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【ザ・ビースト・オブ・ユートピア】全セクション版

◇総合目次 ◇初めて購読した方へ


1

 広場に走り来た2階建ての朝のバスに、むさくるしい身なりの市民が殺到した。罵り合う者らを溢れさせ、灰色のバスは即座に発車、エメツ混じりの黒い粉塵を残す。

「チクショ!」「死ね!」

 弾き出され、仕事にあぶれた連中は野蛮なキツネ・サインを掲げるが、すぐに表情を強張らせ、路地へ歩き去った。広場に教導兵の一団が行進してきたのだ。ガスマスクと銃剣を煌めかせる灰色の兵士達。

 彼らが整列し灰色の空を見上げると、黒い墨汁じみた軌跡を滲ませ、エメツ反重力クラフト式の輸送機が飛来した。

 グゥイィー。不快な電子警告音が鳴り響き、輸送機の底が開いた。大量の人間が広場に降り注いだ。待ち構える教導兵はサスマタと銃と叫びで彼らを威嚇し、追い立てる。

 ボリスは我に返り、窓に背を向けた。注視罪に問われれば大変だ。モップをかけて一日を始めよう。病室から呻き声が聞こえる。昨日入院したモバ=サンだろう。ひどい怪我だ。心が痛み、頭がチリチリする……。

「オハヨ」

 タリヤが廊下を歩いてきた。ボリスは会釈し、モップがけを続けた。

「モバ=サンの容態、いかがですか」「峠は越えたわ」「良かった」

 タリヤはボリスが頭を押さえる様子を気にした。

「どうしたの? 痛む?」「いえ。落ち着かない時があるんで」

 タリヤは心配そうにした。

「薬を出しましょうか」「いつもの事ですよ」

 ボリスは弱く笑い、話題を変えた。

「その……良かったスよ。僕、ここで働く事ができて」

「何よ急に」タリヤは微笑んだ。「ああ、お給料日ね? ゴトー=サン」

「ヘヘ……一ヶ月あっという間だ」

「頑張り過ぎないでね」

 ドン、ドドン。診療所の扉を叩く音。急患かしら、とタリヤは玄関に向かう。ボリスは彼女の背中を目で追う。扉が開くと、ガスマスクの男が立っていた。教導兵。タリヤがビクリとした。ボリスは息を呑んだ。こめかみを黒い汗の粒が流れ落ちた。

「ドーモ。シュコーッ。こちらはタリヤ・カミカ診療所だな。タリヤ・カミカ=サンは? シュコーッ」

 教導兵は扉を押さえ、ぶしつけに尋ねる。ガスマスク越しのくぐもった声が恐ろしい。タリヤは少し震えた。

「ア……私です」

「お前にスパイ罪の容疑がかかっている。こちらの診療所にスパイを匿っていないか?」

「スパイ、エッ?」

「シュコーッ。犯罪者を隠匿し、反乱行為を予備していないか? と訊いている」

「ちょ、ちょっと待ってください、話が見えないのですが……」

「オイ」

 教導兵は後ろを振り返り、合図した。同じ格好をした者達がドカドカと診療所内に入ってきた。

「アイエエエ!」

 タリヤは押し退けられた。ボリスは恐怖に身を強張らせ、見守るばかりだ。教導兵が足早に進み来て、いきなりボリスを銃で殴りつけた。

「シュコーッ!」「グワーッ!」

 倒れ込んだボリスの首にサスマタが押し当てられる。ボリスは呻いた。

「シュコーッ。クズめ。何をボサッと突っ立ってる? 棒立ち罪で逮捕してやろうか?」

「アバッ……!」

 教導兵はグイグイとサスマタを押し付ける。ボリスは呼吸を求めた。心臓がドクドクと打つ音が耳の奥でくぐもり、視界がぼやけた。

……ガイオン……

「ははは、その罪状ウケルな。カスはほっとけ」

 同僚がサスマタ男の肩を叩き、先を促す。ボリスは解放され、床に手をついた。垂れてきた鼻血を拭うと、黒っぽい血が拳を汚した。教導兵はドカドカと診療所の奥へ走っていった。やがて病室から悲鳴と怒声が聞こえてきた。

