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S1第11話【ウィア・スラッツ、チープ・プロダクツ、イン・サム・ニンジャズ・ノートブック】

総合目次 シーズン1目次


「どうした。ほしいのか?」「少しも」
「おれを解放しろ。お前に選択権は無い!」
「近こう寄れィ!」
「ザイバツのニーズヘグ。笑い飛ばすわけにもいかないようね」
「余興が一つ増えたぞ。貴様ら」
「こ奴がニンジャスレイヤーだ貴様ら!」
「おれはソウカイヤにはならない。取り引きだ」
「みすみす獅子の巣に迷い込んだネズミども」
「き、貴様ーッ!」
「ナラク……無駄だ……おれは……渡さない」
「タトゥーイストの力が要る」
「しかしまあ、細密な事よ。この通りやれと?」「然り」
「頼みましたぞ、センセイ」
「ドラゴンのようだ」「強く流れる」



1

「アー、アー、ンンッ」マイクを受け取り、咳払いをする。エドゥアルト・ナランホ。投資家。就労経験無し。大学は13歳で卒業。以来、安い時に買い、高くなれば売る、を繰り返している。とてもイージーだ。喧嘩には多少自信が無かったが、ニンジャになって以来、それもイージーになった。

 カンファレンス会場は白いビーチが見渡せるガラス張りの建物で、夜は現地人の古典芸能が楽しめる。勿論、カジノで楽しんでもいい。しかし集まる者達の目的は勿論そうした観光ではなく、エドゥアルトの「神の審美眼」の恩恵に預かること。そして自由奔放にとびかうインサイダー情報だ。

「ああ……今回で何度目でしたかね? この集まりは?」エドゥアルトは参加者に尋ねた。30名ほど。プラチナチケットだ。「六回かな?」誰かが呟いた。「ンン。六回。六は好きな数字だ」エドゥアルトが言った。誰かが急いでメモを取っている。エドゥアルトは苦笑する。

 彼らの中に、エドゥアルトがニンジャである事を知る者はない。ニンジャとなった時、デシケイターという名を得た。しかし既にそのとき彼には築き上げた地位があったし、無理に名乗りを変える必要など無かった。とはいえ、ニンジャになって良かった事もそれなりにある。たとえば、度を越してシツレイな人間に「わからせてやる」事も、ニンジャならば簡単だ。

 企業が武装し、互いに殺し合う今の世は、デシケイターの性に合っている。マネー・パワーを暴力の形で具現化する事が、とても簡単になった。デシケイターは暴力が好きだし、暴力をふるうのが好きだ。暴力はカネを作る。「毎回とくにトピックを用意してきているわけでもないが……」彼はトリイを見た。

「アラスカのエメツ、実際どうですか?」誰かが尋ねた(いちいち顔など覚えていない)。「ちょっと躊躇してしまいますが……」「躊躇? 躊躇とは?」デシケイターは不思議そうに首を傾げた。「何を?」「やはり、ああもロシアンヤクザとの関係が公になってしまうと……」「ああ。そういう事か」彼は荒地のトリイを眺める。

「荒れたほうが触りやすいし、私は好きです。むしろ楽しめる。それに……」白い砂浜、美しい青い海。荒地に黒いトリイが連なる。連なるトリイの奥から、歩いて来る者がある。「ンン……」デシケイターは瞬きした。「室内だよな?」「え?」参加者が顔を見合わせた。デシケイターは尋ねた。「ここ、室内だよな?」

 荒廃した地平には超自然の嵐が渦巻き、黒いトリイはカンファレンスルームの中央まで続いている。ビーチ。荒地。トリイ。デシケイターは苦笑した。今日はノードラッグだ。彼はトリイをくぐって進み出た者を見た。「うん?」その者の顔は黒い闇で、判然としない。一歩一歩踏みしめるような歩み。

