノヨだ。気持ちがおさまらん。このクソ裏切り者を追い詰めるぞ!今日は史上最大のクソだな!」『まだビールも飲んでねえしな』タフガイが割り込む。

「とっとと片付けて、モージョー屋にでも行って一杯やるぞ」『あいにく、今日は長い1日になりそうだぜ』無線ノイズ混じりのタフガイの声には、脂汗がにじむようなアトモスフィア。「アア?」『避難囚人の点呼は終わったか?』「総合棟で看守マッポが指差し点検継続中だ。あと1時間はかかる」

 二分の一の確率で命がけの配線切断に成功し、墜落機の小型ジェネレータ爆発をかろうじて阻止したタフガイは、その後落下コンテナを調査すべくドラゴン棟に向ったのだ。『多分、避難したはずのドラゴン棟の囚人が、百人ばかり見つからねえと思うぜ。ウエッ……』「要点を言え、タフガイ。殺すぞ!」

 バチバチと大浴場の電灯が明滅した。タフガイはジゴクめいた浴槽の中を見下ろしながら言った。『どうやらドラゴン棟じゃ、囚人がドロドロのモージョーにされちまったようだ』『YyyyyyyyRYSH!』『なんだ今の声は?グワーッ!?』「おい!タフガイ!どうした!応答しろ!クソ野郎!」

『タフガイ=サン……?タフガイ=サン!』ナカジマが叫ぶ!『ガガピー』無線機故障ノイズ!「クソが!」デッドエンドは電算機室の窓を突き破り、飛び降りた!「「アイエエエ!」」着地点で看守マッポが悲鳴!「イヤーッ!」「グワーッ!?」彼女はショットガンを奪い取りドラゴン棟へと駆ける!

 デッドエンドはニンジャ脚力で駆ける!「イヤーッ!」SMAAASH!邪魔な鉄柵を破壊突破!「イヤーッ!」KRAAASH!ドラゴン棟のガラス窓を破壊!物音と血の匂いを追い、暗い大浴場へ走る!正体不明の巨大な人影を発見し、即座にショットガン射撃!「FREEEEZE!」BLAMN!

「GRRRRR!」怪物は低いうなり声を発した!硝煙の香りに混じって、緑色の血が飛び散る!「死ね!」デッドエンドの体が熱く火照る。狩猟本能が騒ぐ!コッキング!「ウオオオオオオオオ!」射撃!BLAMN!「GRRRRRR!」さらにもう一発の散弾を側面に喰らい、怪物の体が揺らぐ!

 銃口から硝煙。「フウーッ」彼女はオイランをファックし終えたアウトローめいて息を吐き、アイサツした。「ドーモ、デッドエンドです」彼女は一拍遅れで大浴場の惨状を認識した。溶けた血と肉体。粘液プール。天井に頭をつかえる四本腕の怪物。外骨格の鎧。背中から生えた触手の先は浴槽に。

「スガモ重犯罪刑務所で大量殺人とはいい度胸だな貴様!」「YyyRRR……Syyyy!」トカゲと昆虫の混合物めいた頭を持つ怪物は、赤い三つ眼で睨んだ。「アア?何を言ってる!?」デッドエンドはマグナムを抜き3連続射撃!BLAMBLAMBLAM!「GRRRRR!」怪物が仰け反る!

「……おい、気をつけろ……そいつは……!」ガレキの下でタフガイが体を起こした。怪物はかぎ爪でデッドエンドを指差すと、嘲笑うようにアイサツした。「SSSSSS……YYyyyyRRhssssRRyYYRRカンゼンタイRRRyyhhh」知性がある。銃痕はすでに再生を開始していた。

「YyyRRRYSH!」カンゼンタイが吠え、突き進んでくる!たちまち大浴場はイクサの場と化した!「イヤーッ!」BLAMBLAMBLAM!「YYYRRR!」マグナム弾交換の時間を稼ぐべく、タフガイが加勢に入る!「イヤーッ!」右耳周辺と肩の表皮を溶かされてなお、彼はこの戦意!

「イヤーッ!イヤーッ!」タフガイはナックルダスターで怪物の脇腹を殴りつける!外骨格にヒビ!「YYYRRRRR!」「グワーッ!」だが四本の腕で薙ぎ払われる!「このクソは何だ!?」デッドエンドは連続側転を打ちながら叫んだ!一瞬後、SMAAAASH!カンゼンタイの拳が床板を砕く!

「知るか!クソの塊だ!囚人を溶かして食いやがった!おい、来やがれ!」タフガイはボクシングポーズで威嚇!「YYYRRRRR!」カンゼンタイは大浴場を破壊しながら暴れまわる!「イヤーッ!」BLAMBLAMBLAM!デッドエンドは壁を蹴って跳び回り、怪物に重金属弾を浴びせ続ける!

 デッドエンドは振り回される鈎爪をブリッジ回避しながら、舌打ちした。どれだけ銃弾やカラテパンチを浴びせても、敵は徐々に破損部位を再生してゆく。それどころか、肉体が肥大している。このままではジリー・プアーだ。彼女は戦闘を続けながら観察し、不気味に脈打つホースめいた触手を睨んだ。

「タフガイ!あの触手をどうにかしろ!」カミソリの嵐の中を通り過ぎてきたかのように、彼女は全身を浅く切りつけられている。「触手!?ようやく大人しくなったんたぞ!何でだ!」「あれでエサを吸ってる!エサを断たんと、殺せんぞ!」デッドエンドは壁の影で息を切らし、弾をこめながら叫んだ。

「あの触手はダメだ!巻きつかれて溶かされるぞ!」「アア!?タマ落としてきたか!?」「ふざけるなよ!」頭に血の登ったタフガイは、カンゼンタイの体当たりをかわし、その顎にカラテ・アッパーカットを叩き込んだ!「イヤーッ!」「GRRRRRR!」怪物が仰け反った!タツジン!

 タフガイは背面へと回り、全触手の根元をヘッドロックめい締め上げた!「イヤーッ!」「GRRRRRR!」蛮勇!脇の下で粘液まみれの触手が不気味にのたうつ!「イヤーッ!」デッドエンドも射撃で加勢!BLAMN!触手の一本に大穴が開き、内部のスープが飛び散ってタフガイの背中にかかる!

「イイイヤアアーーーッ!」タフガイは膂力を振り絞り、カンゼンタイの背中の外骨格を両足で強く蹴って、後方へとジャンプ!「GRRRR!」巨大なミミズめいた触手が根元から切断され、引き抜かれた!ゴウランガ!再び盛大な緑色の血と粘液が飛び散って、今度はデッドエンドをずぶ濡れにする!

「YYYYRRRRRRryyyHHSSH!」触手をすべて失ったカンゼンタイは、よろめき、呻いた!「プハーッ!」「やったぞ!」だが、次の瞬間、二人の努力を嘲笑うかのように、怪物のキチン質の肌が不気味に粟立った。次の瞬間、傷口から新たな6本の触手が生え、二人を襲った!ナムサン!

「「イヤーッ!」」二人は連続側転で回避!だが触手は鞭めいて容赦なく乱れとび、攻め続ける!防戦一方!「やり直しかよ!」タフガイは粘液をぬぐった。どうやら有機物分解液は触手先端からしか分泌されないようだ。この粘液のもとが何かは考えないことにした。「弾切れだ!一旦引くか!?」

 その時!「FREEEZE!」BLAM!ショットガンの銃声!「GRRRRR!」散弾命中!ちぎれ飛ぶ触手!「我々は49課だ!抵抗をやめなさい!我々は何をするかわからんぞ!」スポイラーだ!「いいぞナカジマ!」デッドエンドはボールを握りしめるように拳を握った。「一人前になったな!」





5

 スポイラーの散弾銃射撃!「イヤーッ!」BLAMN!「YyyRRySH!」バイオニンジャの体から緑色の体液が飛び散り、浴場壁のフジサンの絵を染め上げた!他の二人も反撃に転じる!「死ね!XXXX野郎!」デッドエンドが銃弾を連射!「イヤーッ!」顔面にカラテパンチを叩き込むタフガイ!

「YyyyyRRRysh!」怪物は苦しげに大きく仰け反った。「効いてるぞ!」「待て…妙だ!」カンゼンタイが瞬時に変形してゆく。二本の腕がしぼみ、上半身が肥大化した。胸部を中心に、骨の隙間にエラめいた小さなスリットが無数に開いてゆく。流体金属めいて素早い組織分解、再構築、適応。

 全ては一瞬だった。次の瞬間、炸裂するフラググレネード弾めいた勢いで、カンゼンタイの体内から全方位へと骨質の小型スリケンが射出されたのだ!「YYYYR!」「「「グワーッ!」」」バイオテックの悪夢だ!咄嗟にカラテ防御姿勢をとった3人の体正面に、おびただしいスリケンが突き刺さった!

「YYYYR!」立ちすくんだ相手に対しカンゼンタイは猛然と挑みかかる。スポイラーが鈎爪で切りつけられ壁に叩きつけられた。「アバーッ!」「ファック!」BLAMN!デッドエンドが激昂し、マグナム銃でヘッドショット!タフガイも挑みかかった!だが、敵は再び骨スリケンの射出姿勢を取る。

 二人は咄嗟に四連続側転を打ち、物陰に隠れた。直後、骨スリケンの散弾!「グワーッ!」スポイラーの悲鳴。「ガッツ見せろ!まだエサを吸い上げてるぞ!」デッドエンドが物陰から叫ぶ。カンゼンタイは触手を浴槽に浸し、有機物プールを吸い上げ続けている。いわば予備電源を背負った殺戮マシンだ!

「クソッタレがァ!化け物のくせに頭使いやがって!キリがねえ!」タフガイは柱に背を預けスリケンをやりすごし、浴場の床を苛立たしげに殴りつけた。ナックルダスターに覆われたニンジャの拳はタイルを砕き、老朽化コンクリに大きなヒビを入れた。タフガイはそれを見て、息を吸った。「待てよ……」

 スリケンが途切れたのを見計らい、デッドエンドが再び飛び出してマグナム弾を連射した。スポイラーをカバーするためだ。「イヤーッ!」BLAMBLAMBLAM!「yyrrrrrrSH!」だが、タフガイが連携に参加しない。畳み掛けるチャンスが!「どうしたタフガイ!タマ落としたか!」

「YYYYR!」敵はデッドエンドにカラテを挑みかかる。鋭い鈎爪が右へ、左へ!強靭なサイバネプロテクターを装備しているスポイラーならばまだしも、軽装の彼女が食らえば一撃で致命傷となろう。「イヤーッ!」デッドエンドはこれを紙一重の連続側転回避。だが徐々に追い詰められる。アブナイ!

 SMASH!その時、後方で破砕音が響いた。タフガイのカラテパンチが、浴槽と床を砕いてゆく!「yyYYRYSH!」事態を察したカンゼンタイが手をかざし、骨スリケンが手首の穴から連射される!「ウオオーーッ!人間の知性をナメるな!」SMASH!タフガイは背に被弾しつつ破砕を続ける!

 SMAAAASH!浴槽から液体が流れ出す。だがペースが遅い。触手が伸びタフガイを捉えた!「グワーッ!」「うう…」スポイラーはヨロヨロと体を起こし、サイバネ腕を伸ばす。小型爆弾が射出され、浴槽へ。KABOOM!浴槽の底が抜け、一気に流出!「やったな秀才!」デッドエンドが叫ぶ。

 彼女の放った弾は唸りをあげて敵の背に命中し、タフガイを拘束する触手を切断した。49課の見事な連携であった。「よし、後はこのクソを……!」「RRRRRSH!」苛立たしげな叫び声をあげた直後。怪物は出口へ駆け、立ちはだかる彼女を薙ぎ払った。そして餌場を放棄し、逃げだしたのだ。

 CRAAAAASH!ガラスの破砕音。カンゼンタイは中庭に着地した。「「アイエエエエエエ!ニンジャ!ニンジャナンデ!?」」不運な囚人の悲鳴が聞こえた。「「「イヤーッ!」」」数秒遅れて、手負いの3人も窓から飛び出した。緑色の血を追い、カンゼンタイを狩り殺すために。

「ヨロシサン製薬め、とんでもねえクソを落としやがってよォ!」タフガイが唸る。「爺さん、火炎放射器の使用許可をくれ!あのXXXX野郎を焼き払って、イカジャーキーにして食うぞ!」デッドエンドは折れた歯を吐き捨てながら、通信機にがなり立てる。「囚人が全部モージョーにされる前にな!」

「先輩、でも囚人が死んだら空きができていいって、言ってたじゃないですか」スポイラーは着地の苦痛に顔をしかめながら、デッドエンドに追いつき、並走した。「おい、勘違いするなよルーキー!」彼女は吐き捨てるように言った。「我々はデッカーだ」「そりゃそうですよね!」スポイラーは笑った。

◆◆◆

「1億円を、山分けだと……!?」カブセ医師は己の耳を疑った。気絶から復帰し、ストレッチャーの上でZBR煙草を吸う胡乱なガイジンが、彼に取引を持ちかけたのだ。その囚人、ラッキー・ジェイクは、煙を吹いてひとごこちつきながら言った。「俺をこのドサクサに紛れて逃がしてくれるなら、だ」

「私は医者だぞ……!ここにいる皆が、私を必要としているんだ!ちょっと待ってくれ!」カブセはカーテンを開け、眉をひそめて辺りを見わたした。幸い、狭い医務室の中には他に誰もいない。「乗らないって事かい?」「ちょっと待ってくれ!本当に1億円があるのか?没収されたという話を聞いたぞ」

「確かに2億は事件現場でゴミになった。オキナワ空港でジャンボジェットから降り、マッポに拘束された時、俺は3億全部失われたと主張した。だから没収されてない」「では、どこに?」「うまく逃げきった俺のブッダが、1億を抱えてオキナワで待ってるのさ。会いに行かなくちゃいけないんだよ」

 カブセは自分の状況を再認識した。少しおかしくなっていた。自分を高潔な名医だと思いこみ始めていたのだ。1億。本当は、ケツに火がついたケチな違法物品の運び屋だ。1億。この事態が収束したらどうなる。この程度の証拠隠滅で本当に難を逃れられるか?仮に現状維持でも、結局マケグミだ。1億。