「や……やめてください! 患者にスパイが居るのですか? 事情聴取に応じますから……乱暴になさらないでください。重傷者も居るんです! 安静にさせないと……」

「ナンセンス。改心民に人権は必要ない」

 教導兵は横柄に言った。

「コイツだ!」「引きずり出せ!」

「アイエエエエ!」

 廊下に連行されてきたのは……ナムサン……重傷者のモバであった。必死にもがくが、教導兵は乱暴に引っ立てる。処置された脇腹の傷が開き、包帯に真っ赤な血が滲んでいた。

「ヤメロー! や……ヤメロー……!」

「教導!」「グワーッ!」

 教導兵はモバの頭を銃底で無意味に殴りつけた。モバは血の混じった泡を噴き、意識を朦朧とさせた。ボリスは胸を押さえた。苦しい。頭がチリチリする。

 名状しがたい恐怖の感情が彼の腹の奥に湧いていた。教導兵への恐怖ではなかった。それが彼自身にとっても奇妙だった。もっと正体のわからない、対象の不明な恐怖に、彼は噎せ返った。

「か……彼は昨晩運び込まれた負傷者です」

 タリヤが哀願するように説明した。

「シュコーッ?」教導兵はタリヤを押しのけた。「だから、こうやってわざわざ連行しに来たんだろうが。何故こんな胡乱な人間を受け入れたのかと訊いている。シュコーッ。外傷を作る奴などクズ。クズ行為をするから怪我をする。シュコーッ、実際コイツの負傷は第3ハピネス区の暴動に参加した際のものだぞ!」

「しかし……ここに運び込まれた時、彼には意識がなく……人事不省でした。助けなければ、死んでしまいます」

「そんな役立たずは死なせておけと言っている。シュコーッ。医療屋は労働に復帰できる奴だけ治せば良いんだ。まったく、クズを助けるやつはクズ……ン?」

 教導兵はタリヤの首元を注視した。襟を掴み、引っ張る。肌に刻まれたバーコードがあらわになる。

「アイエッ!」「シュコーッ……ハイランダー・コードの刻印? お前、ハイランダーなのか……?」

「お……お許しください」

 タリヤは身をもぎ離した。教導兵はタリヤの出自に狼狽したのか、それ以上の追求は手控えた。

「まあいい。何の物好きだか知らんが。ゲホンシュコーッ」咳払いし、他の者達に指示をくだす。「モバ・ヤマダキ。騒乱容疑、逃走容疑で逮捕だ。シュコーッ、貴様には黙秘権がある。これ以降の貴様の発言は教導法廷における証拠として採用されるゆえ発言に注意せよ。シュコーッ……このカスを連れて行け!」

「「ハイヨロコンデー! シュコーッ!」」

「アバーッ!」

「待って……」

 タリヤはなお制止しようとするが、ボリスが駆け寄り、それをやめさせた。

「マズイですよ」

「フン、賢明だぞファックボーイ」教導兵は唾を吐いた。「しっかり主人を躾けとけ。……オラッ! 歩くんだよ! シュコーッ!」「グワーッ!」

 モバの背中に蹴りを入れ、屋外へ押し出す。教導兵達は談笑しながら出ていった。ひどい竜巻がやってきて、なぎ倒し、飛び去った……そんなありさまだった。

「ヤバイです……マズイですから」

 ボリスはタリヤに囁いた。タリヤは歯を食いしばり、声を噛み殺した。膝から力が抜け、座り込んだ。

 改心区における教導兵は神も同然。逆らうことは許されず、実際逆らおうものなら、銃火器による即時処刑が行われる。ハイランドで暮らすうえで、最初に知らなければならないルールだ。当然タリヤもそれを知っている。ボリスが強調するまでもない……。

「ごめんなさい。……ごめんなさい」タリヤは呻いた。「貴方の事も危険に晒してしまった」

「ぼ、僕はいいんですよ。へへ……慣れてッから。いや……わかんないですけど……どうせ覚えてないスけどね、頭ぼんやりしちゃうから」

 ボリスはブツブツと呟き、タリヤの傍らに屈んだ。

「立てます? タリヤ=サン」「ありがとう……」

 タリヤはボリスの手を取った。鎖骨が艶めかしかった。


◆◆◆


「貴方! 理想郷ハイランドにおいて全ての悪は淘汰されています。笑顔のハピネスを享受してください」

 ゴーン、ゴゴーン。重苦しい鋼の衝突音が響く中、「改心区」の平たい街並みのスピーカーから聞こえる不明瞭な放送は、毎時間同じ内容だ。

 改心区の建造物は高さが制限され、概ね、2階建てよりも高い建築を行う事は禁じられている。上からの監視の目の届かぬ地域を作らぬ事を目的としたルールである。地面は雪で泥濘み、家々の間を這う無数の配管パイプはたいてい錆びている。

