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【アトロシティ・イン・ネオサイタマシティ】

この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードの加筆修正版は、上記リンクから購入できる物理書籍/電子書籍「ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上3」で読むことができます。

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【アトロシティ・イン・ネオサイタマシティ】



 ニンジャスレイヤー死す。ネオサイタマのニンジャ裏社会を騒がせていた謎の復讐鬼は、ドラゴン・ドージョーとともに小型戦術核バンザイ・ニュークでアノヨへ行った。 

 ここはネオサイタマの掃き溜め、ツチノコストリート。様々な違法行為、違法基盤屋、殺人オスモウショー、オハギ屋などが横行する、電脳メガロシティの暗黒街の一つ。電子クラクションのコーラス。猥雑なネオンサイン。今夜もソリッドな重金属酸性雨が降り注ぎ、貧民たちのPVC傘を冷たく濡らす。 

 その濁流の中に浮かぶ、薄汚いビルディングの一室。十階の窓の横に掲げられた「今売れています」「お安い」「オスモウだ」の電子カンバンが、重金属酸性雨に撫でられてバチバチと火花を散らす。一見するとオスモウショップ以外の何物でもないが、実はヤクザクランの事務所である。

 サムライめいた鎧の上には「キルエレファント・ヤクザクラン」のショドーが厳しい書体で額に飾られている。伝統主義的なこのヤクザ事務所の中では、背広を着たグレーターヤクザのヤマヒロと、2人の無鉄砲なレッサーヤクザがソファーに座り、クリスタル机を囲んでのっぴきならぬ会合を行っていた。 

「ザッケンナコラー!」ヤマヒロが暴力を剥き出しにして机を叩く「このままじゃあ、100年続いたキルエレファントは終わりだ! 哀れな、痩せ細った象だぜ! ナメやがって! ソウカイヤの野郎ども!」「アイエエエエエ……」レッサーヤクザたちは恐れおののく。 

 ヨロシサン製薬などの暗黒メガコーポが日本社会を背後から操るこの時代。ヤクザ業界も事業統合や経営合理化が著しい。クローンヤクザの実用化により、プロパーやフリーランスの立場は悪くなる一方だ。キルエレファントは時流に乗り損ね、昔気質で人道的な経営を続けていたため、マケグミとなった。 

「ソウカイヤめ! ニンジャさえ! ニンジャさえいなけりゃよォ!」ヤマヒロは嘆く「奴らときたら、俺たちを蟻か何かのように殺しやがる! 俺たちは昔、弱肉強食ヒエラルキーの頂点だったんだぞ!? ちくしょうがよォ!」「あの、それなんですが」レッサーヤクザの一人が言う「相談できそうな人が……」 

 …その時!「ドーモ、ヤマヒロ=サン。バーグラーです。万札は用意しましたか?」ノックも無くフスマが空けられ、ソウカイヤの末端ニンジャが事務所に入ってきた!「アッハイ!」ヤマヒロが起立する。いかな末端ニンジャとはいえ、常人がニンジャと対等な立場で交渉を行うことなど許されないのだ! 

「このアタッシュケースの中に万札です。一部の札束は……見てください、ボンドでくっつけられた偽札で、中がくり抜かれて、この通り高純度大トロ粉末です」「足りません」「エッ!」「今月から2倍になったんですよ」「そんな話はソウカイネットから届いていませんよ!」「私が半分もらうんです」

 ナムアミダブツ! 何たる非道!? だがこれも詮無し! ドラゴン・ドージョー壊滅、ネコソギ・ファンド社の躍進、そして西のザイバツ・シャドーギルドとの間に結ばれた条件付不戦条約により、ネオサイタマ周辺におけるソウカイ・シンジケートの支配体制はさらに横暴さを増していたのである!