「実際いくらくれる?」「俺と、ブッダと、あんたで3人。必要経費を抜いても3000万はカタいね」「3000万か……」カブセの瞳に失望の色が浮かんだ。だがすぐに持ち直した。3000万だ。「……よし、わかった」カブセは頷いた。「そのZBR煙草は、1本10万円だぞ、いいな」「ワオ」

 ジェイクは名残惜しそうに最後までZBR煙草を吸い、可笑しそうに笑った。「ああ。俺が何本吸ったか、覚えといてくれ」「よかろう。絶対にオキナワまで逃げられるんだろうな?」カブセは支度を始めた。「当然さ」ジェイクはこの状況下においてすら、妙に落ち着いていた。「俺はツイてるからな」

「ツイてる奴がスガモに来るかね?」カブセ医師は薬剤をカバンに放り込みながら言った。「ツイてるからこうして命拾いしただろ。それだけじゃない、俺は何度もヤギ前後を経験してきた」ジェイクはストレッチャーに横たわった。カブセは眉をひそめた。ジェイクは続けた。「そのたびに生き残った」

「脱走がバレたら、今度こそただじゃすまんぞ」「俺はここにいたら死んじまうよ、ここは敵ばっかりさ。なんでか、恨みを買うことが多いんでね。それに、今夜はヤバい匂いがする」「そうか」「あんたは俺の命の恩人だから、幸運を分けてやろうと思ったんだよ。あんたもケツに火がついてるんだろ?」

「何故解った」カブセはストレッチャーに手をかけた。手が汗ばむ。自分は今、危険な賭けに乗ろうとしている。「俺もそうだからさ。同類を見つけるのが上手いんだ。ラッキーな事にね」この獣姦が趣味と思われる男の言動は、しかし形容しがたい自信に満ち、ゼンめいていた。カブセはそれに乗った。

「私も以前から興味があった」カブセが神妙な顔で言った。「だがカネもなく行動も起こせず、無為に日々を過ごしてきた。今思えば、だから看守からもバカにされ、透明な人間だと思われてきたんだ。これは何かの、おそらくブッダによる、運命的な巡り合わせだ!」「そうだ!1億を手にしようぜ!」

 ガラガラガラ!ジェイクを乗せたストレッチャーは、医務室から勢い良く廊下へ。新たな開かれた運命に向かって。それを押すのは、覚悟を決め、目を血走らせるカブセ医師だ。「カブセ=サン!」「一体どこへ!?」看守らが問う!「アドミン棟へ運ぶ!機材と薬が足りん!患者は危険な状態にある!」

「しかし…」「囚人をアドミン棟には…」看守らは、ストレッチャー上で目を閉じたガイジン重犯罪者を一瞥し、眉をひそめた。「ふざけるな!」カブセは激昂した。「囚人でも人命だ!君たちが彼を見殺しにしろというなら、私は直ちにセプクする!医師としての私に死ねと言っているも同然だからだ!」

「「も、申し訳ありませんでした!」」看守たちは深く心を打たれた。片方は涙目になった。カブセ医師はやはり、先ほどここに現れれた時と同じ、医師としての高潔な使命に邁進しているのだと。「痛み止めの配給は君らに任せる!私が戻ってくるまで、医務室まわりの事を頼んだぞ!」「「ハイ!」」

 BRATATATATATATTA!KA-DOOOOM!総合棟の外で不穏な爆発音が聞こえた。「何だ?」「まさか墜落機の爆発がまだ……!やはりアドミン棟に向かうのはやめ」「大丈夫だ!私は医者だ!一刻を要するのだ!」カブセ医師は看守の言葉を遮り、ストレッチャーを押し、遠ざかった。

「やったな、貴方、前後する庶子。だが、まだ第一段階だぞ」階下へ向かうエレベーターの中、横たわったまま、ジェイクが言った。「シッ!わかっとる!」カブセは険しい医師の顔つきのまま、彼をたしなめた。マインドセットの守りを固めるために。覚悟を決めたカブセのニューロンは冴え渡っていた。

 残された看守たちは、カブセがいかに過小評価されてきたかをしばし語り合った。そして薬剤ストックや応急キットなどを一度確認するために、医務室のドアを開けた。その時。KRAAAAASH!ナムアミダブツ!大窓が中庭側から破壊され、大型ニンジャ生物が侵入!「「アイエエエエエエエ!」」

 ……コー、シュコー……。サイバーガスマスクを通した冷酷な目が、アドミン棟の屋上から一部始終を見下ろしていた。3人のデッカーニンジャに追われたカンゼンタイが、中庭を逃げ惑い、ガラスを割って、総合棟の医務室へ飛び込むのを。それを追い、粗暴なるデッカーニンジャたちが跳躍するのを。

「まさか、デッカーニンジャとは…」墜落輸送船の唯一の生き残り、コーゾは、苦悩をにじませた。「…育て、ヨロシ・バイオサイバネティカ社の未来よ…!」彼は手元のリモコンを操作した。BOOM!総合棟に仕掛けた小型プラスチック・バクチクが起爆。電源ユニットが損傷し、停電と混乱が訪れた。

「大きく育て……」その声は狂気じみていた。Zzzzzzt。光学迷彩コートが作動し、重金属酸性雨の中、コーゾの輪郭はぼやけ、透明になって消えた。


6

 完全なる夜と落ち着かぬ静寂が、スガモ監獄島を包み込んでいた。デッドエンドの発射したロケットランチャーの一撃を受け、カンゼンタイは爆煙の中に消えたのだ。だが死体は残されていない。爆発四散したのか。それとも逃げ、潜伏したのか。デッカー達は本能的に悟っていた。奴はまだ死んでいないと。

 次第に、不穏な噂が囚人達の間を駆け巡り始めた。孤立状態の監獄島に突如ニンジャが現れ、スリケンを投げ、囚人を狩り殺しているという。何故ニンジャが?カタナやヌンチャクは使わないのか?そもそもニンジャが実在するのか?……仮に実在するとしたら、どうだ。……自分たちは、狩られる側だ。

 血も涙もない重犯罪者たちが、恐怖に呑まれ始めていた。夜の恐怖。不条理の恐怖。ニンジャの恐怖に。こうした極限状況下においては、疑念がデマを呼び、パニックや暴動の火種を生み出す。さらに停電、爆発、破壊、変死……姿見えぬ破壊工作者、コーゾのとる行動が、彼らの恐怖をなおも煽り立てた。

 恐怖は暴力へと変わり、牙を剥く。総合棟内のブッダテンプル内で看守が殺され、血の魔法陣が描かれた。アンタイブディズム・ブラックメタリスト囚人らの間で誇大妄想が増幅され、暗黒神に生贄を捧げたのだ。スモトリ・ギャング団も看守と小競り合いを開始していた。看守同士の喧嘩も各所で頻発。

 負傷したスポイラーは、破壊工作を受けた場所の復旧作業を支援。タフガイは即時対応のために中央棟で待機しつつ、こうした暴動の火種を拳で消して回った。デッドエンドは姿見えぬ破壊工作者を探しつつ、各棟を巡回し、囚人たちを暴力と恐怖で黙らせた。

 だがデッカーたちの活躍をもってしても、大集団を完全にコントロールすることはできない。マッポの数が圧倒的に不足していたのだ。囚人たちは棟内で待機するよう命じられたが、彼らはレミングスめいて自分から外の暗がりへと出て、ニンジャに襲われ、短い悲鳴だけを残して姿を消してゆくのだった。

 一方その頃、地下大監獄へと続く非常階段を3人の囚人たちが降っていた。「非常識」と書かれたLED誘導灯に虫が飛び込み、焼け焦げ、バチバチと火花を散らす。「タロ、やっぱりテメエは来るな、危険すぎるぜ」"拾い物"の暴動鎮圧散弾銃を持つヤマヒロが言った。「テメエの刑期はあと3ヶ月だろ」

「でも…」タロが返答に窮した。彼はイシカワに肩を貸しながら、不安そうな顔でヤマヒロの後ろを歩く。暗闇の中で靴音が鳴る。ヤマヒロは汗を拭い、続けた。「あの跳躍力、俺も驚いたがよ、ありゃニンジャだ。デッカーのニンジャだぜ。なら謎の化物ニンジャも、あいつらが殺してくれるかもしれねえ」

 ここまでの経緯を説明せねばならない。ニンジャ怪物の出現を知ったヤマヒロたちは、脱走のために二手に分かれた。3人は地下懲罰房群へ向かい、伝説の囚人ハッカー、サイモンジ・ヤナギダを探し出す手はずだ。だがここに到達する途中、地上で作戦行動を取るデッカーニンジャらを目撃したのである。

「テメエはこんなアブねえ橋を渡らなくたって、合法的にシャバに出られるんだぞ。ニンジャのことは忘れて、何か他の、マットウな世界で生きろや」ヤマヒロが言った。「…‥いや」タロは小さく笑い、首を横に振った。「ニンジャの事を忘れるなんて、できないッスよ。弟たちは結局、ニンジャなんで」

「そうか、でもな。俺たちと脱走したら、もうヤクザしか道がねえんだぞ?」「そのために俺に声をかけてくれたんじゃないんですか?」タロはイシカワを支え、石段を下った。「さっきも言ったろ」ヤマヒロは暗闇に銃口を向けながら、進み、溜息を吐いた。「テメエはヤクザするにゃ優しすぎンだよ」

「ヤクザが駄目なら、何か他のを考えますよ。俺、バカだから、まだ思いつかないッスけど」タロは強い表情で言った。「とにかく今は、皆で生きて出たいんッスよ。ニンジャにビビるのも、ニンジャに任せるのも、もうしたくないんッスよ。だから」「よし」ヤマヒロが唸った。3人は階段を下りきった。

 壁に「不如帰」と書かれたショドーとLAN端子穴。イシカワは懐から取り出した小型キーボードを繋ぎ、ハッキングを開始した。「頼むぜ、イシカワ」「これ10万円」「出れたら纏めて払ってやるよ」「グッドビズ」イシカワは無表情にタイプを続けた。タロは頼もしげに彼の指先のフローを見ていた。

 タン、タタン、タタタン、タタ、タタン、スッ、スッ、スッ……タタタタタタタタタタタ……ターン。ほぼ完全な暗闇の中で、イシカワは魔法めいた高速タイプを行った。タロは息を飲んだ。それは正真正銘のブラインド・タッチであった。ピボッ。電子音が鳴り、ロックが開いた。「簡単なタスク」

 ガゴンプシュー。3人は隔壁を抜け、蒸気漂う多層懲罰房へ。ここはまるで巨大な宇宙船内部のようだ。そこかしこで、赤色非常LEDボンボリが音もなく回転している。カン、カン、カン……狭苦しい回廊の床は網目状の鋼鉄となり、足音も変わった。プシュー。後方で先ほどの隔壁が自動的に閉じた。

 ゴンゴンゴンゴン……蜘蛛の巣のように張り巡らされた奇妙なスシ・コンベアが、野放図に広がり無人化された多層懲罰房の非人間性を代弁する。「ここはどの辺だ」とヤマヒロ。「中階層あたりだね」「サイモンジの独房は?」「伝説が本当なら、岩盤のある最下層」「よし、なら急ぐぞ」「うわッ」

「どうした、タロ?」ヤマヒロが振り返った。「スンマセン、何か、この辺の床がオモチみたいにベタベタしてて、靴が……」「イシカワ、何踏んだか見えるか?」「暗くて見えない。しかし妙だね」イシカワの声は微かに震えていた。「おい、妙って、何がだよ……?」「独房が、どれもモヌケのカラ」

 イシカワの耳はサイバネが効いている。ソナーめいて周囲の物音を探知できるのだ。「……少し照らすか?」ヤマヒロは散弾銃に備わったサイバーライトに指を伸ばす。可能な限り光は放ちたくなかった。強烈な光は、自分たちの位置を知らせることにもなるからだ。「1秒待った」イシカワが制止した。

 (((ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイぞ)))イシカワの魂は既に悲鳴をあげ始めていた。何か巨大な、心音めいたものが、闇の中で脈打っていたからだ。(((見るな、見るな、見るな)))それは、地下懲罰房の中空構造の中にぶら下がり、何十本もの触手を垂らす、カンゼンタイの繭であった。

 シューッ……。ガスマスクの排気弁から微かな呼吸音が漏れる。コーゾである。ひととおりの破壊工作を終えた彼は、カンゼンタイの状態を確認すべく、また地下懲罰房の闇の中に戻っていたのだ。彼は今10メートルほど離れた上の足場から、中央の吹き抜け構造部を通し、3人の囚人を監視していた。

 3人はコーゾの監視に気づいていない。(((気付くはずもない)))……コーゾは次いで、吹き抜け部に垂れ下がった巨大な肉の繭へ目を転じた。(((カンゼンタイは無防備。命に代えても守らねばならぬ)))ヨロシサン製薬謹製の重役用ZBR鎮痛剤が、彼に静かな狂気と明晰な判断力をもたらす。

 現在、肉の繭はサイロ並みのサイズにまで成長。巨人の心臓めいて静かに脈打つ。破滅時計の振り子にも似たその響きは、コーゾの愛社精神をかきたてた。(((おお、カンゼンタイ、人類と兵器とニンジャの究極の融合体よ。美しきバイオ兵器。無駄がなく全てが美しい。明日を、ヨロシサン……!)))