「公認な」の看板が掲げられたハピネスコンビニエンスストアの店主は、スキンヘッドで、顔や身体に物騒な入れ墨を施している。改心区の市民は全員が脛に傷持つ者達だから、当然といえば当然だ。

 キョロキョロと周囲を見回してから、ボリスは注文票をカウンターに差し出す。それから「ハピネス」の素子を。ハピネスはこの改心区のみで流通する特殊通貨だ。

「フー……」

 店主はハピネスを一枚一枚スキャナーにかけ、交換可能物資を液晶モニタに表示させた。首筋のサイバネティクスが水蒸気を噴出した。飲料水、ガーゼ、栄養剤などを、店主は紙袋の中にぞんざいに詰めて、ボリスに渡した。

「早く帰ったほうが良いぜ。雪嵐が近づいてるからよ」

「エエッ。本当ですか。確かに寒いですね」ボリスは顔をしかめた。「参るな」

「……お前、順調にやれてンのか」

「エ?」

「診療所だよ」

「アッハイ、良くしていただいて」

「逮捕もされねェで……。しかしよォ、お前みてェなナヨッちい奴が、何してここに連れてこられた?」

「いやあ、それが、どうもボンヤリしちゃって。色々考えようとすると」

 ボリスは頭を掻いた。

「ヘヘヘ……ちょっと前の事を思い出すのも難儀するくらいだから、ここに運ばれてきた時の事となると、そりゃもう、とても、とても。タリヤ=サンが言うには、外傷性かもしれないッて。……まあ、窃盗か何かじゃないスかね、どうせ」

「フン、その毒にも薬にもならねェ様子は、このハイランドでは利点にならァな」

「きょ……恐縮です」ボリスは愛想笑いで返す。「おやじさんは、どんな罪で?」

「ア? 何もやってねェよ」店主の首のサイバネティクスが勢いよく水蒸気を噴いた。「ヌーテックのジアゲ野郎を返り討ちにしてやっただけだ。ネイルガンで頭をフッ飛ばしてやった。アイサツみてえなもんだろ。死ぬのが悪い」

「そ、そりゃ、凄いですね。ここで店も営業して、さすがです」

 ボリスは言った。実際、この店主や診療所のタリヤのように、居住区で営業できる立場は、改心区においてかなり恵まれた身分だ。改心区に出店できる店の数や業態は当局によって厳しく規制され、管理されている。狭き門だ。

 改心民の九割以上はエメツ鉱山に回される。あれは危険で苦しい仕事だ。エメツ鉱夫よりもう少しマシなのが、ボリスのように、居住区の店や施設、農園で下働きをする人間。幸運が味方すれば、ごく僅かな求人に滑り込む事ができる。

「ケッ、俺は豚みてェなもんだろ。寝て起きてビクついて。食肉にされるのを待ってるだけだ。こんな場所が終の棲家だ。幸福しかありゃしねえ」

 愚痴を言うにも、声を潜める必要がある。体制批判や不満の吐露は不穏罪に問われる。それに当てはまらずとも、自身の住居以外の場所での談笑は非勤勉罪だ。この会話も早々に切り上げたほうが良かった。巻き込まれるなど、まっぴらだ。ボリスはそそくさと頭を下げ、店を後にした。

「清貧」「来世」「衣食の足りる」「Iターン」……灰色の街路の所狭しと、啓蒙的文言が書かれたネオン看板の明滅の中に、笑顔の家族や果物のサブリミナルが混じっている。偽りの穏やかな感情を喚起し、反抗心を摘む為だ。そんな小手先のごまかしでハッピーになれる者など居るだろうか。目的地へ急ぐ改心民達は皆、険しく憂鬱な顔をしている。

