【デストロイ・ザ・ショーギ・バスタード】
この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードは物理書籍未収録です。
【デストロイ・ザ・ショーギ・バスタード】
1
二頭の牡牛がぶつかり合うピンク色のネオン看板が、重金属酸性雨を浴びてバチバチと火花を散らした。その下では「ノー・ブルシット」「危険」「ツクツク」と書かれた危険なLED文字が、交互に点滅する。ここは、ネオサイタマのリアルヤクザたちが夜な夜な集う危険な違法賭博場、「ツクツク」だ。
錆びたエントランスに立つのは、2人のクローンヤクザだった。首筋にはヨロシサン製薬のバーコードが刻まれ、ネクタイにはソウカイヤ紋。2人は雨の中を近づいてくるハンチング帽にトレンチコートの男を発見し、顔を見合わせた。それから同時にタンを吐き、同時に胸元のチャカ・ガンに手を添えた。
「俺は客だ」コートの男が立ち止まり、顔も上げずに言った。上空を飛ぶマグロ・ツェッペリンが裏路地に商業的漢字サーチライトを投げ下ろし、頭上では牡牛ネオンがまた火花を散らした。「「……ここはヤクザ専門店ですよ」」クローンヤクザは同時に言った。非人間的な統一感と威圧感を感じさせた。
「俺はヤクザだ」男はトレンチコートのボタンを外し、その中に着込んだヤクザスーツを見せる。確かに客だ。「「ドーモ」」クローンヤクザたちは胸のチャカ・ガンに添えていた手を離し、詫びるようにオジギした。「ドーモ」男もハンチング帽の鍔に手を添え、コートを閉じると、深々とオジギした。
2人は男のLED傘を受け取り、ドアを開けた。まだ賭博場は現れない。厳重な警戒だ。ここがソウカイヤの暗黒資金ロンダリング施設であることを臭わせる。「「サイバネをスキャン重点」」無数の小さな青色電球が整然と埋め込まれた鏡面加工の廊下には、飛行場の金属探知ゲートめいた装置があった。
「ツクツク」では、サイバネ者の入場が厳しく制限される。男は少し思案した。後方ではクローンヤクザが睨みをきかせる。それから男は臆することなく、粛々とサイバネ探知ゲートを潜った。サイバネ反応は…皆無。「ハイヨロコンデー!」非人間的な電子合成音が鳴り、前方の防弾ショウジ戸が開いた。
煙草、酒、ヤクザ香水、その他にも様々な違法薬物の臭いが、ハンチング男の鼻孔をくすぐった。男は顔をしかめ、賭博場に足を踏み入れる。「ハン!チョー!ハン!」「マッタ!」「大当たり重点!」あちこちから剣呑な声が聞こえる。フロアは巨大なアーケードゲーム場を改装して作られ、薄暗く広大。
男はオイラン・バニーのきわどい接待をかわし、鋭い目つきで賭博場内を一巡した。「見ろよ、トッポいニイちゃんが来たぜ」「ああ、ケジメひとつねえ、綺麗な指だ」違法賭博シューティングゲームに興じていた傷顔のヤクザ2人が、隣のオスモウ・スロットに座ったハンチング男をちらりと見て言った。
男は慣れぬ様子で、機械に触れた。「ニイちゃん、遊び方知らねえのか?」ヤクザが笑う。男は少し思案してから、万札を機械に入れた。そしてレバーを引く。「ハッキョーホー!」威勢のいい電子音が鳴り、ドラム回転!「兄ちゃん、揃えりゃ億万長者だぜ!」男は順にボタンを押す!「お」「相」「鯖」
「アッ!ザンネン!」電子オスモウ音声が鳴る。そして死に絶えたかのように、盤面のLEDネオンが消失した。ハズレだ。そして信じ難いことに、この違法スロットマシンはワンプレイに万札1枚を要するのだ。「……」男は舌打ちし、椅子から立ち上がる。ヤクザの笑い声を後ろにまた店内を歩いた。
その時不意に、奥のコロッセウム場からヤクザたちの歓声が上がった。何かイベントが始まるのだ。「ショータイム!ショータイムドスエ!」半裸のオイラン・バニーガールが、声をかけて回る。「……何が始まる」ハンチング男はごくりと唾を呑みながら、そこへ向かった。焦燥感をなお強めながら。
強烈な光を浴びたコロッセウム場には、2トンはある巨大な牛がいた。数十人のリアルヤクザが早くも手に汗を握りそれを見ている。牛は前脚で砂を蹴り、今夜の犠牲者を待ち切れぬ様子!「兄ちゃん、新顔だろ?」先程のヤクザが横から男に話しかけた。「あいつの名はマツザカ。情け容赦ない怪物さ」
恐るべき筋肉量。刺殺のためだけの角。轢殺のためだけの四肢。鼻からは凄まじい蒸気。マツザカは正真正銘の魔物に相違ない。「マツザカヤレッコラー!」「スッゾコラー!」観客も興奮している。「何が始まる」男はヤクザの顔も見ず、腕組みしたまま問う。「見せしめ処刑さ。スカっとするぜェ?」
「処刑……」観客席の中程から、男は鋭いカラテの眼差しで猛牛マツザカを睨んだ。抑えていたキリングオーラがにじみ、隣にいたヤクザは無意識のうちに身震いする。果たしてこの男は何者なのか?「アイエエエエエ!アイエエエエエエ!」コロッセウムの鉄格子が開き、屈強なスモトリがまろび出た。
「マツザカヤレッコラー!」「スッゾコラー!」観客が興奮している。「ウオーッ!ドッソイ!」覚悟を決めたスモトリは凶悪武器サスマタを構えた。悲壮な覚悟だ。「ああ、処刑さ。ツクツクでイカサマを働いた野郎にゃ、この運命が待つ。シャカリキでもやるか?安くしとくぜ」ヤクザが男に言った。
「バモオオオオーッ!」猛牛は地獄から響くような唸り声を上げた。体には無数の傷跡。目には殺戮機械めいた激情。蹄鉄に染み付いた血は、果たして何人分の血か……既に禍々しい光沢を放っている。マツザカは興奮で泡を吹き、突進を開始した!「ウオーッ!」薬物興奮スモトリも迎撃態勢を取った!
そして衝突!「アバーッ!」スモトリは弾き飛ばされた!そして浜辺に打ち上げられたマグロめいて転がり口をぱくぱくさせる!ナムサン!ヤクザたちが歓声!「どうだい兄ちゃん、おっかねえだろ?でもな、ここに来るのは命知らずばかりだ。多い日にゃ何人も、イカサマ容疑で店の奥に連れてかれる」
「成る程」男は言い、踵を返した。「どうしたい、ここからが楽しい所だぜ。ブルっちまったのか?負けのイライラを解消しようぜ?シャカリキをキメりゃあ……」「あのスモトリはどのようにイカサマした?サイバネはスキャンする筈だが」「……?さあな、勝ちすぎたんだろ。おかしいくらいにな」
「成る程」男は頷いた。「おい、待てよ兄ちゃん、折角俺が楽しみ方を教えてやってるってのによォ…」傷顔ヤクザの声に耳を傾けず、ハンチング帽の男はツカツカと歩き、先程のオスモウ・スロットの前に再び座った。ドラムを射竦めるような鋭い眼差しで睨みながら……シワだらけの万札を投入する!
男の右腕にカラテがみなぎる。そして彼はごくりと唾を呑み……レバーを引いた!「ハッキョーホー!」電子音が鳴り、ドラム回転!ドルドルドルドルドル!男は額に汗を浮かべ、順にボタンを押す!「お」「相」……ドルドルドルドルドルドルドル!!……「撲」!キャバァーン!電子ファンファーレ!
男の右腕に再びカラテがみなぎる。彼はごくりと唾を呑み……レバーを引いた!「ハッキョーホー!」電子音が鳴り、ドラム回転!ドルドルドルドルドル!男は額に汗を浮かべ、順にボタンを押す!「お」「相」……ドルドルドルドルドルドルドル!!……「撲」!キャバァーン!電子ファンファーレ!
男の右腕にみたびカラテがみなぎる。彼はごくりと唾を呑み……レバーを引いた!「ハッキョーホー!」電子音が鳴り、ドラム回転!ドルドルドルドルドル!男は額に汗を浮かべ、順にボタンを押す!「お」「相」……ドルドルドルドルドルドルドル!!……「撲」!キャバァーン!電子ファンファーレ!
既にLED文字盤の金額は1億円。「ブッダ!」ヤクザが息を呑んだ。人間業とは思えぬ。イカサマか。この男は密かにサイバネを持ち込み、イカサマを働いているのか!?「兄ちゃん、その辺にしとけ。死にてえのか……!」「まだだ」男は焦燥感に満ちた声で言い、容赦な4度目のレバーを引いた!