「え?」「アイエッ?」「アイエエエ?」一人、また一人と、驚愕・恐怖の声をあげはじめた事で、デシケイターはようやくそれが幻覚ではないと理解した。もしくは集団ヒステリーだ。顔の見えぬ男が最後のトリイをくぐり、床に踏み出した。一歩。「アバーッ!」一歩。「アバーッ!」一歩。「アバーッ!」

 キュン。キュン。キュキュン。その者が一歩歩くたび、奇妙な澄んだ音が鳴り、会場の人間をめがけ、一枚ずつスリケンが飛んだ。「アバーッ!」「アバーッ!」「アババーッ!?」スリケンは過たずその一人一人を殺してゆく。デシケイターは何故か平静だった。彼は思った。非ニンジャだし、当然だな。

「……」その者は立ち止まり、なにか思案した。「アイエエエ……」「ア、アイエエエ」「はははは」「アハハ……」「スゴイ、スゴーイよォ……」まだ数名の生き残りがおり、半数は発狂していた。キュキュキュン。飽きたのか、全員を殺す枚数のスリケンが一度に飛んだ。「「「「アバーッ!」」」」

 カンファレンスルーム……荒地……?……カンファレンスルーム……?……の只中に、デシケイター唯一人が生存を許され、その者と向かい合っていた。当然である。彼はニンジャで、他のクズどもは非ニンジャだ。「ド……ドーモ……デシケイター……です」「BWAHAHAHAHA!」その者は笑った。

 デシケイターは自ら認める俗物であり、詩や絵画、仰々しい表現、何もかもをくだらないと考えている。投機できるか否かでしか見ていない。ゆえに彼は、荒廃した地平と連なる黒いトリイが地上の楽園と重なり合う光景、死の散乱、眼前の正体不明の存在を前に、ただ困惑し、持て余した。

「サツガイ」サツガイは言葉を発した。デシケイターは……。


【ウィア・スラッツ、チープ・プロダクツ、イン・サム・ニンジャズ・ノートブック】


「AAAARGH!」デシケイターは覚醒し、回転着地した。粉塵が立ち込めるスイートルーム、彼はゴキゴキと首を鳴らして横切り、壁の大穴を見て肩をすくめた。「何だ、これは」彼は自身の寝相の悪さに呆れた。地上14階、時刻はAM3。

 風が吹き込む。ムンバイの甘ったるい空気は、この高さにあっても同じだ。彼は見下ろした。掘っ建て小屋が何重にも縦に重なった街並み。道路に列を為すネオン・バス。縦横に巡る排水路に水は無く、代わりにゴミが埋め尽くしている。ゴミは上流にゆくほどにより集められて地上へ侵食し、丘を、山を作っている。

 街区に溢れるネオンの光と対照的に、不吉な赤い火を方々に灯すゴミの山。まるで眠りながら侵食する不定形の怪物で、成長を止める手立てはない。街区に散在する擬古典的な丸屋根の塔は数メートル上にホロ広告を投影し、巨大な怪物に対し、絶望的な戦いを挑んでいるようでもある。

 この甘い匂いは、ゴミの臭気を覆い隠す為に昼夜焚かれるインセンスに由来している。ある種の有害化学成分が含まれており、精神に好ましからぬ影響を及ぼす。デシケイターはニンジャゆえに何の問題もないが、あまり気持ちのよいものではなかった。畏怖の記憶を夢に見たのも、これのせいか。

 あるいは……「フフフ」デシケイターは乾いた笑いを笑った。エゾテリスムの死と、それに伴うエメツ事業の停滞に、自覚以上のイラつきがあるか。サンズ・オブ・ケオスを通じて知り合ったエゾテリスム。その思考には何の共感も持たなかったが、あれが用いた奇妙なジツには投資の価値が十二分にあった。

 彼は目を細めた。ここからでもムンバイの破壊の爪痕は視認できる。既にその地域の住民の排除は済ませた。傭兵部隊が封鎖を終え、軍事力をもって監視にあたっている。エゾテリスムの最後の破壊はそれまでの比ではない最大規模だった。産出させたエメツも最大だ。だがその夢は永遠に潰えた。

