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S5第1話【ステップス・オン・ザ・グリッチ】

🔰ニンジャスレイヤーとは?  ◇これまでのニンジャスレイヤー





 世界全土を電子ネットワークが覆いつくし、サイバネティック技術が普遍化した未来。宇宙植民など稚気じみた夢。人々はサイバースペースへと逃避し、重金属酸性雨のメガロシティに生きる。神殺しに沸くメガコーポ群は、割れた月へと手を伸ばす。……ここはネオサイタマ。欲望渦巻く電脳犯罪都市だ。

 国家は滅び、国境は失せ、傷ついた都市が文明の灯火となった。その輝きは暗黒メガコーポのパワーゲームの標的となり、新たな秩序の重みが市民にのしかかる。人々は知らぬ。街が邪悪なニンジャ組織に蝕まれていることを。

 そしてニンジャを殺す者……ニンジャスレイヤーがいることを……!






ニンジャスレイヤーAoM シーズン5






「不如帰」。

 キンギョ水槽の後ろの壁に配されたネオン・ショドーが、バチバチと音を立てて明滅した。部屋に飛び散った血の痕を、蛍光色の照明が不穏に照らす。戸口に佇む者の影法師が、喉を掻きむしるような姿勢で倒れた死体に被さった。死体の手には、新式の電磁銃が握られたままだ。

「バカな奴だ」影は嘲るように目を細めた。不穏な眼光。彼はフードを目深に被り、鼻と口をクロームのメンポ(面頬)で覆っている。――すなわち、ニンジャである。メンポの表面には電子基板じみた配線が走り、UNIXライトを波打たせていた。「無駄な抵抗を。小手先の玩具で、ニンジャを殺せると思うのか」

 部屋の隅には鋼鉄の金庫がある。ニンジャは無造作に金庫の扉を蹴り壊した。ブルズアイ。ぎっしり詰め込まれていたコーベイン(註:小判。黄金の平型インゴット)が溢れ出た。ニンジャは素早く屈み、それらを懐に回収した。「ニンジャ即ち自由。力は法にまさる。ゆえに弱者の財は好きにしてよいのだ」

 ナムサン。何たるブルタルな物言いか。だが、ある面において、このニンジャは真実を語っていると言ってよかった。2049年は力の時代。そしてこのネオサイタマは時代の刃の先端だ。力をほしいままにする者が、全てを決める権利を持つ。見よ。虚ろに目を見開く死体は、反論の機会を持たぬのだ。

 ニンジャはダッシュボードの上の写真立てを見た。安楽椅子の老いた女性の傍らに、微笑みを浮かべた中年の男が立つ。その死体の生前の姿だ。「フ……」ニンジャは鼻で嘲笑い、親指を弾いた。写真立てが粉々に砕け散った。彼は踵を返す。部屋を横切り、ベランダへ向かう。紫に染まったスモッグの夜空。

 安い。安い。実際安い……アカチャン、オッキクソダッテネ……ツヨシと、モーな田! 健康ドリンク・マン! 都市の喧騒、広告フレーズが、窓ガラスの裂け目から微かに届く。ニンジャはベランダから逃走をはかろうとし……凍りついた。そこには侵入時に存在しなかった影が立っていた。赤黒の影が。

「な」心臓が強く打ち、血流がニンジャアドレナリンを全身に送り込む。「に……?」ここは複合高層建築住宅の22階。なぜ。いかにして。答えは一つ。

 この者もまた、ニンジャ。

 上空を飛ぶマグロツェッペリンの光がベランダを撫で、赤黒の影がさやかになった。メンポには「忍」「殺」と刻まれていた。

 二者の視線が衝突した。KRAAAASH! 極度スローモーションの視界下、二者を隔てていた強化ガラスがたわみ、粉々に砕け、互いの間にキラキラと飛び散った。「ドーモ」赤黒のニンジャは合掌し、ジゴクめいた眼光を燃やした。そして、アイサツした。「ニンジャスレイヤーです」

「ニンジャ……スレイヤー……」ニンジャは呻いた。だがすぐにアイサツに応じ、己の名を名乗った。「ドーモ。ニンジャスレイヤー=サン。マローダーです」アイサツは神聖不可侵の掟。たとえ敵であろうとも、アイサツされれば応じねばならぬこと、古事記においても明記されし礼儀作法だ。

「お前も情報を得たクチか? 一足遅かったな。守銭奴は始末し、コーベインは俺のもの」マローダーは説明のつかぬ畏怖を押し殺し、勝ち誇る。「犯罪の優劣は、センスと速度、判断力で決まる。のろまめ。そこをどけ」「勘違いしているようだが」ニンジャスレイヤーは言った。「おれの目当ては貴様だ」

 ドクン。もう一度、心臓が強く打った。(目当ては……何だと?)略奪強盗殺人に明け暮れるマローダーを追って、わざわざこの高層階にエントリーしてきたと?「忍」「殺」のメンポ。ニンジャスレイヤー。ニンジャを……殺……「ほざけ! 殺されるのはお前だ! イヤーッ!」マローダーが仕掛けた!

 マローダーの両腕にカラテが集まり、指先から力が溢れ出す。それを放つ!「イヤッ! イヤーッ!」衝撃波が複数の刃となってニンジャスレイヤーを襲う!「イヤーッ!」だがニンジャスレイヤーは怯まなかった。投げ返したのは、スリケン! カラテと速度が虚空に生み出す、ニンジャの星型投擲武器だ!

 KRAACK! スリケンはマローダーのソニックカラテと衝突し、砕け散った。「トッタリ!」マローダーは勝機に目を血走らせる。指先から放つ彼のソニックカラテの連射力は凄まじいのだ!「イィーヤヤーッ!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはその場回転! マフラーめいた布が旋回し、速射を絡め取るように相殺! ニンジャスレイヤーの首元から黒い炎が走り、織り合わされて、弾け飛んだ布が見る間に再生してゆく!

