【デス・オブ・アキレス】
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この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードの加筆修正版は上の物理書籍に収録されています。また第2部のコミカライズが、現在チャンピオンRED誌上で行われています。
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「フジキド・ケンジ。男。凶悪なる殺人鬼にしてテロリスト。イチロー・モリタなる偽名を用い私立探偵としても活動」「ナンシー・リー。女。試算懲役数千年の重犯罪ハッカー。数々のテロに関与。フジキド・ケンジを支援」……重金属酸性雨の反射によって、街頭液晶モニタの映像は白く霞み、輝く。
夜空を行くマグロツェッペリンの広告モニタが、巨大ビル群の広告モニタが、バス停留所の広告モニタが、マッポビークルの装甲板の広告モニタが、ブッダ寺院群の広告モニタが、音声と映像をシンクロさせ、全く同じコンテンツをリピートしている。指名手配犯二名の面構えは凶悪で、悪魔じみている。
「オイオイ」バーの市民が店内TVのチャンネルをザップする。「彼は事故によって妻子を失い、前政権の対応に絶望、テロリストと化し」「女子供の区別なく殺戮」「日本宗教界の宝タダオ大僧正暗殺について、当局はこの男の関与を」「失業率はさらに上昇見込」違うオイランキャスター。同じニュース。
「青年実業家の惨たらしい殺害事件についても……」「オムラ・インダストリ社の一族を非道に暗殺」「彼はキョート政府筋の非合法依頼を一手に引き受け、破壊行為を何年にも渡り」「その根底には狂気が……」「復讐ですね」「もはや誰でもいいのです」「危険だ!」眉をしかめるコメンテーター達。
「なんだよォ、野球見せろよ」ザッピングする市民を、隣で飲んでいた別の市民が咎めた。「うるせえぞ!天下国家の一大事だ」彼はサケをあおった。「俺がクビになったのもこいつのせいだな。なめやがって」「なんだって?」「いや……知らねえけど、きっとそうだよ」「悪い顔してるもんな」「だろ?」
「許せないわ」肉づきのいいママがケモビールでジョッキを満たしながら同調した。「こいつのせいだったなんて!」「ママは何かあったのかい」「何かあったもなにも、世の中よ!どうせ悪いことをしたんでしょう?いかにもやりそうだわ」「だよな!」「戦争もこいつのせいだったなんて!」「そうよ!」
「全てが!まさに全てが、身勝手な彼の行いなのです」コメンテーターがパネルを立てた。画面下には「犯罪に詳しい」のテロップ。「私は言いたい!」中年コメンテーターはカメラを指差した。「フジキド・ケンジ=サン!復讐は何も生まない。辛いこともあったでしょう。だが、人はわかりあえる!」
画面下に「あなたの家もフジキドに狙われている!防犯設備購入ホットライン」の文字が滑り込み、注文番号が点滅した。コメンテーターは胸に手を当てて続けた。「どうか!どうか愚かな行いをやめ、罪を償ってほしい。出頭してほしい!復讐は無益です。憎しみを捨て、手をとりあい、明日へと……」
映像と音声が一瞬途絶え、奇妙な画像が差し挟まれた。「天下」の漢字を一本の矢と重ね合わせ意匠化したエンブレム。それはほんの一瞬の事で、気に留める市民は無い。その意匠の意味を知る者達の他には。コメンテーターが続ける。「出てきなさい!フジキド=サン!我々は寛容な隣人なのだから……」
【ロンゲスト・デイ・オブ・アマクダリ】
10100206
【デス・オブ・アキレス】
「イヤーッ!」重金属酸性雨降りしきるウシミツ・アワーのネオサイタマ、ビルの屋上から屋上を飛び渡る赤黒の風あり。足下、ネオン輝く不夜城を満たす音声は、まさに彼の名を呼ぶ。「フジキド・ケンジ!」またの名をニンジャスレイヤー。「ネオサイタマの復讐鬼!」
「イヤーッ!」ビル間に張り渡されたワイヤーの上を滑り、「イヤーッ!」回転ジャンプでオイラン看板を蹴り渡る。「フジキドやナンシーだけではない。この機に不審人物を洗い出そう!隣人におかしな人間はいないか?人付き合いの悪い奴?家で何をしているかわからない?コワイ!すぐ通報!」
「ドーモ。ミチグラ・キトミです。今夜もノンストップ!『ネオサイタマ・プライド』の時間だ!特別ホットなニュースが入ってきた!我々市民の敵!フジキド・ケンジとナンシー・リー!慎ましく生きる我々の生活を脅かす彼らにスポットを」「イヤーッ!」KRASH!モニタ看板を踏み台にジャンプ!
アマクダリ・セクトの重大なニンジャ、マジェスティ、そしてブラックロータスを立て続けに仕留めたニンジャスレイヤーは、数分前にナンシー・リーと別れ、単身、次の目的地へと急いでいた。ナンシーは強固なUNIX設備に一度帰還し、ネットワーク防備を回復せねばならない。次の敵は独りでやる。
今回の電撃作戦は、ヤクザ抗争コーディネーターのUNIXをハッキングすることによって得られた情報に基づく。アマクダリ・セクトの鍵を握るのは、「十二人」と称する上位者達だ。ブラックロータスの暗黒ブッダテンプル要塞において、ナンシー・リーはアマクダリ組織情報をさらに深く更新した。
しかし、アルゴスはそれを捉えた。想定はしていた。だがその把握速度は彼らの想定を超えていた。ネオサイタマを騒がす報道は、マジェスティ殺害が引き金となって自動的に発動した警戒プログラムの一環だ。これも想定内ではあるが……「イヤーッ!」次のビルへ飛び移る。十二人。そのカラテ。
飛行するマグロツェッペリンが【10100207】の日時表示を光らせる。ウシミツ・アワーだ。時刻は当初の想定よりも後ろへずれ込んだ。マジェスティ、ブラックロータス、どちらも想像以上に強力なニンジャであった。今のところ、このズレはまだコントロールできる範囲の内だ。今のところは。
◆◆◆
「イヨォー!」タイコ演奏者が和太鼓の縁をリズミカルに叩くと、笙リード奏者がそれに応え、雅なリード音を響かせた。手元の火鉢の熱で適温に暖めながらでないと、真の笙リードは美しい音を響かせることがない。不便であるが、そこには、現在の電子的笙リードから抜け落ちた文化の美があるのだ。
