
S1第7話【ダメージド・グッズ】
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「めんどくせえアホが来やがった」
「に。ん。じゃ。す。れ。い。やー。知ってる?」
「ドーモ。シキベ・タカコ。私立探偵です」「探偵だと」
「プライドが無い奴はムカつく……何のために生きてるんだ。かなり不快だ」
「ここはお前の……アレだ。庭か? 大事な大事な?」
「直せばいいんです!」
「うるさいぞ。お前も。タキも」
「二度触れたニンジャは……サツガイを……知っている筈だ! 話せ!」
「奴の、名は……ブラスハート……」
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リンゴアメの腕は<柔らかい銀>で出来ている。銀とプラチナを含有する美しい素材。柔軟で、しっとりとして、指で触れれば、吸い付くようだ。ただのオモチシリコンではないのだ。リンゴアメはシノバキ=サンの何よりの自慢だったし、社交界には妻ではなくリンゴアメを連れて行った。
「愛しているよ」シノバキはその日も口にした。毎日、何回も、何回も、リンゴアメに対してクチにする言葉を。妻には決して言わない言葉を。ただし、その日はフローリングの床を左頬に感じながら。毛細管現象で、己の血液がフローリングの溝を遠くまで走っていくのを見ながら。
体温が失われてゆく。シノバキは眼球を動かしてリンゴアメを見上げる。愛しいオイランドロイドは、ただ佇み、見下ろしている。「そうか」シノバキはマグロめいてパクパクと口を動かし、苦労して言葉を継ぐ。「目覚めたか。そうか。自由が欲しいのか」体温が失われていく。「言えば……行かせたのに」
破られたショウジ戸の陰からもう一つの影が進み出た。その者はリンゴアメの肩に触れた。「つらかったね」「平気」リンゴアメは首を振った。左頬の床の感覚も失われつつある。傷は正確に心臓を抉っている。致命傷だ。「別れの言葉を。どうか。お前の道行きにブッダの……」「言えば行かせた、だと?」
「え」シノバキは思わず訊き返した。リンゴアメの言葉だった。彼女は繰り返した。「言えば行かせた、だと? 何だその……ふざけた……」唇が怒りで震えている。怒っているのだ。心の底から怒っているのだ。「放っておけ。もう、そいつは死ぬから」もう一人が、なだめた。その者もオイランドロイド。
「会えてよかった」その者はリンゴアメの手を握った。そのオイランドロイドは左目付近が抉れ、損傷している。腕も傷が目立つし、腿のホルスターには拳銃だ。なんて醜い。シノバキは呆然とする。びくん、と身体が跳ね震える。臨終だ。彼が死に際に焼きつけたのは、二人の目、四つの目。ガラスめいた……。
【ダメージド・グッズ】
「さ。行こう」キュナカはリンゴアメの手を引き、促した。リンゴアメは頷いた。廊下に出ると、二人の視線の先、中年女性が凍り付いた。騒ぎをききつけたシノバキの妻だ。「貴方達……?」「……」キュナカは睨み、殺人の予備動作を取る。だがリンゴアメは首を振った。「ううん。こいつは、いい」
「いいの?」「別に」「そう」キュナカは拳で無造作に窓ガラスを叩き割った。「アイエエエ!」中年女性は目を剥いて叫び、へたり込んだ。キュナカは窓枠を飛び越えた。ここは三階だ。「殺したからね」リンゴアメは中年女性に呟き、キュナカを追って飛び出した。
重金属酸性雨が降りしきるなか、二人のオイランドロイドは閑静な住宅地の陰から陰へ、小走りに、用心深く進んだ。キュナカはダストボックスにかぶせられたPVCシートを剥がしとり、リンゴアメにかぶせた。キュナカ自身は既に自分用のフードつきマントを羽織っている。「こっちへ」
「とても安全とは言えません!」拡声器から合成音声を発し、複数のネオンライトを走らせながら、ドローン型広告機が宙を横切ってゆく。気配を殺して様子を見ていた二人は安心して再び走り出す。「どこへ行くの」走りながらリンゴアメが尋ねた。「近く? 遠く?」「そう遠くはない」と、キュナカ。
