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S1第9話【カロウシ・ノー・リモース】

総合目次 シーズン1目次


「青い」
「いつでも連れ出しに参る」
「便利なタクシーね」
「デジ・プラーグ2へようこそ」
「恨み?……お前に話す事は無い」
「自信がおありのようだ。サツガイに二度触れた結果ですか」
「貴方、何人も殺しましたね! 我が同胞を! そうか!」
「苦しみ続けろ! モータルの怒りを知れ!」
「貴様の力はわかった……それは貴様のものではない!」
「俺は魅力的だ、弁も立つ。愛する女も助け、万能感に満ちておる」
「オムラ社のマシンガンですよ!」
「手綱を握るのは、おれ自身……!」
「あれは、ニンジャスレイヤーです」




1

 ネオサイタマ、ニトベ・ステーション付近、地下シャッター商店街。うすら錆びた金属シャッターの表面には、店ごとに思い思い不統一のコマーシャル・アートが描かれていたが、どれも今は色褪せていた。空気はひんやりと冷たく、地上の重金属酸性雨の中よりもなお肌寒い。

 明滅する蛍光ボンボリ・ライトの影から影へ歩き進む黒装束のニンジャは、ときおりつんのめるようにバランスを崩しながら、ひたすらに先を急ぐ。道の端にうずくまる浮浪者から無雑作にボロ布を奪うと、マントのように身を覆う。ニンジャ装束は目立つからだ。

 尤も、目立つからといって、誰も咎める事はあるまい。ニンジャの恐怖を多くの人々が伝聞のうちに深く心に宿し、いたずらにその行いに好奇の心を持てば不幸が待つ事を、なかば本能のように知るからだ。そしてそもそも現在のネオサイタマにおいて、異質な佇まいである事に何程の注意の意味があろうか。

 だが今この時、このニンジャは執拗な追跡者から逃れるべく動いていた。この人気無いシャッター街を抜け、ニトベ駅構内に至れば、雑踏に紛れる事は容易だからだ。

 ……彼が奥の闇に消えた数十秒後、新たなニンジャがその場を通過した。赤黒の装束と「忍」「殺」のメンポ。ニンジャスレイヤーである。

 彼は途中、半分シャッターを開いたガレージ・ショップに立ち寄った。出てきたときには装束の上からキャスケット帽とコートでニンジャらしさをやはり隠していた。しかしその足取りと殺気は少しも緩んでいない。彼はあの黒いニンジャを……エッジウォーカーを、必ず追い詰め、殺すつもりだった。

 彼の手を染める血は高温で熱され、蒸発していった。エッジウォーカーの血だ。既に彼はイクサを終えた。一度は。彼はエッジウォーカーの心臓を貫いた。だが敵は生きていた。黒装束が塵と化して崩れ、カロウシ死体が残った。その光景を目撃していた市民は白目を剥いて叫び、黒装束を纏い、逃げ去った。

 極めて奇妙な体験だ。「サツガイ」の残り香はカロウシ死体にはもはや無く、逃げ去る背中から発せられていた。エッジウォーカーは複数居るのか?バカな。いまだその正体はわからぬ。だが、まだ取り逃がしてはいない。前方の照明が明るさを増し、やがてニトベ駅の改札が現れた。

 近い。感じる。ニンジャスレイヤーは改札を通過する。構内には通勤サラリマンがごった返している。「名刺を受け取ってください! お願いします!」安物のスーツを着た若いサラリマンが中年サラリマンの行く手を遮り、名刺を差し出そうとして、逆にカバンで殴打され、転倒した。ナムアミダブツ!

「邪魔だ!」「アイエエエ!」あれは社員研修を行っているニュービー・サラリマンだ。腕時計でモニタされながら、彼は名刺ホルダーいっぱいの名刺を見ず知らずのサラリマンと交換し終えるまで、決して駅構内から出る事を許されない。ニンジャスレイヤーは彼らを一瞥し、なお先を急ぐ。

 駅のホームにはちょうど、十両編成の電車が走り込んできたところだった。ニンジャスレイヤー側が最後尾だ。彼の目が細まった。その赤黒い眼差しは、確かに捉えていた。サツガイ接触者の後ろ姿を。エッジウォーカーは周囲を素早く睨み、ドアが閉まるギリギリのタイミングで車内に滑り込んだ。

