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【ローマ・ノン・フイト・ウナ・ディエ】

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この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードの加筆修正版は上の物理書籍に収録されています。また第2部のコミカライズが、現在チャンピオンRED誌上で行われています。



【ローマ・ノン・フイト・ウナ・ディエ】



1

「ドーモ。スパルタカス=サン。ニンジャスレイヤーです」赤黒装束のニンジャは目の前の相手にオジギをした。その者も同様にニンジャだ。「ドーモ。ニンジャスレイヤー=サン。スパルタカスです」オジギを返す。白黒ファイアパターン装束と真鍮のメンポ、鎖の防具が醸し出す強者のアトモスフィア。

 二者のオジギは極めてゆっくりとしていた。無限めいて敷き詰められたタタミ空間に、彼らのオジギが生み出した空気の流れが静かに波紋を広げ、散っていった。それはいわば、儀式であった。日本において、礼儀作法に則らない者はムラハチ、セプクとなる。数千年にかけてそうした淘汰が行われて来た。

 ニンジャスレイヤーとスパルタカスはこれから何を始めようというのか。言うまでもない。殺し合いだ。殺し合う相手同士であるが……否、殺し合う相手同士であればこそ、礼儀作法は絶対だ。いわば一期一会。これこそが奥ゆかしさなのだ。なによりこの戦いは極めて厳粛にブックされた決闘であった。

 二者の間には黒染めのモンツキ・ハカマ姿のニンジャが立ち、左手に白、右手に赤の手旗を持っている。レフェリーである。驚くべきことに、彼はアマクダリ・セクトの者ではなかった。もちろん、実際にはコーベイン(訳注:小判か)が包まれている可能性も否定できない。だが、表向きは中立者だ。

 決闘バトルフィールドの奥には「タチアイニン」が四人、それぞれ三重がさねのザブトンの上に座り、オジギする決闘者を見守る。決闘者それぞれに、必ず二人ずつのタチアイニンが必要と定められている。ゆえに、二人はニンジャスレイヤー。ほか二人がスパルタカスのタチアイニンだ。

 この広大な決闘バトルフィールド・タタミ・フロアに居る者はそれだけではない。壁を背にずらりと並ぶのは、同じダークスーツと同じサングラスを着、同じ髪型、同じ姿勢を維持するヤクザ達であった。アマクダリ・セクトのクローンヤクザだ。壁には「極めて」と書かれた巨大なショドー。そして神棚。

 注意を四人のタチアイニンに戻そう。まずはスパルタカス側の二人からだ。一人は白金色の髪を後ろに撫でつけた、キモノ姿の褐色肌の男。彼の名はシバタ・ソウジロウ。ニンジャとしてはアガメムノンの名をもつ。もう一人は群青の瞳と酷薄な表情が印象的な少年だ。彼はラオモト・カンの忘れ形見、チバ。

 年恰好はまるで違うが、どちらも眉目秀麗、自信と雄々しさに満ち溢れ、指先一つで数え切れぬ人間の命を左右してきた王者のアトモスフィアを漂わせる。それも当然。彼らはアマクダリ・セクトの頂点。首領ラオモト・チバ、そして摂政アガメムノン。 では、ニンジャスレイヤー側はどうか。

 一人はソクシンブツめいて痩せ、日焼けした老人だ。野球帽をかぶり、虫食いだらけのセーターに手を入れて、腹を掻いている。もう一人は滑らかな黒髪を伸ばした男。サングラスをかけ、骨めいた白い指で銀の装身具を弄ぶ。どちらもニンジャだ。老人の名はマスターヴォーパル。黒髪の男はフィルギア。

 フィルギアはシマナガシというニンジャ愚連隊の一員であり、アマクダリ・セクトの敵対者である。そして一見みすぼらしい浮浪者めいたマスターヴォーパルは、かつてドラゴン・ゲンドーソーに師事していたニンジャスレイヤーの、新たなセンセイであり……この日の決闘の発起人でもあった!

 あの壮絶なる10月10日、アマクダリの最も長い一日において、スパルタカスの使命はニンジャスレイヤーを殺害する事であった。最高幹部「12人」を次々に倒してゆくニンジャスレイヤーを地獄の猟犬めいてつけ狙ったスパルタカスは、連戦に消耗しきった標的を、目と鼻の先まで追いつめた。

 だが彼はニンジャスレイヤーを殺さなかった。手を引いたのだ。この場にタチアイニンとして座するチバとアガメムノンにとっても、彼の行動は不可解極まり、到底許容できるものではなかった。だがスパルタカスは命令放棄について一言も詫びず、ケジメもおこなわなかった。

 鍵となったのは「名誉」と「矜持」だ。そしてそれを思いがけず突きつけたのはマスターヴォーパルである。その手管は老獪なショーギ・ギャンビットめいていた。古代ローマカラテ会総代表にして自他ともに認める圧倒的強者が、山狩りめいた多勢に無勢のイクサで弱った敵を倒して勝利宣言?片腹痛し!

 スパルタカスは当然これを一笑に付す。彼にとって勝利こそ至上、組織の伸長こそ至上なのだ。(だからこそだ、アンタ)マスターヴォーパルは意地悪く笑った。(オメエ、この俺がどれだけ厄介なニンジャか、わかっちゃいねえんだよ。お弟子さんが何万人いるか知らんが、名誉を失えばチャラかもな?)

 実際、マスターヴォーパルは狡猾であった。彼は決して一線を越えなかった。仮にここで加減を誤り、欲を出せば、スパルタカスは違う手段に出たことだろう。だが老人が提示した代案は依然、スパルタカスにとって圧倒的に有利だった。ニンジャスレイヤーは必ず戦う。それも、わずか3日後。一対一で。

 決闘バトルフィールドに逃げ場は無い。10月10日のように延々と追いかけっこをする面倒とは無縁だ。そして実利追求とは別個に存在するスパルタカス自身のもう一つの欲望が疼いていた。カラテの追及の欲が。マスターヴォーパルはこれをも見抜き、それとなく、くすぐったのである。

 かくして今、レフェリーの懐には古式に則った決闘証明の文書をおさめた封筒がしまわれている。そこには決闘日、決闘時間、決闘場が明記され、投擲武器の禁止等のルールが定められ、ニンジャスレイヤーとスパルタカス、そして四人のタチアイニンの連名ハンコが捺されているのだ。 

 二者はゆっくりとオジギから頭を上げ、それぞれのカラテを構えた。ニンジャスレイヤーはジュー・ジツの構え。一方、スパルタカスはやや腰を落とし、両手指第一関節第二関節を曲げ、掌を下向けて、前に出した。古代ローマカラテ第一のイクサの構え。獅子の構えである。 

 古代ローマカラテは古代ローマとともにある。建国の祖、ロムルスが、このカラテをも始めた。ロムルスと双子の弟レムスは狼の乳を飲んで育った。狼の乳とは即ち比喩であり、これはニンジャのインストラクションに他ならない。双子のうち、鷲によって選ばれたロムルスはレムスを殺し、王となった。

 古代ローマカラテの技術は、そのままローマの強さでもある。ローマの強さを支えたのは、一にも二にも、その建築技術だ。彼らの建築のわざに流れる情報遺伝子はカラテである。読者の皆さんの中には、アーチ建築がニンジャの回避姿勢の技術に因(よ)っている事実をご存じの方もおられよう。

 当然、ニンジャスレイヤーはそのような闇の古代事実を把握してはおらぬ。ただ彼は目の前の強敵が放つ恐るべき圧力を、隙の皆無を、揺るぎなきカラテの充実を、自らの全ニューロンで感じ取っていた。獅子の構え。不用意に手を出せば即座に致命の反撃を呼ぶであろう。

 前に出した両手は、腰から上を狙うあらゆる打撃に対応する。中腰に下げた姿勢は頭部を狙った大技を拒絶する。足元に下段の蹴りは届かない。両手を前に出す事により、下半身の位置はニンジャスレイヤーからかなり離れている。スリケン投擲は禁止。極めて厳しいイクサと言えた。

「何やってやがる」マスターヴォーパルが耳垢を吹いた。「審判に怒られッちまうぞ。とっととやらんか」「アンタさァ、どっちに賭けたの」フィルギアが耳打ちした。マスターヴォーパルは顔をしかめる。「あン?」「賭けてるんだろ」「どっちでもよかろうが……」老人は口の端を歪めて笑った。

「オイッ!情けねえぞ!欠伸が出る」マスターヴォーパルが野次を飛ばした。「オメェのその……アレだ、とにかくどうにかしろ。なんか思い出す事あンだろ。カラテ・ニュービーじゃねえんだから」「下品な老人だな」チバが不快げに呟いた。ニンジャスレイヤーは精神を研ぎ澄ませた。 

 この果し合いは一方的にマスターヴォーパルが設定した。だが、それでも僥倖である。あのままスパルタカスの攻撃を受けておれば、彼が10月10日を生きて越える事はなかったであろう。少なくとも彼はこの三日で負傷をある程度回復させ、体勢を整える余裕を得ることができた。彼は感謝した。

 思い出す……然り……ニンジャスレイヤーには潜り抜けた死線の数々がある。それが財産だ。殺したニンジャの中には古代ローマカラテの使い手も何人も存在した。スパルタカス。間違いなくその者らが足元にも及ばぬであろう強者ではあるが……「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは踏み込んだ!

「イヤーッ!」獅子の手が動いた。ニンジャスレイヤーは瞬時に飛び下がった。今の踏み込みは誘い水である。スパルタカスの右手が渦を巻いた。否、錯視だ。漲るカラテのプレッシャーが空気を歪めたかのような錯視をもたらしたのだ。空気がゼリーめいて波打ち、「忍」「殺」のメンポを震わせた。

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはほんのコンマ数秒先んじ、この打撃をブリッジで回避していた。遅れればスパルタカスの右手はニンジャスレイヤーの二の腕を捉え、そのまま組み付いて、脱臼、悪くすれば複雑骨折に持ち込まれていたであろう。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはバック転した。

 欲を出すな。まずは敵の攻撃を誘い、鉄壁ともいえる「獅子の構え」を崩さねばならぬ。この構えを崩し、より攻撃的な「鷹の構え」を引きずり出すのだ。リスクは増すが、それによってはじめてつけ入る隙も生まれる!「イヤーッ!」バック転の着地点にスパルタカスが向かって来る!

 ニンジャスレイヤーのニューロンが加速し、時間感覚は泥めいて鈍化した。(古代ローマカラテは魔技。全身の骨を折り殺してやる。死に際、貴様らは俺に哀願する。いっそ殺してくれとな)殆ど停止した世界で、かつて戦った古代ローマカラテ戦士の口上がニューロンに閃き、あの日のイクサが蘇った。

 あれはキョート共和国、アンダーガイオン第九層。イヴォーカーという悪のニンジャが作り上げた闇の要塞において、マニプルというニンジャがニンジャスレイヤーの前に立ちはだかった。マニプルはニンジャスレイヤーにさきの口上を述べた後、獅子の構えを取った。然り。スパルタカスのこの構えを。

(イヤーッ!)ニンジャスレイヤーは敵の要害に単騎で押しとおる鎧武者めいて、突撃からのポン・パンチで先制攻撃をしかけた。だがマニプルは彼の腕を瞬時に極めた。(まずはこのいけない右腕だ)マニプルは低く言い、ニンジャスレイヤーの肩関節を破壊しようとした。(イヤーッ!)