「ウオオオオオーッ!? ダッテメッコラー!?」激昂するヤマヒロ! だがバーグラーは軽々と彼の胸ぐらを掴み上げ、そのまま壁に放り投げた!「グワーッ!」飾られていたチャワン、フクスケ、コケシなどが落ちて割れる!「「ザッケンナコラー!」」ヤクザ2人が胸元の銃に手を伸ばす! ナムサン! 

「イヤーッ!」バーグラーの素早い回転カラテ蹴りが、左右のヤクザを襲った! ナムアミダブツ! ヤクザの首はティー上のゴルフボールめいて吹っ飛び、首から激しい血飛沫! そして2人は同時に後ろに倒れ、天井に向かって虚しく2発のチャカガンが発射された! サツバツ!「うちの若いモンを……!」

「まだ生意気な口を利くんですかァ?」バーグラーはヤマヒロの腹に蹴りを入れる。「アバッ!」「死なないように手加減します、安心してください。あなたは経営者ですからね」「……ゴホッ! アガッ! ……あのなァ、経営者だけじゃカネは作れねえんだぞ……?」「クローンヤクザが今売れています」

 ブッダ! ナムアミダブッダ! 何たる卑劣なソウカイ商法か! こうして彼らは、レッサーヤクザクランにも次々とクローンヤクザを導入させていくのだ! するとマージンが末端ニンジャにも入る! 恐るべきWINWIN関係である!

 だが皆さん、冷静になって頂きたい。いかなこの世の栄華を誇るソウカイヤといえどバーグラーの要求は無茶苦茶である。ヤクザクランに対して2倍の税金を課しピンハネなど言語道断だ。しかし今現在、首領ラオモト・カンとシックスゲイツは温泉旅行に行っており、末端の横暴ぶりは劣悪極まりない。 

「イヤーッ!」バーグラーはさらにヤマヒロの腹にカラテ蹴り!「アバーッ!?」特に理由など無い! ただ暴力を振るいたくなっただけだ!「……ちくしょオ! ブッダもオーディンもいねえのかアバーッ!?」おお、ナムサン! ニンジャスレイヤーは死んだ! もはやこのマッポーの世に、救いは無いのだ! 

 ……だがその時! ビル10階の窓ガラスが外側から割られ、銀色の背負い式ジェットエンジンを装備した謎の人物が、キルエレファントクラン事務所へと突入してきたのだ! 一体何者か!? 誰が彼を呼んだのか!? ヤクザスーツにテング・オメーン! その右手には赤漆塗りのオートマチック・ヤクザガン! 

「誰だ!? 貴様はァ!?」バーグラーが狼狽し、謎の侵入者を指差す「そ、そのテング・オメーン、もしや、貴様は!」ソウカイニンジャの脳裏に、ある男の名が浮かんだ。ラオモト・カンですら疎む正体不明の非ニンジャ存在にして、孤独なるニンジャハンター!「……神々の使者、ヤクザ天狗参上!」 

 ドスの利いたバリトン声が事務所に響く!(((ワッツ? 神々の使者だと? こいつは一体、何を言っているんだ?)))「ド、ドーモ、ヤクザ天狗=サン、バーグラーです」ただならぬ存在感と口上に気圧され、バーグラーはアイサツを決める。その時!「ザッケンナコラー!」ヤクザガンが火を噴いた!

 LAN直結された赤漆塗りのオートマチック・ヤクザガンが、論理トリガによって弾丸20発を高速射出する! BLAMBLAMBLAM!「グワーッ!?」アイサツを完了していないバーグラー! この卑劣な奇襲を受け、左肩から先が弾け飛んだ! 壊れたスプリンクラーのように、鮮血がほとばしる!