 できる! 何者……! 高速思考するマローダーのニンジャ反射神経は、回転の中から生み出されるさらなるニンジャスレイヤーの攻撃を察知せしめた。彼は咄嗟の防御姿勢を取った。襲いくるのは大振りな殴打! 否! ニンジャスレイヤーはマローダーの頭を掴んだ! そして!「イイイイヤアアーッ!」投げ飛ばした! 窓の外へ!

「グワーッ!」一瞬後、マローダーはカタパルトめいて夜空に射出されていた。泥めいて鈍化した時間の中、マローダーは眼下にひしめく無限の輝きを見る。ネオサイタマ。貪婪、野望、速度の都市。そして上には月があった。二つに割れた月が。

「……グワーッ!」追撃が突き刺さった。飛び蹴りが。上空に投げ出されたマローダーを追って自らも飛んだニンジャスレイヤーの蹴りがマローダーの脇腹を捉えた。そしてその一瞬後、ニンジャスレイヤーはマローダーを対岸のビル側面に叩きつけていた。「……イイイイヤアアーッ!」そのまま……蹴り足でマローダーを押し付けたまま……落下した! ビル側面で、擦りおろす!「……グワアアーッ!?」

 血飛沫と摩擦熱が赤黒い炎を生む! マローダーは断末魔の叫びをあげながら、理不尽な運命の運び手を網膜に焼き付ける。他でもない、彼に対して向けられた、殺意に満ちた眼差しを。「何者……一体……お前は……」だが、答えは既に得ている。ニンジャスレイヤー。「サヨ、ナラ!」マローダーは爆発四散した!

 ニンジャスレイヤーはビル側面に燃焼の痕跡を刻みながら、徐々に落下速度を減じてゆく。そして地上、泥酔ノミカイ・サラリマンの集団が店を探し右往左往する街角に着地した時、彼は既に、赤黒の装束も、「忍」「殺」のメンポも見せていない。ニンジャスレイヤーは……マスラダ・カイは、雑踏に紛れた。



【ステップス・オン・ザ・グリッチ】



1


 "犯罪" が、ネオサイタマを侵食しつつある。

 その一つ一つは、ともすれば、ネオサイタマの日常茶飯事チャメシ・インシデントたる非道行為の数々と見分けがつかぬやも知れぬ。だが、フラクタル・マンダラめいて複雑に折り重なったそれら "犯罪" が、やがてタペストリーめいて織りなす、形ある影の姿……それはおそらく、新たな災厄である。

 路地裏、頭を抱え、苦しみ、痙攣し、やがて倒れる若者。単なる薬物オーバードーズであろうか。では、そこからしめやかに去る姿の正体は?

 隣の街区の闇ビルディング最上階で今、闇カネモチが己の頭を銃で撃ち抜く……資産残高ゼロを示すモニタに血と脳漿を散らしながら。その電子痕跡も消える。

  ノビドメ・シェードに目を向ければ、乗り付けた黒漆塗りのリムジンが、嫌がるオイラン、さらには通りがかった市民をも構わず車内に詰め込み、走り去る。

 道路に面したブティックは偽装であって、奥の部屋では狭いパーティションの中、電子接続された複数人が、プロキシ経由の国際詐欺の最中。

『皆さん! ポイント・オブ・ノーリターンです!』イサムラの目を覚まさせた高圧的な声の源は、つけっぱなしのTVのスピーカーだった。NSTVのパーソナリティがカメラに指を突きつけている。ボリューム感のある黒髪とゴルフ焼けした肌が特徴的な男、ミチグラ・キトミだ。『ネオサイタマが危ない!』

 柄の強いネクタイをしたミチグラが、芝居がかった仕草で指差す先、オイラン・アシスタントが図解フリップ・パネルに貼られたシールを、順を追って剥がしてゆく。「ネオサイタマ治安時計が、とうとう残り2分に」。悲劇的な状況であった。『これが意味する所、わかりますね。終わり寸前です』

 悲鳴めいたスタジオ観客の声を満足げに聴いてから、ミチグラはさらに語った。『治安時計は信頼のおける調査機関の独自アルゴリズムによって示されます。犯罪係数が上がり続け、これが一周すれば……BOMB。治安機構やユニバーサル・シティ法U.C.Lの対応限界を超え、経済も、市民生活も破滅します』

「参ったな」イサムラは頭を掻いた。カウチ・ポテトしながら、寝てしまっていたのだ。今日は午前からプレゼンだというのに。冷蔵庫からミルクを取り、トーフ・シリアルをそれで浸して、かき混ぜる。TVは次々に事件映像や自動車事故映像をモンタージュしている。

『視聴者の貴方を。大切な御家族を。こうした痛ましい事件の被害者にするわけにはいかない。私はいつもエマージェントな気持ちでおります』ミチグラが胸に手を当て、CMに切り替わる。『今なら半額! お宅の電話回線やUNIXに接続して国際犯罪を未然に遮断! スゴイテック社の民生ファイアウォール!』

 イサムラはトーフ・シリアルを食べ終え、TVを消した。熱いシャワーを浴び、無臭のクリームで髭を剃る。新型の高周波ブラシで歯を磨き、口角を上げると、鏡に写っているのは、見事に爽やかなアルカナム社サラリマンのバストショットだ。「こんな朝でも結局カッコいいんだよな、俺は」彼は微笑んだ。

 睡眠の質はイマイチだったが、時間には充分に余裕がある。彼は若く、腕時計が示すビタミン・バランスも理想的だ。スチーム・クローゼットで処理されたスーツに着替え、7階から地下駐車場へ。エレベーターに同乗してきた隣人とは無言でオジギをかわす。奥ゆかしいゼンの瞬間だ。

「今日も爽快だなあ」バンザイ・モーターズ社のSUVで、見晴らしの良いカチグミ・ハイウェイを走り抜ける。快適なショー・リードのBGMとゼン・ブレンド・ハーブの香りが、彼のニューロンを癒す。地平線の彼方にフジサンが見えれば、彼の心はいつも、1月1日の曙光を浴びたかのような清々しさだ。