「素晴らしさがある」ユケダ内閣官房長官は雅楽奏者達を見やり、満足気に頷いた。「文化の中枢ですね」アガメムノンは頷き返した。彼らはカスミガセキ・ジグラットの屋内ハナミ・ホールに居る。人工芝が敷かれ、桜の樹とトリイがある。アガメムノンの着るモンツキの胸元には喪章がある。妻を悼む。
「シバタ=サン。ドーゾ」プロトコルに則った厳粛な手つきで、ユケダ内閣官房長官がチャを差し出した。「ユケダ=サン。ドーモ」アガメムノン……表社会の名はシバタ・ソウジロウ……は深々とオジギし、茶器を受け取った。手元で二度回し、三口半で飲む。「非常に良いです」「有難うございます」
桜の花びらがひらひらと舞い、チャに浮かんだ。「これは吉兆」ユケダ内閣官房長官はにこやかに言った。「いや、そんな」アガメムノンは謙遜した。人工芝の上に設けられたタタミ・フィールド上で、二人はごく自然に、だが、注意深く、やりとりを続けた。ハナミは平安時代から続く不可侵の伝統だ。
タタミ・フィールドからやや離れた地点には赤い布をかぶせた長椅子が複数設けられており、そこには主要な政府関係者が腰を下ろしている。アガメムノンには、彼ら一人一人と、全く同じプロトコルを確認する作業が課せられている。無意味で無益な儀式だ。アルカイックな笑みが完璧に彼の心を隠した。
ハナミの儀式を完遂したのち、サキハシ知事のハンコが捺されたマキモノを提示し、そこに内閣総理大臣がハンコをつけば、権限譲渡が成る。この儀式には夜通しかかる。ネオサイタマ知事は選挙で選ばれており、権限を選挙以外の方法で譲渡する事は大変なイレギュラーだ。ゆえに伝統の後押しが要る。
本来であれば、このような過酷なハナミ儀式にそうそう人を集めることなどできはしない。だが、政府関係者は今回、一人も欠けることなく参加した。話は既についている。彼らはわかっているのだ。ネオサイタマ……即ち日本の支配者にふさわしい人間が誰であるかを。
彼の胸元には骨伝導インカムが隠されており、状況が伝えられる。マジェスティとブラックロータスの死は極めて重大なインシデントだ。何かが起ころうとしている。しかしアガメムノンがこの儀式の中で直接陣頭指揮を取る事は不可能だ。彼は強固なシステムを構築した。システムが敵を排除するだろう。
(((貴様なりに周到な計画を立てたか、ニンジャスレイヤー=サン)))アガメムノンはゆっくりとチャを嚥下した。(((この私を試した代償はひたすらに高くつくぞ)))『01001001スパルタカス=サンが既に動いています001001001』アルゴスからの通信はタイムリーだ。
「コヨイ=サンのことは本当に残念でした」「……」アガメムノンは瞬きして、ユケダ内閣官房長官を見た。「?」ユケダ内閣官房長官は、やや怪訝そうにした。アガメムノンは微かな表情の変化によって、哀しみにとらわれた為にやや放心したのだと、雄弁に伝えた。彼は頷いた。「……はい。試練です」
◆◆◆
ダイザキ・トウゴの邸宅は、カネモチ・ディストリクトには無い。彼ほどの資産家にとってみれば、カネモチ・ディストリクトすらも不快な大衆のノイズ源と大差ない。彼の邸宅はネオサイタマ郊外を臨む丘の上の古い屋敷にある。この丘まるまる一つが彼の所有物であり、侵入者は無条件に射殺される。
装飾ガラス窓に叩き付ける重金属酸性雨。ときおり雷光が窓を白く染める。「復讐は何も生みません」「無益の極み」「彼は直ちに自首した上でセプクし数々の罪を」「それが天国にいるご家族の為でもあり」「すぐ通報」無人の居間。暖炉の炎。埋込型大型TVから漏れる、NSTV社ニュースの音声。
人の気配は廊下を挟んだ別室にあった。「……テック……高揚……宇宙……当初感じた喜びを否定はすまい。だが、今は、ただ……恐ろしい……」窓のない一室から漏れる男の声は悲痛だった。「恐ろしいのだ……おお、我がメフィストフェレスよ……」
二人の佇まいは対照的であった。震え声の男は脂ぎった髪と野暮ったいネルシャツにジーンズだ。もう一方の男は彼よりも年老いているが、彼よりも何倍も長生きするに違いない。古めかしいベルベットのスーツに身を包み、山羊じみた顎鬚は挑戦的であり、その顔色は内に滾る精力に赤々と燃えるようだ。
「落ち着きたまえ、フクトシン博士」メフィストフェレスと呼ばれた年配の男が返す。彼がダイザキ・トウゴ。この丘の主だ。「君は妄想に駆られつつある。失墜するのかね。栄光という太陽に近づきすぎたイカラスのように」彼はクリスタル・グラスにブランデーを注いだ。「数万年の氷が融ける音だ」
「私は……。……宇宙、それは夢だった」フクトシン博士は己の手を見た。「電子戦争が人類から翼を奪った。私は翼を取り戻したかった。人の可能性を。私はそれを……」「そうとも。素晴らしい夢ではないか」ダイザキは彼の手を取り、グラスを握らせた。「何を恐れるというのか」
「君は、否、君たちは、彼はその先に何を見ているのだ」フクトシン博士は震える手でグラスを支えたが、飲まなかった。彼は怯えた目でダイザキを見た。「何を」「なぜ、知っていることをわざわざ訊く」「何が目的で」「すべて知っているだろう」「つまり、その先の……」「どうも話にならんな」
「恐ろしいのだ……」博士の声には嗚咽が混じった。ダイザキはため息をつき、博士の手からグラスを取ると、一口飲んだ。「君は、私が守る」一切の動揺を見せぬ彼の声は、年代物の分厚い絨毯に吸い込まれる。「計画の中止を……今ならばまだ」博士がパトロンの肩に縋るように手を伸ばした。
「中止だと?もはや止まらぬ」ダイザキは博士の手を払いのけた。「君を逃がしはしない」パトロンの声が変わった。その顔はいつの間にか邪悪なニンジャ覆面に覆われている!メフィストフェレス!彼は……ニンジャなのだ!「アイエエエエ」博士は失禁し、上等な木製椅子に力無く座った。