「……」ドアが閉じる。混雑率5割の車内、エッジウォーカーはようやく息を吐いた。だがそれもつかの間。ニンジャスレイヤーの視線に気づき、その目を見開く。ニンジャスレイヤーも車内に入り込んでいた。撒けなかったのだ。「久しぶりだな。エッジウォーカー=サン」ニンジャスレイヤーが言った。

 エッジウォーカーは苦々しく答えた。「そうだな……10分ぶりか」「未練を捨てるには充分過ぎる時間だ」ニンジャスレイヤーは言い放つ。通勤サラリマン達は椅子に座ったり、吊革につかまったまま、手元の新聞や携帯IRC端末をじっと見ている。ニンジャスレイヤーは敵めがけ決断的に接近する!

「イヤーッ!」「イヤーッ!」二者のチョップがかち合い、火花が散った。次の瞬間、ニンジャスレイヤーが繰り出した逆の手はエッジウォーカーの喉笛を抉りぬいていた。「グワーッ!」血飛沫をあげて転がるエッジウォーカー!「アイエエエ!?」そのさまを目撃したサラリマンが悲鳴を上げた! 

「ニンジャ? ニンジャナンデ!?」ナムサン! ニンジャの実在がほぼ規定事実となったこの時代においても、ニンジャのイクサを否応なしに見せつけられれば、やはりNRS(ニンジャ・リアリティ・ショック)症状は避けられぬ。

「ニンジャナン、アバーッ!」後ずさるサラリマンが突如黒い霧を吐いた! 黒い霧はサラリマンの身体を瞬時に覆い、装束を形成する! そして邪悪な悪意を込め、落ち着き払ってニンジャスレイヤーを見返すのだった。「これは!」ニンジャスレイヤーは呻いた。彼の足元にうずくまるエッジウォーカーの装束は崩れ落ち、ただのカロウシ死体になり果てた。先刻と同じだ!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは瞬時に飛び掛かり、内臓破裂の中段蹴りを叩き込んだ。「グワーッ!」「アイエエエエ!?」後方で悲鳴! サラリマンが椅子から立ち上がり悲鳴を上げた。エッジウォーカーはサラリマンを見た。「アバーッ!」サラリマンは黒い霧を吐き、装束を纏う!

「イヤーッ!」「グワーッ!」跳び蹴りを叩き込む! そのコンマ5秒後!「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは背中にチョップを受けた。真後ろでエッジウォーカーは会心の愉悦に目を細め、ニンジャスレイヤーを見ていた。「イヤーッ!」「グワーッ!」後ろ肘打ち! だが……!

「イヤーッ!」「グワーッ!」またも死角、「新たな」エッジウォーカーからの攻撃を受け、ニンジャスレイヤーは倒れ込んだ。「アイエエエ!」「アイエエエエ!」今や車内はNRS症状を起こしたサラリマン達が悲鳴を上げ、後ずさりし、阿鼻叫喚のありさまと化していた。このままでは……!

「どうだね、俺を殺せそうか? イヤーッ!」エッジウォーカーがのしかかり、ニンジャスレイヤーを殴りつける! ニンジャスレイヤーのニューロンをニンジャアドレナリンがどよもし、瞬間的なカジバチカラが生まれた。

「イヤーッ!」彼はエッジウォーカーの腹を下から蹴り……逆さに投げ飛ばした! ナムサン! トモエ投げである! 咄嗟のあがきが強力なムーブを閃かせたのだ。そして投げ飛ばした方向はニンジャスレイヤーの狙い通りである! KRAAAASH!「グワーッ!」エッジウォーカーはドアを破り、9両目に転がり込んでいた。ニンジャスレイヤーの目が燃えた。勢い凄まじく、走り込む!

「イヤーッ!」KRAAASH! 車両を渡る際、ニンジャスレイヤーは連結器の重要部位を踏み砕いた。たちまち十両目は連結を切り離され、後方へ置き去りとなった。エッジウォーカーは舌打ちし、前へ逃げる。ニンジャスレイヤーは追う。混雑率5割。サラリマン達はみな下を向いている。 

 作戦を、イクサの流れを変えねばならない。エッジウォーカーのジツの仕組みを掴まねば、ジリー・プアー(徐々に不利)の事態を覆すことはできない。いたずらに攻撃すれば、奴は何らかの手段で他者に「成ってしまう」のだ。『ザリザリ……ニンジャスレイヤー=サン! まさかだが……』タキの通信! 