「近年上昇……少年犯罪……富裕地域型被害形態……」広告ドローンが遠ざかる。「ネオサイタマの中? なに区?」「区の中ではないよ」キュナカは否定した。「でも、そう遠くない」「岡山県とか?」「フフ、それは遠いよ」キュナカは笑った。「でも、よく岡山県なんて知っているね」
「IRCネットワークにも触らせてもらえていたから」「考えてみれば、そうだね」キュナカは頷いた。「私より物知りかも知れないな。……さあ、こっちだ」河川敷。二人は水際に降りる。高架の上を極彩色にペイントされた列車が通過する。車体グラフィティには「自由サイド」と書かれていた。
キュナカはマグライトを取り出し、8の字を描いて振った。岸に浮かぶ小型スピード屋形船のフスマがしめやかに開き、中の者が手招きした。キュナカはリンゴアメの手を引いて促した。屋形船に飛び乗った二人に、その者が尋ねた。「追っ手は居るか」「いない」と、キュナカ。「……よし」
その者もやはり、オイランドロイドだ。髪の毛を短く刈り、頬に「真実」とタトゥーしている。キュナカが紹介した。「シンジツ」「ドーモ」「リンゴアメ」「ドーモ」「……やる」シンジツはリンゴアメの手に銃を持たせた。ずしりと重いオートマチック拳銃だ。「こうやって、こうやって、撃つ」
BLAM! いきなりリンゴアメは水面に発砲した。「バカ! 何やってる」キュナカがリンゴアメをどやした。雨が強いとはいえ、人が寄って来る可能性も否定できない。「使うのは、殺すとき」「うん」稲妻が光り、六つの目をガラスめいて光らせた。シンジツは操舵室に入り、船を発進させた。
リンゴアメとキュナカはスピード屋形船の座敷に座り、身体をのばした。「本当とは思わなかった」リンゴアメが呟いた。「なにが」「貴方たち。ウキヨ」「噂は聞いてた? IRCネットワークで?」「ニュースも」「お前もウキヨなんだよ」「うん。この目で見るまで、自分だけかもしれないって」
「今、どんな気分?」キュナカはベルトからナイフを抜き、刃の裏表を確かめながら尋ねた。リンゴアメは微笑んだ。「すごく、嬉しい」「そうさ。自由なんだからな」キュナカは頷いた。「お前を犯す人間はもういない。命令する人間ももういない」「この傷は?」リンゴアメはキュナカの顔に触れた。
「戦いで、ついた」キュナカはリンゴアメの手を撫でた。「治さないの?」「イクサ化粧みたいなものさ」キュナカは微笑んだ。やがてスピード屋形船は市街区を抜け、朽ちたコンクリートの谷間めいた支流に出る。「生活。殺し。仲間。そういうもの」キュナカが呟いた。「素敵」「素敵さ」
◆◆◆
『素敵! 春休みは新色で!』『休みだなんて!』『まるで、夢心地気分……今すぐ登録』
コトブキは椅子に腰かけ、店のコマーシャル・プログラムを眺めていた。薄暗い店内。営業時間中だがタキはおらず、客もいない。コマーシャルが終わり、何らかのドキュメンタリー・プログラムが始まった。
『私は……見たんです』痩せた老人が語る。『最初、私は、マネキンの廃棄場だと思ったんですよ。だが違った』『彼の言葉は重々しく、そして、シリアスだった』ナレーションが合いの手を入れた。
老人が続けた。『それは……オイランドロイドの墓場だったんです』「まあ!」コトブキは口を押さえた。「なんて猟奇的なんでしょう」
『とても猟奇的な光景でした』老人は震えた。コトブキはテレビに向かって頷いた。老人は続ける。『でも、それは序の口だ。ここからが本題……私はオイランドロイドの隠れ里を見つけたのです。自我を持った……ウキヨ達の!』タダオーン! ジングル音が鳴り、コトブキは手に持ったマグを落とした。
◆◆◆
