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【フェアウェル・マイ・シャドウ】

◇総合目次 ◇初めて購読した方へ

この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードの加筆修正版は上の物理書籍に収録されています。また第2部のコミカライズが、現在チャンピオンRED誌上で行われています。


註記:本エピソードは同じロンゲスト・シリーズのニチョーム・ウォーとのザッピング形式で書かれ、2アカウント同時並行連載が行われました。またTwitter連載時の終盤クライマックスでは、3個目のアカウントも同時に運用し、合計3チャンネルでの同時連載演出を行いました。このため、ニチョーム・ウォーとの重要なザッピング箇所や、第3アカウントによる乱入エリアでは、このような引用カコミの形で注釈が入っています。




【ロンゲスト・デイ・オブ・アマクダリ

10101526:

フェアウェル・マイ・シャドウ】





  ……噫! 生は我が牢獄! ニンジャソウルは我が呪い! 




 重金属酸性雨。ネオサイタマの夜を往く、黒塗りリムジンの列。車中にはアマクダリ・セクトの若き首領、ラオモト・チバ。その側近ネヴァーモア。そしていささか離れた場所に、執事アガメムノン。 
  
 緊急IRCアラートが鳴るのとほぼ同時に、黒い隕石めいた何かが、最前列のリムジンへ墜落した。爆発と火柱が上がった。チバは大きく目を見開き、グンバイを握った。ネヴァーモアは拳を握り、誰よりも早く車外へ飛び出した。そして見た。もつれ合い、狂乱めいたカラテ交戦状態にあるニンジャ達を。 
  
 影の竜人めいたその異形のニンジャは、爆炎に照らされながら、穴だらけの大翼を広げ咆哮した。そして鉤爪を備えた両腕で、交戦中だった片方のアマクダリ・ニンジャの胴と頭を掴み、掲げ、ねじ切った。「サヨナラ!」ウカツにもチバを危険に晒したこのサンシタは、セプクの代わりに爆発四散した。 
  
「ARRRRRRRGH!」影の竜は、己にカタナを突き刺したもう一人のアマクダリ・ニンジャを睨めつけた。所属不明のこの異形ニンジャに対して軽率にも攻撃を仕掛け、このリムジン列に墜落させることになった、もう一人の愚かなアマクダリ・ニンジャを。そこへ、ネヴァーモアが殴り掛かった。 
  
 たちまち、狂犬と夜の怪物は正面きっての熾烈な殴り合いを開始した。怪物はシャドウドラゴンと名乗った。「カス札どもが……!この僕を危険にさらしおって!」チバは遅れて届けられたIRCログを見ながら、後部座席で歯ぎしりした。「ザイバツ撤退で浮かれたクズどもが多い!引き締めが必要だ!」 
  
「その判断を支持いたします。アマクダリは次の段階へと進む時です」アガメムノンがドアに手をかけ、席を立ちながら言った。「ネヴァーモアだけでは無理なのか?」チバが問うた。リムジン爆煙の向こうでは、影の嵐めいた凄まじいカラテ戦闘が続いていた。「あれは手に負えませんな」 
  
 殴り合いは一方的殺戮へ変わろうとするところだった。ジツで影を縫われた狂犬は、闘士彫像めいてその場に凍りつき、顔面にカラテを叩き込まれていた。その時、アガメムノンの指先からデン・ジツが閃き、怪物を三度打った。アーク放電の火花が散った。だが影は雷を拒み、怪物は蹌踉めいただけだった。
  
 再び狂犬の怒声が聞こえた。殴り合いが再開されたのだ。チバはグンバイを握る手にベットリと汗を滲ませた。直後、車内のUNIX画面がホタルめいて明滅して消え、電力が失われた。その停電は、ビルの配電盤に触れるアガメムノンから、同心円状に広がっていた。そして強大なデン・ジツが放たれた。 
  
 放電の矢の一本が、影の鎧を貫き、シャドウドラゴンの頭部に刺さった。それは倒れ、獣めいてもがいた。アガメムノンは表情読めぬ笑顔を浮かべたまま、つかつかと歩み寄った。彼の白スーツには些かの乱れもなかった。彼は竜人の横に立ち、五本全ての指からその頭部へと、情け容赦ない放電を行った。
  
 何事か呟きながら、アガメムノンは放電を止めた。シャドウドラゴンはピクリとも動かぬ。だが未だ息があった。執事はこの怪物を殴り殺さんと大股で歩み寄る血みどろの狂犬を“制止”し、笑顔でチバの車へと戻った。「なぜ始末せん」「私が調律します。貴方にはもう一人ほどボディガードが必要だ」 

  
◆◆◆

 ラオモト邸。暗く広大なワンハンドレッド・タタミ部屋。スポット・ボンボリは、紫ベルベット玉座で足を組むラオモト・チバ、そして彼の左右に威圧的に立つネヴァーモアとシャドウドラゴンだけを、朧げに照らし出す。他には誰もいない。カモイに掛けられたUNIX時計の時刻は10101526。 
  
 葉巻をくわえたチバは、コマンド・グンバイ上にホロ投影される3D球状モニタを見ていた。そこに表示される無数のIRCアラートを……システム警句を……そしてアルゴスからの緊急報告を。このわずか三十分足らずのうちにアマクダリ・セクトという支配システムが受けた、強烈なショックの爪痕を。
  
 チバは右を見た。ネヴァーモアは平時のように、厳めしい表情のまま不測の事態に備え続けている。十二人がたとえ何人ニンジャスレイヤーの手に掛かって殺されようとも、この狂犬は取り乱さない。この狂犬は戦略的な視野で物事など見れない。主君チバが平静を保つ限り、この狂犬は鳴りを潜めている。
  
 次いでチバは左を見た。シャドウドラゴンもまた、命じられた通り沈黙を守り、侵入者に備えるべく直立不動の姿勢を取っている。だが、何かが平時と異なっていた。その影の体表は、しばしば細波めいて揺らめく。黒い顎がしばしば開かれ、あたかもハイクを唱えたがっているかのように、小さく唸る。 
  
 この怪物は稀に、謎めいたハイクを詠んだ。初めてチバがそれを聞いたのは、サツバツナイトなる謎のニンジャがアマクダリ勢と交戦した時のことだ。アガメムノンの電撃によってマシンめいて規律正しい従順さを与えられたこの怪物が、命令に対する応答以外の何かを口走るのは、それが初めてであった。
  
 その度、影の獣は再調律を施された。あたかも、メモリ不全を起こしたUNIXを再起動するかのように。そして今夜、彼はまたハイクを詠んだ。掲げられた忍殺旗の群れに対し、荒々しい唸り声とともに。(((……夜モ破レ/明クル墓標ニ/黒キ陽ノ花……)))そして今夜、アガメムノンは居ない。 
  
「アルゴスの報告を聞いたな?YCNANの手によって天下網から機密データが外部転送された。アマクダリの支配を根幹から揺るがしかねぬデータだ」チバが舌打ちする。「転送先のIP座標はネオサイタマ。詳細を解析中」チバは左右を一瞥し、短い思案の後に命じる。「シャドウドラゴン、出撃しろ」
  
「そのような命令は受けていません」シャドウドラゴンはAIめいて応えた。「ここでの護衛のみを命じられています」「相変わらず融通のきかん奴だな。……タイムイズマネー!緊急事態下だ!お前は未だアクシス所属でもあるだろう」「ハイ」「緊急対応プロトコルに照らし、アクシスとして出ろ」 
  
「了解しました」シャドウドラゴンは高く跳躍した。そして天窓の防弾フスマから、ラオモト邸のカワラ屋根の上へと消えた。アクシス専用の高速輸送ヘリ編隊が、シャドウドラゴンや他のアクシス構成員をピックアップしIP座標まで輸送すべく、冷酷なローター回転音とともに飛来してきていた。 
  
 ワンハンドレッド・タタミ部屋のスポット・ボンボリは自動でひとつ消え、チバとネヴァーモアのみとなった。これにて、ラオモト邸に残るニンジャはネヴァーモア独り。他の待機状態アクシスについては全て、このシステムショックに対処すべく、あるいはニチョーム包囲戦を重点すべく、札を切った。 
  
「オニヤス、解っているだろうな」チバは、葉巻の煙を吹きながら言った。その目は笑っていた。「僕は今、丸裸の状態だ。お前が僕を守れ」「ハイ」「アマクダリは勝つ。負けるわけにはゆかぬ。そして僕も死ぬわけにはゆかぬ。たとえセクトという機構が、もはや僕を必要としていないとしてもだ」 
  
「何が来ようが、ブチのめすだけです。ラオモト=サン」ネヴァーモアはチバの横に立ち微動だにせず、真正面を見ながら応えた。「それでいい、ネヴァーモア」チバは満足げに煙を吹かした。そしていささか自嘲気味に言った。「総力戦が始まるぞ。ここは蚊帳の外になるかもな。お前は退屈するだろう」
  
「だが僕は必ず勝ってみせる。だから最善手を打ち続ける。そうしなければ僕はアマクダリを失う。アガメムノンめ、忌々しい奴だ」チバは再びグンバイを操作し、セクト首領の顔に戻る。IRC定時連絡が近い。チャネルを開く前、最後にチバは天窓を仰いで言い捨てた。「あれは、おかしな奴だったな」


◆◆◆


『ユンコちゃん、聞こえる!?』『アイ、アイ』違法改造モノバイクに跨がってハイウェイを疾走するオイランドロイド全身義体のサイバーゴス少女が、ナンシー・リーからの緊急IRCを着信した。後方からはハイデッカー武装車両による執拗な追跡を受けている。 
  
 ZOOOOOM!モノバイクは車両と車両の隙間を縫うように走り、追跡を回避。アマクダリ・アクシスは各所に散り、現在ユンコはノーマークでネオサイタマを動き続けている。『世界の命運を賭けた機密データがアクシデント送信。アマクダリより先にそれを奪取。了解?』『ファッキン・クール!』 
  
『物理アドレス送信な』『イエッサー!』ユンコ・スズキはゴーグルを下ろした。LANケーブルウイッグがハイウェイの乱暴な風に揺れた。AIシステムに物理アドレスが入力される。『ャー都会カルチ……!』マンション名と最短経路が視界ナビに示されると、ユンコはハイウェイから飛び降りた! 
  
 ギュゴムン!違法改造モノバイクは直下の交差ハイウェイへと着地し、バウンド。その衝撃で「忍」「殺」フラッグが何枚か積荷箱からこぼれ、風に乗って飛んでゆく。「アイエエエエエエ!」ユンコは予想以上の着地衝撃に、慌てて車体バランスをLAN制御した。『大丈夫?』『ちょっとヤバかった』 
  
『人使い荒くてごめんなさいね』『たくさんお給料を貰わなきゃ』『いつになく楽しそう』『最高な電波をバラ撒いてるから!』バイクは再加速する。データ立方体の転送先に向かって。ユンコはトロ・スシを補給し、身体を音楽に乗せる。車内は神聖なネオサイタマ・サイバーテクノで満たされている。 
  
『メガヘルツ解放戦線との同盟は、無駄じゃなかった。詳しくは後で説明するけど』とナンシー。数時間前から、ユンコのモノバイクには大出力の電波増幅器が搭載されている。ネオサイタマ中にゲリラめいて点在する移動増幅器のひとつとなったのだ。ハイデッカー車両から追跡を受けたのはそのためだ。
  
『とにかく、無駄じゃなかったの。ありがとう』『ナメられてたからね。最高!』ユンコは窓を開け風を浴び、窒息しそうな空を見渡す。いけ好かない軍用機が、そこかしこを飛び交っている。昨日までは我が物顔で。だがシステムは今日、痩せ衰えた猟犬の群めいて狼狽するのだ。『ファック、イェー!』
  
『そうね、凄かったわ』ナンシーのタイプ速度が次第に遅くなってゆく。『そしてこれから、世界の命運を左右する機密データを確保!』ユンコは痛快そうに笑った。『でも、スパイごっこは止めてね。ここから先はまた気持ちを切り替えて。これは不測の事態なの。こっちにも、あっちにも』とナンシー。
  
『でもこういう時、敵には全てがこっちの作戦通りに見えるもの。だから容赦なく全力で来る。……ニンジャが来る』『解ってる』ユンコは唇を強く結んだ。ナンシーは笑んだ。『こっちの利点は、目的地を敵より少し早く知ったって事だけ。電子みたいに速く動いて。頑張ってね。私は暫く、眠ると思う』

  
『エッ?』ユンコが問い返す。『あと全部、私の手で?』『出来る限りの手は打ったわ。あとはログを読んで。私とニンジャスレイヤー=サンの物理肉体は今、ネオサイタマから遠く離れた洋上。助けには行けない。繰り返すけど、私たちが立ててた計画はここで終わり。ここから先は、全てが想定外』 
  
『……解った、絶対やってみせる』ユンコが拳を握る。AIがアラートを鳴らす。早速、後方から新たなハイデッカー車両が接近してきていた。『健闘を祈るわ』ナンシーはIRCから退室した。 
  

◆◆◆


  
『第一作戦目標、機密データの奪取。副次作戦目標、違法電波中継ポイントの撃破……』シャドウドラゴンはチバからの命令を復唱すると、自らの高速輸送ヘリから飛び降りて影の翼を広げ、ネオサイタマの汚染大気の中を滑空した。物々しいアトモスフィアに支配され静まり返る、灰色のメガロシティを。
  
 斜め前方にアンテナを展開して走る黒いバン。『電波発生源の一つを捕捉』メガヘルツ解放戦線がバラ撒く中継電波の音量が増す。フラットな表層を波打たせるノイズが。「ARRRGH!」影の竜は苛立ち唸り、その上空を通過、再上昇。すれ違いざまのクナイは、ドライバーの側頭部に命中していた。 
  
 バンは路肩に激突炎上。あとはハイデッカーが処理に当たる。(((届いて……くれ!)))今しがた踏み躙ったレディオ電波の残響。(((ニチョーム・ストリートへ……!)))「ARRRGH!」竜人は想定コース通りに整然と飛行してきた輸送ヘリ編隊へと再合流、足場を掴み、翼を閉じて機内へ。
  
 機内中央のUNIXには、各種戦略マップやIRCが表示され、刻一刻と物理目標地点の割り出しが進む。操縦クローンヤクザ同士のコース変更確認無線が短く響く。そして部隊内のIRC。機密データを奪還すべくスクランブル状態にあったのは彼だけではない。この編隊は四名ものアクシスを輸送中だ。
  
「ARRRRGH!」竜人は冷たい青色光を放つUNIX画面を見ながら、己の鈎爪を強張らせた。その体表が一瞬大きく揺らいだ。飼い馴らされた怪物は、再び身体を風に晒し、地の果てまで続くネオン光の巨大都市を見下ろした。かつてナブナガ・レイジという少年が逃亡先として夢見た自由の世界を。
  
 (((フラットな理想世界です)))アガメムノンの声が調律されたニューロンに響いた。(((無力で愚かなモータルには、今の世界は複雑すぎる)))整然とした秩序と平和の世界。抑圧と監視。暗がり全てを漢字サーチライトが照らす逃げ場なしの世界。システムの犠牲者が悲鳴すら上げられぬ世界。
  
 ……途中から何か刺々しいノイズが混じった。それはアガメムノンの言葉ではない。アマクダリの思想でもない。どこから来た?『先行し、攻撃目標を探す』シャドウドラゴンは再び唸ると、作戦目標を求めて再び輸送ヘリから飛び降り滑空した。濁った空を飛翔する。彼の内側には嵐が吹き荒れていた。 
  
 (((見ろ!漂白された世界ができあがるぞ!いびつで美しいものが存在できない、凡庸な世界が……!)))そのノイズは内側から聞こえてきた。シャドウドラゴンは己が構築者として組み込まれた巨大な暗黒秩序世界を、上空から俯瞰していた。(((異端者を囲んで棒で叩くだけの世界だ……!)))
  
 (((……この世界は失敗作です)))神の如き声が響く。(((間違いは元通り正されねばなりません。我々は秩序の執行者……)))「ARRRRRRRGH!」シャドウドラゴンは頭を振り、内なるノイズを消す。高層ビル街の間を飛翔する。舞い上がった「忍」「殺」フラッグが視界を横切った。 
  
 強大なカラテが漲る禍々しい文字。影の竜はそれを鈎爪で切り裂く。次いでレディオの声が強まる。(((……システムに……抑圧された場所へ……!)))「ARRRGH!」その光も苛立たしげに振り払う!『任務継続。新たな電波中継車を捕捉』遥か前方にハイウェイ。点のように小さなモノバイク。
  
 彼は新たな攻撃目標の一個めがけ、無感情に滑空を始めた。滅びの先触れめいた暗黒の翼を広げて。世界は死んだように声を潜めていた。彼は左右の高層ビル屋上に物言わず立つ過去の幻影を見た。ブラックドラゴン。パープルタコ。ダークニンジャ。ヨモギ。家族。彼らはひとりずつ現れ、消えていった。
  
 最後に前方高層ビルの屋上に現れたのは、学生服を着てカタナをさしたハイスクール時代の己自身、ナブナガ・レイジの幻影そのものであった。シャドウドラゴンはそれを斜め上空から一瞥し、目が合った。すれ違いざま、過去の幻影は、己自身を糾弾するかのように、侮蔑と怒りの眼差しを投げた。 
  
「ハイデッカー、しつこい……!」ユンコは後方からの追跡をかわすべく、改造モノバイクを加速させた。直後『重点』『重点』『ニンジャソウル検知』『アブナイ』UNIX視界に戯画じみたカエルAIアドバイザが現れ、何個もの警句を表示。彼女のボディに備わったオムラの遺産が危険を告げていた。
  
 ユンコは斜め上空を見た。黒く小さな嵐のごとき物体が、凄まじい勢いで旋回滑空してきていた。「ヤバイ……あいつは!」ユンコの右サイバネ・アイに『戦闘用』の文字が浮かび上がった。左胸の奥でモーター回路が回転を始めた。『迎撃』『ライフル展開な済』『ロックオンです』『AA装備に不足』 
  
 サイバネアイの赤い∴型ロックオン光が敵を捕捉。戦闘用AIを信じ、右腕をハンドルから離し窓の外へ向ける。「ファック!間に合え!生き残るんだ!」ユンコの右腕が内側から開き、仕込みアサルトライフルを展開。もどかしいほどに遅い。影の竜はもうすぐそこに迫り、無慈悲な鈎爪を構えていた。 
  
 シャドウドラゴンもまた、∴照準光と視線を交差させ、攻撃目標の正体に気づいていた。ユンコ・スズキ。既知の敵。スズキ・マトリックス理論を搭載した戦闘用ドロイド。セクトの敵。秩序を乱すノイズ。……ノイズ!(((……噫!俺よ!俺の魂よ!恐れるな!これが最後のチャンスだぞ!)))  
  
