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【フジ・サン・ライジング】

この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードの加筆修正版は、上記リンクから購入できる物理書籍/電子書籍「ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上2」で読むことができます。

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フジ・サン・ライジング


「ドーモ。乗客の皆様、オツカレサマデス。安全で・早く・信頼性の高い、我々オバンデス航空をご利用いただき誠にありがとうございます。まもなく添乗員が機内食を運んでまいります。ネオサイタマのネオナリタ空港への到着は7時間後……」

 スナバ=サンは機内アナウンスと合成オコト音で浅い眠りから覚めた。狭いシートで凝った体を伸ばしながら、隣に座るモマメを見やる。明日六歳になる愛娘は、人気キャラ「モチヤッコ」のぬいぐるみを抱いたまま、静かな寝息を立てている。

 シートに据えつけられた小型ディスプレイを操作し、なにかめぼしいオンデマンド映画は無いか探す。「お米づくりと日々」を選択する。シュンブン・カワバの最新主演作だ。シュンブンにはサイバネティック疑惑がついてまわる。それほどまでに完璧な美貌なのだ。

「フー……」スナバ=サンは低く溜め息をついた。ネオサイタマの大学病院に入院していた妻の腎移植手術成功の報せが届いたのは昨日のことだ。涙を流して喜び、そして安堵した。その後、張り詰めた緊張の糸は緩み、それまでこらえていた疲れがどっと押し寄せた。

 スナバ=サンはキョート・リパブリックで三番目に古いウナギ屋の長男である。伝統と格式に縛られ尽くした己の人生を呪い、その血を恨んだことは一度や二度では無い。

 しかし、生まれた時から決められていた妻の事をスナバは深く愛していたし、今回の手術についても、もしスナバが一介のサラリマン程度であれば願望する事すら許されなかっただろう。これからは節約しなければいけない。

「遠いなあ、ネオサイタマは……」スナバは独り言を漏らした。隣にカートが来たので、スナバはイヤホンを外した。「ドーゾ」カートを引いて来た白人女性の添乗員から、真空パックされた機内食を二食分受け取る。「ガンモご飯です」白人女性が笑顔で説明した。

 ガンモとは、ニンジンを中に詰めたフライド・スシのことだ。添乗員がカートを手で示し、「それからチャワン蒸しとヤツハシ、どちらか選べますよ」「ヤツハシがいい!」モマメがいつの間にか目を覚ましていた。スナバは微笑し、「じゃあ、この子にはヤツハシで、ぼくにはチャワン蒸しを」

「ヨロコンデ」美しい白人女性は流麗な日本語でアイサツし、モマメに直接、やはり真空パックされたヤツハシを手渡した。チャワン蒸しは紙製の円柱状のパックに入っている。家庭では囲炉裏にかけた鉄の碗からよそうのだが、さすがに機内でそれは無理だ。

「それから、ええと、サケをください。この子には何かジュース……」「グレープ味があります」「じゃ、それを」添乗員は滑らかな手つきでカートから缶飲料を二つ…サケとグレープ味のジュースを取り出した。

 スナバは機内食パックの蓋を開いた。汁気の多い米の中に小さいガンモがいくつか入っている。「熱い?」モマメが訊く。スナバは汁っぽいガンモを箸で口に運ぶ。「大丈夫だよ」「イタダキマス!」モマメも食べ始めた。

 添乗員は前の座席へゆっくりとカートを押して行く。スナバはしばしその後ろ姿に見惚れた。ただでさえ「ガイジン」は珍しいが、美貌であるし、金髪も美しい。添乗員のスーツがよく似合い、知的かつセクシーだ。これもオバンデスの企業努力の一貫か……疲れたスナバはとりとめもなく考えた。

 前の席の老人が不安げに口にする。「添乗員さん、わしゃ、どうも落ち着かなくて。この、鉄の塊が飛ぶっていうのがどうもね」「ご心配要りませんよ。当社は創業120年ですが、墜落事故など一度も起こしたことがありませんから」「孫の顔を見に行くんです。初孫で……」「それはよかったですね」

「ネオサイタマは水が悪いっていうでしょう。私はキョートに来なさいって何回も言ってるんだが。でもね、孫がかわいいんだ、これが。IRCで写真が届いたんですがね……」「それはとてもよかったですね」「でしょう、それがね、本当にかわいいんですよ」

 なかなか添乗員を解放しない老人に心のなかで苦笑しながら、スナバは茶碗蒸しのパックを開け、プラスチックのスプーンで食べ始めた。オキアミが申し訳程度に入っており、甘い。ディスプレイではシュンブン・カワバがCG合成のコメ畑で働いている。心安らぐ、古き良き光景だ。

「お母さんに、運動会でシシマイ体操したこと、言おうね!」モマメが輝かせて言った。「そうだね」スナバは頷き、窓の外を見やった。…「飛行機は乱気流に近づきます。少し揺れたり、ディスプレイの映像が乱れますが、そういった自然現象ですので、問題はございません…」機内放送が流れてきた。

 リラクゼーション効果のあるモクギョ音がうっすらと聴こえてきた。スナバはトレイを戻し、シートに深くもたれた。意外にお腹が膨れてしまった。モクギョを聴きながら映像をぼんやり見ていると、眠ったばかりだというのに、自然とまた眠くなる……。


◆◆◆

「何度経験しても慣れんものだ。この乱気流というやつは」忌々しげに秘書に向かって言うと、ディンタキ・カツマはアンコをかけた大豆100%トーフを箸で割り崩した。

 ディンタキ・カツマが座すのはオバンデス航空の旅客機「サアイ11号」にたったひとつだけ用意されたファーストクラス・シートである。フスマ型ドアーでビジネスやエコノミーとは物理的に隔絶され、タタミ敷きの快適な茶の間づくりになっている。当然、フートンで寝ることができる。

 カイヅマ・ショーユ社を一代で築き上げたディンタキ・カツマの老いた横顔には、気難しさと誇りが深い皺となって刻まれている。二口でアペタイザーのトーフを食べ終えたディンタキ=サンは、マツタケ入りのタマゴ焼きを三切れ一度に挟み取った。不作法であるが、タイムイズマネーが彼のモットーである。

「明日のカンファレンスは10時でよかったな?」スシを食べながらディンタキ=サンは秘書を見やった。「はいそうです」シチサン・ヘアーの秘書は黒縁の眼鏡を手の平で直した。「その後13時10分からカスミガセキ・ジグラットで官庁との打ち合わせを。移動にはヘリを使います。申し訳ない」

「ヘリか」大豆100%ミソスープをすすり、ディンタキ=サンは呻いた。「仕方ないな」「スミマセン」「お前は謝らんでいい」「スミマセン。その後、15時から検診です」「うむ」

 ディンタキ=サンは昨年、肺ガンで片肺の摘出手術を行っている。彼は再発の可能性を視野にいれて経営の舵を取ってきた。タイムイズマネー。日に日にその矜恃は重みを増してゆくのだ。

 彼と秘書のやり取りを、少し離れた位置で家具のように動かず見守るSPが二人。黒いサングラスをかけ、黒い背広を着た彼らからは油断ならぬ緊張感が放射されている。どちらもアイキドー11段以上。アサルトライフルで武装したハイジャッカーが突入してこようと返り討ちにできるウデマエの持ち主だ。

「スチュワーデス=サンを呼べ。膳を下げ渡しなさい」最後にチャを飲み干すと、ディンタキ=サンが秘書に指示した。「ハイ、すぐに」秘書は眼鏡を手の平で直し、紐を引いた。カコン!カコン!とシシオドシ音が反響し、すぐに添乗員が現れた。ガイジン……金髪のコーカソイド、美女である。

「さっきと違うスチュワーデス=サンだな」ディンタキ=サンはツマヨジで奥歯をせせった。「マイコ・サービスのほうは頼んどらんぞ」「いえ」添乗員は首を横に振った。

「まあよい。これを下げてくれ」添乗員はハイヒールをコツコツと鳴らしてディンタキ=サンに近づいた。隅のSPが二人同時に片足を前に出し、殺気を漂わせる。この添乗員がゲイシャアサシンであった場合、アイキドー9段で修得するジェット・ツキが即座に叩き込まれる。