『やけに帰りが遅いが、まさか、おっぱじめてねえだろうな』(悪いがその通りだ)ニンジャスレイヤーは通信を返した。たまらずタキは呪詛を叫んだ。『ブッダファック!』

 エッジウォーカーとの邂逅はお膳立てされたものではない。全くの偶然に、ニンジャスレイヤーはサツガイの残り香を持つニンジャとすれ違ったのだ。千載一遇の機会。逃すわけにはいかなかった。

『バカ野郎!』タキは喚いた。『何で黙って待てねンだ! 正式なタトゥー入れるまで、魔術野郎のブードゥーじゃ、一日保つか保たねえかなんだろうが?』(一日もかけるつもりはない)『そういう事じゃねえよ! それに、お前、そのあたりはソウカイヤの重点テリトリーだッてんだよ!』

 然りだ。ニンジャスレイヤーはその危険を承知している。ナラクは彼に車内全乗客の速やかな殺戮を示唆してくる。これまでのイクサでの動きを見ても、エッジウォーカーの有利にはたらく事が間違い無いからだ。だがそれは出来ない。これ以上の無用の殺戮は確実にソウカイヤのニンジャを呼び寄せる事になる。既に相当危ない橋を渡った。

 ゆえに彼はまず、10両目を切り離した。エッジウォーカーは振り返りながら前へ逃げる。サラリマン達は下を見ている。ニンジャスレイヤーは追う。ふたりのニンジャは9両目から8両目へ移動した。「イヤーッ!」KRASH! ニンジャスレイヤーは連結器を破壊。9両目も置き去りとなった。

 置き去り車両はあっという間に後方の闇に消えていく。後々彼らは鉄道企業に救助されるか、その前に徒歩で帰るだろう。悲惨だが、イクサの巻き添え死は免れる。エッジウォーカーは舌打ちし、ニンジャスレイヤーを振り返る。サラリマン達は下を向いている。ニンジャスレイヤーは状況判断する。

 やがて電車に減速がかかった。『エー、次は、イナマミ。イナマミ駅です。車両連結トラブルがありましたので、現在、8両で運行しておりますが、皆さんは時間通りです。原因は調査中です』イマナミ駅のホームに電車が到着し、ドアが開いた。ニンジャスレイヤーはエッジウォーカーを掴んだ。 

 その時だ。「押すな!」「ヤメロ!」「遅れますよ!」口々に罵りあいながら、怒涛めいた勢いで大量の通勤サラリマンが押し寄せてきた。「ヌウッ!」瞬時に車内の混雑率は閾値を超え、はちきれんばかりの満載状態となった。駅員はなおも乗客を押し込む。ガゴンプシュー……ドアが閉じた。 

『エー、発車。発車いたします。次はドミチャン駅です』ゴン……電車が震動し、ふたたび走り出した。罵り合っていたサラリマン達ももはや静まり返り、下を見ていた。ワン・インチ距離にあった二人のニンジャの間を、今や数人のサラリマンが隔てていた。彼らは圧迫の中で睨み合った……! 



2

 ニトベからイナマミ。そして次はドミチャン・ステーション。加速する車内は完全に混雑しており、ライブハウスのピットめいていた。だがそこに爆音を鳴らすロックンロール・バンドの存在はなく、熱狂も無い。石のように凍り付いた沈黙と、電車の走行音。サラリマン。そして……ニンジャが二人だ。

 吊革につかまった状態で、ニンジャスレイヤーはエッジウォーカーを凝視する。その感情の動きを捉えようとして。確かに殺した筈だった。しかし別の者がエッジウォーカーとなった。奴はそれを繰り返している。「……!」エッジウォーカーに「狙い通り」の高揚は無い。むしろ困惑している。

 ニトベ~イナマミ間の混雑率は、現状を思えばまるでファーストクラスのように快適だった。最後尾車両においてエッジウォーカーは謎めいたジツを濫用し、ニンジャスレイヤーを翻弄した。全員がエッジウォーカー? ありえぬ。市民の身体を奪う類いのジツを使っているのだ。

 通常の攻撃では殺せぬ事がわかると、ニンジャスレイヤーはまず車両を切り離し、次の車両へ移り、ひとまず環境を変えた。彼は敵を追い詰めるように動いている。エッジウォーカーに先ほどの積極性は見られなくなった。ジツの再使用もない。なにかが功を奏している。カーブ。車体が傾(かし)ぐ。

「……!」「……!」ニンジャは睨み合う。現在の車内で移動は容易ではなく、満足に両手を動かす事すらままならない。この状況下では複雑なジツは使用ができまい。ジツの秘密はわからぬが、殺す機会はある……!