 迎撃が間に合わない。ユンコは直撃を覚悟した。……だが直前、影の竜はハイクを詠んだ。自らの意志で滑空角度を変えると、モノバイクの背後をかすめ、自殺的速度でハイウェイへと墜落。泥の塊めいて跳ね転がり、側壁に激突粉砕。影の竜は高架下にガレキを撒き散らしながら爆ぜるように消滅した。 
  
 事態を理解できず、ユンコは反対側後方へと頭を向け、目を大きく見開いた。驚きで口を開けて叫びながら、影の破片が遠ざかってゆくのを見た。まるで巨大な黒い鈎爪が、ハイウェイを切り裂いたかのようだった。彼女を追っていたハイデッカー車両部隊は、その爪痕の前で緊急停車し立ち往生していた。
  
 だが息つく暇などない。彼方からは、アクシスの高速輸送ヘリ編隊が迫っていた。UNIX視界の目的地矢印が動く。ャー都会カルチが近い。ユンコは展開していた仕込みアサルトライフルを収納すると、なおモノバイクの速度を上げ、車両列の間を縫うように走り、インターチェンジへと降りていった。 
  

◆◆◆


  
 ……高架下の暗いスラム街。百メートル上方のハイウェイから突如降り注いだガレキ山の周辺には、死の静寂が満ちていた。 
  
「アイエエエ……?」「ペケロッパ……?」粉塵が収まる頃、薄汚いローブを着たテクノ・スカベンジャーたちが、恐る恐る集ってきた。一人が天を仰ぎ、ゆらゆらと舞い落ちて消える影の破片を不思議そうに見た。ハイウェイ側からサーチライトが投光されると、彼らは怯えて一斉に暗がりへと消えた。 
  
「見当たりません」「違法改造モノバイクから対空銃撃を受けました」「墜落し粉々に砕け散ったと思います」「IRC応答ありません」サイバー双眼鏡で執拗に地表をスキャニングしながら、ハイデッカー部隊はアマクダリへIRC報告。『バカな!ニンジャがその程度で撃墜されるものか!』返信。 
  
 やがて投光は止み、ハイデッカー車両部隊は新たに設定された封鎖ポイントへと急いだ。ザリザリザリ……ノイズ混じりの司令無線音が、ガレキの中で鳴った。アマクダリは次第に、探索の格子を狭めている。ハイデッカーの報告に基づき、ストリート監視カメラがモノバイクの走行経路を分析し始めた。 
  
 再び静寂と闇が訪れると、ハカバじみて盛り上がったガレキの中から、鈎爪の如く強張った手が突き出した。そして血みどろのシャドウウィーヴが、苦しげに呻きながら身をもたげた。その腕は細く、瓦礫を払い除けるのも困難だった。強大な竜の鎧は、フード付きのニンジャ装束に変わっていた。 
  
「……冥府の王/漆黒の腕/心なき墓!」長いくびきから解き放たれたシャドウウィーヴは、ガレキを踏みしめながら歩き、己の存在を刻み付けるように、胸いっぱいに空気を吸って吐き出すように、暗いハイクを叫び続けた。そうせずにはいられなかった。「影の外套/纏いて隠し/呪い抱えて……」 
  
 胸には再び暗黒の炎が燃えていた。「…呪い抱えて進め!/進め!/いざ進め!」彼は己のハイクを冷笑し消し去ろうとする者たちを許すつもりは無かった。欺瞞世界のために己を使役せんとする者を許すつもりはなかった。そしてもう二度と己の言葉を裏切るまいと誓った。「忌々しき太陽に弓を引け!」
  
「……噫!どこにも理想世界など無かった!」物理肉体は再び、暗い躍動を感じ始めた。「いや、俺の中にだけある!他の誰の中にも無いのだ!」その足は次第に速度を増し、ニンジャの速度で走り始めた。また高く、高く跳躍した。激しい痛みに耐えながら、シャドウウィーヴは怒りに燃え、笑っていた。
  
 シャドウウィーヴは駆けた。セクトに報復するために、いま己が何を為すべきかは、もう解っていた。彼女を助け、逃がすのだ。今度こそ失敗しない。アマクダリを滅びへと導くデータを……世界の基盤を揺るがす秘密を、サイバーゴスの皇女はその脳内記憶領域にダウンロードしなければならない……!





 ……何かが突き抜け、去っていった。世界は声を潜めて揺れている。空に残響している。……噫!だれがそれを揺り動かした!?だれも知らぬ間に! 


◆◆◆


『対象の改造モノバイクを捕捉、オオキイ・ストリートを北上中、間もなくサッキョー・ライン跨線橋。ハイデッカー、三段階の封鎖を開始されたし』短いIRC通信は、瞬時に対象ディストリクト周辺でアクティブ状態にあるアマクダリ・アクシス全員へとリレイされた。 
  
 横並びに飛ぶ高速輸送ヘリ2機が、モノバイクの発する違法電波をとらえ、サメめいてこれを追跡しているのだ。それぞれの機体側面からは1人ずつ男が身を乗り出し、風を浴び、視線を交わし、頷く。彼らはヘリ搭載カメラなどより、己の視力で直接獲物を捕捉することを好む……紛う事なきニンジャだ! 
  
 遥か前方、モノバイクはハイデッカーによって敷設されかけていたバリケードを強引なスラローム走行とジャンプで突破してゆく。「今日は一体何が起こっている」左輸送ヘリのニンジャが険しい表情で言った。「これほどのアクシス総動員を、俺はかつて見た事がない」「俺たちの考えが及ぶ所ではない」 
  
 2人のアクシスは口を閉ざし、以降の会話は全てアクシス専用IRCチャネルに切り替えて、降下の瞬間に備えた。ネオサイタマ全域からこのディストリクトへ、アクシス輸送ヘリが集結を始めていた。先程まで同編隊内にいた他の2機も、モノバイク探索をやめ、西側から合流のために急行しつつあった。 
  
 前方では、違法モノバイクが長大なサッキョー・ライン跨線橋を猛スピードで駆け上る。坂を下った大交差点前では、ハイデッカー部隊がすでに国境検問所めいて守りを固めている。モノバイクはなおも速度を緩めない。輸送ヘリは機体を傾け、勢いを増してこれを猛追、もう一機は先回りのため旋回した。 
  
「「「ザッケンナコラー市民!!」」」BRATATATATA!ハイデッカー部隊が制止勧告も行わずに突如銃撃!ギュギュギュギュ!モノバイクは凄まじい直線焦げ痕を刻みながら急停車し、防弾加工が施された側面スモークガラスを検問側に向けて銃弾を防ぐ!直後、バイク車体から煙幕が展開された。
  
「「「スッゾコラー市民!」」」軽装アサルト部隊がライフルを構え射撃前進。BRATATATA!キィン!キィン!キィン!煙幕の中、甲高い金属音。次には、鋭いカラテシャウト!「イヤーッ!」煙の中から三枚のスリケンが飛び、敵の額を水平スライスするように破壊した。「「「アバーッ!」」」 
  
 煙幕は貪欲な霧めいて迫り、ハイデッカーの即席検問所を呑み込んでゆく。『西側に射撃を集中しろ!』跨線橋側から輸送ヘリで迫るアマクダリ・アクシスのコールドロンが、IRCを飛ばす。彼は恐るべきニンジャ視力で煙幕の向こうを見通し、バイクから打って出たターゲットの影を捕捉していたのだ。 
  
「「「ダッテメッコラー市民!」」」BRATATATATA!バリケード背後に陣取ったハイデッカーが煙幕に向けて一斉射撃を行う。「イヤーッ!」煙幕の中、銃弾を躱す影!輸送ヘリが交戦地点上空!『包囲網をさらに厚くしろ!イヤーッ!』コールドロンは舌打ちし、輸送ヘリから降下ジャンプ! 
  
 コールドロンは空中から回転降下アンブッシュ。ハイデッカーへのスリケン投擲動作に入っていた敵に対し、二本のサイを投げつけた。一発が彼女の頬を掠めた。「ドーモ、コールドロンです」すれ違いざま、彼はアイサツした。「ドーモ、レッドハッグです」彼女の不機嫌な美貌は少しも動じなかった。 
  
「イヤーッ!」彼女は敵ニンジャの着地点に注意を向けたまま、予定通りスリケンを三枚投擲した。それぞれが迫り来る弾丸を水平にスライスして破壊、そのまま拳銃を水平にスライスして破壊、そのまま撃ち手ハイデッカーの額を水平にスライスして破壊した。「「「アバーッ!」」」当然全員即死! 
  
 敵はアクシス。油断ならない。レッドハッグは咥えていた二本のタバコを頭上に吐き捨てる。「イヤーッ!」死んで崩れ落ちるハイデッカーの間から、コールドロンが回転ジャンプで飛びかかってきた。レッドハッグはカタナを抜き放った。「イヤーッ!」コールドロンが両手のサイを繰り出す! 
  
「イヤーッ!」左のサイを、右のサイを、コールドロンのメンポを、レッドハッグのカタナはジグザグに強打した。コールドロンは着地した。「アバーッ!」コールドロンの両手が、頭が砕け、鮮血を噴いた。「ハッ!」レッドハッグは口の端で侮蔑めかして笑い、カタナを鞘に納めた。 
  
「サヨナラ!」コールドロンは爆発四散した。現在地点、ターゲット情報、そして最新の戦闘データをアクシスIRCと天下網に供じながら。「相手がアタシで悪かったねェー」レッドハッグは枯れた声で呟き、頭上を見た。クルクル回りながら落ちて来た二本のタバコを、唇で受け止めた。 
  
「フゥーッ……」レッドハッグは眉間に皺を寄せながら、二本煙草を吹かした。その鋭い視線を空に向けたまま。輸送ヘリの群れが集まってくる。「「「スッゾコラー!」」」彼女の後ろでは、完全防弾処理モノバイクが、生き残ったわずかなハイデッカーによる機械めいた射撃を弾き続けていた。 
  
「……さァて、どれだけやれるか」レッドハッグは煙を吹き、スリケンを投擲して生き残りを殺すと、再びモノバイクに乗りこんだ。砂鉄の中心に飛びこんだ磁石めいた気分で。 
  

◆◆◆

 
 サイバーレインコートに身を包んだユンコは、ぽつぽつと降り出した雨の中を、チョット・ストリートに向かって急いだ。上空を、黒い輸送ヘリが飛んでいった。ディストリクトの北東部に向かって。「予定通りだ」ユンコは固い表情で呟く。レッドハッグはそこへ向かった。陽動を引き受けるために。 
  
 市民の数はまばらだ。交差点の信号、ビルの屋上、警句カンバンの横、鳥居アンテナ、灯籠……ディストリクト中に設置された監視カメラが、慌ただしく首を動かす。昆虫めいて。そこに無数の目を持つ巨人の気配を見たかのように、ユンコは電子的恐怖をおぼえ、レインコートの襟をさらに高く立てた。 
  
 区画から区画を規則的に跨ぐように、電子的気配は消える。巨大な不可視の怪物が通り過ぎていったかのようだ。信号が変わる。ユンコは渡る。向こうにはハイデッカー車両の列。北東へ向かう。見た事が無いほど大型のトレーラーまで混じり出した。グロテスクな深海魚を見るようにユンコは舌打ちした。
  
 薄汚いピザ屋の前を、ユンコは足早に進む。また上空を別なヘリが飛んでゆく。レッドハッグは無事だろうか。システムショック後の僅かな猶予時間のうちに、ナンシーはレッドハッグにIRCを打ってくれた。幸運な合流と速やかな入れ替わり。だが最も重要で危険なビズは、ユンコ自身にしかできない。
  
 ユンコは薄汚い老朽マンションに掲げられるネオンサインを見た。左の∴サイバネ・アイが赤く回転し、文字のスキャニングを行った。「ャー都会カルチ……!」それこそは、月面から届けられた機密データの転送先物理アドレスに他ならない!「電子みたいに速く……!」ユンコはドアを開け、進んだ。 

◆◆◆


 レッドハッグは傷だらけのモノバイクを駆り、ディストリクトの東端へ。高台へと昇り、橋が完全封鎖されていると見るや、素早く北へ転じた。彼女はしばしば電波発生装置をオフにし、路地裏を縫うように駆け抜けて電波発生源スキャンとニンジャ目視を躱し、また大通りに現れ、撒き餌をオンにした。 
  
 アクシスIRCに目を転じれば、通信途絶していたシャドウドラゴンの認証済バイタルサインが再び灯っていた。彼はモノバイク襲撃時の墜落から復帰。通信装置に障害も、任務継続中。納得がゆく。ニンジャスレイヤーと幾度も戦闘を行い生還したハタモト・エージェントが、そう易々と死のうものか。 
  
 目下、アクシスはレッドハッグを重要攻撃対象として追跡しつつも、区内全域に広く展開。機密データの物理アドレスは、未だアルゴスが絞込中。レッドハッグは既にデータを獲得し、区外へ運ぼうとしているのか?あるいは今まさにデータをピックアップしようとしているのか?全ての可能性に備える。 
  
 アルゴスの復帰ペースは速い。徐々に候補エリアは絞られている。第二段階スキャニングとして、ハイデッカー人海戦術が始まった。重点エリアの全住居全UNIXに対し、強制捜査を行う。そのような下等な作業はニンジャが行うべきものではない。火が上がった所へ、都度、アクシスが急行すれば良い。
  
 未だ区内の封鎖強度は不完全。ハイタカ、シデムシの到着が急がれる。コールドロンに続き、第五次ハイデッカー即席検問所で連携攻撃を仕掛けたアクシス2人も、レッドハッグの返り討ちにあい爆発四散。再び逃走開始…。「レッドハッグをどう見る?」輸送機内、隣のタタミにザゼンする男が問うた。 
  
「戦闘データも少なく、底は見えない。実際、彼女と剣を交えてみたいものだ。あの風情の無い死神などと戦うより、よほど良い」鼻から上だけを覆面で隠した洒落者が言った。それは求めていた答えではないと言いたげに、もう一人の男が返した。「あれは陽動と見るか?スワッシュバックラー=サン」 
  
「システムの判断を待てばよい。我々は為すべき事を為す花形。あの方の筋書きは必ずや勝利し、支配する」「ならばレッドハッグだ」カタフラクトは言った。白髪混じりの短髪、黒いトレンチレザー、サイバーゴーグル。一切の装飾物が見当たらぬ。強さと冷徹さ以外全てを削ぎ落としたような男だった。
  
「総員出撃とはな」カタフラクトはゴーグルを引き上げると、ジグラットからここへ彼らを運んだ中型ヘリから身を乗り出し、機械めいて冷たい目で外を見た。恐怖に凍りつく都市、上空を飛ぶ武装ヘリの群れ。システムに作られた新兵どもの群れ。「壮観だ」「同意する」スワッシュバックラーは笑った。
  

◆◆◆


「ヤバイヤバイヤバイヤバイ……」色褪せたエメラルドグリーンのショーツだけを履いたまま、モナコ・チャンは寝床から這い出し、チャブ上のUNIXに向かっていた。ケーブルはセーフティ機構により物理切断され、スタンドアロン状態。ファイアウォールの焦げた臭いが室内に満ちる。
  
 部屋はゴミためめいて汚く、荒んだ生活は明白。ゴミやガラクタや服の間には、「なるべくドラッグしない」の自筆署名ショドーがのぞく。彼女はそれを顧みず、オイランバーガー夜勤明けの眠た目を擦ってキーボードを叩き、いつ注いだかも判然としない特製バリキ・カクテル入りマグを口元に運んだ。 
  
 首都決戦でも始まったかのように、ヘリが空を飛び交っている。その音が彼女を縮こまらせる。ガリガリガリ……UNIXが不穏な音を立てる。巨大データは展開すら困難。ハッカーでない彼女には、表層を舐めることしか出来ない。「オリジナル作成者……メガトリイ・コーポ……年号がバグってる?」 
  
「この項は?十二人?スパ……スパルタカス?スターゲイザー?何これ。オカルト?コワイ……アーーーーーー」彼女は薬物でガツンを脳を起こし、頭を振ってシャッキリさせると、先程のノイズ混じり音声を追憶する。(((データを持って逃げろ)))ケミカル幻聴でないならば、あれはナボリの声。 
  
「こ、こ、これきっと国家機密!せ、せ、せ、政府に消されるアイエエエエ!」モナコはタンスに走った。彼女にとってこの程度のメガロ妄想はお手の物だ。また存外それは的を得ている。「どこいったのー!」タンスからナボリの古いハッカーアタッシェケースを掘り出し、乱暴にチャブの横に置いた。 
  
 中にはハッカー御用達、磁気シールド処理済、上書き防止機能付のまっさらなフロッピーディスクが何十枚も捨てずに残っていた。僥倖だ。「データを持って逃げようー!」モナコは大型UNIXデッキの堅牢なダブル・ドライヴに二枚のフロッピー挿入を試み、手が震えて失敗し、何度もリトライする。 
  
「頭が爆発しそう!ジャンキーにこんな事させるな!」モナコは恐怖でガタガタ震えながら怒った。そして挿入。無慈悲な表示『完了まで3時間』。「ザッケンナコラー!私とナボリの命が掛かってんだオラー!」涙目でキーボードを殴った。「せっかくナボリが命懸けで何かしてくれたんだぞコラー!」 
  
 KNOCK!KNOCK!「ドーモ」突如、鍵付きフスマが叩かれ、知らない女の声。「アイエエエ……!」モナコは縮み上がった。すわ、政府エージェントか。勇気を振り絞り、毛布で身を包みフスマへ。「だ、誰だ?」「開けて、私はミスター・ハーフプライス=サンのエージェント」押し殺した声。 
  
「ハーフプライス……!」モナコは目を見開き、背筋を伸ばした。そして鍵付きフスマの隙間から、注意深く廊下を見た。雪のように白い肌の、人工造形美めいたサイバーゴスガールが立っていた。その目はシリアスだった。「破壊できるけど、騒ぎを起こしたくない。開けて。ハイデッカーが来る前に」 
  




 四人目のアクシス、レジオネールは素早かった。レッドハッグがカタナを抜く前に、彼女の懐へと飛びこんだ。イアイも繰り出せぬワンインチ距離。蓄積された戦闘データをもとに、最も危険と目される武器のアドバンテージを封じたのだ。 
  
 だがレッドハッグにとって、それは少しも不便ではなかった。首を狙ってレジオネールが繰り出したカマの一撃を、彼女はブリッジ回避した。同時に、左手の親指でカタナの鍔をハジくように押し、その力を右手で受け継ぎ、数インチだけ抜いたカタナの柄をレジオネールの鳩尾にめりこませた。 
  
「グワーッ!」レジオネールが目を剥き、カラテを崩した。さらに一撃、柄頭がアッパーカットめいて叩き込まれ、顎を砕く。レッドハッグはカタナを抜いた。「イヤーッ!」彼女の黒髪がショドー筆めいて空中に躍ると同時に、敵は斬り捨てられ、ハイデッカー死体の上に倒れ爆発四散した。「サヨナラ!」
  
「ウェーゲホゲホ!」周囲にはハイデッカーが撃ち込んできたロケットランチャーの爆煙がまだ漂っている。レッドハッグは痰を吐いて捨てる。オナタカミ社最新兵器のショウめいて、包囲ハイデッカーの装備は徐々にエスカレートしていた。「アタシもひとつ、指名手配犯にでもなってみようかねェ……」 
  
 レッドハッグはまた二本煙草に火をつけた。「ウェーゲホゲホ。昔の方が骨があったね、あンたらさ……」レッドハッグは空を見上げ、群れ集うヘリを睨みながら、小さく身震いした。蟲を見るような生理的な怖気をおぼえた。「でもなんだい、いつの間にかアクシスってのは、えらい増えたもんだね……」
  
 同様の驚きと空恐ろしさを、この日、上空に展開したアクシス新兵らも感じていた。アマクダリ・アクシスの隊員はテリトリーを持たぬ即時対応戦力であり、常に待機状態にある精鋭部隊。だが互いに顔が見えぬ体制の中で、ごく一部の古参を除き、彼らはセクトの全貌を知らなかった。知る必要もなかった。
  
 誰も知らぬうちに、無形の怪物めいてセクトは巨大化していた。総員出撃の規模は、一年前とは比べ物にならぬほどだった。この間、セクト内の下部組織テリトリーは何ひとつ増えず、むしろ減少の一途をたどり、新たなニンジャは皆アクシスの隊員としてリクルートされていたことを知る者は極めて少ない。
  
 だが僅かな恐れの後、アクシスは己の属する組織の強大さに酔いしれ、感嘆する。何も恐れる必要などない。自分はその一部だからだ。そして末端は思考を止める。標的を狩る事だけを重点する。アクシスという組織の意味合いは、いつの間にか上書きされていた。本来、アガメムノンが目指していた形へと。
  
「嘆かわしや、あの女ヤクザひとりに随分やられたものだ」スワッシュバックラーが笑い、ヘリ側面に身を乗り出した。「どんどん死ねばいい。淘汰というやつだ」カタフラクトは輸送ヘリの中央部に吊られた黒い重モーターサイクルに跨がってハンドルを握った。2人のアクシスは降下体勢に入った。 
  
 レッドハッグは煙の向こうに、ジグラットから一直線に飛来するその中型輸送ヘリを睨んだ。周囲のアトモスフィアが張りつめ、カラテが漲った。彼女は眉根を寄せた。「ハハア。そろそろ、一筋縄じゃ行かないかねェ」 
  

◆◆◆


「あ、あ、合言葉を言え!」モナコは虚勢を張って言った。何年も前……予め決めていた秘密の合言葉が何種類かある。結局ナボリはデカいヤマを何一つモノにできず、使う機会も無かったが、彼女はまだそれを覚えていた。「ハーフプライスは」ユンコはIRCログを辿りながら答えた。「とても涼しい」
  
「入って」モナコは解錠した。「よく解らないけど、彼は、やったのね。いつかやると思ってた。どれくらい儲かるの?」「その話は後で。取り分については凄く合意済」ユンコは足を踏み入れ、室内の様子や貧相な旧式UNIXデッキを見て、思わず眉をひそめた。これが本当に堅牢なるセーフハウス?
  