 添乗員はちゃぶ台の横で素早く片膝をつき、額の前で合掌した。平安時代から存在する伝統的な「害意無し」のアピールである。

「なんのつもりですか!顔をあげて下がりなさい!」秘書が眼鏡を直しながら叫んだ。SP二人も拳を構えようとした。添乗員はひるまず、「お耳に入れたい事がございます」「……よい」ディンタキ=サンは部下を留めた。

「スチュワーデス=サンでは無いな?わざわざ化けてまでワシに近づいたというか」「ハイ」片膝をついたまま彼女はオジギした。「分刻みのディンタキ=サンにお話しするには、この方法しか」膝立ちのスカートのスリットから太腿がのぞく。だがディンタキ=サンの表情は氷のようだった。「言うてみよ」



2

「これを」金髪添乗員は胸元のボタンを外し、豊満な胸の谷間をあらわにした。マイコ!だがディンタキは無言であった。社長が厳しく見守る中、添乗員は自らの胸に手をやると、谷間に挟んで隠してあったマイクロ素子を取り出した。

「……ヤデ=サン。再生機を準備せい」「ハイ」秘書は手の平で眼鏡を直し、ダッシュボードの薄型端末を机の膳の隣に置いた。「何か面白い余興でもあるか、スチュワーデス=サン」ディンタキ=サンは無表情に言った。女は頷いた。「実際そうです」白い指で端末機の実体キーボードをヒットする。

「先日の温泉旅行カンファレンスを通して、あなたが内々に進めている後継者選びの件です」女は端末機を立ち上げた。「何だと」社長の声にドスが効いた。コワイ!女は冷やかに続ける。「記録を参照させていただいて」「ハ、ハッキングですぞ、君ィ!」秘書が鼻白んだ。女はスロットに素子を差し込んだ。

「あなたが、日頃の覚えと、なによりそのハイクを詠む非凡な速さに着目し、後継者にとお考えのキロバキ専務=サンですが……」話しながら、女が『入る』と書かれたキーをヒットする。液晶モニタに毛筆レタリングされた『初心』という文字が浮かび上がった。『見る』『色の写真』。

 女のキーパンチ速度は非凡な速度と言ってよかった。すぐに『初心』はマイクロ素子に記録された写真を読み取り、薄紫色のスクリーンの上に、それらの画像がゆらゆらと泳ぎ始める。「これを」

 ディンタキ=サンはうさんくさげに身を乗り出した。最初に拡大表示されたのは、キロバキ専務のよく肥った正面写真である。それから、黒塗りボディに黄色い社紋がペイントされたタクシーの後部座席に乗り込む写真。後部座席の奥にもう一人、足が見える。

 さらに写真。黒塗りタクシーが巨大なチョウチン・ランプを据えたテンプル・レストランの門をくぐっていくところだ。ネオサイタマの有名店「タベチャ」である。一晩で最低でも200万はかかる、イチゲン・カスタマ入店禁止の老舗……

「こやつ」ディンタキ=サンは呟いた。タイムイズマネー、リアルビジネスを社訓に掲げるディンタキ=サンは、過剰な接待のニオイに表情を曇らせる。

 次のコンテンツは写真ではなく映像だ。どうやって撮ったものか、荒い小型ビデオカメラによる「タベチャ」敷地内の映像が展開する。黒塗りタクシーのドアが開き、キロバキ=サンと、もう一人、知らぬ男が降りる。高床式のテンプル・ハウスへ向かう道を、ホウキを持ったスタッフが高速で掃き清めていく。

 キロバキ=サンと並んで歩くのは誰だ? ディンタキ=サンの疑問を見透かすかのように、次のコンテンツが開く。歩いてゆくその男のダークスーツ。襟元へ向けて、徐々に画像が拡大する。金バッヂ……カタナを交差させたエンブレム!ナムアミダブツ!読者諸氏はこのエンブレムをご存知であろうか!

「ソウカイヤだとーッ!?」ディンタキ=サンはのけぞり、激昂した!「キロバキーッ!」タイヘン・シツレイ!呼び捨てにするほどの怒りである!「続きを!ディンタキ=サン」女が促し、再度『入る』をヒットした。再び映像コンテンツだ。

 今度の映像は屋内。おそらくテンプルハウスの茶の間だ。四方をショウジ戸が囲み、天井には雄々しい山賊のウキヨエがでかでかと描かれている。既に宴もたけなわといったところ、キロバキ=サンは額にネクタイを巻いて、カミザに座った第三の男が差し出すオチョコにサケを注いでいる。

「我々の新たなユウジョウと、さらなる発展にカンパイしましょう。未来に!」サケを注ぎ終えたキロバキはへつらいの笑みを浮かべ、自分のオチョコを持ち上げた。鎖頭巾にスーツという威圧的ないでたちの男は尊大に笑った。「ムハハハハハ!ムッハハハハ!正しい選択だキロバキ=サン!」

 鎖頭巾の男は金バッヂの男に頷いて見せた。金バッヂの男はどうやら彼の部下なのだ。男は静かに腰をあげ、ショウジ戸を引き開ける。戸の外はすぐにエンガワだ。正座して待機するチーフゲイシャがオジギし、パンと手を叩いて合図する。

「すべて滞りありません、ラオモト=サン」キロバキ=サンは手ぬぐいで額の汗を拭った。「フム?」ラオモト=サンと呼ばれた威圧的な男はグンカンスシをつまみながら応じる。なんと!グラム200000円で取引される高級食材、イクラキャビアのスシだ!

「ディンタキ=サンは私を高く買っています。特にハイクの腕をね!彼はもう長くない!次の役員会でこの私が指名される事は確実です。そうすれば、後は怒涛の大ナタを振るいますよ!私はね!」キロバキ=サンは勢いよくまくし立てた。

「まず、社員の半分をリストラします。そしてキョートのショーユ工場は全て売却し、すべて外注にアウトソーシングします。マルナゲ!この効率化で、一時的に株価は高騰しますよ!ブランド崩壊が表面化する前にイッキに売れば、たいへん儲かります!」「ムハハハハハ!ムッハハハハ!」ナムアミダブツ!

「なかなか満足させてくれるな、キロバキ=サン。ネコソギ・ファンドはおぬしに相応のポストを用意して待っておるぞ。ムハハハハハ!」「ありがたき幸せ!」キロバキ=サンは叫んだ。「あんなカビたショーユ屋なんて、現金化するのが一番だ!」

 キロバキ=サンが感きわまっていると、チーフゲイシャがショウジ戸を引き開け、エンガワを渡ってきた十人近い新手のゲイシャを茶の間へ送り込む。「さあ!ブレイコウと行きませんか!」金バッヂが叫んだ。アソビ!

 新手のゲイシャたちは嬌声をあげながら部屋になだれ込み、三人にしなだれかかる。「ムハハハ!英雄、色を好む!」ラオモト=サンはミヤモト・マサシの警句を引用し、右手に一人、左手に一人、ゲイシャの帯を掴むと、力を込めて引っ張った。

「アーレーエエエ!」媚びた悲鳴があがり、二人のゲイシャの帯がクルクルとほどかれる!ゲイシャはその勢いでコマのように回転しながら、次第にキモノをはだけ、裸体に近づいていく。ラオモト=サンは尊大に言い放った。「ヨイデワ・ナイカ!」

 ラオモト=サンは二人のゲイシャを裸体にし終えると、手近の別の二人の帯をつかんだ。既に裸体となったゲイシャは金バッヂによって机の上に寝かされ、チーフゲイシャがそこへ機械的素早さで刺身を乗せていく。ナ、ナムアミダブツ!なんたるマッポー的酒池肉林地獄図!