「アイエエエエエ!」身を屈めて恐怖におののくヤマヒロ!「イヤーッ!」3連続片手側転からの側宙で、仕切り直しを測るバーグラー! 彼の持つ脚力は人間の3倍である! 壁、棚、そして天井と機敏なパルクールを決め、クリスタル机の上に着地! ヤクザ天狗に対してスリケン投擲動作!「イヤーッ!」 

 だがオメーンの奥で薄緑に光るサイバーアイは、このニンジャの機動を完全に捕捉していた! ヤクザ天狗は容赦なく左のヤクザガンを抜き放つ!「スッゾコラー!」銃火が横一文字!「グワーッ!」バーグラーの腹部が破壊されて上半身が後ろに倒れ、投擲されかけたスリケンは虚しく天井に突き刺さる! 

「サヨナラ!」バーグラーは爆発四散! その頭部は二段式ロケットのように切り離されて壁にぶつかり、白目を剥いて絶命した!……静謐。オートマチック・ヤクザガンから零れ落ちる薬莢の音だけが、キルエレファント・ヤクザクランの事務所に鳴る。全弾撃ち尽くし。今回も、紙一重の勝利であった。

「ハァーッハァーッハァーッ……あんたは一体」ヤマヒロは失禁を堪えながら、謎のニンジャハンターを見上げていた。ヤクザ天狗は返事を返さない。短く刈り上げられた後ろ頭には、4個の違法バイオLAN端子が備わり、2個はヤクザガンに、もう2個は背負式小型ジェットエンジンに繋がっていた。

「……ニンジャはボーを振り上げ、ファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った……川の水は血に変わり、川の魚は死に、エジプト人はナイルの水を飲めなくなった」ヤクザ天狗は意味不明の一節を呟きながら、バーグラーの頭部へと近づく。そしてヤクザシューズで生首を転がし、上を向けさせた。 

 ヤクザ天狗はセンベイを2枚取り出すと、バーグラーの両目に重ねた。続いて、自らの小便とスピリタスを秘密の割合で混ぜた聖水入りの真鍮フラスコを取り出し、それを振りかけて火を放った。「ブッダエイメン!」…これは彼が考えたニンジャを蘇らせぬためのモージョーであった。彼は狂っていた。 

 ヤクザ天狗は踵を返し、クリスタル机の上に置かれた万札アタッシュケースに目を落とす。「…………」それを閉じ、持ち上げると、窓の辺りへ這い逃げていたヤマヒロのもとへ向かった。「あ、ありがてぇ! こいつはうちの若いモンが、マイコ・ポンビキや殺人クエストで地道に稼いだ金なんです!」

「これはニンジャハントの報酬として頂戴する」ヤクザ天狗は無慈悲に言い放った。「エッ!」ヤマヒロは困惑しアタッシュケースを掴む「そんなものを依頼した覚えは」。「ザッケンナコラーッ!」ヤクザ天狗の右ストレート!「グワーッ!」「スッゾコラーッ!」左!「グワーッ!」倒れるヤマヒロ! 

 ゴ、ゴウランガ! このヤクザ天狗という男は、果たして何者なのか!? ただの狂人なのか!? ヤクザなのか!? それとも天狗なのか!? あるいは!? ……ヤマヒロは死を覚悟した!「恐れ入りました。持って行って下さい。しかし命だけは」。すると……ヤクザ天狗は手を差し伸べ彼を引き起こしたのだ! 

「すまんな、本当にすまん。贖罪の聖戦には軍資金が必要なのだ」ヤクザ天狗は逞しい左肩同士を突き合せ、ヤマヒロの背中を叩いた。テング・オメーンの奥で、彼は涙を流しているようにも思えた。ヤマヒロは何が起こっているのか理解できず、殴られた左右の頬を摩りながら呆然と立ち尽くしていた。

「ではここまでだ!」ヤクザ天狗は万札ケースを掴み上げ、割れた窓枠に足をかける。錆びかけたジェットエンジンが、歯科医ドリルめいて甲高い音を上げ始めた! 浮遊するヤクザ天狗!「またニンジャが出たら私を呼べ! サラバ!」ブッダ! 彼は現れた時と同じように、また颯爽と消えてゆくのだった!