「……」エッジウォーカーは乗客の隙間へ身体を押し込み、電車の前方方向へ動き出した。サラリマン達は迷惑そうにエッジウォーカーを一瞥した後、新聞や携帯IRC端末に視線を戻す。「……!」逃がしはしない。ニンジャスレイヤーも移動を開始する。カーブ。車体が傾ぐ。肉の重み。ナラクの殺意が押し寄せる。(((やれ。マスラダ!)))「スミマセン」彼はナラクを無視し、呟いた。

 一言かけた事で、心持ち、移動がスムーズになった。ニンジャスレイヤーはエッジウォーカーに迫った。エッジウォーカーは乱暴に押しながら進んでいたが、スモトリ付近で往生していた。ニンジャスレイヤーは状況判断する。ここで殺すか? ダメだ。まだジツが封じられていると決まったわけではない。

「どけ!」エッジウォーカーはスモトリの背中を撥ねのけた。「グワーッ!」ゼロ・インチ状況下では存分なカラテはふるえぬ。殺意の有無もわからぬながら、スモトリが死ぬ事はなかった。スモトリは倒れ込み、座席に座ったサラリマンを押し潰した。「アバーッ!」エッジウォーカーは押し進む。

 ニンジャスレイヤーはもはやエッジウォーカーと隣り合った位置にあった。エッジウォーカーは車両間ドアを背にしていた。「……!」「……!」二者は撫で合うような超至近距離の木人拳めいた打突応酬を開始した。エッジウォーカーはニンジャスレイヤーの目を狙う。ニンジャスレイヤーは頭突きで返す。

「……!」エッジウォーカーは指がへし折られる寸前で目つぶしを戻し、鎖骨付近を狙いながら、隙をついて車両間ドアを開いた。二者は互いの攻撃を払いのけ、突き、突き返し、打ち返しながら7両目に移動した。ニンジャスレイヤーは打撃戦の隙をついて連結部を踏み砕き、8両目を切り離した。

 サラリマンを満載した鉄の箱が、またひとつ後方に置き去りとなった。これでエッジウォーカーは後方車内にいる者を用いて奇襲を仕掛ける事は万にひとつもできまい。「……!」「……!」二者は目線で罵り合う。ニンジャスレイヤーは決して目をそらさぬ。(貴様の逃げ道は前にしかない……!)

『まもなくドミチャンです。乗り換えの方はご注意ください……』車両アナウンスとともに、電車がブレーキをかけ始めた。彼らは揺れに耐えた。ガゴンプシュー……ドアが開き、サラリマン達が車外へ流出する。二人のニンジャは打ち合いを開始した。入れ替わりに大量のサラリマンが流れ込む。最混雑区間!

 彼らは反対側のドアまで押し流され、ほとんどプレス状態となった。「押すな!」「ザッケンナコラー!」開いたドア付近で諍いが始まった。「重点!」「グワーッ!」鉄道警備兵が喧嘩サラリマンにスタン・ジュッテを当てて感電させ、運び去ると、ドアは閉まり、電車が発車した。

 乗客は強烈な圧迫に耐える。混雑率は異常な数値に達しており、顔を動かす事もできない。ニンジャスレイヤーとエッジウォーカーはドアを背に、ごく近くに互いを位置していたが、ゼロ・インチのカラテすら不可能な状態だった。『次はゴバシ……次はゴバシ』出口のドアはどちらだ?

 この状況は多大なジレンマだ。出口がこちら側であれば、このふざけた混雑からは解放される。しかしそれはイクサの運びとしてはうまくない。エッジウォーカーが車外へ逃れれば、ホームを逃走しながら例のジツを好き放題に用いる事は確実。最後尾車両で経験した悪夢じみた変わり身のイクサを繰り返さねばならないのだろうか?『出口は右側です』逆!