 キロバキ=サンは泥酔のていで、カメラのほうへ向き直る。「ほらほら!おまえもこっちへ来なさい、ゲイシャは皆で参加、参加!キンパツがセクシーじゃないか、ええ?」「この娘はその係じゃないんどすえ」チーフゲイシャが助け舟を出す。「ごめんなさいね」「ブレイコーなのに!」……

「もう十分だーッ!!!」ディンタキ=サンは鼻血を噴出させた!そして膳の盆を両手で掴むと、怒りに任せてひっくり返した。「キロバキーッ!犬にも劣る畜生めが、ワシの手を噛もうてかーッ!!」

「アイエエエ!」秘書が主の激怒を恐れて尻餅をつき、メガネを取り落として失禁した。女はディンタキを見据えた。「いかがですか、余興になりまして? 付け加えておくと、私の貞操は守られましたわ。あの直後に退席しましたから」

「十分すぎるほどの余興であったわ!」ディンタキは流れる鼻血を拭おうともせず、歯をむき出して怒った。「礼を言っておこうスチュワーデス=サン。……貴様は何者で、何のためにこれを?」

 女は静かに、「私はソウカイ・シンジケートに敵する者とだけ。……ディンタキ=サン、明日のカンファレンスに臨むにあたって、今お見せした事実をよくお考えになって」携帯端末のディスプレイは酒池肉林の地獄図からエンガワへ抜け出す視点を流している。

 女は『初心』を停止させようと画面を覗き込んだ。映像の終わり際、エンガワの下に膝まづいた姿勢で待機する黒装束のニンジャが一瞬映っているのを認め、女は眉をひそめた。ディンタキはいまだ怒りさめやらず、「奴め。明日は己のハイクの技量をセプクのために使うことになろうぞ」呪詛を吐き続けた。

「それ、できない」

 ディンタキは背後を振り返った。「それ、できないです、ディンタキ=サン」声はファーストクラス茶の間の隅に敷かれたフートンの中からだった。SP二人がそちらへアイキドーの構えを取った瞬間、「イヤーッ!」フートンが跳ね上がり、禍々しい影が飛び出した!



3

 影が目の前を横切り、反対側の壁際へ着地したとき、既にその二人のSPの命は無かった。首がぱっくりと割れ、噴水のように鮮血が噴出。天井を汚す。「スパシーバ!」影はディンタキに向かってゆっくりとオジギして見せた。ガンメタル色の……ニンジャ装束である!

「アイエエエエ!」秘書が腰を抜かし、再失禁した。ニンジャはゆっくりとオジギを終えると、ロシア訛りの日本語で言った。「オーチン・プリヤートナ、ディンタキ=サン。サボターです。あなたここで死ぬことになっています」

 影が目の前を横切り、反対側の壁際へ着地したとき、既にその二人のSPの命は無かった。首がぱっくりと割れ、噴水のように鮮血が噴出。天井を汚す。「スパシーバ!」影はディンタキに向かってゆっくりとオジギして見せた。ガンメタル色の……ニンジャ装束である!

「アイエエエエ!」秘書が腰を抜かし、再失禁した。ニンジャはゆっくりとオジギを終えると、ロシア訛りの日本語で言った。「オーチン・プリヤートナ、ディンタキ=サン。サボターです。あなたここで死ぬことになっています」

「ク、クセモノ!」秘書が叫んだ。ニンジャは一歩進み出た。そして言う。「イズヴィニーチェ。いいフートンでした。ディンタキ=サン、あなた、この女性のお話きかなければ、まだ少しダイジョブでした。でも、もういけない」聞き取りづらいロシア語訛りである。

 老ディンタキはさすが一代でショーユ・コーポレーションを築き上げた見上げた度胸、たった今おそるべきウデマエで二人のSPを殺して見せたニンジャを前に、毅然としている。「ソウカイヤか?ワシを消す算段をしておったのか」「ニェート」サボターと名乗ったニンジャは首を振った。

「私は念のため監視です。ダークニンジャ=サン、外でよく見ていたですね、あのときに。ゲイシャ=サン、ちょっとおかしいでしただから私、この機にハケンされましたということ。そしてディンタキ=サン見てましたら、ダークニンジャ=サンの心配通りです、接触されまして、これ、よくないですとても」

 サボターのロシア風メンポの奥の暗い瞳に凝視され、女----添乗員に偽装したナンシー・リーは身を固くした。映像の最後に一瞬映ったニンジャ。あれが?不自然さを気づかれていた?ウカツ!

「スカジーチェ、バジャールスタ……」サボターはナンシーに問うた。「どうもあなた、シンジケートの周り、よくいます?でもデータベース時々不自然であなたの目撃の記録が参照されない。なんだかおかしいですね。でもあなたみたいな人の話が時々出ますし。あなた何ですか名前?」

 BLAM!BLAM!ナンシーは答える代わりに、太腿のホルスターの拳銃を発砲した。迷い無し!おお、だが見よ、サボターを!「パンキ!」

 サボターは両脚を前後に開脚して深く身を沈め、銃撃を難なく回避した。通常のニンジャが行うブリッジによる回避とは違う体系のカラテ動作だ。「ニェート!お話を続けねば。まずディンタキ=サンです。イズヴィニーチェ、話それてしまいました」

 BLAM!BLAM!ナンシーが開脚姿勢のサボターへ再度発砲した。「パンキ!」だが、だめだ!驚くべき敏捷性でサボターは開脚姿勢から側転、銃撃をかわす。サボターはナンシーを警告的に指差した。「アスタナビーティシ!私のパンキドーに拳銃効かない。跳弾であなたたち不利です。まず話からです」

 ディンタキ=サンがナンシーに銃撃をやめるよう目配せした。ナンシーは舌打ちし、拳銃を構えたままサボターを睨んだ。サボターは頷いた。「バリショーイヤ スパシーバ。時間無駄ですからね。さて、ディンタキ=サン。お話続けます」茶の間には絶命した二人のSPの血の臭いが漂う。

「いいですかディンタキ=サン、あなたあのまま明日のカンファレンスでキロバキ=サン社長にしてインキョすべきだったでした。そしてそのはずだったでしたね。だからよくないですねこの今のあなた。だから、この、委任状書きますあなた。モージナ?」サボターはオリガミを広げて見せた。委任状である。

「これ文面、あなた譲るのこと全権をキロバキ=サンに。これにハンコつきますあなた」床がぐらりと大きく揺れ、機内アナウンスが行われる。「乱気流の近くを飛んでおりますため…」サボターは窓の外の空を見やり、「この後いろいろあって、私はこの乱気流抜けたらパラシュートします。委任状持ってね」

 ロシア風メンポの奥でサボターの目が細まった。「ハンコ出してください、ディンタキ=サン」「……断る」「イヤーッ!」サボターが両手を腰に当て、イナズマのような速度で前蹴りを繰り出した!「アバーッ!」ディンタキ=サンの秘書が顔にパンキックを受け、首ごと真後ろに折れて死んだ!

 BLAM!BLAM!ナンシーがサボターを銃撃した。「パンキ!」サボターは両手足を大の字に開き、信じられない距離を横飛びしてそれをかわす!タツジン!パンキ・ジャンプだ!

「プロホー!やめなさい言っている!」サボターが叫んだ。「さあ、ディンタキ=サン、ハンコ押すしないと痛い目にあいます!」「……」ディンタキ=サンがサボターを睨み返す。「いまは私あなた殺す気ですがハンコ早く押せば助けない事無いかもしれないです。早くしなさい!」

 ディンタキ=サンはサボターを睨み、せせら笑った。「知らぬ!さあ、どうする。ワシを殺すか?殺したところでハンコは絶対に見つからぬぞ」なんたる不敵!自らの命で綱渡りを行う腹である!