だが……ドラムは自動的に停止し、謎のクロスカタナ紋が3つ揃ったのだ。果たしてこれは!?ブガー、ブガー、ブガー!次の瞬間、赤い非常ボンボリが台の上で回転。紫の上級ヤクザスーツを着た小男が、クローンヤクザを引き連れ、店の奥の隠しドアから現れた。「あそこか……」男は眉根を寄せた。
「クソ……俺のオイランタイムを中断しやがって……」小男は賭博場を横切って問題のスロットに近づき、ヤクザスマイルで言った。「お客様、少し事務所へ」「アタリすぎて動かなくなったようだ。1億円を貰いたい」男は逃げもせず、平然と言った。傷顔ヤクザは顔を青ざめさせ、視線を逸らした。
「事務所で払います」「成る程、そのようなシステムか」男は立ち上がりグレーターヤクザ小男に従った。無論その鋭い目は、小男の胸元に光る悪趣味なクロスカタナ紋バッジを見逃さない。斜めに交差する2本の抜き身のカタナ……それは邪悪なるニンジャ組織、ソウカイ・シンジケートの紋章である!
また哀れな生贄だ。あの男も数日後には、マツザカに生贄として捧げられるのだ……場内のヤクザたちは視線を逸らし、ほくそ笑む。「事務所はこちらです」一行は、隠しドアの前に立つ。小男がLAN直結でUNIXにパスコードを直接入力した。ガゴンプシュー。一行の後方で、機密フスマが閉じた。
男はヤクザの後に続き、「暴力」「ヤッテヤル」などの恐るべき警句ショドーが貼られた廊下を歩む。「随分と裏も広いようだな」「ナメた口きくのは、そろそろ止めた方がいいんじゃねえか、エエッ……?」小男の口調が豹変した。「あのドアをくぐったが最後、ケジメの一本やそこらじゃ帰れねえぞ」
「気が変わった。1億円は不要」男は言った。「ヘッ!もう遅ェぜ」小男が笑う。「道案内も不要」男が立ち止まる。「あァ……てめえ、シャカリキのキメすぎで狂ったか?そういやあ、ヤクザにしちゃあ妙なアトモスフィアだ。潜入デッカーか何かか?どっちにせよマツザカ……」ヤクザ達が振り返る!
そこに立っていたのは、もはやハンチング帽の男ではなかった。ニンジャだった。赤黒の装束に身を包んだ……ニンジャだ!「アイエエエエエエ!」小男が失禁!「「ザッケンナコラー!」」クローンヤクザが銃を抜く!だが次の瞬間、目にも留まらぬ速さで、怒りに満ちたカラテパンチが繰り出された!
「イヤーッ!」「グワーッ!」右のクローンヤクザを情け容赦なく撲殺!「イヤーッ!」「グワーッ!」左のクローンヤクザを情け容赦なく撲殺!「イヤーッ!」「アバーッ!」逃げ出そうとしたグレーターヤクザを、無慈悲に背後から後頭部スリケン殺!倒れた小男の生体LAN端子から火花が散った!
「イヤーッ!」彼は近くにあったチャブの下に死体を放り込んで巧みに偽装すると、素早い五連続側転を打ってから、違法賭博場ツクツクの潜入捜査を開始した。その口元には「忍」「殺」の恐るべき鋼鉄メンポ。彼こそはソウカイヤに妻子を殺された復讐の戦士、ニンジャスレイヤーであった。
ニンジャスレイヤーはSWAT特殊部隊めいた低姿勢で、全方位にカラテを向けながら、音も無く廊下を歩く。ニンジャ平衡感覚がなせる技だ。どうにか最難関のUNIXロックを突破し、裏側へと潜入できた。だがその顔には未だ焦燥感が見え隠れする。額からじっとりと汗が流れ、眉に吸い込まれた。
(((ナンシー・リーのハッキングがあれば、あの程度のロックなど、いとも容易く突破できた……))) だが今は不可能だ。そしてそれこそが、今彼がここにいる理由でもあるのだ……!「ここは……」ニンジャスレイヤーは静かに防弾フスマを開いた。そこは薄暗いタタミ敷きのドージョーだった。
タタミには無残な血の染み。壁にはソウカイヤ紋が掲げられ、使い込まれた木人が並んでいる。そのうちの一体には、ニンジャの使う危険な投擲武器、スリケンが突き刺さっていた。「間違いなく、この施設内のどこかにニンジャがいる……」ニンジャスレイヤーは眉根を寄せ、後ろ手でフスマを閉じた。
ニンジャスレイヤーは再び警戒姿勢を取り、潜入カラテ捜査を再開した。全ての始まりは、1本のエマージェントIRCメッセージからだった。ソウカイヤの資金ロンダリング施設と思しきこの賭博場ツクツクを調べていたナンシー・リーが、彼に助けを求めるメッセージを送信し、消息を絶ったのだ。
ゆえに彼は、ヤクザに偽装してこの違法賭博場に入り、イカサマ容疑者として裏側に潜入したのだ。それは危険な賭けであった。強引な正面突破を行えば、ナンシーの命を危険に晒すことになる。もし彼女が殺されれば……タケウチ・ウイルスの解毒薬は得られず、ドラゴン・ゲンドーソーも死ぬだろう。
「ナンシー=サン、どこにいる……」ニンジャスレイヤーはスリケンを構えながら、バンブー林を吹き抜ける春風めいた静けさで歩み、潜入捜査を続けた。そして不意に……ナンシー・リーからのIRCメッセージが届く!38
#NS_GOKUHI :NANCY:ニンジャスレイヤー=サン!今すぐ応答して!
#NS_GOKUHI :NJSLYR:ナンシー=サン、今何処に!?
#NS_GOKUHI :NANCY:何とか逃げ出して、ショウギ・ルームに隠れたのよ!早く来て!
緊急IRCはそこで切断された。ニンジャスレイヤーは携帯IRC端末のLED画面を睨み、その行間からナンシーの緊迫した現在状況、および隠された意図などを読み取ろうとする。(((あるいは……罠か)))……だが疑っている時間など無い!覚悟を決め、彼はショーギ・ルームへと駆けた!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはショーギ・ルームのフスマを勢い良く開く。ナムサン!その暗い大部屋の奥には、オイラン・バニー姿で拘束されたナンシー・リーの姿!次の瞬間、室内のLED電子ボンボリが一斉に灯った!「ヌウーッ!」「まんまと罠に嵌まったな、ニンジャスレイヤー=サン」
その声の主は……無論、ニンジャである。黒装束のニンジャだ!さらに室内にはクローンヤクザ多数。何人かはナンシーに銃口を向けている。「ンーッ!ンンーッ!」ナンシーは身をよじり、彼に何かを訴えた。来てはならない。死ぬ。そのような事を伝えようとしているのは、目を見れば明らかだった。
「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン、ツクツクのドウモト、マタドールです」ニンジャは腕組みし、高圧的にアイサツした。「ドーモ、マタドール=サン、ニンジャスレイヤーです」復讐者もアイサツを返した。そして……睨み合った。即座のカラテとは行かぬ。ナンシーを人質に取られたとあっては。
「会いたかったぞ、ニンジャスレイヤー=サン。まんまと誘き出されるとはな。貴様は俺の罠に嵌まったのだ」それからマタドールは目を細め、手元のUNIXリモコンを操作した。「まずはスリケンを収めたらどうだ?彼女が死ぬぞ」「ンンンーッ!」たちまち電流が流れナンシーが悶絶!非道!
「ヌウーッ……」ニンジャスレイヤーはそれに従った。ナンシーへの電流が収まり、苦しげに項垂れる。彼女の胸は豊満だ。「オレは情け容赦ないソウカイ・ニンジャの一員だ」マタドールが言う。「そして、酔狂なバクチ打ちのドウモトでもある。本来は、即座に貴様ら二人を殺す予定だったが……」
「貴様は殊勝にも、オレの賭博場でイカサマをしなかった。お前はスロットで1億円勝った。だがそれは純粋に、ニンジャの力によるものだ」マタドールはエンガワをまたぎ、一段高くなった室内ザシキに立った。「よってニンジャスレイヤー=サン……貴様とあの女に、最後のチャンスをくれてやろう」
「……」ニンジャスレイヤーはジュー・ジツを構えたまま、そちらへ向かった。全方位への警戒は怠らない。「座るがいい、ニンジャスレイヤー=サン。さもなくば、即座にあの女を殺す」マタドールはチャブの前に座した。ニンジャスレイヤーも従う他無かった。反撃の糸口を掴むまでは。
「選べ。オレは貴様と命を賭けたバクチがしたい。シックスゲイツを殺した狂人とバクチがしたいのだ……!」マタドールはチャブ上の真っ赤なフロシキを取り去った。「これは……!」ニンジャスレイヤーは眉根を寄せる。そこに現れたのは、ショーギ駒、ドンブリとダイス、そしてハナフダであった。
ニンジャスレイヤーはチャブ前で正座し、敵を睨んだ。「私が勝ったら?」「あの女を解放してやろう」マタドールが片眉を吊り上げた。「よかろう」復讐者はチャブ上に手を伸ばす。掌にじっとりと汗が滲む。彼の手はショーギ、ハナフダ、ドンブリの順にチャブ上を彷徨い……掴んだ。ショーギ駒を!