「クソッ……!」ニンジャスレイヤーは奥歯を噛み締めた。否、これでいいのだ。これは天の采配だ。しかし……!「アバーッ!」どこかで極度圧迫されたサラリマンが断末魔じみた叫び声をあげた。やがて電車はゴバシ駅に到着した。流出する乗客! エッジウォーカーは逃走を試みるが、流入が先だった。

 ゴバシ駅において、極限の混雑は多少緩和された。エッジウォーカーは移動を開始した。ニンジャスレイヤーは追う。「スミマセン」チョップめいた動作を繰り返し、小さく頭を下げながら。エッジウォーカーは何度も振り返り、移動する。逃走方向は前にしかない。車両移動。ニンジャスレイヤーは連結器を破壊!

「ええい……これは……!」エッジウォーカーは毒づいた。石のような沈黙。彫像めいたサラリマン。押し退け、かきわけながら前を目指す。赤黒の殺気が迫って来る。退路を断ちながら。エッジウォーカーは正常な判断を奪われつつある。この状況はまずい。追い込まれつつある。

「どけ……! どけッ!」「アイエエエ!」サラリマンのネクタイを掴み、引っ張ってどかすと、車両ドアを蹴り開けた。「グワーッ!」ドアの後ろにいたサラリマンが押し退けられる。しかし他の者達は石のように沈黙し、下を向いて黙っている。エッジウォーカーは舌打ちした。

 車両を移ると、ニンジャスレイヤーもすぐに続いた。連結器を破壊しながら。その動作が手馴れてきている。エッジウォーカーは流れる時間を鈍く感じ始めている。ニンジャ・アドレナリンの分泌だ。徐々に短くなるこの電車はさながら命のロウソクめいている……否! 彼はネガティヴィティを振り払った。

 彼がサツガイから与えられたフドウテンセイ・ジツは無敵のジツだ。ニンジャ・リアリティ・ショック症状に陥った市民を一瞬でカロウシさせ、その肉体を奪取し、エッジウォーカーの肉体に瞬時に作り替える。非ニンジャなど彼にとって肉の粘土に過ぎない。好きに消費できるゴミカスに過ぎない……筈!

 サツガイにフドウテンセイを与えられて以来、ケチなヤクザ・ヒットマンだったエッジウォーカーの仕事ぶりはがらりと変わった。暗殺の下調べ、位置取り、懐柔……そんなものは何も要らなくなった。スタイルが変化し、過去の自分は遺棄された。ただこのジツがあれば不意を突き、殺せた。無敵だった。

 降ってわいた幸運に彼は酔っていた。順風満帆の筈だった。それが……なぜニンジャスレイヤーとかいう奴が襲ってくる? なにが満員電車だ。非ニンジャのクズを詰め込んだただの移動手段に過ぎないものに、何故……!「スミマセン。スミマセン」ニンジャスレイヤーが迫る! 4両目! 3両目!

 追う側のニンジャスレイヤーもまた、極限の状況下にあった。(何故おれはこんな場所にいる)マスラダにサラリマン経験はない。ゆえに彼はこの忍耐装置をこれまで知らずに来た。噂話で耳に挟むばかりだった。大人しく待っていることが何故できない? タキの罵りの記憶がニューロンに木霊した。

『エー、次は、ヨスガ、ヨスガ。車両が減っている原因を調査中ですが、皆さんは時間通りです』アナウンスが聞こえ、車体がブレーキをかけた。ガゴンプシュー。ドアが開いた。ニンジャスレイヤーはエッジウォーカーを掴んだ。「ジツを使えんようだな」「……!」エッジウォーカーが目を見開く。

「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは頭突きを食らわせた。たちまちサラリマンが流入し、車内混雑率を強化した。エッジウォーカーはサラリマンを一層乱暴に押し退けながら前へ逃げる。それでもサラリマン達は石のような沈黙と無関心を崩さない! 2両目! ……先頭車両!

「イヤーッ!」KRAAASH! ニンジャスレイヤーは2両目を後ろへ切り離した。エッジウォーカーはサラリマンを殴りつけ、胸倉を掴んだ。「オイ!」「アイエエエエ!」サラリマンは恐怖し、悲鳴を上げた。口の中へ自意識を投げ込むイメージだ。それでフドウテンセイが成る。だが今、何の意味が?