「シトー?」サボターが暗く笑った。「なんとも意地悪いお爺さん。ロシア的ですとてもあなた。では私も隠しもの見つけごっこしましょう」サボターは懐から漆塗りの小型リモコン装置を取り出した。装置にはクロスカタナ・ロゴが描かれた円ボタンがついている。「シトー エータ?パニマーチェ?」

 サボターはリモコンを弄んで見せた。「パニマーエチェ?わかるようにしましょうそれでは。ハイ!」サボターは円ボタンを親指で押してみせた。


◆◆◆

「ねえ、お父さん、雲がぐるぐるしてるね!」モマメは椅子の上で膝立ちになり、窓の外をじっと見ては時々歓声を上げた。「どうして?」「これはね、乱気流っていうんだ、すごい嵐の雲なんだよ」「あ!カミナリが光ったよ!」「怖いねえ」「こわくない!」モマメは魅せられたように稲妻を見つめている。

「こわくないよ!お父さん私がこわくないしてあげるからね!」スナバは苦笑した。身を乗り出し、モマメの後ろから窓の外を見やる。旅客機の翼が見える。雄々しいものだ……。

 その翼が光を発し、機内にまで届く轟音とともに煙を吹き上げる!ぐらりと傾く機体!「アイエエエエエ!」「アーアイエーエエエエー!」「なんだ!何が起きた!」機内が騒然となった。スナバは反射的にモマメの頭をかき抱いた。

 異常を察知し、自動的に各座席の頭上から黄色いビニールバッグが射出される。バッグにはオバンデス航空の社紋と鳥獣を擬人化した装着図、ミンチョ体で「引っ張ったり開いたりして安全度を増す」とわかりやすい説明文が添えられている。

「ブッダ!」スナバは叫んだ。腕の中でモマメが身じろぎした。「お父さんこわくない!こわくないよ!」


◆◆◆

 ナンシーは悲鳴をあげ、床に膝をついた。『ただいま、飛行翼に何らかの衝撃を感知いたしましたので、確認作業中です。皆様におかれましては、表示に従って救命具をご装着いただき、どうぞ落ち着いて指示をお待ちください』張り詰めた声で機内放送が行われた。

「オーチン・ハラショー!」サボターが笑い、拍手した。「どうですびっくり驚きましたでしょうか?今のはたいした爆発ではありません、私も死んでしまう、いけないです」

「下衆め……!」ディンタキ=サンが吐き捨てた。「バリショーイヤ スパシーバ!あなた義に厚い社長=サン、そことても日本的です。無関係乗客さんあなたのため死んだら夜眠れないね?我慢比べと行きましょう。これゲームです。私あんまり難しいゲームないね。あなたギブアップしましょう早く」

「お客様……アイエエ!」フスマ式ドアーがノックされ、緊迫した様子の添乗員が入ってきた。そして室内の惨状を見て短い悲鳴をあげた。「下がれ!」ディンタキ=サンが叫ぶが、「イヤーッ!」サボターが投げたロシア風スリケンが添乗員の耳の隣の壁に突き刺さる!「アイエエエエエ!」

「あなた、何も問題見ないかった、いいですよね?」サボターが言った。蒼ざめた添乗員は無言で素早く頷く。「変な事しない。私が爆弾爆発する、あなた達いけないでしょう?」添乗員が頷く。「ウォートカはありますか?私サケは好きでない」添乗員が頷く。「では持ってきて!」「アイエエ!」

 添乗員がまろび出て行くと、サボターはディンタキ=サンに向き直った。「乱気流を抜けるまでが時間リミットです。それまでに決めるいいですね。爆弾、翼だけでない。乗客さん達殺して行ってもいいですし。助かるしてもいいし。ゆっくり考えて。私はウォートカでも飲みながら待ちます」

 そしてナンシーに言った。「あなたは別の用事あります。あなた生かすします、あなたに興味ある人シンジケートに多い。一緒に連れて行く。名前、仕事、教えてください。言わないでなら、個人的に体に訊くも楽しいですろう。でもそれは後の事です」

 BLAM!BLAM!BLAM!ナンシーは発砲で答えた。「パンキ!」サボターは左側へパンキ・ジャンプしてそれをかわす!ニンジャ反射神経の前に拳銃は無力なのだ……!さらに撃とうとするナンシーの側面に回り込んだサボターがナンシーの首筋をチョップする。「イヤーッ!」「アイ……」

 意識が混濁し、ナンシーは床にへたりこんだ。サボターは素早くナンシーの腕を後ろ手に縛り上げた。「あまり面倒をかけるいけない!さあディンタキ=サン、いかがですか?乱気流そろそろ抜けるではないか?」

 さきの添乗員がウォッカとキャビアをワゴンに乗せ、恐る恐る戻ってきた。「ハラショー!」サボターはロシア風メンポをずらし、ウォッカのボトルをあおった。「ウォートカは祖国を思い出させます」

 ボトルの三分の一を一息に飲むと、サボターは添乗員に凄んだ。「あなた自身の責任において、ここであった事を外にバレるいけないする事。他の人が入るさせない事。わたし幾つか爆弾しかけてます。飛行機落ちる。さっきのも私です、わかりますね?」添乗員は頷いた。そして逃げるように去った。

「もうすぐ乱気流を抜けます!」サボターが強く言った。「ハンコを出しなさい!」「……!」ナンシーは徐々に意識を取り戻しながら、押し問答を聞いていた。ディンタキ=サンは歯を食いしばっている。不本意な方法で己が一から築き上げてきたカイシャをソウカイヤに奪われるのだ。その決断は苦い。

 どれほどの沈黙が経過しただろう。サボターはゆったりとキャビアをつまみ、ウォッカをあおりながら待った。やがて飛行機は乱気流を抜け、明け方の空が地平線を染める。「……わかった。ハンコだ」

「シトー?」サボターが聞き返した。「ハンコはここだ……」ディンタキ=サンは右手の薬指をねじった。すると薬指はキャップのように外れたではないか。ケジメしていたのだ!なかにはベッコウのハンコが収められていた。なんたるサイバネ的隠匿!

 義指に隠されたハンコを奪い取ったサボターは、オリガミ・メール式の委任状に素早く判をついた。「スパシーバ!これでキロバキ=サンは社長なれます。これであなた、もういらない。当然、シンジケートの関与を知っているあなたがこのまま生還する、いけません」ナムアミダブツ!

 サボターはウォッカ瓶を投げ捨て、パンキックの予備動作を取る。処刑!ディンタキ=サンは絶望的な反撃をあえて試みる事もなく、穏かな表情でナンシーを見やった。「名も知らぬスチュワーデス=サン。ワシの生は、まことに不条理な幕切れだ。だがワシは、醜い行いやダマシに手を染めず死んで行くのだ」

 ナンシーはなかば殉教者めいたディンタキ=サンの表情に、不思議な輝きを見た。「スチュワーデス=サン。あなたが生き延びられたら、せめてあなたはワシの死に方を時々でも思い出してください。ワシは誰にも恥じることのない生を送り、誇りを胸に死ぬ。それはこのニンジャにも邪魔する事はできぬ」

「イヤーッ!」サボターは腰に手を当て、前蹴りを放った。ディンタキ=サンの首は折れ曲がり、180度後ろを向いて絶命した。「この国のこういうセンチメンタリズム嫌いですね」サボターは冷たく言い放った。「あなた、さっき言ったとおり生かします。でも乗客の皆さん、いけません」ナムアミダブツ!