ニンジャ覆面の奥で、メフィストフェレスの邪悪な目が燃えた。アマクダリ・セクトのニンジャを前にしてもほぼ無関心を保っていたフクトシン博士であったが、メフィストフェレスの邪悪な凝視に耐えるすべはなかった。彼は一瞬にして極度に緊張し、失禁しながら、人生を悔いるプロセスを開始した。
◆◆◆
暑い夏だった。少なくとも冬ではなかっただろう。あの夜、タケル・フクトシン少年は裏山の観測小屋にいた。観測。そういう意味では、最適な場所に居た。彼が見たのは凄まじい流星群だった。魂が震えた。伯父がくれた天体望遠鏡から目を離し、息を切らし、梯子で小屋の屋上へ。肉眼で充分だった。
まるでそれは光の矢が放たれたようだった。タケル少年は息をするのも忘れた。夜空を洗う光の軌跡を、彼はただ見守るしかなかった。あまりにそれは美しい光景だった。涙すら流れなかった。なんという贈り物を、神は彼にもたらしたのだろう。彼は伯父の事を思った。
伯父もこの流星群を見ていることだろう。電子メールで写真を送ってくれた、あの白く誇らしく美しい建物で、きっと仲間達と興奮しながら、同じ光景を見守っていることだろう。……感慨は、やがて懸念に変わる。流星群は降り止まなかった。何かおかしいな。彼はだんだん空恐ろしくなった。
タケルは梯子を滑るように降り、UNIXデッキからニュースサイトを確認しようとした。0100薤010擥11……モニタは無意味な文字列を流し続けていた。「なに?」タケルはデッキを離れ、リュックサックの中身をひろげようとした。……瞬きすると、彼は同じ場所で仰向けに倒れていた。
起き上がろうとしたが、息が吸えなかった。それに、とても眠いのだ。視界は黒かった。火が見える。UNIXデッキのあったところだ。焼けた木材がタケルのすぐそばに落ちてきた。彼は悲鳴を上げた。カジバチカラ……逃走するための少しだけの力を、彼の身体は残していた。
這い出した彼の背後で、観測小屋が燃えながら崩れた。タケルは自転車に乗って山道を走り降りた……いつもなら、街のネオンの海が右手に見える筈だった。この夜の明かりは違った。火と、爆発と、サイレンだった。……流星群は神がタケルにくれた贈り物だった。餞別だったというべきかもしれない。
伯父も多分、流星群を見ていた。伯父は自分の研究室でUNIX爆発の炎と衝撃に呑まれた。多分、苦しまずに死んだ。だから、タケルと違って、その後の混乱を……不信を……磨耗を……忘却を……苦難を……経験せずに済んだし、もはや人類に翼は無いのだという冷たい事実を理解する必要もなかった。
戦争が始まり、戦争が終わり、ぼんやりした時代が始まった。宇宙時代。もはや稚気じみた夢。だがタケルは諦めなかった。諦める?そんな思考ルーチンは彼には無かった。仲間もいた。再び宇宙へ。人の知恵を。観測。把握。妨害……そう、妨害だ。やがて妨害。国際的な。政治的な。禁忌だ。
衛星軌道上はもはや手のつけられないほどに汚染されていた。そしてその汚染の中にあえて漕ぎ出す者を、どの国の政府も望まなかった。タケルは国を変え、機関を変え、潜伏先を変えた。その過程で仲間達は徐々に失われていった。失意、事故、憎悪、カネ、カネ、カネ、カネ、カネ。
……あれは、どこだったか?日本ではない。なぜなら、彼に連れられて、日本に戻ったのだから。谷間の町だ。もはや彼は独りだった。否、独りではない……ごまかすんじゃない。タケルには妻がいて、子が二人。タケルは負けた。諦めてはいない。だが、様々な物事に、負けた。そして地に根を降ろした。
妻の名も、子の名も、顔も、今は薄ぼんやりとしている。外でなにかざわついて……あの男は物珍しさから集まった近所の子供達に、砂糖菓子やら何やらをにこやかに配っていた。にこやかに?ニヤニヤ笑っていたのだ。あの男の外見は当時と少しも変わらない。山羊めいた髭も、血色も、そのコートも。
「やれやれ、手間がかかった。つまらぬ遠出をさせおって。モータルならば高山病になってしまうところ」メフィストフェレスが発した最初の言葉を、タケルははっきりと覚えている。「こんなところでなにをやっている。タケル・フクトシン=サン。迎えに来たぞ」「貴方は……?」
「ドーモ。はじめまして」男はオジギをした。子供達は彼の自身たっぷりな異国の仕草に驚き、ワッと歓声を上げた。「メフィストフェレスです」「なんだって……?」「五分で支度しろ。フクトシン博士」メフィストフェレスは乾いた地面をステッキで打った。「欲しかったものを手に入れるのだ、博士」
「ア……ア……」タケルはメフィストフェレスの邪悪な瞳から目を離すことができない。「私の……」「君の望みはなんだね?目を覚ませ。情けない男だ。あらためて、君の人生を始めようじゃないか。私が力をやろう。欲しいものなら何でもくれてやろう。今こそ冒険の旅に出るのだ、博士よ!」
「今だ。今」フクトシンは玄関へ走り、外を振り返った。メフィストフェレスは真っ直ぐ立って、待っていた。フクトシンはメフィストフェレスを指差した。「今だから。すぐに。だから」「五分待つ」メフィストフェレスは頷いた。「今すぐ!」フクトシンは叫び、家の中へ飛び込んだ。
フクトシンは自室に駆け込んだ。クローゼットを開けた。アタッシェケース。場所も、中身も、何もかもわかる。しまった時のままだ。キッチンからうまそうな匂い。昼飯の時間。子供達がふざけ、妻が笑う。フクトシンはアタッシェケースを掴む。飛ぶように外へ戻る。メフィストフェレスは待っていた。
「行こう!準備はできてる」フクトシンは息を弾ませた。メフィストフェレスはその目をギラギラと輝かせた。「これから忙しくなるぞ、博士!君には必ずロケットを飛ばしてもらわねばならん!」「望むところだとも!」ヘリコプターが粉塵を巻き上げた。
列車の中、悪魔は博士に「冒険」を……博士の使命を語ってきかせた。メフィストフェレスはダイザキ・トウゴという名を持っていた。ダイザキは地球上で恐らく五本の指に入る個人資産家であり、自らは何の仕事もせず、ただ、息を吸い、吐くだけで、幾らでもカネを作り出す事ができる存在だった。