 ヤマヒロは呆然と窓の外を眺めていた。ヤクザ天狗の高笑いか、あるいはジェットエンジン音か、その残響はすぐにネオサイタマの闇に消え、ツチノコストリートから聞こえてくる罵声やクラクションやbeep音によってかき消された。ヤマヒロは年代物の武者鎧を身にまとい、夜逃げの決意を固めた。 




 数日後。小降りになった重金属酸性雨の中、オレンジ色の鎧装束をまとった男が、サスマタ・ストリートを足早に歩く。金色の刃物が生えたその兜飾りは、怒れる象の頭部を連想させる。彼はキルエレファント・ヤクザクランを解散してフリーランス・ヤクザとなった、ヤマヒロであった。

 彼のニューロンにはまだ、ヤクザ天狗の衝撃が深く刻み付けられている。天狗とは日本に古来から存在するフェアリーの一種で、赤く長い鼻を持ち、空を飛ぶという。しかしあの男は天狗ではなく、ヤクザでもなく、ヤクザ天狗であった。あの男を思い出すたびに、ヤマヒロは頭がどうにかなりそうだった。

 もうやめよう、あの男のことを考えるのは。ヤマヒロは自分にそう言い聞かせた。今はまず、新たな食い扶持を探さなくてはいけない。だからこの鎧を着てきたのだ。フリーランス・ヤクザとしての強さや、有無を言わせぬ威圧感などをアッピールするのに、この伝統的鎧ほど相応しいものは無かった。

 ペケロッパカルト、サイバーゴス、ブッダパンクス、無軌道学生、アンタイブディストといった社会の屑が行き交うこのサスマタ・ストリートでも、ヤマヒロの姿はひときわ目立ち、攻撃的なアトモスフィアを漂わせていた。横を通り過ぎたサイバーゴスたちが、後ろを振り返って、ヒュウと口笛を鳴らす。 

 ヤマヒロは餓えた獣の目で雑居ビル群を見る。ヨージンボーとして売り込める企業や組織がないかを、抜け目無く探しているのだ。グレーターヤクザである彼には、そのような臭いを嗅ぎ付ける能力が先天的に備わっている。また、それ以外の道で生きる方法を彼は知らない。彼は羊ではなく殺人象なのだ。

 そして見つける。雑居ビルの2階に輝く「完全なコンタクト」「実戦的」「非暴力主義」のネオンサイン。大カンバンに輝く「ケンリュウ・ハッカードージョー」の赤と緑のミンチョ体が、重金属酸性雨を浴びてバチバチと火花を散らしていた。ヤマヒロは明滅するタングステン灯の階段を登ってゆく……。



◆◆◆



 数日前、治安があまり良好とはいえないウナギ地区の暗い路地裏。 

 この路地裏に3人のニンジャが潜み、裏路地を出て右手にある回転スシバーを今まさに襲撃せんとしていた。全員が目元だけを露出した黒装束に身を包み、赤いヌンチャクや銃などを装備している。だが、その身のこなしやヌンチャクさばきは明らかに素人のそれだ。 

 彼らはソウル憑依者ではない。ましてやリアルニンジャでもない。彼らは近頃この界隈を騒がせるニンジャ強盗団である。「ニンジャの姿で強盗すれば、相手を実際威圧できるし、顔もばれないと思う」と考えたマズダ三兄弟の長兄タロが、ジロとサブロを率いてこの実際安い悪事を繰り返していたのだ。

「バリキ飲んだな? シャカリキ決めたか? あと10秒! 5、4、3、2、1! GOGOGO!」タロが拳銃とヌンチャクを掲げて駆け出す!ブラックジーンズとダウンベストにニンジャ頭巾というずさんな変装だ!「ウォーッ! アーポウ!」「ワオオオオオーッ!」後続の2人も奇声を上げながら走る!