「デッキは本当にこれ?時間無い。データを移す、OK?」ユンコはLAN端子と頭を指した。モナコが頷きパスを通すやいなや、ユンコはスゴイテック社製ケーブルを直結し、データを吸い出し始める。「遅い……」ユンコはじれったそうにコートを脱ぎ、背中の排熱フィンを開いて己に負荷をかけた。 
  
「わ、私は何をすれば?」モナコは護身用拳銃を握り、UNIXの前に正座して問う。「信じてくれただけで十分。あとは何とかしてみる」オイランドロイド全身義体のサイバーゴスガールは目を閉じ、歯を食いしばりながら、精神をタイピングとデータ転送に集中した。「早く逃げて。奴らが来る前に」 
  
「奴ら?」モナコが問う。「解ってるよね?ハイデッカーと、それに、ニンジャ。奴ら包囲網をどんどん狭めて……」ユンコはデータ転送と展開を同時に行いながら返す。「ニ……ニンジャ……!」モナコが息を呑む。次の瞬間、マンション駐車場に威圧的サイレン音が鳴った。ハイデッカー武装車両だ。 
  
『この地区にテロリスト潜伏との情報!ストリートの全戸に対し抜き打ちUNIX通信データ調査を行います!安心してください!』拡声器が唸る!「「「ザッケンナコラー市民!」」」「アイエエエエエエ暗黒管理社会!」データ強制閲覧に抵抗したャー都会カルチの住民が早速逮捕されている!非道! 
  
「ファック……!」ユンコはカーテン隙間から階下を睨んだ。吸い出しきれるか?どう彼女を逃がせばいい?「ニ……ニンジャ……つ、つ、ついに来た……」モナコは圧し潰されそうなほどの恐怖と不安感に震えていた。かつて彼女とナボリは、ニンジャの暴虐に襲われ、幸運にもその理不尽から脱した。 
  
 モナコはあの出来事を薬物幻覚の産物と自分に信じ込ませていた。そうでなければ狂っていただろう。だがこの極限状況が、全てをフィードバックさせたのだ。ニンジャの暴威を。「も、も、も、もうダメだ……」モナコはチャブの下に隠れて痙攣し、打ち上げられたマグロめいて口をパクパクさせた。 
  
 それでも必死に考えた。そして何かを思い出した。「……シェリフに、伝えなきゃ」「エッ?」ユンコが振り向くと、ピンク髪のジャンキー・ベイブは不意に立ち上がり、どこかの号室にマンション内線をかけていた。
  
「シェリフって何?」データ吸い出し完了まで600秒。ユンコが疑似頭痛めいてこめかみを押さえる。実際ニューロンへの負荷と過剰緊張だ。数十分前からニンジャソウル検知機能がひっきりなしに脅威を告げている。敵が区の上空を飛び交い、あるいは猟犬めいた目で駆け、火種を探し回っているのだ。
  
「こ、ここのソロ自警団員を呼んだ。いつも保安官バッジを付けて、何か新聞を切り抜いて調べてて……アッ!アッ!もしかしたら合衆国の潜伏エージェント」「合衆国?」ユンコはIRCログを丹念に掘った。事前情報ファイル。モナコ・チャン/女/軽度ケミカルジャンキー/メガロ妄想症。「ワオ」 

◆◆◆


 マッチ・ジュンゴーは、何かが起こるのをずっと待っていた。彼はこの老朽マンションのシェリフと呼ばれ入居者から一目置かれる、少し面倒な男だった。貧相な体、無精髭、近所のピザ店勤務、色褪せたファイアパターンのジャケット、傾いたサングラス、胸にはスリケンめかした保安官バッジが輝く。 
  
 ついにその時が来た。彼は立ち上がり、オブツダンの前で胸の保安官バッジに義手を当てた。彼は元ニンジャハンターであり、ある老人をニンジャの暴虐から救おうとして片腕を失った。彼は世界がニンジャに支配されている事を知っていた。そしてほぼ誰ともその秘密を共有せず、今日まで生きてきた。 
  
 そのニンジャはどうなったか?「忍」「殺」の鋼鉄メンポをつけた死神がジゴクへ連れて行った。あれは妄想の産物だったのか?だがその誇りに縋るように、彼は犬のような日々を生きてきた。そして今日、TV画面に一瞬映った「忍」「殺」が、彼のジゴクめいた記憶を鮮烈にフィードバックさせたのだ。
  
 過去の衝動と爆発が甦った。彼は何かが起こる、そして自分の力が必要になると信じた。彼は仕事も休み、己の部屋で待機していたのだ。そして今……保安官SOS着信を受けた彼は立ち上がり、オブツダンに隠していた違法購入リボルバーとジュラルミンケースを持って、モナコの号室へと向かった。 
  
 モナコの号室は3階だ。老朽封鎖非常階段を歩みながら、彼はガンスピンとクイックドローの覚束ない確認動作を行う。駐車場側を見下ろし、装甲車両群を見て舌打ちする。彼はハイデッカーの背後にもニンジャがいると推測していた。すなわちニンジャの脅威が再びこのマンションに迫っているのだと。 
  
 3階へ。既に端から何部屋かにハイデッカーが押し入っていた。鍵付フスマを外から蹴り壊された者もいる。混乱状態、廊下で狼狽える住民。ハイデッカーが拡声器で直ちに自分の号室に戻り待機するよう厳命する。誰もマッチに注意を払わなかった。誰がどう見ても、ただの取るに足らぬ狂人だからだ。 
  
 マッチ・ジュンゴーは逃げ惑う住民たちの流れに逆らってひとり進み、モナコの号室方面を見た。今まさにハイデッカー隊員が入ってゆくところだった。シェリフは小さく身震いしてから、意を決し、急行した。シェリフは勢いよくフスマを開け、懐からリボルバー銃を抜いて構えた。「ホールドアップ!」
  
 だが汗で滑ったリボルバーは彼の手からこぼれ落ちた。「シマッタ!」シェリフは叫び、それを拾い上げてから、惨状に気付いた。「何だこりゃあ……」室内には、半裸のホットなベイブが2人。ハイデッカー隊員は既に、その1人、オイランドロイドめいた女のカラテで滅多打ちにされたところだった。 
  
「誰!」UNIXと直結したままのサイバーゴスは、彼に腕を向けた。たちまち前腕部が上下に割れ、仕込みマシンガンが出現した。「あんた、ハイデッカーをノシちまったか?」シェリフは脂汗を垂らしながら、まだ銃を下げず、歯を食いしばった。「ま、ま、待って、大丈夫」モナコが2人に言った。 
  
「か、彼が、シェリフ。困った事があったら言えって。それ以外話した事無かったけど」モナコが説明した。「そうだ」シェリフは頷いた。ユンコが武器を収め、険しい顔で言った。「…悪いけど帰ってもらった方がいいかも。ハイデッカー本隊が気付く前に」「待ってくれ、俺は本当に、本気なんだよ」 
  
 彼はサングラスを外し、必死で説得を試みた。二人を救うために。「俺の言葉を信じてくれ。お願いだ。ニンジャが来る前に」その瞳は誇りと狂気と捨て鉢の正義感に輝いていた。ジュラルミンケースを開く。彼が考案した妖しげな器具が並ぶ。「俺は元ニンジャハンターだ。ニンジャを殺した事すらある」
  
 (((なぜこの男がニンジャの事を?)))ユンコはケースの中身を一瞥した。スプーン、ペンチ、バイオアルコールランプ、特殊注射器、ピンセット、白い粉、謎の液体……まるで中世の吸血鬼狩りに使われたブードゥーか、あるいは薬物中毒者の七つ道具を連想させる。……信ずるべきか?それとも? 
  
 ユンコは極限状況下での判断を迫られた。己一人ならばハイデッカーと多少の戦闘をこなし、データを持って逃げ切れるかもしれない。だがミスター・ハーフプライスとの契約には、モナコの生存条件が含まれている。置いていけばモナコは包囲網を脱せず捕まる。だが連れて逃げるには負担が重すぎる。 
  
「彼、本気だわ」モナコが強く頷いた。「……解った、信じる」ユンコが言う。シェリフは笑みを作った。「でも、何をするの?ニンジャと戦う気?」「そうだ。ニンジャは無敵じゃない。不死身の怪物じゃない。銃で撃てば殺せる。俺は何年も何年も備え続けてきた。このためだけに生きてきたんだ」 
  
「それに、俺は秘密の脱出路すらも作った。ニンジャに襲われた時のために作ったんだ。そこは手製のシェルターに繋がってる。半年くらいは生き延びられる……」マッチ・ジュンゴーは思い出したように付け足した。「俺はそれを、マンションオーナーの爺さんと一緒に作ったんだ」 
  

◆◆◆


 輸送ヘリから降下した重モーターサイクルは、そのファットな防弾防スリケンタイヤを跨線橋のアスファルトに弾ませ、着地。直後、堅牢な足回りは驚異的な接地力を見せ、即座に加速!ゴアオオオオオオオン!そのままガレキを容易に走破しながら坂を下り、大交差点の中心に立つレッドハッグに迫る! 
  
 レッドハッグはカタナを構えながら、左前方にも睨みを効かせた。同じ輸送ヘリから降下したアクシスの手練、細身の刺突剣を持つニンジャが、軽やかにビルとカンバンを蹴り渡り接近してくる。重モーターバイクの速度には及ばぬが、実際意図的だろう。敵は二段構えの連続攻撃を狙っているに相違無し。
  
「イヤーッ!」レッドハッグはまず3枚のスリケンを刺突剣の進路に向かって予め投擲!その後、彼女を轢殺せんと突進してくる厳めしい重モーターバイクを限界まで引きつけると、身体を真横に傾けながら……回転跳躍!バイク突撃を紙一重で飛び越えながら、操縦ニンジャの頭へと斬撃を繰り出した! 
  
 アドレナリンが沸き出し、減速する。真下を通過する黒いフロントカウル。読み合い。「「イヤーッ!」」両者のシャウトが同時に響く。そして敵は、レッドハッグのカラテを見切った。首を傾け、斬撃を躱すと、ほぼ同時に、革グローブを嵌めた拳で、薙ぎ払うようなバックナックルを繰り出したのだ! 
  
「グワーッ!……ウカツ!」レッドハッグは二本煙草を吐き捨てながら、弾き飛ばされていた!刺突剣の使い手、スワッシュバックラーが待ち構える方向へと!「イヤーッ!」彼は目にもとまらぬ剣さばきで三発のスリケンを既に串刺しにし、彼女を迎撃せんとしていた!「ごきげんよう、さようなら!」
  
「イヤーッ!」彼女は歯を食いしばり、空中で身を捻る。電柱を蹴って強引に軌道を変え、刺突剣を緊急回避!ガレキ山を転がり、立ち上がって構えた。「ドーモ、レッドハッグです」「ドーモ、スワッシュバックラーです」刺突剣の先から血の滴。それはジャケットごと彼女の肩口を切り裂いていた。 
  
 一方、重モーターバイクは急ターンで後方を振り向き停車。乗り手は吸着型パルスグレネードを車体から抜き、起動させると、停車中のモノバイクへ後ろ手で放り投げ息の根を止めた。「ドーモ、カタフラクトです」乗り手は7フィート近いソリッドな偉丈夫。アイサツ終了後、直ちにフルスロットルした。
  
 型番も車体番号も刻まれていない、角張った金属と強化樹脂の塊のごとき黒の重モーターバイクが迫る。スワッシュバックラーも間合いを保ち、再び連携攻撃を仕掛けんとしている。分が悪い。だが最初から解っていた事だ。「…悪いけど、データは渡せないねェ」彼女はニタリと笑い、再突撃に備えた。 

◆◆◆


「イヤーッ!」「「アバーッ!」」ユンコのテクノカラテが、押し入ってきたハイデッカー2人を室外に蹴り飛ばし気絶させた。「アイエエエ……」モナコはUNIXの前でガタガタ震え、なおタイプする。少しでもデータ吸い出しを急ぐため、余計なプロセスを片端からKILLして支援しているのだ。 
  
「奴ら、外からも直接来るぜ!」リボルバー銃を握ったシェリフが、抜かりない姿勢で窓から外を偵察する。駐車場からハイデッカーがこちらを指差し、IRC通信を開始していた。シェリフは気づき、眉根をひそめる。見たこともない飛行物体が2つ、接近してくる。「ドローンか……?こっちに近…」 
  
「伏せて!ハイタカだ!」ユンコは目を見開き、すぐさま廊下側から取って返す。飛来したオナタカミ社製の自動鎮圧機FD-22が、小型マシンガンを展開。室内へ情け容赦ない銃撃を行う。BRATATATA!ガラスが割れ、数発がユンコの人工皮膚をえぐって、強化外殻ボディを甲高く鳴らした。 
  
 住民の悲鳴は破砕音と銃撃音で塗り潰される。モナコは警告通りタタミに伏せていた。その上にシェリフが覆い被さり、割れ砕けたガラス片から彼女を咄嗟に守る。ユンコの左眼から∴照準レーザー光が照射され、ハイタカをロックオン!「インダストリ!」右脛部分が開き、マイクロミサイル弾を射出! 
  
 KBAM!KBAM!ミサイルの連鎖小爆発が駐車場上空に咲く。「もう生身じゃ持たないよ!」ユンコが叫ぶ。データ吸出完了まであと60秒。彼女の戦闘行動範囲は未だ、直結ケーブルの長さに制限されている。だが、彼女無しで廊下から二人だけを逃がすのも自殺行為。ハイデッカーが見逃すまい。 
  
「俺にいい考えがある」革ジャケットのガラスを降り落としながら、シェリフは背後を指差す。「この壁を……ブチ抜けるかい?」「カラテ!」ユンコは即座に、隣の黴臭い部屋へと続く壁を掘削重機めいた連続パンチで殴りつける。拳のオモチ・シリコンが裂ける。安普請の老朽壁は易々と打ち抜かれた。
  
「よォし……そのまま真っ直ぐもう1枚行けるか……」シェリフはモナコを手助けし、立ち上がる。「ケーブルが届かない!」「ならミサイルでどうだい、嬢ちゃん」「でも」「その先の部屋も四ヶ月前から空き家さ。俺はこのマンションの事なら何だって」彼が言い終わらぬうちに、ユンコは射撃した。 
  
「「「スッゾコラー市民!」」」ハイデッカーが廊下側から突入する直前、シェリフとモナコは壁に開けられた穴を抜け、隣室へ、さらに隣室へ!「カラテ!」「「グワーッ!」」後方から激しい銃声と戦闘音が聞こえる。「ああ、ああ、壊れちゃう」モナコは名残惜しそうに爆煙の向こうを振り返った。 
  
 シェリフは彼女の手を強く引き進む。フスマから廊下の様子を窺う。「前一緒に住んでたのはどうした、ナボリ=サンは」「い、今は居ない、安全な所に」「上出来だ。絶対に逃げ切りなよ」奥底から来る震えを彼も必死で押し殺していた。シェリフとして振る舞わねば、即座に勇気が崩壊しそうだった。 
  
「な、何でこんなに親切に」「俺はニンジャを殺した男だぜ。この位、わけねえさ。それに、こんな事ばかりずっと考えて来たんだよ」ジュンゴーは精一杯の笑みを作った。手の震えは止まった。「「「ナンオラー!」」」部屋の前をハイデッカーが通過、ユンコの待つ号室へ増援に向かった!「今だ!」 
  
 勇敢なシェリフはモナコを連れ、廊下へと出た。それは実際最高のタイミングだった。ハイデッカーの注意はユンコのいる号室に引きつけられていた。二人は必死で走り、使用不可非常階段の錆び果てたドア前に到達した。ユンコもデータ吸出しを終え、部屋を脱し、反対側の通常階段へ。別々の方向へ。 
  
 この後の事は、既に示し合わせてあった。モナコはシェリフと非常階段へ、そしてシェルターへ。ユンコは別ルートで外へ。あとはユンコが機密データと逃げ果せ、いつか…何日後か、あるいは何年後かに、ナボリと落ち合う。……「行くぞ」シェリフは非常階段ドアを開けた。そこに、ニンジャがいた。 
  
 シェリフは反射的に、モナコを後ろへ突き飛ばし、懐のリボルバー拳銃を早撃ちしようと試みた。だが遅かった。「イヤーッ!」ニンジャの容赦ないカラテフックが彼の顔面を殴りつけた。歯が何本も折れ砕け、血と一緒に飛んだ。ジュンゴーは吹っ飛び、空中で盛大に後方一回転してから仰向けに倒れた。
  
「拍子抜けだ。ここもハズレか?」ニンジャは女の首を無造作に片手で掴みあげ、彼女の頭が天井につくほど高く掲げた。『ドーモ、スレッショルドより報告。該当地区物件ID:ほ33-46にて交戦、データとの関連性は不明』望遠型サイバネアイで2人の顔をズームし、ニンジャはIRCを送った。 
  
 アルゴスは即座にデータ照合を開始する。「シェリフ!シェリフ!」モナコは血を吐いて動かないジュンゴーを見て叫んだ。彼女は両手両足をバタつかせ抗ったが、びくともしない。そのノイズが気に障ったのか、ニンジャの手はモナコの喉を強く締め上げた。「ゲホッ!」彼女は白眼を剥いて失禁した。 
  
 ユンコは振り返った。「ヤメロ……!」だが廊下には、今まさに彼女がかいくぐったハイデッカー隊列。遠い。だがユンコは薙ぎ払い、助けに向かおうとする。後方、階段側から新手のニンジャが現れ、彼女をスキャンした。『ユンコ・スズキ。脅威度レベル:高。機密保持可能性:高。結論:捕獲対象』 
  
 システムからの判断を得るや、新手ニンジャはユンコの背後からトビゲリを繰り出した。「イヤーッ!」「ピガーッ!?」それはスレッショルドとツーマンセル行動をとっていたアマクダリ・アクシス、コンプレッサーであった。ハイデッカーへの反抗に対し、システムは速やかに彼らを送りこんでいた。 
  
「AIか。拙いカラテだ」ほぼ同時に、スレッショルドはシステム照合を待ちながら、戦略IRC上のマップを一瞥した。敵は戦闘用オイランドロイド1体。この攻撃対象を挟み、ツーマンセルの相棒たるコンプレッサー。さらに強大なるハタモト・エージェントの識別信号が急接近中。不安要素は皆無。 
  
 2秒ほど遅れ、システムからスキャン照合データが届く。『脅威度:低、NSPD犯罪データ:軽度該当……』「俺だけがハズレか」スレッショルドが舌打ちする。『機密データ保持可能性:極めて低、結論:生存価値無し』「そうだろうな」ニンジャは汚物を処理するかのように、その手に力を籠めた。 
  
 半裸のジャンキー女は喉を握り潰され、死体に変わる。狂った保安官もカイシャクされ、ハイデッカーが死体をボディバッグに詰め込んで処理する。そのはずだった。だが、スレッショルドの手は動かなかった。手だけではなく、全身が硬直していた。彼の影には、灰色のクナイ・ダートが突き立っていた。
  
 スレッショルドが異常に気付き、激しい混乱をきたす前に、彼の横を黒い影めいた風が吹き抜けた。「……な、何が!?」スレッショルドは廊下に立ち尽くしたまま、戦略マップ上で照合を行った。それは確かに、忠実なるシャドウドラゴンのバイタルサインだった。だがその姿は明らかに違っていた。 
  
 何が起こっている。識別信号は絶対にシャドウドラゴンだ。そしてシャドウ・ピン・ジツ。天下網にも登録されたシャドウドラゴンのジツ。「し、信じられぬ……!まさか、裏切っ……?」スレッショルドの眼球は下を向いた。仰向けで意識を朦朧とさせたニンジャハンターが、早撃ちの姿勢を取っていた。
  
 スレッショルドは動けなかった。あれよあれよという間に、怒りに満ちた影のようなニンジャは壁と天井を蹴って進み、叫び、ダートを投擲し、カラテを振るった。そしてクナイを撃ち尽くすと、黒い影めいた己の片腕を深く引っ掻いた。影が千切れ、直後、彼の指の間に3本のクナイが生成されていた。 
  
 影は形振り構わず突き進んだ。コンプレッサーを縫い止めるための最短経路で。スレッショルドは相棒に、そしてアクシスIRCに、異常事態を報せようとした。だがニンジャハンターは歯を食いしばり、六連射を行った。四発が外れ、一発がスレッショルドの喉を貫いて声を塞ぎ、もう一発が頭を貫いた。
  



「サヨ……ナラ!」リボルバー銃弾で頭を撃ち抜かれたスレッショルドは、ゆっくりと後ろに倒れ、爆発四散!シェリフはにやりと笑って銃口の煙を吹き、仰向けのまま得意のガン・スピンを決めようとしたが、巧く行かず、銃は胸の上に落ちた。モナコは床に転げ、顔を真っ赤にして苦しげに息を吸った。 
  
 少し離れた場所でコンプレッサーは標的を仕留めようとしていた。「イヤーッ!」「ンアーッ!」ユンコに回し蹴りを入れ、壁に叩きつける。壁にヒビが生ずる。「ファック野郎!」彼女は痛みを感じない。表情を変えずマシンガンを構えんとする。「無駄だ!」ニンジャの拳に圧縮空気渦が生み出される。 
  
 それは彼のヒサツ・ワザ、コンプレッション・ケンであった。その一撃は、戦闘用オイランドロイドの強化外殻ですら容赦なく破壊するだろう。ハタモト・エージェントはそれを知っていた。シャドウ・ピンでは間に合わぬ。ゆえに彼は危険を冒し、敵の注意を引くべくアンブッシュを行った。「イヤーッ!」
  
 謎の介入者がハイデッカーをカラテで蹴散らし迫る。「何者だ!?イヤーッ!」コンプレッサーは側面からの突撃に反応し、迎撃のコンプレッション・ケンを放った。「イヤーッ!」影は素早い前方飛び込みでこの致命的カラテを間一髪回避。そして敵の影の上で前転すると、そのままの勢いで前方跳躍した。
  
「チィーッ!」コンプレッサーは敵が後方へ抜けたのを感じた。重なるシャドウドラゴンの認識信号。爆発四散するスレッショルド。「何が……!?」「くたばれ!」すぐ横でドロイドが銃を構える。これを回避し、背後の敵と向かい合おうとするも……コンプレッサーの身体は凍りついたように動かない。 
  
 コンプレッサーは己の影を縫い止めるクナイに気づき、戦慄した。前転時に、敵がこれを突き立てたのだと悟った。ジツにかかったのだ。「イイイヤアアーーーッ!」彼はカラテを振り絞り、この謎めいた束縛から逃れようとした。「……無駄な足搔きだ。俺のジツは破れない」後方から敵の声が聞こえた。 
  
 クナイ・ダートは彼を実際束縛し、決して離そうとはしなかった。アイサツを交わす暇すら無かった。BRATATATATATATATA!戦闘用オイランドロイドが至近距離でマシンガン銃撃を行った。彫像めいて凍りついたコンプレッサーは、無抵抗で全身を撃ち抜かれた。「サヨナラ!」爆発四散! 
  
