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【ザ・ホーリイ・ブラッド】 #1

◇総合目次 ◇1 ◇2 ◇3 ◇4 ◇5 ◇6 ◇7 ◇8 ◇9


「夢の終わる地……」ウイスキー・グラスをいつまでも磨きながら、インダルジは舌の回らぬ言葉を吐く。「なんと心安らぐ言葉だろう」

 店に客は一人もない。インダルジが話しかけているのは酒場の隅に飾られた等身大の人形である。否、それは厳密には人形ではない。動作を停止したオイランドロイドなのだ。西部開拓時代の娼婦じみたドレスで飾り立てられ、虚ろな笑顔を虚空に向けている。

 店の調度もまた、大西部趣味である。しかしところどころに歪みがある。神棚が置かれ、ヒョットコとオカメのオーメンが飾られていたり、軒先には茶色くくすんだカドマツがある。キャッシャーの傍には電動で腕を上下に振り続けるマネキネコがある。磁気嵐の消失に伴い、ネオサイタマの電子的カルチャーが拡散した影響だ。

「……どうした? カーラ」

 インダルジはカーラの笑顔の表情を気にした。そんなものは偽りだ。だが、インダルジはグラスを置くと、足を引きずりながら歩き、カーラの白い頬に触れた。

「不安なのか」

「……」

 ガラスめいたカーラの、ルビー色の目。その視線を追って、インダルジは首を巡らせる。茶色く乾いた大地。丘。枯れた景色に人の息吹は無い。

 アメリカ大陸西海岸。このサルーンから、あの伝説的な文字看板はそう遠くない。H O L Y B L O O D。電子戦争以前は違う言葉だったが、長い月日とヴァンダリズムが、サインの文字をそのように変えた。野蛮な連中による手あたり次第の冒涜だ。

 発端は西暦2000年。あの決定的な崩壊が起こってから、文明が劣化し、秩序が失われるのに、三年かからなかった。甘い香りと桃色の夕空、ヤシの木、灰色のコンクリート。そういうものは、すべて過去のものだ。いや……「シティ」の雲上人たちは、今もそうしたものを享受しているのかもしれない。立ち入る事のかなわぬ壁の向こうでは、青々としたヤシの木が風に揺れ、太陽発電のパネルが誇らしげに光を受け、良く育った新鮮なシーフードを貪り食っているのかもしれない。

 かつて、誰かが言いはじめた。「貧乏人の為に税金など払っていられるか」と。社会福祉のカネが自分たちの為に使われていない。公僕に無駄金が支払われ、役人が私腹を肥やしている。そういう主張をするカネ持ちの連中は、互いに身を寄せ合い、新しい「シティ」を無理矢理に形成した。自分たちのカネでインフラを整え、警備員を雇い、既存の自治体への納税を拒否する。いわばノブレス・オブリージュの対極、究極の利己だ。

 その結果、下町の街灯は深夜に消灯し、ひび割れたアスファルトの整備は後回しになり、図書館からは書物が失われ、学校は閉鎖し、警察の規模が縮小し、下水に白いワニが溢れ、毎日のように保険金目当ての火災が起こるようになった。

 IPアドレスだか何だかの奪い合いをきっかけに電子戦争が起こると、その流れはもっと露骨になった。巨大な壁が築かれたのだ。それが「シティ」の始まりだ。

 壁を越えて侵入しようとする人々に対しては、無慈悲なガトリング砲の掃射が容赦なく行われた。侵入を試みる者が現れるたび、壁は高くなった。銃声が鳴り響くたび、爆発が起こるたび、虐げられた者が泣き叫ぶたび、壁の外の文明は、少しずつ茶色く乾き、錆び、くすんでいった。

 このサルーンの名は、あの伝説的な白看板からとられている。H O L Y  B L O O D。とてもしっくりくる言葉だった。啓示めいていた。ひろくこの地で、かつて、持たざる者の血が流されたのだ。それが聖なるものでなければ、ますます浮かばれないではないか。

「あれは竜巻だよ、カーラ」インダルジは囁いた。地平線に屹立する恐ろしげな影に、目をすがめた。「いつもの事だ」

「……」

 カーラが答える事はない。

「不安なのか? ブラインドを降ろした方がいいか?」

「……」

「わかった。どのみち、もうすぐ夜がくる」

 インダルジはブラインドの紐を引いた。縞模様の影がサルーンの床を切り取る。

「夢を持つならお安くなさい……」

 彼は呟き、再び横切って、カウンター奥の定位置に戻る。そしてぴかぴかに磨かれたグラスを再び手に取る。

「……」

 インダルジは手を止め、入り口を見やった。彼のニンジャ反射神経が異邦の者の気配を捉えていた。彼は脂汗を浮かべ、強い緊張に胸を強く押さえ、深呼吸した。一秒後、ガタンと音を立て、戸が内側に開かれた。埃っぽい風が吹き込んでくる。インダルジは息を吐いて、凄みのある顔つきになった。

