【ヴェックス・オン・ザ・ビーチ】
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波濤打ち付ける傾斜ビル廃墟が、このビーチと99マイルズ・ベイとの境目だ。あの向こうは裂け崩れた海岸線とジャンクによって埋め尽くされている。こちら側は平和なものだ……宝石めいて色とりどりのバイオウミウシや、キラキラと輝く白波。何らかのケミカル流出物の影響であろうが、ホローポイントはニンジャであり、その程度の有害物など気にはしない。
太陽は殺人的な熱を放射してくるが、この日も彼はきっちりとしたヤクザスーツで身を固め、流木やカニをまたぎ越えて、目的地に向かって歩く。時折彼は舌打ちする。イタリア靴に入り込む砂が不快なのだ。
「泳いだら?」
波打ち際を片足立ちで跳ねる女がホローポイントに声をかける。ホローポイントは睨み返す。当然、それは物好きな海水浴客などではなく、いつもの赤い女……彼につきまとう幻覚の女、ねじれた角を生やしたディアボリカだ。ご丁寧に彼女は水着姿で、両手にサンダルをぶら下げ、呑気なものだ。
BLAM! ホローポイントはディアボリカの眉間を撃った。銃弾はすり抜けた。ディアボリカは笑いながら肩をすくめた。効かないのはわかりきっている。彼はまた舌打ちをひとつ。あれに害はない。ただの幻覚、彼自身が見せるニューロンの残滓に過ぎない。
「そう。私の事は気にしないでね」
今度は前方、木の枝でヤドカリの穴を掘っていたディアボリカが顔をあげ、ホローポイントを見る。BLAM! 機械的に彼女を撃つ。すり抜ける。
ホローポイントは歩調をやや早め、行く先、切り立った崖に建てられた廃ホテルを目指す。ディアボリカは彼を目で追う。あそこまでヤクザリムジンでそのまま乗りつけられれば楽なものだが、この地域の国道は地震によるひどい断裂が放置されたままで、とてもではないが乗り入れる事はできない。ネオサイタマ生まれ、ネオサイタマ育ちの文明人たる彼が、不快な徒歩移動、それも舗装道路すら迂回して、こうして砂浜を歩き進むことを強いられているというわけだ。
今回の標的は、ニンジャ……それもソウカイヤの身内だ。クソのようによくある話だ。ニンジャの名はラスティクル。カタギの女に恋慕し、ヤクザマネーを横領して、消えた。くだらないメロドラマの後始末の為に、シックスゲイツの彼が駆り出されている。ラスティクルは彼の弟分ではないが、面識はあった。何度か共に荒事をやった事もある。だがそこにアワレの感情が湧く事はなかった。くだらない後始末にこんなクソのような場所まで向かわされる苛立ちから、二倍殺したい気持ちが強まった。
「まあコワイ。血も涙もないヤクザだね」
並んで歩きながら、ディアボリカが話しかける。黒い髪が波風に揺れる。ホローポイントは、撃たない。撃ったところでもはや気晴らしにもならない。弾丸の無駄だ。
空ではカモメが旋回している。ホローポイントはそれが気に入らない。見上げていると、徐々にそれが魚影に見えて来る。水底から見上げるあの……。
「クソが……」
彼は岩壁に積み上げられたテトラポットに手をかけ、登ってゆく。上物のヤクザスーツが砂と土で台無しだ。
「ホラ。もう少し。頑張って」
上ではディアボリカがしゃがみ込んでホローポイントを見下ろしている。ホローポイントは唸り声をあげ、自分の身体を上へ引き上げる。スーツの砂を払い、靴を脱いで砂を落とす。靴下を裏返し、バタバタと振った。
「……クソ!」
彼は激昂し、靴下も靴も、その場に放り捨てた。スラックスをスネまでたくし上げ、ジャケットも脱いで、その場に捨てた。ひび割れたアスファルトを彼は裸足で歩いた。携帯UNIX端末を取り出し、液晶画面の砂を払う。
マーカーはあの廃ホテルから動いていない。情報の発信源はラスティクルの情婦だ。ありがちな話……男の方で気持ちが一方的にデスパレートに盛り上がって、女の方はその勢いに引き、怖くなってケツを割った。ラスティクルときたら、全くおめでたい果報者だ。
「スターキャッスル・ボソウ」。廃ホテルの看板に奥ゆかしい書体で書かれた屋号のネオンだ。行く手に案内看板があり、「駐車場はこちら」の矢印が擦れている。ホローポイントはニンジャ聴力、ニンジャ第六感を動員して襲撃の気配を警戒しながら、ぺたぺたと歩いていった。