「まあいい。短期的には十分すぎるほどの量が得られた」彼は顎を掻いた。崩壊地域を確保した彼は、速やかにシンケンタメダ・カンザイ・メディケア社のヘッドオフィスを築いた。シンケンタメダは彼が敵対的買収で手に入れた製薬企業であり、ニューログラの製法はこの企業の門外不出の財産である。

 ニューログラ。端的にいえば、この薬はIRC中毒による急性重度自我希薄化症の特効薬だ。ネットワーク接続の慢性化によって自我を摩耗、UNIXを抱いたまま昏睡し、目覚めず、最悪の場合は死に至る……。誰もが恐れる病である。ゆえに今日日、この特効薬の名を知らぬ者はない。

 シンケンタメダ社は……デシケイターに言わせれば……呑気な企業であり、ノーガードと言ってよかった。脆弱性を発見し、その日のうちに買収を成功させた。彼はそのとき無上のエクスタシーに悶えた。翌日、ニューログラの価格を228倍に値上げした。「常識的な薬価」に設定し直してやったのだ。

「常識的な薬価」。然り。ニューログラの生成にはエメツ資源が必要だ。エメツは地球上にどれだけあるか定かでない神秘的物質であり、呑気な値付けでやっていては万人の損失だ。カネモチにカネを回し、経済を動かす。貧困IRC中毒者を救ってやる合理的な理由はどこにもない。救ったところで、遅かれ早かれまた繰り返す。彼はそう思った。

 インドは良質なオーガニック・トロマグロの生息地であり、ツキジと同規模の旧世紀冷凍マグロ施設「ツキジゴア」が存在している。エメツとトロマグロとニューログラ、この3点があわさり、ムンバイを中心とした「ニューログラ生産トライアングル」が完成したのである。

 残念ながら、エゾテリスムが死去した以上、このトライアングルもどれだけ保つかわからない。しかしそれはそれで次のモチベーションに繋がる。イノベーションの辞書に足踏みという文字はない。薬価をさらに二倍にして売り尽くし、その資本を元手に新たな産業に投資する。素晴らしい経済の旅だ。

「うむ」デシケイターは微笑んだ。ガツガツといこう。魔術ギルドの内紛に足元を掬われ、みすみす命を落とすようなニンジャは、所詮そこまでの奴だったという事。内紛に足元を……内紛。「……」彼はやや引っ掛かりを覚えた。何かが彼のニンジャ第六感に警鐘を鳴らさせている。


◆◆◆


「ッてわけでな」タキはカウンターに顎を乗せ、調査結果のパンチシートをダルそうに手繰った。「ムンバイのなんとかいうカイシャの視察に向かってる奴が、デシケイターとかいう野郎だ」「タキ=サン、いつにも増してダメ野郎的です」コトブキが言った。「IRCのやり過ぎです。運動しないと」

「運動? ケッ」タキが毒づいた。「ヤル気が出ねえだけだ。誰が楽しそうにやるンだよ。無給でよ」「でもそれはギブ・アンド・テイクの一環だと思います。約束をしたわけですから」「奴にゃ十分恩は返……あン? とっととプラハに帰れ、そこのオッサンよォ」セルフピザを焼くコルヴェットを見咎める。

「無論。時が来ればな」コルヴェットは答えた。「で? お前さんら、ムンバイへはどうやって行くのかね。企業ポータルを無断使用するのか?」「そう」「ポータルまでは送り届けよう」彼はコトブキに頷いてみせた。タキは唸った。「今回もロクな事になりゃしねえに決まってる。絶対だ」