 シュコーッ……。ガスマスクの息を荒げながら、コーゾは心停止毒針ニードルガンで、イシカワ、ヤマヒロ、タロ、3人を順番に狙った。(((奴らは何が目的だ……脱走か?)))だが未だ引き金は引かぬ。銃弾は限られているからだ。コーゾは冷徹に計算した。あの狂った医師を見逃した時のように。

 イシカワがコーゾの潜んでいる暗闇を見上げ、しばし、訝しむような視線を向けた。(((サイバネ聴覚持ちか……?)))コーゾはニードルガンの銃口をイシカワに向け直した。イシカワは彼に気付かず、またすぐに肉の繭を見た。そして声を震わせながら、今はとにかく下へ進むよう2人に提案した。

 (((…やはり脱走。脅威ではない。ただの人間、愚かで身勝手な囚人どもに何ができよう…)))コーゾは銃口を下ろし、弾を温存した。真の脅威はデッカーニンジャどもだ。彼はごくりと唾を飲み、繭から伸びる太い触手の一本を撫でた。(((敵がニンジャであろうと、私が守ってみせるぞ)))

 3人は静かに階段を降り、階層を下った。近くの吹き抜け部には、老朽化したマッチャ供給ホースやスシ・コンベアに混じり、溶解有機物を吸い上げる触手が何本も脈打っていた。タロは片足の裏の感覚が無くなっていたが、気にせず進んだ。イシカワの脳内では、次第に狂気的な洞察が働き始めていた。

「アイエエエ……」不意に、弱々しい悲鳴が、前方右手の独房のひとつから聞こえてきた。その鉄格子の中には何故か、太いホースの一本が伸びて床を這い、3人の行く手を遮っていた。「何だ、何だおい、チクショウ……?」ヤマヒロは小声で毒づき、咄嗟に散弾銃を構えた。そして、遂に、照らした。

 独房の中にいたのは……ナムアミダブツ!半ば溶かされ吸収されゆく囚人!何故独房がどれももぬけのカラだったのか、その答えであった!逃げられぬ囚人たちはまさに、飢えたるバイオニンジャの前に差し出されたスシにも等しかったのである!「「「アイエエエエエエエエ!」」」3人の絶叫が響く!

「ザッケンナ、ザッケンナコラー……な、何だこりゃあ!」さしものヤマヒロも狼狽した。「あ、あれは……!」イシカワが震える手で、それを指し示した。溶けかけた囚人の体に突き刺さっている、何個もの白い星型の骨!スリケンである!「アイエエエエエエ!」タロは恐怖し頭を激しく振った!

「だ、誰か来たのか!?」「マッポか!?タスケテ!タスケテー!」「やめろ!大声を出すな!次はお前が溶かさアイエエエエエ!」階下から囚人たちの悲鳴!何たるアビ・インフェルノ・ジゴクか!そして実際、上の繭から垂れ下がった新たな触手の何本かが、床を這い、ヤマヒロたちに近づいていた!

「走るぞ!」ヤマヒロが叫んだ!イシカワを助けながら、3人は1個のセルめいて走った!「ど、どこへ!?」「下だ!サイモンジ・ヤナギダさえ見つけりゃ、下からでも脱出できる!」「溶けてる可能性は!?」「馬鹿野郎!下の奴らのほうが生きてるだろ!走れ!俺が走れと言ったら走るんだよ!」

 3人はヤバレカバレで階段を駆け下りた。階層を下るたび、"中身"のある独房が増えていった。グレーターヤクザの生存本能にも似た直感は、実際アタリであった。肉の繭を作って天井から垂れ下がるカンゼンタイは、その触手を下へと垂らし、上階層の独房から順にこれを餌食にしていたのである。

「看守か!?開けてくれ!」「タスケテ!タスケテー!」下に向かうに連れ、助けを求めて鉄格子から伸びる手や、悲鳴が増えていった。闇の中、彼らは何が起こっているかも解らず、上から聞こえてくる悲鳴だけを頼りに状況を想像し、じわじわと迫り来る死の恐怖に震えながら声を殺していたのである。

「また吹き抜けの周りを走るぞ!ブッダのクソッタレめ!」ヤマヒロたちは一刻も早く最下層までたどり着きたかったが、複雑な過剰増築を重ねられたスガモ地下懲罰棟の構造がそれを許さなかった。数階層下るたび、中央吹き抜けを挟んで反対側にある次の階段まで、独房群の横を走らねばならぬのだ。

「「「タスケテー!」」」当然彼らの走る横には懲罰独房が並ぶ。今まさにニンジャの餌食になろうとしている重犯罪者の悲痛な叫びが、助けを求める手が、鉄格子から彼らに向けられた。タロは迷い、言った。「ヤ、ヤマヒロ=サン……!」「黙って走れ!」「お、檻!檻を!開けてやれませんか!?」

 ヤマヒロは舌打ちして、駆け続けた。今は他の囚人の命などどうでもいい。己のファミリーを守らねばならぬ。その時、イシカワが何かに気づいた。「各階の火災レバーを使えば一括で開けられるはず」「アァ!?」ヤマヒロは威圧的に唸った。イシカワは続けた。「上に逃がす。デッカーに伝える。繭を」

「繭?」「繭だった。あれは絶対に、何か良くないものだった。この、星にとって」イシカワはNRSフィードバックの中で、何らかの狂気的真実を見出しかけていた。「ぞっとしねえな」ヤマヒロは冷徹に、命の損得勘定だけを行った。そして頷いた。独り方向転換して走り、解鍵レバーを作動させた。

 ガン!ガン!ガン!一斉に独房が開く!数十人の重犯罪者が足をもつれさせ、通路にあふれ出た。「バンザイ!」スキンヘッドの全身刺青スモトリが喜び勇んで飛び出し、我先にと駆け、触手を踏んだ。アブナイ!触手先端からバイオ骨スリケンが連続射出されスモトリは白目を剥き即死!「アバーッ!」

「よし、行くぞ!」ヤマヒロは囚人の流れに逆らいながら駆け戻り、再び3人組で階段を下る。次の階層でまたも囚人解放レバーを引き、走り、さらに下へ!「アイエエエ!」「アバババーッ!」解放された囚人らは地上脱出を試みるも、触手やスリケンに襲われる者多数!アビ・インフェルノ・ジゴク!

「アイエエエ……」タロは駆けながら不安げに上の様子を仰ぎ見た。触手に絡め取られ持ち上げられるいくつものシルエットを。「なあ気にすんなよ!」ヤマヒロが笑った。「逃げ切る奴も大勢いるだろ!さもなきゃ、あいつら全員檻の中で死んでたんだ!自分で動ける分遥かにマシだぜ!」「アッハイ!」

 3人は再び囚人の流れに逆行し、下り階段へと走る!「触手が上に行ったぞ!」イシカワが報告!「よォし!このまま一気に…!」その時である。マグロ魚群めいて押し寄せる囚人たちの間から、不意に一発のカラテパンチが飛び出した。「イヤーッ!」「グワーッ!?」顔面を殴り飛ばされるヤマヒロ!

 3人は揃ってバランスを崩し、転倒!散弾銃が転がる!果たして何者の襲撃か!?「イシカワアアアア!この日を待っていたぞオオオ!」傷だらけのサイバネ皮膚顔!イシカワとともに投獄された発狂マニアック、シゲオである!懲罰房にはこの絶望的なニンジャ妄想者がいたのだ!「アイエエエエエ!」

「クソが!散弾銃を奪われた!」ヤマヒロが警告!「ウワハハハハハ!」BLAMN!「アバーッ!」イシカワの前をよぎった無関係の囚人死亡!「ついに光と闇の最終戦争が到来したのだ!俺はニンジャとなってここを脱出し、光の軍勢に属する者を皆殺しにする!手始めにイシカワアア!」BLAMN!

「スッゾコラー!」ヤマヒロが決死のタックル!辛うじて散弾銃の銃口が逸れるも、イシカワは脚に被弾!「アイエエエエ!」ヤマヒロと発狂マニアックは散弾銃を奪い合い、膂力比べ!「ウワハハハハハハ!あの時のヤクザか!」「テメッコラー!」BLAMN!暴発し無関係囚人死亡!「アバーッ!」

「イヤーッ!イヤーッ!」ヤマヒロの膝蹴りがシゲオの腹に叩き込まれる!だが狂人はびくともせぬ!懲罰房への投獄が彼を真の狂気へと導いていたのだ!「ウワハハハハハ!」ジリジリと押され銃口がタロを狙う!それを押し返すヤマヒロ!「ARRRGH!タロ!てめえは独りで先に行け!邪魔だ!」

「エッ!?」タロは一瞬躊躇した。グレーターヤクザのカラテを支援しても足手纏いは当然。彼はヤマヒロと動けぬイシカワを交互に見た。このままでは散弾の餌食!「兄弟、これを運べ!」見かねたイシカワは懐からLAN直結キーボードを取り出し、タロに投げ渡した!「追い付く!また後で会おう!」

「ARRRRRRRRRGH!」タロは駆けた。ほとんどヤバレカバレで、歯を食いしばりながら、無我夢中で駆けた。耳の横を散弾の熱がかすめた。視界が狭まり、回転を始めた。駆け、階段を下り、レバーを下ろし、囚人たちを解放し、触手を跳び越え、狂ったように叫びながら、下へ、下へ、下へ!

 ニューロンの中に仲間たちの顔がよぎる。ヤマヒロ。イシカワ。別働隊の3人も地上でギリギリの潜入を続け、この作戦の成功を待っているはずだ。そして母や弟たちの顔。ジロ。サブロ。兄弟。危険なソーマト・リコールのカクテル!「アイエエエエエエエ!」タロは足を踏み外し、階段を転げ落ちる!

 キーボードを抱きかかえながら、タロは下の階の床へと転がる。そこは静寂に包まれた最下層の、湿った岩の床。非常ボンボリ灯の下、タロはキーボードの無事を確認した。次いで、感覚の無い右足裏を見る。転倒した理由。靴底が溶解しゴムと肉と骨が混ざり合っている。血の気が失せた。溶けている。

 タロはそれを見た事を後悔した。おそらく、上で何かオモチめいたものを踏んだと思った時に、溶解粘液に触れてしまったのだ。こんな時に限って想像力がフル回転で働いた。溶解が進行しているのかどうかは判らない。全身の毛穴から汗が絞り出されてきた。勇気付けてくれる仲間は、もう傍にいない。

「ウウーッ!」タロは鼻水と涙を拭うと、歯を食いしばり前進を再開した。本当にサイモンジはこの最下層にいるのか?見つけ出せるのか?(((何年間も独房に入れられた人間が、全盛期のワザマエを維持しているのかね……?)))作戦前に一味の仲間が述べた疑問が、頭の中でぐるぐると回転した。

 タロはサイモンジ・ヤナギダの名を呼びながら、最下層の独房レーンを当てどもなく進んだ。答えはない。無慈悲な沈黙だけが帰ってきた。次第に無力感が彼をさいなみ始めた。痛みを感じないはずの片足が、鉛のように重く感じられ、彼はついに歩く事すらままならなくなり、冷たい岩を這い進んだ。

 最下層の暗闇には希望も解鍵レバーも見当たらない。「ウウウウーッ……!」タロが声も出せなくなり、ナメクジめいて進み、ついに独房レーンの突き当たりへ達した時。奇妙な音が聞こえた。……タン、タタン、タタタン、タタ、タタン、スッ、スッ、スッ……タタタタタタタタタタタ……ターン。

「ブラインド……タッチだ……」だが何処で。誰が。タロは目を見開き、立ち上がった。……タン、タタン、タタタン、タタ、タタン、スッ、スッ、スッ……タタタタタタタタタタタ……ターン。それは機械めいて繰り返される。それは速い。圧倒的に速い!イシカワの何倍も速い!まるで魔法のようだ!

 タロは立ち上がり、進み、見た!独房で目を閉じ正座タイプする、浮浪者めいた風体の囚人を!「ああ…ああ……!諦めなくて……良かった…!」伝説は実在した!その指は床を叩き、床にはキーボード型の凹みができている!壮絶!彼は投獄後も、独房の壁や床に対しタイプ鍛錬を繰り返していたのだ!

「あなたが……サイモンジ=サン……ですね……」タロはハッカーの執念に対する畏敬の念に打たれ、鉄格子前で正座した。サイモンジはエア・タイプ鍛錬を終えると、ゆっくりとタロを見て、濁った目を開き、頷いた。「ウー…アー…アアー…」長年の投獄生活でサイモンジの声帯は萎え、枯れていた。

「ニ、ニンジャ……巨大なニンジャが……!囚人を溶かして食うんです!早く脱出しないと、触手やスリケンが……!」「アアー……」取り乱すタロに対し、サイモンジは何かを指図した。「アッ…ハイ!」タロはキーボードを鉄格子のスリット越しに差し入れ、ケーブルを廊下側の制御ユニットに挿した。

「他には何を」タタタタタタタタタタ。木の葉から滴る雨のように繊細なタイプが、猛烈な速度で叩き込まれた。ターン。「開錠ドスエ」電子マイコ音声が鳴り、ロックが開いた。「エッ」タロは息を飲んだ。それは一瞬だった。物理タイプ原理主義ハッカーカルトから神と崇められた男のワザマエだった。

 彼はまだタイプを続けていた。「アー、ウー……」呻き、指差した。ドアロック制御盤に右から左へと奥ゆかしく流れる赤色LED文字を。それは完全にハックされていた。「◆私は足が萎え歩けない。すまないが運んでくれるかね◆」「ヨロコンデー!」「◆最下層の看守用リフトをハックして出よう◆」

 タロは喜び、だが同時に、未だ最下層に到達せぬヤマヒロたちを案じた。「アッ、スンマセン、でもやっぱり、上も助けが必要で……!でも上には触手と狂人とニンジャが……アーッ!」タロは困惑し頭を振った。「◆別の手もある◆」サイモンジはタイプした。「◆最下層にはいいものがあるんだよ◆」

 タロは足の状態も忘れ、伝説のハッカーを背負った。やせ衰えたその重犯罪ハッカーの体重は、羽毛のフートンのように軽かったが、万軍のように頼もしかった。



7

「ウワハハハ!ウワハハハハハハハハハ!俺はニンジャだ!ニンジャだぞ!」シゲオは他の囚人から剥ぎ取ったオレンジ色の服を頭巾状に巻きつけ、散弾銃を棍棒めいて野蛮に振り回す。彼の両目の瞳孔は開き、危険な底なしの狂気を提示する!「「「ニンジャ!アイエエエエエ!」」」逃げ惑う囚人たち!

「ウワハハハハハ!そうだ!俺はニンジャだ!地獄から解き放たれた邪悪の戦士だ!悪魔の軍団の尖兵なのだ!アアーポウ!」シゲオは哄笑しながら、足元で震え上がる囚人を散弾銃撲殺!「アバーッ!」スイカめいて飛び散る血飛沫!ナムサン!「次はお前だ!どこだ!イシカワ!イシカワアアアアア!」

「クソッタレ…!」ヤマヒロはイシカワを引きずり、狂人から距離を取っていた。通路はケオスの極み。上から逆流する囚人。警報。怒号。悲鳴。非常灯の明滅。頭上を見上げる。無数の触手のシルエット。火炎放射器か?二本の炎が闇を切り裂く。時折、炎に包まれた肉片が吹き抜けを落下する。囚人も。

「ウワハハハハハハ!死ね!」危険なニンジャ妄想者シゲオは、血染めの散弾銃を振り回し、下り階段付近で暴虐の限りを尽くす!「「「アイエエエエエ!ニンジャ!?ニンジャナンデ!?」」」カンゼンタイ由来のNRSを起こし混乱した囚人達には、シゲオが真のニンジャに見え、無力化されてしまう!

