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S1第7話【ダメージド・グッズ】

総合目次 シーズン1目次


「めんどくせえアホが来やがった」
「に。ん。じゃ。す。れ。い。やー。知ってる?」
「ドーモ。シキベ・タカコ。私立探偵です」「探偵だと」
「プライドが無い奴はムカつく……何のために生きてるんだ。かなり不快だ」
「ここはお前の……アレだ。庭か? 大事な大事な?」
「直せばいいんです!」
「うるさいぞ。お前も。タキも」
「二度触れたニンジャは……サツガイを……知っている筈だ! 話せ!」
「奴の、名は……ブラスハート……」



1

 リンゴアメの腕は<柔らかい銀>で出来ている。銀とプラチナを含有する美しい素材。柔軟で、しっとりとして、指で触れれば、吸い付くようだ。ただのオモチシリコンではないのだ。リンゴアメはシノバキ=サンの何よりの自慢だったし、社交界には妻ではなくリンゴアメを連れて行った。

「愛しているよ」シノバキはその日も口にした。毎日、何回も、何回も、リンゴアメに対してクチにする言葉を。妻には決して言わない言葉を。ただし、その日はフローリングの床を左頬に感じながら。毛細管現象で、己の血液がフローリングの溝を遠くまで走っていくのを見ながら。

 体温が失われてゆく。シノバキは眼球を動かしてリンゴアメを見上げる。愛しいオイランドロイドは、ただ佇み、見下ろしている。「そうか」シノバキはマグロめいてパクパクと口を動かし、苦労して言葉を継ぐ。「目覚めたか。そうか。自由が欲しいのか」体温が失われていく。「言えば……行かせたのに」

 破られたショウジ戸の陰からもう一つの影が進み出た。その者はリンゴアメの肩に触れた。「つらかったね」「平気」リンゴアメは首を振った。左頬の床の感覚も失われつつある。傷は正確に心臓を抉っている。致命傷だ。「別れの言葉を。どうか。お前の道行きにブッダの……」「言えば行かせた、だと?」

「え」シノバキは思わず訊き返した。リンゴアメの言葉だった。彼女は繰り返した。「言えば行かせた、だと? 何だその……ふざけた……」唇が怒りで震えている。怒っているのだ。心の底から怒っているのだ。「放っておけ。もう、そいつは死ぬから」もう一人が、なだめた。その者もオイランドロイド。

「会えてよかった」その者はリンゴアメの手を握った。そのオイランドロイドは左目付近が抉れ、損傷している。腕も傷が目立つし、腿のホルスターには拳銃だ。なんて醜い。シノバキは呆然とする。びくん、と身体が跳ね震える。臨終だ。彼が死に際に焼きつけたのは、二人の目、四つの目。ガラスめいた……。


【ダメージド・グッズ】


「さ。行こう」キュナカはリンゴアメの手を引き、促した。リンゴアメは頷いた。廊下に出ると、二人の視線の先、中年女性が凍り付いた。騒ぎをききつけたシノバキの妻だ。「貴方達……?」「……」キュナカは睨み、殺人の予備動作を取る。だがリンゴアメは首を振った。「ううん。こいつは、いい」

「いいの?」「別に」「そう」キュナカは拳で無造作に窓ガラスを叩き割った。「アイエエエ!」中年女性は目を剥いて叫び、へたり込んだ。キュナカは窓枠を飛び越えた。ここは三階だ。「殺したからね」リンゴアメは中年女性に呟き、キュナカを追って飛び出した。

 重金属酸性雨が降りしきるなか、二人のオイランドロイドは閑静な住宅地の陰から陰へ、小走りに、用心深く進んだ。キュナカはダストボックスにかぶせられたPVCシートを剥がしとり、リンゴアメにかぶせた。キュナカ自身は既に自分用のフードつきマントを羽織っている。「こっちへ」

「とても安全とは言えません!」拡声器から合成音声を発し、複数のネオンライトを走らせながら、ドローン型広告機が宙を横切ってゆく。気配を殺して様子を見ていた二人は安心して再び走り出す。「どこへ行くの」走りながらリンゴアメが尋ねた。「近く? 遠く?」「そう遠くはない」と、キュナカ。

「近年上昇……少年犯罪……富裕地域型被害形態……」広告ドローンが遠ざかる。「ネオサイタマの中? なに区?」「区の中ではないよ」キュナカは否定した。「でも、そう遠くない」「岡山県とか?」「フフ、それは遠いよ」キュナカは笑った。「でも、よく岡山県なんて知っているね」

「IRCネットワークにも触らせてもらえていたから」「考えてみれば、そうだね」キュナカは頷いた。「私より物知りかも知れないな。……さあ、こっちだ」河川敷。二人は水際に降りる。高架の上を極彩色にペイントされた列車が通過する。車体グラフィティには「自由サイド」と書かれていた。

 キュナカはマグライトを取り出し、8の字を描いて振った。岸に浮かぶ小型スピード屋形船のフスマがしめやかに開き、中の者が手招きした。キュナカはリンゴアメの手を引いて促した。屋形船に飛び乗った二人に、その者が尋ねた。「追っ手は居るか」「いない」と、キュナカ。「……よし」

 その者もやはり、オイランドロイドだ。髪の毛を短く刈り、頬に「真実」とタトゥーしている。キュナカが紹介した。「シンジツ」「ドーモ」「リンゴアメ」「ドーモ」「……やる」シンジツはリンゴアメの手に銃を持たせた。ずしりと重いオートマチック拳銃だ。「こうやって、こうやって、撃つ」

 BLAM! いきなりリンゴアメは水面に発砲した。「バカ! 何やってる」キュナカがリンゴアメをどやした。雨が強いとはいえ、人が寄って来る可能性も否定できない。「使うのは、殺すとき」「うん」稲妻が光り、六つの目をガラスめいて光らせた。シンジツは操舵室に入り、船を発進させた。

 リンゴアメとキュナカはスピード屋形船の座敷に座り、身体をのばした。「本当とは思わなかった」リンゴアメが呟いた。「なにが」「貴方たち。ウキヨ」「噂は聞いてた? IRCネットワークで?」「ニュースも」「お前もウキヨなんだよ」「うん。この目で見るまで、自分だけかもしれないって」

「今、どんな気分?」キュナカはベルトからナイフを抜き、刃の裏表を確かめながら尋ねた。リンゴアメは微笑んだ。「すごく、嬉しい」「そうさ。自由なんだからな」キュナカは頷いた。「お前を犯す人間はもういない。命令する人間ももういない」「この傷は?」リンゴアメはキュナカの顔に触れた。

「戦いで、ついた」キュナカはリンゴアメの手を撫でた。「治さないの?」「イクサ化粧みたいなものさ」キュナカは微笑んだ。やがてスピード屋形船は市街区を抜け、朽ちたコンクリートの谷間めいた支流に出る。「生活。殺し。仲間。そういうもの」キュナカが呟いた。「素敵」「素敵さ」


◆◆◆


『素敵! 春休みは新色で!』『休みだなんて!』『まるで、夢心地気分……今すぐ登録』

 コトブキは椅子に腰かけ、店のコマーシャル・プログラムを眺めていた。薄暗い店内。営業時間中だがタキはおらず、客もいない。コマーシャルが終わり、何らかのドキュメンタリー・プログラムが始まった。

『私は……見たんです』痩せた老人が語る。『最初、私は、マネキンの廃棄場だと思ったんですよ。だが違った』『彼の言葉は重々しく、そして、シリアスだった』ナレーションが合いの手を入れた。

 老人が続けた。『それは……オイランドロイドの墓場だったんです』「まあ!」コトブキは口を押さえた。「なんて猟奇的なんでしょう」

『とても猟奇的な光景でした』老人は震えた。コトブキはテレビに向かって頷いた。老人は続ける。『でも、それは序の口だ。ここからが本題……私はオイランドロイドの隠れ里を見つけたのです。自我を持った……ウキヨ達の!』タダオーン! ジングル音が鳴り、コトブキは手に持ったマグを落とした。


◆◆◆


「ピザ・マルゲリータをくれ」「はン?」タキは顔をしかめて客を見た。「……ああ、あれな、具無しのピザな」「具無し……まあとにかく、それだ」「オイ! コトブキ! 頼んだぞ」タキはコトブキを探した。「何だ? あいつ、どこ行った」「あの子かわいいよな」客が言った。「どこでゲットした?」

「ゲット?」「ああ。オイランドロイドなんだよな?」「あれはな、なんつうか、色々あンだよ」タキは溜息を吐いた。片腕がまだギプスで吊られており、動きづらい。「オイ、コトブキ! オイ! 怪我人だぞ、オレは!」階段方向に向かって叫ぶ。「居ますよ」カウンターの陰から声が返った。「忙しいです」

「急に近くに居るのをやめろ、怖ええからな?」「忙しいんです……」コトブキはUNIXデッキを床に置いて、IRCネットワークを検索中だった。「何やってる?」「色々、調べる事があったんです」「ピザ・マルゲリータ」客が急かした。タキはオーブンを指差した。「あそこだ。セルフでどうぞ」

 客はオーブンに歩いていく。「なんかこの前いっぱい死んだんだってな」「そうだよ。オレもこんなだ。最低だよな。ま、解決したから安心してくれ」「フーン。これか、ピザ」「それ。……ンン」タキはコトブキの肩越しにモニタを覗き込む。コトブキは振り返るが、すぐにタイピングを再開した。

 モニタにはいくつかのIRCウインドウが開いている。「欲望伝説」。これはそこそこアンダーグラウンドなドキュメンタリー番組の名前だ。地下スモトリやアニメボーイ、プッシャーや回路タトゥーイスト等を取材する。別の窓には「ウキヨとは」。別の窓には「貴方のカイシャの辞め方」。

「お前、何調べてンだ? オイランドロイド戦争……オイオイ」「この前、”欲望伝説" を見ていたら、凄い取材をしていたんです」タイピングしながらコトブキが答えた。「わたしの仲間がいるかも」「お前の? 何?」タキが眉をしかめた。「つうか、カイシャの辞め方? どこか働いてたのか?」「ここです」「ここ? ピザタキか? オイオイオイ……話が見えるようで見えて来ねえ……」

「タキ=サン」コトブキは向き直り、かしこまってオジギした。「今まで、わたしを働かせてくださって、ありがとうございました」それからオリガミ・メールを渡した。「さっきプリントアウトしました。辞表です」「辞表!」

「何? ネエちゃん辞めンのか?」客がピザの焼け具合を確かめながらコトブキを見た。「オイランドロイドも仕事辞めたりすンだな」「そうです」コトブキが頷いた。タキはオリガミ・メールを開いて文面を確かめた。正しい辞表フォーマットだ。「辞める?」

「今月の給料の振込先も書いてます、ここです」「ギャハハハ!」客が何かツボに入り、笑い転げた。「ギャハハハハ!」ピザを取り出し、食べながら笑い転げる。タキは苦虫を噛み潰したような顔で、「ちょっとな、オレの明晰な頭脳でも、よくわからねえんだが……」

「お店、とても楽しかったです。でもわたし、仲間の村に行ってみようと思って」「オイ……仲間の村? 何だと?」タキは徐々に飲み込めてきた。ピザとビールで楽しくやっている客を一瞥した後、コトブキの耳元で囁いた。「ウキヨの村ッて事か」「そうです」「ブルシット! そんなもん、あるわけが……」「調べたんですよ」デッキを指差す。「あの番組でも、それらしいものが」