 ボリスは紙袋を抱え、他の通行人と同様、先を急いだ。のっぺりとした灰色の空から降り来る雪が風に舞う。確かにコンビニの店主が言っていた通りだ。吹雪で道に迷えば最悪だし、除雪車両は乱暴な装甲車で、歩行者を優先などしない。油断すれば、轢殺されてタイヤの染みになるだけだ。あるいは追い剥ぎに遭う可能性もある。奴らは命がけだ。そして……もっと悪ければ、教導兵の治安パトロールに出くわす。

 歩きながら遠くに視線をやると、粗末で卑屈な居住地と電子看板の混合物の向こう、冬の風雪に霞むのは、そびえ立つ巨大な壁と、そこに夥しく折り重なってへばりつく立体住宅の群れ。

 ボリスの居るこの改心区は……石畳と雪の灰色のグラデーションに塗りつぶされたこの地面は、ハイランダーの理想生活を支える人間資源のプールに過ぎない。改心区を取り囲むあの高い壁が、理想郷ハイランドの本体だ。

 ドサンコの山脈地、白亜質の巨大な丘陵、そこに巨人がスプーンで抉ったような深いくぼみ。それがこのハイランドだ。四方を塞がれたこの地は、かつては流刑地として知られた。日本中から流されてきた犯罪者が鉱山労働に従事し、石炭や石灰を掘る。電子戦争以前はそうやって栄えた断崖の街だ。鉱山の閉山によって一度衰退したこの街は、月破砕後のエメツ・シフトによって再び隆盛した。

 改心民は必死にエメツを堀り、ハイランダーはそれを売り捌いて外貨を稼ぎ、蓄財する。ハイランダーの七割以上が治安維持に従事している。教導兵は改心民を抑圧するために嬉々として改心区に降りて来る。

 流刑者と、それをこき使う者ら。かつてのこの構造を引き継ぎながら、よりグロテスクに歪めたエコ・システムを誇る、閉鎖的なアルコロジー都市。それが今のハイランドだ。

 グウィイー。不快な電子警告音の方向に目をやると、広場の上空に輸送カーゴキャリアがホバリングしていた。丘陵地帯の上空を行き来するカーゴキャリアが、外界との数少ない接触手段である。

 この日「受け入れ」された犯罪者達が、悲鳴とともに広場に落下し、折り重なって山となる。落下時に死ぬ者も居る。ボリスは整列待機する教導兵の視界に入らぬよう、使う街路を工夫した。

「シュコーッ!」「グワーッ!」「シュコーッ!」「グワーッ!」

 路地裏からカラテシャウトと悲鳴が聞こえてくる。教導兵が改心民に暴力をふるう凄惨な影絵から目を逸らし、さらに足を速め……ようやくタリヤ・カミカ診療所に到着した。扉には「休診日です」の札。

「タダイマ、タリヤ=サン。買ってきましたよ」

 ボリスは呼びかけた。袋を抱えたまま、苦心してドアを開け、廊下を通って、事務所に入った。

 タリヤが顔をあげた。泣いていたとわかった。ボリスの頭がチリチリした。

「どうしたんですか。大丈夫ですか」

「……なんでもないの。平気よ」

 タリヤは顔を拭い、咳払いして立ち上がった。

「ありがとうね! こんなお遣いまで頼んでしまって」

「ヘヘ……お安い御用ですよ」

 ボリスは部屋の隅に紙袋を下ろした。タリヤは中身をあらため始めた。

「本当に助かるわ。医療物資は、どうしても早いもの勝ちになってしまうから……どうしたの?」

「その……タリヤ=サンは、ええと……何の犯罪やらかしたんです?」

「……」

「アッ……スミマセン!」

 ボリスは狼狽えた。場を紛らわそうとして、よりによって、あのコワモテの店主に投げたのと同じ質問を。だが、タリヤは笑った。

「フフッ、何の犯罪に見える?」

 ボリスは安堵した。

「い、いやあ、闇医者出身って感じじゃないし、その……ヘヘッ……タリヤ=サン、めちゃ良い人じゃないスか。こんな場所で、診療所なんか」

「そんなこと無いよ」タリヤは髪を結び直した。「正しく生きられなくて、その結果、こうして今、ここにいるだけよ」

「ええと……変なこと訊いて、スミマセン」

 離れるボリスの手を、タリヤが掴んだ。

 言葉が止んだ。


◆◆◆


 タリヤは、行為の最中も泣いていた。ボリスの唇を貪欲に求め、背中に爪を立てながら、しくしく嗚咽していた。泣き虫な女だ。ボリスは淡々と考えた。俺達がヤッている下の階では、病んだり怪我をした連中が、寝返りを打ったり、苦しい寝息を立てたりしている。