 ユンコは背中の放熱フィンを再び展開して排熱しながら、階段踊り場側にカラテを構える。マシンガン全弾撃ち尽くし。そのウカツな過剰射撃は、彼女の本性が戦士ではないことを物語っている。だが敵はまだいる。至近距離にもう1体ニンジャがいる。エネルギー残量が少ない。トロ成分も不足してきた。 
  
「ドーモ、シャドウウィーヴです」爆発四散の煙が晴れ、謎の介入者の姿が露になる。「……誰?」ユンコは戦闘用AIを思慮深く御し、相手を油断無くスキャンする。同時に腰のマルチタッパーを開き、スシを補給する。未確認存在。胸の奥でマイコ回路が軽率に作動する。彼女はこれも思慮深く御する。 
  
「誰でもいい。お前をこの包囲網から逃がすために来た。俺はアマクダリの敵だ。お前はデータを持っているな」影は手短に答え、焦燥感に満ちた声で問うた。ユンコは彼を警戒したまま、後方をちらりと見やる。シェリフとモナコは互いに肩を貸し合って立ち上がり、非常階段の扉を開け離脱してゆく。 
  
『シャドウドラゴンより報告。コンプレッサー=サンが規律違反。スレッショルド=サンとこれを粛清。スレッショルド=サンは戦死』返事を待つ間、シャドウウィーヴは直結されたバイタル認識装置付IRC端末に論理タイプを行う。『目標確保。支援必要無し』そして直結を解除し、端末を踏み砕いた。
  
 ユンコはスシ補給とマガジン交換を終えた。彼を信ずるべきか否か。銃口は下げない。「俺の行動は時間稼ぎにもならない。セクトは強大だ」彼は影のフードを脱いだ。必死で言葉を探し、自殺的歩調でオイランドロイドに近寄った。「頼む。助けたいんだ。お前はデータを持っているな、ツァレーヴナ」 
  
「……」ユンコは短い状況判断の末に、首を縦に振り、銃口を下げた。「よし」シャドウウィーヴは影のフードを目深に被り、手を引いて階段を登る。「急ぐぞ、時間が無い!」「何処へ!?」階下へと脱出しようとしていたユンコが問う。「下はもう手遅れだ!オナタカミの多脚戦車が何匹も来ている!」
  
「「「「スッゾコラー市民!」」」」再び突入し、階段を駆け上がってくるハイデッカー。シャドウウィーヴとユンコは階段を駆け上り、屋上へと向かった。一方、シェリフとモナコは非常階段を下り、ハイデッカーの追跡を逃れてシェリフの部屋へ、そしてシェルターへと向かった。 
  
「まだ完全に信じたわけじゃないけど!」ユンコは引く手を振り払いシャドウウィーヴと並走する。「確かにこれしか手が無さそう!」そして屋上階の扉をゴス・ブーツの重いカラテキックで蹴破った。「イヤーッ!」「「「ザッケンナコラー市民!」」」そこには既にヘリから着陸したハイデッカー部隊!
  
「ファック!」ユンコはその場で立ち止まって銃を構え、射撃態勢を取る。BRATATATATATA!「止まるな!押し潰される前に、走れ!時間が無い!」シャドウウィーヴが彼女の横からニンジャの速度で飛び出し、ジグザグに屋上を縫うようにして跳び、カラテを振るってクナイを投擲した。 
  
 ユンコはすぐに、その言葉の意味を理解した。市街上空を飛ぶ輸送ヘリが、ハイタカ編隊が、自動ショーギ反応めいて群れ集ってくる。空が、窒息しそうだ。「カラテ・アクション!」ユンコはブーツからローラーブレードめいた車輪を展開。ゴーグルを下げて、マンション屋上を高速滑走し始める! 
  
 ハイデッカーの銃弾を辛うじてかわしながら、ユンコは屋上をブレード滑走射撃!BRATATATATA!弾幕で敵を翻弄する動きだ。シャドウウィーヴは彼女を護るように跳び回り、敵の首にクナイ投擲!「グワーッ!」さらに壁際の敵に飛び掛かりボレーキックで蹴り落とす!「グワーッ!」 
  
 シャドウドラゴンであった頃ならば、彼は真正面から容赦なく飛び掛かり、鉤爪を備えた腕でハイデッカー二人をまとめて引き裂いていただろう。だが影の鱗ははがれ落ち、翼は折れ、獣じみた戦い方もできない。「イヤーッ!」「アバーッ!」クナイ・ダートと速度を活かしたカラテで突き進むのみ! 
  
 二人は隣のビルへ、さらに隣のビルへと跳び渡る。過密スラム街ゆえ容易い。「「イヤーッ!」」ユンコは予想外のAI動作によってトリック・ジャンプめいた姿勢。少し離れた場所を並走するシャドウウィーヴは、身を削るように影の腕からクナイを引き抜きながら跳躍し、先の敵部隊に対し投擲する。 
  
 記憶は未だ混濁していたが、洗脳下の行動を忘却してなどいない。セクトが如何に異物を追いつめ、囲み、抹殺するかを知っている。己自身が迫害者を指揮する側にいたのだ。その記憶が身悶えする程の屈辱と後悔、そしてそれを塗り潰す怒りをもたらす。「次はハイタカが来るぞ」彼女に短く告げる。 
  
「私がやるッ!」ユンコが腕を大きく振り滑走の勢いを増す。上半身だけを右側に向け、サイバネアイで射程限界のハイタカ編隊をロックオン。「インダストリ!」脚部から最低限のマイクロミサイルを射出!「イヤーッ!」シャドウウィーヴは背中を晒した彼女を護るべく前方の敵部隊をカラテで突破! 
  
 さらに隣のビルへと跳躍、跳躍、跳躍!「まだ納得いってないからね!」並走し、ユンコが叫ぶ。「包囲網を超えたら全て説明してやる!」シャドウウィーヴが返す。かつて彼はユンコの存在自体も抹消すべく戦ったが、それを逐一教えてやる時間もない。「あとは俺を殴ろうが、撃とうが、好きにしろ!」
  
 この先に四車線大通り。最短経路はむろん直進。左手のストリートにパックド・スシめいて並ぶハイデッカー車両列を見れば、大通りの封鎖状況は言わずもがな。「下にニンジャがいるッ!」ユンコが検知し叫ぶ。「まっすぐ跳び渡れるか!?」影と並走しながらユンコは計測し、返す。「ちょっと無理!」
  
「捕まっていろ!」シャドウウィーヴはニンジャ筋力で彼女のボディを抱え上げ、踏み切って、大通りを跳躍した。全身にカラテが満ちた。「イヤーッ!」「「「アッコラー!」」」ストリートから上空に向けハイデッカーがライフルを向けるも、遥かに遅い。影は大通り反対側のビル屋根へ着地していた。
  
 彼らは区の全域に張り巡らされた包囲網の第一段階を突破した。「噫!」レイジは再び並走し、笑った。「まだ見えるぞ!」「何が!?」並走しながらユンコが問うた。「音と!コトダマが!空を揺らしてる!」「どういう事!?」「残響だ!お前の電波が俺にそれを見せた!」彼は堪え切れずに叫んだ。 
  
「狂っちゃった!?」「俺は少しも狂ってない!また見えるようになっただけだ!」彼の超常的な影の視界は、一瞬のシステムショックがもたらしたエテルの揺らぎを見ていた。世界に満ちる不可視のハイクを。それは残響めいて徐々に減衰しつつも、未だ残っていた。「何を!?」「世界の本当の姿だ!」
  

◆◆◆



「イヤーッ!」レッドハッグが刃の嵐めいて横薙ぎの連続斬撃を繰り出す。だが相手に対して半身姿勢を取るスワッシュバックラーは、軽快なカラテ・バック・ステップでそれを回避し、ワン・インチ距離を維持し続ける。「イヤーッ!」そして隙あらば、鋭い刺突剣でハチめいて彼女の肉を刺した。 
  
 間もなくカタフラクトが旋回突撃してくる。一対一の間に剣士を殺さねば打破できぬ。レッドハッグは強烈なカタナ斬撃を、脳天目掛け繰り出した。だが敵は手首のわずかなスナップで剣先を回転させると、巻きつく鉄の風めいた不可思議な動きで、いとも容易く彼女の太刀筋を逸らした!「拍手喝采!」 
  
 SWASH!金属音とほぼ同時に、血飛沫!レットハッグの利き腕、手首から肘にかけて浅い裂傷出血。さらに交差する直前、膝蹴りが彼女の腹に突き刺さった。「グワーッ!」レッドハッグは斬撃の勢いのまま、顔をしかめて前方回転跳躍するように逃れた。二者の剣の技量差はもはや歴然であった。 
  
 だが直後、カタフラクトはアクシスIRCの異常を察知。眉根をひそめた。未だアルゴスの最終判断は下されていない。それでも彼は突撃を中断し、南西へハンドルを切った!(((そろそろバレちまったかねえ…)))レッドハッグは舌打ちし、経路を遮るように駆ける!「待ちな!アンタの相手は…!」
  
 だが敵の跳躍斬撃が、それを遮った。「いやいや、お相手はこの私だ」「アンタ、しつこいねえ…!」レッドハッグは紙一重のブリッジ回避。切断された黒髪と頬の血が飛んだ。彼女の闘志は未だ燃え盛っていたが、無慈悲な重モーターバイクの黒い音は、もはやスリケンも届かぬ距離へと達していた。 
  

◆◆◆



 当該閉鎖ディストリクトにおけるハイデッカーとアクシスの包囲網は、静かな混乱をきたしていた。レッドハッグによる陽動。ユンコ・スズキの検出。そしてシャドウドラゴンの不可解な動き。再び沈黙した彼のバイタルサイン。矛盾する数々のデータ。並行して繰り広げられるニチョーム包囲戦の激化。 
  
 暫時の酩酊じみたシステムショックから復帰したアルゴスは、いまやネオサイタマ電脳IRC網を再び支配下に置いていた。抵抗者が迂闊にIRCを用いれば、すぐさま検出され物理IPを割り出されてUNIXを破壊されるか、あるいは月面からハッキング攻撃を受けてニューロンを直接焼かれるだろう。
  
 すなわち、ユンコの持つ厖大な機密データはいかなる通信網にも避難させることはできない。まずはこのディストリクトを物理突破しなければならないのだ。敵が完全な警備体制を固めるよりも速く。そのために二人の逃走者が向かう突破口は、南の工業河川カワ・ミナミに架けられた橋のひとつであった。
  
 時間との戦いだった。ユンコは影とLANケーブルで直結しながら、電脳スラム街を並走した。彼女はボディをAI操縦に切り替えれば、その間に情報の整理に集中できるからだ。浅いローカルIRCを用い、二人はニューロンの速度で言葉を交わした。無論、データ転送は巨大に過ぎ、不可能であった。 
  
 影は予測しうる敵のプロトコルを説いた。ハイデッカーが完全な警備体制を敷いた場合、これら全ての橋は検問、武装車両、バリケード、ハイデッカー小隊、暴徒鎮圧ドローンと多脚戦車で防衛されるだろう。そうなれば、ユンコの中に保存されたデータを守りながらその防御を突破することは不可能だ。 
  
 ユンコは姿見えぬ魚群めいたアルゴスの電子的存在感を説いた。巨大な意識が、ディストリクトを縦横にスキャンしているようだった。影はクナイで、ユンコは照準ロックオンからのライフル狙撃で、目につく市街監視カメラを破壊しながら進んだ。それがどれほどの妨害効果をもたらすのかは不明のまま。
  
「「「スッゾコラー市民!」」」ハイデッカー・ヘリがビル屋上を走る異物を自動検出。威圧的に並走するように飛行した。影は直結を解除する。ケーブルは鞭の如くしなやかに動いて巻き取られ、ユンコの後頭部に収納された。敵は側面ドアを開け、アサルトライフルで警告無しの一斉射撃を仕掛ける。 
  
 ユンコは迎撃を試みるも、ヘリ装甲は小型マシンガンでは貫けない。ハイデッカーの射撃をいささか緩めるだけだ。影はダートめいた速度で飛び乗り、射撃手二人を連続カラテキックで卒倒させ蹴落とし、制御UNIXとLAN直結している操縦ハイデッカーの首とケーブルを背後からクナイで搔き切った。
  
「アバーッ!」操縦ハイデッカーは緑血を撒き散らし絶命する。輸送ヘリは奪えない。LAN認証式であり、繋げば即座にアルゴスに焼かれる。影は機体側面を両脚で強く蹴ってビル屋上に飛び降り、ユンコと並走を再開した。クローン死体を乗せたヘリは東に傾き、死に絶えた大通りに墜落していった。 
  
 市街の監視カメラがヘリの爆発に向かって蟲めいて動く。2人は再び直結する。跳躍し、短い裏路地を飛び越えて立体駐車場の中へ。また監視カメラが突如意志を持ったかのように動く。直後にユンコの銃弾が突き刺さり、目を塞ぐ。屋上をアクシス輸送ヘリが通過。光点を感じる。おそらく降下した。 
  
 もはやアクシス専用IRCの情報は傍受できない。シャドウウィーヴが敵の動きを探り続けるために端末とIRC直結を続けていれば、何処かの時点でアルゴスに覗かれ、焼かれていただろう。彼は実際限界まで、バイタルサイン認証型端末を首に爆弾めいてぶら下げながら、正体を隠し続けていたのだ。 
  
 さらに一機、輸送ヘリからアクシスが屋上に降下。アルゴスは既に気付いたのだろう。忠実なるハタモト・エージェントがアガメムノンを裏切った可能性に。だがデータは不足していた。互いの手の内が全く見えぬ状態で暗闘が繰り広げられる。監視カメラ映像が西に向かって連鎖的に破壊されていった。 
  
 クナイと銃弾が、射程距離の限界までカメラを破壊してゆく。姿を捉えられぬまま、監視カメラの破壊情報だけが西へと移動する。アクシスが屋根を跳び渡り西へ動いた。次の瞬間、ユンコのハッキングによって粗っぽく論理キーを破壊されたモーターバイクが、三階から南東に向かって飛び出した。 
  
 魚群が西の餌に食い付いた隙に。二人を乗せたモーターバイクは、ハイデッカー装甲車を飛び越えながら荒々しく着地し、メインストリートを疾走した。カワ・ミナミと、その上を交差するように走るハイウェイ高架が見えた。包囲網は未だ完全ではない。ダートめいて貫くべく、バイクは速度を増した。 
  
 だが次の瞬間、彼らの行く手を遮るように、ハイウェイ高架から黒い塊めいたものが飛び降りた。それはカタフラクトの跨がる重モーターバイクだった。






  
 カタフラクト。秩序の猟犬。システムの重騎兵。情け容赦ない死の車輪。前方から冷徹な向かい風が吹き付け、ユンコのケーブル髪をざわつかせ、バイクハンドルを握るシャドウウィーヴのフードを殴りつけるように払って顔を露にする。 
  
 黒髪は一部が刈られたように醜く失われ、肌は青白く、灰色の傷痕が残っている。影はフードを被り直し、舌打ちした。彼は敵を知っている。どれほど厄介な相手か知っている。速度を緩めるな。心臓が早鐘めいて鳴る。汗が滲む。セクトの駒として任務を遂行している間、このような感覚とは無縁であった。
  
 速度を緩めるな。速度を緩めるな。速度を緩めるな。ユンコと彼女の影はニューロンの速さで3度復唱した。『重点!』『重点!』『ロックオン重点!』距離200、橋の手前、ハイデッカー部隊、重モーターサイクルのニンジャ。「インダストリ!」ユンコは叫び、両腿からマイクロミサイルを全弾射出! 
  