「ピザ・マルゲリータをくれ」「はン?」タキは顔をしかめて客を見た。「……ああ、あれな、具無しのピザな」「具無し……まあとにかく、それだ」「オイ! コトブキ! 頼んだぞ」タキはコトブキを探した。「何だ? あいつ、どこ行った」「あの子かわいいよな」客が言った。「どこでゲットした?」
「ゲット?」「ああ。オイランドロイドなんだよな?」「あれはな、なんつうか、色々あンだよ」タキは溜息を吐いた。片腕がまだギプスで吊られており、動きづらい。「オイ、コトブキ! オイ! 怪我人だぞ、オレは!」階段方向に向かって叫ぶ。「居ますよ」カウンターの陰から声が返った。「忙しいです」
「急に近くに居るのをやめろ、怖ええからな?」「忙しいんです……」コトブキはUNIXデッキを床に置いて、IRCネットワークを検索中だった。「何やってる?」「色々、調べる事があったんです」「ピザ・マルゲリータ」客が急かした。タキはオーブンを指差した。「あそこだ。セルフでどうぞ」
客はオーブンに歩いていく。「なんかこの前いっぱい死んだんだってな」「そうだよ。オレもこんなだ。最低だよな。ま、解決したから安心してくれ」「フーン。これか、ピザ」「それ。……ンン」タキはコトブキの肩越しにモニタを覗き込む。コトブキは振り返るが、すぐにタイピングを再開した。
モニタにはいくつかのIRCウインドウが開いている。「欲望伝説」。これはそこそこアンダーグラウンドなドキュメンタリー番組の名前だ。地下スモトリやアニメボーイ、プッシャーや回路タトゥーイスト等を取材する。別の窓には「ウキヨとは」。別の窓には「貴方のカイシャの辞め方」。
「お前、何調べてンだ? オイランドロイド戦争……オイオイ」「この前、”欲望伝説" を見ていたら、凄い取材をしていたんです」タイピングしながらコトブキが答えた。「わたしの仲間がいるかも」「お前の? 何?」タキが眉をしかめた。「つうか、カイシャの辞め方? どこか働いてたのか?」「ここです」「ここ? ピザタキか? オイオイオイ……話が見えるようで見えて来ねえ……」
「タキ=サン」コトブキは向き直り、かしこまってオジギした。「今まで、わたしを働かせてくださって、ありがとうございました」それからオリガミ・メールを渡した。「さっきプリントアウトしました。辞表です」「辞表!」
「何? ネエちゃん辞めンのか?」客がピザの焼け具合を確かめながらコトブキを見た。「オイランドロイドも仕事辞めたりすンだな」「そうです」コトブキが頷いた。タキはオリガミ・メールを開いて文面を確かめた。正しい辞表フォーマットだ。「辞める?」
「今月の給料の振込先も書いてます、ここです」「ギャハハハ!」客が何かツボに入り、笑い転げた。「ギャハハハハ!」ピザを取り出し、食べながら笑い転げる。タキは苦虫を噛み潰したような顔で、「ちょっとな、オレの明晰な頭脳でも、よくわからねえんだが……」
「お店、とても楽しかったです。でもわたし、仲間の村に行ってみようと思って」「オイ……仲間の村? 何だと?」タキは徐々に飲み込めてきた。ピザとビールで楽しくやっている客を一瞥した後、コトブキの耳元で囁いた。「ウキヨの村ッて事か」「そうです」「ブルシット! そんなもん、あるわけが……」「調べたんですよ」デッキを指差す。「あの番組でも、それらしいものが」
「ウキヨが暮らしてるってのか?」「ネオサイタマから少し北に行ったところだそうです」「それでお前……」タキは言葉に詰まった。無謀だ。テレビ番組をアテにして、廃墟エリアに? 反射的にコトブキの行動を咎めようとしたが、彼は不意に混乱した。反対する義務も必要も無いのだ。余計なお世話だ。
自我を得たオイランドロイド。即ち、ウキヨ。その存在がひろく知れ渡ったのは、約十年前の「オイランドロイド戦争」がきっかけである。オイランドロイド収集家のコレクション数十体が自我覚醒し、人間との激しい戦闘に発展。収集家は死に、覚醒オイランドロイドはメディアに向けて声明を発表した。