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スロットで一億円を当てたフジキド・ケンジが店の奥に消えてから数十分後。賭博場は平時のアトモスフィアを取り戻している。だが、連れ去られる直前まで彼と話をしていた傷顔ヤクザだけは違った。何か思い詰めたような顔で、しきりに汗を拭っていた。「おい、どうしたよ?」相棒が彼に声をかける。
「あの射竦めるような目がな、焼き付いて、離れねえのさ」傷顔ヤクザが言った。「さっきのトッポいニイちゃんか?」四本ケジメ済みの相棒が、目を細めながら言った。「何だって、あんなに“親切に”してやったんだよ」「雰囲気が似てたんだよ。同じような若えヤクザが、半年前、初めてここに来た」
「それで?」「そいつは自分が無敵のバクチ打ちだと考えてた。指はケジメ一本も無し。野生のジャガーみてえに危険で澄んだ目をしてやがった……」傷顔は震える指で煙草を吹かした。「そいつはイカサマはしてなかったはずだ。だがショーギで勝ちまくっていた。ヤバイ位にな。俺は思わず話しかけた」
「勝ちすぎるとヤバイぜ、って教えたのか?」「ああ、そうだよ。俺たちゃ同族だ。ヤクザだ。何も知らねえ若いモンが、無鉄砲に突っ込んでって死ぬのは、気分が悪ィ……」傷顔は続けた。「だから暗黙のルールを教えてやった。だがそいつは笑って言った。『まだだ』と。そして勝ち、一億円に達した」
「……そいつは奥からグレーターヤクザが出てきても、動じなかった。逆に、ドウモトにこの一億でさらに勝負を挑むと言い、店の奥に消えた……」「最後はどうなった?」相棒も聞き入った。傷顔はかぶりを振った。「三日後、死んだマグロの目で闘牛場に出てきた。そしてマツザカに殺られたのさ……」
「ブッダはクソ野郎だからな」相棒は溜息をつきながら言った。「……で、さっきのニイちゃんも同じか」「いや、それが違う。俺も最初は、雰囲気が似ていると思った。だが、さっきのニイちゃんは、実際別物だった。ヤクザじゃねえのかもな。何か別の……気高い生き物だ。そういうソンケイを感じた」
「闘牛場を見るときのあいつの鬼気迫る表情、俺にした質問……たぶんあのニイちゃんは、最初から、死ぬ覚悟でここにやって来た。そして一億円当てた。だけどよ、何のためにだ?」「今日はもう帰ったらどうだよ、兄弟。どうにも様子がおかしいぜ。熱にあてられたみてえだ……」相棒が首を横に振る。
「ああ、どうにもおかしいぜ」傷顔が唸る。「ヤクザクランの時代は終わり、暗黒メガコーポとクローンヤクザと得体の知れねえシンジケートの時代だ。いつの間にか俺たちゃ食い物にされる側だ。顔色伺いながら、勝ち過ぎねえように、目立たねえように、草食動物みてえにブザマに生きてんじゃねえか」
「もう止めとけ。考え過ぎだ。奴は狂ったバクチ打ちで、イカサマしてでも一億当てるために来ただけさ」相棒が諭すように言った。傷顔は何かを悟ったように目を見開き、頷いた。「……そうか、あのニイちゃんは勝つために来たんだ。そういう顔だった。何にかは知らねえが、勝つためだけに来たんだ」
傷顔は立ち、殺人的レートで悪名高いダイス賭博場へ向かった。「待て、死ぬ気か?」「……何故か知らねえが、あのニイちゃんの目が俺に火をつけた。俺ァ勝つためにヤクザになった。その気持ちを思い出させてくれた。俺は今夜、もう一度、その気持ちでバクチしてみてェんだ」傷顔は不敵に笑んだ。
◆◆◆
一方その頃、秘密ショーギ・ルームでは、ニンジャスレイヤーとマタドールによる、命をかけたアドバンスド・ショーギ一本勝負が既に幕を開けていた!
室内に一段高く作られたザシキルーム。中央にはチャブが置かれ18x18マスの広大な盤面にアドバンスド・ショーギ駒が展開されている。これを挟んで睨み合いながら、2人のニンジャが正座。凄まじい殺気である。ショーギのメイジン同士の対決は、しばしば睨み合いだけで相手が死ぬ事すらある。
平安時代から続くショーギの作法に従い、北側には長机が置かれ、クローンヤクザ3人が正座。これはタチアイニンと呼ばれ、記録を取ったり持ち時間などをコールする。隣の和室には大マグネット製の盤が置かれ、ヤクザとオイランが対局をリアルタイム保存する。急な地震等で駒が乱れた時のためだ。
「30秒」タチアイニンが無慈悲なコールを行うとアトモスフィアが張り詰め、緊迫感がなお増す。ニンジャスレイヤーは険しい目で戦場を見据えた。「20秒」戦局は間もなく中盤。既に形勢不利。額の汗を拳の甲で拭う。敵を睨む。この男、マタドールは真のバクチ打ち……強敵であった。「10秒」
ニンジャスレイヤーは駒を掴み、マタドールの目を睨みながら……ピシャリと指した!乾いた木と木が鳴り、空気が震えた。その音で、その気迫で、目の前の相手を射殺さんとするかのようだ。「8九、ライオン」タチアイニンが無表情に言う。「8九、ライオン」隣の和室でヤクザが棋譜をコピーする。
一方マタドールは余裕……否、このバクチを心の底から愉しむ顔であった。「オレの番か……」だが駒を持てば、情け容赦ないオニの顔に変わる。空気が再び、ピシャリと鳴った。「8九、フライングバッファロー」クローンヤクザが言う。無慈悲な指し筋。ニンジャスレイヤーのライオンが、殺された。
「貴重なライオンが死んでしまったなァ」マタドールが動揺を誘うべく、駒を見せつける。「全て計算のうちだ」死神は鋭い睨みを返す。「面白い。これは侮れん」マタドールは手に汗握り、メンポの下で笑みを作った。そして盤面を睨む。敵の手番中に先を読み、持時間をセーヴする。高等テクニックだ。
……ここで皆さんに、ショーギの詳細なルールを解説せねばなるまい。それはおおむね、チェスである。ただし、チェスと最も大きく異なる点として、取った駒を自らの手駒にできる(不思議な事に、セプクしないのだ)。また、局面によってはタチアイニンが駒を5枚振り、表か裏かで運の要素を生む。
アドバンスド・ショーギは、いわば戦術級から戦略級へと、それをさらに拡張したものであり、平安時代に実際に戦われた大合戦や政争すら再現できるという。駒は数を増し、様々な特殊ルールもある。だがその根本は、チェスと何ひとつ変わらない。先に敵のショーグン駒を取った側が勝つのだ……!
「30秒」タチアイニンが無慈悲なコールを行うとアトモスフィアが張り詰め、緊迫感がなお増す。ニンジャスレイヤーは戦局を見据えた。「20秒」額の汗を拳の甲で拭う。敵を睨む。「10秒」「オヌシの絶大な自信を打ち砕き、その後に……殺す」ピシャリと指した!「8九、アイアンゴーレム」
ニンジャスレイヤーは徹底して強気の攻めであった。全戦力を中央に集め一点突破を狙っている。ショーギにおいて、序盤戦は陣形を整えることに注力する。この段階では有利不利はまだ殆ど見えない。だが戦端が開かれ、中盤戦が開始すると、チェインリアクションめいた死の連鎖核爆発が始まるのだ。
「フゥーム……」マタドールが初めて長考した。まさか相手が8九、即ち戦場の中央にここまで拘るとは思っていなかったからだ。一見、敵は敗北必死の作戦に惜しみなく戦力を注ぎ込むような、無謀な自殺行為を行っているようにも見える。だがそれはブラフで、何らかの策があるかも知れぬのだ……!
既に戦場中央は、死屍累々の様相。彼の側には、まだヤリが控えている。ヤリを8九に進ませればアイアンゴーレムを殺せる。本来、チェスと同じく、相手の駒に重ねれば無条件でそれを殺せる。だが、気迫……相手の気迫が、マタドールの手を止める!本当にこのヤリでアイアンゴーレムを殺せるのか?
マタドールの心眼には、セキバハラ荒野に聳え立つ恐るべきアイアンゴーレムが見えた。(((本当に殺せるのか…?)))読者の皆さんは何を愚かな事を、と思うかもしれない。当然、ヤリで殺せるはずだ。ルール上はそうなっている。だが、このような錯覚は、実際のメイジン戦でもしばしば起こる。
「どうした、手が震えているぞ、マタドール=サン」ニンジャスレイヤーが拳で汗を拭いながら言う。その声がマタドールのニューロンをざわつかせる。「否、ニンジャスレイヤー=サン、貴様のブラフもここまでだ」彼は勝負に出る気だ。「貴様には策など無い……!」そして、指した!「イヤーッ!」
「8九、ヤリ」タチアイニンが言う。ゴーレムを取った。「ハァーッ!ハァーッ!」マタドールは汗を拭った。全力カラテ・スパーリングを30分休み無しで続けたような消耗だ。高段位メイジン同士の対決になると対局中のカロウシや狂死も珍しくない。命を賭けたショーギとは、まさにイクサなのだ。
「ヌゥーッ……」これに対し、次はニンジャスレイヤーが長考に入った。フットソルジャーの堅牢な防衛線越しに、敵のヤリがショーグンを狙っている。心理的な形勢は逆転し、このままショーグンを貫き殺されそうな錯覚に陥る!「ニンジャスレイヤー=サン」マタドールが言った。「血が出ているぞ」
「……」彼は己の手元を見た。「忍」「殺」の鋼鉄メンポの顎先から、ぽた、ぽたと血が滴っている。鼻血であった。ハッカーの攻防と同様、極限状態でニューロンを酷使し続けた事で一部が灼けつき、出血したのだ。「ニンジャスレイヤー=サン、やはり貴様には策など無かった。シロウトの指し筋だ」
「10秒」不意に聴覚が戻る。タチアイニンの無慈悲なコールは、ニンジャスレイヤーの時間切れ敗北まであと一歩と迫っていた。「ヌウーッ……」彼は止むを得ず、指した。「18十四、ウマ」タチアイニンが言う。冴えない悪手。マタドールは額に皺を刻みながら、敵を嘲笑うように両目を見開いた。
「メッキが剥がれたな、ニンジャスレイヤー=サン」マタドールは思考時間を使うまでもなく、即座に打つ!そして語る!「オレは貴様のような勝気なバクチ打ちを、この秘密のショーギ場へと呼び込み、何十人となく破滅させてきたのだ」その姿はまるで、猛牛の前で赤布をひらめかせる闘牛士の如し!