「退路はあるか? エッジウォーカー=サン」ニンジャスレイヤーは真後ろに迫っていた。「貴様のジツがわかってきたぞ」「イ……イヤーッ!」ショートフックを繰り出す! ニンジャスレイヤーはその腕を抱え込み、へし折る!「イヤーッ!」「グワーッ!」サラリマン達は石のように沈黙している!

「貴様ら! 俺を見ろ! クズども!」エッジウォーカーが絶叫した。「俺はニンジャだ! 貴様ら! 殺すぞ貴様ら!」だがサラリマン達は目を合わせず、下を向いたまま、少しエッジウォーカーから離れただけだ。無関心による自己防衛……それは意図せず、彼のジツを封じ、極限状況に落とし込んでいた。

「何故だ! 何故だ! 死ね! イヤーッ!」エッジウォーカーは手近のサラリマンにチョップを繰り出した。「アイエエエ!」悲鳴を上げるサラリマン! 他の者は無視! しかしニンジャスレイヤーは振り上げたエッジウォーカーの手を掴み、へし折って阻止!「イヤーッ!」「グワーッ!」

 サラリマン達は隅に押し合い、若干のフリー空間を作り出していた。エッジウォーカーは倒れ込む。しかし、カジバチカラ! ニンジャスレイヤーの決断的追い打ちを、ブレイクダンスめいたウインドミル回し蹴りで迎え撃つ!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは吊革を掴み、懸垂めいて回避!

「まだだ!」エッジウォーカーの目に狂気的決断の炎が灯った。彼は首と背中の力で跳ね、スプリング・ドロップキックを繰り出した。KRAAASH! 最前のガラスを破砕し、運転席へ飛び込むエッジウォーカー!「アイエエエ!」悲鳴を上げる運転者!「それでいい!」エッジウォーカーは残忍に笑う!

 両腕の使えぬこの身体はもはや不要!「イヤーッ!」エッジウォーカーは邪悪なるフドウテンセイを用い、運転者の悲鳴上げる口に意識を呑み込ませた。「アバババーッ!」運転者は痙攣しながら座席を立った。たちまち、口から吐いた霧が黒装束を形成した。エッジウォーカーの誕生だ!

「イヤーッ!」KRAASH! ガラスドアを蹴り破り、ニンジャスレイヤーが運転室にエントリーした。だがエッジウォーカーは哄笑した!「どうやら最後に笑うのは俺のようだな! ニンジャスレイヤー=サン! 運転者など、もはやおらんぞ!」そしてフロントガラスを拳で叩き割ったのだ!


3

 ゴウウウ! たちまち叩きつけるような風が入り込んだ。壁めいた空気の塊に押されてニンジャスレイヤーは一瞬怯んだ。「イヤーッ!」KRAAASH! エッジウォーカーは肘打ちで運転器具を無惨に破壊し、この先頭車両の正常運行を不可能なものとした。「この車両は貴様の鉄のカンオケだ!」

「イヤーッ!」「イヤーッ!」驚くべき俊敏性を発揮し、エッジウォーカーは破砕したフロントガラスをくぐって前へ出ると、ニンジャスレイヤーの攻撃を躱しながら上に消えた!「サラバ!」哄笑を残して! ニンジャスレイヤーは舌打ちし、上がり続けるスピードメーター、へし折れたハンドルを睨んだ。

 切迫した事態だ。遅かれ早かれ、路線の前方に位置している別の電車に後方から追突し、凄まじい惨事が引き起こされる。そしてエッジウォーカーは……否! ニンジャといえど、トップスピードの電車から無傷で飛び降りる事は不可能。ましてここはトンネル内だ。逃げ場はまだ無い。

 ニンジャスレイヤーのニューロンをニンジャアドレナリンが極度刺激した。鈍化した時間の中で、彼は火を噴くほどに脳を酷使し、状況判断した。(できるか?)彼は自問した。(否、やるのだ!)「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはエッジウォーカーのように破砕ガラスから飛び出し、上の窓枠を掴んだ!