「我々は必ずしも貴方がたの隣人とならなくてもよい」。それがその時のウキヨの言葉だった。以来、ウキヨ達は社会の暗部を徘徊し、恵まれた戦闘能力を活かしてヨージンボーをするなり、賞金稼ぎをするなり、やや不穏な形でポスト磁気嵐時代の市民社会に溶け込んだ。しかし……「マジで村が?」
「マジのような気がするんです。テレビ番組は、とてもよく作られていたものですし、それに」コトブキは胸に手を当て、「ハートが呼んでいる気が。ハートを信じないと」「ブルシット……」タキは呻いた。「それでお前、百歩譲って実在するとしてだ。そこで暮らすッてのか?」
「わたし、このお店で暮らすのはとても楽しかったです。ですが、他の仲間に会ったことが無いでしょう」コトブキは言った。「興味があります。それが自然な事かもしれません。狼が群れに帰る映画を見た事もあります。たくさん友達ができるかも。ユウジョウですよ」「ユウジョウなあ……」
タキはコトブキを見た。短い付き合いを振り返るに、コトブキは頑固で、一度自分の中で結論を出した事について譲る事はほとんどない。何を言ってもコイツはウキヨの村を探しに行くだろう。そして、それを強いて止める理由も権利もタキにはないのだ。ケンカもコトブキの方が強いだろう。「わかった」
「ありがとうございます」コトブキは再度オジギし、二階への階段を駆け上がった。タキは客と目を合わせ、肩をすくめた。コトブキはスーツケースを担いで降りてきた。「ニンジャスレイヤー=サンにも宜しくお伝えください。寂しくなったときは、星を見上げてください。同じ空の下にいるのです……」
風鈴が鳴り、ドアが開いた。マスラダだ。「タキ=サン。調べ物だ。今すぐだ」市場で買ったものか、彼は手にした林檎のワックスを服で拭いながら入って来た。コトブキを一瞥する。「今、星がどうとか言ったか? 何だって?」「ちょうどよかったです。今までありがとうございました。わたしは旅に出る事にしました」「旅?」
「いい! もういい。後で説明する」タキが遮った。コトブキはほとんど颯爽として店から出て行った。「何だ、あれは?」「まあ長い別れになるッてこった。後で説明する。後で」「なんか大変だな。ピザもう一枚いいか」客が声をかけた。タキは首を振った。「今日は店じまいだ」
◆◆◆
スピード屋形船はしめやかな速度で支流に入っていった。「オルルルル……」「オルルルル……」バイオパンダらしき動物の声がバンブー林の奥の闇から聴こえてくる。リンゴアメは水面を撥ねるバイオサーモンを目で追った。「楽しいか」キュナカがリンゴアメの肩に触れた。「ようやく到着だよ」
やがて支流は屋形船をコンクリートで舗装された岸壁に導いた。ゴムタイヤやドラム缶が濁った水の中を浮き沈みしている。シンジツは船を止め、慣れた手つきで船を係留した。「さ。行こう。気をつけて」キュナカはリンゴアメの手を引き、地面に立った。「人間だとフラフラするんだ。こういう時」
「そうなんだね。ここから歩く?」「まあな。だけどここからはそう遠くない。長い船旅だったろ」「楽しかった」「そりゃ何よりだ」にこやかに言葉をかわす二人の少し前方を、ハチェットで藪を切り払いながらシンジツが導く。やがて道は徐々に上り坂となった。左手の地面が崖めいて落ち込んでいる。
リンゴアメは足を止め、崖下の光景に見入った。「あれは……」「墓だよ。抜け殻」キュナカは言った。そこには朽ち果てたオイランドロイド達が車両スクラップやトタン板、廃棄された電子基板等にまじって、何体も横たわっていた。「我々は、死んで、モノになる。シリコンにな」
2
「ついたぞ。ほら」キュナカがリンゴアメの手を引いた。あらわれたのは、高さ10メートルはあろうかというゲート。コンクリートの壁と、生い茂る木々。先導していたシンジツがゲートに近づき、垂れさがった太縄を揺する。ガラガラと鈴が鳴り、ゲートの上に人影が現れる。やはりウキヨか。