2

「まだ開いていますか?」「あ……」マスラダが振り返ると、痩せた中年男性が人の好い笑顔を浮かべ、手を合わせた。「本当にスミマセン。ちょっと色々ありましてね」「ア……その」ギャラリーは広くない。マスラダはスタッフに目配せし、乞うた。スタッフの中年女性は微笑み、頷いた。

 マスラダは唾を飲んだ。「どうぞ」かすれ声で促す。「うん」男は肩の雨粒を払い、ギャラリーに入る。「人は来た?」セバタキ・ケンロは奥へ進みながら、親しい知人に向かって話すように尋ねた。だが、会うのはこれで二度目で、一度目も二言三言かわしただけだ。「そこそこです」マスラダは答えたが、セバタキはどうでもよさそうだった。

「うん。うん」ガラスケースに納められたアブストラクトなオリガミ作品を流し見るセバタキを、マスラダはやや離れたところで、邪魔をせぬよう見守る。緊張しないわけがない。セバタキ・ケンロはネオサイタマのサイバネ眼科医で、特許収入によって巨万の富を築いた成功者であり、美術愛好家であった。

 彼の得意分野は江戸時代のウキヨエと、時代を大きく隔てて、電子戦争以後の現代美術全般だ。特に新進の、名もないアーティストの作品に興味を示した。それらの中には今では大きく成功した者達の作品も多く含まれているが、もとは彼が……彼自身曰く……「単に新しいものが好き」で集めた作品である。

 彼は投機的な目的ではなく、ただ好きなものを集め、アーティストを支援した。彼は購入した品々を暗所に閉じ込め独占する事もせず、依頼があれば世界各地のギャラリーにこころよく所蔵品を貸し出した。そうして「セバタキ・コレクション展」は名声を築き、若いアーティスト達の憧れともなった。

 一方で彼は一種独特な人物としても知られた。彼はマスラダと殆ど一瞬しか視線を合わせなかったし、知人に対するようなくだけた態度でありながら、会話の一瞬後にはその相手を石ころか何かのように興味を失うようだった。「……これは、いいな」セバタキが足を止めたのは黒い火の欠片のオリガミだ。

 新作だった。マスラダ自身も、その作品の為に大きくスペースをとった。エメツで染めたワ・シを用いている。エメツは光のほとんどを吸収し、目の錯覚じみた黒さを作る。それが面白いと思ったのだ。「それは……」「強い。うん」セバタキはマスラダの言葉を遮った。「質量を感じる。とても強い」

 彼はそれから残りのオリガミをざっと見て回った。しかしすぐに黒い火のオリガミに戻ってきた。「何だろうな」セバタキは咀嚼するようにオリガミをじっと見る。「これは……とにかく、前に君の作品から感じた印象は錯覚ではなかった。無駄足にならず良かった」「……」「僕のグループ展に出さないか」

「つまり、」「展示だよ。君の作品があるといい」マスラダは首筋に鳥肌が立つのを感じた。極力、平静を保とうとした。両足を踏みしめると、床のタイルの冷たい感触が伝わってくる。「スミマセンね。時間」セバタキはマスラダの肩越しにスタッフに言った。感慨と畏怖とで、その会話は聞こえなかった。

 美しい瞬間の記憶だった。それでもナラク・ニンジャがマスラダに反芻させるのは、この美しく凍りついた記憶ではなく、あの日の記憶だ。黒炎の炉にくべるには、必要のない記憶だからだ。ウキハシ・ポータルの飛翔が、錯覚めいて思いがけず見せた記憶を、やはりマスラダはつかみ損ねてしまう。


◆◆◆


 アンキタにとって、このムンバイ・オフィスは三年ぶりの故郷である。だが彼女の心に感慨は少しもない。呪いのように足を掴まれ、引きずり戻された気分だ。しかも、デオナー処分場からこんなに近く。甘い空気を呼吸するたびに暗澹たる気持ちが蘇り、化学成分でややぼやかされ、沈み、また甦る。