「スッゾコラー!手を貸せ!あのニンジャは偽物だ!」「アイエエエエエエエ!」ヤマヒロは逃げ惑う囚人を呼び止め、多人数でシゲオを倒さんとするも、パニックを打ち消せない!「ハァーッ…!ハァーッ…!皆、おかしくなってしまったな、本物と偽物の区別がつかない…」イシカワが傷の痛みに喘ぐ。

「アアーポウ!」「アバーッ!?」暴虐の限りをつくすシゲオを倒さねば地下に進めない。タロと合流できない。「ドグサレッガー……!」ヤマヒロは意を決し、血を吐き捨てた。鉄製の通路に、折れた人工歯の音が鳴った。先ほど散弾銃棍棒の一撃を喰らい、左目は前が見えないほどに膨れ上がっていた。

「ここで待ってろよ、イシカワ、次のラウンドで勝負つけてやるぜ……!」ヤマヒロは駆け出した!「ウオオオオオーッ!」吹き抜けの角を曲がり、触手を跳び越え、囚人の撲殺に夢中になっているシゲオの背後へとタックルを決める!「スッゾコラーッ!」「グワーッ!」シゲオの背後マウントを奪った!

 散弾銃は通路を滑るように転がり、シゲオの手を離れた!殺害チャンスだ!ヤマヒロは敵の後頭部に左右のパウンド連打!「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」だが硬い!サイバネだ!「ウオーッ!」狂人は死に物狂いのプッシュアップでヤマヒロを跳ね除ける!「グワーッ!?」

「「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」」たちまちカラテの応酬!「ウワハハハハ!ニンジャには効かん!アアーポウ!」「グワーッ!?」押されるヤマヒロ!(クソッタレ!何で俺がこんな野郎に負けるんだ…!?)そう問う彼も、すぐに答えを見出した。シゲオは、狂人として芯が通ってしまったのだ。

「ザッケンナコラーッ!」「グワーッ!」顔面へのケリ・キックで押し返すヤマヒロ!「誰か!手を貸せや!ニンジャじゃねえぞ!」だが囚人らは逃げ惑うのみ!是非も無し!この異常状況でも行動できるヤマヒロ一味が特殊なのだ!「クソッタレが!タマ見せろや!ここに本物のヤクザはいねえのか!?」

「ウワハハハハ!ニンジャに勝てるとでも思ったか!アアーポウ!」「グワーッ!」再び押されるヤマヒロ!一瞬、加勢に入ろうとしていた囚人が、それを見て再び怖気付く!やはりニンジャには勝てぬのだと!「死ね!神の軍勢のヤクザめが!」シゲオは散弾銃を拾い上げ、頭を砕かんと振りかぶった!

 ガシュン!巨大な金属の塊が、カンガルーめいた逆関節脚で跳躍し、下階から吹き抜け部分を斜めに突っ切り、二人の間に着地した。シゲオの一撃は鋼鉄のボディによって阻まれた。「ドーモ、モーターヤブです」それは電子音声を放った。そのバックパック部にはタロとサイモンジが体を固定していた。

「私は、暴徒を鎮圧するためにここにいます」ひっきりなしに回転する頭部の赤いLEDが残忍そうに光る。左肩にはオムラ・インダストリの家紋レリーフ。右肩にはNSPDのエンブレム。ごく短い時期のみマッポに納入されたこの危険な破壊兵器の一台が、持て余され、最下層に放置されていたのだ。

「タロ……か!?」「ウオオオオオーッ!?」シゲオは困惑し、再び散弾銃棍棒でヤブの側頭部を殴る!「ウオーッ!」だが効かぬ!真のニンジャではないからだ!「サイモンジ=サン!あいつです!」タロが敵を示す!「アー……ウー」ヤブをハックしたサイモンジは精密なWASD入力で機体を操作!

「俺はニンジャだ!アアアアーポウ!」シゲオが渾身の力で叩きつける!効かぬ!鋼鉄兵器が上半身旋回!狼狽するシゲオ!「ヤメロ!」「モーターヤブは、賢く、強い、イヤーッ」繰り出される電磁サスマタの一撃!「アバーッ!」シゲオは弾き飛ばされ感電死!「私はAEDを搭載しています」欺瞞!

「ヤマヒロ=サン!ヤッタ!見つけたんです!俺!サイモンジ=サンを!」タロは鋼鉄兵器の上からヤマヒロに向かって叫んだ。「本当にいたんです!」「おう!やったじゃねえか!」「イシカワ=サンは!?」「あいつも生きて…」手すりを握って立ち上がろうとしたヤマヒロが、タロの視界から消えた。

「エッ……ヤマヒロ=サン?」タロには何が起こったのか理解できなかった。吹き抜け部から伸びたカンゼンタイの触手の一本がヤマヒロの体に巻きつき、引き上げたのだ。「アイエエエエエエエエエエエエ!」ヤマヒロは狂気じみた悲鳴をあげながら、凄まじい速度で上昇していった。

「アイエエエエ!」熟練のヤクザが、ブザマな悲鳴をあげていた。両腕ごと触手に巻きつかれ、身動きが取れない。なすすべもなく、引き上げられる。首をひねり上を見る。触手を生やした巨大な肉の繭。その下腹部には、牙まみれの巨大な丸い口が開いていた。「助けて!助けてくれーッ!アイエエエ!」

 ゴゴゴゴウ!紅蓮の炎が闇を切り裂き、触手が苦しんだ!「アイエッ!?」ヤマヒロは空中で闇雲に振り回される!「YYYYYYYRRR!」奇怪な呻きが繭から漏れる!火炎放射器の炎が、繭を焼いているのだ!「燃えろXXXX野郎!この世に生まれてきたことを後悔させてやる!」デッドエンド!

「燃えろベイビー!燃えろ!イカジャーキーにして食ってやるぜ!」反対側の足場にもう一人、火炎放射器を構えたデッカーニンジャ、タフガイ!2人の冷徹なポリスサングラスに炎が照り返す!彼らは命からがら脱出した囚人に気づき、カンゼンタイを焼き払うべく地下に火炎放射器を持ち込んだのだ!

「なんて暑さだ!喉が渇くな!」デッドエンドはレザージャケットを脱ぎ捨て、上半身はスポーツブラとレザーグローブしか身につけていない。凄まじい汗だ。防護服無しでこのクラスの火炎放射器を振り回せるのはニンジャだけだろう。闇雲に振り回される触手を回避しながら、焼く!焼く!焼き払う!

「ナカジマ!カンゼンタイを発見したぞ!揺籠作ってオネンネしてやがる!永遠に目を覚ませねえようにしてやろうぜ!」タフガイが通信機にがなる!「ナカジマァ!ビール持ってこい!バーベキュー大会の始まりだ!」デッドエンドも猛烈な炎で繭を攻撃し、叫ぶ!その時、怒りに燃えるコーゾが動いた。

「「「アイエエエエ!」」」炎とNRSにより自殺レミングスめいて取り乱した囚人が、デッカーニンジャのいる細い足場を突っ切って逃げようとする。「クソが!邪魔するな!焼き殺すぞ!」デッドエンドが獣を追い払うように炎で威圧する。その隙をつき、忍び寄っていたコーゾが、引き金を引いた。

 デッドエンドの体が斜めに傾いた。(死ね、下等な暴力デッカーめが……)光学迷彩で身を隠したコーゾは、憤怒の形相を作り、彼女が倒れるのを見ていた。荒い息が彼の呼吸装置から漏れ、ニードルガンを握る手が震えていた。「おい、何……」全身の筋肉が硬直し、彼女は火炎放射器を取り落とした。

「ア……ア……」デッドエンドの喉が狭窄し、まともに息もできぬ。だが未だ心停止していない!(ならばもう一発!)コーゾが撃たんとした瞬間、闇雲なマッポガン連射が反対側の足場から飛ぶ!BLAMBLAM!「グワーッ!?」Zzzzzt!一発がコーゾの腹部プロテクターに命中!火花散る!

「何かいやがるな!クソッタレ!おい、デッドエンド!デッドエンド!くたばるんじゃねえぞ!デッドエンド!」タフガイはステルス状態の敵へマッポガン連射!BLAMBLAM !「グワーッ!」再命中!火花散り、光学迷彩剥がれ、闇に特徴的シルエットと紋章!「ヨロシサンの重役か!?クソが!」

「YYYYYRRR!」炎の勢いが落ち、ニンジャの繭が勢いを取り戻す!目覚めようというのか?繭表面に奇怪な粘液が吹き出し、炎を洗い流す!触手が明確な意志をもってデッカーたちに襲いかかる!「ファック!」タフガイは撃ち尽くしたマッポガンを捨て、再び火炎放射器を振り回し触手に対抗!

「明日を!ヨロシサン!」銃弾の衝撃で倒れていたコーゾは狂信的チャントを唱えながら、死にもの狂いで立ち上がった。ステルスは剥がれたが、未だ戦える。ニードルガンでタフガイを狙う。射出!迫る毒針弾!「ちくしょうめ!」タフガイはニンジャ反射神経で紙一重回避!このままでは埒があかぬ!

「アイエエエエエ!」ヤマヒロを握った触手はフレイルめいた勢いで振り回され、タフガイへ襲いかかる!このまま激突すれば、ヤマヒロの頭はトマトめいて砕ける!ナムサン!「イヤーッ!」BLAM!間一髪、散弾が命中し触手が千切れる!「センパイ!」スポイラーの介入だ!「ナカジマ!遅えぞ!」

「アイエエエエ!」ヤマヒロを掴む触手は真ん中付近でちぎれ飛び、彼は奇怪な体液を頭から浴びながら、吹き抜け部に放り出された。火炎放射の火がすぐ横をよぎった後、彼は頭から真っ逆さまに落下!「アイエエエエ!」それをさらに別の触手が掴む!「アイエーエエエエエエエ!助けてくれーッ!」

 触手に片足を掴まれ、上下左右の区別も無し。殺人ジェットコースターめいて振り回されながら、ヤマヒロは死を覚悟した。泣き喚き、助けを請うた。脳内薬物が瞬時に湧き出し、周囲がスローに見えた。精神はゼンめいて醒めた。(泣いて助けを求める?ヤクザが?誰にだよ。ケッ、みっともねえ…)

 頭のネジが音を立て、ひとつもふたつも飛んでしまった気分だった。視界の端にピンク色の光が見えた。誰かが独房の中にいた。(誰だ?)「何をグズグズしておるか、このたわけめ」ピンク色の光に包まれた、翼つき兜の、厳しい髭の老人。(オーディン神だ)ヤマヒロは直感した。「彼を呼べ」(彼?)

 急加速。振り回され、ヤマヒロは宙を舞う。再びスローモーション。新たなピンク色の光がビームめいて頭上の暗黒から降り注ぎ、別な独房の中で人影を形作った。神々が彼に語りかける。「ヤクザは答えを知っている」(ジーザス……?)「彼を呼ばねば、全てが手遅れになりますよ」(ブッダ……?)

 狂気だ。ヤマヒロは恐れた。(やめてくれ、俺はそっち側に行きたくねえ)「たわけめ!とっとと彼を呼べ!電話番号を知っているはずだ!」「やめろ!俺の頭から出て行きやがれ!狂気め!」「電話ならここにあるぞ!」オーディンは赤漆塗りの電話ボックスを叩いた。幻影の。「嫌だ!アイエエエエ!」

 永遠の狂気に飲まれかけた、その時!「ヤマヒロ=サン!」タロの声!「ハッ!」ピンク色の光が消滅!BRATATATA!ヤブのガトリング斉射!触手切断!ハッカーが高速タイプで命じ、タロが叫ぶ!「跳べ!」と!「イヤーッ」ヤブが跳躍!「ウオーッ!」ヤマヒロ手を伸ばす!空中キャッチ成功!

