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【ストレンジャー・ストレンジャー・ザン・フィクション】

この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードの加筆修正版は、上記リンクから購入できる物理書籍/電子書籍「ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上3」で読むことができます。

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ストレンジャー・ストレンジャー・ザン・フィクション


1

 コメダ・ストリートを女一人が出歩くのはなかなかにタフだ。ましてそこに住むとなれば、危険のほどは言うまでもなかろう。しかしながらアガタ・マリアはどうにかこうにか、安アパート「エトワール・コメダ」で三年目の賃貸契約の更新を行うに至った。

 ネオサイタマにおいて、企業体に属さず親族との繋がりも無いアガタのような人間がまともな部屋を借りる事は不可能である。彼女の前に立ち塞がるのは「保証人制度」という強固極まりない相互管理システムだ。

 賃貸契約を結ぶためには、誰かしら、堅実な生活基盤を持つ人間が身内にいなければならない。今のアガタには頼るべき家族は無く、サラリマンIDのバーコード刺青も無い。フリーランスのアガタがどれだけカネモチであろうと、選択肢はこのコメダ界隈のような、胡乱な地域におのずと限られてしまうのだ。

 アガタはたすき掛けにしたショッピング・バッグを両手でしっかりと抱え、夜を迎えようとするコメダ・ストリートをうつむき加減に小走りで歩く。

 半開きのゴミ箱からよく太ったネズミが飛び出し、道路の反対側の排水溝に潜り込む。頭を上げると、建物から建物へ渡されたタコ糸にステテコやカッポーが干され、その隣にとまった数羽のバイオカラスがキョロキョロとエサを伺っている。

 アガタはカラスにバッグの中身を感づかれないよう気をつけながら、アパート焼け跡の横を通り過ぎる。その建物は先週に全焼し、放置されている。住人が違法にワライタケを栽培しており、マッポによる手入れの際に証拠隠滅をはかって建物ごと燃やしてしまったのだ。

 逮捕された住人の罪は数十倍になったが、コメダ・ストリートの価値観とはそういうものだ。後先考えないのである。

 アガタは37才であるが、幾重にも防塵カーディガンや防重金属酸性雨コートを重ね着し、貧相な老婆のシルエットを工夫して作っている。そうでもしないと、例えば……今まさに焼け跡の陰からじっとアガタを見つめている性犯罪サイコの餌食になってしまうだろう。

「安普請と?」とポップ体で書かれたネオン看板の店を通り過ぎると、ようやくエトワール・コメダにたどり着く。入り口付近で獣のようにじゃれあっている子供たちを油断無く睨みつけながら、アガタは素早くアパート内に入る。アコーディオンドアのエレベーターを操作し、八階へ。

 エレベーターの上昇の中で、アガタはほっと胸を撫で下ろす。今日はサバマートのタイムサービスで想像以上の収穫があった。危険を犯してこの時間に遠出した甲斐があったというものだ。コメダ地域には宅配スシもなかなか近づかない。買い置きの食料は生命線である。

「八階につきました」ディストートした合成音声が告げ、アコーディオンドアが開いた。アガタの部屋は807号室である。「……!」自分の部屋の扉の前に立つ人影に気づき、アガタは緊張した。すでに日は暮れ、壁に設置された小型ボンボリの蛍光ライトが、男の長身を黄緑色に照らしている。

 アガタは離れた位置で少し様子を見ようと考えたが、男がアガタに気づいてしまった。男は無言でアガタを見つめた。ハンチング帽を目深にかぶり、バッファロー革のトレンチコートを着ている。

「あのう……私に何か」アガタは恐る恐る聞いた。右手をコートのポケットに入れ、護身用スタン・ジュッテを探る。男はしばらく沈黙していた。蛍光ボンボリに蛾がたかり、音を立ててはぜる。

 と、男は素早くオジギし、「ドーモ。807号室の方ですか」その手に持った厚みのある封筒を掲げて見せる。「あなた宛の郵便物が誤配されていましたので。808号室のイチロー・モリタです。先週に入居しました」

「あら、ドーモ、はじめましてイチロー=サン。アガタ・マリアです」アガタはオジギを返し、封筒を受け取った。「これは失礼しましたわ、私ったら。ありがとうございます」「……いえ、私が留守がちなものですから。今までアイサツできず」お互いに謝罪する。奥ゆかしい!

「では、オタッシャデ!」男は再度素早くオジギしたのち、808号室の軋む金属扉を開けて自室に退散した。アガタはほっと一息ついた。恐ろしいサイコやヨタモノの類では無さそうだ。去り際、廊下に鉄サビのような匂いが一瞬漂ったが、アガタは気に留めなかった。

 807号室のドアを開け、ブーツを雑に脱ぎ捨てて、アガタは狭苦しい住処へ帰還した。台所と茶の間しかない。茶の間が作業場である。台所のカゴに買い物袋の成型ジャガイモを移し替える。これだけあればしばらく芋モチには困らない。アガタは機械的な手つきでリモコンを操作し、テレビの電源を入れた。

「ラッシング重点!ハントでポン!」「ワー!スゴーイ!」司会者のタイトル・コールに合成音声の合いの手が被さる。アガタはそれを横目で見ながら、鉄瓶を電気コンロにかけ、湯を沸かす。冷蔵庫には締め切りスケジュールをメモした紙が複数貼られている。

「ほらほら、あんまり持ってると、重くなりすぎてしまいますよ?」「困ります!アー!持てなくなります!」「さあ、あと12秒だ!」……ハハハ、とアガタは乾いた笑いをテレビに投げかける。重ね着していた上着を押し入れのクローゼットに押し込み、沸いた鉄瓶の湯でクズユを作る。

 封筒を開けると、オイランがテンプラをかじるどぎつい表紙の本である。「ネオサイタマ・アンリアル・ビストロガイド」の献本だった。この本のコラムの挿絵をアガタが描いたのだ。「ふうん、ようやく出たんだ」アガタは呟いた。ギャラの支払いまでに半年以上待たされたが、そこそこ楽しかった仕事だ。

「ハイ!それはきっと、大根工場でしょう!」「きっとはいけません、カワノ=サン。憶測はダメですよ!」「えーと、じゃあ、大根工場!」「アタリ!」「ワー!スゴーイ!」……ハハハ、とアガタは乾いた笑いを口に出し、クズユを飲んだ。

 窓の外、下のストリートで衝突音が轟き、悲鳴が届く。「アイエエエエ!」おおかた、三輪バイクがゴミに足をとられて転倒するなりしたのだろう。コメダではチャメシ・インシデントだ。アガタはテレビをぼんやり眺めたまま、窓から顔を出して確かめることもしない。

 転居したての頃はそれこそ毎日ひどくショックを受けていたものだが、実際慣れるものだ。毎日振るわれる恫喝と暴力、強要に比べれば、治安などたいした悩みではないという事に数週間で思い至ったのである。

「……アー、イケナイ」アガタはひとり呟いた。テレビのボリュームを上げ、記憶イメージの連想を締め出そうと勤める。つばを吐き散らし怒鳴る口…タンクトップと筋肉質な肩…「オイチョコ・カルタチョコ新発売!」「ネコさん歩いてきます!」増幅されたコマーシャルの音声に集中するのだ、もっと……。

 そのとき玄関ブザーが鳴った。アガタはテレビの音量を下げ、戸口へ向かう。ブザーが鳴り続ける。この時間になんだろう?郵便の再配達?いや、それならついさっき、隣の人から受け取った。ええと、モリタ=サンだったか。別の配達業者?セールス訪問?

 アガタは覗き穴から覗いた。作業帽をかぶった男だ。やはり配達業者?「ハイ、なんでしょうか」ドア越しにアガタは問いかける。「お届けものです」もぐもぐと不明瞭な声音が返る。「何の届け物です?」「さあ、ちょっと大きいですね、あの、早く届けたいんです、ノルマが……」作業帽の男が訴える。

 アガタはため息をつき、ドアノブに手をかけた。疲れていたのが判断を鈍らせたのかもしれない。それとも、何かの避けがたい巡り合わせだったのかもしれない。先程の唐突なフラッシュバックも、なにかの報せだったのかもしれない。……この二分後、アガタは、そんなとりとめのない後悔をする事になる。



2

「ハイハイ、ドーモ……」アガタはドアを引き開けた。「ドーモ!」途端に、差し込まれる毛むくじゃらの腕!「待たせやがって!!!とっとと開けろよ、マリアァァァ!」「アイエエエエ!」

室内に押し入るなり、男は空っぽのダンボール箱をアガタに投げつけた。そして作業帽も。酷薄な三白眼と薄い唇が露わになる。ナムアミダブツ!アガタはこの男を知っている!「ダイゴ=サン!?どうしてここが……」

「テメェ、表札の名前がどうしてゴトーじゃなくてアガタなんだ!?探させやがってどういうつもりだぁ!」「ア、アイエエエ……」ダイゴは後ろ手にドアのカギをかけ、アガタの肩をどやすと、土足でズカズカと入り込む!

「や、やめてよ!」抵抗するアガタの頬を、ダイゴはいきなり拳で殴りつけた。「ザッケンナコラー!」滑らかなヤクザ・スラングだ。コワイ!「アイエエエエ!」アガタは床にくずおれた。口の中が切れ、血の味が広がる。ダイゴは作業着を乱雑に脱ぎ捨てた。タンクトップと屈強な肩の筋肉が現れる。

「そういうワケだからな、マリアァァァ!今から俺はここに住むんだから、丁重にもてなせよ?さっさとサケとスシをデリバリーしろ」「アイエエエ……」「ザッケンナコラー!返事は『ハイ』だろうがぁ!」ダイゴは籠の成形ジャガイモをぶちまけ、手近のチャワンを窓ガラスに投げつけ、叩き割った。

 アガタが震えていると、ダイゴは今度は目に涙をため、涙声になる、「お、おれはお前がいなきゃ、ダメなんだよ、どうしてあんな……帰ったら、お前がいなくて、部屋が……畜生、畜生……さびしかった……よかった、見つかって……」毛むくじゃらの腕で目をゴシゴシやりながら、号泣する。

 アガタは恐ろしいダイゴの号泣を見て、胸の奥が苦しくなる。不思議と憐れみの気持ちが湧いてくるのだ。だがそれは危険な条件反射、偽りの共感にすぎない。この偽りの共感が、かつてのアガタを縛り続けたのだ。アガタは自分の感情に抗おうとした。


◆◆◆

 808号室。

 茶の間の調度はチャブ台と写真立て、ノートPC、ジャンク屋から手配したファイアーウォール装置のみである。生活の匂いが微塵も無い、実にサップーケイな室内であった。それはフジキド・ケンジのサツバツとした心情風景の反映でもあろうか。

 自らの手で負傷の応急処置を済ませ、鎮痛剤のアンプルを注射し終えたニンジャスレイヤーことフジキドは、壁に「平常心」とショドーされた半紙を貼り付け、アグラ・メディテーションの姿勢を取っていた。

 肋骨に受けたダメージは、二人目のニンジャのアンブッシュ攻撃だ。ブラックバードと名乗ったそのニンジャは、攻撃を成功させてから、わずか15秒しか生きられなかったのであるが……。

 目当てのものは既にナンシーへ送信してある。いずれ解析の結果が届くだろう。明日か。明後日か。そのときをラオモトの命日とする。今は一切の無駄な動きを廃し、体細胞を一つでも多く回復する事だ。

 フジキドは己の中の邪悪なニンジャソウルの意思力を常に知覚している。かつてはそのニンジャソウルの為すがままであった。ドラゴン・ゲンドーソー=センセイのファイナル・インストラクションを経たフジキドは、徐々に、ニンジャソウルの力を引き出し己のコントロール下に置く術を身につけていった。

 それはしかし不安と不快を伴う成長であった。正体不明の邪悪なニンジャソウルを己の支配下に置くほどに、フジキドは人から離れ、ニンジャスレイヤーという別個の生き物になりつつあるのかもしれない。獣に堕すれば復讐ならず。高潔な精神を保つのだ。フジキドは「平常心」のショドーを凝視する。

 フジキドのニンジャ聴覚は、当然、壁を隔てた807号室で今まさに行われているマッポーの暴力の行使を、余すことなく聞き取っている。しかし、フジキド=ニンジャスレイヤーには、そこへ関わっていく理由など何一つ存在しないのだ。

 情にサスマタを突き刺せば、メイルストロームへ流される。平安時代の武人にして哲学者、ミヤモト・マサシのコトワザが、ニンジャスレイヤーの胸中に去来した。


◆◆◆

 アガタが宅配チェーン「奉公・良い」にスシとサケを震え声で注文するのを、ダイゴは三白眼で口を開けて睨みつけていた。「今度から、命令されたらさっさとやれよ、な?」「ハイ……」アガタは呻いた。背中を蹴られ、顔も何度か殴られた。ひどい顔をしているに違いない。

「なんだよ、文句あンのか?」「イ、イイエ、ありません」アガタは力いっぱい否定した。「じゃあ、今から俺たちが暮らすうえでのルールを作るからな。お前が家から出ずにスムーズに仕事ができるようにな。ここだ、ここに、紙に書いて貼って置こうな、ルールを。早く筆を持ってこい」

 アガタは足をすくませた。震えてしまって力が入らない。「ザッケンナコラー!」ダイゴが即座に激昂した。平手で頬をはたかれ、アガタは倒れこんだ。髪をつかまれる。「筆を持ってこい!筆を!」「アイエエエエ、や、ヤメテ……」ダイゴは笑い出した。

「早く筆とインク……そうだ、おい、インクでお前の額にイレズミしてやる、そうすりゃ二度と逃げる気も起こらねえだろうな!インクを持ってこい!」「アイエエエエ!」ナムアミダブツ!

 ブザーが鳴った。ダイゴは舌打ちし、アガタの背中を突き飛ばした。「宅配か?早いじゃねえか、エエッ?」ブザーが繰り返し鳴らされる。「どちらさんで!」ダイゴは怒鳴った。

「ドーモ。スシです、ええ、お届けの」「あー、ハイ、ハイ」ダイゴはドアのカギを外し、半開きに、「イヤーッ!」「アバーッ!」

 勢いよく開いた鉄扉が、ダイゴの鼻面をしたたか打ち据える!室内へゆらりと入り込んだハンチング帽の男は落ち着き払ってアイサツした。「ドーモ、スシを忘れてきてしまいました。あと、サケも忘れてきてしまいました。申し訳ありません」



3

「ザッケンナコ」「イヤーッ!」「アバーッ!」ハンチング帽の男の右ストレートがダイゴの顔面に叩き込まれた!ダイゴは後ろへ吹き飛び、床でうずくまるアガタの頭上を飛び越え、窓ガラスに激突した。

 アガタは突然の非現実的な出来事に目を白黒させ、闖入者を見上げた。「 808号室……モリタ……サン……?」「ドーモ。先程はシツレイしました」ハンチング帽の男はオジギしてみせた。

 ダイゴの後頭部がぶつかった窓ガラスには蜘蛛の巣状にヒビが入っている。フジキドはこれでも十分に手加減をしていた。ニンジャパンチ力そのままに殴りつければ、ダイゴの首から上は吹き飛んでいたはず。そうとは知らぬダイゴは「テメエ、マリアの男かコラッ!」出血した歯茎を剥き出しにして凄んだ。

「ドーモ。私はスシの宅配です。スシを忘れましたが」フジキドは再度オジギした。ダイゴは逆上し、手近のイスを掴んで殴りかかった。「ザッケンナコ」「イヤーッ!」「アバーッ!」フジキドの右拳が、ダイゴの顔面に再パンチ!

 ダイゴは再度、後ろへ吹き飛び、今度は窓ガラスを後頭部で突き破ってしまった。「アバーッ!」フジキドは素早く室内へ歩を進め、朦朧としているダイゴのタンクトップを掴んで引き寄せる。「ロウゼキはいけないので、第三者として止めさせていただきたいと考えます」フジキドは顔を近づけた。

「カーッペッ!」ダイゴは血の混じった痰を至近距離のフジキドに向かって吐き捨てる。アブナイ!しかしニンジャ反射神経を持ってすれば、この程度の挑発を無効化することはベイビー・サブミッション!フジキドは最小限の首の動きでそれをかわす!

「イヤーッ!」「アバーッ!」フジキドの頭突きがダイゴの鼻面を砕いた!さらに彼はひるんだダイゴの右腕を後ろへねじり、不自然な方向へ力を加え、ナムアミダブツ!「イヤーッ!」「アバーッ!」右肘を骨折!