対するニンジャスレイヤーは攻め入る隙を見いだせず、防戦一方の状態だ。ナムサン!(((ニンジャスレイヤー=サン……私のウカツのせいで……!)))拘束ナンシーはエンガワの外で苦悶の表情を浮かべ、頭を振った。その胸と頭には左右からクローンヤクザのチャカ・ガンが押しつけられている。
(((イヤーッ!)))(((グワーッ!)))(((イヤーッ!)))(((グワーッ!)))ショーギ盤を介したイマジナリー・カラテが、ニンジャスレイヤーを連続で殴りつける!彼はショーギ有段者ではない。幼い頃、祖父の家の狭いチャノマで教わり、サラリマン時代に上司と打った程度だ。
フジキドの意識が薄れてゆく……ショーギ盤が霞んでゆく……。(((フジキド……おお、フジキドよ……)))彼のニューロンの奥底で、血の池の底からゴボゴボと涌き上がるような哄笑と、内なる禍々しきニンジャソウルの声が響いた!(((何たるブザマ……8九にウマを送り込むのだ……!)))
それこそは、あのマルノウチ抗争の夜、瀕死のフジキド・ケンジを死から甦らせた、ナラク・ニンジャの声であった。(((8九に……ウマ……)))ニンジャスレイヤーはカッと目を見開き背筋を伸ばすと、ピシャリと指した!「8九、ウマ」「……最後の足搔きか?」マタドールが片眉を吊り上げる。
相手の攻撃をひらりと躱すように、マタドールは素早く次の一手を指した。「8九、フットソルジャー」だが、ニンジャスレイヤーも即座にそれに応ずる!「8九、チャリオット」「8九、オイラン」「8九、ブラインドタイガー」死の応酬……!しばし、駒の鳴る音と、タチアイニンの声だけが響いた!
(((何だ……この指し筋……まるで別人……いかなる戦死者も犠牲者も……厭わぬ……地獄の悪鬼めいた……非人道的指し筋……!まさか先程までの悪手……全て……ブラフ……!?)))マタドールは顔を上げた。ニンジャスレイヤーの右の瞳が収縮し、火のついたセンコめいて禍々しく輝いていた。
「言った筈だ」ニンジャスレイヤーは言った。「オヌシの絶大な自信を打ち砕き、その後に……殺すとな」何たるキリングオーラ!敵がサンシタであれば……否、シックスゲイツの手練ですら、この状態の死神と睨み合えば動揺は必至!だが「……面白い!」マタドールの目はバクチ打ちの狂気で輝いた!
さらに連続で真正面から殴り合うかのように、両者は8九で手駒をぶつけ合った。凄まじい気迫であった。「「「ウッ!」」」タチアイニンのクローンヤクザ3人が、同時に、鼻血を出した。室内にみなぎるカラテの高まりが、至近距離で対局を見つめる彼らのニューロンにまで健康被害を及ぼしたのだ。
(((良いぞ…フジキドよ!儂の示す通り指すがよい……!ライオンを放て!)))ピシャリ。「は……8九、ライオン」タチアイニンが言う。ライオンが飛び掛かり、ダイミョを食い殺した。そして……死の静寂。もはや8九に干渉可能な駒は無し。九手の応酬の末、8九の殺戮は痛み分けに終わった。
「五分五分まで戻したか、仕切り直しだなァ」マタドールが愉快そうに言った。ニンジャスレイヤーは無言で腕組みし、刺すような視線を返す。二者はメンポの下に禍々しい笑みを刻みながら睨み合い……奪い取った手駒でスピーディに陣形を整え直す!死と再生……!再程と別物のように陣形が変わった!
◆◆◆
一方そのころ、ツクツクのダイス賭博場では、リアルヤクザたちの間にどよめきが起こっていた!「……まただ、また勝ちやがった……!」「信じられねえ……!」「オイ、そろそろ、あいつも裏に呼ばれるぞ……!」
……あの傷顔ヤクザであった。バクチの場である高足のビッグチャブ上には、既に1千万円近い万札が重ねられている。心臓が激しく鳴り、全身に混じりけの無いアドレナリンを行き渡らせ、ケミカルな粗悪シャカリキ麻薬成分を洗い流す。隣に座る相棒ヤクザの忠告の声も、もはや彼の耳には届かない。
「お客様、まだやりますか?」サイバーサングラスをかけたディーラーのクローンヤクザが、警告めいて言った。傷顔は己の手元を見た。今引けば1千万が懐に。だが、次勝てば1億。……尻尾を巻いて逃げられるか?この神懸かり的バクチの冴えは、今、この夜しか無いかもしれぬのに。傷顔は唸った。
「俺はヤクザクランを興したい。それが俺の野望だった……すっかり忘れちまっていたが」傷顔は己を鼓舞するように笑った。その目にはやはり、バクチ打ちの狂気の光!「だから……まだだ。俺は勝って、1億貰いたい」「少々お待ちください」ディーラーが裏とIRC通信を行う。観衆が生唾を飲む。
「着信ドスエ、着信ドスエ……」電子マイコ音声が、チャブの下に放り込まれたグレーターヤクザ死体の尻ポケット内で虚しく揺れる。本来ならばフェイルセーフ措置でIRCはドウモトに届くが……彼は真剣勝負中だ。当然ながら些細なIRCには応答せぬ。クローンヤクザは判断つかず脂汗を垂らす。
「どうしたよ、ディーラー=サン。判断できねえのか?てめえの頭で考えてみなよ。こんな所でビビって中断されちゃあ、ツクツクの威厳は地に落ちるぜ……」傷顔ヤクザが、睨む。ディーラーはサイバーサングラスを操作し、手に汗握りながら、非常時対応マニュアルのイエスノー・チャートを追った。
そしてディーラーは言った。「……続行します」「よおし」傷顔ヤクザは、割れた唇を横に大きく広げ、歯を見せて微笑んだ。賭博場内のBGMがちょうど切り替わり、ザラザラと粗いディストーション・シャミセンの音が聞こえた。闘牛めいた焦燥感を醸す、エスパーニャ・カーニのアレンジ曲だった。
3
「30秒」タチアイニンのクローンヤクザが無慈悲なコールを行う。「ググググ……」ニンジャスレイヤーはいまや正座ではなく、アグラ姿勢を取り、片目を赤く発光させている。「忍」「殺」メンポの奥から漏れるのは、ごぼごぼとした笑い声だ。駒がピシャリと鳴る。「8九、ヤリ」禍々しい刺し筋!
(((やはり……まるで別人だ……!)))マタドールは敵を睨み、額の汗を拭う。然り。命を賭けたショーギは一対一のイクサであり、魂の激突である。指し筋のみならず、座る姿勢、駒の置き方……全てにおいて内面が滲み出る。これが、多くの日本企業が昇格試験にショーギを用いる理由でもある。
「見事なワザマエだ。これまでのホワイトベルトめいた指し筋は、オレを困惑させるブラフだったか……」マタドールはメンポの下で勝負師の笑みを浮かべる。「もっと見せてみろ……貴様の本性を…!」ピシャリ。「8九、ウマ」駿馬が自軍の隊列を高く飛び越えて襲い掛かり、敵の槍兵を踏みしだいた。
(((フジキドよ、フライング・バッファローで攻め立てるべし)))脳内に響く、禍々しきニンジャソウルの声。その内なる声に従い、フジキドは指す他なかった。「……ググググ」ニンジャスレイヤーはジゴクめいた笑い声とともに、指した。おお、ナムサン!フジキドの精神が侵食されつつあるのだ!
「8九、フライングバッファロー」クローンヤクザが読み上げる。敵の守りの要たる8九を、邪悪な鉤爪で強引に切り裂かんとする、無慈悲な一手!「ムゥーッ!」マタドールが唸る。何たる犠牲を厭わぬスターリングラード波状攻撃めいた指し筋!再び盤面は死屍累々のハカバと化そうとしていた!
壮絶!既に8九周辺には、両者の指から徐々に血が移り、黒ずんだ掠れ跡ができている!「だが見よ、ニンジャスレイヤー=サン!」ここでマタドールは挑発的な一手を繰り出した。重要な駒のひとつであるダイミョを、フライング・バッファローと一騎打ちさせるかのごとく、戦場中央に送り出したのだ!
(((良いぞ……!あのダイミョを狙え、フジキド……!フライング・バッファローで……!)))ニンジャスレイヤーは……否、もはや半ばナラク・ニンジャの操り人形と化したフジキド・ケンジは、朦朧とした意識のまま駒を握り、指した。そしてナラクの目で敵を睨む!「これでどうだ、コワッパめ」
それに対し、マタドールはいかなる攻撃を繰り出したか?答えは……回避であった。彼のダイミョは敵のフライング・バッファローの突進ルートを避けるように、あざやかに身を逸らしたのだ!「コワッパめ……!」ニンジャスレイヤーは挑発された挙げ句に、肩透かしを喰らった形となる。屈辱である!
(((どうすれば…!)))このテクニカルな指し筋にフジキドは対応できぬ。ただ内なるソウルに頼るのみ。(((ここが勝負の分水嶺……フジキドよ、追え、追うのだ……!奴と根比べと行こうぞ……!)))頼もしい……。実際頼もしい……!フライング・バッファローが駆け、再びダイミョを狙う!
だがマタドールのダイミョ……またもや回避……!「おのれ……!」ニンジャスレイヤーの鋼鉄メンポがバキバキとざわめき、死神は両手の指を強張らせながら敵を睨む!「オーレイ!」マタドールは挑発的に両目を見開き、スペイン闘牛士めいた言葉で死神を煽った!ポエット!何たる勝負師の機知か!
追うニンジャスレイヤー!またもや軽やかに躱すマタドール!「オーレイ!」おお……何たる光景か!「オーレイ!」まるで赤布をひらめかせて挑発し、猛牛の危険な突進を紙一重で躱す、スペイン闘牛士めいた指し筋!「オーレイ!」熾烈な精神戦がアドバンスド・ショーギ盤上で何度も繰り返される!
「オーレイ!」既にマタドールは、その所作自体も変化している。コマを握り高く持ち上げてから盤上に叩き付ける、いわばセイケンヅキめいた基本ムーブメントではなく、盤面を撫でるように……なめらかに駒を滑らせ、最低限の動きで敵のフライング・バッファローを躱している!「オー……レイ!」
このままではサウザンド・デイズ・ショーギに持ち込まれる危険もある。それはショーギの禁じ手であり、恐るべき罠だ!精神的疲弊で、フジキドの意識が朦朧としてきた。ショーギ盤が歪んで見え始める。(((追え……フジキドよ……追え!)))だが内なるニンジャソウルは愉快そうに命ずるのみ!
(((ニンジャスレイヤー!マタドールは恐るべきバクチの怪物よ!呑まれないで!)))「ンーッ!ンンーッ!」拘束されたナンシーが警告めいて身悶えする!僅かに残った理性で、ショーギ場から哀れな彼女を一瞥しながら、フジキドは内なる声に問うた。(((本当に……勝てるのだな……?)))
(((グググググ……今更、何を弱気になっておる、フジキドよ……!五分五分まで戻した儂の指し筋を見たであろう……。お前は寝ておれ……))) 邪悪なるニンジャソウルは哄笑した。(((確かに、そうだ……だが……)))((((持ち時間が足りぬぞ……このまま儂に身を委ねよ……!)))
「クッ……!」ニンジャスレイヤーは苦しげに手をガクガクと震わせながら、持ち時間終了の0コンマ5秒前に辛うじてフライング・バッファローを動かした。「オーレイ……!」だがマタドールは即座に切り返す!フジキド・ケンジは再び内なるニンジャソウルと対話し、己の精神を危険にさらす……!
(((ここで引けば敗北ぞ……!その手を、腕を、身体を儂に明け渡せい……!)))邪悪な声がニューロンに響き渡る!ナムアミダブツ!当初フジキドは、この内なるソウルを御し切れると甘く考えていた。この強大なソウルの力を使えば、マタドールをショーギで撃破できると。だが……違ったのだ!
発狂、ニューロン損傷、心臓発作……メイジン同士の悲劇的な対局の歴史を御覧いただけば解る通り、命を賭けたショーギとは、まさにカラテに他ならない!たとえ一手でも、他者の声に耳を傾け従ったならば……すなわちそれは、己のカラテを……己の人生のコントロール権を他人に委ねたにも等しい!
確かにナラク・ニンジャのショーギ・スキルは、マタドールに勝るとも劣らないものであった。だがこの邪悪なニンジャソウルの目的は、ショーギに勝利することではなく……このショーギ・カラテを通して、精神疲弊したフジキドの肉体を奪う事にこそあったのだ!……ナムアミダブツ!何たる狡猾か!
だがまたも持ち時間僅か!従うのみ!(((グワハハハハ!それで良い……!)))もしあと数手、内なるソウルの声に従ったならば……ニンジャスレイヤーは再び、暗黒の七日間の状態へ逆戻りするだろう。そうなれば、もはやフジキドの魂は永遠にニューロンの中に溶け、ナラクが彼を支配するのだ!
そうなれば…彼は両目を輝かせ、マタドールに飛び掛かるだろう。そしてニンジャを殺す。だが……ALAS!間違いなくナンシー・リーは死ぬ!だが彼女の死体を見たニンジャスレイヤーは、哀しむどころか哄笑するに違いない!その時、彼はもはやフジキドではない何者かに変わり果てているからだ!
(((ニンジャ殺すべし!ニンジャ殺すべし!)))憎悪に満ちた声がフジキドを制圧せんとする!ナンシーを助けるために身を危険に晒した手抜かりを糾弾するように!(((うう……ニンジャ……殺すべし……)))アブナイ!フジキドの意識はニューロンの闇の中を漂う!もはや肉体感覚殆ど無し!
「ケンジよ……」その時ニューロンの奥底で、一縷の光めいた優しいコトダマが輝いた。未だ強固なローカルコトダマ空間も持たぬフジキドの脳内で、朧げな……幼い日の思い出が蘇る。祖父からショーギの基本を教わった思い出が!「……勝敗は関係ない。外野の声に惑わされなければそれでいいのだ」
「10秒」タチアイニンの声で、フジキドの精神は目を覚ました。すでに肉体は奪われかけ、鉤爪めいて強張った手がコマを動かし終えんとしていた!「イヤーッ!」フジキドは自らのコントロール権を奪い返し、コマの最終移動位置を変えた!(((やめよ、フジキド……何を!)))血の涙が溢れる!
「本当に良いのか?そこに動けばヤリが貴様のフライング・バッファローを貫く。この勝負にマッタは無いぞ?」マタドールが嘲るように言った。「……構わぬ」ニンジャスレイヤーは頭を振り、ナラク・ニンジャの口惜しげな叫び声を忘却の彼方へ追いやると……正座し直した。「これは、私の戦いだ」
◆◆◆
一方その頃、ツクツクのダイス賭博場では!「……まただ、また勝ちやがった……!」「……ブッダが憑依してるとしか思えねえ……恐ろしいツキだ……!」「ついに五千万だぜ……!」「次勝てば一億円だ……!」「ナムアミダブツ……!」客のリアルヤクザ全員が輪を作り、どよめいていた。
「お客様、どうされますか?五千万持ってお帰りになりますか?」クローンヤクザがダラダラと脂汗を流しながら問うた。それを拭うソウヤイヤ紋の灰色ハンカチは、すでにおびただしい汗で真っ黒に変わっている。「まだだ」傷顔ヤクザはその両目を狂気に輝かせて答えた!「まだだ!さらに勝負だ!」
◆◆◆
ショーギ場でも、ニンジャ同士の対局がいよいよ大詰めを迎えようとしていた。ニンジャスレイヤーは持ち時間を限界まで使い、勝機を探りながら、迷いのない指し筋。(((またも人格が変わったかのようだ)))マタドールは再び訝しんだ。(((拙い攻撃……だがこれもまたブラフなのか…?)))
腹の内を探るように、マタドールは相手を睨んだ。鋭い視線が交錯し、火花が散りそうなほどアトモスフィアが張り詰める。(((……いや、やはり奴はただのホワイトベルトだ……)))マタドールは頷いた。(((オレが先程仕込んだワナにすら気付いていない……)))そしてライオンを動かした。
「ヌウーッ!」ニンジャスレイヤーは腕組みし、盤面を睨む。フジキドのショーギは拙い。ゆえに、気迫だけが頼りだ。だがここで、さしもの彼も異変に気付いた。(((敵は、いつの間にライオンを戦場に置いていた……?)))ナムアミダブツ!敵側の布陣が……いつの間にか微妙に変化している!?
「オヌシ……いつからそこにライオンがいた?」死神は問う。「劣勢になって言いがかりか、ニンジャスレイヤー=サン?」マタドールは目を大きく見開き、顎をしゃくって返した。左手は高圧電流リモコンを弄んでいる。(((愚かなり、ニンジャスレイヤー=サン、貴様はワナに嵌まったのだ!)))
「隣の部屋のマグネット盤を確かめてはどうだ?」マタドールが言う。「……」ニンジャスレイヤーは隣の部屋へと向かう。だがマグネットは確かに現状の棋譜。「アイエエエエ……何も知りません……!」睨まれたオイランが震え、失神する。「何も異常ありません」クローンヤクザが無表情に答えた!