 CRAAASH! ガラスが叩き割られ突入する三兄弟!「アイエエエエ!」恐怖に凍りつくイタマエと客! コワイ!「ウォーッ! 俺たちゃニンジャだ! カネを出せ!」「ワオー! レジのだけじゃねェ! 客もこの袋に財布入れろや!」「アーポウ! 抵抗するんじゃねえ! ニンポを使うぞ! ニンポを使うぞ!」

 ブッダファック! 何たる大雑把なニンジャ像か! ニンポとは、TVやコミックに出てくる偽者ニンジャが使う荒唐無稽なニンジャマジックのことである! 小学生ですら、このような愚かな行動は取るまい! ……だが、これが逆に利いた。イタマエや客は、この3人が完全な発狂マニアックだと思ったのだ!

 見よ! PVC袋はたちまち万札やクレジット素子で満たされる!「ズラカルゾー!」タロが命じ、ジロが袋を背負う!「動くな! アーポウ! ニンポを使うぞ! ニンポを使うぞ!」サブロは余程ニンポが気に入っているらしく、両手ででたらめなミステリアス・サインを作り、イタマエや客を威圧していた! 

 客の中には荒事に長けたギャングスタも1人混じっていたが、この彼でさえ黙って財布を袋の中に入れた。3対1で分が悪いことも確かにある。加えて日本人は、理性ではいくら否定しても「実は本当にニンジャであの両手からニンポによる稲妻が出たらどうしよう」と無意識のうちに恐れてしまうのだ。

 三兄弟は大笑いしながら回転スシバーを後にした。この行為は麻薬めいてやめられない。工場労働や単調アルバイトでは手に入らない大金とスリルと爽快感が一気に手に入るのだから。……だが、この日は違った! 上空に浮かぶネオサイタマ市警のマグロツェッペリンからサーチライトが照射されたのだ!

 ストリートに鳴り響くサイレン! 群れを成して迫るマッポビークル! 三兄弟は廃ビルに逃げ込み、階段を駆け上がった!「ハァーッ! ハァーッ! 兄ちゃん、どうしよう!」「掴まっちゃうぜ!」「大丈夫だ! 俺たちゃ実際1人も殺してねえ! 万が一掴まっても……よくわかんねえケド、何とかなるだ ろ!」

 三人は屋上に逃げ込んだ。息を切らしつつ耳を澄ます。錆びついた大型ファンがキイキイと軋み、パイプから漏れた水滴が小さく鳴っていた。聞こえるのはそれだけ……「逃げ切ったかァ?」……いや……少しして階下からマッポの足音が迫ってきた!「ブッダシット! 逃げ場が無えよ!」激昂するタロ!

「兄ちゃん、あれだ!」隣のビルの屋上を指差すサブロ!タロは首を横に振った「ワーオ! お前はイディオットか? 何メートルあると思ってんだ!」。「でもヨォ、兄ちゃん! 逃げねえと掴まっちまう! 映画で見たよ俺! 飛べるよ!」ジロも乗り気だ。タロも飛べる気になってきた。「…よし、行くか!」

 ナムサン! 何たる場当たり的な行動であろうか?! 皆さんも平安時代の剣豪にして哲学者ミヤモトマサシが残した「狂人の真似をしたら実際狂人」のコトワザを想起せずにはいられないだろう! だがこれも、教育や道徳や治安が頽廃しきったマッポーの世においては、チャメシ・インシデントなのである!

「GOGOGOGO!」「ワオーッ!」「ニンポ! ニンポ!」重金属酸性雨を浴びながら屋上を駆ける三兄弟! 踏み込むマッポ! サブロとジロが飛ぶ!だがシャカリキを決めていないタロは恐怖に負けて飛べない! 隣のビルに掲げられた大型LEDカンバンには「インガオホー」の6文字が明滅していた!