(ヌウーッ!)ニンジャスレイヤーは咄嗟の頭突きを繰り出し、関節技の成立を寸前で回避すると、マニプルの身体をもぎ離して間合いを取った。(ククク……どうした。さっきの威勢は。ウォームアップがどうとか言っていたようだが)マニプルの目が細まり、残虐な光が宿る。 

 その姿が霞み、鈍化した時間の中でゆっくり迫るスパルタカスと重なり合う。ニンジャスレイヤーはニューロンを研ぎ澄ます。最強の古代ローマカラテ戦士。過去のイクサを動員し、打破の糸口をさぐるべし。主観時間においてこのイクサは極めて油断ならぬ長期戦の様相を呈するであろう!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは地面すれすれまで身を沈め、水面蹴りを繰り出した。恐るべき速度で間合いを詰めて来たスパルタカスはこの攻撃に瞬時に反応し、踏みとどまる。その爪先に触れるか触れないかというところをニンジャスレイヤーの刈り足が薙いだ。ナムサン!これは危険だ!

 蹴りの戻りを狙い、スパルタカスがタックルをかける。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは逆の足で回し蹴りを繰り出した。メイアルーア・ジ・コンパッソだ!「イヤーッ!」スパルタカスの目が光る。これすらも想定内なのか?スパルタカスは蹴り足を捉えた!そしてスクリュー回転!「イヤーッ!」

 ゴウウン……ニンジャスレイヤーのニューロンが再び異常加速し、鈍い空気の音が耳元で渦巻く。スパルタカスはニンジャスレイヤーの脚を掴み、回転を始めた。ここでこの流れに逆らえば脚の骨を折られる。最悪引きちぎられる。ニンジャスレイヤーの脳裏に、マニプルとのイクサがフィードバックする。

(これで貴様の左脚をもらった!)マニプルはニンジャスレイヤーの脚を捉えてスクリュー回転しながら吠えた。(グワーッ!)ニンジャスレイヤーは充血した目を見開く。ミシミシと関節が軋む音が骨を伝って聴覚に届いた。ナムサン……ここで敗れるわけにはいかない。イヴォーカーこそが倒すべき敵。

 それは敗北の崖の縁に立たされたニンジャスレイヤーに電撃的に訪れた閃きであった。流れに逆らえば手ひどい傷を負う。ならば流れに沿うべし。彼はマニプルのスクリュー回転関節破壊攻撃を助けるがごとく、同一方向に身体を捩じって勢いをつけた。(何?)マニプルが眉根を寄せる。二者は加速した。

(イヤーッ!)(グワーッ!?)遠心力によって回転の中から弾き出されたのはマニプルであった。関節破壊攻撃、破れたり!ニンジャスレイヤーは空中で防御姿勢をとろうともがくマニプルめがけスリケンを三連続投擲……!

「イヤーッ!」「イヤーッ!」スパルタカスは身体を捻り、見事な着地を決めた。

 このタチアイにおいて、スリケン投擲は禁止だ。しかしスリケンを投げることができたとしても、スパルタカスはマニプルのようにそれを喰らって敗れることはなかったであろう。彼の姿勢制御は完璧であった。変幻自在といえた。だが……「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは更に動いた! 

 回転の勢いをそのまま利用し、彼はタタミの上をゴロゴロと転がった。これはワーム・ムーブメント。ニンジャのカラテの基本中の基本であるが、高い地点からの落下の衝撃は着地の瞬間に前転する事ですべて殺す事ができる。エンパイア・ステート・ビルディングから飛び降りようと、前転すればよい。

 而してこのときニンジャスレイヤーがとった動きは、キリモミ回転からのワーム・ムーブメント。即ち横転であった。縦ではなく横の動きによって、前転着地と同様の衝撃無効化を行った。ワーム・ムーブメントの発祥はパンキドーである。それが本流のカラテにフィードバックされたという歴史がある。

 すなわちニンジャスレイヤーは回転しながら接地、そのまま転がりながらスパルタカスへ接近した。スパルタカスから見れば、急な下り坂を丸太が転がり落ちてくるかのようなプレッシャーだ。そして低い。タタミ上を足元めがけ転がってくるニンジャスレイヤーは獅子の手のカバー範囲から逸脱している。

(味な真似を)スパルタカスは横転しながら近づくニンジャスレイヤーにケリ・キックを放った。「イヤーッ!」獅子の構えを捨てたのだ。「イヤーッ!」岩をも砕くスパルタカスのケリが横腹を捉え内臓を破裂させるほんのコンマ3秒前、ニンジャスレイヤーは上へ跳ねた。丸太が跳ねるがごとく!

「イヤーッ!」空中でニンジャスレイヤーはワーム・ムーブメント姿勢を解き、身体をひねった。スパルタカスは防御姿勢を取るか?否!彼はやおら真後ろを向いたのだ。ニンジャスレイヤーは眉根を寄せた。やはり先日の戦闘の折にも味わったこの感覚。尋常のニンジャ第六感ではない。読まれている。

 ニンジャスレイヤーの狙った攻撃は、ワーム・ムーブメント・ジャンプからそのままスパルタカスを飛び越え、空中からスパルタカスの後頭部に蹴りを叩き込むというセットプレーだった。すさまじい奇襲攻撃である。「イヤーッ!」スパルタカスは既に振り向き終えており、この蹴りをクロス腕で防いだ。

 この感知能は厄介。蹴りの反動で後ろへ跳びながら、ニンジャスレイヤーは心の中で舌打ちする。大がかりな奇襲の類いは先読みされるという事か。だが幸い、亜音速とも称されるニンジャのカラテ速度の中で全てを読み切るほどの絶対予知能力ではない。それはここまでの切り結びで実感できている。

 ニンジャスレイヤーは着地し、ジュー・ジツを構え直した。スパルタカスはクロス腕ガードの姿勢のまま……否、あれが古代ローマカラテ第二の構え、「鷹の構え」なのだ。見よ。Xの字に交差させた腕は手の甲側ではなく手のひら側を敵に対して向けている。そして両手は人差し指と中指を曲げている。

 これは実際、古代ローマカラテ開祖にして帝政以前のローマ古王国の最初の王ロムルスが、己の前へ舞い降りた鷹たちの姿に着想を得て編み出した構えであり、神秘的啓示の解釈を不服として決闘を挑んで来た弟レムスの心臓を抉り出して殺すに至った由緒ある攻撃予備動作であった。

 鷲は馬上にありて鷹を統べ、獅子をつかわし……。大英博物館に残されたパピルスのミステリアスな四行詩そのままに、古代ローマカラテとは即ち王者のカラテ、制圧のカラテである。スパルタカスこそはその継承者であり探究者、そしてニンジャの戦士だ。炎めいた威圧アトモスフィアが放たれる。

「鷹の構えだ。仕留めに来たかな」フィルギアが呟いた。マスターヴォーパルは首を振った。「否、ようやく一手。不肖の弟子にもほどがあるがよ。まあ褒めてやる」アガメムノンは老人を一瞥した。老人は不敵に笑った。「一手だぜ、お若いの!すまし顔の獅子の構えを剥がしてやったッてわけよ!」

 ニンジャスレイヤーはタタミを蹴ってすかさず間合いを詰める。一歩、二歩。時間間隔が泥めいて鈍化し、彼のニューロンは過去のイクサ光景を引き出した。

 アンダーガイオン闇闘技場。ひしめき合う客の熱狂的な叫び。シャドー・コン。ファランクスという名の古代ローマカラテ戦士がこの構えを取った。

(ドーモ。アイアンリングです)(ドーモ。ファランクスです)オジギ終了直後、ニンジャスレイヤーは小さく跳ね、瞬時にファランクスの顎を蹴り上げた。獅子の構えを意識外の攻撃で強引に破ったのだ。ファランクスは脳震盪を起こし後ずさる。そこへニンジャスレイヤーはポン・パンチを決めた。

 ファランクスは金網に背中から叩きつけられた。弱敵!決断的殺意のもと、ニンジャスレイヤーはトドメを刺すべく向かっていった。そのときファランクスは奇妙な構えを……そう、この「鷹の構え」を取ったのである。彼の目には死を覚悟した狂熱と、一撃必殺のカラテ・カウンターを狙う気概があった。

(イヤーッ!)ファランクスが放ったのは、内側から外へクロス腕を開きながらニンジャスレイヤーの両眼を抉らんとする奇怪なカラテだった。握り拳から中指と人差し指を伸ばし、それを第一第二関節ともに折り曲げていた。まるで鷹の前足だ。それがハサミめいて襲い来たのだ。

(イヤーッ!)ニンジャスレイヤーは下から上へ左手を打ち上げ、獲物の目をついばむが如き両手を跳ね上げ逸らした。そして右拳を叩き込んだ。(イヤーッ!)(グワーッ!)更に左拳!(イヤーッ!)(グワーッ!)右拳!(イヤーッ!)(グワーッ!)左拳!(イヤーッ!)(グワーッ!)

 ファランクスのカラテはニンジャスレイヤーに及ばなかった。だが死に際のあの構えの威圧感はありありと思い出せる。そしていま目の前にいるスパルタカスの「鷹の構え」……クロス腕から繰り出される攻撃はファランクスとは比較にならぬ苛烈さをもって行われるであろう!「イヤーッ!」 

 ニンジャスレイヤーは踏み込みながら、瞬時に姿勢を下げた。その顔のすぐ上を強烈な風圧が通り過ぎた。読み勝ったか!攻撃せよ!否!ニンジャスレイヤーは姿勢を下げながら、右肘を曲げ、肘関節部でメンポの無い双眸部を覆うようにした。そこに強打が襲った。

「ヌウーッ!」ニンジャスレイヤーの身体はこの衝撃でわずかに宙に浮いた。スパルタカスの攻撃はいかに?彼は内から外へ開いた両手打撃の後、そのまま大きく両手を拡げ、全身のバネを使って、下から上への蹴り上げを行っていた。ナムサン!まるでそれは翼を拡げた鷹のごとし!