「10秒」タチアイニンが無表情にコールする。「そんな事をしている場合ではないと思うがなあ……」マタドールが余裕綽綽の表情で言った。ファッキン・ショーギ・バスタード!「ヌウーッ……」ニンジャスレイヤーはマタドールを刺すように睨みつけながら、再び盤の前に戻る。指さざるを得ない!
果たしてこれは如何なるトリックか!?……無論、イカサマである。フジキドがナラクと肉体を奪い合っていた時、マタドールは敵の視線を盤面中央に引きつけ、己の駒をニンジャ器用さで並べ直していたのだ!卑劣!ショーギ打ちならばセプク当然の蛮行!「ムワハハハハハ!」だが余裕のマタドール!
「そろそろ攻めるか」マタドールは笑み、ライオンで虐殺を開始した!なぜ彼は不名誉を恥じてセプクしないのか……それは彼がショーギ打ちでなくバクチ打ちだからだ!(((イカサマは現行犯で見抜かれねば正義!あの場で駒をすり替えるスリル、存分に堪能させてもらったぞ!)))何たる強心臓!
「くだらん小細工だ。この程度で私のショーギを破れると思わぬ方がいい……」だがニンジャスレイヤーは動じず、殺意を研ぎ澄まして相手を睨んだ!「ほう……まだ先を見せてくれるか!このオレに!」ピシャリ!ピシャリ!ピシャリ!無言でショーギ駒を盤面に叩き付けるサツバツとした攻防が続く!
それはいわば、決定的クライマックスへと向かう一進一退のカラテ攻防……!ニンジャスレイヤーは再びメンポの顎先から鼻血を滴らせた。そして……「ウッ!」マタドールもまた同様の出血!ナラクが遺した布陣、セオリーに従わぬフジキドの指し筋、そして気迫がケミカル反応し、予断を許さぬのだ!
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」おお……ナムサン!チャブを前に座る両者の上には、あたかも熾烈なカラテ攻防イリュージョンが見えるかのようだ!「「「ウッ!」」」立会人のクローンヤクザ3人も同様にニューロンを損傷し出血!危険だ!
(((ここでヤリを置けば、チャリオット・ビハインド・ショーグンの型にはまり、俺の勝ちはほぼ確定するはずだ)))マタドールは血走った目でヤリの駒を握り、盤面を睨んだ。(((だがもし、敵があのオニめいた指し筋に戻ったとしたら?これがワナだとしたら?)))その疑念は払拭できない!
(((大丈夫だ、まだオレの持ち時間は潤沢。ここで5分消費しても、ドミノ倒しめいた勝利が……)))マタドールは長考に入った。「マタドール=サン」長らく沈黙を守っていたニンジャスレイヤーがジゴクめいた声で言った。「よく考えることだな。そのコマを置いた時、オヌシの敗北が確定する」
「何だと……」マタドールは目を細め、ニンジャスレイヤーの目を見た。そこには純粋な殺意と、憎悪と、殺人マグロめいた無表情があった。次の一手で貴様を殺す……そのような自信と気迫……そして底無しの狂気が輝いていた!「面白い……面白いぞ!」マタドールも目を輝かせ、盤面全体を睨んだ!
(((奴は勝負に出た。間違いない。だがオレの読みが勝つ!49手先に奴のショーグンは死ぬ!)))マタドールは敵を再び睨む!死神の額から脂汗が……垂れた!「それは虚勢だな!オレの勝ちだ、ニンジャスレイヤー=サン!」マタドールは渾身の力で、ヤリの駒を盤に叩き付ける!「イヤーッ!」
その刹那!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはチャブを前方に蹴った!「グワーッ!」マタドールごと弾き飛ばす!ほぼ同時に、死神は手に握っていた駒を投擲!「イヤーッ!」ナンシーの横で同時にタンを吐こうとしていたクローンヤクザの喉へ、駒が突き刺さる!「「「「グワーッ!」」」」即死!
ゴウランガ!彼はマタドールが盤面に集中し、かつナンシーに銃を向けるクローンヤクザが同時にタンを分泌するその瞬間に、全てを賭けたのだ!「シマッタ!」マタドールはタタミに転がった電流リモコンへ手を伸ばす!だが「イヤーッ!」SMAAASH!死神はそれを0コンマ1秒早く踏み砕いた!
「殺せ!あの女を殺せーッ!」マタドールがカラテを構えながら叫ぶ!だが「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーのスリケンが機先を制し、他のクローンヤクザを殺す!「「「アバーッ!」」」「タ……タチアイニン!女を殺せ!」だが彼らは直前のニューロン損傷で長机に突っ伏して気絶!「バカナー!」
「オヌシのショーギに付き合う気は無い」ニンジャスレイヤーは憤怒のカラテで、卑劣なるマタドールを殴りつける!「イヤーッ!」「グワーッ!」もし、あの言葉でマタドールを長考に追い込めねば……この死の詰めショーギは完成しなかったであろう!フジキドは己のショーギを貫き、勝利したのだ!
「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの無慈悲なカラテパンチ!「イヤーッ!」「グワーッ!」マタドールを殴り飛ばす!KRAAAASH!隣の部屋のマグネット盤が砕け散る!「グワーッ!貴様……!オレの人生を……オレのバクチを!愚弄するか……!」
「如何にもその通りだ……。ソウカイ・シンジケート、私はオヌシらの全てを奪い、希望を打ち砕き、踏みにじり、理不尽に殺すためにここへ来た……。イヤーッ!」有無を言わさぬ怒りのカラテキックが、マタドールをとらえる!「グワーッ!」SMAAAAASH!弾き飛ばされショージ戸破壊!
「……オヌシのイカサマに付き合う気は毛頭無い。人質を取って私を誘き寄せた、その時からな……。ハイクを詠むがいい!」ニンジャスレイヤーはメンポから蒸気を吐き、死神めいた足取りで近づく!「お……おのれニンジャスレイヤー=サン!」マタドールは叫ぶ!「マツザカ!来いマツザカーッ!」
「バモオオオオーッ!」SMAAAASH!分厚い壁を砕き、猛り狂う殺戮の牡牛が割って入った!刺殺のためだけの角!轢殺のためだけの四肢!鼻からは凄まじい蒸気!真の魔物だ!「よかろう……!」死神は臆せずカラテを構える!彼の後方では、ナンシー・リーが悲鳴を上げて廊下へと逃げていた!
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「イヤーッ!」マタドールは四連続側転でニンジャスレイヤーのスリケン攻撃を回避すると、鮮やかな回転跳躍を決め、魔牛の背に跨がった!「殺せ、マツザカ!殺せ!」「バモオオオオオオオーッ!」マツザカは鋼鉄蹄でタタミを破壊しながら、殺人ダンプカーめいた勢いでニンジャスレイヤーへと突進!
総重量2トンを超える筋肉と鋼鉄と骨の怪物が猛進し、床が震動する!何たる怪物!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはマツザカの目を狙いスリケン投擲!「オーレイ!」だがマタドールは懐から取り出した赤布を振り、スリケンをからめ捕ったのだ!ワザマエ!「バモオオオオーッ!」魔牛の角が迫る!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは紙一重の側転回避!ワンインチ距離で死の大角をかわす!だがマタドールは、隠し持っていたもう一つの闘牛武器、残忍なるサーベルを抜き放っていた!「イヤーッ!」「グワーッ!」背中を切り裂かれるニンジャスレイヤー!マツザカは後方へ走り抜け、大きく旋回!
「見たか、ニンジャスレイヤー=サン!血統書付き殺人猛牛にバイオ筋力強化が加わった真の怪物だ!」マタドールの目はいまや激しい怒りに燃えていた!弓を限界まで引き絞るかの如く、マツザカを制止させ、突進の狙いを定める!「そこにオレのカラテが加わり、無敵のチャリオットが完成するのだ!」
「バモ……バモオオオオオーッ!」制止命令を受けたマツザカは、前脚の蹄で床を削り、口からは凄まじい泡を吹いている!紛うことなき、血に飢えた狂乱の怪物だ!さらに闘牛士と猛牛が一心同体……もはや死角が無い!だがニンジャスレイヤーは反抗的にジュー・ジツを構えた!「かかってくるがいい」
「マツザカ!奴を……突き殺せ!」ついに解き放たれた殺戮の魔牛!「バモオオオオオーッ!」全体重を乗せたギャロップ突進を繰り出すマツザカ!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーのスリケン!「オーレイ!」マタドールが防御!「イヤーッ!」直後、死神は牛の頭を狙いジャンプ回転カラテチョップ!
猛牛の弱点たる頭、そこを狙う必殺のマサカリめいた一撃だ!しかし!「バモオオオオオーッ!」「グワーッ!」マツザカの突進力が勝る!ワイヤーアクションめいて弾き飛ばされるニンジャスレイヤー!CRASH!CRASH!CRAAASH!ショージ戸を3連続で突き破り壁に激突!「グワーッ!」
「オーレイ!」マタドールは手を叩く。「愚かなり、ニンジャスレイヤー=サン!マツザカの突進力には、このオレのカラテが乗算されていることを忘れるな!貴様はショーギで安らかに死んでいれば良かったと後悔するだろう!」「バモオオオオーッ!」魔牛が突撃!壁際のニンジャスレイヤー、危うし!