 タロは両手を揚げて、怯えたハムスターのようにガチガチと歯を鳴らしながら、マッポたちのいる後ろを振り向いた。ジロとサブロがどうなったかは解らない。恐ろしくて見たくもない。タロは絶望感と無力感に苛まれていた。これまで人生の中で何度も味わってきたが、彼はそのたびに思考を停止した。

 要するにタロには想像力が欠如していたのだ。マッポがこんなに本気で追ってくるとは思っていなかった。屋上まで駆け上がって、こんなに息が切れるとは思っていなかった。マッポたちが有無を言わさず自分を組み伏せ、囲んで警棒で殴りつけてくるとは思っていなかった。それがこんなに痛いとは。

「ごめんなさい許して! アイエエエエエエ!」タロは十数本の警棒で何度も打擲されながら、ブザマな悲鳴をあげた!だが凶悪犯に慈悲を見せるネオサイタマ市警ではない! 意識が遠のき始めるタロ! ……その時! 警棒の攻撃が不意に止んだ!「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」

(((誰かが屋上に乱入してきた? そんで、マッポとカラテ? そんで、マッポの首やら手足やらが吹っ飛んで……る? 俺、頭おかしくなったか……?))) 何が起こっているのか、全く理解できない。タロはただ恐怖と痛みに耐えながら、丸まって震えることしかできなかった「痛ェ……痛ェよお……」

 体が思うように動かない。マズダ・タロは死を予感し、血の気が引いていくのを感じた。体温が急激に失われていく感覚に襲われる。脳内ではソーマト・リコールが始まった。数年前に死んだ母親の顔が浮かぶ(((……人様に迷惑掛けちゃだめよ……兄弟仲良くしなさいよ……長男でしょ……))) 

(((イディオットは俺だったんだ……ブッダ=サン、助けてください……生き残れたら刑務所に入って、ヨタモノから足を洗って、回転スシバーで地道に働きます……コケシ工場でもいいです……ブッダ=サン、俺のせいでジロとサブロが死んじまったんだけど、どうにか見逃してくれねえかな?)))

 長兄はニューロンの中でブッダに祈りを捧げた。数年に一度、本当にヤバくなった時にだけ彼はこうする。そしてそのたび、ブッダは彼の頬に平手打ちを入れてきた。(((ああもう、なんならブッダ=サンじゃなくても何でもいいよ、せめてちょっと、ジロとサブロを生き返らしてくれねえか……))) 

「……へへへ、おい、兄ちゃん」不意に、ジロの声が聞こえた。「……助けに来たぜ、兄ちゃん」サブロの声もだ。謎のカラテ・シャウトやマッポ達の悲鳴、骨が折れる音や内臓がハレツする音などは、もう聞こえなくなっていた。重金属酸性雨も止んでいる。タロは真っ赤に腫れたブザマな顔を上げた。

「アイエッ!?」タロは一瞬、恐怖で失禁しかける。全身血まみれの本物のニンジャ2人が、腕を組んで自分を見下ろしているように見えたからだ。しかしすぐに、それは紛れも無くジロとサブロであることを理解した。周囲には、十数人のマッポがツキジの道路に遺棄されたマグロめいて事切れていた。

「……な、何が起こったァ?」タロはぽかんと口を開ける。「兄ちゃん、俺らさア」「ニンジャだわ完全に」2人は無邪気な目に邪悪な表情を浮かべていた。タロはぞっとした。サブロに関しては、一瞬で以前よりも賢くなったようにすら思える。だが見た目や声は、明らかにジロとサブロなのだ。

「……お前らが殺った? マッポを? こんなに? ニンジャ? ニンジャってどういうことだよ? ニンポでも使ったのか?」タロが立ち上がる。左足が軋んだ。「…ニンポ?」サブロがにたにたと笑いながらジロと目配せする。薬物の異常興奮もどこかに消えていた「兄ちゃん、ニンポじゃねえよ、カラテだよ」



◆◆◆


 かくして、マズダ三兄弟のうちタロを除く2人がニンジャソウル憑依者となった! 廃ビルを出た3人は、バリキ自販機をカラテで破壊してエキサイト! ヨロシサン製薬のバリキドリンクは、用法用量を守らず服用すると麻薬的効果がある! ハイになった彼らは、その夜のうちからニンジャ強盗を再開した!