 海を越えてネオサイタマに活路を求めたアンキタは、見事、シンケンタメダ社の狭き門を通り、職を得た。それがどうだ。今彼女が目にするのは黒々とした廃棄物の山。記憶していたよりも更に大きい。「アー……アーアー!」アンキタは苛立ちの唸りをあげて煙草を踏み消し、オフィスの中に戻った。

 急ごしらえの社屋はペンキのにおいがまだ強い。それでも外の甘ったるさよりはマシだ。廊下には「健康が素晴らしく、我々の歩いてゆく方向です」と奥ゆかしいスローガンが書かれたポスターが貼られている。手のひらに溜まった美しい滴から青葉が発芽する瞬間のコンピュータ・グラフィックだ。 

 こんなポスターすらも逐一苛立たしい。このグラフィックが作成された時はまだ一面の真実がそこにあった。ニューログラの薬価が228倍となった今は少しも無い。カイシャを買収した目つきの悪いどこかのカネモチは、疑問を呈する社員に言ったものだ。「逆に訊くけど、二束三文で売るメリットは?」

「メリット? それはもちろん、急性重度自我希薄化症は現代ある意味避けがたい病ですから、社会は……」「社会の話はしていない。俺の利益の話だ」エドゥアルトとかいう男は胸を押さえて自信たっぷりに言った。「わかっていないのか? 利益を出すのがカイシャの存在理由だ。値上げしない理由は?」

「でも、あの薬価設定で充分に利益が出ていましたし、言い方は悪いですがあの病気は現代に生きる以上付き合わねばならない病ですから需要も減る事は無く、今後も成長……」「でも、とか、だって、はヤメロ」エドゥアルトは遮った。「そういうバカなインテリの理屈に付き合う気はない」

「なんだって!?」憤慨する社員に、エドゥアルトは氷のような視線を向けるのだった。「俺は相当優しい。お前に"わからせてやる"事もできるが、普段のポリシーに反しているから、しない。わからんだろうがな」そして続けた。「228倍に値上げしても連中は買わざるを得ない。これが市場原理だ」

「そんな事ではこの会社のビジネスが続かない……」別の社員が言った。エドゥアルトは演技的に驚いてみせた。「続かない? どうでも良い話だ。俺が必要十分な株を保持し、俺の思う利益を上げさせ、俺が資産を増やす。続く続かないの話か? お前らの事など知らんよ。これがルールで、俺が勝者だ」

 葬儀場めいて静まり返った説明会場を、奴は自信満々に退出したものだ。当然、それ以来シンケンタメダ社の社内アトモスフィアは最悪になった。ぴりついた空気が支配し、会話は減り、互いに腹の内を探り合うようになった。みな目つきが悪くなり、タバコを吸う量は増えた。

 かつてこのカイシャは定例のオンセン・スキヤキ・パーティーを楽しみとする家族的企業であり、気弱で誠実な社長は社員皆に慕われていた。しかし……アンキタは顔をしかめた。あんなクソ野郎にうっかりカイシャを乗っ取られるような奴は、最悪の中の最悪じゃないか。彼女は職場のドアを押し開けた。

「……」「……」キータイプをしていた者達が目を上げてアンキタを見る。アンキタが睨み返すと、彼らは目を伏せた。現地採用の期間従業員が四分の三、アンキタのように転勤させられてきた社員が四分の一だ。殺風景なオフィスに会話は無い。彼女はパーティションで仕切られたデスクに戻った。

 このムンバイ支社の役目は、市内に突如湧き出したエメツ資源と、近海のトロマグロ資源の管理だ。ニューログラの精製にはエメツとトロ粉末が必要である。精製プラントも半月後には本格稼働が始まる。アンキタはZBRガムを噛み、髪をアップにまとめ、深呼吸して高速タイピングを開始した。

 ジリリリリリ……IRC通話機が鳴り出したが、取る者は無い。みな心の余裕を失っており、他人に面倒事を押し付けたいのだ。妙な空気が出来てしまっている。アンキタは椅子から腰を浮かせ、一声発しようとした。「はいモシモシ!」オフィスを横切ったオーエルが受話器を取り、アイサツした。

