【ワン・ミニット・ビフォア・ザ・タヌキ】
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ニンジャスレイヤー第1部「ネオサイタマ炎上」より
【ワン・ミニット・ビフォア・ザ・タヌキ】
1
「断る」ニンジャスレイヤーは、マッチャを前にして静かに言った。「ナンシー=サン、おぬしの言葉に、随分と踊らされてしまったようだ」 十二畳の茶室に、油断ならない空気が張り詰める。青いキモノを纏ったナンシーは目を落とし、バドミントンシャトル状の器具で静かにマッチャをかき回していた。
茶室の中央には囲炉裏とチャガマがあり、墨が燃えている。四方の鴨居にはムードのあるチョウチンが下げられ、「#NS_GOKUHI」と横書きされたショドーが漆塗りの額に入って飾られている。 この幽玄なる会議室で、ニンジャスレイヤーとナンシー・リーの二人はチャガマを挟み正座しているのだ。
「夜中の0時です」と、コケシ箪笥の上にある黄金ブッダ像が冷笑的な電子音声を発した。ナンシーのマッチャ音も消え、辺りを不穏な沈黙が支配する。ナムアミダブツ! 一触即発の気配! 「それは誤解だわ」ナンシーがようやく口を開く。ニンジャスレイヤーの出方を窺いながらマッチャを軽く啜る。
「あれもこれも、結局はタケウチ・ウィルスの特効薬には結びつかなかった。おぬしは、ジャーナリストとしての好奇心を満たすために、俺をいいように使っていたのでは?」ニンジャスレイヤーは恐ろしいほど無表情な声で問うた。 「違うわ、不運が続いたのよ」豪胆なナンシーは、皮肉めいた笑みを返す。
「タケウチ・ウィルスの情報は、ヨロシサン製薬が持つ秘密の中でもトップレベルに位置するわ」とナンシー。「でも今度こそは間違いない。ヨロシサン第1プラントの中にこそ、その秘密が隠されている。それを解くカギが、私のハッキング能力と『タヌキ』。でも物理的に侵入するには、貴方の力が必要」
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(((これも虚言か。あるいは…)))ニンジャスレイヤーことフジキド・ケンジは、暗いマンションの一室で湿ったタタミに座り、UNIX画面の前で沈思黙考していた。重金属酸性雨の雨音が窓から忍び込んでくる。茶室に座っていた彼は、IRC空間内のコトダマ・イメージであり、彼自身には見えない。
「もう手を貸さぬと言えば?」 タツジン! 0コンマ5秒! フジキドの指先が、精密スシ・マシーンのような無慈悲さでキーをタイプする! 「デッド・エンドよ。私もこれ以上の情報は手に入らず、あなたもタケウチ・ウィルスの特効薬は永遠に手に入らない」 コワイ! 0コンマ1秒以下の世界!
ニンジャスレイヤーは歯噛みした。やはりサイバースペース内で、この女と互角に渡り合うのは不利だ。 アンタイニンジャ・ウィルスに冒された師、ドラゴン・ゲンドーソーの顔が彼の脳裏をよぎる。冷静になれ。独力でヨロシサンへの電脳攻撃など不可能。やはり、ナンシーの言葉に従うしか道が無いのか。
ニンジャであるフジキドも、スゴイ級ハッカー以上のタイプ速度を誇る。だが彼は、その体の一部さえも、サイバネ義体によって置換してはいない。無論、ナンシーのような電脳サイバー手術は受けてはおらず、ただプリミティヴな肉体の力だけで彼女と渡り合っている。サイバースペースでは明らかに不利だ。
一方のナンシーはどうか。彼女はいずことも知れぬ暗い部屋でソファに座し、口を開けてよだれを垂らし、半ば白目を剥いていた。その体は、鯉の刺繍された青いキモノではなく、刺激的な黒の強化PVCレザー・キャットスーツに包まれている。サイドボードには、空になったザゼンドリンクの瓶が七本ほど。
灯りといえば、チャブの上に置かれたモニタが発する薄緑色の光と、そこを猛烈な速度でスクロールし切り裂く白い文字列のみ。彫の深いナンシーの顔が、ユーレイのように照らされる。彼女の右耳の斜め後ろにはバイオLAN端子がインプラントされ、そこからUNIXへとLANケーブルが直結されていた。
「そうね……私も手の内を明かすわ。第1プラント内には、私のジャーナリスト精神に誓って絶対に看過できない、ヨロシサン製薬の暗黒情報ファイルが存在するの。そして今度こそ間違いなく、同じ場所にタケウチ・ウィルスの特効薬も存在するわ! 手を組みましょう」 そのタイプ速度、もはや計測不能!
違法電脳サイバネティック手術により、彼女は思考するのと同速度でIRCタイプが可能だ。そして、このLAN直結手術を受けた人間……全ネット人口の極一部……さらにその極一部の人間だけが、サイバースペース内にコトダマ・イメージを見る。そのイメージは、誰がプログラミングしたものでもない。
彼女はまだ未熟であり、薬物の力が必要だ。ヨロシサン製薬が販売するザゼンドリンクは、過剰摂取によりトリップ効果を得られるため、ハッカー御用達の健康飲料として悪名高い。ザゼン成分とLAN直結によって全精神をIRC空間内に投射することにより、選ばれしハッカーたちは無限の地平を見るのだ。
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四方を清楚なショウジ戸に囲まれた茶室には、再び沈黙が流れていた。ニンジャスレイヤーは正座したまま眉一つ動かさない。 ナンシーはブッダ時計を見た。0時5分。何とか今夜のうちに第1プラントへの潜入を果たしたい。入手した極秘パスワードは、いつ更新されるかわからないからだ。 ……その時!
北のショウジ戸が不意に開き、黒尽くめのニンジャ装束に円環型サイバーサングラスという、異様な人影が姿を現した! ナムアミダブツ! 入室不可、発見不可の秘密茶室が、何の前触れも無くハッキングされてしまうとは! 「ドーモ、ダイダロスです。…お久しぶりですねワームども。観念してください」
2
「ドーモ、ダイダロスです。お久しぶりですねワームども。観念してください」彼は茶室の中央に座す2人を威圧的に指差した。 だがその一瞬後、ボンテージ・キモノ姿のナンシーが、正座の状態から物理法則を無視したトビゲリをくり出したのだ! 「グワーッ!」フスマの外へと蹴りだされるダイダロス!
ナンシーはショウジ戸を閉め、敵の再ハッキングに備える。流石はLAN直結サイバネ手術を受けた彼女である。ダイダロスの姿を見たニンジャスレイヤーは反射的にOJIGIコマンドをタイプしかけたが、彼がOをタイプしている一瞬の間に、ナンシーはもうKICKコマンドを入力し終えてていたのだ。
「この茶室は発見も侵入も不可能だったのでは?」フジキドが問う。 「敵は私より上手のハッカーだわ」とナンシー。露出した美しいハーフバストが緊張で汗ばむ。「サイバースペース内に絶対は無い。すべてのリアリティはハッカーによって書き換えられうる。どうやら会議に時間を費やしすぎたみたいね」
「ドーモ」ナンシーが警戒していたのとは反対側のショウジ戸が開き、再び黒ニンジャ装束のダイダロスが姿を現した。「観念してください。ファイアウォールなど私の前ではショウジ戸も同然なのですグワーッ!」 再びナンシーのトビゲリ! だがナンシーの着地と同時に、別のショウジ戸がさらに開いた!
「ドーモ」ダイダロスが姿を現し余裕のオジギを決める。「何度やっても無駄です。ファイアウォールなど私の前ではショウジ戸も同然なのですグワーッ!」 ナンシーをサポートするように、ニンジャスレイヤーのジャンプ・カラテキックが決まる! だが次の瞬間、全方位のショウジ戸が同時に開いたのだ!
「「「「ドーモ、ダイダロスです」」」」東西南北から出現した4人のダイダロスは、再び胸の前で手を組み、全員同時に余裕のオジギを見せる。ナミアミダブツ! 果たしていかなるジツを使ったのか? ナンシーは茶室の中央へ側転で移動しながら、絶望にも似た声を上げた。「……多重ログインだわ!」
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陰鬱な重金属酸性雨が、今宵もしとしととネオサイタマを濡らす。明滅するカンバンの下で、フード付きの黒い耐酸性レインコートを着た3人組が、薄汚いファミリーマンション「ロイヤルペガサス・ネオサイタマ」を見上げていた。うち一人は、その両手に無骨な無線LAN通信傍受デバイスを抱えている。
別の一人は、IRCトランスミッター機能付きサイバーサングラスをかけ、ダイダロスからの遠隔指令を受けていた。3人は顔を見合わせて頷くと、電子ロックされた入口のドアをブーツで蹴破り、廊下でショウギをしていた老人たちを踏みつけながら、感情なきマシーンのごとくエレベーターへと向かった。
3人組は指令通りエレベータに乗り込み、67階をプッシュ。動きを制限するレインコートを脱いだ。紫色の背広と、隠し持っていたアサルトライフルが露になる。クローンヤクザだ。ナムサン! ダイダロスはニンジャスレイヤーのIPアドレスを一瞬でスキャニングし、物理アドレスを割り出していたのだ!
目的階に到着すると、3人組はアサルトライフルを構えて臨戦態勢をとりながら薄暗い廊下を歩き、ニンジャスレイヤーの潜伏先を探す。あまり治安の良いマンションではなさそうだ。バチバチとタングステン灯が明滅し、廊下に散らばったバリキドリンクや、注射針や、タッパーや、マグロの頭などを照らす。
笑顔の親子が「職はありますか」「プロジェクトに参加したい」と吹き出しで訴える色褪せたポスターが打ち捨てられている。これを踏みながら廊下を歩くと、傍受デバイスが発するサイバーな緑色光が次第に強まっていった。そして3人のクローンヤクザは「ヤマダ」と表札に書かれたドアの前で立ち止まる。
厚さ数ミリのドアの向こうでは、復讐の戦士ニンジャスレイヤーが湿ったタタミに正座し、UNIX画面の放つ暗い光と向き合っていた。彼は全神経をモニタと指先に集中させ、現れては消えるダイダロスに対して、深刻な顔でKICKコマンドを高速タイプし続けている。やはり電脳世界の戦いは不利なのだ。
ニンジャスレイヤーは、すぐ近くに忍び寄るクローンヤクザの気配に気付く余裕すら無かった。彼の視線は、モニタ、キーボード、そして右手にある外付けファイアウォール装置群を交互に行き来する。無線LAN装置からUNIXの間には、スゴイテック製のファイアウォールが7台も直列接続されていた。
パシン! というショウジ戸が破られるような独特の音を立て、5台目のファイアウォールが破壊される。ナムサン! 敵のハッキング能力は圧倒的だ。それまでの4台も、すでにダイダロスのハッキング攻撃によって突破され、焦げ臭い匂いと灰色の煙を吐き出していた。残るファイアウォールはわずか2台!