「とっとと閉めてくれ、客人……」

「ハアーッ……ハアーッ……!」

 背の高い影だった。荒い息をつき、フラついた。尋常ではない。

「フウーッ……!」

 力尽き、膝をつく。

「おやおや、なんてこった」

 インダルジはヴォルケーノ拳銃をジーンズに突っ込み、ぎこちない足取りで戸口に向かった。

「ここで死なれたら、お前さんを誰がカンオケに入れるんだ」

「オヌシが店主なら、悪いがオヌシの仕事じゃの」

 男は答え、ギラリとした目でインダルジを見上げた。短く刈られた白髪、古傷だらけのいかつい顔。

「……フン。ニンジャだな」インダルジは鼻を鳴らした。「爆発四散する気力も無さそうだ」

「水をもらえんかの」

「ここじゃ真水は貴重品だ。カネが要るぞ」

「……」ニンジャは懐から床に金のかけらを投げた。「これで足りるか」

「まあ、よかろう」

 インダルジは苦心して身を屈め、金のかけらを拾った。

「お前さん、名を名乗れ。俺はインダルジ。このホーリイ・ブラッドの店主よ。自衛の必要がある」

「ワシは……」ニンジャは喉を鳴らしてグラスの水を飲んだ。「ワシはニーズヘグ」

「ニンジャだな」

「見ての通りよ。オヌシもだろう」

「そうとも。足は悪いが、おかしな真似をすりゃ、すぐさま脳天を吹っ飛ばす」

「部屋は空いているか。宿を取りたいが」

 ニーズヘグはカウンターの椅子にドッカと腰を下ろした。 

「見ての通りよ」

 インダルジはニーズヘグの言葉で返した。ニーズヘグは追加の金をカウンターに投げた。インダルジは素早く拾い上げ、噛んで確かめ、懐にしまった。

「ドーモ。ヨロコンデ」

「精をつけたい」「アイヨ」

 インダルジはバッファローのロースト・スシを皿に盛り、真鍮のジョッキを薄いビールで満たした。

「カネと礼儀を示す奴は客だ。つまりユウジョウよ。楽しめ」

 ニーズヘグは貪り食い、飲んだ。埃と血と泥にまみれたニンジャは、それでようやく人心地ついたようだった。

「……それで? どこから来た、お前さん」インダルジは尋ねた。「まるで外の竜巻に乗って来たような打ちのめされっぷりだが」

「似たようなものじゃ」ニーズヘグは認めた。「馬もなく、人里の方角もわからんと来た」

「……ホーリイ・ブラッドはあわれな客人を歓迎する」インダルジは言った。「ここで夜を明かし、どこへ発つ?」

「ワシが訊きたい」

「この地において、お前のような胡乱なアウトサイダーに開かれた門はそうそうない。来た道を戻るか」

「それが出来れば……」ニーズヘグは空のジョッキを置き、口を拭った。「苦労はせんが」

「おや。次の客人か」

 インダルジは戸口を睨んだ。ガタン。荒っぽく戸を開け、ドカドカとエントリーしてきたのは三人組のニンジャである。

「カアッ! 大風に竜巻……ふざけた土地だ。コイツは嵐が来るぜ、オヤジ」先頭に立つニンジャがインダルジに言った。「とりあえずサケとスシを出せ」

「あんたらニンジャだな。名を名乗ってもらおう。それがこの店のルールでな。俺はインダルジ」

 インダルジがアイサツした。先頭のニンジャは不快そうにしたが、アイサツされれば応えるのが礼儀である。

「ブラッドステインだ」「ドーモ。ブラッドステイン=サン」

 苦労して戸を閉めた手下らしき二人も、リーダーに続いてアイサツした。

「俺はフレッチャー」「アイアガートだ」「ドーモ。フレッチャー=サン。アイアガート=サン」

「そこのしみったれたニンジャ……テメェも名乗りな」

 ブラッドステインは鉤付きクナイクリーバーで物騒にニーズヘグを指し示した。彼はカウンターに身をもたせていたが、物憂げな呻き声のあと、そっけないアイサツを返した。

「……ニーズヘグ」「ニーズヘグ。どこから来た」「ここではない。話せば長くなる」「フン……」

 ブラッドステインは胡散臭げに傷ついたニンジャを見つめた。フレッチャーとアイアガートはボソボソと囁き合った。

「まあいい」

 何らかの目当ての人間が居ると見えた。待ち合わせか。もっと物騒な目的か。しかしともあれ、ニーズヘグがその人物ではないと判断した三人は、居丈高な足取りで窓際のテーブル席に陣取った。インダルジは人数分のビールジョッキを運ぶ。それからロースト・バッファロー・スシを。