◆◆◆
「ザッケンナコラー!」「スッゾコラー!」「ワッメサッダラッケンゴラー!」「アイエエエエ!」賭博場ツクツクを覆う怒号!罵声!ヤクザスラング!ジェネレータ火災か?ネオサイタマ市警の手入れか!?……場内は非常ボンボリがレッドアラート回転し、リアルヤクザたちが逃げ惑う!混沌の様相!
あちこちでバチバチと火花が散り、建物そのものが地震かレッキング攻撃を受けたかのように揺れる。もはやこの状況下でバクチを続ける者など誰一人も……いや……居た……。あの傷顔ヤクザだ!ダイス賭博の高足チャブで、ディーラー・クローンヤクザと睨み合い、彼は狂気の笑みを浮かべていた!
「お客様、たいへん危険です。即座の避難が推奨されます」回転明滅するボンボリ灯の赤いLED光が、クローンヤクザのサイバーサングラスに反射する。「火事でも地震でもカミナリでも来いってんだ……。さあ、最後のダイスを振ってくれよ。一億円かゼロか……のるかそるかだ……!」傷顔が言う。
彼の前には5千万の札束。避難勧告の混乱に乗ずれば、お咎めなしで大金を手にするチャンス。だが……ここで引く事は敗北に等しい。ここで勝負を止めて逃げれば……それは……敗北!己は再び負け犬の人生に戻る!5千万あろうが無かろうが、関係ないのだ。それは意地とメンツの戦い。魂の戦いだ。
「振れよディーラー=サン」傷顔が身を乗り出す。目の前のディーラーは、いわばソウカイヤと暗黒メガコーポの象徴。リアルヤクザたる彼の牙を抜き、飼い馴らし、去勢してきた巨大組織の象徴……!それを今、己のバクチと気迫だけで打破しようとしている!「降りるワケにゃいかねえんだよ……!」
「……」ディーラーは無言でダイスを見た。この先は対応マニュアルに無い。「クローンだか何だか知らねえが、てめえもヤクザなら腹くくれや……勝負しようぜ」傷顔が笑う。その狂熱が野火の如く燃え広がり……自我など無いはずのクローンヤクザは口元に笑みを浮かべ睨み返し……ダイスを握った!
クローンヤクザは上着とヤクザシャツを荒々しく脱ぎ捨て、キリステ紋のイレズミと製造バーコードを露にする。そして腹の底から、空気をビリビリと震わせるようなヤクザスラングを吐いた!「……スッゾコラー!」まるでこの瞬間、江戸時代のレジェンドヤクザが乗り移ったかのようなソンケイ……!
有り得ない!非常事態と異常アトモスフィアが本来有り得ないインシデントを引き起こしているのだ!「スッゾコラー!」傷顔ヤクザも臆せず吼えた!眠っていた野心が!怒りが!バクチ打ちの矜持が!胸の奥で燃え上がる!「ザッケンナコラー!」満を持してディーラーはダイスを……ドンブリに放る!
両者は息を呑み、視線を目の前のドンブリへと集中した……!放られたダイスは3個……!その出目によって勝負が決まる!一発勝負だ!……カラン、カラン、カララララララン……!ダイスが乾いた音を立てて鳴り、止まる。その出目は……1、2、3……!ゴ……ゴウランガ!傷顔ヤクザの勝利だ!!
「ウ……ウオオオオオオオーッ!」リアルヤクザは感極まって立ち上がり、魂の咆哮を上げた!解き放たれし黙示録の獣、ヤクザの血が全身を駆け巡り、止めどない興奮を沸き出させる!「オミソレ・シマシタ……」クローンヤクザは両肩から湯気を立ち上らせ、息を切らし……だがゼンめいて微笑んだ。
大勝負に敗北したディーラーには無論、セプクが待つだろう。だが彼は取り乱す様子も無く淡々と、追加の札束を取るためUNIX金庫を開けた。札束を両手で抱え、傷顔ヤクザの前に置く。「てめえ、死ぬんだろ?でも、いい勝負だったよな」傷顔がニヤリと笑った。そして握手すべく手を差し出した。
「……」ディーラーは一瞬戸惑ったような表情を作ってから、チャブ越しに手を伸ばした。そしてリアルヤクザとクローンヤクザの手が握られた直後……ダイス賭博場の側面の壁が突き破られた。「バモオオオオオオーッ!」ニンジャの跨がった魔牛が、ダイス賭博チャブごと、クローンヤクザを撥ねた。
それは一瞬の出来事!「ア……?」ニンジャ動体視力を持たぬ傷顔ヤクザには何が起こったのか理解できぬ。クローンヤクザは跡形も無いスマッシュ死体へと変わり、彼の顔には緑色のアボカドめいた返り血が飛び散っていた。目の前にあった一億の札束が、儚いパウダースノーめいて舞い上がっていた。
「フン!この騒ぎに乗じてイカサマを働くクズがいたか……!?」マタドールはマツザカの大角に残ったクローンヤクザの残骸をサーベルで払い除け、吐き捨てるように言った。「バモオオオオオーッ!」魔牛は緑色の血を浴び狂乱の度合いを増す。壁を突き破ってもその勢いは些かも衰えぬ!恐るべし!
魔牛はスロットを破壊しながら旋回する。傷顔はそちらを振り向いた。「マツザカ……ニンジャ……」ほぼ同時に、ニューロンの中で無数の思いがスパークした。(((一億が。ディーラーが。あいつはイサカマなんかしちゃいねえぞ。ただの握手だ。あいつは俺が知るどんなヤクザより高潔だった)))
だが不条理への怒りは、反抗心は、ニンジャへの恐怖によって塗り潰される。それはヤクザでさえも抗えぬサツバツの食物連鎖!傷顔ヤクザはただ狼狽し、舞い散る1億の残骸に……野望と夢の跡に手を伸ばしながら、こう叫ぶしか無かった。「アイエエエエエエ!アイエーエエエエエエエエエエエエ!」
逃げねば。解っている。だが足が動かぬ。数々の修羅場を潜ったヤクザの足が、すくんで動かぬ!「「イヤーッ!」」「バモオオオオーッ!」何かが起こっている。だが理解が追いつかぬ。ディーラーから受け取った1億。命を賭けた勝負の証が。紙屑になって舞う。掴めない!掌からすり抜けて逃げる!
脳内物質が分泌されスローに見える。非常ボンボリの赤い明滅。「マツザカは血を浴びてさらに狂乱するのだ!」ニンジャの声。猛り狂った魔牛とニンジャが、チャブを次々粉砕し、前方から迫る。彼はなす術無く立ち尽くし、首を横に振って叫んだ。「アイエエエエエエ!アイエーエエエエエエエエ!」
おお、ナムアミダブツ!傷顔がクローンヤクザと同じネギトロ運命を辿ろうとした、まさにその時!「Wasshoi!」禍々しくも躍動感のある掛け声とともに、赤黒い影が三連続バック転からイナズマめいた速度で鋭角跳躍!そして間一髪!傷顔を抱えたまま、マツザカの突撃ルートを回避したのだ!
ニンジャスレイヤーである!だがこれには代償もあった!「イヤーッ!」「グワーッ!」回避時に生まれた隙を狙い、マタドールのサーベルが空中で彼の背中を斬り付けていたのだ!「ヌウーッ……」死神は非常出口近くへと着地し、傷顔を放り捨てる。魔牛はチャブを破壊しながら大きく旋回してくる。
「あ……あ……あんたは……」傷顔ヤクザは廊下で身を起こしながら、死神の背中を見た。打ち据えられ、切り裂かれ、貫かれて、床に血を滴らせる、ボロボロのニンジャ装束を見た。「あんたは、あの時のニイちゃんだな……!」傷顔ヤクザはアトモスフィアでそれを悟っていた。死神は答えなかった。
「頼む、あいつを……あいつは……」傷顔は嗚咽とともに呻いた。「……頼む、あのクソニンジャ野郎を……殺してくれ」「……無論だ。私はそのために来た」死神は背を向けたまま答えた。そして己が受けたのと同じ忠告を彼に返した。「……欲をかかず逃げろ。死にたくなければ、この辺りにしておけ」
「や、やっぱり、あんたは……!」傷顔ヤクザは立ち上がり、目を見開いた。だが……SLAM!目の前で賭博場の防弾ショウジ戸が閉じられ、ヤクザは非常ボンボリが明滅する廊下へと閉め出された。「早く!こっちよ!走って!」L字路の向こうから、金髪碧眼のオイラン・バニーが彼を手招きした。
賭博場にはニンジャと魔牛だけが残された。マツザカは戦えば戦うほど力を増し荒れ狂う。それを補うマタドールも恐るべきワザマエ。フジキドは独力でこの怪物を相手取らねばならぬ。ショーギのダメージも大きい。圧倒的不利!それでも死神はカラテを構え、敵を睨んだ!「ニンジャ……殺すべし!」
「死ね!ニンジャスレイヤー=サン!」マタドールも魔牛の背から、殺意に満ちた凝視を向ける!「バモオオオオオオーッ!」攻め寄せるマツザカ!死神はチャブを蹴って高く跳んだ!「「イヤーッ!」」すれ違いざまカラテ空中交錯!牛の大角が赤黒装束をかすめ、チョップとサーベルが火花を散らす!