「アーッ!アーグワーッ!」ダイゴはおかしな方向を向いた右肘を押さえ、台所をのたうちまわった。アガタは短く悲鳴を上げ、後ずさった。「テメエ、家庭内の問題に口を挟むのかコラッ!」ぜいぜいと息を吐きながらダイゴが叫ぶ。フジキドはダイゴの髪を掴んで立ち上がらせる。そしてアガタを見た。

「要らぬ事をしてしまいましたか、 アガタ=サン?」アガタは震えながら首を振った。「いいえ……ア……アリガトウゴザイマス」「追い出しますか?」アガタは無言で頷いた。「マリア……覚えておけよ……」ダイゴが呻いた。「イヤーッ!」「アバーッ!」フジキドの再頭突き!

「実際のところ、私はアガタ=サンの隣人だ。二度とここへ来ないと約束するまで、このまま攻撃を加え続ける。約束しろ」「ザッケンナコ、アバーッ!」再頭突き!「約束しろ」「地獄へ、アバーッ!」再頭突き!「約束しろ」「わ……わかった」ダイゴは力無く同意した。

 フジキドはダイゴを片手で吊り上げ、窓を引き開ける。そしてダイゴの体を窓から突き出した。「アイエエエ!」遥か下の地面!ダイゴは失禁した。「こ、殺さないで」アガタは言った。フジキドは短く頷いた。そしてダイゴに言った。「戻ってくれば、今度はコンクリートをめがけて落とす」彼は手を離した!

「アイエエエエ!」八階の高さから落下したダイゴの体はシダレヤナギの木にぶつかり、そこから、積み重なった生ゴミの山へ転げ落ちた。満身創痍となった彼が這々の体で路上を逃げて行くのを見下ろし、フジキドは割れた窓を閉めた。「ガラスは弁償します」

「ほ、本当に助かりました」アガタが立ち上がり、頭を下げた。前髪が乱れ、額にかかっている。口を切り、頬を腫らしているが、美しい女性であった。フジキドは淡々と台所を横切った。「他人のプライバシーには踏み込みません。サヨナラ」「あのう!」アガタが呼び止める。

「お茶とヤツハシでもいかがですか、モリタ=サン?」「いいえ結構です」フジキドはかぶりを振った。ドアノブに手をかけたフジキドに、「……どうか」アガタは震え声で訴える。「お願いです、30分で構いませんから……情けない話ですが、まだ恐ろしくて……」


◆◆◆

「やっと重いモノが動いてポイント三倍点です、さあチャンスですよ!」「もちろんチャレンジです!」「チャレンジを受け付けます、さあ……答えは」「チマキ!」「……アタリ!」「ワー!スゴーイ!」「鬼瓦15枚が三倍点で加算、ヤマドメ=サンなんと逆転優勝だ!」「ワー!スゴーイ!」

 けたたましく騒ぐスタジオの音声は、違法電波を撒き散らすトラックが川向こうのハイウェイを通過する度にゆがむ。アガタの横顔は映像の照り返しを受けて電子的だった。

 フジキドがアガタに乞われ、しばしその心を通わせたのは、一年以上にわたって続くサツバツに倦み疲れ、情けを求めた彼の弱さであったろうか。それとも、ナラクに堕ちようとする彼の魂を救い踏みとどまらせる人間性の灯火だったであろうか。フジキド自身にも、それはわからないだろう。

 アガタはフジキドに、とりとめなく己の身の上を語った。マイコセンターでの日々、転がり込んできたダイゴが当初は情け深い男であったこと、浮世絵を必死で身につけ、最終的にセックス・ビズから足を洗ったこと。その後訪れた暴力の日々。

 アガタの生涯は逃走と背中合わせであった。取り立てヤクザからの逃走、両親の虐待からの逃走、マイコセンターからの逃走、ダイゴからの逃走。逃げ続ける日々の中で彼女に誇りを与え、人間性を保たせたのは、浮世絵だった。

 アガタにサンプル本を手渡されたフジキドは厳かにページをめくり、「素晴らしいです」と言った。それは本心からである。彼女が語った半生の煩悶や希望が筆圧にこめられていたように思ったのだ。アガタは照れたように笑って、何も言わなかった。

 フジキドはアガタの浮世絵を通し、己の心の中に感受性の泉が枯れずにいたことを思いがけず発見したのである。沈黙の中で彼はアガタに秘かに感謝し、合唱した。

 チャブの上の皿には手付かずのヤツハシが置かれたままである。「今後ともオタッシャデー!」テレビ番組のエンドロールが流れ、ドンブリ・ポン・チェーンのCMが始まる。「スゴイ・オイシイ!ケミカル的な風味が極力少ないうえで、食糧としてのリーゾナビリティだ!」高圧的なナレーション。

 その高圧さに、フジキドは筆頭株主であるラオモト・カンの遺伝子を読み取る。ドンブリ・ポンの収益はほとんど全て、ネコソギ・ファンドへ……社主のラオモトの懐へ流れ込む。彼自身の私欲と邪悪な目的の資金となるのだ。だがそれもあと数日で終わりだ。フジキドが……ニンジャスレイヤーが終わらせる。

「長居し過ぎました。おもてなしありがとうございました」フジキドはオジギして立ち上がった。「お礼を言うのは私です」アガタも奥ゆかしくオジギした。フジキドは素早く台所を横切り、再度オジギして、まだ何か言いたげなアガタの部屋を退出した。フジキドは彼女と目を合わせるのを避けた。

 廊下に出ると、フジキドは数分前に届いた携帯IRC端末のノーティスを素早く確認する。巧妙に偽装されたID「ycnan」、ハマチ粉末の発注文書。これはナンシーからの暗号だ。フジキドは架空の明細表に目を走らせ、そこからロケーションと日時を読み取る。

 これはナンシーが張り巡らせた遠大なオイラン・スパイダー・ウェッブの終着点だ。もはや彼女の電子トラップを見破るタイピング速度の持ち主はソウカイ・シンジケートには存在しないだろう。「ゴアイサツサマ生命」執行役員からのカンファレンスのオファーをラオモトは受諾した。偽装されたオファーを。

 これはラオモトにとって、半年かけて進めてきた買収工作が実った事を示す値千金のオファーだ……こうして偽装されたモノでなかったならば。ナンシーはたった一通の電子ノーティスを送信する為に、この国内第二位の金融機関のシステムをほぼ完全に掌握してしまっていた。現執行役員は実際、彼女なのだ!

 指定の日時は明日、昼13:00。場所はゴアイサツサマ生命本社ビル5階、ケンタウロスの間……

 携帯端末から顔を上げたとき、フジキド……いや、ニンジャスレイヤーは、その瞳にマッポーの炎を宿した殺人者の形相となっていた。



4

 バンダ環状線を滑る様に走行するそのリムジンバスは、トレーラーよりも長い。ルーフパネルは黄金の瓦屋根になっており、交差したカタナのエンブレムがそこかしこにレリーフされているだけでなく、その四隅には、ドラゴン、ゴリラ、タコ、イーグルという平安時代の四聖獣の像が睨みをきかせていた。

 ルビー色の車体は五重のパール塗装で、これには特殊な漆塗りの技法が用いられている。ガラス窓はすべて真っ黒にシールドされており、それはこのリムジンの前後左右の車両も同様だ。

 いかにも。この車両こそは、トコロザワピラーから日夜ネオサイタマを睥睨し、非情な買収工作を繰り返して権力の頂点に立つ存在、ラオモト・カンの送迎車に他ならぬ。

 バズーカ砲の砲撃すら受け付けぬリムジンの中では、邪悪なメンポとニンジャ頭巾を身につけたスーツ姿の男が、タマムシ色の半裸めいたドレスを着た三人のオイランに、かわるがわるウメボシ・マティーニの酌をさせている。

 スーツの男は、いうまでもなく、ラオモト・カンである。彼がマティーニを傾けるたび、メンポは精緻なメカニズムによって展開し、飲食を可能にする。タクミ!

 この日ラオモトはいつにもまして上機嫌であり、雄大であった。「ムハハハハ!ムッハハハハ!」彼はオイランの一人の胸を揉みながら、アルコール度数97パーセントのウメボシ・マティーニを再度オカワリした。対面ではオブシディアン色のニンジャ装束の男が無言で着席している。ダークニンジャだ。

「俺様の見立てでは、もう1クォーターは必要になろうかという見通しであったわ。金融機関はソクシンブツじみた古老社会だからな。ゆえに、今回の内部クーデターはまさに二階からボタモチ!タイムイズマネー!ムハハハハハ!」「ハイ」ダークニンジャは無感情に同意する。彼はオイランを寄せ付けない。

「何か気がかりでもあるのか、ダークニンジャ=サン」ラオモトはオイランを突き飛ばし、身を乗り出す。ダークニンジャは無感情に答える。「……風向きが」「ポエット!ムッハハハハ!」ラオモトは笑った。「だがオヌシの詩情は侮れぬものよ、ダークニンジャ=サン」

 ダークニンジャはシールドされた窓ガラスを通して、環状線の上空を飛ぶガラスの群れを睨んだ。


◆◆◆

 ラオモトのリムジン編隊の数台後ろを行くワカメ輸送機カーゴの上にぴったりと寝そべり、追跡する者があった。ニンジャスレイヤーである。

 後続車両のルートがリムジン隊から外れるたび、ニンジャスレイヤーは最小限の動きで別車両のルーフへ飛び移り、追跡を維持。やがてリムジン隊は料金所に差し掛かるが、まるで当然の様にゲートを無視する。彼等は無礼講なのだ!

 一般車両はそうはゆかぬ。「正しく支払うべき」とミンチョ体で書かれたフラッグが行く手を厳しく塞ぎ、コインスロットが注意深く、運転席の窓ガラスの高さにあわせて迫り出してくるのである。

 ニンジャスレイヤーは取り付いた車両の支払い行為におめおめ付き合ってはおられぬ。ブレイコウしたリムジン隊が遠ざかるのを指をくわえて見送るかわりに、彼は支払いを済ませてゲートを通過した別車両へ、素早く飛び移った。

 一般道を走行しながら、リムジンを囲む四台のオムラ自動車製高級セダン「ハヤテウルフ」のうち二台が隊から離れ、ウインカーもそこそこに、脇道へ消えていく。ゴブギ配達チェーンのアルミ荷台に寝そべりながら、ニンジャスレイヤーはそれを一瞥する。

 ニンジャスレイヤーは訝る。腕の携帯IRC端末から実体キーボードを引き出し、素早くタイプした。

#GOISAZ :morita : リムジン隊が二台切り離した。何か情報は。
#GOISAZ :ycnan : わからないがGAMEはリムジン内、変わりなし

 やがて車はマルノウチ地区へ差し掛かる。前方にはスゴイタカイビルの威容。ニンジャスレイヤーの心はざわつく。……フユコ。トチノキ。仇はもうすぐだ。

 ゴアイサツサマ生命は、平安ゴシックの建築様式を用いたデカダンなスタイルの社屋で知られる。ニンジャスレイヤーは後続車両から飛び降り、リムジン隊が「裏口」と書かれた巨大なノレンの下がる地下駐車場エントランスへ吸い込まれていくのを見届けた。

 ニンジャスレイヤーは背中のフロシキ包みを解くと、中からハンチング帽とトレンチコートを取り出し、一般人に偽装した。そして生命保険の見直しへ訪れたカスタマーめいた足取りで正門へ向かう。「ゴアイサツサマ生命はとても皆さんを大事にする」と書かれた巨大なノレンをくぐり、ロビーを横切る。

#GOISAZ :morita : 到着し、ロビー。
#GOISAZ :ycnan : 差し向けます。

 すぐにゴアイサツサマ生命のチョンマゲ社員が迎えに現れた。非合法手段で一時的に執行役員権限を取得しているナンシーの指示だ。チョンマゲ社員は目の前の客の身分を疑るような目線を完全には隠しきれていないが、それでもプロである。丁寧で奥ゆかしい口調でニンジャスレイヤーを促す。「こちらへ」

「ドーモ」ニンジャスレイヤーは彼と共に廊下を進み、奥のエレベーターへ乗り込んだ。「五階」と書かれたスイッチに社員が触れると、上昇が始まった。エレベーターはガラス張りで、マルノウチの社屋群、天へ突き出すスゴイタカイビル、そして地平に霞むカスミガセキ・ジグラットが遠望できる。

 上昇のGを感じながら、ニンジャスレイヤーは己の殺意を純粋なものへ研ぎ澄ませていった。五階。ラオモトは目と鼻の先にいるのだ。そしてダークニンジャも。彼はケンタウロスの間のすぐ外で、しめやかに控えているだろうか。あるいはラオモトとともに室内か?

 エレベーターが停止した。五階についたのだ。チョンマゲ社員がエレベーターの中に残ったまま、ニンジャスレイヤーに深々とオジギした。「ではオタッシャデー!」ニンジャスレイヤーは軽く会釈すると、ツカツカと廊下を歩み進んだ。

#GOISAZ :morita : GAMEは既に着席か?

 数メートルごとに墨絵が飾られた薄暗い廊下を歩きながら、ニンジャスレイヤーはナンシーにノーティスを送る。……返事が返らない。何かあったか?ニンジャスレイヤーが不審に思いかけた時にようやく返って来た。

#GOISAZ :ycnan : 着席済。D_ninはGAMEの隣。共に室内です

 ニンジャスレイヤーは「ケンタウロスの間」に辿り着いた。一切の音を通さない観音開きのカーボンナノチューブフスマを前に、彼はコンマ1秒の速度で深呼吸した。この扉を隔てた向こうで、むざむざと呼び出されたラオモト・カンが、現れることのないゴアイサツサマ執行役員を待っているのだ。

 ニンジャスレイヤーはゆっくりとフスマドアを引き開けた。だだっ広いケンタウロスの間……ガラス張りの壁面、大型チャブテーブルの向こうで、着席したひとりの男が逆光を受けている。

 ひとりの男。ひとり。ニンジャスレイヤーは室内に電撃的な速度で視線を巡らせ、クリアリングした。天井。壁面。テーブル下。いない。逆光の中イスに腰掛けている、ただひとりラオモトその人を除いては!ニンジャスレイヤーのニンジャ第六感がニューロンに警鐘を送り込む!ダークニンジャはどこだ?

 イスにかけたラオモト・カン……であるはずの男……が、逆光の中、ニンジャスレイヤーに向き直った。そして笑った。

「ムハハハハ、ムハハハハ、ムハハハハ、ムハハハハ、ムハハハハ、ムハ、ハ、ハ、」……その稚拙な電子音声にすべての悪しき想定が被さり、ニンジャスレイヤーは窓ガラスへ向けて全力疾走した!「イヤーッ!」

 直後、ニンジャスレイヤーの視界は一瞬にしてホワイトアウトした。轟音と閃光。衝撃。すべてのガラスが粉々にはじけ飛び、粉塵がものすごい勢いで溢れ出した。


◆◆◆

 ゴアイサツサマ生命社屋の道路を挟んだ向かいのビル、サツタ石油社屋の屋上で、その致命的爆発を見下ろす四つの影があった。

「ド派手に始まったじゃねえか……」「お前らには悪いが、俺がブルズアイしてやるぜ。競争だ」「失敗は連帯責任だ、チームワークですよ、わかりますかあなた」「シュッ!シュシュッ!」四つの影は言葉をかわしながら、競いあうように次々とビル屋上から下へめがけてダイブした。



5

「……グワーッ!」ニンジャスレイヤーは煙に包まれながらキリモミ旋回して落下、地表のコンクリートへ叩きつけられた!道路を走行していたクロガネ家紋タクシーが急ブレーキを踏むと、後続車両がタクシーに追突、その後続車両がさらに追突した!

 さらに、事故をよけようとしてハンドルを切った対向の灯油トレーラーが横転、爆発炎上!「アイエエエ!」運転者が黒焦げになり、 空中へ跳ね飛ばされる!片側三車線の社屋前道路は一瞬にしてマッポー火炎地獄と化した、ナムアミダブツ!

 ニンジャスレイヤーはよろけながら立ち上がった。なんたることか!頭上ではゴアイサツサマ生命社屋の五階が完全に崩壊し黒煙を吹き上げ、一方、この地上では、走りくる車両が次々とレミングの集団自殺めいた衝突事故を起こして爆発炎上を繰り返している。

「ニ、ニンジャ、ニンジャ、ニンジャアババババーッ!」タクシーからまろび出て来た黒焦げの運転手が転倒し、絶命した。ニンジャスレイヤーは自分が受けたダメージをニンジャ自律神経によってトレースした。内臓、関節、骨ともに損傷は無い。一体何が起きた?なぜ罠が張られていたのか?