「イヤーッ!」身体を折り曲げ、電車の屋根の上に跳び上がる!「イヤーッ!」ナムサン! エッジウォーカーはニンジャスレイヤーのこの行動を織り込んでいた。あらかじめ屋根上で身構えていた彼は、現れたニンジャスレイヤーの首をボトルネックカットチョップでアンブッシュする!「イヤーッ!」

 エッジウォーカーの逃走は二段階の計画だった。プロセス1、まず屋根の上で待機し、ニンジャスレイヤーが追ってくれば無防備状態に攻撃を仕掛け、殺す! プロセス2、そして適切な場所に差し掛かった時点で電車を捨てる! 追ってこなければプロセス1を省略し2に進むフローチャートである!

 非情なチョップは音速付近に至り、熱を帯びて、跳ね上がるニンジャスレイヤーに迫った。ニンジャスレイヤーの目が燃えた。「イヤーッ!」ギャリイイン! 異な音にエッジウォーカーは目を見開く。ニンジャスレイヤーは空中で体を丸めながらチョップを受け、反動を利用して高く跳んだ!「イヤーッ!」

 センコ花火めいた眼光軌跡が闇に刻まれた。「バカめ」エッジウォーカーは目を細めた。狭く低いトンネル空間で全力跳躍など命取り以外の何物でもない。この速度で天井部へ接触しようものならニンジャといえどネギトロめいて削られ、潰れるだけだ。故にこそエッジウォーカーは逃走を留まり……「何?」

「イイイイヤアアーッ!」ニンジャスレイヤーはネギトロとならなかった。エッジウォーカーは目を疑った。彼の網膜に、天井を逆さに走る赤黒の炎の姿が焼き付いた。跳躍し、天井を……それは一瞬の事だった。一瞬の事だったが……「バカな!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーが跳んだ! 電車へ!

「グワーッ!?」エッジウォーカーは隕石めいて叩きつけられた上からの跳び回し蹴りを受けてその首を120度回転させた。遅れて首から下のキリモミ回転が続いた。ニンジャスレイヤーは滑るように屋根に着地し、倒れ込む敵を睨む。天井に刻まれた炎の線はあっという間に後ろに消えた。

「グワーッ!」エッジウォーカーは屋根の淵までバウンドしながら、かろうじて受け身を取り、転落死を免れる。だがニンジャスレイヤーはその瞬間、すでにビーチフラッグ競技めいて、振り返りながらのロケットスタートを開始していた。カラテを構えようとするエッジウォーカーに、彼は襲い掛かった。

「イイイヤアーッ!」それはまるで怒り狂った獣だった。エッジウォーカーは何故己がこのような憤怒に晒されるのか不可解に感じた。ガードが間に合わない。ニンジャスレイヤーの右手がエッジウォーカーの胸を打った。彼は後ろへ吹き飛ばされ……なかった。右手は胸を貫き、そのまま彼を吊り上げた。

「アバッ…アバーッ!?」エッジウォーカーは血を吐いた。高速走行する電車の屋根の上で、ニンジャスレイヤーはエッジウォーカーの胸に右腕を上腕までうずめて持ち上げた。エッジウォーカーの背中からは貫いた右手の先が生え、摘出心臓を掴む。「サツガイという男を知っているな」「アバーッ!」

 ニンジャスレイヤーは左手でエッジウォーカーの頭を掴む。黒炎が注ぎ込まれ、瀕死のニンジャの目は熱で濁り、メンポ呼吸孔から煙が噴き出す。「すぐに死にたければ話せ。貴様の同胞ブラスハートは、サツガイに至る道を持っている筈」「そんな……アバーッ!」「ブラスハートはどこだ!」

「奴の居場所は……知らない……」ジゴクの炎に自我を焼かれ、エッジウォーカーは朦朧と、己の知る答えを垂れ流す。「だが奴らは連絡を取り合っていた……あの三人……ブラスハート……エゾテリスム……デシケイター……特にカラテやジツに長けたあいつらは……サツガイの秘密を……きっと……」

「デシケイター」ニンジャスレイヤーの目が光った。ゴウ……風が吹き抜け、電車はトンネルを抜け出た。なかば炭化したエッジウォーカーを、ニンジャスレイヤーは振り払った。「サヨナラ!」爆発四散! 世界が開け、レールは急角度で上に勾配する。頭上にはスモッグ。眼下にはネオサイタマの夜景。

 高低差の激しい歪なエリアを、たった一両の電車が走る。タマ・リバーを越える高架だ。川面には無限のネオンライトが映り込み、滲んでいた。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは後ろに飛び降り、レール上に着地した。乗客を満載した電車が走り去る。ニンジャスレイヤーは引きずられ始めた。何故に!

