【ニチョーム・ウォー……ビギニング】
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この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードは物理書籍未収録です。また第2部のコミカライズが、現在チャンピオンRED誌上で行われています。
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「ハイ」戦略机に肘をつき、IRC黒電話の受話器を掴む男の声は、低く、細い。小窓から差し込む光の筋に埃が舞い、天井の換気ファンを一匹の小蝿が横切った。「ハイ。ハイ。その通りでございます。ハイ。全くもって抜かりはありません。ハイ。逃げられはしないでしょう。完璧な監視体制だ」
通話相手が何事か喋るのを、ガスマスクメンポの男……古代ローマカラテの使い手、冷酷残忍なニチョーム・ストリートの総督ニンジャ、ディクテイターは、背中を丸めて聞いている。再び答える。「ハイ。カメラ監視体制です。クズ共……アー」ディクテイターは視線を横へ動かし、「住人も動員できます」
室内は無音、「第四帝国」パネルの金色も鈍い。「まずはお任せください。必ずや。数日で済むと思います。ハイヨロコンデー」……ディクテイターはIRC黒電話を置いた。椅子を回し、横と、後ろの同席者を見た。「……」ディクテイターは言葉を探しているようだった。
一人は鍛え上げられたしなやかな巨躯とボンズヘアーの持ち主。一人は長い黒髪の男だった。彼らは無言の視線をディクテイターに注ぐ。ディクテイターの左目は腫れ上がり、青アザが惨たらしい。「そのう……俺はこの後、どう」「さあ。知らね」長髪の男が歯を剥き出して笑った。「どうなるンだろな」
【ニチョーム・ウォー……ビギニング】
色とりどりのネオン看板、猥雑な映像モニタ、ワータヌキ像やカドマツ。街角のオブジェクトは昔と変わらない。だが空気は重く、彩度は低く、ゴミを漁るバイオネズミの息遣いは不吉で、道行く人は稀だった。……ニチョーム・ストリート。黒い仮設防壁に囲まれ、緩やかに隔てられつつある街。
風にさらわれたタブロイド紙の切れ端が電柱に張り付き、「キョートと緊張高まり」「露骨な失礼」「弱腰外交」などの警戒色見出しが見え隠れする。やってくる二人は対照的な背丈だ。一人は7フィートのしなやかな巨躯。一人は小柄な十代の娘。オツヤめいた足取りだ。この街の空気と同様に。
二人は言葉を交わさず、さらに暗い路地へ踏み入った。倒されたポリバケツのそばにうずくまる人影にまず気づいたのは、小柄な少女だった。少女は人影に駆け寄ると、屈み込み、肩を揺さぶった。「ねえ!」「死んでるわ」7フィートの同行者が少女に声をかけた。うずくまる男はぐらりと傾き、倒れた。
「この人」少女は……ヤモト・コキは、死体の名を呼ぶ前に躊躇した。痩せ衰えたその死体は、生前の面影を殆ど残していなかったからだ。「ボノキ=サン……」「間違いないわね。鼻にホクロあるもの」ボンズヘアーのクイーンはヤモトの横へ進み出、死体の瞼に触れて目を閉じさせた。「ナムアミダブツ」
「ザクロ=サン。これ」ヤモトはボノキのブルゾンのポケットから、キャンディーめいたものを取り出して見せた。包み紙には「純情」の漢字。ザクロの目が曇った。受け取り、開くと、小指の先ほどの黒い丸薬だ。乾燥アンココーティング。「……」ボノキの口元にも、同じ黒さがある。
「ナチュラリストよ、ボノキ=サン。似合わない事しちゃってさ……」「ザクロ=サン」ヤモトが気遣わしげにザクロを見た。ザクロは溜息を吐いた。「二人目ね。フー……てことは、三人目も、四人目も」「そんな事」「するわけない。信じたいわ、そりゃね」ザクロは首を振った。「勘は当たるものよ」
「純情」。ピュア・オハギはアンダーグラウンドに彗星のごとく出現したデザイナーズ・ドラッグだ。日々報じられる不穏なニュース、抑圧の空気、戦争が始まる・始まらないといった噂、肌で感じる不安……正体のない、捉え難い絶望的アトモスフィアに最初に毒されたのは、感じやすい若者達だった。
出処のわからぬまま安価で流通するピュア・オハギは、平安時代のニンジャ・ピルに似た外観を持ち、服用者に強烈な多幸感と虚脱、忘却をもたらす。みじめな楽園への鍵が、ときには重い代償をもたらす。アナフィラキシーショックによる死、オーバードーズによる死、耽溺の果ての衰弱死。
これまでニチョームはそうしたドラッグ禍とはほぼ無縁であった。強固な自治会の存在が周辺ヤクザクランの進出を阻んできたからだ。アマクダリ・セクトとの抗争後、総督として派遣されたディクテイターの手によって自治会が無力化されて以降も、その護りは引き継がれた。隔離によって。
隔離。然り。ニチョームの境界へ目を向ければ、貴方がたは建物と建物の隙間にそれとなく設置された、ユニット式の黒い仮設隔壁の存在に気付くことが出来るだろう。周辺地域の反マイノリティ運動が引き起こす危険から市民を護るための防壁だ。じき、大通りには検問所が作られるという話である。
よくないことが進行している。とてもよくない事が……。しかし、怪我の功名と言って良いものだろうか、一方でそれが外界の汚染トレンドをかえって遠ざける結果をもたらしてもいたのだ。少なくともこれまでは。「……」ザクロは懐からIRC通信機を取り出した。「ドーモ、ディクテイター=サン」
『いつまでほっつき歩いてンだ、ア?小娘とファックでもしてンのか?そっちもイケるのか?ア?』ナムサン。何たる罵詈雑言か。ザクロのこめかみに血管が浮き上がった。「そんなに急かさないで。あったわよ。通報通り」『なら、カンオケでもゴミ回収車でも用意して、キチッとしとけ。フラつくな!』
IRC端末がミシミシと音を立てる。ヤモトがじっとそれを見上げる。ザクロは通話を終え、優しい笑顔を作った。「ボノキ=サンに続く大バカが出ないように、頑張らないといけないわよ」「そう……だよね」「あのクソアホクズはふんぞり返らしときゃァいいのよ。アタシ達に出来る事は沢山ある」
「最適手、最適解」「アタシの言ったこと覚えてたの?そうよ、今はこれが最適解。笑えるときに笑う為に、出来る事をしましょ」「うん」「わかるわよ。胸糞悪くなるのも当然」「違う」ヤモトは首を振った。「そういう事じゃなくて……」ヤモトは言葉を探すが、そのまま黙る。ザクロは肩をすくめた。
ヤモトは言葉にならぬ不安を頭のなかで整理しようと努力した。最適解を選んで、選んで、今のこのニチョームがある。ディクテイターが。より歩き易い道を選び続けた先に、果たして出口はあるのだろうか。その先が崖になっているとしたら?譲れない物を少しずつ、一つ一つ明け渡した、その先……。
到着した搬送車両に後を任せ、二人は帰路につく。ザクロは手の中のピュア・オハギを見て、思案顔だ。どこから入ってきた。誰が汚染されている。洗い出さねばならない。辛い仕事になるだろう。「そりゃあ、ナメられもするわよね」ザクロは呟いた。「何に」「ヤクザクランどもによ!不甲斐ないわ!」
◆◆◆
「オハギ?ピュア?」ディクテイターは片眉を上げた。「そりゃけしからんなァ。自制できんクズの集まりだからな、ここは。おぞましきバビロンだ。何の為にお前らを取り立ててやっていると思ってる。管理しろ、管理」耳穴をほじりながら、己の地位を誇示するがごとく、室内を悠々と歩きまわる。
「クローンヤクザを貸してくれない?」ザクロは切り出した。ディクテイターが足を止めた。そして芝居がかって振り返った。「ハァーン?言うに事欠いて、クローンヤクザ?」「この街に、カブキチョのヤクザクランが入ってきてる」ザクロは確信を持って言った。「そいつらがクスリを流してる」
「……で?」ディクテイターが冷たく促した。ザクロは息を吐いた。ヤモトは廊下に待たせている。この下衆が何をしでかすかわからないからだ。「やるしかないでしょ。アジトを探し出して、ブッ潰すのよ、出張所を。頭数が要る」「BANGBANG!」ディクテイターが発砲モーションでふざけた。
「お前はバカか?バカだな?ア?しょうもない脳みそだ」ディクテイターはやや背伸びし、ザクロの頭を拳でコンコンと叩いた。「どこの何て名前のヤクザクランかもわからん、アジトもわからん、規模もわからん、ン?」「……」ザクロは沈黙で肯定した。ディクテイターは肩をすくめた。
「それじゃァ予算は下ろせんのだよ、大人の世界は。これまでのニチョーム幼稚園がどうだったかは知らんが、我々アマクダリを動かすには、それなりのプレゼンテーションが必要だろうが。証拠を出せ証拠を。被害の確固たる証拠を。それからオイランだの、何だの、色々あるだろうが!話はそれからだ」
「出すわ」ザクロはディクテイターの両肩に手を置いた。ググ、と力を込めると、ディクテイターがやや沈み込む。「出して!吠え面!かかせて!やるわ!」「ムフーン!」ディクテイターは腕組み姿勢のまま、血走った目でザクロを睨み上げ、ザクロの膂力と拮抗した。「せいぜい!無駄に!努力しろ!」
SMASH!フスマを叩きつけるように開いて廊下へ出たザクロと、廊下から壁に耳をつけて両者のやり取りを聞き取ろうとしていたヤモトの目が合った。ザクロは顎で外を示した。「行くわよッ!」
◆◆◆
戻ってくれば、また出てゆく。ザクロとヤモトは曇天の下、息を潜めるニチョームの街を連れ立って歩く。「話、聞いてた?」「うん」「そう。要は、さっきアータと話してた事を実行に移すの。インタビューして回るわよ」「ピュア・オハギを使っているかって?」「辛い仕事になるかもしれないわ」
「あら……ドーモ、ザクロ=サン。ヤモト=サン」二人に向かっておずおずとアイサツしたのは、来た道を引き返そうとしかかっていた丸々しい男だ。「ドーモ、マジロ=サン」ザクロは微笑んだ。「どうしたの、マジロ=サン。こんなとこウロついて」「そうよね、最近えらい物騒よね、ニチョームも」
「そうよ、捕まるわよ怖い連中に。ウロウロしてると!」「マッポの人達、アタシに興味津々だものね。それにザクロ=サンに捕まっちまうもの、今日び!」マジロは笑い飛ばそうとして、詫びた。それこそ冗談にならない話だ。「ごめんね。キレがないの」「また彼氏と別れたの?」「どの彼氏だっけ?」
「本当続かないもんね!」「見る目が無いのよ。本当ダメよね。死んじゃいたい!」「そうよねェー、こんなご時世だし、お先真っ暗よね、アータみたいなのは……」親しく罵りながら、ザクロはマジロの上着やズボンのポケットのあたりを両手で叩いた。「ちょっと、何?」「いいから」
「ねえ何」「これよ、これ」ザクロはマジロの上着の内ポケットからキャンディ包みを取り、振ってみせた。純情。「ア……」「……」ザクロは真顔になり、マジロを凝視する。マジロは涙目になり、震えた。「やってないわ、やってないの。本当。まだやってない」「バカね」「逮捕しないで」「バカ!」
「イヤーッ!」KRAAASH!空気が震えた。ヤモトが電柱に正拳突きを見舞ったのだ。ザクロとマジロは問答を止め、思わずそちらを見た。「イヤーッ!」KRAAASH!「イヤーッ!」KRAAASH!「やめなさい!電柱折れる!」ザクロがヤモトを抑えた。ヤモトは強く首を振り、涙を拭った。
「ごめんね……その、ごめんね」マジロも泣いていた。ザクロはマジロを振り返った。「こっちの話だけど、先が思いやられるわ。アータが三人目。さっき二人目を見つけたばかり。ちなみに言うと、死んでたわ。ボノキ=サン」「ボノキ=サン……!」「いつからやってるの?」「本当、一度だけ!」
「いいわ。この際何回でも。責めやしないわ。フー……」ザクロは息を長く吐いた。「要はアタシのせいよ。節穴だったのよ!身内がこんなになってるのに、気付きもしないで!」「ザクロ=サン悪くないわ!本当に、アタシ、手を出したばっかりなの、本当に本当なの!」マジロが泣き叫んだ。
「誰から買ったの?」ヤモトが尋ねた。「どうして」「その……アタシ、こんなじゃない?いっつもヒドいドン底な気持ちで、うまく言えないけど、楽になりたいッていつも思ってたから、その……試してみようかなッて」マジロは途切れ途切れ言った。「何日か前、オスモウバーに、他所から人が来たの」
「外から?」「見慣れないオトコだったからね」とマジロ。「その場の皆に奢ってくれて、それから、試供品だから、ッて」「何の」ザクロは促した。マジロは目を伏せた。「薬……その……楽になれる、極稀に、運が悪い奴は健康に害があるけど、それはそれで楽になれるから実質プラス、って……」
ゆるやかに築かれつつあるニチョームの「壁」……検問体制への移行はいまだ噂の段階であるが、外部の人間が敢えて立ち入るには、かなり敷居が高くなった。わざわざ外からやってきて、ピュア・オハギを振る舞った者がいる。「で?また来るって?決まった時間に?」ザクロが尋ねた。マジロは頷いた。
「だから、お散歩してたのね?」ザクロが重々しく確認した。マジロはもう一度頷いた。ザクロは……「ちょっと!ヤモト=サン!」走り出したヤモトの背中に叫んだ。ヤモトは止まらなかった。石畳を蹴り、路地裏へ駆け込んだ。「ちょっと!」その時、街頭TVが、けたたましいジングルを鳴らした。
「臨時ニュースドスエ」パワワララホワワワオー……デン!勇ましいジングルが鳴り響き、悩ましい困り顔のオイランキャスターがフリップを読み上げる。「キョート大使レツマギ・シトシ氏が死亡しました。湾岸警備兵……湾岸警備兵ドスエ?未確定?モノリエ・ヤスミ氏の……少々お待ちください」
「何?」ザクロはヤモトを追わねばならぬと知りながら、その放送に思わず心奪われた。ひどい胸騒ぎがしたのだ。それはニンジャ第六感の疼きであったかもしれない。オイランキャスターはしどろもどろになりながら続ける。「情報が錯綜しておりますドスエ……とにかく隣人のテロリズムに注意し……」
◆◆◆
「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」逃げる男は次第に息が上がり始めていた。一方で、追い来る若い娘にはニチョームの土地勘があり、脚力がある。「マズった……畜生め!ハァーッ!ハァーッ!」男は口の端の泡を拭い、廃棄看板を跳び越える。目が合うなり全速で追いかけてきた。何たる目ざとさか。
ニンジャと非ニンジャ、それもアスリートでもない単なるプッシャーでは、基礎体力に差がありすぎる。「ウオッ!」目の前を横切ったバイオネズミに驚いて足がもつれ、ついに男は倒れた。娘は二秒後に追いつき、男の横面に、鞘に納めたままのカタナの先端を打ち込んだ。「イヤーッ!」「グワーッ!」
「なんで逃げた?アンタ誰?」ヤモトは男を見下ろし、鞘の先端を容赦なく男の横面にねじり込んだ。「グワーッ!」男はヤモトの目……桜色の光を畏れた。「タスケテ!こんな事をして、ただで済むと思うなよ!暴力沙汰だこれは!」男は喚いた。ヤモトは叫び返した。「誰だ!」「グワーッ!市民を!」
「アンタ、ここの人じゃない……!」「だったら何だ!」男はもがいた。「逃げたら悪いのか!追いかけるから逃げたんだ!法治国家だぞ!」男の黒シャツの襟元、それから手首、びっしりと刻まれた刺青が非常に戦闘的だ。「すぐに解放しろ!人を呼ぶぞオラー!タスケテ!センセイ!助けて!」
「この!」ヤモトが男を足で蹴り転がし、踏みつけた。もはや見慣れた包み紙がパラパラと路上に零れた。純情。その瞬間、ヤモトの目の光が一層強さを増す。男は失禁し始めた。「アバッ、センセイ……助けてくだせえ」「どうれ」凄みのある声が遠くで応え、男の叫びが譫言でない事を明らかにした。
ヤモトの首筋がぞくりと冷えた。彼女はこの路地裏へゆっくりとした足取りでエントリーしてくる姿を凝視した。ニンジャである。ヤクザめいた手下を二人後ろに従え、禍々しいメンポと長い前髪、ニンジャ鎖帷子の上に着流しを羽織った、ただならぬカラテアトモスフィアの持ち主である。
「アイエエエ!」男がヤモトの足元から這い出し、失禁痕を作りながらそちらへ逃れる。「センセイ!やっちまってください!」「……」着流しのニンジャは目を細めた。帯に挿したカタナの鞘に彫られたカタカナを、ヤモトは読み取る。「イキツモドリ」思わず呟いた。ニンジャは聞きつけた。「おうよ」
歩き進みながら、ニンジャは鞘を揺すってみせる。「それがこのカタナよ」「……」ヤモトはカラテ警戒し、一歩下がった。路地の反対からも三人。同様に、このニンジャの手下のヤクザだろう。ヤモトは殆ど打ちひしがれた。ここはニチョームなのだ。ニチョームに、ヤクザが!こんなに当然のように!
「弱い者いじめは感心せんな、ニンジャの娘」ニンジャは言った。細長い目には抑えてなお溢れんばかりの殺意が光る。「アイエエエ!センセイ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」すがりつこうとしたプッシャーはニンジャから強烈な蹴りを横腹に叩き込まれて吹き飛び、壁に衝突して動かなくなった。
先にアイサツしろ!ヤモトは己を奮い立たせた。そしてオジギを繰り出す。「ドーモ。はじめまして、ヤモト・コキです」オジギ終了からコンマ5秒、自剣ウバステを掴み、やや姿勢を低くとる。イアイドーだ。「……ドーモ。ヤモト・コキ=サン」ニンジャはアイサツを返した。「ジュクレンシャです」
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「スッゾオラー」「ガキャッコラー」ジュクレンシャの後方、袴にサラシ姿の角刈り男が二人、肩の花火刺青を威圧的にそびやかし、ヤクザスラングを発する。「黙りおれ」ジュクレンシャが叱ると、「スンマセン!」と返す。ヤモトは吟味する。この者たちはニンジャではない。クローンヤクザでもない。
「オヌシの名は闇にそこそこ聞こえておるぞ、小娘」ジュクレンシャが眼光鋭く言った。「かつてソウカイ・シンジケートのニンジャに追われながら、今こうして生きておる。そのカラテと強運のほど、侮るまい」摺り足で一歩踏み出す。ヤモトは一歩下がる。だが背後にもサラシ姿の三人。
「この街に……ニチョームに何をしに来た」ヤモトが問う。ジュクレンシャは顎をさすりながら、カタナに手をかけた。「ネザークイーンとオヌシがこの街のヨージンボ……出来るだけ早く排除せねばと思うておった。幸先よし」ジュクレンシャが腰をやや落とし、石畳をカーボンナノチューブ足袋が擦った。
ゴウ!ヤモトが桜色のつむじ風に包まれた。それはひとりでに折り上がりながら旋回する複数のオリガミであった。紙そのものは白い和紙だ。それが桜色のエンハンス・ジツによって操られ、飛ぶのである。ジュクレンシャは踏み出した。「イヤーッ!」「イヤーッ!」
ヤモトは振り返った。パン、パンと音を立てて、周囲を舞うオリガミが弾け飛んだ。「イキツ」ジュクレンシャの声は背後だった。ヤモトには自剣ウバステの刀身に致命的クラックが生じた事を訝しむ時間はなかった。敵の動きに対応しようとした。振り向くジュクレンシャの目が光る。「モドリ!」
「イヤーッ!」「イヤーッ!」ヤモトは再度カタナを繰り出す!KLASH!折れた!ウバステが!ヤモトは苦痛の呻きを噛み殺す。ジュクレンシャの「モドリ」の剣はウバステを破壊しつつ、ヤモトの左胸を浅く裂いた。「イヤーッ!」ヤモトは肘打ちでジュクレンシャの側頭部を打ちにいく!