 KRACK……! 稲妻の音が店の中まで届いた。稲妻に追い立てられるように、新たなエントリー者があった。

「……しみったれたモーテルだ」

 扉を蹴り開け入ってきたのは、ドクロ柄の覆面を鼻下に巻き付けた、痩せた男だった。

 女を連れている。女は唇も髪も黒く、鎖骨に添って、首飾りじみてダイヤモンドのピアスが皮膚に打ち込まれていた。女の剥き出しの肩には虞美人草のネオン・タトゥーが不穏な燐光を放ち、浅く穿いた黒いレザーの装束からは、優美な曲線の腰と臍があらわだ。

 男女とも、黒ずくめで、人殺しの目をしていた。そして恐ろしい事に、人殺しの目という意味では、店の他の者たちも同様だった。つまり、ニンジャの目だ。

「入るなり "しみったれたモーテル" とは、随分とゴアイサツだな」インダルジは若い男を睨んだ。そして……「フン。やはりニンジャか。ま、ニンジャでもない奴が、こんな土地を無事に行き来できる筈もなし」

「オモテナシをしろ、店主」

 男は有無を言わさぬ調子で言った。そしてガン・スピンめいてスリケンを回転させながら上下させた。女は複雑なレリーフが施された鉛色の消火斧を床に突き立てた。女は氷めいた眼差しを光らせた。

「黙って頭を下げるか、こいつで強制的にオジギさせてやるか、どっちかを選ぶ事になるよ」

「イキがる相手を間違えりゃソンケイを失うだけだ。ヤングスター」

 インダルジは厳めしく言った。ブラッドステインの背中から殺気が身をもたげた。フレッチャーとアイアガートが懐に手を入れ、身構えた。ニーズヘグは無言のまま、じっと彼らを凝視した。

「……フン。まあいい」

 男は女の肩を叩き、インダルジにカネを放った。

「俺達が欲しいのは休息だ」

「だろうともよ」インダルジは金を受け止めた。女は舌打ちした。インダルジは言った。「客人となりたければ、後はアイサツだ。名乗れ、お若いニンジャ。それがここのルールなんだ。俺の名はインダルジ」

「アイサツだと?」

 男は店を見渡した。アイサツされれば応じねばならぬ。ブラッドステインは剣呑な目線を投げ、無言で促した。

「……俺の名はスカルホードだ」「アタシはセデイト」

 インダルジは二者の名乗りに満足そうに頷く。他のニンジャ達もアイサツに応える。

「適当に座れ。いいか。この店で争いはご法度だぞ」

 KRACK! KA-BOOOOM! ブラインドの向こうで閃光があった。音は近く、店の照明がフツフツと不安定に明滅した。

「ハ! 落雷か」ブラッドステインが笑った。「この店ごと俺らを粉砕しようてハラかもしれんな、クソ嵐の主は」

 そこでまた、扉が軋みながら開き、つんのめるようにもう一人、客が入ってきた。

「あ……よかった。営業されていますよね。よかった」

 サラリマン・スーツ姿の男はハンカチで雨に濡れた顔を拭い、ひび割れた眼鏡を外した。彼は店内の者たちの視線を見渡し、求められている事をすぐに察した。

「ア……ドーモ。わたくし、サガサマ・ミネです。チカハ社のサラリマン・ニンジャでございまして。事前予約はありませんが、一泊する事は可能でしょうか。ほら、外がこの様子でしょう」

 KA-BOOOOM!

「嗚呼! また雷が落ちた……。いや、商談の為、企業小型ジェットで北へ飛行しておったのですが、何しろこの天候。見事にやられまして。不時着したまでは良かったのですが……いやはや」

「聞かれてもいない話をベラベラと……その鬱陶しいクチを閉じろ。そのザマでニンジャだと?」「アイエッ……」「場違いな野郎だ。気に入らねえな」

 ブラッドステインが凄み、フレッチャーとアイアガートもそれに倣って睨みを利かせた。サガサマは愛想笑いで応え、ペコペコと頭を下げた。

 ガタン。扉がまた音を立てた。サガサマは慌てて振り返り、扉を開けてやった。

 店の中が静まり返った。

 あらわれたのは、小柄な十代の娘だった。店内のニンジャ達は皆、当然のようにその娘がニンジャだとわかった。ニンジャの外見年齢には大きな個人差がある。そしてそのギャップが大きい者は総じて危険だ。この場に居るのは、それを皮膚感覚で理解する者ばかりだった。

 娘は……上着をどこかで失ったか……まるで近所に散歩にでも行くようなタンクトップ姿で、左上腕に包帯を巻いていた。だがその傷はいかにも浅く、ワークパンツの乾いた血の染みは、彼女自身のものではなさそうだった。腰に帯びた武骨な拳銃が、嫌でも目を引いた。49マグナム。この時代においても、一地方で偏屈な職人が鍛造を続けているとかいう、不穏な回転式拳銃である。

「……名乗りな。この宿でもてなしを受けたければ。俺はインダルジ」

 繰り返し、繰り返し、行われたやり取りだ。娘は帽子を椅子に投げ、それから名乗った。「アズール」と。

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