ニンジャスレイヤーとナンシーは、茶室から脱出すべくコマンドをタイプし続けたが、すべて寸前で阻止されてしまう。恐らくチャットルーム内のリアリティが書き換えられているのだ。茶室内のダイダロスをすべて蹴り出さなければ、脱出は不可能。だが、茶室内のダイダロスはすでに13人目に達していた!
パシン! 6台目のファイアウォールが突破された。ニンジャスレイヤーは鋼鉄メンポから荒い息を吐き出しながら、膝の上に乗せた強化カーボン製キーボードを高速タイプする。だが間に合わない! パシン! 7台目が突破される! 「ナンシー=サン、例の場所で落ち合うぞ! オタッシャデー!」
フジキドが断末魔のごときメッセージをタイプし終えると同時に、UNIXモニタの光が中心に向かって収束。その1秒後、猛爆発を起こした。「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは地を這うワニの構えを取り、間一髪で火柱の直撃を回避。だが、同時に背後でドアが破壊され、クローンヤクザが突入してきた!
「ザッケンナコラー!」三人のクローンヤクザは、背筋も凍るような恐ろしい叫び声とともにライフルの引き金を引いた。凄まじいマズルフラッシュが暗闇を切り裂く。もし、ここが冷凍マグロを吊るすコンテナだったら、一瞬にして大量のネギトロが出来上がっていただろう。それほど猛烈な一斉射撃だった。
しばしの静寂。最後の薬きょうが廊下に落下し、カランカランと乾いた音を立てる。合成綿布フートンの成れの果てが、惨殺されたハトの羽のように部屋中を舞っていた。クローンヤクザたちはサイバーサングラスのスイッチを押し、視界を温度感知モードに切り替えてから、タタミ部屋へと踏み込む。
3人はクローンならではの統一感のある動きで互いの背中を守りながら、ニンジャスレイヤーの潜伏先であったタタミ部屋を踏み荒らした。UNIXは完全に破壊されている。脱出できそうな窓は無い。通風用の網戸は小さすぎ、とても大人が通れるとは思えない。どこにも、人の気配は無い。仕留めたのか?
少しずつ硝煙が晴れ始めた。「血痕だ」と、クローンヤクザの一人が言った。砂壁に何枚か額入りの写真が飾られており、その周囲だけ何故か壁に銃弾が命中した痕跡が無い。その代わり、いくらかの新鮮な血が、飛沫となってそれらの額にかかっていた。 「回収する」クローンヤクザの一人が写真に近づく。
「何の写真だ?」と別のクローンヤクザ。 「家族の写真のようだ。若い夫婦と、子供が一人……」砂壁に接近したクリーンヤクザが、その写真の映像をサイバーサングラス内に捉えようとした時、黒い影が頭上から落下してきた。床には、粉々になったコンクリートの破片。天井に大穴が開けられていたのだ。
「温度反応!」とクローンヤクザが声を発する前に、その赤黒い影が突き進んできた。サイバーサングラスに映った最後の映像は、「忍」「殺」と彫られた、ニンジャスレイヤーの黒い鋼鉄メンポであった。 「イヤーッ!」「グワーッ!」カラテチョップが一閃し、クローンヤクザの首を一撃でへし折った。
「ザッケンナコラー!」2人のクローンヤクザは、装填済みライフルの銃口を向けて同時にトリガを引く。だが無駄だった。マズルフラッシュが光る前に、スリケンが彼らの股間を破壊していたのだ。 「グワーッ!」「グワーッ!」クローンヤクザは股間から噴水のように血を流し、同時に後ろに倒れた。
(親愛なる読者の皆さんへ。今回の連載分に深刻なタイプミスが有りました。クリーンヤクザはクローンヤクザのタイプミスです。緊張感のあるシーンを台無しにする、許されざるタイプミスであり、原作への大きな冒涜です。事態を重く見た翻訳担当者は、自主的にケジメを行いましたので、ご安心ください)
3
ネオサイタマ中部、アヤセ・ジャンクション。ここはネオサイタマ湾から続く長大な運河、タマガワの終着点であり、大小無数の水路がショウギ盤のごとく張り巡らされている。ヨロシサン、オムラ、スゴイテック……日本屈指のメガコーポであれば、このエリアにドックやプラントを複数保有しているものだ。
ここに暮らす人口の八割が工場労働者や水運労働者、二割が知的サラリマンである。メガコーポの施設が立ち並ぶとあって、海賊行為やテロ行為も多い。プラントの排気で暗い黄土色に染まった夜空には、ネオサイタマ市警のマッポツェッペリンが何隻も飛び、威圧的な漢字サーチライトで地上を照らしていた。
江戸時代から続く風邪薬メーカー、ヨロシサン製薬の第1プラントは、その北西部にある。第1とはいえ、規模はさほど大きくない。マッシヴ・オスモウスタジアム12個分ほどだ。カンバンには「ユタンポ・プラント」「歴史的な」と書かれ、ここが魅力的な施設ではないことを過剰なほどアピールしていた。
第1プラントのE7非常水路口は、最新型トミーガンとチギリキで武装する2人の傭兵崩れによって守られている。小型の屋形船が1隻通れるかどうかの細い水路で、入口の上には「非常用」と書かれた紫色のネオンサインがバチバチと明滅していた。平時、トリイ型の柵によって非常水路は封鎖されている。
大型コンテナ屋形船が、廃水と重油で汚された黒い水面を割りながら非常口前の大水路を通り過ぎると、得体の知れぬウナギめいた大魚が息継ぎに頭を出した。傭兵がトミーガンの引き金を引き、魚が弾け飛ぶ。 「ナムサン! 今日もシケてるぜ、アナーキストひとり来ねえ」 「湾岸警備時代が恋しいな」
ナムアミダブツ! 知的サラリマンであれば、この無機質な殺戮の光景を見て、陰鬱なハイクを呼んだことだろう。だが殺人感覚が麻痺した傭兵たちには、無意味に魚をネギトロに変えることなど、チャメシ・インシデントなのである。 「アイエーエエエエエエエ!」どこからか、突如奇声が聞こえてきた。
Tシャツ姿の男が大型コンテナ屋形船のカワラ屋根から飛び降りたのだ。酩酊したサラリマンなどではない。彼のTシャツには「悪い政府だ」と書かれていた。コワイ! この男は恐るべきアナーキストだ! 空中で走るように足を動かしながら、両手に握った粗末な拳銃で眼下の傭兵たちへと闇雲に発砲する。
傭兵たちは最低限の身のこなしで銃弾を回避した後、非常口前の足場に着地した男をチギリキで滅多打ちにする。チギリキとは、長柄の日本式モーニングスターだ。「アイエエエエ!」アナーキストは一瞬にしてネギトロへと変わり、そのまま水路に蹴り落とされ沈む。インガオホー! 何たるマッポー的光景!
「アナーキストじゃ駄目だな」チョンマゲ頭の傭兵が、バリキドリンクを三本一気に飲み干しながら言う「湾岸警備に戻らねえか? 時給は落ちるが、スリルがあった」。「絶対に嫌だね」と、両肘から先を戦闘義手化したもう一人の傭兵が応える。彼の手は、湾岸警備時代にマグロ爆弾に持っていかれたのだ。
「……ん、あれは?」サイバネ義手が、ぎこちない指先で、接近してくる小型屋形船を示した。 「ああ? 出張オイランサービスだろう?」と、チョンマゲ。 確かに、その屋形船の舳先を見やれば金髪ゲイシャが座布団に座ってキセルを吹かし、耐酸性雨笠を被った船頭がバイオバンブーで舵を取っていた。
船の上にあるオヤドのカワラ屋根には、「ほとんど違法行為」「激しく前後する」「実際安い」と書かれた刺激的なミンチョ体ネオンが瞬く。ショウジ戸の奥からはザゼン・アンヴィエント系の電子音が漏れ、その音にあわせて金髪ゲイシャが艶めかしく細い煙を吐いた。二人の傭兵は、にこやかに手を振った。
「それ以上近寄るな、この先は私有地だ」チョンマゲがにやにやしながら銃を構えた。 「オイデヤス! ガガイケ専務=サンの注文よ」とゲイシャが流暢な日本語で応える。傭兵たちは彼女の大理石のように白く滑らかな肌を見て、ごくりと生唾を飲んだ。鎖国下の日本では珍しい、コーカソイド人種である。
「俺はこの女の胸が本物かどうか調べるから、お前は事務所に確認を取れ」チョンマゲが銃口を相方に突きつけながら言う「その手じゃ無理だろ」。サイバネ義手は渋々、壁に埋め込まれたIRC端末を操作する。ゲイシャはキモノから溢れ出しそうな胸を突き出し、傭兵のボディチェックを甘んじて受けた。
「いつかお前のバイオLAN端子をファックしてやる」サイバネ義手は相方に対し毒づきながら、IRC端末で事務所と連絡を取る。「確かにガガイケ=サンと思われるアカウントが、十分ほど前に出張サービスをオーダーした記録があるぜ。だから頼むから代わってくれ」とサイバネ義手は悲痛な声をあげた。
「残念だな、今終わったところだ」チョンマゲは屋形船に対しにこやかに通れの合図を出す。「船頭はチェックしないのか?」とサイバネ義手。「俺にそっちの趣味はない」と、チョンマゲは厳しい顔を作って相方に銃口を向ける。「オーライ」サイバネ義手は吐き捨て、ハンドルを回してトリイ型柵を下げた。
屋形船はしめやかに非常水路内へと進み、まんまと第1プラント内への潜入を果たした。 「専務のアカウントをハッキングしたのか」と、船頭が低く重い声で言う。笠を目深に被っていたので気付かれなかったが、その下には赤黒いニンジャ装束と、「忍」「殺」の文字が彫られた鋼鉄メンポが隠されていた。
「この薄汚いユタンポ・プラント内に、本当にヨロシサン製薬のトップシークレットが隠されているのか?」とニンジャスレイヤーは続ける。 「ええ、間違いないわ」と、オヤドの中からナンシーの声「敵を欺くには、まず味方から欺くべし……平安時代の哲学者ミヤモト・マサシが残したコトワザの通りよ」
それを裏付けるように、非常水路の壁にはズバリ中毒者の毛細血管を思わせる錆び果てたパイプが無数に並び、ユタンポにはおそよ不似合いな蛍光緑のバイオ廃水を滴らせていた。彼女はキャットスーツに着替え終え、左腕にマウントされたUNIXのキーを叩く。その中には建物内の地図が八割方入っている。
両の壁の下には幅1メートル弱の細い足場があり、「タイムイズマネー」「ヨロシサン」などと書かれたノボリが等間隔で立つ。その中に「業者用」というノボリがあった。「ここよ」と、オヤドの中からナンシー。ニンジャスレイヤーはバイオバンブーを突き立てて屋形船を止め、オヤドの屋根に跳躍する。
