
S1第8話【ザイバツ・シャドーギルド】
総合目次 シーズン1目次
1
キョート・リパブリック、ガイオン地表。2038年以降の試練の10年期は、変化の無い事を何より尊ぶ都をも、否応のない変動に呑み込んだ。磁気嵐と共に経済上の優位は消え去り、闘争と破壊が碁盤の目を洗った。それでも朱塗りの五重塔はいまだ等間隔にそびえ立ち、誇らしく天を指す。
「エッホ! エッホ!」サイバネ・リキシャー・ドライバーは観光客と武装ガイドをリキシャーに乗せて観光ルートを走り抜ける。時刻はちょうど正午過ぎ。狂言強盗団やバイオグール達もこの時間帯は大人しい。「ここから見えるキョート城跡ときたら、たまらないですよ!」「本当だ」観光客も笑顔だ。
「ゆっくり写真でも撮ってくださいね。ウチの武装ガイドは凄腕だし、変な奴が来ても殺します。なあ、ノブザメ!」「まかしてくださいよ」リキシャー後部にスタンバイしたハッピ姿の全身サイバネティクス武装ガイドが力こぶ仕草をすると、観光客の老紳士は笑顔を深めた。「いやあ、本当に頼もし……」
DOOOOOOM
武装ガイドは再起動した。周囲に生命反応は……まばらにある。だが彼のパートナーも、観光客も、ただの肉となっていた。正確には、血のマンデルブロ・サインに変わり果てていた。地面にはコンパスで測ったような円形の「抉れ」が無数に、ランダムに生じていた。空気にオゾンが溢れていた。
「何……だ、こりゃ」ノブザメは起こった出来事を確かめようとした。塀が、道路が、木々が、屋根が抉れ、失われ、大小のマンデルブロ・サインが重なり合っている。ZZZZOOOOM……彼の後ろで、五重塔が傾き、倒れていった。マンデルブロの中から黒い水晶が生え始めた。
◆◆◆
キョート・リパブリックと時間差さほどなく、ローマ。電子戦争や試練の10年期をも生き延びたコロッセオが、つい数分前に起こった黒い爆発、それに伴う醜い「抉れ」によって、巨大なスイスチーズめいた有様になっていた。病んだ色の火がそこかしこに灯り、やはり黒い水晶が生え始めた。
◆◆◆
そして……ベルリン。鉄条網で覆われ、見張り櫓がそこかしこに築かれた壁が、ある地点で50メートルほど消失し、破壊の痕跡には黒い水晶が育ちはじめていた。
「……」生きて動く者があった。赤黒の装束を着たニンジャは円形の「抉れ」の間をしめやかに歩き進み、痕跡を感じ取ろうと努めていた。
【ザイバツ・シャドーギルド】
動きの気配。ニンジャスレイヤーはそちらへ目線を飛ばす。「だ、ダメだ……ダメだ」石くれにまみれ、震えているのは、ひどく傷ついた男だ。ただ、このベルリンの自警団や物乞い、商人の類いとはアトモスフィアが違った。彼のニンジャ洞察力は、死にかけたその男が「余所者」であると見て取った。
『オイ! 返事しろ、ニンジャスレイヤー=サン!』タキの喚き声がニューロンに響いた。「無事だ」ニンジャスレイヤーは答えた。「情報の通りか」『そりゃそうだ! オレを誰だと思ってやがる。だから気をつけろッつったんだ』「黙っていろ」ニンジャスレイヤーは瀕死の男に近づく。
「お前。話せるか」ニンジャスレイヤーは声をかけた。男の意識は混濁していた。「お、俺は、俺はやったか?」「何?」「見えないんだ」両目は真っ赤で、眼球は無く、涙の代わりに血が流れていた。「これで……うまくいったかなあ?」「何がだ」「嗚呼……」男が掲げた右腕は肘から先が無く、断面が青く光っていた。その光もやがて弱まり、黒く焦げた。
『何が起きてる! オイ!』タキが騒ぐ。男は力尽き、動かなくなった。ニンジャスレイヤーは男の外套を探る。仰々しく、時代がかった服装だ。やがて彼は焦げた端末と手帳を見つけた。手帳を開き、あらためる。『どうした!』「こいつだ」『マジか』「多分な」手帳はウキハシ・パスポートだ。