 SUVのタイヤの下、ハイウェイのコンクリートの下、多層構造高架下のスラム街では、オムラ・エンパイアの機動警察法人、ロクハラによる強制立ち退きオペが行われている。四脚歩行兵器モーターマンモスと機械化重装歩兵が先導する問答無用のスラム整地行進は、黄色に黒のオムラ雷神幟旗が無数に掲げられ、参勤交代を思わせる荘厳さだ。

 ロクハラは、さきの「植物禍」天変地異のゴタゴタに乗じて進出してきた新進気鋭の警察法人である。KATANA治安部隊ではカバーしきれない街の治安を担うと標榜し、一気に勢力を拡大。KOL社のKATANAはバイク・トルーパー。一方、オムラは武者鎧にマンモス。両者は犬猿の仲であり……等しく市民に高圧的だ。

 もっとも、輝かしいカチグミ・サラリマンたるイサムラにとってみれば、バイクでもマンモスでも、どちらでも構わぬ事だ。スラムの立ち退きオペなど震動ひとつも伝わらない。彼は車内で午前のプレゼンの内容を復唱しながら、スムースに進行するカチグミ・ハイウェイの快適さに浸る。

 空にはマグロツェッペリンが飛び交い、オイランドロイド・アイドルグループNNK-256のPVを映し出す。ツェッペリンの一機がジェット・パンクス集団に襲撃され、爆発炎上。やむを得ない迎撃砲が地上へと着弾。その砲弾は何故か、オムラのスラム整地部隊へとピンポイントで命中し、大爆発を引き起こす。

『付近で大爆発しています。危険はありません。進行してください』車載高度セキュリティシステムが念のためのアラートを発した。イサムラはバックミラーで着弾地点を垣間見ようとしたが、残念ながら、角度的に無理なようだ。「残念だな」イサムラは呟いた。カチグミ・ハイウェイは安全、渋滞もない。

『インガオホーはどこにある? それらの背後には何が隠されている? オムラのネオサイタマ進出を快く思わぬ企業群か? 全ては暗黒メガコーポ同士の何重にも偽装されたパワーゲームか? あるいは超音速でサイバースペースを飛び回るというテンサイ級ハッカーたちの差し金か? ブッダの気まぐれか?』

 このタイミングで、ハッカーカルトの電波混線だ。グリッチ・ノイズがウインドウを汚し、イサムラは閉口した。朝の治安時計の話がフラッシュバックする。どこもかしこも、犯罪にまつわるくだらない陰謀論やブルシットばかりだ。

「全く。犯罪なんて確率の問題、数字のマジックだろう。巻き込まれるようなポジションに居続けたマケグミの自業自得だっていうわけさ……」イサムラは呟いた。危険な場所にいるから、犯罪や違法行為に巻き込まれる。カチグミ・ルートに乗っていないからそうなるのだ。彼はそう信じていた。

 やがてイサムラはハイウェイを降り、ベルトコンベア・パーキングに駐車して、意気揚々とカイシャ敷地に入ってゆく。

 然り。彼の前途は洋々だった。カイシャ、仕事、未来。彼にはそう思えていた……この時はまだ。イサムラは、己にふりかかる凶運が虎視眈々と爪を研いでいる事に気づきようもなかった。そして当然、そこから1ブロック離れたビルの屋上に、腕組み姿勢で彼を見下ろすニンジャの姿がある事にも……!


2


「アリーとタケオはミーティングの合間にコーヒーブレイクの時間を取ります。その時、タケオがアリーに、自分の取引先企業A社がB社との企業合併の同意に至り、来週にはプレスリリースがあるだろう、と話し始めます。そして、今日のうちにA社の株を買う事を勧めます。この会話は問題がありますか?」

□ ある
□ ない

「シンジはスゴイタカイビル内の出向オフィスに勤めています。彼はある日、喫煙室に立ち寄った際、同じフロアに事務所があるスタートアップCEOのカミザマ=サンと世間話をし、彼の会社が明日午後に新製品を公にする事を知りました。カミザマ=サンは上場企業C社との繋がりが深いです」

□ 詳しく訊く
□ そっとその場を離れる

「ウーン。そんな事言われてもなあ」イサムラは欠伸を噛み殺し、眉間を揉んだ。「まあ、詳しい情報を入れてしまうと、後々なにかあって色々疑われたときに危ないッて事だよね? そっとその場を離れます、と……」回答を選択する。「最初のやつはわかりやすかったけどな」

「何だい、インサイダー取引に関するコンプライアンス研修、まだだったのか? イサムラ=サン」オフィスに戻ってきた同僚のキャノウ=サンがイサムラに話しかけた。イサムラは肩をすくめた。「今日が提出期限らしいから」「後回しにすると面倒だろ?」「そう、今まさに面倒だよ」二人は笑いあった。

「こんな事、実際あると思うか? そうホイホイ美味しい情報なんかもらえるのかね」「全くだよな。これを回答する時間を業務に回せば、プレゼン資料をもう少し気の利いたものにできるかも」「ははは、そう来たか……」「オホン」マネージャーのハミル=サンが咳払いしたので、二人は離れた。

 アルカナム・コンプレックス。北米大陸東海岸ワシントンおよびノーフォーク周辺に、本社要塞と拠点都市を持つ暗黒メガコーポであり、北米の企業同盟「UCA」の一員である。UCAは先日までニンジャキングの圧政国家「ネザーキョウ」と交戦状態にあった為、ネオサイタマ支社は申し訳程度のものだった。

 ネザーキョウが滅び、地政学リスクが後退した今、UCA諸企業はネオサイタマでのビジネスに本腰を入れようとしている。イサムラはその流れで雇用された。実際彼はネオサイタマ育ちの人間だから、北米本社には現実味を感じない。本社研修があれば、例のスタイリッシュ社屋の前で是非とも自撮りしたい。

 様々な物思いをしながら、イサムラはコンプライアンス問題への回答を終えた。『オツカレサマドスエ。1時間のリフレッシュメントが取得可能です』UNIXからマイコ音声が発せられた。よく働き、よく休む。脳を効率よく役立てるには、1時間勤務ののち1時間休憩というサイクルが推奨されるのだ。