暗い天井に目を凝らすと、円状に走る細いスリットが見える。隠し通路だ。その横には、強化シリコンで蓋をされた小さなLAN端子。ナンシーが屋形船のデッキから、無駄のない動作でLANケーブルの末端を投げて寄越す。もう片方は、彼女の右耳の隣にあるバイオLAN端子にジャックインされていた。
ニンジャスレイヤーが受け取ったLANケーブルを接続すると、わずか数秒で、天井からボンというくぐもった小爆発音が鳴る。ハッキングに成功したのだ。ナンシーの目の下の隈が、やや暗さを増す。彼女は1時間前に起こったダイダロスとの電脳空間チェイスで、かなりの精神力を消耗していたのである。
ロックを解除された隠し通路の蓋を、ニンジャスレイヤーは業者用工具も使わず、己のニンジャ握力とニンジャ腕力だけで回転させ、数十キロもあるそれを軽々と取り外してから、非常水路の水の中に投げ捨てた。突然の衝撃に驚き、水面からバイオウナギたちが顔を突き出して、黒い瞳を不安そうに輝かせる。
くり貫かれたパイナップルのように、天井に垂直の道が現れる。ニンジャスレイヤーはまずナンシーの手を取ってオヤドの屋根に引き上げ、次にニンジャロープを垂らして天井の穴へと導いた。眼下では、自動操縦モードになったオイラン船が、時限爆弾の秒読みを開始しながら中央エントランスへ流れてゆく。
一方、そこから三百メートルほど離れた非常水路入口では、バリキドリンクの過剰摂取でハイになった傭兵2人が、今にも暴動か殺し合いを起こしそうな剣幕で睨み合っていた。 「やっぱり納得行かねえ。俺にもオイラン・ボディチェックをやらせてくれたって良かったろう? 俺の腕をバカにしてんのか?」
「うるせえな。解ったよ、なら、こうしようぜ」チョンマゲのニューロンが閃く「専務のお楽しみが終わって、あのオイラン屋形船が帰ってきたら、ここを出る直前に柵を締めて、動けないようにするんだ」。 「そんで……どうすんだよ? 再度ボディチェックか?」と首を傾げるサイバネ義手。
「ファック&サヨナラさ」チョンマゲは事も無げに言い放つ「敷地内だし、死体を沈めりゃ足はつかん」。 「サエてるな。悪くない。でも……」サイバネが何か引っかかったような顔を作る「万が一バレたらどうすんだ?」。 「捕まる前に逃げりゃいい」「仕事は?」「湾岸警備があるだろ」「サエてるな」
KABOOOOM。非常水路の奥から、オイラン船の爆発音が伝わってきた。「何だ?」「どうせプラント事故だろ?」 2人の傭兵が奥を申し訳程度に覗き込んだその時……チョンマゲが立っていた側の警備用足場の横に、腕を組んだ人影が不意に降ってきた。その人影は、薄緑色のニンジャ装束を着ていた。
「ニンジャ?」と言い終わらないうちに、チョンマゲの胴体は斜め真っ二つに切断されていた。上半身だけがずるりと滑って、水路の中にダイブする。トミーガンの引き金を引く余裕すら無かった。だが、薄緑色のニンジャは腕を胸の前で組んだままである。ナムサン! 果たして、いかなるジツで殺したのか?
「ニンジャ? ワッタファック?」事態が呑み込めないサイバネ義手だったが、腐っても元傭兵である。彼はニューロンに染み付いた殺人回路をフル回転させ、目の前のニンジャらしき敵を排除しにかかった。サイバー義手によって常人の10倍ほどにまで高まった腕力で、チギリキが振り下ろされる!
「イヤーッ!」薄緑色のニンジャは腕を組んだまま、掛け声だけを発した。腕は依然として胸の前で組んだままである。だが……おお、ナムアミダブツ! 何か鋭い刃物のようなものが一瞬だけ閃いたかと思うと、鋼鉄製のチギリキは真っ二つに切断され、さらに傭兵の首も切断されていたのだ!
「見たか、オレのバイオ・イアイドは無敵だぜ!」薄緑色のニンジャは、首を失ったサイバー義手傭兵の死体を水路に蹴り落としながら笑う。胸の前で組んだ腕の少し下で、何かがごそごそと蠢く。何とそれは、イアイ・カタナについた血を払って鞘に仕舞おうとする、彼の三本目と四本目の腕であった!
インガオホー! 彼こそは四本の腕を持つ恐るべきバイオニンジャ、ノトーリアスであった。自尊心に満ちあふれる彼は、雑魚相手にその四本の腕を全て使うまでもないという意思表明を行ったのだ! 「馬鹿者! 静止を聞かなかったのか! ここがナムだったらお前は死んでいるぞ?」別な声が聞こえた。
「すまねえな大将! でもこっちのほうが話が早いだろ! なにしろ、オレのバイオ・イアイドは無敵だからな!」ノトーリアスが大きな声で言う。 「無駄口を叩くな」迷彩ニンジャ装束を纏ったフォレスト・サワタリが、ぴしゃりと言う。「行くぞノトーリアス。先に別な潜入者がいたようだ、都合が良い」
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「また先をこされたぜ」四本腕のニンジャは、白い床に転がったクローンヤクザ十体の死体を見ながら不満そうに叫んだ「オレのバイオ・イアイドがなまっちまう!」。 「無駄口を叩くなノトーリアス。急ぐぞ」迷彩ニンジャ装束に身を包んだサワタリは、ヤクザ達の懐から万札を手早く回収しながら言った。
サワタリはここまでの道のりを振り返る。……非常水路の天井に空いた縦穴を三十メートルほど登ると、その先には強化セルロイドの真白い回廊が続いていた。天井や床の角という角は丸く、重役用にバリアフリーが行き届いていた。壁自体に照明が埋め込まれているようで、何とも現実味のない空間であった。
クローンヤクザ数百人体制の警備、そして綺麗な床……ここはどう見てもただのユタンポ・プラントではない。その内側に秘密施設が存在していたのだ。彼ら2人はそれを最初から知っていた。予想外だったのは、恐らくニンジャスレイヤーとナンシー・リーと思われる2人組が、一足先に潜りこんでいた事だ。
彼らは時折道に迷いながらも、ニンジャスレイヤーとナンシー・リーが作った血と殺戮の痕跡を、狩猟動物のごとく追っていった。トリイギロチン、電子レンジ部屋、ネギトログラインダーなどのハイテクトラップ群も、ナンシーによって破壊された後で、壁に埋め込まれたLAN端子から白い煙を吐いていた。
2人は、サバンナを渡るジャガーのように音も無く回廊を駆ける。しばしば、クローンヤクザの体液である緑色のエキスや、それが酸化して真赤になったものが、白い床や壁に飛び散っている。ニンジャスレイヤーの仕業だろう。万札回収のために多少の時間を費やすため、なかなか追いつくことが出来ない。
「大将、何故奴らがここに? もしかして奴らも、バイオ・インゴットを?」ノトーリアスが鋭い推理を行う。 「そんな筈はない。あいつらにとって、インゴットは何の価値もない、ただの緑色のヨーカンだ」サワタリは自分の疑念にも答えるかのように、強い口調で言った「インゴットはお前達のものだ」。
「アバーッ!」万札を回収していたノトーリアスが突如その場にくず折れ、緑色の血を吐いた。ナムサン! 血はすぐに酸化してどす黒い赤に変わる。「くそったれめ、インゴット不足の初期症状だ」サワタリが口惜しげに言う「まだ動けるか?」「何ともないぜ大将、俺のバイオ・イアイドは無敵だからな!」
四本腕をガクガクと痙攣させながら体を起こし深呼吸すると、いつもの自信溢れる彼に戻った。サワタリは胸をマチェーテで抉られるような苦々しい思いを味わった……そしてヨロシサンのバイオ研究員だった彼の記憶を、ナムの偽りの記憶が塗りつぶすのだった。「持ちこたえろ、もうじきイロコイが来る!」
サワタリ率いるサヴァイヴァー・ドージョーは、ノトーリアス他数名のバイオニンジャで構成される。彼らは皆、かつてサワタリが研究員として観察していた実験体だ。バイオニンジャ計画は、ラオモトによって廃棄されたニンジャをヨロシサンが回収し、バイオ技術で改造するという、狂気の計画であった。
自由を求めて研究所を脱走した彼らは、ネオサイタマ東端部に広がる耐酸性バンブー・ジャングルに身を隠し、バイオパンダなどを狩って自給自足の生活を送っていた。時折、どうしても金や物資が必要になった時や、殺人衝動に駆られた時のみ、彼らはネオサイタマ市街に下りてきて殺人や強盗を行ったのだ。
彼らの行動はまるで、竹林に隠れガゼルを狩る、気高きタイガーそのものだった。彼らはソウカイヤのように政治経済を支配する気など無く、サヴァイヴァー・ドージョーの名前どおり、ただ平安時代のニンジャ神話に登場するタイガーのごとく、汚染された自然の中で逞しく生きようとしていたのである。
だが、そんな生活の中でサワタリは不意に気付いた。バイオニンジャ達は、高純度のバイオ・インゴットを定期摂取せねば死んでしまうことを。すると彼らは、研究所にいたほうが幸せだったのでは? その重い事実に耐え切れなくなった時……彼は混乱をきたし、偽りのベトナム戦争の記憶に支配されるのだ。
「急ぐぞノトーリアス。ここには間違いなくインゴット製造機がある筈だ。ベトコンどもからそれを奪い取れば、ドージョーで無限にヨーカンが作れる。MOVE、MOVE、MOVE!」……だが、彼に確信は無かった。かつての彼は上級研究員などではなく、末端のサラリマン研究員に過ぎなかったからだ。
――――――――――――――――
オモチじみた真っ白い回廊で、ボーリングのピンのような規則正しい隊列を組み、Y12型クローンヤクザ10体が警備任務に当たっていた。何とも威圧的な光景だ。数秒ごとに、全員が一糸乱れぬタイミングで回れ右をし、アサルトライフルの銃口を反対側の回廊の先に向ける。クローンならではの統一感だ。
不意に、T字型回廊を曲がり、赤黒い装束のニンジャが全速力で駆け込んできた。その右手には、スゴイテック社製のとても長いLANケーブルの末端が。ナンシーはやや後方の壁にもたれかかり、既に意識を半分電脳世界に飛ばしている。ヤクザたちはサングラスを光らせ、一斉に同じ動きで引き金を引いた。
アサルトライフルが火を噴く! だが凄まじい速度に達しているニンジャスレイヤーは、床も壁も天井も関係なく螺旋を描きながら駆け抜けて銃弾を回避し、スリケンを放つ。 「イヤーッ!」「グワーッ!」 喉にスリケンが命中したクローンヤクザは、次々とアボカドジュース・スプリンクラーに変わった!
ニンジャスレイヤーが動きを止めて床に着地すると、螺旋軌跡を描いていた軽量LANケーブルも、ふわりと地面に舞い降りる。ケーブルが床に触れるよりも速く、ニンジャスレイヤーは次なるトラップを解除するための隠しLAN端子ソケットを壁に発見し、そこにLANケーブルの末端をジャックインした。
ビクン、と電気ショックを受けたようにナンシーの体と胸が揺れる。かなりのプログラム防壁が施されているようだ。ナンシーの精神はIRC空間へとダイヴする。 一方、ニンジャスレイヤーの鋭い視線は、回廊の前方からじわじわ迫ってくる網目状のレーザー光線を睨みつけていた。これが次のトラップか。
ふと、嫌な予感がしたニンジャスレイヤーは背後を振り向く。果たして、T字路を曲がってすぐの場所にも、赤い網目状のレーザー光線が出現していた。ウカツ! T字路前の壁の陰に隠れているナンシー=サンと分断されてしまった! いまや2人を繋ぐのは、真綿のように軽いLANケーブルのみである。
ニンジャスレイヤーは正面を向き直り、レーザーの発射源があると思われる壁のスリットに向けてスリケンを投げつける。だが、さしものスリケンもレーザー光線に切断されてしまう。ナムアミダブツ! ニンジャスレイヤーはLANケーブルが切断されないよう位置を微調整しながら、少しずつ後ずさりした。
(((急いでくれ、ナンシー=サン。前後のレーザー網目の間隔は、残り僅かタタミ5枚分だ!)))ニンジャスレイヤーは脱出経路を探った。「イヤーッ!」真っ白い壁に向けてカラテを叩き込むが、オモチ状の強化セルロイドに弾かれる。ナラク化する手もあるが、この状況下ではナンシーを殺しかねない。
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禁酒法時代の婦人服と帽子に身を包んだナンシーは、デリンジャーを胸に挿しながら、古式ゆかしい夕暮れの日本漁村にいた。ひときわ高いトリイの上に立ち浜辺を見やる。セキュリティ・プログラムを組んだプログラマの使ったコメント欄や関数名をもとに、ナンシーの脳内で描かれたコトダマ・イメージだ。
科学的補足を付け加えておくと、もしこの電脳IRC空間に彼女以外の者が続けてログインした場合、同じイメージを観ることになる。その部屋のリアリティは、最初に入室したハッカーが作るからだ。もちろん、後続ハッカーのタイプ速度がより速い場合、そのリアリティが書き換えられることもあるが……。
ジンジャ・カテドラルの鐘が鳴ると、海辺に半漁人めいた村人が姿を現し、上陸を開始。砂浜には、ブードゥーめいたイカが吊るされた邪悪な大コケシが何本も立ち並ぶ。「悪趣味なプログラマ……」ナンシーは呟きながら、トリイで鉄棒選手のように大回転を決め、斜め下にある市役所のカワラ屋根を破った。
「何だ君は?」市役所の一室には、詰襟の学生服を着て、腰にカタナを吊った青年がいた。その胸には、分厚い日記帳が抱かれている。チャブが扉の前に積まれ、粗末なバリケードが築かれていた。大勢の村人が、廊下から扉を破壊し、部屋に突入しようとしていた。「僕の出生の秘密がここに」青年が震える。
「ごめんなさい、それを頂戴ね」ナンシーはデリンジャーで青年の頭を撃ち抜き、タタミに落下する前に日記帳を奪い取ると、分厚く降り積もった埃を吹き飛ばして666ページを開いた。「解除パスワードまで悪趣味だわ……」。ナンシーは木棚から筆と半紙を掴み取り、パスワードを床で高速ショドーする。
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パン、という音ともに、壁の端子から白い煙が上がる。間一髪。レーザー光線はニンジャスレイヤーをキンタロ・スライスする直前で停止し、消えた。「ナンシー=サン、大丈夫か?」ニンジャスレイヤーが気遣う。ナンシーは憔悴しきった顔に力無く笑みを浮かべて頷き、右手で不敵なキツネサインを作った。
「待て、あれは?」ニンジャスレイヤーのニンジャ眼力は、自分達が駆け抜けてきた回廊の端を見通した。300メートル近い直線の先にL字路があり、クローンヤクザの死体が何体か転がっている。そこにしゃがみこむようにして、ヤクザたちの胸元を漁っているのは……サヴァイヴァー・ドージョーか?!
――――――――――――――――
一方そのころ、第1プラントの暗いセキュリティルーム内では、ガガイケ専務が激しい怒りを露にしていた。「また突破だと!? どうなっとるんだ君ィ!」「アイエエエエ! スミマセン! 敵は恐らく、テンサイ級……いや、ヤバイ級ハッカーです!」UNIXを叩く保守サラリマンが失禁しながら叫んだ。
「アイエエエエ! ヤバイ級ハッカーだと!」ガガイケ専務もつられて失禁する「どうするんだ君ィ! ヤバイ級ハッカーがネットワーク越しでなくLAN直結……アイエエエエ!」。「アイエエエエエ! 大丈夫です! 大丈夫です! 心臓部を守るタヌキ・メインフレームは、絶対に突破不可能ですから!」
その時、保守サラリマンが操作していたUNIX画面と、セキュリティルーム内の全監視モニタに、『警告:ハッキング攻撃下な』と赤いドット・ゴシック体で文字が点滅した。「「アイエエエエ!」」二人はセプクすらも覚悟して絶叫する。だが、このハッキングは、彼らにとって願ってもいない助けだった!
「ドーモ、ヨロシサンの皆さん」抑揚の無い電子音声めいた声が、セキュリティルームに響く。スピーカー類までハッキングされたのか。モニタ上には、円環状サイバーグラスをかけ、頭から無数のLANケーブルを生やしたニンジャが写った。「ソウカイヤのネットワークセキュリティ担当、ダイダロスです」
「アイエエエエ? ソウカイヤって何です?」と保守サラリマン。ガガイケ専務は部下のバイオLAN端子からケーブルを引っこ抜き、腰に吊ったショック・ジュッテの先を差し込んで、電流を『とても強い』にした。ナムアミダブツ! 「アバババババババーッ!」保守サラリマンは全身を痙攣させ即死する。
「ダイダロス=サン、助かりました! 我々は今恐ろしいニンジャと豊満で性的なガイジンに、ローテクとハイテクのダブルハッキング攻撃を受けているんです! このままでは爆発してしまいます!」 「大丈夫です。私がなんとかしましょう。ファイアウォールなど、私の前ではショウジ戸も同然ですから」
「ガガイケ=サン、あなたはキーボードに触らず、ただ見ていてください。余計な手出しをすると、あなたのニューロンが火傷しますよ」 「ヨロコンデー!」ガガイケは涙を流して喜んだ。 「さあ、ワームども、今度こそ逃がしません。……そして我が電子のヨメよ、今度こそ貴女を捕えてLAN直結……」
「ヨメ?」ガガイケが呟き、その声がUNIXマイクに拾われる。直後、監視モニタの一つが真っ白に光ってから爆発した。「アイエエエエエエ!」 「ガガイケ=サン、死なないうちに事務所に戻りなさい」機械じみた声を背後に聞きながら、腰を抜かしたガガイケは廊下をナメクジのように這っていった。
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ニンジャスレイヤーことフジキド・ケンジは、黒いキャットスーツ姿のナンシーを仰向けに抱きかかえたまま、真白いコリドーを駆け抜けてゆく。「イヤーッ!」壁の両側からバイオバンブーのヤリトラップが突き出したが、ニンジャスレイヤーはそれを屈伸ジャンプで巧みにかわし、勢いを殺さず走り抜ける。
危険を承知の強行突破だ。サヴァイヴァー・ドージョーの目的は不明だが、彼らが敵であることに変わりはない、とフジキドは考えた。敵は2人。フォレスト・サワタリは、ベトコンじみた不可思議なカラテをマスターしている。無敵のバイオ・イアイドを使うという四本腕のノトーリアスも、強敵に違いない。
次のトラップだ。左右の壁に、斜めに切られたバイオバンブーの先端が見える。ヤリトラップが長さ10メートルに渡って続いているのだ! ナムサン! 「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはナンシーを胸の上に抱きかかえたまま、リュージュ選手のような滑らかさでスライディングを決め、これを回避した!
L字路を曲がる手前で、ニンジャスレイヤーは背後を一瞥する。思ったとおり、サヴァイヴァー・ドージョーの連中も、数々のトラップを容易に突破してきているようだ。江戸時代に禁止されて久しい非人道武器、マキビシを撒いてこなかったウカツさを悔いるが、足を止めている時間などもはや無い。
L字路を曲がってすぐの場所には、『たいへん危険』と恐ろしい警句が書かれた赤いノレンが。いよいよ施設心臓部が近い証拠だ。 「この先の地図は……無いわ」ナンシーが左腕のウェアラブルUNIX画面を見ながら言う。意を決してノレンをくぐると、100メートルほどの白い直線回廊が姿を現した。
これまでのコリドーとは、いささか趣が異なった。白い強化セルロイドで作られている点は同じだが、回廊の左右には白砂と石で幅三メートルほどの情緒豊かな庭がしつらえられ、オーガニック・バンブーが生えているのだ。そして回廊の突き当たりは……掛け軸が吊られた壁! まさか、デッドエンドなのか?