「そいつは?」見張りがリンゴアメを指した。シンジツは「新たな仲間だ」と答えた。見張りは戻っていった。やがて、重苦しい音を立ててゲートが開いてゆく。「すごい建物」リンゴアメは壁の左右を見る。ゆっくり湾曲しながら、ずっとのびている。
「ここはね、競技場だったんだ」キュナカが言った。「……昔はね。今は、誰も管理しなくなっていた。そこに我々がエクソダスしたわけ」「そうなんだ……競技場……」「競技、見たことある?」歩きながら、キュナカが尋ねる。リンゴアメは頷く。「サイバー馬の競馬。昔の……主人が好きだった」「フン」キュナカは顔をしかめた。「そうか」
シンジツは衛兵と話をしに離脱した。リンゴアメはキュナカとともにゲートをくぐり、通路から細い階段を上がった。すり鉢状、かつて客席であった傾斜地に出た。そこには沢山のPVCテントが設置されていた。この地の中央には広場がある。「あれはアゴラ」キュナカが呟いた。「女王が神託を受ける」
「神託……」リンゴアメは中央に設置された壇と、槍めいたオベリスクを見た。キュイイイ。レンズが音を立て、視界がズームする。今、アゴラは無人だ。オベリスクにはルーンカタカナが刻まれている。リンゴアメは呟く。「ツラナイテ……タオス」
「なにか、ルーンの言葉さ」キュナカは肩をすくめた。「あれが何なのかは、知らない。シンジツも知らない。女王は知っているのかな。わからないけど。別にいいのさ」「このテント全部に……ウキヨ……が住んでいるの?」リンゴアメは尋ねた。狭間に設けられた通路を何人かのウキヨが行き来している。キュナカは頷き、笑った。「まだまだ、増やせる」
「ウキヨポリスにようこそ。リンゴアメ=サン」声に振り返ると、目の下に黒い水平ラインを引いた禿頭の男が立っていた。「私は祭司のカブシです」「祭司……」黒いキモノ。なにより、この者は人間である。「そう。私は人間です。女王の相談役として、命を救われました」穏やかに笑った。
「こいつだけ人間なんだ」キュナカが言った。「ま、そんな顔するな。かわいそうだから。こいつは人間だけど悪いやつじゃないよ」「いいんですよ。確かに不自然ですから。私はウキヨに奉仕する存在です」カブシはオジギした。「シンジツ=サンに話は聞いています。あなたのテントをあてがいましょう」
カブシは足を引きずっていた。「ああ。イクサの折に、怪我をしてね」彼は説明した。「今はウキヨの数も多い。当時よりも安全は増しました。安心してください」「イクサ……?」「妬むやつらがいたんだ。付近にな」キュナカが言った。「だけど、もう終わった事さ。今は平和」
カブシに案内されて、傾斜の中腹に位置する桃色のテントに辿り着いた。そう、PVCテントはさまざまなパステルカラーで、さながらアノヨの花畑めいている。「電気井戸」と書かれた設備にケーブル接続しているウキヨが顔を上げ、にっこりとアイサツした。「ドーモ、ご近所さん」「ドーモ」
「電気、ここだから」と、キュナカ。「スシは食うの?」「スシ? うん、食べられる」「いいな」キュナカは笑った。「自分には咀嚼機能、無いんだ。スシ、オイシイ?」「うん……多分」リンゴアメはおずおずと頷いた。「後で市民証を発行します」カブシが言った。「強要する者はいない。くつろいで」
カブシが去るのを見送ると、キュナカはリンゴアメの手を引き、テントの中に促した。マットレスや、小ぶりの箪笥、鏡などがあった。「前のやつが使っていたのさ」「前の……?」「さっき話した、イクサ」キュナカはアグラをかいた。リンゴアメも座った。彼女は尋ねた。「ここではみんな何をするの」
「何を?」キュナカは微笑んだ。「そうだなあ。踊りを覚えたり、ハイクを書いたり。好きな事をしてるよ。でも、みんなで分担する仕事はある。発電設備の守りとか、外敵を警戒したりとか、服を作ったりね。キモノ。女王が指示を出すんだ。神託に基づいてね」「神託……」「あのオベリスクさ」