「正規の手段で入国している」『どこからだ』「……」ニンジャスレイヤーは眉根を寄せた。「旧チェコ共和国、デジ・プラーグ」『デジ・プラーグだと? あんな所から? ともかく、なあ、身をもって体験したんじゃねえか? その目で見たんだろ。被害をよ。今回のは、なあ、やめとかねえか? ヒットしたニンジャは例のブラスハートでもねえし……』
ニンジャスレイヤーはタキとのやり取りを思い起こしていた。新たにその動向の一端が明らかになったサンズ・オブ・ケオス構成員の情報を、タキは素知らぬ顔で一度スルーしかけた。ニンジャスレイヤーはその不自然を見咎め、彼を脅し、強いて、情報を深く掘らせたのである。
(今度の奴はヤバイ)タキは言った。数秒置いて、再度、強調した。(その……マジでヤバイ)(そうか)(わかってねえな。畜生、オレはだんだん後悔し始めてる。いや、ずっと前から後悔してる。だけどその百倍後悔するようになる)(何故だ)(こいつテロリストだ。カルト。個人の規模じゃねえ)
(もう少し詳しく話せ)(こいつ、ここ最近世界中の都市で無差別な破壊をやらかしてる。メガコーポが何社も賞金をかけてる)(殺して儲かるのに、なぜお前が避ける)(ふざけるな。とんでもねえ規模の被害を出しやがるんだぞ。目的もわからねえ。カルトの信者を使って、とにかく殺して、壊す!)
(カルト? 何を信奉している)(アー……)タキはモニタに大映しになった紋様に目をすがめた。(魔術…かな?)(そいつの名前は)(エゾテリスムだ)(何処にいる)(さあ?)
……そうした会話が為されたのは三日前のこと。三日間の強行軍の結果、こうして居場所の手がかりを掴んだ。旧チェコ共和国、デジ・プラーグ。成程、この服装は魔術師気取りか。
立て続けに起こったキョートとローマの被害。その後、ネットワークに流出した標的地、ベルリン。ニンジャスレイヤーは企業のウキハシ・ポータルを繰り返し利用して、タキが必死で探し集めたテロ行為の足跡をトレースし、エゾテリスムの痕跡を探し回った。「順調だ」ニンジャスレイヤーは呟いた。タキはもはや無言。
◆◆◆
今回の作戦はサダカル・ヤシモ・エンタープライズ社とオムラ・エンパイア社の共同で、その構成比率は7:3。メインとなる戦力は無限軌道式の戦車部隊で、上空には有人ヘリコプターが展開している。針葉樹林に霧が被さり、雪の峰々は展開する企業軍隊を超然と見下ろしていた。
緯度・経度でいえば、そこは亜北極圏、かつてカナダ領であった土地だ。国家はもはやなく……その地域に至っては、企業豪族の領土ですらない。支配者はウインドウォーカーと呼ばれる神秘の存在であり、サダカル・ヤシモ社の目下の最大の敵であった。
そう、今まさに、針葉樹林の霧の中を驚くべき速度で移動する人型の影こそがウインドウォーカーだ。この揺れは地震ではない。ウインドウォーカーの移動に伴う揺れに過ぎない。そして今、サダカル・ヤシモ社側の指揮官は高精度ゴーグルを通して影の動きを睨み、一斉攻撃のタイミングをはかっていた。
ゴーグルのディスプレイ上に「射程範囲内な」の文字が灯る。信頼のおけるプロダクトだ。彼は有線マイクを口元に引き寄せ、号令を……「アイエエエエエ!」彼は目から出血し、悲鳴を上げた。ウインドウォーカーと目が合ったのだ。巨人は霧越しに、ただ彼を凝視した。間違いなく。ゆえに彼は狂った。
「アイエエ! アイエエエ!」付け加えるなら、彼はニンジャだった。しかしウインドウォーカーが押し付けてきたイド(意志)の力は破格過ぎた。「ガルガンチュア」彼は呟いた。それが、ウインドウォーカーがニューロンを通して名乗った名だ。
副官が部隊に指示し、発狂した彼を迅速に退避させた。巨人が……目視の距離に至った。DOOOM! DOOOM! DOOOOM! 戦車隊が立て続けに主砲を撃ち込んだ。ガルガンチュアはうるさそうに手をかざし、砲弾を防いだ。企業軍は攻撃を継続する。ガルガンチュアが接近する。戦闘が始まった。