「イヤーッ!」だがその致命的頭蓋骨破壊攻撃はジュクレンシャに届かなかった。ヤモトの身体は車輪めいてぐるりと回転させられていた。ジュクレンシャは足先を動かし、踏み込むヤモトを躓かせるように投げたのだ。アイキドーめいたワザマエである!
だが、これはニンジャのイクサである!「イヤーッ!」ヤモトは天地逆の状態から、折れたウバステを横に薙ぎ払い、ジュクレンシャの脛を切断にかかる。「イヤーッ!」ジュクレンシャはそれよりも一瞬早く、ヤモトの身体に当て身をくらわせ、吹き飛ばした!「ンアーッ!」
ヤモトは空中で素早く回転し、背後の電柱を蹴った。そしてジュクレンシャへトライアングル・ジャンプからの飛び蹴りを繰り出す!「イヤーッ!」ジュクレンシャはこれを側転で回避すると、タタミ二枚離れた位置に着地。更なる攻撃を試みると思いきや、ヤモトとは逆方向の空間を斬った。「イヤーッ!」
見よ!ジュクレンシャが弾き返したのは、背後から襲いかかったウバステの先端部分であった。桜色の光を帯びた刃はアンブッシュを果たせず、クルクルと回転して、トタン壁材に突き刺さった。「ハァーッ……!」ヤモトは大きく息を吐き、こらえた。紙ではなく鉄!凄まじい集中力を必要としたのだ。
「センセイ!やっちまってください!」「ガンバッテクダサイ!」「ブッ殺せ!」「アマ!」ヤクザ達が口々に叫んだ。ヤモトは呼吸を整えようとする。パーカージャケットの左胸に血の染みが広がっていく。複数のオリガミが再びツルやイーグルの形を取り、防衛行動をとる。
「フゥーム。練れておる」ジュクレンシャはヒュンヒュンとカタナを打ち振り、鞘に納めた。「おれのイキツモドリはオヌシの身体を三つにバラす筈であった。オヌシはおれが考えておったよりも少しだけ強い」「……!」ヤモトは次の攻撃手段を弾き出そうとする。右へ一歩。ジュクレンシャが左へ一歩。
「ヤモト!」大柄な影が路地に飛び込んできた。ネザークイーン、即ちザクロだ!退路を塞ぐヤクザ三人がそちらへ身構えた。「トルオレッコラー!」「ワチェッドラー!」「イヤーッ!」「グワーッ!」ネザークイーンの前蹴りが、襲いかかろうとした一人の顔面を粉砕!「シャッコラー!」「スッゾ!」
「スッゾ!」「スッゾ!」「スッゾ!」ヤクザ達がサラシに差したロングドスを次々に抜き放ち、中腰で小刻みなステップを踏みながら、ネザークイーンに向かっていく。ジュクレンシャはヤモトに斬りかかる!ヤモトは敵のイアイの瞬間に重点した。時間感覚が濁り、泥のように鈍った。手が……動く!
「イヤーッ!」ジュクレンシャの斬撃が放たれる。ヤモトは踏み込みながら背を向け、上体をそらす。額のすぐそばを危険な刃が通過する。地面に両手をつき、バックフリップで跳んだ。一つ、二つ、三つ……オリガミ・ミサイルが雪崩を打ってジュクレンシャに襲いかかった。「イヤーッ!」
BANG!BANGBANG!ジュクレンシャは桜色の爆発に包まれる。ナムサン!しかしスモークの中から現れた剣士は無事!素早い斬撃によって、飛来したミサイルを全て未然に破壊したのである。ヤモトは壁を蹴り、ネザークイーンに殴りかかるヤクザ達を上から襲った。「イヤーッ!」
「グワーッ!」ヤクザの首が180度回転し、倒れ込む!「イヤーッ!」ネザークイーンの強烈な裏拳が別のヤクザの顔面を粉砕!「フー」ジュクレンシャは侮蔑と失望の溜息をついた。その目がピクリと動く。「御用!御用!」警察機構の御用サイレンだ。「撤収、撤収」飛んで来たのは別の声!
「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」……「イヤーッ!」KRAASH!塀が砕け、吹き飛んだ。穴の空いた塀から身を乗り出し、現れたのは、ネザークイーンよりも更に大きい物騒なニンジャだ。乱戦からやや離れて立つジュクレンシャの元へ悠々と歩いて来る。「撤収。マッポ」
「マッポ?」「手続きが面倒」「よかろう。戻れ!」ジュクレンシャが命じると、乱闘するヤクザのうち、無事な二人が……といっても、一人は片腕をだらりと垂らし、一人は前歯をあらかた折られている……すぐさま後退し、飛び下がって離れた。ネザークイーンは吊り上げたヤクザを地面に叩きつけた。
「邪魔して悪いなァ。今日はこれで失礼するからよ」禁酒法時代めいた灰色のコートを装束の上から羽織ったビッグニンジャは、禁酒法時代めいた灰色の帽子を脱いで瓦礫埃を払い、また被り直した。「ま、悪いがよ。これからもウチの好きにさせてもらうわな」「テメェ」ザクロが唸った。「ヘンチマン」
「ドーモ。ネザークイーン=サン。ヘンチマンです」ビッグニンジャは手を合わせ、威圧的にアイサツした。その右手は無骨な鉄のグローブめいている。「ネンガジョもよこした事ねェな」「どこのヨージンボだ」ネザークイーンは剣呑アトモスフィアを漂わせる。ヘンチマンは嘲笑った。「すぐわかるぜ」
◆◆◆
「ヤクザ?ヨージンボ?」ディクテイターは膝枕オイランの膝の上で頭を動かし、ザクロを見た。「ニチョームに?ンン?由々しき問題だ、それは。……アーイイ」オイランの耳掻き行為に恍惚と身を震わせ、目を細める。「で?それでどうするんだ?」「前から言ってるでしょ」「アーイイ」
ザクロは表情を更にこわばらせた。「アータの指示で連行した、現場のヤクザ!情報出たでしょ?働きなさいよ!」「失敬だぞ!まるで人を、アーイイ、無能者のように!全くここの連中はシツレイなクソで、お前はその筆頭……」ディクテイターはわざとらしいアクビをした。「よきにはからう、よきに」
あの後、ヘンチマンとジュクレンシャは無事な手下を引き連れ、マッポの介入を避けて早々に退散した。プッシャーはジュクレンシャの蹴りで死んでいたが、戦闘ヤクザの一人にまだ息があり、インタビューが可能だった……ディクテイターが素早く身柄を確保しなければ。「よきにィー、はからう!」
「この野郎……」正座するネザークイーンの両拳に力がこもり、震える手の甲に血管が浮き上がる。「あン?キレんのか?反乱か?不穏分子か?反逆行為か、ンンー?」ディクテイターがその様子を見咎め、オイランの太腿をまさぐりながら言った。「俺とイクサするのか?アマクダリ・セクトと!」
「イヤーッ!」ネザークイーンはディクテイターの顔のやや横のタタミに拳を振り下ろした。SMASH!タタミが裂け、「アイエエエエ!」膝枕オイランが悲鳴を上げる。ザクロは立ち上がり、ディクテイターを睨み下ろした。「あらやだ!足がしびれて、転びそうになっちゃったわ!」「ムフン!」
フスマをピシャリと閉めて退出したザクロは、廊下を見渡し、ヤモトを探した。いない。……その後「絵馴染」に戻るが、そこにもヤモトの姿はない。すわ、ヤモトの身に危険?ザクロは反射的に絵馴染から路地に飛び出した。走り出そうとして、止めた。ザクロは自嘲の笑みを浮かべる。
ヤモトももはや一人前のニンジャなのだ。彼女自身の意志があり、感傷があり、意地がある。「アタシは本当ダメよね」ザクロは呟いた。「世話焼きだからな」答えたのは元自治会長のキリシマだ。ザクロのもとへ歩いて来る。「匙加減わからんのだろ」「何よ、てきとうに話を合わせないで!不粋よ!」
「しかし、どうしたもんか」キリシマは苦い顔になる。「胸糞悪い話の方はよ。ディクテイター野郎の協力は?ダメか」「ダメね」「参ったねェ」キリシマは目を閉じ、首を振った。ザクロは彼の態度の裏に、煮えたぎる怒りが隠されているのを知っている。ニチョームに違法薬物とヤクザなのだ!
「俺らのような奴らは今日日、流行らねえのかもしれねえな」「流行り廃りで殺されちゃたまらないわよ」「違いねえ、違いねえ。……じゃあ、どうすンだ」キリシマがザクロを睨むように見た。ザクロは言葉を探した。キリシマは瞬きせず、ザクロを凝視する。「お前さんの悪い癖だろうが」
「何がよ」「あの嬢ちゃんの事も、俺らのこともよ」キリシマは言った。「お前さんがさっき言ったとおりだよ。お前さん本当ダメだッてよ」ザクロは殆ど泣きそうな顔になった。「でもアータ達……」「お前もまだまだネンネのガキなんだよ、ザクロ=サン。俺らはな、お前にナメられる筋合い、ねえぞ」
ザクロはしばしうつむき、石畳の模様を見ていた。それから顔を上げた。キリシマがザクロの背中を叩いた。上空で一羽のフクロウがバサバサと羽ばたき、ぐるぐると数度旋回したのち、降下してきた。傷ついたフクロウだった。
◆◆◆
「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」右、左、右、左……激しく打ち込まれる木剣はドージョー中央のバンブー木人を削り取ってしまうかと思われた。打ち込みのたびに天井材のかけらがパラパラと音を立ててこぼれ、バイオハツカネズミは天井裏を忙しく行き来した。
「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」右、左、右、左……急ごしらえのバンブー木人は徐々に歪み始めた。表面が削れて骨組みが露出した首無しブッダデーモン像、打ち捨てられた銅鑼、平安時代風に作られたイミテーション火鉢、壁にショドーされた「道場破り」の文字。
「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」バンブー木人が、くの字に折れ曲がった。ヤモトは打ち込みをやめなかった。「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」もはやそれは基礎トレーニングですらない。ヤモトは打ち続けた。ただ打ち続けた。
一打ごとにヤモトは思考を捨てていく。カラテになろうとする。時間の感覚が失われ、音が失われ、処置した左胸の痛みが失われる。過去に戦ってきた敵、くぐり抜けた死線、一つ一つがニューロンの表層に蘇っては溶けていく。KRAAASH……ワイヤーが千切れ、束となったバンブーが弾け飛んだ。
ヤモトは深呼吸した。首無しブッダデーモン像のそばまで歩いて行った。正座し、奇怪な怪物じみたそれを見上げる。桜色の光を帯びたオリガミが風に吹かれるように舞い、膝の前の床に隙間なく敷き詰められた。彼女は荷物として持ってきた硯と筆を使って、そこへ「ヘイキンテキ」とショドーした。
正座したまま、ヤモトはそれを凝視した。瞳に桜色の光が灯り、隙間なく敷き詰められた和紙もまた桜色に染まった。注意深く、ヤモトはその一枚一枚を、触れることなく、鶴の形に折っていった。最初の数枚は、鶴の形を為す前にひとりでに弾けて散ったが、終わり頃にはずっと精度が上がっていた。
ボーン……別のどこかのテンプルで鳴らされたボンノ鐘の音が、廃ドージョーにまで届いた。ウシミツ・アワーを知らせる鐘の音。ここから朝の四時まで、一時間毎に必ず丁度108打になるよう夜通し打ち続けるのが作法であり、各テンプルのニュービー・ボンズが持ち回りでこの過酷な修行にいそしむ。
ふた月に一度訪れるボンノ晩のアトモスフィアが、ヤモトによいセイシンテキを与えていた。彼女は庭に出た。ヘンゲヨーカイやキツネの類を恐れる大衆の心はマッポーの世においても依然として有効であると見え、狭いテンプル空間はさほど荒らされる事もなく、限定的な穏やかさを保っている。
テンプルの庭の隅に、粗末なオジゾウが立ち並ぶ空間があった。ヤモトはそこへ分け入り、オジゾウに囲まれた祠の前に立った。(折れたカタナを元通り戻すワザなどないです)ヤモトは刀匠の言葉を思い起こしていた。かつてのイクサでクラックを生じた自剣ウバステを持ち込んだ際に言われた言葉だ。
(そりゃあ仕事ですから、ちゃんとやりますよ。このカタナも、折れてはいない。でも、元通りとはいかないです。前より脆くはなる筈)ヤモトはそれでもその時、鍛えなおしてもらったのだ……。彼女は懐から薄い長方形の紫フロシキ包みを取り出した。今回折られたウバステの切っ先である。
ヤモトは祠の扉の閂を外し、開いた。そこには布製アミュレットや鏡、コケシ等がおさめられていた。ヤモトは無数の訪問者が残していった品々に、己のウバステの切っ先を加えた。扉を閉じ、手を叩き、合掌してオジギをした。身元不明の死者を弔うオジゾウの根本の土を堀り、柄側を鞘ごと埋めた。
それからヤモトはニチョームのことを思った。ニチョームは、よい場所、かけがえのない場所だ。ヤモトを迎え入れてくれた。ヤモトはニチョームをまもるために戦うだろう。恩を返そう。
◆◆◆
未明。ディクテイターは迎えに来た家紋リムジンに乗り込み、羽毛シートに深々と腰を沈めた。ガスマスクメンポの口元をオープンし、葉巻を咥えると、ヤクザが素早くライターで点火した。「なかなかコシャクなライターじゃねえか」ディクテイターは煙を吐き出す。メタルの表面にフェニックスの紋章。
「こんな朝も早くからなァー、実際働き者な男だ、俺は」ディクテイターは繰り返し煙を吐き出す。家紋リムジンはしめやかに走りだす。「ン」ディクテイターが白い手袋で手招きすると、オイランがしなだれかかり、スパークリング・オーガニック大吟醸の瓶を差し出した。
「お前らンとこはアレか?クローン嫌いのアレか?ブードゥーか、ン?」オイランの胸を揉みながら、ディクテイターはヤクザに問いかけた。「今どきオーガニックヤクザばかりか」「へえ」ヤクザは表情を表に出さず、頷いた。「闇には闇のミーミーが必要てなもんなんで。それがウチのヤクザ・ドーで」
「アッソ」ディクテイターはオイランが差し出すスシを食べ、その白い指をしゃぶった。「アーン!」オイランが悶えてみせた。ディクテイターはあくびをした。「つまらん世界だ。お前らは気楽だ。サケ、スシ、女。どこまで権力を極めようとな、お前、本質的には畜生と同じよ……ハハッハハハ!」
ゴゴウン……家紋リムジンがモジュール隔壁のラインを越えて遠ざかるのを、付近の電波塔の上で屈む影は見ていた。彼女ヤモト・コキは手近のビル屋上へ跳び下りると、眼下の道路に家紋リムジンの背を追いながら、ビルまたビルへと渡って行くのだった。
3
パワワララホワワワオー……デン!「安全な速報です。市民の皆さん、ご安心ください。日本政府とキョート共和国の間で数十分間の銃撃戦が確認されたとの事。遡る数分前、キョート共和国の宣戦布告がありました。戦闘は前線で起こっており、市民は安全です。次に、タマ・リバーのラッコの子供……」
ビルに据えられた巨大液晶モニタがけたたましいニュース音声を鳴らす。それらもやがては店頭のセール音声、広告音声、詐欺商法への注意を促す音声、商店街BGM、店頭販売ラップBGMの坩堝の中に飲み込まれる。ヤクザリムジンは複雑な標識が立ち並ぶネオカブキチョ大通りを進んでゆく。
「スパシーバ。もう常識ですね?スパシーバ」「長さは……改善され、適度な中程度」「コメチャン……」森林めいた広告音声を抜けると、ヤクザリムジンはやや乾いた区画へ進入する。退廃ホテルやソバ屋台が列を為し、ナイト・ビズ明けの接待ワーカーが電柱やポリバケツの影に吐瀉をする。
ズグググン。唸るようなアイドリング音ののち、ヤクザリムジンは大きく上下に揺れて停止。ドアが開いて、まずヤクザが。それから、オイランの腰に手を回したディクテイターが降り立った。「まったくもってルーザーが満載だ!お前らにはわからんだろうが、実際健康に悪いんだ。こういう空気はな!」
ヤクザに先導されながら、ディクテイターは話し続ける。「ゆえに俺のメンポは美的観点と実利の両方を満たす安全なニンジャギアだ。こういった気配りと注意が、上に立つ者の格なんだよ。わからんだろう。ノブレス・オブリージュ。お前らは何人倒れようと構わんが、俺が健康を害すれば運営に支障……」
道路脇のソバ屋台の一つ、カウンターにトークンとドンブリを置き、ノレンを翻して椅子を離れたのは、ヤモトである。「お嬢ちゃん、どうしたの?もうこれごちそうさまの?味に自信あるのよ?」「ごめんなさい、やっぱり用事が」ヤモトは会釈したのち、ディクテイターらを追って歩き出した。
ディクテイターらは更に狭い路地へ入った。新たなヤクザが出迎え、朱塗りの油紙の傘をさした。ディクテイターはオイランの腰を抱いたまま、傘の中に入る。少し遅れて、ヤモト。注意深く、通りの角から角、陰から陰へ。
その時ヤモトの懐の携帯端末が2秒ほど発光。ヤモトはIRC通信リクエスト者の名を見て、やや躊躇ったが、最終的には応答した。「モシモシ、ザクロ=サン」『モシモシ、ヤモト=サン。ネオカブキチョね?』「うん」『何かクールなものでも見つけたのね?』ヤモトは口元をほころばせた。「……うん」
『ディクテイター野郎の後を尾けた、当たり?』「うん。そう」ヤモトは認めた。「外から帰ったら、丁度、あいつ出て行くところだった」『とりあえず、アータの位置情報共有の承認をして。三人集まればブッダとか何とか、そういうコトワザがあるでしょ。今はアータとアタシの二人だけど』「わかった」
霧雨の中、ヤクザ達は狭い路地裏を進み、やがて人工バンブー林の区画に入る。ディクテイターはバンブーのたもとにうずくまる浮浪者を特に理由なく蹴った。「アイエエエ……」「風流、風流ッてか」ディクテイターの声が徐々に遠ざかる。ヤモトは慎重に距離を保つ。『時間貸しの茶室区域』とザクロ。
『あの野郎、内緒でコソコソ何をしようッてのかしら……いい?アタシはそこに行かれない。アータの仕事よ。アイツの尻尾を掴めるのは、今アータひとり。アータが頼りよ!重大なの』「うん」『イクサになれば、加勢は無い。奴の企みは掴みたい、でも、ヨクバリもダメ。わかるわね』「ワカル」
『……あの時の事、ちょっと思い出すわ』「いつ?」『オイラン・キラーよ。あの時アタシ、アータの事、心配で心配でしょうがなくて』ザクロはしみじみと言った。『どこかでアタシ、あの時の気分のままだったのね、ずっと』「……」『思い出、終わり!オペレータと潜入者。ミッションの基本構成よ』
バンブー林の中に続くボードウォークを進む、ヤクザ二人とオイラン、そしてディクテイター。やや離れた距離を、しめやかに進むヤモト。タケノコに躓かぬように注意しながら。やがてボードウォークが導いたのは、大小のボンボリで早朝からライトアップされた藁葺のハナレ茶室であった。
ヤモトは周囲を見渡した。ビル群の隙間に築かれたこのバンブー空間は、実際思いのほか小さいのだ。ヤモトのニンジャ聴力は警戒にあたるヤクザ戦士たちの可能性を探る。茶室周辺に幾つかの足音。ニンジャは居るだろうか?『何かあった際の逃走経路を指示しておく』端末モニタに情報が表示される。
「……」茂みから茂みへ移動し、頭を少し出して様子を覗い、また動く。戦闘は避けねばならない。何らかの密談が行われるとして、ヤモトが気づかれればすぐさま中断、全てが台無しとなり、ディクテイターはこんな油断を二度としなくなる。今のディクテイターは弛緩している。チャンスは今だけだ。
ヤモトは己をバンブーと重ね合わせ、溶け込ませる。古事記には、ヘイキンテキを極めた結果、自身が石と化した事すら自覚しなかったミスティックの伝説がある。その境地にまで達せずとも、たとえばフクスケ庭師ドロイドのセンサーを欺く程度のオンミツはできよう。ヤモトはニンジャなのだ。
二人のヤクザはショウジ戸の両脇で正座し、ディクテイターを促した。室内のボンボリライトがショウジ戸に影を投影する。中に二人。ヤモトはニンジャ第六感を研ぎ澄ます。ニンジャだろうか……?「ドーモ、デッドフェニックス・オヤブン。ディクテイターです。オイラン同伴でシツレイするぞ!」
「ドーモ。エンプレスです」影が一度立ち上がり、オジギした。女の声である。「幸せそうでなによりだ。5分前から貴殿の酒臭さがここまで届いたわ」「なァにが幸せなものか、エンプレス=サン。お前さんも、アルコール度数如きで己を偽れる便利な類かよ?オヤブンともあろうものが。ハッ!」
(((デッドフェニックス・クラン……!)))ヤモトは眉根を寄せた。デッドフェニックスはネオカブキチョで激しい勢力争いを繰り広げる群雄割拠ヤクザクランのひとつであり、オヤブン・クーデタ以降、めきめきと頭角をあらわした、極めて凶悪な集団である。その首領と今、ディクテイターは……!
