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リマスター版【ロンドン・コーリング】前編

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1

「それでは行ってまいります」ドージョーの門を出ると、ユカノは一度振り返り、弟子のタイセンと向かい合った。ユカノは旅姿であった。見送りのタイセンは、センセイを心配させまいと、不敵に笑って握り拳を作った。「留守番、任してください! 賊が来ようが霊廟から化け物が出ようが平気です」「まあ!」

「お二人が帰ってくるまでに、俺、秘密のワザを編み出して、ビックリさせてみせますよ」「頼もしいですね。タイセンよ。実際そなたのカラテ成長は目覚ましい。粛々と師範代としての責務を果たすべし。わかりましたね」「勿論ス。だけど……」タイセンは横に立つ、青い半透明霊体を見た。

 半透明霊体がタイセンの肩に馴れ馴れしく肘を乗せると、彼は(コイツ本当に何なんです?)という顔をした。霊体姿の男……シルバーキーはユカノにウインクした。『ま、ここの守りは俺とタイセン=サンに任せとけ。しっかり観光して来なッて』「そのつもりです」ユカノは微笑んだ。

 シルバーキーの本体はアラスカに在る。彼はドージョーのUNIXに接続された銀のデバイスの力で、この地に遠隔干渉している。フジキドが現地を訪れた際に預かり、持ち帰ったデバイスは、養女のゾーイが超自然的に作り出した品である。『オヒガン防備は完璧だぜ。なんだったらドージョーのIRC-SNSも俺が……』「私が旅先から更新します」『あ、そ』

「フジキド=サン。どうかセンセイをお願いしますね」タイセンはシルバーキーの幽体を気にしながら、フジキドに頭を下げた。「無論だ」フジキドは頷き、山岳ラマの手綱を引いた。「心配性ですね」ユカノは笑った。「長い滞在にはならぬ。すぐに戻ります」「では行くか。ユカノ」

 彼らに別れを告げ、山道を下るなかで、ユカノとフジキドの表情は張り詰めたものに変わっていた。これは観光目的の旅ではない。旅の目的地は死都ロンドン。邪悪なるリアルニンジャ「ケイムショ」の支配域であった。死者が徘徊し、「ロンドン・アイ」の呪いが睨みを利かせる地の中心に、大英博物館はあった。

 二人は岡山県シズカガオカを出発し、キョート、ガイオン空港発のオバンデス空港便、タビビトクラスで空の旅へ。機内食として供された味の薄い茶巾ゴハンを食し、液晶パネルの映画をぼんやりと見ながら、やがてフジキドは目を閉じる。その横でユカノは物思いに沈み、この旅の発端に思いを馳せる……。


◆◆◆


 ドラゴン・ドージョー裏手の石段の先には神秘的な洞穴が口を開ける。山の内部を深くくり抜いた霊廟、ドラゴン・ダンジョン。それは、平安時代に彼女自身が築いた巨大な迷宮だ。霊廟の目的は強大なる弟子を安全に弔う事……そして、手に余る重大レリックの秘匿と保存であった。

 この霊廟が先日、密かに暴かれた。

 夢枕でそれを報せたのは、朋友ヤマト・ニンジャの幻。(取り返しのつかぬ事態が起ころうとしている)。ユカノは意を決し、武器を携え、深淵に降りた。而して、霊廟深部でユカノが遭遇したのは、古代ニンジャ大戦の敵軍の将、ヒスイ・ニンジャであった。ありえぬ出来事。不条理の極みである。いかなる超自然侵入が為されたのか!?

 救援に現れたフジキドと共に辛くもヒスイ・ニンジャを破ったユカノは、ダンジョンの深奥に至った。チャドー瞑想と国際探偵フジキドの推理力によって、ユカノは神秘的祭壇で行われた冒涜的行為の一端を幻視した。

 ダンジョンに侵入していたのは、シトカでマスラダに滅ぼされる以前の、サツガイだった。

 サツガイは祭壇に安置された三つの神器、ジュエル、ツルギ、カガミを冒涜した。翡翠のジュエルからヒスイ・ニンジャを生み出し、炎のツルギからスルト・ニンジャを蘇らせた。スルトは黒いトリイをくぐって何処かへ去り、ヒスイはその場に残された。そして鏡の破片から、サツガイは……。