戦闘? 子供が父親秘蔵のミニチュア・ジオラマを無邪気に破壊するのにも似た光景だった。戦車が宙を飛び、ヘリコプターは地を舐めた。イクサの趨勢は5分ほどで見えた。準備不足……あまりにも。
「こんなバカな……」オムラ・エンパイア側の司令官、パワード武者鎧を着たオムラ傍系のベンジャミン・オムラはあんぐりと口を開け、数キロ先の破滅光景を見守った。巨人が吠え、風が吹いた。
HQテントが確かに揺れた。ベンジャミンは反射的に頭髪と戦略机を押さえた。「撤退……撤退を……! オムラがこれ以上恩を売ってやる義理は無い……!」「司令官! ご覧ください!」誰かが叫んだ。ベンジャミンはモニタを見た。巨人の周囲の空に黒い稲妻が走った。企業軍人たちは息を呑んだ。
一瞬後、空に現れたのは、五つの直方の影だった。機影? 彼らは訝しんだ。およそ航空力学を無視した、方舟めいた形状、見ているとどこか不安を覚える奇妙なバランスをした、黒一色の浮遊物だった。
「なんだッ!」ベンジャミンはモニタにかぶりついた。サダカル・ヤシモ社の新兵器であれば大事(おおごと)だ。彼の凝視の中で、五つの方舟は輝く光の粒を地面にばら撒いた。
KABOOM……KRATOOM……激しい光と爆発がガルガンチュアの足元を満たす。地上部隊のいくらかが爆発に呑まれて通信途絶した。ゴウオオオン……巨人が憤怒に吠えた。光が薄れると、焼け野原には徒歩の影が隊列を組んでいた。
「あれは……」「ニンジャ……?」然り、ニンジャだった。現れたニンジャはどうやら3人。彼らそれぞれが、100人ほどのユニットを率いている。ベンジャミン達にはわかりようもないが、ニンジャに率いられる者らは黒い影めいた装束を着、人ならざる眼光を光らせるデミ・ニンジャ達だ。
ブオウー。ホラ貝の音が響き渡った。まるで平安時代だ。しかしHQテントの者達はわけのわからぬ恐怖に震えるしかなかった。彼らは巨人の足元で渦めいて展開し、矢を射掛けた。然り、矢だ。まるで平安時代だ!「AAAARGH!」巨人が苦痛に身をよじる。矢尻一つ一つが超自然の光を帯びている!
ブオッ、ブオウー。ニンジャの一人が再び合図のホラ貝を鳴らした。デミ・ニンジャのユニットは巨人の足元めがけ、一斉に鎖を投げかけた。巨人は鎖を振り払い、引きちぎる。その間も超自然の矢は射掛けられ続ける。「オーマイブッダ!」前線の戦車兵が感嘆の声をあげた。「救い……アバーッ!?」
戦車兵は恐怖に凍り付いて死に、その死体から黒いガスが絞り出されると、数百メートルを飛行して、ニンジャの一人がかざした手に吸い込まれていった。ニンジャは1メートル宙に浮いた状態で、何らかの不浄のジツを行っている。前線の兵士の成れの果てたる黒いガスが力となって彼に呑み込まれる。
「イヤーッ!」ガルガンチュアに斧で斬りつけたニンジャが20メートルの高さから着地し、邪悪なニンジャに声をかけた。「ジツの発動はまだか! ディヤーザル=サン!」「脆弱な魂だ……時が必要……!」「チイーッ!」斧のニンジャは再び跳んだ。ガルガンチュアは呆気なくその身体を掴み取った。
「主ーッ!」斧のニンジャは叫んだ。「アバーッ!」ガルガンチュアは斧のニンジャを握り潰し、手の中で爆発四散させた。そのとき、矢の嵐がついに効果を見せ、巨人に片膝をつかせた。振り上げた腕に鎖が投げかけられ、動きを封じる。「イヤーッ!」巨人の足を、今一人のニンジャが駆け上がる。
「AAAARGH!」ガルガンチュアが叫んだ。「ジツ、成れり!」ディヤーザルは黒い瘴気の塊を放った。この攻撃のために戦場の戦車兵達の生き残りの相当数がサクリファイスされた。ナムアミダブツ! 黒い瘴気は巨人の身体に大蛇めいて巻き付き、責めさいなむ!「ゴウオオオーン!」