――――――――――――――――
警告ノレンをくぐったサワタリとノトーリアスは、状況を把握するため、しばしその場に立ち止まらねばならなかった。彼らの目の前には、ニンジャスレイヤーたちが見たのと同じ直線回廊と屋内庭園が続いていたが、突き当たりの掛け軸の下には、刺激的なキャットスーツ姿のナンシーが横たわっていたのだ。
「スリケンを投げてみるかい? 大将!」ノトーリアスが100メートル先のナンシーに対して無慈悲なスリケン投擲姿勢を取る。 「やめろ馬鹿者! あの美女は俺のヨメにするのだ」血気盛んな弟子を諌めながら、サワタリは中腰でじりじりと前進する。「ニンジャスレイヤーがどこかに潜んでおるはずだ」
左右に生い茂るオーガニック・バンブーは、サワタリの偽りのトラウマを狂おしいほど刺激する。「気をつけろ、どこにベトコンが潜んでいるかわからんぞ。俺たちはこの過酷なバンブー・ジャングルの中で、生き延びねばならん。俺があの地獄のごときナムの日々をどうやって生き延びたか、教えてやる!」
サワタリは手ごろなバンブーをひとつ切断し、即席のタケヤリを作った。また、腰に吊られていたバイオヒョウタンを手に取り、それをおもむろに広げると、オーカー色の編み笠が完成した。編み笠を目深に被って装備を整えたサワタリは、タケヤリをしごきながら威嚇的な奇声を発する。「ジェロニモ!」
サワタリが先に進み、背中合わせでノトーリアスが続く。(((どこから襲い掛かってくる、ニンジャスレイヤー?))) 胃を掴まれたような緊張感が走り、じっとりと汗が滲む。(((あの美女は明らかに囮だ。左右に広がるバンブー・ジャングルのどこかに、必ずやニンジャスレイヤーは潜んでいる)))
ナンシーまであと50メートル。サワタリはタケヤリの切先を左右に動かしながら、状況を観察する。ナンシーは耳の後ろからLANケーブルを生やし、その反対側は掛け軸の裏へと伸びていた。恐らくLAN直結でハッキング中のため、意識は無いだろう。ほとんど白目をむいてよだれを垂らしている。
(((ニンジャスレイヤーは何処だ……?))) サワタリの両目が編み笠の陰で光る。左右のバンブー庭園には、大きなコケシや灯篭もいくつか配置されているが、ニンジャスレイヤーが隠れられるほど大きなものは少ない。そうした大きな遮蔽物を発見するたびに、サワタリはタケヤリでそれらを破壊した。
「ジェロニモ!」サワタリのタケヤリが3個目の灯篭を破壊したが、その物陰にはやはり何も隠れてはいない。これでもう、目ぼしい遮蔽物は何一つ残ってはいない。どういうことだ? ニンジャスレイヤーはこの回廊にはいないのか? サワタリが一瞬の油断を見せた、その時!
「イヤーッ!」竹と竹の間、何も存在しないはずの空間からニンジャスレイヤーが現れ、ナンシーの胸に視線を集中させていたサワタリの側面へとトビゲリ・アンブッシュを炸裂させる! インガオホー! サワタリの野生的索敵能力すらも欺いたそれは、白いニンジャフロシキを使った巧妙な潜伏であった!
「グワーッ!」サワタリの体は回廊に対して斜め45度の角度で吹き飛ばされ、左右の庭園に立ち並ぶオーガニック・バンブーによってバウンドしながら、ピンボールのごとく後方へと飛んでいった。最終的にサワタリの体は回廊の入口にあったノレンの下に落下し、目を剥いてぴくぴくと痙攣する。サツバツ!
トビゲリ・アンブッシュを決め終えたニンジャスレイヤーは、素早くバク転を3回決めて体勢を立て直す。そして両手を腰にぴったりと添え、ノトーリアスの機先を制するように、素早くオジギを決めて精神的優位に立った。「ドーモ、サヴァイヴァー・ドージョー=サン。ニンジャスレイヤーです」
「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。ノトーリアスです」ノトーリアスも電撃的なオジギを返す。そしてノトーリアスの下げた頭が上がりきるのとほぼ同時に、ニンジャスレイヤーはカラテの構えで突き進んだ! ハッキョーホー! 並の敵であれば、オジギから戦闘態勢に入る事すらできず絶命する速さだ!
「イアイ!」ノトーリアスのセラミック製カタナが閃く! 何と彼は、両手を胸の前で合掌してオジギしながらニンジャスレイヤーを油断させ、残る二本の手で抜かりなく腰のイアイ・カタナを握っていたのだ! 「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは間一髪でそれに気付き、タイドー・バックフリップで回避!
「イヤーッ!」着地と同時にニンジャスレイヤーは片膝をつき、バズーカ砲射手のごとき安定姿勢でスリケンを連射する! 「ダブルイアイド!」ノトーリアスは印象的な掛け声とともに、残る2本の腕で2本目のイアイ・カタナを引き抜く! ナムアミダブツ! スリケンは2本のカタナで次々と切断された!
「見たかニンジャスレイヤー=サン、オレのバイオ・イアイドは無敵なのだ!」ノトーリアスは2本の右手に1本のカタナ、さらに2本の左手にもう1本のカタナを握り、神像のごとき威圧感をもって頭上で交差させた。弾き損ねた1枚のスリケンが左腿に刺さり、緑色の血を滲ませていたが、傷は極めて浅い。
全く無駄の無い構えだ。ニンジャスレイヤーは攻め入る隙を見出せず、カラテの構えのまま後ずさった。 「オレのイアイドーは20段。だがバイオ・イアイドによって、その威力は30段にもなる!」ノトーリアスが手近な竹や灯篭をデモンストレーションとばかりに切断しながら、じりじりと近づいてくる。
(((後が無い。あと5メートルでナンシーのいる突き当りだ。好戦的なノトーリアスは、こちらを殺すためならばナンシーごとバイオ・イアイドで斬り刻んでしまうだろう。バイオニンジャとはそういうものだ。サワタリだけが人間性を保ちすぎているのだ))) フジキドは意を決し、真正面から突き進む!
「ダブルイアイド!」真正面から弾丸のような速度で駆け込んでくるニンジャスレイヤーめがけ、ノトーリアスは2本のカタナをXの字に振り下ろす! ナムサン! …だが、カタナは虚しく空を切った! ニンジャスレイヤーはスケルトン選手のごとき滑らかなスライディングで、股の下を通過していたのだ!
「ウオーッ! 何処だ?」ニンジャスレイヤーが背後に回りこんでいるという衝撃の事実に気付いていないノトーリアスは、灯篭や竹へと闇雲にカタナを振るう。「何処へ……グワーッ!!」 ニンジャスレイヤーが両手で投げた8枚のスリケンが、ノトーリアスの背中にXの字に突き刺さった。インガオホー!
「まだだ! オレのバイオ・イアイドは無敵だぜ!」ノトーリアスはおびただしいバイオエキスを床に撒き散らしながらも、背後を素早く振り向いて、2本のカタナを体の前で水平に構えなおした。恐るべき好戦性である。「ニンジャスレイヤー=サン、イアイドーの真髄を見せてやるぞ!」 だがその時……!
「アバーッ!」ノトーリアスは全身を痙攣させながら床に這いつくばり、緑色の血を吐き出した。ナムアミダブツ! 血を流しすぎたことで、再びバイオ・インゴットの欠乏禁断症状が出てしまったのだ! 「ちくしょう! サワタリの大将! 助けてくれ! 助けてくれ!」ノトーリアスは床に向かって叫ぶ!
「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ! グワーッ! グワーッ!」ニンジャスレイヤーは素早く駆け寄り、無防備なノトーリアスの脇腹に連続カラテキックを叩き込んだ! 最初の2発で腎臓が幾つか破裂し、3発目でノトーリアスの体自体がサッカーボールのように天井へと叩きつけられた!
「ニンジャ殺すべし! サツバツ!」天井から落下してくるノトーリアスに対し、ニンジャスレイヤーは伝説のカラテ技、サマーソルト・キックをくり出す。バイオニンジャとなって以来、非人間的殺戮の限りを尽くしてきたノトーリアスが、一瞬だけ、ニンジャとなる前の顔に戻った。恐怖を知る人間の顔に。
ニンジャスレイヤーのカラテがノトーリアスの頭部を破壊する! それと同時に、ノトーリアスの口から断末魔の叫びが漏れた「サヨナラ!」と! 直後、行き場を失ったニンジャソウルは暴走を起こし、ノトーリアスの肉体を爆発四散させた。熟れ切ったアボカドのようなバイオエキスが、周囲に飛散する!
「ジェロニモ!」ノレンの下で息を吹き返したフォレスト・サワタリは、頭部から滲ませた赤い血で顔面を染め上げながら、鬼の形相で吼えた。怒りで完全に心を支配されているようだ。フジキド・ケンジは、内なるニンジャソウルによって心を支配されている時の醜態を鏡写しで見ているような感覚を覚えた。
タケヤリは既に破壊されており、サワタリに残された武器は腰に吊った二本のマチェーテ(山刀)のみ。2人の距離は、約50メートル。両者は大西部のガンマンのように、互いの武器に手を伸ばし、隙を窺いながら攻撃の機会を窺う。「アイエエエエ!」突如上がったナンシーの悲鳴が、決闘の合図になった!
追い詰められ獣と化したサワタリには、もはやナンシーなどどうでもよかった。彼は右腰に吊ったマチェーテを抜くと、素早く振りかぶり、ニンジャスレイヤーめがけて恐るべき速度で投げつけた! 回避は容易いが、この軌跡のままマチェーテが飛べば、ナンシーの頭が割られてしまうだろう!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは飛んできたマチェーテの柄を左手で掴み、それを振りかぶってサワタリめがけ投げ直した! そして前進! 「サイゴン!」サワタリは間髪入れず、2発目のマチェーテを左手で投げる! そして前進!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは2本目のマチェーテも同様に投げ返して前進!「サイゴン!」サワタリも返ってきたマチェーテを投げ返して前進!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは再びマチェーテを投げ返して前進!「サイゴン!」サワタリも返ってきたマチェーテを投げ返して前進!
二者は両手で2本のマチェーテを投げ合いながら、次第に前進の速度を速めていく。そして激突! 「イヤーッ!」「サイゴン!」ニンジャスレイヤーの左手はマチェーテを握ったサワタリの右腕を掴み、サワタリの左手はマチェーテを握ったニンジャスレイヤーの右腕を掴んだ!