 だが彼が現状を分析する時間は十分には与えられなかった。陽炎の中から二人の人影が進み出て、オジギしたからだ。どちらもニンジャ装束であった。

「ドーモ、はじめましてニンジャスレイヤー=サン。ワイアードです」8フィート超の巨体ニンジャがアイサツした。装束には大きく「磁」とミンチョされている。「ドーモ、はじめましてニンジャスレイヤー=サン。テンカウントです」痩身のニンジャがアイサツした。両拳が鋲打ちボクサーグローブである。

 ニンジャスレイヤーがオジギを返そうとした時、さらに一人のニンジャが背後に現れた。格子模様のニンジャ装束で、背中に巨大な機械を背負っている……ドラム式の大口径ガトリング・ガンだ。「ドーモ、はじめましてニンジャスレイヤー=サン。ビーハイヴです」

 ビーハイヴは腰を90度に折って最オジギをする。いきおい、背中のガトリング・ガンの銃口がニンジャスレイヤーを向く。その時!「イヤーッ!」「グワーッ!?」な、なんたる卑劣非道か!その姿勢からビーハイヴはガトリング・ガンを発砲したのである!もはや言葉も出ぬほどのスゴイ・シツレイだ!

「イヤーッ!」そのまま全弾を撃ち尽くす勢いで、ビーハイヴのガトリング砲撃がニンジャスレイヤーに叩き込まれる!よもやアイサツ姿勢からの攻撃が行われるとは予測だにしなかったニンジャスレイヤーはまともにアンブッシュを受けた!「グワーッ!」

「これが俺の必勝のカラテだ!思い知ったかニンジャスレイヤー=サン!」ビーハイヴがオジギ姿勢のままで勝利の雄叫びを上げる。ワイアードとテンカウントは射線上からステップアウトし、この恥知らずな戦術に味方ながら戦慄した。

 不意をうたれたニンジャスレイヤーはしかし、なかば無意識的な回避動作によってガトリング・ガンのダメージを最小限に留めていた。それは先の爆発トラップにおいても同様である。長く激しい闘いの経験が非凡なニンジャ防御力に結実しているのだ。……と、さらに頭上から一人!「イヤーッ!」

「Wassyoi!」ニンジャスレイヤーはバク転で天空からのアンブッシュを回避した。それはまさにギリギリのタイミングであり、一呼吸遅ければ、彼の脳天はヤリが貫通してキリタンポめいた惨殺死体になっていたはずだ。アブナイ!

 天から降って来たのは、特殊なスプリングを装着したゲタを履き、空力を重視した鋭角的な頭巾をかぶったニンジャである。危険なヤリを抱え込むようにしながら、ニンジャスレイヤーへオジギする。「ドーモ、はじめましてニンジャスレイヤー=サン。アルバトロスです。イヤーッ!」

 ニンジャスレイヤーのアイサツを待たず、アルバトロスは信じがたいジャンプ力で再び天空へ跳び上がった。一方的なアイサツはかなりシツレイだ!

「まだまだ行くぜーっ!」ビーハイヴはガトリング・ガンのリロードを終え、再びニンジャスレイヤーを砲撃開始!「イヤーッ!」側転を繰り返しながらニンジャスレイヤーは弾丸の嵐を回避する。背後の立ち往生した自動車の一台がガソリンタンクに砲撃を受け、爆発炎上した。

「シュッ!シューシュシュ!」不可思議なボクシングめいた呼吸法を行いながら、斜め後方から接近したテンカウントがキドニーブロウを繰り出す。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは後方への回転チョップで拳を受け止め、素早くジャンプしてタクシーのルーフへ飛び乗った。

 それまでニンジャスレイヤーがいた場所へ、アルバトロスがヤリと共に落下してきた。アブナイ!「惜しい!イヤーッ!」アルバトロスは再び天空へ跳び上がった。ニンジャスレイヤーはタクシーのルーフから隣の車へジャンプしつつ、スリケンでビーハイヴに反撃する。「イヤーッ!」

「イヤーッ!」それまで動かずにいたワイアードが初めて戦闘に加わった。リロード中のビーハイヴを庇うように割り込んだワイアードの胸に、ニンジャスレイヤーのスリケンが吸い込まれる。無傷である!「オレのマグネ=ジツに金属は無意味だ!」

 ニンジャスレイヤーは無数のスリケンを散らすように多方向へ投げながら、車から車へジャンプを繰り返し、ビルとビルの隙間の路地へ飛び込んだ。「ウカツ!追いなさい!」再び落下してきたアルバトロスが叫ぶ。

「逃がさいでかーッ!」ビーハイヴはオジギ姿勢のまま道路を横切ってスプリントした。なんたる速度!ワイアードとテンカウントがすぐその後を追う。アルバトロスは再び天空へ跳び上がった。


◆◆◆

「待てイ!待てイ、ニンジャスレイヤー=サン!」高揚し叫び声をあげながら、ビーハイヴは危険なオジギ姿勢のままで薄暗い路地裏を突き進んだ。ここはマルノウチのサラリマン向けレストラン区域であり、路地裏には汚いポリバケツやトーフ屑、ユバ等が散乱している。

 ガトリング・ガンを背負ったビーハイヴが機関車めいた勢いで駆け抜けると、ラーメン・レーションの廃棄物をかじるバイオハツカネズミが小さく鳴きながら建物の隙間へてんでに逃げ込んだ。

「どこだーッ!」ビーハイヴは叫んだ。オフィス街とはうってかわった薄暗さ・薄汚さは、見える場所だけ綺麗にすれば良いというマッポー的価値観の産物のようでもあった。表ではサラリマンたちがスシやトーフ、スブタなどに舌鼓を打っているのであろう。ビーハイヴの胸中になぜか憎しみが湧き上がる。

「臆病者ーッ!蜂の巣にしてくれるぞーッ!」ビーハイヴは逆上して叫んだ。自慢のオジギ・ガトリングがシンジケートの査定機構に「礼儀を知らぬ」と断じられてしまったが為に、ビーハイヴはソウカイ・シックスゲイツのアンダーニンジャに甘んじている。彼はその評価を不当と感じていた。

 体面や礼儀ばかり重んじる偽善者どもめ。ビーハイヴは毎夜乱暴にマイコを抱きながら、己の不遇を嘆き、憎しんだ。ニンジャスレイヤーを殺し、有無を言わせず成り上がってやる!……このマルノウチの路地裏と表通りの対比は彼の憎むタテマエ社会を連想させ、彼のトラウマ的な怒りを喚起するのだった。

「どこだーッ!」ビーハイヴが叫び、ガトリング・ガンを建物の背中に向けて無益に撃ち散らす。バイオコウモリがポリバケツから複数飛び立った。ブキミ!「どこだーッ、ニンジャス……」「イヤーッ!」「グワーッ!?」背後に打撃を受け、ビーハイヴはよろめいた。巨大な武器のせいで背後が死角なのだ!

「う、うしろキサマ……」「イヤーッ!」「グワーッ!」さらに背中に打撃を受ける!慌てて振り返るも、敵の姿は既に無い。ビーハイヴはうろたえた。気に食わぬ相手を自慢のオジギ・ガトリングの初見殺しで葬ってきた彼は、いざ戦端が開かれると経験不足を露呈させてしまったのである。

「どこにいるーッ!」パニックに陥ったビーハイヴは、オジギ姿勢で背中のガトリングを無駄撃ちしながら回転した。弾丸はエアパイプに着弾し、そこから水蒸気が勢いよく噴き出す。ニンジャスレイヤーは見当たらぬ!「クソーッ!卑怯だぞ!姿を見せいーッ!」

「卑怯てか!語るに落ちたな、ビーハイヴ=サン!」路地裏に笑い声が反響する!「インガオホー!礼儀を知らぬニンジャなど、所詮はサンシタ。オヌシの乱れたカラテがそれを証明しているのだ!」「どこだーッ!」ビーハイヴがガトリングを乱射する!ニンジャスレイヤーの姿は現れぬ!

 やがてガトリング・ガンの弾薬が切れる。ヒュンヒュンとむなしい音を立ててガトリング・ドラムは回転するばかりだった。「リ、リロードだ……」「イヤーッ!」うろたえたビーハイヴの前に、バク転しながらニンジャスレイヤーがエントリーした。「ドーモ、ビーハイヴ=サン。ニンジャスレイヤーです」

 ニンジャスレイヤーはアイサツした。弾薬カートリッジの交換に手間取るビーハイヴを弄ぶかの様な、ゆっくりとしたオジギであった。「お、おのれ!くらえーッ!」リロードが成った。ビーハイヴはガトリングを意気揚々とニンジャスレイヤーへ、「イヤーッ!」「グワーッ!」

 ガトリング乱射のためにオジギ姿勢を取る事は、敵のもっとも蹴りやすい位置へ自分の頭を持っていく行為に他ならない。ニンジャスレイヤーは待ち構えたかのようなサマーソルト・キックをビーハイヴのオジギに合わせて繰り出したのだ!したたか蹴り上げられたビーハイヴは顎先を複雑骨折しつつ転倒した!

「グ、グワーッ!」ビーハイヴは血を吐き、手足をバタつかせてもがいた。「う、動けない!?」いかにも!仰向けに倒れたビーハイヴは、背中のガトリング・ガンが重過ぎるが故に、ひっくり返されたウミガメめいて独力では起き上がる事ができないのである!「グワーッ!グワーッ!」

「さあ、まずは一人だ」ニンジャスレイヤーは冷酷に、もがくビーハイヴの周りを歩き回る。「た……助けてくれーッ!テンカウント=サン!ワイアード=サン!」助けは来ない!インガオホー!功を焦るがあまり、独力先行したビーハイヴは他の暗殺ニンジャを大きく引き離してしまったのだ。

「オヌシにさほど恨みは無いが、ソウカイヤのニンジャである以上、殺す以外の選択肢など無い」ニンジャスレイヤーは言い放った。「礼儀を軽んじたオヌシの愚が、このような恥の中での死を招いたのだ。後悔しながら地獄へ落ちるがいい」「ア、アイエエエ……」

 ニンジャスレイヤーはおもむろに右足を振り上げ、仰向けのビーハイヴを強烈に踏み付けた!「イヤーッ!」「グワーッ!」一度ではない。繰り返される激しいストンピングは、あまりにも容赦なくビーハイヴの肉体を貫き、破壊してゆく。

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」「グワーッ!グワーッ!グワーッグワーッグ、グワーッ!グワーッ!グワーッワーッ!グワーッ!グワーッ!グワーッ!グワーッ!グワーッ!グワ、グワーッ!」

「グワーッ……。……」やがて、ガトリング・ガンの残骸まじりのもの言わぬ死となったビーハイヴを見下ろしたニンジャスレイヤーは、接近しつつある複数の足音をニンジャ聴力で聞き取った。

 彼の目は苦悩に細まる。なぜ暗殺計画はラオモトにツツヌケであったのか。追跡中に別れた二台の車両。次第に不自然となっていったナンシーからのIRCメッセージは何を意味するのか。彼女が裏切ったか?

 馬鹿な!己を恥じよフジキド!彼女は高潔で決断的な戦士である。互いに幾度も死線をくぐり抜けてきた彼女が裏切るなど、万に一つも無い。……となれば……「無事でいてくれ、ナンシー=サン」ニンジャスレイヤーはうつむき、喉から絞り出すように呟いた。

 追跡の足跡はいよいよ近い。ニンジャスレイヤーは闇の中に溶け込み、彼らの襲撃を待ち構える。真のニンジャの戦さを……見せる時だ。



6

「見ろ、ワイアード=サン!」先行したテンカウントが叫んだ。ワイアードもスプリントしてその場へ駆けつける。裏路地の汚い路上にズタズタに引き裂かれて横たわるのはビーハイヴの死骸であった。「ナムアミダブツ!」「分断工作か、コシャク……!」

「どこだニンジャスレイヤー=サン!シューッシュッシュシュ!」テンカウントは毒づき、その場でシャドー・ボクシングを始めた。彼なりのコンセートレーション・コントロール方法だ。ワイアードはそれを横目に見つつ、アルバトロスへ携帯IRC端末でメッセージを送る。

#ASSASSINATION :wired : beehive_sanが死亡
#ASSASSINATION :albatros : ナムアミダブツ
#ASSASSINATION :wired : 敵を見失った。解析求む

 アルバトロスは現在、ビルの屋上で索敵行為を担当している。彼のニンジャソウルが与えた力は超人的なジャンプ力である。上空からのヤリ・アンブッシュが彼の必殺の攻撃であるが、ニンジャスレイヤーが路地裏に入ってしまった時点で、その旨みは失われてしまっていた。

 ワイアードは歯噛みする。4人がかりで襲撃すればニンジャスレイヤーといえどたやすくネギトロめいた死体に変わる公算であった。しかし現実は違った。敵はあまりにも鮮やかに包囲を突破し、まるでワイアードたちを逆に待ち構えているかのようだ。……落ち着け……追っているのは我々だ!

#ASSASSINATION :albatros : その一帯から離れた形跡無し
#ASSASSINATION :wired : では見つけ出して交戦する

「シューシュシュ!シュッ!」「オイ!テンカウント=サン!」ワイアードはテンカウントのシャドーボクシングを静止する。「なんだ!邪魔をするな!シュッシューシュシュ!」「言いたくないが、それが俺の邪魔になるのだテンカウント=サン」ワイアードは地面に片膝をついた。

「チッ、いったい何だワイアード=サン」両拳を打ち合わせながらテンカウントがワイアードのもとへ戻ってくる。ワイアードは地面の染みを指さした。「血痕だ。ニンジャスレイヤーのものだ。ニンジャソウルが残留している。やつめ、ビーハイヴ=サンのガトリングを受けて無傷では済まなかったのだ」

「ほほう」テンカウントはその場で小刻みにフットワークを踏む。ワイアードは気が散ったが、実際テンカウントが操るボックス・カラテの腕前はワイアード自身も個人的に一目置いている。ワイアードは続けた。「アルバトロス=サンの話では奴はまだこの区画にいるとの事だ……見ろ!血痕が続いているぞ」

 点々と残る血の染みは、ポリバケツや廃看板、廃パイプの山をぬって、とあるスシバーの裏口、地下機関室への階段へと続いていた。二人のニンジャは頷きあい、注意深く地下への入り口へと足を進める。

 スシ・バーやドンブリ・スタンドで必ず採用されている回転コンベアーシステムを駆動するのは、区画ごとに設けられた地下機関室である。複数の店舗が動力源を共有する画期的なシステムが実現されたことにより、複雑な食のオートメーションはあっというまに普及したのだ。

 実際、この国のレストラン街の地下十数メートルでは、そうした機関システムが地下迷宮めいて広大に入り組み、クランクシャフトや油圧シリンダーを激しく稼働させているのである。

「奴め、フクロのネズミだな」テンカウントがハイクめいた暗喩で呟く。「油断するな」ワイアードがたしなめる「この地下機関室は複数のスシ・バーに通じている可能性が十分ある。別の出口から逃げられたら面倒だ。見つけ次第ケリをつけるのだ」

 ワイアードは素早く、しかし慎重に、暗視モードでクリアリングを行っていく。禍々しく巨大なプレス装置が地下空間の中心付近に鎮座している。ブリやハマチ、トロの粉末をスシ・ネタに成型する機械である。

 このマルノウチのレストラン街では工場からスシの成型物を入荷せず、この場でわざわざブリやハマチの粉末を成型しているのだろう。そうやって鮮度を保つというわけだ。カチグミ・サラリマンの肥えた舌に対応するための涙ぐましい努力だ。

「いるぜ……感じるぜ……」テンカウントが一歩進み出た。小刻みにフットワークしながら、「シューシュシュ!」闇の中にシャドーを繰り出す。ワイアードは壁の電源レバーを引き下ろした。ヒューンと計器類が唸り、電気ボンボリが点灯する。電気灯りの下に直立しているのは……ニンジャスレイヤーだ!

「ドーモ、テンカウント=サン。ワイアード=サン。ニンジャスレイヤーです」ニンジャスレイヤーはあらためてアイサツした。メンポに施された恐ろしい「忍」「殺」のレリーフが恐怖を煽る。「ドーモ。テンカウントです」「ドーモ。ワイアードです」

「イヤーッ!」ワイアードが素早くスリケンを投げた。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは流麗にブリッジしてそれをかわす!「イヤーッ!」そこへステップインしてゆくのはテンカウント。ローブローがニンジャスレイヤーを狙う!「シューシュシュ!」「イヤーッ!」ブリッジからのバク転でかわす!