一時ネオカブキチョ・エリアを併呑寸前にまで拡大したドクロスケルトンウォリアー・クランは、当初下部組織であったこのデッドフェニックス・クランによってゲコクジョされ、斬首粛清されて根絶やしとなった。そんなデッドフェニックス・クランの冷酷非道の筆頭が、オヤブンのミロコ・ウノ自身だ。
抗争においてはしばしばこのミロコ自身が先陣を切り、鬼神めいた二刀流のカラテで、敵対ヤクザを斬って斬って斬りまくるのだという。背中に双頭フェニックスの刺青を入れ、自らをエンプレス(女帝)と名乗るその胆力と野心は、けっして虚仮威しからくるものではない。
ニチョーム自治会はネオカブキチョの群雄割拠ヤクザクラン群と注意深く調停をやりとりし、相互不干渉の姿勢を貫いてきた。それはデッドフェニックス・クランとて例外ではない。では、ニチョーム自治会無き今、その野心の矛先は?
これまで各クランが手を出してこなかったニチョームを敢えて手中に収める事。それは実際の数字の利益では測れない象徴的な意味合いを持つ。デッドフェニックス・クランとディクテイターの密会。それが示唆する不穏なアルゴリズムは、今こうして息を潜めるヤモトにもごく自然に理解されるのだった。
「好きにやれ!」ディクテイターの言葉が届く。「アマクダリ傘下に入れば、万事許される。俺の下にな。直々に上と掛け合い、例外的なまでの好条件を引き出してやる。まさにWIN-WIN……お前は実際得難い賢明極まるアマクダリ者を前にしておるんだ。他のアホ共ではそうはいかんぞ?」
「お墨付きと取って良いのだな?ディクテイター=サン」「ああそうだ、手段は勝手に考えて、お前らで綺麗にしろ。未練がましいカスがニチョームにいまだ蔓延っている!如何せん傷を舐め合うコミュニティの粘着汚れがしつこく残ってやがるし、無駄に腕が立つニンジャもいる。だが、問題ないな?」
「問題?ハ!」エンプレスは笑った。「貴殿、焦りがあるな。見えるぞよ。ニチョームの件、"上"とやらにせっつかれておろう」「痛くもない腹を探られるのは実際不快!」ディクテイターが声を荒らげた。「ニチョームの土着組織は段階を踏んで解体する。自治会解体も予定通り。段階だ、段階!」
「……まあよいわ。どちらにせよ、貴殿の望みには叶うであろう」エンプレスが言った。「肝に命じよ、ディクテイター=サン。これからかわす盃は、恭順のしるしではないぞえ」「ブルシット!ニチョームが欲しくばもうちと殊勝にしろ、エンプレス=サン」だが、ディクテイターは盃を差し出した。
ヤモトは歯を食いしばった。こういう事だ。こういう事なのだ。だから、あんな薬物が。あんなヤクザ達が、ニチョームに!……その時、「ゴーメン」それまで沈黙していたもう一人が立ち上がり、ショウジ戸を引き開けたのである。「会話中だぞ!躾のなっとらん犬だなァ!」ディクテイターが罵った。
ヤモトは凍りついた。室外へ出て縁側に立ち、長い前髪を払いのけたのは……装束の上に着流しを羽織ったそのニンジャは、ジュクレンシャである!
ヤモトは躊躇わなかった。ジュクレンシャの凝視がヤモトを捉えた瞬間、彼女は既に身を翻し、バンブーを蹴って斜めに跳んでいた。「イヤーッ!」だがその時、斜め上後方からヤモトへ飛びかかる別のニンジャ有り!
「イヤーッ!」空中で身をひねったヤモトは後方に回し蹴りを繰り出し、追手の危険な爪攻撃を弾いた。落下しかかる彼女の下方、カモメ状に折られたオリガミが幾つか飛来し、わずか一秒の足場を作った。「イヤーッ!」ヤモトはカモメを蹴り、再び上へと跳ね上がり、茶室からひととびに遠ざかる。
「"ヤッター!逃げられた"」ヤモトの右横であざ笑うような声。「……とでも思うたか?小娘!」ヤモトの血中をニンジャアドレナリンが駆け、咄嗟に防御姿勢を取った。「イヤーッ!」「ンアーッ!」ヤモトはクロス腕で敵のアクロバティックな空中回し蹴りを受けた。斜め下に弾かれるヤモト!
弾かれた先の地面には、ナムサン、鋭利なタケノコが突き出ている!「来い!」無惨なオブジェとなる寸前、バンブーの間を滑るように数羽のツル・オリガミが旋回して飛来、ヤモトを受け止めて炸裂した。「イヤーッ!」ヤモトは空中でくるくると回転、近くのバンブーを蹴り、再び斜めに跳んだ。
「イヤーッ!」追手ニンジャもバンブーを蹴り、ヤモトめがけ斜めに飛来する。「イヤーッ!」繰り出される回転爪攻撃!これに対し、ヤモトはコヅカ・ダガーで応戦した。切り結んだ二者が交錯し、互いにやや離れた落ち葉の上に着地する。ヤモトは呻きをこらえる。脇腹に血が滲んだ。
茶室の柔らかな灯りを遠くに、二人のニンジャはオジギをした。「ドーモ。ヤモト・コキです」「ドーモ。テネイシャスです」ニンジャの異常痩身が、装備した爪の危険な長さを強調してみせる。「殺りあうか?それとも鬼ごっこか?」「イヤーッ!」ヤモトは二つのオリガミ・ミサイルを同時に放つ!
「イヤーッ!」テネイシャスはその場で回転し、飛来したミサイルを一瞬で撃ち落とした。爪とは逆の腕のブレーサーに装着された棘付き鎖分銅である。「ハッハ!鬼ごっこに決まりか」テネイシャスは笑い、身を翻したヤモトの追跡にかかる。
「イヤーッ!」跳びながら後方へ散布したオリガミが空中で風車となり、機雷めいてテネイシャスの進行方向に配置される。「イヤーッ!」テネイシャスは横へ鎖分銅を放ち、バンブーに巻きつけ、遠心力をかけて弧を描くように跳んだ。ヤモトはあっという間に背後ワン・インチ距離へ迫った敵に戦く。
「イヤーッ!」襲いかかる爪!「ンアーッ!」ヤモトの背中を切り裂く!ヤモトは墜落し、着地点でゴロゴロと三連続前転すると、そのまま走ってバンブー林を抜けだした。「イヤーッ!」突き当たるトタン壁を蹴り、そのまま壁を走る。「ハハァー!」二秒後、テネイシャスが同様に林を飛び出し、追う。
(((大丈夫だ、平気だ)))壁を蹴って着地し、通りを目指しながら、ヤモトは己に言い聞かせる。(((逃げながら斬られても傷は浅い。間合いから遠ざかるからだ)))彼女はニンジャ自律神経で血中に含まれる毒をはかる。幸い、自身のニンジャ耐久力で浄化可能な程度の毒だ。
「アカチャン!」「ジャイアントパンダすぐに来る!」「ライフサイクル!」広告音声の洪水がヤモトを呑み込む。丁度その時はスクランブル交差点の歩行者信号の変わり目、一斉に市民が横断を開始した。ヤモトは走りながら後方を振り返った。テネイシャスが来る。
ヤモトは歯を食いしばり、速度を上げた。「イヤーッ!」「アバーッ!」テネイシャスは最短距離で接近してくる。その背後に、切り裂かれて崩れ落ちる市民。雑踏はまだ何が起こったか把握しきらない。ヤモトはテナントビル脇の路地に飛び込んだ。背後、路地入口にオリガミが展開、風車の壁を作る。
「イヤッ!イヤーッ!」テネイシャスは爪を振るい、風車機雷を裂断する。ヤモトは数十フィート先で再び風車機雷を張り、更に、それらを飛び越える放物線を描くように、トビウオ型オリガミを撃ち出す。テネイシャスはこの対空攻撃を予期しており、ウカツに風車をジャンプしようとはしないのだ。
「イヤーッ!」ヤモトは路地を曲がり、別のディープエリアに入る。転がり込むようにバラック店舗へ入ると、金網の奥からレジ係の肥った青年が睨みつけた。「18歳未満禁止」「成人です」ヤモトは言い、裏口へ走り抜ける。「イヤーッ!」数秒後、テネイシャスがバラック店舗に飛び込む。
金網の奥からレジ係が睨みつけた。「武装者入店禁止」「下郎!」睨みながら言い捨てたテネイシャスの背中を見ながら、レジ係はしめやかに失禁した。「イヤーッ!」裏口フスマを破壊して飛び出したテネイシャスは、より狭い路地に己を見出す。「小娘……」左か。右か。ニンジャソウル感知。右だ。
バラック店舗を左右に、テネイシャスは歩き進む。「……」異常痩身のニンジャは首を巡らし、「力」「傷」「殺」のノレンをくぐった。「今、客があったな?」先程のアブノーマル・ショップの三倍密度の金網で護られた刀剣店店主が瞬きした。「客……アイエエエ!ニンジャ!ニン……」「イヤーッ!」
金網は横薙ぎ爪攻撃で切り裂かれ、店主の護りを一瞬にして剥がした。「……小娘だ」「アイエエエ……有り金はたいて、商品を。釣りは要らないと」店主は店の奥を指さした。「裏口へ、い」店主の顔に時間差で赤い水平線が三本生じ、「い、アバーッ!」一秒後、無惨にスライス!ナムアミダブツ!
「シューッ」テネイシャスは昆虫めいた殺意に満ちた息を吐き、たったいま自らが生み出した惨劇空間を去った。曲がりくねった路地には光が殆ど届くことがない。もはや広告やグラフィティもなく、ただ不気味に有機的な配管パイプや苔のにおいがテネイシャスを取り囲む。……突き当り。行き止まりだ。
「……」人ひとりが通れる程度の幅しかない路地の突き当り、テネイシャスが佇む、その20フィート上。両壁を伝う配管パイプをそれぞれの足で踏みしめたヤモトは真下のテネイシャスを見下ろした。その目に桜色の光が熾る。その手に握った店頭陳列の安い電磁鍛造カタナにも。
ヤモトは配管パイプから足をずらし……落下した。「イヤーッ!」高く狭く切り取られた空の下、桜色の軌跡が路地裏の闇を裂く!「イヤーッ!」テネイシャスは振り向きながらの爪斬撃!ぶつかり合い、火花散らす二つの鋼鉄!二者は斬撃に続く蹴りを互いに繰り出す!「「イヤーッ!」」
そして斬撃!「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」飛び離れ、間合いを取る!「シューッ」テネイシャスはヤモトを睨んだ。「市民の肉盾、ジツの壁でイクサ場を選んだか。なかなかの抜け目無さよ」腕をグルグルと回し、鎖分銅を巻きつける。この狭さでは役に立たぬからだ。
「だが今のアンブッシュが破られた時点で、貴様は最大最後の好機を逃した事になる。待ち伏せなど織り込み済よ」「ここなら誰もいない」ヤモトは言った。カタナを振って後ろに構え、やや身を沈めた。テネイシャスも同様に爪のカラテを構える。左手の甲から補助的なブレードが飛び出した。
ヤモトの眼光が更に強まる。折られていないオリガミが上から遅れて降りてくる中、ヤモトが足先へ体重をかけ、ジリジリと前ににじった。二者の視線がぶつかり合い、互いの殺気によって練られた空気が歪んだ。……テネイシャスが地を蹴った!