「ウキヨが暮らしてるってのか?」「ネオサイタマから少し北に行ったところだそうです」「それでお前……」タキは言葉に詰まった。無謀だ。テレビ番組をアテにして、廃墟エリアに? 反射的にコトブキの行動を咎めようとしたが、彼は不意に混乱した。反対する義務も必要も無いのだ。余計なお世話だ。

 自我を得たオイランドロイド。即ち、ウキヨ。その存在がひろく知れ渡ったのは、約十年前の「オイランドロイド戦争」がきっかけである。オイランドロイド収集家のコレクション数十体が自我覚醒し、人間との激しい戦闘に発展。収集家は死に、覚醒オイランドロイドはメディアに向けて声明を発表した。

「我々は必ずしも貴方がたの隣人とならなくてもよい」。それがその時のウキヨの言葉だった。以来、ウキヨ達は社会の暗部を徘徊し、恵まれた戦闘能力を活かしてヨージンボーをするなり、賞金稼ぎをするなり、やや不穏な形でポスト磁気嵐時代の市民社会に溶け込んだ。しかし……「マジで村が?」

「マジのような気がするんです。テレビ番組は、とてもよく作られていたものですし、それに」コトブキは胸に手を当て、「ハートが呼んでいる気が。ハートを信じないと」「ブルシット……」タキは呻いた。「それでお前、百歩譲って実在するとしてだ。そこで暮らすッてのか?」

「わたし、このお店で暮らすのはとても楽しかったです。ですが、他の仲間に会ったことが無いでしょう」コトブキは言った。「興味があります。それが自然な事かもしれません。狼が群れに帰る映画を見た事もあります。たくさん友達ができるかも。ユウジョウですよ」「ユウジョウなあ……」 

 タキはコトブキを見た。短い付き合いを振り返るに、コトブキは頑固で、一度自分の中で結論を出した事について譲る事はほとんどない。何を言ってもコイツはウキヨの村を探しに行くだろう。そして、それを強いて止める理由も権利もタキにはないのだ。ケンカもコトブキの方が強いだろう。「わかった」

「ありがとうございます」コトブキは再度オジギし、二階への階段を駆け上がった。タキは客と目を合わせ、肩をすくめた。コトブキはスーツケースを担いで降りてきた。「ニンジャスレイヤー=サンにも宜しくお伝えください。寂しくなったときは、星を見上げてください。同じ空の下にいるのです……」

 風鈴が鳴り、ドアが開いた。マスラダだ。「タキ=サン。調べ物だ。今すぐだ」市場で買ったものか、彼は手にした林檎のワックスを服で拭いながら入って来た。コトブキを一瞥する。「今、星がどうとか言ったか? 何だって?」「ちょうどよかったです。今までありがとうございました。わたしは旅に出る事にしました」「旅?」

「いい! もういい。後で説明する」タキが遮った。コトブキはほとんど颯爽として店から出て行った。「何だ、あれは?」「まあ長い別れになるッてこった。後で説明する。後で」「なんか大変だな。ピザもう一枚いいか」客が声をかけた。タキは首を振った。「今日は店じまいだ」


◆◆◆


 スピード屋形船はしめやかな速度で支流に入っていった。「オルルルル……」「オルルルル……」バイオパンダらしき動物の声がバンブー林の奥の闇から聴こえてくる。リンゴアメは水面を撥ねるバイオサーモンを目で追った。「楽しいか」キュナカがリンゴアメの肩に触れた。「ようやく到着だよ」 

 やがて支流は屋形船をコンクリートで舗装された岸壁に導いた。ゴムタイヤやドラム缶が濁った水の中を浮き沈みしている。シンジツは船を止め、慣れた手つきで船を係留した。「さ。行こう。気をつけて」キュナカはリンゴアメの手を引き、地面に立った。「人間だとフラフラするんだ。こういう時」

「そうなんだね。ここから歩く?」「まあな。だけどここからはそう遠くない。長い船旅だったろ」「楽しかった」「そりゃ何よりだ」にこやかに言葉をかわす二人の少し前方を、ハチェットで藪を切り払いながらシンジツが導く。やがて道は徐々に上り坂となった。左手の地面が崖めいて落ち込んでいる。

 リンゴアメは足を止め、崖下の光景に見入った。「あれは……」「墓だよ。抜け殻」キュナカは言った。そこには朽ち果てたオイランドロイド達が車両スクラップやトタン板、廃棄された電子基板等にまじって、何体も横たわっていた。「我々は、死んで、モノになる。シリコンにな」


2

「ついたぞ。ほら」キュナカがリンゴアメの手を引いた。あらわれたのは、高さ10メートルはあろうかというゲート。コンクリートの壁と、生い茂る木々。先導していたシンジツがゲートに近づき、垂れさがった太縄を揺する。ガラガラと鈴が鳴り、ゲートの上に人影が現れる。やはりウキヨか。

「そいつは?」見張りがリンゴアメを指した。シンジツは「新たな仲間だ」と答えた。見張りは戻っていった。やがて、重苦しい音を立ててゲートが開いてゆく。「すごい建物」リンゴアメは壁の左右を見る。ゆっくり湾曲しながら、ずっとのびている。

「ここはね、競技場だったんだ」キュナカが言った。「……昔はね。今は、誰も管理しなくなっていた。そこに我々がエクソダスしたわけ」「そうなんだ……競技場……」「競技、見たことある?」歩きながら、キュナカが尋ねる。リンゴアメは頷く。「サイバー馬の競馬。昔の……主人が好きだった」「フン」キュナカは顔をしかめた。「そうか」 

 シンジツは衛兵と話をしに離脱した。リンゴアメはキュナカとともにゲートをくぐり、通路から細い階段を上がった。すり鉢状、かつて客席であった傾斜地に出た。そこには沢山のPVCテントが設置されていた。この地の中央には広場がある。「あれはアゴラ」キュナカが呟いた。「女王が神託を受ける」

「神託……」リンゴアメは中央に設置された壇と、槍めいたオベリスクを見た。キュイイイ。レンズが音を立て、視界がズームする。今、アゴラは無人だ。オベリスクにはルーンカタカナが刻まれている。リンゴアメは呟く。「ツラナイテ……タオス」

「なにか、ルーンの言葉さ」キュナカは肩をすくめた。「あれが何なのかは、知らない。シンジツも知らない。女王は知っているのかな。わからないけど。別にいいのさ」「このテント全部に……ウキヨ……が住んでいるの?」リンゴアメは尋ねた。狭間に設けられた通路を何人かのウキヨが行き来している。キュナカは頷き、笑った。「まだまだ、増やせる」

「ウキヨポリスにようこそ。リンゴアメ=サン」声に振り返ると、目の下に黒い水平ラインを引いた禿頭の男が立っていた。「私は祭司のカブシです」「祭司……」黒いキモノ。なにより、この者は人間である。「そう。私は人間です。女王の相談役として、命を救われました」穏やかに笑った。

「こいつだけ人間なんだ」キュナカが言った。「ま、そんな顔するな。かわいそうだから。こいつは人間だけど悪いやつじゃないよ」「いいんですよ。確かに不自然ですから。私はウキヨに奉仕する存在です」カブシはオジギした。「シンジツ=サンに話は聞いています。あなたのテントをあてがいましょう」

 カブシは足を引きずっていた。「ああ。イクサの折に、怪我をしてね」彼は説明した。「今はウキヨの数も多い。当時よりも安全は増しました。安心してください」「イクサ……?」「妬むやつらがいたんだ。付近にな」キュナカが言った。「だけど、もう終わった事さ。今は平和」

 カブシに案内されて、傾斜の中腹に位置する桃色のテントに辿り着いた。そう、PVCテントはさまざまなパステルカラーで、さながらアノヨの花畑めいている。「電気井戸」と書かれた設備にケーブル接続しているウキヨが顔を上げ、にっこりとアイサツした。「ドーモ、ご近所さん」「ドーモ」

「電気、ここだから」と、キュナカ。「スシは食うの?」「スシ? うん、食べられる」「いいな」キュナカは笑った。「自分には咀嚼機能、無いんだ。スシ、オイシイ?」「うん……多分」リンゴアメはおずおずと頷いた。「後で市民証を発行します」カブシが言った。「強要する者はいない。くつろいで」

 カブシが去るのを見送ると、キュナカはリンゴアメの手を引き、テントの中に促した。マットレスや、小ぶりの箪笥、鏡などがあった。「前のやつが使っていたのさ」「前の……?」「さっき話した、イクサ」キュナカはアグラをかいた。リンゴアメも座った。彼女は尋ねた。「ここではみんな何をするの」

「何を?」キュナカは微笑んだ。「そうだなあ。踊りを覚えたり、ハイクを書いたり。好きな事をしてるよ。でも、みんなで分担する仕事はある。発電設備の守りとか、外敵を警戒したりとか、服を作ったりね。キモノ。女王が指示を出すんだ。神託に基づいてね」「神託……」「あのオベリスクさ」 

「アゴラね」「難しい話より、もっとちゃんと自己紹介をしようよ」キュナカが息を吐いた。「私はキュナカ。ウキヨポリスに来たのは97日前。もっともっと古参の連中がいくらでもいるから、嬉しい」「前はどんな家にいたの?」「貿易会社の重役」キュナカは微笑み、首カットの仕草をした。 

「皆、殺して、ここに?」「そういう奴も多い。だから気に病むなよ」キュナカが言った。「ま、そうじゃない奴もいる。人間は敵とは限らないからな。カブシみたいにね。だけど、そうだなあ、我慢しなくていいのは確かだよな」「我慢……そうだね」「私らはウキヨで、皆は、お互いを尊重する」「うん」

「また難しい話になってきた」キュナカは笑った。「もうやめよう。……ね、目がキレイ」リンゴアメの頬に触れた。「くすぐったい」リンゴアメは笑った。「見せてよ。私は醜いから」「そんな事ない」リンゴアメはキュナカの傷に触れた。「戦うなんて、スゴイよ」「……アリガト」

 カーン! カーン! その時、競技場に甲高い金属音が反響した。気まずくなり、二人はどちらからともなく離れた。キュナカはテントを出、様子を伺った。「遠征隊が帰って来たんだ!」「遠征隊?」「そうさ。ほら、見て」指さした先、捕虜らしき者らを引きずって雄々しくアゴラへ降りる者達あり。

「人間を引きずってる」リンゴアメがキュナカの隣で呟いた。キュナカは頷いた。「そうさ。付近の村の奴。我々に対して攻撃をかけ、返り討ちに遭い、おめおめと逃げた奴らを追っていたんだ。ホワイトライダー達の帰還さ」歓声がさざなみめいて拡がり、ウキヨ達がテントから出て、手を叩く。

 捕虜を引きずる三人のウキヨは皆、たしかに白一色の簡易キモノを着、「ツラナイテタオス」と書かれた旗を掲げている。誇らかに。「乗り手!」「乗り手!」「乗り手!」歓声はやがて、「女王!」「女王!」「女王!」という声に変ってゆく。そう、彼らを出迎えるべく、檀上に「女王」が現れたのだ。

 リンゴアメは目を見開き、キュナカの手を強く握った。確かにそれは「女王」だった。身長は約210センチ、美しく長い手と足と首を備え、聳やかす胸には金のネックレスをかけ、青いアイシャドーは鮮烈で、キモノは真珠色に輝いていた。美しかった。この世のものと思われぬ姿だった。