「何を……?ディンタキ=サンはカイシャも命も、あなたの言われるままに差し出した。同じ飛行機に乗り合わせた、見ず知らずの乗客のために。説明のつかない責任感のために。彼はそれを『誇りのため』と言った……それを、約束を反故にするの?」ナンシーは責めた。サボターは肩をすくめた。

「死んでしまえば約束など意味ないです。私、好きにできる。そうでしょう?……このあと飛行機は謎の爆発を起こして墜落、ディンタキ=サンは乗客乗員もろとも事故死つまり自然死です。私とあなたはパラシュートで飛行機からダ・スヴィダーニャする。キロバキ=サンは委任状で社長なる。全て合理性」

 ゴウランガ!なんたる外道!サボターは何の罪悪感もないのである!彼は窓の外の曙を見た。「おや!もうすぐ富士山の上空でないですか?ウキヨエ的な美、実にハラショーです。乱気流も抜け、いつでもこの飛行機を吹き飛ばしてダ・スヴィダーニャできます……シトー?」サボターはナンシーを見た。

「地獄の猟犬がつきまとう……」ナンシーはサボターを睨み、呪うように呟いた。「あなたが許される事はない」サボターは首を傾げた。「シトー?あなた、賢い女性思ってましたが、この国のシャマニズム毒されているですか?くだらない事ですよ。インガオホーですか?ハッハ!……ん、シトー・ターム?」

 サボターは窓の外の空を二度見した。この旅客機のすぐそばを、大きな鳥のような影がよぎったからだ。ナンシーはその影をよりはっきりと目にしていた。もちろんそれは鳥ではない。それは……セスナ機だ。

「シトー・ターム?パニマーエチェ!?」サボターは不審そうに窓の外を凝視した。今やそのセスナ機は旅客機と並んで飛行している。翼の片方には「忍」、もう一方には「殺」。黒い太陽のモチーフの中に、金色で恐ろしい文字が描かれている。

 セスナからはロープめいたものが伸び、旅客機のどこかに引っ掛けられているようだ。どうやってそんな事を……?「シトー?」サボターはナンシーを見た。ナンシーはかぶりを振った。しかし彼女にはわかっていた。どういう理由によってか、「彼」は現れたのだ。この富士山の上空に。ニンジャを殺す為に。

 サボターは窓に顔をくっつけて、セスナの様子を伺おうとした。なにか影が飛び出し、セスナから旅客機の尾翼へ渡って行ったように見えた。「何か知っているのですか?シトー・ターム?」ナンシーを見る。彼女は無言だった。ただ冷笑した。サボターは再び窓の外を見る。「一体……アイエエエエエ!?」

 サボターは悲鳴をあげた。彼は窓の強化ガラス一枚を隔て、逆さまにぶらさがった顔と対面していた。その顔は、セスナの禍々しい意匠と同じ「忍」「殺」と彫られたメンポに隠されていた。「地獄の猟犬がつきまとう」ナンシーは冷たい声で、繰り返した。「許される事はない」



4

「アイエエエエ!アイエエエエエ!アイエエエエエ!ニンジャ!ニンジャ……スレイヤー!?」サボターはバク転して窓から飛び離れ、左足を上げ右手を前につき出した姿勢の「パンキ第一防御の構え」を取った。「シトー!なぜこんなところに!」

 逆さに顔を見せた赤黒のニンジャはすぐに窓から見えなくなった。次の瞬間、振り子のように繰り出された両脚が窓の強化ガラスを一撃で粉砕、殺気の塊が機内へ飛び込んできた!とたんに、気圧差でファーストクラスの調度や秘書の死体、SPの死体が外へと吸い出される!

「Nooo!」縛られたナンシーは必死でそれらと運命を同じくされる事から逃れようともがいたが、力及ばず!ナムサン、吸い出されかかる!しかし侵入ニンジャは片手でナンシーの体を掴み、抱きかかえた!「ニ、ニンジャスレイヤー=サン」ナンシーは震えながら赤黒のニンジャの顔を見上げた。

 自由な方の手で、赤黒のニンジャは侵入時に持ち込んだバイオ強化フロシキを拡げ、割れた窓の枠に沿って無数のスリケンを投擲。難なく穴を塞いでしまった。タツジン!スゴイ級のダイク・アーキテクトにも無理な処置である!

「ウワサにたがわぬ命知らずですねあなた!ソウカイ・シンジケートに楯突くイジオーット。ここは高度何メートルですか?あんなセスナで?スマー・サショール(狂っているのか)!?」パンキ第一防御の構えを持ち前のニンジャ平衡感覚で維持しつつ、サボターがまくし立てた。

 赤黒のニンジャはナンシーを床に下ろし、冷徹にオジギした。「ドーモ、ハジメマシテ。ニンジャスレイヤーです」サボターはしかし、パンキ第一防御の構えは崩さない。シツレイ!彼は日本的な礼儀作法を本質的に軽蔑しているのだ!「オーチン・プリヤートナ、ニンジャスレイヤー=サン。サボターです」

「ニンジャ殺すべし」ニンジャスレイヤーは即座に言い放った。「どうして私がここに?それはオヌシを殺す為だ。だがオヌシを絶望させる為に、もう一つ教えてやろう」そして、足元にポラロイド写真を投げつける。太ったサラリマンが後ろ手に縛られ、膝をついた写真だ。

「ア、アイエエエ!?キロバキ=サン!?エータ カーク ジェ!」写真を見たサボターは動揺のあまり、パンキ第一防御の片足立ちのバランスを崩しそうになった。「イヤーッ!」すかさずニンジャスレイヤーがジャンプからの回し蹴りを放つ!

「パンキ!」ナムサン!またしてもパンキ・ジャンプだ!大の字に両手足を開いたサボターは横跳びに蹴りをかわす!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはすかさずスリケンを投げる!「パンキ!」「イヤーッ!」さらにスリケンを投げる!「パンキ!」「イヤーッ!」さらにスリケンを投げる!「パンキ!」

「イヤーッ!」「パンキ!」「イヤーッ!」「パンキ!」「イヤーッ!」「パンキ!」ニンジャスレイヤーはスリケンを投げては側転し、サボターはそれをそのつどパンキ・ジャンプで避ける。その応酬は果てしなく続くかと思われた。ニンジャ持久力に「スタミナ切れ」という概念は通常、存在しないのだ。

 しかし!「グ、グワーッ!?」パンキ・ジャンプの着地時にサボターは体制を崩し、床を転がった!「グワーッ!」おお、見よ!サボターのロシア風足袋の裏には禍々しいトゲの塊が刺さっている。これぞ平安時代のニンジャが用いやがて失われた道具…地面に撒いて機動力を封じる非人道武器「マキビシ」だ!

「チョ、チョルト!」サボターは痛みにのたうちまわった。「チョルト・バジミー!シトーエータ?」タツジン!ニンジャスレイヤーはスリケンを投げながら、抜け目なくこの非道な武器を床に撒いていったのである。さながらゲイシャ・スパイダーが松の木の枝あいに巣を張るが如く……!

「ソウカイヤのにわかニンジャがこの奥義を知らんのも無理はない」ニンジャスレイヤーは冷たく言った。ナンシーはその言動に言い知れぬ不安を覚え、メンポの奥のニンジャスレイヤーの目を見た。だがキユウ・アングザイエティだった。あのセンコ花火のような狂った目ではない。理性の光があった。

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはカラテ的なストンピングでサボターを仕留めにかかった!「パ、パンキ!」サボターはマキビシ地帯から離れるように床を横にゴロゴロと転がる。パンキドーの特殊回避動作、ワーム・ムーブメントである!

 脳天を踏み砕かれる寸前で、サボターはニンジャスレイヤーのストンピングを避けた。シブトイ!そのままゴロゴロと丸太のように高速で床を転がり、寝たままの姿勢で陸揚げ直後のマグロのようにジャンプすると、フートンの向こう側へと滑らかに着地した。

「クラースヌィースニェクパイシオット!」サボターは毒づき、嵐のようにロシア風スリケンを投げつける!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは膝を抱えた姿勢で前転ジャンプし、連射されるロシア風スリケンを避けた。そのままカカト落としでサボターの脳天を狙う!

「パンキ!」サボターは稲妻のような速度で前後に開脚して姿勢を下げると、フートンの端を掴み、頭上へ投げた。フートンは柔らかい遮蔽物となって、振り下ろされるニンジャスレイヤーのエリアル・カカトを包み込んだ!「パンキ!」とっさにサボターはワーム・ムーブメントで部屋の角へ退避する!