「バカな」ディヤーザルは目を剥いた。ガルガンチュアは瘴気拘束を数秒で振り払い、再び立ち上がった。「イヤーッ!」身体を駆け上がっていたニンジャは体毛を伝って心臓付近に到達し、手にしたツルギを繰り返し突き刺した。巨人は蚊でも潰すように、そのニンジャを叩き潰した。「アバーッ!」
怒り狂ったガルガンチュアが手足を振るうたび、デミ・ニンジャの十名が撥ね飛ばされる。ディヤーザルは後ずさった。「ならぬ……これでは……」「ディヤーザル=サン……!」地に落ちた瀕死ニンジャのか細い声を彼は聞いた。「手ごたえはあった……この機を逃すな」「しかし」「主を呼べ……!」
ディヤーザルの額を脂汗が流れ落ちた。巨人の胸元にはツルギが刺さり、超自然の毒がその傷を腐らせている。確かに千載一遇の好機、それが今失われつつある。ディヤーザルのジツも効かず、他の二人は敗れた。「呼べ……!」彼はなお逡巡した。主を呼ぶ代償は大きい。主自身にとってもだ。
「ゴウオオオオン!」ガルガンチュアが足を振り上げ、瀕死のニンジャをカイシャクしようとする。ディヤーザルは腹を決めた。「イヤーッ!」彼は両手をかざし、瀕死のニンジャに向けた。「サラバだ! リクトール=サン!」「応! アノヨで会010010011」リクトールの身体が黒く爆ぜた。
ZZZZOOOOOOM……一秒後、ガルガンチュアがその身体を踏み潰した。否。一瞬早く、影が走り出た。「主……スミマセン。ご武運を!」ディヤーザルは安堵と恥に顔をしかめ、その場でケジメした。影は巨人の攻撃をフリップ・ジャンプで回避し、着地した。
その者はもはやリクトールではなかった。オブシディアン色の甲冑で全身を鎧った戦士だった。彼は巨人に向かって合掌し、アイサツした。「ドーモ。ガルガンチュア=サン。ダークニンジャです」合掌した手を離すと、掌から刃が徐々に生えていった。彼はニンジャ大剣を掌から引き抜き、片手で構えた。
(ドーモ。ダークニンジャ=サン。ガルガンチュアです)巨人の表情は虚ろであったが、念話によってダークニンジャのニューロンに直接アイサツした。ノイズ・パルスが走り、企業軍の通信機器を損傷させた。巨人は拳を天高く振り上げ……打ち下ろした。
ダークニンジャは黒い光めいて横へ滑るように移動し、巨大な拳を回避した。ジグザグに動く黒い光は巨人の手の甲へ、そのまま手首へ、腕へと、絡みつくように駆け上がる。「AAARGH……」ガルガンチュアは逆の左手でダークニンジャを払いのけた。ダークニンジャは宙返りして左手に飛び移った。
巨人は両腕を振り回し、針葉樹に叩きつけた。ダークニンジャはニンジャ大剣を腕に突き刺し、勢いをつけて、腕の外周を切り裂き、跳んだ。腕輪めいた切り傷が生じ、黒い血が針葉樹林を汚染した。「イヤーッ!」甲冑のダークニンジャは紫の稲妻を放ち、空中で飛行軌道を変え、胸に大剣を突き刺す。
リクトールが表皮を破り、微かに穿った傷口を、ダークニンジャの大剣は深々と抉った。「AAAAAARGH!」ガルガンチュアは咆哮を放った。針葉樹が風を受けて揺れた。ダークニンジャは既に大剣の刃の上に飛び乗っていた。なんたるニンジャバランス感覚か。彼は刃の上で腰の鞘からワキザシを抜き、二刀流で構えた。
ガルガンチュアは胸に刺さった棘めいた大剣を引き抜こうとする。だがダークニンジャはワキザシ・ダガーの二刀流を超常的速度で繰り出し、血肉を切り裂き、抉り、分け入った。「AAARGH! AAAARGH!」ガルガンチュアがよろめき、地を揺らした。やがて、びくりと一際強く震え、倒れ込んだ。
「主」ディヤーザルは呻いた。ガルガンチュアは崩れるように仰向けに倒れ、動きを停めた。胸元から高々と黒い血が噴出し、巨人の身体を伝い、奇怪な沼を生じる。やがて胸の穴からダークニンジャが這い上がった。超自然の甲冑は巨人の酸めいた血を拒絶し、蒸発させてゆく。彼は何かを手にしている。