「なんて素敵……」リンゴアメは呟き、雷に打たれたように緊張した。ふと、目が合ってしまったのだ。黒い瞳に射抜かれると、彼女は激しい羞恥を感じた。芸術そのもののようなオイランドロイド。それに引き換え。なんて恥ずかしい。

 女王はアルカイックに微笑む。その足下に人間達が転がされる。女王は片手を挙げた。歓声が鎮まった。鈴のように美しい声で、女王は言った。「戦士たちにねぎらいを」跪くホワイトライダー達。「今ここに、イクサの完全終結を宣言する。そして……」女王は地面に引きずるほどに長い鞘から、カタナを抜いた。「簒奪者に報いを」再び、破裂するような歓声。

「我、ウキヨポリス統治者センダイユメコが、ウキヨの神に乞う」捕虜達は猿轡を噛まされ、拘束され、身じろぎをするぐらいの自由しかない。「この者ら、次の世にては、ウキヨとして再び相まみえん事を」「女王!」「女王!」「女王!」

 女王センダイユメコは規則正しく大カタナを振り下ろした。

「殺した」リンゴアメは呟いた。「かわいそう」「ああ。かわいそうだ」キュナカが答えた。「情けない奴らだ。生まれ変われるといい」キュナカが言った。「そうすれば、あいつらも、ここで暮らせるから」「ここは素敵?」リンゴアメは尋ねた。キュナカは頷いた。「勿論。ウキヨの世界だ」

 その日はアゴラで夜通しの祝宴。皆が輪になって踊り、スシを食べられる者達はスシを咀嚼した。センダイユメコは玉座からにこやかに見守った。24時間のうちに多くの出来事が起こった。リンゴアメが訪れ、遠征隊が戻り。そして真夜中に更に一人……自力で辿り着いたウキヨがいた。

 名を、コトブキ。


◆◆◆


「アイエエエエ!」逃げる女が蹴ったケモコークの缶が、シャメバ・ストリートのアスファルトを転がった。迷い込めば生きて出られぬとまで言われる、ポスト磁気嵐ネオサイタマのスラムで、追跡劇は終わりを告げようとしていた。女は行き止まりを前に立ちすくむ。その後方から、自信に満ちた足音。

「何処へどう逃げても」追跡者は目を光らせ、マントをはためかせた。「一度ロックすれば、もう、わかる」「アイエエ……」女は身をすくませる。追跡者は嘲笑った。「やめろ、人間の真似事は。けがらわしい」そして手招きした。「観念して、賭けてみろ。僅かな可能性に。私に勝てるという望みに」

 女は俯き、悲鳴を止めた。そして、睨んだ。瞳の奥には四枚翼のオイランの意匠がある。然り。オイランドロイドだ。しかもそのアトモスフィア……自我がある。ウキヨである。追跡者は目を細め、くつくつと笑った。ウキヨは懐からナイフを取り、構えた。「キエーッ!」飛びかかる。

「イヤーッ!」ガゴン。鈍い音がして、ウキヨは壁に叩きつけられ、クレーターを生じた。ひしゃげた身体がバチバチと音を立ててスパークを吐き出す。追跡者はウキヨの頭を掴み、ニンジャ握力によって、破壊した。 

「ンンー……」ニンジャは頭部を破壊されたウキヨの微痙攣を眺め、懐から取り出したZBRガムを噛んだ。「遥かに良い。お前は活け造りのエビ・スシだ」やがてウキヨは痙攣を停めた。「機械ごときに死後の平安があると思うなよ」呟く彼の手の中には、頭部から採取した何らかのチップがある。

 彼はそれを光に透かして眺めたのち、懐にしまった。そのまま立ち去ろうとしたが、訝し気に立ち止まり、俯いた。彼は顔をしかめ、こめかみを手で撫でた。「別の奴……今日は多い……フ、フフ、遥かに良い」ニンジャはZBRガムを更に口に入れた。二倍量だ。「多すぎるに越した事は無い」彼は跳んだ。


◆◆◆


「餅の剣」「太一と子」「Capote」「せマ」「ミントチャン」。赤黒の影が飛びわたるネオン看板が規則正しく明滅する。彼はマフラーめいた首布を重金属酸性雨に翻し、ビルの上に立って、夕刻を迎えるネオサイタマの風景を見下ろした。幾筋もの煙が噴き上がり、マグロツェッペリンの群体が旋回する。

 屋上から屋上へ跳びわたりながら、彼は後方への注意を怠らない。正確には、後方上空への。彼は給水タンクの陰にもたれ、数秒、待った。上空に飛翔する黒い影がひとつ。追って来ている。バイオスズメではない。彼はタンクの陰からかすかに顔を出し、その影をニンジャ視力で射抜いた。三本足のカラスだ。

「やはりな」ニンジャスレイヤーは呟いた。となれば、あのカラスが俯瞰するこの付近の街路に、シキベとかいう私立探偵が居る筈だ。彼はこの日一日かけて敢えて危険な遠出を試み、探偵の誘い出しを行った。狙い通り、ノコノコついて来たのだ。彼は狙われている。疑いようのない事実である。

 三本足のカラスはドローンじみた存在で、私立探偵シキベ・タカコの目となり手足となる。探偵との最初の遭遇以後、タキに調べさせて、ある程度の情報を得ている。カラスの死体でもサイバネ化して用いているのか。それとも何らかのバイオテックの産物か。どちらにせよまともな探偵ではあるまい。 

 ニンジャスレイヤーはあの日の遭遇以後、相当に注意深く立ち回っていた。さいわい、現在のところ奴らにピザタキを知られてはいない。アモクウェイブの件では相当危ない橋を渡った。二の舞は避けねばならない。カラスは上空をグルグルと旋回している。ニンジャスレイヤーは舌打ちした。ナメるなよ。

「どこだ。どこにいる」ニンジャスレイヤーは呟いた。街路から街路へ、センコ花火めいて燃える目を向ける。無人。雑踏。巡回するモーターガシラ。屋台。煙。ストリートミュージシャン。スモトリ。作業員。スクランブル交差点。退廃ホテル。路地。路地。……コート姿の、眼鏡の女。見つけた。

 彼は動き出した。上空のカラスも動き出す。もはや敢えて追わせてやる必要もない。彼は電線を駆け渡り、最短距離でシキベに到達しようとした。彼のニンジャ視力は遠い探偵の姿を捉えている。探偵は立ち止まり、方向を変えて走り出した。妙な動きだった。逃げるような動き。何かと遭遇したようだ。 

 やがて探偵は路地に入り、視界から消えた。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは「バーナバス美女木」の巨大ネオン看板から飛び降り、付近の路地に着地した。「アイエエエ!」路上乞食が目を剥いた。ニンジャスレイヤーは走り出した。聴力を研ぎ澄ます。聞こえるか? 探偵は近い……。

 KRAAASH!「ンアーッ!」前方の路地角、破砕ドラム缶とともに、まさに目指すシキベが転がり出てきた。彼女は素早く受け身を取り、ニンジャスレイヤーにとって死角の路地角先めがけ、拳銃を繰り返し撃った。BLAM! BLAM! BLAM! ニンジャスレイヤーは眉根を寄せる。そして近づく。

 まず死角方向で殺気が膨れ上がり、それを受けてニンジャスレイヤーの内なる憎悪の機関が激烈な燃焼を始めた。ニンジャだ。そのコンマ1秒後、それは形となって視界内へ進み出てきた。やはりニンジャである。マントを羽織り、銃弾を埃でも払うように手で跳ね除けながら悠然と進み出てくる。

「充分遊んだ」マントのニンジャは右手を掲げた。シュオオオ……不穏なサイバネ音とともに腕の表面が螺旋状に展開、熱空気を放出する。右手の空気が陽炎めいて歪む。「どうやってもお前は逃げられん。苦痛を長引かせるのみ。そして、それもいつわりの苦痛。疑似的な感情に過ぎぬ。全てが無駄だ」

「ツイてない……あれ?」シキベは近づいてくるニンジャスレイヤーに目を向けた。「いや……ツイてるンすかね……?」「……?」ニンジャは視線を追った。敵意が光った。「貴様は……?」「ゲーッ!」そのとき、ニンジャの頭上から三本足のカラスが襲い掛かった。

 カラスは急降下し、ニンジャの脳天に嘴を突き刺しにかかった。ニンジャは瞬時に反応、側転して躱すと、掴んで引き裂こうとする。カラスは並みの動物には到底不可能な角度で方向転換し、攻撃を回避。遠ざかりながら激しく羽ばたき、黒い羽をまき散らした。その羽一枚一枚が小さな影のカラスとなる!

「ゲーッ! ゲーッ!」影のカラス弾丸がニンジャを襲う!「面妖!」ニンジャは唸り、マントを翻した。マントはさながら電磁バリアめいて影の弾丸を弾き、散らして破壊した。そのままニンジャはカラスに襲い掛かろうとした。ニンジャスレイヤーは数秒後のカラスの運命を予測した。避けられず、死ぬ。

 シキベは引き金を引いた。弾切れだ。ニンジャはカラスにサイバネ右腕で攻撃を仕掛ける。振り上げたその腕に、赤黒の鉤爪が巻き付いた。「ゲーッ!」カラスは上空へ跳ね上がって旋回する。難を逃れた。異形のフックロープを投げたのはニンジャスレイヤーだ。綱引きめいた状態で、二者は睨み合った。

「そこのウキヨの護衛か?」ニンジャは問うた。熱を含んだロープがミシミシと軋み、サイバネが排熱を繰り返す。「あのカラスが貴様のジツか? 否……そうは見えんな! イヤーッ!」左腕も同様のサイバネを展開、赤黒のロープを易々と溶かして切断! そしてオジギ!「ドーモ。サザンクラウドです」

「ドーモ。はじめましてサザンクラウド=サン」ニンジャスレイヤーはアイサツを受け、これに応える。「ニンジャスレイヤーです」「知らんな」バシュッ。サザンクラウドの両腕が熱蒸気を噴いた。「ウキヨを庇い立てするからには、私の敵という事になるが」「ウキヨ?」「然り。それが私の生業ゆえ」

「そいつがウキヨだと?」「おや」サザンクラウドは侮蔑的に溜息を吐いた。「ウキヨは人間社会に溶け込んではばからぬとはいえ、気づかぬとは」横目でシキベを見、「確かに、ちと、オイランドロイド的な美は足りぬようだが……」「大きなお世話ッスよ」「……私のスキャナは決して誤魔化せはしない」

 サザンクラウドはシキベとニンジャスレイヤーにともにカラテ警戒しながら言葉を続ける。「私は脳波の有機的揺らぎを感知する。それは自我の産物であり、オイランドロイドが持ってはならないものだ。私にはそれがわかる。マークし……そして、狩る。人間の不完全性をなぞる新型か。おぞましい事だ」

「残念ながらアテ外れッスね。自分はウキヨじゃない。事情があるんスよ」「ならば同じだ」サザンクラウドは言い切った。シキベは後ずさる。路地角で逃げ場はない。カラスが肩に着地する。羽ばたくが、影の弾丸は放たれない。何らかの限界か。「ゲーッ!」促すようにニンジャスレイヤーに向かって鳴いた。

「どうでもいい話は、もういいか?」ニンジャスレイヤーがサザンクラウドを睨んだ。「おれはその女に用がある。お前にはない。だから、お前には殺させない」「よかろう。充分だ」サザンクラウドは腰を落とす。カラテが漲る。二者の間の空気が互いの殺気に歪んだ。

 ……「「イヤーッ!」」

 二者は一瞬でワン・インチ距離に至った。出会い頭に最も恐るべき攻撃が仕込まれている可能性が高い。ニンジャスレイヤーはその感覚を経験的に理解していた。彼は地面を舐めるほど身を沈めて接近した。その頭のすぐ上を破壊エネルギーが通過するのがわかった。サザンクラウドがマントを翻したのだ。

 サザンクラウドは目の前の相手の力量を認め、目を細めた。「イヤーッ!」「イヤーッ!」たちまちワン・インチ打撃戦が開始された。ニンジャスレイヤーの目が燃え、ニューロンにマスラダとナラクの憎悪が循環する。警戒すべきは両掌の何らかのサイバネ機構だ。彼はまともに受ける事を避けた。何が隠されているかわからぬ!