ヤモトの血中ニンジャアドレナリンは、泥のように淀んだ主観時間をもたらす。まずテネイシャスの動きの軌跡イメージが描かれた。足先、目線、呼吸。散らしたオリガミを警戒しているがゆえに、攻撃パターンが限定される。ヤモトも地を蹴る。斬撃イメージをなぞり、テネイシャスの爪斬撃が迫る。
ヤモトは上体を反らし、爪斬撃に幾筋かの髪を切られながら、懐へ潜り込む。更に迫り来るは左手ブレード。ヤモトは身体を捻り、すでにイアイ斬撃を繰り出している。片手持ちだ。全身のバネで斬るのだ。カタナ持たぬ手はテネイシャスの左手を内から外へ押す。「「イヤーッ!」」ヤモトは倒れ込んだ。
テネイシャスはたたらを踏んだ。ヤモトは地面を転がり、跳ねるように起き上がって、振り返り、ザンシンした。「俺に油断は無かった」テネイシャスは呟き、メンポ呼吸孔から血を零した。「ニチョーム・ヨージンボ、成る程」「お前たちには渡さない」ヤモトは言った。テネイシャスの身体が裂けた。
「グワーッ!」テネイシャスの鮮血が高く噴いた。異常痩身のニンジャは引き裂かれた枯れ枝めいて身悶えした。ヤモトは繰り返した。「デッドフェニックス!ニチョームは渡さない!」「デッドフェニックスは不死だ。必ず生き残る。俺はただヤクザのミーミー(meme)に還るだけだ……サヨナラ!」
テネイシャスは爆発四散した。舞い散るオリガミはテネイシャスの爆発に連鎖し、桜色のセンコ花火めいて炸裂した。ヤモトはまだザンシンしていた。彼女は気持ちの揺り戻しと戦った。懐へ倒れ込むように身体を回転させながらの、全身全霊のイアイ斬撃。勝てた。勝たなければ。ジュクレンシャにも。
IRCノーティスがヤモトのザンシンを破る。ヤモトは急いでこれに応えた。「モシモシ、ザクロ=サン」「モシモシ、ヤモト=サン。状況は?」「撒いた……追ってきた奴は、倒した。今から帰る」路地を抜け出し、再び走りだしながら、敵のことをザクロに語ってきかせた。ザクロは驚きはしなかった。
『特にヘンチマンとは昔の馴染みでね。アタシとは腐れ縁』とザクロ。『昔からしょうのない奴だったけど、デッドフェニックスの犬にだなんて、悪い冗談よね。奴ら、ニンジャを集めて、ニチョームにナメた真似して……』「あいつら、どうしてそんな事」『時代と、焦りよ。ヤモト=サン』
ザクロは言った。『奴らの気持ち、少しはわかる。でも、わかるからッて、呑まれる義理はないわ』「……ザクロ=サン」『何?』「アタイ、ドージョーでカラテをしながら、この前うまく言えなかった事、考えていた」『うまく言えなかった事?』「最適解のこと」前方にニチョームの境界が見えてくる。
「アタイ、やっぱり嫌だ。ダメだと思う」『……』「ザクロ=サン。このままずっと我慢し続けて、あいつの言うなりになって、そうしたらきっといつか……思っているよりずっと早く、ニチョームは無くなるんだ!」『ヤモト=サン』「今回の事だって!アタイは」「ヤモト=サン」ザクロが立っていた。
「怪我してるわね」ザクロはヤモトをハグした。「あのね、ヤモト=サン」「アタイは……」「ヤモト=サン!あのね!」ザクロは遮った。「アータが正しい。アタシだけよ。腹くくってなかったのは」ザクロはヤモトから離れ、その目をじっと見た。そして言った。「おいで、ヤモト=サン」
ザクロはヤモトを促し、人気のないニチョームを進んでゆく。「怪我、もう少し我慢してね。そこで診てもらえるから」「どこへ?」「粋桃」ザクロは閉館したバーの名を口にした。「粋桃?」ヤモトは聞き返した。「潰れて取り壊したんじゃ……」「カネがかかるから放ったらかし。それが好都合だった」
実際ゴーストじみた赤レンガの建物へ二人は近づく。周囲を警戒した後、廃材が立てかけられたままの階段を上がり、決まった回数、ドアをノックすると、覗き穴が開いてじっと睨む目が現れ、それから開いた。キリシマはヤモトをじっと見て、顔をほころばせた。「……ッてなわけか」「てなわけよ」
ザクロはヤモトを連れて、キリシマの後に続く。「自分からしびれを切らして言ってきたわ、ヤモト=サンは」「だから言ったんでェ。決まってら」キリシマは毒づいた。「俺らは全員、仕上がってンだよ、こういう気分がな」埃の積もった廊下を進み、突き当りのフスマを開く。音と、煙と、声が迎えた。
そこに集っていたのは、この街で笑い、泣き、かつてイクサを戦った者達だ。ショーギをさし、枯れたディスコ音楽に耳を傾け、酒盃を傾け、キセルを睨み、持ち込みのピザを食べる彼らが、新たな入室者達を見つめた。「今日からよろしくな。ザクロ=サンにヤモト=サン。心強いぜ」キリシマが言った。
4
ノタゴ、テガタ、かつての自治会長キリシマをはじめとする無頼の者たち……あるいは、オールドオイラン、スモトリ、トランス者……紫煙と音楽の中、ニチョームを背負う無頼の者たちは、実にリラックスしていた。今はそこに二人のニンジャ……ザクロ=ネザークイーンとヤモトも加わったのだ。
「デッドフェニックスとはな」テガタは唸るように言った。「どうもコソコソしてやがると思ったが。あの野郎ときたら、外道ぶりも底なしよ」「放っておきゃあ、遅かれ早かれこういうことも起こる」キリシマは言った。「俺らが呑気し過ぎたのさァ……」
「ディクテイターの奴が好き放題しているのも、アタシらが手を上げられない事をわかっているから」ザクロは言った。「そういうこった」キリシマが認めた。「だが、他所のヤクザをニチョームに引き込むとなりゃァ、俺らの話も違ってくる」「……」一座が静まり返り、物騒な目線をかわした。
「実際お手柄だぜ。ヤモト=サン」テガタが凄まじい笑みを浮かべた。ヤモトは無言だ。これから始まるのはイクサだ。それはいつ、どのように始まるのか。「悪いニュースばかりッてわけでもない」キリシマはキセルの灰を落とした。「今日の会合は、その件の承認をお前らから得たかったッてえのもある」
「どうせロクなグッドニュースじゃねえんだろう」ノタゴが苦笑した。キリシマは頷き、ザクロを一瞥した。「物騒な連中の引越し相談でよ。お前らの承認が得られ次第、具体的な調整に入る段取りさ」「アタシは実際迷っていた」ザクロは言った。「だけど、今は、一人でも多く力が欲しい」「違いねえ」
「ディクテイターの野郎、すまし顔で帰って来やがるかな」「アタイだって事、気づかれてるかもしれない」ヤモトはおずおずと言った。キリシマはヤモトの肩を叩いた。「どっちでも構わねえのさ。奴は言えねえ。それを言ったら、認める事になっちまうからだ。こういうのは札の切り合いよ。任せときな」
美しいサイバネ接合者のオブツダンとセンコウがサケを注いで廻る。キリシマは一同を見渡す。「俺らに打診して来たのは、アマクダリに追われたニンジャどもだ。当然、そいつらを迎え入れれば、アマクダリとの敵対は待ったなし。できるだけ隠しはするがな……総督野郎をブチのめし、自治を取り戻す!」
「ニンジャか」「ああニンジャだ」「アマクダリとやらかした」「……」一同は再び互いに目を見交わした。ヤモトは膝の上で拳を握った。やがて誰かが言った。「いけるかもしれねえな」「ああ、いける、いける!」「やるならデカく行こうや」皆が酒杯を掲げた。キリシマは和紙を拡げ、ハンコをついた。
皆、キリシマにならって、和紙にハンコをついていく。他言無用。裏切り無用。ハンコ契約は命よりも重い制約だが、躊躇う者はいなかった。ハンコを持たぬヤモトは、親指を噛み、指紋を赤く押しつけた。「で、そいつらはいつ来る?」「今は俺も知らねえどこかに潜伏中よ。段取りを決めて、呼び込む」
◆◆◆
……だが、その「時」が訪れたのは、彼らの想定よりも、ずっと早かった。つまり翌日の未明だった。秘密の酒家会合がはけ、キリシマとザクロが帰還したディクテイターと剃刀めいて剣呑な長時間の応酬を行い、夜が訪れ……そして朝日を待つ時間、街中に鳴り響いたアラームが、彼らを目覚めさせたのだ。
これは、押しかけた「彼ら」自身にも相当に不本意な事だった。潜伏地が予想以上の迅速さをもってアマクダリに襲撃され、狩り出された格好だ。彼らに与えられた選択と調整の時間はあまりにも僅かだった。だが既にニチョームの腹は決まっていた。ディクテイターの召集に応えた者達はすまし顔だった。
「何よ、こんな朝もはよから呼び出して」ザクロは欠伸をしながらディクテイターを睨んだ。クローンヤクザ数名を従え、ディクテイターは尊大に胸を反らせた。「緊急の出動要請である!アマクダリ・セクトとして貴様らの忠誠を見せる時が来たぞ、役立たずども!」彼は腕の「天下」腕章を強調した。
「たった今アマクダリ・アクシスから通達があった。サークル・シマナガシを名乗るクソカスの愚連隊どもが、下水路を追い立てられ、ニチョームに向かって来ておるとの事!よって警戒を重点!ニンジャだがどうせ大したことはない。アクシスの精鋭によってズタボロの満身創痍よ。働けよ?貴様ら!」
ディクテイターは手元で鞭をピシリピシリと弄んだ。「で?そのへん歩き回ればいい?」ザクロが尋ねた。「バカすぎる!」ディクテイターは大仰に呆れてみせた。「何をバカな……役立たずすぎる!そのへん歩き回るだ?ナメるなよ?戦略だ、こういうのは。奴らは地下から来る!そこでマンホール!」
彼は道路脇に立つニチョーム地図に指を走らせた。「ここだ、このマンホールだ。わかるか?奴らはもはや他の区域へ出られぬ状況にある。よって、このマンホールをあらかじめ包囲してだな……」「交替で張り込むってわけ?」「今日は重点警戒だ。お前ら全員でしっかり見張れ。待機しろ」「ウェー」
「……遠くがうるせえな」キリシマが言った。何らかの作業音である。ディクテイターは鼻を鳴らした。「ああ、言い忘れておったが、愚連隊の侵入に対処すべく、本日よりニチョームは検問体制を敷く。許可無き地域移動は禁止だ。貴様ら全員がな。防護隔壁があったおかげで、封鎖もスムーズだ!」
「なんだそりゃあ。住人に一言あってしかるべきだろうが。昨日もそんなふざけた話は出なかった」「バカ!」ディクテイターはキリシマを侮辱的に指さした。「つい先頃のニュースに従い、急遽決定された事項である!電撃的作戦だ、これは!何も俺の言った事が理解できないバカを発見だ!」
招集市民を従えたディクテイターは地図上のポイントへ移動、包囲体勢を整えた。「アー、言っておくが、俺はお前らの事を全く信頼しておらん。お前らは臭ェーからだ。クローンヤクザをここに監視役として立てる。24時間、包囲体勢を維持せよ!」「メシもここで食えと?」「テメェーで考えろ!」
ザクロとキリシマは互いを見て肩をすくめた。「じゃあ、俺は司令室に戻る!後はよしなに、」「待って」ヤモトがマンホールを指さした。ディクテイターは振り返った。「あン?」……十字路の中央にあるマンホールが、ガタガタと音を立てた。「んフッ!」ディクテイターは笑いをこらえた。「的中!」
包囲者達が息を潜めて見守る中、マンホールが内側からずらされた。中から手がズイと突き出し、アスファルトに触れた。「撃ち方!」ディクテイターが装飾ピストルを抜き、命じた。クローンヤクザ達が一斉にアサルトライフルを構えた。……髪の長い男が地上に這い出した。
男は身体の埃を払う仕草をし、伸びをした。「……アー……朝の空気……実際新鮮な……」そこでようやく包囲者達に気づいたか、周囲を見渡し、そのままホールドアップした。「イヒヒヒ、悪いね」「あいにくゲームセットだ。さァて。何匹這い出してくる。貴様らゴミクズ共」ディクテイターが凄んだ。
「ちょっと待ってね」男は鷹揚に答えた。「何人だったかな……今出てくるから……」BLAM!返答代わりの威嚇射撃である。男の頬に赤い痕が刻まれた。「調子ィーに、乗ってやがるゴミ虫は何匹かなァー?」「……」男は虚ろな笑顔を崩さず、包囲者達の顔を見ていく。ザクロは無言だ。
実際、これを見守るニチョームの者達に余裕はなかった。検問体制の構築は寝耳に水。そして、誰もが得体の知れぬ脅威の予感を肌で感じ取っていた。マンホールの蓋が動いた時、まるでそれは地獄の釜の蓋がずらされたように思えたのである。「つまりだ、つまり」ディクテイターが続けた。
「つまりつまりつまり、この俺、ディクテイター様の指揮下、我が町ニチョームのボンクラどもが、秩序を乱しに現れた劣等ゴミクズ野郎どもを袋叩きにしてしんぜ……」「イヤーッ!」マンホールの蓋が弾かれ、垂直に何かが飛び出し、宙から包囲者達を睨みおろした。敵意と攻撃性に溢れる金色の目で。
「まだだぞ!」長髪の男はその者を見上げ、静止した。その声にはふざける調子がなく、それが包囲者達を再び畏れさせた。これから途方も無い事が起こる。これはその始まりで、好ましい結末を呼ぶのか、取り返しの付かない破滅に繋がるのか、誰にもわからなかった。だが既に賽は投げられたのだ。
「エッ?」ディクテイターが、ぽかんと見守る。ヤモトとザクロがカラテを構える。暴力を人型に凝縮したかのような大柄なニンジャは音を立ててアスファルトに着地。金色の目で、猛々しく笑いながらディクテイターを見た。ディクテイターは怪訝そうにそれを見返した。「エ?」
長髪の男が小首を傾げた。「さて、どうすッかな」「ドーモ。アナイアレイターです」金色の目のニンジャがアイサツをすると、両腕を伝って鉄の棘が不穏に蠢いた。ディクテイターは反射的にオジギを返した。「ドーモ。アナイアレイター=サン。ディクテイターです」そして古代ローマカラテを構えた!
◆◆◆
「ハイ」IRC黒電話でアマクダリと通話するディクテイターの声は、低く、細い。小窓から差し込む光の筋に埃が舞い、天井の換気ファンを一匹の小蝿が横切った。「ハイ。ハイ。その通りでございます。ハイ。全くもって抜かりはありません。ハイ。逃げられはしないでしょう。完璧な監視体制だ」
『監視体制?フム』スターゲイザーの言葉に間が生ずるたび、ディクテイターは生きた心地がしない。『地上に這い出る事の無いよう管理ができておると?』「ハイ。カメラ監視体制です。クズ共……アー」ディクテイターはザクロと、長髪のニンジャ……フィルギアを横目で見た。「住人も動員できます」
『わかっておると思うが、念のため強調しておこう、ディクテイター=サン。地上で派手にイクサをすれば、世論の調整にコストがかかる。それは大変に不本意だ』「わかっております!非常に!」ディクテイターは頭を繰り返し下げた。「地下へ封じ込め、決して逃がすことも無し!雪隠詰めです!」
『時が来れば叩き潰す。好ましい状態の維持が肝要だ。気が向いた時にボタンを一つ押せば、いつでもカタがつく、そんな状態の維持が。……そしてディクテイター=サン。ニチョームの管理はお前の裁量に任せているが……くれぐれも、権限の解釈を違えるなよ』「……!」ディクテイターは身震いした。
『検問封鎖体制については?』「まずはお任せください。必ずや。数日で済むと思います」『よかろう。住人どもの移動を禁じ、堕落モラルの伝搬を断つ事だ。表立って町一つ潰すには、さすがにな……世論の成熟を、もうちと待たねばならん』「ハイヨロコンデー……」
ディクテイターは黒電話を置いた。彼の左目は腫れ上がり、青アザが惨たらしい。アナイアレイターの初撃は……フィルギアの制止にもかかわらず……恐るべきものだった。古代ローマカラテなくば、死んでいただろう。尤も、結局は拳で叩きのめされ、結果、大変不本意な状況に縛られる事となったが。
「そのう」ディクテイターは絞りだすように尋ねる。「俺はこの後、どう」「さあ。知らね」フィルギアが歯を剥き出して笑った。「どうなるンだろうな」「殺しやしないわ」とザクロ。「キリキリ働いてもらわないとね、総督殿!で……」ザクロは凄んだ。「次はどこと連絡取るかわかってるわね?」
◆◆◆
「イヤーッ!」KRAAAASH!「ナメやがってあの野郎……」ヘンチマンが料亭の壁に巨大な穴を穿っても、デッドフェニックスのオヤブンであるエンプレスは、眉一つ動かしはしなかった。「実際、順序があべこべになったこと」彼女は淡々と呟き、オーガニック・トロ・スシを口に運んだ。
「今になって反故にして来た理由は何だ、あのディクテイター野郎」苛々と座り直したヘンチマンに、オイランが義務的にしなだれかかる。「イヤーッ!」「アバーッ!」ヘンチマンはオイランのキモノを引き裂き、殺した。「程々にせよ」ジュクレンシャはサシミをつまんだ。「血がかかる」
「片付けろ」ヘンチマンは下級ヤクザ達に死体を運ばせる。「実際、示しがつかんなァー」ヘンチマンよりもさらに身体の大きなニンジャが、楊枝で歯をせせる。「メンツどうするんです、オヤブン。ナメられて引き下がるわけにもいかねえ」この者はスレッジハマー。元プロレスラーのヤクザニンジャだ。
「実際、テネイシャスも殺られてる。ニチョームのヨージンボにだろ?」スレッジハマーはジュクレンシャを見た。彼がサシミを食べ終えても、骨と頭の残った魚は死なずにビクビクと蠢いている。熟練のイタマエによるサシミは、しばしばこうしたリビングデッドを生み出すのである。
「実際、ナメられるために集まったわけじゃねえんだ」スレッジハマーは言った。「俺らはヤクザでニンジャ!闘争の中に矜持を刻むダイイングブリードだろうが」「フー」エンプレスは息を吐いた。そして水晶ガラスのオチョコからサケを呷った。「……わかっておろう?」「おう」ヘンチマンが頷いた。
ダイイングブリード。然り。デッドフェニックスのエンプレスが、死に絶えてゆくヤクザ遺伝子を伝播するべく求めたのは、武力であった。ニンジャを集め、残忍な闘争を重ねて勢力を拡大してゆくヤクザクランを衝き動かすのは、集団狂気とでも言うべきデスパレートな覚悟だった。
彼らが残そうとするヤクザ遺伝子は、しかし、彼ら自身のニンジャ性によって、いささか歪んだものとなっていたのである。翌日、デッドフェニックス・クランはニチョーム自治会の復活と縄張り領域の再定義の為に、中立地域で会合を持った。ニチョームからは、キリシマ。そしてネザークイーン。
力は正義。力とは恐怖。恐怖を刻みつけ、尊厳を壊し、ルールをわからせる。それがヤクザの本質だ。彼らは平和的会合の看板を掲げた場において、その本質を……ニンジャ性によって更に拡大されたヤクザの邪悪な本質のほどを、遺憾なく発揮することとなった。
◆◆◆
ニチョーム・ストリート、夜を微かに照らす火は、駐車場に集められ、重油で焼かれるピュア・オハギだ。潜伏していたプッシャーは自治会のネットワークによって見事に狩り出され、三人が拘束されて、焚き火の前で正座させられている。ヤモトは「粋桃」の屋根に座って、ミソギの光景を見ていた。
ニチョームの自警行動を妨害する者はもはやない。デッドフェニックスの薬物侵食は、実際手遅れになる前に排除された。視野をネオサイタマ全域にひろげれば、何の問題解決にもなっていないとも言える。だが少なくとも、このゆるやかな隔壁の内において、忌まわしき「純情」が取引される事はない。
ニチョームを薬漬けにし、己のドラッグ・ビズのホットスポットに作り変えようとしていたデッドフェニックスにとってみれば、全くもって納得のゆかぬ事態だろう。しかしニチョーム進出はそもそも自治会の「一時的な不在中」、承認を得ず行われたシノギであり、ヤクザ・プロトコルにおいても反則だ。
ザクロとキリシマは、デッドフェニックスとニチョーム自治会の間でこの件の手打ちを行う為、中立地帯の料亭へ発った。ニチョームはデッドフェニックスの僭越をこれ以上追及しない。そしてあらためて自治会の復活を明言し、縄張りの再確認を行う。デッドフェニックスは事前にこの条件を呑んだ。