 灰色の煙が絡み合いながら飛び、着弾する。KBAM!KBAM!KBAM!橋の手前で小爆発の華が咲く。爆煙と金属粒子、熱、光、コンクリート片。影はニンジャ動体視力を研ぎ澄ます。バイクはさらに速度を増す。爆煙の間を、武装車両と武装車両の僅かな隙間を、抜け道を、鋭いダートめいて貫く。 
  
 爆煙の中。視界ゼロ。鋭い音が横を掠める。ユンコは信じしがみつく。直後、視界が晴れた!バイクは包囲網を破り、橋へ!「イェー!」ユンコが叫ぶ。直後、ニンジャソウル反応が後方から猛然と。座標が重なった。見上げた。重モーターサイクルが爆煙を抜けて高く跳躍し、踏み潰すように降ってきた。 
  
 重モーターサイクルのタイヤが橋のアスファルトを焦がす。間一髪。二人が乗ったバイクは直前で車体を大きく右へと倒し、轢殺回避。立て直す。タタミ2枚距離で並走。一瞬の睨み合い。重騎兵は相手のニンジャソウルとカラテを感じ、確信した。「ドーモ、シャドウドラゴン=サン、カタフラクトです」 
  
 シャドウドラゴン。その名を聴き、ユンコの精神に僅かなパルスが走る。「ドーモ、シャドウウィーヴです」影は忌々しげにアイサツを返した。直後、ユンコは左腕のマシンガンを展開。銃弾を浴びせる。BRATATATA!だが重モーターサイクルは急減速し、堅牢な前面装甲でこれを雨粒めいて弾く。 
  
 機械にシャドウピンは通じない。影は己のカラテをバイク操縦のみに集中させる。重モーターサイクルは不気味に彼らの後方へ回りこみ、距離を保ち追走する。排気量の差は歴然。敵は狙いを定めている。馬上槍めいた速度で追い上げ、貫くつもりだ。影は縫うように車体を左右に揺らし、敵と読み合った。 
  
「ハタモトが裏切り、標的ドロイドともに逃走」カタフラクトは短くIRCに報告を入れる。直後、重騎兵はギャロップめいて急加速前進。敵バイクを後方から踏みつぶさん勢い。さながら軍馬と小馬。だが二人は再び読み勝った。車体を急激に左に倒し、これを逃れる。バイクが軋む。限界酷使で揺れる。 
  
 車体を起こす。走り去る重モーターサイクル上に敵はいない。敵は2段構えだった。サドルを蹴ったカタフラクトが、武骨なロングコートをはためかせながら、斜め前方から無造作に飛び掛かってきていた。バイクの反応限界を超えていた。躱せない。二人はニューロンの速度で意思疎通し左右に飛んだ。 
  
「イヤーッ!」カタフラクトは握り拳を振り上げ、鉄槌めいたカラテでバイクの横腹を打った。衝撃。横転。火花。爆発。ユンコはAIに身を任せ、辛うじてローラーブレード着地。独力で走行開始。バイクを破壊し終えたカタフラクトが彼女を追う。背後の影を狙い、シャドウウィーヴのクナイが飛ぶ。 
  
 三連続のダート投擲。縫う直前、カタフラクトは大きな側転で回避。着地。影は蛇行前進し、狙い、低空トビゲリ。敵は立て膝姿勢から裏拳。レッドハッグを捌いたように薙ぎ払う。まともに喰らう。影は弾き飛ばされ血を吐く。だがこれも二段構え。薙ぎ払い姿勢のまま敵は凍りつく。その影にクナイ。 

 それは一瞬の攻防であった。シャドウウィーヴはトビゲリを撃墜される直前に、カタフラクトの影へとクナイを投じていたのである。シャドウウィーヴは背中から欄干に叩きつけられた。カタフラクトはその長身に膂力を漲らせ、カラテを振り絞った。動けぬ。標的オイランドロイドが見る間に遠ざかる。 
  
 速度を緩めるな。影が縫い止める。皇女は逃げる。腕を振り、両脚のローラーは火花を散らし加速する。ユンコは後方へ叫ぶ。「一緒に!」しかし息を呑む。後方彼方、空を圧するヘリ部隊とドローン編隊。ハイウェイに降下するニンジャ。多脚戦車。前方からは黒い爆音。迫る無人の重モーターサイクル。
  
 重モーターサイクルは自律操縦で橋の先から取って返した。否、それ以上の精度。ユンコはアルゴスの気配を感じる。黒い塊が真正面から迫る。「跳べ!ツァレーヴナ!跳べ!」影が苦しげに身をもたげ、叫んだ。「欄干へ!」「カラテ!」ユンコは回転跳躍した。AIが鮮やかな空中トリックを決めた。 
  
 ユンコは己が組み込んだAIモーションの対応力を信じた。彼女は自らの体をハックし続けてきた。屈伸して飛んだ彼女はケーブル髪を振り乱しながら斜めに欄干へと着地。ローラーブレードが鋭い火花を散らし、驚異的なバランスで滑走を維持する。すぐ下を重モーターサイクルが死の速度で通過する。 
  
 交差した。システムの乗騎は彼女に指一本触れられぬ。「やったッ!父さん!やったッ!」ユンコは己のボディに驚嘆したように目を見開き、咆哮した。もはや前方に彼女を阻む者無し。包囲網突破。直後、彼女はLANケーブルを引っ張られるように、視線を後方遠く、残した己の影へと投じた。 
  
 遠ざかる。サイバネ・アイ視界をズーム。ズーム。シャドウウィーヴは走り、縫い止めた獲物へ飛び掛かる。急所を狙いクナイを投ずる。だが重モーターサイクルの放つ強烈な光が、縫われた影を打ち消した。カタフラクトが立ち上がり投擲クナイを弾いた。皇女が叫び、遠ざかる影に命じる。死ぬなと。 
  
 ユンコは橋を渡り切り、隣接ディストリクトへ消え行こうとする。カタフラクトは己の乗騎に飛び乗ろうとした。追跡するために。だがシャドウウィーヴがカラテを挑みかかり、それを阻止した。重モーターサイクルは再び無人のまま、二人の横を走り抜けた。カタフラクトは拳を鉄槌めいて振り下ろした。
  
 シャドウウィーヴは両腕を盾めいて掲げ、防いだ。叩きつける重いカラテ。衝撃。激痛。腕と膝がみしみしと軋む。体格差は歴然。もはや身を守る鱗はない。次の一撃が来る。シャドウウィーヴは反撃を繰り出そうとしたが、初撃の圧が彼を束縛し、逃がさぬ。真正面から、全体重を乗せた前蹴りが来た。 
  
 辛うじて前方にカラテ防御を固め、両足でアスファルトを踏みしめた。カタフラクトの足を覆う重厚なバイカーブーツの底が命中した。歯を食いしばって受け止めるも、余りの衝撃にシャドウウィーヴは呻き、上体を乱して後方に蹌踉めいた。止めを刺すべく、カタフラクトはセイケンヅキを繰り出した。 
  
 シャドウウィーヴは上体を沈ませ、紙一重で回避。ワザマエ。そのまま敵の顔面に肘打を叩き込む。だが浅い。直後、カタフラクトの強引な膝蹴りが彼を斜め上方へと蹴り上げた。上空を輸送ヘリ編隊が飛んでゆくのが見えた。シャドウウィーヴは空中で身を捻り、下にクナイを投擲した。全て弾かれた。 
  
 シャドウウィーヴは限界まで敵を足留めし続けた。支援の銃弾が周囲を舐め始めた。定石通りアクシスとシデムシが橋の両側に降下し、橋の中央で抵抗を続ける彼を挟み込んだ。ユンコには別の触手が伸びている。カタフラクトは三度目でようやくモーターサイクルに飛び乗り、アクセルを吹かした。 
  
 橋の中央でレイジは立ち上がった。息が乱れ、腕が上がらず、カラテすら構えていない。皇女は遥か後方。前方から迫るカタフラクト。冷徹なバイカーゴーグルとアルゴスの眼が睨めつける。アクシスは連携する。ドロイドの追跡を空に任せ、システムの重騎兵は、裏切者を確実に踏みしだかんと迫る。 
  
「俺は呪われているんだ」レイジは観念したように笑い、前方から迫り来る死の抱擁を受け入れるように両腕を力無く広げた。秩序のサーチライトと重騎兵のヘッドライトが、凄まじい光量で前方から浴びせられた。眩暈と吐気を催すほどの光の暴力。影はなお濃く、深く、彼の背後へと刻み付けられた。 
  
 死の車輪が迫った。だがセプクする気は無かった。呪いこそは我が力なり。光を限界まで引きつけ、後方へ倒れ込んだ。システムの重騎兵が駆け抜けた。通過した。レイジの姿はどこにも無かった!汝、死ぬなかれと皇女は命じた。そしてその通りになった。彼は旧きジツを使い、己の影の中に消えていた。
  
 重騎兵は鋭角のブレーキ痕を刻みながら、後方を振り返った。ニンジャは忽然と姿を消していた。無力なるモータルにも、ジツ持たぬサンシタにも、また蟲めいて蠢く監視カメラ群にも阻むこと能わず。見よ、見よ、影は息を止めて闇に潜み、這い進み、不可視の水銀が跳躍するように渡り、橋を越えた! 
  

◆◆◆



 ワルツを踊るような後方へのごく短いステップ。ほんのワン・インチの違いで、剣先は危険域から外れる。「イヤーッ!」同時に、スワッシュバックラーの剣先が精密マニピュレータめいて回転し、レッドハッグの荒々しい踏みこみ斬撃を再びいなした。そのまま刺突剣は彼女の心臓を貫かんとする! 
  
 だがレッドハッグはカタナを捨てていた。カタナが両者の間を舞う。刺突剣に腕を切り裂かれながら、荒々しく一回転するレッドハッグ。敵が罠を察し、引く。だが追う。懐へ潜りこむ。彼女の拳には、卑劣武器ナックルダスター。全体重を拳に乗せ、力任せに殴りつける!「イヤーッ!」「グワーッ!」 
  
 ワイヤーアクションめいて弾き飛ばされるスワッシュバックラー。咄嗟に防御に用いた片腕が悲鳴を上げていた。「これはつまらん、興醒めだ!」空中でひらりと一回転し着地する。レッドハッグは逃がさない。着地点へと荒々しくガレキ片を蹴り込んでから飛び掛かり、近距離の打ち合いに引きずり込む。
  
「「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」」鉄拳と刺突剣の護拳が、目にも止まらぬ速度で火花!「流れが変わったかい!?」レッドハッグが笑う。上空のヘリ編隊は既に南へ。システムはスワッシュバックラーにも移動命令を下している。この女アサシンは無価値。留まる事はリソースの浪費そのもの! 
  
 レッドハッグの一打一打は速く重い。だが荒い。まるでヨタモノの喧嘩だ。噛み合わない。スワッシュバックラーは不快そうに舌打ちすると、剣柄頭で強引に顔面を殴りつけ、割りこんだ!「イヤーッ!」「グワーッ!」彼女はなおも間合を維持し、前へ前へと打ち込んだ!「まだ付き合ってもらうよ!」 
  
 敵は戦闘から離脱せんとする。だが彼女はそれを許さない。移動し、戦って足留めし、また移動する。既にモノバイクは放置され、彼女は囮の役目を放棄している。敵はとうの昔に陽動を見抜いている。あのオイランドロイドは逃げ果せたに違いない。仕事は終わり。あとは好きなようにやるだけだった。 
  

◆◆◆



 ユンコはレインコートを“調達”し、無表情な雑踏に紛れ灰色のメガロシティを逃げた。彼女は取るに足らぬサイバーゴス。大量生産された都市の部品。いきがった不良娘。誰も取り合わない。胸に秘めたデータの重大さを知らない。肩がぶつかりジョックスが口汚く罵る。反応も返さず機械めいて進む。 
  
 彼女は秘密のアジトに向かって逃げる。粒子が拡散するように、アルゴスの監視気配が散ってゆく。しばしばニンジャソウルを検知する。彼女は都市に溶け込み、逃げる。大交差点に掲げられたプラズマ時計は10101600。時間感覚がおかしい。直結が彼女の時間を圧縮し、また引き延ばしたのだ。 
  
 機密データの展開が終わっていた。それはグリモアめいて厖大に過ぎ、どこを開けば良いのかも解らない。動き続けながらナンシーのIRCログを参照し、読み解こうとする。だが手に負えぬ。一刻も早くデータを複製し、安全な場所に保存したい。IRC転送はできない。全てアルゴスの監視下にある。 
  
 ユンコはショウウインドウに映る己の姿を一瞥した。逃走時に銃弾を受けたか、左の唇から顎にかけ、オモチシリコンが醜い傷。コートの襟をさらに高く上げ、俯き気味に顎を引いた。そして強い表情で進む。地下鉄へ。そしてアジトへ向かおう。無線通信。弾薬の補給。データの保存。ナンシーは。影は。
  
 列車が走り出す。区の境界をまたひとつ超える。機密データを斜め読みしログをさらに遡った。洋上艦隊。トリイの島。月面。電子は再び洋上へ。ハーフプライス、エシオ、見知らぬ者たちが各々の理由で戦っていた。ネコチャンの文字列にユンコは目を見開いた。彼女のログアウト痕跡は見えなかった。 
  
 ナンシーのIRCログは傷だらけで完全ではない。それは難解だったが、大筋は理解できた。アマクダリは何か途方もなく強引な“再定義”を行おうとしている。それが成就した時、己の存在は消し飛ぶだろう。彼女は己の中に格納された機密データを何としても繋ぎ、中継せねばならないと再確認した。 
  
 ガクン!列車が突如揺れ、ざわめきが上がる。穏やかなBGMが鳴り、車内のLED文字板に非常停止を告げるノーティス。『戦時下だしチョット待って』『安心点検です』『感謝』ユンコは息を呑んだ。ナムサン!セクトがこの地区内の全交通機関を麻痺させにかかったのか?あるいはこの列車だけか? 
  
 ユンコはサイバネ・アイで咄嗟に車内をスキャンした。監視カメラ気配は及んでいない。ニンジャソウル反応も無い。動くべきか、動かざるべきか。息をひそめて待てば、やり過ごせるかもしれぬ。だが彼女は動く方を選んだ。雑踏をかきわけドアの前に向かい、それをサイバネ腕力でこじ開け、逃走した。
  
 直線距離にすればアジトはもう近い。このまま地下道網を抜ける。ユンコは地下トンネルをブレード疾走した。無人の地下トンネル。廃墟地下アーケード街。地下街頭TVに映し出される新たな指名手配テロリスト。彼女の顔。市民も監視者に加わる。圧迫感。走る。アジト至近。ニンジャソウル反応。 
  
 もうトンネルを抜ける。その先、線路の上に立つ人影が見える。逆光で判然とせぬ。ニンジャソウルを感じる。さらにその彼方の空には、威圧的なヘリ編隊の機影。追っ手に先回りされたのならば、デッドエンド。だがユンコは躊躇せず、速度を緩めず、前傾姿勢でブレード疾走を続けた。そして笑った。 
  
 ナンシーがこのアジト座標を共有した相手は限られている。ニンジャであれば二者。ニンジャスレイヤーとレッドハッグ。だが実際にはもう一人。ユンコ自身の判断で、直結の中で伝えていた。そして影は戻ってきた。彼はユンコの手を取り、ヘリの威圧的な投光器を逃れるように、ダートめいて跳躍した。
  

◆◆◆



 ナンシーが今日の作戦のために用意していた臨時アジトはネオサイタマ内に全部で三カ所。そのひとつ。大型ガレージ。薄明かりの中でUNIXデッキのLEDがホタルめいて瞬く。『何でも答えるって言ったよね。聞きたいことがたくさんある』一分一秒を惜しむように、ユンコが直結IRCで言った。 
  
『シャドウドラゴンって言ってた』ユンコは並列直結し、データをUNIXに保存しにかかる。だが転送は出来ない。気休めだ。『ああそうだ』シャドウウィーヴは隅の暗がりに影の腕を浸すようにもたれかかりながら、この頼りないアジトを見渡していた。壁に掛けられた赤黒の旗を、暗い表情で睨んだ。
  
 最初にビル街を飛び渡りながらLAN直結を行った時、既に二人は多くの対話を行っていた。直結はユンコが提案し、シャドウィーヴは僅かな躊躇とともに了解した。あの極限状況の中で協力し逃げ切るには、意思疎通時間を限界まで圧縮し、ニューロンの速度で対話する必要があったからだ。 
  
 直結はユンコの自衛手段でもあった。相手がテンサイ級ハッカーでもない限り、おかしな動きを見せた途端にニューロンを焼き切れる。直結した時点で、タイプ弱者は生死を委ねたも同然なのだ。それを受け入れたという事は、この奇妙なニンジャが命懸けで彼女を逃がそうとしている事の裏付けだった。 
  
『試したワケじゃない。試すまでもなかった。最初に話した時から、それは解ってたけど』『何故?』『だって……私は機械じゃなくって、人間だから。そういうのが読み取れる。必死な人が解る。私を利用しようとするクソ野郎の表情と声も解る。でも隠してた。シャドウドラゴンだって事。ナンデ?』 
  
『騙す気も利用する気もなかった』シャドウウィーヴはオイランドロイドにそう返した。『余計な情報を伝えて、あんなところでイクサが始まれば、逃げ切れなかった』『それで、あとで何でも答えるって言ったの?』『ああそうだ。俺は元アマクダリのエージェントで、お前を消そうとした事さえある』 
  
「俺はお前を殺そうとしたんだ。圧し潰し、消し去ろうとした。喜びも哀しみも無く、ただミッションを与えられ、淡々と作業を実行した。システムから外れた者たちを処理させられた」暗がりからシャドウウィーヴの絞り出す声は、震えていた。「幸い、お前は死ななかったが」しばしの沈黙があった。 
  
『……それで、セクトに復讐するために、裏切った』『そうだ』『私を助けたのは?』『お前とデータを逃がせば、セクトに致命的なダメージを与えられると。実際正解だろう』『それだけ?』ユンコはトロを補給しながら問うた『……俺はかつてお前を殺そうとした。だから今度は助けたいと思った』 
  
『それだけ?』ユンコはもう一度問うた。シャドウウィーヴは髪をかきむしり、嘆息した。怯えたような表情を作り、答えた。『……死んだ奴のことは話したくない』『ごめん』オイランドロイドが驚き、謝った。相手のニューロンの奥まで踏み込むつもりは無かった。『そんなつもりじゃなかった』 
  
『聞きたい事はこれで全てか?』『最後にひとつだけ、これは気軽な質問』ユンコはハンガーにボディを固定すると、僅かな弾薬を補給し、接合部の応急修理を行いながら、無線装置のチューニングを開始した。『何で私をツァレーヴナって呼ぶの?』『見えたからだ』『見えた?』ユンコは首を傾げた。 
  
『ハイウェイに墜落した時、空が残響めいて揺らいだ。お前の後ろに名前が見えた。ユンコ・スズキ。ミッドウィンター。最後にツァレーヴナ。それは凛々しく美しいと思った。何か特別なことだと思った』『……それってWHOIS?』ユンコはナンシーから聞かされたコトダマ空間の作法を想起した。 
  
 シャドウウィーヴは眉根を寄せ、思案した。そしてかぶりを振って呟いた。『……呪いだろう』『ワオ』予想外の答えに、ユンコは驚いた顔を作り、シャドウウィーヴを指差した。『それ、ファッキン・クールだね』ザリザリザリザリ……ザザザザザピガガガガガガガ……違法無線電波が繋がった。 
  
「ドーモ、ユンコです」ユンコは恐る恐るアイサツした。無線機からノイズ混じりで向こうの世界の音声が漏れた。IRCとはまた違う不思議な感覚だった。「ドーモ、ネザークィーンです」ニチョームの司令塔だ。「ドーモ、ナンシーです」思いがけぬ声!目覚めていたのだ!ユンコの表情が明るくなる!
  
「ナンシー=サン!?今何処に!?」ユンコが喜びを爆発させて言った。「こっちも今しがた繋いだところ。まだまだ洋上よ。艦隊からは無事離脱した。予定通り、傭兵さんたちにピックアップしてもらったわ」言葉とは裏腹に、ナンシーの声は弱々しい。おそらく何処かに身を横たえているのだろう。 
  
「ニンジャスレイヤー=サンは、来れるの?いつ到着するの?」ネザークィーンの声が割って入った。平静を保ってはいるが、声色からは強い焦燥感がにじむ。ニチョームは、追いつめられているのだ。「…正直、まだどれだけかかるか解らない」ナンシーが言った。「情報を共有しましょう、少しでも」 
  
 三人の代表者は、手短に情報交換を行った。アマクダリの動き、戦力配置などについて、知り得た情報を可能な限り伝えあった。時折、シャドウウィーヴが彼女にLAN直結チャットで敵の情報を伝えた(それも断片的なものであったが)。ユンコは彼の存在については伏し、自らの声でそれらを伝えた。 
  
 最も過酷な状況にあるのは明らかにニチョームであった。明確な勝利条件の見えぬ戦い。唯一の希望は、アマクダリが表社会と癒着した体制側であること。ネオサイタマ中心部で大規模市街戦を長時間は維持できぬこと。だが、あと何時間攻勢をしのげばよいのか。誰を落とせば敵は退くのか。未だ見えぬ。
  
「アナイアレイター=サンが落とされて、乱戦が始まったわ。奴ら、どんどん壁を越えてくる」ザクロの声には悲壮感すら漂う。「スターゲイザーに率いられたアクシスが、ゲートからヤグラに迫ってきてる。敵の司令官よ。バカみたいな強さ!死なないのよ、こいつ!」 
  
「十二人の一人。ニンジャスレイヤー=サンでも殺しようがなかった」とナンシー。「今の所、およそどんな殺し方でもダメ、カラテでも、ジツでも、サイキックでも……おそらく。でも司令官なのよ、こいつが。落とせれば、攻勢が止むかも……」ザクロは天を仰ぐ。「だから、総攻撃をしかけるの」 
  
「いつ仕掛けるの?」沈黙を続けていたユンコが口を開いた。「1645よ」彼女はLED時計を見て舌打ちし、ゴーグルをかけた。「もう少しだけ待てない?ニチョームだよね?」「ニンジャスレイヤー=サンを待ちなさいって事?でももう戦場は」「情報が機密データに?」ナンシーが察し、遮った。 
  
「そう!あった!ファック!データを送れたら一発なのに!」ユンコがもどかしげに叫ぶ。「ユンコちゃん、落ち着いて」ナンシーが諭す。「待って!こんなのに総攻撃なんてダメ!自殺行為!」ユンコは頭を掻き、問う。「大型装甲トレーラーが近くに居ない!?オナタカミ社の!アンテナ積んでる奴!」
  
 ネザークィーンが通信でサヴァイヴァー・ドージョーやシマナガシに問う。返信。ゲート外に該当する車両の存在を確認。「いるわ!これを壊せばいいの!?」「ダメ!壊したら絶対にダメ!」ユンコはトロ成分を消費し、カエルAIアドバイザとともに脳内データに高度なGREPを連続で投げていた。 
  
『スターゲイザー=サン。衛星軌道上から不可視波長のボディ構築情報を常に受信しており。不死身ドスエ』「トレーラーのアンテナは、非常時用の衛星との通信手段!ハックすればいい!」ユンコは電子マイコ音声でタイプ文を読み上げさせながら、同時に己の人工声帯をも使い、多重音声で伝えた。 
  
 ユンコが持つ機密データには、非常時アクセス用のキーが含まれている。だがアルゴスの重点監視下にある今、IRC転送はできない。ナンシーでも遠隔ハックは不可能。ましてニチョームにハッカーニンジャはいない。制限時間が刻一刻と迫る。もはや答えは自明…トレーラーとのLAN直結あるのみ!