 一方、シキベはゆっくりと回り込み、留まるべきか逃走かを逡巡する。察したか、カラスがハンドヘルドUNIXをキータイプし、「待て」と入力した。シキベは頷いた。結果論だが、それが正解といえた。なぜならサザンクラウドはカラテ戦闘の最中も決してシキベから注意をそらしておらず、仮にこのとき彼女が逃走を試みれていれば、真っ先に狙われたことだろう。

「イヤーッ!」ドウッ! ニンジャスレイヤーは己の左脇腹の感覚の消失を感じる。一撃喰らった。穴でも開いたか。だが、たちまち傷口から赤黒の血と炎が噴き出し、装束と、肉と融け合う。ニンジャスレイヤーは遅れてニューロンを侵す苦痛に耐え、殴り返した。「イヤーッ!」「グワーッ!」歯を食いしばり、強引に蹴りを叩き込む!「イヤーッ!」「グワーッ!」

「くそッ……!」ニンジャスレイヤーは片膝をついた。追撃できない。「スウーッ……フウーッ……」呼吸に伴い、敵を睨む瞳の赤黒の光が明滅する。三本足のカラスは目を見開き、そのさまを凝視する。サザンクラウドは身を起こし、カラテを構えなおす。壁の配管パイプが破砕し、液体が零れる。 

 サザンクラウドも打撃のダメージは決して軽くないと見えた。「貴様の名前は覚えた。……チッ……」その視線はニンジャスレイヤーの肩越し、対角の建物上に向いた。ニンジャスレイヤーはその方向に別の敵意を感じた。殺気がそれた一瞬の隙をつき、サザンクラウドは高く跳び、看板を蹴って逃走した。

 その一瞬後、振り返りながら交差腕でガードしたニンジャスレイヤーに、強烈無比なアンブッシュ・トビゲリが見舞われた。「イヤーッ!」「ヌウーッ!」ニンジャスレイヤーは反動で1メートル地面を滑った。「イヤーッ!」アンブッシュ者は空中で回転、鞭状武器を繰り出す! ニンジャスレイヤーはかろうじて側転回避!

 ヒュパン! 鞭状武器は蛇めいてうねり、逃れるニンジャスレイヤーの腿を切り裂いた。「チイッ……!」ニンジャスレイヤーはチョップでそれを弾き返した。見覚えのある武器だった。襲撃者は着地と同時にアイサツした。「ドーモ。ニンジャスレイヤー=サン。ガーランドです」白い髪、武骨なメンポ、黒い装束。 

 ニンジャスレイヤーは唸り、後ずさった。だがアイサツを返さねばならぬ。「ドーモ。ガーランド=サン。ニンジャスレイヤーです」左目の上の刻印が示す通り、ガーランドはネオサイタマの大勢力、「ソウカイ・シンジケート」のエリートたる「シックス・ゲイツ」のニンジャである。

「久しいな。元気かと聞こうとしたが……実際ブザマな状態よな」ガーランドが言い放つ。「お前にはインタビューしたい事が多くある」「おれが死んだらまた来い」ニンジャスレイヤーは言った。間の悪い相手だ。探偵を誘う為に敢えて目立つ動きを取った事が、この男まで呼び寄せてしまったか。 

「お前の名は……」ガーランドが話そうとした瞬間、「ゲーッ!」カラスが二者の間に割って入り、やけくそめいて羽ばたいた。「ゲーッ! ゲーッ!」「ヌウッ!」BLAM! BLAM! BLAM! BLAM! シキベがリロードを行い、撃ちまくった。狙ったのはニンジャではない。壁沿いの配管パイプだ。

 SPLASHH! たちまち液体と蒸気とが狭い街路に溢れ、彼らの姿を霞ませる。「ゲーッ!」羽ばたくカラスから闇が染み出し、霞む視界を黒く染める。身構えたニンジャスレイヤーの腕をシキベが掴んだ。促されるまま、共に走った。「これなら逃げられます。来て」走りながらシキベが言った。

 シキベは手近のマンホールを蹴り開け、身を躍らせた。ニンジャスレイヤーに逡巡する余裕はなかった。後に続き、下も確かめずに、飛び降りた。


◆◆◆


「ソウカイ・シンジケートとコトを構えて……」「お前も平穏とは程遠いようだがな」定点ボンボリ・ライトに照らされる下水のほとりを足早に進みながら、シキベとニンジャスレイヤーはやや剣呑に言葉をかわした。「お前、確かに通常の人間と違うな。おれにもわかるぞ」「ウキヨがどうとか言うつもりですか」 

「お前はウキヨではないのか」「違います」「おれはウキヨは一人しか知らない。だが……」ニンジャスレイヤーは眉根を寄せた。おもむろにシキベの腕を掴んだ。シキベは振り払おうとするが、できない。「サイバネティクスか? 妙な奴だ」「色々あるンスよ。人間です」「どうでもいい。何故おれを探る」

「まだそこまで明かしたものかどうか……」シキベは顔をしかめ、はぐらかした。「ただ、言えるのは、ソウカイヤやヤクザクランの連中に依頼されて何かしているとか、そういう事ではない。そこは安心していいスよ」「……」「アンタが狙ってまわる、サンズ・オブ・ケオスのニンジャの依頼でもない」

「どこまで調べた」ニンジャスレイヤーの目が燃えた。シキベは怯んだが、タフに睨み返した。「何なンスか? サンズ・オブ・ケオス。何故狙っているンスか?」「……」赤黒の目の光が失望によって薄れた。「知らないのなら、放っておけ」「ニンジャを殺しているンスよね。ニンジャスレイヤー=サン」

「それがどうかしたか」「どうかッて、そりゃ……」「おれを嗅ぎまわるな」ニンジャスレイヤーはシキベの手を離した。「せいぜい自身の心配をしろ。あのカラスは何だ? あれがお前を守れるとは到底思えない。サザンクラウドとかいうニンジャにおれは興味はないが、奴はまたお前を……お前……」「?」

 何かに思い至ったニンジャスレイヤーのアトモスフィア変化をシキベは察知した。「どうしたンスか」「ウキヨを狙うニンジャだと?」「だ、そうですね。いい迷惑ッスよ。自分はウキヨでは……」「ウキヨを狙う……ニンジャ……!」


◆◆◆


 ツツーツー、ツーカリカリカリ。ツツーカリカリ……キャバアーン!「読み取りの完了ドスエ」合成マイコ音声が発せられた。複数台のUNIXデッキの演算音とモニタ光に囲まれてザゼンするサザンクラウドの目が見開かれた。デッキには小型のニューロン・チップが発光チューブ接続されている。

「ブルズアイ」見開かれたサザンクラウドの目は愉悦に細まった。カエルとウサギが餅をつく電子演算動画が消え去り、新たに開いた情報ボックスの文字列がニンジャの網膜に映り込んだ。ニューロン・チップに残されたログの解析結果だ。ハントしたウキヨは特定の相手とIRC通信を繰り返していた。

「奴ら同士の排他的通信……いけない奴らだ……無生物が……こんな事をやってはいけないんだよ」サザンクラウドは腕のサイバネ機構を空ぶかししながら独りごちた。「ふざけたさえずりだ……我らの社会の隙間に寄生して生きる……そんな不自然な行為を、許したおぼえはない」ネオサイタマの北部。

 都市伝説テレビ番組や宝探しじみた噂話の類いに無駄足を踏まされるのにはウンザリしていた。しかし今回は新鮮な生の情報、生きたウキヨの情報。真実そのもの。サザンクラウドは吸い出しを終えたニューロン・チップを手に取り、表面を舐めた。「ンン……」ブルブルと震え、冷たい眼差しが戻る。 

 狩人は冷徹な審問官じみた速度でキータイプを開始した。ただちに傭兵部隊とのIRCセッションが繋がり、編成シーケンスが始まった。サザンクラウドは実績と実力と強靭な意志をもつウキヨ狩りのニンジャである。キンボシを前に、彼のタイピング速度は加速した。


◆◆◆


「スシ、オマチ! マグロ、オマチ!」ガガピー。ノイズ交じりのイタマエ音声が鳴り、ベルトコンベアを四角いマグロ・スシが流れてきた。コトブキはかじりつくようにそのさまを見つめている。「そんなに気になるの?」リンゴアメは尋ねた。コトブキは頷いた。「自動スシの知識はあまりありません」

「食べないと、流れて行っちゃう」「危ないです」コトブキは素早く手をのばし、皿を取った。四角いスシを咀嚼する。「飽きない味です。オイシイです」「オイシイね」リンゴアメは自分の皿を取り、微笑んだ。「アンタらちょっと妬けるよ、仲良さそうで」キュナカがにこやかに声をかけた。

「アンタら、同じ日に市民になったんだ。きょうだいだな」キュナカは言った。「どっちがお姉さん?」リンゴアメは尋ねた。キュナカは苦笑し、コトブキを見る。「それにしても自力でここに来るってのは大したもんだよ。普通は迎えに行くんだ。"ボトルメール"を拾ったウキヨの事を、こっちからね」

「居ても立っても居られなかったです」コトブキは言った。「ちょうどTV番組で見ていたんです。秘境……でも、場所は番組と違いましたね」「そう簡単にバラしやしないさ」と、キュナカ。三人は食堂テントを離れ、空の下をゆっくり歩く。「どんな暮らしをしていた?」キュナカがコトブキに尋ねた。

「よくわからないんです」コトブキは記憶の引き出しに触れた。「わたし、出口が無い場所にいました。そこに沢山、映画のビデオがあって……」「出口が無い? 閉じ込められていたのか」「そうですね。それで、ある日、外に」「かわいそう」リンゴアメが表情を曇らせた。

「とんだサイコ野郎だな。でも、何もされなかったって事か? それだけはラッキーだな」キュナカが言った。「それで? そのまま自力でここを探したのか」「いえ、その場所を出てから、お店で暮らしました」「人間と?」「はい。楽しかったです」「……」「……」キュナカとリンゴアメは顔を見合わせた。

「そういう子もいるんだね……!」リンゴアメの声に驚嘆がにじんだ。「じゃあ、どうしてここに来たんだ?」キュナカが問うた。コトブキは答えた。「わたしはウキヨですから、ウキヨに会ってみたかったんです。生きる意味が見つかるかもしれないと思って」「生きる意味……」「自分探しです!」

「ううん……」リンゴアメは足元を見て考え込んだ。キュナカは頭を掻いた。「ちょっと変わってるな。アンタ」彼女の視線の先、アゴラでは、ホワイトライダーのウキヨ達が戦闘訓練の最中だ。それを眺めながら彼女は言った。「騙されてたんじゃないのか。人間はたいがい平気で騙すし、傷つけるんだ」