「さあて、今日もリフレッシュしていくかな」イサムラは意気揚々と椅子を立った。オフィスの出入り口に置かれたコブチャ・サーバーのボタンを押す。通常の企業ならば社内に有料自販機があるところ、アルカナムは無料でコブチャが飲める福利厚生だ。彼は紙コップにコブチャを注ぎ、ソイ・ミルクを重ねた。

 コブチャを飲みながら、通路を進む。左手側はガラス張りになっていて、午前のネオサイタマ市街がよく見える。マグロツェッペリンが低空を飛行し、フジサンは今日もめでたい。彼はジャングルジムやダーツが用意されたプレイルームを横切り、「用心」と書かれたノレンをくぐった。ザゼン・ルームだ。

 イサムラはロッカールームでジュー・ウェア柔道着に着替え、タタミ敷きの部屋にエントリーした。フォー。ファオー。笙リードの音が鳴り響くなかで、彼は好ましいスペースに正座した。目の前には自分用のボンサイが用意されている。見事な枝ぶりのトショウ・ボンサイだ。これを、愛でる。

 鉢に植えられた植物のミニチュアじみたものには、小宇宙的な驚嘆すべきアトモスフィアが満ちているように思える。小さなハサミを使って葉を整え、角度を替えて確認する。素晴らしいリラグゼーションだ。「そこ、あいていますか? ドーモ」UCA本社から来たとおぼしき他部署の男が声をかけた。

 それなりのポストにありそうな恰幅のいい男が、着慣れない様子のジュー・ウェアの襟元を正す。イサムラと目が合うと、笑顔になる。「あいていますよ、ドーゾ」イサムラは快く応じた。会話はそれだけでいい。奥ゆかしく場所を譲り合い、無言。こういう場の振る舞いが出世に効いてくるものだ。

 ゼンが高まり、来し方行く末がニューロンに浮かんでは消える。自分はまさにカチグミ・サラリマンだ。イサムラは感慨深く思った。アルカナムは右肩上がりのカイシャだ。ネオサイタマでも、そのシックなプロダクトの数々は、強いブランドとして認知されている。憧れとステータスのアイテムだ。

 ――。

 ――「ホントにすごいよ、イサムラ=サン! アルカナムに就職するなんて。憧れとステータスのカイシャじゃないか」「一番出世したんじゃない? 羨望しちゃうな」「ん、ああ……?」イサムラは瞬きした。目まぐるしいオフィスの一日が過ぎ、今日の夜は高校の同窓会である。

「「カンパーイ!」」大ジョッキがぶつかりあい、ケモビールの白い泡がこぼれた。かつてのクラスメート達とイサムラは、回転式鉄板がベルト回転する鉄板焼き居酒屋を一次会の会場としていた。流れてくる鉄板焼きやお好み焼きは、好きに取って食べてよい。「そんな事ないって。所詮はUCA系だし、毎日大変さ……」

「またまた! そういう謙遜は要らないって。せっかくの同窓会なんだから」「タベタ=センセイもうすぐ着くってさ!」「懐かしい!」皆が沸いた。「アルカナムって、おやつとか飲み物、全部タダなの?」「ジャングルジムがあるって聞いたけど」「あるけど、仕事と関係ないよ」イサムラは苦笑した。

「おやつがタダだから良い会社ってワケじゃないさ。そうだろ? 毎日、企業の成長に貢献するために、イノベーションしないといけないんだ。それが大変」イサムラは言った。パーティションで区切られたオフィス。過酷な成果主義。研修。カチグミ企業生活は、ある日突然の解雇と背中合わせだ。

 1時間休憩を挟みながら、イサムラはニューロンをブーストさせて働き続ける。極度の緊張の中に置かれ、時間はあっという間に過ぎる。そして気がつけば同窓会……この後来るらしいタベタ=センセイの顔も、ぼんやりとしか思い出せない。あんなにお世話になったのに、時間は残酷だ。

「今、製品は何が売れてるの?」「秘密秘密。コンプライアンス」「コンプライアンス! スゴーイ!」皆が沸いた。いつの間にかイサムラが話題の中心だ。「アルカナム株を買おうと思うんだけど、今、買い時ですか?」「教えられないよ。コン……」「コンプライアンス!」皆が喜んだ。

「ちょっとノれてないでしょ、イサムラ=サン」マミコが隣に座り、小声で咎めた。「疲れてる?」「全然だよ」マミコは当時、隣同士の家に住んでいた。正直、憧れだったが、そういう関係にはならなかった。そして今……マミコは当時よりずっと綺麗になった……。「私も、ちょっと酔っちゃったかも」

「エッ」イサムラは息を呑んだ。タベタ=センセイが到着し、皆が初老の紳士を囲む。だがマミコはイサムラの隣に居た。「酔っ払って忘れちゃう前に連絡先交換、しよ」マミコが端末を差し出す。イサムラは咳払いし、力強く頷いた。「勿論、勿論だよ」恋の予感。背後のベルトコンベアを焼肉が流れた。

「皆! イサムラ=サンとマミコ=サンが、いい感じです!」「コンプライアンスだぞ!」かなり酔った同級生が二人を見咎め、囃し立てた。「やめろって」イサムラは苦笑した。やがて宴もたけなわ、会は平和に終わり、イサムラはマミコと別れた。「絶対、来週ね」「わ、わかった」手を合わせる。

 おぼつかない足取りで会を後にし、転がるように乗り込んだのは、近くの駐車場に停めた愛車、バンザイ・モータースのSUVだ。後部シートに倒れ込むと、ダッシュボードに液晶パネルが点灯。『おつかれですか、イサムラ=サン』自動運転システムのAIの顔がワイヤフレーム描画された。

「家まで頼むよ」『勿論です。安全な帰路をお約束します。シートベルトを、しめてくださいね』「OK、OK……たのんだよ」シートベルトをしめ、深くもたれる。携帯端末には、マミコからのIRCメッセージが着信している。『今日は楽しかったね!』「フフッ……」イサムラは微笑み、絵文字を送信した。SUVが快適に発進した。

