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【ヘラルド・オブ・イル・フェイト】

◇総合目次


「ピュールルルルルゥ!」「ピュルルルルルゥー!」

 口笛の音が、黄色く燃え上がるバンクーバーの空を縦横に横切る。ロッキー山脈を越えて突如の空襲を開始したネザーキョウのカイトニンジャ部隊の攻撃から、数時間が経過していた。制空権を奪取されたUCAの現地軍は変幻自在の軌道で飛び回り攻撃を仕掛けてくるニンジャ戦力を前に手も足も出ない状態であった。

 路上に人の姿はなく、有るとすれば、それは無惨な死骸か、動けぬ負傷者であった。

「おのれ……おのれ……!」

 それらにまじり、よろめき、呪詛を吐きながら、どこを目的地とも知れず、ただ歩く者の姿があった。黒い装束を着たニンジャであった。

 黒い巻毛の彼は、メンポのかわりに破いた装束の切れ端を顔に巻きつけ、覆面としていた。顔面の左は痛々しく歪み、剥がれた皮膚がふたたび塞がったような大きな傷痕が、かつて端正であったであろう彼の顔を崩していた。

 その古傷ばかりではない。彼は今、満身創痍と言ってよい状態であった。貴方が少なくともニンジャであれば、それはニンジャ同士の壮絶なカラテ戦闘を経た事による傷とわかった筈だ。

「おのれ……おのれ……!」

 呪詛を繰り返し歩く彼の胸元は、内側からの不穏な光によって照らされ、透けていた。彼の名はヘラルド。オヒガンの狭間に浮かぶザイバツ・シャドーギルドのニンジャとして、定かな実体を持たぬながら、エメツの塊を心臓に融合することで肉体を手に入れ、己の目的の為にヌケニンした男である。

 ザイバツ・シャドーギルドは、世界に蘇りつつある強大なリアルニンジャを襲撃し、狩り殺し、やがてはカツ・ワンソーの首級をあげる事を国策とする、ダークニンジャが率いる恐るべきニンジャクランである。ヘラルドもまた、ダークニンジャの英雄的なイクサに魅せられ、キョート城に縛られる身であった。だがそんな彼が何故ヌケニンなどという無謀な行いに至ったのか?

「おのれ……おのれ……!」

 答えは彼の呪詛にある!

「おのれ……ニンジャスレイヤー=サン……! この私に……生まれながらに貴く運命づけられしこの私に、卑しき邪悪なカラテを浴びせ……顔を砕き……以て、私を、私の家を、私の運命を侮辱した……! しかも私の正当なる裁きを拒み……またしても卑劣に逃げおおせるとは……! 許さん……絶対に許さんぞ……!」

 ナムサン! 何たる道理無き妄執! そして、然り! ヘラルドはかつて、ニンジャスレイヤーを殺して心臓のヤリ・オブ・ザ・ハントを奪うべく、ザイバツ・シャドーギルドの尖兵として参戦した。その結果、手ひどい反撃を受け、顔を砕かれ、一敗地に塗れる事となった。その後も彼はニンジャスレイヤーに対する憎悪を募らせ……ついにはザイバツ・シャドーギルドすら捨てるまでになったのだ!

「イヤーッ!」

 その時である! 燃えるビルの壁を蹴って、トライアングル・リープしたカイトニンジャが、斜め上方から変則的軌道を描いてヘラルドに襲いかかった! ネザーキョウのカイトニンジャ部隊、ノブスマ・ストームボーン隊には、この文明都市バンクーバーの住人の無差別殺戮と、博物館に安置された伝説茶器レリック「ニッタ・カタツキ」の奪取、2つのミッションが与えられていた!

 ヘラルドは一瞬早く襲撃を視認し、横にステップを踏み、通過するカイトニンジャの腹を蹴り上げた。

「イヤーッ!」「グワーッ!」

 カイトニンジャは身体をくの字に折り曲げ、吐瀉物を吐きながら跳ねた。ヘラルドは跳んで追い、空中で一回転すると、凄まじいチョップをカイトニンジャの背骨に叩き込んだ!

「イヤーッ!」「アバーッ!」

 カイトニンジャは瓦礫散らばる地面に叩きつけられた。ヘラルドはカイトニンジャを踏みにじり、ぜいぜいと荒い息を吐き、やがて笑い出した。

「フ……フハハハハ……クズめ……この私の憎悪に、下賤なアンブッシュで水を差すクズ……!」

「アバッ! アバババーッ!」

 ヘラルドは踵をねじり込み、もがくカイトニンジャの肩甲骨を破壊し、心臓を押し潰した!