「こちらシンケンタメダ社ムンバイ支社ですよ! ごきげんいかがですか?」明るいオレンジの髪をしたそのオーエルは、確か数日前に採用した現地契約社員である。名前は確かコトブキと言ったか。「いや、なんでアンタが電話出てるの!?」アンキタは慌てた。「権限無いでしょ!」

「……無いかもしれません」コトブキは受話器から耳を離し、深刻な顔をした。「どうしましょう……」「タゴキ=サン! ちょっと!」アンキタはUNIXモニタに集中するそぶりでやり過ごしていた社員を指さした。彼はおずおずと受話器を受け取った。「ありがとうございます」コトブキは頭を下げた。

 ガガピー! そのとき、壁際のプリンターが明らかに異常な音を発して激しく震動し、パンチシートを吐き出し始めた。「えっウソ! まずい」データ出力をUNIXから行っていた社員が声をあげた。「また故障かよ! 畜生!」「大変です!」コトブキはプリンターにかけより、素早くLAN直結した。

 フウーン……。やがてプリンターが溜息めいた音を鳴らして静まり、パンチシートの無限放出が止まった。コトブキはケーブルを引き抜き、振り返った。「解決です。もう一度操作してみてください」「お……おお」焦っていた社員が目を丸くした。「君、すごいな……特技? 資格ですか?」「そうです」

 LAN増設者は珍しくないが、妙なアトモスフィアだ。採用時にあんな様子の人間は居ただろうか?「ンン……とにかくIRC通話は、アンタ取らなくていいから」アンキタはやや釈然としないながら言いおき、席に座り直した。「わかりました!」コトブキは手を振り、ゴミ箱に足を引っ掛けて倒した。


3

「オハヨ!」「ドーモ」「オハヨゴザイマス!」「ドーモ」「オハヨゴザイマス!」「ドーモ」翌朝、コトブキは仏頂面でオフィスへ入ってくる社員たちに笑顔で応対し、オジギを繰り返した。アンキタはその様子にやや面食らった。オレンジ色の花々……サマーキャンドルやコスモスの花瓶も気になった。

「みなさん、今日のおやつはネオサイタマのオカキ・スナックですよ!」さらにコトブキは、小脇に抱えた業務用袋から小分けのパックに収まったオカキ・センベイを仏頂面の社員たちに手渡していった。「お仕事を頑張りましょう!」「ちょっとアナタね……」アンキタはコトブキの手を引いて廊下に出た。

「そういう事はしなくていい。アナタの仕事は?」「データ入力と雑用です」コトブキは答えた。「アイサツに、付け届けの類いはよく効くと思ったんです。悪のダイカンがそうやります。でも賄賂はよくないので、常識の範囲で……」「ダイカン?」「ニンジャ・サムライです」「わかったわ」

 アンキタはデスクに戻ろうとし、花瓶を見てコトブキに再度尋ねた。「花もアナタ?」「そうです。この場所にはオーガニックの暖かみが無いので、人々の精神のバランスが崩れます。人はもっと自然を大事にしないといけません……少しの工夫で業務の効率が劇的に!」「どこで買った?」「朝の市場です」

「こんなゴミの山の麓に? よく探してきたわね」「容易に見つかります。行商の方は郊外から来てくださっているんです」そういうものか。市場など歩いた事もない。アンキタはマンションと職場の間を、甘い匂いに顔をしかめて行き来する毎日だ。「悪い事をしましたか? 懲罰的?」「いえ……まあいいわ」

「良かったです。クビになると就業努力が無になってしまうから……」「そりゃそうよね。でも、付け届けは止めなさい」「わかりました! やる事があまり無くて」「私のほうで見つける」二人のやり取りを見ながら、同じネオサイタマからの出張組であるウォンキ=サンがオカキを咀嚼する。「懐かしい」