  
 そこで電波リンクは途切れた。コミュニケーションは不完全。ニチョームやナンシーとの最終的な作戦合意は、何一つ行われていない。 
  
『……ニチョームへ行くッ!』ユンコは自らのボディ整備を急ピッチで仕上げにかかった。『自殺行為だぞ!?お友達を助けるのか!?』『……さあ!?友達なんて一人もいないけど!』『この世界を救済するか!?』『カルトとか興味なし!』『なら何のために行く!?』『いま私にしかできないから!』 
  
 ユンコは最後のスクリューを締め、カーテン布を引いた。「そして生き残ってやる!」反抗的な顔、腕、腿に傷、機械部露出。片手片足は姉から引き継いだ歪で素晴らしい継ぎ接ぎ。『私と父さんにさんざんナメた真似をしてくれたファック野郎共に、一泡吹かせるんだ!この胸に宿ったデータとカラテで!』
  
「噫!死の大渦に自ら飛びこむか!報復か!」レイジの心臓が暗い激情とともに高鳴り、痛みを引きずりながら立ち上がった。暗闇に浸していた影の腕が、ブチブチと根を切るように引き抜かれた。『手伝ってくれるよね?』ユンコが少し残酷に笑った。『お前を逃がすためならどこへでも!』影は逆らえぬ。
  
『このファッキン世界に逃げ場なんて無いでしょ?』ユンコは強化PVC製サイバーレインコートを羽織り、壁のボタンを叩いた。ガレージ床がエレベータめいて揺れ、二人を乗せて下降した。『その通りだ』シャドウウィーヴは得心した。そして癒し終えた影の腕の感触を確かめるように、カラテを握った。
  
『データは?』『色々物理バックアップを取った』ユンコは記憶ディスクを手渡した。出撃路へ向け、エレベータは軋んだ音と共に下降を続ける。『呪いのせいで死なないんでしょ?ひとつ預かって。もしもの時はYCNANに』『そうならない事を祈る』『たくさん祈っておいて、何かクールな言葉でね』 
  
 ガゴン!リフトが床を打った。『どう動く』『見てて』ユンコはLAN直結を解除してリフトを降り、進み、覆い布を取り去った。そこには二台の傷だらけのモーターサイクルが並んでいた。ロードキル・デトネイター!そしてアイアンオトメ!「物凄く速いから」ユンコが二台のIRCロックを解除した! 
  
 胸の奥でモーター回路が高鳴る。「行こう、戦いに行こう、ニチョームへ」ユンコはサイバーゴーグルを下ろしロードキルに跨がった。一方シャドウウィーヴは、この鋼鉄の怪物が誰のものであったかを知り、僅かに表情を歪めた。それに跨がることで、己自身の魂があの男の軍門に下るのではないかと。 
  
 ドルルルルン!ロードキルのヘッドライトが灯る!出撃路が開く!「行こう!」「行くぞ!」シャドウウィーヴは車体側面にペイントされた「忍」「殺」の文字を影の腕の爪で削り、ニンジャのための重モーターサイクルに跨がった!ゴアオオオン!解き放たれた二台は黄昏時のメガロシティに飛び出した! 
  

◆◆◆



『ハタモト・エージェントのシャドウドラゴンが裏切りました』アルゴスの声は冷徹だ。「そうか」チバは醒めた目でそのIRCを睨み、市街監視カメラの分析映像に目を転じた。「このガキは何者だ」『シャドウウィーヴと名乗り、機密データ格納オイランドロイドとともに逃走、現在はいずこかに潜伏』
  
「包囲網を超えられた時点でデータ奪還作戦は失敗。物理バックアップをバラ撒かれて終わりだ。被害予測を立てろ。アクシスの余剰戦力は全てニチョームに回せ。一気に畳み掛けろ」『シャドウドラゴン、現在はシャドウウィーヴ……がラオモト邸襲撃可能性高確率。戦力配備を』アルゴスが提言する。 
  
 確かにあの裏切者は、ラオモト邸の現状を知っているだろう。チバは短い思案の後、苛立たしげに眉根を寄せ、葉巻を吹かして否定する。「要らん。来ればネヴァーモアが殺す」『了承』アルゴスがアクシスIRCへとコマンドを送り、チバ邸に向かいかけていた輸送ヘリ群がニチョーム方面へと転進した。
  
 戦略は全て、アガメムノンに予め定義された通り、アルゴスが管理している。アルゴスは極めて有能だ。だが彼のタイプ速度にも限界はある。一区画ならまだしも、アリめいた逃亡者を捜すため、市街の全監視カメラ群を大規模ハックする事は難しい。本来、アルゴスは前線に関わり過ぎてはならぬのだ。 
  
「スワッシュバックラーはどうした」『戦闘離脱し、輸送中』「急がせろ。スパルタカスは待機」チバはここでIRCを一時切断し、喘ぐような息を吐いた。「ハナミ儀式はまだ終わらんのか……!早くしろ、アガメムノン……!いつまで待たせるつもりだ、僕のカンニンブクロが爆発しそうだぞ……!」 
  

◆◆◆



 左様、ハナミ儀式が終了するまで、アガメムノンは動けぬ。逆に言えば、ハナミ儀式が終了するやいなや、アマクダリは再びアガメムノンの力を得るのだ。そしてネオサイタマ政治中枢、カスミガセキ・ジグラット最深部では、長きに渡る儀式がいよいよ佳境を迎えようとしていた。 
  
 この玄室は真に重要な式典にのみ用いられる。あらゆる電波は遮断され、通信端末やUNIXの持ち込みすら不可。式中にそれらパーソナル機器を操作することは極めてシツレイにあたり、直ちにケジメを強いられる。もはや時代錯誤とさえ思える旧世紀のモラルが、未だこの空間には息づいているのだ。 
  
 壁にはカケジク、鏡、柊、シメナワなどの霊的オブジェクトと経年変色したLANケーブル群が奇妙な対比を成し、平安時代からタイムリープしてきたかの如き正装カンヌシが式を執り行う。グレーター議員、警視総監、法曹界代表、湾岸警備隊長官など、錚々たる面々がドヒョウめいた壇上に円状に並ぶ。
  
 サイバネ生命維持装置に繋がれた者も多い。皆一筋縄ではいかぬ曲者ぞろい。胸中は己の保身、組織の保身、暗黒メガコーポの意向、そして永遠の野心が渦巻いている。中央にはカンヌシ。壇の下、四方にはイミテイションサクラが咲き乱れ、黒い背広を着たレッサー議員やSPらが神妙な面持ちで並ぶ。 
  
 カンヌシがコールし、秘書シバタの名が呼ばれる。アガメムノンは階段を登り、偉大なるサークルに加わった。定位置につく。全員が互いの顔を見やり、頷き、胸元から一斉にハンコを取り出し、それを右手に持って示した。アガメムノンもまた、ブラック・バッファロー製の荘厳なハンコを取り出した。 
  
 ファオー。厳かなショー・リードの音が響く。「戦時下、さらに知事の緊急入院。条件が揃いましたので、ネオサイタマ議会則に定められました古きプロトコルに従い、代理人のハンコと血の登録式典を執り行います」カンヌシがコールした。「ではまずブディズム界代表から承認のブラッド・ハンコを」
  
 タニダ暫定大僧正が何度も四方にオジギしてから、壇の中央へと向かった。無論この男には、タダオとセクトの息がかかっている。親指をDNA認証型バイオ樹脂皿の針で刺し、血液サンプルを数滴取る。そしてハンコの先端を血で染め、魂を吹き込むように息をかけてから……特殊マットに押印した! 
  
 全員が息を呑み、見守った。『承認されましたドスエ』トリイ・スピーカーから、合成マイコ音声が鳴った。タニダ暫定大僧正はオジギし、汗を拭い、定位置へ戻った。次がコールされた。破滅の時計針が刻一刻と進むように、円状にハンコが押されてゆくさまを、アガメムノンは超然とした眼で見ていた。
  
 誰も知らぬうちに、傲慢なるゼウス・ニンジャの手によって世界は作り替えられ、簒奪されようとしていた。……同刻、遠く離れた暗い場所で満身創痍のアフロヘア男が救護ベッドから身をもたげた。そして再び電波を飛ばそうとしていた。 
  
 メガヘルツ解放戦線の男が無茶だと言った。「ヨー……」だが彼は激痛を堪えて首を振り、水で喉を潤し、神聖なるサンプラーとマイクロフォンを起動させた。「人々、これはKMCレディオ。DJゼン・ストーム、ヒナヤ・イケル・タニグチ、そしてDJニスイ、デリヴァラーが送る……革命レディオ!」
  

◆◆◆


  
 黄昏時、ハイウェイ、疾走!重金属を孕んだ風!二台のバイクは影の軍馬めいて速く密やかにネオサイタマを渡る!アルゴスはまだ彼らを察知していない。屹立するネオ・カブキチョのビル群。その先にニチョームが仄見える。地獄の大釜が見える。爆煙が上がり、空の色が変わっている! 
  
 ハイウェイを走る車両の群れは、牢獄都市を徘徊する囚人の如く、陰鬱で気怠いエンジン音とともに鈍く重く進む。小雨。遠雷。まるで立ち並ぶハカイシ。付き合う必要なし!エンジンと足回りを強化したばかりのロードキル・デトネイター、そしてアイアンオトメは、その間を縫うようにジグザグ疾走! 
  
 空には輸送ヘリ、地には武装車両。「多数決」「心をひとつに」「集団行動」「独走禁止」「やっちゃダメ」「誰かが困る」「囲んで叩く」市民を雁字搦めにする戒厳下アジテイション・カンバンが絶対の正義めいて輝く。その横では無数の監視カメラが蠢く!二台のバイクは全てを振り切って決然と進む!
  
 ハイウェイを降りてなお速度を緩めぬ。危険な風。鋭角に切り裂く風。アイアンオトメは斥候めいて前を往き、ロードキルを護衛する。ニンジャ動体視力を、限界まで研ぎ澄ます。敵の密度は増す一方。ハイデッカーとの戦闘は避けられぬ。だがそれは限界まで堪えねば。アルゴスの眼を限界まで欺かねば。
  
 二台のバイクは再び並走し、短い叫び声で互いの意志を確かめる。抜け道はどこだ!あるいはカラテの時か!そこへ一羽のフクロウが飛び来る。この世ならざるフクロウが。それは品定めするように上空を一周してから、ロードキルの艶やかなミラーに停まり、首を傾げてアイサツした。フィルギアと。 
  
「そっちは誰だ、そうか、まあいい」満身創痍のフクロウは、苦しげに息を切らし、トレーラーへと向かう抜け道を語った。「路地裏を抜けろ、この先を右へ」彼は上空から偵察していた。北ゲートまでの最も警備の手薄な道を。「左へ、女衒街を抜けて大通り、右へ、ネオンカンバンの門を潜って進め」 
  
 二台のバイクは導きに従い、暗がりを抜け大通りへ!後方には大規模な検問ゲート。すり抜けたのだ!前方に停車する巨大トレーラーの威容が見え始めた。そこへと到達するには、まばらに配置されたハイデッカー車両群を突破せねば!「あとは頑張れ、向こうも助ける」フクロウは急いて飛び去った。 
  
「「「ザッケンナコラー市民!」」」疾走してくる二台のバイクに対し、ハイデッカー部隊が拡声器と銃を構える!ユンコは既にロックオン完了、脚部のミサイルポッドを展開!「インダストリ!」閧の声とミサイルが飛び、着弾!KBAM!KBAM!KBAM!「「「グワーッ!」」」隊列に穴穿つ! 
  
 直後、アイアンオトメは急加速!「道を空けろ!」シャドウウィーヴは身の丈に合わぬ鋼鉄の軍馬を辛うじて乗りこなし、討ち漏らしたハイデッカーを左右に薙ぎ払い、クナイを乱れ打ち、爆炎の中を突き進む!「急げ!急げ!急げ!」流麗なるロードキルがそれに続く!「アルゴスがこっちを見た!」 
  
 二台は連続スラロームで武装車両をかいくぐる!間に合うのか!?まだ希望はあるのか!?『……ヨー、ニチョーム』遠い塀の向こうから聞こえてくるノイズまみれのレディオを聞く!そしてミュージックを!『ヨー、人々、聞け!そいつはニンジャ!こちらニチョーム!空いた風穴!』戦闘は継続中! 
  
 二台は疾走する。突き進む!アルゴスが命令を下す!上空を輸送ヘリが横切る!ユンコがニンジャソウルを検知する。直後、システムの重騎兵が降下!キュガガガガガガ!凄まじい火花を散らしながら、重モーターサイクルの両輪がアスファルトを蹴った!カタフラクト!二人は真後ろに付けられた! 
  
 高速戦闘が始まる!カタフラクトは蹄で踏みしだくかのような勢いでロードキルを狙う!SMAAAASH!アイアンオトメが阻む!2台の重モーターサイクルが火花散らす!睨み合う!武骨なバイカーゴーグルと暗い反逆者の眼!「イヤーッ!」重騎兵の蹴りがシャドウウィーヴに対して繰り出される! 
  
「イヤーッ!」シャドウウィーヴは跳躍回避!空中でクナイを投擲!「イヤーッ!」だが敵は腕で軽々とクナイを薙ぎ払う!シャドウウィーヴはサドルに着地!カラテを構える!敵もサドル上に立ち上がり、カラテを構える!二台の重厚なるバイクはインテリジェント自律走行でイクサの足場を成す! 
  
「「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」」両者は並走しながら熾烈なカラテを繰り出す!何たるニンジャ平衡感覚のみが成しうる馬上戦闘か!だが体格差は歴然!シャドウウィーヴは敵の動きを見極め、回避に徹する!押される!「「「スッゾコラー!」」」前方を走行するハイデッカー車両が迫る! 
  
 ギュガガガガ!アイアンオトメと無銘の重モーターサイクルは鍔迫り合いめいた火花を散らして左右に別れ、車両を回避!一瞬のインターバル時間!シャドウウィーヴは歯を食いしばり、アクセルを握る。カラテで押され車体を揺るがせたアイアンオトメが出遅れる!斜め前方、無防備を晒すロードキル! 
  
「イヤーッ!」シャドウウィーヴはサドルを蹴り、敵の背中めがけて遮二無二飛び掛かると、影の腕で組み付いた!重モーターサイクルが揺れる!ロードキルが引き離す!「イヤーッ!」敵は影を振り落とさんとする!CRAAASH!そこへアイアンオトメが自律走行で猛烈な体当たりを喰らわした! 
  
 未だ足りぬ!シャドウウィーヴは無我夢中で叫び、敵にしがみ付いたまま、クナイを何本も地面に向けて投げた!それには鎖分銅めいて影のロープが編まれていた。突き立った三本のクナイ、ロープ、それはイカリめいて働いた!視界が真横に傾いた。重モーターサイクルは致命的に速度と平衡を失った! 
  
 だがカタフラクトは冷徹だった。崩れた姿勢のまま、車両に搭載されている吸着型パルスマインを引き抜いた。モノバイクを殺した電磁武器!輸送時に補給していたのだ!「イヤーッ!」それを前方のユンコの背中めがけ投擲した!「飛び降りろ!」シャドウウィーヴは叫び、祈るようにクナイを投げた! 
  
 ニンジャならぬユンコの反応速度は、一瞬遅かった。だがクナイが命中し、パルスマインは目標を逸し、ロードキルに命中した。アブナイ!ユンコはブレードを展開し飛び別れた。視界と指先がチリチリ痺れた。直後、ナンシー・リーの愛車は電磁パルスを受けて転倒し、跳ね上がり、爆発炎上した。  
  
 ユンコはブレード着地し、前進し続けた!ハイデッカー軍団が立ち塞がる!そしてシデムシ!アルゴスの気配!ユンコが叫ぶ!「ゼンメツ!アクション!モード!」モータードクロ由来の非情なる無差別殺戮モードだ!マシンガン!ミサイル!爆炎!装填したばかりの弾薬をありったけ撒き散らし進む!  
  
「「「グワーッ!」」」人海を突破!身をもたげた多脚戦車NT-80シデムシの下を潜り抜ける!トレーラーまであと僅か!だがシデムシがガクガクと揺れる!アルゴスのハックだ!火花を散らしながら強引に振り返り、ミニガン斉射!BRATATATATATAT!ユンコの脚部を銃弾が薙ぎ払う! 
  
「ピガガガガーッ!」足首を損傷したユンコはバランスを崩し、回転しながら転倒!レインコートとオモチシリコンの肌が削れ、露出した強化外郭が火花を散らす!「「「スッゾコラーッ!」」」タッチダウンを妨害せんとするディフェンス勢めいて、アサルト銃を構えたハイデッカーが自動的に群がった!
  
「ファック野郎ども!」ユンコはノイズまみれのUNIX視界の中で、戦闘用AIに檄を飛ばし、抵抗した。だが物量差は圧倒的だった。ハイデッカーの重いブーツが彼女を蹴り、制圧した。そして暴れる彼女の頭をハイデッカーの1体が横向きに踏みつけ、アサルト銃でこめかみ部をバースト射撃した。 
  
 至近距離から銃弾を受け、頭が揺れた。叫びもがいた。光が失われ白目を剥いた。システムはなおも銃撃を続けた。影の絶叫が聞こえた。直後、凄まじい距離を水銀の如き速さで渡り、ハイデッカーの影から憤怒に満ちたシャドウウィーヴが現れた。血みどろの影は叫び、死に物狂いでカラテを振るった。 
  
 シャドウウィーヴは息をするのも忘れ、彼女の名前を叫び続けながら殺戮した。彼の影は二つに、四つに、十二個に編み上げられ、己自身のシャドウコピーとなり、嵐の鈎爪の如く荒々しいカラテでハイデッカーを薙ぎ払った。火花を散らすツァレーヴナをかき抱き、銃弾を回避し、ガレキ山の影に逃れた。
  
「スシ、ヲ、クダサイ、スシ、ヲ、クダサイ、スシ、ヲ、クダサイ、スシ、ヲ、クダサイ」オイランドロイドから人間味の無い電子音声が漏れた。「起きろ!起きろ!起きてくれ!」シャドウウィーヴは彼女のマルチポーチからトロ・スシを取り出し、口元へと運んだ。「ダメだ!ダメだダメだダメだ!」 
  
「スシ、ヲ、クダサイ、スシ、ヲ、クダサイ、スシ、ヲ、クダサイ、スシ、ヲ、クダサイ……」オイランドロイドはプログラムされた笑みを浮かべながら、徐々に電子音声を弱めてゆく。シャドウウィーヴのニンジャ第六感は、無情にも迫る敵を感知していた。乗騎を失ったカタフラクトを。 
  
 離脱するならば今しかない。彼女から託された物理コピーがある。引き際を誤ればこのデータも死ぬ。だがシャドウウィーヴは震える手でスシを口元に運び続けた。「スシ……ヲ……」数度失敗してから彼女はトロ・スシを咀嚼し始めた。シャドウウィーヴは頷き、カラテを構え、カタフラクトに挑んだ。 
  
 カタフラクトもまた血みどろだった。荒々しいシャウトを放った。シャドウウィーヴも叫び、激情とともに戦った。「イヤーッ!」敵の前蹴りを側転回避する。「イヤーッ!」シャドウピンを狙い、クナイを投ずる。だが敵は先の戦闘でこれを見切っていた。全てのクナイを弾き、機先を制して回避した。 
  
 シャドウウィーヴの意識は朦朧としていた。もはや強力なジツを行使する力は無し。シャドウピンだけが残されていた。敵はそれを読んでいた。「イヤーッ!」「グワーッ……!」僅かに回避し損ねた蹴りの爪先が、シャドウウィーヴの顎を蹴り上げた。彼は回転し、受け身も取れず地に叩き付けられた。 
  
「哀れなり」カタフラクトは、反逆者をカイシャクするために迫った。前方から、最後の一発のマイクロミサイルが飛来した。再起動したユンコが、ガレキ山の下で座り込んだまま、反抗的なサイバネアイで彼を睨んでいた。カタフラクトはこれをスウェー回避した。後方の車両に命中し、爆炎が上がった。
  
 爆炎は影を作った。カタフラクトは、前方に長く伸びた己の影を目で追った。そこにシャドウウィーヴがクナイを突き立てていた。「……シャドウピン・ジツ」影は敵を指差した。BARATATATA!ユンコは怒りに息を荒げながら、残されたアサルトマシンガンの弾を、身動きできぬ敵に斉射した。 
  
 全ては一瞬だった。怒りの銃弾はカタフラクトに情け容赦なく突き刺さり、蜂の巣にした。システムの重騎兵は傾き、倒れた!「サヨナラ!」爆発四散!「「「「スッゾコラー!」」」」その爆煙を抜け、アルゴスの尖兵たちが殺到する!だが遅い!シャドウウィーヴはニンジャの速度で彼女を運ぶ! 
  