「サヨナラ!」

 カイトニンジャは爆発四散!

「……ヌウッ」

 ヘラルドは真後ろから迫る新手のカイトニンジャの攻撃を鋭敏なニンジャ第六感によって察知! 弾かれるように振り返った。

「イヤーッ!」「イヤーッ!」

 ヘラルドは刃仕込みのケリ攻撃を寸前で避け、カイトニンジャの首をヘッドロックで極めると、そのまま後ろに跳ね、顔面から地面に叩きつけた!

「アバーッ! ……サヨナラ!」

 カイトニンジャは爆発四散! ヘラルドはスプリングジャンプで素早く跳ね起き、今度は徒歩にて接近してきた新手のニンジャにカラテを構えた!

「……!」「……!」

 新手のニンジャはヘラルドに攻撃を仕掛けてこなかった。そのかわりに、値踏みするかのように凝視し……アイサツを繰り出したのである。

「ドーモ。デズデモーナです」

「ドーモ。デズデモーナ=サン。ヘラルドです」

 ヘラルドはアイサツに応じた。ハイ・テックなニンジャボディスーツ装束。その装いからして、ネザーキョウの白いゲニン達とはまるで違う女だった。ヘラルドは剣呑に問うた。

「貴様、何者だ」

「私はUCAのニンジャだよ」デズデモーナは端的に答えた。「そういうお前は……フン」彼女はこめかみに指を当て、IRC情報を参照し、鼻を鳴らした。「殺人で指名手配されているのか? これは面白い。ネザーキョウのクズを殺すのも、殺人衝動の一環というわけかな?」

「ほざけ。つまり貴様を殺しても同じという事だ、女」

 ヘラルドの拳に殺気が籠もった。デズデモーナのカラテと、間合いを測る。デズデモーナは目を細めた。

「はははは、笑わせてくれる。ともあれ……」

 その時だ! 新たなカイトニンジャが滑空攻撃を仕掛けてきた!

「イヤーッ!」「「イヤーッ!」」

 ヘラルドとデズデモーナは同時に跳んだ。そして同時に空中蹴りを繰り出し、カイトニンジャに強烈な打撃を食らわせていた!

「グワーッ!」

 カイトニンジャはビル壁に衝突し、跳ね返った。

「イヤーッ!」「アバーッ!」そこへ更にデズデモーナはクナイを投げた。カイトニンジャは後頭部を貫かれ、爆発四散した。「サヨナラ!」

 ナムサン、このエリアはカイトニンジャの重点攻撃ポイントとなっているようだった。上空には幾つもの影が渦を巻くように飛翔しており、そこから時折、弧を描いてニンジャが降下してくるのである。

「イヤーッ!」

 さらに一人、新手のカイトニンジャ! デズデモーナはクナイを連投したが、その者は見事な軌道制御で回避し、壁に横向きに「着地」すると、アイサツを繰り出したのである。これまでのカイト部隊のような白装束ではなく、特徴的かつ戦闘的な、独自のニンジャ装束を身に着けていた。即ちゲニンにあらず。センシである。

「ドーモ。エタンダールです」

「ドーモ。デズデモーナです」

 デズデモーナはエタンダールにアイサツを返し、それからヘラルドに注意を向けた。彼女はエタンダールに顎を動かし、ヘラルドに(やれるのか?)と挑戦的に問うた。ヘラルドの視界が怒りで染まった。

「イヤーッ!」

 ヘラルドはスリケンを投げた! エタンダールに! エタンダールは壁を蹴って飛び、トライアングル・リープを繰り返し、ジグザグの稲妻軌道でヘラルドに襲いかかった!

「イヤーッ! イヤーッ!」

 ヘラルドは立て続けにスリケンを投擲する! エタンダールは最初のスリケンを躱し、2枚目のスリケンを打ち払った。そのままヘラルドの首に逆手のダガーを刺しに行った。しかしヘラルドはエタンダールが打ち返したスリケンを踵で蹴り、その反動を利用して跳躍軌道を変えていた!

「イヤーッ!」「グワーッ!?」

 ヘラルドはエタンダールの攻撃を回避し、後頭部を掴んでいた。エタンダールは目を血走らせた。コントロールを失った彼は道路沿いの消火栓に顔面から衝突した! KRAAAASH!

「アバーッ!」

 額を割られてのたうつエタンダールのもとにヘラルドはツカツカと近づき、そして、蹴った! 繰り返し、脇腹を!