「シュシュ!シューシュシュ!」テンカウントは素早いステップワークで瞬時にニンジャスレイヤーへの距離を詰めた。速い!バク転で稼いだ間合いはあっという間に縮まった。「シューシュシュ!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはテンカウントのコンビネーション・ブローをチョップで受け流す。

「俺を忘れるなニンジャスレイヤー=サン。イヤーッ!」テンカウントのコンビネーションを受け流すニンジャスレイヤーへワイアードがスリケンを投げた!「イヤーッ!」隙をついたニンジャスレイヤーの当て身がテンカウントを吹き飛ばす。そのまま彼はスリケンを指で挟み取り投げ返した。「イヤーッ!」

「イヤーッ!」ワイアードが叫び返す。見よ!ニンジャ装束の「磁」の文字が黄色く脈動すると、ニンジャスレイヤーの投げ返したスリケンはワイアードの胸板へ吸い込まれて固着したではないか!「俺にスリケンは効かんのだ、これがマグネ=ジツよ!」

「シュシュッ!シューシュシュ!」テンカウントのコンビネーション・ブローが襲いかかる!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは地面すれすれまで身体を沈めてパンチを避けると、斜めに仰向いた姿勢から蹴りを繰り出し、テンカウントの太腿を蹴った。「イヤーッ!」「グワーッ!」

 タツジン!テンカウントのボックス・カラテがボクシング由来のジュー・ジツである事を見破り、ボクシングにとっての死角すなわち腰下から攻撃したのである。攻防一体!ニンジャスレイヤーは両手を地面について寝ながら前進、さらに蹴った。「イヤーッ!」「グワーッ!」

 テンカウントは寝ながら近づいてくるニンジャスレイヤーに攻めあぐねる。そこへさらに蹴りを一撃!「イヤーッ!」「グワーッ!」大腿筋に深刻なダメージを受け、テンカウントがよろめく。しかし再びワイアードがスリケンを立て続けに投擲、ニンジャスレイヤーの追撃を封じ込める!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはブレイクダンスめいた逆さ回し蹴りを繰り出した。テンカウントは足首を払われ回転しながら転倒、飛来したスリケンも同時に跳ね返された。立ち上がったニンジャスレイヤーは再度、スリケンを投げ返した。「イヤーッ!」

「そしてこれがマグネ・アーマーだ!イヤーッ!」ワイアードはバンザイの姿勢で突進した!「磁」の文字が黄色く脈打ち、やはりスリケンは彼の胸板に張り付いてしまう。ワイアードはバンザイしたまま、ニンジャスレイヤーへ体重の乗った体当たりを食らわせた!「イヤーッ!」「グワーッ!」

 ニンジャスレイヤーは吹き飛び、作業棚に激突した。陳列されていたハマチ粉末のパックとダルマが転がり落ちる!「そしてこれがマグネ・ツキだ!イヤーッ!」ワイアードが右手を振り上げ追撃にかかる!ニンジャスレイヤーは軽い脳震盪にかかり、もうろうと首を振った。ナムサン!

 マグネ・ツキが振り下ろされる!ニンジャスレイヤーは横転して辛くもそれを回避した。マグネ・ツキは背後のコンベアーベルト制御装置に突き刺さり、火花を散らした。引き抜いたワイアードの右腕には鉄板やネジ類が貼りついている。磁力をまとったパンチなのだ!

 ガコン、と音が鳴り、コンベアーベルトが動き出す。なんらかのエラーで計器類が起動したようだ。地下機関室内を巡回するコンベアーベルトは、サカナ粉末に魚貝由来調味料スープを加えてペースト状にしたスシ原型を成形してネタ状にする工程のためのものである。

「マグネ・パンチ!イヤーッ!」ワイアードが再度右腕でパンチした。拳にはボルト類やひしゃげた鉄板が付着し危険!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは腕の内側を手のひらで弾き、拳を反らす。8フィート超の身体が繰り出すパンチにニンジャスレイヤーはよろめき、後退してベルトコンベアーに乗った。

「マグネ……クソッ、やれ、テンカウント=サン」ワイアードは追撃を諦めた。ニンジャスレイヤーはコンベアーベルト上で体勢を立て直す。コンベアーの行く先ではプレス装置が蒸気を吐き出しながら上下に開閉を繰り返す。そのさまはまるでバイオ・アリゲイターの顎だ!

「ヨロコンデー!」太腿にズバリを注射し身軽さを取り戻したテンカウントが再エントリーした。回転しながら彼もまたコンベアーベルトに飛び乗る。「シューシュシュ!」身軽なステップワークから繰り出す素早いパンチが、徐々にニンジャスレイヤーをプレス装置へ追い詰め始めた!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーがチョップを繰り出すが、「シューシュシュ!」ボックス・カラテの科学的に洗練されたフットワークは容易くそれをかわす。お返しのジャブが二発、撫でるようにニンジャスレイヤーのメンポを打つ。プレス装置が近づく!

「シュッ!シュシュ、シューシュシュ!」ニンジャスレイヤーはガードにかかりきりだ。「いいぞテンカウント=サン!」ワイアードは高揚した。おれの援護射撃で、勝利を確実なモノとする!彼は右腕をニンジャスレイヤーに向けて突き出した。「これがマグネ=スリケンだぞ!イヤーッ!」

 ワイアードの右腕に貼りついていたボルト類が弾き飛ばされ、ニンジャスレイヤーを襲う!「グワーッ!」テンカウントにかかりきりのニンジャスレイヤーはガード不能!これぞ、特殊オーダーメイド・マグネット装束の磁力コントロールを利用したマグネ・スリケンなのだ!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはテンカウントの打撃を受け流しながら、苦し紛れにスリケンをワイアードへ投げ返す。ワイアードは笑った。「説明してやったのに愚かな奴!俺にスリケンは効かんのだ!」たちまち「磁」の文字が輝き、スリケンはむなしくワイアードの胸板に貼りついた。

 コンベアーベルトは無情にニンジャスレイヤーをプレス機へ刻一刻と追い込んでゆく。ワイアードは勝ち誇って叫ぶ、「スシバーの本日の特別メニューはお前のボディだな、ニンジャスレイヤー=サン!……?」その時だ!「グワーッ!?」おもむろにワイアードは強い力で前に引っ張られ、転倒した!

「な、何が起きた!?」ワイアードはもがいた。そして、ついさっき己の胸板に強固に付着した飛び道具がスリケンでは無い事に気づいたのだ!それはニンジャロープの鉤爪状の先端部だった。しかもドウグ社製である!

 鉤爪からはザイルが伸び、それをニンジャスレイヤーは片手で手繰り寄せようとしている……テンカウントのパンチをもう片手でガードしながら!「な……なんだとーッ!?」ワイアードは抵抗する……引きずられる!

「何をしているワイアード=サン!」テンカウントが驚いて叫んだ。ワイアードは呻いた。マグネ反発が可能なのはニンジャ小手の箇所のみだ。胸部のマグネ装置は構造上、吸い寄せる事しかできない仕組みである。マグネ装置自体のスイッチを切らねば!だがスイッチの場所は構造上、背中にある!

「せ、背中……マズイ……」「イヤーッ!」呆気に取られた一瞬の隙を突いて、ニンジャスレイヤーの裏拳がテンカウントの鼻面を砕いた!「グワーッ!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは両手でニンジャロープを振りかぶる。ワイアードの巨体が宙を飛んだ!「グワーッ!?」

 ワイアードはコンベアーベルト上に叩きつけられた。「グワーッ!」「ワ、ワイアード=サン!?」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはスリケンをテンカウントに投げた。テンカウントはスリケンを回避し、やむなくコンベアーベルトから飛び降りる。

 ニンジャスレイヤーの後方40センチまでプレス機の顎が迫る!「Wasshoi!」ニンジャスレイヤーはギリギリのところで前転ジャンプし、プレス機を回避!コンベアーベルトには、うつ伏せに叩きつけられたワイアードが残された。「マ……マズイ!」

 ワイアードはもがくが、起き上がれない。ナムアミダブツ!ワイアードのマグネ装束がコンベアーベルトの金属部とマグネ接合し、がっちりと捉えてしまっているのだ!「せ、背中のスイッチを……!クソーッ!テンカウント=サンーッ!」

「死ぬまでそこで観戦しておれ!」ニンジャスレイヤーはワイアードに向かって無情に言い放つと、テンカウントを相手取って怒涛のチョップ攻撃を繰り出した。これではテンカウントはワイアードを助けに入る事はできぬ。インガオホー!

「背中……背中……!」ワイアードはもがきながら、次第に接近するプレス機を恐怖とともに垣間見た。コンベアーベルトを空しく殴りつけるが、無情な機械は動きを停めなかった。バクン!バクン!プレス機が迫る。身体の三分の一をサイバネ改造したワイアードであろうと、これでは……

 ワイアードの胸中に今回の暗殺ミッションのニンジャブリーフィングがソーマト・リコール(※訳註:走馬灯か)する。様々な要因からシックスゲイツのアンダーニンジャに甘んじる彼らの前に現れた謎のニンジャの巧言のもと、彼ら八人はカケジクに血判を押し、四人はニンジャスレイヤーへ、もう四人は……

「グワアアーッ!!!サヨンナラー!」

 ニンジャソウル爆発とプレス機による粉砕が生み出す炸裂音を背後に、ニンジャスレイヤーとテンカウントは手数の応酬を続けていた。「イヤーッ!」「シューシュシュ!」「イヤーッ!」「シュッ、シュシュ!」

 ニンジャスレイヤーの胸中には焦りがあった。できる限り早く襲撃者を排除し、ナンシーの安全を確かめねばならない。事態は最悪の方向に向かっているのではなかろうか?

 ニンジャスレイヤーは再び必勝の戦術をとる。身を沈め、仰向けになりながらの蹴りだ!「イヤーッ!」「シューシュシュ!」ナムサン!テンカウントの適応能力は非凡であった!彼は繰り出される蹴りをジャンプして避けると、降下しながらの肘打ちでニンジャスレイヤーを襲う!「グワーッ!」

 ニンジャスレイヤーはこの奇襲攻撃を受け、額から血を噴き出す!ボックス・カラテの試合であれば即退場のダーティーファイトであるが、これはニンジャの戦さである。自分自身の動きを先入観で暗示的に縛っていたテンカウントの甘さを突いたニンジャスレイヤーの戦術は、今ここに破られたのだ。

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはしゃがみ姿勢からのチョップ突きを繰り出して追撃を封じると、四連続でバク転して間合いをとった。テンカウントのステップワークがすぐさまニンジャスレイヤーに追いすがる!

「シュッ、シュシュ、シューシュシュ!」ジャブ、ストレート、フック、アッパーカットの順に繰り出すベーシックなコンビネーションが繰り返され、やがてニンジャスレイヤーは壁際まで追い詰められていた。ナムサン!「終わりだーッ、ニンジャスレイヤー=サン!!」右ストレートが襲いかかる!

 ニンジャスレイヤーは小首を傾げるような繊細な回避動作で、これを躱す。「グワーッ!?」ミシリ、と嫌な音が鳴り、テンカウントが悲鳴をあげた。背後の壁である!ニンジャスレイヤーの巧みな間合いコントロールが、テンカウントに壁を殴らせたのだ!

「イヤーッ!」ひるんだテンカウントの腹部にニンジャスレイヤーの容赦無いパンチが刺さる!「グワーッ!」さらに、追撃のチョップが頚部を打ち据える!「イヤーッ!」「グワーッ!」

 さらに右ストレートが砕かれた鼻面に叩き込まれる!「グワーッ!」左ストレート!「グワーッ!」右ストレート! 「グワーッ!」

 テンカウントのこれまでの流麗なフットワークのキレは既に無い。彼は打たれるままに打たれていた。これは先程の大腿部のダメージが原因である。ニンジャスレイヤーの容赦無い三連続の蹴りは、ズバリのアドレナリン効果では到底ごまかしきれないほどにテンカウントの筋組織を破壊していたのだ。

 テンカウントはたたらを踏み、上体を後ろへねじって、命をかけた絶望的なパンチの予備動作を取る。「ニ、ニンジャスレイヤーッ!」ニンジャスレイヤーはゼンめいた瞑想的な動作でジュー・ジツを構え直した。「……ニンジャ殺すべし」

「「イヤーッ!」」テンカウントが渾身の右ストレートを繰り出した。次の瞬間、テンカウントの眉間には、ニンジャスレイヤーの左手指先が第二関節まで埋め込まれていた。コブラめいたチョップ突きが、右ストレートにクロスするように放たれていたのである。

「ナムサン」ニンジャスレイヤーは突き刺さった指先を引き抜く。テンカウントはよろけながら二歩後退。「サ……サ……サヨナラ!」その直後に爆発四散した。

 ニンジャスレイヤーは既に踵を返して地上への階段へ向かって駆けていた。再び静まり返った地下機関室は、さながら、ニンジャの亡骸を収めたカタコンベのようであった。


◆◆◆

 ビル屋上から眼下へ一瞬たりとも油断無い視線を投げながら、アルバトロスは憔悴していた。ワイアード、テンカウントともに応答が無いままだ。そも、四人のニンジャによる必勝の包囲を破られた事がケチのつきはじめであった。連携が上手くゆかなかったのは、ブリーフィングに時間の余裕が無かった為だ。

 指揮官「ゴンベモン」は電撃的に今回の作戦を決行した。たしかに、ボスとダークニンジャ=サンとニンジャスレイヤー、彼らがひとつところに集まる機会を準備不足を理由に見送るなど、愚の骨頂だ。指揮官の決断をアルバトロスは支持する。しかし……。

 アルバトロスの思考は乱れる。他の四人はうまくやっただろうか?そもそも、最初の爆破トラップでニンジャスレイヤーにほとんどダメージが無かった事が彼を落胆させた。あれではボス達も……第一、ゴンベモンとは一体誰なのだろうか?

 正体不明のあのニンジャは、アルバトロスら八人の功名心や現状への不満を巧みにアジテートしてみせた。あの時アルバトロスが感じた勇壮はどこへやら、今となっては、募るのは後悔と疑念である。恐らくワイアード=サンとテンカウント=サンは……「ドーモ、ニンジャスレイヤーです」「アイエエエエ!」

「ド、ドーモ、アルバトロスです」アルバトロスはかろうじてアイサツした。「なぜここが!?」「状況判断だ!」ニンジャスレイヤーは言下に言い捨てた。この瞬間、アルバトロスは己の敗北を確信した。勝てるわけが無い相手だ。殺される!

「イヤーッ!」アルバトロスは垂直に高く跳躍した。せめて、せめて一矢報いて死ぬべし!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーが何か投げつけた。次の瞬間アルバトロスは地面に叩きつけられていた!「グワーッ!」這いつくばったアルバトロスは自分の足にニンジャロープが巻きついている事に気づいた。

 攻撃の機会すら奪われ打ちひしがれるアルバトロスの背を、ニンジャスレイヤーは無慈悲に踏みつけた。「ア、アイエエエ……!」「……オヌシを尋問する」



7

 時間は前後する……。

『フジキドはダイゴを片手で吊り上げ、窓を引き開ける。そしてダイゴの体を窓から突き出した。「アイエエエ!」遥か下の地面!ダイゴは失禁した。「こ、殺さないで」アガタは言った。フジキドは短く頷いた。そしてダイゴに言った。「戻ってくれば今度はコンクリートめがけて落とす」彼は手を離した!』

『「アイエエエエ!」八階の高さから落下したダイゴの体はシダレヤナギの木にぶつかり、そこから、積み重なった生ゴミの山へ転げ落ちた。満身創痍となった彼が這々の体で路上を逃げて行くのを見下ろし、フジキドは割れた窓を閉めた。「ガラスは弁償します」』

 シダレヤナギの枝で羽を休めていた二羽のバイオスズメは、突然降ってきて枝にバウンドした人間に驚き、ギャアギャアと叫びながら、体長1フィート近い体を羽ばたかせた。

 飛び立ったバイオスズメめがけて、すかさず汚れた空の上からバイオコンドルが降下する。鋭利なニッパーめいたクチバシが、太ったスズメをくわえこもうとする。バイオスズメは攻撃的に抵抗する!