(お前、なにか妙だなあ。ドラゴン・ニンジャとは違うのか。まあいいや。そンならとにかく名前をつけろよ)幻視光景の中で、サツガイは闇そのものの貌に歪んだ笑みを生じ、カガミから創造した邪悪な影に語りかけた。(何でも良いんだ。無いと支障があるだろ。「オイ、きみ!」ッてワケにはいかない)

(名前……)(紛らわしい名前もダメ。扱いに困るからな。ドラゴナ・ニンジャとか、そういうのはダメ。そうだなあ、イビルドラゴンとか……どう? ダメか。BWAHAHA!)そして黒髪の女は目を開き、サツガイの手を払い、冷たく答えたのだ。(我が名はティアマト。わらわに気安く触れるでない。ズガタキェー)

(MWAHAHAHAHA! ティアマト!? お前、そんなにも自我がハッキリしているのか。なかなか面白そうだ。お前の望みを言いなさい)サツガイが促すと、ティアマトは無言のせせら笑いで応えた。サツガイの狂笑……。(BWAHAHAHAHAHAHA! MWAHAHAHAHAHAHA! ならば、ついて来い!)

 ……「ンアアア……!」

「ユカノ……ユカノ」「ンアアアア……あれは……私……違う……私では……しかし……」「ユカノ!」「ンアアア!」「ユカノ!」強く揺さぶられ、ユカノはハッと目を開いた。機内。フジキドが気遣わしげに彼女を見ていた。周囲の乗客が怪訝そうな目をフジキドに向けると、彼はペコペコと頭を下げた。

『まもなく当機はバーミンガム空港に到着するドスエ』案内音声は穏やかに告げた。「ユカノ。例の幻視か」「そう……そうです」ユカノは額の汗を拭い、フジキドが差し出したチャを受け取った。「すみません。ブザマな姿を……」「案ずるな。その重大な懸念に対処する為の旅なのだ」

 ユカノは頷き、チャで唇を湿した。「このうえは、是非とも彼の力を借りねばならない。ニンジャ六騎士、ゴダ・ニンジャ=サンの力を。如何なる異変が世界に訪れようとしているのか……サツガイとは何なのか……知恵を借りる事ができる筈です」「大英博物館。ロンドン」フジキドは呟いた。

 ゴダ・ニンジャ。ドラゴン・ニンジャやハトリ・ニンジャと共に、バトル・オブ・ムーホンの大戦を戦い抜いた友。彼は現在、大英博物館にミイラの状態で留まっている。かつてユカノはザイバツ・シャドーギルドとの戦いの後、世界を周遊し、実際ゴダ・ニンジャを訪ねもした。肉体は朽ちようとも、その中でゴダの精神の片鱗は健在であった。

 発狂を自称する魔術ニンジャのウィザードと、狐頭のキツネ・ウエスギを伴う波乱の旅の記憶を、彼女は今でもなつかしく思い出す。当時のロンドンにはまだ、秩序だった文明が存在していた……。

 ユカノとフジキドが降り立ったバーミンガム空港は物々しいアトモスフィアに包まれていた。臨戦態勢。ロンドンの方角に向かって、暗黒メガコーポ各社の戦闘車輌や輸送車輌が並んでいた。形だけのバリケードが作られているが、抜け穴は多数あった。通行の制限はない。死ににゆく者を止めはしないのだ。

「ウチが一番安全」「積荷保証」「クール・クール・ブリタニアなロンドン観光は当社」「完全武装なのでゾンビをドリルで倒しながら走ります」「ちょっとやめないか」「パンクス・ノット・デッド」「十字架の力」。広場には無数の装甲バス。勇ましく物騒な横断幕キャッチコピーの数々が風に揺れる。

 死都に呑まれたヒースロー空港は暗黒メガコーポ専用港としてのみ機能している。「一般客」は、こうした装甲バスを使う。怪しげな運び屋や傭兵、ジャーナリスト、あるいはピクニック気分の無軌道大学生やインディーズ悪魔祓い、過激旅動画配信者……そして、フジキドと、ユカノ。

 トレンチコートにハンチング帽の男と、1960s風のベルボトムとカラフルなコートを着た女。並んで歩く二人のシルエットは奥ゆかしくも堂々としていた。近寄ろうとする怪しい物売りを無言のニンジャアトモスフィアで黙らせ、二人は目についた装甲バスに無造作に乗り込んだ。いざ、呪われし死都へ。