「カネなど数字に過ぎん。たとえば……そうだな、カネはロケットの飛ばし方を知らんだろう。カネは粘土だ。お前が粘土細工を作るのだ、フクトシン博士」半開きの車窓、吹き込む風がカーテンを揺らした。メフィストフェレスはワインを飲み、サンドイッチをかじった。「私は世界の秘密に触れた」
「世界の秘密」「そうだ。そして世界の秘密は私のものではない。彼のものだ。カネなど数字に過ぎん。まことの王……秘密はまことの王が所有すべきもの。そのように定められている。その資格をカネで買うことはできんのだよ。有資格者を前に、私ごときが出しゃばることなど、できようものか」
メフィストフェレスは熱っぽく語った。「彼はロケットを飛ばさねばならん。その為に君が必要だ。こればかりは替えが効かぬ。私は手を尽くした。しかし残念ながら、かつての君の仲間達は皆、無惨なものだ。フクトシン博士。君の知識と頭脳は今やオーパーツだ。危ないところだった。手放さんぞ……」
その燃える目はフクトシンを震え上がらせた。この時彼は、この世にニンジャという半神的存在が確かに居るのだという事を唐突に知ったのだ。陸路。空路。磁気嵐を越え、キョート港。そしてネオサイタマに至る。彼はテクノロジーの混沌にその身を浸し、ひたすらに、失われた人類の翼を追った。
「だが、これでは違う」フクトシンは息も絶え絶えに呟いた。現実が戻ってきた。「宇宙は我々を新たな段階に導くもの。地球という檻から解き放たれ、我々は……少なくとも私はそう信じていた……おお、メフィストフェレス、だが、月がもたらすものは決して……」「"我々"とは誰だフクトシン博士」
「アイエエ」「答えろ。"我々"とは?人類か?社会かね?誰だ!なんたる具体性を欠いた誰だかわからぬぼんやりとした総体!ここへ来て何らかの感傷に囚われるさまは全く君らしくない。カナリーヴィルはそこから除くのか?捨てた妻子は除くのか?ひとでなしの君が感傷など!」「恐ろしいのだ!」
「フー……」メフィストフェレスは激昂から覚めると、肩を竦め、フクトシン博士を解放した。「恐れは反射だ、フクトシン博士。すぐに君本来の勇猛な知性を取り戻すさ」「恐ろしい……」「頭を冷やそうじゃないか。君も私もね」メフィストフェレスは退室し、外側から施錠する。
居間のTVからはタダオ大僧正と著名な青年実業家カラカミ・ノシトの殺害速報。ブラックロータスとマジェスティが死んだのだ。「フジキド・ケンジ。非人間性を秘め隠したその半生は一体どのようなものだったのでしょう。かつて彼の上司であったヤマダ・ヨリトモの不審死!そこには……」
深刻な表情でスタジオを歩き回る司会者はミチグラ・キトミ。下品で愚か。実にネオサイタマ的なアイコンだ。メフィストフェレスは顔をしかめた。ニンジャ覆面はいつの間にか消え去っている。黄金燭台の蝋燭の灯りに照らされながら、彼は革張りのソファに身を沈め、不愉快そうにパイプを燻らせる。
「スパルタカス=サンは動いたのか」彼はアマクダリ・ネットの機密IRCを続ける。「アクシスは」彼はまだ知らぬ。アマクダリの最も長い一日が始まった事を。ウシミツ・アワーを告げる鐘の音が、重金属酸性雨に混じって市街地から届く。違和感。メフィストフェレスは再び、眉根を寄せた。
「一方、ナンシー・リー!彼女は一体何の為に我が国に?スパイでは!皆さん、同じ居住ブロックの人間をどこまでご存知ですか?名前は言えますか?趣味は?ナンシーのようなスパイでは?なんだかよくわからない音楽を聴いている?なら絶対ドラッグ中毒だ!」メフィストフェレスはテレビを消した。
その瞬間、彼の脳裏に電撃的思考が閃く。彼の視線はある一点に注がれる。「12人」の秘密は周到に隠され続けてきた。組織内ですら、誰がその地位にあるのかを知る者は少ない。アマクダリは無敵。彼自身ですら怖気を覚える完璧な支配システム。ネオサイタマに戦いを挑むにも等しい。……だが。
彼は立ち上がり、中庭へ続く大窓を見る。もはやそれは幻ではありえない。「まさか……貴様は」雷鳴が轟き、禍々しきニンジャの影を映し出す。「ドーモ、メフィストフェレス=サン。ニンジャスレイヤーです」
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「珍しい客人もあったものだな」メフィストフェレスは抑揚のない声で言った。悪魔は赤黒の死神と向かい合う。「ドーモ。ようこそニンジャスレイヤー=サン。メフィストフェレスです。何故この場所がわかった?つまり、この私の……ダイザキ・トウゴの正体を、という事だが」「今更その段階の話か?」
再び雷鳴。ニンジャスレイヤーが照らされる。窓の外ではない。既に室内にいるのだ。「カナリーヴィルの非道は一人のロケット工学博士の足跡に私を導く。彼はいかにして日本を訪れ、研究を再開させたか。それを可能としたのは誰か」「成る程、シンプルだ」メフィストフェレスは肩を揺すって笑った。
「君、よくまあ、丘のナリコ地雷源を踏み越えて」「臆病者め」「うむ。しかも君、邸内に既に在るとは、つまりオルトロスを殺ったな。彼は善良かつ信頼の置ける執事だった」「イクサには向かなかったな」「当然だ。彼は善良なニンジャだ……私とは70年の付き合いだよ。弔いの時間をくれないかね?」
「よかろう」ニンジャスレイヤーは答え、そして眉根を寄せた。メフィストフェレスは首を傾げて念を押した。「いいね?」「ハイクでも詠む気か」「成る程、それもいい。だが、やはりサケがよかろう」彼は手にしたボトルを黒檀のテーブルに置き、空のグラスを二つ並べた。「付き合いたまえ」
ニンジャスレイヤーは肩透かしを食った。山羊髭の初老の男は無防備だった。ニンジャスレイヤーはニューロン内でメフィストフェレスの首を刎ねた。何の抵抗にも遭うことはない。「……」ニンジャスレイヤーは繰り返しメフィストフェレスを殺害しながら、彼がボトルを丁寧に傾けるさまを見守った。
「君は警戒している。当然だ。私はニンジャだ。君が殺すべきニンジャだよ。アマクダリ・セクトの十二人とは即ち、ネオサイタマ政財界に深く根を下ろした社会インフラそのものだ。尤も、私は単なる投資家に過ぎず、インフラなどと自称するのも多少おこがましい。さて……」グラスの氷が音を立てた。