 猛禽的な叫び声をたがいに上げ、まろびながら、二羽と一羽は汚濁した川向こうへと飛んだ。その先にはソメン・ヌードルの屋台がある!

「グワーッ!?」「なんだ!」「ヤクザか!」「バレたか!?」並んでソメン・ヌードルをすすっていた二人のデッカーは、防塵ノレンの中に飛び込んできた鳥たちに色めきたった。「う、撃て!撃て!」「クソーッ!」一人が屋台を横倒しにする!

「アイエエエエ!お客さんわかってくださいよ!仕事にならないよ!」屋台シェフが中腰になって泣き叫んだ。「だまらっしゃい!賠償するわ!」デッカーは無慈悲に叱りつけ、横倒しの屋台の陰からデッカーガンを数発、威嚇射撃した。

「ザッケンナコラー!」威嚇射撃をききつけ、道路を挟んだ「スゴイコワイクラン」とネオン看板を掲げたヤクザ・ブランチから、三人のガードヤクザが飛び出してきた。二人のデッカーは交互に絶え間ない発砲を行う。ガードヤクザはアサルトライフルで応戦!

「撃て!撃て!」「RPG!」「グワーッ!」「撃て!撃ちつくせーッ! 」「グワーッ!」「ビンゴだ!」「アイエエエ!十分ですよ!わかってくださいよ!」

 ナムサン!ヤクザの二人は既に倒れ、一人が絶望的に応戦するばかりだ。火力の差は歴然である。「ザッケンナコラグワーッ!」そのヤクザもデッカーガンの集中砲火を受けて死のダンスを踊る。でたらめな方向へ乱射されるアサルトライフル。アブナイ!

 乱射された銃弾が道路に面したアパートの三階の窓を突き破る。「ペケロッパ!?」窓際でアンティーク・コンソールのキーボードを乱打してIRCにインしていたペケロッパ・カルトの側頭部に銃弾が着弾。「ペ、ペケロッパー!」激しく痙攣したのち、サイバー狂信者はキーボードに突っ伏して絶命!

「撃て!撃て!」「RPG!」「グワーッ!」「撃て!撃ちつくせーッ! 」「グワーッ!」「ビンゴだ!」「アイエエエ!十分ですよ!わかってくださいよ!」

 ナムサン!ヤクザの二人は既に倒れ、一人が絶望的に応戦するばかりだ。火力の差は歴然である。「ザッケンナコラグワーッ!」そのヤクザもデッカーガンの集中砲火を受けて死のダンスを踊る。でたらめな方向へ乱射されるアサルトライフル。アブナイ!

 乱射された銃弾が道路に面したアパートの三階の窓を突き破る。「ペケロッパ!?」窓際でアンティーク・コンソールのキーボードを乱打してIRCにインしていたペケロッパ・カルトの側頭部に銃弾が着弾。「ペ、ペケロッパー!」激しく痙攣したのち、サイバー狂信者はキーボードに突っ伏して絶命!

 キーボードに突っ伏したペケロッパ・カルトの痙攣する額が、デタラメなキー入力をIRCプライベート空間へ送信する!

#hentaisugoidemand :X68kojimichi: SjjjjOUKjjjjjAjjjjjjjjjjI

 電脳IRC空間にペケロッパのポストが飛んだ二秒後、ソウカイ・シンジケートのフルタイム監視システムは、この偶然打ち込まれた文字列を掬い上げていた。ゴウランガ!読者の皆さんも、注意深くこのポストからノイズを取り除いてみていただきたい。この、あまりにも偶然極まりない啓示を……!

「SOUKAI」!強力無比なソウカイ・シンジケートの監視あいまい検索スクリプトは、偶然の文字列からキーワードを抽出し、すぐさまそれをアドミニストレイター権限を持つニンジャへノーティスしていた。むろんそれは言わば誤報である、しかし……!


◆◆◆

「あー、ドーモ、あー、こちらトラッフルホッグです」小太りのニンジャはペケロッパ・カルトの死体を足でひっくり返し、トランシーバー型IRC送信機に報告を行った。「ハイ、ハイ、誤報です。ハイ。あんまり無いケースですね。銃で撃たれて死んだ際に、キーボードを押しちまったんですな、これは」

 トラッフルホッグはアパート廊下の人気に注意しつつレポートする。「外でヤクザとデッカーがドンパチやってたみたいですね。流れ弾で、へへへ、運のねえ兄ちゃんですぜ。シンジケートとの関係はねえです。たまたまです。ええ、自然科学のいたずらで。依頼でもスパイでもねえです。帰りま……ん?」

 トラッフルホッグは眉間にシワを寄せた。「いえ、お待ちを」窓ガラスを開け、集中した。彼はその状態で約二分、クンクンと鼻を鳴らし続けていた。「どうも気のせいじゃねえぞ、これは」

 この斥候ニンジャ、トラッフルホッグの自慢は特異なまでのニンジャ嗅覚である。彼がこの場に派遣されたのは、単に近隣で手の空いた他のソウカイ・ニンジャがいなかったからであるが、なんたる巡り合わせか、ここで彼は、彼にしか感知できなかったであろうものを嗅ぎ取っていたのである。

「……いえ、ニンジャソウルですよ。川向こうだ。ええ、ええ、トレースできますよ、ええ、ええ、ハイ、ハイ、ええ……ヨロコンデー!」トラッフルホッグは切電し、窓から下の路地めがけてダイブした。トラッフルホッグはスカウトされたばかりの新人ニンジャだ。初の特殊任務に彼の胸は踊った。


◆◆◆

 その正方形の部屋には窓もショウジ戸も、フスマも無い。四方の壁には、しかるべき方角にそれぞれ、ドラゴン、ゴリラ、タコ、イーグルの巨大なレリーフが互いに睨みを効かせている。外界から隔絶された特異なゼン・キューブで、一人のニンジャがアグラ・メディテーションを行っていた。

 ニンジャは紐のように痩せて小柄であり、その装束は角度によって様々な色彩をとった。彼は目を閉じていたが、眠っているわけではない。目蓋の裏にサイバネ移植された有機液晶モニタを通して、遠隔地の斥候ニンジャと交信しているのだ。

 ダイダロスが廃人と成り果てた今、彼のフドウノリウツリ・ジツはソウカイ・シンジケートのネットワークの基幹部分にまで侵食を果たしていた。彼を身咎める者はいなかったし、実際、それだけの権限も信頼もあった。

 彼、ウォーロックは、ネオサイタマに潜伏するソウカイ・シックスゲイツのニンジャのリアルタイム所在地を、アンダーニンジャ一人一人に至るまで、つぶさに把握していた。彼のイメージする電子コトダマ空間は寂れきった動物園であり、その案内板は巨大なネオサイタマ交通図だ。

 道路地図の表面に張り付き、てんでバラバラに移動する小さなオハジキが、ニンジャたちのシンボル・アイコンだ。トラッフルホッグが感知した地域にシンジケートのニンジャはいない。つまり……そこにいるのは。

 ザイバツのスパイ?「イッキ」のエージェント?その可能性もゼロではない。なにしろ「彼」がこの二年弱で随分と派手に暴れたおかげで、多くのベテラン・ニンジャが失われた。ネオサイタマのソウカイヤ秩序は穴だらけにスイスチーズ・インシデントして、外敵の侵入を許しがちだ。そう、「彼」のせいで。

 ベテランのニンジャが次々に壮絶な死を遂げるなか、ラオモトはそれでも余裕の姿勢を崩す事はなかった。彼は次々に新たなニンジャを組織に組み入れていったからである。ウォーロックもそのクチであり、ニンジャスレイヤーの出現・殺戮行為と、ウォーロックの出世は強く結びついていた。

 ダイダロスのこともそうだ。彼がああなって半年も経とうか?ウォーロックは最大の監視者の脱落の後、ゆっくりと陰謀の糸を巡らせて行ったのである。「実際あなたを他人とは思えないのです、ニンジャスレイヤー=サン……ダークニンジャ=サンと同じにね……」ウォーロックはひとり、ほくそ笑んだ。

「ドーモ、到着しましたぜ」音声から文字へ変換されたトラッフルホッグのIRCノーティスが網膜に映り、ウォーロックを我に返す。「ニンジャソウルの源はこの安アパートの八階の部屋ですぜ。今は私は路地から見上げています、どうしますか」

 ウォーロックはなかば確信していた。十中八九、ニンジャスレイヤーのアジトだ!……偶然に偶然が重なりドミノ倒しのように導き出された発見の奇跡、その天文学的な有り難みを、ウォーロックは知り得ない。

 ニンジャスレイヤーもまた同様である。これは、神のみぞ知る運命のイタズラであった。きっかけとなったのはニンジャスレイヤーがアガタにしめしたひとかけらの善意である。あのとき彼がダイゴを窓から投げ捨てた事が、巡り巡って最悪の形でインガオホーしたのだ。

 情にサスマタを突き刺せば、メイルストロームへ流される。ミヤモト・マサシはニンジャスレイヤーを「それ見たことか」と笑っているだろうか?彼のひとかけらの善意がまねいた結果を?

「ドーモ、カギを壊して部屋に侵入しました。もうニンジャソウルの主は移動した後のようですぜ。まだ十分追えますが、追いますか?しかしなんとまあサップーケイな部屋ですぜ。PCがあるきりだ」トラッフルホッグは淡々と屋探しを開始している。ウォーロックはしばし考え、決めた。

「よくやりましたね、あなたは役に立ちました」「へえ?」トラッフルホッグが聞き返す。ゼン空間の中でウォーロックはひとり笑った。「ホホホホ!貴方のイドをいただきます!イヤーッ!」ウォーロックは自らの意識をトラッフルホッグへ滑り込ませた。フドウノリウツリ・ジツである!「グワーッ!?」

 一瞬ののち、ウォーロックはサップーケイなアパートの一室に自らを見出だしていた。トラッフルホッグの小太りの体にコネクトした自らの五感。歪んだ笑みが漏れる。

 フドウノリウツリ・ジツの真髄は、その名の通り、意識の乗っ取りだ。これは使用条件が厳しく限定された特殊なジツである。トラッフルホッグは未熟なニンジャであったが故に、ウォーロックの精神侵入を許してしまった。トラッフルホッグの意識はその瞬間に粉々に砕け、既にこの世には存在しておらぬ。

「さてそれでは、はじめさせていただきますよニンジャスレイヤー=サン」ウォーロックはPCの前で正座し、物理ハッキングを開始した……!



8

 電源スイッチを入れると、安物のモニタ上に緑のベクタースキャンが飛び交い、やがて「塩梅」の電子毛筆体フォントを形作った。ウォーロックは眉一つ動かさずに、抜かりなくホームポジション上へすべての指を配置した。

「塩梅」がログインパスワードの入力を求めるよりも速く、ウォーロックはタイピングを開始した。タツジン!これは質問に先んじて質問する物理ハッキングのメソッド「ゼン・ドライブ」であり、ウーンガン・タナカ=サンが体系化したものだ。

 ウォーロックが「塩梅」に要求したのは8ケタの掛け算だ!危険!ニンジャスレイヤーの秘密PCでは処理が追いつかない。「デキマセン」の文字がモニタに表示されかかるが、ウォーロックは容赦なく無意味な質問を矢継ぎ早に浴びせかける。

 ダイダロスが廃人となった今、シンジケートで突出したタイピング速度を持つものはいなくなった。ウォーロックは最速の部類に位置する数人のニンジャの一人である。容赦ないゼン・ドライブが秘密PCを責め立てる。やがてモニタから白い煙が吹き上がった。「ホホホホ!可愛いものですね!」

 ウォーロックが乗り移ったトラッフルホッグの首筋にはLAN端子がサイバネ増設されている。これは僥倖であった。浮浪者や下級サラリマンの体を乗っ取った場合、LAN端子増設は行われていなかったであろうから。

 ウォーロックは左手で8ケタの掛け算を矢継ぎ早に要求し続けながら、右手で素早くケーブルを首筋に挿し、煙を吹き上げるPCに直結した!

「ホホホホ!ホホホホホ!さあ見せていただきますよニンジャスレイヤー=サン!ホホホホホ!」明滅する0と1の渦が網膜モニタを洗う感覚に恍惚としながら、ウォーロックは「塩梅」内の電子コトダマ空間へダイブした!


◆◆◆

「エキサイティングは興奮する」。傾いた巨大ネオン看板には力強いゴシック体でそう書かれ、その寂しげな風情で、この廃映画館がかつてはネオサイタマの人々に興奮と憩いを提供していた過去を伝えている。無駄に広い駐車場の亀裂まみれのコンクリートに周囲を囲まれたこの建物はさながら陸の孤島だ。

 窓ガラスのほとんどが割れ砕け、調度も荒らされ尽くした廃墟であったが、壁沿いには電源ケーブルがヘビめいて這い、ところどころに配置されたヨタモノ除けのブービートラップ類や小型ボンボリが、この建物がいまだ打ち捨てられてはおらず何らかの用途としていまだ生きている事を示していた。

 ナンシーはPCモニタから顔をあげた。あくびをひとつつき、凝った背中を伸ばす。ナンシーはこの廃映画館の管理人室を借用し、計器類を持ち込んである。今回の暗殺作戦にあたっての暫定の観測基地だ。

 廊下へ出ると、壁に空いた大きな穴から、駐車場や廃棄された車、ビル街、朝まだきの曇天が見える。ナンシーは陰鬱な光景を前に、湯気の立つコンブ・カフェをすする。

 事前に打てる手は打った。長い、長い道のりであった。数時間後、すべてが始まり、終わる。リアルタイムでニンジャスレイヤーをサポートするのが自分の仕事だ。それまで仮眠でもとって、酷使したニューロンを休めねばならない。

「……なに?」

 壁の穴から垣間見える廃駐車場に滑り込んできたオートバイの影に、ナンシーの胸はざわついた。

 この廃映画館に機材を持ち込むにあたり、ナンシーはあらかじめネットワーク上に偽の情報リークを行ってある。マッポの中隊が武装してハリコミを行っているという内容だ。よって、一定以上の規模の組織はあえてこの場所へ踏み込まない。情報弱者のヨタモノはブービートラップで十分だ。

 オートバイから降りた人影はただのヨタモノだろうか?こちらへ来るだろうか。ならば、ブービートラップを発動してご退場いただくことになるだろう。だが、この胸騒ぎは?ナンシーは訝った。嫌な予感、としか言いようがない。ナンシーは壁の穴から身を離し、管理人室へ戻ろうと……「!!?」

 振り向いた彼女の眼前に音も無く立っていたのは、ニンジャである!マンリキめいた握力によってナンシーは首筋をつかまれ、床から浮き上がった!「アイエエエ!?」「ドーモ、y,c,n,a,n =サン……読み方はわからんが!ハッハ!」「アア……!」ナンシーはもがいた。ニンジャ、何故……!

「ドーモ、私はバジリスクです」ナンシーを吊り上げたまま、ニンジャはアイサツした。ウロコめいた硬質のニンジャ装束。奇怪なデザインのメンポからのぞく邪悪なルビー色の視線がナンシーを射抜いた。「残念ながら、お前の企みはツツヌケだ。クンクン嗅ぎ回るネズミめ!」「離し、離して……!」

「ハハッハハ!か弱い!なんたるか弱さ!これがニンジャスレイヤーのアキレス腱か!ハッハハハ!」バジリスクが笑う。指先の力を少し緩め、ナンシーに呼吸を許す。「さあ。まずは名を名乗れ。ブロンド女と言えど、戦さの礼儀は知っておろう」「ペッ!」返答のかわりにナンシーはツバを吐き掛けた。

 バジリスクの首は異常な柔軟性をしめし、ぐにゃりと曲がってナンシーのツバを回避した。「ハハハッハハハ!実に強気!ではお前がどんな声で鳴くのかを一日かけてじっくり確かめてやろう」再び首筋をつかむ手に力がこもる!「ア……ア……」

「一日も時間はありませんよ、バジリスク=サン」新手である。廊下を歩いてきたのは小太りのニンジャだ。もがくナンシーを吊り上げたまま、バジリスクの赤い眼光がそちらへ向いた。「名乗れ」「ホホホホ、おわかりでしょう」小太りのニンジャはもったいぶった滑稽なオジギで答える。

「フン!」バジリスクは鼻を鳴らした。「そのボディもお前の不可解なジョークの一環か?」「ニンジャの体を乗っ取れる事などそうそう無いものです!それだけ、このボディの持ち主がサンシタだったとも言えますがね、残念ながら!ホホホ!」

「負け犬の八人は?」バジリスクは単刀直入に聞いた。小太りのニンジャは笑いやめた。「10分以内にここへ集まります。ミッション開始までさほど時間が無い。……その女が例の『ycnan』とやらですか。ニンジャではないのですね」「そうだ。ニンジャではない。か弱いものよ」

 ナンシーは二人のニンジャの会話を絶望とともに聞いていた。計画は頓挫したのだろうか。何故?「負け犬の八人」……?二人のニンジャはあけすけに会話している。つまり、この後ナンシーが解放される事はありえず、遅かれ早かれ、必ず命を奪われるという事だ。

「この女。尋問はどうする」バジリスクが言う。小太りのニンジャが首を振った。「たいして聞きたい事もありません。聞いている時間もない」「殺すか?」「……いや、使い道はまだあるやも。拘束しておきましょう」「フン……」

 バジリスクの赤い目がナンシーを覗き込んだ。「おれを見ろ。女」ナンシーは身をよじって目をそらそうとした。しかし体はすでに言う事を聞かない。バジリスクの眼光がナンシーを捉え、彼女の視界は赤く染まった。手足の感覚が失われ、舌が痺れ、やがて彼女はなすすべも無く、床に投げ落とされていた。

「種明かしをすれば、ニンジャスレイヤー=サンのアジトをハックさせていただきました」小太りのニンジャがナンシーを見下ろした。視界は赤く、音はノイズまみれだが、目を動かし耳で聞く事だけはできる。そういうジツなのか、あえてバジリスクがそうしたのかはわからない。

「ゴアイサツサマ生命。今日の昼ですか。よくぞあの用心深いボスを乗せたものです。さぞかし大変な下準備をされた事でしょうね?」ナンシーは歯を食い縛ろうとしたが、麻痺した体ではそれすら許されなかった。「ですが、そう悲観したものでもない」小太りのニンジャはしゃがみこんだ。

「……!」「あなたがたの計画は我々がそのまま遂行させていただます。若干のアレンジを上乗せしてね!無論、ニンジャスレイヤー=サンもその場で葬られる事になります。これぞまさに、アブハチトラズだ!」小太りのニンジャはバジリスクを見た。バジリスクはうなずいた。「……アブハチトラズ」

(一体どういう事?)ナンシーは訝った。彼らはソウカイ・シンジケートの手のものではないのか?そのはずだ、現にこの小太りのニンジャは、ラオモトの事をボスと呼んでいる。なぜ彼らが暗殺計画を引き継ぐのか?「おわかりでしょう、ゲコクジョです」小太りのニンジャは屈託無く告げる。

「ボスは実に素晴らしい統治者だ。ボーナス査定や温泉旅行にも気を配っている。だが、あるとき私は自問自答し、ひとつの結論に至った……私のニンジャソウルをもってして、シンジケートをまるまる頂くのが手っ取り早いとね!」「……私達、だ。おれとお前の二人だ」バジリスクが横から訂正する。

「その通り」小太りのニンジャは素直に頷いた。「ニンジャスレイヤー=サンはこの二年で随分と暴れたものだ。『シックスゲイツの六人』も、入れ替わりが激しくていけません。部下の忠誠心を繋ぎ続けるのも難しくなろうというものですな」他人事のように言う。

「……来たぞ。負け犬どもだ」バジリスクが廊下の闇を見やり、告げた。「ホホホ!よろしい。美しい方。あなたはここで我々と高みの見物です。ニンジャスレイヤー=サンとボス、ダークニンジャ=サンがネコソギされ、新秩序が生まれる瞬間を体験するのですよ、みずからの死の直前にね!ホホホホホ!」

(ニンジャスレイヤーのアジトが割られ、PCが直接に物理ハッキングされたという事?そこから今回のやり取りのログが……しかし、あれほど用心深く振舞ってきた彼を、どうやって……?)ナンシーの思考は乱れた。赤く染まった視界が徐々にぼやけ、意識が遠のく。大勢のニンジャが廊下を歩いて来る……


◆◆◆



前後した時間は再び戻ってゆく……。


「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワ、グワーッ!」「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」「グ、グワーッ!グワアアーッ!アーッ!ア、アイエエエ!」「イヤーッ!」「わ、わかった話す、ニンジャスレイヤー=サン、頼む」「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」「アイエエエエ!」


◆◆◆


 頭上の眩しい光がナンシーの意識を激しくノックした。驚いて跳ね起きる。ナンシーは自身がカナシバリ・ジツにかけられていた事を思い出す。動ける。ジツが解けたのか?ナンシーは自分の手を見つめる。「いや、そうじャない。あンたは依然、渦中だよ」

 背後から老婆の声がした。ナンシーは振り返る。そして自分が置かれた場所の非現実的な光景を唐突に認識した。全方向、どこまでも伸びてゆき、フラットな地平線を形作る大地。大地にはゴミが敷き詰められている。まるでゴミの砂漠だ。どことなくドリームランド埋立地の光景を想起させるが、広大すぎる。

 頭上の眩しい光は太陽ではなかった。病んだ太陽は地平線の上で、じくじくと黒いフレアをにじませている。頭上の輝きは黄金の構造物から発せられている。ナンシーにとって、その構造物はあまりにも見慣れたものだ。コトダマ空間において、常に目にしている、あの……

「あンたは、いまだ縛られているンだよ」色とりどりのボロを重ね着した不気味な老婆がナンシーの前に立った。その背丈、10フィートはある!ナンシーは後ずさった。「ここはコトダマ空間?でも、私はログインしていない」「ログイン?ファー、ファー、ファー」老婆はゆっくりと笑った。

「今日はあンたにアイサツにきたンだよ、お嬢ちャま。ドーモ、バーバヤガ、です」老婆はオジギした。背中にとまる数匹のカラスがギャアギャアと叫んだ。「ドーモ、バーバヤガ=サン。私はycnanです」ナンシーは注意深くアイサツを返す。コトダマ空間ゆえ、ycnanもスムーズに発音される。

「ファー、ファー、ファー」バーバヤガが笑う。「あンたの生き急ぎッぷりが、あたしャ好きなンだよ、お嬢ちャま。あンたの『肉の檻』、今ずいぶン大変なようだけれど、なンとか切り抜けて、また会いに来るといいよ」

 老婆が片手を上げると、天空から巨大なボロ屋台が落下してきた。屋台のノレンには「ゴンダ」と楷書書きされている。屋台からは鋼鉄製の脚が生えており、それが膝を折って、バーバヤガを屋台の中に迎え入れる。ナンシーは言葉を失い、そのさまを見守った。

 老婆が入り込むや、巨大な屋台は天空へ轟音とともにジャンプした。風に乗って老婆の声が届く。「あンたは、有望だよ、ここで死ぬンじャないよ……ファー、ファー、ファー」

 010010100101

 ナンシーは覚醒した。管理人室だ。何時間経った?デスクのそばを興奮した面持ちでグルグルと歩き回る小太りのニンジャがまず目に入った。視界は赤く、体の自由はきかないままだ。

「クソッ……クソッ……クソッ……こんなバカな事が……こんなハズは……」小太りのニンジャは歩き回りながら毒づいていた。扉が開き、バジリスクが入室する。「車を回した。頃合いだ」小太りのニンジャが叫ぶ。「奴らの腕は確かなのだ!それぞれに四人ずつ、抜かりはない、ありえないんです!」

「さっさと引き払うぞ」バジリスクは吐き捨てるように言い、ナンシーを荒っぽく担ぎ上げた。「記憶素子は抜き取ったか」「ええ、ええ、私は取り乱してなどおりませんよ。行きましょう」「フン」ナンシーを担いだまま、バジリスクは階段を早足で降りて行く。もう一人もそれに続く。

 ナンシーを担いだバジリスクと小太りのニンジャは、廃駐車場に停めたオートバイと装甲車に向かって歩いた。ナンシーは時刻を類推しようとしたが、意識はぼやけ、不完全な視界。不可能だった。

「おれがお前のバイクを使う。お前はこの女と装甲車だ」バジリスクがいきなりナンシーを小太りのニンジャに向かって投げた。「ええ、ええ」小太りのニンジャはナンシーを受け止め、装甲車のドアを開けて、そこへ放り込む。(レディの扱いを心得ない奴らね)なす術の無いナンシーは心中で毒づく。

 クルマとオートバイはエンジンをスタートさせ、廃駐車場を出ると、ハイウェイをめざして爆走する。装甲車両の助手席、シートベルトで固定され、五感のほとんどを奪われたナンシーは、まるで夢の中を滑っていくような心持ちであった。

 ナンシーは働かない頭で状況把握につとめた。あの廃映画館を拠点にした事はニンジャスレイヤーにも伝えていない。つまり、彼の助けをアテにはできないかもしれない。用心が仇となったのだ。

 装甲車両とバジリスクのオートバイはともにハイウェイに入り込んだ。車両を運転しながら、小太りのニンジャはオートバイのバジリスクと音声変換IRCで連絡を取り合っている。

「ええ、ええ、このまま埠頭まで。そうです。ええ、信頼していますとも。まだ将棋はオーテしていない。そうです!」無理な追い越しをかけながら、二台はさらにスピードを上げる。

「このエマージェンシーさえ切り抜ければ、まだまだやりようはある。たとえ八人全てが倒されていようとも……ええ、なにしろ私は不死身だ!そしてあなたのイビルアイはかつてのビホルダー=サンの比ではない!そもそもニンジャスレイヤーにせよボスにせよ、我々を追って来るわけが……発想すら……」

「なにーッ!!」突如、小太りのニンジャは急ブレーキをかけ、ハンドルを目一杯に切った。あやうく装甲車両が横転しかかる!ナンシーは前方の状況を垣間見た……燃え盛る車が積み上げられ、バリケードのように行く手を塞いでいる!

『奴だ……ガガッ……奴だ……』小太りのニンジャのヘッドセット型IRC通信機からバジリスクの音声が漏れる。ナンシーは見た。積み重なった車の上に真っ直ぐに立つ存在を。「バカな!バカな!」小太りのニンジャは取り乱し、ハンドルを殴りつけた。「早すぎる!オカシイ!」

 フロントガラスの向こうで、その人影はオジギした。ナンシーの目に涙が浮かんだ。オジギしながら、その人影はこう言っていたに違いない。……「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」と。



9

 バジリスクは1200ccオートバイをドリフトさせ、燃え盛るクルマのバリケードを避けて停止した。IRCインカムに呟く「奴だ、ウォーロック=サン。ニンジャスレイヤーだ」ルビー色の眼光がバリケードの上に直立したニンジャを見上げた。「俺が奴を殺す」

 バリケード上のニンジャがゆっくりとオジギする。「ドーモ。はじめましてバジリスク=サン。ニンジャスレイヤーです」「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。バジリスクです」バジリスクはオートバイのペダル上で立ち、オジギを返した。「どうやって俺たちを知った?ニンジャスレイヤー=サン」

 ニンジャスレイヤーは手に持っていた何かを、バジリスクの足元へ投げてよこす。ナムアミダブツ!生首だ!空力ニンジャ頭巾を被ったニンジャの生首である。両目はえぐり出されて既に無く、からっぽの眼窩と視神経が剥き出しになっている!

「これが答えだ。アルバトロス=サンを拷問し、状況判断したまでだ」ニンジャスレイヤーは淡々と言った。「オヌシもこのようにする。ニンジャ殺すべし」

 ニンジャスレイヤーの「忍」「殺」のメンポが、炎の照り返しを受けて禍々しく輝く!並のニンジャであれば戦意を喪失し、失禁しながらセプクするほどの威圧感である。だがバジリスクは迷いなく攻撃に転じた!「イヤーッ!」アフリカ投げナイフめいた邪悪な特殊スリケンが放たれる!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは燃え盛るクルマのバリケードから回転ジャンプし、アフリカ投げナイフめいた邪悪なスリケンを回避した。そして一度に六枚のスリケンを投げる。そのターゲットはバジリスクではなく装甲車両だ!

 カカカカカカ、と音を立て、装甲車両の装甲ボンネットにスリケンが深々と突き刺さる。「先に行け!奴は俺が殺す!」バジリスクはインカムに叫んだ。ウォーロックの装甲車両は煙をあげながら急旋回し、無人ハイウェイを逆走にかかる!

「イヤーッ!」バジリスクはアフリカ投げナイフめいた邪悪なスリケンを再び投げつけた。微妙な時間差とカーブのかかったタツジン的な投擲である。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはバジリスクへ接近しつつスリケンを投げ返し、アフリカ投げナイフめいた邪悪なスリケンを弾き飛ばす!

 なぜスリケンを指で挟み取らず、自分のスリケンを投げ返す回避方法を取ったのか?ニンジャスレイヤーはタツジン的なニンジャ反射神経とニンジャ洞察力により、バジリスクのアフリカ投げナイフめいた邪悪なスリケンに毒が塗られている事を見抜いたのだ。

 互い違いに複数の歪んだ刃が飛び出したアフリカ投げナイフめいた邪悪なスリケンは、平安時代、とくにトカゲ・ニンジャ・クランに好まれた武器だ。トカゲ・ニンジャ・クランはコブラ・ニンジャ・クランと義兄弟関係にあり、ドク・ジツに特化したカラテが恐れられていた。

 ニンジャスレイヤーは複雑極まりない文化的背景を踏まえ、この危険な敵との戦闘方法を検討しているのである。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーが仕掛けた。飛び蹴りだ!

「イヤーッ!」バジリスクはオートバイをウイリーさせ、ニンジャスレイヤーに体当たりを試みた。1200cc、ヘルヒキャク社の最新モデル、アイアンオトメの黒光りする車体が襲いかかる!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは素早く前輪のホイールを蹴って体当たりを回避、バク転して飛び離れる。「イヤーッ!」バジリスクのアイアンオトメがニンジャスレイヤーを轢き殺しにかかる!

「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはアイアンオトメのフルスロットル加速に匹敵する速度でバク転を繰り返す。「逃げ回るだけかニンジャスレイヤー!轢殺してくれる!」バジリスクが車体を再度ウイリーさせた!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはバク転しながら燃え上がるクルマ・バリケードのぎりぎりまでバジリスクを誘い、垂直ジャンプで激突させようとした。しかしバジリスクのバイク・テクニック、冷静!ドリフトしながら彼は燃える廃車の車体を蹴って方向転換する!

「このままマッポが来るまで時間稼ぎでもするつもりか?くだらんぞニンジャスレイヤー!」エンジンを轟かせながらバジリスクが挑発する。

 ニンジャスレイヤーは三角跳びで手近の街灯の上へ跳び移り、バジリスクを見下ろした。バジリスクは続ける。「世の中には二種類の人間がいる。ニンジャとクズだ!そしてニンジャは二種類に分かれる。命令を遂行する飼犬!あるいは殺しを愉しみ、命を食って生きる真の戦士だ!」

「貴様は俺と同じ殺戮嗜好者、真の戦士であるはず。ニンジャスレイヤー=サン、俺にとってこんな嬉しい事は無いのだ!死ね!」バジリスクがバイクをフルスロットルし、ニンジャスレイヤーがスズメめいてとまる道路灯めがけ真っ直ぐに突進する!

 ゴウランガ!バジリスクの巧み極まりない操車術のもと、アイアンオトメは垂直に道路灯の柱を駆け上る!「イヤーッ!」バジリスクは一瞬にして道路灯の頂上まで上がりきると、片足だけをフットレストに引っ掛け、身を投げ出してニンジャスレイヤーにナイフで斬りつけた!ハコノリ!「グワーッ!」

 バジリスクのナイフはウネウネと波打った特異な形状だ。当然、毒が塗られているはず。ニンジャスレイヤーは想定外の奇襲攻撃をのけぞりながら躱すも、道路灯からは足を踏み外し転落!ナムサン!

「イヤーッ!」驚異的なバランス感覚で再びシートに座り直したバジリスクは、落下するニンジャスレイヤーめがけ、アイアンオトメごと支柱から飛び降りた。なんたる曲技!「潰れて臓物を撒き散らせ!ニンジャスレイヤー=サン!」

 猫のように着地したニンジャスレイヤーは、カギつきニンジャロープを道路灯の支柱めがけて素早く投げつけた。「イヤーッ!」カギはガッチリと柱を噛んだ!鉄の塊に押し潰される寸前、ニンジャスレイヤーの身体は支柱へ吸い寄せられるようにして横に跳んだ。ニンジャロープの機械式巻き上げ機能だ!