「フバーチット!」サボターが叫んだ。「もう十分です。こんなくだらないカラテ比べ、私付き合うしません。旅客機ごと、あなたおさらば、私さよならする!」サボターは再び起爆装置を取り出した!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはスリケンを投げた。サボターはニンジャスレイヤーをまだまだ侮っていたのだ、早撃ちのガンマンめいたその投擲速度は瞬きよりも速く、ボタンを押し込もうとするサボターの親指に命中、吹き飛ばした!「グワーッ!」ケジメ!投げ出された起爆装置が宙を飛ぶ。

「イヤーッ!」もう片方の手が時間差で投げたスリケンが、空中の起爆装置をさらに弾き飛ばした。サボターが失敗ジャグラーめいて、起爆装置を掴み損ねる。「イヤーッ!」さらに今度はニンジャスレイヤー自身が跳ぶ!空中回し蹴りがサボターより一瞬速く起爆装置を捉え、部屋の反対の角へ弾き飛ばした。

 そしてその時、ナンシーは自らを後ろ手に拘束していたニンジャロープをついに切断した。窓ガラスの破片を使ったのだ。遊んでいる暇はない。ナンシーはこの瞬間において自分自身に与えられた役割を、ニューロンが焼けるほどに強烈に理解している。彼女は弾かれたようにフスマ式ドアーへ駆けた。

「ストーイ!」フスマ式ドアーへ手をかけたナンシーの背中めがけ、サボターがロシア式スリケンを投げつける!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはペナルティキックを止めるゴールキーパーめいて、射線上へダイブした。そして、伸ばした手の中指と人差し指で、危険なスリケンを挟み取った。タツジン!

 ニンジャスレイヤーはダイブから前転で着地、ジュー・ジツの構えでサボターに向き直った。「気が散って仕方がないようだが、オヌシの相手はこの私だ」そしてナンシーに目配せした。ナンシーは素早く頷き、フスマ式ドアーを引き開けると、ファーストクラス客室を飛び出した。



5

「カシマール……」サボターは再びパンキ第一防御の構えを取った。二人はディンタキ=サンの死体--吸い出されずにいた--を挟んで睨み合った。「あなた一体なにが目的ですか……既に何人あなたがシンジケートのニンジャ殺したかわからないです……なんで邪魔する……」

 ニンジャスレイヤーは無感情な目でサボターを見据えた。「わかる必要は無い。死ね」

「イヤーッ!」サボターがロシア風スリケンを投げつけた。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーがスリケンを投げ返した。スリケンは空中でぶつかり合い対消滅!

「イヤーッ!」サボターがさらにロシア風スリケンを投げつけた。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーもスリケンを投げ返した。スリケンは空中でぶつかり合い対消滅!

 スリケンの投げ合いは見る見るうちに速度を増し、二者の間で火花が激しく飛び散りはじめた。応酬の中、二者はちらちらと床の隅に転がるものを見やる。無論それは起爆装置である。

 サボターは隙さえあればその起爆装置を拾い上げ、なんとしてでも旅客機を爆破する腹づもりだ。ニンジャスレイヤーもその意図を承知している。スリケンの投げ合いは苦しい持久戦であった。

「チョルトバジミー……」サボターのこめかみを汗の粒が流れ落ちる。右手親指をケジメされた状態でニンジャスレイヤーのタツジン的なスリケン攻撃と渡り合うのも限界だ。彼は賭けに出た。

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーがスリケンを投げた瞬間、「パンキ!」サボターは床に大の字になって這いつくばった。その速度、コンマ二秒!スリケンが背後の調度品に立て続けに突き刺さり、鋭い音を立てる。サボターはそのまま素早い匍匐前進で起爆装置へ突進する!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはアンダースローでスリケンを投げつけた。匍匐前進するサボターの無防備な脇腹に鋭利な刃が突き刺さる!「グワーッ!ハラショー!」しかしサボターはダメージに耐え、起爆装置をつかみ取っていた。ウカツ!

 スリケンはサボターの体内で砕け、腎臓に重篤なダメージを与えた。しかしサボターはパンキ呼吸法で当座の苦しみを封じ込めた。彼は起爆装置を掴んだままワーム・ムーブメントでゴロゴロと転がり、間合いをとって立ち上がった。「サチューストブユバム!」無事なほうの親指でスイッチを押す。起爆!


◆◆◆

 ズドム!ビジネスクラスに閃光が走り、白い粉塵が立ち込めた。スナバはモマメをかばい、座席の下に身を屈めた。ビジネスクラスの方向から断末魔の悲鳴がてんでにあがる。「アイエエエエエ!」「アーアイエエエ!」「アバーーッ!」アビキョウカン!

 機体が大きく揺らぐ。スナバはうろたえ、吐き気をこらえた。「パパ!パパ!コワイ!」モマメが一層強くスナバにしがみついた。「コワイけどモマメは泣かないよ!」こんな幼子が、眉間にシワを寄せて泣くのをこらえている。スナバは目に涙をためた。恐怖からではない。

「アイエエエエエ!」「アーッ!」「アイエエエエエ!」「ゲボーッ!」叫び声、嘔吐音の地獄の中、スナバはシートの陰から顔を出し、爆発の方向を伺った。白い粉塵に覆われ、歪んだシートに死体が寄りかかっている。しかし爆発の規模は小さい。機体に穴が空いたりはしていないようだった。

「ドーモ機長です!ただいま原因不明の爆発が!でも飛行は問題ありません!どうか落ち着いて!できるだけ落ち着いて!暴れてはいけない!」機内アナウンスが鳴り響く。乗客は恐慌の一歩手前で留まり、救命具を身につけ、震えていた。ALAS!日本人のオネストな遺伝子あらばこその適切な態度!

「パパ……」モマメは嗚咽をかみ殺していた。「えらいぞ、モマメ=サン、えらいぞ!」スナバは娘の手を強く握った。「ブンブクチャガマの歌を歌おう、小さくな」「うん」ブンブンブクブク……モマメが小声で歌い出す。スナバは窓の外を見た。フジサンだ。曙の太陽を受けるその威容が涙を誘う。

 スナバは絶望的に考えを巡らす。では下に広がるのは樹海ジャングルだ。強制着陸もままならないのではないか。いや、仮にもし不時着し生きながらえたとして、どうしてバイオゴリラやバイオニワトリの襲撃を避けながら人里まで辿り着けるだろう?恐らく、運命は……いや、だめだ!

 スナバはモマメの手を握り、ビジネスクラスから漂いくる粉塵と血のにおいを意識から締め出した。そして、ベッドから身を起こした妻の弱々しい笑顔を思い浮かべた。『手術がうまくいったら、ジョルリを見に行こう。そしてスキヤキを食べよう。約束です』スナバの言葉に、困ったように頷く妻を。

 生きて帰る、必ず迎えに行きます、モマメと一緒に。そして上手にシシマイ体操を踊るモマメを見ましょう。約束です。約束です。


◆◆◆

 ナンシーは機関室のカーボン・フスマを引き開けた。ロックに悩まされることはない。サアイ11号の認証システムは潜入時に完全掌握しているのだ。「アイエエ!き、君、何を……君、だれだね?」副機長が驚いてナンシーを見た。「黙って。集中して」

「な、何をするんだね君ィ!」コンソール脇にしゃがみ「普段は開けない」と厳格なゴシック体で書かれたダイヤルロック式のカバーを開放したナンシーを副機長が咎める。操縦桿と格闘する機長はしかし、ピシャリと言った。「オミ副機長サン!やらせなさい!何かあるのだ。疑うな!ただ最善を尽くせ!」

「話がわかるわね」ナンシーは無感動に言った。カバーを開けて表れた機内LANジャックにケーブルを挿し、もう一方の先端を、自分の右耳の後ろに開いたバイオLANジャックに接続した。


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 ナンシーは殺風景な業務用茶の間の姿を取った電子コトダマ空間に着地した。掛け軸には「機内LANを動かしたり管理する」と毛筆されている。目の前のチャブ台には重箱が置かれている。ナンシーはチャブ台の前で素早く正座し、重箱の蓋を開けた。