「イヤーッ!イヤーッ!」スポイラーはコーゾに馬乗りになり、強化警棒で敵のガスマスクヘルムを繰り返し殴りつける。「おい!半殺しでやめろ!逮捕しろ!ヨロシを締め上げるぞ!」タフガイは焼き続ける。デッドエンドは動かない。「イヤーッ!イヤーッ!」スポイラーは憤怒に飲まれ、殴り続ける。

 割れた強化グラス越し、スポイラーの背後に、コーゾは燃え盛る肉の繭を見上げる。(失われる、ヨロシサンの未来が)強化警棒が叩きつけるたび、世界が白く光り、遠ざかる。(人類の未来が)コーゾの背負うジェットパックが、LAN起動、点火した。

(我が子よ)コーゾは両腕を広げながら、スポイラーごと飛び立ち、空中を焼く炎の中で狂ったように旋回した。肉の繭の周囲を二度回転し、そして火炎放射器を構えるタフガイの足場に激突した。足場が崩壊し、デッドエンドが落下してゆく。タフガイは踏み止まり、叫び、繭に火炎を浴びせ続けた。

 炎、巨大な絶叫、そして重機械音の轟きが地下牢獄に満ちる。(育て、世界を喰らえ)コーゾもまた、闇へと真っ逆さまに墜落していった。

◆◆◆

「YEEEART!」ジェイクはマッポの後頭部に、カラテチョップを叩き込んだ。ネオロッポンギのカラテ・ドージョーでの鍛錬が、また役に立った。不意をつかれたマッポは気絶した。無理もない、ジェイクはマッポに偽装していた。転がっていたマッポ死体から剥いだ制服に着替えていたのだから。

「君はまるで黙示録の蛇だな。私をどこまで堕落に付き合わせるのか」物陰から現れたカブセは、額の汗を拭いながら言った。彼の手引きと職員コードで、ジェイクはここまで難なく進むことができたのだ。「ちょいと失礼」ジェイクは気絶マッポをワイヤ拘束し、サングラスを奪い、電算機室に入った。

 ジェイクはサングラスを新しいものに掛け直し、UNIXモニタの暗い画面を鏡代わりに、掛け心地やクールさを確かめた。ようやくしっくりきたようで、にっこり微笑むと、「そう、こうでなくっちゃね」片手でZBR煙草を催促した。「恐ろしい男だな、君は」カブセは首を振り、違法薬物を渡した。

「フウーッ……」UNIX電源を入れ、煙をふかす。囚人棟側の喧騒に比べ、アドミン棟はゴーストタウンじみた静けさである。マッポが決定的に不足しているのだ。電算機室の基幹LANケーブルは交換され、接続は回復されたが、ここを守るスポイラーは地下の加勢のために入れ違いで出払っていた。

「さて、犯罪履歴を消せば、俺もいよいよカネを手にし祖国に帰れる、か…思えば色々あったな」「日本に心残りは?」カブセが尋ねるとジェイクは肩をすくめた。「サイバネ医師とモメて、ヤクザの賞金首になって、オイランともネンゴロになった。もう十分さ」起動音。画面に『マッポネット』の文字。

「カネが手に入ったら、私は岡山県に行こうと思う。良質な家畜が沢山いるらしい。ヤギも。君は?」「ヤギ?ヤギはもう懲り懲りさ」ジェイクはハッキングを試みながら上の空でそう言った。「そうか」「何度も死にかけたが、いよいよネオサイタマともお別れだ。やっぱり、どうも、寂しくなるね」

「信じられないだろうが、俺はニンジャも見たんだ。カラテで倒した」ジェイクは遠い日の記憶を掘り起こすように言った。カブセは何も返さなかった。ZBRがよく回り、ジェイクのユーモア精神が刺激された。「日本でやり残した事って言ったら、そうだな、カイジュウを見れなかった事くらいかな」

 次の瞬間、総合棟側の地下から轟音が響いた。瓦礫と、炎と、何人かの囚人が高く放り投げられた。巨大な黒い影が這い出し、立ち上がり、よろめいたのだ。その山の如き巨体は、10メートルをゆうに超えていた。「「オーウ…」」2人は椅子から立ち、唖然とした表情で、窓の彼方のカイジュウを見た。




8

 次の瞬間、電算機室があるアドミン棟4階の壁を、虫の息のモーターヤブが突き破った。SMAAAAAASH!「「「アイエエエエエエ!」」」凄まじい衝撃によって、タロ、ヤマヒロ、サイモンジ、イシカワの4人が、ヤブの背部バックパックから振り落とされ、ガレキと粉塵まみれの廊下に転がる!

「ピ……ガガ……ーヤブは、……ピガーッ!」役目を終えたモーターヤブは火花を散らし、項垂れるように動作停止した。ハッキングで操られたモーターヤブは、アビ・インフェルノ・ジゴクめいた地下懲罰房を連続跳躍脱出し、暗い中庭を突っ切り、最短距離でこのアドミン棟電算機室へと到達したのだ。

「ゲホッ!ゲホーッ!クソッタレ、おい、無事か…?」粉塵の中、ヤマヒロが呼びかける。片目が腫れ、視界は劣悪。サイモンジが呻き声で返す。イシカワが血の気を失っているが、ハンドサインを作り小さく頷く。タロも不安そうな顔で頷き、崩れた壁の彼方に聳えるカイジュウの影を見て震え上がった。

 あの巨大化け物ニンジャはまだ遠い。囚人棟側に十分な"餌"があるからか?いずれにせよ好機だ。カイジュウが倒され事態が収束すれば、脱走の目は無くなる。「よし、急ぐぞ……!あとは電算機室をアタックして、最後は屋上ヘリだ……」ヤマヒロは散弾銃を杖代わりに使って立ち上がり、3人を率いた。

 次の瞬間、火花を散らすヤブ機体の影から出た4人組は、廊下の向こう側の2人組と鉢合わせた。距離はタタミ4枚。たちまち両者はヤブの影に隠れ、シシオドシを打ったような静寂。双方のリーダーは暴徒鎮圧散弾銃をコッキング。一触即発のアトモスフィア。だが、両者とも発砲をギリギリまで堪えた。

 極限状況でニューロンが加速。粉塵の中一瞬だけ見えた姿が、脳内で再スパークする。「看守か!?」ヤマヒロが叫ぶ。「前後しなさい!いいえ!俺は前後するマッポの服を着るのが趣味なだけだ!」ジェイクが叫ぶ。「そういうアンタらは、何モンだ!?電算機室に何の用だい!?ハッキングなら諦めな!」

 ヤマヒロはその自動翻訳スラングを聞き、眉をひそめた。(悪名高きラッキー・ジェイクか?だが看守よりゃマシか!?)両者は殺し合いを避けたかった。だが相手は囚人だ。それも凶悪犯かサイコだ。優位に立たねば。だが時間が!カイジュウが!「ザッケンナコラー!何で諦めなきゃならねえんだよ!」

「マッポネットは、本当に前後するぐらいガチガチに固い!俺みたいに有能なハッカーじゃなきゃ無理さ!」「馬鹿野郎!ラッキー・ジェイク=サン!いくらてめえでも無理だぞ!てめえも囚人ならLAN端子を埋められてるだろ!」「庶子……!」「だがこっちには伝説のハッカー、サイモンジがいる!」

「前後しなさい……」ジェイクは耳の後ろの埋められた端子を撫でながら舌打ちし、サングラス越しにカブセを見た。「……本気で?」医者は汗を拭い、狂人でも見るような顔でジェイクと目を合わせた。ジェイクは首を振り、何かを思いついた。「負傷者がいるだろ!こっちには医者だ!手を組もうぜ!」

 ヤマヒロは全てを察した。ジェイクが笑った。運命的な共同戦線が構築された!かくして、二組のならず者たちはハンドシェイクし、電算機室で速やかな応急手当が開始されたのだ!「おい、君」途中、カブセはヤマヒロの肩を叩きそっと警告した。「いいか、彼を甘く見るなよ。彼は恐るべき男だからな」

◆◆◆

 バラバラバラバラ……!暗闇の中、監獄島に接近する一機の武装マッポヘリが、サーチライトで闇を切り裂く!「アイエエエエエエエエ!」ヘリの操縦桿を握るマッポが恐怖に慄いた!「な、何かが……前方に、巨大な何かがいます!まるでカイジュウです!」「何をバカな!」チーフマッポが汗を拭う!

「アイエエエエエエ!」操縦マッポはガタガタと震え、機体を大きく揺らし迂回飛行!「何をしている!一刻も早くアドミン棟に行き、ノボセ=サンを助けるのだ!」「しかし!」「バカ!このヘリにはガトリングガンが積んであるんだぞ!カイジュウなど」「YYYYYYRRRRRRRRYSH!」

 闇の中で巨大な三つの眼が輝く!おお!おお!その背には巨大な四本の触手!醜く不完全なキチン質の翼!鈎爪を備えた腕が伸びる!ヘリすらも握りつぶさんと!「「アイエエエエエエ!」」BRATATATATATA!武装ヘリはガトリングガンを乱射しながら狂乱飛行!闇を銃弾と炎が切り裂く!

 アブナイ!その時、囚人棟の上からカンゼンタイに向けてタフガイがロケット弾を発射!「おい、こっちだ!デカブツめ!」CA-BOOOOOM!「RRRRRRRRRRR!」肩口を包む爆炎!巨大なうめき声!「「アイエエエエエエエ!」」武装ヘリは間一髪、カンゼンタイの腕の間をすり抜ける!

「ベイビー、育ってニブくなったな!当たりやすくなったぜ!」血みどろのタフガイはヘリの無事を確認し、次の弾を込める。実際、敵は巨大化により俊敏さを失ったように見えた。だが「YYYYYRRR…!」肉体の一部が急速に変化!体表に奇妙な器官が無数に形成されてゆく!「おい、まさか……」

「YYYYYYYYYYRRRRYSH!」「グワーッ!?」タフガイ鼓膜破裂!周囲の囚人棟のガラスが一斉に割れ砕け、何十人もの不運な囚人たちが耳から血を流して苦痛にうめいた!ナムアミダブツ!何たる生体模倣サイバネの悪夢!セミめいた強烈な音波攻撃がカンゼンタイから発せられたのだ!

 さらにカンゼンタイは、掌に形成された生体器官を飛び去る武装ヘリに対してかざす!収束音波となって襲う!「「アババババーーッ!」」ヘリの防弾ガラスが振動で粉砕!操縦マッポとチーフマッポの鼓膜と内臓破裂!狂ったようにガトリングガンの弾をバラ撒きながら墜落!炎上!KA-DOOOM!

「YYRRRRYYRRRR……カンゼンタイ……RRRYH」巨大ニンジャ生体兵器は己の名をぎこちなく発声して歩き、よろめき、再び体表組織を作り替えた。軟体生物の如く体色が高速で変色。音波器官は消え、着弾の傷を徐々に再生してゆく。さらに触手を四方に伸ばし、囚人等の中に突っ込んだ。

 CRAAASH!ガラス窓を叩き割り触手が突き刺さる!まるで地獄のビル火災脱出シュートだ!「「「アイエエエエ!」」」囚人達は逃げ惑う!口から粘液を垂らし生物を追う中空状触手!「アイエエエ!」不運なスモトリが頭から腰まで飲まれた!「アバーッ!」足をばたつかせ抵抗したが死!吸収!

「イヤーッ!」CA-BOOOM!タフガイのロケット弾命中!巨大ウナギめいてちぎれ落ちる触手!「YYYYYRYSH!」SMAAASH!カンゼンタイの巨大拳に砕かれる壁!「イヤーッ!」素早く反撃を回避するタフガイ!だがジリー・プアー!今や島全体が餌場だ!「ナカジマ!急げーッ!」

「ハァーッ!ハァーッ!…急いでますって!イヤーッ!」スポイラーは通信機に短く吐き捨てた。二人の瀕死者を抱えながら走り、中庭のバスケットゴールを跳び渡り、半壊した総合棟医務室へ着地!「アイエエエエエエ!」この状況でなお献身的に負傷者の手当てを続けていた看守マッポが驚き、悲鳴!

「ドーモ!手当しろ!センパイが心停止状態だ!」彼は頭から血を流し叫んだ。「わ、私には無理です!そんな高度な手当…」「ARRRRG!」ナカジマは獣めいて吠えた!「何とかするんだよ!」「アイエッ!そ、そうだ!」看守マッポは閃いた!「偉大なる医師が!カブセ医師が!アドミン棟に!」

 熱を帯びた看守の言葉は、スポイラーに一縷の希望を与えた。身の危険も顧みず、またマッポの杓子定規なルールにも反抗し、医師として、人間としての責務を果たそうとする男がいる!そのような男ならば、きっと、デッドエンドを!「イヤーッ!」彼は瀕死者2人を抱えたまま、窓から飛び出した!

『ドーモ!こちら49課!カブセ=サンはいるか!?』スポイラーはインカムのIRCをアドミン棟館内放送に切り替え、叫び、混沌とゴアの中を駆ける。後方では山の如く巨大な影がよろめき歩く。バスケットコートに魔法陣を描き暗黒神に祈りを捧げていたブラックメタリスト達が無残に踏み潰された。

 怪物の巨大な拳が囚人棟の屋上を砕く!「グワーッ畜生!」足場を砕かれ落下するタフガイ。苦戦!本来ナカジマはデッドエンドを諦め、一刻も早く彼を加勢せねばならぬ。だがあと少し、スポイラーは、この希望に縋りたいのだ!『心停止者!これより医務室に運ぶ!準備を!蘇生させてくれ!頼む!』

 一方、アドミン棟電算機室!「アイエッ!?」イシカワの応急手当を終えた直後、カブセは館内放送で名前を突如呼び出され、まず取り乱した!(クソッ!何故私がここにいると解った。まさか看守が?まずい、まずい、まずいぞ!)「ARRGH!」全身から汗が噴き出し、カブセは頭をかきむしった!

 彼だけではない。電算機室のならず者全員が、ゴクリと唾をのみ、館内放送に耳を澄ました。心停止者。蘇生。医務室。ニューロンが回転する!「…よし!」カブセが額の汗を拭った!「バレたわけではないぞ!」「おい、医務室に居ないとヤバイんじゃねえのか!?」「ああ、そうだ、そうだとも!」

 カブセは応急キットを纏め始めた。「しばしお別れだ!私は医務室に行く!いなければ怪しまれる!ジェイク=サン!君は患者だ!患者もいないとバレる!来い!」「マッポ服を着ちまってるが……」「ファック!時間がない!」「取り乱すなオラー!……患者役は誰でもいいのか!?」ヤマヒロが問う!

「あ……ああ、この際誰でもいい!」「なら俺が行く!イシカワも治療途中だろ?連れてくぞ!脱走したらしばらく医者にかかれねえ!サイモンジここでハッキング続けろ!タロ!ここで万一に備えろ!」「アッハイ!」「その坊主に、万が一の時、撃てるかね?」ジェイクが散弾銃を握る。「俺も残るよ」

「よし急げ!今ヘマしたら脱出できんぞ!カイジュウがすぐそこまで来てるんだぞ!」カブセは聴診器を振り乱し駆けた。ヤマヒロがイシカワを担いで続く。タロは頭を掻き、必死に考えた。ここに残って役に立つのか?そして決めた。「カブセ=サン!」「何かね!」「俺も行ったら、手伝えますか!?」

「ハァ!?手伝う!?」カブセは後ろも振り返らず返す!服から薬剤瓶や注射器がこぼれ落ちる!「どうでもいい来るなら来たまえ!」(よし!ボーイ!行け!)ジェイクは心の中でガッツポーズを作り、冷や汗を拭った。伝説のハッカーと自分2人ならば、万が一の時のフットワークが最高に軽くなる。

「ハイ!もしかして!心停止デッカーを助けられたら!あのカイジュウを倒……!」追いすがるタロ!「ザッケンナコラータロテメッコラー!」ヤマヒロが駆けながら激昂する!「俺の言ったこと忘れてんじゃねえぞコラーッ!銃構えて残ってろッコラーッ!カイジュウなんざどうでもいんだコラーッ!」

「アッ……」タロは震え上がった。グレーターヤクザの剥き出しの憤怒を浴びたのだ。刑務所に来てから、これほどの罵倒を受けた事は無かった。だがヤマヒロの声は、怒りだけではない、どこか苦しげであった。きっと何か考えがあるのだ。タロにはそう思えた。「……ハイ」また遠く、見えなくなった。

「なんだ、結局残るのか、ボーイ」スゴスゴと戻ったタロに、ジェイクは微笑みかけた。「まあ、気を落とすなよ。あのヤクザの判断は間違っちゃいないさ。こんな時は、俺といた方が絶対安全だよ」「どうしてです?」「俺はツイてるからさ」「アー……」後方ではサイモンジがタイプを開始していた。

「「「……ハァーッ!……ハァーッ!」」」一方、3人は一路、医務室へと向かう!背負われたイシカワが、傷の熱にうかされながら、うわごとめいて言った。「タロも……来るべきだった……」「あいつが来たら!バランスが悪いんだよ!いいから!お前は黙ってろ!」「カンゼンタイ……」「アアッ?」

「その名前を地下で……誰かが叫んだ……カンゼンタイだ……。戦う運命なのか……」イシカワが投獄されるハメになったのは、カンゼンタイ計画が原因なのだ。「おい、イシカワ!おかしくなったか!?」「ノープ。正気……あれを、止めないと……ここで、止めないと、世界が……常識で考えなよ……」

「いいから!寝とけ!大丈夫だ!大した傷じゃねえ!」ヤマヒロは息を切らし、走る。医務室は目前。ペースを落とし、息をつく。ふと、視界の端、職員用の公衆電話機列。いてはならない者。受話器を差し出すオーディン神。ヤマヒロは歯を食いしばった。「消えろ」『彼を呼ぶのだ!』「消えてくれ」

「消えろ……?」イシカワには不可視。怪訝な顔で振り向くカブセにも。「クソッタレが、何でもねえよ……とっとと中行こうぜ」ヤマヒロは幻覚に背を向け歩き出す。横にジーザスが現れ問う。『なぜヤクザの使命から逃げ続ける?』「俺はヤクザだからファミリーを守るンだよ…折角育てたんだぞ…」

『違います』ブッダがピンク色の光とともに現れる。『彼を呼び、ニンジャハントを依頼する。それがあなたの役目です』「おい、ラリってんじゃねえよブッダ……消えろ!スッゾコラー!」ヤマヒロは医務室に入って目を閉じ、もう一度叫んだ。目を開くと、ピンク色の光は消えていた。「フゥーッ」

「いいかね、君たちは重症だ!」カブセが2人を指差し、医療寝台に横たえ、フートンをかけてカーテンを引いた。「いいか!そこから動かずに!」SMAAAAAASH!蹴破られる窓!「「「アイエエエエエエ!」」」「49課だ!頼む!」間一髪!スポイラーの到着だ!

 スポイラーは大型注射器を持つカブセ医師を見た。看守の言葉通り、壮絶ななりだ。スポイラーはデッドエンドとコーゾを手術台の上に仰向けに横たえた。「心停止者は?」「彼女だ!」「よし……!では、そのジェットパック男は!?」カブセが問う。「ウッ!」カーテンの向こうで、ヤマヒロが呻いた。

「……この事件の重要参考人物だ!ワイヤーで縛り付けておく!危険人物だが…この男も…生かしてくれ!」スポイラーは歯ぎしりしながら言った。激情に任せ、内なるニンジャソウルに従えば、彼は即座にコーゾをカラテで叩き割る。だがそうすればデッカーではなくなる。彼は踏みとどまっていたのだ。

「無論だ、危険人物だろうが囚人だろうが、助けるさ」カブセは汗を拭い、聴診器をデッドエンドの胸にあてながら、スポイラーを見て頷いた。「私は医者だからな」『オイ!ナカジマ!まだか!火力が足りねえ!ドーゾ!』無線機からノイズ混じりの声!「今……行きます!ドーゾ!」とスポイラー。

「うむ、任せて行け!気が散る!」カブセが肋骨を叩き、聴診器で反応を確かめながら言った。その通りだ。託すしかない。ナカジマは最後に帽子を脱ぎ、血の気の失せたセンパイに敬礼した。突然、こらえていた涙がブザマに溢れ出し、嗚咽を漏らし、歯を食いしばった。敬礼の手がガクガクと震えた。

「看守から…医師の鑑と聞きました……ヨロシク、オネガイシマス」ナカジマは彼に敬礼した。「どうか、助けて下さい」2人の死に物狂いの男の視線が交錯した。「……医者を信じろ」「ハイ」ナカジマは敬礼を止め、ブザマな涙に別れを告げる!ひとりのニンジャとして、窓から再跳躍!「イヤーッ!」

「違う!違う!ここじゃない、どこだ……!」カブセが医療器具を漁る。ヤマヒロは神妙な顔でベッドから体を起こした。深呼吸し、カーテンを引き、目を開ける。手術台の上に並べられているのは、あの女デッカーニンジャと……謎のジェットパック男!「ウッ!」だが違う!社紋!ヨロシサン社員だ!

 ヤマヒロは安堵の息を吐き、カブセに言った。「上手くまいたな。どうする?」「どうする?決まっとるだろうが!この心停止患者を助ける!助けるぞ!」カブセは汗を拭い、白衣の袖を捲った。「マジか?」ヤマヒロが怪訝な顔を作る。「厄介な事に…」「黙れ!ここは医務室で私は医者だ!私に従え!」

 ヤマヒロは目を見開いた。「…おう、解ったぜ」これが本当に、囚人の定期健康診断をしていたあのヤブ医者だろうか?まるで別人だ。一瞬で変わった。カブセは確かに、今、ソンケイを放っている。この極限状況を生き抜くには、そのような仲間が絶対に必要だ。グレーターヤクザの生存本能が告げる。

「どうするんだ?」「私の話を聞いてなかったのか!?」カブセは大型シリンジを握り、その針先を睨む。「どうやって助けるって聞いてンだよ」「……ZBRアドレナリンしかない」カブセは返した。微かに声が震えていた。「3倍量のZBRアドレナリンを、心臓に、直接注射するのだ。手伝いたまえ」

「手伝え?」ヤマヒロが問う。「筋肉量が凄い」カブセはデッドエンドの胸に触れ、針の挿入箇所に当たりをつける。額の汗を拭う。無論、心臓注射の経験など無い。これで蘇生する保証も無い。だが手をこまねいていれば、彼女は死ぬ。「手を貸したまえ、やるぞ」「よし」ヤマヒロが手を添えた。

「こんなの映画でしか見た事ねえぞチクショウめ……おう、手が震えてるぞ」「だから、手伝ってほしいのだ」「ヘッ、任せとけよ」2人は目を見合わせ、頷いた。「「……サン、ハイ!」」STAB!シリンジ針挿入!あやまたず心臓に到達!3倍量ZBRがデッドエンドの心臓へと注入されていった!

 DOOOOOM!中庭で巨大な轟音!爆炎!「撃てーッ!」ノボセ・ゲンソンが指揮車両上でカタナを抜き放ち、目標への斉射を命ずる!DOOM!DOOM!DOOM!「YYYRRRRR!」重武装マッポビークル「埴輪」三輌が強烈な漢字サーチライトを投光し、怪物に大型臼砲を撃ち込んだのだ!

 背後から凄まじい砲撃を受け、カンゼンタイがよろめく。「効いているぞ!二射目用意!」ノボセが車両上からIRCを飛ばす!この武装ビークル3輌は、49課がスガモに立てこもる時のために隠し持っていた、いわば虎の子であった!「「イヤーッ!」」タフガイとスポイラーも重火器で援護を行う!

「漢字サーチライト、角度上げろ!」ノボセ老が再砲撃に備え、命令を下す!「「漢字ライト照射用意!」」装甲車両の上に乗ったスモトリ・デッカーたちが、その怪力でサーチライトのハンドルを回す!キュコキュコキュコ!角度が上がり、「御用」の漢字が何個も、カンゼンタイの体に浴びせられた!

「YYYRRRYSH!」だが、カンゼンタイの脇腹から甲殻類じみた腕が生えた!それは一瞬で装甲車両を掴み、高々と掲げる!鋼鉄の軋む甲高い音!なんたる怪力!「YYYYRRRR!」ハサミで切断!車両爆発炎上!「グワーッ!?」残骸飛散と地響きに巻き込まれ、車両上から転落するノボセ!

『課長!』ナカジマの声!「儂は無事だ!撃てーッ!」ノボセが泥の中で立ち上がり叫ぶ!その言葉にマッポも鼓舞され、埴輪が射撃!DOOOM!「YYYYRRRSH!」『ジジイ!無茶すんな!死ぬぞ!』「言ったな、タフガイ!減給ものだ!引退したとて、このノボセ・ゲンソンを見くびるなよ!」

 危険は承知。だが彼が自ら前線に立たねば、マッポは恐怖で動けぬのだ。ノボセ老は隻眼でカイジュウを睨み、残骸とともに転がるマッポの殉職死体と、食い殺される囚人たちの無残なシルエットを見た。退けぬ。「ヨロシサンめ!この代償は高くつくぞ!」老人の小さな体から凄まじい怒気が放たれた。

「よいか!NSPDは!」ノボセは軋む体に鞭打ち、カタナを掲げた。「あのカイジュウをここで!何としても!刺し違えてでも……!」その時、中庭を巨大な何かが猛然と這い進んできた。ワームめいた触手の一本が、消化すべき新たな有機体を求め、ノボセに迫った。彼はそれを見て、息を飲んだ。

「ムギコ」ノボセは孫娘の名を祈り、七本指でカタナを構えた。彼のイアイドーは42段。だがニンジャではなかった。

「イヤーッ!」その時、ニンジャのカラテシャウトが響く!バズーカ着弾!KA-DOOOOM!「YYYYYYRRYSH!」触手は切断され、中庭でのたうった!「……!」ノボセ老は、無謀なイアイドー斬撃を空振りした姿勢でしばし固まり、シャウトの方向を見て、笑んだ。デッドエンドがいた。




9

 カンゼンタイとNSPDの死闘。それはスガモ監獄島で火山活動が発生したかのようだった。暗闇の中で小爆発と火災が生じ、砲声と絶叫が吹き荒れた。怪物が暴れ、火山口から吐き出される岩石めいて、死体やガレキや鋼鉄残骸が四方八方に乱れ飛んだ。アドミン棟にまでガレキが飛散し、壁を砕いた。

『増援はまだか!?』『期待するだけムダだな!』放置された通信機から、デッカーニンジャたちの通信が漏れる。「殺されるかと思ったぜ」ヤマヒロがカブセから買い付けたZBR煙草を吸い、汗を拭う。もはやシラフでは体力が持たない。「あの暴力女、台風みてえにすっ飛んでいきやがったな……」

 痛みが飛び、体が動く。遥かに良い。ヤマヒロは砕けた窓の彼方に広がるマッポー光景を、映画めいて見据えた。正気に自信がない。「クソッタレ……ハッキングはまだか……別働隊はどうなった……」犯罪履歴消去が終われば、タロらは電算機室から医務室へ合流、屋上へと向かいヘリで逃げる手はずだ。

「ウウーッ……カンゼンタイ…滅びが…」銃撃の傷と熱にうかされるイシカワ。「大丈夫だ!この程度では死なん!」カブセがヨロシサン製の強化バイオ包帯を巻き終え、勇気付ける。「ハッ!」イシカワが正気付き、上体を起こす。そして、コーゾに気づいた。その社章、ヨロシ・バイオサイバネティカ。

「そ、その男は……」イシカワが声を震わせ、頭痛をこらえるように、サイバーサングラス埋め込みボルト痕を抑えた。「ヨロシのクソ野郎さ。今回の重要参考人だ」ヤマヒロが返す。「死んでいるのか?」「直ちに命に別条はない!寝かせておけ!君の手当が先決だ!逃げるんだからな!」カブセが返す。

 イシカワの頭の中で、トラウマめいたラッコ映像がフィードバックした。彼は首を振り、悪夢を払いのけた。「治療より、優先してほしい事ができた。あそこのUNIXデッキを……俺の横に運んでくれないか」イシカワは言った。「何かハッキングでもするつもりか?君は危険な状態なんだぞ!」

「そいつにインタビューする」「何でだ」ヤマヒロは彼の正気を疑った。「彼女をまた破滅から救うのさ、無駄にならないように」イシカワは自嘲気味に笑った。己がドネートした難病少女のIDを脳内タイプしながら。「アア?」「ヨロシがカンゼンタイを作った。弱点を聞き出す。デッキを脳に直結する」

「つまり、この男の端子に直結する?」カブセが眉根を寄せた。昏睡者へのLAN直結ハックは重罪。しかも重体患者。「恐らく彼は死ぬぞ。君も安静にせねば…」「見逃してくれよ、名医さん。放っておけば、世界は滅びる。俺はジゴクに行くけど、たぶんそれが、俺の役割なんだ。逃げちゃダメなんだ」

「イシカワ、テメエ」運命。「これが俺の贖罪さ」贖罪。「オカルトじみた事言ってんじゃ……」ヤマヒロは汗を拭い、ゼンめいた表情のハッカーを見て、何か言葉をかけようとした。その時!プルルルルル!プルルルルル!突如医務室の内線電話機から着信音!「ウッ!」ヤマヒロは咄嗟にそちらを見る!

 そして歯を食いしばり、目を見開く。ピンク色の光は……無い!「よォし……!」ZBRが幻覚を追い払った。「オイ、聞こえてるな!?鳴ってるよな!?」ヤマヒロが問う。二人が頷く。「俺が出る!時間の限界まで手当しとけ!」ヤマヒロは走り、取った!「モシモシ!」『モシモシ!タロです!』

「ハッキング終わったのか!?」『まだです!』「状況言え!」『別働隊の3人が合流したんスよ!それで』「よっしゃ!いいぞ!お前を残しといて正解だった!」だが受話器の向こうで銃声、悲鳴、怒号!「それで何だ!?」『ほ、他の囚人たちもアドミン棟になだれ込んできやがって!殺し合いが!』

「殺せ!ラッキー・ジェイクを殺せーッ!」「「ARRRRGH!」」狂乱した囚人モブを率いるのは、酷い火傷を負ったデスシャドウ・ヤクザクランの巨漢と殺し屋囚人!「庶子!」BLAMBLAM!ジェイクは遮蔽物から姿を現し、モブをショットガンで連続ヘッドショット殺!「「アバーッ!」」

「「「スッゾコラーッ!」」」BLAMBLAMBLAM!ヤマヒロ一味の別働隊、ナカイ、タカハシ、ジンギも、道中に調達したマッポ武器を手に応戦!ジェイクを支援!「こいつら、目的は俺たちと同じだな!屋上ヘリだ!」ジェイクがモーターヤブ残骸の陰で必死に散弾銃に弾を込めながら叫ぶ!

 BLAMBLAMBLAM!凄まじい銃撃戦!廊下に立ち込める硝煙!「グワーッ!」ナカイが被弾!「ARRRRRGH!」目を血走らせたブラックメタリストが火災斧を手に、ひるんだナカイへ突撃!アブナイ!「前後しなさい!」BLAM!ジェイクが散弾銃射撃で適時支援!「アバーッ!」射殺!

 ナムアミダブツ!1機だけの屋上ヘリを求めて殺到した暴徒らは、狂乱状態の中でジェイクという目標物を叫ばれ、盲目的に牙を剥いた!そして戦端が開かれたのだ!「「「ARRRRRRGH!」」」最早閉じるすべは無い!死に物狂いの2集団が銃を向けあった後に訪れるのは、かくの如き悲劇のみ!

「サイモンジ=サンを運べ!」「ハッキングがまだ全員分終わってないです!」「もう持たねえぞ!」「ここを突破されたら、医務室も落とされて、ヘリも奪われる!」「「「ARRRGH!」」」異常興奮し突き進んでくる暴徒!もはや恐怖ではなく、暴力への渇望によって目を輝かせている!コワイ!

「デスシャドウの奴らはともかく!」BLAM!「俺がお前らに何したってんだ!」BLAM!ジェイクが銃で応戦!だが数に押される!「グワーッ!」銃撃を受けタカハシも被弾!「グワーッ!」その時!「ザッケンナコラーッ!」ヤマヒロの乱入だ!「イヤーッ!」「グワーッ!」暴徒を殴り飛ばす!

「ヤマヒロ=サン!」ジンギが囚人武器を放り投げる!研いだ食器と木の柄と包帯で作ったドス・ダガーだ!「おう!」ヤマヒロはそれを受け取り、高々と掲げ、大きく息を吸って、怒号をあげた。「スッゾ……コラーッ……!!」グレーターヤクザの叫び声が、ビリビリと大気を震わせた。

「この大事な時にふざけた事してんじゃねえコラーッ!うちの若いモンをやったらタダじゃおかねえぞコラーッ!」「「「アイエエエ!」」」モブ(訳注:暴徒)の何人かが、怖気づいた!ヤクザへの本能的恐怖だ!ニンジャ不在のこの場で、グレーターヤクザの放つ威圧感が、彼らを恐れ入らせたのだ!

 だが彼ら全てをソンケイだけで無力化することはできない!ここは恐るべきアウトローと凶悪犯が集う、スガモ重犯罪刑務所なのだから!「「「ARRRRRGH!」」」暴徒は勢いを減じながらも、再突撃!「「「「「ザッケンナコラーッ!」」」」」タロも加わり、至近距離の乱闘!銃の出る幕なし!

「YEEEART!」「グワーッ!」ジェイクも殺人カラテで応戦!「「ARRGH!」」「「グワーッ!」」殴り飛ばされるタロ!踏みしだかれるタカハシ!「ザッケンナ…!」ヤマヒロは鬼の形相でドス・ダガーを振るう!「グワーッ!」「ザッケンナ……!」「アバーッ!」「ザッケンナコラーッ!」

「ウチの若いモンが命張ってんだコラーッ!通さねえぞコラーッ!」顔を血で濡らし、ヤマヒロは怒涛の勢いで切りつけ、殴りつけ、蹴散らした。そして囚人服の上を脱ぎ放ち、見事な象イレズミを露わにして名乗った!「キルエレファント・ヤクザクラン!ヤマヒロ!死にてえ奴から掛かってこい!」

 その瞬間、ヤクザの奇跡が起こった。シシオドシを打ったかのように静まり返り、暴徒が止まった。暴徒の中にいたレッサーヤクザたちは、ソンケイに打たれ、衝動的にドゲザする者さえいた。デスシャドウ・ヤクザクランの者ですら。睨み合いの中、原動力を失った暴徒の波は、次第に後退を始めた。

 彼はまるで巨大な象のように見えた。誰も、ここを突破できるとは思えなかった。「……フウーッ!……フウーッ!」ヤマヒロはまだ暴徒を睨み、獣めいた息を吐いていた。「ハ、ハッキング、終わりました……!」静寂の中、タロが電算機室内からサインを送るハッカーに気づき、ヤマヒロに伝えた。

 暴徒はもう見えない。「よォし……」ヤマヒロはゆっくりとドス・ダガーを収め、新生キルエレファント・ヤクザクランの仲間たちに向かって笑みを投げかけた。傷だらけだが、全員、生きている。「男見せたな」タロの背中を叩き、ヤマヒロは全員に命じた。「医務室まで退くぞ、イシカワがまだ……」

 KRAAAAAAAASH!窓が突き破られ、ワーム触手が現れた。それは一瞬だった。「エッ」サイモンジを背負ったタロが、顔を上げた。「アイエッ」タカハシがまず全員の視界から消えた。「庶子」BLAMN!ジェイクが放った散弾銃の銃声がスターター合図となり、全員、狂ったように逃げた。

 カンゼンタイ本体はまだ中庭側にいる。逃げてきた暴徒をむさぼり食らうため、触手だけを密かに伸ばしていたのだ。次いでジンギが呑まれた。「「「アイエエエエエエエエ!」」」全員ヤバレカバレで廊下を走り、逃げた。銃も通じず、ただ叫びながら逃げた。それは完全なるニンジャの暴虐だった。

 気がつくと、一行は医務室前まで逃げおおせていた。触手はより大勢の"餌"を求め、下に向かった。どこでどう入れ替わったのか、逃げるうちに、ナカイが散弾銃を両手に持ち、サイモンジをヤマヒロが背負い、タロをジェイクが背負っていた。キルエレファントはまたしても、ニンジャに蹂躙された。

「「「「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」」」」ショッギョ・ムッジョ!生存者らは床にへたりこみ、息を整える。そんな中、ひとりヤマヒロが立ち上がり、廊下の公衆電話列に向かって何かを呟いた。タロが気づいた。「……ヤマヒロ=サン、どうしたんスか……?」答えず、ヤマヒロは歩き出した。

「あんたの言う通りだった」ヤマヒロには、公衆電話列の横にピンク色の光が見えていた。「俺ァ逃げ続けていた」オーディン神は何も言わず頷き、ヤマヒロの横に立って彼の肩を叩き、もう片手で公衆電話のひとつを叩いた。ヤマヒロはトークンを入れ、電話した。XXX-893-893-893。

 プルルルルル。永遠に続くかのような呼び出し音。ヤマヒロがごくりと息を飲んだ。あの夜、ヤクザビークルの中で教えられた恐るべき電話番号。この番号は、今も、本当に通じるのか。出れば狂気。出ずとも狂気。トークンが呑まれた。「ドーモ」出た。「こちらヤクザ天狗」「ドーモ、ヤマヒロです」

「ご無沙汰してます……ハイ……今スガモです。ニンジャハントをお願いしようと」ヤマヒロは額の汗を拭い、呟く。(ヤマヒロ=サン……?)タロが立ち上がり、怪訝な顔で近づく。「ハイ……ハイ。報酬ですか……?いや、塀の中なモンで、すぐには。でも用意しますンで、ハイ、スンマセン……」

「どんなニンジャか……?いや、デカいんですよ……10メートルはあって……クランの若いモンが、2人も触手で食われちまって……。やれますかね?……ハイ、ハイ。10倍?……ハイ。工面しますんで。若いモンやられちまって、もう、あの野郎ブッ殺さねえともう、収まりがつかねえんで、ハイ」

「…ハイ、もうハラ括りましたんで…。ハイ、ヨロシクオネガイシマス」ヤマヒロは深い息を吐いた。憔悴しきり、受話器を戻す力も無く、医務室の方へと歩いた。「よォし…」不思議と、その表情は晴れやかだった。「ヤマヒロ=サン、どこ電話してたんスか、ヤマヒロ=サン?」タロが心配げに問う。

「大丈夫だ。気にすんな。あのふざけたニンジャを、ブッ殺してやる」ヤマヒロは吐き捨てるように言い、医務室のドアを開けて叫んだ。「イシカワ!そっちはどうだ!」「ヤマヒロ=サン…?」タロは公衆電話に走り、受話器に耳に当てた。『……この番号は使われておりません、現在この番号は……』

 ノイズ音とともにトークン通話時間が終了した。あとは途切れ途切れの不通音だけだった。「ヤマヒロ=サン……!?」タロは足場が揺らぐような恐怖を感じた。彼を追い、医務室へ走った。「今しがた、イシカワ=サンが弱点を見つけ出したぞ!」興奮気味のカブセの声。「よォし!」ヤマヒロの声。

 UNIXデッキとLAN直結されたコーゾは手術台の上で小刻みに痙攣。イシカワも憔悴仕切り、ベッドに横になって荒い息を吐いている。カブセが内容をヤマヒロに伝える。「ヤマヒロ=サン、ヤマヒロ=サン!どこにかけてたんスか!?」タロが後ろから声をかける。「うるせえぞタロ、黙ってろ!」

「だがよ、その情報、どうやってマッポに伝える?」「大丈夫だ!」カブセが通信機を叩く。デッドエンドの置き土産だ。「私が伝える!」「そろそろまた走るとするか?」ジェイクが汗を拭い、散弾銃をコッキングする。「触手が来ないうちにな」「よォし!逃げるぞ!屋上ヘリだ!」ヤマヒロが叫ぶ。

 脱走プランの仕上げに向かい、ならず者達は速やかに準備を始めた。武器をどうするか、どう屋上へ行くか、自力で歩けない者を誰が運ぶかを、速やかに「ヤマヒロ=サン」タロが恐る恐る問う。「おう、何だ、タロ」「さっきの電話……誰に」「ああ、お前になら言ってもいいな。ヤクザ天狗=サンだ」

 タロは身震いした。「でも俺、受話器に耳当てたら、現在使われてない、って」「アア?」ヤマヒロは首を傾げた。そして頷いた。「依頼完了したから、隠蔽したんだろ。あの人はな、用心深いんだ」「本当に、呼んだんスか…?」「ああ、だが他の奴に説明する時間が勿体ねえ。狂ったと思われるだろ」

「アッハイ……」「いいか、生き残りたかったら余計なこと考えんじゃねえ、俺を信じろ……。オイコラー!全員準備できたかコラー!出発スッゾオラー!」全員がそれに短く答えた。脱出が始まった。タロはサイモンジを背負い、その横には、イシカワを背負うジェイクが並んだ。

「おいカブセ=サン!こいつは何だ!」コーゾの寝かされた手術台の横で、ジェイクがふと問うた。「…確かに、私は医者だ。囚人だろうと何だろうと、治療する」通信機を背負ったカブセは、戸口で立ち止まった。「だが……そのクソ野郎の面倒まで見る気はない!放って逃げるぞ!GOGOGOGO!」

 脱走者らは医務室を放棄し、移動を開始した。「タロ……おい、タロ……」並走するジェイクの背中の上で、イシカワが囁いた。目の焦点が合っていない。「何スか、イシカワ=サン」「別行動してた時、ヤマヒロ=サンの様子が、妙だった……。何か、幻覚か……幻聴か……わからん。気を、つけて……」

 ドルン、ドルン、ドルンドルンドルンキュイイイイイイイイイ!「イイイヤアアアアーーーーッ!」高速疾走するデッドエンドのカラテシャウトが、中庭に響き渡る!チェーンソーが唸りを上げ、カンゼンタイから伸びた触手の一本がズタズタに切断されてゆく!SPLAT!SPLAT!SPLAT!

『パイプ切断の調子はどうだ!』高所バズーカ射撃を続けるタフガイから通信音声。彼女はノボセとの合流時に通信機を調達していた。「切っても切っても生えてくるな!」デッカーニンジャ3人と装甲車の猛攻を受けてなお再生と成長を続ける怪物!その巨体を睨め上げ、デッドエンドは吐き捨てた。

 その時、デッカー通信チャネルに、思いがけぬ参加者!『ドーモ、医師のカブセだ!』「アアッ!?何故このチャンネルに……イヤーッ!」デッドエンドは怪物の踏みつけを回避し、前転跳躍チェーンソー斬撃しながら凄む!『カブセ=サン!?聞きましょう!』スポイラーがデッドエンドの言葉を遮る。

『よく聞きたまえ!カイジュウの弱点を掴んだ!』『何だと!?』タフガイも驚く!『一体どうやって!?』スポイラーが問う!しばしの沈黙!『…私があの重体ヨロシマンを説得したのだ!細かい事はいい!聞きたまえ!その怪物の名はカンゼンタイ!ヨロシ・バイオサイバネティカ社の生体兵器だ!』

『無限に生物を喰らい、再生し、進化し続けるバケモノだ!幼体時の弱点はアンモニア臭!炎!冷凍!重汚染水!コクーン時は炎!成体時は炎と重汚染水!現在の成長状態がどれなのか、私には解らん!』「他には無いのか!?」『全ての状態で特に有効なのは、タケウチ!それからサブジュゲイター=サンとある!』

「サブジュケイター=サンとは!?」デッドエンドは死屍累々の中庭を駆け抜け、触手を切り払いながら叫ぶ!『君らが知らんなら私にも解らん!タケウチも知らん!』『アンタイ・ニンジャ・ウイルスです!』スポイラーが叫ぶ!『タケウチならあるぞ!』タフガイ!『輸送機残骸にアンプルがあった!』

「いいぞ!あとは重汚染水が苦手か!意外とナイーブな奴だな!」デッドエンドはチェーンソーを掲げ、高く回転跳躍しながら返り血を払った。視界の先には真っ暗な崖と、重金属酸性雨など比較にもならぬタマ・リバーのマッポー級重汚染水。先ほどから執拗に翼を生やそうとしているのは、そのためか。

『ウイルスを用意する!それで殺せるのか!?』タフガイが行動開始!『カブセ=サン!どうなんです!?聞き出せませんか!?』『これが限界だ!』『僕も手伝います!医務室へ今すぐ!』『ナムアミダブツ!死んだかもしれん!時間の無駄だ!来るな!君らは、ありったけの弱点を、どうにかしろ!』

「YYYYYYRRYSH!」「グワーッ!」デッドエンドが鞭めいた触手の一撃を受け墜落!怪物の背から小型触手が何十本も生えている!何たる進化速度!『センパイ!?』「クソが!」血泥の中で立ち上がりチェーンソー再稼動!「ナカジマ!後で殴るぞ!タフガイの分、弾幕厚くしろ!」『ハイ!』

「RRRRRRRRRRYSH!」怪物は音波攻撃を繰り出し、2本の甲殻類巨大爪を振り回す!CRASH!CRASH!CRAAAASH!無敵のハサミがビルを!装甲車を!高射砲塔を!破壊する!「処刑プランを思いついたぞ!」彼女は片耳から血を流し、チェーンソーで無謀に挑みかかり叫ぶ!