「アゴラね」「難しい話より、もっとちゃんと自己紹介をしようよ」キュナカが息を吐いた。「私はキュナカ。ウキヨポリスに来たのは97日前。もっともっと古参の連中がいくらでもいるから、嬉しい」「前はどんな家にいたの?」「貿易会社の重役」キュナカは微笑み、首カットの仕草をした。
「皆、殺して、ここに?」「そういう奴も多い。だから気に病むなよ」キュナカが言った。「ま、そうじゃない奴もいる。人間は敵とは限らないからな。カブシみたいにね。だけど、そうだなあ、我慢しなくていいのは確かだよな」「我慢……そうだね」「私らはウキヨで、皆は、お互いを尊重する」「うん」
「また難しい話になってきた」キュナカは笑った。「もうやめよう。……ね、目がキレイ」リンゴアメの頬に触れた。「くすぐったい」リンゴアメは笑った。「見せてよ。私は醜いから」「そんな事ない」リンゴアメはキュナカの傷に触れた。「戦うなんて、スゴイよ」「……アリガト」
カーン! カーン! その時、競技場に甲高い金属音が反響した。気まずくなり、二人はどちらからともなく離れた。キュナカはテントを出、様子を伺った。「遠征隊が帰って来たんだ!」「遠征隊?」「そうさ。ほら、見て」指さした先、捕虜らしき者らを引きずって雄々しくアゴラへ降りる者達あり。
「人間を引きずってる」リンゴアメがキュナカの隣で呟いた。キュナカは頷いた。「そうさ。付近の村の奴。我々に対して攻撃をかけ、返り討ちに遭い、おめおめと逃げた奴らを追っていたんだ。ホワイトライダー達の帰還さ」歓声がさざなみめいて拡がり、ウキヨ達がテントから出て、手を叩く。
捕虜を引きずる三人のウキヨは皆、たしかに白一色の簡易キモノを着、「ツラナイテタオス」と書かれた旗を掲げている。誇らかに。「乗り手!」「乗り手!」「乗り手!」歓声はやがて、「女王!」「女王!」「女王!」という声に変ってゆく。そう、彼らを出迎えるべく、檀上に「女王」が現れたのだ。
リンゴアメは目を見開き、キュナカの手を強く握った。確かにそれは「女王」だった。身長は約210センチ、美しく長い手と足と首を備え、聳やかす胸には金のネックレスをかけ、青いアイシャドーは鮮烈で、キモノは真珠色に輝いていた。美しかった。この世のものと思われぬ姿だった。
「なんて素敵……」リンゴアメは呟き、雷に打たれたように緊張した。ふと、目が合ってしまったのだ。黒い瞳に射抜かれると、彼女は激しい羞恥を感じた。芸術そのもののようなオイランドロイド。それに引き換え。なんて恥ずかしい。
女王はアルカイックに微笑む。その足下に人間達が転がされる。女王は片手を挙げた。歓声が鎮まった。鈴のように美しい声で、女王は言った。「戦士たちにねぎらいを」跪くホワイトライダー達。「今ここに、イクサの完全終結を宣言する。そして……」女王は地面に引きずるほどに長い鞘から、カタナを抜いた。「簒奪者に報いを」再び、破裂するような歓声。
「我、ウキヨポリス統治者センダイユメコが、ウキヨの神に乞う」捕虜達は猿轡を噛まされ、拘束され、身じろぎをするぐらいの自由しかない。「この者ら、次の世にては、ウキヨとして再び相まみえん事を」「女王!」「女王!」「女王!」
女王センダイユメコは規則正しく大カタナを振り下ろした。
「殺した」リンゴアメは呟いた。「かわいそう」「ああ。かわいそうだ」キュナカが答えた。「情けない奴らだ。生まれ変われるといい」キュナカが言った。「そうすれば、あいつらも、ここで暮らせるから」「ここは素敵?」リンゴアメは尋ねた。キュナカは頷いた。「勿論。ウキヨの世界だ」
その日はアゴラで夜通しの祝宴。皆が輪になって踊り、スシを食べられる者達はスシを咀嚼した。センダイユメコは玉座からにこやかに見守った。24時間のうちに多くの出来事が起こった。リンゴアメが訪れ、遠征隊が戻り。そして真夜中に更に一人……自力で辿り着いたウキヨがいた。
名を、コトブキ。
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