彼は己のグラスを取り、そしてニンジャスレイヤーを見て片眉を上げた。「何をしている。君の分じゃないか」「……」「まさかと思うが、毒殺を警戒しているのか?」メフィストフェレスは心底おかしそうに笑った。「この私がかね?私がニンジャソウルと邂逅したのは……スターリングラードだ」
ニンジャスレイヤーのニンジャ嗅覚は、目の前のサケに毒がないことを確かに伝えている。「見損なってくれるなよ、ニンジャスレイヤー=サン。私にも私なりの矜持がある。君よりも多くのものを見てきた。多少はな。悪あがきなど……君は既に私に勝利している。ここへ現れた時点で。私の負けだ」
メフィストフェレスは促した。「……」ニンジャスレイヤーはグラスを取った。このブルシットを早々に終わらせ、一刻も早く首を刎ねねばならぬ。この者が最後ではないのだ。影の中で一瞬メンポを開くと、ニンジャスレイヤーはサケを口にした。毒はない。メフィストフェレスは頷く。「よい夜だ」
「オヌシが死ぬには、だ」ニンジャスレイヤーはジゴクめいて言った。「天もそう言っているようだぞ」呼応するかのように雷が光った。ZGGGTTTT……「おお、おお」メフィストフェレスは驚いて見せた。「近くに落ちたぞ、これは。山火事は……」「数分もせぬうちに死ぬ者には無縁の心配だ」
「雷か……雷はどうもいかんな。彼を考えてしまう。アガメムノンを」メフィストフェレスは不意に言った。「彼はゼウス・ニンジャの憑依者だ。ゼウスとは即ちオリンポスの主神であり、天を司っている。君にとって、あまり気持ちのいい喩えとはなるまい。その……先程の喩えではな」再び雷が落ちた。
「雷をふるって宇宙を融かす神……恐れの中で生きた人類の、奔放な想像力?だが今や我々は、あるいは火を吐き、あるいは氷を用い、あるいは毒を、あるいは多腕を……モータルには神話夢物語にすぎない力を実際に自在に操る存在を経験している。ニンジャは実在するだろう?」悪魔は話し続ける。
「ゼウスは無数の子孫を遺した!その……フフ……つまり好色だったのだな。否!彼の話ではない。ゼウスだ。しかしこうも考えられないか?ゼウス・ニンジャが実在する事を、我々はソウルを通して知っている。つまり、ゼウスの神話には何らかの真実の側面があった。真実が歪んだ形で伝わった」
ニンジャスレイヤーは拳を握り、開いた。メフィストフェレスはグラスを傾け、上目遣いに見る。「時間がないか?残念だ。今、殺しても構わんぞ。私は話しきれていないが、それは所詮私の都合に過ぎんからな。"それはお前の都合"、私がもっとも忌み嫌う言葉だ……愚鈍で低劣な人間ほど好む言葉だ」
ニンジャスレイヤーはニューロン内で百度以上メフィストフェレスを殺害している。実際やればできるだろう。そう決めれば一瞬で命を奪う事ができる。メフィストフェレスはそれを知った上で、ニンジャスレイヤーに仕掛けてきている。何らかの動揺を誘うつもりか。メフィストフェレスには慢心がある。
その慢心に、付け入る隙がある。ニンジャスレイヤーはメフィストフェレスの慢心を突き、アマクダリの更なる情報を引き出す……アマクダリ・セクトが宇宙に何を求めているか。その答えに繋がる、何らかの手掛かりを。メフィストフェレスは拷問には屈しまい。そうしたタイプではない。時間も少ない。
「つまり、要はゼウス・ニンジャのミーミーの継承拡散が、あのような神話に姿を変えたと、私は見る。クラン・ドージョー・インストラクションの概念を、後世のモータルは理解できなかったのだろう。ギリシア神話というやつは、恐らく君らが考えている程には古くない。自論だが」雷鳴が轟く。
「時間稼ぎのつもりか」ニンジャスレイヤーはグラスを握り潰した。「バカな」悪魔は笑った。「君はシツレイを犯してすぐにでも私を殺す事ができる。はじめから言っているだろう?君に邸内に踏み込まれた時点で私のウカツ、私の負けなのだ」彼は不意にTVを付けた。「天候情報が気になってね」
10100215……画面の左上に時刻表示が点滅し、映し出されたスタジオでは目つきの悪い男がウロウロと歩き回り、芝居がかった調子で語りかける。メフィストフェレスは頷いた。「やはりだ。見たまえ。さほど時間も経っておらん。先の二人を殺すのに何分かかった?もっとかかったろう?」
『ナンシー・リーに関して、我々は独自のコネクションから情報を得ています……いいですか視聴者の皆さん』男は息を吸い込んだ。そして、区切りながら言った。『私は、悪を、許さない』「フハッ」メフィストフェレスが笑った。「この男はミチグラ・キトミと言う。実にいい薄っぺらさをしている」
『コマーシャル・フィルムも見ていてくださいましたね?広告は世界の潤滑油だ。さて、ナンシー・リー。いよいよです。いよいよ明かします。この美女!知りたいでしょう。いいですか皆さん』10100216……『彼女は元諜報員です!。どこから?ロシア?メキシコ?いえ違います。アメリカだ!』
「君達二人は実際、パブリック・エナミーになってしまった」メフィストフェレスはソファーに深く背中を沈めた。「それも覚悟の上での行動だろう。是非はともかく、敬意を表する……ナンシー・リーはアメリカ出身か」『彼女はかつて、磁気嵐下の日本の内情を探りに来たスパイ・エージェントでした』
「真実か?」メフィストフェレスはニンジャスレイヤーを見た。「素晴らしい美女だ。滴るようだ。手配写真の悪相がレタッチの産物だという事はさすがに私にもわかる。私とてニンジャだからな。実物は美女だ」10100218。「この番組が述べている彼女の過去は……真実かね?」
ニンジャスレイヤーが言いかけた言葉を、メフィストフェレスは遮った。「いい!言いたくないのなら、よい。不粋なことを聞いてしまった。君達は信頼しあっている。当然、お互いを知り尽くしての作戦だろう。しかし、いかんな」メフィストフェレスは山羊鬚をしごいた。「君の質問に答えたいのだが」
「私の質問だと」「そうだ。君は執事を弔ってくれた。この私はアマクダリ・セクトの十二人だ。君の敵だ。君は問答無用のカラテで私を殺すこともできたろう。私は実際、君にそれを勧めたというのに、君はシツレイをしなかった。礼を尽くした。私は多少心苦しさを覚えている。ゆえに、一つ明かそう」