「AAAAARRGGH!」狂乱したサワタリは目を剥き、猛獣のような吼え声をあげた。これは、サヴァイヴァー・ドージョーのニンジャたちに共通する特徴のひとつである。彼らはバンブー・ジャングルの中で野生的サヴァイヴァル生活を送る中で、猛獣のごとく淡々と人を殺す性質を養っていったのだ。
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはジュー・ジツを使ってサワタリの力をいなし、痛烈なカラテキックを腹に喰らわせた。「グワーッ!」サワタリはL字路の壁まで蹴り飛ばされた後、素早く身を起こして、危険を察知した野生動物のごとく退却を開始する。「覚えていろよ、ニンジャスレイヤー=サン!」
ニンジャスレイヤーもまた、無意識のうちにサワタリを追跡しようとしたが、すぐに思いとどまって踵を返した。全ニンジャ殺害も重要だが、今はまず、ナンシーを助けねば。そしてタケウチ・ウィルスの特効薬を見つけ出し、ドラゴン=センセイを救うのだ。自分を家族のように迎えてくれたセンセイを……!
ナンシーを助けるべく走るフジキドは、床に虚しく転がる2本のイアイ・カタナと、跡形もなく四散したノトーリアスの死体に一瞥をくれる。殺さねばこちらが死んでいた。インガオホーだ。…だが、子供のように無邪気に殺人を犯すバイオニンジャたちを殺した後には、いつも一抹のワビサビ感が付きまとう。
フジキドの脳裏には、今は亡き子トチノキの姿が、残酷なまでに無垢なノトーリアスと、どこかだぶって見えていた。 (((俺はこの先、どれだけの殺戮を経験するのだろう! その度に、俺の心はただひたすら研ぎ澄まされ、サツバツとしてゆくのか! 何たる呪い! これぞまさにマッポーの世だ!)))
ニンジャスレイヤーは一瞬立ち止まり、2本のセラミック・カタナを踏んでカイシャクした。(((全ての迷いを捨てろ! 俺がノトーリアスに殺されていたら、アノヨでトチノキとフユコに合わす顔が無いだろう! 感傷など捨てろ! 俺は全てのニンジャを殺す者、ニンジャスレイヤーなのだから!)))
ニンジャスレイヤーは、胸に手を当てて復讐の誓いを新たにした。赤黒いニンジャ装束に隠れたオマモリ・タリスマンの中には、ロイヤルペガサス・ネオサイタマの一室から持ってきた一枚の写真が納められている。今のフジキド・ケンジにとっては、復讐こそが力の源であり、バイオ・インゴットなのだった。
「ナンシー=サン、大丈夫か?」ニンジャスレイヤーはナンシーに駆け寄り、背を抱いた。「アイエエエエ!」その表情を見る限り、ナンシーの意識はまだ電脳IRC空間にあるようだ。「一体、IRC空間内で何が…?」鼻や耳から煙が出ていないところを見ると、まだニューロンは焼ききれていないようだ。
「アイ、アイエエエエエ!」ナンシーの体が激しく痙攣する。ナンシーの左腕に備わったウェアラブルUNIXのIRC画面には、恐るべき文字情報が映し出されていた。そこでは何と、多重ログインした50人を超えるダイダロスと1人のナンシーが、同じ部屋の中で激しい電脳攻防戦をくり広げていたのだ!
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掛け軸の裏に隠されたLAN端子に自らのバイオLAN端子をケーブル直結したナンシー・リーは、電脳IRC空間内へと精神を飛翔させる。このセキュリティ・プログラムに用いられた関数名などをもとに構築されたコトダマ・イメージは、先程のレーザートラップと同じく……不吉な日本漁村であった。
禁酒法時代の婦人服と帽子に身を包んだナンシーは、デリンジャーを胸に挿しながら、再び古式ゆかしい夕暮れの日本漁村に現れ、高いトリイの上に佇んでいた。遥か上空には淡い月と、得体の知れぬ金色の構造物が浮かんでいる。何もかも先程と同じだ。プログラマが同じなのだろう。手早く解除できそうだ。
ジンジャ・カテドラルの鐘が鳴ると、海辺に半漁人めいた村人が姿を現し上陸を開始する。いわゆるカッパだ。砂浜には、ブードゥーめいたイカが吊るされた邪悪な大コケシが何本も立ち並ぶ。ナンシーは何事か呟きながら、トリイで鉄棒選手のように大回転を決め、斜め下にある市役所のカワラ屋根を破った。
市役所の資料室に突入したナンシーは、先程と同じく、日記帳を抱えた学生を探す。いやな波長のデジャヴを感じ、ニューロンがチリチリする。奥の暗がりに人影が見えた。先程と流れが違う。関数名が違うのか? ナンシーが不審に思いながらも懐中灯を捻ると……ナムサン! そこには何とニンジャの姿が!
「ドーモ、ナンシー=サン」黒尽くめのニンジャ装束、頭から生えたゴーゴンのごときLANケーブルの束、円環状のサイバーサングラス、それはまさにソウカイヤのネットワークセキュリティ担当ニンジャ、ダイダロスであった!「降伏しなさい。そして、私と一緒に電脳IRC空間でネンゴロしましょう」
「TAKE THIS!」ナンシーは一瞬の躊躇もなく、ダイダロスにトビゲリを喰らわせる。「グワーッ!」ダイダロスは市役所のガラス窓を突き破って落下し、そのまま無数の言葉と数字になって消滅した。LAN直結者であるナンシーのKICKコマンドは、0コンマ1秒以下の反応速度を誇るのだ。
(((何故、ダイダロスがここにいるの? ヨロシサンのセキュリティネットに侵入を?)))ダイダロスを蹴り出し終えてから、ナンシーは自分の今の立場がかなり危険であることを察した。LAN接続を解除すればダイダロスからは逃げられるが、それでは回廊の物理ロックをいつまでも突破できないのだ。
ナンシーは、回廊の物理ロック解除パスワードが書かれた日記帳を探した。資料室中には、カビの生えた分厚い書物がいくつも書棚に並び、丸いチャブにはヤカンやトックリが無数に置かれている。だが、日記帳は見つからない。緊張感で胸元に玉のような汗が滲む。その時、4つあるドアが、一斉に開いた。
「「「「ドーモ、ナンシー=サン」」」」ナムアミダブツ! 4つのドアから4人のダイダロスが一斉に現れ、オジギしたのだ!「「「「諦めなさい。あなたのタイプ速度では私に勝てない。これ以上、自分の精神を痛めつけるのはやめなさい。私はあなたの精神ファイアウォールを破りたくないのだ」」」」
ナンシーは自らのニューロンを酷使し、電脳IRC空間内を高速飛翔した。物理法則を無視したハチドリのような動きで、4人のダイダロスに痛烈なKICKコマンドを炸裂させる!「「「「グワーッ!」」」」ダイダロスは再び蹴り出され、消滅! ナンシーはキリモミ回転しながらふわりと着地する。
だが、彼女の表情に余裕は無い。ダイダロスの言葉が真実であること、すなわち自分がまだまだ非力であることを、彼女は痛感していたからだ。敵は明らかに、自分より上手のハッカーである。さらに、ダイダロスがニンジャスレイヤーに対して行ったようなウィルス攻撃を仕掛けてこない点も不気味だった。
「まるで、こちらが無抵抗になるのを待っているかのよう…」ナンシーはそう呟きながら、ふと、割れた資料室の窓から、夕暮れに染まる漁村の浜を見やった。そこでは、先程の電脳IRC空間ダイヴ時と同様に、何十体ものカッパが上陸を……いや、違う! それらは今、全てダイダロスに置き換わっていた!
「ドーモ、ナンシー=サン」資料室のドアから、天井の落とし戸から、本棚の陰から、チャブの下から、ぞろぞろとダイダロスが出現してきた。恐るべき多重ログイン能力! ナンシーは必死にKICKをくり出すが、蹴りだされて消滅するダイダロスよりも、入室してくるダイダロスの人数のほうが上だった。
「無益な抵抗は止めグワーッ!」発言したダイダロスが蹴り出され、すぐにまた新たなダイダロスが現れ発言を行う。「探していたのです、貴方のように感受性豊かなヤバイ級ハッカーグワーッ!」ナンシーのソバットで首を切断され、次のダイダロスが発言を引き継ぐ「不思議に思ったことは無いのですか?」
電脳IRC空間内のナンシーは、資料室の中央にへたり込み、息を切らしていた。精神力が限界に近い。ザゼンドリンクの薬物の力が無ければ、これ以上のブーストは不可能だ。資料室内のダイダロスの人数はすでに50人近くに達し、全員が同じ発言を一斉にくり出してきていた。
「コトダマ・イメージとは何なのか、考えたことはないのですか? 何故、誰にプログラムされたのでもないこのような電脳空間を、ヤバイ級ハッカーたちは共有し、同じ光景を、同じ物理法則を味わうことができるのか、不思議に思ったことはないのですか?」
「文字情報からイメージを引き出しているだけよ」ナンシーは、マジックハンドめいた手を伸ばしてきたダイダロスの頭を、回し蹴りで刈り取る。激しく血を噴出させながら、サイバーニンジャの1体が消滅。「血が出るのは、最初に部屋を立てた私が、空間の物理法則を一般的なリアリティに定義したからよ」
「では、常に上空に浮かぶ、あの黄金色の浮遊物体は何なのですか? 私はこれまで数々のヤバイ級ハッカーの精神ファイアウォールを破壊し、廃人にしてきました。その全員が、自らのコトダマ・イメージ空間の中に、黄金の浮遊物体を有していたのです」ダイダロスは抑揚のない機械音声のような声で語る。
(((これは罠だわ。狡猾な詐術で、私の精神ファイアウォールをショウジ戸のように破ろうとしているのよ)))絶対に辿り着けない黄金の浮遊物体の事を言い当てられて一瞬動揺していたナンシーだったが、すぐにいつもの冷静さを取り戻す。奴の言葉に耳を貸してはならない。今はただKICKあるのみ!
「諦めなさいナンシー=サン! イヤーッ!」ナンシーを取り囲む8人のダイダロスは、彼女の服を脱がせ精神的防御力を削るべく、マジックハンドめいた手を一斉に突き出した! 「イヤーッ!」その顔に不屈の表情を浮かべたナンシーは、その場で高く開脚ジャンプしてダイダロスの攻撃を回避! コワイ!