 彼は自身の妙な客観性を訝しんだ。そして、己を満たした快楽と愛おしさの奥底に、不気味で不可解な感情の動きを読み取り、困惑を覚えた。己のニューロンに染み出す、黒い、タールのように粘ついた思考を厭わしく感じた。

……ガイオン……ショージャノ……

 タリヤは背中を向けて眠っている。ボリスはタリヤの肩に触れ、その手を首筋に這わせる。ハイランダー・コードとやらを、指で触れる。それから頸動脈を軽く押してみる。頭がチリチリする。タリヤが反応し、息を吐く。指を唇に持っていくと、タリヤは微かに笑い、指を口に含んだ。

 どうして俺はこんな物騒な事を考えてしまうのだろう。ボリスは自問した。


◆◆◆


 教導兵は翌週も診療所を訪れた。

 正確には、「ロイヤルコート」が教導兵を率いてきた。ロイヤルコートは治安維持機構のエリート階級で、モノトーンの硬質な上衣が特徴的だ。

 そのロイヤルコートの男は、ニンジャだった。


2

「シュコーッ!」「シュコーッ!」

 タリヤがドアを開けるなり、ガスマスクの教導兵は中へ踏み込み、銃で威嚇した。タリヤは悲鳴すら忘れ、ただ棒立ちになっていた。

 そしてロイヤルコートが入ってきた。裾が足首まである、モノトーンの上衣を着ている。これが彼らのシグネチュアであり、教導兵のなお上のヒエラルキーに位置する存在だ。

「タリヤ・カミカ=サンですね」

 ロイヤルコートの男は金属のメンポを装着していた。即ちニンジャである。タリヤを見つめる目は虚無的だった。瞳孔は点のように小さく、眉に表情はなかった。タリヤは恐怖を表に出さぬよう努力していた。

「ハイ……こ……こちらに、なにか御用でしょうか」

「ドーモ。私はロイヤルコートの執行官、ホワイトロックです」

 ホワイトロックはアイサツした。彼が頭を下げる時、他の教導兵達に恐怖と緊張の様子がはっきりとあらわれた。

「タリヤ=サン。貴方にスパイ容疑がかかっています。先週のモバ・ヤマダキは第3ハピネス区の暴動の鎮圧から逃れ、貴方の施療院に潜伏した。貴方は ”大きな老人” の連絡係として地下活動を行っていますね」

「エッ……何を……」タリヤは呻いた。寝耳に水なのだ。「誤解です! そんな事実は一切ありません! 私は……!」

「モバ・ヤマダキが全て自白しました。私はモバの自白に信憑性があると判断し、本日こちらに参ったという事です」

「嘘です!」

「嘘?」ホワイトロックは訊き返した。「私が嘘をついていると」

「間違いです、私は何もしていません!」

「……私の判断が間違っている……つまり……私は……なかんずく我々という存在は……間違っていると?」

 ロイヤルコートの男の目はガラスめいて光った。

「貴方は、ロイヤルコートの存在、つまりハイランドの統治機構に疑念を抱き、不満を持った……ゆえに反逆を企図している……そういう事ですか。タリヤ・カミカ=サン」

「タリヤ=サン!?」病室のモップがけを行っていたボリスが廊下に飛び出し、玄関に走った。「大丈夫ですか!? エ……その人達は……」

「ふむ。施療院スタッフ、ゴトー・ボリス」

 ホワイトロックの視線がボリスに向いた。

「貴様も同様の容疑がかかっているな。貴様はタリヤ・カミカのもとでスパイ活動に邁進した」

「違います。彼は絶対に違う」タリヤが庇った。「彼はこの街に運ばれ、改心民となる以前の記憶も持っていない。ただ、この施療院のために、精一杯働いていただけの……」

「貴方はどこまでもわかっていないな、タリヤ=サン」ため息交じりにホワイトロックが遮った。「善悪を判断する権利を持つのは我々教導兵であり、貴方のような改心民ではないのです、タリヤ=サン。そう貴方はあくまで改心民です。ハイランダーではない!」