ニチョームに久しぶりの平和が訪れた。平和、否、ヤモトはキョート方角の夜空を見る。この国は戦争の最中なのだ。かつて自分が生まれ育った国との間で……。そしてニチョームの平和も、結局は嵐の前の静けさに他ならない。アマクダリ・セクトは遅かれ早かれ、再び注意を振り向けるだろう。
サークル・シマナガシのニンジャ達はひどく疲弊し、傷ついていた。それに落胆する自治会の者もいた。彼らは「粋桃」の広い一室を借り受け、棲家とした。更に地下にはより恐ろしいバイオニンジャ達が潜む。自治会にとっても思いがけぬ存在である。戦力となるだろう。だが、油断はならぬ。
激しいイクサは、じきに始まるだろう。ヤモトは力一杯戦うつもりだ。この街には恩がある。恩を返す。心地よく古ぼけた絵馴染の寝室を思う。「……」ヤモトは振り向き、立ち上がった。その者はオジギをした。「ドーモ。ヤモト=サン」ヤモトはアイサツを返した。「……ドーモ。ショーゴー=サン」
アイサツを終えてしまうと、二人は無言になった。マンホール包囲時に視線をかわしたきり、今この時まで、会話のきっかけは無かった。「その……」ショーゴーが言葉を探すのを、ヤモトは待った。やがて彼は言った。「しまらねェよな。死に損なっちまってよ」「そんなことないよ」ヤモトは言った。
「あの時、ワケわからなかったろ。状況があんなだったからよ」「ううん」ヤモトは首を振った。あの日以来、ヤモトの長い逃亡生活は始まった。その中で彼女は、あの日何が起こったかを徐々に知った。「ありがとう」「今こんな話をしても、随分昔の事になっちまって、その、しまらねェ」
瓦屋根の上に二人は並び立って、焚き火を見た。ヤモトは、バイコーンとの戦闘時、そして最近の防衛戦、それぞれの折の不可解な出来事をショーゴーに確かめかけて、やめた。「あれから今まで、アー……どンなだ?」「なってから?」「戦ってるのか」「うん。戦ってる」
再び二人は黙った。今度の沈黙はそう長くなかった。ショーゴーが言った。「俺なんだ!キョート。そもそもの発端……自殺に巻き込んで、お前を殺しかけたのは。あれがなきゃ、お前はそもそも、こんな風に、」「……」ヤモトは滑らかに、すべてを理解する。それはほんの一欠片のパズルのピースだ。
「あれがなきゃ、アタイはどうなっていただろう」ヤモトは呟いた。責めるトーンはなかった。「もう、ずっと昔だ」「俺は」「アタイはあの時、ニンジャになって、」ヤモトは言葉を拾うように、「戦って、アサリ=サンや、皆を守った。ニンジャになって、守って、生き延びて、そして今ここにいる」
ショーゴーに言葉はない。ヤモトは付け加えた。「サイオー・ホースな」「……」ショーゴーは視線をそらし、サングラスを外す。微かに震える、長い息を吐いた。不意にヤモトはショーゴーのアフロヘアーを掴んだ。「ヤメロ!」ショーゴーは狼狽えて身を捩り、サングラスをかけ直す。ヤモトは笑った。
その時の二人は、ほんのしばらく、ハイスクールの気のおけない同級生同士のように見えた事だろう。駐車場では宴のたけなわめいて、赤い焚き火が火の粉を噴き上げ、自警部隊の意気揚々たるざわめきが屋根まで届く。そしてそれは、走りこんできたヤクザリムジンのブレーキ音にかき消された。
ざわつく人々が見守る中、ヤクザリムジンの後部ドアが開き、何かが投げ出された。ギャギャギャギャギャ!リムジンは威圧的にドリフトし、危うく人々を轢き殺しかけながら、きた道を猛スピードで走り去った。「「ア……アイエエエエ!」」同時に悲鳴を上げたのはオブツダンとセンコウだった。
「キリシマ=サン……」「オ、オイ、ザクロ=サン!」「ザクロ=サン!アイエエエエ!」「ザクロ=サン!」「俺は、俺は無事だ、早く」ヤモトのニンジャ聴力が、キリシマの囁きを捉えた。「早くドクター……早く」「イヤーッ!」ヤモトは瓦屋根から跳んだ。ショーゴーも続いた。
「ザクロ=サン!」「ドクターを!バシダ=サン!早く!」「ザクロ=サン!」「アイエエエエエ!」「ザクロ=サン!」「奴ら……畜生!デッドフェニックス……畜生!」「ザクロ=サンッ!」「オイ!待て、動かすな!」テガタがヤモトを制止する。「バシダ=サンもう呼んだ!あいつに任せろ!」
「嫌だ!」テガタとショーゴーに殆ど羽交い締めにされながら、ヤモトは叫んだ。「嫌だッ!」ヤモトは慟哭した。ザクロに意識はない。かろうじて生きているようだった。その両腕は肩のところでケジメされ、装束を引き裂かれた背中には、鋭利な刃物で乱雑に刻まれていた。嘲笑う双頭の不死鳥が。
「奴らが……」キリシマが震えた。「俺を無事で返したのは、これを……これを俺の口から伝えさせる為だ……これを。きょうふを……きょうふを」「道、あけろ!バシダ=サンだ!」「早く!早く!」「急げ!」「きょうふを……」「キリシマ=サンも運べ!」「ウアアアアーッ!」
◆◆◆
手術が始まった。ヤモトは廊下に立ち尽くしていた。ショック症状を脱したキリシマが語った言葉の断片が、ヤモトのニューロンを不規則に舞った。デッドフェニックス・クラン。会合の席での騙し討ち。踏みにじられたプロトコル。全ては欺瞞。エンプレス。忙しく行き来する人々。
立ち尽くすヤモトの周囲で、世界は早回しだった。やがて、疲労困憊した様子の女性が部屋から出てきた。「一段落」バシダだ。「死にやしない。そんなヤワな奴じゃないでしょ」バシダがヤモトの肩を叩いた。ヤモトは頷いた。「お願いします」バシダは彼女の言葉の真意を理解できなかった。「任せて」
ヤモトはバシダにオジギした。ベンチに立てかけた電磁鍛造カタナを掴み、廊下を走り出る。戸口に人影があった。「行くのか」ショーゴーは抑揚のない声で問う。ヤモトは立ち止まった。「行く」「今からか」「今から行く」「そうか。留守番はウチの連中にやらせる」ショーゴーは言った。「俺も行く」
彼らはコンマ数秒、睨み合った。やがてヤモトは素早く頷いた。「行こう」「……」ショーゴーは、しかめつらで、ヤモトの目の前に手のひらを掲げた。ヤモトはそこに拳を叩きつけた。
5
「チョウダ!」「ハンダ!」「ハンダ!」「チョウダ!」「ハンダ!」熱を込めて声を張り上げる闇カネモチ達を見渡すのは、デッドフェニックス・クランのオヤブン、ミロコ・ウノ……エンプレス。その手にダイス壺。着物の片側をはだけ、白い胸にサラシを巻いている。「入りますよ」「「ヨロシイ!」」
「ハンダ来た!」「チョウダ!チョウダ来い!」「絶対にハンダ!」闇カネモチ達は口々に威圧的チャントを発し、傍らのオイランの胸を揉んだ。エンプレスはミコー・プリエステスめいて、荘厳ですらある身のこなしのもと、ダイス壺を上にあげた。「……ハンダ」「「ワオオーッ!」」賭博室が沸き返る。
すぐさま、全身を余すところなくヤクザタトゥーで覆った、フンドシ姿のテッカバ(原註:ヤクザ賭博のサーバント)が膝立ちで闇カネモチ達の前を平行移動する。負けた闇カネモチ達がコーベインを掲げ、テッカバは素早くそれらを紫のフロシキに包んでゆく。「また負けだ!」「困った!」彼らは笑う。
「さあ、ハッタ」エンプレスはよく通る声で促した。「ハンダ!」「チョウダ!」「チョウダ!」「チョウダ!」「……チョウダ」「アー!また負けた」「勝った」行き交うコーベインはずっしりと重く、相当なカネが動いていることは明らかだ。しかし負けた闇カネモチ達に焦燥のアトモスフィアはない。
マッポーの世において、ヤクザ賭博はその一連の流れ自体が遺産めいたリチュアルであり、江戸時代から連綿と続くプロトコルの確認作業である。参加することそれ自体に意味がある。この賭博は財力の削りあいではない。複雑なマネーロンダリング作業の過程のひとつなのである。
テッカバが芝居がかってオジギし、フスマの奥へ引っ込む。テッカバは脳内で各カネモチのコーベインの増減の全てを処理する。それらは一定の割合で手数料を引かれた形で、しかるべき時にそれぞれの持ち主へ戻ってくるのだ。「中休みじゃ。この後も楽しみなされ」エンプレスは立ち上がり、手を叩いた。
イヨオー、電子音声とともに逆側のフスマが開き、職人がカートを押してくる。カートの上には裸のオイランが寝かされ、その裸体を盆として、花めいて立体装飾的にカットされた人参や大根、スシやバイオ海老が盛り付けられている。女体盛りだ。「これはなかなかだ」「これがないとメリハリがつかんな」
オイランは目を閉じ、ただじっと耐えている。己の運命を。エンプレスはそれを無慈悲に一瞥する。ブザマなルーザーだ。エンプレスはゲコクジョを重ね、地の底から這い上がった。それを可能としたのは彼女自身の才覚と執念だ。このブザマなオイランにその目は無いであろう。
「ミロコ=サン」退出するエンプレスの首筋に、闇カネモチのザマトラが、他に聴こえぬ囁き声を吹きかける。「鮮やかだったぞ。当時よりも益々艶めいて」「もったいなきこと」エンプレスは笑顔を浮かべ、丸々と肥えた初老の男を振り返る。男も笑う。「久しぶりの賭博、熱気が凄い!風に当たりたい」
「では案内しよう」「ムフ……」エンプレスはザマトラを伴い、廊下へ出た。「これからも俺に任せてくれ。資金は無限だぞ、ミロコ=サン。無限に投資してやる。俺は黄金が湧き出す泉だぞ!」「頼もしいわ」「お前を自由にできる男は俺だけだからな」「困った人」渡り廊下を進み、人工の川を渡る。
橋の先には、モデストな離れがある。ヤクザが一礼し、ショウジ戸を開いた。そのヤクザは奥ゆかしく本邸に去っていった。「のう、ミロコ」ザマトラはエンプレスの着物を払い、もう一方の肩も露出させた。「お前が危険な刃になればなるほど、俺の情欲も昂ぶる。俺だけが自由にできる刃よ」「……」
エンプレスは壁の掛け軸を見る。「筋道」のショドー。そしてバイオ鹿の角。角にはウルシ塗りの鞘に収まったカタナが二本。「のう、ミロコ。のう」ザマトラがエンプレスの胸を掴んだ。「こんな楽しいことはない」「ああ、こんな楽しいことはない」エンプレスは同意し、ザマトラの手に触れた。
「ミ……」「イヤーッ!」「アバーッ!?」「イヤーッ!」「アバーッ!?」エンプレスは二度のカラテで、ザマトラの両手の指全てをあべこべにへし折った。「アバーッ!?」苦痛と驚愕とで泡を噴き、ザマトラはタタミの上を転がった。「アッハハハハ!」エンプレスはザマトラを見下ろし、哄笑した。
「誰か!」ザマトラは失禁しながらショウジ戸に這い、再び引き開けた。「誰か、誰、アイエエエエ!?」開いたショウジ戸の先には、ヤクザコート姿の巨躯の男が立っていた。血走ったニンジャの目がザマトラを見下ろした。「ゴユックリ」ヘンチマンは嘲るように言い放ち、戸をピシャリと閉めた。
「アイエエエエ不条理!」ザマトラはゴロゴロとタタミを転がった。「やめてくれ!実際こんな酷い事はない!お、俺はお前に全てを与えた。俺があったからこそのお前だ!否、今もそうだ!俺が資金を引き上げればこんなちっぽけなヤクザクランのビジネスなど立ちゆかず……」「アッハハハハハ!」
エンプレスは上半身に巻いたサラシを引き剥がした。「アイエエエエエ!」ザマトラが再失禁した。白い背中には極彩色の双頭フェニックスのタトゥー。その燃える目がザマトラを睨み据えた!「知っておるかや!刀匠キタエタの四つがいの剣!」「何を?何を言っておる?」
エンプレスは鹿角にかけられたふた振りのカタナを抜き放つ!「ナンバン!そしてカロウシじゃ!これはそのつがいのひとつよ!」ゴウランガ!一方の柄本には、まさに「南蛮」!もう一方に「過労死」の刻印!「アブナイ!しまってくれ!」ザマトラはあまりの急転直下に見当外れの懇願をした。
「イヤーッ!」「グワーッ!?」ザマトラにはエンプレスの太刀筋が見えよう筈も無し!彼の正中線に赤い垂直線が描かれた。皮膚一枚を切り裂いたのみである……その下腹部を覗いては!「アババババ、アバババーッ!」「アッハハハハハ!愉快じゃの!」「アバーッ!」タタミが赤く染まる!
「こんな無法が許されるものか!俺はお前の親にも等しい!」ザマトラは部屋隅へ後ずさる。「なぜこんな……わからん!カネが無限なのに!」「アッハハハハ!この日をどれほど焦がれたことか!同じじゃ。貴様の下になるたび、妾が思い描いておったツラと同じじゃの!」「恩……」「イヤーッ!」
「アバーッ!」ザマトラの身体が逆袈裟に裂けた。「イヤーッ!」「アバーッ!」ザマトラの身体が逆袈裟に裂けた。無惨なX字が刻まれ、ザマトラは死んだ。「イヤーッ!」エンプレスは身を翻した。ナンバンがザマトラの首を刎ね、カロウシがザマトラの額を水平に割った。ナムアミダブツ!
「ハハハハ、ハハハハ」乾いた笑いを笑いながら、ヘンチマンがショウジ戸を開けて中を確かめた。「こりゃ清掃が大変だぜ。楽しんだかね」「つまらぬ非ニンジャの糞虫に過ぎぬが、これもケジメじゃ」エンプレスは凄惨な笑みを浮かべた。「己の身に何が起こるか、最後までわからなんだわ、此奴」
「奴も情けねえ、ダラけたザマだったな」「ニチョームの何某かや」エンプレスは思い出し笑いに肩を揺すった。「ヤクザ・ドーを騎士道か何かのように違えた弱体者ばかりよの」「不甲斐ない限りだぜ」とヘンチマン。「すっかりヌルまっちまってやがってな……奴もあのまま震えて退くのが身のためだ」
「もう一匹、ニンジャのヨージンボがおったろ」「ああ、ガキがな」ヘンチマンは頷いた。「骨があるなら、あっちから来るだろうぜ。復讐にな」「ほほ!」「そうしたら俺達で可愛がってやる。だが、どうせメソメソ泣いて寝るのがオチだ、あれはな。ジュクレンシャ=サンが手合わせしたが……」
二者は言葉を切り、顔を見合わせた。それぞれのニンジャ第六感が、言語化されざるなにかを感知したのだ。「その血みどろじゃあ、アホ共のもとへは戻れまい」「そうよの」「オヤブンは身を清めたがいい。俺は楽しみを探すとする」ヘンチマンはサイバネアームを握り、開きながら、離れを去った。
◆◆◆
KRAAAAASH!青銅の双頭不死鳥像をいただくヤクザ大邸宅大門が破砕し、木屑を撒き散らしながら、一台のモーターサイクルが白砂に着地した。「ワメッコラー!」「ドコナテッパナラー!」居並ぶヤクザリムジンの中で待機していたヤクザ達が続々と車外に飛び出し、チャカ・ガンを構える!
ギャルルルルルルル!強烈なスピンを行うモーターサイクルの乗り手はアフロヘアーとティアドロップ・サングラスのヨタモノじみた青年だ。チャカに囲まれながら、まるでそれを恐れていない。座席後部、彼にしがみつくように座っていた小柄な影が、不意に稲妻めいて空中へ跳びだした。「イヤーッ!」
宙に跳んだ影の首元で桜色の光がマフラーの像を結び、抜き放ったカタナの刀身にも、同様の桜色の光が満ちる。モーターサイクルが急発進し、ヤクザリムジン群に突っ込む!「ザッケンナコラー!」「スッゾオラー!」BLAMBLAMBLAM……KABOOOOM!
「アバーッ!」ヤクザリムジン付近の数名は爆発炎上に巻き込まれて火だるまとなる!そして爆発に呑まれなかったヤクザ達も二度目の引き金を引けなかった。彼らの指は、手は、腕は、身体は、白いコロイド光に捉えられていた。「グワ……」「グワーッ!?」「アバーッ!」
モーターサイクルを乗り捨てた青年は両手を掲げて仁王立ちだ。その両手に、白い光が吸われてゆく。青年は不敵に口の端を歪める。そのジャケットは銃弾を受けてボロボロに裂け、身体に無数の銃弾が撃ち込まれている。光は青年の身体を駆け巡り、銃弾がバラバラと身体から抜け落ちる。傷は癒えた。
「早くも満腹だ」青年は……スーサイドは首を捻り、ボキボキと鳴らす。「腹ァ減らさねえとな」「……」「……」抜け殻じみてヤクザ達が膝から崩れ、倒れていった。死んだのだ。スーサイドの横に、少女が……ヤモト・コキが着地する。ドォン……ドォン……タイコ警報音が鳴り響く。
「ザッケンナコラー!」「スッゾコラー!」ヤクザスラングがあちこちに木霊する。カタナやアサルトライフル、ジュラルミンシールドを構えたヤクザ達だ。ヤモトとスーサイドは歩き出した。歩きながらヤモトはカタナを数度振り、夜気に桜色の残光を刻んだ。スーサイドは歩きながら指を鳴らした。
「今のジツは使いっぱなしにはできねえ」スーサイドが握り拳の関節を鳴らしながら言った。「暫く、殴り合いだ。問題ねえよな」「ない!」ヤモトが跳んだ。スーサイドは斜めに走る!「ザッケンナコラー!」「スッゾコラー!」ヤクザスラングが浴びせられ、闇にマズル光が爆ぜる!BRRRTTTT!
「イヤーッ!」「グワーッ!」走り込んだスーサイドが手近のヤクザを殴り飛ばし、「イヤーッ!」両横の別のヤクザの頭をそれぞれの手で掴むと、力任せにかち合わせた。「「グワーッ!」」「イヤーッ!」離れた地点ではヤモトが降下しながらのイアイを振り抜き、ヤクザの手首を刎ね飛ばす!
「ザッケンナコラー!」「イヤーッ!」「グワーッ!」スーサイドは背中をドスで斬りつけにきたヤクザに振り向きながらの回し蹴りを喰らわせ、「スッゾコラー!」「イヤーッ!」「グワーッ!」掴みかかった別のヤクザを盾ヤクザめがけて投げ飛ばした。「グワーッ!」
一方、ヤモトは桜色に発光するカタナを眼前にしならせながら、サブマシンガンを撃ち込むヤクザに接近してゆく。おお、ゴウランガ!彼女の防御的刀身さばきを見よ!銃弾は刃によって弾かれ、跳弾の幾つかが別のヤクザに当たった!「グワーッ!」「ドグサレッガー!キツケッコラー!」「イヤーッ!」
「グワーッ!」胸元を切り裂かれたヤクザが地面をのたうちまわり、飛び込もうとした別のヤクザはそれにつまずいて転倒!「グワーッ!」ヤモトは頬をかすめた銃弾が創った傷を指で払い、その血を口に含んだ。揃いのライダースーツを着たヤクザ達が、中腰姿勢で並行にステップし、ヤモトを包囲する。
読者の皆さんはこの揃いのライダースーツを着たヤクザ集団に対し、それまでの烏合の衆じみた者達とは違ったアトモスフィア……非常な恐怖と威圧感を覚えただろう。だが、その感覚は正しい。彼らはゴケニン。ジュクレンシャの抱えるエリートヤクザ戦士集団であり、クローンではなく、なお強い!
「ワドルナメッコラー」「テメセッゾコラー!」ゴケニン達は続々とヤモトを包囲し、立て続けにカタナを抜き放った。「ヤッチマエ!」「ガンバッテクダサイ!」「アマ!」負傷した地ヤクザ達は悪態をつきながら後退する。ヤモトはゴケニン達を桜色の目で睨み据え、姿勢をやや下げた。
「「スッゾオラー!」」四方八方から殺到するゴケニン!「イヤーッ!」ヤモトはカタナを閃かせる!「グワーッ!」「アッコラー!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「チェラッコラー!」「スッゾオラー!」「ザッケンナコラー!」「ンアーッ!」「ダオラー!」「イヤーッ!」「グワーッ!」
ゴケニンの包囲戦術は非常に訓練されており、寄せては返す荒波めいて、ヤモトは実際あやうい斬撃にさらされた。彼女はエンハンスされたカタナで攻撃をしのぎながら、既に己の身体に傷の熱を感じている。非ニンジャといえど、戦術と数をもってすれば、ニンジャを傷つける事が可能なのだ。
「イヤーッ!」「グワーッ!」スーサイドの拳がヤクザの顔面を叩き割り、「イヤーッ!」「グワーッ!」前蹴りが続くヤクザの胃を破った。スーサイドは包囲されたヤモトを見やった。加勢はしかし、すぐさま遮られた。「スッゾ!」「スッゾ!」ゴケニンが中腰の並行ステップで割って入ったのだ。
スーサイドは突破を踏みとどまった。ニンジャ第六感のしらせだ。彼は敵のない方向へ咄嗟に側転した。「イヤーッ!」アブナイ!その判断がスーサイドを救った!その瞬間、離れて停められていたヤクザリムジンのボンネットが爆発し、何かが天高く飛び上がると、スーサイドめがけ落下してきたのだ!