「そうね。オカキ、最後に食べたのは……」アンキタは腕を組んだ。ウォンキは首を振った。「いや、違います。それもあるけど、昔は職場で皆でおやつを持ち寄ったり、おいしいベントーの情報交換をしたりしたなァと」「良くも悪くもそういうカイシャだったわね」「明日は僕がおやつを持ってきますよ」

「好きにしたら」アンキタは息を吐き、デスクに戻った。そう、良くも悪くも呑気なカイシャだった。あの暗黒投資家はこのカイシャを、ドアを施錠せずフラフラと外出する家主を見送る空き巣泥棒のように見ていたことだろう。彼女はオカキをボリボリと齧りながらUNIXを操作する。

 その呑気の結果、それまで自我患者を助けるべく誇りをもって働いてきたアンキタ達は、一転、自我患者を搾取する為に働く羽目になったのだ。オカキのショーユ味が染みた。ジリリリ、IRC通信機の呼び出し音が鳴り、反射的にコトブキが走ろうとした。「取って!」アンキタが最寄りの社員を指さした。

 アンキタはオカキを食べ終えた。ともあれ、オカキの味とエドゥアルトの乗っ取りに合理的な関係は無い。それとこれとは話が別だ。楽しくやれていたのは、カイシャが強みを持っていたからだ。そのすべてを否定する必要も無い。いつの間にか彼女自身が妙な詭弁に絡め取られていたのかもしれない。

 エドゥアルトは既にムンバイ入りしたという話だ。このオフィスと新規の精製プラントの視察の為に。あのムカつくツラを見るのは屈辱的な説明会以来となる。エドゥアルト。エドゥアルト。「あの野郎!」毒づきが声にまで出た。彼女は遅れて気づき、モニタに呪詛めいて打ち込まれた名前に呆れた。


◆◆◆


「サスター! サスター! ヴァスタヴミン! サスター! サスター!」「美味しいお米を食べて、毎日です」「アカチャン……バダ」「スシが……効くよ!」広告音声が乱れ飛び、黄色と黒のツートーンの小型バスが列を為して走行する道路脇、砂埃の中を、アンキタら四人は連れ立って歩いていた。

 アンキタは思い立ち、手の空いた者同士でランチに出たのだ。思えばわざわざ食事の為にストリートへ出向くのも初めてではなかったか。味にも注意を払わなくなり、カレースシ・デリバリー業者に頼りきりだった。目抜き通りはやはり賑わう。水の代わりにゴミが詰まった排水路から離れ。

 コトブキは先頭に立ち、三人のネオサイタマ社員を引率するように歩く。彼女はウキハシ・ポータルを用いてこの地を訪れてから、まずは付近を歩き回り、興味の向いた場所に立ち寄り、ゴミの山を眺めたものだ。

 四人とも、黒いマスクをしている。有害な甘いスモッグの影響を受けぬようにだ。コトブキ自身は恐らく影響は受けないが、怪しまれぬように他の三人にあわせた。薄着の子供らは彼らの横をはしゃぎながら走り抜け、行き交うバスには市民が満載され、天井や車体側面にも人々がしがみつく。

 道路脇に座る者らは心砕けた者達で、特に、サイバーサングラスをかけた直結者が目立つ。直結浮浪者はボックス型UNIXを小脇にかかえ、首筋にLANケーブルを垂らしたまま、サイバーサングラスの表面に「哀れです」「水平」などの電子日本語文字をスクロールさせている。コトブキはアンキタを見やった。上司は目配せを返し、苦々しく頷いた。彼らは自我患者である。

 ニューログラを服用していた者達は、薬価が跳ね上がった事でサポートを受ける事が出来なくなった。まずは貧者がその影響を真っ先に受けるのだ。そしてその次は中流層。正規の薬品はあっという間に富裕層が買占め、更なる値上げを呼ぶ。供給量を増やすことはエドゥアルトが許さない。