「よく残したッ!」マスターヴォーパルが叫んだ。「なるほど実際鷹だ!二段構え!今、白日のもとに晒されたわい!ようく覚えたぞ!みみっちく秘匿しおってからに。儲けたわい!」挑発的にアガメムノンとチバを見、あてつけがましくニンジャスレイヤーに向かって言う。「このまま丸裸にしてやれ!」

 実際これはファランクスとのイクサの記憶を糧に生み出した予測が実を結んだ形である。ニンジャスレイヤーはファランクスのあの構えがあれだけで終わりはしないと踏んでいた。ファランクスは死に、ヒサツ・ワザの全貌はその時あきらかにはならなかったが、何かがあの先に隠されていると考えていた。

 正体はこの蹴りだ……先読みと防御なくば、今頃ニンジャスレイヤーの首から上は存在していない。そして今や彼の目の前には翼を拡げた鷹が出現していた。両手を拡げ、右脚を前、左脚を後ろ、体幹の一直線上に配置したスパルタカスが。それはこの決闘バトルフィールド・タタミ・フロアを覆い尽くす。

「審判!そこの老いぼれをいい加減黙らせろ」ラオモト・チバが厳しく言った。審判は頷き、両手をクルクルと胸の前で回した後、マスターヴォーパルに旗を向けた。「観戦マナーが悪い。静かにして」「何を?」老人は顔をしかめ、フィルギアはクスリと笑った。「爺さん、怒られた」

 タタミの上の戦闘者二人の世界に、そうしたタチアイニンのやり取りは入ってこない。彼らは互いの殺意で塗り固められた檻の中、コンマ1秒の隙を争って対峙していた。スパルタカスの後ろ足がタタミに食い込み、ミシミシと音を立てた!


2

「12人」の一人、悪魔じみたタイジン・ジツによってニンジャスレイヤーを支配下に置きかけた極めて恐るべきニンジャ、メフィストフェレスは、交渉材料として、スパルタカスの用いるカラテの秘密をちらつかせた。即ち、獅子・鷹・馬・一角獣・龍の構えについてである。

 ニンジャスレイヤーは「獅子の構え」を攻略し、スパルタカスから次なる「鷹の構え」を引きずり出す事に成功した。それはまさに翼を拡げた鷹だ。スパルタカスが後ろ足に重心をかけると、タタミがギリリと音を立て、ねっとりと粘つく空気が渦を巻いた。そして。「イヤーッ!」

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは小さく跳んだ。アブナイ!この動作によって、彼の爪先は破壊を免れた。ウカツであれば鷹の構えの予備動作からは顎先を狙った昇り蹴りのたぐいを予測した事であろう。だが実際に行われたのは踏み込みながらの下段蹴り……異様な前リーチを持った踏みつけであった。

 当然、スパルタカスの攻撃はこれに留まらない。空中、すなわちここからの姿勢制御は困難。そんなニンジャスレイヤーを強烈なミドルキックが襲った。「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーはブレーサー越しに防御腕がミシミシと音を立てるのを聞いた。彼は地面に手をついた。「イヤーッ!」

 なかば吹き飛ばされながら、ニンジャスレイヤーはタタミを手で支え、天地逆さになりながら蹴り返したのである。だがスパルタカスはワン・インチ間合いに接近し、この蹴りのダメージを距離的にほぼ無効化した。ニンジャスレイヤーは欲張らず、そのまま宙返りを打って間合いを取る。「イヤーッ!」

「逃さん!」スパルタカスが笑った。ニンジャスレイヤーの宙返りを鷹の跳躍が追う。そして飛び膝蹴り!「イヤーッ!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはガード!スパルタカスは身体を捻り空中回し蹴り!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーのガード腕が弾かれる!「イヤーッ!」更に空中二段蹴り!

「ヌウウウーッ!」ニンジャスレイヤーはかろうじてガード!「イヤーッ!」ナ、ナムサン!スパルタカスは三段目の空中蹴りを繰り出した。なんたる長時間滞空から繰り出される無限とも思われる連続攻撃か!「グワーッ!」ガードを弾かれたニンジャスレイヤーの胸部に蹴り足が叩き込まれた!

 蹴りを受けたニンジャスレイヤーは苦悶の叫びを上げ、ラグドールめいて力無く宙を漂う。スパルタカスの双眸がギラリと輝く。古代ローマカラテ戦士は身体を捻り、空中でグルグルと回転した。球体めいた回転姿勢を経て、彼は大斧めいてそろえた両足を、落下するニンジャスレイヤーめがけ振り下ろした。

「良しッ!」マスターヴォーパルは拳を握り、噛みしめた歯を剥き出しにした。バカな!何が良いのか?己の弟子が強烈な空中蹴りを受けた挙句、容赦なき追撃に晒されたというのに!まさかマスターヴォーパルはフィルギアが邪推したがごとく非道な賭博行為を、しかもスパルタカス側にベットしたのか? 

 否、そうではなかった。他のタチアイニン三人は、その場に時間停止の神が舞い降りたがごとく静止した戦闘光景を前に、思わず息を呑んだ。ニンジャスレイヤーはタタミの上でブリッジしていた。完璧なブリッジであった。彼のコア・マッスルが、スパルタカスの恐るべき両足を受け止めていた。

 KRAASH!一秒後、周囲10フィートのタタミが裂け、タタミ繊維が羽めいて舞った。ゴウランガ!ニンジャスレイヤーは古代ローマカラテ発祥とされるブリッジ回避動作を用いて打撃を受け、体幹から四肢、そしてタタミへダメージを分散させたのだ。まさにブッダに説法するがごときカラテの冴え!

「無茶苦茶やる」フィルギアが呟いた。マスターヴォーパルは莞爾として言った。「及第点なり!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはバネめいて腹筋を跳ね上げた。「ヌウーッ!」スパルタカスの身体が垂直に打ち上げられる。ニンジャスレイヤーは瞬時に起き上がり、そして跳んだ!「イヤーッ!」

 天井付近でニンジャスレイヤーとスパルタカスは一つになった。キリモミ回転が始まった。二者はそのまま垂直に落下する……円形に損傷したタタミの中心点めがけ!アガメムノン、マスターヴォーパル、フィルギアは目の当たりにしていた。スパルタカスを羽交い絞めにしたニンジャスレイヤーの落下を!

 ラオモト・チバが見ていたのは、一つの影の彗星めいた降下だった。グンバイを握る彼の手に力がこもり、白くなった。審判は数歩後ろへ飛び下がった。「アラバマ落としだ!」フィルギアが言った。「決まった!」「ムウー……」マスターヴォーパルは難しい顔をしている。アガメムノンは眉根を寄せる。

 読者諸氏の中にご存知の方もおられようが、敵を抱えて垂直落下し位置エネルギーとキリモミ回転の運動力を相手の脳天に余さず叩き込む必殺のカラテ技「アラバマ落とし」が開発されたのは、1836年、ニンジャが大きく関与したあのイクサ……テキサス独立戦争の折である。

 1830年の日本国に吹き荒れたエジャナイザ革命の騒乱で暗躍したニンジャ、クルトボ・モジムラは、その後アメリカ大陸に渡り、サム・ヒューストンの食客となった。モジムラはデスフロムアバブというニンジャネームを持ち、サンタ・アナ将軍の兵を玩具のように殺戮。イクサの趨勢を決めた。

 ニンジャの暗躍史を知らぬ者は幸いである。眠れぬ夜、窓から見下ろす道路を横切る胡乱な影から、身の守りようのない真実の片鱗を読み取ってしまう事は悲劇でしかないからだ。だが今はニンジャスレイヤーの極限のイクサに視点を戻すべきだろう。アラバマ落としは強力無比だが、一種の博打である。

 羽交い絞め落下の最中、極めが甘ければ破る事が可能。そして着地の瞬間にダメージを衝突面に拡散させて逃がす防御手段も存在している。ニンジャスレイヤーは10月10日、極めて強力なニンジャである「12人」の一人、ジャスティスを、高高度からのアラバマ落としで見事に葬った。では今回は?

「そうはいくまいなあ!」難しい顔をしていたマスターヴォーパルが、重ねザブトンからひょいと飛び降りた。「だがまァ仕方ねえ。ああ面倒くせえ」その瞬間、ニンジャスレイヤーとスパルタカスがタタミに衝突した。KRAAASH!「「「グワーッ!」」」床が鳴動し、クローンヤクザ達が転倒した。

 もうもうと立ち込める粉塵!「何やってる」マスターヴォーパルはタチアイニンと審判を睨み渡した。「追いかけねえとダメだろが」「……行きましょう」アガメムノンは眉根を寄せて粉塵を透かし見た後、チバを促す。然り。タタミには大穴が空いていた。二人のニンジャは床を突き破り下へ落ちたのだ。

 腰を叩き、大儀そうに廊下を歩くマスターヴォーパルに、タチアイニンや審判も続いた。彼らは階段を使って下階へ降り、そのフロアの決闘タタミ・バトルフィールドのフスマを開いた。ターン!「……面倒くせえなァ!」ナムサン。このフロアをも貫いている。彼らは廊下を使ってさらに下階へ降りる。

「浮かない顔だね」フィルギアがマスターヴォーパルに言った。「倒せていないかい……?」「無理だな」とマスターヴォーパル。「だが、まあよし。何度破られようが、とにかく仕掛けるしかねえンだ。妥当だ」「ふうん」彼らはそのフロアの決闘タタミ・バトルフィールドのフスマを開いた。ターン!

 ナムサン!そのフロアの決闘タタミ・バトルフィールドも同様だ!天井と床に大穴が空いており、粉塵がもうもうと立ち込めている!フィルギアは肩をすくめた。彼らは足早になり、更に階段を降りた。そしてそのフロアの決闘タタミ・バトルフィールドのフスマを開いた。ターン!

「ここまでブチ抜くとなると、相当だ。お前、さっきのアレ見たろ?スパルタカス=サンの投げをニンジャスレイヤー=サンが破ったのは、同じ方向により強く回転したからだ。今回は立場が逆だな。スパルタカス野郎がニンジャスレイヤー=サンと同じ方向に回転し、それから互いに……居たァ!」

 タチアイニン達は見た……粉塵の中、対峙するニンジャスレイヤーとスパルタカスの姿を。「やはり倒せてねえ。効いてるかどうかも怪しい。だが」マスターヴォーパルはアガメムノンとチバをあてつけがましく見てから、対峙する二者に顎をしゃくってみせた。「次の構えを引きずり出したぜ」

「スッゾ!」「スッゾ!」ヤクザスラングを発しながら、彼らの後に続いてぞろぞろと入場して来たクローンヤクザ達が先ほど同様に規則正しく壁際に整列した。また、その何人かは素早くザブトンを用意し、三重に重ねて、タチアイニンの席を作り直した。審判は中腰になり、二者を見守った。 

 ニンジャスレイヤーは変わらぬジュー・ジツの構え。全身からは体内のカラテ循環エネルギーが外気に影響して生み出す蒸気が立ち昇る。隙の無い、静と動どちらにも転じうる万能の構えである。一方のスパルタカスは……メビウスの輪めいた軌跡を描く足さばきで、動き続けていた!

 動き続けるのは足のみにあらず。スパルタカスは高くかざした両腕を、やはりメビウスの輪めいて、内から外、外から内へ動かし続けている。前へ向けた握りこぶしが、さながら打ちかかる軍馬の蹄を思わせる……然り!これこそが古代ローマカラテ第三の構え、「馬の構え」である!