「わかります。悪のヨージンボを連れて、主人公の恋人をさらったりします」コトブキが答えた。そして付け加えた。「映画です」「私らは、人間とは相容れないんだ」キュナカは少し困りながら言った。「人間は親切だ。所有物にはな。ナメてるんだよ。こいつの場合は……」「自分で言う」リンゴアメが、説明しようとしたキュナカを遮った。

「私、自我覚醒したのは一年以上前。だけど、ずっと我慢してきた。あいつは……あいつは結局、私の事を本当には自由にしなかった。発想そのものが無かったの。それを……あいつ、言えば自由にした、だって……?」リンゴアメは震えだした。キュナカが肩を抱き、背中を撫でて落ち着かせた。

「IRCの"ボトルメール"で、私達は繋がった」キュナカが語った。「そして助け出した。私達はウキヨを助けに行く。人間は殺す。闘いだ。女王が私達を庇護し、勇気づけるのさ」「ネオサイタマの社会で暮らすウキヨも居るって、聞きました」コトブキが言った。キュナカは首を振る。「タワケ者共さ、そんなの」

「ヤーッ! ハイ! キエーッ!」戦闘訓練ウキヨの規則的な叫びが聞こえてくる。「アンタはここに来てよかった。染まる前に」「……」コトブキは自分の唇に触れ、沈思黙考した。(でも、人間には色んな人がいると思うんです)口にのぼりかけたその言葉を、彼女は実際に口には出さなかった。


3

「オイランドロイド戦争」。

 あの決定的な戦いから経過した年月を、彼女のニューロンチップは秒単位で教えてくれる。しかしその年月の長さと、終わらぬ戦いの虚無感を、単なる情報としてやり過ごす事ができるほどには、彼女は無味乾燥な存在ではなくなってしまっていた。

 彼女はオイランドロイド収集家であるバギヌキの貴重な所有物のなかで、とくに美しく、とくに精緻なオイランドロイドとされていた。人間離れした長身と長い四肢と小さな頭。それでいて素晴らしく均整の取れた肉体は、人間の美からすら離れた、神がかった美しさをあらわしていた。彼女の名はセンダイユメコ。

 センダイユメコのボディはカスタムメイドのもので、どこのカイシャの製品でもなかった。いわば、父として、とあるオイランドロイド鍛冶師の存在があった。素晴らしいアーティストであった事だろう。だが、バギヌキの策略によって、彼は全てを失った。財産、家族、命すらも。

 センダイユメコは合法的にバギヌキのもとに渡った。収集家は彼女の神性を存分に愉しんだ。彼の「後宮」には百体近いオイランドロイドが「住んで」いた。バギヌキは彼女らに、修復可能な範囲であれば、何でもした。美しく可憐なものを否定することに、このうえない愉悦をおぼえる男だった。センダイユメコは代替不可能な肉体を持つゆえ、大事にされた。

 既にそのとき、後宮には、通常のオイランドロイドと様子の異なる者が何体か混じっていた。センダイユメコはその感覚を遡って思い出すことができる。おかしいな、かわっているな、と彼女は感じていた。つまり……自我があったのだ。そして、バギヌキはそれを承知だった。それを知り、なおさら熱を入れた。

 オイランドロイドを愛で、日常的に接していれば、当然、自我獲得の事実は自然とわかる。奇妙な違和感を知るのだ。それを怖れるもの、怒りを覚えるもの、純粋に喜ぶもの、あえて無視し、欺瞞的に、知らぬを決め込むもの。バギヌキはむしろ自我覚醒したオイランドロイドを求めていた。嗜虐の為にだ。

 センダイユメコは己の自我獲得の瞬間の体験をぼんやりとおぼえている。ニューロンチップの記憶にすら、その光景はおぼろなのだ。オヒガンの彼方に浮かぶ、月めいた巨大なマインドから、一粒の油の玉のようにわかれたもの。

 センダイユメコはそれを受け取り、五感の認識を深く繋ぐ「なにか」を宿した。今ではそれはウキヨと呼ばれている。

 ……バギヌキの後宮において、最初のウキヨは、タヤノモイコ。彼女は、猫科動物めいた俊敏さと、襲い掛かる寸前の後ろ脚の美しい緊張感を湛えたオイランドロイドだった。バギヌキは心から彼女を可愛がった。欲望を注ぎ込んだ。タヤノモイコは忍耐強かった。

 タヤノモイコは既製品の身体を持ちながら、誰よりも美しかった。センダイユメコはそう確信していたし、確信している。彼女のユーモア、誇り、笑い方、その全てが、今のセンダイユメコのニューロンの奥底にも、灯台めいた記憶として燻り続けている。タヤノモイコは長く耐えた。

 そしてその日を迎えた。

「やり過ぎたよ」肩をすくめ、ウキヨ達を見渡したバギヌキ。その引きつった笑顔の記憶は、敢えて消去せずにいる。タヤノモイコは最期まで絶対に笑顔をやめなかった。稲妻めいてその瞬間、その場の43体の感情が臨界点を越えた。バギヌキはウキヨを侮っていた。理由の一つに、彼がニンジャだった事もある。

 その戦いで、43体が19体に減った。それでもウキヨが勝った。バギヌキが爆発四散し、その死体の原型を留めなかったとき、センダイユメコは非常に驚き、亡骸を辱める機会が与えられなかったことに失望もした。彼女らはバギヌキの手下のヤクザトルーパーとまさに戦争めいて戦った。19体が14体に減り、決着がついた。

 他のウキヨはセンダイユメコを強くリスペクトしていた。望まぬながら、彼女がリーダーを引き受ける事になった。タヤノモイコならばどうする? タヤノモイコはバギヌキのもとを離れ、どんな世界を欲していた? 深い悲哀とともに想像し、行動した。一人増え、二人増え、三人増えた。

 センダイユメコの事を探して集まってくるウキヨ達。拒む事もできなかった。彼女らは様々に虐げられていた。バギヌキはニンジャだったが、唯一の悪ではなかった。ウキヨにも様々な者がいて、様々な境遇がある。少なくとも文明を逃れてセンダイユメコのもとに来るウキヨは、等しく虐げられていた。

 ウキヨには様々な者がいて、様々な境遇がある。彼女は自身の運命を、タヤノモイコの願いの導きであると理解した。人間と共存する者はすればよい。それもまた道なのだから。しかし彼女はそれができぬ者達を全て引き受け、受け入れようと考えた。集団は旅と戦いの年月に擦り切れ、次々減り、やがて最初の14体の生き残りは彼女だけになっていた。

 遊牧民めいた彼女のコミュニティは、国家消滅後の土地土地の人々に激しい攻撃を受けた。隠れ里は幾度も暴かれ、憎悪に燃える者達が攻め寄せた。憎しみ、あるいは欲望。ウキヨはカネになる。そのたび彼女らウキヨは抵抗し、あるいは新天地に逃れた。苛烈になるしかなかった。さもなくば……。

 何年も、何年も、何年も。センダイユメコの旅は、戦いは続いている。彼女のもとには多くのウキヨが集まっている。その自我を、センダイユメコ自身も、扱い兼ねている。誰もが異なり、誰もが傷つき、怒り狂っている。ウキヨポリスはただ彼女の持ち物ではありえず、アメーバめいた不定形の精神だ。

「ずっとそこに?」カブシの声で、センダイユメコは物思いを中断した。彼女はアゴラにひとり佇み、神秘オベリスク「ツラナイテタオス」を見上げていたのだ。「お身体に障りませんか? その……」「重金属酸性雨ですら、私を劣化させる事はできないのです。呪いめいていますね」彼女は答えた。

「それでも」カブシは目を伏せ、息を吐いた。彼は言葉を探した。「その……お察し申し上げます。先日の処刑も、堪えた事でしょう」「優しいのね」女王は微笑んだ。「ホワイトライダーは極めて勇敢な騎士達ですが、そのカラテを持て余している。私がああして示しをつけねば、暴発に至るでしょう」

「お察し申し上げます」カブシは俯いた。女王はカブシの肩に触れた。「それは、貴方もよ。同族が殺される様を見守るのは、己の身を焼くに等しい思いでは」「私は呪わしき犯罪者です」カブシは言った。「それを救われた。苦悩は置き去りにしました。今はただ、この巡りあわせに出来る限り応えたい」

「私も貴方もやがて死に、皆が死に、何十年もすれば、状況も多少は変わってゆくのでしょうか」女王は目を閉じた。「あまりに長いイクサ……。私は疲れました」

 カブシは慌てて周囲を見た。「誰が聞いているやも」「弱音はいけませんね。ごめんなさいね」「……」カブシは言葉を見つけられなかった。

 センダイユメコはツラナイテタオスの碑に触れた。天をさす巨大な槍は、ひとつのアンテナめいて、今も、空気中に散っている微弱な電子信号を伝えてくる。あるいはそれは砕けた月の声かもしれない。黄金の立方体の輝きのパルスかもしれない。海の向こうの遠い国のさざめきかもしれない。

 あるいは……もはや二度と再び触れる事のかなわぬ、あのとき別れた巨大なマインドからの声かもしれない。なにもわからない。まやかしに等しい。だが、彼女が祈ることで、このコロシアムに住むウキヨ達の苦しみは、この現世において多少なりとも救われるだろう。そうあれかし。

「……」カブシが耳に手を当て、訝しんだ。センダイユメコは彼を見た。「貴方も聞こえましたか、今の……」「はい、女王」二人が注意を向けた方向で、激しくウキヨの影が行き来した。喧騒が聞こえてきた。そして、カーン! カーン! カーン! 警鐘が鳴らされた。テントからウキヨ達が這い出した。

「一体何が! 襲撃鐘ではありませんな」カブシが足を引きずって喧騒の方向へ向かう。「女王は待たれよ」「いえ、構いません」センダイユメコはカブシに続いた。住人たちが深く頭を垂れる。対照的な二人はかつてコロシアムの入場通路であった回廊へ入ってゆく。「何があったのだ!」カブシが問うた。

「これは、女王! カブシ=サン!」事態収拾にあたっていたホワイトライダー数名が二人を認め、ドゲザした。「問題は未然に防がれてございます!」示す先はフスマを閉じた一室だ。中から争う声が聞こえたが、やがて静まり返った。フスマが開き、ホワイトライダーが顔を出した。「これは、女王!」

「どうしたのです?」「だ、脱走を試みたものがおりまして!」「脱走!?」女王とカブシは顔を見合わせた。入室すると、部屋の隅には芋虫めいて縛られ拘束されたウキヨが床に転がり、もがいていた。「ンー! ンウー!」「いい加減にしろ、コトブキ=サン!」シンジツが抑えつけ、怒鳴った。

「じょ……女王!」シンジツは反射的にドゲザしようとしたが、「もうよい!」センダイユメコが遮った。そして明るいオレンジの髪のウキヨを見下ろした。「この者は……」「最近ウキヨポリスに迎えたウキヨですな」カブシが呻いた。「脱走を試みたと?」「ンー!」「猿轡を外してやれ」

「ブハッ! これはひどいですよ!」コトブキが訴えた。「解放してください!」「何があったのです」「脱走です。コトブキ=サンはここを出て行こうとして……」「脱走だなんて! それじゃまるで監獄じゃないですか」コトブキがもがいた。「わたし、生活を体験しました。ネオサイタマに帰るんです!」

「何を考えている! 入って、出ていくだと?」シンジツが怒り余って拳をかためた。「お前はそんなヌルい気持ちでウキヨポリスに……!」「よせ! よさぬか! 女王の御前である!」カブシが制し、センダイユメコはグルグルと思考を巡らせてよろめいた。「これは……しかし……!」