 だが何処へ!?満身創痍の状態でニチョームに加勢しようというのか!?アルゴスは地表に目を凝らす。並行処理していた機密データの解析が終了する。数々の選択肢の中から、衛星の目が巨大トレーラーをズームアップした! 
  
 しかしシャドウウィーヴらは出し抜いた。トレーラーの大型制御室がロックされるよりも速く、ユンコが乗り込んでいた。無防備なシステムの内側へと。暗い制御室内には、あらゆる部外者への不信感に満ちあふれたオナタカミの上級社員が一人だけ立ち、スターゲイザーとのホットラインを維持していた。
  
「聞けッ!私はトコロ・スズキの娘!オムラの遺産!ミッドウィンター!ツァレーヴナ!エンジニア!ハッカー!その全部!」再起動から間もないユンコは自我を保つために叫び続け、闊歩した!「アイエエエエエ殺人セクサロイド!」上級社員は憎悪と侮蔑と恐怖の叫びを上げ、ハンドガンを連射した。 
  
 だがその程度の銃弾では、モーターカワイイの前進を阻む事はできぬ!上級社員は非常事態を叫び、狂ったように喚き散らす!有無を言わさぬゴスブーツの一撃が上級社員を蹴り飛ばし、後頭部を壁に激突させる!「アバーッ!」「ハッカーはファック野郎をキックして蹴り出し、ルールを書き換える!」 
  
『トレーラーを退避させよ!トレーラーを護衛せよ!』アクシスIRCに緊急命令が下った。北ゲート付近に展開していたドラゴンベイン、チリングブレードが即応した。だが遅かった。シャドウウィーヴは既に外側からトレーラー制御室をロックしていた。そしてトレーラーはあまりにも強固だった。 
  
「旧世紀の……遺産が!」社員が叫ぶ。「どこかのファック野郎が勝手に決めたルールを、ニューロンの速度で書き換える!」ユンコは聞く耳持たず制御スタンドアロンUNIXと直結し防壁を探る。そしてナンシーが残した武器を取り出す。闇ルートで入手した疫病入りフロッピー!オナタカミの滅び! 
  
 (((スタンドアロン!電脳戦不要!私にだってやれるッ!ナンシー=サンみたいにやるぞッ!)))「イヤーッ!」ユンコは黒いディスクをメインフレームに挿入する!たちまちウィルスが攻撃を開始!KBAM!KBAM!ファアウォールが爆発しパスワード認証が突破される!トレーラーが揺れる! 
  
「失われる!偉大なる遺産が!……スターゲイザー=サン!」上級社員が絶叫する!「イヤーッ!」ユンコは聞く耳持たず、素晴らしいタイミングで記憶素子の排出ボタンを押した!刹那、ウイルス攻撃は停止し、人工衛星制御のためのシステム画面が出現!画面にはメガトリイの紋!二段構えの防御! 
  
 ユンコは迷わず、機密データコードを流し込んだ。トレーラーはファックされた。命令はケーブルを、UNIXを、そしてトレーラーの大型アンテナから衛星軌道上へとリレイされた。無敵のナノカラテエンジンを支える制止衛星は、このメンテナンス重点命令を受け、15分間の強制再起動を開始した! 
 


フェアウェル・マイ・シャドウ】 #6 終わり。続く #7 は 【ニチョーム・ウォー】#8 とのザッピング進行。



『ナノカラテエンジンの人工衛星をハックしたッ!』ユンコがヤグラ337に向け、微弱電波を飛ばす。傍受の危険性は考慮の外だ。1分1秒たりともムダにはできない!『今から再起動完了までの15分間、ナノカラテエンジンは使えない!15分間で頑張って!』 

「イヤーッ!」トレーラー横へと急行した手負いのドラゴンベイン、「イヤーッ!」そしてチリングブレイドのカタナが、シャドウウィーヴに繰り返し襲い掛かる!「イヤーッ!」シャドウウィーヴはこれを間一髪の八連続側転で回避! 
  
「イヤーッ!」ドラゴンベインの重いカラテは再び空を切り、トレーラーの分厚い装甲を揺らした。シャドウドラゴン、否、電気の王に背を向けたこの裏切者は、逃げに撤している。加えて情報が錯綜している。……英雄は苛立つ。『トレーラーへの攻撃は可か!?』タイムラグ。アルゴスの狼狽を見る。 
  
 これまでの数十秒間に下されたアルゴスからの命令は、単純明快だ。だが一個一個の命令はアルゴス本人の超常的処理速度を反映し、あまりにも目まぐるしく切り替わり、アクシスを困惑させる。『トレーラーを護衛せよ』『裏切者シャドウウィーヴを排除せよ』『オイランドロイドを発見し破壊せよ』…… 
  
「裏切者めが!死ね!イヤーッ!」間髪入れず、チリングブレードのコリ・ケンが、側転を撃ち終えたシャドウウィーヴに襲い掛かる!このニンジャは作戦意図を深読みなどせぬ。トレーラー装甲へのダメージなど気にせぬ乱れ切り!「グワーッ!」かわしきれず、空中で腿を切り裂かれるシャドウウィーヴ!
  
「カイシャクしてくれる!」チリングブレードが敵の着地点めがけ、氷のカタナを繰り出す。横薙ぎの斬撃!「イヤーッ!」シャドウウィーヴは影のフードを目深に被りながら己の影の中に沈み、これを辛うじて回避した。「小賢しいジツを……!」コリ・ケンは空振りし、トレーラー装甲に突き刺さる! 
  
「…ハァーッ!ハァーッ!」だが満身創痍のシャドウウィーヴは、このジツを用いても長距離を渡れなかった。視界も覚束ぬ。暗い泥の海の中で苦しげに息継ぎをするように、彼は後方へと長く延びたチリングブレードの影の中から這い出した。そして跳躍し闇雲にクナイを投ずるべく、予備動作に入った。 
  
「イヤーッ!」その隙を狙い、ドラゴンベインのカラテパンチが炸裂!「グワーッ!?」シャドウウィーヴは咄嗟にガードを固めるも弾き飛ばされ、武装ビークルに背中から激突した!「影の竜、堕ちたものよ!イヤーッ!」ドラゴンベインは急接近し、敵の腹部目掛け串刺しヤリめいたサイドキック! 
  
 激痛と衝撃でシャドウウィーヴの視界が濁る。影の腕も弱々しく揺らぎ、ドラゴンベインの攻撃を受け止める事は到底不可能。ソーマト・リコールめいた師の教えが、彼の脳裏を過る。『見て学べ』『その目で学び取れ』『お前はニンジャになったのだ!』シャドウウィーヴは目を見開き、歯を食いしばる! 
  
 ブリッジ回避!「「イヤーッ!」」カラテキックが、紙一重、彼の胸の前を通過し、後方の装甲車両を揺らした!続けざま、シャドウウィーヴは影の片手で己の上半身を支えながら右足を振り上げ、サマーソルトキックめいた円弧の蹴りでドラゴンベインの顎を蹴り上げる!「イヤーッ!」「グワーッ!」 
  
 ワザアリ!手負いのドラゴンベインは予想外の一撃を受けて蹌踉めく。重くはないが、柔軟で速い。それを確かめると、すぐに体勢を整え、敵を薙ぎ払わんとする。シャドウウィーヴは四連続バック転で回避し、間合いを離すと、呪詛の声を絞り出すように言い放った。「俺はシャドウドラゴンではない」 
  
「シャドウウィーヴ、ザイバツシテンノたるブラックドラゴンの弟子、無慈悲なるハデス・ニンジャの憑依者…!」レイジは敵を睨み、影の腕から四本のクナイを抜いて叫んだ。内なるニンジャソウルが疼く。己の無力を受け入れ、死に浸れと。だがもう制御を失う気はなかった。「そして今は皇女の影だ」
  
「デス・ハイクを詠んだか!?その誉れ、相手に取って不足無し!イヤーッ!」ドラゴンベインが打ち掛かる!「イヤーッ!」身を削るようなクナイの連続投擲!「イヤーッ!」それを打ち払い迫る!「イヤーッ!」チリングブレードも加勢する!再度の乱戦!直後、塀の内側で鉄条網が息を吹き返した! 
  
 地獄の大釜の中でカラテとジツが爆ぜ、永遠に生きようとしている!「噫!世界がまた揺れているぞ!」シャドウウィーヴは圧倒的劣勢の中、身を切り裂かれ、殴り飛ばされてもなお立ち上がり、動き続けた。務めはまだ解かれていない!「まだ死ねぬ!」彼はかつて死神のマウントすら耐え切った男だ! 
  
「狂ったか?厄介な!」チリングブレードが舌打ちする。「あれは死の覚悟よ!」ドラゴンベインが返し、突撃した!「イヤーッ!」「ゴボーッ!」シャドウウィーヴは防御の上から腹部を蹴られ、目を剥いて転がりながら嘔吐!無防備を晒す!だがカイシャクを死に物狂いで回避し、トレーラー上に跳躍!
  
 トレーラー上からは、最早逃げ場無し。ドラゴンベインとチリングブレードは裏切者を粛清するため、挟み込むように無慈悲に迫る。だがそこへ、スターゲイザーからのIRC通信。『交戦中か?悪いが優先命令だ。ゲート内へ来い。アナイアレイターが戦線復帰し、ちと押されている。加勢しろ』 
  
 畳み掛けるようにアルゴスからの緊急IRC!『展開中の全アクシス!ニチョームへ降下せよ!壁の内側でスターゲイザー=サンを支援せよ!トレーラーはもはや無価値!』セクトの全機密、そして事態の真の重みをただ独り知るアルゴスは、叫ぶように念を押した。『スターゲイザー=サンを支援せよ!』
  

◆◆◆


 
 ユンコは人工衛星制御システムが無慈悲なカウントダウンを続けるさまを、祈るように見ていた。ナノカラテエンジンの再起動は、ニチョームの死を意味する!「あと10分!」ザクロに伝えるため電波を飛ばす。だが返事が無い。通信途絶。ヤグラ337が落ちたのか?直後、トレーラーが大きく揺れる!
  
「ファック!」ユンコはトレーラーの制御UNIXを操作し、車体に備わったカメラ群で周囲の様子を見る。声を詰まらせた。無数のハイデッカーと4体のシデムシが、トレーラーに蟲めいて群がっている!アルゴスは全アクシスを壁の内側に、代わりに彼女を殺すためこれらの兵器を差し向けたのだ! 
  
 BRATATATATA!BRATATATA!無表情な斉射が重装甲トレーラーに対して繰り返される。多脚戦車シデムシがムカデめいた鋼鉄の爪を突き立てながら、制御室の壁に覆い被さっている。ZZZZZZZT……そのうち何機かは、頭部に熱線トーチめいた切断装置を備えている!アブナイ!

 装甲が焼き切られ始める!「イヤーッ!」シャドウウィーヴの声!カメラに映像!「生きてた!」ユンコが叫ぶ!影は銃撃を避けながらシデムシの頭を踏み渡り、蹴りつけ、クナイを投擲する!だが鋼鉄の多脚戦車を止めることはできぬ!「トレーラーを走らせろ!振り落とせ!」レイジがカメラに叫ぶ! 
  
 ユンコはLAN直結した精神をUNIXに投射する。巨大武装トレーラーの制御を深める!ゴアオオオオオン!エンジンが重々しい唸りを上げ始める!急加速!『真っ直ぐ!?』ユンコが車載スピーカーを使ってシャドウウィーヴに叫ぶ!「とにかく走れ!速度を上げろ!振り落とせ!」『わかった!』 
  
 スターゲイザーを輸送してきた巨大トレーラーは、まるで鋼鉄の怪物だ!「「「グワーッ!」」」周囲のハイデッカーが次々轢殺される!SMAAASH!武装ビークルを小石めいて踏みつぶす!ギギギギギギギ!コンテナ部に爪をかけたばかりのシデムシ二機が、引きずられて火花を散らし始めた! 
  
「まだ多脚戦車が残ってるぞ!完全にコンテナに巻き付いてる!」『いい考えがある!』ユンコが強気になる!己のボディが強大な武装トレーラーそのものと化したかのように!さらに加速!『落ちないでね!最短距離でいく!』ユンコの意図は明らかだった。シャドウウィーヴは跳躍姿勢を取った! 
  
 SMAAAAAAAAAAAAASH!凄まじい轟音がニチョーム全域に響いた!「「「グワーッ!」」」鉄パイプとコンクリート片とハイデッカー、そして多脚戦車シデムシが、小さな玩具めいてバラバラに吹き飛ばされた!巨大武装トレーラーは窮屈な北ゲートを強引に粉砕しながら突破したのだ! 
  
『生きてる!?』ユンコの声。「凄いな!」盛大に飛んでゆくシデムシの機体破片や戒厳令カンバンを見上げながら、シャドウウィーヴが笑い、口の中の血を吐いて捨てた。彼は血とコンクリ片にまみれながら、装甲トレーラーの背面に辛うじてしがみついていた。『ヤグラは真っ直ぐ!?』「そうだ!」 
  
 トレーラーは止まらない!そのまま大通りを暴走する!後方待機していたシデムシやハイデッカーを次々轢殺!「「「グワーッ!」」」『ヤグラとの通信が途切れてる!』「アンテナが火を噴いてるな!」『助けに行こう!来てくれる!?』「ああ!どこへでも!」シャドウウィーヴは死ぬ気で笑った。 
  
 激走する怪物!支配のシステムとして作られた無表情なる機械が、いま、アマクダリに牙を剥くのだ!「「「イヤーッ!」」」鉄条網を脱したばかりのモナーク、アドミラル、カッツバルゲルにとっても無論脅威!彼らは左右に飛び分かれ、轢殺を避けんとする!だが…中央のアドミラルが動けぬ!何故!?
  
「こ……れ……は……!?」アドミラルは武装トレーラーの背に乗る影の如きニンジャを見た!そして己の影に突き立てられたダートを!「報復の時だ!」影が笑い、叫ぶ!『カラテだ!』ユンコが叫ぶ!トレーラーが唸る!SMAAAAAAAAAASH!「サヨナラ!」アドミラルは轢殺爆発四散!  
  
『ファックオフ!』爆煙を抜け、トレーラーはなおも激走!シャドウウィーヴは大通り前方を睨む。一瞬の状況判断。敵司令官スターゲイザーはいずこ。サワタリやシマナガシニンジャがアクシスに足留めを受けている。その先、鉄条網の密度増す。ドラゴンベインとチリングブレードが敵の接近を拒む。 
  
 さらにその先……ヤグラ337手前のバリケード上!相違無し!スターゲイザーはアクシスらに露払いと後方の守りを行わせ、アナイアレイターの陣取るバリケード上へと到達したのだ!『あと5分!』武装トレーラーの拡声器が叫んだ!「奴はもうバリケードだ!」『潰せる!?』「ヤグラごとならな!」
  
『……伝えて!』ユンコが無法を通さんとする!「ヤグラ337!いいか!」シャドウウィーヴがトレーラー上で身を起こし、凄まじい風を受けながら叫ぶ!「このまま突っ込むぞ!」即座に返答があった!「やんなさい!」ニチョーム総指揮、ネザークィーンが穴から叫び返した!その肩にはフクロウ! 
  
「進め!進め!進め!」シャドウウィーヴが笑い、皇女に伝える!ゴアオオオオン!質量、速度、装甲トレーラー!それはすなわち死の王である!轟音とともに死の車輪が迫る!大通りで戦闘を行っていたニンジャたちが、なすすべもなく左右に飛び分かれてゆく! 
  
「何たる狂気!ヤグラごと我らを轢殺すると!?」「イヤーッ!」「グワーッ!」狂気じみたトレーラー突撃に狼狽し、サワタリに背を見せ逃げようとしたアクシスニンジャ、インフレキシブルが、足首を斬られ地に転がった!「やめ……!」トレーラーが踏みしだく!「サヨナラ!」轢殺爆発四散! 
  
「オイッ!」スーサイドはチリングブレードの一瞬の隙に付け入るチャンスを放棄し、かわりにバリケードに向かって叫んだ!「くだらねえマネするんじゃねえ!ダセェ事は!」「ダセェ事だ?バカか、テメェは」 
  
「オオオオ!」スターゲイザーは叫んだ。だが遅い。皇女の駆るトレーラーは無慈悲でブルタルな死を運んだ。ハイクを詠む暇すら無かった。巨大な質量と物理法則が彼を捕え、逃がさなかった。オナタカミ紋の刻まれた正面装甲が、スターゲイザーを撥ね、消し飛ばした。「サヨナラ!」轢殺爆発四散! 
  
 シャドウウィーヴは仰ぎ見た。跳ね上げられた半身の鉄条網ニンジャが、笑いながら躍動し、宙を舞っていた。トレーラーはドリフトを決め、ヤグラ337を破壊しながら横転。後方の無人ビルへと突っ込んで停止した。耳を聾する轟音。凄まじい粉塵と死の静寂が、ニチョーム中央と大通りを満たした。 
  


フェアウェル・マイ・シャドウ】 #7 終わり。続く #8 は 【ニチョーム・ウォー】#9 とのザッピング進行。




 ごく短い視界シャットダウンから目覚め、ユンコは目を開いた。世界が倒れたのかと勘違いした。ガラス片を払い、立ち上がった。バチバチバチ……制御UNIXデッキ群は仰向けで火花を散らし、モニタはどれも粉々に砕けていた。トロ・スシを補給しながら、彼女はロックドアを内側から蹴破った。

 外はまるでどこか見知らぬ惑星の如く、凄まじい粉塵と静寂に覆われていた。ザリザリザリザリ……ガガガガ……そこかしこのスピーカーから、停止したレディオのノイズが聴こえてくる。ユンコは破損した脚を引きずりながら、横転トレーラーの荷台から降りた。 

「死んだぞ!スターゲイザーは死んだ!」ニチョームの空をフクロウが旋回し、決定的な事実を宣言していた。だがユンコは一抹の胸騒ぎを覚えた。時刻は間もなく1715。再起動が完了する。粉塵まみれのシャドウウィーヴがすぐ横に回転着地し、油断ない表情で彼女と目を合わせた。考えは同じだった。

 誰が生き残り、誰が死んだのか。未だ判然としない。おそらく皆、この粉塵が晴れるのを固唾を呑んで待っている。イクサの決着を。レディオの音も無く、ただ苦しげに舞うフクロウの声だけがあった。シャドウウィーヴはユンコを護衛するように歩いた。二人は破壊の痕を辿り、バリケード前へ向かった。

「アマクダリ・セクト最高幹部の一人、ニチョーム包囲網の指揮官、スターゲイザーが、くたばった!」フクロウがまた叫んだ。「15分、再起動した」ユンコが祈るように言った。粉塵が晴れ始めた。だがスターゲイザーは復活しなかった!二人は蹌踉めきながら肩を抱き合い、讃え合うように叫んだ! 
  