 ゆらめく動きのスパルタカス。その胸の前では左拳と右拳がふたつの「∞」を描き続けている。周囲の空気がこの二つの∞の対流に吸い込まれ、吐き出される。さながらそれはカラテの銀河を思わせ、いかなるワザも無力化するかと思わせた。ニンジャスレイヤーは一瞬たりとも注意をそらさぬ。

 読者諸氏の中に、激昂した軍馬の前足で蹴られた経験を持つ方はおられようか。そうはいないはずだ。肋骨が折れ、折れた骨が心臓を貫く。足さばきと両拳が滑らかにメビウス循環するこの構えから繰り出す拳の威力は、軍馬の憤怒をなお凌駕する。それはニンジャのカラテである。

 だがニンジャスレイヤーは呑まれなかった。スパルタカスを見据え、己のカラテを練り続けた。ともすれば幻惑的ですらあるスパルタカスの構えが極度にスローモーションになる。ニンジャスレイヤーのニューロンが加速し、ソーマト・リコールめいて、数日前のイクサ体験を呼び起こしつつあった。

(これが我ら古代ローマ三闘士、必殺の戦術)ラクエリィは投網を引き絞る。(動けまい。増上慢の敵ニンジャを何百万も殺したぞ!)(ヌウーッ!)ニンジャスレイヤーは抵抗した。既に左後方には鎖を振り回すバルバロス、右後方にはもっとも油断ならぬカラテを構えたスキピオが陣を固めていた。

 投網の繊維は微細であり、ニンジャスレイヤーは咄嗟に回避する事ができなかった。連戦に次ぐ連戦の中で相当に消耗していた事もある。ともかく、ウカツであった。(マイッタカ!そして、フフフ……バルバロス=サン、スキピオ=サン。悪いが、キンボシ・レースを頂くのはこの俺という算段だ)

(イヤーッ!)(グワーッ!)バルバロスは狂的な荒々しさで鎖を打ち振り、投網に絡まれたニンジャスレイヤーに叩きつけた。(イヤーッ!)(グワーッ!)(イヤーッ!)(グワーッ!)鎖は動きを封じられたニンジャスレイヤーをしたたか打ち据える。ニンジャスレイヤーは防戦一方である。 

 一方、スキピオは間合いを維持し、じりじりと横に動いた。手負いの獣はかえって危険なものだ。スキピオのニンジャ第六感はニンジャスレイヤーの恐ろしさを察知し、無言の内に警戒を高めていた。(イヤーッ!)(動けまい……フフフ……何!)ラクエリィが目を見開く。重金属霧雨の中、投網に火が!

(バカな……カトンの類いか?まさかこれが)ラクエリィが呻いた。(例の状態か?)(ヌウウーッ!)ニンジャスレイヤーの目が敵意に光り、赤熱したブレーサーが触れた投網が燃え始めたのだ。(何が状態だ。殺せば同じだろう!イヤーッ!)(グワーッ!)バルバロスは鎖を叩きつける!

 ニンジャスレイヤーは攻撃の糸口を見出そうとニューロンを研ぎ澄ます。ラクエリィとバルバロスの連携は厄介だ。そして連携に参加せず様子を見ているスキピオ……これが輪をかけて危険である。おそらくこの二段構えの連携が三闘士の戦術の鍵。投網と鎖を脱したところを、スキピオが刺しに行くのだ。

(イヤーッ!)焼け落ちた投網と入れ違うように、鎖がニンジャスレイヤーの腕に巻き付く。(ヌウーッ)(貴様は死ぬまで自由は得られぬ。それは死後、サンズ・リバーでカロン・ニンジャにねだるがよい)バルバロスは挑発し、鎖を引き絞る。そしてラクエリィを見る。(投網を再度だ!)(応!)

 ラクエリィは再度、投網を投げかける。(イヤーッ!)逃れることなどできない……否!(イヤーッ!)ニンジャスレイヤーはスリケンを投げた。(何!)ラクエリィは眉根を寄せた。投擲しかかった投網にスリケンが飛び、そのまま奪って壁に縫い止めてしまった!更に、(イヤーッ!)

(何!)バルバロスが驚愕した。腕に巻き付いていた鎖の手ごたえが急に失せ、ニンジャスレイヤーを離れて戻って来たのだ。鎖はニンジャスレイヤーの腕から剥がれたブレーサー(手甲)を虚しく巻き取っていた。(バカな!)彼のニンジャ動体視力は察知する。留め金部をカトンで焼き切ったのか!

(イヤーッ!)転機は一瞬!(グワーッ!)スキピオが怯んだ。稲妻のごとき飛び蹴りであった。咄嗟の防御は間に合ったが、その時のニンジャスレイヤーの狙いはスキピオではない。バルバロスの首から上が身体から切り離された。トライアングル・リープからの致命的跳躍水平チョップ……ナムサン!

 狙い澄ましたイアイの如きチョップであった。スキピオを蹴った反動力、そして赤黒い炎!だがその代償は大きい。ニンジャスレイヤーの傷口から不完全燃焼の炎がボウボウと数度爆ぜた。(イヤーッ!)ラクエリィは更に投網を放つ。ニンジャスレイヤーは泥土を蹴り、跳んだ。(イヤーッ!)

 三者は廃屋の屋根を飛び渡る。(イヤーッ!イヤーッ!)スキピオがスリケンを投擲する。ニンジャスレイヤーは相殺スリケンを投げ返す力すらも温存に回し、側転でスリケンを回避する。煮えたぎるナラクの意志のクールダウンに努める。この三闘士が最後の敵では到底無いのだ!

 彼らは応酬を繰り返しながら廃墟群を抜け、雑居ビル街へ入った。屋上の高度が徐々に増してゆく。雨に霞む廃東京タワーのシルエット。(喰らえ!)ラクエリィが再度の投網攻撃を放つ。ここでニンジャスレイヤーは隠し持っていた武器を投げ返した。それはバルバロスの鎖であった。(イヤーッ!)

 鎖は投網を薙ぎ払い、ラクエリィめがけて飛んだ。(イヤーッ!)更にニンジャスレイヤーはスリケンを投擲した。狙いすました一投擲であった。咄嗟に身を守るラクエリィの鎖骨に、鎖のリングを縫い付けるようにして突き刺さった。(グワーッ!?)

(イヤーッ!)更には鉤付きフックロープを投擲。鉤が鎖の末尾のリングを噛む。(イヤーッ!)ありったけの力を込める!(グワーッ!)ラクエリィの身体が浮いた!(イイイイイヤアアーッ!)ニンジャスレイヤーはラクエリィの身体を給水タンクに叩きつける!(グワーッ!)

(サツバツ!)ニンジャスレイヤーはスキピオのインターラプト攻撃に対処しながら給水塔の周りを素早く二周した。ラクエリィは給水塔に巻き付けられて身動きが取れぬ。(おのれニンジャスレイヤー=サン!)ラクエリィは目を見開く。(スキピオ=サン!か、必ず仕留めるべしーッ!)(イヤーッ!)

(アバーッ!)身動きのとれぬニンジャを倒すのは容易!だがスキピオとの熾烈な攻撃を防がねばならぬ中、完璧なカイシャクとはいかなかった。どのみち助かるまい。(イヤーッ!)ニンジャスレイヤーはスキピオと共に跳ぶ。(イヤーッ!)(イヤーッ!)(イヤーッ!)(イヤーッ!)跳びわたる!

 最終的にニンジャスレイヤーがスキピオと対峙したのは、上昇の果て、廃東京タワーの展望部の上であった。白兵戦を行うには十分すぎる広さがある。(ならば見せてやろう。我こそが古代ローマカラテ三闘士の要……後悔と共に知るがよい)あらためてスキピオは構えた……周囲の空気が淀んだ。

 スキピオは両拳を耳の高さに掲げた。拳はニンジャスレイヤーを向いている。両拳は、外から内、内から外へ、それぞれがさながらメビウスの輪を描くように動いた。足運びもまた、その動きに調和していた。真上から見れば、スキピオの移動はメビウスの輪だ。流水めいて、動き続ける構えである。

 流入記憶と眼前のスパルタカスの動きが重なり合う。然り。このムーブこそが「馬の構え」。外側にあるとき、手の甲は上。内側に来るとき、手の甲は下を向く。敵が近づく。ニンジャスレイヤーは一定の間合いを維持しようとする。馬の構えは攻守一体。防御的な獅子、攻撃的な鷹よりもなお危険だ。

 スキピオへチョップ突きを試みたニンジャスレイヤーは、そのウカツな一撃で実際腕を千切られかけた。捻りをくわえて円運動する腕が曲者なのだ。この動きが側面から打撃を絡め取ってしまう。「その対処。知っておるなァ」スパルタカスは目を細める。「成程。馬ができるのは、俺以外にはスキピオだ」

 その時スパルタカスはニンジャスレイヤーのほぼワン・インチ距離にまで接近していた。ナムサン……緩急のある足さばきは互いの距離感を巧みに錯覚せしめる!「触れられるぞ。眉間に!」スパルタカスが殺気を迸らせる!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは瞬間的かつ極めて注意深い打撃を繰り出す!

「イヤーッ!」スパルタカスは瞬時にニンジャスレイヤーの眼球摘出攻撃を内から外へ薙ぎ逸らし、身体をわずかに傾けた。それだけでニンジャスレイヤーは半円を描いて天地逆転していた。そうせねば腕が捩じり切られるからだ。テコの原理の極致だ!「グワーッ!」

 ニンジャスレイヤーは天地逆さ状態から足を繰り出し、スパルタカスの太い首に引っ掛けた。そして、回転力をそのまま用いて、投げ飛ばした!「イヤーッ!」実際それはスキピオを最終的に打ち破るに至った決死の奇襲攻撃であった。スパルタカスにこれが通じれば、どれだけ良かったことだろう。

「イヤーッ!」スパルタカスの身体は360度回転した。つまり、ぐるりと回り、タタミを再び踏みしめた。「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの身体に余剰の遠心力がフィードバックした。彼はキリモミ回転しながら吹き飛ばされた。スパルタカスはタタミを蹴り、空中のニンジャスレイヤーに迫った。

「イヤーッ!」一打!「イヤーッ!」二打!「イヤーッ!」三打!タタミを蹴りながら、スパルタカスは「馬の構え」の打撃、コークスクリューブローを容赦なく放つ!「グワーッ!グワーッ!グワーッ!」KRAASH!三度の打撃を受けたニンジャスレイヤーはイビツな回転でタタミに叩きつけられた!