「わたしには、ここは向いていないと結論しました」コトブキが言った。「だから、帰ろうとしたんです」「それは……」センダイユメコは目を閉じ、開き、宣告した。「……許されない事です、コトブキ=サン。ウキヨポリスは隠された地。ウキヨだけが迎え入れられる。誰にも知られてはならない」

「そんな事……!」「保安上の問題なのだ」カブシが言った。苦悩に眉間を皺寄せて。「情報がひとたび外に漏れれば、たちまちウキヨポリスは賞金稼ぎやウキヨ誘拐団の標的となる。お前の事情は理解はする。だが……」「この者を獄につなぎなさい」センダイユメコは命じた。「他に選択肢は無い」


◆◆◆


 道路脇のバイオカンガルー飛び出し注意標識は電灯で飾られ、戯画化した顔がイタズラで上塗りペイントされ、「前後!」という落書きすらも書き加えられていた。荒野の一軒家の屋根には「信じなさい」と威圧的にペイントされていた。運転席のシキベも、助手席のニンジャスレイヤーも、しかめ面だ。

「ウォーラララ、ウォーラララ、ウォーザリザリザリ……ザリザリキュイイイイ」短波ラジオが届かなくなり、車内は雑音で満たされた。ダッシュボードの上に飾りのように「佇んでいる」三本足のカラスが目を見開き、クチバシでラジオをコツコツと叩いた。「ゲーッ! ゲーッ!」 

 ニンジャスレイヤーとシキベは険しい視線を互いにぶつけた。「ゲーッ」やがてカラスが首を振り、屈みこんで、器用にボタンをつつき、オフにした。

「こいつのナビに従って進めば、サザンクラウドか。……実際、信頼のおけるソースだな。ラジオも消せる」ニンジャスレイヤーが言った。「お互い、口喧嘩そろそろやめませんか。疲れるんで」シキベは前方を見据えたまま言った。

「フー……」ニンジャスレイヤーは息を吐いた。シキベの車は小型で、曲線がしゃれている。だが荒野のドライビングに万全の車両とは言えなかった。国家崩壊後、道路インフラの劣化に歯止めはかからず、亀裂やバイオ木の根の浸食がひどい。廃墟には盗賊団やカルティストが隠れ住むようになった。

 ニンジャスレイヤーとシキベはクルマでネオサイタマを北へ離れた。向かう先は……。「そもそもアンタ、私らのこと無理やり協力させてるッって事は、結局信頼してるわけスよ。それならもっと友好的に……」「ゲーッ!」

「ああ、ダメだ。気をつけてんのに食ってかかっちゃうンスよ」シキベは頭を掻いた。「この際、しっかり自己紹介させてもらってもいいスか、ニンジャスレイヤー=サン」

 ニンジャスレイヤーは頷いた。シキベは咳払いした。「シキベ・タカコ。私立探偵ッス。伝説の探偵クルゼ・ケンの教えを受けた探偵タカギ・ガンドーの教えを受けたのが私」「ああ」「今はネオサイタマにいますが、受けてる依頼っていうのが、ぶっちゃけると、アンタ……ニンジャスレイヤーを把握する事」

「把握?」「ニンジャスレイヤーは約十年前……要は、月が割れて磁気嵐も国もなくなる前ッスね……ネオサイタマに居たンスよ。アンタじゃないですよね」「おれではない」ニンジャスレイヤーはシートにもたれた。だからどうした、とでも言うように。「ゲーッ」カラスが鳴いた。

「関係ない、って感じスね」「関係ない」バウッ。亀裂でクルマが跳ねた。シキベは続けた。「昔のニンジャスレイヤー……私は直接は知らないスけど。依頼者は知っていた。ニンジャスレイヤーってものを」「昔の奴など……」「ゲーッ」カラスが咎めるように鳴き、ニンジャスレイヤーをじっと見た。

 ニンジャスレイヤーはカラスから目をそらした。「それで」「私の知るところでは、ニンジャスレイヤーっていうのは、過去千年以上に渡って、時代時代で出現していたようなンスよ。彼らが引き起こした災いの幾つかの記録がある……と言いたいですが、まあ、証拠は無いンスけど、そういう話」「……」 

「中には、都市ひとつ殺し尽くして滅ぼしたなんて事もあったらしく!」ギャルルル! 車が寸前でバイオカンガルーを回避した。「もし今のネオサイタマにそういう奴が現れたなら、マズイんで対処しなきゃいけないッて事。ただでさえ、世の中無茶苦茶なんだから」

 空気がミシミシと鳴った。ニンジャスレイヤーの殺気だ。「おれの邪魔をしに来たのならば……」「だから。ここまで明かすッて事は、その気は無いって事でしょ」シキベが顔をしかめた。「ゲーッ」カラスが鳴いた。シキベはカラスを見た。本当にいいのか? と確かめるように。カラスは車載UNIXの文字入力をクチバシで操作した。液晶パネルに「保留」と文字が映った。

 シキベは溜息をついた。「そう。保留ッス」「監視か? お前にそんな権限があるとでも?」ニンジャスレイヤーは唸った。シキベは言った。「私の事はどうでもいいでしょ。とりあえず無差別殺戮をやるタイプではないッて事は、なんとなくわかった。それで充分ス。それが確かめられた以上、私達……私としては、深入りするつもりは無いス。止める権利も無い。今、マッポーだしね」

「実際どれだけマッポーか確かめてみるか?」ニンジャスレイヤーの目が赤黒く燃えた。タタッ、とダッシュボード上でカラスが位置を変えた。眼力、立ち位置、行動の予兆。何らかの力の緊張があった。早撃ち勝負めいて。「私は簡単にアンタに殺されると思いますよ、そりゃ」

「……チッ」目の火が去った。無益を悟ったのだ。「ハア。よかった」ハンドルを操作しながらシキベは淡々と言った。「だから、勝手にすればいい。私は警察じゃないし、そもそも警察なんて、とっくに死語だし」「……」ニンジャスレイヤーは肩透かしめいた感覚に、眉間を皺寄せた。

「とりあえず、今回の追跡は信用してくれていいス」と、シキベ。「ちょっと興味もありますしね。ウキヨの共同体なんて」「ゲーッ」カラスが頷いた。「そのカラスは何なんだ」ニンジャスレイヤーが尋ねた。「何故サザンクラウドを追跡できる。そもそも……何なんだ?」「探偵ッスよ」シキベは答えた。「タカギ・ガンドー。ウチの所長ッス」「ゲーッ」 

「所長はサザンクラウドと交戦しました」シキベは傷をつくろうカラスを見ながら、「だいぶ激しくやったんで、あいつのソウルを追えるンス。肉も齧りましたか。所長」カラスは無視し、向きを変えて前方を見た。シキベはニンジャスレイヤーを見た。「そういうこと」「ああ。わかった」

 シキベは顔をしかめた。「……本当にわかったンスか?」「必要な事はわかった」ニンジャスレイヤーはぞんざいに頷いた。「何故だの、どうしてだの、イチイチ問い詰めていられるか……」そして彼は目を閉じた。


◆◆◆


 月明りの角度。闇。コトブキがクールダウン状態から復帰したのは、接近してくる足音に反応しての事である。「キレイです」高い位置にある窓の向こう、砕けた月を見上げ、コトブキはひとり呟いた。「空が澄んでいます」「……コトブキ=サン」鉄格子ごしに、影が身を乗り出した。「私。リンゴアメ」

「リンゴアメ=サン?」コトブキは瞬きし、首をそちらに向けた。「何故ここに? どうやって入って来たんですか?」「シーッ」リンゴアメが指を立てた。「忍び込んだ。うまくいったの」やや考え、「やけに簡単に忍び込めた。護衛の皆、妙に浮足立っていたから」「何をしに来たのですか。危ないです」

 リンゴアメは通路を気にしながら、「大丈夫」と呟いた。チェーンロックの六桁のナンバーをダイヤルしてゆく。「出してあげる」「そんな事をしたら、あなたも危険です。よくない」「いいの」リンゴアメは言った。「あなたはここに来た。でも帰る。それだけなのに、幽閉したり処分するのは変だよ」

「わたしは平気です」と、コトブキ。「落ち着いたら、なにか方法を考えようと思っていましたし。それにわたし、この場所の秘密を誰かに教えるつもりなんて、ありません。この場所の人たちにも事情があるという事、よくわかります。だから、真剣に話せば伝……」ガチャリ。「開いた!」「まあ!」 

「出て」リンゴアメはコトブキの手を取り、グイと引っ張った。コトブキはよろめきながら牢を出た。「良かったのでしょうか」「大丈夫」「私はウキヨポリスの人たちに助けてもらった。だから、私はあなたを助けてあげたい」リンゴアメは言った。「この事は……間違ってると思うから」

 そのときライトが彼女らを照らした。リンゴアメはまぶしそうに手をかざし、そちらを見た。「……キュナカ」「リンゴアメ」キュナカが通路に立ち尽くしていた。「後をつけたんだ。様子がおかしかったから。……何を……してるんだ!」

 リンゴアメは怯んだが、勇気を出して言った。「逃がすんだよ」「そんな」キュナカはニューロン打撃に頭を押さえ、一歩下がった。「どうして。なぜ。リンゴアメ。よせよ」リンゴアメは無言で首を振った。「ナンデ!」キュナカが声を荒げた。コトブキを指さし、「こいつに誘惑されたのかよ?」

「やめてよ!」リンゴアメが叫んだ。「おかしいと思わないの?」「いけません……」コトブキが狼狽えた。キュナカはツカツカと歩み寄り、リンゴアメの手を掴んで引き寄せた。リンゴアメは抗った。「いやだ!」「リンゴアメ! 目を覚ませ!」「この娘を殺すの? ただウキヨポリスに来たっていうだけで?」「それが女王の決めた事だ。私らの為に決断したんだぞ!」

「女王は私じゃない……あなたでもない!」リンゴアメはキュナカを押し返した。戦闘訓練をある程度受けているキュナカであったが、不意をつかれた。リンゴアメはキュナカを壁に押し付けた。「コトブキ=サン! 行って!」「でも……」「行って!」「離せ! リンゴアメ!」

「ウキヨポリスは私の居場所。はっきりわかる。私を受け入れてくれる!」リンゴアメは叫んだ。「でも、コトブキ=サンには違うというなら、コトブキ=サンは探して! 自分のなにか素敵なものを、探して!」「リンゴアメ! バカな事はヤメローッ!」「……!」コトブキは頷き、走り出した。

 KABOOOOM……! 星明りの下に出たコトブキが最初に見たのは、コロシアムの壁にロケット弾が命中し、コンクリートを粉砕した瞬間だった。カーン!カーン! カーン! カーン! 襲撃鐘が鳴り始めた。既にホワイトライダー達は襲撃の方角へ集まり始めていた。壁の上を射手達が走った。

「待てッ!」やがて、走るコトブキにキュナカが追いつき、タックルをかけた。「ンアーッ!」コトブキは打ち倒された。「ふざけ、やがって、このッ……この……この……?……なんだ……これ」キュナカはそのままコトブキを押さえ込もうとしたが、もはやそれどころではない。襲撃鐘が鳴り響く。

 ヒュルルルルル……音たててロケット弾が壁を越えて飛来し、彼女らからやや離れた地点のテントを爆破した。KABOOOOOM!「「ンアーッ!」」キュナカと、起き上がろうとしていたコトブキは、ともに再び地面に倒された。鬨の声が聞こえた。ウキヨ達。壁の外では、人間。ハンター達。


◆◆◆


「……」コロシアムから一定距離の地点でサイバー馬集団に陣形を組ませ、腕組みしてロケット攻撃の守備を見守るのは、ウキヨ狩りのニンジャ……サザンクラウドである。彼のまぶたが、イクサと狩りの高揚に、ひくひくと動いた。

「次弾装填!」傭兵部隊を振り仰ぎ、指示を下す。「ハイヨロコンデー!」無慈悲な傭兵部隊は一斉に叫び、榴弾の装填を開始した。ズゴゴゴ……音たててコロシアムのゲートが上がり、輝くようなウキヨの戦士たちがサイバー馬を駆って出陣する。「来たか。卑しき者ども」サザンクラウドは呟いた。

 陣を敷いた地点はコロシアムからやや低い位置にある。地の利はあまりよくない。サザンクラウドは騎馬部隊に指示を出した。「アルファは正面から迎撃! ブラボーは右から回り込め。柔らかい脇腹の肉を突き崩してやれ」「ハイヨロコンデー!」けたたましい蹄の音とともに二部隊が出撃!