 路上でティッシュを配るサイバーボーイ、ドラム缶の焚き火で暖をとる者たち、アクリル壁の喫煙所にスシ詰めになった喫煙サラリマンたち、立ち飲み屋台で酩酊するサイバネティクス労働者たちが、自動運転するイサムラのSUVを目で追う。流れるネオン。まるでオヒガンの対岸じみて現実感がない。

「現実ってのは、そうだな……」イサムラは欠伸をして、にやにや笑う。「現実は……アッパーで……現実感がない。ははは。それがカチグミ・サラリマンって事なんだろうな……」ラジオ局は再び犯罪のニュースを流す。今はその種のエンターテインメントの気分ではない。音楽チャンネルに切り替える。

『毎日……毎日……十人十色……』ノスタルジックな電子音に乗せて、漠然とした歌詞が流れる。SUVはマンションの地下駐車場に入り込む。あっという間だ。カチグミ・ハイウェイは渋滞知らず。「もう少し寝ていても良かったのに。カチグミはつらいな」イサムラは頭を振って眠気を払い、車外に降りた。

 普段のイサムラならば、駐車場の一角にしめやかに駐車された、ものものしい装甲車輌に気づいただろうか。あるいは、やはりぼんやりと、気づかず看過してしまっただろうか。読者諸氏はどうお考えだろうか? 否……数分後に起こった出来事が、その手の問いを無意味にする。イサムラは7階に上がり、自室に帰宅。

「酒臭いな? お前」

「えっ?」後ろ手に玄関ドアを閉めたイサムラは、視線の先、リビングに立つ人影を見咎めた。「ここまで臭うぞ」彼女は鼻を不快げにひくつかせた。金髪のマレットヘア、サングラス、肩パッドの厚いジャケットが特徴的だった。「えっ……?」イサムラの血の気が引いた。

 次の瞬間、イサムラの両腕は、左右両脇に立つ屈強な男二名によって確保された。ナムサン。室内、玄関ドアの両脇に、微動だにせず待機していたのだ。「なっ、何を!? やめてくれ! 僕はアルカナムの社員だぞ!」「ザッケンナコラー!」「スッゾオラー!」二人は厳しく威圧! クローンヤクザだ!

 恐怖のなかでイサムラのニューロンが加速する。クローンヤクザ……という事は、彼らは単なる押し込み強盗やサイコパス殺人鬼ではありえない! クローンヤクザを使う者、即ち、ヤクザ、あるいは暗黒メガコーポである!「君がアルカナム社員。そンな事は当然知っている」女は懐に手を入れた。すわ、銃!

 だが、彼女が取り出したのは銃ではなく、もっと恐ろしいものだった。クローム補強された黒革の手帳には、彼女の正面写真と、「アルカナム社専属尋問官:ルシンダ・キョウコ」という威圧的プロフィールが書かれていた。「私もアルカナムの社員だからな、イサムラ・コーゴ=サン」「アイエエエ!?」

「ザッケンナコラー!」「スッゾオラー!」クローンヤクザに背中をドンと押され、つんのめる。前方のルシンダ尋問官は一人。このままどうにかして押しのけて……そしてベランダから逃れれば……一瞬よぎった考えは即座に捨てる。彼女の両手の鋼はグローブではない。サイバネティクスだ。

 次の瞬間、ルシンダはイサムラのネクタイを掴んでいた。彼女は荒っぽくネクタイを引っ張り、イサムラを犬めいて、彼自身の物件のリビングに引きずり込んだ。「アイエエエエ!」「黙るんだ、意味がない」ルシンダは腕先をイサムラの首に押し当て、壁に押しつけた。

「僕は何もしていません!」「虚偽の回答は君が考えているより危険な行為だぞ、イサムラ=サン」「本当に何もしていないんだ!」「虚偽の回答を行えば、アルカナム社の規定により処罰される」「絶対に何もしていません!」イサムラは涙を流す。ルシンダは懐から黒い棒を取り出す。殴る警棒? 否、ミニライトだ。

「誓って……捜査に全力で協力します。お願いします」「そうか」ルシンダはミニライトをイサムラの瞳孔にいきなり照射した。「アイエエエエ! 何ですか、そのライトは!?」「検査器具だ、気にするな。質問するのは私の役目だ。君はたった今、全力で協力すると言ったろう」「アイエエエエ!」

 ルシンダは照射を止めない。イサムラのサイバネアイが悲鳴めいて軋み音を発する。「今季のセールス情報を、外部に漏洩していたか?」「いいえ、していません」「不祥事情報を外部SNSなどに漏洩していたか?」「いいえ、していません」 「オペレイション・ムーンチャイルドについて、知っているか」

「いいえ! 知りません!」「では何故、社内UNIX端末から、この言葉に対して情報検索を行おうとしていた? 何故、ペーパールームの "O" と "M" の棚にアクセスした?」「え?」イサムラは息を呑んだ。情報検索? ペーパールーム?「そ、そんな事は一切していません! 絶対に!」

「……精査が必要だな」ルシンダは照射を止め、一歩離れた。当然、イサムラにはもはや、逃走をはかる意志も気力もなかった。「僕は……」その時、ピロピロペペー。携帯端末が音を鳴らした。ルシンダは顎を動かし、身振りで着信に出るよう促した。「モシモシ……?」『モシモシ! オレだよオレ! オレオレ!』

「……」イサムラの目から涙が溢れた。「……おじいちゃん……!」『そうだよ、コーゴ! お前、今日同窓会だったんだって? 元気でやっているか!』実家の祖父は当然、今のイサムラの状況など知りようもない。『お前、ちゃんと栄養取ってるかね?なんとかいうカイシャ、大変じゃないかね?』

「た……大変じゃ……ないよ……カチグミなんだから……」イサムラは泣きながら笑った。「ジャ、ジャングルジムがあってさ……おやつも食べ放題で、一時間働く度に一時間休憩があるんだよ」『本当かあ! そりゃたまげるな!』「カチグミ・ハイウェイを使える……渋滞しないんだ。毎日定時さ」

『また米を送ったから、ちゃんと食べろ。捨ててないよな。テレビでやってたぞ、今時のサラリマンはプロテインチップで栄養を済ませるッて。駄目だぞそういうのは、コーゴ!』「だ、大丈夫だよ……俺はカチグミだから、全部オーガニックだから……」『ならいい! 元気でやれよ!』「うん……!」