KRAAAAASH!「グワーッ!」大質量の落下によって大地が破砕!直撃を逃れながらも、スーサイドは吹き飛ばされて地面を転がり、受け身をとらねばならなかった。ナムサン、巻き添えを食った何人かの地ヤクザの四肢を跳ね散らしながら、その巨漢はグリズリーめいて身を起こした。
「フシューッ……」全身から凶暴な獣性を発散させたそのニンジャは……然り、ニンジャだ……メンポの呼吸孔から夜気に白い息を蒸気めいて吐き出し、スーサイドに向かってアイサツした。「ドーモ。スレッジハマーです。俺のフライング・ボディプレスをよく避けた。褒めてやる」
「やっとこさ、ニンジャのおでましかよ。奥でガタガタ震えてやがったか、ア?」スーサイドは地面にツバを吐き捨て、アイサツを返した。「ドーモ。スレッジハマー=サン。スーサイドです」「ハッハーッ!」巨漢が踏み込んだ!
ハヤイ!スーサイドのブリッジ回避が間に合わぬ!「グワーッ!?」スーサイドは首元にトラック衝突じみた衝撃を受けた。彼の身体はその場で頭を中心にぐるりと回転し、地面にうつ伏せにたたきつけられた!「弱!敵!」ロケット推進めいた恐るべきラリアットを直撃させたスレッジハマーが振り返る!
一方、ヤモトはゴケニンと斬り合いながら、ヤクザ邸宅をめざして徐々に移動し始めた。「イヤーッ!」「グワーッ!」ゴケニンの一人の首が飛んだ。スーサイドが震えながら地面に手を突き、起き上がろうとする。スレッジハマーは獰猛な目で見下ろす。「まだやるか?そう来なくっちゃなァー」
「何かしたか?痒いぜ」スーサイドは呻いた。「イヤーッ!」「グワーッ!」スレッジハマーが背中にチョップ!スーサイドは再びうつ伏せに叩きつけられた。「イヤーッ!」さらに、スレッジハマーはその場で真後ろを向きながら跳躍!ムーンサルト回転し、スーサイドにボディプレスだ!「グワーッ!」
「鉄砲玉がァー。俺は徹底的にやるんだよ」スーサイドにフートンめいて覆いかぶさったまま、スレッジハマーは執拗にフックブローを繰り出し、スーサイドの脇腹に叩き込んだ。「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」ナムサン!逃げ場無し!
「地下プロレスは男の戦場よ。俺は金網の中で育った……非ニンジャ時代にやりあった連中のほうが、今のお前よりもよほど強い……わからんだろう、ガキ!イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」遠巻きに包囲するヤクザが沸く!「ワオオーッ!」「ガンバッテ!」「コロセー!」
「イヤーッ!」「グワーッ!……ゲホッ、わからね、わからねェな……!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「もっと遊んでやりたいところだが、これは見世物じゃねェ。これはイクサ。ニンジャのイクサよ……」スレッジハマーはホールドを解き、スーサイドの背にまたがって、その顎に両手をかけた。
「このまま首を、背骨を捻じりきって……!イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ……!?」スレッジハマーは目を見開く!持ち上がった!その巨体が!「何だ!この光は!」「イイイイイヤアーッ!」スーサイドはスレッジハマーを背負うように、そのまま立ち上がった!
「ウオオーッ!?」スレッジハマーは吠えた。体格で大きく劣るスーサイドが……十分に殴りつけ、痛めつけた上で持ち込んだフィニッシュムーブを、真っ向、破りに来ている!スレッジハマーは己の体幹が訴える不気味な倦怠感に、そして内側から光り輝くようなスーサイドに戦慄する!
スレッジハマーはスーサイドから逃れようとした。だが、かなわぬ!スーサイドは今や、巨漢を両肩で抱え上げていた!グルグルとその場で回転!「イイイイヤアーッ!」スレッジハマーを投げ飛ばした!「グワーッ!」「「アバーッ!」」ヤクザ数名巻き添え!KABOOOM!ヤクザリムジンが爆発!
「ザ……」「ザッケンナコラー!」襲いかかるヤクザ!逃げるヤクザ!流れが交錯!スーサイドは破壊されたサングラスを地面に叩きつけると、彼らを不敵に見渡し、両手をひろげた!「イヤーッ!」ナ、ナムアミダブツ!襲い来るヤクザ達の身体から迸り出るコロイド光!「アバーッ!」倒れ伏す!死亡!
「まだオスモウやるか、アアッ!」スーサイドは爆発炎上するヤクザリムジンを睨んだ。燃え上がる人型が身体を車から剥がし、ノシノシと戻ってきた。「イヤーッ!」スレッジハマーは装束を引き裂き、筋肉と脂肪で鎧われた上半身をあらわにした。そしてスーサイドに突進した!
「イヤーッ!」スーサイドが受けて立つ!両者の手と手が真っ向組み合い、力押しが始まった。「「ヌウウウーッ!」」その、あまりの体格差!モータル同士のイクサであったならば、それはまさに無謀!スーサイドは数秒で押し負け、組み伏せられ、潰されていただろう。だがそうはならなかったのだ!
ヤモトはゴケニンをさばきながらヤクザ邸宅に突入した頃合いだ。まずはいい。スーサイドは庭の敵を引きつけ、十二分に減らすことができた。だが……スーサイドの目がギラつく。イクサはこれからだ!「「ヌウーッ!」」一方、スレッジハマー!己の背から腕を伝い、敵へ流れ去る力を自覚する。
怪しからんジツ!このままでは何らかの致命的な事態を招くであろう。だが、力を吸われようが、それが致命的になる前に叩き潰せば同じことだ。要は力の強い方が勝つ!「「ヌウウウーッ!」」スレッジハマーの圧力が増し、スーサイドが後ろへ押される!
スーサイドが片膝をつく!スレッジハマーの圧力がさらに増す!「「ヌウウウーッ!」」押し潰しにかかる!潰す……おお、否!スーサイドが……押し返す!スレッジハマーは血走った目を見開き、この逆流に打ち勝とうとする。だが、おお、スーサイドは再び身を起こし、スレッジハマーを押し始めた!
「ガキィ……」「悪いが俺のイクサは、てめェで終わりじゃねえ」スーサイドが押す!「これで終わりじゃねえ!」「ウ、ウオオーッ!」「イイイヤアーッ!」スレッジハマーが両膝をつく!スーサイドは押す!押し潰す!「グワーッ!」スレッジハマーの両腕の血管が破け、血が噴き出す!「グワーッ!」
ボギン!スレッジハマーの捻れた両腕から肘骨が飛び出す!「グワーッ!」スーサイドは数歩飛び下がると、拳を大きく振りかぶった。そして走り込む!「イヤーッ!」ダッシュパンチ顔面直撃!「グワーッ!」スレッジハマーは吹き飛び、再びヤクザリムジンに叩きつけられた!「サヨナラ!」爆発四散!
ドォン!ドォン!ドォン!ドォン!敵襲を告げるヤクザ太鼓が鳴り響き、生き残りの地ヤクザ達が攻めあぐねる中、スーサイドは再び動き出した。彼のニンジャ第六感は、更なる敵ニンジャをこの邸内に感じ取っている。見つけ出し、倒す!イクサだ!
6
「イヤーッ!」スパーン!フスマが跳ね飛ばされ、倒れこむと、女体盛りに群がっていた闇カネモチ達は一瞬、呆気にとられ、それから同時失禁して、広間をてんでばらばらの方向に走り回った。「アイエエエエ!」「アイエエエエ!」女体盛りオイランも、女体盛り職人も、泣き叫んで走り回った。
「イヤーッ!」「グワーッ!」なぜならば、宴たけなわに飛び込んできたのは、ゴケニンの一人を肩から斜めに切り裂きながらエントリーしてきた女ニンジャであったからだ。桜色の光をマフラーめいて口元に纏い、その手のカタナも同様の光を帯びて、数羽のオリガミ・ツルがショウジ戸や柱に炸裂した。
「イヤーッ!」ヤモトは右から襲いきたゴケニンの刃を打ち返し、返すカタナで左から襲い来たゴケニンの胸元を貫く。「グワーッ!」その者が天井を赤く染めながらタタミに転がると、その方向の闇カネモチは腰を抜かして再失禁した。「アイエエエエ!」「イヤーッ!」別のゴケニンが怯まず襲いかかる!
「イヤーッ!」振り向きながらのヤモトのイアイ斬撃はゴケニンのドス・カタナを叩き折り、そのまま顔面を真横に切り裂いた。「グワーッ!」倒れ込むゴケニンの陰から別のゴケニンが飛び出し、ドス・ダガーをヤモトに突き刺そうとした。「チャルワレッコラー!」「イヤーッ!」「グワーッ!」
ヤモトは低い姿勢で突っ込んで来たそのゴケニンの顔面を蹴り上げながら跳躍、後ろから掴みかかって来ようとしていた別のゴケニンを振り向きながら斬り下ろした。「グワーッ!」「アイエエエエ!」「アイエエエエ!」闇カネモチがショウジ戸を突き破り、戸の枠ごと走り逃げて行く。
「アマ!」「テマッシャラオラー!」ゴケニン達はヤモトを再び遠巻きに包囲し、カタナで威嚇する。「センセイ来るぞッコラー!」ゴケニンの一人が親指と小指で荒々しく電話ジェスチャーをして見せた。「シャレジャマネッコラー!」ドォン!ドオン!庭からはヤクザ太鼓!
「センセイ来れば、アタイが退くと思うのか」ヤモトは睨み返した。「アタイは今夜、このクラン、ツブしに来たんだ!」「ソマシャッテコラー!」「イヤーッ!」「グワーッ!」先陣をきったゴケニンが斬られてスピンしながら転倒!更に二人が襲いかかる!「ザッケンナコラー!」「スッゾオラー!」
「イヤーッ!」「グワーッ!」「スッゾオラー!」「ンアーッ!」一刀がヤモトを捉える!ヤモトはしかし、傷の重みを測る暇なし!「イヤーッ!」「グワーッ!」刃が閃き、血がはね散る!ナムアミダブツ!なんたるゴア宴会場か!実際メイルストロームに飛び込むごとき無謀だ。戦いながらヤモトは思う。
彼女は決してヤバレカバレな自殺行為に己を駆り立てたわけではない。デッドフェニックス・ヤクザクランは周到な敵と思えた。周到さと、欲望、焦り、速度を兼ね備えている。ザクロがああして傷つき、ニチョーム自治会がショック状態に陥ったのを好機と、次の手を打ってくる。彼女は確信していた。
会議をして、やり方を決め、デッドフェニックスに対して何らかのメッセージを打ち出し、場合によっては停戦協定を行い……そしてまた、何かが奪われたままになるのだ。「粋桃」に集まり、意気をあげた彼らのグルーヴが、再び死んでしまう。きっとそれは、思う壺なのだ……奴らの!
デッドフェニックスがニチョームを手中におさめて、アマクダリが困ることがあろうか。無い。むしろ好都合だ。ゆえに、デッドフェニックスとアマクダリの間には、何かがある。ディクテイターを切り離したところで、きっと止まらない。今夜この件は全てケリをつける。ヤモト自身の手で、やるのだ。
「おう、おう、おう」感情のこもらぬ不気味な声が廊下から届いた。「好き放題暴れ散らすに任せたのう」「センセイ!」「センセイ!」ゴケニン達はそちらを見て畏まり、左右に退いた。「センセイ」「センセイスンマセン」「やっちまってください!」「意外だな、小娘」ジュクレンシャである。
「ドーモ。ジュクレンシャ=サン」ヤモトはアイサツした。ニンジャ装束の上から着流しを着た恐るべき手練れ、ジュクレンシャは、荒々しく罵る部下をひと睨みで黙らせると、オジギを返した。「ドーモ。ヤモト・コキ=サン」カタナの柄にかけた手からは、空気が歪むほどのアトモスフィアが放たれる。
「ひと仕事終えて、またぞろお前だ。これでは女を抱く暇もなし」ジュクレンシャは言い、なにかをヤモトの足元へ蹴り転がした。恐怖に顔を歪めた、何処かのヤクザクランのオヤブンの首である。「スンマセン!」「不甲斐ないです!」ゴケニン達が詫びた。「ケジメタトゥーします!」「俺もします!」
「イヤーッ!」KRAAASH!ジュクレンシャの反対側の壁が砕け、ヤクザコートのニンジャが現れた。「ドーモ。ヤモト・コキ=サン。ヘンチマンです。よく来たな、死神」ヘンチマンはニヤニヤと笑った。前門のタイガー、後門のバッファロー。ヤモトはイアイドのカラテを構え直す。
「俺にも遊ばせろ」ヘンチマンが言った。ジュクレンシャは鼻を鳴らす。キュイイイ……物騒なサイバネアームが音を立てる。「もう一匹はスレッジハマー=サンにやらせとけ。俺はこいつと遊びてェ。こいつは傑作なんだぜ……なあ、死神……」「……」ヤモトは睨み返した。
「傑作だぜ、ジュクレンシャ=サン。そいつはな。関わった男を次々殺すのよ。ククク……俺は詳しいんだぜ、ヤモト=サンよ……」ヤモトは答えない。これはヘンチマンの挑発である。「とんだ疫病神とファックしちまったもんだぜ……クククク……ザクロの奴も……シルバーカラス=サンもよ!」
「シルバーカラス?」ジュクレンシャは小首を傾げた。「古い奴の名前よな」「このアマにほだされ、ソウカイ・シンジケートから匿い、そして死んだバカの名だ!俺は色ンな事を知ってるぜ。なあ小娘……次は誰をとり殺すんだァ……俺は度胸があるから、お前とファックして、結果を試してみてえなァ」
カラテだ。ヤモトはニューロンを「カラテ」の文字で埋め尽くし、ヘンチマンの下劣な挑発から自由になろうとする。「アタイは死神だ」ヤモトは呟く。落下する父親の呪詛。ジュクレンシャ。ヘンチマン。先にどちらに仕掛ける。ヘンチマンの手の内がまだわからない。それとも庭へ脱するか。カラテだ!
「こいよ、ガキ。遊ぼうぜ、ガキ」ヘンチマンが手招きする。ジュクレンシャは微かに身を沈め、イアイを練り上げる。連携だ。怒りにヘイキンテキを乱せば、その瞬間にあの「イキツモドリ」が来る。カラテだ。歯を食いしばる。カラテだ……!「なら、俺の相手はお前だな。邪魔してやりたくなったぜ」
「イヤーッ!」ヘンチマンは背後の声に裏拳で応えた。「イヤーッ!」スーサイドはこの攻撃に予め備えており、潜り込むようにこれをかわした。「イヤーッ!」ヘンチマンが膝蹴りを顔面に叩き込みに行く!スーサイドは一瞬早くタタミすれすれまで身を沈め、飛び込み前転で包囲の中へ躍り込んだ!
「「テメッコラー!」」ゴケニンが割って入ったこの新手を威圧!「イヤーッ!」スーサイドは片手を掲げ、薙ぎ払うように動かす!「「グワーッ!?」」包囲者の約半数が白い光を吐き出して死亡!「お前、サムライをやれよ」スーサイドはヤモトの背を守った。ヤモトはジュクレンシャに仕掛けた!
「イキツ!」ジュクレンシャがイアイ!「イヤーッ!」ヤモトは電磁鍛造カタナを叩きつける!KRASH!安物のカタナは一打で砕けた!ジュクレンシャは回避不能速度のイアイ斬撃で、そのままヤモトの首を刎ねた。「?」彼はカタナを振り抜きながら眉根を寄せた。齟齬がある。ヤモトが無事だ。
ヤモトとジュクレンシャの視線が交錯する。太刀筋が狂った?あり得ぬことだ。ジュクレンシャは刃を返した。「モドリ!」「イヤーッ!」ヤモトは踏み込む。自殺行為だ。通常ならば。ジュクレンシャのニンジャ洞察力は悟る。イキツモドリの刀身が微かに帯びる桜色の光。斬撃の角度。カタナの裏切り。
「イヤーッ!」「グワーッ!」ヤモトのヤリめいたサイドキックがジュクレンシャの腹部を捉えた!ジュクレンシャは広間から蹴り出され、庭の砂上を転がり、受け身を取った。「イヤーッ!」ジュクレンシャはその場で自剣イキツモドリを数度素振りし、桜色のニンジャソウル光を振り払った。「貴様!」
「できた」ヤモトは呟いた。肩で息をしながら、ゆっくりと、白砂の上に降りた。サクラ・エンハンスメント・ジツ。己の電磁鍛造カタナの刀身に纏わせた光を、カタナを壊しながら、相手の得物に移した。そして念動で切っ先をそらせた。質量のある物体を動かすのは骨折りだ。カタナは奪えなかった。
BOOOM!室内では轟音。ヘンチマンの容赦なき攻撃がスーサイドを捉えた。掌の穴から射出されたグレネード・スリケンがスーサイドの至近距離で爆発したのだ。スーサイドは両手をひろげて真正面からこの爆発を受けた。胸が裂け、爆ぜ、時間を巻き戻すかのように結び合わされ、元に戻った。
「「アバーッ!?」」ゴケニンの残る半数が白い光を吐きながら倒れて死んだ。スーサイドは舌なめずりした。「無茶苦茶やりやがる」「ガキ……!」ヘンチマンの目が憎悪に煮えた。スーサイドは一気に間合いを詰めにいく!「「イヤーッ!」」両者が同時にカラテを繰り出す!
「ぬかったわ」ジュクレンシャは眉根を寄せた。「思うておったよりも、遥かに油断ならぬ奴。だが、それを二度できるか、娘。得物も無しで」ジュクレンシャはじりじりと足を動かす。白砂に跡が伸びる。ヤモトは折れかかる己を強いて、姿勢を正した。彼女の視野は霞み、庭の輪郭がおぼろになった。
ヤモトは素手のカラテを構えた。朝靄のススキの原。敵を見据える。「イヤーッ!」ゼツメツの鎖鎌が敵の腕に巻きつき、スリケン投擲を封じる。拘束はほんの僅かの間だろう。なんと恐るべき敵。恐るべきカラテ。「イヤーッ!」「グワーッ!」イミノのカラテは通じず、返り討ちとなる。「サヨナラ!」
「「ヌウウーッ……!」」恐るべき敵とゼツメツは、鎖を挟んで格闘する。「おのれ……姿を見せよ……おのれ……!」ジゴクめいた声が彼女の精神を脅かす。「よかろう」シ・ニンジャは進み出る。このままでは、いたずらにクランの者から犠牲者を出すばかりだ。彼女はジツを……。
「これは」敵は……ジュクレンシャは、周囲を舞う蝶のオリガミを警戒する。ヤモトは気を失い倒れぬよう、必死で堪えていた。「カタナを失い、ジツに頼るか。しかし……」ジュクレンシャは目を細める。ヤモトは掲げた手を振り下ろし、叫びを搾り出した!「行け!」
蝶のオリガミが続々とジュクレンシャめがけ降下を開始した。ヤモトはそれらオリガミの蝶が、通常の彼女のオリガミ・ミサイルと違った性質を持つ事を自覚した。自身のジツでありながら、彼女はそれを不気味に思い、恐れた。ジュクレンシャが踏み出した。イアイが来る!