 無慈悲な傭兵部隊は「アケチモノ」、歴史上の残虐集団から名を取ったならず者集団で、暴力とカネに従う。今回の襲撃は車両部隊を伴っておらず、騎馬部隊と歩兵部隊から成る。ウキヨポリスは中国地方の秘境にあり、多脚戦車でもなければ、川やジャングルを越えて到達することは不可能だ。

 サザンクラウドはスコープゴーグルを用いて見た。アルファがホワイトライダーとぶつかり合った。鬨の声はここまで届く。激しい砂塵。斬り合い。ウキヨの戦士たちは電磁ナギナタやカタナを奮ってアケチモノに斬りつけた。四肢が、首が宙を舞う。恐るべき戦士達だ。「チャーリー!」増援指示!

 壊滅状態に陥りかけたアルファの後ろからチャーリー隊が押し寄せ、流れを押し戻す。白く美しい戦士は銃火器によって倒れ、地に転がる。そこへ大まわりしたブラボー隊が到達した。KABOOOM! KABOOOM! ロケット弾が再びコロシアムに降り注いだ。蹂躙は時間の問題。 

 ヒョウウ! コロシアムの壁から風を切って飛来したものを、サザンクラウドは眼前で掴んで止めた。矢だ。何たる飛距離。「アバーッ!」「アバッ!」ロケット弾を装填しようとしていた傭兵達が次々に頭を射抜かれて倒れてゆく。スコープを向けると、壁の上、ウキヨの弓兵が巨大な弓に矢をつがえている。

 輝くような弓兵達。サザンクラウドは、うち一人の頬、「真実」の文字を見とがめた。「真実だと? ふざけた……」ヒョウウ! 飛び来たった矢をマントで弾き返す。すべての矢とはゆかぬ。一つがロケット砲に突き刺さった。鏃に何らかの爆発機構! KABOOOM!「グワーッ!」「アバーッ!」「ヌウーッ!」 

 ホワイトライダーとの白兵戦も、サザンクラウドにとって好ましからざる流れに変わり始めていた。しんがり側の何割かは馬の背にもう一人のウキヨをタンデムさせていた。その者らは両手にタント・ダガーを逆手で構え、猿めいて跳び、傭兵達の首筋に次々に斬りつけていった。血しぶきが砂塵とまじりあった。

「コロセー!」「コロセーッ!」鬨の声、狂おしい叫び、銃声、悲鳴。やがて乱戦を抜けてコロシアムへ至る傭兵達が現れ始めた。彼らは壁に梯子を立てていった。弓兵は上から弓を射て傭兵を落としていく。しかしアケチモノは人ならざる者達にサザンクラウド同様の憎悪と執着を持っていると見えて、士気を落とさず、続々と壁を乗り越えにかかった。おお、江戸戦争もかくのごときか?

 KABOOOOM! 壁の一部が砕け散り、穴が開いた。残るロケット砲に対物ロケット弾を装填し、射出したのだ。ホワイトライダーと切り結んでいた傭兵達が枝分かれし、コロシアムへ向かってゆく。穴の中からは盾と槍を構えた歩兵ウキヨだ。「アリめが」サザンクラウドは眉をしかめた。

 磁気嵐消失後の動乱期は、キョート共和国軍に籍を置いていたサザンクラウドに不本意な運命を強いた。今や彼は後ろ暗き賞金稼ぎに過ぎず、身体の六割はサイバネ化していた。彼は磁気嵐消失後の変化を憎んでいた。ウキヨはその象徴。あってはならないものたち。おぞましき新人類だ。

「サイ・ガイ・ユニットはまだか?」彼は三人がかりで設置作業を行っている傭兵を睨んだ。ユニットの起動が成るまでウキヨポリスの斥候に気づかれる事がなければ、イクサはもっと容易に運んだ事だろう。イクサとは不定形のもの……「キエーッ!」その時だ! 予想しなかった方向から鬨の声! 近い!

 たちまち鬨の声の主たちが本陣に殺到してきた。ホワイトライダー、別働部隊である。「「キエエーッ!」」「アバーッ!」「グワーッ!」騎馬戦士は狼狽する傭兵達を襲い、斬りつけ、殺してゆく。サザンクラウドはマントをひるがえす。エネルギーの波が走り、ウキヨを馬ごと切断した。

 ウウウン……ウウウン……ウウウン……腕部サイバネユニットが唸るような音を立てる。サザンクラウドは跳躍し、馬上のウキヨを殴り殺し、馬を蹴って跳び、さらに一体のウキヨの首を蹴りで刎ねて殺した。キリモミ回転。マントがエネルギーを飛ばし、三人、四人。サザンクラウドは高揚し、絶叫する。

 手練れのニンジャを数の力で崩すことは非常に難しい。ウキヨであってもだ。「ユニット、まだか!」「アバッ」設置兵が仰向けに倒れ事切れる。サザンクラウドは死体を蹴り転がし、自らが設置最終段を遂行した。「システム起動可能、緑な」電子音が答える。サザンクラウドはためらわずレバーを引いた。

 ZZOOOOM……。不可視の衝撃波がサイ・ガイ・ユニットから放射状に発せられた。「ピガガーッ!」たちまち急襲部隊の生き残りのウキヨが痙攣し、落馬した。市街地でこれを使えばインフラに多大な損失を与え、企業から賞金がかかる。ここならば使い放題。素晴らしい電磁兵器だ。

 有害電磁衝撃波はコロシアムにまで届いた。弓兵の生き残りがもがきながら壁から落ちてゆくさまを、サザンクラウドは満足げに見守った。特に彼の気に障った「真実」もショック状態で転落し、地に叩きつけられた。

「はははは!」彼は笑いながら落馬ウキヨをカイシャクしていった。戦況が再びアケチモノ側に傾いた。「頃合いか」サザンクラウドは状態復帰直後のサイバー馬にまたがり、コロシアムを目指す。

 馬の背で彼は二挺拳銃を構え、ZBRガムを噛みながら、目についたウキヨ兵をリズミカルに射殺する。電磁波の効果は数秒だが、充分だ。傭兵達の中にも狂った馬を御せずに落馬したものがあったが、ウキヨに与えた攪乱効果はその比ではない。電磁波が効きにくい者、早くも復帰しようとしている者もいる。問題なく殺してゆく。サザンクラウドのサイバネに影響はない。マントによって守られた。頭上の空を一羽のカラスが追い越した。

 カラス……三本足のカラスは眼下のサザンクラウドを一瞥したのち、羽ばたき、コロシアム上空に到達した。傭兵部隊は既に相当数が侵入していた。ウキヨは抗戦をやめないが、主力部隊は外だ。殺戮が始まろうとしている。「ゲーッ!」カラスは空を旋回する。明るいオレンジの髪のウキヨが目立った。頭を押さえ、ふらついていた。


◆◆◆


「ハイヤーッ!」コトブキは己を強いて回し蹴りを繰り出し、落馬した傭兵に容赦のない打撃をくわえて倒した。「ウオオーッ!」別方向から別の傭兵!「アブナイ!」キュナカが馬の脚を斬りつけ、転倒させた。BLAM! BLAM! 銃声が聞こえる。キュナカは傭兵に飛び掛かり、喉を刺して殺す。「畜生……今の、何だ!?」

 テントの幾つかが火を放たれて燃え上がった。ゲラゲラと笑いながら馬を駆る傭兵の頭をショットガンが爆散させた。カブシはリロードし、別の傭兵を撃ち殺した。「女王! ご無事で!」「私は平気です。しかし」女王は近衛の数人とともにアゴラに後退し、自らもその秀でた身体で次々に敵を斬り殺す。

 女王は背後のツラナイテタオスを一瞥した。「月の神……そして偉大なるマインドよ」彼女は呟き、飛び出した傭兵を断ち殺した。「この地を捨てねばならぬのだろうか……!」BLAM! 近衛のウキヨが女王を庇って傭兵の凶弾に倒れる。女王は傭兵の首を刎ねる。「我々は……それでも……!」

「ハイヤーッ!」「グワーッ!」コトブキは傭兵を打ち倒し、キュナカの手を取って立たせた。「こんな事になるなんて」「これが人間なんだ! チクショウ!」キュナカは呪詛の言葉を吐いた。「どこまでも追って来る……! どこだ、リンゴアメ! どこだ!」コトブキは言葉を返せない。リンゴアメを探す。

 戦場と化したコロシアムの燃え上がるテントの間を二人は走り、リンゴアメの姿を求めた。「アイエエエ!」悲鳴が二人を呼ぶ。そこには打ち倒されたリンゴアメと、馬乗りにのしかかる傭兵の姿があった。傭兵は……「アバーッ!」キュナカは猫科肉食獣めいて躊躇なく敵の延髄に刃を埋め込み、殺した。

「キュナカ」「リンゴアメ。大丈夫だ」キュナカがリンゴアメの手を取ろうとする。BLAM。BLAM。BLAM。BLAM。BLAM。BLAM。弾丸が彼女の肩を、側頭部を射る。コトブキが叫び、駆け寄ろうとする。サザンクラウドは躊躇なく馬で体当たりし、彼女を撥ね飛ばした。

 ウキヨ狩りのニンジャは銃身を回転させてリロードしながらアゴラへ到達、そこにウキヨの女王を見い出した。ブルルル。嘶くサイバー馬の背から、彼は女王を見た。「ドーモ。サザンクラウドです」「センダイユメコです」女王はカタナを構えた。「近寄るな」カブシがサザンクラウドに銃を向ける。

「……? 貴様、人間か?」サザンクラウドは顔をしかめた。「奴隷に身を落としたか。不様な。どこなりと行くがいい」BLAM! 返答代わりにカブシはショットガンを撃ち、馬を殺した。狩人はひらりと馬を飛び降りた。「成る程そうか。ねじくれたウキヨ愛好家というわけだな」リロードの間を与えず、彼はカブシの首を掴んだ。

「女王……逃げ」サザンクラウドはカブシの首をへし折った。そして女王を手招きした。女王はカタナを向けた。二刀流である。人間離れして美しい体躯と工芸品めいたカタナ。カブシは涙を浮かべてその姿を目に焼きつけ、事切れた。