駐車場入り口、クルマ用のPVCノレンには「おなしやす」と書かれている。「や」の部分が劣化し、ちぎれて失われている。ホローポイントはノレンをくぐり、ひび割れたコンクリートの駐車場内に立ち入った。車止めにディアボリカが腰掛け、ギターを爪弾いていた。
「ようこそ……スターキャッスル・ボソウへ……なべて崩れた夢の跡……」
ホローポイントは彼女を無視して鉄板ドアのノブをニンジャ腕力で破壊、ホテル内にエントリーした。端末を再度確認する。六階。エレベーターは当然死んでいる。彼は階段を上がり切り、廊下に進み出た。手には銃。彼は息遣いを捉えた。二人。男と女。近い。6001号……6002号……6004号。
「イヤーッ!」
KRAAAASH! ホローポイントは鉄扉を蹴り開けた。ドアパネルは宙を飛び、ダブルベッドを越えてガラスを破砕、ベランダの向こうへ落ちていった。ソファに座っていたニンジャが息を呑み、立ち上がった。BLAM! BLAM! BLAM! BLAM! ホローポイントは二挺拳銃を構えて撃ち込んだ。
「イヤーッ!」
ラスティクルは横に跳んで銃弾を回避し、クナイ・ダートを投げ返した。ホローポイントは首を傾げて回避した。
「アイエエエエエ!」
女が叫び声をあげた。ホローポイントとラスティクルはコンマ数秒睨み合い、同時にオジギした。
「ドーモ。ラスティクル=サン。ホローポイントです」
「ドーモ。ホローポイント=サン。ラスティクルです」
ジャカッ! ホローポイントは両腕をしならせ、胸の前で交差し、戻した。それで銃弾のリロードは完了し、空のマガジンが薄汚れたカーペットに落下した。
「アンタが来たのかよ」ラスティクルの眉間を汗が流れ落ちた。「最悪だぜ……」
「最悪は俺のほうだ、クソが」ホローポイントはラスティクルを睨み据えた。「見てみろ、俺のこのクソダルい恰好をよ。テメェのやらかしで心底迷惑してるんだよ。ふざけるんじゃねえ……」
「お……俺は」ラスティクルは唾を飲み、かすれ声で呟いた。「俺は生きるぞ……アマヨの為にも……!」
「バカが。この場所のチクりを入れたのが、そのアマヨだッつうんだよ」ホローポイントは目をすがめ、ブラウン管テレビの陰に座り込んで震えている女を見た。「なあ、アマヨ=サンよォ?」
「や……やめてよ!」
アマヨは叫んだ。
「何だと」ラスティクルはアマヨを横目で見た。「それ、本当か? アマヨ……」
「嫌なの! 私、もう嫌なのォ!」
「アマヨ……ナンデ……どうして」BLAM!「グワーッ!」BLAM!「グワーッ!」BLAM! BLAM! BLAM! BLAM!「グワーッ!」
ホローポイントは繰り返し引き金を引き、無慈悲に銃弾を撃ち込んだ。ラスティクルはたたらを踏み、仰け反り……「AAAAARGH!」上半身を爆裂させた。BLAM! BLAM! BLAM! BLAM! ホローポイントは銃撃を続けた。血飛沫が霧となり、赤い蒸気がラスティクルを覆い隠し……その中から、斜めに影が飛び出した。
部屋の壁を蹴ってトライアングル・リープし、飛び蹴りで襲い掛かったのは、硬質の外皮で剥き出しの上半身を覆った異形のニンジャだった。ラスティクルはヘンゲヨーカイ・ジツの使い手であり、イクサにおいては硬い皮と鋭い爪、牙を身につけ、残虐に敵を殺すのだ。
「イヤーッ!」「イヤーッ!」
ホローポイントは銃底でラスティクルの強烈な蹴りを防いだ。
「イヤーッ!」
さらに回し蹴りを繰り出した。
「イヤーッ!」
ラスティクルは空中で蹴り足を踏みしめ、後ろへジャンプした。ホローポイントはすかさず銃撃した。BLAM! BLAM! BLAM! BLAM! ラスティクルはキリモミ回転しながらダブルベッドの陰に着地した。
「アイエエエエ!」
アマヨが悲鳴をあげた。
「うるせェ。黙れ」
ホローポイントが罵り、腕を交差して一瞬で二挺のリロードを行った。
「イヤーッ!」
KRAAAASH! ダブルベッドが跳ね上がった。ラスティクルが蹴り上げたのだ。ホローポイントは舌打ちした。敵の攻撃方向を見定めようとしたところ、そのダブルベッドを貫通して、ラスティクルが飛び出してきた。
「ヌウッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」
ラスティクルはホローポイントの顔面に跳び蹴りを食らわせた。さらに両手を振り上げ、めちゃくちゃに鋭利な爪で斬りつける!