 通話は終わった。イサムラは震え、深呼吸した。「実家の……祖父です」「……」ルシンダは咳払いした。「ご家族のためにも、協力的な態度を取る事だ。車輌に来い」「……はい……」肩を落としたイサムラに手錠をかけ、玄関先に連行する。クローンヤクザ二名を連れ、部屋を去る。

(アイエエエ!?)外の通路、通りがかった隣人が、連行されるイサムラと、ものものしいクローンヤクザに、驚きの声をあげた。ルシンダは奥ゆかしく、だが有無を言わさぬオジギで応じ、そのままイサムラを連れて行った。

 ……30分が経過した。

 イサムラの玄関先に設置された防犯カメラは、何事もなかったかのように、静まり返った玄関を映し続けている。……その画角に、赤黒の影が入り込んだ。

 ニンジャスレイヤーはカメラの存在を即座に察知し、見上げた。ジゴクめいた眼差しが焼き付き、1秒後、映像は失われた。


3


「アイエエエエ!」薄暗い地下駐車場を引きずられたイサムラは、尻を蹴られるようにして、マッシヴな走行車輌の後部に叩き込まれた。「何もやっていないんです! 本当です!」「口頭による君の主張は問題ではない」ルシンダ尋問官は隣に乗り込む。向かい合わせの席に二人のクローンヤクザが座る。

 鼻詰まりのベヒモスじみた駆動音が車内に響き、装甲ビークルが走り出した。スロープを上り、夜のネオサイタマへ走り出す。「ど……何処へ向かうんですか」「社の施設だ」「なぜ、僕はこんな目に遭わされているんですか? これはユニバーサル・シティ法U.C.Lに反する扱いで……!」

「法だと?」ルシンダ尋問官の口角が動いた。「我が社の社内規約は、あらゆる都市法に優先する。そんな事ではコンプライアンス意識が思いやられるな、イサムラ=サン。情報漏洩の容疑が実際、真実味を帯びてきたか」「アイエエエエ……!」

 ビークルは早々にハイウェイに入った。安い。安い。実際安い。上空を飛ぶマグロツェッペリンの広告音声が、この移動牢獄の中にも微かに届く。ハイウェイの隔壁の向こうには夜のネオサイタマが広がる。毒々しくも美しい。なんと隔てられてしまった事だろう。数時間前は、イサムラもあの中でノミカイしていたというのに……。

「本当に僕は何も……アイエッ!?」イサムラは怯んだ。ルシンダ尋問官はイサムラを押さえると、車内UNIXのケーブルを引き出し、彼の首筋のLAN端子に接続した。ブフーン。ノイズが鳴り、小型車載モニタに【システム総じ緑な】のミンチョ文字が灯った。

「先に済ませておくとしよう」彼女は呟いた。画面にアルカナム社章が浮かび消え、01ノイズの中から居酒屋の光景が生じた。

(アルカナム株を買おうと思うんだけど、今、買い時ですか?)(教えられないよ。コン……)(コンプライアンス!)(ちょっとノれてないでしょ、イサムラ=サン)マミコが隣に座り、小声で咎めた。(疲れてる?)

 何故? どうして映像記憶が吸い出されている?「ア……ガ……ガ!」(ヤメテ!)イサムラは制止しようとするが、口も身体もうまく動かない。さらにはルシンダ尋問官は再び例のライトを網膜に照射する! サイバネ・アイがハレーションを起こす!「アバーッ!? ナニ……コレ……!」「マスターキーだ」

「ナニ……ソレ……」「知らんものか。末端社員はそういうものなのか? まあいい」ルシンダは少し考え、結局、説明した。「我が社の社員はサイバネ・アイを通じ、24時間、そのライフログを社内システムに共有している。有事においてはセキュリティを解放し、任意にログ解析を行う。このライトは鍵だ」

「ソンナ……コトッテ……」「プライバシーが欲しければ上級社員を目指す事だ。モチベーションが湧いたか? どのみち、今後の君が出世できるかどうかは……フッ」面白くもなさそうに、ルシンダは鼻を鳴らし、キーをタイプした。映像が巻き戻しと早送りを往復する。イサムラの個人的な視聴覚体験だ。

(酔っ払って忘れちゃう前に連絡先交換、しよ)マミコが端末を差し出す。イサムラは咳払いし、力強く頷いた。(勿論、勿論だよ)恋の予感。「"恋の予感" 。よかった事だな」ルシンダが淡々と呟いた。小窓にマミコの網膜クローズアップが映る。読み上げられる情報。「ヤシタ・マミコ。犯罪歴無しか……」

 ニューロン反応から、イサムラの漠然とした心の動きも解析され、さらには会話した相手の情報すらも何らかのデータベース参照されている。朦朧としながらイサムラは震えた。何たる容赦なき解析か。だがルシンダは「違うな」と言った。「この女はシロだ。情報漏洩の意志も確認できない……」

 ルシンダは時間を巻き戻す。解析に時間を要する。もう一度彼女は「マスターキー」を網膜に照射した。イサムラは痙攣した。そしてルシンダは確かめるように言った。「オペレイション・ムーンチャイルド」「……!」「オペレイション・ムーンチャイルド」「……!」「……陽性反応を確認した。深いな」

 ルシンダは嘆息した。「まったく面倒をかけさせる……洗い直しだ」ギュイイイイ! 脳が絞られ、引き伸ばされるような感覚がイサムラを襲った! イサムラは声にならない悲鳴をあげた。やがて視覚映像はタタミ敷きのザゼンルームに辿り着く。見事な枝ぶりのトショウ・ボンサイ。笙リードの音が不協和音となった。

「なん、がッ、なにコレ、さっきよりも……」イサムラは譫言を発し、激しく痙攣する。ルシンダは答えた。「死にはしない。心を強く持て。君の陽性反応を提出し、本社からの承認を得た。深く探る」「アババババーッ……!」