「……!」

「貴方はかつてハイランダーでありながら改心民に身を落とした……そういう事らしいですが……」

 ホワイトロックは粘着質の視線をタリヤの首のハイランダー・コードに定めた。

「貴方の過去の事情に個人的な興味はありません……言わせて貰えば、ハイランダーであった貴方が改心区に生きている、それだけで万死に値する。私はね、知性と可能性あふれる先進的存在であるべきハイランダーが、教導されるべき改心民の豚の中に入り混じっている事実が我慢できないのです」

「そうだぞ」「落ちこぼれめ」

 教導兵が同調し、タリヤを銃で押した。ボリスはほとんど反射的に、かばうように動いていた。

「ヤメローッ!」

「教導!」「グワーッ!」

 こめかみを銃で殴られ、腹を蹴られて、ボリスは嘔吐しながら床に倒れた。タリヤが何か叫んでいた。ボリスは起き上がろうとする。ホワイトロックが教導兵の銃を奪った。そしてボリスを自ら撃った。BLAM。BLAM。BLAM。BLAM。

「あ、が、ぐっ、ガ」

 ボリスの身体に銃弾が撃ち込まれた。陸揚げされた魚じみて、床で小刻みに跳ねた。タリヤがホワイトロックの手を掴んだ。教導兵がタリヤを羽交い締めにし、引き剥がした。ホワイトロックはタリヤに銃を向け、撃ち込んだ。BLAM。BLAM。BLAM。BLAMBLAM。貫通した弾の数発は教導兵をも巻き添えにした。ボリスの聴く音は遠かった。激しい鼓動の音が彼の聴覚を満たしていた。そしてその音はぴたりと止まった。彼の視界は曖昧にぼやけ、すりガラスめいた。

 ガイオン……ショージャノ……カネノコエ。

「ああ」

 ショッギョ。ムッジョノ。ヒビキアリ。

(そうか)

 ゴトー・ボリスの死体は床を雑に引きずられていった。教導兵は死体を担ぎ、診療所に横付けされたダンプ・トラックに放り込んだ。BLAMBLAM。BRATATATATA。BRATATATATA。散発的な銃撃。そして死体はさらに追加された。病室の入院者が犠牲になったのだ。

 外は雪だった。陰鬱な街の中をトラックが進むうちに、荷台の死体はすぐに真っ白になった。雪の勢いはみるみる強まり、視界の定かでない吹雪に変わった。

「貴方! 理想郷ハイランドにおいて全ての悪は淘汰されています。笑顔のハピネスを享受してください」

 風雪のなかでも定時の放送ははっきりと聞こえた。複数のスピーカーが瀬の低い建造物群の間で鳴り響き、エコーを形成した。巨壁に層を成してへばりつくハイランドの居住地にも、おそらく放送は届いているだろう。今は吹雪に閉ざされ、とてもそんな遠くまで見通せはしない。

 トラックは交差点を幾度も通過し、検問ゲートを経由して、徐々に海岸方向へ向かってゆく。海岸は北東西を巨壁に塞がれたハイランドの南側だ。

 ボウン。ボウウン。重苦しい汽笛の音と、船舶の影がそびえる。トラックは金網で囲われたエリアに入った。「疫病厳罰」「自己責任」「防疫義務」等の漢字プレートが金網に張り付いている。敷地内ではガスマスクを装着した者たちが蠢き、なんらかの作業を行っていた。彼らのガスマスクは教導兵のものとはまた違う。彼らは上から降りてくるのではなく、ここに住み込んで作業をしている者たちだ。

 彼らが手振りする赤灯が閃き、トラックが誘導された先には、四角くえぐられた大穴が待っていた。穴には無造作に死体が投げ込まれ、いくつかの小山を作っている。まるでスクラップ場を死体に置き換えたようなありさまだ。つまりここは死体の一時保管場といったところか。ダンプ・トラックは穴に向かって荷台を傾け、死体を排出し、そのまま、さっさと出て行った。

 吹雪の中、死体置き場には何度か車両が出入りした。幾度もやってきたのはエメツ鉱山からのトラックだ。ちょうどその日、大規模な落盤事故が発生したためである。ハイランドは改心民を新規に大量入荷する必要があるだろう。

 鉱山へ帰っていくトラックの一台は、オイル漏れでも起こしているのか、その走路に黒い滴りを残したが、吹雪は数分もせぬうちにそれを覆い隠してしまった。


◆◆◆

 