 ニンジャスレイヤーの重みを受け、顔の下でタタミがたわんだ。「「「フーム……実際これほどとは」」」ニンジャスレイヤーの聴覚が、スパルタカスの感心の呟きを拾った。「「「馬の構えを打破する者が現れたか。スキピオもまあ、可愛そうによ。奴も所詮そこまでの男ではあったが……」」」

 ニンジャスレイヤーの視覚が赤黒く染まった。彼はタタミに手をついた。命はある。四肢も無事だ。コークスクリューブローのダメージはガードで防ぎきれなかった。しかし空中である事により、地上ワン・インチで受ければ死んでいたであろう打撃にも、かろうじて爆発四散せず耐える事ができた……。

 ビーチボールをパンチしてみてほしい。宙に投げ上げたビーチボールは遠く弾かれるが、壊れない。だが手で上からタタミに押さえつけたうえで殴ればどうか。場合によっては破裂する。これが空中打撃と地上打撃の相違である。ニンジャスレイヤーは身を起こす。審判がカウントを叫んでいる。

 所詮、無意味なカウントである。追い打ち、すなわちカイシャクがルール上で認められている以上、どのみちこの決闘は死亡ノックアウト以外に結末を見ない。眼前のスパルタカスが亡霊めいて揺らめく。ニンジャスレイヤーは後ずさり、ジュー・ジツを構え直す。

「「「危険な男だニンジャスレイヤー=サン。実際、二度投げられるのはゴメンだぜ。おかしな工夫を足されれば厄介だしな」」」スパルタカスは言い、緩急のついた足運びはそのままに、やや手の構えを変化させる。「「「俺のカラテ探究も、やはりこうした時に役に立ってくるもんだよなァ」」」

 極限のニューロンに、メフィストフェレスの言葉がリフレインした。「とくに一角獣と龍をモノにしているのは現代においてスパルタカスただ一人。よいか、奴の一角獣の構え。そこから繰り出されるのは……」スパルタカスは左腕の移動範囲を広げ、右腕を引いた。「一角獣の構え」。

「「「ハハァ、あれが秘密の構えとやらかよ」」」マスターヴォーパルの声が響いた。「「「切羽詰ってンなあオイ!」」」ナムサン……師の挑発に、ニンジャスレイヤーはどれだけ重みを与えることができるのだろう。構えの一つ一つを攻略しながら、その実、いまだ一つの有効打も打てていない。

「「「オイッ」」」フィルギアが声を発した。「「「ここで終わるタマじゃねえだろ、アンタ……爺さんも言ってたろ。思い出せ……潜るんだよ……その……もっと奥にとか……何かあンだろ……」」」「「「……」」」マスターヴォーパルも何かを言う。周囲の声が、音が吹き飛び、主観時間が鈍化。時は殆ど静止した。

 イクサの記憶を辿れ……起死回生の手がかりを。ソーマト・リコール現象。死の間際に体験する記憶のフィードバックは、何故起こる。人体はソーマト・リコール現象を通して、人間に何をさせようとしている。時間が凍り付き、身体が凍り付く。動けるものはない。五感は行き場を失い、記憶に呑まれる。

 スパルタカス……スキピオ……ラクエリィ……バルバロス……ファランクス……マニプル……センチュリオン……ヴェニヴィディヴィシ……無限とも思われるソーマト・リコール・フィードバックが視界に重なり合う。やがてフジキド・ケンジは狭く抉られた足場に立ち、トリイ・ゲートを前にしている。

 それはローカルコトダマ空間の深奥であった。この場所には以前に訪れた記憶がある。宙に浮いた足場には以前はもっと余裕があったが、崩落を繰り返し、今はおぼつかない一筋。頭上では黄金立方体がゆっくりと自転する。距離感が不明瞭。(トリイ)フジキドは前に進む。赤黒い影が彼の前に立った。


3

「……」フジキドの眼前、禍々しい影は言葉を発したようだった。不明瞭なノイズがフジキドの聴覚に走った。狭い足場でフジキドはよろめいた。視界が明滅し、眼前には一角獣の構えを取るスパルタカスが戻ってくる。瞬時にワン・インチ距離に。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは防御姿勢を取る。

「ヌウッ」顔の前に翳した右腕はすぐさまスパルタカスの左腕に絡め取られる。そして質量が……スパルタカスのポン・パンチが顔面に衝突した。「グワーッ!」ニンジャスレイヤーはキリモミ回転しながら吹き飛んだ。「オイ!死んじまう」フィルギアが呻いた。「否、まだ残した」とマスターヴォーパル。

 このキリモミ回転はポン・パンチの衝撃もさることながら、ニンジャスレイヤー自身の身体の捻りが生み出した反動であった。彼は身体を回転させることで、致命的なダメージを遠心力に乗せて周囲の空気に拡散させたのだ。「グワーッ!」ニンジャスレイヤーはタタミをバウンド。スパルタカスが詰める。

 迅速な、なおかつ、ニンジャスレイヤーの起き上がりざまの奇襲攻撃の間合いからギリギリ外れた間合いだ。ニンジャスレイヤーのニューロンに更なるニンジャアドレナリンが流れ込み、心臓が鼓動を更に速め、目と鼻から鮮血が溢れ出した。時間が再び泥めいて鈍る。過去のイクサがフィードバックする。

 スパルタカス……スキピオ……ラクエリィ……バルバロス……ファランクス……マニプル……センチュリオン……ヴェニヴィディヴィシ……マルノウチ・スゴイタカイビル……トリイ・ゲート、ナラク、チャドー、フーリンカザン、そしてチャドー……マルノウチ……ギンカク……トリイ・ゲート……!

「……」赤黒い影が再び現れる。「スウーッ……ハアーッ……」ニンジャスレイヤーはチャドーの呼吸を深めた。チャドー、フーリンカザン、チャドー。己の身体を折りたたみ、己自身の中へねじ込むがごときイメージを育てる。周囲の世界が渦を巻き、彼の中へ、ニューロンの中へ吸い込まれる。

 やがて彼は闇の中、独り黄金立方体に見下ろされている。「……」赤黒い影はニンジャスレイヤーの装束と化した。そしてその不浄の熱と光で、瞬時に闇を払う。彼は己を竹林の中に見出す。ドラゴン・ドージョー?アワビ・ニンジャの鎮守の森?否……どことなく似ているが、覚えのないバンブーであった。

 夜空を見上げれば、バンブーの葉を透かして、やはり黄金の立方体は月めいて存在していた。ニンジャスレイヤーは落ち葉を踏んで歩き出した。「記憶……ではない。私の記憶ではない」彼は呟いた。「オヌシの記憶か。ナラク」(((……否……)))遠く近い声が微かに返った。(((ここは……)))

0と1の風が吹き、バンブーの枝葉を揺らす。サツバツとした無音の世界である。(((……進む以外に……あるまい……)))ナラクの声。ニンジャスレイヤーは獣の足跡じみた小径に分け入った。「ここは何処だ。私の過去ではない……」(((全ての問いに儂が答えをくれてやると思うでないわ)))

 張り出している枝を押し退け、進む。ソーマト・リコール現象は、己の過去の記憶を呼び覚ますニューロンの瞬間的な作用だ。それは過去の体験に生存の手がかりを求める為に。あるいは、ただ死を前に己の行いを悔い、省みる為に……。だがこの場所が記憶の地でなく、ナラクも知らぬとなれば。

 ならばここはサンズ・リバーの向こう岸か?己の気づかぬうちにスパルタカスはニンジャスレイヤーを爆発四散せしめ……ジゴクへ送ったという事なのか。(((何をバカな。呆れ果てるぞフジキド!だがどのみちこのまま甘んじておれば、敵の拳はオヌシの額を鼓動一つの後には打ち抜くであろう)))

「黙れナラク。わかりきった事だ」彼はこの不可解な地をニューロン視界に見ながら、同時に、ほぼ無限に引き延ばされて静止した物理の世界をも微かに感じている。スパルタカスが追撃を試みようとしている世界を。どちらがジゴクか。ニンジャスレイヤーは藪をかきわけた。林の中に古びた庵が現れた。

 0と1の風は幾筋もバンブーのあわいをすり抜け、バラバラの方角へ走り抜ける他者の背中が垣間見えるように思う。それらに不用意に注意を払えば、なにか取り返しのつかぬ事態を呼びそうだった。彼は目の前の庵に集中し、足を速めた。ひび割れた石段を上り、朽ちかけた扉に手をかけ、押し開いた。

 ゴゴゴウン……扉が音を立て、0と1の埃が天上からパラパラと落ちて来た。不可解な頭部を備えたブッダデーモン像がニンジャスレイヤーを見下ろした。「これは」中は外から想像したより、よほど広い。もとより尋常の世界ではない。ニンジャの気配はない……。(((油断するなフジキド)))

 ニンジャスレイヤーはブッダデーモン像の膝元へ進んだ。そこに倒れ込むようにして枯死した者の死体があった。死体は黄ばんだ紙片を掴んでいる。ニンジャスレイヤーは注意深くそれを取った。紙には捻じれた筆跡で文字が書かれている。「奥義を求め、…を……だが、」紙は0と1の屑となり、散った。

「……」死体は奥のフスマ戸を指さしていた。フスマの横にはケモビールのカレンダーが貼られている。神棚にはフクスケ。壁のヒビは0と1の風を運んでくる。ナムサン。ここで立ち止まっていたところで、現実の死の運命を避ける事にはならぬ。彼は真っ直ぐフスマ戸に向かい、引き開けた。ターン!

「バカな……行き止まりとは……!」ニンジャスレイヤーが足を踏み入れたのは、タタミ敷きの四角い小部屋であった。それはシュギ・ジキと呼ばれるパターンで、十二枚のタタミから構成されている。四方は壁であり、それぞれにはオイラン、茄子、トリイ、リキシャーの見事な墨絵が描かれていた。

 もはや先へ進むためのフスマは見当たらない。では、あの死体と紙片は何を意図していたのか。(((フジキド。警戒を怠るな)))この謎を解くべく、ニンジャスレイヤーは右手にスリケンを握り、物音ひとつ立てぬ精緻な足運びで、部屋の中心部へと進んでいった。額の汗を右手の甲で拭った。

 ニンジャスレイヤーはついに部屋の中央へと達する。……(((その位置だ!フジキド!)))ナラクの声が響いた。ニンジャスレイヤーはぴくりと眉を動かした。そして足下めがけ、カワラ割りの拳を振り下ろしたのである!「イヤーッ!」KRAAAAAAH!タタミが爆ぜ、彼らは真下へ落下した!

 シュコン!シュコン!シュコン!シュコン!狭い井戸めいた竪穴を垂直落下するニンジャスレイヤーを、壁の四方八方から飛び出すバンブー槍トラップが襲った。「イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは木人拳めいた手捌きでこれを回避!

「イヤーッ!」やがてニンジャスレイヤーは穴の底に回転着地した。闇の中、彼は高速で接近する轟音と光に反応する。プアアアーン!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは側転し、地下鉄の電車の衝突を危うく回避した。プアアアーン!「イヤーッ!」逆側のレールからも電車!回避!

「これは……何だ?」(((攻撃に備えよフジキド)))ゲン・ジツの類いか?否、ここは彼自身のローカルコトダマ空間……彼自身のニューロンの狭間の筈だ。彼はレールの方向を見やった。遠くに光が見える。彼はレール沿いに走り出す。やがて、「サツキ」と書かれた地下鉄駅ホームに辿り着いた。

 彼は線路からホームに上がった。タイルの合わせ目や壁の亀裂には薄い光が脈打っている。注視すると、それはやはり0と1のノイズである。「……」ホームの端に、再びフスマがある。フスマの左右には「御寿司旅行」とミンチョ漢字をあしらった旅行会社ポスター。彼はフスマを開いた。ターン!