(そこ、あいていますか?ドーモ)UCA本社001001他部署の男0101。ジュー・ウェアの襟元を正す01001自分はまさにカチグミ・サラリマン10011アルカナムは右肩上がりの01001

「アババーッ!」01001「来た」ルシンダは身を乗り出した。モニタには、ザゼン状態で意識不明瞭であった筈のイサムラの視覚情報が、ノイズと共に映し出されていた。イサムラは朦朧状態で訝しんだ。

「記憶にすら残らぬ記憶か。だが妙だな……電子的なハッキングの痕跡を確認できない」「アガガガ、アバババッ……」痙攣しながら、イサムラはルシンダの言葉を反芻する。

 映像。ザゼン・ルーム。イサムラはゆっくりと010010立ち上がり、他部署の男を0101見る。男はイサムラ同様、ボンサイを見ながらゼン仮眠状態にある。

 男の着慣れないジュー・ウェアの懐が膨らんでいる。ゼンの境地を迎える瞬間においてすら手放さぬ重要文書だ。イサムラは手を動かし……抜き取った。マキモノを。その場でイサムラはマキモノの紐をほどき、開いた。ホロ文書が眼前に照射された。イサムラの焦点が凄まじい速度で文字の上を滑った。

 数秒。イサムラはホロ・マキモノを閉じ、他部署の男の懐に再び戻した。そして座り直し0100101001「アバーッ!」

 イサムラは仰け反り、目鼻から出血! ルシンダはケーブルをイサムラの首から引き抜き、ログ・オフさせた。「アバババーッ!」「蘇生させろ」「ハイヨロコンデー!」クローンヤクザAED!「グワーッ!」イサムラは意識を取り戻す!

 ルシンダはその様子をじっと見た。クローンヤクザは丁寧にAEDを元の位置に戻している。「安心しろ。車内尋問はここまでだ。これ以上は専用設備を用いて精査する必要がある」「ア、アイエエエ……?」「君は……平たく言うなら、"ラジコン" にされていた」

「一体……どういう……」「本社承認の元、スキャンレベルを一段階高め、脳を経由しない感覚情報の強制取得を行った。その結果、君がザゼン・ルームにおいて無意識状態でソーシャルハックを行った事を確認した。マキモノを盗み、内容を脳内に記憶したのだ」「覚えが……ありません……」

「ま、当然だな。操作されていたのだから」「そんな筈は……」「君がマークされたのは、君がこの一週間前、社内UNIX端末で不審な情報検索を試みた事をきっかけとしている。今季の公開前の決算情報が外部漏洩しかかる重大インシデントが発生した。実際、君がそれをやったのだ」「やっていません!」

「君の自覚は何の関係もない。必要に応じて確かめていく。奇妙なのは、電子的痕跡が無い事だ。だが、専用設備を用いれば、いわゆる超自然的手段のログも取れるだろう」ルシンダは忌まわしいマスターキーを消灯した。イサムラは絶望的に認識した。このジゴクは何度でも繰り返される。

 操作者の不正アクセスが何回、いつ行われたか、そして、いかなる手段が用いられたか。恐ろしい手段によって、脳が……脳が暴かれる! 繰り返し! 恐らくは、そのたびに、今と同様の破滅的苦痛を伴って!

「アイエエエ! ヤアアア! 嫌だァァ!」イサムラはカジバ・チカラを振り絞り、ルシンダを押しのけようとする!「ザッケンナコラー!」「グワーッ!」一瞬後、イサムラはクローンヤクザによって張り倒され、座席に押しつけられていた! ナムアミダブツ!

「ヤアアア! ヤーアアアー!」イサムラは赤ん坊めいて恥も外聞もなく泣き叫んだ! その時だ! 装甲車輌が激しく蛇行した!「何だと?」ルシンダが身構える!

 ナムサン! そのコンマ1秒後! 前方! 中央分離帯を破壊しながら、対向車線の黒々としたトレーラーが、アルカナム・ビークルが走る車線側に飛び出してきたのである! 武者兜めいたフロントグリルは、オムラの武装トレーラー「参勤交代WT」! 何らかのインシデントで、暴走横転しながら進入してきた!

 KA-BOOOM! トレーラーのエンジン部が爆発炎上するさまが、涙に霞むイサムラの視界に入った。衝突、衝撃……天地が裏返る。何秒の気絶。アスファルトに手をつき、イサムラは起き上がる。横転したビークルから、ルシンダが身を乗り出した。「これ……は……!」

「アイエエエ!」イサムラは走った! 何処へ? 何処かへ! ネオサイタマへ! 信じられない力が出た。イサムラはハイウェイの防護壁をよじ登り……落下した。一般道の脇の街路樹が、イサムラの身体を受け止めた。「グワーッ!」イサムラは枝を破壊しながら路上に落ちた。当然、ボロボロだった。「何?」「ヤバくね?」通行人が注目した。

「超ヤバ」「マジヤバイ」「ヤバイよね」「死?」「生きてるんじゃね?」アニメボーイや高校生、マケグミサラリマンが、立ち上がるイサムラを見る。イサムラは腕を荒っぽく振って威嚇した。「ち、近づくな! 俺はアルカナムマンだぞ! 愛社してるンだよ! どけ!」「アイエエエ!」押しのけ、走る!

「十人十色! 十人十色!」音声を発しながら8の字を描いて路側を走り回る広告ドロイドを蹴り倒し、「夢と人」「さとし」「愛OK」「電話王子様」などのネオン看板が林立する路地を横切る。「ザッケンナコラー!」配達バイクが転倒しそうになり、イサムラを罵る。イサムラは更に深い路地へ。

 ネオン看板の群れすらも既に背後に遠く、配管パイプが蒸気を噴き、太ったネズミが驚いて逃げ走る。イサムラは涙を拳で拭い、もつれる足で走った。ピィー……ピィールルルル……。そんな彼を導くように聴こえてくるのは、場違いなフルートの音だった。ポォー……ヒヨォー……ピブン、ピブン。音が近い。

「助けて!」イサムラは救いを求め、音の方向、狭い雑居ビル谷間じみた場所へ入り込んだ。そして我に返った。……フルートの音と、自分を助けてもらえる可能性には、なんの関係もない事に気づいた。気づいたとき、道は袋小路で、眼前、突き当りのダストボックスの上に、笛吹きがアグラしていた。

「よく来たね」不可思議な存在は笛を止め、光る目を向けた。イサムラは息を呑んだ。その者は穴の空いたメンポ面頬を装着し、不気味な装束を着ている。ニンジャなのだ!「ドーモ。イサムラ=サン。パイドパイパーです」「アイエエエ! ニンジャ! ニンジャナンデ!?」イサムラは悲鳴をあげた!