「「スターゲイザーは死んだぞ!」」その声に呼応するように、そこかしこでニチョーム勢の閧の声が上がった。だが次の瞬間、ユンコの表情は凍りついた。粉塵の覆いが払われた先には、空を埋め尽くすかのようなアマクダリの輸送ヘリ編隊、さらに北からは武装ツェッペリンまでもが接近してきていた。

 二人は再びカラテを構えた。だが背を預け合わねば戦えぬほどのダメージ。「システムの判断待ちか?」シャドウウィーヴが吐き捨てるように言った。粉塵の向こうにいるアクシスと睨み合った。スーサイド、ルイナー、サワタリ……大通り側にもアクシスと睨み合う他のニンジャたちが徐々に見え始めた。 
  
 奇妙な光景だった。音は無く、ただ一触即発のアトモスフィアだけが張り詰めていた。アクシスの百の眼が戦場をスキャンした。上空の空挺部隊から、そしてハイデッカーのサイバーグラスから、あるいは武装車両やドローンに搭載されたカメラから。そしてアクシス戦略IRCのバイタルサインを読んだ。

 二人は天を睨んだ。アルゴスはIRCに命令を下した。極めてシンプルかつ無慈悲な命令を。『戦闘継続せよ。指揮権はキュア=サンに移行』直後、戦場に再び殺意が漲った!静寂を破り、ドラゴンベインら地上部隊がカラテシャウトを放った!輸送ヘリ第一波が、地獄の大釜に向けて戦力投下を開始した!

「イヤーッ!」「インダストリ!」シャドウウィーヴとユンコも、互いを護りながら戦闘を続けた。連戦に次ぐ連戦が、彼らを打ち据え、蹴り飛ばし、絶望の中で孤立させんとする。だが二人は他のニンジャと合流するため、必死で道を切り開いた。ガガガガガガ……レディオが再び息を吹き返し始める。

「「「ザッケンナコラーッ!」」」崩落寸前の傾いたヤグラ前で、クローンヤクザ軍団の大波が二人へと襲い掛かる!「カラテ!」「グワーッ!」ユンコが戦闘用AIで薙ぎ払う!「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」シャドウウィーヴが殴り、蹴り飛ばす!だがキリが無い!

『……ヨー、ちょっと寝ちまってたか!?……プアー!ファッキン・ヨロシサン製薬のバリキドリンクで、第3ラウンド開始だ!』DJタニグチの際どいジョークと軽快なパンクロックが街頭スピーカーから鳴った。無線ホットラインではない。これはただの広域レディオだ。電波が届いているだけだ。

「イヤーッ!」上半身にタトゥーを刻んだニンジャが乱入し、二人に加わった!スーサイド!三人はただカラテで意思疎通を行い、システムに抗う!カラテあるのみ!『……ヨー、目覚めの曲はどうだ?次はアベ一休で、スシを食べ過ぎるな!そしてまたもやリクエスト・ホットライン!』

『ドーモ、繋がってるかい?』『ドーモ、レディオ番組にリクエストするなんて初めてだけど』『ヨー、これは驚きのセクシーボイスだぜ。何かレディオネームは?』『そうね、YCNAN、洋上から聴いてるわ』ニチョームを満たす凄まじいカラテシャウトと銃声、怒号、爆発音の中、レディオは続く!

『YCNAN!イェー!目下指名手配中の謎の美女!試算懲役数千年のヤバイ級ハッカーが、KMCレディオに突如現れた!俺の懲役なんて足下にも及ばないぜ!』タニグチが笑う。『ありがとう、音楽にはあまり詳しくないけど、真実を暴くレディオ、凄く気に入ったの。私もぜひ真実を伝えたくって』

「ナンシー=サンだ!頑張れ!」ユンコが笑った。そして共に戦っているかのようにニューロンを冴え渡らせ、二倍のカラテを振るって前進した!「イヤーッ!」シャドウウィーヴが支援する!「イヤーッ!」スーサイドが彼らと背中合わせに戦いソウル・アブソープションでクローンヤクザを薙ぎ払う!



……「スゥーッ……!ハァーッ……!スゥーッ……!ハァーッ……!」彼はただ無心でチャドー呼吸を繰り返した。(((……引く波。寄せる波。よいかニンジャスレイヤー=サン……己の呼吸を、地水火風の精霊、そしてエテルの流れとコネクトさせよ……!これぞドラゴン・ドージョーに伝わる極意よ)))

「スゥーッ……!ハァーッ……!スゥーッ……!ハァーッ……!」限られた時間の中で限界まで傷を癒し終えると、死神はカッと目を見開いた。そして時速666km/hの風の中で、己の意識をイクサに向けて鍛え上げ、研ぎ澄ました!彼の頬は再び「忍」「殺」のジゴクめいたメンポで覆われていた!

 そしてニンジャスレイヤーは立ち上がる。キョウリョクカンケイより射出され、磁気嵐を耐え抜いた一発のミサイルの上に!彼はミサイル胴体部に巻き付けたフック付きロープを、片手で手綱めいて掴む。ナムアミダブツ!およそ正気の沙汰とは思えぬ!すでにミサイルはネオサイタマ上空へと達していた!

 果たして何故!?……キョウリョクカンケイ甲板上で気絶していたニンジャスレイヤーは、ゴウトの手で助け出され、ナンシーとの合流を果たした。ミスター・ハーフプライスを含めた彼ら四人は、傭兵ブラックヘイズによってピックアップされる手筈だったが、それではニチョーム包囲戦に間に合わぬ。

 ゆえにカラテあるのみ!彼は己の身体をミサイルに括り付けると、ナンシーが艦の兵装制御システムに干渉できるごく僅かの時間で、己を高速射出させたのだ!ニチョーム包囲戦に参加する十二人の生き残り、スターゲイザーとキュアをカラテで惨たらしく殺し、アマクダリに絶望を与えるために!


『私もジャーナリストの端くれ。そして私の頭の中には、断片的だけど、ネオサイタマを支配する秘密結社アマクダリの情報が入ってるの』『ヨー、こりゃ穏やかじゃねえな。NSTVじゃとても無理!たちまちスポンサー様を怒らせて、番組は打ち切り!何しろ奴らのスポンサー様がアマクダリだ!』

『そう、真実を伝えたいの。この番組の熱心な音楽ファンの人たちに。それから可哀相なことに、組織の全貌も幹部も知らず、言われた通り戦い続けるアクシス=サンたちに』『ヨー!それじゃあ一切合切ブチまけてもらおうか!曲はブルタル・ショウギ・サイボーグVSアングリー・タナカ・メイジン!』

『秘密結社アマクダリ・セクト、謎に包まれてた幹部十二人のリストを初公開』ナンシーは挑発的でチャーミングな声でレポートを開始した。『カリスマ青年実業家カラカミ・ノシト、またの名をマジェスティ。電脳麻薬カルテルへの投資で成り上がった死の商人。若手女性モデル失踪事件にも多数関与』

『ブディズム界重鎮タダオ大僧正、またの名をブラックロータス。拝金主義の背徳ボンズ、電脳麻薬の栽培者、腐れペド野郎、あら失敬』『別に規制は無いぜ!』『嬉しいわ。次は大資産家ダイザキ・トウゴ、またの名をメフィストフェレス。ジグラットに奉ずる暗黒マネーの司祭。キョート戦争の立役者』

『次は警察機構を私するハイデッカー長官、ムナミ・シマカタ。ハイデッカーの正体がヨロシサン謹製のクローン兵器って、知ってたかしら?』『もう伝えたぜ!』『それから本名不明、ハーヴェスターと名乗る湾岸警備隊の古株。キョート紛争の火種をまくもの。砲声と殺戮を愛するウォーモンガー』

『次は大物、官房長官シキタリ・シャンイチ。さっきTVに出てたわね』ナンシーは一息ついた。ニチョームのアクシスの間に、徐々に動揺が見え始めた。耳を塞ごうとしても、ニンジャ聴力を介し、スピーカーからレディオがねじり込まれる!『ここまで全員、今日ニンジャスレイヤー=サンが殺したわ』

『残る6人は、リー先生、アルゴス、スターゲイザー、キュア、スパルタカス、アガメムノン。ちなみにアガメムノン=サンは、サキハシ知事に仕えるシバタ秘書。今頃カスミガセキ・ジグラットで忙しいかしら?エマージェンシー作業服、とっても似合ってたわ』『ヨー、ニチョーム、聴こえてるか?』 
  
「聴こえてるぜ!」「スターゲイザーはくたばった!」劣勢を強いられるニチョーム勢のニンジャから、声が上がった!『ヨー、ニチョーム、無線が切れて心配してるが、まだ戦ってるよな?サシバ=サン、生きてるだろ?』「生きている!」また声が上がった!『ヨー、YCNAN=サン、最後に一言?』

『もう少し持ちこたえて。抵抗は無駄ではない。絶対に。ニンジャスレイヤー=サンがそこに向かっているわ。どれだけかかるか、私にも分からないけど、きっと』その時、ニチョーム上空を一発のミサイルが横切った。



 そして今、カラテを振り絞りミサイル上に立つニンジャスレイヤーは、ニチョームの空を睨め付ける!システムの蟲めいて群がるアマクダリの航空戦力を!憎悪の眼差しで!「ニンジャ……殺すべし!」凄まじい風が身体を揺らし、死神の眉間に滲んだ脂汗を消し飛ばす!身体制御を一瞬でも誤れば即、死!


 だがニンジャスレイヤーは恐れる事無く、鉤付きフックロープをミサイル胴体から離した!命綱無し!ミサイル胴体を力強く踏みしめる両足、そしてサーフィンめいた堅牢な中腰姿勢と、上半身の柔軟かつ精緻なバランス制御のみ!敵航空戦力の指揮艦機操縦席に狙いを定める!何たる男だ!何たるカラテだ! 

「……コーッ!シュコーッ!了解いたしました!これより総攻撃を……!」十二個ものLAN端子を黒いマグロツェッペリンと直結させた恐るべきサイバネニンジャ、ディヴァステイターは、両目だけを露出させた大型ガスマスクを不気味に動かす!この機体の名はディヴァステイター。彼自身と同じ名だ!

 彼はこのマグロツェッペリンと電子的一体化を果たしており、たった独りでこの巨大兵器を操縦している。言わばディヴァステイターこそが、この強大なる兵器そのものなのだ!だが彼が総攻撃命令を実行しようとした矢先……!機体に備わったカメラ映像が、脳にダイレクトに飛び込んだ!狂気の光景が!

「……コーッ?シュコーッ?コーッ!?シュコーッ!!?」ディヴァステイターは見た。迫る黒い影を。ミサイルの上に立つ人影を。それはニチョームにまつわる恐るべき伝説を想起させる!ミサイルに乗って消えた殺伐の騎士の伝説!アマクダリ中枢がその存在を否定し続ける謎のニンジャ介入者を!


『どうしたディヴァステイター=サン!何を狼狽しておるか!?』キュアのIRC!「信じられぬ!サ、サツバツナイ……ち、違う!」ディヴァステイターは見た!敵のメンポに刻まれた「忍」「殺」の文字を!「奴は、奴は!アイエエエエエエエ!」ソウルが恐怖に呑まれた!「ニンジャスレイヤー!」

「イイイヤアアアアアアアーーーーーーーーッ!」ニンジャスレイヤーは操縦席に座るアマクダリニンジャを睨むと、着弾直前にミサイル胴体部を蹴り、素晴らしいムーンサルト回転跳躍を決めた!この最終軌道補正を受けたミサイルは、ディヴァステイターの対空機銃をかいくぐり……操縦席へと着弾!

 KA-BOOOOOOOOOOM!「グワーーーーーーッ!」ディヴァステイターの断末魔の叫び声が、黒いマグロツェッペリンの大型プロパガンダ・スピーカーから響き渡った!「サヨナラ!」デイヴァステイターは爆発四散!


『ヨー、人々!人々!目を開けろ!お前の首の後ろ掴みクソくだらんゲームに放り込む奴らを見ろ!人々!人々!奴らのゲームに付き合うな!ブルタル・ショーギ・サイボーグの駒だ!ヘイ、聴け、レジスタンス!ミュージックを止めるな!俺は音楽をやり続けるぞ!革命の音楽!グルーヴ!飛び跳ねろ!』
  
 音楽とナンシーの声が重なった。次の瞬間、敵も味方も区別無く、戦場にいる者たちは一斉に空を仰ぎ見た。ミサイルの着弾を。断末魔の悲鳴とともに恐るべき怪物の名を叫びながら傾く、黒いマグロツェッペリンを。 
  
「Wasshoi!」禍々しくも躍動感のあるシャウトが響き渡った。「噫!奴は…!」シャドウウィーヴは歯噛みし、影のフードの下から忌々しげな表情でその男を睨め上げ、クナイを握る手に血を滲ませて震わせた。殺伐たる夜の訪れを背に、死神はアイサツした。「ドーモ、ニンジャスレイヤーです」

「イヨオーッ!」突如、ノイズ混じりの小気味のよいシャウトが発せられた。トントトントトントントントントン!小太鼓の音!「ハッ!ハッ!ハッ!ハッ!」ニチョームの語り部、盲目の翁の声!それはニチョーム自治会の街頭スピーカーに混線し、KMCレディオの届ける音楽と即興でビートを重ねた!

「ホロウ!ホロウ!ホロウ!ナッシン!ホロウ!ナッシン!エンター!サツバツ!」翁はトランス状態めいて、一心不乱に原始シャーマニックなリズムを刻む!それは爆発的なゼンを生んだ!ヤモト、ショーゴー、ユンコ、レイジらは荒々しく踊るようなカラテを振るい、押し寄せるシステムの尖兵に抗う!

「古池や/蛙飛び込む/水の音」かつて松尾芭蕉は戦乱の最中、大ガエルを操る敵ニンジャ将軍が滅ぼされた事実をハイクに詠み、味方を鼓舞し、敵軍には絶望を刻んだ。レイジは苦悶し、己の力が未だそこに至らぬ事を悟った!今はただカラテを振るいこの壮絶なる生と死を目に焼き付けるのみと悟った!

 ナムアミダブツ!いまや局所的に、エド戦争にも匹敵する壮絶なイクサが現出したのだ!遠く月面に身を置くアルゴスには、否、完全無欠なる人工知能である彼には、憎悪のカラテを振るい跋扈する怨霊の姿を、道理を超えた筆舌に尽くし難い恐怖を楽によって増幅されるアクシスの心理を、理解できぬ!

『攻撃せよ。攻撃せよ。攻撃せよ。アマクダリの支配体制には、些かの揺らぎも無し』アルゴスは冷酷かつ的確なる命令を下し続けた。誰もがドラゴンベインや十二人の如く気高く秩序だって整然と邪悪に、あるいはシデムシやハイデッカーの如く無思考に盲目的に振る舞えれば、事態は違っていただろう。

 盗まれた機密情報は致命的ではない。無敵のスパルタカスが出撃した。アガメムノンは儀式を終えた。セクトは人類の誰もが為しえなかった偉業を為すのだ。究極の秩序。セクトは勝利する。人類を幸福のうちに統治する。ニチョームの戦力差は依然セクト優勢。…だが何故、アクシスは撤退を開始する?

 戦場では、アマクダリアクシスが、ヨロシサン製薬が、ニチョーム勢が、サヴァイヴァー・ドージョーが、サークル・シマナガシが、そしてシャドウウィーヴとユンコが……熾烈なカラテを打ち合いながら、ニンジャスレイヤーとキュアの死闘を見守っていた。そしてキュアが、爆発四散した。

 バイタルサイン消失。キュア。『戦闘継続せよ』英雄と機械は従う。勝利は目前。だが末端は潰走を止めぬ。この瞬間、アルゴスの知性に歪な感情が生まれた。『……愚かなり』それはネコチャンの自我を破壊吸収したことで予想外に組み込まれたエゴか。あるいはニンジャソウルがもたらした怒りか。 
  
「これにて敗北!作戦は失敗!総員撤退!」チバは立ち上がり、コマンド・グンバイを掲げ、なおも戦闘継続を行おうとするアルゴスに命じた。「替えの効くカス札はいくら死んでもいいが、骨のある連中を犬死にさせてはならん!」若き暴君の声が、暗く広大なワンハンドレッド・タタミ部屋に響いた。 
  
 アルゴスは演算を行った。アガメムノンは未だIRCに復帰できていない。最終決定権は依然、総帥ラオモト・チバにある。「撤退させろ!カス札に足を引っ張られて、使える奴らが犬死にするぞ!」『総員撤退せよ』アルゴスの命令がIRCに下った。

『キュア=サン!スターゲイザー=サン!見事な散りざまであった!だが敗北は敗北!下らん色気を見せずに退け!』チバはアクシスIRCを繋ぐ。基盤と権力を何としても守るため、必死であった。彼にはその権限がある。無論アルゴスは全てを承認する。『ドラゴンベイン=サン!撤退戦を指揮せよ!』

 もはやモータルの身では限界だった。凄まじい汗でヤクザスーツ上下はしとどに濡れていた。チバは蹌踉めき、ネヴァーモアが彼を支え椅子に座らせた。チバは肘掛けに身を預けながら葉巻を吹かし、苛立たしげに空撮映像を見た。ヤグラから空を睨むシャドウウィーヴを見つけ、舌打ちした。「ガキめ」

 アルゴスはハイデッカーとオナタカミ無人兵器群を指揮してヤグラへと群がり、アクシスの撤退を支援していた。チバはそのIRCログを見ながら、苦しげに両脚を投げ出し、紫色のネクタイを緩めた。未だ己独りの力では、何も為せぬ。「……アルゴス、アガメムノン、あとはお前たちでどうにかしろよ」

 空撮映像の中、シャドウウィーヴもまた、糸の切れたジョルリめいて傾き、ヤグラから落下していった。オイランドロイドが駆け寄った。「さらば、我が影よ」チバはつい2時間ほど前に裏切者が飛び立った高い天井を仰ぎ、葉巻の煙を吹かした。そして疲弊のあまり目を閉じ、無防備に寝息を立て始めた。
  

◆◆◆



  ……「リンゴリンゴ、リンゴランゴ、ランゴリンゴ……」陽気でどこか物悲しい兵士たちの行進歌が、焚火の炎に揺れている。生き残った者たちが祝杯をあげ、互いの幸運と奮闘を讃えている。 

 その暖かみのある光と安らぎに背を向け、遠ざかってゆく男がいた。シャドウウィーヴ。野戦病院めいて作られた雑居ビルバラックの中、救護フートンから身を起こした彼は、この場に留まらぬ事を決めていた。彼は影のフードを目深に被り、痛む身体を引きずりながらガレキの道を歩いた。

 傷は重く満足に歩くこともできぬ有様。ユンコが追いついた。ニンジャソウル反応を追ったのだ。「行くの?」「俺にはまだやる事が残っている」影は苦しげに言った。無論ユンコには、これ以上彼を引き留める道理は無い。彼はシャドウドラゴン時代の非道を清算したからだ。少なくとも己に対しては。

「それに」シャドウウィーヴは暗いフードの下で小さく笑った。「ああいうのは苦手だ」「ああ、私もだけど」ユンコも屈託なく笑った。「また会えるといいね」「そうだな」「また会うときのために」ユンコは黒いLANケーブルを伸ばした。シャドウウィーヴはそれを受け取り、ごく短い直結を行った。
  
 2人はLAN直結を解除した。「噫、俺はようやく、また独りになれたか」シャドウウィーヴはバイクを起こし、跨がった。アイアンオトメがモーターの唸りを上げた。それに乗るシャドウウィーヴが電脳メガロシティの闇の中へと消えてゆくのを、ユンコはガレキ山の上から見守り、影に別れを告げた。



【ロンゲスト・デイ・オブ・アマクダリ10101526:フェアウェル・マイ・シャドウ】終


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N-FILES(設定資料、原作者コメンタリー)

月面基地から盗み出されたアマクダリ・セクトの機密データは、ネオサイタマのスラム老朽マンション「ャー都会カルチ」へと流れ着いた。アマクダリを出し抜くべくユンコはハイウェイを疾走! 飛来するシャドウドラゴン! 追撃戦の行方、如何に!? メイン著者はフィリップ・N・モーゼズ。

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