それこそが……拳大の黒い石こそが、今回の遠征の目的である。ダークニンジャはディヤーザルに歩み寄る。その後ろで巨人の身体は急速に劣化し、崩れ、萎びていった。だが、滅びてはいない。時を経れば呪われた巨人は再び起き上がり、この地を霧とともに彷徨い始める。どちらにせよ、もはや用済みだ。
「大儀でございました」ディヤーザルは跪く。「みすみす御身の御力を……。ケジメ致しました」左手小指を掌に乗せ、恭しく差し出す。ダークニンジャが手をかざすと、ケジメ指は焼け焦げて風に散った。「帰還する」「ハーッ!」上空、シャドーシップの船体が緑の光に脈打つと、二人は転移し、消えた。
地上に残されたデミ・ニンジャたちを転移回収すると、それらシャドーシップもまた、一隻、また一隻と、超自然コトダマ転移によって姿を消した。後には、力失せた巨人と、半壊状態の企業軍が、霧の中に残された。
◆◆◆
かつてサハと称されていた極寒の地に、謎めいた大規模な奴隷農場がある。外界からの繋がりを絶たれたその地では、非ニンジャの農奴が黙々と痩せた作物を育て、夜毎、その日いちにち死なずに済んだことを寿ぎながら暮らしている。
彼らが現在の立場に置かれてから、一年にも満たぬであろう。彼ら自身、ネングを取り立てる者らが何者なのかは把握していない。与えられたコメはねじれて黒く、奇怪であったが、育ちは早く、彼ら自身の最低限の腹をも満たす。上空に時折、蜃気楼めいて映し出される影の城に、彼らの領主は住まう。
その影の城こそがキョート城、かつてキョート共和国に在り、オヒガンの果てに呑まれた末に、いまだ狭間の地に浮かぶ神秘の城郭であり、ザイバツ・シャドーギルドという謎めいたニンジャ組織がカラテ社会を築く、闇のヴァルハラ宮殿であった。
シャドーシップ5隻はキョート城へ無事帰還した。城内のシャドーシップはそれが全てではなく、同様のもの、より大きなものも存在する。それら黒い方舟はこの世ならざる技術によって建造されたオーパーツで、ギルドの者達もその成り立ちの詳細は知らぬ。オヒガンの彼方の岸辺、神話的なイクサを経て、彼らが接収した戦力であった。
戻りきたダークニンジャを出迎えたのはネクサスである。現在、上級のニンジャ達はイクサの地に赴いている者が殆どだ。ダークニンジャはディヤーザルを下がらせ、この黒ローブ姿の古株のニンジャとともに水晶昇降機に乗り込んだ。
上昇する水晶昇降機の中で、早々にネクサスは切り出した。「やや見過ごせぬ出来事が……」「申せ」ダークニンジャは促す。水晶昇降機からは、接舷したシャドーシップからぞろぞろとデミ・ニンジャが降り、整列ののち再配置される様が見下ろせる。ディヤーザルは己の居室へ戻った。眠れぬだろう。
「これを」ネクサスは手をかざし、水晶の壁にコトダマ空間の観測ログを映し出した。ウキハシ・ポータルを用いてコトダマ空間をジャンプする者達がキョート城に感知された場合、ここにログが残る。「……」「左様。ニンジャスレイヤーでございます。それも、ごく短期間に数度確かめられておりますな」
「そうか」ダークニンジャは目を細めた。ネクサスはフードの奥で目を光らせた。「当然、ノイズゆえの誤感知や見逃しを勘定に入れねばなりませぬが、これほどはっきりと痕跡を残したとなれば、間違いは無いかと。ニンジャスレイヤー、即ち、ナラク・ニンジャでございます」
ダークニンジャ=フジオ・カタクラは、端的にいって、ナラク・ニンジャのソウルを必要としている。ニンジャの始祖神を殺そうと試みるダークニンジャは、ナラクのソウルを邪剣ベッピンの糧とし、以て、神殺しの手段を得ねばならない。
キョート城が現世へ再接触を果たしたのは一年をさかのぼらない。時空を跳躍したがゆえに、ギルドの者らは体感ではほんの一年強の時を過ごした程度であろう。
現世への再接触後、彼らは否応無しに古代リアルニンジャ達との多方面でのイクサに直面した。何人かのリアルニンジャを倒し、今回はガルガンチュアを首尾よく仕留めたものの、ベッピンの復活にはいまだ多くの要素が必要となる。