 CRAAASH! ガラスが叩き割られドンブリ屋に突入する三兄弟!「アイエエエエ!」恐怖に凍りつくイタマエと客! コワイ!「ウォーッ!俺たちゃニンジャだ! カネを出せ!」タロがいつものように叫ぶ。だが……「イヤーッ!」ジロは突如スリケンを投擲!「アバーッ!」不運なモヒカン客が即死!

「…え?」気をつけの姿勢から後方にゆっくりと倒れゆくモヒカンの死体を見ながら、タロは困惑した。店内が一瞬、しんと静まり返る。モヒカン死体がしめやかに後頭部強打! その様はシシオドシめいている! 直後、時が戻ったかのように、客の絶叫がクライマックスを迎えた!「アイエエエエエ!!」

 ヌーの大群のように出口へと殺到する客たち! むろん横には三兄弟が立つ!「イヤーッ!」サブロは側転とバク転を決めながら、客に殺人カラテを叩き込む!「イヤーッ!」「アバーッ!」ジロもスリケン!「イヤーッ!」「アバーッ!」おお、ブッダよ! 寝ているのですか!? これは……一方的殺戮!! 

 一瞬にしてドンブリ・ポン721号店はツキジめいた惨状を呈していた。ツキジはネオサイタマ最大の漁港であり、無数のマグロ撲殺施設や冷凍コンテナ、大小様々のイタマエ・ドージョー、チベット宗教要塞めいたオイラン砦などが猥雑に立ち並び、地下には殺人ブッチャーが徘徊すると噂されている。

 コワイ! その酸鼻を極める光景に、シャカリキを決めたタロですらも恐怖を覚えていた。……あるいはもしかすると、自分と弟達が何か根本的に違うものになってしまったのではないかという、得体の知れない恐怖を感じていたのかもしれない。だが彼に、そのような無自覚を自覚する知性は無かった。

 ましてや彼には、カラテも無かった。「……おい、どうすんだァ……これ?」ヌンチャクと拳銃を持ったタロが呆然と問う。「どうってさア、兄ちゃん、俺たちニンジャなんだよ?」ジロがレジを叩き壊しながら笑う。「そう! セコい事、やってられねえ! ワオ!」サブロも血濡れの財布を回収していた。

「そうそう! ニンジャなんだから殺す! カラテ! スリケン! イェー! ウォーホー!」ジロは無慈悲な発言と無邪気な発言を同時に吐きながら、カウンターの上でカラテ・デモンストレーションを行った。単純労働で鍛えられたジロの体が、ニンジャソウルの憑依により一際バンプアップされていた。

「解ったよ、おい、早く逃げようぜ。マッポが来ちまう」とタロ。「何でよ?」ジロが問う「マッポも殺してさ、ビークル奪ってさ、家まで帰るってのは?」。タロは首を振った。「ねえ兄ちゃん、もしかしてさ、ビビってんの?」サブロが笑い、すぐに言い直した「…あ、ごめん、兄ちゃん、冗談だよ」

 マズダ兄弟はタロの言葉通り、ドンブリ・ポンから大人しく逃げ出した。凶悪なニンジャに変わりこそしたが、まだ素直さを保っている弟2人に、タロは少し安堵を覚えた。そう、少なくともこの日はまだ、マズダ三兄弟はタロとジロとサブロのままであったのだ……。 


◆◆◆


 数日後!

 サスマタ・ストリートを滑るように走る、一台の黒塗り武装リムジン。車体の四方に太いアンテナが立ち、快適なIRC体験を約束する。車内後部では最新映画が3Dボンボリモニタで上映され、ウーファーの効いた刺激的な重低音が車外へと漏れ出している。床にはