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S1第12話【オラクル・オブ・マッポーカリプス】

総合目次 シーズン1目次


「僕のグループ展に出さないか」
「タキ=サンが潜入してソーシャルハックしないと!」
「狼ってのは牙を隠し持つ。オレのようなアウトローはな」「ははは、然り、然りよな」
「わからない事だらけだから、私はもう、感情に従う事にする」
「ヤバイ、銃が……畜生め!」
「アカチャンーッ!」
「ブラスハートの名まで出たか。よく調べている」「……知っているな」
「今やれ! オレは上客だ」
「卑しく実際安いカスめ! 俺の経済活動を妨げる資格はない!」「好きにやれと言っている。だが、殺す」
「……奴はクラバサ・インコーポレイテッドの上級社員だ」
「動けません」



1

「毎回毎回アレだがよ」店内地下アジト、タキはUNIX蛍光ライトに照らされたしかめ面をニンジャスレイヤーに向ける。「今回はマジで無理だ。終わってる」「そうか」ニンジャスレイヤーは眉ひとつ動かさず、タキを見返した。コトブキが二者の顔を見比べた。「……」「……」

「わかってるか。わかってねえな」タキは繰り返し頷き、頭は掻いた。コトブキに向かって言った。「コイツはわかってねえ」「わたしもわかりませんが……」「ブラスハート。ニンジャ。クラバサINCの上級社員、カイル・オズモンド」タキはUNIXモニタに映る収拾情報を読み上げる。

「サラリマンか」ニンジャスレイヤーは呟いた。タキは唸った。コトブキに向かって言った。「な。わかってねえンだよ」「わたしに話すんですか」「……ニンジャスレイヤー=サン。あのな。上級社員ってのはな。満員電車をゲッソリ揺られる身分と違うぞ。しかもクラバサINCだ。つまり、雲上人だ!」「要はニンジャだ」ニンジャスレイヤーは言った。

 タキはキータイプを行う。「クラバサINCは実際強い豪族企業。メイン産業はエメツ採掘プラントの特殊技術の提供。チームの派遣。常備軍も、経済圏も持っている。そこの上級社員ッて事は、どこへ行くにもVIP待遇で、今回……」「何処にいる」

 ニンジャスレイヤーの語気には押し殺した意志の重みがある。ブラスハートはサツガイに二度接触しているニンジャであり、サンズ・オブ・ケオスの創始者だ。彼が求める仇に、明確に、最も近い。絶対に逃してはならない敵だ。「お前が何か困難をあげつらうとする。おれが何もせず諦めると思うか」

「思わねえよ。だがよ……」タキは言葉に詰まった。「……まあいいさ。勝手に行って、勝手に死ね」「サポートしてください。ちゃんと」コトブキが身を乗り出した。タキは顔をしかめた。「するッつうの。オレは痛くも痒くもねえ」「話を戻せ。ブラスハートは何処にいる」「オムラの浮遊要塞だよ」


【オラクル・オブ・マッポーカリプス】


 極彩色のネオンとホロスモークに昼夜彩られた邪悪なるリマは、世界有数の港湾都市であり、物資を循環させる地球の心臓のひとつだ。物理港、空港、ウキハシ・ポータル。どれも信じがたいほどに壮麗で、巨大で、混沌としており、ネオン漢字看板とトリイが溢れている。

 旅客機がせわしなく発着する空港に、離陸準備する菱形の影があった。四つの巨大ローターに支えられた分厚いパンケーキじみた機体にタラップが横付けされており、同じ格好をした者達が、巣穴に入る蟻めいて列を為していた。彼らはサラリマンであるが……一種異様な出で立ちをしていた。

 彼らは皆、漆塗りのパワード武者鎧で身を固めていた。頭にはパワード兜を被り、チューブを無数に生やしたガスマスクめいたフェイスカバーを装着している。赤と黄に明滅するゴーグルは蠅を思わせた。腰にはカタナ。背には旗竿。夜風に翻るのは「足軽」と書かれたノボリ旗だ。

「足軽」すなわちアシガルとは社内プロトコルであり、平社員と同義だ。課長身分はダイカン、部長職はハタモトだが、ここにはいない。タラップから巨大機体へ歩き進む際、彼らは各自ノボリ旗を畳んでゆく。その際彼らは不安そうに身じろぎする。己をアイデンティファイする要素が隠れるからだ。

「コー、シュコーッ」「コーッ」マスク越しの呼吸音がしめやかに響く。「ドーモ」「ドーモスミマセン」彼らは奥ゆかしく譲り合い、整然と搭乗してゆく。争いはない。彼らは社歌、社婚、社葬で結ばれた家族であり、運命共同体なのだから。パワード兜とパワード鎧に刻印された雷神紋の誇りのもとに。

 彼らは即ち、オムラ・エンパイアのサラリマンであり、しめやかに搭乗する機体は、通勤用輸送機「モーターシュッシャ」である。パワード鎧の胸元にはLED表示が瞬く。年収表示を表す数字だ。「40000」と書かれていれば、四万オムロの年収がある事を示す。オムロとは企業通貨の単位である。

 年収の下には、「00:00:00」から動かない数値表示がある。これは連続勤務時間を示す。朝礼を行い始業した後に、この数値は動き始める。この数値を長く積み上げる者はそれだけリスペクトを得られる仕組みだ。このように円滑な業務コミュニケーションのサポートが電子的に確立されている。

 列を為して機内に入ってゆくと、等間隔でぶら下がっている吊革に、彼らは順につかまってゆく。「あ、ドーモ。タケバ=サン」「おや。キンノ=サン。奇遇ですね」「いやあ健康診断の数値が悪くって」「僕もですよ」和やかなアイサツ。ガスマスクをしていても、彼らはどうやってか同僚を見分ける。

『皆さん。オハヨゴザイマス。我らのオムラ。凄さのオムラ。嗚呼、パーツ一体感』リラグゼーション・ミュージックに乗って、マイコ音声が機内に鳴り響いた。ゴゴウン……機体のエンジン震動が大きくなった。『離陸準備に入りました。吊革にしっかりとつかまり、労働災害を防止しましょうドスエ』

 ゴウン。ゴウゴウゴウン。モーターシュッシャはくぐもった唸り声と共に、ゆっくりと垂直離陸した。機体の進行方向に微かに見えるのは、不夜城めいたネオンライトに照らされる、黒々とした空中物体のシルエット。オムラ・エンパイアが現在三機保有する空中要塞のひとつである。

「あのう……」声を発しかけた小柄なアシガル・サラリマンの右隣のアシガル・サラリマンが素早く肘で密かに小突き、黙らせた。そして無言でかぶりを振った。咎められたほうは俯き、黙り込んだ。機内には社歌インストゥルメンタルが流れ続けている。東の空が徐々に朱色に色づき始めた。

 空中要塞はこのリマ上空に24時間留まり、メンテナンスと補給を受けていた。要塞の底に張り付けられた巨大なエメツ・プレートが、反重力めいて、圧倒的質量を宙に浮かせている。こののち要塞は南東への移動を開始する。行く先はインヘニオ谷、ナスカ・プラントだ。

 モーターシュッシャはしめやかに飛行する。オムラ空中要塞の周囲あちこちに、ジェットパック・ハーネスを装着したメンテナンス社員が浮遊している。ビーコンを振っている交通整理社員もいる。通勤機内のアシガル・サラリマン達の士気は高い。リマでのリフレッシュ休暇が効いている。

 空中要塞には社員寮、ショッピングモール、大浴場、スポーツジム、社葬墓地などが完備されており、それ自体が一個の街ともいえる。しかし陸地を見れば地面に立ちたくなるのが人のサガというものだ。始業前の勉強会開始時間に間に合うのなら、すすんで土の上に降りたくもなろう。

 ゴウウンン……エンジン音がひときわ大きくなる。要塞底部のブリッジに進入し、壁面が音を反響させているのだ。『到着衝撃に備え、吊革にしっかりつかまってくださいドスエ。オムラ! ダカラ! オムラ! イチバン!』陽気なマイコ音声。機体が大きく揺れ、やがて静止した。

 ビビー。ブザーが鳴った。ハッチが開き、明け方の光が四角く漏れ込んだ。アシガル達は一定ペースの速度でモーターシュッシャのタラップを降り、要塞内へ入ってゆく。「オハヨ!」「ゲンキ!」「タベタイ?」ベントー売り業者が列になって客を呼ぶ。そちらに並ぶ者もいるが、勉強会時間が迫っている社員は先を急ぐ。

「みんな元気だよね?」通路の端ではオムラ雷神タイコを擬人化した、カワイイな鼻と口、黒目がちな目が特徴の二頭身キャラクターが、陽気なステップを踏みながら社員たちに手を振っていた。「福利厚生が凄いよ! ストレスチェックは、しているかな?」友好的な会社イメージキャラクター、オムーだ。

「インサイダー取引、していないかな?」コミカルに手を振る2メートルほどのオムーの前で、先ほどの小柄なアシガルが立ち止まった。「はい、していません!」「……」オムーはやや怪訝そうにしたが、にこやかに手を振った。「よかったね!ガンバロ!」「はい!」「よせ。来い」もう一人が促した。

「はい。コーッ、シュコーッ。コーッ」二人のアシガルの歩みは他の者達ほど歩調に統一感がなく、見る者が見れば……やや不審であったかもしれない。しかし朝の慌ただしい出社時に、そんな事をいちいち気にしていられようか。……こうして、ニンジャスレイヤーとコトブキは要塞内に足を踏み入れた。


2

 リラグゼーション・オムラミュージックが流れる通路を、奥ゆかしい左側通行で移動するオムラマン達。通勤を終え、狭い場所から解放された彼らは今や晴れやかに「足軽」のノボリ旗を背中に掲げ、ガスマスク呼吸音もヤルキに満ちている。鎧姿のコトブキは歩きながらぎこちなく再度振り返る。マスコットのオムーが気になるのだ。

(やめろ)ニンジャスレイヤーは囁いた。コトブキは後ろ髪引かれながら、(あれはドロイドの類いでしょうか。それとも、人?)と尋ねた。(どうでもいい)(サーモグラフで確かめようとしたのですが、よくわかりませんでした)(……まっすぐ歩け)(はい)

 ニンジャスレイヤーのパワード鎧胸部には【50000】の表示が灯っている。年収5万オムロといえば、アシガル社員としてはなかなかの稼ぎだ。一方のコトブキは【30000】に抑えられている。ゆえにニンジャスレイヤーがコトブキに注意するさまは図らずも自然であり、誰の疑いも呼ばなかった。

 要塞の廊下は清潔であり、チリひとつ落ちていないようにも思えた。奥ゆかしい飾り切りがほどこされた壁面にボンボリ・パネルが埋め込まれ、通路を照らす。『潜入成功だな、お前ら?』タキの秘密通信が入った。『オムラ・エンパイアにはおかしな社内プロトコルがいっぱいだ。うまくごまかすしかねえ』

(まず、どこへ向かう)『道なりだ。ただし、何も考えずに他の奴らに流されンなよ。こいつらはだいたい、部署ごとの始業前勉強会に向かうんだとよ。ケッ。勉強会用の会議室はIDチェックがある。偽装には下準備が居るが、他の社員共の目の前でキョロキョロしてみろ。速攻クソ怪しいだろ』(成る程な)

『まずはアレだ、社員食堂に行け。誰も他の部署の連中に興味なんて示さねえ。ねぼけ眼で朝飯を食ってる呑気な社員に混じってりゃ、時間が稼げる……待て! ホールドン! 他の奴らに倣え!』タキが会話を切り上げた。

 キン、キン、キン。ヒノキ・ボーを打ち合わせる音が聞こえてきた。

「オナーリー!オナーリー!」ヒノキ・ボーを打ち鳴らすアシガルは露払い社員である。オムラマン達はたちまち壁際に寄り、75度のオジギ姿勢で静止した。二人も彼らに倣った。彼らが畏まるのは【38000】の露払い社員にではない。その後ろを悠然とついてくる社員だ。ノボリには「ダイカン」。

 ダイカンはオムラ・エンパイアの社内用語であり、いわば課長職を表す。年収表示は11万オムロ。桁が違う。社員たちはオジギ姿勢で静止し、ダイカン社員の通過を待つ。心の中で微かにオジギ待機姿勢の奥ゆかしさを認められての大抜擢を夢見ながら。「オナーリー!オナーリ!」「ハゲミナサイヨ!」

『ケッ! ケッ! チョッチョッ!』頭を下げるのはニンジャスレイヤー達だったが、モニタしているタキは憎々しげに舌打ちした。『何がダイカンだ気取りやがってよォ』これが部長職、すなわちハタモトであった場合は、オジギは90度必要だ。役員クラス……タイローであったときはドゲザである。

『こいつら、路地裏でパンチの一発でもくれてやれば、頭を下げるのはそいつの方だってのによ……偉そうに!』(どうでもいい)ニンジャスレイヤーは答えた。(ただの偽装だ。おれ自身と関係のない話だ。構っていられるか)(新しい体験なので、新鮮です)コトブキが述べた。ダイカンは通過した。

 ダイカンと部下達が行ってしまうと、オムラマン達はいそいそと移動を始めた。時折彼らの何人ずつかが別れ、通路横の自動開閉フスマをくぐって勉強会に出席する。フスマの開閉速度は極めて速く、モタモタすれば挟まれて重傷を負うであろう。二人はしめやかに前進。やがて社員食堂の看板を発見した。

(入るぞ)『ああ入れ』カシュッ。高速でフスマが開いた。二人が広間にエントリーした背後で、フスマは再び高速で閉じた。「イラッシャイマセ! 業務はこれからかな?」オムーがボディランゲージと共にアイサツした。「朝ご飯は大事! しっかり栄養を取って、業務に支障のないようにしてね!」

 配膳カウンターの奥には厨房。いくつものアルミ鍋が蒸気を噴いている。二人は配膳トレーを持ち、列に並んだ。カウンターの上にはメニュー写真と共にUNIXモニタがあり、要塞のカメラが映す地上の俯瞰LIVE映像を流しているようだった。雲海だ。「アンデス・スシでパワー朝食」の字幕が躍る。

「我らのメガスゴサ級オムラ空中要塞は今、誇らしい貴方がたオムラマンを乗せて、雄大なナスカ高原付近を航行中です。当社員食堂では、滞在地域のカルチャーをしっかりと取り入れ、バラエティ溢れるパワー食を提供しています」音声ガイドが流れる。「注意、骨付肉の注文は年収5万オムロから!」

「スゴイ! 骨付肉が注文できるじゃないですか」コトブキが言った。「わたしは頼めませんが……」「スシでいい」ニンジャスレイヤーは悪目立ちを避けた。二人はそれぞれ四角い紙パックを取り、テーブルの隅に向かった。

「インヘニオ谷は現在、極めて危険な情勢です。それを解決するのは、あなた!」音声ガイドを聴きながら、向かい合って座った二人はガスマスクを開き、ポークビーンズのノリマキ・スシを咀嚼する。「皆さん一人一人が、メガスゴサの大事なパーツです。武力社員の皆さん、パーツに感謝しましょう!」

 モニタには壮麗なエメツ・プラントの空撮録画が映し出された。漏斗状の形状で、鈍い灰色だ。「クラバサ・インコーポレイテッドとの協業テクノロジーにより、ナスカ・プラントは地球有数のエメツ生産性を獲得しています。文明の叡智! しかしそれに唾吐く敵がいます。まるで未開の洞窟人です!」 

「ドーモ。要塞長のハタモト、フレデリクセンです」要塞長のいかめしい鎧姿のバストアップが映し出された。胸には【470000】の年収表示。肉眼で見れば失禁するアシガルも居るかもしれない。

「今回のミッション成否が株価に与える影響は多大です」要塞長は気さく、かつ、実直に話しかける。「ナスカ・プラントはイノベーションの源泉。しかし頑迷な一部の地元民はエメツ鉱山に蟻の巣めいたアジトを築き、不法占拠を行っております。ご存知の通りこれはケツァルカトルと称する反社会ニンジャを首謀者とするニンジャカルト活動の一環。寛大なオムラであっても断じて容認できない行いだ」

 モニタにはニンジャカルトのリーダーであるケツァルカトルの三面図、祈祷光景の隠し撮り映像がワイヤフレーム化されてオーバーラップする。「既に現地社員による治安活動は膠着状態に陥り、担当ハタモトはケジメ。ダイカン二名はセプクしています。ご存じの通りこのメガスゴサはオムラの叡智の結晶。誇りと強さと象徴の力を全地球に見せる事で株価が上がります。諸君が失敗すれば株価は……失敗などありえない。成功しか存在しない!」

「オムラ……」離れたテーブルで固唾をのんで映像を見ていたアシガル社員が感極まって涙した。要塞長はモニタ内で拳を握った。「メガスゴサの武力は実際スゴイ! それは諸君のマンパワーだ。諸君がパーツなのだ! 今回、現地へ投入される武装社員には特別パワー食が振る舞われる!」

 カメラが引いていった。そこはどうやら要塞内の特別大広間……しかも中継のようだった。垂れ幕には「壮行会」「敵に勝つ」「ハゲミナサイヨ」等の勇ましいショドーが書かれ、ひときわいかついパワード鎧姿の社員達がエマージェント体勢でパイプ椅子に着席していた。重箱が配られる。

 武装社員が一斉に重箱の蓋を開けると、まるで光が迸ったかのような感動が彼らに共有された。要塞長が檄を飛ばす。「テキ(敵)にカツ(勝つ)! 特別なカツカレーを食す光栄に震えなさい!」

「「「「「アリガトゴザイマス!」」」」」

 彼らは噎び泣きながら栄誉のカツカレーをがっついた。

「……」ニンジャスレイヤーの目が光った。彼の視線はモニタに再びアップになった要塞長の肩越し、後ろにさりげなく立つ一人の男に注がれていた。彼はパワード鎧を着ていない。仕立ての良いビジネスマン・スーツに身を包み、鼻下を鎖マスクを覆っている。コトブキは訝しんだ。「どうしました?」

「奴だ」ニンジャスレイヤーは呟いた。ビジネスマンの白く濁った眼は、どこを見ているとも知れぬ。ただ、異様なカラテの漲りがモニタ越しにも伝わって来た。それはニンジャスレイヤーがこの要塞内で確かに感じるサツガイ痕跡の気配と一致していた。


3

 カツカレーを泣きながら食べる武装社員の姿を誇らしげにパンしたあと、再びフレデリクセン要塞長にカメラが戻された。「今回の作戦をあらためて確認していきましょう。始業前勉強会の皆さんもしばしその手を止め、よく見られたし」現時点でもまだ始業30分前だが、見逃した社員はムラハチとなろう。

 ワイヤフレーム三面図が映し出したのはインヘニオ谷周辺の立体地図である。「我らが輝かしき浮遊要塞メガスゴサは、予定時刻9時24分に攻撃可能圏内に到達します」立体映像が色づき、いつしか空撮実写映像に切り替わった。広大な平原にはかの有名な巨大地上絵が描かれている。

 ハチドリ、サル、スリケンなどの雄大な地上絵の数々に、社食の社員は魅入った。それらに混じって、近年あらたに作成されたオムラ地上絵もある。輝かしき雷神紋だ。ハチドリよりも大きい。「嗚呼……」社員の誰かが溜息を吐いた。「早くこの目で我が社の社章地上絵を見たい」

「インヘニオ地域は我らの企業領土で、古代より存在する地上絵にネーミングライツする栄光に授かっています。エメツ・プラントの周囲にはオムラ米の田園が拡がります。実に美しい。地域住民はオムロの支給を受けて、喜んで働く。雇用と経済が創出されています。リクルーティングも盛んだ」

「御存じの通りオムラ・エンパイアでは浮遊要塞立ち寄り地域の住人から志願者をリクルーティングしているよ!」画面の中でオムーがボディランゲージを交えて説明すると、友好的カートゥーンが動いた。笑顔の父親がオムラ鎧を装着し、要塞にモーターシュッシャで通勤する。「高倍率! エリートだよ!」

 不意にそのカートゥーンに暗雲が垂れ込めた。泣きながら逃げ惑う家族。悲しみが支配する中、映像は再度フレデリクセン要塞長に切り替わる。「幸福破壊者ども! それが "アンデスの虎" を自称する危険なニンジャカルトだ。彼らとの交渉は望めない。そればかりか呪わしい敵対メガコーポの影がちらつく」スライド映像に「社敵?」「悪い繋がり?」のミンチョ文字が回転しながら現れ、恐怖を煽った。

「アンデスの虎はインヘニオ谷に平安時代のニンジャの化石が存在すると主張し、崇拝している。祭司長にして武装ゲリラ指揮官がケツァルカトルだ。彼らの妨害によって、クラバサINCのテクノロジーを惜しみなく注いだ次世代エメツ・プラントの建造は遅延を極めている。ひどい経済損失だ!」

「ブー!ブー!」社食の社員がブーイングした。要塞長は拳を振り上げた。「奴らの近代的戦闘力は洞窟蛮人めいたふるまいに明らかにそぐわない。然り。諸君の推測は正しい。十中八九、カタナ・オブ・リバプール社がスポンサーだ」「ブー!ブー!」「しかしメガスゴサが来たからには徹底武力で勝つ!」

 要塞長は振り返り、鎖マスクのビジネスマンを示した。「幸い今回はクラバサINCから上級社員カイル・オズモンド氏に同行いただいている。新技術プラント増設はクラバサ社の輝かしい夢。今回の件では我らと同質の怒りを共有しているのです」「ドーモ。カイル・オズモンドです」奥ゆかしいアイサツ。

「彼は今回、たっての希望でミッションに参加され、新規の技術提供をお約束いただいた……私はむしろ、その前のめりの意欲に嬉しい驚きを感じた程だ」要塞長は笑顔で言った。ニンジャスレイヤーは眉根を寄せた。その物言いに少し含みを感じたのだ。予定外のミッション参加を申し入れたという事か。

「エー、オホン」カイル・オズモンドは咳払いしたのち話しはじめた。「フレデリクセン=サンが仰った通り、新規エメツ・プラント増設には社運を賭けているといっても過言ではありません。エメツ抽出リサイクル技術の導入によって生産性は既存プラントの三倍となる。世界の仕組みが変わります」

「カイル=サンは……」要塞長は目配せした。「……きわめて高い戦闘能力、問題解決能力をお持ちだ。今回、我らのオムラ・トルーパーに同行し、実際に直接戦闘に参加なさいます」戦闘社員たちがざわついた。ビジネスマンは平然と頷いた。「末席に加えさせていただきます。身を粉にして働きます」

 すかさずモニタ内モニタにオムーが映り、ボディランゲージと共に「友好的コラボレーションで強烈なイノベーションだよ!」と伝えた。「ハゲミナサイヨ!」要塞長が拳を振り上げた。「オムラ!」「オムラ! オームラ! オムラ!」戦闘社員がバンザイした。「オムラ! オームラ! オムラ!」社食社員も!

 モニタに向かってサン・サン・ナナビョウシを繰り返すアシガル社員らの視界に入らぬようにしながら、ニンジャスレイヤーとコトブキはしめやかに社員食堂を退出した。廊下を進み、高速開閉するオムラ・フスマを幾つか通過した。

『そこを右だ。そうすりゃエレベーターだ』タキが通信した。『何がアンデスのカルトだ。エンパイアの連中だって十分カルトだぜ』タキは毒づいた。『こいつらオムラオムラ言ってやがるが、所詮は磁気嵐で締め出された外様の企業連中だ。日本国内の本社は当時既に倒産しちまってたしよ。元がどんなか誰にもわかりゃしねえ。ま、ロクなもんじゃなかったろうが』

「そうなんですね! 色々あったのですね」と、コトブキ。『その通りだ』タキはさも自分が生き証人であるかのように語った。『ふざけた鎧野郎ども』「この鎧がクソだという意見には同意する」ニンジャスレイヤーが言った。エレベーターが到着しフスマが開くと、二人は他のアシガルと共に乗り込んだ。

(何階だ)ニンジャスレイヤーはタキにニューロン・ウィスパー通信を行った。(ブラスハートはあの大広間に待機か)『いや、移動する筈』タキが答えた。『オズモンド……ブラスハートは映像で見ての通り、VIP対偶。要塞長と一緒に要塞艦橋に移動する。エレベーターで上がれるだけ上がれ』

「私、胃潰瘍みたいで」アシガル社員が連れのアシガル社員に話した。「胃潰瘍ですか。まずいですね。私はコレステロール値が非常に良くなかったです」「困りますね」「全くです」オムラ社員同士のコミュニケーションは健康に関する内容が主である。重苦しいエレベーター内で、皆が耳をそばだてる。

 やがてエレベーターは移動可能な最上層まで到達し、社員を吐き出した。二人は分岐路で立ち止まる。「どちらだ」『いや、この辺になると、もうわからねえな。オレはテンサイ級レベルのハッカーだが、オレにもできねえ事はある。気を引き締めろよ!』ニンジャスレイヤーはサツガイの気配を探る。

 サツガイの気配……すなわちブラスハートの位置、その単純三次元的な方向はかろうじて判別できる。だが、実際の要塞内の曲がりくねった通路をどう進めばどこに辿り着けるか、当然ながらわかりはしない。「何かわかるか」ニンジャスレイヤーはコトブキを見た。コトブキはかぶりを振った。

 ニンジャスレイヤーは直感を頼りに左通路を選んだ。道なりに進むと、通常より厳めしいフスマ・ゲートが行く手を塞いだ。液晶パネルに「年収60000オムロより」の表示が瞬く。「わたしの二倍近い」コトブキが表情を曇らせた。「ニンジャスレイヤー=サンでも足りません。合計ではダメですよね」

「隠密はここまでだな」ニンジャスレイヤーは言い、電子施錠装置を破壊すべく手をのばした。「待ってください」コトブキが制した。「LAN直結ポートがあります。やってみます。はじめますね、タキ=サン」ケーブルを装着する。「……」ニンジャスレイヤーは他の社員の接近を警戒し、見張った。

「繋ぎました。そちらからハックできますか?」『オレか? まあ、やってもいいが……中枢に近すぎる。思わぬ要因で良くないことが起こるかも。やってやれない事はねえが、他に方法があると思うぜ。多分』「早く! ハゲミナサイヨ!」冗談めかしてコトブキが叱咤した。『知らんぞ!』ブガー! ブガー! 鳴り響く警報音!

 照明が激しく赤色点滅を始めた。ニンジャスレイヤーは身構えた。ブガーブガー!『オレのせいじゃねえ! 知らねえ! どうにかしろ!』「ンンッ!」コトブキは慌ててLANケーブルを引き抜く。ニンジャスレイヤーは眉根を寄せた。「これは……」「わたし大丈夫です」ブガーブガー!

「イヤーッ!」もはや構わない。ニンジャスレイヤーはカラテでフスマを破壊した。「行くぞ」「はい!」ブガーブガーブガー!『忠実なるオムラ社員の皆さん! 勉強会を中止し、エマージェンシー・プログラムに移行しなさい。飛来物を検知。回避不能な。2分後に当要塞第六エリア付近に着弾な』

「これは! 攻撃? 飛来物だそうです!」コトブキが言った。ニンジャスレイヤーは走りながら振り返る。「とにかくこの先だ……艦橋が高年収専用エリアならば。おれの感覚も近い」ブガーブガーブガー!『着弾……備えてくださいドスエ!』KRAAAASH!「アイエッ!」震動! コトブキは転びかけた。

「問題ありません!」コトブキは壁に手を突き、先を急ぐようニンジャスレイヤーを促した。『オレは関係ねえぞ!』タキの通信。「どうでもいい! 何が起きている」ニンジャスレイヤーは問うた。『そりゃお前……なんか飛来物が来たんだよ。わかった! きっと、ナントカの虎がアレだ、ミサイル撃ったんだ!』 

「君達!?」行く手にダイカン社員がいる!「年収が足りんぞ。何故ここに居る!」社員の胸には【61000】の表示。「その……道に迷って」走りながらコトブキが言った。ダイカン社員はそれ以上問わず、迷わずアーク銃で攻撃した。BOOOM!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーが襲い掛かる!

 KRAASH! 強烈なパワード・パンチがダイカン社員の胸部に叩き込まれた。「ムン」ダイカン社員はひしゃげた胸部とエラーで乱れた年収表示を手で押さえ、悶絶した。ニンジャスレイヤーはパワード鎧の鉛めいた重さを不意に感じた。今のアーク・ショットによるUNIXシステムエラーか!

 駆動システムがダウンすれば、それは正しく動かない鎧以下の拘束具に過ぎない。「チイッ……!」ニンジャスレイヤーはバカバカしいパワード鎧を力任せに引きちぎるようにして脱ぎ捨てた。「先に行ってください!」うつ伏せに倒れた状態でコトブキが言った。「脱ぐのにもう少しかかりそうです」

 ニンジャスレイヤーは少し逡巡した。『要塞長のフレデリクセンです』放送!『飛来物はカタナ・オブ・リバプール社の突入型APC、<黒馬車>に類似のプロダクトと判明。APC内から三名の侵入者を確認。間違いなくニンジャだ。戦闘社員が対応するので諸君はエマージェント業務を継続せよ!』

「行きなさい!」コトブキが叫んだ。ニンジャスレイヤーは付近にシャッターフスマを見た。通路に放置するわけにはいかない。彼はパワード鎧のコトブキを抱え上げ、シャッターフスマを蹴りで破壊した。さいわい、中は狭い用具室だった。雑多な品々や段ボールの間にコトブキを座らせ、ひとり、飛び出した。

 今やパワード鎧の枷を解き放たれたニンジャスレイヤーは警報音の中を風めいて駆けた。「イヤーッ!」KRAASH! 会議室にダイナミックエントリーだ。「アイエエエ!?」「ニンジャ!ニンジャナンデ!?」ダイカン社員二名が悲鳴を上げる。年収は【62000】【70000】。

 ニンジャスレイヤーは燃える目で彼らを睨んだ。ダイカン社員は同時失禁し、膝から崩れた。会議室には今破壊して入ったフスマとあわせ、三つの扉がある。どちらへ……。『要塞長です。要塞は現在プラント上空に接近しつつありますが、事態解決まで待機……アイエッ』『決行する』別の声。

『君ィ! 何を勝手な! まずは安全確保……』『緊急事態だ! 社運がかかっておりますぞ』要塞長と押し問答しているのはカイル・オズモンド……ブラスハートだ!『オムラ諸君。攻撃こそ最大の防御。私と突入用社員は予定を変更せず、鉄の意志でプラントに降下を行います。しっかり業務したまえ!』

「道を……クソッ」タキに尋ねかけ、ニンジャスレイヤーはかぶりを振った。そして閃いた。彼はダイカン社員らを見た。「アイエッ!」「ちょっとやめないか。命だけは」ニンジャスレイヤーがツカツカと歩み寄ると、彼らは同時再失禁した。「だいたい年収幾らだね! 私たちのほうが……アイエエエ!」

「降下部隊はこのあと何処に向かう」ニンジャスレイヤーはダイカン社員のパワード兜のチューブを掴んだ。「言え」「アイエッ! 止めたまえ! 話せばわかる……アイエエエ! わかった! 言うとも!第二飛行甲板(フライトデッキ)だ! そこから彼らは……命だけは!」「どのフスマだ!」「あっちです!」

「イヤーッ!」KRAASH! ダイカン社員が示したフスマをトビゲリで破壊、前転着地すると、そのまま勢いを殺さずにニンジャスレイヤーは走り出した。カタナ・オブ・リバプールの襲撃ニンジャになど用はない。それはどうやらブラスハートも同じだ。奴が地上へ降下すれば接近は難しくなる!

「イヤーッ!」KRAAASH! 更に通路突き当りのフスマを破壊し、ニンジャスレイヤーは高年収限定エリアを離れた。たちまちアシガル社員がアーク銃やオムラガンを向けて叫んだ。「いたぞ! カタナの社員だ!」「社敵!」BOOOM! BLAMBLAMBLAM!「イヤーッ!」「「グワーッ!」」

 パワード鎧を蹴散らし、走る! ニンジャスレイヤーはタキに通信をリクエストした。「第二飛行甲板へのルートをガイドしろ!」『それなら可能だ。オレはテンサイだからな……恩に着ろよ!』「右か! 前か!」「前だ!」「イヤーッ!」KRAAASH! 更にフスマ破壊突入! 走る! 走る!


4

『危険エリアの封鎖を開始。付近の戦闘社員はエマージェント・マニュアルにしたがって業務を継続してください。デスクの下にあるキットを用いて自衛すること。ソーシャルハックは自身の命を犠牲にしても防ぐこと。それがオムラです』

 赤点滅するボンボリに照らされる通路を足早にゆく武装社員の群れ。パワード鎧姿のアシガル社員たちを率いるのはダイカン社員が一名。そして、鎧を着ていないビジネススーツ姿の丈高い男……カイル・オズモンド、すなわちブラスハートである。「協力に感謝する」歩きながらブラスハートはダイカン社員に言った。「今回の攻撃は絶対に決行する。遅延は許されん」

 DDOOOM……侵入者がプラスチック爆弾でも使用したか、震動が伝わってきた。この通路は危険エリアを通過する。「我が社が……!」「敢えて言っておくが、ナスカ攻撃はクラバサINCと御社がWINWIN関係を維持できるかどうかの瀬戸際だ」ブラスハートは強調した。「優先順位を考えられよ」

「存じております」ダイカン社員は頷いた。ブラスハートは要塞長と対等の関係にあり、ダイカンごときの意見で二大メガコーポの関係性に影響が生じればケジメでは済まされない。年収表示が無くともそれは自明だった。「士気を高く持ちたまえ、諸君。最大の社敵はナスカにこそ居るのだから!」

 パウー! パウー! 警報音と照明は、通路脇に待機するオムーすらもエマージェントに彩る。「頑張って殲滅しよう!」ぎこちないオムラ式敬礼をするオムーの横を足早に通り過ぎたトルーパー達は、やがてスロープを降り、陽の光の下に出た。第二飛行甲板だ。

「ドーモ、カイル=サン」飛行甲板管理社員がかしこまってオジギした。彼の隣には「効率と安全の両立が必須自己責任」と威圧的にショドーされたノボリ旗がある。「スタンバイ状態です。完全に問題ありません!」彼が示した先には複数の鬼瓦輸送ヘリが熱蒸気を噴射し、整備社員が赤灯を振っていた。

「安全確認!」「前後良い! 左右良い! 上下良い!」「ウケテミロ!」「ウケテミロヨロシク!」「ウケテミロアリガトゴザイマス!」パワード鎧のアシガル達が機械めいた精密動作で列を作り、ゾロゾロと乗り込んでゆく。地上から射出されたと思しき対空ミサイルが白い斜めの筋を引いて空に抜けていく。

「既に対空砲火射程内です! キアイ!」「キアイウケテミロ!」「キアイウケテミロヨロシク!」エマージェント伝達を叫び合う社員たち。浮遊要塞のような巨大な体積をカバーできる電磁バリア発生装置などこの世には存在しない。しかしメガスゴサの物理装甲は極めて強いとされており、キアイがある。

「乗り込み急げよ! キアイ!」誘導社員が赤灯を持った腕を激しく回転させる。「想像以上に地上からの攻撃が激しい……!」ダイカン社員が呻いた。「然り。要塞へのニンジャの強襲と地上戦力は連動しているのだ」ブラスハートは強調した。「我が社の利益を理由にゴリ押ししているわけではないとご理解いただける筈」ブガー。『エマージェントな! 航空戦力が防衛網突破!』

 キイイイイ……! 耳をつんざくジェット音を伴い、頭上を攻撃機が横切った。要塞の弾幕を突破してきた機体である!「アブナイ!」ダイカン社員はうつ伏せに伏せた。アシガル社員達は兜の中で必死の形相を浮かべ、しかし整然と整列搭乗を続ける。攻撃機は甲板へミサイルを発射! ナムサン! 

「アイエエエエ!」ダイカン社員がうつ伏せ状態で悲鳴をあげた。アシガル整列社員は死を覚悟した。ブラスハートはミサイルに向き直った。そして無雑作に跳んだ。「イヤーッ!」彼は空中で両手をひろげ、ミサイルを待ち構えた。白く濁った目が光った……「ムテキ!」KA-BOOOOM!

「なッ!?」ダイカン社員は吹き抜ける煙の中で目を見張った。ブラスハートは無傷。ビジネススーツすらも無事だった。着地した彼の身体に真鍮色のパルスが走ったように思われた。彼はダイカン社員のもとへ歩いてくる。その後ろで、爆発エネルギーは不可解にも火球状に空中で凝固し……跳ねた! 火球は天高く舞い上がると、ミサイルを撃って離脱する攻撃機めがけて飛翔した。

 ……KRA-TOOOOOOOM! 攻撃機は火球を受け、花火めいて爆発四散した……!「アイエエエエ……!?」ダイカン社員は目を剥いた。彼に手を貸し、立たせた時には、既にブラスハートはニンジャ装束姿であった。

「当然ながら私はニンジャだ」ブラスハートはダイカン社員に言った。「い、いまの……跳ね返し……」「リフレクティブ・ムテキとでも言っておこう。ニンジャは初めてか?」「アイエエエ……」「ゆくぞ。ただついてくればそれでいい。私一人でプラントに立ち入れば二社協定の侵害となるゆえ」

 ブラスハートに促され、ダイカン社員は半ば失禁しながら輸送機に走っていった。既にアシガルの搭乗は完了し、ローターが回転を始めている。「……」ブラスハートは彼に続かなかった。かわりに、後ろを振り返り、「来たか」と呟いた。要塞内から炎めいて走り出てきたのは赤黒の影だった。

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」わけもわからず防衛行動を取ろうとするオムラ社員達を跳ね飛ばしながら、赤黒のニンジャはブラスハートに一直線に向かってくる。00101……ブラスハートはコトダマ視界と物理視界を重ねあわせ、ニンジャスレイヤーの名を読み取る。

 ブラスハートは常に頭上のキンカク・テンプルに照らされている。電子ネットワークの流れを視認し、強い存在を知覚する。即ち「第三の目」である。彼は要塞内に存在する奇妙なニンジャソウルの蠢きを既に感じていた。それがオムラ社員でないことは明らかだった。そしてカタナ社員でもない。

「ムテキ!」彼は両手を広げ、真鍮のバリアを張り巡らせた。そして先手をうってアイサツした。「初めましてニンジャスレイヤー=サン。ブラスハートです」「!」ニンジャスレイヤーはスライディングめいてブレーキし、アイサツを返した。「ドーモ。ブラスハート=サン。ニンジャスレイヤーです」

「イヤーッ!」オジギ終了からコンマ1秒、ニンジャスレイヤーはスリケンを投擲した。ブラスハートは正眼のカラテを構え、直進する。スリケンがブラスハートを捉えた。真鍮のパルスが彼の身体から跳ね散ると、スリケンはニンジャスレイヤーのもとへ飛び戻った!「ヌウッ!」

 ニンジャスレイヤーは己が投擲したスリケンをギリギリで躱した。「イヤーッ!」そこへブラスハートの直線的なカラテパンチが襲いかかる!「グワーッ!」強烈な一撃! ニンジャスレイヤーはコンクリートを転がり、回転受け身でカラテを構え直した。「となれば、貴様が」ブラスハートは言った。

「サンズ・オブ・ケオスのニンジャどもをつけ狙う存在……貴様がそうか。ニンジャスレイヤー=サン」ブラスハートは濁った目で、眼前の敵を見た。「私を嗅ぎ当てたか。そうか」「……貴様に用がある」ニンジャスレイヤーは言った。「サツガイという男を知っているな」

 DOOOOOM……爆発音と震動。地対空交戦の真っ最中なのだ。ブラスハートはさして意に介さない。彼は輸送機のダイカンに通信した。「そこでしばし待て。邪魔が入った。排除する。……ああ、まあそうだ。カタナ社のニンジャだ。待機しておけ」通信遮断。「サツガイについて知りたいのか?」

「貴様は二度サツガイに接触した」ニンジャスレイヤーは言った。「サツガイの居場所を吐かせる」「哀れだな」ブラスハートは言った。「サツガイの噂を耳にし、己も祝福に預かりたいが、それも叶わず……といった手合いか。だとすれば愚かだぞ。あれは確かにニンジャの元へ予告無く現れ、新たな力を授けるが……」

「殺す」ニンジャスレイヤーは言った。「サツガイを殺す」「……殺す?」ブラスハートは不審げに目を細めた。「あれを?」「貴様が知る事を全て吐き出させる」ニンジャスレイヤーの腕先に黒い炎が走った。「エゾテリスム……デシケイター……他の連中と同様にな」 「無知とは、かくも……」

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは瞬時にワン・インチ距離まで踏み込み、連続攻撃を繰り出した。「イヤーッ!」ブラスハートは打撃に対応する。「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」チョップとチョップが喰らい合い、二者は鍔迫合いめいてチョップを挟んで睨み合った。

 ブラスハートはニンジャスレイヤーの憎悪を視認し、その身を循環するカラテを、飛行甲板に渦巻く0と1の風を、頭上にキンカク・テンプルのおそるべき光を、遠く蠢く影を感じる。サツガイの再度の祝福がもたらしたのは新たなジツではない。彼は世界に繋がり、世界を知った。それが第三の目なのだ。

「サツガイは……うむ……蒙昧な者には神の喩えでもよかろう」ブラスハートは言った。二者は睨み合い、チョップに力を注ぎ込んだ。カラテの相克によって彼らの踵は火を噴き、 足元のコンクリートに放射状状の亀裂が拡がった。「神は殺せはしない」「神? 知った事か」ニンジャスレイヤーは言った。

「その憎しみに興味を持つ者もいような」ブラスハートは言った。そして冷たく付け加えた。「俺でなくば!」「イヤーッ!」KRAAASH! コンクリートが爆ぜた。二者はタタミ三枚距離に飛び離れ、再びぶつかり合った。「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」

「あれは、殺すべきものではない……!」ブラスハートはニンジャスレイヤーの脇腹に拳を叩き込む!「イヤーッ!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは構わずブラスハートの胸に拳を叩きつける!「「グワーッ!」」二者は再びタタミ三枚距離に弾き飛ばされ、着地し、再びカラテを構え直した。


5

 飛行甲板上は高高度の強風がひっきりなしに吹き、今や警報音に飽き足らず、爆発音やロケット飛翔音が溢れていた。ニンジャは睨み合う。ブラスハートのカラテには懐へ踏み込む事を躊躇わせるアトモスフィアがある。白く濁った瞳は謎めいている……。

「ムテキ!」ブラスハートが両手を広げた。たちまちその身体が真鍮色の輝きに包まれた。ニンジャスレイヤーは訝しんだ。(((ムテキ・アティチュードの亜種か!))) ナラクが驚嘆した。(((フン……これは秘されたワザといってもよい……此奴はイージス・ニンジャのソウルを有しておる。注意せよ、アーチニンジャだ! 間違い無し!)))

 憑依ソウルに一貫したジツ。即ちサツガイから得た力が別にあるということだ。ニンジャスレイヤーは前傾カラテ姿勢の間合いを保ち、円を描くように隙をうかがう。(((イージスはオリンポス聖域の盾持ちをつとめたニンジャだ。融通の利かぬ愚か者であったときく。そのムテキも頑ななものだ)))

「来んのか?フン」ブラスハートは目を細めた。「俺のカラテを警戒しているか」(((イクサにおいてイージス・ニンジャはただ一度の使用を許された"憤怒の護り"で盾を祝福した。敵に攻撃を返す祝福だ。ただの一度。ここに欺瞞がある。彼奴は祝福が解ければすぐさま”ただ一度”を繰り返した)))

 真鍮の光がブラスハートの装束表面でバチバチと音を立てて波打つ。あれがさきほどミサイルを跳ね返し、それを撃った攻撃機を撃墜したジツだ。成る程、下手に強力な打撃をくわえればそれを利用されかねないというわけだ。「ならばこちらから行こう!」ブラスハートが踏み込んだ!「イヤーッ!」 

 来る! ニンジャスレイヤーのニューロンが燃えながら加速し、時間感覚が圧縮された。コンマゼロ数秒の間に彼は様々な攻め手を吟味した。ブラスハートは右チョップで攻撃してくる。これを手甲で防ぎ、右脇腹に打撃を繰り出す……否……それをやればその打撃がニンジャスレイヤーに帰って来る!

 自身の打撃力を返されれば次の打撃に繋げる事ができず、続くブラスハートの打撃をまともに受ける事は必定。恐るべきジツであるが……「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはすくいあげるようにスリケンを投擲! ブラスハートは避けない! 弾丸めいて飛び込んでくる!「イヤーッ!」

 スリケンは瞬間的に跳ね返され、ニンジャスレイヤーのもとへ戻って来た。敢えての行動だ。ニンジャスレイヤーは左肩にスリケンを受けた。ニューロンが火を噴いた。耐える。左半身に受けた衝撃を逆に利用し、彼は右手の大振りな打撃に繋げた。「イヤーッ!」ロシアンフックがブラスハートを襲う!

「グワーッ!」ブラスハートは強烈な打撃を受けて怯んだ。真鍮の防御はスリケン投擲によって剥がされており、ロシアンフックをムテキする事はなかった。ニンジャスレイヤーは殴り抜け、後ろ回し蹴りを繰り出した!「イヤーッ!」「イヤーッ!」ブラスハートはブリッジ回避! バックフリップ退避!

「こいつ……!」ブラスハートは大きく間合いを取り、血の混じった唾を吐き捨てた。ニンジャスレイヤーは漲るカラテに身を震わせ、その目を殺意に燃やした。そして言った。「理解したぞ。貴様の攻撃は」「実際褒めてやる」ブラスハートは濁った眼を光らせた。「……イビツなニンジャだ……妙だな」

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは畳みかける。今度はブラスハートの防戦である!「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」(((ムテキを張り直すには一瞬の間を要する。その隙を与えるべからず!)))「ソウルと対話だと? 何者だ?……ナラク・ニンジャというのか!」

 ニンジャスレイヤーはブラスハートの物言いに微かにその目を見開いた。「イヤーッ!」「イヤーッ!」KRAASH! 拳と拳が衝突した。ブラスハートは飛び離れ、横に転がるワーム・ムーブメントを繰り出しながら牽制のスリケンを連続投擲!「チイッ……」ニンジャスレイヤーは防御せざるを得ぬ!

「ムテキ!」ブラスハートは両手を広げ、真鍮の盾を張り直した。用心深いカラテだ。中腰姿勢をとり、ニンジャスレイヤーのあらゆる動きに反撃で応ずる準備を、圧力によって示す。ニンジャスレイヤーは敵を睨み、その手にスリケンを構えた。同じアプローチを繰り返したのでは通ずるまい。どう出る?

 (((さきの拳が効いておるぞ。乱れておる))) ナラクが言った。(((虚を突き、畳みかけ、葬る……カラテとは常にそうしたものよ。敵より速く、強く動くべし。それを可能とするのが憎悪だ。執着せよ。怒りに執着……何だと)))「スウーッ……ハアーッ……」ブラスハートは深く呼吸した。

 (((チャドー!? ドラゴン・ニンジャ・クランの……ヌウウッ……))) ナラクの困惑がニンジャスレイヤーのカラテのバランスを崩す。(((これはサツガイの与えた力か? コシャクな……!)))「黙れ。ナラク」ニンジャスレイヤーはじりじりと横へ移動する。

 敵の呼吸には覚えがあった。覚えがあった? 否、ニンジャスレイヤーの……マスラダ・カイのカラテは、まさにあのニンジャの科学を分解し、ぎこちなくも解釈したものだ。ヨグヤカルタ、黒橙のニンジャ……「殺」「伐」のメンポ……サツバツナイト。あの呼吸……!(((時間を与えてはならぬ。治癒が始まるぞ!)))

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはスリケン投擲! ブラスハートは跳ね返さず、側転で回避! 滑るようにワン・インチ距離だ!「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは踏み込む肘打ちを受けて吹き飛び、コンクリートをバウンドした。「イヤーッ!」ブラスハートはスリケン追い打ち投擲!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは体勢を回復しながらスリケンを投げ返し、相殺した。ブラスハートは中腰姿勢を取り、チャドー呼吸を深める。「スウーッ……ハアーッ……スウーッ……ハアーッ……」(((コシャクな! ええい……マスラダ! 休むでないぞ!)))

「イヤーッ!」「奇妙だ!」拳を打ち合わせながらブラスハートは驚嘆してみせた。「ソウルとの対話など! ナラク・ニンジャとは何者だ、ニンジャスレイヤー=サン!?」「イヤーッ!」「イヤーッ!」カラテ!「我が呼びかけに応えよ、ナラク・ニンジャ=サン! お前がこの者を駆り立てているのか?」

「イヤーッ!」ブラスハートの拳を掴み、押し返した。『コワッパ』ビキビキと音を立て、ニンジャスレイヤーの黒目が点めいて細まった。ジゴクめいた声音だった。『これは……』その手甲を黒い炎が走り、マスラダの声が混じった。「これは……おれの戦いだ……話せ……サツガイの居場所を」

「ンンン……!」ブラスハートは白濁した目を見開き、ニンジャスレイヤーを押し返す。二者の足元のコンクリートが焦げ、白煙を噴き始めた。「然り……サツガイの居場所を……俺は知っている。正確には……わ か る の だ! 次に啓示がくだる地が、何処なのかが!」KRAAASH! 足元がクレーターめいて凹む!

 KABOOOM! その二秒後、ヒュルルと音を立てて飛び来たった放物線のミサイルが、彼らの横タタミ5枚地点に着弾した。爆炎と衝撃波が彼らを吹き飛ばした。DOOOOM……DOOOOOM……飛行甲板が、否、メガスゴサ要塞が大きく揺れた。本格的な対空砲火エリアに入ったのだ。

 ブラスハートは舌打ちし、輸送機を見やった。ダイカン社員が勇気を出して身を乗り出し、必死にブラスハートを手招きしぐさで呼び寄せている。「サツガイを殺させるわけにはいかん」ブラスハートは言った。「否……どのみち不可能な事だ。お前の胡乱な突発的行動は邪魔なだけだ。邪魔の極み」

「スウーッ……フウーッ……!」ニンジャスレイヤーはうずくまるほどに前傾した。その目が赤黒に明滅し、奇怪な呼吸はふいごのように背中の炎をざわつかせた。ブラスハートは問うた。「ナラク・ニンジャ! 答えるがいい!」『儂はナラク・ニンジャ。ニンジャを殺す。オヌシを殺す者也』

「然り」ニンジャスレイヤーが言葉を吐き出した。「サツガイはアユミを殺した。そして、おれが残された。おれが!」カッと見開いた目から、赤い涙が燃えながら流れ散った。「貴様を殺し!」鉤爪がブラスハートを斜めに抉った! 真鍮の光がニンジャスレイヤーの胸を切り裂く!「サツガイを殺す!」

 可燃性の鮮血が燃えながら高く噴き上がる! だがニンジャスレイヤーはこの機を逃さない。ブラスハートは防御姿勢をとった。ムテキが剥がれ、ニンジャスレイヤーは反射によって受けた傷に構わず、第二撃を繰り出しに来る。何たる捨て鉢な攻撃か! しかしブラスハートはその軌跡を見抜いている!

 ブラスハートは必殺のチョップ突きを後ろ手に構えた。このニンジャスレイヤーの攻撃には一撃で側頭部を抉り落とすほどのカラテがこもっている。だが、研ぎ澄ました一撃は一瞬早く届く。ニンジャスレイヤーの心臓を抉り出す事ができる!「「イヤーッ!」」DOOOOM! 足場が……消失した!

 KRAACK……彼らの戦う飛行甲板足場が修復不能の亀裂を生じ、バラバラに砕け、破片と化して剥がれ、落下を始めたのである。ナムアミダブツ……それは地上よりの執拗な対空攻撃の成果であった。ブラスハートは瞬間的な状況判断で身を捻り、倒れ込みながら手を上に伸ばし、崩落部の縁を掴んだ。

 飛行甲板は要塞から迫り出した形で設置されている。キアイで防ぎきれぬ対空砲火網であった。「イヤーッ!」ブラスハートは身体を引き上げた。その場所も破片と崩れ、落下し始めた。「イヤーッ!」ブラスハートは次の足場へ跳んだ。今にも落下する破片から破片へ、彼は飛び移った。「イヤーッ!」

 空中で身を捻り、飛来したミサイルを回し蹴りで蹴り返し、軌道を逸らした。次の足場へ逆さに手をついて、彼は更に撥ねた。「イヤーッ!」空中で二回転したのち、既に飛行を開始した輸送機のスキッドに取り付いた。

「オツカレサマデス!」ダイカン社員が屈みこみ、手を差し伸べた。「トラブル大丈夫ですか?」「時間は?」「オンタイムです。問題ありません」「よかろう」ブラスハートはほとんど自力で身体を引き上げた。モータルの助けは必要としない。彼は振り返った。ナムサン。第二飛行甲板の3分の1が失われている。

 要塞周囲の空をオムラのジェットパック社員達が飛翔し、防衛行動を開始していた。DOOM……DOOOM……逆さの流星めいて、地上のナスカ・プラントから光が飛んで来る。要塞の対地攻撃システムの介入は手薄に思えた。何らかの障害。「……カタナ・オブ・リバプール」ブラスハートは呟いた。「侵入者の攪乱行動ゆえか」

「実際、貴殿もアブナイでしたね」事情を知らぬダイカン社員が頷いた。「ああ、まあな」ブラスハートは生返事をし、崩れゆく甲板残骸の中に赤黒の影の姿を探った。落下し、彼の知覚範囲を急速に離れてゆく。生きている。だが……。「万事予定通り進める。予定通り進める事が大事なのだ。わかるな」「ハイ」ダイカン社員がかしこまった。「オムラのスゴサを見せます」

 左右に他のオムラ鬼瓦輸送攻撃機が並び、隊列を組んだ。対空砲火の嵐の中、各機は粛々と降下を開始する。眼下には巨大なナスカの地上絵。ハチドリ、スリケン、オムラ雷神紋。「……うむ」ブラスハートは頷き、機内に戻った。そのとき要塞内から飛び出した飛翔影に、彼が注意を払う事はなかった。


6

 BOOOM……BOOOOM……白煙の尾を引くロケット弾や砲弾が飛び交い、爆炎や金属片がパラパラと降り注ぐなか、要塞から飛び出した飛翔体……イレギュラー個体は懸命にジェットパック噴射を制御し、懸命に、落下してゆくニンジャスレイヤーをめがけた。

「こんな事になっているだなんて……!」コトブキはジェットゴーグルの下で表情を険しくし、神秘的な地上絵と戦闘光景の対比に呻いた。「アバーッ!」被弾したメンテナンス社員がもがきながら落ちていった。コトブキは、落下するニンジャスレイヤーと目をあわせた。コトブキは手を伸ばす……。


◆◆◆


 その、10分ほど前! オムラ要塞の一角、用具室の扉がしめやかに開き、中からカワイイな二頭身キャラクターが出現した。企業マスコット、オムーである。オムーは無機質な笑顔で通路を見渡し、規則的な歩調で進み始めた。

「ウケテミロ!」「ウケテミロヨロシク!」前方からエマージェントなオムラ社員チャントが聞こえてくる。オムーは隅に寄り、動きを止めた。「ウケテミロ!」「ウケテミロオツカレサマデス!」三名のアシガル社員が通過する。オムーは手を振って、「命は、大事だよ!」とアイサツした。

『隔壁の操作を適宜行なっていくドスエ。ガンバロ!』社内マイコ音声が響いた。オムーはY字分岐路に差し掛かった。「……」顔に手をあて、オムーは数秒間逡巡した。ガゴーン! 背後で隔壁が降りはじめると、オムーはビクリと飛び上がり、振り向きながら走り出した。 

 BRATATATA! BRATATATATA!「グワーッ!」前方で戦闘音! オムーは走る速度を上げた。ずんぐりした二頭身のバランスゆえか、その動きはぎこちない。再びの分岐路。キョロキョロと見渡し、左通路に駆け込んで、壁に背をつけた。駆け足の音が近づいて来た。

 警報音が鳴り響き、赤ライトが明滅する。オムーはその場に座り込んで、動きを止めた。数秒後、足音の主が分岐路に走りこんで来た。オムラ鎧を着ていない。ガンメタルのサイバネティクス・ニンジャ装束を着たニンジャだった。装束には……ナムサン……カタナ・オブ・リバプール社の社章。

「!」カタナ社のニンジャは身構え、この異様なマスコットを注視した。オムーはピクリとも動かない。キュイイイ。ニンジャはこめかみに手を当て、何らかのスキャンを行う。もう一方の手はオムーに向けられている。オムーは動かない。「……チッ」ニンジャは別の足音を聞き、手をそちらへ動かした。

「いたぞ!」「いた!」「社敵排除!」通路に現れたのはアシガル社員達である! アサルトライフルをカタナ社のニンジャに向けるが、引き金を引くよりもニンジャの攻撃は早かった。BRAKKA! BRAKKA! 手首からスリケンが射出され、狙い過たず社員の首筋に突き刺さった。「「グワーッ!」」

「ポイント通過」ガンメタルのニンジャは座り込んだオムーをまたぎ越え、一瞬で死体となったアシガル社員を蹴り転がしてどかすと、閉まりかけた隔壁にスライディングで滑り込んだ。「……」ニンジャが行ってしまうと、オムーは苦労して立ち上がり、ニンジャと逆方向へ動き出した。

 湾曲したスロープを下った先、エレベーターが開き、新たなアシガル社員が現れた。「こちらだ!」「葉巻型爆弾が確認されています。気をつけてください」「葉巻型だと? なんだその情報は」「特異なシグネイチャー・ウェポンかと」アシガル社員たちは相互に警戒を呼びかけた。オムーを見とがめる。「あれ? オムー君?」「このエリアに?」

「……!」オムーは数秒、逡巡した。それから今来た通路を指差した。「社敵……社敵が大変だよ!」アシガルたちは顔を見合わせた。「何だと!?」「居るのか!」「警戒を!」オムーはペコペコとオジギし、入れ替わりにエレベーターに乗り込んだ。ガゴーン。エレベーター・フスマが高速で閉じた。降下が始まった。

「もう……本当にもう!」オムーは頭部に手をかけ、ズレを直した。ガゴーン。エレベーターが到着し、高速でシャッターが開いた。扉付近のメンテナンス社員が振り返った。「エッ? オムー君……?」「ハイヤーッ!」ショルダータックル!「グワーッ!」社員転倒! オムーは走る!

「な、何かが、オムー君が何か!」不意を打たれて転倒したメンテナンス社員は鎧手足をばたつかせ、うまく起きられずに悲鳴をあげるばかりだった。オムーは高い天井の空間を見渡した。目的の地点。すなわち格納庫だ。逆関節のモーターガシラ数機がスタンバイ状態。恐ろしげである。

「ンンーッ!」オムーは頭部をねじるように動かし、引っ張った。スポリと外れた。起き上がろうとしていた社員は、オムーの中からオレンジの髪の美しい娘が現れたことにショックを受けたようだった。マスコットの中に人間が入って動かしていた事は、勿論彼も推測していた筈だ。だが着脱を目の当たりにすれば、感情は動く。「な……何者!」

「オムーは仲間だよ!」コトブキは思わず言い繕った。「違う、いけません」「さては社敵! カタナ社員だな!」メンテナンス社員はピストルを向けた。「ハイーッ!」コトブキは頭部を力任せに投擲!「グワーッ!」命中! コトブキはモーターガシラの陰に走り込み、苦心して背中のジッパーを下ろす。

 ようやく巨大着ぐるみを脱ぎ捨て、黒い潜入ボディスーツ姿となったコトブキは、もはやメンテナンス社員を構わず、格納庫の奥へ走った。モーターガシラは自律式のマシンで、搭乗はできない。彼女の目的はジェットパック。要塞外殻の補修を行う社員達の装備だ。三つ目のコンテナにそれを見出した。

「これを……装備……」コトブキはハーネスを装着した。『オイ! 通信ノイズが長えぞ……どうなってる!』「急いでいます!」不明瞭なタキの音声に叫び返し、コトブキは屋内でありながらジェットパックを点火! 走りながらのジャンプで飛び立った。BLAM! BLAM! メンテナンス社員は虚しく発砲した。

「ニンジャスレイヤー=サン……とにかく合流しないと」コトブキは飛びながらゴーグルを装備から引き出し、装着した。「エッ?」ゴーグル越しに彼女が見たのは、遠く前方の虚空を落ちてゆく赤黒のニンジャの姿!「いけない!」コトブキはジェットをブーストし、格納庫ハッチから要塞外へ飛び出す!

 空へ出た彼女は激しい要塞対地上の戦闘に目をくらませた。「まるで戦争……こんな事になっているだなんて……!」コトブキはジェットゴーグルの下で表情を険しくし、神秘的な地上絵と戦闘光景の対比に呻いた。ニンジャスレイヤーの視線がコトブキを捉えた。彼は目を見開いた。「何だと!?」

 コトブキは手を伸ばした。ニンジャスレイヤーは咄嗟に伸ばされた手を掴み返した。「ンンーッ!」コトブキは奥歯を噛み締め、弾丸飛び交う空中をバイオスズメめいて旋回した。「間に合ってよかったです」彼女は言った。「どちらにせよ自力で合流する気ではいましたが……」ドオン! 対空砲弾が掠めた。

「……無茶な真似を」ニンジャスレイヤーは言った。「貴方も間一髪で墜落死ですよ」コトブキが指摘した。ニンジャスレイヤーは自力で地上に着地する手段を幾つか検討していたが、それについて理屈を言い合うのも無益だった。「わかった」彼はそれだけ言った。

「いいですか! 舌を噛まないように気をつけてください。このままあの地点へ……」コトブキはナスカ・プラント付近の小さな森林にフォーカスした。さらに何か言おうとしたが、ガゴンという鈍い音に遮られた。対空砲弾の衝突音であった。「ピガッ……!」


◆◆◆


 ザリザリ……ザリザリザリ。覗き込む顔がまず視界に入った。0と1のノイズがまだ多少残っていた。そして通常時は敢えて意識せぬ限り表示されないHUDマーカー。覗き込む男の網膜に矢印が灯り、【睡眠の不足】と出ている。男の肩越し、そこが野戦病院めいたテントだとわかる。「オッ、再起動したか」男は驚いた。

「ここは?」コトブキは質問した。「ナスカですね?」「ンン?」男は首を傾げた。口調を気にしたのだろう。「オイランドロイドにしては……」「ナスカですよね。地上に……どうしましょう!」「アイエッ! 急に動くなよ!」「平気ですよ!」コトブキは言った。そしてストレッチャーから起き上がった。「ボディ・スキャニング正常値な。ダイジョブ」

「アイエエエ!」「シーッ! ダメです。大声は」コトブキは咎め、男の肩をグッと押さえた。「わたしは自我があるので、カラテに物を言わせることもできるんですからね!」「マッタ! わかった」男は息を詰めた。

「ここはエメツ・プラント関連施設ですか? 違う気がします」コトブキはテント内に積まれた段ボール類のロゴ等から類推しようとした。シリンジ・キットに【ヤルキ・コープ】のHUD表示が被さる。毒消し錠剤の瓶には【サワタリ・カンパニー】。オムラ社やクラバサのエンブレムは見当たらない。

「ああ、その通りだ。違う」男は外を気にしながら囁いた。「なんてこった。君はウキヨなのか! しかし、嗚呼、なんてこった。結局これでは状況が変わらないんだよな……」「どうしてですか」「僕はクラバサの医者だ」男は暗く言った。「医療技術があるから、奴らに……”虎”に拉致されて、ここに」

「虎……アンデスの虎ですね」コトブキは言った。そして呟いた。「ううん、そうか……これは良いことなのか、悪い事態なのか……」「悪い事態だよ! まったく!」医者は頭を掻いた。「"虎"のニンジャは狂ってる……手下も狂ってる」彼は言った。虎のニンジャ。ケツァルカトル。コトブキは要塞内放送を思い出した。彼女は思い巡らし、しかし力強く頷いた。「何とかなります」


7

「奴らはまともじゃない」医療社員……カヤシダは外を気にしながら囁いた。「確かにオムラ・エンパイアのやり方は客観的に見て相当ひどいとは思うよ。僕も驚いてる。あんな会社に就職はごめんだね。奴らもまともじゃない。だけど虎の奴らも同じさ。現地の人間を解放する為の戦い? そんなワケあるか」

「プラント建設で家族を失ったり、追い出された人達をまとめているのでは?」「勿論そういう奴らが喜んで合流した。だが皆、後悔しただろうな。いや、狂ってしまえば平気か。悲しいね」「それはケツァルカトル=サンとかいうリーダーがひどいのでしょうか?」「ああ、そうさ。ガム食べる?」「はい」

 ガムを噛むコトブキを、カヤシダは不思議そうに見つめた。「食べ物も人間と同じなのかい」「わたしはそうですね。それで、ケツァルカトル=サンはどんな悪さを?」「ああ。奴はインヘニオ谷のエメツ鉱山が聖域であると主張している。ニンジャの化石があり、侵犯してはならない。で、侵犯者は殺す」

「ニンジャ? 化石?」「だろ? ナンセンスだ! ナンセンスな理由で人を殺す! ナンセンスな理由でイノベーションを停滞させている!」カヤシダは手を広げた。「エメツは夢の資源なんだ。オムラがおかしくたって、そんなニンジャ伝説ブルシットで何もかも台無しにされたらサラリマンはやっていけない!」

「エメツとは何なのでしょう?」コトブキは尋ねた。今までにも時折耳にする言葉だった。特に彼女のように外界から隔絶されていた者には馴染みのないものだ。「ん? 専門外の人には……そうだね」カヤシダは多少、怪訝そうにした。「ええと、月破砕年を期に世界中から産出されるようになった鉱石さ。これ」カヤシダは首飾りの石を見せた。光を一切反射せず、目の錯覚めいて黒い石だ。

「触媒、反重力、エネルギー源、移動ポータル、電子ネット。無限の可能性がある」「なぜ急に掘り出せるように?」「磁気嵐……電子的な事象が物理世界に影響を与えた副産物らしい。当時はノイズ風なんていう事件もあった。子供心に多少覚えている。月も割れた。10年経って、学者レベルでは解明も進んでいるのかな……実際に有用な資源を目の前に、結果を待ってなんかいられない」

「ミステリアスですね」「君のように自我のあるオイランドロイドの出現というのも、あの月破砕年の大異変に関係しているのかもしれないね……」カヤシダは黒い石を手に、少し考え込んだ。そういうタチの人間のようだった。「貴方はここで医療行為を?」「そうさ。だけど、きっと社が助けに来る」

「そうかもしれません」「"虎"はカタナ社の助けを得ているが、オムラの要塞まで出てくれば話が違って来る。制空権はすぐ獲られる。じきにこの地上が戦闘になる」カヤシダは緊迫した表情に戻り、「絶対に生き残って、クラバサ社に復帰してみせる」「愛社しているのですね」「他に頼れるものが無いのさ」

「ううん……」コトブキは曖昧に頷いた。オムラ部隊はブラスハートと共に降下作戦を強行した。この医療社員にとっては、彼らが頼みの綱ということになる……「オイ」テントの入り口に新たな人影。アサルトライフルをカヤシダに向け、コトブキをじろりと睨んだ。「スパイか。そいつ。何かわかったか」

「オムラとは関係がないようだ。オイランドロイドに過ぎないな。出自はよくわからないが雷神エンブレムもない」「頭を壊してニューロンチップかなにか取り出せば、どうだ」「それができる施設も無いだろう? カタナに引き渡すならまだしも」「……とにかく来い。出ろ」ゲリラ兵は二人を促した。

「何処に向かう?」「ここは危険が多い」ゲリラ兵は銃で空の巨大な影を指した。メガスゴサ。流れ星めいた対空・対地砲撃が垣間見える。「鉱山内に移動する」(ひとまず僕に任せて)ゲリラ兵の後をついて歩きながら、カヤシダはコトブキに唇の動きで伝えた。コトブキは無言で頷いた。

「神聖な場所に入れてもらえるなんて光栄だね」カヤシダは皮肉めかして言った。ゲリラ兵は振り返らず言った。「その通りだ。これもニンジャ神の恩寵であり、ケツァルカトル=サンの寛大かつ崇高な決断である」「崇高な、グッドトリップの煙とか……素敵なんだろうな?」「ややこしい言葉はやめろ」

 カビ臭い坑道を照らすのはLEDボンボリライトだ。壁にはごく最近描かれたとおぼしき蛍光チョークの壁画がどこまでも伸びている。危険なヘビめいた存在の長い身体と、ドゲザする人の列である。「どこまで連れて行く?」「聖殿の解放は異例だ。まずは儀式を行う」「儀式」カヤシダは溜息をついた。

「危害は加えないでくれ。僕がいなくなれば、困るのは君達だぞ。僕が君達何人の命を救ってきたか考えるべきだ」「それはケツァルカトル=サンがお決めになる事だ……!」オオオオン……オオオオン……坂を下るほどに、唸りが明確に聞き取れるようになってきた。風の音ではない。儀式チャントだった。

 不意に通路がひらけた! コトブキは目を見開いた。驚くほどに高い天井部。巨大な空洞だった。採掘用のクレーンや仮設エレベータ類はそのまま放置されていた。空洞の奥には急ごしらえの祭壇じみた台が組まれ、それを囲んで、ゲリラ兵たちがチャントを唱えながら、繰り返しドゲザしていた。

 出迎えた格上の者にゲリラ兵がオジギし、カヤシダとコトブキを引き渡した。その者が先導すると、兵士たちが脇にのいて道が生じた。コトブキは暗視視界で見渡す。兵士の人数は二百人弱。これで全部ではなかろうが、実際小規模。「来たか」よく通る声。台上の者の目が光った。「参れ。こちらへ」

「ニンジャ!」コトブキが呟いた。とてつもないアトモスフィアを感じたのだ。南米遺跡めいた衣装のニンジャ装束をまとったその者こそ、このゲリラの指導者、ケツァルカトルであった。「上がれ! 異邦の者らよ!」ふたりは顔を見合わせ、大人しく従って、台の階段を上がった。

 近づくと、ケツァルカトルの迫力は増し、カヤシダは脂汗を流し、震えだした。「その……儀式というのは……」「この地に非信仰者を迎え入れるには決断とディープ瞑想を必要とした」ニンジャは言った。「だがカヤシダ=サン、お前は実際、戦力として無視できぬ。護らねばならぬ。苦渋の決断だ」

「なるべく穏便に……」「飲め!」ケツァルカトルは司祭ゲリラ兵に命じ、壺から盃に液体を汲ませた。カヤシダは激しく震えた。コトブキが割って入り、「わたしが先に」と言った。「例の……落下して来たとかいう奇妙なオイランドロイド」ニンジャは目を細めた。「よかろう。貴様にも赦しは必要也」

 コトブキは目を閉じ、カヤシダが制止するのを待たず、盃の液体を口に含むと、それをグイと呷った。コトブキは口を拭った。「ハーッ……発酵したヤギミルクの類ですね。成分に問題ありません」「問題だと?」「わ、わかりました」カヤシダが慌ててコトブキの後を引き取り、盃を飲んだ。

 ひどい味にカヤシダは呻きを殺した。ケツァルカトルは己の指に傷を入れ、その血によってコトブキとカヤシダの額に丸印を描いた。「汝らは一時的にこの聖殿に留まる事を赦された」彼は手を広げ、兵士達を見渡した。どよめきとチャントが応えた。「オオオンニンジャ!」「オオオンニンジャ!」

「ひとまず助かったか」カヤシダがコトブキに囁いた。「オオオンニンジャ!」「オオオンニンジャ!」チャント! LEDボンボリの光が強まり、ひととき空洞の背後にある何かを照らした。それが闇の中に垣間見えたのはほんの一瞬であったが、カヤシダは恐慌にとらわれかけた。「アイエエエエ!?」

「これは!」カヤシダの見開かれた目の見たものを追って、コトブキもそのときそれを視界に入れた。彼女の暗視視界はより精細にそれをみとめた。岩壁に半ば埋まるようにして、ラオコーンめいた苦悶の表情で凍りつく、全長20メートル超の石化したニンジャの姿を……!

「石像、石像、石像」カヤシダは頭を抱え、うずくまって、機械的に唱え続けた。「精緻な石像。古代文明。おかしくない。俺は狂ってない、俺は狂ってない、俺は狂ってない」「大丈夫ですか!」コトブキが背中に手を当てた。「大丈夫……平気だよ……! 石像なんだ!」

「儀式は成れり! 連れてゆけ!」「ぼ……僕らをどこへ……」「地下牢だ!」繰り返されるチャントの中、連行ゲリラ兵がカヤシダの腕をグイと引いた。「謁見は終わりだ! 畏れ多いぞ!」「ア……ア……地下牢……? 僕は貢献しているはず……医療行為だって……」「設備は運び込む。問題なく医療行為させる」「彼女はどうするつもり……」

「きっと神聖娼婦に向いているだろう。オイラン医療行為だ」兵士は神がかって言った。「だめです」コトブキが言った。「自我が……自我があるんだ」カヤシダは朦朧としながら説明した。「オイランドロイドは君たちよりずっと腕力もある。殺されるだろう」「ケツァルカトル=サンの御神託次第だ。歩け!」

 カゴーン! さらなる深層まで歩かされた二人は、同一の狭い玄室に放り込まれ、鉄格子を降ろされた。そこにはフートンもない。壁にはやはり神がかった蛍光チョークの壁画があり、1秒たりとも落ち着かせはしない。「畜生。まるで留置場じゃないか」「実際捕虜ですから」コトブキは残念そうに言った。

「奴らは狂っているが……ある種の信頼関係が築かれていた……その筈だったのに」カヤシダは言った。「裏切られた気分だ。待遇は悪化した……」手で顔を覆い、思い出したようにコトブキを責めた。「なぜ君はそんな風に平気なんだ!」「大丈夫! なぜなら、わたしは一人で来たわけではないからです」

「一人ではない?」カヤシダは眉をひそめた。そして声のトーンを落とした。「仲間も……ええと……ウキヨなのかい?」「いいえ。ニンジャです」コトブキは首を振った。「きっと無事です」「ニ……ニンジャってのは凄いが」カヤシダは呑み込みきれない情報に慄きながら、「居場所がわからないだろう」

「たぶん大丈夫です」コトブキは言った。「今ははぐれていますが、最終的に目的地はこの"アンデスの虎"の本拠地になるわけですから。何故なら……」「何故なら?」「エット」コトブキは答えを飲み込んだ。この場所へケツァルカトルを殺しに来るであろうブラスハート……クラバサ社員……を狙っているのが我々なのだ、とは言えなかった。

「カイル・オズモンド=サンについてご存知ですか」コトブキはひらめいて尋ねた。「カイル=サン? カイル上級社員?」カヤシダは驚いて聞き返した。「ウチの偉い社員だよ。会ったことはないが、社内報でよく……君、詳しいんだね?」「その、オムラ要塞に同船していて……カイル=サン」

「カイル上級社員が? どうして?」カヤシダは訝しんだ。「わざわざオムラ要塞に? え……なんだかよくわからないな」「そういうものですか?」「上級社員が最前線に? 何しに? いや、君に聞いたところで答えは得られないわけだけど……」「心配の度合いが強いとか」「ううん」釈然としないようだった。

「お知り合いではないと」「そりゃあそうさ。でもいいんだ」カヤシダは言った。「とにかく突入してきた奴らに誤射される前に社員IDさえ確認させる事ができれば、どうとでもなる。我が社はオムラ・エンパイアとは同盟関係だし……ハア……」「元気を出してください」

「君の事は……どうしたものか」カヤシダは考え込んだ。「社員IDやどこかの市民権があるわけでもないし、突入部隊に保護してもらったとして、こういう時ってどんな扱いになるのか……助けてやりたいが……」「心配いりません。お気遣いありがとうございます」コトブキは頭を下げた。カヤシダは苦笑した。「ベラベラ喋る奴だって思ってるだろう。許してくれ。話の通じる相手に飢えてたんだ」

「こういう時は希望を捨てない事が大事です」コトブキは励ました。「歌を歌いましょうか! わたしは歌えますよ、何曲もおぼえています」「いい、いいよ」カヤシダは制止した。「見張りがいるに決まってる」「ほっとけばいいんですよ! ボスにお伺いを立てないと何も決められないんですから!」

 コトブキは立ち上がり、本当に歌い出した。「アー、良い電気メンテナンス、電気で……ア!」コトブキの歌が止まった。彼女は鉄格子の向こうに立つ赤黒のニンジャを見た。彼女はカヤシダを見て、にっこり笑った。「ほら、大丈夫」「随分遠くから聞こえて来たぞ」ニンジャスレイヤーは言った。


8

「ピガッ……!」対空砲弾がコトブキの肩を掠め、システム障害を引き起こした。コトブキの手がニンジャスレイヤーから離れた。ニンジャアドレナリンがニンジャスレイヤーのニューロンを加速させた。墜落……

 (((マスラダ! ウケミを取るのだ。荷も減った。好都合也!)))ナラクが教唆した。(((元来ニンジャとは天地を分かたず自由に飛翔せしもの也。星となってこの地に飛び来たりし者もある。何がそれを可能にした? ウケミだ! 前転着地により全ての衝撃を地に散らすことで、いかなる高度よりの着地であろうと……)))「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは身体を捻る!

 赤黒の影は斜めに墜ちながらキリモミ回転を始めた。推力を生み出したのはスリケンである。スリケン投擲の反動を利用してニンジャスレイヤーは回転する。これがニンジャのカラテなのだ! 一方、ぐったりとして宙を離れゆくコトブキ!「イヤーッ!」回転の中からニンジャスレイヤーは別の何かを投げた!

 ゴウランガ! それはフックロープである! まっすぐに飛んだフックロープはコトブキを捉え、巻き付いた。「イイイヤアーッ!」ニンジャスレイヤーは回転の中で力を込め、ロープを打ち振る……そして、コトブキをある方向へ投げ放った。森林だ! まっすぐに射出されたコトブキは樹木のクッションに衝突!

 ニンジャスレイヤーはロープ投擲の勢いすらも利用し、キリモミ回転の速度を増した。(((バカ! ウカツ!))) ナラク・ニンジャの罵りすらもカラテ高速回転の中で遠ざかり、流れ去る。ニンジャスレイヤーは燃えるコマと化し、螺旋状に黒い炎を散らしながら地面に衝突した。KRAAAASH!

 ドリルめいたカラテ回転体と化したニンジャスレイヤーによって地面は螺旋状に抉られ、剥かれたリンゴの皮めいた地表を衝突の後方に吐き出てゆく。ニンジャスレイヤーは深く抉りながら転がり……やがて止まった。高高度より空撮すれば、ナスカ雷神紋地上絵に斜めに傷が入ったさまが見えた事だろう。

 摩擦熱によって鉄すらも焼くほどの表面温度となったニンジャスレイヤーは、赤黒の隕石めいて、その装束を脈打たせた。「スーッ……フウーッ……」もはや無意識下でその呼吸は行われた。彼の意識は数分前のブラスハートとのイクサに飛び、そのカラテを反芻しながら、さらに遡っていった。

 (((執着せよ……マスラダ……))) ニューロンに響くナラクの声すらも今は遠い。彼はより深く潜ろうとした。邪悪なるニンジャソウルは遺憾めいた波動をニューロンに響かせる。(((よせ……くだらぬぞ……ただ執着せよ……すべてが奪われたあの瞬間に……他の記憶など不要だ! マスラダ!)))(黙れ! ナラク!)

 (((ヌウウーッ!))) ナラクが憤った。「スウーッ……フウーッ……!」マスラダは呼吸を深めた。ナラクはアユミが殺された瞬間を常に反芻させ続け、以てマスラダの憎悪の炎を力に変えようとする。だがそれはかりそめの力だ。いずれ己の身を焼き、犠牲の中に消し去る諸刃の剣である。

(手綱を握るのは……おれだ……)(((バカな!))) ナラクは邪悪なる双眸を見開く。マスラダはニューロンを加速させる。(サツガイを……殺す為に……!)(((儂が主であり、オヌシが従だ。マスラダ……AAARGH……)))

 アユミ。胸を貫かれたマスラダ。八つの刃が飛び出すスリケン。アユミは生きていた。だがサツガイによって殺された。サツガイ。マスラダは周囲を見渡した。マルノウチスゴイタカイビル3階。展示会を控えたウシミツ・アワー。ニューロンが焼ける。マスラダは耐える。「どうした? アユミ」「どうした、ッて……随分だね。ほら」アユミはフロシキ包みを差し出す。

「言われた通りの物の筈だけど。これで大丈夫?」「ああ……そうだ」マスラダは中身を確かめた。そして微笑んだ。「良かった。焦ったよ」「わたしが居たからよかったけど!」「恩に着る」「恩に着てよ」「今度飯でも奢るさ」「そうね」アユミは少し考えた。「そうだ。テンプラ」「テンプラか……」

「このビルにいいお店が出来たって。今度行こうよ」「高そうだな」「別にそこじゃなくてもいいけど」「いや、そこにしよう。店の名前を……」アユミの肩越しに、マスラダは荒地のトリイを見た。マスラダの作品があったはずのところには荒野とトリイがあった。超自然の風が吹いた。

 黒いトリイ。それをくぐり、現れた者がある。一歩。一歩。その者が足を踏み出す。キュン。キュン。キュン。スリケンが放たれた。アユミを突き飛ばし、庇う。その者のフードの奥の闇に、嘲笑う白い歯が見える。「BWAHAHA! GWAHAHAHA……!」「……!」マスラダは声もなく叫んだ。

 影は笑い続けた。マスラダの脳にその者の名が焼き付いた。

 サ ツ ガ イ。

 マスラダは発狂0100100100101001001001101黄金立方体001010001001001無茶を01000101001しやがったな、お前0100100010011マスラダを引きずり上げる。

「ゲホッ!」マスラダは0と1の海水を肺から吐き出した。「ゲホッ! ゲホッ!」「お前がニンジャスレイヤーか」彼は哀しげな目でマスラダを見下ろした。隠者めいた裾の長い衣は、鈍色にくすんだ銀だった。長い髭をたくわえ、一見老人に見えたが、深い加齢の皺は無かった。年齢のわからぬ男……。

「自己防衛……ロックされた記憶だ」隠者は身を屈め、マスラダに手をかそうとした。マスラダは自力で起き上がった。「それを無理に破り、二度あの瞬間に触れれば、お前のニューロンは無事では済まない。ナラク・ニンジャも防衛を促していた」「おれには……必要な事だった……!」マスラダは銀の砂浜を見渡しながら、「邪魔を……!」

「言っとくが、こちらとて頼まれもしない相手をそう何度も助けんぞ。次は無い」隠者はやや憮然とした。そして沈思黙考ののち、言った。「成る程。おまえも難しいところか。ナラク・ニンジャに乗り回されるままでは、それはそれで、いずれ破滅……」「お前は誰だ。ここは?」「……また、いずれ」浜辺は消えた。

 0100100100101

「ゲホッ!」己の咳でマスラダは目覚めた。土を吐き出し、頭を振って、砂を払い、歩き出した時には、再びその顔には「忍」「殺」のメンポが装着されていた。『モシモシ! モシモシ! 聞こえンのか! 返事しろ!』タキからの連続IRCリクエストがニューロンを苛んだ。『死んだのか! オイ!』

「死んでいない。要塞から落下。コトブキとはぐれた」ニンジャスレイヤーは言いながら、時間を確認した。さほど経過していない。『ああそうだ。不幸中の幸い、座標はわかる。待ってろ』やや間が空き、『……最悪。アイツの居場所は、九割、"虎" のアジトだ。座標の移動がねえな……捕まりでもしたか?』「向かう。合流する」ニンジャスレイヤーは走り出した。

『いいか、場所はインヘニオ谷のクソッたれ鉱山だ! プラントに近いが、そっちは違う。鉱山はアリの巣みたいなザマだ。入り口はクソみてえに沢山ある。どれを使うかは吟味しろ」空に浮かぶオムラ空中要塞。プラントの影。赤黒の風と化したニンジャスレイヤーは地上絵地点から丘を駆け上がり、コトブキの墜落地点である森へ分け入った。

 鉱山周辺地域は既に最大警戒アトモスフィアであった。要塞との戦闘が始まっているのだ。自走式対空砲が連なり、メガスゴサに向かって波状攻撃を仕掛けていた。星のように飛び交う弾丸。あれのひとつにやられたのだ。

 ニンジャスレイヤーはそうした中、藪から藪へしゃがみ移動して、ゲリラ兵をやり過ごしたり、カタナ社によってリバースエンジニアされた反オムラ仕様モーターガシラの目を盗みながら進んだ。彼は不穏な鉱山へ躊躇なく侵入した。ブラスハート達の目的地もこの場所だ。次は……かならずケリをつけねばならない。

「アイツを避難させるって?」「まあ世話になってるしな……」「だがここは神聖領域だ」「ケツァルカトル=サン直々のご決定だ」「ならば仕方な……アイエッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「ムン」出くわした歩哨ゲリラ兵二人を稲妻めいた気絶チョップで打ち倒し、更に奥へ!

「鉱山の地図は無いのか」ニンジャスレイヤーは通信で問うた。『あるワケねえ』タキが否定した。『クラバサ本社のサーバーをハッキングしろとでも? 伝説のユカノあたりならホイホイとやるだろうが、オレは奥ゆかしいテンサイ・レベルだ。ニンジャのスーパーパワーでどうにかしろ』ニンジャスレイヤーは通信を切り上げ、斜面を降りる。

 やがて彼は生暖かい空気の流れを感じた。そちらへ進むと、不意に通路が開けた。彼は巨大な空洞の高い位置に穿たれた穴から、見下ろした。クレーンや鉄骨が剥き出しで放置された一方で、祭壇めいたものがしつらえられている。「……ニンジャか」ニンジャスレイヤーは壇上の影を睨んだ。

 十中八九、"アンデスの虎" の首領、ケツァルカトルだ。その佇まいからサツガイ接触者の気配は感じない。彼は側近や集まった兵士達と何らかのエマージェント会話を行っている。やがて杖を振り上げ号令した。「打ち払え!」「オオオンニンジャ!」兵士は雄たけびをあげ、ぞろぞろと走り去った。

 となれば、ブラスハートを含む輸送機の連中が降下を終え、この地に入り込んで来ようとしているか。ニンジャスレイヤーは陰に身を潜め、物理時間数秒の黙考の中で、いかに動くか検討を重ねた。「……」不意に彼は、闇の奥に巨大なニンジャ存在感を感じ取った。それは死せるニンジャの化石だった。

 苦悶の表情で硬直した巨大な化石ニンジャの視線を、ニンジャスレイヤーは受け止め、睨み返した。その時である。彼はかすかに声を聴き、眉根を寄せた。それは呑気な歌だった。空洞に接する陰から身を離し、彼は声のする方向へ急いだ。


◆◆◆


「イヤーッ!」KRAASH! マスターキーめいたニンジャ握力が牢の錠を容易く破壊した。ニンジャスレイヤーはコトブキとカヤシダを解放した。「クラバサの社員だと?」「そうです」コトブキは囁いた。「その……ブラスハート=サンの件はぼやかしていますが」「奴とカイシャは関係無い」

「礼を言うよ。助けてくれて……」カヤシダは目を白黒させてオジギした。「となると、君らはアレかい? クラバサやオムラのニンジャ・エージェントかい? ケツァルカトルを直接暗殺する為に?」「違う」ニンジャスレイヤーは首を振った。咎めるコトブキを目で黙らせ、「お前のカイシャのカイル・オズモンドに用がある」

「何だって? どうして?」カヤシダは人のよさそうな困惑した微笑を浮かべた。「……」ニンジャスレイヤーは深く呼吸し、状況判断した。「……おれの大切な人間は、ニンジャに殺された。奴はその者と深く繋がっている。ゆえに、奴には用がある。カイル・オズモンド。ブラスハートというニンジャに」

「……!」「……!」カヤシダは情報の洪水に衝撃を受け、よろめいた。出まかせでない事は赤黒の瞳の重みが語っている。コトブキも息を呑み、ニンジャスレイヤーをじっと見つめる。ニンジャスレイヤーは言った。「お前は突入戦力と合流してカイシャに帰るがいい。だが、ブラスハートは帰さない」

「カイル上級社員は……確かにその……今回、不可解な動きをしているんだ。カイシャ組織的にも」カヤシダは詰まりながら言った。「彼はそもそも、このあたりの管轄ではないというか。何か事情が……あるのならば……君のその、物騒な話……なのかな、はは」「邪魔をするならば」「ニンジャスレイヤー=サン!」

「ぼ……僕はしがない医療社員さ」カヤシダは俯き、ホールドアップの仕草をして、首を振った。「エンパイアのサムライ社員のような滅私奉公は持ち合わせちゃいない……顔も見た事のない上級社員の素行の事なんて、それこそ雲の上さ」「貴方を無事に地上に送り届けます」コトブキは彼の手を取った。

 カヤシダは言葉を迷いながら、「上級社員の事はわからない。君の話は……嘘とも思えない。今言えるのは、それだけだよ」「……」ニンジャスレイヤーは止めていた息を吐き、カヤシダから目をそらした。それ以上三人は言葉をかわさず、足早に移動を開始した。BRATATATA……銃声の方向へ!

 BRATATA!「リロードするぞ!」「チクショウ!」「押し戻せ!」「ここは神聖地だ!」罵り声、銃声、破裂音。三人は祭壇のある空洞に至り、通路から戦闘の光景を目の当たりにした。迎撃に向かった兵士達はオムラの戦闘社員を押し留める事かなわず倒されたと見え、今やこの場所が戦場だった。

「ウケテミロ!」「オムラウケテミロ!」「社敵殲滅!」「イノベーション!」オムラの戦闘社員達はガスマスク兜の目を光らせ、果敢に攻めかかって、ゲリラ兵士をカタナや銃で攻撃する。ゲリラ兵も負けてはいない。「オオオンニンジャ!」「オオオンニンジャ!」カタナ社の近代兵器で迎え撃つ!

 そして……BRATATA!「グワーッ!」ゲリラ兵がひとり倒れるうちに、「アバーッ!」「アババーッ!?」アシガル社員は三人が死んでゆく! 見よ! 壇上で怒りに目を見開くケツァルカトルが、超自然力を迸らせ仁王立ちとなっている。高く掲げた両手の先に、神秘的な白いエネルギー球が生じる!

「イヤーッ!」BOOOOM! 白いエネルギー球がセンコ花火めいて光の弾丸を拡散させると、オムラ社員は鎧ごと焼かれてのたうち回り、死んでゆく!「畏敬の念を忘れし邪悪な企業戦士どもめ! 死すべし!」ケツァルカトルが吠えると、ゲリラ兵は士気を高揚させ、狂ったように敵に襲い掛かる!

 さらには、ナムサン! 照明装置が突如後方のニンジャ化石をライトアップ!「アイエエエ!」「アイエエエ!?」不都合なニンジャ真実をいきなり目の当たりにしたアシガル社員達は過剰ニンジャリアリティショック症状に襲われ、失禁しながらのたうち回る! それを狩るゲリラ兵達!「ニンジャーッ!」

「この場所にいる限り加護は無限也!」ケツァルカトルがゲリラ兵を励ます。「カタナ社の増援もじきに到着するという知らせを受けた!」「オオオオンニンジャ!」「オオオオンニンジャ!」蜘蛛の子を散らすように走り回るアシガル社員達!「い、一時撤退せよ!」「撤退!」崩れ立つ!

 後退するアシガル社員達と入れ替わるように、逆関節ロボニンジャ、モーターガシラが三機前進する!「貴方がたはオムラ・エンパイアとクラバサ・インコーポレイテッド所有の不動産に不法占拠しています。正当防衛重点」「イヤーッ!」白色カラテ球体からのカラテミサイルが回答だ!「ピガーッ!」

「スゴイ戦いです!」コトブキはニンジャスレイヤーを見た。「でも、このままでは……」「来たか」ニンジャスレイヤーは呟いた。その視線の先……悠然と空洞に進み出たニンジャの姿があった。真鍮の輝きが陽炎めいてその身を包んでいた。「……ブラスハート……!」


9

「……ニンジャか! 来おったな」ケツァルカトルはブラスハートを見下ろした。ブラスハートは目を細めた。手を合わせ、捕食者めいた眼差しで、ニンジャ大司祭を見据えた。そしてオジギした。「ドーモ。ケツァルカトル=サン。ブラスハートです」「ドーモ。ブラスハート=サン。ケツァルカトルです」

 ライトアップされた背後のニンジャ化石にも、真鍮のニンジャが怯むことは無かった。ケツァルカトルは手を打ち振って下知した。「この者に構うべからず。私が直々に処刑する!」「オオオオンニンジャ!」「企業戦士との戦闘を継続せよ! 殲滅せよ!」「オオオオンニンジャ!」

「確かに合理的です」コトブキが呟いた。「非ニンジャの方にニンジャの相手をさせれば、いたずらに犠牲が増えるばかり……」「そいつを連れていけ」ニンジャスレイヤーはコトブキに言い残し、大空洞へ進み出た。BOOOM! KABOOM! モーターガシラ増援の撃ったグレネード弾が炸裂する! 粉塵が巻き起こり、怒号、炎、悲鳴が渦を巻く! ニンジャスレイヤーの背中が煙の中に消えた。

「わかりました。ニンジャスレイヤー=サン」コトブキが頷いた。「ア……ア」カヤシダは激しさを増すばかりの戦闘に怯んだ。コトブキがその手を引いた。「送り届けます。突っ切りますよ。後衛へ!」「し、しかし……」「ここは危険です!」「これでは前が」「好都合です。わたしの視野は何種類かあるんです」コトブキは請け合い、もはや走り出した。「アイエエエ」「手を離さないでください!」KABOOOM!「アイエエエエ!」「ガンバロ!」KABOOOOM!

「ウケテミロ!」「オムラウケテミロ!」「あなたがたは不法占拠を行っている為、排除殲滅にあたりコンプライアンス問題は発生しません」オムラ兵が勢いを取り戻している。ケツァルカトルがブラスハートに集中し、殲滅攻撃が止まったからだ。BRATATATA!「グワーッ!」「アバーッ!」

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」ブラスハートはケツァルカトルの猛烈な打撃を冷徹にいなしてゆく。その合間合間に強烈な打撃を刺しに行く。「アバーッ!」またどこかでゲリラ兵がモーターガシラに殺された!「異議申し立て・遺族手当の申請窓口はネットをご参照ください」

「イヤーッ!」「イヤーッ!」チョップが打ち合う! 鍔迫り合いだ!「愚かな……企業パワーゲームに毒された無神論者め」ケツァルカトルが血走った眼を見開いた。「必ずや罰がくだる!」「神? あの死んだニンジャか? くだらんな」ブラスハートは呟いた。「あれは神ではない。ナガリ・ニンジャだ」

「何だと」ケツァルカトルは驚愕した。化石のニンジャの、秘された名であった。「俺にはわかる」ブラスハートは言った。「見えるのだ」「みだりに口に出すべからず!」「そして俺は……フン、無神論者呼ばわりは正確ではない……」ブラスハートは単打を応酬しながら言った。「神が居るとすれば……」

 KRAAACK! その時、遥か高い天井部に円く穴が穿たれ、岩石が降り注いだ。そして複数の鋼鉄のユニットがゆっくりと降下して来た。脚部ブースターを噴射しながら降りて来るそれらは、カタナ・オブ・リバプール社による反オムラリバースエンジニア機、モーターカタナである! 増援到着だ!

「カタナ・オブ・リバプール社はモーターカタナのオリジナルデザイン権利を有しています」数機のモーターカタナは旗めいて輝くKOLエンブレムを空中にホロ投射し、下のオムラ兵を撃ちまくった。BRATATATATATA!「グワーッ!」「アバーッ!」「ピガーッ!」射撃戦においては、高度こそ優位。高度こそ力だ。「オオオンニンジャ!」「ニンジャ聖戦機!」ゲリラ兵が湧きたつ!

『ザリザリ……メガスゴサ陥落……不本意……』ブラスハートの通信機が要塞からの報告を受けた。『凄腕……ニンジャ・エージェント……排除を試みているが……海上への不時着を余儀なく……ザリザリザリ』「聞こえる、聞こえるぞ」ケツァルカトルがカラテの中でほくそ笑んだ。「我らを侮ったな! 貴様は帰る場所を失った!」

「イヤーッ!」「イヤーッ!」KRAASH!拳と拳が衝突した。ブラスハートは強く弾かれ、反動で回転しながら着地した。「死ね! ブラスハート=サン! 死ね!」ケツァルカトルは両手を広げた。その頭上に白色カラテ球体が生じた。その直径、雑兵掃討に繰り出した時の、実に二倍!「裁きの炎ぞ!」

 BOOM! KABOOOM! 押し戻され崩れ立つオムラ軍を背後に、ブラスハートは独り、白色カラテ球を見上げる。ふいにその濁った目が醒め……彼自身の欲望があらわになった。「どうでもよいのだ」ブラスハートは呟いた。「俺にとって、あの要塞などハナから帰る場所ではない」「イヤーッ!」

「ムテキ!」ブラスハートは天を仰いだ。カラテノイズ音がバチバチと空を裂き、その身体を覆う真鍮色の陽炎がにわかに質量を増した。ケツァルカトルは目を見開いた。ムテキ・アティチュード? 彼は立て続けに攻撃を加えるべく、次の……BOOOOM!「グワーッ!?」ナムアミダブツ!

 ケツァルカトルは己の身に起きた出来事を把握するのにコンマ数秒を要した。巨大な白色カラテ球……しかもセンコ花火拡散弾を飛ばすのではなく、火球そのものを直接ぶつける最大火力ヒサツ・ワザ。たとえムテキしようとも、防御に費やすカラテコストは尋常ではない。二撃目で事は成る。筈であった。

 しかし今、超高熱によって焼かれ、耐えきれずに膝をついたのはケツァルカトル自身だった。己のジツを己が受けたのだ……反射……!「これ、は……」「イヤーッ!」ブラスハートが向かってくる! 通常のムテキ・アティチュードには到底不可能な瞬発力で!「グワーッ!」ケリが直撃!

 ケツァルカトルは祭壇でバウンドし、仰向けに叩きつけられる。「イヤーッ!」ブラスハートは既に天高く跳んでいた。KRAAASH!「ピガーッ!」降下中のモーターカタナ一機を苦も無く空中回し蹴りで跳ね飛ばすと、その機が手にしていたサスマタを……投げつけた!「イヤーッ!」「グワーッ!」

 サスマタの分岐刃はケツァルカトルの両手首を貫通して深々と祭壇を抉り、ケツァルカトルを仰向け状態に縫いつけた!「アバッ!」己の炎で焼け焦げた大司祭ニンジャには、もはやそれを覆す力は残されていなかった。ブラスハートは空中で二回転した後、その足元に着地した。「ハイクを詠んでも構わんぞ」ブラスハートは低く言った。そして腕時計を見た。「いい頃合いだ」

 その時である!「……イイイイヤアアーッ!」ブラスハートの斜め後方、粉塵が渦を巻き、猛り狂った赤黒の矢が飛び出した! 禍々しい螺旋状のチョップ突きがブラスハートの心臓を後ろから狙う! ニンジャスレイヤーである! アンブッシュ! 辛抱強く機を待ち、狙い澄ましたアンブッシュである!

 イージス・ムテキとチャドー呼吸。極めて厄介なこれらの組み合わせの一切を打ち破るならば、その者のムテキが解けた瞬間に致命打を見舞い、一撃で仕留めるべし!「……」ブラスハートは目を見開く。そして己の心臓部から突き出したチョップを見下ろした。「……何……?」彼は意外そうに震えた。

 ブラスハートは第三の目を持つ。ゆえにニンジャのコトダマ座標を知る。存在感を察知する。彼はニンジャスレイヤーがこの鉱山内に既に立ち入っている事を勘づいていた。否、この大空洞に既に入って来ている事にも気づいていた。慢心は無かった。だが……ニンジャスレイヤーは速かった。「……!?」

「……!」ニンジャスレイヤーはチョップ手を震わせた。ブラスハートは呻き笑った。「ハ……惜しい……ゲホッ……ゲホッ、アバッ……アバーッ!」彼は力を振り絞り、身を屈めて、チョップ手を引き抜いた。心臓摘出ならず! ほんの数インチの誤差だ!「ゲボーッ!」血を撒き散らしながら、ブラスハートは転がる!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは踏み込む! 打撃!「グワーッ!」祭壇に叩きつけられるブラスハート! 反動を利用し、祭壇の向こう側へ転がり降りる!「スウーッ……ゲホッ……スウッ、ゲホッ、ス、スウーッ……ハアーッ……」チャドー……チャドー呼吸……!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは高く跳び、祭壇を飛び越えた。ブラスハートにジャンプパンチを叩き込む!「ヌウーッ!」ブラスハートはブレーサーでガードする!「スウーッ……! ハアーッ!」「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは脇腹を繰り返し殴りつける!「グワーッ!」

 ブラスハートは祭壇階段を転がり落ちた。「スウーッ、ハ、ハアーッ……く……これは……」ブラスハートは力を振り絞り、起き上がった。「これは……いかん……」ニンジャスレイヤーはスリケンを投げる!「イヤーッ!」「ムテキ!」反射! ニンジャスレイヤーの右肩をスリケンが貫く!「スウーッ!」

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは飛び込み、殴りつける!「ムテキ!」ブラスハートは血を吐きながらムテキした。KRAASH! ニンジャスレイヤーの右拳が爆ぜた。「ヌウーッ!」だが、止めない! マフラーめいた布がパンチの勢いで翻り、跳ね……燃えながらブラスハートを打つ!「イヤーッ!」

「グワーッ!」まるで炎の鞭に打ち据えられたような衝撃に、ブラスハートは怯んだ。ムテキを張り直せない! そこへ左拳が叩き込まれた!「イヤーッ!」「グワーッ!」跳ね飛び、バウンド受け身を取るブラスハート! 血が滴り落ちる!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはスリケンを投擲!

 だが、おお……ナムサン! 投げたスリケンは狙いを過ち、あさっての方向へ飛んだ。砕けた右拳ゆえだ!「……!」ニンジャスレイヤーは右拳を左手で握り込み、己の内なる炉で燃やした黒煙を血管に注ぎ込む。傷を火によって塞ぎ、次の致命打撃の燃料を得る……命を以て!「スウーッ……フウーッ!」

「ハアーッ……」ブラスハートは中腰姿勢を取り、震えながら呼吸する。「……スウーッ……ハアーッ……」チャドー呼吸。白濁した目が明滅し、その背に次第にカラテが漲ってゆく。「スウーッ……ハアーッ……!」対するはニンジャスレイヤー!「スウーッ……フウーッ……!」対するは歪なる呼吸!

 二者の間の世界が黒く吹き飛び、互いの殺意が真正面から衝突した。ブラスハートは決して敵を侮ってはいなかった。しかし彼は己を責めた。クエスト達成の喜びが彼のニンジャ第六感を濁らせたのだ。彼はそう考えた。

 彼はサンズ・オブ・ケオスを創設し、サツガイに遭遇するニンジャの遭遇統計を取った。サンプル数は少なくともその法則性は強く、アダナス社の演算テクノロジーが分析を助けた。既に彼はサツガイに二度目の接触を果たしている。本来祝福を受けるべきニンジャのもとへ参上し、祝福を奪ったのだ。

 サツガイは存在格が不足する生命体をハッポースリケンで排除したのち、目的のニンジャに祝福を与える。だが、サツガイ出現の直後に目的のニンジャが爆発四散していれば? ……ブラスハートは手練れのニンジャであり、それを試すのは、彼にとってさほど困難な行動ではなかった。

 一度目の接触で、彼はドラゴン・ニンジャの奥義を得た。二度目の接触では、いかなるニンジャソウルの力が、あるいはジツが得られるのか? 否……ジツではなかった。彼は第三の目を得た。彼はオヒガンを見通し、サツガイを知り、キンカク・テンプルを知った。ゆえに、あと一度の接触で十分だった。

 彼の懐には「髄」があった。凝縮されたエメツ結晶が。サツガイに対し、これを用いれば……だが……!「スウーッ……ハアーッ……!」ブラスハートは呼吸を深める。だがニンジャスレイヤーもその身に力を漲らせてゆく。殺す為の力を。回復を急がねばならぬ。先にこの者を排除せねばならぬ!

「スウーッ……ハアーッ……」「スウーッ……フウーッ……!」ナムサン……お互いに身を震わせながら、ただ、ふいごで炉に火を送るがごとく、呼吸を深める。まるでそれはゼン・テンプルの相互メディテーションめいて、一見平和に見えすらする。彼らの周囲ではゲリラ兵とオムラ兵が散ってゆく。

 当事者二人にとっては、それはイアイの切り結びにも似ていた。あるいは死力を尽くしたマラソン競争にも似ていた。先にゴールを切った者……先に致命カラテを繰り出す力を取り戻した者が勝負を制するのだ!「「スウーッ!」」その時、「ア……」もがいていたケツァルカトルが恐怖に顔を強張らせた。

 彼の血走った瞳に映っているのは、連なる黒いトリイだった。そして、トリイの向こうに佇む一つの影だった。「ア……?」ケツァルカトルは痙攣した。何らかの予感が彼のニューロンを異常に輝かせていた。「ア……ア」影が動いた。彼の唇は、それまで知らなかった言葉を呟いた。

「サ ツ ガ イ」

 ニンジャスレイヤーは地を蹴った! ブラスハートは両手を突き出した!「ムテキ!」「……イヤーッ!」ニンジャスレイヤーの目は赤黒く燃えていた。彼は黒炎を吹く右手を振り上げた。時間感覚は泥めいて鈍化し、炎が身を焼く痛みが圧縮されてニューロンを苛んだ。

 (((マスラダ!))) ナラクの怒涛めいた意志は全ニューロンを焼き焦がし、マスラダの意志を主体なき憎悪に押しやろうとしていた。マスラダは抗った。抗う為に、彼は死の瞬間の無限のサイクルから、記憶の範囲をこじ拡げた。マルノウチ・スゴイタカイ・ビル。アユミ。展示。守ろうと……。

「AAARGH!」ニンジャスレイヤーの背中からイビツな赤黒い炎が迸った。その右目は大きく開かれ、瞳はセンコ花火めいてすぼまった。だが左目は悲哀を帯びて深かった。(ナラク)マスラダは内なるナラクに呼びかけた。ナラクはこの極限下にあって、屈辱と共にマスラダの指示を呑んだ。

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーの右手に巻き付いた炎の縄はビュルビュルと音を立てて跳ねほどけ、火を噴きながら、影絵めいた残像を作り出した。赤黒のニンジャの残像を。禍々しい目が憎しみをもってブラスハートを見た。残像が襲い掛かった。ブラスハートの身体は真鍮の陽炎で覆われている。

 KRAAASH! ナラク・ニンジャのチョップはブラスハートのムテキに弾かれ、吹き飛んだ。黒炎がマスラダの身体を焼き焦がした。マスラダは己のチョップの勢いを緩めなかった。ナラク・ニンジャのチョップのコンマ01秒後、ムテキが剥がれたブラスハートの肩口を、マスラダのチョップが割った。

「「グワーッ!」」ブラスハートの濁った目が苦痛に発光した。ニンジャスレイヤーも同様だった。凄まじいフィードバック。ナラクの炎を用いた、ほんの一瞬の疑似的なブンシン多段チョップ……その二撃目は確かにブラスハートの肩を裂き、肩甲骨を抉り、下へ潜り、心臓を……断った!「グワーッ!」

 ブラスハートは後ずさった!「ア……ア……AAAAARGH!」袈裟懸けに裂けた傷を押さえた。ニンジャスレイヤーはザンシンすらできなかった。うずくまり、フィードバックに耐えるしかなかった。「こんな……こんな……事は」ブラスハートは譫言めいて呟いた。彼は最後の力を振り絞った。

 その濁った眼が向いた先には、致命傷を受けながら、カイシャクされず、今まで敢えて生かされていたケツァルカトルの姿があった。そしてその背後には今、連なる黒いトリイと荒野が広がっていた。ブラスハートは絶望的に笑った。彼はほとんど祈るように、スリケンを投擲した。「……イヤーッ……!」

 スリケンは旋回し、ケツァルカトルのこめかみを貫いた。ブラスハートは崩れるように倒れた。「ハ……ハハハ……コッ、コッ、コヒューッ」彼の力ない笑いは、笛めいて呼吸器から漏れ出る息の音にかき消された。「サヨナラ!」ケツァルカトルが爆発四散した。荒野の黒いトリイをくぐって、影が、進み出た。

「嗚呼」ブラスハートの震える手は、なにか黒い塊を掴んでいる。「サ……ツ……ガイ」黒いトリイを進み出る影を見る。黒い塊を、そちらへ向ける。呼吸が止まり、びくりと震えたのち、血飛沫を撒き散らしながら、彼は爆発四散した。最期の瞬間まで彼は笑っていた。それは達成の笑みである。


10

 その者は襤褸布めいたフードを被っていた。色も、素材も、判然としない。目深に被ったフードの中は闇だった。エメツのように。ブラスハートが死に際に掲げた正体不明の石のように。ブラスハートは爆発四散したが、その石は宙に留まっている。だがそれは至極自然の現象のように思えた。

「……サ ツ ガ イ」ニンジャスレイヤーは呟いた。その名は大空洞で戦闘する全ての者のニューロンに刻まれた。BRATATA……TATA……TA……銃声が止み、誰もがそちらを向いた。モーターカタナ、モーターガシラは何らかのEMP障害を受けて動作を停止した。

 大空洞? 何を。ここは荒野だ。周囲を見渡せば、そこは360度、果てしのない枯れ野、0と1の風が吹く大地だ。そして連なる黒いトリイ。サツガイはそこから現れたのだ。彼が一歩踏み出すたび、スリケンが放たれる。八つの刃がランダムに飛び出した特異なスリケンである。キュン。キュン。キュン。

 スリケンは過たず企業戦士を射抜き、殺してゆく。キュン。キュン。キュン。キュンキュンキュンキュンキュンキュンキュンキュンキュンキュンキュン。キュン。キュンキュンキュンキュンキュンキュンキュンキュンキュンキュンキュン。キュン。キュンキュンキュンキュンキュンキュンキュンキュンキュン。

 キュンキュンキュンキュンキュンキュンキュン「サツガイ!」ニンジャスレイヤーは叫んだ。己の中のナラク・ニンジャが全血管、全ニューロンを駆け巡り、力を引き出し、身体を動かす力を搾り出していた。「サ ツ ガ イ!」ニンジャスレイヤーは地を蹴り、襲い掛かった。「……」サツガイが見た。

 キュン。サツガイが彼を認識したその瞬間、ニンジャスレイヤーの眉間をめがけスリケンが飛翔し、貫き、爆発四散せしめた……否。そうなる1秒前、ソーマト・リコールめいて鈍化した時間の中で、ニンジャスレイヤーのニンジャ反射神経は飛来するスリケンを捉えていた。

 彼はスゴイタカイビルに居た。

 アユミは流星めいた速度で射線に切り込み、飛来したサツガイのスリケンを弾き飛ばした。研ぎ澄まされたカラテだった。アユミのチョップはサツガイのスリケンを……「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはサツガイのスリケンをチョップで弾き返した。出来る。彼には出来る。

 スゴイタカイビルの記憶断片は吹き飛んだ。アユミがやったようにスリケンを弾いたニンジャスレイヤーは、サツガイをめがけ、荒野の中を走り込んだ。「……」サツガイは首を傾げた。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは跳び蹴りを繰り出した!

「……」サツガイは手を動かし、ニンジャスレイヤーの飛び蹴りを防いだ。しかし無視できるカラテではない。サツガイは衝撃によってよろめき、仰け反った。ニンジャスレイヤーは着地と同時に地を蹴り、心臓を貫きにいく。「イヤーッ!」

 マスラダの目からは、煮えたぎる涙が溢れている。「イイイヤアアーッ!」チョップが伸びる……サツガイは……手を回し、打撃をいなした。「……プッ」サツガイは微かに震えた。そして、笑い出した。「BWAHAHAHAHAHAHA! MWAHAHAHAHAHAHAHA!」

「グワーッ!」ニンジャスレイヤーはサツガイの存在格に弾かれ、荒地の土に叩きつけられる。「BWAHAHAHA! MWAHAHAHAHA! オカシイ!」サツガイは哄笑する。放射状の風が吹き、起き上がろうとしたニンジャスレイヤーを打ち倒す。「グワーッ!」「MWAHAHAHAHA!」

 サツガイは肩をすくめた。「俺を……殺す……ウフッ……BWAHAHAHAHAHA!」「貴様を……」「オカシイ! オモシロイ! タノシイ!」サツガイは手を叩いた。「貴様を……!」ニンジャスレイヤーは手で身体を支え、なお起き上がろうと力を込める。

 サツガイは宙に浮かぶエメツ塊を見た。「……」サツガイは静止した。そのエメツ塊を注視しているようだった。ドクン。エメツ塊が脈打った。「ンンッ……?」サツガイは訝しんだ。その身体の輪郭に0と1のノイズが走った。「ンンンン?」ドクン、ドクン。エメツ塊の周囲に、霞のように、灰めいた粒子がちらついた。「ンンンン!」

 キンカク・テンプルの光の下、エメツ塊を包む霞は今やはっきりとニンジャの輪郭を作り出す。爆発四散したブラスハートの輪郭を。ブラスハートはサツガイのもとへ歩み酔った。サツガイは意表をつかれたようだった。ブラスハートはエメツと共に、黒い01の流れと溶け、サツガイに吸い込まれた。

 ドクン! ドクン! サツガイは……ドクン! 大きく震えた。輪郭がささくれながら分散し、また集束した。「AARGH!?」サツガイは叫んだ。「AAAARGH! AAAAAAARRRRR……」サツガイは仰け反り、うなだれた。ニンジャスレイヤーは再び大空洞の中にある己と、サツガイと、無数の死体を見い出した。

「……フー」サツガイは長い息を吐き、フードを跳ね上げた。見慣れぬ男の顔が現れた。その者はどこかしらブラスハートを思わせた。「……事は成った」サツガイは言った。「カツ・ワンソーよ。どんな気分だ? 不服か? だとすれば不適切だな。喜ぶべきだ……俺が心臓を与えてやッ……た……」ドクン。

 ドクン! ドクン! ドクン! サツガイが収縮と拡大を繰り返す!「アバッ!」ドクン! ドクン! ドクン! ドクン! ドクン!「アバッ!」ドクン! ドクン! ドクン! ドクン! ドクン! ドクン!「アバーッ! アバババ……BWAHAHAHAHAHA! HAHAHAHAHAHAHA!」サツガイは笑い出した。

 サツガイは……ブラスハートによく似たその存在は……ひとしきり笑い終えると、やや不思議そうに己の手を見つめ、握り、開いた。サツガイは呟いた。「フウーン……オモシロイ。成る程」真鍮色の目がニンジャスレイヤーに留まった。「お前、まだ居たのか。何だっけ? お前」

「スウー……。フウーッ……」ニンジャスレイヤーは深く吸い、吐いた。サツガイは言った。「そうだ。お前は俺を探していたようじゃないか。俺の方では正直、よく覚えていないんだが……」「スウーッ……フウーッ……」ナラク・ニンジャが彼に力を供給する。今一度挑む為の力を。

 サツガイ。アユミの仇。マルノウチ・スゴイタカイビル。(カイ。私を殺して)アユミはマスラダに言った。マスラダは死ななかった。胸に穿たれた穴からは血と火が溢れているが、彼は生きていた。アユミを殺す事ができる存在として。アユミはそれをわかっていた。(貴方ならできる。今すぐ殺して)

 (((マスラダ!))) 悔恨と狂気を前に、憎悪と殺意がマスラダの精神を塗り潰す。記憶は千切れ、ニューロンの奥底へ散る。眼前に仇。サツガイ。「ドーモ。サツガイです」サツガイはアイサツした。ニンジャスレイヤーの背中から炎が迸った。アイサツを返す。「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」

「カラテ……HMMM」サツガイはやや腰を落とし、構え、ボキボキと指を鳴らした。「来い。ニンジャスレイヤー=サン」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーが仕掛ける!「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」サツガイは連続打撃を防いでゆく!「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! HAHAHA!」

 KRAAASH! 踏み込みながらの肘打ちがニンジャスレイヤーの腹を捉えた。「グワーッ!」ニンジャスレイヤーはキリモミ回転し、空洞の壁に叩きつけられた。「イヤーッ!」サツガイは更に入念に、大の字に叩きつけられたニンジャスレイヤーめがけスリケンを投擲した。八つの刃のスリケン……! 

 (((無念! 今は勝てぬか!))) ニンジャスレイヤーは目を見開く。その目が赤黒く燃え、メンポがねじ曲がった。サツガイのスリケンがニンジャスレイヤーを貫いた。「ヌウウーッ!」ニンジャスレイヤーの身体から黒炎が噴き出し、スリケンを体外へ排出した。彼は壁から剥がれ、うつ伏せに倒れた。

 サツガイはニンジャスレイヤーをカイシャクすべく、「……ンンッ」ZMZMZMZM……その身体に震えが走った。彼はよろめいた。「肉体……! 面倒な事だ!」彼は不満げに呟いた。彼は頭痛を払うかのように頭を振った。ZMZMZMZM……彼は頭を押さえた。内なる炎が大空洞を照らす……。 


◆◆◆


 二人は明かりの下へ飛び出した。取り囲むオムラ兵達を前に、カヤシダは慌ててホールドアップした。「マッタ! 僕は同盟企業の人間だ、オムラ=サン。見て!」彼は社員IDを振った。「僕はクラバサINCの……」「フーム?」兵士の一人がスキャナ棒を近づけると、棒は緑に光った。「成る程ですね」

「わかったろう? 僕は"虎"に幽閉されていたんだ。ハア……」安堵で力の抜けかかったカヤシダを、コトブキが支えた。オムラ兵が彼女を見た。「して、このオイランドロイドは?」「ああ、彼女は僕がクラバサへ連れて行きます。色々事情がありまして」彼はコトブキを振り返った。「任せて」

「わたし……」「大丈夫だ。君がひどい目に遭わないように、僕がうまくやるさ」「……」コトブキは首を横に振った。カヤシダは瞬きした。コトブキはカヤシダを優しく前に押した。「行ってください」「どうした?」「戻ります。中に」「なんだって?」「ニンジャスレイヤー=サンと合流しないと」

「何を」DOOOM……地響きが生じた。コトブキは決然と、闇の中へ走り去った。DOOOM……DOOOOM……「何……なんだこの……地震?」カヤシダはコトブキの行動を理解する間も与えられず、立っていられないほどの揺れに慄いた。「何だ?」「危険かもしれない!」オムラ兵達がさざめく。

 DOOOM! DOOOM! KRAAASH!「アイエエエ!?」地面が裂け、間欠泉めいて地下水が噴出、数名のオムラ兵が宙に跳ね上げられた。「アブナイ!」オムラ兵がカヤシダを掴み、やや乱暴に走らせる。「ここはまずい! 輸送艇まで……よろしいですか!」DOOOOOOM!「アイエエエエ!」

「コトブキ=サン! コトブキ=サン!?」カヤシダは走りながら振り返り、叫んだ。「アブナイです!」オムラ兵が咎めた。「安全が第一です!」KRAAAASH!地面が裂ける!「アイエエエエ!」SPLAAAASH! 鉱山の方向で不穏な濁流音!「走れ! 走って!」「アイエエエエエ!」


◆◆◆


「ダムシット!」タキは手近のトイ・スタチューを掴んで投げつけた。通信途絶復旧せず。「どうなりやがったんだ全く!? ッたくよォ。オレばっかり割を食って……空っぽじゃねえか」彼はケモビールの瓶を振った。冷蔵庫を開ける。無い。「しゃあねえなあ……」彼は毒づきながらハシゴを上がる。

 このハシゴが長い。だから普段は冷蔵庫にドリンクを絶やしていないのだ。「マズったな」一応、彼はUNIXデッキにリンクさせた携帯端末を尻ポケットに突っ込んである。「ま、あの疫病神も企業戦争の真っただ中にブッ込んでッてンだから、ダメだったなら運命だしな! インガオホーってもんだ」

 隠し扉を開けてトイレを通り、ピザタキに出ると、彼は無人の店内を横切った。今日は店を閉めてあった。たいした営業損害だ。「ビール、ビールチャン」タキはカウンターをまたぎ越えようとして……顔をしかめた。ブラウン管TVがつきっ放しなのだ。「コトブキの奴か? 給料から電気代差し引くぞ」

「臨時ニュースドスエ」キモノをはだけたオイランキャスターに、タキは見入った。「フーン?」オイランはホットだった。サイバーサングラスに「大変な出来事」の蛍光文字が点滅する。続いて、「イヨオー!」という掛け声とともに、字幕テロップの表示。「ナスカ消失!?」刺激的文言だ。

「アッハッハッハ」タキは乾いた笑いを笑った。「消失。ウケル」だが、高高度空撮画像が画面に映し出されたとき、彼の笑いは凍り付いた。南米大陸の西側とおぼしき海岸線に、不自然な抉れが生じている。遅れて彼は、今回のミッションの目的地を思い出す。

「待て待て待て、ハアン? 待て待て」タキは頭を掻きむしり、モニタにかじりついた。己の心臓の音で切れ切れになった音声がニューロンに入ってくる。「ナスカ・プラント隣接のエメツ鉱山……」「爆発……」「地下水……」「断裂……」「海水が入り込み……」「地上絵……」「台地そのものが……」

「御覧ください! 独占映像です!」激しく手ブレするヘリコプター映像。「大きさ……わかりますでしょうか! あのですね」リポーターは混乱の極みにあると見え、タバコの箱を画面前に持ってきて説明した。「タバコがですね、これで、あの、見えますでしょうか? 異変の地に、あの、大きい!」

 確かにそれは、砕けた大地を満たす濁った水に腰まで浸かった……非現実的なサイズの……「人……大きい……いや、あれはまるで……ニン…アイエエエエ!? ニンジャナン」ブツン。映像がスタジオに戻って来た。「アイエエエ!」オイランキャスターは泡を吹いて仰け反った。コマーシャルが始まった。

「パパー、今日もお肉が無いの?」「ハハハ、我が家の大君主くん! 見て御覧なさい」パパはサラダボウルにタンパク質チップをザラザラと入れ、ケチャップをかけた。「デジタル・プロテインでパワーケミカルさ!」「やったあ! バッファロー味だ!」「もはや肉よりも高級。ポブチャ社のプロチップ」

「タダイマー……ンまあ! それ、ポブチャ社のプロチップ、バッファロー味ね?」「ダーリン、おかえり。どうしたんだい。アッまさか、君もプロチップを……?」「大丈夫よ。私はターキー味を買って来たから」「流石ママだぜ!」

「ファック!」タキは踵を返し、トイレに戻る。ゴミ箱が倒れた。 「クソが……!」タキは息を弾ませ、大慌てでハシゴを降りてゆく。「あのアホども、何やらかしやがった。どうしようもねえ。さすがにありゃ死んだだろ……クソどもが」ハアハアと息を吐く。「チクショウ、こんな嬉しい事はねえぜ。狂ったニンジャ野郎もアホなウキヨも金輪際オサラバだ。クソが」

 SMASH! UNIX室の床のジャンク類を蹴散らし、タキはUNIXキーを繰り返しヒットした。IRC画面遷移!「遅せえンだよ! クソポンコツが!」コール!「応答しろ!」コール!「どうなってやがる!」コール! コール!「……!」タキはUNIXデスクを殴りつけ、声にならない悲鳴をあげた。


◆◆◆


「ダイタチ・メガミ号」は黒漆塗りの船体と大がかりなウキヨエ・デコレーションを自慢とする遠洋漁船で、ガラパゴス諸島のイサベラ島を給油拠点としている。彼らは黒いダイヤと言われるマグロを獲る為に、極めて過酷な長距離航海を行う。ゆえに、故郷への帰還を前にした船員達は浮ついていた。

「ヨーヨー、どうしたってんだ一体」腹を掻きながら、デイビス船長は甲板に出てきた。人だかりを見て、顔をしかめる。「まだパーティーやってんのかテメェら! オラッコラー!」赤ら顔で怒鳴ると、人だかりはビクリと反応し、怯えた顔で見つめた。船長はゆっくりと笑顔になった。「俺も混ぜろ」

 船員たちは安堵の笑みを浮かべた。だがやはりまた緊張する。「船長。アレなんです」一人が駆け寄り、恐る恐る伝えた。「アレがかかっちまいまして」「何だ」「死体が……」不吉!「バッカヤローテメッコラー!」船長は船員を殴りつけた。「なんてこった! オンライン祈祷師に繋がねえと……」

「急いで繋ぎます!」船員が走っていく。デイビス船長は舌打ちし、人だかりを押し退けた。「ッたくしょうがねえな! あとは帰るだけだろうがよ、俺たちはよ! 無駄な漁業をするんじゃねえ!」「だって船長、めちゃくちゃ魚がいるから……」「ああ。まあな。ニュースのアレで、魚も驚いてら」

 船長は跳ねまわる魚の中に転がされた死体に屈みこんだ。「どこのドザエモンだ? こんな海の真ん中でよ……」「密航者じゃないッスか? 海賊に殺られたとか……」「さァーて」デイビス船長は水死体のありさまを思い浮かべ、心の覚悟を決めて、死体を裏返した。「……何だ? 綺麗なもんじゃねえか」

 然り。それは醜く膨れ上がった腐乱死体ではなかった。ただ、赤黒の装束が気がかりだった。あまり見ない服装だ。「こいつは……オイ。まさか」生きている? デイビス船長が疑ったその瞬間、死体はカッと目を見開いた。「アイエエエグワーッ!?」死体は、悲鳴をあげかけた船長の首を掴んだ!

「「「アイエエエエエ!」」」船員が散った。「蘇りだ!」誰かが叫んだ。「ヤバイ!」「コッ! コホッ!」船長の目が血走り、窒息寸前だ。彼は掴む手をタップした。「……何処だ」死体は問うた。否、もはや明らかだ。死体ではない。生きている!「コホッ」船長はタップを繰り返す。手が緩んだ。

「ゲホゲホッ! 何処って……」「ここは。何処だ」「ゲホゲホッ! 見、見ての通り、船だろうがよ! クソッ!」デイビス船長は銃を携帯しなかったことを後悔した。赤黒の装束を着た男はしなやかな猫めいて跳ね起き、身構えた。混乱が甲板を支配した!

「何処の船だ」男は重ねて尋ねた。「何処……シトカだ」デイビス船長は咳き込んだ。船員の一人がテキーラを差し出す。それを呷り、殴りつける。「バカ野郎! 酒じゃねえか!」「シトカ?」赤黒の男は訝しんだ。船長は恐慌から徐々に生来のタフネスを取り戻す。「だからシトカの船だ、つッてんだよ。ここはガラパゴスだ。これからはるばる北へ北へ帰るんだよ! それなのに……お前こそ何処から来た?」

「……」赤黒の男は……ニンジャスレイヤーは……マスラダ・カイは、崩れるように腰を下ろし、その場にアグラした。船員たちは無言で目を見合わせた。「お前……」デイビス船長は恐る恐る話しかけようとして、悟った。アグラ姿勢で、彼は俯き、そのまま気絶していた。


【オラクル・オブ・マッポーカリプス】終わり。

【エイジ・オブ・マッポーカリプス】本編シーズン1、ここに終わる。


→ インタールードA【エリミネイト・アナイアレイター】

→ インタールードB【ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル】

→ シーズン2 第1話【コールド・ワールド】



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