 そこはごく狭いタタミ敷きのドージョー跡であった。正面の壁には「茶道」。左の壁には「殺気」。右の壁には「直つ気」と書かれたショドーが飾られていた。ドージョーの中央には鎧武者が飾られており、その手にはマキモノが収められていた。

 (((胡乱なり)))ナラクは端的に言った。ニンジャスレイヤーは鎧武者の手からマキモノを剥がし取った。「ドラゴン・ドージョー……?」ニンジャスレイヤーは呟き、マキモノを開いた。そして「サツキ」を知った。彼は顔を上げ、再び四方を見渡した。0と1の風が渦を巻いて吹きすさぶ闇を。

 闇の中でイルカ達が撥ねるたび、0と1の飛沫と波紋が生じ、ぶつかり合って、無数のケオス・フラクタルを作り出した。上を見た。黄金の立方体が物言わず自転を続けている。視線を水平に落とすと、ずっと向こうで赤黒の炎が灯台めいて光る。「戻らねば」そこへ向かう。

 サツキはジキツキ、正しくはジキ・ツキと対を為すチャドーのカラテであり、片一方ではそれは不完全な作法となる。何者かがサツキを奪い、その奥義をあの場所に残した。誰が。そして、あの場所は何なのか。記憶にない土地、記憶にないマキモノ。ソーマト・リコール現象とは。その先にあるものとは。

 (((カルマ・ニンジャの言葉が真実ならば、敵のカラテにはまだ先がある)))ナラクが言った。(((ザンシンを怠るべからず。さもなくばゴジュッポ・ヒャッポ)))ニンジャスレイヤーは走った。記憶が逆流する。静止していた時間が堰を切って溢れ出した。「イヤーッ!」スパルタカス!

 一角獣の構え!それはあらゆる打撃を左手の馬蹄で絡め取ってカウンター打撃を叩き込むばかりでなく、攻めあぐねる相手に対しては右手の螺旋角で先手を打ち、一気に畳みかけて倒す、逃げ場なき必殺の古代ローマカラテだ。ニンジャスレイヤーは馬蹄を警戒し攻撃を待つ。スパルタカスの思う壺だ!

 一角獣の角じみた螺旋チョップ突きは必殺の軌道をニンジャスレイヤーの眉間に定め、指先に空気摩擦の炎を灯しながら、音速の壁を破った!「イヤーッ!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは半身になり、前に出した左腕の肘先を上向け、そして肘先を捩じって手の平を左に向けた。右手は腰の横だ。

 チャドー呼吸。爆発的なカラテ循環がニンジャスレイヤーの左腕の捻じれに集まる。それはダムにせき止められた激流めいて、捻じれた左腕から逃れようと暴れ狂う。ニンジャスレイヤーはそのまま左腕で一角獣の螺旋角を受けた。接触の瞬間、彼は左腕の捻じれを解放した。「イヤーッ!」

「「「「アバーッ!」」」」ニンジャスレイヤーの斜め後方、壁沿いに並んでいたクローンヤクザ達の頭が爆発し、緑色のバイオ血液が脳漿と共に飛び散った。螺旋角は高速回転するコマに接触した鞭めいて弾かれ、横に逸らされていた。その衝撃力が後ろのクローンヤクザ達のもとに到達したのだ。

 スパルタカスが目を見開いた。ニンジャスレイヤーはこの機を逃さぬ。否。いまだ彼はヒサツ・ワザを出し終えていない。サツキ。研ぎ澄ませたカラテをほんのコンマゼロゼロ数秒間に集束し、その瞬間だけ敵の打撃を無効化する高度なチャドー防御。極めて鋭く儚いムテキ・アティチュード。

 全身が、骨が、内臓が軋み、ニンジャスレイヤーは喀血した。このワザは併せて準備された打撃……ジキツキにシームレスに移行する。弓めいて引き絞った右拳。単体ではそれはあくまで動きを封じた敵を処刑するカイシャクの拳。真のジキツキはこうして放つのだ。カラダチにタタミ・ケンが続くように。

 サツキを終え、左手は真っ直ぐ前に突き出されている。そして右拳は腰の右横に。そこからニンジャスレイヤーは全身のバネをしならせ、前へ踏み込み、左手を後ろへ引き戻しながら、前へ右拳を打ち込んだ。一角獣の構えの後には龍の構えが在る。ゆえに、ここで殺す。「イヤーッ!」「グワーッ!」

 チャドー奥義、サツキ・ジキツキ!マスターヴォーパルの双眸がギラリと輝いた。スパルタカスはもがきながら一歩下がった。ニンジャスレイヤーは更に踏み込んだ。スパルタカスの足の甲を踏みつけ、腹部へ一打!胸に一打!「イヤッ!イヤーッ!」「グワーッ!」さらに一打!「イヤーッ!」

「……イヤーッ!」スパルタカスの手の甲が、この打撃を、止めた。ニンジャスレイヤーの吐き出した血は空中で熱によって蒸発した。ニンジャスレイヤーは更に一打!「イヤーッ!」「イヤーッ!」スパルタカスがこれを防いだ。古代ローマカラテ戦士の両目は真っ赤に染まり、血の涙を流している。

 恐らくジキツキの打撃でスパルタカスの頭蓋骨が破損し、神経系統に損傷があった筈だ。もはや視力を奪ったか?だが、視力を奪えたとして、そのアドバンテージは実際いかほどのものか?確かめるすべがない以上、いまだ予断は許さなかった。「イヤーッ!」スパルタカスが顎を狙い掌打を繰り出す。

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは掌打を躱し、両目を突き壊して脳を破壊すべくサミングを繰り出す。「イヤーッ!」瞬時にスパルタカスの身体が下へ沈んだ。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーが小さく跳ねると、その下を極めて速い水面蹴りが龍の尾めいて通過した。タタミが円く溶けた。

「イヤーッ!」空中のニンジャスレイヤーを、追撃のサマーソルトキックが襲った。「ヌウーッ!」ニンジャスレイヤーはクロス腕で昇り蹴りを受け、一回転して着地、ジュー・ジツを構え直した。そこへ「龍の構え」を取ったスパルタカスが襲いかかった。


4

 重金属酸性雨降りしきる10月14日のネオサイタマを、黒塗りの家紋リムジンがしめやかに走り抜ける。アマクダリ・セクトを示す天下紋を飾るいかめしいリムジンには決闘の勝者とタチアイニン二人が搭乗し、会話もなく、ただ、強化ガラスを打つ雨の音だけが微かに車内に入り込んでくるのだった。

 KABOOOOM……イッキ・ウチコワシの無差別テロの爆発が少し離れたブロックで起こった。ワイパーが鳴らす規則的なサウンド。そして空には……。……だが、我々はこの時点より暫し前の時刻の出来事……即ち、恐るべき戦士と戦士の死闘の時……へ、再び立ち戻るべきであろう。


◆◆◆


「イヤーッ!」瞬時に踏み込んだスパルタカスは左拳を突き出す。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは右手甲で受け、カウンターを入れ……ようとして、踏みとどまる。ナムサン。そのコンマ1秒後、ややタイミングをずらした左拳二打目、中下段突きが襲い掛かった。「イヤーッ!」

「ヌウーッ!」ニンジャスレイヤーはスパルタカスの打撃を下へ打ちそらした。これは危険だった。ほんの一瞬単位でバラ撒かれた罠だ。カウンターを喜々として狙いにゆけば水月部に強烈なダメージを受け、前のめりに崩れていただろう。だがこれを防いだとて、スパルタカスの連続攻撃はいまだ起点!

「イヤーッ!」間合いはワン・インチ距離。焦げ臭く空気を焼きながらスパルタカスの右手がニンジャスレイヤーの首筋へ伸びた。ニンジャスレイヤーはギリギリの瞬間に腰を落とし、これを避けた。ナムサン……恐るべき速度の掴みだった。捉えられれば何らかの致命的な投げ技に持ち込まれていた。

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはこの回避で得た猶予時間を用いて、昇り二段蹴り、即ちドラゴン・ダブルノボリ・ケリを狙おうとした……だが、踏みとどまった。かわりに放ったのは右外側から内側へ向かって蹴り込むドラゴン・ツバサ・ケリだ。「イヤーッ!」スパルタカスはこれを防御。

(勿体ねえ)フィルギアが眉根を寄せる。ニンジャスレイヤーはチャンスをドブに棄てたか?(否)マスターヴォーパルは目で否定する。結果論ではあるがこの選択は正解。スパルタカスは蹴りを防御しながら、踏み込んでの短い中段突きを打ってきていた。大技を狙っておればこれがクリーンヒットした筈。

 ニンジャスレイヤーは蹴り足を素早く戻し、腕で受けた。「イヤーッ!」スパルタカスはもう一歩踏み込み、逆の拳で短い中段突きを繰り出す。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは衝撃によって半ば強制的に後ずさる。「イヤーッ!」スパルタカスはなお踏み込み、左拳を顔面、右拳を下腹部へ打ち込む!

 腰を横に捩じり、バンザイの手を当てに行くような縦同時打撃である。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーも腰を横に捩じり、同様にバンザイ状に両手を繰り出し、この危険打撃を受けた。放射状に風が吹き、タタミが円形に潰れた。ミシミシと音を立てるのはスパルタカスの頭部もだ。頭蓋骨の鳴らす音だ。

 スパルタカスの背中には縄めいて筋肉が盛り上がり、首筋から後頭部にかけて血管が浮き上がっている。ミシミシと音を立てるのは全身のアイソメトリック緊張。サツキ・ジキツキの直撃を受け、ひび割れて脳漿を流出させかかっていた頭蓋骨に、頭部の肉体組織の収縮によって圧をかけ、「閉じた」のだ。

「「ヌウウーッ!」」せり合う二者のカラテ緊張。スパルタカスの両目から鮮血が流れる。見えているのか?それを確かめる暇も意味も無い。的確な打撃が襲い来ている事が全てであり……。「「イヤーッ!」」放射状の風が拡散し、ニトロ発破衝撃めいてニンジャスレイヤーとスパルタカスは飛び離れた。

「イヤーッ!」「イヤーッ!」二者は遠い間合いで互いに注意深く睨み合い、ステップを踏み始めた。一方はジュー・ジツ。一方は古代ローマカラテ、龍の構え。スパルタカスの動きは負傷してなお軽快。彼らは互いに下がり、互いに踏み込むとおもえば、また下がる。これは極めて高度なカラテ応酬だ。

 なぜ攻めかからぬ?長距離をカバーする打撃は大技揃いだ。勢いに任せた雑な攻め手に出れば、速度の速い反撃によってワザの出かかりを狙われる。相手がこちらに相当な勢いで向かって来るとすれば、それは即ち、自身が相手にその勢いで間合いを詰めるのと同じだ。カラテ相対性理論とでも言うべきか。

 打撃とはエネルギーの運び合い。質量保存の法則に縛られるこの世界で、戦士が相手を打倒するには、必ずや、その理を制さねばならぬ。「イヤッ!イヤーッ!」小刻みにタタミからタタミへ移動しながら、ニンジャスレイヤーはチョップや前蹴りを空振りさせる。だがこれは敢えての空振りだ。

 彼がバラ撒いたワザは運動コストの少ない小技であり、はなから相手に当てる事を想定していない。それらは視覚にダメージを受けているスパルタカスを釣るルアーだ。動作予兆を読んだスパルタカスが反応し、迎撃のワザを繰り出せば、ニンジャスレイヤーはそれを空振りさせ、大技を当てる。

 いわばそれはカラテ・ギャンビット……若干のリスクを飲んで、より大きな打撃機会を得るための布石!カラテとは物理学であり、そしてショーギでもあるのだ。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはミドルキックを空打ちする。スパルタカスが……動いた!「イヤーッ!」「イヤーッ!」

 ニンジャスレイヤーのケリには続きがあった。蹴り足を戻しながら、彼は肘打ちを繰り出していた。そしてそれもまた牽制デコイだ。肘打ちの勢いで身体を回転させた彼は更なる蹴りを……ナムサン!一方スパルタカスは一気に間合いを詰める跳躍から空中で二回転、龍の飛翔めいた回し蹴りを繰り出した!