「バモオオオーッ!」魔牛は無限のタフネスを見せつけ、荒々しいターンで切り返す!(((何たる怪物!一か八か、正面から魔牛の額へポン・パンチを狙うか?……否!風のように速く戦うと決めたならば……!)))「イヤッ!イヤッ!イヤーッ!」死神は場内を跳び回り、全方位からスリケン投擲!
「甘いぞ!イヤーッ!」マタドールは赤布を巧みに振り回し、全てのスリケンを絡め取る!「貴様の闘牛士ごっこがいつまで持つかな、ニンジャスレイヤー=サン!」「バモオオオオーッ!」再びマツザカが着地点を狙って突き進む!障害物を全て破壊しながら!「イヤーッ!」死神は紙一重の側転回避!
続けざま、ニンジャスレイヤーは低姿勢で風のように疾く駆け、マツザカの左側面を並走した!そして「イヤーッ!」魔牛の真鍮像めいた逞しい脚へカラテチョップを叩き込む!「バモオーッ!」唸るマツザカ!だがバイオ生物の恐るべき筋肉量と弾力性!その速度を緩める事もできぬ!ならばもう一撃!
死神が追加攻撃を叩き込もうとした刹那!彼の脊髄を狙ってマタドールが斜め上からサーベルを突き下ろす!「「イヤッ!イヤッ!イヤーッ!」」タツジン!紙一重で左右に連続回避するニンジャスレイヤー!だが攻撃機会を逸した!そこへマタドールが曲乗りめいたカラテキック反撃!「オーレイ!」
「グワーッ!」前方に蹴り飛ばされるニンジャスレイヤー!「バモオオオオオオオオーッ!」チョップを受けて怒り狂ったマツザカが、首を大きく振って彼に空中追撃を喰らわせる!「グワーッ!」角で腹部をえぐられながら、ピンボールめいて壁に弾き跳ばされるニンジャスレイヤー!ナムアミダブツ!
ニンジャスレイヤーは苦痛に耐え、ブレイクダンスめいた動きで跳ね起き、六連続側転を決めて間合いを取り直した。「ムワハハハハ!疲弊しているな!ニンジャスレイヤー=サン!」「バモオオオオオオオオーッ!」容赦なく迫るマツザカ。このままでは確実にジリー・プアー(訳注:徐々に不利)だ。
両者は睨み合い、カラテを構えた!次で勝負が決まる!決めにくる!既に一度ショーギ戦を経過した両者は、互いに相手の決戦意図を読み取った!(((ならば次の一手は……!)))(((読み勝つのはどちらだ……!)))両者は疲弊したニューロンで読み合う!「バモオオオオーッ!」そして決戦!
ニンジャスレイヤーの先制スリケン。マタドールが絡め取る。ニンジャスレイヤーが壁を蹴って跳ぶ。伝説のカラテ技、トライアングル・リープだ。マツザカの角を回避しつつ、騎手を狙いチョップ姿勢。「オーレイ!」マタドールがその心臓めがけサーベル。だが死神は空中で身を捻り、剣撃を潜った。
ニンジャスレイヤーの読みが一手勝った!チョップ姿勢はフェイントだった!彼はその両足首でマタドールの首を挟む!「イヤーッ!」「グワーッ!?」そのまま空中で自らの身体をスイングさせ、マタドールを放り投げた!「イヤーッ!」「グワーッ!」ジュー・ジツの禁じ手、ネックカット・ナゲだ!
牛の背から放り出され、首に激しいダメージを受けながら飛ぶマタドール!これを空中回転チョップで撃墜するニンジャスレイヤー!「イヤーッ!」「グワーッ!」だが死神の視界が霞み、マタドールへの致命打にはならぬ!「バモオオオオオーッ!」魔牛が主を失ったことに気づき大きく旋回してくる!
一気に勝負をつけねば再合流され死!だが敵も必死でカラテ応戦!「「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」」連続キックを赤布で逸らすマタドール!そして脚へサーベル反撃!「オーレイ!」「グワーッ!」だが死神は屈せず、サーベルを掴み離さずに目潰しチョップ攻撃!「イヤーッ!」「グワーッ!」
痛烈!マタドールの視界が奪われ脳震盪が襲う!ニンジャスレイヤーは残されたカラテを振り絞ると、手首を目にも止まらぬ速さでスナップさせ、己の血から必殺のスリケンを生み出した!そして迫り来る魔牛の額めがけ、全力投擲!「イイイヤアアアアアーッ!」「バモオオオオオオオーッ!?」命中!
目の焦点を失いながらも、魔牛は勢いを止めずギャロップで迫る!もはや主の見分けもつかぬ!「おのれ!ニンジャスレイヤー=サン!」マタドールはその場でたたらを踏んだ!相手を片手で掴み、もう片手では刺したサーベルを抉るように動かし、少しでもダメージを与えんともがく!道連れだ!
「イカサマ師の血が奴の好物だったな……」ニンジャスレイヤーは途切れがちな意識に喝を入れ、最後のチョップを振り下ろした!「イヤーッ!」「グワーッ!」その一撃は過たず敵の腕を、刃を折り、彼を拘束から脱させる!「そのまま死ね!」死神は垂直跳躍!そのワンインチ下を猛牛が駆け抜けた!
「バモオオオオオオーッ!」「グワーッ!」魔牛の大角が、マタドールの心臓を貫く!主を串刺しにしたまま、暴走列車めいた勢いで走り続ける!SMASH!SMASH!SMAAASH!「グワーッ!」猛牛は壁を突き破りながら暴走!ついには「危険な」と書かれた壁を破り、ジェネレータへ突撃!
SMAAAASH!地獄の暴走特急と化した魔牛は、隔壁を破壊!「グワーッ!サ……サヨナラ!」インガオホー!マタドールは猛牛とともに一瞬で焼け焦げ、爆発四散!だがその直後!ツクツクの小型ジェネレータが臨界点に達し、爆発!KA-DOOOOOOOM!爆風が迫る!死神の視界が揺らぐ!
ナンシーと傷顔ヤクザは、間もなく賭博場から脱出せんとしていた。だが廊下の彼方から爆風!目の前にはロックされた非常出口!ナムサン!「……開いたわ!」ナンシーが生体LAN直結を解除!しかしニューロン酷使で足がふらつく!「ウオオオオオーッ!」傷顔は彼女を抱え、非常出口へダイブ!
KA-DOOOOOOOM!危機一髪!2人はアビ・インフェルノ・ジゴクと化した賭博場ツクツクから脱出成功し、重金属酸性雨が降りしきるネオサイタマの路地裏に仰向けで身を投げた。だが、ニンジャスレイヤーは……?復讐者はマタドールとともに、賭博場で焼死体と化してしまったのか!?
「Wasshoi!」爆風を背負い、赤黒い影がツクツクの防弾ガラスを内側から突き破った!そしてマツザカとマタドールの断末魔の攻撃めいた赤い炎の手を……振り切ったのだ!「ニンジャスレイヤー……」ナンシーが衰弱し切った顔で微笑んだ。傷顔ヤクザはまだ何も喋れる状態ではなかった。
「イヤーッ!」直後、彼は壁を蹴って跳躍。ナンシーを抱え上げると、そのまま忽然と夜の闇に消えた。後には、仰向けで天を仰ぐ傷顔ヤクザだけが残された。「…ニンジャスレイヤー」路地裏の影に停まっていたヤクザビークルの中で、テング・オメーンの男がその名を復唱し、密かに車を発進させた。
彼は一人残された。「……ハァーッ……ハァーッ……ハァーッ……」そのまま何分間も、傷顔ヤクザは天を仰ぎ続けていた。まるで、夢でも見ていたかのように。誰も、彼に声をかける者は無かった。緊急車両のサイレンが近づいてくると、厄介事に巻き込まれる前に、彼は立ち上がった。全身が軋んだ。
傷顔は壁にもたれながら歩いた。彼は空っぽの両手を見た。賭博場とともに彼の1億は消え去った。「儚い勝利だったぜ…」もはや記憶は混濁し、現実と幻覚の境目も覚束ない。あれも幻覚か?クローンヤクザとの命を賭けたバクチも?だが握手を交わした右手には確かに残っていた。あの狂熱の燻りが。
相棒は、とうの昔に賭博場から逃げ出した事だろう。あいつは用心深い奴だ。いつものバーで奴と落ち合おう。そして奴に、この麻薬中毒者の幻覚めいた出来事を話してみるか?「……いや、絶対に話さなくちゃならねえ。この夜の事を。そしてあいつのバクチを、ソンケイを、語り継がなきゃならねえ」
「なあ、いい勝負だったぜ…」そのまま傷顔ヤクザは、割れた唇ににやりと笑みを浮かべ、過酷なネオサイタマの重金属酸性雨の中へと消えていった。彼の1億円は、そして神懸かり的なツキは、儚い夢の如く、この夜を境に消え去った。だが彼はもはや、牙を抜かれ去勢された負け犬の顔ではなかった。
NRSにより、傷顔はニンジャ存在を忘却した。だがいつか……彼はまた思い出すだろう。この夜の狂熱を。気高くも血塗られた戦いを。いつかまた、あの禍々しくも力強い「忍」「殺」の文字を見れば……その右手に燻る狂熱も甦るだろう。……彼がこのネオサイタマでそれまで生き延びられれば、だが。
【デストロイ・ザ・ショーギ・バスタード】終
N-FILES(設定資料、コメンタリー)
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