「TAKE THIS!」ナンシーはさらに、空中で上半身を高速で捻り、開脚した両足をバズソーのように回転させ、迫ってきた8人のダイダロスの首を一瞬にして刈り取った! 噴水ショーの如き血飛沫! ゴウランガ! 現実空間においてはニンジャスレイヤーですらも行使困難な、殺人カラテ技である!
「グワーッ!」8人のダイダロスは、クローンヤクザのように同時に倒れて消滅した。ナンシーは血みどろのタタミに回転しながら着地し、絶対抵抗の意志をみなぎらせた強い目で、迫り来るダイダロスたちを睨み付ける。 「生憎だけど、ドレスを剥こうとするような殿方とは、ランデブーしたくないわね」
「……では、しばらく気絶してもらいましょう。ニューロンが多少傷つくと思いますが……仕方ない」数十人のダイダロスは、ぞっとするほど無表情に言い放った。彼の円環サイバーサングラスに、「ナムアミダブツ」「LAN直結したい」と、相手の恐怖心を煽る言葉が赤いLEDドット文字で流れ始める!
かくして広さ50畳ほどの資料室を舞台に、常人を狂気へと誘うほどの壮絶な死闘が始まったのだ。ダイダロスはログイン人数を増し続け、ナンシーの服を破壊すべく高速タイプをくり出してくる。ナンシーは失禁寸前までニューロンを酷使し、次々と現れるダイダロスをKICKコマンドで殺戮していった。
ナンシーのニューロンを焼き切って即死させることなど、ダイダロスにとっては造作も無かった。だが彼女の持つ稀有なコトダマ・イメージ能力に強い興味を抱くダイダロスは、真綿を少しずつ喉に詰め込んで相手を窒息させるという平安時代の拷問術のような、実に繊細な方法でナンシーを攻めたのである。
わずか数十秒のうちに、ナンシーは半裸の状態まで追い込まれた。ダイダロスの人数はなおも増え続けている。ナンシーの胸に浮かび上がる玉のような汗が、ガラス窓から忍び込んでくる夕日に照らされ、雅に光り輝く。彼女は立膝の状態でへたり込み、もはやKICKをくり出す精神力も残っていなかった。
「ではファックします」ダイダロスたちが、ナンシーの両手両足をマジックハンドめいた手で掴み、大の字に引き上げる。さらなる手が伸び、ナンシーの服を掴む。「アイエエエエエ!」ナンシーは、これまでにない恐怖を感じ絶叫した! フスマが指で破られる直前のような嫌な感触が、ニューロンを走る!
その時だ! 「グワーッ!」部屋のあちこちで、ダイダロスが突如消滅し始めたのである! 「何だ? 何が起こった?!」思いがけない出来事に、ダイダロスはナンシーの拘束を解き、謎の侵入者を捜し求める。だがリストを見ても、この部屋には多重ログインした№1~172の自分とナンシーしかいない!
「グワーッ!?」そうしている間にも、ダイダロスは次々と消滅してゆく。ナンシーも息を吹き返し、ダイダロスの死体から奪ったニンジャ装束を即席の袴のように纏うと、この願ってもいない事態に乗じて、KICKコマンドを再入力し始めた。その豊満な胸は、まだ辛うじてコルセットに守られていたのだ!
「まさか、ニンジャスレイヤー=サン、LAN直結能力者でもない貴様が、私を欺いたのか?!」ダイダロスは、全ての入室者に対して高速でWhoisスキャンを行う。すると、No.142のダイダロスの全身が崩壊し、赤と黒の文字列に変わって再度構築され……ニンジャスレイヤーの姿に変わったのだ!
一体どうやって? 現実空間でナンシーの横に駆け寄ったフジキドは咄嗟の機転を働かせ、彼女の左腕にあるウェアラブルUNIXとショウジ戸の裏に隠されたLAN端子を繋ぎ、No142がKICKされた直後にキー操作でログインを果たしていたのだ。ヤバイ級ハッカーさえも欺く、見事な狡知であった!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーのトビゲリ!「グワーッ!」「TAKE THIS!」ナンシーのソバット!「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「TAKE THIS!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」ダイダロスのタイプ速度がテンサイ級へ、さらにスゴイ級まで下落してゆく。
ダイダロスは混乱していた。敵がハッカーならまだしも、ニンジャスレイヤーなどに電脳空間内で後れを取ってしまったことで、冷静さを失っていたのだろう。それに、イゴの如く整然と01効率化された彼の思考能力は、そこへショウギ駒が攻め込んでくるような想定外の事態に、全く対応できなかったのだ。
「イヤーッ!「グワーッ!」「TAKE THIS!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「TAKE THIS!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」残るは1人!「サヨナラ! ダイダロス=サン!」ナンシーは胸から抜いたデリンジャーでダイダロスの頭を撃ち抜き顎を蹴り上げた!
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トコロザワ・ピラー内の電算機室で、パシン、というショウジ戸が破られるような音が鳴り、高椅子に正座したダイダロスの耳元から白い煙が噴き出した。インプラントした物理ファイアウォール装置が破壊されたのだ。無数のモニタが全方位に配された真暗い球状の空間内で彼は失神し、がくりと頭を垂れた。
(親愛なる読者の皆さんへ。前回の連載分に深刻な誤訳がありました。『彼女の左腕にあるウェアラブルUNIXとショウジ戸の裏に隠された...』は、『彼女の左腕にあるウェアラブルUNIXと掛け軸の裏に隠された...』が正しいです。タイプ速度への悪影響を考慮しケジメは行われておりません)
7
ナンシーがパスワードを解除すると同時に、掛け軸の吊られていた壁が突然ぐるりと回転し、2人をアドミニストレータ室へといざなった。あらゆる無駄が削ぎ落とされた、8畳ほどの小さな真っ白い部屋だ。正面の壁には、黒いオブツダンを思わせる最新鋭のUNIXメインフレームが埋め込まれている。
ニンジャスレイヤーは部屋の天井四隅に配備されたマニピュレータと、その先端に備わった最先端兵器ZAP銃の銃口を見て、スリケンを投擲すべきか迷った。ナンシーがそれを制する。「手を出さないで。多分、メインフレームと連動しているわ。破壊すれば、メインフレームがアクセスを受け付けなくなる」
「つまり?」四挺のZAP銃に会話まで監視されている気分になり、ニンジャスレイヤーは小声でナンシーに問うた。 「きっと、このUNIXのログインに失敗した者を、容赦なくZAPするためだけに存在するのよ。もし殺す気ならば、この隠し扉が回転した時点で私たちは灰になっていた筈、でしょう?」
「なるほど……」ニンジャスレイヤーはごくりと生唾を飲んだ。2人の動きに反応して、高級スシハンド・マシーンを思わせる精密マニピュレータが小刻みに動いている。もしZAP銃が発射されたら、自分はニンジャ反射神経で直撃を免れるかもしれない。だが、ナンシーまで助けることは、できるだろうか。
「さあ、最後の大仕事よ…!」ナンシーは腰にガンベルト状に吊ったザゼンドリンクを5本ほど飲み干してから、UNIXメインフレームの前に立った。いまやニンジャスレイヤーもナンシーも、互いを戦士として尊重し、また相手の力量を信頼している。どちらか片方が欠けても、計画は失敗していただろう。
ナンシーは迷い無く、自らの右耳の斜め上にインプラントされたバイオLAN端子と、真っ白い壁に埋め込まれたLAN端子を、スゴイテック社製のとても細いLANケーブルで直結した。IRCコトダマ空間に強制ログインが行われ、ナンシーの視界が飛ぶ。崩れる体をフジキドが支えて、床に横たえる。
フジキドはモニタに流れる文字列を見た。ナンシーがアドミン権限でログインを果たそうとしているらしい。『1分以内にパスを入力してください。ヒントは【タタフータリタンタカタタザンタ】です』とシステムメッセージ。「ハッカーでない己には、皆目解らぬ。ハンズアップだ。頼んだぞナンシー=サン」
さらに、衝撃的なシステムメッセージがフジキドの目に飛び込む…『パスワードを間違うとZAPされて死にます。1分以内にパスワードが入力されなかった場合、およびパスワードを間違えた場合、トップシークレットを守るためにこの施設は爆発します。ヨロシク・オネガイシマス』…と。ナムアミダブツ!
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そこは数百畳はある広大な和室だった。ナンシーは鯉が刺繍された青いキモノを着て、タタミに正座している。目の前には紙と筆とスズリ。左手には椅子に座るようにディスプレイされた鎧と、その背中に「1分以内に暗号」「間違うと死ぬ」と書かれた二本のノボリ。パスワードをショドーせよという意味か。
「このパスワードがタヌキという訳ね」 長かった。アラキ・ウェイ=サンのダイイング・メッセージから、ようやくここまで辿り着いたのだ。ナンシーは心の中で独りごちながら、スズリをする。間違うと死ぬ……彼女の手がじっとり汗ばむ。これまでのどんな修羅場と比べても、ずば抜けて高い緊張感だ。
ナンシーは、右手の小さなタンスに置かれた黄金ブッダ時計を見やる。制限時間はあと50秒。これを超過すると、セキュリティシステムがハッキングを警戒し、自動的にプラントは大爆発を起こすのだ。ナンシーはタイプミスをしないよう、深呼吸を行った。ザゼンドリンクが回り、筋肉が弛緩し始めた。
ナンシーは筆を墨に浸し、落ち着いてタヌキの「タ」をショドーする。…その時、遥か前方のカモイに掛けられた額が彼女の目に飛び込んだ。その額には毛筆で【タタフータリタンタカタタザンタ】と、謎めいたショドーが! これは何? ナンシーの心臓を、不安という鉤爪が鷲づかみにした! 残り45秒!