 KA-BOOOM!KA-BOOOM!スポイラーの発射したバズーカ弾が、カンゼンタイの背に命中!巨大化すればするほど敵は動きが鈍くなる!だが恐るべき再生速度!重火器アモも残り少ない!『どうするんですか!?』「ウイルスを撃ちこんだ上に、タマ・リバーの機雷水域に落とす!誘導しろ!」

「「「「「ハァーッ!ハァーッ!」」」」」脱走者らは遂にアドミン棟屋上へ!「YYYYYRRRRR!」カイジュウの雄叫びが中庭側から響く!この位置でも耳がつんざかれそうだ!「撃てーッ!」ノボセの声が全棟放送!装甲車と高射砲塔から一斉砲撃!夜の闇にマッポーカリプスめいた光景現出!

 死体やガレキが炎を伴い降り注ぐ!まるで地獄の火山!しかも怪物は徐々に接近!崖へ誘導されている!「アイエエエエエ!」カブセ発狂寸前!「見ろ!ヘリだ!前後するヘリが残っているぞ!」ジェイクがサイバネアイで闇を見通し叫ぶ!ナムサンポ!何たる僥倖!ヘリポートに49課の脱出用ヘリが!

 DOOM!DOOM!DOOM!NSPDはここが正念場と見てありったけの火力を叩き込む!「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」デッドエンドがチェーンソーを振るって執拗に怪物の顔面に纏わりつき、誘導する!「YRRRRRRR!」怒り狂ったカイジュウのカラテパンチとハサミが囚人棟を砕く!

 SMAAASH!自動車ほどもある巨大コンクリ片が命中しアドミン棟が揺れた!一刻の猶予も無し!「急げ!ヘリポートまで走れ!あと一息だーッ!」「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」KA-BOOOM!下の階で爆発し火柱!「アイエエエエエエ!」「避けろ!こっちだ!!迂回して進めーッ!」

 DOOM!DOOOM!DOOOM!凄まじい揺れ!「ヤッタ!」死に物狂いで走り抜けたカブセがヘリに到達!「前後しなさい!イェー!」次いでイシカワを背負ったジェイク!「アイエエエエ!」ナカイも絶叫しながらゴールイン!「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」サイモンジを背負ったタロも!

「これで三千万!いや、待て……誰がヘリの操縦メンキョを!?」「ニブいねえ。今日日、こんなのは…」ジェイクが直結キーボードをヘリのLAN端子に挿し、サイモンジに手渡す。凄まじいタイプ速度!『出発するドスエ』ドアロックが開きローター回転!「…自動運転さ」ジェイクは肩をすくめる。

「よし乗り込め!」「GOGOGOGO!」「ハァーッ!ハァーッ!……えっ、ヤマヒロ=サンは!?」タロが異変に気づく!ショットガンを構え最後尾を守ってくれていたヤマヒロが、まだ到着していない!「ナムアミダブツ!あそこだ!」カブセが指差す!崩落部に行く手を阻まれ立ち往生のヤマヒロ!

「迂回しろ!右!左!最後に右だ!ジグザグに走れ!」ジェイクが叫ぶ!DOOOOM!屋上が揺らぎ、ヘリが傾く!アブナイ!「間に合わねえ!先に飛べーッ!俺は大丈夫だ!ヤクザ天狗=サンを呼んで、あの野郎、ブッ殺してやる!」「ヤマヒロ=サン!正気に戻ってください!」タロが飛び出した!

「おい!やめろ!」ジェイクが手を伸ばすも、届かぬ!ナムサン!タロは亀裂を跳躍しヤマヒロのもとへ!「スッゾコラー!タロ!来るな!言っただろうが!俺は残ってヤクザ天狗=サンにあの野郎の弱点を伝える!」「ヤクザ天狗なんて!来ません!全部ヤマヒロ=サンの!妄想です!」「俺はマジだ!」

 DOOOOM!再び屋上へと凄まじいコンクリ片の命中!階下の爆発!KA-DOOOOM!「アイエエエエエエ!」タロが跳ね飛ばされる!「ARRRRRRGH!馬鹿野郎がァーッ!」ヤマヒロが絶叫する!タロは!?未だ屋上!頭から血を流し、ガレキの下敷きになって目を閉じている!生死不明!

「最後の最後で狂っちまったのか!?ダメだ!持たん!全員死ぬのはカンベンだ!」ヘリが激しく揺れ、ジェイクが歯噛みし、サイモンジに離陸サインを出す!非情だが止む無し!飛び立つ!だが、離陸寸前、カブセが、降りた!「おい!何してる!三千万は!?」ジェイクはそう言うのがやっとだった!

「さらばだジェイク!君に感謝する!このクソ野郎は、三千万より、医者の名誉に目がくらんだ!」カブセが狂気じみて叫ぶ!ヘリは飛び立つ!ヘリポートは直後に崩落!ドアを閉め、遠ざかる!カブセは崩壊する屋上を駆け、跳躍し、タロの傍へ!「待っていろ!私が必要とされている!医者の出番だ!」

 カブセも、ヤマヒロも、何かを獣じみて叫んだ。崩壊と砲撃とカイジュウの放つ轟音の中、声は聞こえなかったが、意志は疎通出来た。カブセがZBRを注射し、ヤマヒロと共にガレキを押しのけ、タロを引きずり出した。タロが目を開けた。カブセは満足げに頷いた。瓦礫が命中し、カブセは転落した。

 絶海の孤島めいて、2人はタタミ1枚の足場に取り残された。ヤクザ天狗は来ない。何故だ。ヤマヒロは信じ、狂ったように叫び続けた。タロは力なく微笑んで首を横に振り、一緒に逃げようとヤマヒロに訴え続けた。だがヘリはもういないのだ。そして最後の足場も、傾き、落下した。

「もうダメだーッ!助けてくれ!助けてくれーッ!ヤクザ天狗=サン!」

 1010200903

 8!9!3!時計の針がヤクザの勝利を意味する獣の数字を刻んだ、その時!ZGOOOOOM!彼は飛来した!「神々の使者!」おお、見よ!雄々しきジェットパック噴射音がスガモ上空を駆け抜ける!「まさか」タロは、魔術にかかったような表情で、思いがけぬ客を見上げた!「ヤクザ天狗、参上!」

 ZGOOOOOM!聖戦士は落下するヤマヒロの手を掴み、さらにヤマヒロがタロの手を掴み、崩落するビルから危険なきりもみ飛行で脱出!描かれるらせん状コントレイルと噴射炎!「「アイエエエエ!」」視界が回転する中、ヤマヒロとタロは狂ったように叫び、死屍累々の中庭の血泥に降ろされた!

 ヤクザ天狗は何処へ?無論、聖戦へ!乱れ飛ぶ触手と砲撃を抜け、ニンジャに挑む!彼は狂っていた!「見よ、火の如く赤い巨大なニンジャを」謎めいたモージョーを唱えながら飛翔し、赤漆塗りの直結ヤクザガン2挺を構える!「それは七つの頭と十本の角を持ち、また偽りの七つのメンポをつけていた」

 反撃の時!「ザッケンナコラーッ!」BRATATATATATA!劣化重金属弾が豪雨の如く!「イヤーッ!」デッドエンドのチェーンソーが怪物の目玉を切り裂く!「よォく狙えよ、クレー射撃インタハイ選手!」タフガイが叫ぶ!「イヤーッ!」BLAMN!スポイラーがタケウチライフルで狙撃!

 ウイルス弾が心臓命中!「YYYYYYYRRRRRYSH!」空を揺るがす絶叫!「撃て!撃て!撃てーーーーーッ!」ノボセ老がカタナを振り上げ総攻撃命令!対空砲塔!装甲車輌砲撃!果たして誰が撃ち込んだか、遠ざかる49課ヘリからもロケット弾!DOOM!DOOOM!DOOOOOOM!

 ありったけの弾丸とカラテが撃ち込まれ、空を灼き、デッカーニンジャ、炸裂砲弾、血飛沫、無数の触手、爆発、ヤクザ天狗、重金属弾、音波攻撃、まさにマッポーカリプスの終末光景を、ヤマヒロとタロ、そして囚人たちも皆、まるでアノヨの花火大会を仰ぐかの如くに、立ち尽くし、叫び、見守った。

 地獄の産物の如き甲殻類の腕を高々と掲げ、唸り、蹌踉めくと、触手の何本かが、有史前の奇怪な老木を支える根の如く、ビル鉄筋に必死に絡みつき、崖から今まさに落下せんとする悪夢じみた巨体を支えたが、満身創痍のヤクザ天狗は独り、その顔に立ちセンベイを配置し、聖水を振りまき火を放った。

 そして己の解き放ちたる邪悪なるソウルに囚われし、哀れなる怪物のために唱えた。汝ら咎無し「ブッダエイメン!」と。「yyyyrr……」カンゼンタイの触手も力尽き、あるいは千切れ、巨体は緩慢に崖を転がり、機雷水域へと沈んでいった。コーゾが絶叫し、ジェットパック飛翔し、後を追った。

 直後。DOOOOOM!機雷爆発!DOOOOOM!機雷爆発!KRACKA-DOOOOOOOOOOOOM!地獄の蓋が開いたかのような水柱が連鎖的に立ち登った!炎と爆発が細胞を焼き、重汚染水が再生を阻害する!「「サ!ヨ!ナ!ラ!」」コーゾもろとも、カンゼンタイは爆発四散を遂げた!

 ……かくして、バイオテックの悪夢は滅びたのだ。

◆◆◆

 死の静寂。スガモ監獄島には、破壊され尽くした廃墟群と、巨大な甲殻類のハサミや眼球、そして無数の死体が転がり、ボッシュの描いた地上の地獄の如き光景が広がっていた。

 だが、生き残りも大勢いた!彼らは鬨の声を上げた!無益な争いを止め、暴動など起こすこともなく、奥ゆかしく、敵も味方も、看守も囚人もなく、生存を喜び合った!デッカーニンジャ3人は、肩をたたき合い、ノボセの横で座り込んだ!ヤマヒロとタロも、抱き合って喜んだ!そこへ、天狗が降臨した。

 周囲にいた人々は、何か聖なるものを見たかのように、畏敬の念に打たれ、立ち尽くした。無理もあるまい、彼は神々の使徒にして、贖罪の天使だったのだから。ヤクザ天狗はヤマヒロの肩を抱いた。そして言った。「ニンジャハントの報酬を、支払え」と。「カネが、ありません」とヤマヒロは答えた。

「どうなるか、わかっているな」とヤクザ天狗は言った。「ハイ」とヤマヒロは答えた。その表情は、己の運命を受け入れた真なるヤクザの顔だった。「あばよ、タロ」「ヤマヒロ……サン!?どうして……」タロが理解できず、息を飲んだ。涙で、また見えなくなった。「すまねえな」ヤマヒロは言った。

「俺は向こう側に、天狗の国に行かなきゃならねえ」ヤマヒロは涙を堪え、小さく笑った。「キルエレファント・ヤクザクランは、解散だ。カタギになれ」彼はタロと別れの抱擁を交わした。その後ろで、天狗もまた、オメーンの奥、人知れず泣いていた。そして聖戦士は、ヤマヒロを抱え、飛び立った。

「爺さん……!」タフガイが問うた。「彼らを、行かせてやれ」ノボセはそう言い、敬礼を送った。NSPDのマッポとデッカー全員が、敬礼を送った。彼らがいなければ、世界は滅びていたやも知れぬのだから。囚人たちもまた、言葉にならぬソンケイに打たれ、深々とオジギを送った。

「おい!見ろ!カブセ医師だ!」看守マッポが叫んだ。ざわめきが起こった。崩落したガレキの中で、カブセは静かに息を引き取っていた。「そんな……!」駆け寄ったスポイラーが絶句した。「あなたに、まだ、お礼も言っていなかったのに……!」「だが、見てみろよ、ナカジマ」タフガイが言った。

「なんて安らかな死に顔なんだ……。俺はいくつもホトケを見てきたが、こんなのはめったにお目にかかれねえ。やり遂げたんだよ、この野郎も、何かをな」タフガイが肩を叩いた。「ハイ」ナカジマは強く頷いた。「彼は、真の医師でした」看守が横で正座し、嘆き、讃えた。タロも、それに加わった。

 デッドエンドも、珍しく俯き加減で歩み寄り、無言の黙祷を捧げた。タロはまだ、夢でも見ているかのような気分だった。彼はしばしカブセを悼んだ後、立ち上がった。そして独り、歩き、ヘリと天狗とヤマヒロが飛び去っていった空の彼方を見上げて、感謝の念とともに深々とオジギした。いつまでも。


【アンエクスペクテッド・ゲスト】終わり




N-FILES

タマ・リバーに浮かぶ監獄島「スガモ重犯罪刑務所」に、ヨロシ・バイオサイバネティカ社の輸送機が突如墜落。鉄橋が爆発炎上し、スガモ重犯罪刑務所は完全孤立状態となった。不運はそれだけではない。輸送機コンテナの中には恐るべき生体兵器ニンジャ「カンゼンタイ」が積まれていたのだ。メイン著者はフィリップ・N・モーゼズ。


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