 重箱の中にはさらに重箱が入っている。その蓋を開けると、さらに重箱。ナンシーは素早くタタミに這い、チャブ台の裏を確認した。ブルズアイ!重箱はダミーで、チャブ台の裏に張り付いた半紙が本体だ。ナンシーは迷わずこれを剥がした。

 すると、室内に五つ、ボンボリめいた鬼火が浮かび上がる。鬼火の中に複雑なロシア文字が泳ぎ回っている。機内LANを利用して、起爆装置と爆弾とを連動させているのだ。ナンシーの読みは当たった。

 サボターがリモコン型のIRCトランスミッターのスイッチを押すと、機内の何処かに設置された受信機が信号を受け取る。受信機は機内LANシステムをハッキングしており、それを通路がわりにして、LAN接続された爆弾にIRCで「/ignite」の命令を送る。すると、カブーム!だ。

 五つの鬼火はチャブ台の裏から伸びた燃える縄で互いに結ばれている。五つのうち三つはオレンジに燃えており、残る二つは灰色だ。

 この鬼火がすなわち爆弾のアカウントだ。起爆する順序はあらかじめ決められているようだ。爆弾は徐々にクリティカルなものになっていく。最初は単なる脅しで、翼に設置された爆弾。次は客室。さっきの揺れはそれが爆発したのだ。おそらく複数の乗客が巻き込まれ死んだはずだ、ナムアミダブツ。

 そして次は……。「!……イヤーッ!」燃える縄を伝って光が走るのを確認したナンシーは、物理法則を無視した速度の仮想キックで燃える縄を切断した。行き場を失った光が中途で立ち消える。切断された縄がすぐさま自動修復を開始した。ここからがナンシーの正念場だ!



6

 ナンシーが畳を強く叩くと、空中に三つのコケシbotが出現した。それぞれが鬼火に突進していく。ナンシーは己のニューロンがスパークする感覚を味わう。複数のコケシbotをログインさせるのは彼女にとって初めての試みで、負担も大きい。だがそれ故、サボターの急ごしらえの起爆アカウントなど……


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「ファンタースチカ!」サボターは手を叩いて喜んで見せた。「今のわかりますね?ビジネスクラス、カブームです!あなたその勝ったつもり気に入らない私です。ええ?ニンジャスレイヤー=サン。計画が破綻これとても残念です、だから私徹底的にやります。この旅客機ごとクズ鉄ネギトロ、ロシア的に!」

 サボターは挑発的にニンジャスレイヤーに背中を見せて言った。「これわかるですろうか?このニンジャ装束パラシュート内蔵の仕組みするしてる。あなたそれ無いね、ハイ次はエコノミークラスです、ウラー!」起爆!

 ……起爆!

 ……起爆!……?

「シトー?シトースタボイ!?」起爆!起爆!サボターは何度もスイッチを押し込む。無反応である。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはすかさずスリケンを投げつけた。「グワーッ!」無事だったサボターの左手親指が吹き飛んだ。ケジメ!

 起爆装置が転がり落ちた。ニンジャスレイヤーはケジメされた両手親指付け根から鮮血をしたたらせるサボターへ突き進んだ。「ご自慢の爆弾は上手くいかなかったようだな」「パ、パンキ……」サボターはパンキ第一防御の姿勢を、「イヤーッ!」「グワーッ!」

 ニンジャスレイヤーの稲妻のような側面蹴りがサボターの横面に叩き込まれた。サボターは派手に回転しながら吹き飛んだ!「グワーッ!」しかし、おお、見よ!彼とてやはり一流のニンジャ!吹き飛ばされながら、彼は床に手をつき側転した!「パンキ!」

 そのまま窓の強化ガラスを……飛び蹴りで突き破る!「イヤーッ!」ナムサン、自殺行為か!サボターは窓枠にしがみつき、そのまま旅客機の外側を伝って天井へよじ登り始めた!ニンジャスレイヤーはサボターの思惑に思い至り、素早く後を追う!

 再びファーストクラスの調度が気圧差で外へ吸い出される中、ニンジャスレイヤーはサボターに続いてガラスの割れた窓枠を乗り越え、機外へ身を乗り出した。サボターは飛行する旅客機のボディをよじ登って行く。なんたるニンジャ握力!

 ニンジャスレイヤーは室内からディンタキ社長が吸い出されて空の彼方に飛んで行くのを一瞥した。ナムアミダブツ!「起爆装置だめなら直接吹き飛ばすするばかりですこれが!」サボターはボディをよじ登りながら、下から追うニンジャスレイヤーに言葉を投げかけた。

 やがて、サボターとニンジャスレイヤー、 二人のニンジャは、高速飛行する旅客機の巨大な背の上で直立し、向かい合ったのである。ニンジャ眼下では、地平線を赤く染める日の出とフジサン!

 ニンジャスレイヤーはサボターの視線を追い、尾翼に接着された小さな四角い機械装置を見た。ニンジャスレイヤーはサボターと尾翼の間に立っている。なるほどあれが爆弾だ。サボターは直接あれを破壊する腹づもりというわけか。

「どのみちオヌシはここまでた、サボター=サン」ニンジャスレイヤーはジュー・ジツの構えをとり、素早くサボターへ近づいた。サボターは両足で旅客機の背を踏みしめ、両手のひらをニンジャスレイヤーに向かって構えた。パンキ第三防御の姿勢である。

「イヤーッ!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーの飛び込みチョップとサボターのパンキ・パンチが交錯した。「グワ……」サボターのロシア風メンポの呼吸口から血がこぼれた。腎臓のダメージは深刻である!

「イヤーッ!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーの膝蹴りを、サボターのパンキ裏拳が相殺する。「グワ……」ふたたびサボターは血を吐いた。腎臓のダメージがとにかく深刻なのだ!

 よろけてたたらを踏んだサボターは、パンキ・サマーソルトキックを打った。「イヤーッ!」しかしニンジャスレイヤーは苦し紛れのカウンター狙い攻撃にはかからない!「観念してハイクを詠め、サボター=サン」ニンジャスレイヤーは無慈悲に言い放った。

「わたしアナタこと侮ってました、認めます」距離を取ったサボターは震えながら言った。「だが私侮るさせるしない。計画もう知らない。ダークニンジャ=サンにあなた死亡のニュースかわりに届けるします。そして是非この旅客機も爆破するします必ず」彼は震える手で懐から注射器を取り出した。

「!!……イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはスリケンを投げ、注射行為を阻止しようとした。「パンキ!」サボターは前後開脚してスリケンを回避!己の首筋に薬物を注入する。無論その薬物はズバリだ!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはさらにスリケンを投げる。「パンキ!」サボターはパンキ開脚姿勢からワーム・ムーブメントへ移行、転がってスリケンを回避!しかも、転がりながら二本目のズバリを首筋に注射した!

「イヤーッ!」「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーが繰り出す飛び込みチョップを、サボターは活力みなぎるパンキ・パンチで相殺した。先程とは別人の力強さである。「イヤーッ!」続けて繰り出したパンキックが、ニンジャスレイヤーを弾き飛ばす!「グワーッ!」

「フショーフ、パリャートケ…」サボターはさら一本、首筋にズバリを注射!腎臓のダメージもケジメのダメージも、薬物のブーストがフジサンのビジョンの向こうに吹き飛ばす。ナムアミダブツ、だがそれは確実に致死量!「ウガシャーイチェシ!イヤーッ!」サボターのジャンプ・パンキックが襲いかかる!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは電撃的なチョップでパンキックを迎え撃つ。そのまま二者は乱打戦になだれ込んだ。見よ!高速飛行する旅客機上において、まさにそれは慣性の法則とニンジャ重心コントロールの極めて高次元のチョーチョーハッシ!スゴイ!