「何をだ」「だから、君の質問に答えようというのだ。何がいい。十二人の、他の者の名か?十二人は互いを知り尽くしているわけではない。非常に注意深く構築されたシステムなのだ。乏しい情報で君を失望させてしまう。もっと有用なものがいい」10100219。「そこのUNIXに触れたまえ」
ニンジャスレイヤーは警戒を絶やさず、片手をのばし、黒漆塗りの小型UNIXデッキのエンターキーを押す。アマクダリ意匠が画面内を反射するスクリーンセーバーが消え、IRC通信記録が表示される。確かな記録だ。「私にも見せてくれ」メフィストフェレスが横に立つ。「そうか。既に動いているか」
ナムサン……それは直近の通信記録!ニンジャスレイヤーがエントリーする直前にメフィストフェレスが投げた問いに、返答が来ているではないか。「スパルタカスが動いているぞ、ニンジャスレイヤー=サン」メフィストフェレスは低く言った。「強大なニンジャだ。彼は今回、従者に誰を連れている?」
メフィストフェレスはキーボードに触れ、メッセージをさらに展開した。「いかんな、これは……ドラゴンベインとスワッシュバックラーが動いている……特にドラゴンベインは相当の使い手だ。ラオモト=サンは本腰を入れているようだぞ。君達の電撃的攻勢とどちらが先を行くか、興味深い」
「何が目的だ」ニンジャスレイヤーが呟いた。「何だって?」すぐ横でメフィストフェレスが聞き返した。ニンジャスレイヤーは言った。「何故明かした」「理由はさっき言ったではないか。敬意だ。どのみち、私もタイムリミットだ。もう2時22分だ。殺せ」「……」ニンジャスレイヤーは言葉を探す。
「君は誠実な男だ。ニンジャスレイヤー=サン」メフィストフェレスは呻くように言った。「私が想定していたよりも、遥かに。私は君に賭けていいのやもしれんな」「何をだ」問いながら、ニンジャスレイヤーは苦く思った。今ナラクが意識下にあれば、あの悪鬼はおそらく激昂し、悪罵を極めるだろう。
「考え始めている。真の目的を共有してもいいかと」メフィストフェレスが言った。ナラクは黙っている。ブラックロータスを殺したのち、ビル街を跳び渡り、オルトロスを殺し、邸内に入り、メフィストフェレスとアイサツした。その間ナラクはずっと黙っている。ニンジャスレイヤーは既視感を覚える。
ナラクはなぜ動かない?なぜなら自分自身の姿を見ることは出来ぬからだ。自分自身と会話することは出来ぬからだ。UNIXモニタに、彼自身の顔が映っている。ニンジャスレイヤーは無限の落下を錯覚した。なんたる事か。今の彼は……。「ニンジャスレイヤー=サン?」メフィストフェレスが呼んだ。
「スウーッ……」ニンジャスレイヤーは深く息を吸った。「ハアーッ……」そして吐いた。マジェスティ殺害後を思い出せ。チャドー。フーリンカザン。そしてチャドーせよ。ほんの僅かな間に、共振が再びこうまで深まってしまっていたとは……!「スウーッ……ハアーッ……!」
「私の目的を話そう。ニンジャスレイヤー=サン」メフィストフェレスが言った。「時間がない。スパルタカスらがここへ到着するのは恐らく時間の問題だ!」ニンジャスレイヤーは目を閉じる。チャドー……フーリンカザン……チャドー……(((フジキド!)))ニューロンに怒り狂った声が木霊した。
ニンジャスレイヤーはモニタに映る己を再び見た。メンポを禍々しく変形させた恐るべきニンジャスレイヤーの姿がある。彼はメンポに触れた。まともだ。鏡像はナラクの意思の投影か。共振が解けた。分かれたのだ。(((ハァーッ……ハァーッ……何だこれは……フジキド!)))鏡像のナラクが問う。
(((其奴はニンジャぞ!貴様にしばしばまといつくサンシタの臆病者どもですらなし!真っ先に殺すべきアマクダリのニンジャであろう!談笑しておったのか!何たる……)))(わかっている!ナラク)ニンジャスレイヤーは遮った。ゴウゴウと耳元で空気が鳴り、時間感覚が圧縮された。
(わかっている……)フジキドはメフィストフェレスを見る。隙だらけだ。彼はメフィストフェレスの心臓に突きを入れ、えぐり取った。(見よ)(((ならば今すぐそのようにせよ)))(いつでも殺せる。だが)殺害の映像が掻き消え、無傷のメフィストフェレスの謎めいた眼差しが戻ってきた。
(此奴はアマクダリの頂点に立つニンジャの一人だ。手を下す前に引き出すべき情報がある。ナラクよ。ただ殺せばよいというものではないのだ……このメフィストフェレスはロケット計画の全てを把握するニンジャでもあり……その情報が、場合によっては我らのイクサを左右するやも知れん)
(((何をバカな……此奴の憑依ソウルは……ヌウーッ……)))ナラクの思考パルスがざわついた。(((此奴め……ソウルをよう隠しておる……何故隠す……!とにかく殺せフジキド!それで終わりだ!)))「どうした、ニンジャスレイヤー=サン」メフィストフェレスが案じるように言った。
「貴様の目的とは何だ、メフィストフェレス=サン」ニンジャスレイヤーは呻くように言った。「うむ」メフィストフェレスは身を翻し、どこからか取り出したパイプを吸った。「私の宇宙開発に賭ける意欲は充分にわかっておろう。なにしろ他でもない君が、我々とあれほど激しく争ったのだから」
「前置きは要らぬ」「前置きではない。重要な説明だ。私は信頼を得るために全力を傾けねばならんだろう?」メフィストフェレスは再びソファにもたれ、煙を吐き出した。リング状の煙はゆらゆらと舞い上がり、霞んで消えた。(((ソウルが見えぬ……揺さぶれ!フジキド!)))「イヤーッ!」
やおら繰り出されたニンジャスレイヤーの蹴りが、メフィストフェレスの顔の横のソファーを突き破った。メフィストフェレスは少しも動かなかった。避けようともしなかったのだ。「引き延ばすな」「ふふ」彼はパイプを吸い、たしなめるように言った。「話の腰を折るでない。遊んでいる時間はない」