「イヤーッ!」ジュクレンシャがイキツモドリを再び鞘走らせた。ヤモトは目から出血しかねないほどのニンジャ動体視力の集中で、ジュクレンシャのイアイ軌道を予測する。見える。ヤモトは攻撃をかいくぐろうとする。身体がついてゆかず、白刃が上腕をごく浅く削ぐ。ヤモトは耐える。攻撃の為に。
ジュクレンシャは既に刃を戻し、次の斬撃でヤモトを斜めに斬ろうとしている。だが、カタナから指先に妙な感覚が伝う。蝶だ。蝶が寄り集まり、カタナにまとわりつき、斬られ、潰れてゆく。羽虫が焚火に集まるがごとく。ヤモトはジュクレンシャの腹に拳を叩き込んだ。「イヤーッ!」「グワーッ!」
ジュクレンシャは柄頭でヤモトのこめかみを打ち抜こうとする。桜色の蝶。吹雪の中に立たされたようだ。視界が遮られる。「イヤーッ!」「ンアーッ!」手応えあり。だが殺せていない。頭蓋骨を砕けていない。肩か?ジュクレンシャは蝶の群れから飛び出す。ヤモトは砂を転がり、飛び離れる。
ジュクレンシャにとって、ヤモトのその退避ムーブは、回避方向を一点に限定し、追撃を容易にするだけだ。彼の踏み込みは驚くほど延びる。イアイだ。「イヤーッ!」飛び来る蝶ごと、ジュクレンシャはヤモトを切り裂いた。ヤモトはタタミ一枚横にずれた地点で白砂に手を突き、側転して起き上がった。
「イヤーッ!」ジュクレンシャはヤモトめがけクナイ・ダートを放った。「イヤーッ!」ヤモトは側転からのフリップジャンプでこれを回避。ヤモトは攻めあぐねる。ジュクレンシャは白砂を蹴散らしながらヤモトに迫ってくる。二者の周囲をオリガミの蝶がグルグルと旋回する。
一方、縁側と破壊されたショウジ戸を挟んだ賭博場内では、スーサイドとヘンチマンのカラテ応酬が続いていた。「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」ヘンチマンの右拳は今や赤々と熱を持っており、なぎ払う指はタタミや壁を溶かし、抉りながら、スーサイドを追い詰めてゆく。
「イヤーッ!」スーサイドは血染めのタタミを転がり、拳をかわした。すぐさまその地点に追撃の拳だ。巨大な拳型のスティグマを黒く焼付けながら、ヘンチマンは横跳びのスーサイドの退路をふさぐ蹴りを繰り出す。「イヤーッ!」「グワーッ!」KRAAASH!スーサイドが壁に叩きつけられる。
「ドグサレガキの鉄砲玉」ヘンチマンは角にスーサイドを追い詰めるように動く。「サークル・シマナガシがデッドフェニックスに何の用だ、ア?」「俺にも色々あンだよ」スーサイドは不意に身を沈め、タックルを繰り出した。「イヤーッ!」「ウヌーッ!」ヘンチマンはタックルを切り、横へいなした。
ヘンチマンはここまでのスーサイドのイクサぶり、元闇プロレスラーのスレッジハマーを破った事実を鑑みて、操るジツの系統を予測し、危険を避けるように動いていた。なんらかの吸収行為を用いるニンジャだ。四つに組めば後悔する事態を招くだろう。おもむろに彼は拳をスーサイドに向けて突き出す。
「イヤーッ!」BOOOM!「グワーッ!」スーサイドは不意を打たれ、飛来した拳の直撃を受けて吹き飛んだ。ジャラジャラと音を立てて、射出された右拳は鎖ごと引き戻され、再び手首に収まった。「おう、立てるか、ガキィ。ニンジャ耐久力だけは随分じゃねェか。楽しみ甲斐があるッてもんだ」
「幾らでもやってやら」スーサイドは咳き込み、赤い唾を吐いた。ジェット推進の鉄拳はニンジャにとっても恐るべき攻撃だ。胸が火傷を負い、肋数本が損傷している。ソウル・アブソープション・ジツを発揮する対象はこのヘンチマンだけだ。ニンジャは耐性が強く、そう易々と力を吸う事はできない。
「俺は女を痛めつけるのが好きで、テメェのような生意気なガキはその次だ。一番いいのはその両方だ。わかるか?」「イヤーッ!」「イヤーッ!」縁側の下、白砂の上では、ヤモトがジュクレンシャの攻撃を避け、ときに間合いを詰めては素手のカラテを繰り出し、イアイ斬撃を躱す。膠着状態が続く。
ヘンチマンは訝しんだ。二者の周囲を飛び回る蝶のアトモスフィアは異様だ。「イヤーッ!」微かな思考の隙をつき、スーサイドが襲いかかる!「イヤーッ!」……「イヤーッ!」ジュクレンシャは再びヤモトの回避地点を捉え、斬撃を浴びせ、蝶ごと切り裂いた。ヤモトはややずれた地点の砂を踏んだ。
オリガミ蝶はジュクレンシャがフェロモン源であるかの如く纏わりつく。不快な蒸し暑さすら錯覚させる程に。「イヤーッ!」ヤモトの蹴りに対応する時間がコンマ数秒遅れ、ジュクレンシャはこれを返す刀で斬るには遅く、腕でガードせねばならない。致命傷が致命傷にならず、攻撃には手こずらされる。
ヤモトもしかしジュクレンシャ同様にもどかしい思いをしている。この蝶が彼女のコントロール下にあるのかどうかもはっきりしない。通常のオリガミミサイルと違い、他のものに触れても爆発することがない。彼女のオリガミは全てが蝶の形を取って宙に舞い、アウトオブアモーだ。
「イヤーッ!」ヤモトは蹴りをガードしたジュクレンシャに、ショートフックを繰り出す。敵は得物持ちであり、その斬撃一つ一つが致命傷につながる。こちらは素手のカラテだ。この状況はジリー・プアー(徐々に不利)だろうか。だがヤモトは立ち合いの状況が徐々に改善している事を自覚し始めた。
拳がジュクレンシャに届き、斬撃軌道の予測は成功し易くなってきている。蝶だ。纏わりつく蝶たちがそれを可能にさせている。この蝶はきっと答えなのだ。でなければ、あのような幻など見はすまい。踏み出せ……踏み出せ。「イヤーッ!」「グワーッ!」チョップ突きがジュクレンシャの鎖骨を捉える!
「イヤーッ!」更にローキック!「グワーッ!」初めて二撃入った!ジュクレンシャが刃を繰り出す!蝶が斬撃軌道上に集まる。「イヤーッ!」イキツモドリの刃が蝶を切り裂きながら迫る。ヤモトにはそれが見える!「イヤーッ!」ヤモトは身体を捻って下へ躱し、回し蹴りで反撃した!「グワーッ!」
ヤモトの背に焼けるような痛みが走った。無傷ではない。ジュクレンシャが更なる斬撃を繰り出す!「イヤーッ!」ヤモトはこれを回避!振り抜いた刃に再び蝶が寄り集まる。なんたる厭わしきジツであろう!他人事のようにヤモトは恐れる。再三の斬撃が襲い掛かる!「イヤーッ!」
放たれたカラテ・シャウトは屋内のスーサイドであった。ヤモトめがけ、クルクルと回転しながらドス・カタナが飛来した。ゴケニンの得物だ。おそらく死体の脇に落ちていたそれを、イクサの合間にスーサイドが蹴ってパスしたのだ。「イヤーッ!」「グワーッ!」ヘンチマンがスーサイドを殴り倒した。
ここに死線がある!ニンジャアドレナリンがヤモトを焼き、痛みを流し去った。その瞬間、彼女は纏わりつく蝶と繋がったように思った。ほんの一瞬の高揚だった。「イヤーッ!」ヤモトは跳んだ。蝶がジュクレンシャの剣に集まり、殆ど覆い隠すほどだった。ヤモトは飛来したカタナを掴み取った!
「「イヤーッ!」」ヤモトは空中で瞬時に三回転し、ジュクレンシャに斬りつけた。ジュクレンシャもまたこの立ち合いを死線と受け止めていた。オリガミの蝶が、間合いを、機を、微かに狂わせる。それがジュクレンシャのイアイを妨げていた。彼は異常な環境下に適応する為にこれだけの時間を要した。
「イキツ」ジュクレンシャが砂を蹴り、動いた。刀匠キタエタの手になる魔剣、イキツモドリ。その刃は今、眩しいほどの桜色の光を纏っていた。あたかもそれは切り裂かれたオリガミ蝶の血で染められたようで、しかも更なる蝶達が光をすすりに群がっている。不吉だった。そして実際、凶運が訪れた。
ヤモトはイキツモドリの軌道を読んだ。避けられない斬撃だ。だから、動かした。切っ先はヤモトを上に避け、髪の毛の幾筋かを斬ったのみで、通り抜けていった。ヤモトはジュクレンシャの背中合わせに着地した。ジュクレンシャの脇腹が裂け、血が噴き出す。ジュクレンシャは切り返す。「モドリ」
ヤモトはイキツモドリの軌道を読んだ。避けられない斬撃だ。だから、動かした。切っ先はヤモトを大きく逸れ、夜気を虚しく薙いだ。ヤモトはジュクレンシャと再び交差した。ジュクレンシャの胸が斜めに裂け、血が噴き出す。ヤモトはザンシンした。ジュクレンシャは目を見開き、己の運命を知った。
イキツモドリの二度の斬撃を、ヤモトは防ぎきった。しかもその際ジュクレンシャを斬った。イキツモドリには超自然の力が侵食していた。オリガミ蝶が注ぎ込んだサクラ・エンハンスだ。これで切っ先を狂わせ、回避の助けとした。ヤモトはさきの敗北に学び、ジツで打開し、カラテでケリをつけたのだ。
「なんと無慈悲なワザマエよ。恐れ入った」ジュクレンシャはたたらを踏んだ。噴き上がる血が天を衝いた。彼はよろめき、両膝をついた。そしてクナイを放った。「イヤーッ!」「イヤーッ!」ヤモトはこれをカタナで弾き飛ばした。ザンシンである。ジュクレンシャは虚無的に笑った。「サヨナラ!」
ジュクレンシャは爆発四散した。イキツモドリはセンコ花火めいたサクラ・エンハンス爆発で宙に弾かれていく。ヤモトはドス・カタナを白砂に突き刺し、身体を支える。イクサがまだ終わっていない。「イヤーッ!」「イヤーッ!」ショーゴーとヘンチマンに加勢するか?それともエンプレスを目指すか?
ヤモトの思考は答えにたどり着かなかった。ドウン!唐突に、全く唐突に、闇の中から無灯火のゴールデン・ヤクザリムジンがロケットスタート加速で出現し、ヤモトを撥ねた。ドアが開き、デッドフェニックス・クランのオヤブンが優雅に降り立った。落下したイキツモドリがボンネットに突き刺さった。
7
(((何をされた)))ヤモトは必死に思考を巡らす。(((アタイ、今、何をされた?)))ヤモトは手をついて、身体を持ち上げようとした。動かない。凄まじき強敵ジュクレンシャ。最後の悪あがきへの警戒。ザンシン。衝突の瞬間、彼女の集中とニンジャ第六感はジュクレンシャに費やされていた。
「小娘!その身に刻んだか?ヤクザの礼儀を」凛とした女の声をヤモトの聴覚が拾い、脳内でグラグラと反響させた。「よう暴れたの。その意気や良し。しかしヤクザクランはナメられたら実際オシマイじゃ。たっぷり歓迎してやろうのう」声の主の後ろに運転ヤクザが素早く侍り、毛皮コートを脱がせた。
「ドーモ。エンプレスです」コートの下から現れたのは、鯉を鉤爪でとらえる双頭の鳳凰の刺繍が金銀の糸で施されたキモノ、はだけた上半身に巻かれた黒いビスチェ、ブラックオニキスのカンザシ、幻惑的なヴェールを身につけた、威厳に満ちた女ヤクザニンジャであった。「アイサツせえ。無礼娘」
ヤモトは砂と土を掴み、力を込めようとした。「イヤーッ!」「ンアーッ!」エンプレスが、そこへ容赦なきケリ・キックを見舞った。ヤモトは庭に並ぶボンサイの鉢植え群に叩きつけられた。エンプレスの両手が空を切ると、それぞれの手には極めて恐ろしい業物が握られていた。ナンバンとカロウシだ。
「アイサツせえ!」エンプレスが怒声を張り上げた。傍らの運転ヤクザは失禁を堪えた。「イヤーッ!」ヤモトは手元の地面に拳を叩きつけ、立ち上がり、アイサツした!「ドーモ。エンプレス=サン。ヤモト・コキです」その目に再びニンジャソウル光が灯る!メキメキと盆栽が裂け、破片が舞い上がった。
木屑はヒトダマじみた桜色の光に吸い寄せられ、不可思議なパッチワークを作り上げる。鳥じみたシルエットの木屑集合体が二羽、命をもって羽ばたき、ヤモトの周囲を旋回し始める。「デッドフェニックス・クランは今夜でおしまいだ」ヤモトは再び言った。「今夜アタイがこの世から消す」「ホホホ!」
エンプレスは威圧的な二刀のカラテを構えた。むき出しの背に双頭フェニックスの刺青。今にもその燃える翼をひろげ、飛び立つかのようだ。「アマクダリが昼ならば、デッドフェニックスは夜。義侠のニンジャはすべて妾の元へ集う。光あらば影あり。陰陽はこの世の道理。アマクダリにも止められぬ」
「義侠?」ヤモトが拳をかたく握った。「お前は卑怯者のヨタモノだ」「卑怯!なんとまあ!」エンプレスは面白そうに目を細めた。「なんとまあヤクザがナメられたものじゃ。通り一遍のつまらぬモラル議論に弁護士先生でも呼ぶかえ」「要らない」ヤモトは言った。倒すからだ。ヤモトは地を蹴った。
「イヤーッ!」ナンバンが閃いた。ヤモトの胴体を横薙ぎの斬撃が狙う。時間差でカロウシが頭部切断を狙う。何たる通常であれば到底回避が不可能な多重斬撃か!だがヤモトの周囲を下僕めいて旋回する木屑の鳥が斬撃軌道に割って入り、砕けながら切っ先を反らした!「イヤーッ!」
首を刈り取るハイキックがエンプレスを襲う!「イヤーッ!」エンプレスは回転しつつ身を沈めてこれを回避、ヤモトの軸足を狙う払い切りを繰り出す!ヤモトの回避が一瞬早い。軸足だけの力で軽く跳ね、足首を切断しようとするカロウシを躱した。空中で身を捻り、「イヤーッ!」手をついて側転した。
「イヤーッ!」エンプレスの攻撃は止まらない。庭のボンボリの光を受ける二刀の刃が闇に白い斬光を刻み、側転するヤモトを追う。砕けた木屑が再び歪な飛行物体の形を取り、刃を受け、再び砕ける。致命傷を防ぐ。エンプレスは舌打ちする。しかしこのイクサは彼女のものだ。ヤモトは所詮、丸腰だ。
一方のヤモトは朦朧の中に落ちかかる意識を意志の力で引きずり上げ、斬撃軌道を読もうと努め、傷を最小限に抑える動きをとり、勝機を探り続けていた。(((勝つ。倒す。そしてニチョームに帰らないとダメだ)))彼女は心中呟く。(((勝って、無事で帰る。絶対だ。そうしないとダメなんだ)))
イクサはここから始まる。憂いを断ち、準備を整え、アマクダリに対し蜂起する。ヤモトは戦わねばならない。ニチョームはヤモトの故郷になってくれた。自分をこれまで護ってくれた。だが、子供のように護られていては、戦えない。護られるのは終わりだ。恩を返す番だ。護る番だ。それがケジメだ。
「イヤーッ!」「ンアーッ!」ナンバンがヤモトの左上腕を薙いだ。骨まで達するかという深い傷だった。ヤモトは人工の川のほとりを転がり、傷を押さえた。きれいな傷口であることが幸いだった。ヤモトは跳び下がって間合いを取り、裂いた袖をかたく縛りつけた。その傷口すらも桜色を帯びて光った。
得物が要る。ヤモトのカラテはイアイドーだ。カギ・タナカのインストラクションを受け、逃走と戦闘の中で練り上げ、研ぎ澄ませたワザだ。ナンバンとカロウシを構え、エンプレスが近づく。ヤモトは彼女の肩越しに黄金のヤクザリムジンを見る。ボンネットにアーサー王の伝承めいて刺さったカタナを。
「イヤーッ!」KRAAAASH!「グワーッ!」邸宅の壁が破砕し、スーサイドが縁側を転がって、砂の上に落下した。頭を振って起き上がる彼を、邸宅側から侮蔑的に見下ろすヘンチマン。コートの埃を払い、帽子を被り直す。赤熱する右手は白い煙の筋を立ち昇らせている。
「自慢のジツはネタ切れか、ア?」ヘンチマンは巨大な右手を握った。内なる熱で、すぐさまそのサイバネ指が赤く染まる。「スレッジハマーのバカがどうしてくたばったか、だいたいわかったぜ。吸収者。奴もどうしようもないクソバカだ。バカだから裏街道に堕ちて、そして死んだ」「テメェも死ぬぜ」
「悪態をつくがせいぜいか、ドチンピラ」ヘンチマンが縁側を降り、スーサイドに近づく。リムジン越しにヤモトとエンプレスを見やる。「あっちが片付いちまうじゃねえか。手間ァかけさせやがって」「ヘッ!」スーサイドは口中の血を吐き捨てた。「要はテメェが大した奴じゃねえのさ」「ありがとよ」
ヘンチマンが手のひらをスーサイドへ向ける!「イヤーッ!」グレネードスリケンが放たれる!だがスーサイドはこれを先読みしていた。放たれた瞬間、グレネードスリケンは接近したスーサイドによって高く蹴り上げられていた。KABOOOM!上空でグレネードが花火めき、イクサを照らした。
「何ィ?」「イヤーッ!」「グワーッ!」スーサイドのボディブローがヘンチマンに叩き込まれる。スーサイドはヘンチマンの懐をそのまま掴み、キアイを込めた。「イヤーッ!」「イヤーッ!」吸収を阻止すべく、ヘンチマンが左チョップを振り下ろす。スーサイドはこれを右腕でガードした。
「チィーッ!」更なる攻撃をヘンチマンは諦め、スーサイドを振り払って後退する。スーサイドにとっても厄介なイクサだ。ニンジャのエネルギーを吸うのは至難。しかもヘンチマンは手の内を知り、絶対にそれをさせようとしない。ジリー・プアー(徐々に不利)だ。
「来いよ」スーサイドは挑発的に手招きする。ヘンチマンは乗らない。ゆっくりと間合いを調節し、サイバネティクス右拳の必殺の赤熱打撃を浴びせようというのだ。イクサは徐々に破滅的収束に向かいつつあった。スーサイドの背、リムジンのボンネットに刺さったカタナに、木屑の飛行体が止まった。
ヤモトの額を脂汗が流れ落ちた。彼女はエンプレスに向かって片手をかざしていた。エンプレスはカラテ警戒し、接近速度を半減する。だがヤモトの手は、エンプレスにではない……その奥のリムジンに……ボンネットのカタナに向けられているのだ。腕の傷が開き、縛りつけた布が真っ赤に染まった。
ボンネットのカタナが徐々に桜色の光を帯び始める。木屑の飛行体は絶命し、バラバラに散った。カタナが身動ぎした。だが、それだけだ。ヤモトは悔しげに歯を食いしばる。深々と突き刺さったカタナを引き抜くほどの力が無いのだ。それでもヤモトは諦めようとしなかった。エンプレスが踏み込んだ。
「イヤーッ!」カロウシ、袈裟懸けの斬撃!ヤモトはイアイめいて瞬時に手を動かし、エンプレスの手首を押さえて、なんとかこれを停めた。スーサイドが不意にヤモトを見た。二者の視線の交錯は一瞬だった。「イヤーッ!」ナンバン、横殴りの斬撃!「イヤーッ!」ヤモトの身体が動いた。体当たりだ!