 ナムサン。水上スキーめいた姿勢で両脚を前に出し、足元から火花を噴き上げながら、ニンジャスレイヤーはレールの上を滑っていた。彼の腕からは燃える縄が一直線に伸び、尖端部の鉤爪で暴走車両の後部をがっきと噛んでいた。一つではない。右腕と左腕。それぞれから放たれた二つのフックロープだ!

 タカマバシ駅はタマ・リバーを渡った先、目と鼻の先。先行の電車が停止し、乗客の乗り降りの最中だ。ホームには異常事態が伝わり、なかば暴動状態となっている。ニンジャスレイヤーは体をねじり、速度に抵抗した。電車はミシミシと軋み音を発し始めた。赤黒の装束に縄めいた筋肉が盛り上がった。

 (((マスラダ……くだらぬぞ!))) ナラクが呪った。(((ニンジャに関係無し! いわんやサツガイをや!)))「黙れ」ニンジャスレイヤーははねつけた。「黙れ……黙れ!」見開かれた目から赤黒の炎が噴き出し、その背がブスブスと音を立てて爆ぜ始める!「イイイイ……イイイイヤアアーッ!」

 筋繊維が爆ぜ、血が噴き出し、その血が燃えて装束を再生し、不浄の力をなお与える。破滅的なサイクルを自ら引き起こしながら、ジゴクめいた男は叫び続けた。ゴギン……ゴギン……ゴギン……ゴギン。ゴギン。電車の速度が緩み始めた。ゴギン。ゴギン。ゴギン。電車が……止まった。

 サラリマン達が状況を知るには車内は混雑し過ぎていた。彼らはただ、確定的な死に向かって猛スピードで導かれつつあった事、何らかの要因でその結末から逃れたという事実を漠然と感じただけだ。車体を引っ張るフックロープが燃え落ち、高架からタマ・リバーにニンジャが落下した事も知らぬままに。

 赤黒のニンジャを呑み込むと、タマ・リバーの水面にはオンセンじみた煙が立ち上った。朦朧とした意識のまま、ニンジャスレイヤーは生暖かい水に抱かれた。


◆◆◆


 切り離された車両群は鉄道警備兵によって順次保護されたが、車内のサラリマン達の一定数はそれを待たず車外へ出、トンネルを伝って駅まで歩いたという。この体験を機にサラリパンクス化した者や、上司を殴ったり、カイシャに辞表を突き付けた者も現れた。鉄道会社の株価にも若干の影響が出た。 

 しかしそうした出来事も、日々のネオサイタマの混沌とした日常に呑み込まれる。破壊と再生の間を縫って、サラリマン達が日々、満員電車で行き来する。それがネオサイタマなのだ。そして、この日のニンジャの死闘を強く記憶する者も、当事者以外には存在せぬ事だろう。

 例外を除いては。

「イヤーッ!」カラテ・シャウトが風に乗り、タマ・リバーをゆく屋形船の瓦屋根上に着地したのは、白い髪と武骨なメンポが特徴的な、しなやかなニンジャである。その左目の上には<六門>のカンジとクロス・カタナを組み合わせた紋章があった。彼は船の付近の水面が泡立つさまをじっと見下ろした。

 やがて水面を破り、赤黒装束の腕が船縁を掴んだ。見るからに消耗しきった、半死半生の赤黒のニンジャが、咳き込みながら己の身体を引き上げるさまを、短い白髪のニンジャは冷徹に見つめていた。彼の名はガーランド。ソウカイ・シンジケート首領直属威力部門、「シックスゲイツ」のニンジャである。

「ゲホッ……ゲホッ……!」甲板上に転がり込み、川の水を吐きながら仰向けに倒れたニンジャスレイヤーは、己を凝視する影を見上げた。ガーランドの目が細まった。その背後のスモッグの空で、打ち上げられた広告花火が立て続けに破裂した。


【カロウシ・ノー・リモース】終わり

第10話に続く


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