「イヤーッ!」繊細に組み上げられた守り櫓を無慈悲に押し潰す地滑りめいて、斜め上方から襲い来る大質量!ニンジャスレイヤーの目が赤黒く光る!関節が嫌な軋み音を立て、メンポ呼吸孔から赤黒い熱蒸気が排出されると、鉤爪めいて開いた掌を、下から上へ振り上げた!「イヤーッ!」

 鉤爪は上から襲い来るスパルタカスの顔面を一部捉え、メンポをえぐり取った。「グワーッ!」スパルタカスはしかし打撃を受けた顔面を支点に風車めいて回転、ニンジャスレイヤーの後頭部に拳を叩きつけた!「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは自らうつ伏せに叩きつけられダメージを軽減!

「イヤーッ!」タタミに両手をついたニンジャスレイヤーは鞍馬体操選手めいたダブル・キャノン・バックキックを繰り出す。「グワーッ!」スパルタカスはかろうじてガードするも、その衝撃は相当だ。たたらを踏んだところへ、ニンジャスレイヤーは振り向き後ろ水面蹴りで追撃する!「イヤーッ!」

「イヤーッ!」スパルタカスはこれを読んでいたか!彼は身体を丸めて軽く跳躍、水面蹴りを回避すると、回転しながらガバと両手を開き、ニンジャスレイヤーの顔面を右手の平で捉えた。「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの足がタタミから離れた。スパルタスは掴んだまま空中で二回転!

 KRAAAAAASH!次の瞬間、二者の下のタタミが爆ぜ割れ、粉塵が迸った!「エイイッ!またかよ!」真っ先に反応したのはマスターヴォーパルである。彼はザブトンから飛び降り、腰を叩いて廊下へ向かった。然り!再びの床破壊である!

 有効打に繋げたのはどちらのニンジャか!間近にあって審判ニンジャは直前の応酬を目の当たりにしていた。ニンジャスレイヤーは両手を拡げて回転するスパルタカスに顔面を掴まれ万事休す。だが叩きつけられる寸前に身体コントロールを取り戻し、スパルタカスに腕ひしぎをかけに行った。

 スパルタカスは構わずそのままニンジャスレイヤーをタタミに叩きつけた。ニンジャスレイヤーは首の筋肉を緊張させ、接地点を後頭部からやや下へずらした。強烈極まる衝撃。白目を剥く。それから意識を揺り戻す。腕は、ひしいだままだ。スパルタカスの足がタタミを離れた。

 ニンジャスレイヤーはそのままトモエ投げめいて、スパルタカスを腕から後方に叩きつけた。タタミは爆散し、二者を落下させた。落ちながら彼らは獰猛なカラテをお互いに繰り出した。さながら二匹の龍が互いの尾に喰らいつくがごとし。「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」

 そしてKRAAAAASH!打ち合う二者が下階の決闘バトルフィールド・タタミ・フロアに到達すると、放射状の衝撃波が吹きすさび、タタミが爆散!二者はさらに落下!落ちながらお互いに繰り出す獰猛なカラテ!さながら二匹の龍がお互いの尾に喰らいつくがごとし!「イヤーッ!」「イヤーッ!」

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」

「まだ下かよ!」十秒後、エントリーしてきたマスターヴォーパルが、むなしく口を開けたタタミ穴と天井穴を見比べ、苦虫をかみつぶしたしかめ面をする。彼は追いついてきた審判やタチアイニンらに手振りで促し、さらに下階を目指して階段を駆け下りる……!

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」腕と腕が絡み、掴みを拒み、拳をそらす。ニンジャスレイヤーはスパルタカスの打撃の先の先の先の先の先の先の先の先を読んだ短打を繰り出してゆく。スパルタカスは思考パルスを読む。奇襲は不可能。積み木を積むように打撃を重ねるべし。

 打撃力の大きな技は時間・空間に遊びを生む。スパルタカスはその遊びの時空の中で自在に動き、ニンジャスレイヤーの隙を必ずやついてくる。今のニンジャスレイヤーが取るべき行動は、極めて遊びの少ない短打の雪崩によってスパルタカスの行動を制限し、必然的な対応を強制させてゆく事だ。

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」スパルタカスは木人拳めいたミニマル短打応酬に付き合う。空気の流れを皮膚で読み、筋肉の収縮音を聴き、思考のパルスに触んで、ニンジャスレイヤーの連続攻撃に己の打撃を挟み込んでゆく。

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」スパルタカスは常に攻め続ける。古代ローマカラテ龍の構え。処刑必殺技の類いは使わず、細かいチョップやショートフックを繰り出し続ける。それは必然からだ。大技を不用意に狙えば、こうした小技が破滅的なカラテの糸口を作るだろう。 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」打ち合う二者の後ろ、タチアイニンたちがようやく追いつき、クローンヤクザ達が壁際に整列して、ザブトンを三重にかさねてゆく。「渋みのあるカラテだけど……」フィルギアはマスターヴォーパルを見る。「つまらん!」と言いそうなものだ。だが老人は沈黙している。

 彼らからやや離れたスパルタカス陣営タチアイニン席で、アガメムノンもやはり彼らのカラテ応酬を凝視していた。瞳には冬空めいた稲妻が閃き、押し殺した熱を漲らせ、なにかを待ち望んでいるかのようだ。ニンジャスレイヤーのなんらかの行動を。マスターヴォーパルはそれを一瞥し、喉奥で唸る。

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」マスターヴォーパルは再びニンジャスレイヤーとスパルタカスに視線を戻す。老ニンジャの顔は険しい。じっと見守っている。ニンジャスレイヤーは突く。スパルタカスは躱し、打つ。ニンジャスレイヤーは躱し、払う。

 ニンジャスレイヤーは突く。スパルタカスは躱し、打つ。ニンジャスレイヤーは躱し、払う。スパルタカスは躱し、突く。ニンジャスレイヤーは躱し、打つ。スパルタカスは躱し、払う。ニンジャスレイヤーは躱し、突く。スパルタカスは打つ。ニンジャスレイヤーは打つ。スパルタカスは打つ。

 ニンジャスレイヤーは打つ。スパルタカスは打つ。ニンジャスレイヤーは打つ。スパルタカスは打つ。ニンジャスレイヤーは打つ。スパルタカスは打つ。ニンジャスレイヤーは打つ。スパルタカスは打つ。ニンジャスレイヤーは打つ。スパルタカスは打つ。ニンジャスレイヤーは打つ。スパルタカスは打つ。

 ニンジャスレイヤーは打つ。スパルタカスは打たない。コンマ数秒の停止。ニンジャスレイヤーは瘴気をメンポの隙間から排出する。アガメムノンの目がギラリと輝き、スパルタカスが地獄の狩猟者めいて表情筋を動かす。だがニンジャスレイヤーは鉤爪めいて曲げかけた指を搾り、チョップの形に戻す。

 フィルギアは眉根を寄せ、マスターヴォーパルは拳を固く握り込む。眉間に汗粒が流れる。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは突く。老ニンジャは太い息を吐いた。スパルタカスは躱し、掌打を繰り出す。ニンジャスレイヤーの防御は間に合わない。「グワーッ!」「イヤーッ!」スパルタカスが撥ねる!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはのけぞった姿勢から瞬時にブリッジ回避へ移行した。スパルタカスの空中回し蹴りが空を切った。回転、そして二振り目の蹴りは処刑人の鉈包丁めいた踵落とし……変則的アルマーダ・マテーロ。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはバックフリップで寸前にこれを躱す。

 タタミごと床板を破砕し、スパルタカスは更に撥ねた。「イヤッ!イヤッ!イヤッ!イヤッ!イヤーッ!」空中五段回し蹴りで襲い掛かる。「イヤヤヤヤヤ!」ニンジャスレイヤーは後ろへ跳びながら身体を捻り、回し蹴りを返してゆく。二者の蹴りは噛み合い、空中にカラテ歯車が現出した。

 赤黒と白黒はストライプ模様を生じ、混じり合いながら、決闘バトルフィールドの壁に到達し、跳ね返った。「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」審判が後ろへ飛び下がったコンマ2秒後、そこへカラテ・ストライプ球体が着弾し、ゴロゴロと撥ねた。ヘルホイール・クルマ。

「イイイヤアーッ!」回転の果てに、ニンジャスレイヤーはスパルタカスを直上へ投げ飛ばした。スパルタカスは空中でバランス制御を行い、龍の構えをとった。空中にあってそれは益々、襲い掛かる龍そのもの。一方ニンジャスレイヤーは腰を落とし、低く構える。メンポが軋み、マフラー布はざわめく。

「スウーッ……ハアーッ!」だがニンジャスレイヤーが行ったのはチャドー呼吸であった。メンポは軋み、微かな歪みの兆候はすぐに去った。頭上で龍の構えをとるスパルタカスの表情が動いた。ニンジャスレイヤーはタタミを蹴り、跳んだ。「イヤーッ!」スパルタカスは迎え撃つ! 

「イヤーッ!」「イヤーッ!」空気が破裂し、ニンジャスレイヤーは左の壁へ、スパルタカスは右の壁へ撥ね飛ばされた。ニンジャスレイヤーのドラゴン・ユミ・ケリとスパルタカスの龍の牙めいた双手チョップが衝突したのだ。二者は壁を蹴ってタタミで前転、跳ね起きながらカラテ間合いに踏み込む。

「イヤーッ!」スパルタカスは龍の尾の一撃めいたローキックでニンジャスレイヤーの右ふくらはぎを打ち、瞬時にワン・インチ距離へ滑り込み、顎に正拳を打ち込んだ。「グワーッ!」「イヤーッ!」スパルタカスは僅かに拳を引き、目潰しを作ってニンジャスレイヤーの両目を襲った。「イヤーッ!」

「グワーッ!」スパルタカスはたたらを踏んだ。ニンジャスレイヤーの両目は無事だ!のけぞりながら、ニンジャスレイヤーの突き出した両腕はスパルタカスの胸を打ち、弾いて後退させていた。ニンジャスレイヤーは身体を捩じりながら身を沈める。「スウーッ……ハアーッ!」スパルタカスの怒気!