 落盤から数時間、エメツ鉱山はいまだ混乱と悲嘆のただ中にあった。なだらかな砂利山は積雪でほの白く光っていた。口を開けた坑道の幾つかからおびただしい黒煙が噴き出し、吹雪と混じり合って、不気味な黒色の霧をあちらこちらに生じている。

「ア……アア……」「アイエエエ」

 打ちのめされた改心民の鉱夫たちは泥土にまみれ、雪の中でうなだれていた。彼らは落盤から幸運にも逃れた者たちだ。それを教導兵や教導兵指導下の模範改心民がサスマタや警棒で追い立て、工作車や輸送車の通れる道を確保する。仮設の治療テントには気が遠くなるような列ができていた。

 ブガーッ。ゲートが警告音を鳴らし、吹雪に回転灯が閃いた。入り込んできたダンプ・トラックは、並べられた鉱夫の死体のもとで停まった。改心民たちは急き立てられながら仲間たちの死体を担ぎ、荷台に放り込んでゆく。

「セーノ!」「アイッ!」「セーノ!」「アイッ!」

 改心民は二人組で、両脇から死体を持ち上げ、掛け声とともに投げ込むのだ。死後の時間経過でこわばった肉体は重く扱いづらく、しかもこの雪の中では大変な労働であった。

「コーッ! シュコーッ! 貴方! キリキリ働け!」「そうだぞ貴様ーッ! 教導! 教導ーッ!」「アイエエエ!」

 へばって息をつく改心民を教導兵が怒鳴りつけ、手先の模範改心民が、指示されるよりも早く警棒で打ち据えた。増員された教導兵は気が立っており、鉱夫たちに対する態度は常よりも強硬だった。そして模範改心民は教導兵以上に苛烈で、必要以上の暴力をふるうのだった。彼らはハイランダーへの卑屈な忠誠心と、自分より卑しい者たちを確保する強迫観念に駆られており、サディスティックな喜びに飢えていた。

 叱責と暴力にさらされながらの陰鬱な積み込み作業が終わり、トラックが走り去ると、動員された数名の改心民は一時的に激務から解放された。彼らは従順だった。むしろ、弱々しい媚びた笑いすら浮かべて、教導兵の次の行動を見守っていた。

「シュコーッ。報酬を受け取るがいい!」

 教導兵は手元の端末を操作した。その場の改心民たちの腕輪がチカチカと点滅し、2000ハピネスが充填された。キャバアーン! 突発的な死体積み込み作業のボーナスだ。悪くない。ハイランドのエメツ鉱山労働においては幸せな信賞必罰システムが敷かれている。ハピネスを使えば、寮に併設されたジョイ・センターでオイランを買ったり、専用コンビニエンスストアでケモビールも飲める。

「コーッ! シュコーッ! そこ! 何をやっている!」「そうだオラー! 教導ッコラー! 教導兵様に忠誠ッコラー!」

 教導兵と模範改心民は新たな作業グループを教導すべく、数メートル先も見えない吹雪をライトで照らし、消えていった。残された者たちは砂利に唾を吐き、ブツブツと文句を言い合った。

「ケッ、いばりくさりやがってよ」「いつかヤッてやろうぜ」「そいつはいい」

 当然、囁き声だ。何が原因となって制裁されるかわからない。そして実際、そうした反逆を実行する気もハナからない。第3ハピネス区の暴動と粛清の顛末は義務放送によって繰り返し見させられたから、反逆者がどんな目に遭うかは当然彼らも知るところだったし、そもそも、ただでさえ日々の労働で疲れているというのに、わざわざ教導兵に歯向かう必要性も感じられなかった。

「2000ハピネスだってよ。殴られた甲斐もあったわな」「俺、しっかり貯めてんだ」「マジかよ……クソが」「おい、こいつ起き上がらねえぞ」

 一人が、先ほどの暴力で倒れた仲間を揺さぶった。

「死んでんじゃねえか?」「ははは、ダッセ」「こいつのハピネス、俺らに分配してもらいてえよな」「オイ、触るなって。他人の腕輪いじるとヤベエかもよ」

「……なあ」

「アイエッ?」

 死体から顔をあげた彼らの視界に、奇妙な男が現れた。吹雪の中から進み出たその男は、死体に屈み込み、いきなり服を剥がし始めた。

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