2

『クソッタレ! こっちはダメだ! ズンビーども……ズンビーどもが俺の足を! アイエエエ! アイエーエエエエ!』通信機から漏れ出た悲鳴は、南側に逃げた同僚のものだった。生きたまま骨を噛み砕かれる音にメイは悲鳴をあげ、通信チャネルを閉じた。「なんてこと。ロブまで……! もう終わりだわ……!」

 ロンドン。ネクロポリス。その、中心部。異色の空の下、刺々しい屋根の古式の家々の狭間を、血みどろのメイは足を引きずって独り進んでいた。彼女の属するカタナ・オブ・リバプール社の機械化小隊は偵察任務中に本隊からはぐれ、壊滅。もはや技術官である彼女一人を残すだけとなっていた。

 不気味な呻き声や咆哮が全ての方角から聴こえてきた。そのどれもが生きた人間や獣の声ではない。この地はまるごと呪われている。彼女は恐怖と戦いながら霧の中を彷徨い、ケンジントン付近の無人民家に滑り込んだ。扉を締めると力が尽きた。メイは玄関に座り込み、トランシーバーをONにした。

「本隊、応答願います。直ちに現在座標へニンジャを派遣してください。直ちに現在座標へ……」応答無し。電子ノイズ音すら聴こえぬ程に、家の外が騒がしい。秋の蛙のようにけたたましい……そしてずっと恐ろしい、ズンビー達の低い唸り声の群れだ。奴らは血の匂いを追う。他でもないメイの血を。

 鍵は壊れている。メイは自重だけで扉を押さえた。ドン、ドン。ズンビーが体をぶつけてくる衝撃が扉一枚を隔てて伝わって来る。そのたびメイは激しく揺れ、嗚咽した。「ウウーッ」メイは涙を啜り、サブマシンガンの弾倉を確かめた。もう弾がない。気休めの電磁パルスナイフを抜き、刃先を己に向けた。

 生きたまま貪り食われるくらいならば、ここで腹を切った方がマシだ。メイはナイフを握る手に力を込め……「セイ!」外で鋭いカラテシャウトが響いた。ストロボ光めいた白い連続発光と衝撃音。そして凄まじい肉の破裂音が続いた。メイは困惑し、手を止めた。「セイヤッサー!」カラテシャウト! 光!

「アバーッ!」KRAAAH! 黒炭と化したズンビーの肉と思しきものが、白い玄関扉のアーチガラス窓に叩きつけられた。メイは身を竦ませた。やがて、外から女の声が聞こえた。「開けてください。もう大丈夫です」「……」メイは電磁パルスナイフを握りしめ、苦痛に顔を歪めて、恐る恐る立ち上がった。

 玄関扉の窓の向こうに立っていたのは、風変わりな尼僧装束の女であった。尼僧の両腕には鋼鉄の鎖が巻かれ、両腿のホルスターには大型の聖職者拳銃が備わっていた。「あ、あなたは?」メイは震え声で問うた。尼僧は両手を合わせ、礼儀正しくオジギした。「ドーモ。拙僧はスマイターと申します。ニンジャです」


◆◆◆


 ロンドン・ネクロポリス最外縁部、ブライトン。……雨が降っている。

 海辺の遊園地の屋根の上、鉄のカラカサを立てて雨を除けている男がいた。謎めいたニンジャの男は、地上で蠢く者共を見渡し、無感情に「寒い」と呟いた。「おう。待たせてすまんな。寒いよな」傍らにもう一人のニンジャが立った。

「まずチャを飲め」差し出された魔法瓶を受け取り、鉄のカラカサのニンジャ、アンブレラは尋ねた。「どこでこれを?」「そこらへんでな」「……」アンブレラは瓶を傾け、熱いチャを飲んだ。そして眉根を寄せた。「……マッチャをか」「ああ。マッチャだ。ここには何でもある。探せばな。天国よ」

 ニンジャは付け加えた。「俺はこのロンドンで、随分長くやってる」「……そうか」「だから俺を雇うがいいぜ。何だって用立ててやる。正しく安全に案内できるのは俺だけだ。この糞溜めの天国をな」「わかった。いいだろう」アンブレラは頷いた。相手は平然と告げた。「契約料はさっき改訂されて、二割増しになった」

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