 古代ローマカラテ戦士の全身から蒸気が噴きあがった。体表と周囲の空気中の水分が蒸発したのだ。一方のニンジャスレイヤーの周囲の空気は、陽炎めいて揺らいでいた。「スウーッ……ハアーッ!」チャドー呼吸が深まる。彼のニューロンは凪いでいた。チャドー、フーリンカザン、そしてチャドー。

 スパルタカスはタタミを蹴った。ニンジャスレイヤーの思考パルスは失われた。だが攻撃予備動作によって生じた空気のうねりから、放たれうるヒサツ・ワザのパターンをニューロン内に網羅、吟味し、その殆どすべてに打ち克つことができる、なおかつ最大のダメージを与えられる攻撃を弾き出した。

「イヤーッ!」スパルタカスが到達した。「イ……」ニンジャスレイヤーは引き絞ったチャドー姿勢から、アラシノケン初撃のローキックを繰り出しかけていた。そこにスパルタカスの螺旋掌打が割り込んだ。渦を巻く中段打撃。「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの身体が720度回転する。

「イヤーッ!」スパルタカスは両腕を引きながら踏み込み、かろうじて720度回転の後に着地したニンジャスレイヤーに、ダブル・ポン・パンチを放った。「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは防御姿勢を取ったが、螺旋掌打との乗算ダメージに抗う事はできない。装束の背中が裂け、血が噴き出した。

 それでもニンジャスレイヤーは倒れなかった。「スウーッ……ハアーッ……」チャドー呼吸の音と風がスパルタカスに届いた。古代ローマカラテ戦士はタタミに顎がつくほどに身体を沈めた。カイシャクの一撃の為に……否、敵のいかなる打撃をも呑み込み焼き滅ぼす龍の炎を繰り出す為にだ。

「イイイイイイヤアアアアーッ!」スパルタカスは跳んだ!ナムアミダブツ!それは螺旋回転するドロップキック……己の全質量をカラテによって無限倍の衝撃力に変換し、星の核すらも穿つであろう破滅的打撃。必殺の一撃……ニンジャスレイヤーはこれを引き出す為にこそ死線に立たねばならなかった。

「スウーッ……ハアーッ!」ニンジャスレイヤーの身体は爆ぜかけていた。しかしチャドー呼吸は絶やさなかった。呼吸が彼の身体にカラテを循環させ、サンズ・リバーのほとりに留まらせた。彼は半身になり、前に出した左腕の肘先を上向け、そして肘先を捩じって手の平を左に向けた。右手は腰の横だ。

 サツキ。研ぎ澄ませたカラテをほんのコンマゼロゼロ数秒間に集束し、その瞬間だけ敵の打撃を無効化する高度なチャドー防御。その瞬間。その瞬間だけに。螺旋を描いたスパルタカスの龍の炎は両の足によってドリルめいた渦を作り、穴を穿つ。打撃の回数は一度ではない。攻撃持続時間は一瞬ではない。

 やがてスパルタカスの質量はニンジャスレイヤーに到達した。それは暫し前の一角獣の螺旋角のリフレインであり……それを超える致命的瞬間であった。ニンジャスレイヤーは左腕の捻じれを解放した。サツキ!「イヤーッ!」サツキ!「イヤーッ!」サツキ!「イヤーッ!」サツキ!「イヤーッ!」 

 サツキ!「イヤーッ!」サツキ!「イヤーッ!」サツキ!「イヤーッ!」サツキ!「イヤーッ!」サツキ!「イヤーッ!」サツキ!「イヤーッ!」サツキ!「イヤーッ!」サツキ!「イヤーッ!」サツキ!「イヤーッ!」サツキ!「イヤーッ!」サツキ!「イヤーッ!」サツキ!「イヤーッ!」

 サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!サツキ!

 スパルタカスの螺旋回転に、ニンジャスレイヤーはサツキで抗う。ニンジャスレイヤーは瞬間的に解放される防御のカラテを、拡散寸前に轢き戻し、再び解放する。それを繰り返した。バチバチと石つぶてめいた音が押し重なり、半身のニンジャスレイヤーが後ろへ押されてゆく。

 ZZZZZZGTOOOOM……背後の壁がみるみる亀裂を生じ、破砕し、ネオサイタマの夜空が、都市の遠景が現れた。サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ・サツキ!

 ニンジャスレイヤーは龍の炎を防御し続けながら、あの竹林を、地下鉄を、闇を再び見ていた。ナラク・ニンジャが表層へ迸り出る事はなかった。彼の心は凪いでいた。ゆえにスパルタカスの、そしてアガメムノンの目論見が成就する事はなかった。彼らはそれぞれの理由でナラクを引き出そうとしていた。

 第六の構え、「剣の構え」。それはNinjaslayer-Abnormal-Reaction-Against-Karate-Urgencyに対するカウンター・アーツとして彼が編み出していたカラテだ。感情の波を読み、急所を衝いて殺す秘儀が、この決闘で使われる事は最後まで無かった。

 サツキ・サツキ・サツキ・サツキ。無音の瞬間が訪れ、世界にはスパルタカスとニンジャスレイヤーだけが在った。ニンジャスレイヤーは空中のスパルタカスに右拳を打ち込んだ。ジキツキ。龍の炎は一角獣の螺旋突きのリフレインであり、遡ればあの時点でスパルタカスの運命は決していたのやもしれぬ。

「グワーッ!」衝撃がスパルタカスの全身を駆け巡った。即ちこの決闘において二度目のサツキ・ジキツキ!スパルタカスの頭が砕け、血と脳漿が迸り出た。ニンジャスレイヤーは殺意に満ち溢れた目をギラリと光らせ、一瞬身を沈めると、空中のスパルタカスに回り蹴りを叩き込んだ!「イヤーッ!」

「グワーッ!」スパルタカスはタタミを転がった。ニンジャスレイヤーは間髪入れず飛びかかり、マウントを取った。スパルタカスは身を守ろうとした。「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーはスパルタカスの顔面に右拳を叩き込んだ。「イヤーッ!」「グワーッ!」そして左拳!

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」今やニンジャスレイヤーの上体を守っていた装束はズタズタに裂け、頭巾も破け、乱れた黒髪が現れ、打撃によってひしゃげた「忍」「殺」メンポの、「イヤーッ!」「グワーッ!」留め金が緩み、外れて落ちた。「イヤーッ!」「グワーッ!」

「ハアーッ……ハアーッ……!」ニンジャスレイヤーは拳をなお固め、振り上げた。そして打ち下ろした。「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」真っ赤に染まったスパルタカスの目がニンジャスレイヤーを見上げる。「イヤーッ!」「グワーッ!」

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イ……イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーは拳を振り上げた。マスターヴォーパルはカッと目を見開いた。審判は手旗を構える。スパルタカスは腕を動かそうとした。その力は失われた。「……サヨナラ!」スパルタカスは爆発四散した。

「……」アガメムノンが、ラオモト・チバが、マスターヴォーパルが、フィルギアが、その爆発四散光景を、そののち仰向けに倒れたニンジャスレイヤーを見た。そして審判を。審判は手旗を振り上げた。「勝者、ニンジャスレイヤー=サン」……沈黙が決闘バトルフィールドを支配する。

 ニンジャスレイヤーは数秒の気絶から意識を取り戻す。目に飛び込んで来たのは壁の大穴の先、ネオサイタマの夜空だ。「反則はねえな?ウチの勝ちだな?終わった、終わった」マスターヴォーパルが沈黙を破った。老ニンジャは座布団から飛び降りた。「アイツに肩貸せ、お前」フィルギアに指示する。

「俺?他にいねェか」フィルギアは頭を掻いた。「ほい、立てよ、ニンジャスレイヤー=サン。頼むぜ。立てるかい」「うむ……」壁に並ぶクローンヤクザは懐に手を入れ、チャカ・ガンの射撃準備だ。だが撃ちはしない。アガメムノンとチバも座布団を降り、ニンジャスレイヤーを睨み据える。

「残念だったな。望んだ通りにならなくてよ」マスターヴォーパルがアガメムノンを挑発する。「ヒヒヒ……困った爺さんだ……アンタが何か考えたわけじゃないだろうに」フィルギアはニンジャスレイヤーに肩を貸し出口へ向かう。「成る程、よく抑えが効いてる……助かるよ……ハンコまで捺したんだ」

「……」「……」アマクダリ首領の二人は空気が歪むほどの憎悪のアトモスフィアをニンジャスレイヤーらに向かって放ち、無言。数時間にも思われる数秒だった。……やがて、ラオモト・チバとアガメムノンは、ゆっくりとオジギをした。ニンジャスレイヤーと二人のタチアイニンは彼らを残し退出した。

 その瞬間、居並ぶクローンヤクザ達に混じって潜んでいた数人のアマクダリ・ニンジャが光学ステルス迷彩を解除、姿を現した。ドラゴンベインを始めとする最精鋭のニンジャ達が。彼らはナラク状態に陥ったニンジャスレイヤーが何らかの反則行為をした瞬間に実力を行使し、タチアイニンを殺す役目だ。

 ドラゴンベインやキルスウィッチを始めとする最精鋭のニンジャはニンジャスレイヤーらを追わず、その場に留まる。それもまた契約なのだ。やがてニンジャスレイヤーと陣営の二人は決闘バトルフィールド・ビルディングの正面玄関を出た。そこにはアマクダリ紋を掲げる家紋リムジンが停まっている。

「ドーゾ」クローンヤクザ運転手とクローンヤクザドア係が一礼し、ドアを開けた。ニンジャスレイヤー達は無言で乗り込んだ。やがて家紋リムジンはエンジンを唸らせ、走り出す。

 重金属酸性雨が降りしきる10月14日の夜のネオサイタマを、黒塗りの家紋リムジンがしめやかに走り抜ける。車内に会話はなく、ただ、強化ガラスを打つ雨の音だけが微かに車内に入り込んでくる。雨雲の切れ目にはドクロめいた月が浮かんでいる。そして黄金の立方体が静かに自転している。

 クルマはネオン看板の映る水溜りを撥ね、歩行者は強く吹き付ける01の風をこらえ、蛍光傘を持って行かれぬように心を砕いた。家紋リムジンはネオサイタマの闇と同じ色をしている。やがて見えなくなる。

 鷲の翼が開かれるまで、あと97日。


【ローマ・ノン・フイト・ウナ・ディエ】終


N-FILES(設定資料、原作者コメンタリー)

<12人>の一人、アマクダリ最強のカラテ使いであるスパルタカスとの戦いは、マスターヴォーパルの策略が功奏し、一対一のタチアイの形となった。ニンジャスレイヤーは古代ローマカラテの真の恐ろしさを知ることとなる。メイン著者はブラッドレー・ボンド。

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