 而して、その直後!「動くな! 動けば撃つ!」イサムラの背後、追いついてきたルシンダ尋問官が電磁銃を構えた。「殺しはしない! 大人しくするんだ。イサムラ=サン、君のキャリアが終わったわけではないのだぞ!」「ザッケンナコラー!」「スッゾオラー!」彼女の両横に、クローンヤクザが並んだ!

「ル、ルシンダ=サン……」イサムラは振り返った。「俺は何も……」「まずは落ち着け」ルシンダは呼吸を整え、言った。「君の悪意ある行動でない以上、一定……の……」彼女の首が、斜めにズレた。一秒後、アスファルトに落下した。パイドパイパーが顎を掻いた。「もういいだろ、お前。邪魔だ」

「え」イサムラは瞬きした。続いて二名のクローンヤクザの首が、斜めにズレた。一秒後、アスファルトに落下した。首から上を失った三名が、しめやかに倒れ込んだ。尋問官一行の、最期であった。

「アイエエエ……?」イサムラは慄き、パイドパイパーを見た。ニンジャは手に笛を持っていた。指揮棒めいて、それを真っ直ぐに向けていた。それを使って……如何にしてか……切断したのだ。

「重サイバネ如きで、己を強者と過信する……暗黒メガコーポのカスときたら、組織の力を己の力と見誤る! 非ニンジャのクズの分際で、笑える!」パイドパイパーは目を細め、勝ち誇った。「そう思うだろう? イサムラ=サン!」「アイエエエエ! ニンジャ! ニンジャナンデ!」イサムラは再度、悲鳴をあげた!

「イヤーッ!」パイドパイパーは垂直回転ジャンプし、ダストボックスの上に直立した。「イサムラ=サン。お前はこの一週間、俺のギニョル・ジツの導きを受けて、実によく働いてくれた。思い上がった先端企業の鼻を明かす我が試み、実際痛快だったぞ、ハハハハ!」「アイエエエエ!?」

 イサムラは恐怖した。恐怖は苦痛に変わった。「アバーッ!」彼は再び目鼻から出血し、頭を押さえ、膝をついた。目の前にいるニンジャは、たしかにイサムラと精神的な繋がりを確立している。催眠状態の彼が体験した記憶がフィードバックし、先程強制的に引き出されたビジョンが混線する。

 ザゼン・ルームの出来事の記憶と重なり合うように……ネオサイタマの空が視界に広がった。そこは、アルカナム社屋の屋上であった。イサムラは理解した。これはパイドパイパーの記憶だ。パイドパイパーは社屋の上でマイを舞うように身体を動かし、垂直直下、社屋内のイサムラの身体を操作していた!

 ”この一週間” とパイドパイパーは言った。その期間中、パイドパイパーはイサムラがザゼン休憩を取るタイミング、あるいは、もっと些細な瞬間を狙って、たびたび屋上に侵入し、ニューロンを乗っ取るようにして犯罪行為の片棒を担がせていたというのか!? アルカナムの電子防備の及ばぬニンジャの力によって!?

「ンンーッ、精神のリンケージというのは実に面白い。俺が見たものを、お前も垣間見たか? 然り、俺のギニョル・ジツの超自然力の前には、物理学的な電子科学セキュリティなど一切が無意味。縦軸を確保し、以て、操作する。シンプルだ。如何なるテックを用いることもない。これがジツの力……ニンジャの力だ!」

 パイドパイパーは笛をかざした。笛の先端部から圧縮された力の渦がレーザービームめいて迸り、弄ぶように、イサムラの足元を円状にえぐってみせた。「さあ、そしてニンジャの完全犯罪の仕上げは、お前の死を以て完成する。所望するのはお前のサイバネ・アイに紐づいた情報だ。回収させてもらうぞ」

 イサムラは言葉にならぬ呻きを発す。パイドパイパー。意味の分からぬ存在だった。屋上で……「ジツ」を用い……操作する? それによって、自分の人生をズタズタに破壊し、ルシンダ尋問官を殺した? こんなに、簡単に?「……ニンジャ、ナンデ?」急性ニンジャリアリティショック症状が彼を襲った。

「ニンジャ! ニンジャアイエエエ!」頭を抱え、イサムラはアスファルトをのたうち回る。パイドパイパーは笑った。「何故って、それが運命というものだ。ニンジャ即ち運命。理不尽なものだ。モータルよ、ニンジャを受け入れるが良い!」

 ……その数十メートル上、雑居ビルの上に、赤黒の影が差した。

 パイドパイパーはニンジャ第六感で気配を察知し、遥か上を振り仰いだ。割れた月が、赤黒の影のメンポを照らす。「忍」「殺」の漢字を。「貴様が理不尽な運命というわけか」赤黒の影は、低く、だがよく通る声を放った。他でもない、パイドパイパーに向けて。「……ならば、貴様を殺すおれは何だ」

「お前は! お前は何だ!?」パイドパイパーは血走った目を燃やし、叫んだ。「俺を見下ろすな! イヤーッ!」笛を構え、力を開放する! 渦巻くエネルギーが、谷間を形成する雑居ビル側面を刳り、削りながら、赤黒の影を目掛けた! だが!「Wasshoi!」影はジゴクめいた眼光軌跡とともに、跳んだ!

 赤黒の影は稲妻めいてジグザグにビル側面をトライアングル・リープしながら降下!放たれた力の渦をかいくぐり、一秒も経たず着地していた……邪悪なるニンジャの眼前に! そして、アイサツしたのである!「ドーモ。パイドパイパー=サン。ニンジャスレイヤーです」


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