 ニンジャスレイヤーはそのまま両手で支柱を掴むと、新体操の鉄棒選手めいた回転で反動をつけ、着地したばかりのバジリスクめがけてドロップキックを繰り出す。「イヤーッ!」「グワーッ!」不意を突かれたバジリスクは頭部に遠心力の乗った蹴りを受け、アイアンオトメから転がり落ちた!

「ムッ……ウムッ……」首を振りながら起き上がるバジリスクへ、ニンジャスレイヤーは油断無いジュー・ジツの構えでジリジリと近づく。「さすがだニンジャスレイヤー=サン……」バジリスクは朦朧と呟く。ドロップキックのダメージが抜けていないのだ、いや違う!「!?イヤーッ!」「カーッ!」

 ニンジャスレイヤーは反射的にブリッジした。一瞬前まで彼の上半身があった空間をルビー色の光線が貫いた。光線の源はバジリスクのイビルアイだ!卓越したニンジャ第六感が無ければ、ニンジャスレイヤーはなんらかの致命的なジツを受けていたのだ!

「カーッ!」「イヤーッ!」再度のイビルアイ光線が、ブリッジ姿勢のニンジャスレイヤーを襲う!ニンジャスレイヤーはタイドー・バックフリップを繰り出し、光線を避ける!

 距離を取りジュー・ジツを構え直しながら、ニンジャスレイヤーは、かつてビホルダーと戦い葬った日の事を思い出していた。ビホルダーもまた恐るべきイビルアイの使い手であったが、彼の眼力は視線を避けるムーンウォーク接近によって破る事ができた。バジリスクのこれはしかし、性質が違うようだ。

「フン、考えているなニンジャスレイヤー=サン」バジリスクは酷薄に笑う。「手の内を明かしてやる。俺のイビルアイは相手の視線なぞ意に介さぬ。俺が睨んでやれば、それまでだ。目が眩む者、あるいは四肢が痺れる者。あるいは細胞が硬直し、あるいは血流が止まり死に至る者。決めるのは俺だ」

 ニンジャスレイヤーはわずかずつ間合いを詰める。何らかの兆しの動作があれば瞬時に回避動作を取る腹づもりだ。「……そして、このイビルアイはそうそう濫用できるジツでもないのだ。ゆえに、イヤーッ!」バジリスクはいきなりアフリカ投げナイフめいた邪悪なスリケンを両手で投げつけた!

「!!」イビルアイに注意を傾けていたニンジャスレイヤーの一瞬の反応差がウカツ!半身になってアフリカ投げナイフめいた邪悪なスリケンをかわすが、微妙なスピンによって飛行の軌跡が歪み、ニンジャスレイヤーの脇腹をかすめる!「グワーッ!」

「イヤーッ!」バジリスクが飛び込む。ジャンプして一気に間合いをつめながらの蹴り上げが、ひるんだニンジャスレイヤーの顎をとらえる!「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは道路を転がり、アイアンオトメにぶつかった!

「イヤーッ!」さらにバジリスクは追撃した。刀身にうねりのついた邪悪なナイフを突き刺しにかかる!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは裏拳で切っ先をそらし、バジリスクの首元を掴むと、倒れ込みながら後ろへ投げ飛ばした。アイキドーの禁じ手として知られるカタパルト・スローだ!

「ハッハハハハ!」空中でくるくると回転しながらバジリスクは笑った。お返しとばかりに、アフリカ投げナイフめいた邪悪なスリケンが飛来する。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは側転してそれをかわし、己もスリケンを投げつける。

 空中から垂直落下したバジリスクは、アイアンオトメのシートにスムーズに着席した。「ハッハハハハ!」ニンジャスレイヤーは側転からバク転を六連続して間合いをとり、腰を落とした構えをとる。「スウーッ!ハァーッ!」

 バジリスクはうねりのついた邪悪なナイフを投げ捨てた。アイアンオトメのエンジンをふかしながら、背中に負っていた短いニンジャソードを鞘走らせる。格納形態のニンジャソードは、彼が真横に刃を振り抜くと、音を立てて二倍の長さになった。その刃はやはりウネウネと波打っている!

「カイシャクしてやろう、ニンジャスレイヤー=サン」空ぶかしでアイアンオトメが唸り、そのマフラーが地獄めいた黒煙を吐き出す。「ここで貴様を殺し、ラオモト・カンの命も必ずいただく。貴様もラオモトも、俺たちの踏み台に過ぎんのだ。貴様は地獄でそれを見ておれ」「スウーッ、ハァーッ!」

 息を深く吸い、吐くたび、腰を落として構えたニンジャスレイヤーの肩は小刻みに震えた。「スウーッ!ハァーッ!」燃えるクルマ・バリケードを背にしたバジリスクのシルエットが陽炎に揺れる。「スリケンの毒の味はどうだ、ニンジャスレイヤー=サン。満足に動けまい」「スウーッ!ハァーッ!」

「終わりだ!イヤーッ!」フルスロットル!バジリスクがアイアンオトメで突進する!手にした波状刃ニンジャソードの先端が道路のアスファルトを擦り、火花が飛び散る!「スウーッ!ハァーッ!」ニンジャスレイヤーは全身が震えるほどに深い呼吸を繰り返し、さらに腰を落とす!

「イヤーッ!」「Wassyoi!」

 オートバイの突進から繰り出された波状刃ニンジャソードの長大な攻撃軌道を、ニンジャスレイヤーはのけぞりながらの跳躍で出迎えた……背面跳びである!

 刃が走り抜けたその軌跡は、ニンジャスレイヤーの背面、わずか1センチ下である!空中で上下逆さまになったニンジャスレイヤーは走り抜けるバジリスクの首筋へ両手を伸ばす。捉える!

「イヤーッ!」「グワーッ!」

 ニンジャスレイヤーは体をひねって着地した。走り去るアイアンオトメ。バジリスクの手から波状刃ニンジャソードが落ちる。バジリスクの上半身がぐらりと傾く。

 ……と、バジリスクの首筋から赤い花弁のように血液が噴き上がった。そのままアイアンオトメから転落し、アスファルトをバウンドする。遅れて、操縦者を失ったアイアンオトメが転倒し、滑って行く。

 読者の皆さんの中にグレーターニンジャ並みのニンジャ動体視力を持つものがいれば、その一瞬の交錯を目届ける事ができたかもしれない。ニンジャスレイヤーは両手をバジリスクの首筋に絡みつかせると、そのまま、バジリスクの首を中心に二回転した。二回転である。

 ニンジャスレイヤーの指先は、回転しながらバジリスクのウロコめいたニンジャ装束の首回りを切り裂き、首の筋肉を切り裂き、頸動脈を切り裂いていた……!

「グッ、グワ、ニンジャスレイヤーグワーッ…グワーッ……!」激しく血液を噴き出しながら、バジリスクはなおも起き上がろうとする。存命!だがそれもニンジャスレイヤーの想定内だ。そもそも彼は首を切断するつもりだった。身中の毒ゆえか、バジリスクのニンジャ耐久力ゆえか、不完全な結果となった。

 ニンジャスレイヤーはとどめを刺すべく、大股でバジリスクへ接近する。致命傷だ。長くはない。「なんという男だニンジャスレイヤー=サン、ゴッボ!」異形メンポの通気孔から血がこぼれる、「四人の刺客を葬り、なおかつ手負いの身でありながら、この俺を……罪罰影組合における俺は……ゴッボッ!」

「……ハイクを詠むか?バジリスク=サン」接近しながらニンジャスレイヤーが問う。バジリスクは起き上がろうとして仰向けに倒れ、震えながら再度、上体を起こした。「ゴボッ、ハイクなど、未練がましい犬の所業よ!そしてゴボッ、貴様の情けは」バジリスクがニンジャスレイヤーを睨む!

「情けは……情けは慢心だ!死ねニンジャスレイヤー!カーッ!」バジリスクの赤い眼光がニンジャスレイヤーを直撃した!イビルアイ!ナムアミダブツ!

「グワーッ!」ショットガンで撃たれたように仰け反り、仰向けに地面に叩きつけられたのは……バジリスクである!

 ニンジャスレイヤーは、己の顔の前に掲げたアイアンオトメのミラーを投げ捨てた。蹴りを受けてアイアンオトメにぶつかった時に、素早くもぎ取っていたのだ。

 ミラーが反射した己のイビルアイ光線をまともに受けたバジリスクは、大の字でアスファルトに横たわっていた。硬直し、ひび割れ、コンクリートめいた半有機体の無残な死骸となったバジリスクを一瞥すると、ニンジャスレイヤーは横倒しのアイアンオトメに向かって歩いた。

 車体を起こし二度キックを入れると、アイアンオトメは凶暴な唸りをあげて息を吹き返した。背後に燃え上がるクルマ・バリケードとバジリスクの死骸を残し、黒光りするオートバイにまたがったニンジャスレイヤーは、無人のハイウェイを全速で駆け抜けていった。



10

「バジリスク=サン!バ……バジリスク=サン!」ウォーロックはIRC音声変換インカムへ向かってほとんど絶叫していた。それに伴い運転もまた荒っぽいものとなる。装甲車両は最寄りのインターチェンジをブレイコウ突破し、アンダー産業道路のトラックの車列をぬって場違いに走行していた。

「あ……」助手席のナンシー・リーが震え声で囁く。カナシバリ効果が薄れつつあるのだ。「……貴方の大事な相棒、ど、どうやら今頃サンズ・リバーを渡っているようね」「イヤーッ!」「ウウッ!」運転しながら、ウォーロックは容赦なくその左頬を殴りつけた。

「黙りなさい!バジリスク=サンが死んだとしても、貴方がこれから辿る運命よりは幾分マシです!」ウォーロックはナンシーに顔を近づけた。運転が乱れ車両がスピンしかかる。「クソッ!」ハンドルを切り、ジグザグに走行しながらトラックを避けて行く。憤慨したクラクションが後ろから複数飛んでくる。

「あ……あなたの運命はどうなのかしらね?失敗続きの名無しのニンジャ=サン」ナンシーが冷笑した。「イヤーッ!」「ウウッ!」「私は女に興味は無い。だから大事にはしません。わかったか!?黙れッ!」

「あらそう、そりゃよかったわ」ナンシーはせせら笑う。「もう一人の相棒=サンのほうが私の好みに合いそうだしね。死んでしまったようで残念ね」「イ……」ウォーロックは拳を震わせたが、殴りはしなかった。「……せいぜい強がっていなさい。今だけです」

 ナンシーはダッシュボードへ血の混じったツバを吐いた。カナシバリこそ解けかかっていたが、彼女は後ろ手に手錠で拘束されている。

 アンダー産業道路の左手が開け、グロテスクなパイプを建物から建物へ心臓めいて張り巡らせた工業地帯と、背後の陰鬱な海が見えてくる。車両は速度を上げながら、「ベイサイド」とデジタル表示された表示板の下をくぐり抜けた。

 装甲車両がひた走り、目指すのは……倉庫群に囲まれた、埠頭のヘリポートである。


◆◆◆

 黄金の瓦屋根をルーフパネルに装着した長大なリムジンが滑るように進み出、灰色の海を臨んでしめやかに停止した。ドラゴン、ゴリラ、タコ、イーグル……平安時代の四聖獣の像が、黄金の瓦屋根から四方を睥睨する。

 音もなく助手席のドアが開き、まず降りてきたのはダークスーツとオールバックの黒髪、埋め込みサングラスの男だ。ヨロシサンの上級エンジニアであれば、これがカスタムクローンヤクザY-13Rである事を見抜いただろう。その右耳は痛々しく千切れ、周囲が血に染まり、焼け焦げている。

 次に、後部ドアが開き、バイオレッサーパンダの毛皮コートを玉虫色のドレスの上に羽織ったオイランが、全部で三人。よろめきながら降り立つ。

 リムジンバスが停車したのは円形の巨大ヘリポートの縁であり、リムジンバスの停車位置からヘリポートの中心部へかけて、待機していた大勢のクローンヤクザY-12型が、臙脂色のカーペットを敷きながら、二列に整列した。

 全員が無言である。三人のオイランがガタガタと震えているのは海風のせいではない。ここへ到着するまでにくぐり抜けた恐怖と、それ以上に恐ろしい、いまだ車内にいる存在が理由である……。

 クローンヤクザY-13Rとオイランたちが脇へのき、その男が車内から、彼以外の何人たりとも足をつけてはならぬカーペット上へ降り立ったとき、張り詰めた空気がぐにゃりと歪んだかと思われた。銀河的なダーク・ラメ・スーツとニンジャ頭巾、鬼のようなメンポ。……ラオモト・カンである。

 ガバッ、と音を立て、カーペットに沿って整列したクローンヤクザY-12が一斉に45度の最オジギをした。クローンならではの一糸乱れぬ行動であった。一瞬の沈黙があった。

「……。イヤーッ!」ラオモト・カンの両手が閃いた。それぞれの手には抜刀したカタナが握られていた。一瞬遅れて一番手前の二人のクローンヤクザの首が胴体から離れ、ゴトリと落下。切断面から同時に緑の鮮血を噴出し、同時にドゲザめいた姿勢でうつ伏せに倒れ、同時に絶命した。ゴウランガ……!

「ア、アイエエ……」オイランが歯噛みしながら悲鳴を漏らす。ボドボドと流れ出す緑の血液は空気に触れると赤く酸化し、カーペットと同色になった。ズシリ。ラオモトが一歩踏み出した。列になったクローンヤクザ全員が一瞬にして正座した。

 ズシリ。ラオモトがもう一歩踏み出す。正座したクローンヤクザが一斉に懐からドスを取り出した。ズシリ。さらに一歩。クローンヤクザは一斉にドスで自らの下腹部を切り裂いた!セプク!

 ラオモトに笑みは無い!セプクしたクローンヤクザの首を両手のカタナで順々に刈り取りながら、ヘリポート中心へ伸びたカーペットを前進する。そこにヘリは無い。クローンヤクザ達のセプクの理由はそれだ。タイムイズマネーをモットーとするラオモトはアンパンクチュアルを決して許さないのだ!

 しかも、ヘリコプターの迎えが来ていないのは現場で待機していたクローンヤクザ達の責任ではなく、なにより恐ろしいのは、ラオモト自身がその事を重々承知なのである。ナムアミダブツ!なんたる日本的犠牲道徳のあり方!

 臙脂のカーペットは殺戮のハナミチと化し、ラオモトはヘリポート中心付近で無言のまま直立するのであった。海上を貨物船が通過し、陰鬱なサイレンが鳴り響く。

「……」ラオモトは首を巡らせ、倉庫群の方角を見やった。護衛カスタムクローンヤクザY-13Rは主人の邪魔にならない距離を保ちつつ、その方角へアサルトライフルを構えた。

「シバラク、シバラク!」倉庫の陰から姿を現したのは小太りのニンジャである。後ろ手に手錠をかけられたレザースーツ姿のコーカソイドの女を引きずり、ヘリポートへ近づいてくる。

 カスタムクローンヤクザY-13Rが無言で銃口をニンジャに向けた。オイランたちはラオモトのもとへ小走りに近づき、刀を濡らすクローンヤクザのバイオ鮮血を必死に舐めとり始めた。

「ドーモ、ラオモト=サン、私はトラッフルホッグです」小太りのニンジャは片膝をついてアイサツした。手錠につながるロープをグイと引くと、女は呻き、よろめいた。その左頬には殴られた跡がある。

「ドーモ、トラッフルホッグ=サン」轟くような低音でラオモトが返す。足元ではオイランたちが必死でカタナに舌を這わせている。「その見苦しい女をどうするのだ?」「この女が、あれでございます」グイグイとロープを引っ張りながらトラッフルホッグが説明する。女は猿轡を噛まされ、話す事ができぬ。

「この女こそ、今回ラオモト=サンをゴアイサツサマ生命ビルにおびき出して御命を狙ったネズミにございます!」トラッフルホッグがまくし立てた。「この女、ソウカイ・シンジケートの反乱分子と謀って、ラオモト=サンを襲撃させたと推察されます!」

「なるほどそうか」ラオモトは無感動に言った。カスタムクローンヤクザY-13Rはラオモトに目配せした。ラオモトは頷き、アサルトライフルの銃口を下ろさせた。「続けろ、トラッフルホッグ=サン」

「ヨロコンデーッ!」トラッフルホッグは ヒキガエルめいて大袈裟にドゲザした。「ゴアイサツサマ生命ビルへ向かう途中でクローンヤクザの護衛車両二台を向かわせる事となった襲撃者情報……あの情報自体、この女が流したオトリだったのです!」

「ウウッ!」女が呻いた。トラッフルホッグは続ける。「実に恐るべき計画でした。生体キーを調べればわかりますが、この女はゴアイサツサマ生命執行役員の肩書きを持っています。大胆にもハッキングでシャチョーになったのです!」

「ボスとダークニンジャ=サンをゴアイサツサマ生命カンファレンス会場へ呼び出し、爆破して葬り去るのがこの女の計画でした。さらにこの女、ソウカイ・ニンジャの裏切り者たちを動員し、暗殺部隊としていたのです……ご、ご無事で何よりでした、ラオモト=サン!」トラッフルホッグは再ドゲザした。

 トラッフルホッグは顔を地面にぴったりとつけ、ラオモトの返答を待った。ラオモトはじっとトラッフルホッグを見据える。オイランが刀についた血を舐め終え、しめやかに三歩後退して正座した。

「マッ!マーッ!」突然、カスタムクローンヤクザY-13Rが奇声を上げ、痙攣した!そしてアサルトライフルをドゲザしたトラッフルホッグに向けると、全弾撃ち込んだ!声もなくハチの巣と化すトラッフルホッグ!ナムサン!

