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【ナイト・オブ・ヘクセンナハト】

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【ナイト・オブ・ヘクセンナハト】


1

 ネオサイタマ郊外、ヘクセンナハト村で緊急事態が発生した。"敬虔なる"デトレフの家で飼われていた可愛らしいヤギの乳が、何の前触れもなく酸っぱくなってしまったのだ。

「村長(ブルーガーマイスター)! 起きてください、村長!!」「緊急事態です! 村長!!」ウシミツ・アワー近く、村長の館の前には、松明を掲げた村人たちが大勢集っていた。

 やがて村長が眠た目をこすって現れ、すぐにこのただならぬアトモスフィアを感じ取った。村人らは誰もが一様に困惑し、その顔には、迷信深い恐怖の色をにじませている。

 対応を間違えると大規模なパニックを起こしかねない。村長はZBR錠剤を奥歯で噛み砕き、頭をシャッキリとさせてから言った。

「……これがそのヤギかね、デトレフ?」

「ヤー(はい)」

 デトレフと呼ばれた岩のような大男は、肩をすぼめて縮こまり、その両腕に抱えた小さなヤギを村長に見せた。

「メー」何十もの松明に照らされ、ヤギは不安そうに鳴いた。村長は片眼鏡をかけ、そのヤギの舌や額やヒヅメなどを詳しく調べた。

「見た所……元気そうだ。疫病の徴はなく、魔女の烙印も見えない……」

「ヤー(はい)」

「だが乳が酸味を帯びるとは、此れ如何に……。このような事態はこの二十年、一度たりとて起こったことはない……。これは……」

 村長はとめどなく流れる脂汗をぬぐい、顎を何度も手でなでた。答えを待つ村人たちの恐怖は、次第に焦燥と苛立ちへ、そして理不尽に対する怒りへと変わり始めていた。

 極めて危険な状態だと村長にはわかっていた。インターネットさえあればIRCで外世界に相談もできよう。だがここは、Wi-Fiひとつ存在しないテクノピューリタンたちの孤立分断領域なのだ。

「……ニンジャの仕業だ!」と、村人の一人が言った。

「ありえん! この村にニンジャがいるはずがない!」村長はすぐさま否定した。

「でも……ニンジャだったら、俺たちの中にこっそり潜んでいたってわかりませんぜ!」「ある日突然、ニンジャになっちまうらしいじゃないですか!」「そうだ、きっとニンジャだ!」「これはニンジャの仕業だ!」「ちくしょうめ! ニンジャの野郎、おれのヤギをジツで呪いやがった!」

「待て! 皆の者!! ドイツ村らしい理性を保たんか! 追放されたいのか!!」村長が声を張り上げた。場はシシオドシを打ったかのように静まり返った。その直後である。

「話は全て聞かせてもらったぞ!」

 群衆の後ろから、聞き慣れぬ声があがった。人々が振り返ると、街道沿いの見事な松の木の下には、馬に乗った初老の男がいた。しかもその男は、鎖と拘束具をつけたニンジャ装束の男女二人を、奴隷の如く付き従えていたのである。

「あ、貴方は一体……!?」村長はひどく狼狽しながら問うた。

「わしの名はウィッチファインダー! ニンジャの事ならわしに任せておけ!」

「ニ……ニンジャを、見つけ出せるのですか!?」

「左様! わしはニンジャソウル憑依者の完璧な見分け方を知っている! 何種類もな! だがそのためには!」ウィッチファインダーは指をパチンパチンと鳴らした。「前金だ!!」



2

「ル、ル、ル」

 伝統装束を着てオーガニック花摘みにやってきたフェリシアは、オーカーがかった灰色の木漏れ日の下、軽やかなステップを踏んで歌った。

「なんて可愛らしい日、今日はなんて可愛らしい日なんでしょう。きっといいことがある!」

 彼女は十七歳の可憐な娘だが、月破砕以降の移民系であるため、村での立場はあまりよくない。心から気を許せる仲の良い友達もいない。それで彼女は、こうして独りで花摘みに出るのが大好きだった。

「ほら見つけた、可愛らしいチューリップ。……痛い!」

 いつものように花を摘もうとして、暗い茂みに手を伸ばしたフェリシアは、指先にチクリとする痛みを感じた。恐怖を感じ、立ち上がった。蛇か何かに噛まれたのかと思ったのだ。それから恐る恐る、自分の人差し指の先に咲く、小さく丸いルビーのような、ひとつの血の花を見た。

 蛇や虫ではない。おそらく、何か鋭いものに触れてしまったのだろう。彼女はすぐに編み籠の中から消毒キットを出して手を洗い、白いヨロシバンドを貼って応急手当てした。それから屈み込むと、注意深く、チューリップの茂みに再び手を伸ばした。もしかすると、植物の棘に触れてしまったのかもしれないと考えながら。

「でも、こんなところにバラが咲くかしら? エッ……」

 フェリシアは息を飲んだ。朝露に濡れた草の間に、黒い鋭角の刃が見えた。脅威を帯びて、ギザギザとした、星型の。彼女はその周囲の下生えを、そっと手でどかした。茂みの中に落ちていたのは……一枚の鋼鉄のスリケンであった。

「アイエエエエ……こ、これは……」

 フェリシアは思わず、恐怖の叫びをあげそうになった、その時。

「シーッ!お嬢さん、どうか大声を出さないで」

 奥の木陰からニンジャが現れた。その横には可愛らしい小鹿の親子を連れていた。ニンジャは胸の前で両手を合わせ、礼儀正しくオジギした。

「エッ」

「驚かせてスミマセン。私の名はカーム。この森に住むニンジャです。私のスリケンのせいで、あなたに傷を負わせてしまった。謝罪いたします」

 ニンジャの声は思慮深く、穏やかで、黒い覆面とメンポの奥にのぞく両目は、神秘的なエメラルド色に輝いていた。フェリシアは花摘みの編み籠を取り落とし、思った。おそらく、これは、恋なのだと。