「グワーッ!」踏み込みながらの当て身を受けたエンプレスは一瞬怯み、ヤモトを仕損じた。しかし彼女は地を蹴り、跳ね返るように再接近、二刀同時斬撃で襲いかかった。「イヤーッ!」ヤモトは跳んだ。「イヤーッ!」ヘンチマンが拳を射出した。「イヤーッ!」スーサイドは跳んだ。
スーサイドは宙返りしてボンネットに着地した。ヘンチマンが唸った。「ちょこまかと逃げまわるだけの……」「イヤーッ!」スーサイドはカタナの柄を握り、引きぬいた。その時ヘンチマンは既に跳躍し、車上のスーサイドのワン・インチ距離空中にあった。「イヤーッ!」「グワーッ!」
スーサイドの肩口にヘンチマンの右拳が叩き込まれた。スーサイドの左肩が砕けた。スーサイドはカタナを投げ放った。イキツモドリは大きくエンプレスの背を逸れ、頭上を飛んだ。ヤモトは落下しながら手を翳す。飛ぶカタナはヤモトの手に吸い込まれていった。刀身の光と彼女の眼光は同じだった。
ヤモトの目が動き、エンプレスを見た。「「イヤーッ!」」ナンバンが、カロウシが、イキツモドリが……刀匠キタエタの手になる三つの大業物が交わった。
ヤモトはイキツモドリでナンバンを打ち、その反動で勢いをつけ、逆側から襲いきたカロウシを受けた。着地したヤモトとエンプレスは一瞬の鍔迫り合いとなり、ワン・インチ距離で睨み合った。エンプレスは戦闘者の歪んだ笑みを浮かべた。「イヤーッ!」ナンバンが再び襲い来る。
ヤモトは鍔迫り合いを脱して後ろへ転がり、起き上がりながらイアイを繰り出して追撃を牽制した。押し合いには勝てない。相手は二刀流の手練で、ヤモトは左腕に傷を負っている。だが、カタナが手に入った。スーサイドが投げたカタナにはヤモトのジツが注がれており、空中で引き寄せる事ができた。
激しい打ち合いを何度も繰り返すことはできない。二本のカタナによる怒涛の連続攻撃を無傷でやり過ごすのは至難だ。そしてできるだけ早く決着をつけねば、これまでに受けた傷によって死ぬことにもなりかねない。威厳あるエンプレスの構えには慢心も奢りもなし。獲物をとらえる肉食獣めいて。
一方のスーサイド、ボンネットから下へ倒れこみ、ヘンチマンの更なる打撃を躱す。「アイエエエ!」運転ヤクザが走って逃げる。「イヤーッ!」「アバーッ!」鉄拳が飛び、運転ヤクザの頭部を粉砕殺!「ダメだダメ。そう簡単に吸収はさせねえ。若者はラクしちゃいけねえよ」ヘンチマンが嘲笑った。
「次は右腕、やるか」ヘンチマンは車体からゆらりと跳び下り、スーサイドを追い詰める。「そうすりゃ、吸収もできねえだろ。そうしたら蹴って来いよ。腕がなけりゃ、脚だ。根性見せてみろ。な」ジャラジャラと鎖が音を立て、巻き戻された鉄拳が手首に嵌めこまれた。電熱音とともに拳が赤く染まる。
「口だけ野郎」スーサイドはカラテを構え直した。「そンなら右腕、獲りに来いよ。ビビッてんだろ?テメェはビビりあがって近寄れねえんだ。ああ、寄ってみろよ、ありがたくいただいてやるよ。テメェの命をよ」「ハッタリだな」ヘンチマンは言った。「だいたいわかった」「なら試してみろ」
ヤモトとエンプレスはじりじりと砂上を移動し、互いに機を伺う。ヤモトは身を沈め、刀身には傷ついた左腕を添え、右手にグッと力を込める。マフラーじみた光が踊り、イキツモドリの刀身も、ここへきて更にその桜色を濃くした。人工の川で鯉が跳ねた。その音が合図となった。「「イヤーッ!」」
まず襲い来るはナンバン!ヤモトは打ち返す!そしてカロウシを受ける!「イヤーッ!」さらに回し蹴りが襲いかかる!ヤモトは上体をそらして回避する!「イヤーッ!」再び襲い来るナンバン!ヤモトは打ち返す!カロウシを受ける!「イヤーッ!」それを補う蹴り!ヤモトは回避!反撃の隙はない!
「イヤーッ!」襲い来るナンバン!ヤモトは打ち返す!カロウシ!弾き返す!蹴り!「ンアーッ!」ヤモトはこれを避けられない。肋の一つ二つ、いったか?だがエンプレスの目に歓喜の色はなかった。彼女は攻撃のリズムが崩された事を訝しんだ。ヤモトの目が燃える。「イヤーッ!」ヤモトが打つ!
ヤモトのイキツモドリはカロウシを二度たてつづけに打った。エンプレスが驚くほどの強烈な打撃であり、バランスが崩された彼女はナンバンによる逆方向からの攻撃に出られなかった。だがそれ以上に警戒すべき事態。イキツモドリから桜色の光が失せ、カロウシが光を帯びた。打撃の際に、移ったか。
「此奴」エンプレスが眉根を寄せた。「イヤーッ!」ヤモトはイキツモドリの鍔とナンバンの鍔を噛みあわせた。「ヌウーッ!」エンプレスが押し返す。片腕を負傷したヤモトに、カラテで勝るエンプレスが押し負ける事はない。そしてカロウシの手は自由。だがカロウシはヤモトを斬りつける事を拒んだ。
エンプレスはカロウシに不快な重さを感じた。ヤモトとエンプレスは押し合った。不意にヤモトの負傷した左手が動いた。その手がカロウシの刀身に触れた。みるみるうちにカロウシの光が強まった。エンプレスは拒否しようとしたが、カロウシは動かない!
「イヤーッ!」「ンアーッ!」ヤモトが押し負ける!エンプレスは当て身を食らわせ、ヤモトを吹き飛ばした。そしてカロウシで袈裟懸けに斬った!「ンアーッ!」だが浅い!噴水めいて噴き上がるべき鮮血が無い。エンプレスは小走りに間合いをつめる。ヤモトは賭場の縁側に手をつき、身を支える。
ヤモトは結果的に有効打をまるで打てておらず、後退を繰り返している。しかしエンプレスは奇妙な感覚をおぼえている。何も知らぬ者が遠目にみれば、強者が弱者を二刀でいたぶり殺す最中であろう。だがエンプレスのニンジャ第六感は、我が身に迫る危険にニンジャアドレナリン分泌を速めている。
縁側に手をついたヤモトの背後、ところどころ血に染まったショウジ戸のショウジ紙が微光を帯びる。エンプレスは斬りかかる。ここで殺さねば!「イヤーッ!」「イヤーッ!」ヤモトは縁側に転がり上がる。二刀が彼女のいた場所をひと打ちで破壊する。ショウジ紙がバリバリと音を立て剥がれる!
「イヤーッ!」エンプレスはひととびに縁側へ駆け上がり、ヤモトに斬りつけた。ヤモトは手をつかぬ側転で攻撃を回避、ショウジ戸に触れた。ショウジ紙が剥がれる速度が倍加され、それらは桜色の光とともにひとりでに折り上がって幻惑的に宙を踊った。
「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」エンプレスは行く手のオリガミを二刀で次々に斬り捨て、ヤモトへ迫った。ヤモトの左腕の傷にはそれらショウジ紙の一つがはりつき、かりそめの包帯めいて覆った。ツル、隼、風車……それらオリガミはエンプレスへ襲いかかる前にすべからく斬って捨てられる。
ヤモトは後ずさった。オリガミ・ミサイルでの攻撃は間に合わない。折られるオリガミの形状が変わった。蝶だ。「イヤーッ!」エンプレスがナンバンで斬りつけた。「イヤーッ!」ヤモトがイキツモドリで受けた。エンプレスは逆の手のカロウシを振り上げた。そこへ蝶が群がった。
(((まただ)))ヤモトは息を呑んだ。爆発しないオリガミだ。だが彼女はこの力を信じた。ジュクレンシャを破ったイクサを。ヤモトは蝶との繋がりを意識しようとした。蝶は応えた。「イヤーッ!」エンプレスがカロウシで斬りつける。ヤモトは斬撃軌道を予測する。そこへ蝶が集まった。
致命的斬撃はヤモトを捉えることがなかった。間一髪、ヤモトは死体で満たされた賭場へ飛び込んだ。「イヤーッ!」ナンバンが襲い来た。ヤモトは打ち返した。そこへ前蹴りが襲い来た。「ンアーッ!」ヤモトは弾かれた。「イヤーッ!」更なる打ち込み!ヤモトのイキツモドリが弾き飛ばされる!
イキツモドリはクルクルと回転して宙を飛び、壁にかかった「富士山」のショドーに突き立った。「イヤーッ!」カロウシが襲い来た。蝶が群がる。刀身の光はまるで誘蛾灯だ。蝶は切り裂かれ、爆ぜ、斬撃を押し留める……ヤモトは退がるのを止めた。彼女は敢えて懐へ踏み込んだ。
踏み込みながらヤモトはエンプレスに対して背を向け、ぴったりと寄り添うように動いた。ヤモトは両手でエンプレスのカロウシの柄に触れた。エンプレスの手からカロウシがひとりでに逃れた。ヤモトは間合いを離した。おお、その手にはカロウシ!「イヤーッ!」エンプレスはナンバンで斬りつける!
「イヤーッ!」ヤモトは振り返りながらカロウシで斬り返す!ナンバンとカロウシがぶつかり合い、火花が弾ける。ヤモトは攻撃の手を休めなかった。エンプレスは動揺を殺した。奇怪な蝶はもはや一匹も残っておらぬ。二刀のうち一刀が奪われた。それだけの事。……その一瞬の思考が明暗を分けた。
「イヤーッ!」エンプレスの背の双頭フェニックス刺青の心臓部からカロウシの切っ先が飛び出し、斜め上へ逆袈裟に切り抜けた。双頭フェニックスの一方の頭が破壊され、エンプレスの艶かしく白い肌の裂け目は鮮血を噴いて、天井を染めた。「イヤーッ!」エンプレスはカタナを返し二撃目を繰り出す。
二撃目もしかし、ヤモトの斬撃が一瞬速かった。もはや勝負あった……「イヤーッ!」背中の双頭フェニックスの残る頭が破壊され、逆側の肩が避けた。「グワーッ!」エンプレスは後ずさった。よろめき、たたらを踏む。二つの血の噴水が見るも恐ろしいシュラバの中のシュラバを作り出した。
「小娘ェーッ!」エンプレスはなおもナンバンを構えて後ずさり、壁に刺さったイキツモドリを掴んだ。噴き上がる二つの鮮血はさながら呪われた赤い翼めいていた。ヤモトは膝をついた。もはや限界だ。エンプレスはイキツモドリの柄を握りしめ、力任せに引き抜く。アナヤ!しかし!
ふたたび二刀を構えたかに見えたエンプレスであったが、イキツモドリに刃先は無かった。さきの打ち込みで致命的クラックを生じていたイキツモドリの刃先は「富士山」のショドーに残ったままだ。ヤモトは力を振り絞った。下から上へ、立ち上がりながら、掬い上げるように刃を繰り出した!
「イヤーッ!」「グワーッ!」三つの斬撃をその身に刻み込まれ、さしものエンプレスのニンジャ生命力にも、遂に終止符が打たれた。「妾は死なぬ!死ぬものか……嗚呼!」呪われた双頭フェニックスのヤクザ・オヤブンは怒りの形相のままに爆発四散した。「サヨナラ!」インガオホー!
「そろそろ立てねェんじゃねえか?ア?」スーサイドの眼前、彼の攻撃が届くぎりぎり外を、ヘンチマンは左右にフットワークし挑発する。恵まれた体格が生み出すリーチ差を保ったヒット・アンド・アウェイはボックス・カラテ由来のもので、精密かつ執拗であった。「いける。平気だ」とスーサイド。
既に数度の強烈なパンチをもらい、熱で焼かれて、彼の身体はひどいありさまだ。ニンジャでなくば二度三度は死んだであろう傷だ。それでも彼は拳を下げない。「まだいける。キアイは俺が上だ」「どんどん楽しくなってくるぜ。いたぶるのがよ」ヘンチマンは笑った。
「来いよ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」スーサイドは殴られながらヘンチマンを掴もうとする。だが用心深いヘンチマンは素早く拳を引き、それを許さない。「腰が引けてやがるぜ」「俺はセコいイクサも好きでよ……ジワジワやるのはたまらねえ」「なら、何時間でも付き合ってやるよ。痒いんだよ」
スーサイドは己の終わりを予期し始めた。今の彼ではまだ勝てない相手だ。だが彼が倒れれば、ヘンチマンはヤモトのもとへ行く。これ程の相手が二人がかりになれば、もはやヤモトに勝ち目はあるまい。時間を稼げ。(((どっちにせよ、もう一発食らわせる。おさまりがつかねえ)))彼は敵を睨んだ。
視界が霞み、ヘンチマンが三人にブンシンした。ナンセンスだ。彼は頭を振って視界を戻した。ヘンチマンが一人に戻った。ただ、何かがちらついた。「イヤーッ!」ヘンチマンのパンチが襲い来た。スーサイドはあやうく躱した。もう一発もらえば立てないだろう。腕を掴もうとしたが、やはり無理だ。
やがて、視界にちらついていたものの正体がわかった。蝶だ。「イヤーッ!」再び拳が襲い来る。スーサイドは躱した。二者の間に、蝶が迷い込んだ。一羽、二羽……蝶はオリガミだ。「ヤモト」スーサイドは呟いた。三羽。四羽。「邪魔くせえ」ヘンチマンが毒づいた。スーサイドが動いた。
「イヤーッ!」ヘンチマンが拳を繰り出す。蝶が集まる。スーサイドは己とヘンチマンの間に蝶を置くように動いた。鉄の拳はオリガミ蝶を叩き潰した。スーサイドはヘンチマンの側面をとっている自分自身を発見する。身体を動かせ!「イヤーッ!」「グワーッ!?」蹴りがヘンチマンの脇腹をとらえた!
「イヤーッ!」なぎ払う裏拳をヘンチマンは繰り出す!スーサイドは身を沈めてこれを躱す。彼はほとんど崩れ落ちかけており、かえってそれが幸運を拾う手助けをした。丸太めいたヘンチマンの脚にしがみつく。すべきことは一つだ。「イヤーッ!」「グワーッ!?」活力が僅かずつ流れ込んできた!
「離し、やがれ!」ヘンチマンは倦怠感と戦いながら、鉄の拳を振り上げた。「アアアア!」スーサイドは絡めた腕を締めあげ、ヘンチマンのニンジャ耐久力を引きずり出す!「イヤーッ!」ヘンチマンが鉄の拳をハンマーめいて振り下ろす。だがそれは悪手だった。崩れたバランスをスーサイドは捉える!
「イヤーッ!」「グワーッ!」ヘンチマンは背中から倒された。「イヤーッ!」彼はすぐさま寝ながらの蹴りを繰り出し、スーサイドを弾き飛ばす。「グワーッ!」スーサイドは大地を蹴って跳び戻る!「イヤーッ!」「グワーッ!」スーサイドの拳がヘンチマンの顔面を捉える!
殴られながらヘンチマンは後ろへ転がり、油断なく起き上がった。「ガキィ……!」「これでもう五時間やりあえるぜ」スーサイドは言った。だがその左腕はだらりと垂れたままだ。「クソヤクザ、テメェはあと何分やれる?ア?」「一発ラッキーで入れたぐらいで調子に……」ヘンチマンは言葉を切った。
彼の視線の先には、今まさに賭場から出てくるひとつの影があった。ナンバン、カロウシをそれぞれの手に持った地獄戦士の影が。「マジかよ」彼は思わず呟いた。その影はエンプレスではない。ヤモト・コキ。ふらつきながら、こちらへ向かって進んでくる。その双眸には闇を通す桜色の光。
「後はテメェだけか?」スーサイドが言った。「他にニンジャがいるなら呼んでこいよ……」だがヘンチマンは口笛を吹いた。そして地面に落ちた帽子を拾い、被り直した。「オヤブンがくたばったッてか。全くしょうがねえなァ」「オイ。来いよ」「そういうケンカはガキ同士でやれ。徒労もいいとこだ」
「待てッ……」「追って来られるなら付き合ってやるよ」ヘンチマンは身を翻した。「祭りもオシマイだ」「待てよォ畜生!」「テメェらの勝ちだ、テメェらの」ヘンチマンは闇の中に去った。「ブッダファック!」スーサイドは地団駄を踏み、激痛に呻いた。「ファック!」
「ショーゴー=サン」やがてヤモトはスーサイドのもとへ辿り着いた。「終わった」「終わったか」とスーサイド。「ひでェ見た目だぜ」「そうだよね」ヤモトは拳で顔の血を拭う。血が広がっただけだ。スーサイドは噴き出した。ヤモトは人工の川にしゃがみ、顔を洗った。「でも、そっちも同じだよ」
「金庫でも漁るか?」「帰ろう」「ああ帰るか。タクシーも止まらねえぞ、これじゃ」黄色がかった明け方の曇天の下、彼らは歩き出した。スーサイドはグラついた奥歯を引き抜いた。「疲れちまった」彼はそれを塀の外へ放り投げた。
【ニチョーム・ウォー……ビギニング】終
N-FILES(設定資料、原作者コメンタリー)
ニチョーム地域に影を落とすアマクダリ・セクトの有形無形の支配。ドラッグ「ピュア・オハギ」の流通の元には、デッドフェニックス・ヤクザクランの存在があった。ヤモトは街を守ることができるか。メイン著者はブラッドレー・ボンド。
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