「信じてはなりません、ボス!」カスタムクローンヤクザY-13Rはアサルトライフルをリロードし、さらに全弾、トラッフルホッグに叩き込む。ドゲザニンジャは抵抗の間もなくズダ袋と化す!一瞬の交錯ののち、Y-13Rはラオモトへ向き直りオジギした。「ドーモ、偉大なるボス。ウォーロックです」

 Y-13Rはオジギ姿勢のまま続けた。「このクローンヤクザの体を乗っ取らせていただきました。突然のお目汚しでございますが、緊急時ゆえ偉大なるボスの安全を優先いたしました。申し訳ございません」

「フン、よい」ラオモトは二本のカタナを鞘に収めた。「オヌシが今回のふざけた陰謀劇の真相とやらを掴んだか?ウォーロック=サン。俺様の満足に足る情報を?」「ハハーッ!」クローンヤクザの体を奪ったウォーロックは鋭角15度でオジギした!

「トラッフルホッグは恥知らずな裏切り者のひとり!今回の暗殺計画は罪罰影組合をヌケニンした危険なニンジャ、バジリスクが仕組んだものです。この愚かな女が偉大なるボスを狙っていたのは確かですが、バジリスクはその計画を乗っ取り、裏切り者たちを用いて偉大なるボスの暗殺を企んだのです!」

 罪罰影組合の名を耳にした瞬間、ラオモトの目は細まった。ウォーロックは続ける。「ワタクシめが陰謀の全体像を知り得たのはつい先頃です。そして、驚くべきニュースです。この女はニンジャスレイヤーの協力者なのです!」

「ほほう!」ラオモトの声音が初めて好奇心の色を帯びた。「ニンジャスレイヤーの協力者とな!」「ハーッ!もともとはニセのカンファレンスに偉大なるボスを呼び出し、ニンジャスレイヤーに襲わせる計画だったようです。それに目をつけたのがバジリスク!」

 ウォーロックはほとんど絶叫しながら説明していた。「今回のふざけた陰謀、確かにシンジケートにとって不快な出来事ではありました……しかし、なんとなれば、サイオー・ホースでもございます!裏切り者をあぶり出し、こうして最も目障りな敵の手がかりをも掴んだわけですから!ホホホホホ!」

 ナ……ナムアミダブツ……!なんたるヤバイ級のドタンバ・セルフ・リスク・マネジメント!

 引き続きウォーロックは流れるような弁舌で、今回の顛末のカクカク・シカジカを語って聞かせた……真実を語って聞かせたのである。ただひとつ、自身の関与についての情報だけを欠落させて……!

 ウォーロックの正体を知っていたのはバジリスクただ一人!計画が頓挫したと見るや、ウォーロックは全ニューロンを嵐のように働かせ、自らの関与の事実自体を綺麗さっぱりロンダリングしてしまったのだ。これで彼は何のお咎めもなく、何事もなかったようにシックスゲイツの座に収まり続けられるのだ!

「ウナギにドジョウを一匹混ぜる者あり。ならばウナギにはかえって手を抜くべからず」……平安時代の哲人剣士、ミヤモト・マサシの残した格言である。ウォーロックのゴマカシは、この価値観に完全に添ったものであった。トラッフルホッグから瞬時に憑依先を乗り換えた手腕も完璧であった!

「……というわけでございまして、この女を拷問すればニンジャスレイヤーを出し抜くことも容易でありましょう!」ウォーロックは、女……ナンシー・リーの手錠のヒモを荒っぽく引っ張った。「しかしながら、気がかりはダークニンジャ=サンでございますね、偉大なるボスのため自ら囮になるとは……」

「そうよのう」ラオモトはゆったりと相槌を打った。懐から最新の折りたたみ型携帯IRCトーカーを取り出し、耳に当てる。ウォーロックはそれを目で追う。「……ウム、そうか。それはチョージョー。俺様の目の前におる。話は早いぞ」

 ラオモトは携帯を耳に当てたまま、無言でウォーロックをじっと見据える。無感情な瞳で。「……え?」ウォーロックはまばたきした。

「マジックモンキーの伝説を知っておるな?ウォーロック=サン。いや知っておるはずだ。素晴らしく小賢しいオヌシのことだからな」「……え?」

「ブッダの冠を盗んだマジックモンキーは、クラウドドラゴンの背に乗って荒野の上空をまっすぐに飛んでゆく。どこまでも、どこまでも。その荒野がブッダの掌にすぎんということが、マジックモンキーにはわからんのだ。わからぬものは恐れようがない。ムハハハハハ、実に哀れな話だ!」「……え?」

「まこと、数を揃えるのは容易であっても、骨のある邪悪さをもった真の強者はなかなか育たん。俺様の目下の悩みはそれでな。ニンジャスレイヤーは実に厄介な存在よ。ニンジャを殺す。文字通り!ムハハハハハ!」「……え?」

 ラオモトは携帯IRCに耳を当てる。「……んん?……俺様の戯言の終わるのを待っておったのか?ムハハハ、まったく奥ゆかしい男だ、ダークニンジャ=サン。さっさとやれ。タイムイズマネー」「……え?」

 ラオモトが左手でサムアップした。そして手首を回し、その親指を下へ……

「アバババババババババアーバババババーッ!?アーッアバババババーッ!!!」


◆◆◆

「……ハイ。ハイ。……ハイ。お気をつけて。ハイ」ダークニンジャは携帯IRCトーカーを片手で折りたたんだ。彼は今、真四角の玄室に立っている。四方の壁にレリーフされているのは、ドラゴン、ゴリラ、タコ、イーグルの四聖獣だ。その天井にはバーナー切断された円い穴が開いている。

 四角い玄室は赤いペンキをぶちまけたような恐るべき様相であった。無論それはペンキではない。不自然な姿勢で床に這いつくばったニンジャの体がそれをしめしている。背中がストリングチーズめいて裂けており、おお……ナムアミダブツ!首も無い!

 ダークニンジャは右手の携帯IRC端末を懐へしまうと、左手に持った……ナムアミダブツ……背骨がついたままのニンジャの生首を、バイオフロシキに包み込んだ。

 ダークニンジャは、かつて植物状態に置かれた己の命を奪いにきた二人の暗殺ニンジャのデータを好きなスシネタに至るまで調べ上げ、その裏で糸を引いていた首謀者が誰であるか、とうの昔につきとめていた。

 ゴアイサツサマ生命の爆発を回避し、ラオモトを逃がし、四人の襲撃ニンジャ……ゼブラ、クイックサンド、バタフライ、ストーンゴーレムを殺した時には、ダークニンジャは「敵」の特定を終えていた。監視下に置いていたウォーロックの隠れ家を発見するのは彼にとってベイビーサブミッションであった。

 己の命を狙い今また陰謀を巡らせた獅子身中の虫をついに殺し、その心中には何が去来するのか。ダークニンジャの冷たい瞳は我々に答えはしない。「イヤーッ!」彼は垂直にジャンプし、自らが開けた頭上の円い穴から消えた。


◆◆◆

 バラバラバラバラバラバラ。上空から接近するヘリが送る風が、ナンシー・リーの金髪を激しくなびかせる。足元でうつ伏せに横たわるトラッフルホッグの死体。手錠ロープの次なる主となったラオモト・カンはナンシーに冷たい一瞥をくれ、接近するヘリを見上げた。

 ヘリのスライドドアが開き、オフホワイトニンジャ装束に身を包んだニンジャが姿を見せた。「ドーモ、ラオモト=サン。ご無事で何よりです」

「ドーモ、ヘルカイト=サン」ラオモトはオフホワイトのニンジャを見上げる「タイムイズマネーを知っておるな。もう二秒遅れればオヌシにセプクを命じるところであった。オヌシのような有能者をソウカイ・シンジケートが失うのは大変な損失で悲しむべき事だ。失望させてくれるなよ」「……ハハーッ!」

 ヘリはゆっくりと降下する。ラオモトを迎え入れようと注意を払っていたヘルカイトは、弾かれたように道路の方角を見た。「あれは!」次の瞬間、彼の背中にはバイオバンブーとカーボンソリッド半紙で作られた折りたたみ式ステルスカイトが展開した!「ニンジャスレイヤーが接近しています!」

 ゴウランガ!産業道路を滑り降り、爆音と共に一直線にヘリポートめがけて接近してくるヘルヒキャク社のオートバイを見よ!そこにまたがる赤黒のニンジャの姿を……!ヘリコプター横腹のステップからヘルカイトが空中へ飛び上がる。「イヤーッ!」

「アーレーッ!」三人のオイランは地獄の猟犬めいた速度で殺到する黒いオートバイを前に恐慌に陥り、バラバラの方向に走り出した!「アレーッ!」一人が縁から足を滑らせ、海に落ちる!

「ドーモ!はじめましてラオモト=サン。ニンジャスレイヤーです」高速接近するオートバイ上からサツバツとした声が飛び来たる!ナンシーはラオモトから逃げようともがいたが、この状況下でも彼は手錠のロープを離さぬ!

「イヤーッ!」上空を旋回するヘルカイトがバクチクをバラ撒いた!爆発の嵐が巻き起こる中、ニンジャスレイヤーのアイアンオトメはひるむ事なくラオモトを一直線に目がける!

 ヘリコプターは既にステップから直接乗り込める高度にまで降りてきていた。「ボス!お乗りください!」運転席の操縦ヤクザが叫ぶ。ラオモトはそれを聞かず、振り返る……「ムハハハハハ!ドーモ!ニンジャスレイヤー=サン!」暴君は哄笑し、接近するニンジャスレイヤーへ尊大にアイサツした。

「イヤーッ!」バイク上から、ニンジャスレイヤーは袈裟懸けチョップを振り下ろした!「ムッハハハハハ!急いては事をし損じる!」交錯!ラオモトは懐から取り出した鋼鉄製の名刺入れをかざし、殺人的速度のチョップを弾き返す!ナムサン!

 ニンジャスレイヤーのアイアンオトメは唸りをあげてドリフトし、第二撃を見舞うべく旋回する。「イヤーッ!」そこへ、空から滑空してきた影が一撃を見舞う!「グワーッ!?」ヘルカイトのアンブッシュだ!

 頭上からの思いがけぬ飛び蹴りを受けたニンジャスレイヤーはアイアンオトメごと転倒、スピンしながら地面を滑る!「グワーッ!」「ムッハハハハ!これがビジネスというものだ!目先の物事にとらわれず広い視野を持たねばならんぞ、ニンジャスレイヤー=サン!」

 ラオモトは哄笑し、悠々とヘリコプターに乗り込んだ。ナンシー・リーもまた、奴隷めいて引きずられ、もがきながらステップに上がる……!「ヘリを出せ!」ラオモトは操縦ヤクザに命じた。ヘリコプターが鳴き声を上げ、旋回しながら浮上する!

「ラオモト……ラオモト……ラオモトーッ!」

 ヘリコプターは無情に高度を上げて行く。その周囲を旋回するヘルカイト。ヘルカイトのタコには「殺伐」「ハリキリ」「囲んで警棒で叩く」といったおそるべき文言が書かれ、なす術なく膝をついたニンジャスレイヤーを嘲笑うようであった。

「ムハハハハハ!負け犬にプレゼントをくれてやるがいい!」ラオモトが操縦ヤクザに指示を出す。ヘリコプターは上昇しながらニンジャスレイヤーへ機首を向ける。そして……ミサイルが……放たれた……!

 激しい光と煙の尾を伸ばしながら死の矢が飛び来たる。この一日の非人間的な連戦のなかでニンジャスレイヤーが負い、意志の力で抑え込んできた無数の傷が、今、無残にも再び開いてゆく。

 光……音……爆風……!


◆◆◆

 たすき掛けにしたショッピング・バッグを両手でしっかりと抱え、深夜のコメダ・ストリートをうつむき加減に小走りで歩く女があった。

 一瞥しただけでは老婆とも見えるが、それは強盗避けのために、ボロを重ね着して貧相に見せているからだ。彼女の実際の年齢は30代といったところである。

 急なタイミングで編集者から原稿の直しを求められたアガタは、危険を犯して最寄のコンビニエンス・ストアでコピー機を使用した帰りなのである。

 息を弾ませ、街路ボンボリのLEDの明かりから明かりへ、飛び移る様に駆ける。手には強酸スプレーガンだ。コメダ・ストリートで暮らすなら、老若男女を問わず、皆タフでなければつとまらぬ。

 狭い路地を抜け、マンション「エトワール・コメダ」が見えてくると、ようやくアガタは安堵した。折れた柳の木の下を通る時、アガタはあの隣人の思いがけぬ善意を思い、数年来の人肌のぬくもりを思った。そして、不安を抱いた。それは形の無いもやもやとした思いであった。

 ダイゴについての不安、己のこの先の生き方に関する不安、隣人の抱える危ういなにかへの不安。アガタは足早にアパート入り口へ向かった。

 ドロロロロ、低いエンジン音が闇を這い、アガタは身を硬くした。

 闇のなかからゆっくりと進み出てきたのは大型の黒いオートバイであった。無人の……いや違う。乗り手はだらりと身を寝かせているのだ、力無く。

「……!」アガタはオートバイに駆け寄った。「モリタ=サン!?」ゴウランガ!オートバイのボディにぐったりと身を横たえるのは、確かにモリタ=サンではないか!身に纏う赤黒い装束はズタズタだ。この不吉な色……彼の血で染まっているのだろうか?上半身はほぼ裸で、真新しい傷でいっぱいだ。

 オートバイのLEDライトが明滅する。アガタには知り得ぬ事だが、これはこのバイク、アイアンオトメに備わる、最新のUNIX制御型オートパイロットの表示である。「モリタ=サン!」注意深く、アガタはモリタ=サンの体をバイクから下ろし、肩を貸して、苦労してエレベーターまで同行した。

「ドーモ……ドーモ、アガタ=サン……ドーモ……」アガタに肩を担がれながらモリタ=サンはうわ言めいて繰り返す。「ドーモ……メディ・キットが……ドーモ……部屋に……しかし……」「しっかりして、もう少しだから」わけもわからず、しかし必死に、アガタはモリタ=サンを励ました。

 エレベーターが到着し、アコーディオンドアが開く。アガタは満身創痍のモリタ=サンと共にその中へ乗り込んだ。「行か……なくては。行かなくて、は。メディ・キットだ……最後……決戦が……」モリタ=サンがもぐもぐと呟く。

 アガタは緊張の面持ちで8階のボタンを押した。アコーディオンドアが勢い良く閉まり、二人を乗せて上昇を開始した。「ドーモ……ドーモ……メディ・キットを……私の……ドーモ……」

 ……「情にサスマタを突き刺せば、メイルストロームヘ流される」……では、ミヤモト・マサシは今のこの二人の光景を前に、どんなコメントを残すだろう?

 モリタ……ニンジャスレイヤー=フジキドが一日前に示した、思いがけぬ善意。あの善意は、果たしてどちらか。今や彼を死の淵に追いやらんとする、取り返しのつかない失敗であろうか。それとも、最後に彼の命を拾い上げた、弱々しくも神聖な、人の心をつなぐ光であろうか。

 エレベーターの不気味な上昇音が、おぼつかない問いを、ネオサイタマの闇の中へ流し去ってゆく……。


【ストレンジャー・ストレンジャー・ザン・フィクション】完



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