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」

「アババーッ!」エタンダールは内臓破裂! 爆発四散!「サヨナラ!」

 だがヘラルドは蹴るのを止めぬ! 爆発四散痕を瓦礫とともに蹴り散らし、なお蹴り続ける!

「貴様は! この! 私の! 誇りを! 砕いた! 絶対に! 許さんぞ! ニンジャスレイヤーッ!」

 ヘラルドは蹴る! 地面が抉れ、土が吹き飛ぶ!

「ニンジャスレイヤーめ! 私は! 我が家系の……!」

「そのぐらいにしておけ。死んだぞ」「イヤーッ!」

 デズデモーナが背後に立った。ヘラルドは当然のように振り向きざまの蹴りで襲った。だがデズデモーナはヘラルドを抑え込み、そのまま地面に打ち倒した。ヘラルドは力尽き、意識を失った。

 デズデモーナは笑い出した。彼女の頭上、炎上するビル群の狭間を、素早い影が飛び渡った。影たちは滑空するカイトニンジャに狙いを定め、高く跳躍し、あるいは様々な投擲武器を投じ、カイトニンジャを一人また一人と仕留めていった。


◆◆◆


 ……ゴーン。ゴーン。エヴリワン。ゴーン。ゴーン、ゴーン、エヴリワン・ゴーン、エヴリワン・ゴーン・ビヨンド……

「AAAARGH……!」

 ヘラルドは極限の苦痛の中で、人ならざる咆哮をあげた。心臓が凄まじく脈動し、彼を苛む。彼の心臓は今やエメツの塊そのものである。

 ヒャッキ・ヤギョの発生によってシトカの地に異常析出したエメツの塊を彼は砕き、キョート城へ引き寄せられようとする己の存在を現世に繋ぎ止めた。以来、この不穏なるエメツは彼の意志に応え、血管を侵食し、肉体をもたらし続けている。

 だが今、彼が目にしている広大な虚無じみた闇の世界は現世ではない。かつて彼がキョート城において常に接していた、馴染みのある深淵であった。

 オヒガン。

「おのれ……ニンジャスレイヤー……! 貴様さえ……! 貴様さえ、いなければ!」

 叫ぶ彼のはるか頭上では、冷たい黄金立方体が静止し、ゆっくりと自転していた。恐るべき光は闇の世界を照らし続けていた。闇の水面には銀色の煙の塊が幾つか輝いている。まるで灯台のようだ。

 ヘラルドのニューロンは憎悪によって速度を与えられ、研ぎ澄まされつつあった。オヒガンにおいて彼は己の感情にブレーキをかけることができなかったし、その必要も一切なかった。

「……ニンジャスレイヤー……! ニンジャスレイヤー……!」

「……マスラダ……!」

 ヘラルドは訝しんだ。ラジオのチューニング混線めいて、その呼び声は彼の意識を掠めていった。

「……マスラダ……!」

「マスラダ?」

 ヘラルドは呼び声に意識を向けた。遠い地、灯台じみた銀の煙のひとつの中から、その声は発せられているようだった。

 混線の理由は、彼にはすぐにわかった。その推量が正しかろうと、間違っていようと、実際彼は確信とともに結論づけた。同じ相手に意識を向けているから、わかるのだ。間違いない。

「……マスラダ……!」

「……そうか」ヘラルドは呟いた。「マスラダというのか。ニンジャスレイヤー。許さんぞ。フ……貴様……何に呼ばれている……あれは何だ……フ、フフ……そうか。そういう事か」

 そして妄執にまみれた笑いを笑った!

「フ……フ……フフフハハハ……違う……貴様はシンカンセンで……ニューヨークへ逃げるのではない……! そうなのだな……! 私を騙そうとした……姑息な企みも……無駄だ……!」

 ヘラルドの邪悪な憎悪と執着は、今や、彼にかの地の銀の靄をはっきりと視認せしめている! 見える! 場所は……ネザーキョウ!