TVからはミチグラの高圧的トーク。『フジキドの両親が他界しているのは、まだしも幸いでしたね。反社会的存在に堕ちた息子など見たくない!貴方のお子さんも他人事ではないですよ』「ロケットの飛ぶ先は知っていたかね?月の裏だ」メフィストフェレスは言った。「そこには棄てられた力がある」
「棄てられた力だと」「そうとも。Y2Kは大きな悲劇だった。電子的・物理的騒乱のなか、かの場所との接続は断たれたのだ。だがそれは消えたのではない。いまだ在る。人類は接続を取り戻さねばならぬ。多少の犠牲はやむを得ん。君の見解は違うだろうが……とにかくロケットはそのために飛んだ」
『我々はフジキドの通っていたハイスクールを突き止めました。ソザワ・ハイスクール!点と線を辿り、かつての担任教諭、マイヤマ=サンの実家……』「そして、月は応えた」メフィストフェレスは言った。「リンケージは再び定められた。当然それでは不十分。更なる宇宙計画が必要だ」「何を企む」
「鷲の一族の……アガメムノンの一族の再興だよ」メフィストフェレスはギラつく眼差しを向けた。「月はその鍵となる。アマクダリ・セクトは世界を征服するだろう」「鷲の一族」「知らぬのも当然だ。市井の人々には明かされぬ秘密」メフィストフェレスは言った。「君は今、重大な秘密を受け取った」
【10100228】。「何故明かした」「言っておろう!君の誠実さを、力を買っているのだ!」メフィストフェレスは身を乗り出した。「私は鷲の一族ではない。それはアガメムノンただ一人だ。わかるかね?この私にとって、それは実際あまり面白い話ではないだろう……」「裏切るというのか」
「否。私は裏切らぬ。アガメムノンが目的を達成すれば、それはそれで、なかなかの未来だ」メフィストフェレスは言った。「だが、最善の未来をなお確保するのも良い。君が万に一つアガメムノンを打倒すれば……実にいい。ゆえに投資をしよう。リスクヘッジとして、君に力を貸すのだ」悪魔は笑った。
「何だと」「力を貸そう、ニンジャスレイヤー=サン!何がほしい。時間がないぞ。整理しよう」彼の手には何の変哲もないオフィス用紙があった。彼はそれをテーブルに置いた。「まず……そうだな。当座の資金を振り込もう」彼は万年筆で数字を書き込んだ。「他の十二人の情報はどうかね?」
メフィストフェレスはやや思案し、スパルタカス、と書いた。「まずこの男スパルタカスについて君は知っておかねばなるまい。数十分後にはおそらくぶつかり合う相手だ。彼は古代ローマカラテの総元締めだ。古代ローマカラテは五つの構えを持つ。獅子、鷹、馬、一角獣、そして、龍だ!」
「古代ローマカラテの真髄は隠匿されている。とくに一角獣と龍をモノにしているのは現代においてスパルタカスただ一人。よいか、奴の一角獣の構え。そこから繰り出されるのは……」メフィストフェレスは言葉を切った。「済まん。つい話を急いた。約束の全貌を見せねばフェアではない」
彼はスパルタカスの名の下に「スターゲイザー」と書いた。「奴は無敵。通常の方法で滅ぼす事はできん」目を細めニンジャスレイヤーを見る。「……そこまでは知っているようだな」「……」ニンジャスレイヤーは沈黙を持って是認した。悪魔は笑った。「この際、君に12人を相当数減らしてもらおう」
メフィストフェレスはスパルタカスの下にキュア、ハーヴェスターの名を並べた。「私とて全員の情報を掴んではおらんぞ。未来を切り拓くのは君のカラテだ。わかっておろうがな……だが……」メフィストフェレスは髭をしごいた。「これが最も重要だろう」アガメムノン。彼は強く書き記した。
「私は胸襟を開いて君と話している」メフィストフェレスは胸に手を当てた。「解りあおう。君の力を貸してほしい。君を助けるために、私を助けてほしい」彼はソファを立ち、ニンジャスレイヤーの手を取った。そして万年筆を握らせた。「いざ、協力関係を」「……」フジキドは用紙に屈み込んだ。
「君の同意があり次第、私はここに記した者たちにまつわるすべてのデータを渡す準備がある」「……」『マイヤマ=サン!マイヤマ=センセイ!ダメですよ無視は。あなた血も涙もないんですか?』TVからはライブ中継映像だ。『こんな夜中に迷惑を考えろ!』『迷惑は全国民ですよマイヤマ=サン!』
『何の用だ』ナイトキャップを被った痩せた男は、レポーターのライトに目を細めた。『わかってるくせに!フジキド・ケンジの事です!』『ああ……フジキド・ケンジか』マイヤマは言った。『覚えているとも』『そうでしょう!どんな悪の芽が!』『フジキド=サンは実直で真面目な少年だった』
『なるほど!その真面目さの奥底に悪魔的破壊衝動を……』『フジキド=サン。見ているか』『何を言って……』『真実は君の口から語りなさい。そンなら、私は聞こう。だが、それができないならば……』『貴方ねえ!』『この様子じゃ、随分大きな存在を敵に回してしまったなあ。フジキド=サン』
『スタジオにお返しします、なんかダメだこりゃ……』『フジキド=サン!悪しきことをしたならば、反省しなさい。だが、君が卑劣非道の男に成り下がるなど、私ゃ信じてないぞ』『スタジオ戻します!早く!』『フジキド=サン!これまでもこれからも誠実であれ!カラダニキヲツケ……』
画面には絶句したミチグラが口を半開きにして止まっていた。我に帰り、ボリューム感のある髪を撫でつけながら、剣呑な言葉を投げ始めた。しかしフジキドの耳にはもはやそれは届かなかった。「どうした!」メフィストフェレスが万年筆を持つ手に己の手を添えた。「書き方がわからんかね?さあ!」
(((見えたッ!)))ナラクの笑いがフジキドのニューロンに響き渡った。(((グハハハ!ハ!耳も腐る思いで黙っておった甲斐があった!此奴の用心も、成功の焦りを前に揺らぎおったわ!フジキド!この者のニンジャソウルはカルマ・ニンジャだ!応ええい!)))「グワーッ!」
メフィストフェレスは呻き声をあげ、反射的に素早く身を引いた。熱である。万年筆が熱の塊と化していたのである。「どうした!ニンジャスレイヤー=サン!」(((フジキド!カルマ・ニンジャはタイジン・ジツの創始者だ。ゴジョ・ゴヨク・コトワリを操り、言葉と礼儀で相手を縛りつける!)))