「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」


◆◆◆

「お父さん!パパ!ねえパパ!」モマメが窓の外を繰り返し指差した。「あ、危ないからあんまりうごいちゃダメだ!」「でもパパ!あれ!ねえ!見て!パパ!」

 モマメが指差す先をしぶしぶ確かめようとしたスナバは、いったい自分と娘はいかなる幻を見ているのかと訝った。旅客機の翼の上に二人の……そう、二人。人間だ!……二人の人間が飛び移り、お互いに激しくカラテ技をぶつけあっている。二人はそれぞれ、ニンジャの……装束を……

「パパ!ニンジャだよ!ニンジャ!」「モマメ=サン!シーッ!静かに!そんなわけが無いだろう……!一緒に目をつぶって、ブンブクチャガマを……」「アイエエエエエ!」前の席の老人が絶叫した。「あれはなんだ、ニンジャか!?」「ニ、ニンジャ!」「ここからじゃ見えないぞ……」

 客席がどよめいた。窓際の人間は窓ガラスに顔を押し付ける。「どうか、どうか皆さん落ち着いて!機は問題なく飛行できております!ビジネスクラスの消化作業も完了して……」添乗員が早足で通路を歩きながら、毅然とアナウンスする。

 スナバは呆然と、翼の上で繰り広げられる神話的なニンジャの戦いと、フジサン、日の出の太陽を見つめていた。その光景はまるで何かの啓示のようであった。極限状態下に現れた謎めいた美を前に、スナバは目を覆い、号泣した。


◆◆◆

「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの裏拳がサボターの右胸を直撃した。ニンジャスレイヤーは敵の肋骨を数本まとめて砕いた手応えを感じ取った。だがサボターの動きが鈍ることは無い。致死量のズバリは過剰なアドレナリンを分泌させ、サボターを不死の殺人機械めいた存在と化したのだ。

「イヤーッ!」サボターが直線的なパンキックを繰り出す。「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはブリッジでそれをかわす。「イヤーッ!」サボターは翼の上からボディへ再度ジャンプした。そして尾翼へ向かって猛然とダッシュする!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーもボディへ再び飛び移った。ダッシュするサボターに全速で追いすがる。走りながら、その背中へスリケンを連射!「イヤーッ!」「パンキ!」サボターはワーム・ムーブメントへ移行、スリケンを避け、そのまま旅客機の背をゴロゴロと高速で横回転しながら尾翼を目指す!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは殺人スライディングを繰り出し、転がるサボターを狙う!「パンキ!」サボターはぎりぎりのところでワーム・ムーブメントをジャンプ解除、側転して殺人スライディングを回避!そのまま繰り返し側転しながら尾翼へ迫った!

 サボターは尾翼にしがみついた!爆弾を手動で操作し、信管作動にかかる!ナムアミダブツ!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはスライディング姿勢で滑りながら、おそるべき速度でスリケンを連射した。狙いは尾翼の爆弾である!絶妙なコントロールによって、尾翼との接合部を破壊しようというのだ。

「イヤーッ!」サボターは尾翼にしがみつきながら、爆弾に備わった実体キーボードを展開し、キーを弾いた。「イ」「マ」「ス」「グ」だが、親指がケジメされた状態に不慣れであった為か、ズバリの高揚ゆえか、不完全な日本語故か……「バ」「ク」「ハ」「シ」……痛恨のミスタイプだ!

「チョルト!チョルト!チョルト!チョルトバジミー!」サボターは悶絶した。その直後、「イヤーッ!」雨あられと飛びきたったニンジャスレイヤーのスリケンが、接合部を破壊!爆弾は空の彼方へ置き去りにされていった。

「ボージェ・モイ!カシマール!」毒づきながら尾翼から滑り降りたサボターに、ニンジャスレイヤーが突き進む。「観念せよ!」「ニェー・ポニョ!」

 ナムアミダブツ!なんたる往生際の悪さ!恐るべきはズバリのオーバードーズとニンジャ瞬発力の相乗効果である。いや、何よりそれは、死に際に発揮される超自然の力……カジバ・フォースであろうか!?サボターは弾かれたようにニンジャスレイヤーをかわし、再び駆け出す。目指すは機首、操縦席だ!

「イヤーッ!」


◆◆◆

「ンアアアッ!」ナンシーは後ろへ弾き飛ばされ、現実の世界……操縦席の傍らへ帰還した。ホワイトアウトした視界が急速に回復、身震いするような重力の感覚が戻ってくる。ナンシーは鼻血を拭い、気力を振り絞って立ち上がる。

「どうなったの?今は?」機長に問いかける。機長はナンシーを見ず、操縦桿と格闘しながら答える。「爆発はあれ以降は起こっていない。君が何かしたのか?」「それならいいのよ」ナンシーはこめかみを指で押し、頭痛を追い出そうとした。

 ナンシーが操るコケシbotは爆弾の起爆アカウントを三個同時にセッションから強制切断、無力化した。どうやらうまく行ったのだ。サボターは歯噛みして悔しがっているに違いない……サボターは……「アイエエエエエエエ!」副機長が絶叫した。

 ナンシーは顔を上げた。そしてフロントガラスを挟んですぐ前に、視界を遮るように着地したガンメタル色のニンジャ装束におののいた。サボターは血まみれだった。いかなる戦いが繰り広げられたのか。では、ニンジャスレイヤーは……まさか……!?

 サボターが腕を振り上げた。パンキ・パンチでフロントガラスを破壊するつもりだ。そうなれば……「イヤーッ!」

 ナムサン!その瞬間、サボターの背後に降り来たったニンジャスレイヤーがサボターの頭を両手で掴み、なんの躊躇いもなく、力任せに捻ったのだ!サボターの首だけが真後ろを向き、途端に、糸のきれたジョルリ人形よろしく、ぐったりと絶命した。

 ニンジャスレイヤーはサボターの死体を機首から蹴り落とすと、ナンシーを一瞥した。ナンシーはなんとか笑顔を作り、無言で頷いてみせた。ニンジャスレイヤーは頷き返した。そして、「Wasshoi!」叫びと共に跳躍。フロントガラスの視界から消えた。


◆◆◆

「ドーモ。乗客の皆様、オツカレサマデス。安全で・早く・信頼性の高い、我々オバンデス航空をご利用いただき誠にありがとうございます。まもなくネオナリタ空港へ到着します。着陸時には……」

 機械的なアナウンスの後、やや上気した放送が続く。「ドーモ、機長です。なんとか……なんとか皆さんを送り届けることがかないました。皆さんのおかげ……しかしながら、たくさんの方が、今回尊い命を奪われたことを……」

 惨たらしい爆発と消化の跡をさらすビジネスクラス席を視界の端にとどめながら、スナバはぼんやりと、モマメの手を握っていた。もうすぐネオサイタマが見えてくるはずだ。「シシマイ体操、きっとうまくできるよ」何時の間にか目を覚ましていたモマメが明るく言った。その明るさが救いだった。

 今回の恐ろしい爆破テロは、地上にニュースとなって届いているのだろうか。術後の妻が心配していはしないか。早く会いたい。そしてジョルリを見て、スキヤキを……「もう怖くないよ、お父さん、ね、怖くないから、泣いちゃダメだよ、恥ずかしいでしょ」「そうだね、そうだね…」スナバは鼻をすすった。

「えらいわね、お嬢さん」添乗員が声をかける。スナバは慌てて目をこすった。金髪スチュワーデス=サンだ。スナバとモマメに、優しく微笑みかける。「チャをどうぞ。温まります。ヤツハシもあります」「ヤツハシ食べたい!」

 モマメが元気良く言った。金髪スチュワーデス=サンは笑い、スナバも困ったように笑った。「あ」落ち着かないモマメは、ヤツハシを持ったまま窓の外を見やった。「パパ!飛行機だよ!」スナバと金髪スチュワーデス=サンはそちらへ目をやった。赤黒のセスナ機が一瞬視界をよぎり、飛び去っていった。

【フジ・サン・ライジング】終わり


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