「貴様は……フフフフハハハハハハ……!」


◆◆◆


 ヘラルドが意識を取り戻すと、そこは廃墟と化したドージョー・ビルディングだった。天井は破壊され、頭上に広がる空から光が落ちてくる。装束の上衣は脱がされ、肩や脚、顎の傷にはメディ・キットによる処置が施されていた。

 ヘラルドは起き上がった。彼は反射的に胸のエメツに触れた。エメツは剥き出しだ。脈動している。

「オヒガン」

 ヘラルドは呟いた。夢は夢ではなかった。

「そう、そのエメツについても聞きたいところだな」デズデモーナが声をかけた。彼女は窓辺に腰掛けていた。「お前は見るからに危険人物だぞ」

 ヘラルドは舌打ちし、彼女を見た。

「貴様……断りもなしに私を治療したのか」

「感謝の言葉ひとつ吐けんか。ますます結構」デズデモーナは肩をすくめた。「貴様、ネザーキョウのニンジャではない、となれば、何が目的でうろついていた? 到底貴様は旅人とも思えんが」

「黙れ。私は仇を追っている……我が誇りを傷つけ、全てを奪った仇をだ……!」

「仇。胸にはエメツ。殺人指名手配」デズデモーナの眉が動いた。「実に面白い。私に詳しく話してみろ」

 ヘラルドは無視して立ち上がろうとしたが、力が入らず、座り直す事になった。

「く……!」

「無駄だ。鎮静剤を打ってある」デズデモーナが言った。ヘラルドは目を血走らせた。「何だと!?」

「どのみちお前、これ以上無茶をすればカロウシするのが関の山だったぞ。復讐、仇、その実、道端で野垂れ死にというわけだ」

「チィ……!」ヘラルドは屈辱に震え、舌打ちした。「この身体が動くようになれば、まず最初に貴様を殺してやる……!」

「ますます結構。闘志に溢れたニンジャを、UCA強襲部隊は求めている」

 デズデモーナはヘラルドの傍らに歩いてきて、荒っぽく肩を抱いた。

「なあお前。私はお前に興味がある。戦闘のセンスを確かめさせてもらった。事情は知らんが、その執着も闘志も、実に好ましい。役に立ちそうだと思ってな」

「何だと……?」

「私はデズデモーナ。私は、UCA……もっと言えば、ヌーテックに所属するニンジャだ。UCAはこののち、今回のバンクーバー襲撃に対する反撃をネザーキョウに対して決行する。この作戦にあたり、私は腕の立つニンジャを求めている。経歴は問わない。クズであろうと、殺人者であろうと、社会不適合者だろうと、役に立つならば構わない。ニンジャの傭兵部隊だ。カラテひとつで武勲をあげ、巨額の報酬を得られるぞ。貴様のような奴にこそ、渡りに船ではないか」

 カラテひとつで武勲をあげる。郷愁に似た感情が湧いた。それはザイバツ・シャドーギルドに在って、希望に溢れていた頃の、過去の己の影だ。そして、そんな自分の未来を奪ったニンジャスレイヤーへの憎しみがさらに強まるのだった。

「下賤な者達同士の小競り合いになど、興味なし……!」

 ヘラルドは呻くように言った。だがデズデモーナはニヤリと笑った。

「嘘が下手だな、お前」

「チッ……。……ネザーキョウに攻撃をかける……つまり、山を越えて奴らの土地に仕掛けるという事か」

「ああそうだ。今回の空襲は散々だった。これほどまでに我々がナメられた事はなかった。だから、一度わからせてやる必要があるんだよ。電撃的に、今すぐにな。……お前、仇だ何だと言っているが、それがどこに居るかもわからんのだろう。ならば私について来い。お前の憎しみの使い道を用意してやる」

 ヘラルドは至近でデズデモーナをじっと見た。この女は考え違いをしている。己がニンジャスレイヤーの居場所を見失い、途方に暮れていると思いこんでいる。だが彼はオヒガンの夢の中で確信に至った。もはや迷うことはないのだ。

「……いいだろう」ヘラルドは頷いた。「貴様が私をネザーキョウに連れてゆけ。我が仇もそこに居る筈。だが、貴様の命令に従うつもりなどなし……!」

「ハッハハハハ!」

 デズデモーナは笑い飛ばした。彼女は肩に回した腕に力を込め、ヘラルドを締め上げ始めた。ヘラルドは抵抗しようとした。だがデズデモーナは止めなかった。装束越しに、彼女の体温と、鍛え上げられた肉体の質感が伝わってきた。

「それでは不十分だ。我々のギブ・アンド・テイクは……そうだな……私はお前をネザーキョウに連れていき……お前はカラテで私を助ける。わかるか?」

「離……せ……」

「そして、協力関係とは、お互いの立場をはっきり認識するところから始まるんだよ、ヘラルド=サン」

「グ……グワーッ……!」

「……はっきりとな……!」

「グワーッ……!」

 上空にわだかまった粉塵が黒雲となり、破壊されたドージョーに雨を降らせ始めた。イクサの音が、やがて止んだ。


→ ヘラルド・オブ・メイヘム


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