「ドーモ、フェリシアです。はじめまして。ごきげんよう」

 なぜかは知らぬが、彼女の両目には涙があふれていた。



3

 人々は村の広場に集められていた。伝統的な懲罰用の磔台は未だ空っぽであったが、間もなくそこにニンジャが磔にされるであろうことは、容易に想像できた。人々は無言のうちにそれを期待していたのだ。掲げられる無数の松明の火は、血のように赤く、人々の顔を照らしていた。

「よいか! わしはニンジャ狩りのプロフェッショナルだ!」

 少なからぬ万札を前金として受け取ったウィッチファインダーは、サイバー馬に広場前の石畳を闊歩させ、その鞍の上から力強く苛烈にまくし立てた。馬の後ろには、鎖に繋がれた男女の懲罰奴隷ニンジャがふたり、暗黒舞踏めいた足取りで付き従っていた。この二人のニンジャは、ウィッチファインダーが旅の中で捕え、これまでの罪を償わせるために奴隷としたものなのだという。

「ニンジャとは、正式にはニンジャソウル憑依者という! 太古のニンジャの悪霊が憑依した状態なのだ! ニンジャを見分ける方法を、このわしが教えてしんぜよう! なお、それらの仔細は、全てこの書物に科学的に書かれている! わしがこれらの奴隷ニンジャを如何にして捕えたかの顛末も、全てだ!」

 ウィッチファインダーは自らが著したという分厚いハードカバー書物の一冊を鞄から取り出し、高々と掲げ、ページをめくって見せた。

「この書物を購入したいという者には、特別に10万円で進呈するが、善良なる魂の持ち主にはいささか刺激が強すぎるため、確かな覚悟を持った者のみにしか売る気はない! また本書を読んで学べば、諸君らでも今後は邪悪なニンジャの発見が可能となるだろう! だが、そうした知識や技術を一朝一夕に身につけるわけはゆかぬ! ゆえにプロフェッショナルが存在するのだ! 今日は特別に、その真髄のみを、掻い摘んで教えて進ぜよう!」

 このウィッチファインダーという男の歯切れの良い弁舌と断定的な言葉、そして歴戦のプロフェッショナルらしい立ち振る舞いには、ある種の麻薬的な心地よさがあった。松明を掲げるヘクセンナハト村の人々は、ゴクリと唾を飲みながら聞き入った。そしてついに、ウィッチファンダーは、恐るべきニンジャの真実を口にしたのだ。

ニンジャは、死ぬ時に、爆発四散する! つまりどうだ!」

 そこまで言い、コール・アンド・レスポンスめいて人々の方を向いた。

「死ぬと……爆発四散する」「聞いたことがある!」「爆発四散すればニンジャなんだな!」「怪しいやつを殺してみればいいのでは!?」「そうだ、殺せばよかったんだ!」「処刑して、爆発四散したら、ニンジャだ!」「コロセー!」「コロセー!」村の若者らが、松明を高く掲げながら叫んだ。

「待て! 万一疑わしい者を殺して、爆発四散しなかったらどうなる!?」ただならぬ危険性を感じ取り、村長が必死に叫んだ。「ニンジャではない者を殺してしまうことになるのだぞ! わかっているのか!? それは取り返しがつかぬ過ちだ!」

「それは……!」「ニンジャに……なりかかっていたということで……」「いや、それではニンジャとは言えないぞ」「確かに……その通りだ」若者たちは自分たちの軽はずみな言動を深く恥じ入り、あるいは渋々といった表情で、数歩後ろに下がった。そしてやり場のなくなった怒りを、ウィッチファインダーらに向けかけた。

「ごもっとも! だが、そのような心配は無用である! 何故ならば、わしはプロだからだ! わしの監督下で行われたニンジャ狩りにおいて、ニンジャではない者を処刑してしまった事は、これまで一度もない!」ウィッチファインダーは呵呵と大笑して続けた。「そもそも、この村にわしが来た理由は、邪悪なニンジャの気配に引き寄せられてのこと! 仮に、間違っていたならば、このわしが全ての責任を負おうではないか! 前金も2倍にして返済する! だが、そんな事態は起こらぬと約束しよう。わしはこの村に潜むニンジャの脅威を取り除いてみせる! それがわしの使命だからだ!」

 村人たちの間に安堵の色が広がった。再びニンジャ狩りの熱狂がヘクセンナハトの村で渦巻き始めた。ウィッチファインダーは間髪入れず、欺瞞プロセスを実行に移した。

「では、疑わしい者を五人ここに並べたまえ! その中からどの者がニンジャなのかを、わしの従える奴隷ニンジャの一人が選び出す! この女ニンジャは、そのような謎めいたニンジャパワーを持っているのだ! 無論、その中にニンジャがいなければ、次の五人を選ぶこととなる!」

 たちまち、村人たちは目の色を変え、ニンジャの疑いがある者を探し始めた。群衆の中でいくつも叫び声があがり、普段から煙たがられている者らの名前が「足が速い」「漢字が書ける」「目つきが悪い」「乱暴」「陰気」といった程度の根拠で密告され始めた。

 おお……ナムアミダブツ! もはや村長の理性的な声を聞こうとする者は、誰一人いなかった。なりふり構わず、告発や多数決が開始された。さもなくば、自分や自分の家族が告発されるかもしれないからだ。ヘクセンナハトの村を熱狂が支配していた。

 優しきニンジャと恋に落ち、花摘みの編み籠にスリケンを忍ばせたフェリシアが森から帰ってきたのは、まさにそのような狂騒のさ中であったのだ。

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