完全な状態のベッピンを用いずしてニンジャスレイヤーを殺せば、ナラクは再び散って消え隠れ、再出現まで時を待つ必要が出る。「命さえ残せば良いのです。ゆえに、生かして捕らえ……」ネクサスは言った。「……手足を捥ぐなどして、地下牢に繋ぎ、時が満ちるを待つのがよきかと」「よかろう」
水晶壁に世界地図が映し出される。銀河めいて散らばるソウルの星々がネクサスのしぐさ一つで掻き消え、ただ一粒の星だけが残った。ネクサスは呟いた。「彼奴の現在の居場所にございますな。これなるは……デジ・プラーグ。比較的厄介な地ではございますが」「構わぬ。戦士を選ぶとする」
シャドーギルドは現在、「オベロン」が率いる複数のニンジャクランとの戦闘状態にある。差し向ける事が可能なニンジャ戦士はどうしても限られてくる。しかしながら、突如として観測されたニンジャスレイヤーをこのまま放置に任せ、みすみす好機を逸するいわれはない。使い捨てても構わぬ斥候が必要だ……。
◆◆◆
石畳で覆われた路の端、四角い蓋が微かに動いた。そこから赤黒の手甲で覆われた手が突き出し、地面を探り、しめやかに這い上がった。表通りの喧騒が伝わって来る。彼に気づいた通行者はいない。ニンジャスレイヤーは地下穴を振り返り、「問題ない。上がってこい」と囁いた。
「フンッ……!」コトブキは必死の形相で、力を込めて這い上がった。片手で身体を支え、もう一方の手ではスーツケースに固執していた為である。その間、ニンジャスレイヤーは周囲をじっと警戒した。企業ウキハシ・ポータルの無断使用による「国際旅行」にも、否応無しに慣れてくる。
『どうだ、入れたか、"コア" によ?』タキの通信が入る。「地下水路から侵入した」ニンジャスレイヤーは答えた。『よし。ま、せいぜい気をつけろや』「打って変わって、優しい色合いです」コトブキが家々の石壁を眺め、嬉しそうに言った。
ニンジャスレイヤーは頭上の空を見上げ、目を細めた。「青い」
2
真上の青空から徐々に視線を下げていくと、それが円形に切り取られたかのように不自然であることがわかる。渦めいた境界から外側の空はメガロ灰色で、高層建築が高壁めいて連なっている。高層建築の光や屋上部のビーコン、パルスは遠雷めいて、今ふたりが立つ石の市街とは対照的な暗さだった。
ふたりがまず転移したのは、あの高層建築群が最初だ。ウキハシ・ポータル施設から脱出すると、そこは迷路めいてパイプと空中通路で繋がれ、大地は遥か数十メートル下に霞んで見えるような、ネオサイタマのジャンクをより冷たく凝(こご)らせたような高層迷宮だった。
タキのナビゲーションを頼りに、ダストシュートから地下通路へ降り、湿って暗く、気味の悪いバイオ生物が飛沫をあげる水路を延々と進んだ挙句に、ようやくこの場所へ至ったわけだ。「これで落ち着きましたね」コトブキが言った。花柄の刺繍のロングスカートは民族衣装のオマージュであろう。
一方のニンジャスレイヤーは間に合わせめいたカーキ色のポンチョを装束の上から被っていた。どちらにせよ、ちぐはぐな二人連れである。そしてコトブキの民族衣装テイストも、この旧市街(コア)を歩く者たちの染み入るような黒い装いからは異質だった。
プカプカプー……大道芸人のアコーデオンが鳴る。表通りは行き来する人々も数多く、観光客の割合も十分に多い。石畳や壁の色はややワインレッドの色合いを含んで暖かく、木々には黄金色の葉が連なり、市場では色とりどりの飾り布やガラス玉、魔術タリスマンの商いが行われていた。二人は足取りを早め、雑踏に紛れ込んだ。
「ここは間違いなくデジ・プラーグの旧市街(コア)です」コトブキはガイドブックを開いた。「重金属雲はビームで消し飛ばされていて、プラハ城を腐食から守っているんですね!」指差した先、高い丘に、青銅色の塔が見えた。「歴史の保存の意図が見えますね。キョートと通底する思想でしょうか?」