「成る程、それがNARAKUか……興味深い」メフィストフェレスは焦げた手をさすりながら、後ずさった。「君の内なるニンジャソウル……そういう反応をするのだな……興味深い。だが、理性的であれ。ニンジャスレイヤー=サン。内なる邪悪なニンジャソウルに呑まれれば、真の敵は倒せぬぞ」
(((ゴジョとはすなわち、喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、恐怖!ゴヨクとは、食欲、性欲、名誉欲、金欲、そして風流なり!フジキド!その紙切れ一枚でオヌシはあの者の奴隷に成り下がるところであった。ニンジャの奴隷にな……!)))「真の敵を知れ、ニンジャスレイヤー=サン。目を曇らせるな」
ニンジャスレイヤーはテーブルの紙切れを取った。彼の指先が触れた部分から赤黒い炎が上がり、一瞬にして紙切れは燃え崩れた。メフィストフェレスは首を傾げた。「君はニンジャならば全て無思考で殺害するモンスターではあるまい。理性を失えば、それは君の敗北を意味するぞ。フジキド=サン」
「その通りだ」ニンジャスレイヤーは答えた。「そして、私はオヌシを今ここで殺す。時間切れだ。メフィストフェレス=サン」「みすみす私のオファーを捨てるのか?後悔する事になるぞ」ニンジャスレイヤーは一歩踏み出す。「もはや、殺せと言わんのだな」「残念なのだ。アガメムノンを倒せぬぞ」
「時間切れだ。メフィストフェレス=サン」ニンジャスレイヤーは繰り返した。メフィストフェレスはさらに後ずさった。「ナンシー・リーの真の目的は?胡乱な過去を持つ女だ。君を道具として己の目的の為に振り回す存在だ。君の邪悪なニンジャソウル同様に。君の側に、確かなものは何もない!」
ニンジャスレイヤーは微笑した。そしてまた一歩踏み出す。メフィストフェレスは言った。「よした方がいいぞ……私は十二人の一人……私は重要な協力者となろう……」ニンジャスレイヤーは赤黒の炎を瞳に閃かせた。「私がオヌシからこれ以上の情報を引き出す事はできないようだ」
メフィストフェレスは息を吐いた。顔を上げてニンジャスレイヤーを見た。「残念ながら、その通りだ。ニンジャスレイヤー=サン」冷笑をメンポが覆った。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは踏み込んだ。「イヤーッ!」メフィストフェレスは断頭チョップを繰り出す!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは懐に飛び込みながら断頭チョップを躱し、メフィストフェレスの顎めがけて掌打を突き上げた。メフィストフェレスはかすかに身をそらしてこれを躱す。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはさらに蹴りを繰り出した。メフィストフェレスは真後ろへ倒れブリッジした。
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはケリ・キックで追い打ちをかけに行く。「イヤーッ!」悪魔は寝たままの姿勢で真上に跳ね上がり、左右の足で連続キックを繰り出した。「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは顔面を二度蹴られた。即死の恐れすらある蹴りだったが、一瞬早く身を引く事ができた。
そのままプロペラめいた回転を経て着地したメフィストフェレスは、クンフー道着めいたニンジャ装束にその身を包んでいた。彼は腰を後ろに落とし、前足は踵を地につけて、爪先を上向け、両手はだらりと垂らした。「君が欲しかったよ。残念だ。礼を尽くし、努力を尽くしてなお、得られぬ物はある」
「スゥーッ」ニンジャスレイヤーもまた腰を落とし、ジュー・ジツを構える。「ハァーッ」チャドー。フーリンカザン。そしてチャドー。道を拓く。(マイヤマ=センセイ)フジキドの精神は研ぎ澄まされた。(私はジゴクに落ちる男です。ですが、ありがとうございます……仰る通り、大きな敵です)
CMの流れるTVモニタには【10100235】の時刻表示。待ったなし。一撃でケリをつける!対する両者の周囲の空気が震え、歪んだ。「「イヤーッ!」」ニンジャがぶつかり合う!メフィストフェレスの足刀蹴り!そして掌打!振り下ろし!ボディチェック!踏み込み、両掌打!
ニンジャスレイヤーは精神を極度集中し、これらの打撃をワン・インチで躱す!コンビネーションを繰り出し終えたメフィストフェレスが不意に消失した。否、視線誘導の果てに、悪魔は死神の背後を取ったのだ。その両手が黒紫色のカラテ粒子を纏う!「イイイイヤアーッ!」
ニンジャスレイヤーの目が一際強い赤黒の火を放った!彼は両拳を前に突き出した。何を!?後ろからはメフィストフェレスの両手がカラテ粒子とともに迫る!ニンジャスレイヤーは伸ばし切った腕関節を引き戻し、両肘打ちを背後へ繰り出した!「イヤーッ!」「グワーッ!」
KRAAAASH!窓ガラスが破砕し、吹き飛ばされたニンジャは雷雨の中へ吐き出された。「グ……グワ……アバッ……」ニンジャは手をつき、血を吐いた。「これは……」「イイイイヤアーッ!」邸内から放たれたトドメのスリケンが、ニンジャの額を砕いた。
KRA-TOOOOOOOOM!庭の木に雷が落ちた!オルトロスが剪定した庭木は炎に包まれ、裂けながら倒れた。メフィストフェレスの曝発四散の叫びは大地を鳴動させるほどの落雷の衝撃に掻き消された。邸内の闇の中で赤黒の眼光が閃き……やがて消えた……。
◆◆◆
……「イヤーッ!」白金色のニンジャアーマーを纏ったニンジャが高高度から着地したのは、その落雷から僅か5秒の後だった。豹じみたフルフェイス・メンポがぐるりと見渡し、標的の気配を探った。「……」彼は首を振った。次なるニンジャが雷雨の中を歩いて来た。「後の祭りよ!やれやれ」
雨の中、姿を現したのは、特徴的な鎖装束の、ただならぬニンジャである。彼がスパルタカスだ。そのやや後ろを着いてくるのは、腰に装飾的な剣を帯び、鼻から上を覆う変則メンポを身につけた洒落者のニンジャ。スワッシュバックラーである。
屋敷には火が移りつつあった。倒木の炎と、邸内の炎……忌まわしい契約書を焼き捨てた、赤黒の炎に端を発する炎が。「あそこで一人、で、ここで一人」スパルタカスは遠くを指差し、それから、すぐそばの爆発四散痕を指差した。「このソウルの波長はメフィストフェレス=サンだ。なんとまあ」
「無惨な事ですなァ」スワッシュバックラーは目を伏せた。「都会の喧騒を嫌った行動が裏目に出ましたか。助けに来られませんからな。下賤に見える連中も、まじわってみれば独自の機知があるもの……」「メフィストフェレス=サンは強い」スパルタカスは言った。「奴一人で良いのだ。本来ならばな」
「ニンジャの気配は無し」白金のニンジャ、ドラゴンベインが振り返った。「否、ニンジャは残っとらんが、一匹おるぞ」スパルタカスは言った。彼はドラゴンベインの肩を叩き、邸内に踏み込んだ。燃えるカーペットを踏み越え進むと、廊下に一人、震える男が膝を抱えている。「アイエエエ……」
「これはフクトシン博士」スパルタカスは怯える男の腕を掴み、立ち上がらせた。「災難だったな」「メフィストフェレス……私のメフィストフェレス」フクトシン博士は譫言めいて呟いた。「死んだか?彼は」「ああ死んだよ」「彼はな、彼は、永遠に生きる男であったのに」「残念ながら……」
スパルタカスは破壊されたドアを見ながら、博士を促した。「ここで座り込んでたらいかんだろう。ほれ」「やめろ。私はここで死ぬ」「何を」「夢の終わりだ。私は動かんぞ」「そうか」スパルタカスはもはや相手にせず、博士の肩を押さえた。「アイエ……」博士は泡を吹いて白目を剥き、気絶した。
燃え落ちる邸宅から博士を担いで現れたスパルタカスは、ドラゴンベイン、スワッシュバックラーに新たな指示を伝えた。二人のアクシスは頷き、しめやかにその場を去った。「近いぞォ。まだまだ近いぞニンジャスレイヤー=サン」彼は空気中に散るニンジャソウルの痕跡を感じた。「鬼ごっこだな……」
【ロンゲスト・デイ・オブ・アマクダリ10100238:デス・オブ・アキレス】終わり
N-FILES(原作者コメンタリー、設定資料)
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