ナンシーは筆を止め、半紙をDELETEし、精神をリラックスさせるためにスズリをすり直す。本当に、パスワードはタヌキなの? そうよ、間違いはない筈! でも、あの謎のショドーは何? ナンシーの自信が揺らぎ始める。「あと30秒ですよ」という、黄金ブッダ時計の無表情な電子音声が聞こえた。
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「ナンシー=サン、時間が無いぞ……!」リアルスペースでは、痙攣するナンシーの体をニンジャスレイヤーが抱き抱えていた。壁に埋め込まれた大型の赤色LEDが、サイバースペース内の黄金ブッダ時計と同期して、残り時間30秒を告げる。部屋の天井四隅に備わったZAP銃が、2人に狙いを定めた。
ニンジャスレイヤーの腕の中でナンシーは白目を向き、防波堤に打ち上げられたマグロのように体をびくつかせる。頼まれていた通り、フジキドは彼女の腰に吊られたマルチタッパーの中からザゼンタブレットを取り出し、ピンク色の舌の上にそっと置いた。これ以外に、何の手助けもできない事が歯痒かった。
ZAP銃を破壊したりログインに失敗したりすれば、プラントは大爆発する。ユタンポエキスに引火すれば、周囲数キロが吹き飛ぶだろう。何の罪もない労働者数万人が死ぬのだ。ヨロシサン製薬は確かに卑劣だが、予想できなかった訳ではない。自分とダークニンジャの間の相違点をフジキドは自問自答した。
――――――――――――
第1ユタンポ・プラント内全域に警報が鳴り響く。廊下という廊下、会議室という会議室で非常ボンボリが赤く回転する。プラント内でユタンポ作りに精を出す深夜労働者たちも一瞬手を止め、うつろな目でぼんやりと施設内を見渡した。そして自分達には関係のないことだろうと悟り、また作業に戻った。
「アイエエエエ! アイエエエエ!」警報の意味を悟ったガガイケ専務は、血相を変えながら非常脱出ボタンを押す。重役室の床がパカリと開き、ピラミッドの秘密ナナメ通路めいた脱出ルートが露になる。ガガイケは猛スピードでナナメ通路を滑り、地下100m地点に築かれたシェルターへと間一髪で退避。
「アイエエエエ! ソウカイヤめ、ぜんぜん役に立たないじゃないか! ああ、ちくしょう! 私の勤務時間中に何でこんなことになるんだ! 爆発したら委員会にケジメかセプクを迫られるじゃないか! 私は結局、オイラン出張サービスも受けてないんだ! 誰彼構わずファックしたい気持ちだ!」
極限状態に追い詰められたガガイケ専務のニューロンに、素晴らしいアイディアが閃く。彼は非常用マイクを取り、経理室に放送を入れた。黒いセルフレームの眼鏡をかけた、頭の鈍そうな若い職員がそれを聞く。「経理のカオルコ=サン、緊急事態だ。その部屋の床に脱出用の穴が開くから、滑りなさい!」
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ナンシーは正座したまま、ブロンドの髪を掻きむしっていた。おお、ナムサン! 緊張で胃がまろび出そうだ。「……もう駄目だわ!」 ザゼン成分の過剰摂取のためか、ナンシーは悲観的な叫びを発した。「タヌキって書くだけなの、それなのに、それなのに、それさえもできない! 手が動かないのよ!」
その時突然、彼女の前にマッチャが差し出された。
ナンシーは驚いて左手を見る。ディスプレイされた鎧の中に浮かぶのは、ユーレイめいた半透明の男の顔! 「ホゼ=サン…?」ナンシーはそこに、かつての同志の幻を見た! この特徴的な細い目は、間違いなく彼だ。メンポに隠れてはいるが、きっとその下には、無精髭だらけの口が隠されているのだろう。
あと十秒。だが、ナンシーは敢えてマッチャを啜る。「ソウカイヤにくびり殺された時、あなたはさぞ怖かったでしょう。それに比べたら、私は……まだ幸運ね。有難う。恐れが“取り除かれた”わ」ナンシーは意を決し筆を持つ。ニューロンで何かがスパークした。ホゼの顔が、満足そうに微笑んだ気がした。
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フジキドの眉間から流れた汗が、鋼鉄メンポの上を滑る。あらゆる動作が爆発を引き起こしそうで、ニンジャスレイヤーはカナシバリ・ジツにかけられたかのように微動だにしていなかった。 その彼が、ようやく深い息を吐く。赤色LEDの数字は皮肉にも、爆発の0.4643秒前で停止していたのだ!
プシューという音と圧縮空気と共に、黒いメインフレームの中断部分が観音開きに開いて、中から冷凍されたアンプル数十本と、漆塗りの重箱に入った得体の知れぬ記憶素子の山が姿を現す。 「タヌキ・クリプティック…」ナンシーが意識を取り戻した。「直前で気付いたわ。江戸時代に使われた古い暗号よ」
「よくやったな、ナンシー=サン」フジキドはナンシーに肩を貸す。「私一人の力じゃないわ。ダイイングメッセージを残したアラキ=サン、そしてホゼ=サン……」「ホゼ=サン?」「何でもないわ、忘れて」疲れた顔で、ナンシーは自嘲気味に笑う「薬物反応と脳内電気が引き起こした幻覚に救われたのよ」
だが、2人に安寧の時はまだ訪れない。隠し扉を隔てた回廊から、数十人単位のクローンヤクザの靴音が聞こえてきた。ニンジャスレイヤーは再び殺人者の顔に変わり、隠し扉に手をかける。「ナンシー=サン、次はこちらの仕事だ。10秒で片をつける。その間に回収を」ナンシーは不敵な笑みと共に頷いた。
ナンシーはついに、求めていた記憶素子と対面を果たした。ヨロシサン製薬、オムラ・インダストリ、そしてソウカイヤの陰謀を暴くトップシークレットがここに。メインフレームのコンソール画面には、文字通り「タ」を全て取り除かれた「フーリンカザン」のパスワードが、誇らしげに刻み付けられていた。
――――――――――――
一方その頃、地下100メートル地点のシェルターでは、経理のカオルコ=サンが恐るべき暴威に晒されつつあった。「アーレエエエエ! ガガイケ専務=サン、やめてください! 私には上のプラントで働く夫が! アーレエエエエ!」「カオルコ=サン! 言うことを聞きたまえ! どうせ爆発するんだ!」
「爆発って何なんですか! やめてください!」 そういえば、先程まで回転していた非常ボンボリの動きが止まっている。ガガイケ専務はいぶかしんだ。もしかして、爆発は回避されたのだろうか? ならば、全ての責任は、ダイダロスになすりつけられるぞ。ガガイケは喜び勇んで密閉ハッチの蓋を開ける。
「グワーッ!?」 ハッチを空けた途端、ガガイケは腹部に猛烈な衝撃を受け、後方に弾き飛ばされた。一体何が? 困惑するガガイケが非常ハッチの前にあるノレンに目をやると、それを両手で無骨に払いのけながら、迷彩ニンジャ装束の男が姿を現した。 「ドーモ、ガガイケ専務=サン。サワタリです」
「アイエエエ!」思いがけぬニンジャの侵入にカオルコは失神する。ニンジャの恐怖は日本人の遺伝子レベルに刻まれているのだ。「まさかハッチの前で、私が開けるのを待っていたのか?」とガガイケ。「竹林のタイガー、暁を知らず」狂乱状態を脱していたサワタリは、血みどろの顔で冷酷なハイクを詠む。
「そして今の俺の心は、いまやベトコンですら失禁するほどの残酷さだ」サワタリは両手にマチェーテを構えて、床に仰向けに転がって腰を抜かしたガガイケへと迫る。「バイオ・インゴット製造機はどこだ?」 「そんなものはない」「なんだと?」 マチェーテが振り下ろされ、ガガイケの右腕が飛ぶ!
「アイエーエエエエエエ!」ガガイケの絶叫が響き渡り、おびただしい血がタタミに吸い込まれてゆく。サワタリは尋問を続けた。「もう一度聞くぞ、バイオ・インゴット製造機はどこだ」「ここにはありません、それは第2プラントです」「なんだと?」 マチェーテが振り下ろされ、ガガイケの左腕が飛ぶ!
「アイエ! アイエーエエエエエ!」ガガイケの絶叫が響き渡り、おびただしい血がタタミに吸い込まれてゆく。サワタリは尋問を続けた。「何か無いのか?」「バイオ・インゴットなら何個かあります」「なんだと?」 マチェーテが振り下ろされ、ガガイケの右足首から下が飛ぶ!
「アイエーェェェェェエエ!」ガガイケの絶叫が響き渡り、おびただしい血がタタミに吸い込まれてゆく。サワタリは尋問を続けた。「バイオ・インゴットはどこだ?」「そこの金庫です」「番号は?」「4643です」「よし、左足は残しておいてやる」サワタリはガガイケの股間を踏み潰して破壊した。
「4643……」サワタリは深刻な表情で金庫のダイヤルを回す。カチリ、と音がし、隙間から薄緑色の光が漏れ出した。「モッチャム! モッチャム!」興奮が隠し切れない。果たして中から姿を現したのは、金の述べ棒状に成型され銀色の保存シートで包まれた、数十本ものバイオ・インゴットであった。
「願ってもいない補給物資だ。これで、救援の到着まで戦い続けられる!」サワタリはバイオ強化フロシキを広げて、背負えるだけのバイオ・インゴットを背負い、両手にも数本ずつ握る。気絶しているカオルコを攫っていこうかと考えたが、両手が埋まっていることに気付き、諦めてシェルター部屋を脱した。
延々と立ち並ぶメガコーポ各社のプラント迷宮の上を、2人のニンジャが偶然にも別々の方向に向かって走っていた。一人はナンシーを抱き、解毒アンプルの一本を胸のオマモリ・タリスマンに仕舞ったニンジャスレイヤー。もう一人は、バイオ・インゴットとともにドージョーへと帰るサワタリであった。
ナンシーは疲れ果て、ニンジャスレイヤーの腕に背中と膝を抱かれたまま眠っていた。急性ザゼン中毒者特有の、パンダのような深い隈が痛々しい。ニンジャスレイヤーは、信念のためなら自暴自棄とすら思える行動を取るナンシーを理解できないと思ったが、自分もそう思われているのだろうとすぐに悟った。
プラント群を走り抜けるフジキド・ケンジは、センコのように無限に立ち並ぶ煙突群と、そこから上空へ昇るマッポー的な汚染光景を見た。それらは他者を痛めつけるべく吐き出されているのではなく、プラントそのものが、あるいは中にいる無数の労働者達があげる、無言の叫びなのではないかとすら思えた。
このマッポーの世に何ができるか? 家族を守りたい。だが、家族はもはや皆殺された。自分に残されているのは、この新たな家族……と呼ぶのはおこがましいだろうが、共に戦ってくれる者たちだけなのだ。だが、それすらも高望みなのだろうか。復讐だけを追い求めるべきなのか? 高望みは死を招く……。
ニンジャスレイヤーは風の中を走りぬけながら、魂を再びカタナのように鋭く研ぎ澄ましていった。 「Wasshoi!」 一人のニンジャがビルの屋上から屋上へと運河を飛び渡る幻想的な姿が、偶然にもサーチライトに照らされ、疲れ果てて家路につく労働者たちのニューロンへと鮮烈に焼き付けられた。
【ワン・ミニット・ビフォア・ザ・タヌキ】終
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