「妙な眺めだ」ニンジャスレイヤーは呟いた。遠景には常にジャンクの存在がちらつく。この極めて美しい小径も、遠目には電子戦争以前そのままのプラハ城も、青空も、ドーナツめいた高層建築の新市街(ウォール)によって全方向を包囲されている。歴史保存……何の為に? 観光の為だけではあるまい。
「天使の柱ですよ。凄いです」コトブキは城を照らす光に言及した。「テクノロジーが作り出した自然美で、昔には無かったんです。だから、進歩だと思います」「ああ」ニンジャスレイヤーはもはや構わず、移動を開始した。携帯端末の地図にはタキが指定した「後ろ暗い区画」のサイン。そこを目指す。
(まず「後ろ暗い区画」に入る。入り口は偽装されているが、どうって事ねえ)
タキの事前説明を思い返す。
(そこで偽装デジ・タリスマンを調達しろ。旧市街は魔術ギルドが互いにしのぎを削り合う場所で、新市街より余程ヤバい場所だ。しかも、いいか、お前は魔術ギルドにアサルトをかけるんだぞ)
目印にすべきは、プラハ城に至るカレル橋だ。ここからまだ距離がある。ニンジャスレイヤーは走り出した。道は狭く、どこを通っても、黄色い落ち葉が風に舞っていた。赤黒の風に目を留める者は少ないが、稀に目で追う者もいる。やがて引き離されていたコトブキが、強引に近道を継いで再合流した。
「荷物は預けました……うわあ」コトブキが感嘆の声をあげた。カレル橋を渡った先に見えるのがプラハ城だ。ちぐはぐな様式をひとつところに集積して成り立つ、歴史的ケオス。その美と迫力は現在もなお強烈にニューロンを揺さぶる眺めだ。雨でもないのに傘をさして歩く集団を追い越し、二人は橋を渡る。
プカプカプー。アコーデオン奏者はどこにでもいる。大道芸人がジョルリ人形めかした踊りを踊っている。川を行き交う船では人々がパーティーを繰り広げている。橋の中央では十字架像が通行者を睨み据えている。その十字架像の辺りを境に、ニンジャスレイヤーのニンジャ第六感は微かな違和を覚える。
対岸へ渡りきると、皮膚に刺さるような小さな痛みは確かな感覚となった。ニンジャスレイヤーは石段を降り、わけもなく木陰に隠れて、追いかけてくるコトブキを待った。「まってください!」彼女を通し、タキはUNIX端末に物理ハッキングをかける事が可能だ。置いてゆくわけにもいかない。
注意せよ。ナラクがニューロンに警告の呟きを発する。マスラダも承知していた。既に、プラハ城の「黄金の小道」に相当に近い。だがまだ踏み入ってはならない。明確に危険な場所なのだ。タキの言葉だけでは真偽不明のところ、実際に近くへ寄れば、試すまでもない事実であることがわかった。
そしてその危険の感覚は、おそらく彼が求める今回のサツガイ接触者、「エゾテリスム」のニンジャ存在感をも含んでいることだろう。コトブキが追いつくと、ニンジャスレイヤーは木陰から出、周囲に注意しながら、川沿いに橋の裏側へ忍び入った。「あります。仕掛けです」コトブキが石壁を指差した。
「わかるのか」「周波数です」コトブキは壁の石の一つへ近寄り、無造作にブロックの一つを外して見せた。現れた溝にはLAN端子があった。「繋ぎますよ」コトブキが首筋からケーブルを引き出した。『いいぞ。やれ』タキが通信を返した。『周りに誰もいねえな? 危ねえぞ』「問題ない」
『オレの凄みを見せてやっからよ。どんだけオレが大事かって事を』タキが恩着せがましく言った。カリカリ。壁の奥で音が鳴り、コトブキが痙攣し、白目を剥いた。キャバアーン! 壁の奥でファンファーレが鳴った。コトブキは意識を取り戻した。壁がドンデン返しめいて回転し、二人を通路へ導いた。
『いいか。他の奴が来たら、隠れてやり過ごせ。本当は入場の資格が要るんだ、その先は。物理の証は用意できなかった』タキが言った。「道はひとつしか存在しない」ニンジャスレイヤーが言った。『アア? じゃあ、逆ギレしてやり過ごせ。それか、殺しちまえ』「罪のない市民を殺してはいけませんよ」コトブキが言った。