 そしてこれは、全世界で同時に、急激に進行する事態なのだ。立ち寄ったネオサイタマ式のカツ・カレー・スタンドのテーブルを囲み、四人はやや複雑なランチを摂る。「僕らジゴク行きだろうね」ウォンキは溜息をついた。「片棒を担いでるんだから」「そうね」アンキタはにこりともせず呟いた。

「気になっているんです」コトブキが尋ねた。「急性重度自我希薄化症というのは、初期症状がありますか?」「どうしたの?」アンキタがコトブキを見た。コトブキは考え込んだ。「やる気がなくなったり……」「"急性"とはいうけど、突然意識がフラットラインする前の兆候はあるわね」

「やっぱりおかしい気がしたんです」コトブキは言った。「もともとダメ野郎だったんですが、最近のアトモスフィアに、質的な違いというか……」「何の話?」「雇い主……ア……違いました……知人です。薬価が値上げされた頃と時系列の関係がある気がするんです。きっと、そうです……!」

「ニューログラ服用者?」「今思うと、きっとそうです。薬が飲めていないのではないでしょうか」「それは何とも」ウォンキの同僚、シモバ=サンが肩をすくめた。「社割がきけばよかったんだけどね」哀しいジョークを呟き、苦笑した。「皆さんも嫌なのに、高く売るんですか?」「カイシャはそういうものなのよ」アンキタは目を伏せた。

「でも、やっぱり度が過ぎていますよね?」コトブキは唸った。「考えれば考えるほど、納得できないです!」「シーッ!」アンキタは指を立てた。「乗っ取り野郎はもうムンバイ入りしてるのよ。全員のクビを気分で飛ばせる(fire)やつなんだから」「カトン・ファイア!」コトブキは息を呑んだ。

「何?」「なんだって?」「カトン……?」「こっちの話でした」コトブキはヨーグルト・ドリンクを飲んだ。「とにかく、私、良くないと思うんです。誰も納得してない……」「重々承知よ、それは」「なら、やっつけましょう!」「シーッ!」やがて四人は店を出た。コトブキは忘れ物を取りに戻った。

 彼女は店に入り直し、トイレに行き、わざわざその窓をくぐって外に這い出し、裏通りに着地して、隣の区画まで歩いた。キャスケット帽を目深にかぶった男がPVCテーブルと日傘の粗末なオープンカフェに席を取り、タンドリー・スシを食べていた。男は帽子のつばをずらしてコトブキを見た。

「状況は……」「元気ですよ」彼女は周囲を見渡し、ハンドバッグから出したフロッピーディスクを男に素早く手渡した。「頑張って働いています。皆いい人です。だから」コトブキは複雑な表情をした。「ううん、だからこそです、きっと」「……そうだな」男は……ニンジャスレイヤーは厳かに頷いた。


4

「こちらのオフィスで管理業務を行っています」エリア・マネージャーは額の汗をテヌギーで拭いながら愛想笑いをして先導する。デシケイターは「ん」と生返事をして、後ろで手を組み、パーティションで区切られたオフィスを多少歩いた。彼の傍らには鉄めいて無表情な秘書の女性が随行している。

「この通り、各自、かわらず高いモチベーションをもって業務を……」「ん?」デシケイターは聞き咎めた。「何と"かわらず"だ?俺のCEO就任以前とかわらず……という事かね?」「アイエッ」マネージャーは笑顔を引きつらせた。ダラダラと流れる汗はもはやムンバイの気候のせいではない。

「勿論そうではなく、昼夜かわらず……あるいは、ネオサイタマ・オフィスの頃とかわらず……常に高いモチベーションを保ちですね……」「まあ、勤務の細かい評価はそっちで勝手にやればいい」デシケイターは花瓶に活けられたオレンジの花を手に取った。たちまちその花は彼の手の中でしおれ、朽ちた。

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