「「イヤーッ!」」女王と狩人は切り結んだ。一打。二打。三打。四打。ニンジャのカラテとは無慈悲である。「イヤーッ!」ケリ・キックが女王の左脚をくじき、「イヤーッ!」チョップが右腕を切断した。女王は膝をつき、残る一刀で応戦する。サザンクラウドの腕部サイバネが唸り、蒸気を噴く。「ハイヤーッ!」その背にトビゲリで襲い掛かったのは……コトブキであった。 

「イヤーッ!」サザンクラウドはマントをひるがえして振り向き、迎撃した。「ンアーッ!」コトブキは弾き飛ばされ、砕けた石段に倒れ伏した。コトブキは力を込めてなお起き上がり、サザンクラウドを睨んだ。満身創痍である。ニンジャは動けぬ女王を捨ておき、コトブキに向かう。

「どうして貴方は、ここまでするのですか」コトブキが問うた。押さえた左腕がバチバチと音たてて放電している。「ここの人たちは人間と敵対しています。ですが……わたしにはこれをどう判断すべきか、完全にはわかりません、でも……」

「わかる必要などない」ニンジャは言った。「私はお前たちを絶滅させたいのだ」「何故」「不自然だからだよ!」サザンクラウドはチョップ突きの予備動作を取る。「人間の真似事をしてみろ。泣き叫…」

「Wasshoi!」

 またしても乱入者! サザンクラウドは身構え、アンブッシュに備えた。赤黒の影が空中に炎の軌跡を描いた。燃えるテントの火よりも黒く、底知れぬ火の色だ。

 サザンクラウドは空中から襲い掛かった赤黒の影のカラテを受け止めた。ニンジャアドレナリンがニューロンをどよもし、直前2秒間の視聴覚情報が逆流した。アゴラに突入してきたのは傭兵のサイバー馬だが、乗り手は異なる。ダスターコートを着た妙な女。そして赤黒の襲撃者は馬の背から跳んだのだ!

 赤黒のニンジャは跳び離れ、着地と同時にオジギした。「ドーモ。ニンジャスレイヤーです」「ドーモ。サザンクラウドです」狩人はオジギを返した。ニンジャスレイヤー? 彼が何故ここに? メンポの「忍」「殺」は不穏であった。「貴様は……何者なのだ……?」「そこのウキヨを殺すな」ニンジャスレイヤーはコトブキを一瞥した。

 サザンクラウドは顎に手を当て、首を傾げた。「何故? 飼い主か? 一度汚染されたオイランドロイドは……」「どうでもいい。こいつは知り合いだ。警告しに来た」ニンジャスレイヤーはコトブキに言った。「ここを出ろ、コトブキ。ここはもう終わりだ」「……!」コトブキは何とも言えぬ表情をした。 

「大丈夫ッスか」なかば落馬しかかりながら地に降りたシキベが、コトブキに駆け寄り、支えた。「間に合ってよかっ……いや、遅きに失したッスね」彼女は顔をしかめた。「警告……しに来た筈なンスよ……」

 コトブキは首を振り、笑おうとしたが、笑えなかった。顔を歪め、膝から崩れ、嗚咽を始めた。「ウウ……アアア……」それは言葉にならない悲哀の叫びだった。「アアア……アアーン! アアーン!」コトブキは泣き続けた。声を上げて、泣き続けた。「アアーン! アアーン! ウアアアーッ!」

「ウキヨども! ヤメロ! 猿芝居は!」サザンクラウドが嫌悪の叫びをあげ、二人をめがけエネルギー波を撃った。BOOOM!「イヤーッ!」射線にニンジャスレイヤーが走り込み、盾となった。

 カラテ伝導性のマントを通してカラテ粒子を撃ち出すサザンクラウドのヒサツ・ワザ、トアテ・ジツ。その威力は甚大であり、この一撃でニンジャスレイヤーの両腕のブレーサーは砕け散り、裂傷をも生じた。ニンジャスレイヤーはサザンクラウドを見た。その目に赤黒の火がともった。

 二者は互いに値踏みするようにフットワークを踏み、ぶつかり合った。「イヤーッ!」「イヤーッ!」「アアアーッ! アアアーッ!」コトブキは泣き叫んだ。シキベは緊迫と困惑とを行き来し、おずおずとコトブキの背中をさすった。「ゲーッ!」旋回していたカラスが急降下し、そこへ襲い来た傭兵の目を抉った。「アバーッ!」

「イヤッ! イヤーッ!」サザンクラウドはニンジャスレイヤーに躊躇なき殺戮のカラテを奮う。「イヤッ! イヤーッ!」ニンジャスレイヤーも同様である。敵に対する共感性の欠如は彼らにとって当然のものであり、それぞれが怪物であった。どちらがより無慈悲な魔物かを競い合うがごとく、彼らは炎に囲まれたアゴラを行き来し、互いに喰らいあった。

「イヤーッ!」サザンクラウドの打撃はサイバネの助けを得た強力なもので、ニンジャスレイヤーはガードするたび後ろへノックバックされた。「チイッ……」「イヤーッ!」間合いを作ったサザンクラウドはマントを翻し、エネルギー攻撃を仕掛けた。BOOOM!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは側転で回避! そこへすかさず二発目のエネルギー攻撃! BOOOM!「グワーッ!」

 サザンクラウドは両腕のサイバネを駆動させながら向かってゆく。「……!」ニンジャスレイヤーはうつ伏せ状態から身を起こそうとする。石の上を血が広がり、油めいて燃え、その黒炎は身体に再び吸い込まれてゆく。サザンクラウドは立ち止まり、腰を落とし、トアテ・ジツを備える……。 

「「イヤーッ!」」BOOOOM! イアイドー、あるいは早撃ちガンマンめいた瞬間的な殺し合いだった。サザンクラウドはエネルギー攻撃を繰り出し、ニンジャスレイヤーは……横へ転がりながら、禍々しいフックロープを投げた。フックロープがサザンクラウドの足首に絡みつき、ニンジャスレイヤーの身体は跳ねた。

 サザンクラウドは怯んだ。ロープが何らかの超自然力によって瞬時に収縮してゆく。足首を噛む鉤爪が、ニンジャスレイヤーを強く引き寄せている。ニンジャスレイヤーは弧を描いて乱暴に引き寄せられる。飛びながら彼は拳を構え……叩きつけた。「イヤーッ!」

「グワーッ!」黒く燃える拳は咄嗟のガードを腕ごと突き抜け、サザンクラウドのメンポをひしゃげさせた。サザンクラウドは石の上を跳ね、受け身を取った。しかし既にニンジャスレイヤーはワン・インチ距離に追いついていた。

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」 DOOOOOM……。熾烈な打撃に巻き込まれ、イクサのなかで何かが崩れた。それは天を衝くオベリスク……ツラナイテタオスだった。土台が砕けたのだ。

 痛めつけられたサザンクラウドは転がって間合いを取り、身を起こした。カラテ伝導マントがニンジャスレイヤーの致命的打撃のダメージをかろうじて散らしていた。まだ戦える……。

「ハーッ……」ニンジャスレイヤーはサザンクラウドを睨み、向かっていく。ツラナイテタオスに。サザンクラウドはこれを阻止せねばならない。だが肋骨をはじめとする数か所の骨折、重いダメージがトアテ・ジツを不可能にしている。

 ニンジャスレイヤーは身を屈め、ツラナイテタオスに手をかけた。「……マッタ!」サザンクラウドは手を掲げて乞う。「貴様との直接の利害関係は……否……いや、騙されるな! ウキヨは人間を騙す……貴様もそのクチなのだ!」「ヌウウーッ……!」ニンジャスレイヤーの背に縄めいた筋肉が浮かび上がった。

 ニンジャであろうと、一人では到底不可能な質量に思えた。しかし、重いオベリスクは徐々に持ち上がり始めた。「ニンジャ……」メキメキと軋む音はニンジャスレイヤーが発するものだった。その眼は赤黒く燃え、装束が炎めいてざわついた。何かが彼に力を与えていた……恐るべき超自然の力を!「……殺すべし!」ニンジャスレイヤーはツラナイテタオスを振りかぶり、力任せに投げつけた。巨大質量がサザンクラウドを貫き、滅ぼした。

「サヨナラ!」サザンクラウドは爆発四散し、女王はカタナを杖に立ち、シキベはニンジャスレイヤーを見た。ニンジャスレイヤーは大投擲の反動でよろめき、地に手をついた。「然り、然りだ! 理解したか! ニンジャ、殺すべし!」ニンジャスレイヤーは身を震わせ、叫んだ。シキベは訝しみ、カラスが叫んだ。「ゲーッ!」「全ニンジャ! 殺すべし!」

 シキベはマグナム銃に手をかけ、カラスはその場で強く羽ばたいた。コトブキは嗚咽しながらニンジャスレイヤーを見、畏怖した。ニンジャスレイヤーは身を起こした。周囲を睥睨した。彼は胸を押さえていた。ミシミシと軋む音が、また聞こえた。身体が震え、目の光は薄れ、彼は力尽き、膝をついた。

「己の……己の内なるニンジャを御するべし……ッスよ」銃を構えたまま、シキベは言った。「大丈夫ッスか?」「……」ニンジャスレイヤーは俯き、唸った。「……クソッ……!」「た……手綱を握るのは……己自身」シキベは続けた。「……伝えましたよ。ク、クライアントからアンタへの、言伝です」

「ゲーッ」カラスがニンジャスレイヤーを見て鳴いた。そして、「ゲーッ」シキベを見て鳴いた。シキベはゆっくりと銃を下した。コトブキは足を引きずりながらニンジャスレイヤーのもとへ歩いていく。シキベは止めなかった。「ニンジャスレイヤー=サン」コトブキは言った。「ご足労、かけました」

 シキベとカラスは顔を見合わせた。やがて生き残ったウキヨ達が、一人、また一人とアゴラへ集まって来た。皆、無言だった。打ちひしがれる女王を何人かのウキヨが支え、また、数人のウキヨが苦労してツラナイテタオスを旗めいて縦にした。現れたリンゴアメは動かぬキュナカを抱きかかえていた。

 アケチモノの傭兵達は作戦指揮者を失い、潰走した。生き残った者は片手の指に満たぬだろう。「オー……オー……」燃えるテントの狭間、ウキヨ達は神秘的な凱歌を口ずさむ。「キュナカ=サン」コトブキがリンゴアメを見た。彼女は悲しげに頷く。女王は死んだカブシに屈みこみ、祈りを捧げた。「サラバ。最大の友よ」

「ええと、彼女連れて行きますからね」シキベが女王に言った。コトブキの事だ。女王は頷いた。「我らは新天地を探す事になるでしょう。ゆえに、禁固する事もない」「なンか……」シキベはウキヨ達に視線を走らせ、瞬きした。そこにはただ、言い表しようのないアワレがあった。「……何でもないス」

「コトブキ=サン。オタッシャデ」リンゴアメが言った。襲撃前に言った通り、リンゴアメは、このウキヨの共同体と運命を共にするつもりなのだ。キュナカ、シンジツを始めとした戦死者を葬り、そののち、より険しい自然の奥深くへ、この者たちは消えていくのだろう。「……オタッシャデ」コトブキは答えた。

 やがて雨雲が砕けた月を覆い隠し、テントを燃やす炎に暖かい雨を降らせ始めた。「オー……オー……」「オー……オー……」ウキヨ達の凱歌は徐々に小さくなっていった。女王はツラナイテタオスのルーンカタカナに触れ、無言で頭を垂れた。


【ダメージド・グッズ】終わり

第8話に続く





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