「AAAAARGH!」
「チイーッ!」
ホローポイントが翳した両腕が切り裂かれ、赤い血が撥ねた。彼は後退して廊下に出た。背中に……壁!
「オレハ! イキル! アマヨ! アイシテル!」
ラスティクルが爪を振り上げた。思わぬ猛攻にホローポイントは怯んだ。敵の肩越し、戸口の横、壁に寄りかかって微笑むディアボリカが目に入った。ホローポイントは激昂した。
「スッゾオラー!」
彼は左手の銃を捨て、ラスティクルの首を掴んだ。身体を翻し、ラスティクルを振り回し、逆向きになって、壁に押し付けた。
「グワーッ!」
「ドグサレッガー……テメッコラー……ワドルナッケングラー!」
罵るホローポイントの乱れ髪の間から血が流れ落ち、顔半分を赤く染めた。ラスティクルを壁におしつけたまま、彼はそのこめかみに右手で銃口を押しつけた。
「成仏しやがれクソ野郎……」
「やめてェ!」
女が声を枯らして泣き叫んだ。ホローポイントは顔をしかめた。土壇場でセンチメントか? クソが。何から何までクソの塊だ。ホローポイントは二倍の憎悪をもって眼前のラスティクルを睨んだ。ラスティクルが呻いた。
「ち、畜生、」
BLAMN! ラスティクルの頭が爆ぜ、血と脳漿が噴出した。
「サヨナラ!」
ラスティクルは爆発四散した。
「ウワアアーッ!」
床に突っ伏して慟哭するアマヨを家具か何かのように邪魔そうにまたぎ越えると、ホローポイントは再び室内に戻った。ソファの上にディアボリカが膝を抱えて座り、手に持った風車にフウフウと息を吹きかけて回していた。
「そこじゃない?」
ディアボリカがテレビ台を指さした。ホローポイントはしゃがみ込み、キャスターの下にしまわれたアタッシェケースを引っ張り出した。中をあらためると、血のシミで汚れた万札がぎっしりと収められていた。
「フン……」
ホローポイントはケースを閉じ、担いだ。アマヨは泣き続けている。「邪魔だ」「アイエッ……!」女を蹴り転がし、彼は部屋を出た。階段を降り、通用口を歩き、錆び果てた廃車の並ぶ駐車場を通って、再び陽光の下に出る。眩しい太陽光にホローポイントは顔をしかめ、手をかざす。
「サップーケイしなかった」
捻じ曲がったバス停標識を通り過ぎるホローポイントに、ベンチに腰掛けたディアボリカが声をかけた。
「すればよかったのに。キリングフィールド」
BLAM! BLAM! ホローポイントは歯を剥き出し、ディアボリカに銃弾を撃ち込んだ。ディアボリカは構わず、「あっちの奥に行けば海辺のオンセンがあるよ」崩れた国道の方向を手で示した。
「きっと今も入れる」
カチ、カチカチ。弾の切れた銃を忌々しげに戻すと、ホローポイントは海岸に向かって再び歩き出した。だが数歩歩いたところで立ち止まり、少し考えた後、ディアボリカが指示した国道に向かった。
【終】
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