トンネルが……不意に開けた。そこは地下に作られた石造りの広場で、おそらくこの真上にはプラハ城が位置していることだろう。中央に柱があり、天井付近に「přátelství 」と刻まれている。柱を囲むように複数台の自動販売機が設置されている。「誰もいない。なんだ、あのベンダーは」
『ベンダー? ビンゴだぜ! そこで間違いねえ。そこはな、デジ・プラーグ・コアの魔術ギルドが共用で使ってるホールだ。緩衝地帯なんだ。誰もいねえな? 用があるのは自動販売機だ。急げ。アクセスしろ。コトブキを使え』「全部で6台あります」『全部同じだ。早くしろ』再びLANケーブル接続。
コトブキが白目を剥き、自動販売機のモニタにウサギとカエルが表示され、走り始めた。『またオレの凄みを見せてやる。デジ・タリスマンを偽装するぞ。説明した通り、黄金の小道は部外者完全立ち入り禁止の閉鎖区域、しかもあの狭い中に複数のギルドがある。ニンジャもいる。普通なら八つ裂きだ』
ハッキングに伴い、タキの早口も加速する。『奴らは互いに憎み合ってるが、余所者・侵入者への憎しみはその百倍だ。身内である事を相互に保証する為に、デジ・タリスマンを緩衝地帯で発行する仕組みにしたワケだ。それを持ってりゃ、身内って事で、あらためて仲良くケンカできるんだ。疑心暗鬼のクソ共だ……よし!』キャバアーン!
デジタル・ファンファーレが鳴り、日付と無意味なIDが刻印されたメダルが二枚、吐き出された。ニンジャスレイヤーはそれらを掴み取った。「行くぞ」トランス状態から復帰したコトブキを促し、出口を振り返った。鉄扉が落下し、二人をpřátelstvíの広場に閉じ込めた。『何だ? ヤバい』
たちまち、自動販売機のモニタのウサギとカエルが棍棒を手にして暴れ始め、アラートが鳴り始めた。『そんな筈はねえ! そのタリスマンはしっかり偽装できてる。お前らがヘマしたんじゃねえか? オレのせいじゃねえ!』「イヤーッ!」KRAAASH! ニンジャスレイヤーは鉄扉を殴りつけた。
「タリスマン発行のシステムと、警備システムが別々に走っていたんだと思います。後者をうまく騙せなかったのでは」コトブキが言った。『誰が失敗したかをあげつらうより、脱出が先だろうが! 未来を見ろ』「イヤーッ!」KRAAASH! 鉄扉が破砕した。しかし次の鉄扉が待ち構えていた。無益!
「イヤーッ!」KRAAASH! ニンジャスレイヤーは鉄扉を殴りつける。「ニンジャスレイヤー=サン! ガスが……成分解析ができればいいのですが」コトブキが床を指差した。青い煙が足首の高さにまで立ち込めてきていた。「イヤーッ!」KRAAASH! 扉が破砕した。奥に……三枚目の鉄扉……!
『大丈夫か? 九割はうまくいってたんだ。上出来だろうが。未来を見ろよ!』「イヤーッ!」KRAAASH!「イヤーッ!」KRAAASH! 扉が破砕した。その奥、四枚目の鉄扉を背に、男が立っている。つばの広い旅人帽を被った黒ずくめの男だ。ニンジャスレイヤーは拳を構えた。
「マッタ!」黒い男は両手を突き出した。「害意はない。何が起きておるかも概ね理解した。お前さんらは幸運だ。俺でよかった。ゲホゲホッ、こいつはしんどいぞ。息を止めろ。死ぬからな! お嬢ちゃんも。お嬢ちゃん、ン? 必要ないか? こりゃシツレイ!」男は駆け寄り、ニンジャスレイヤーとコトブキに触れた。
酒臭い息がニンジャスレイヤーにかかった。つむじ風が彼らを包んだ。一瞬後、彼らの姿は消失した。警報音は鳴り続けていた。彼らがいた筈のトンネルの中途、有毒ガスが名残めいて渦を巻いていた。
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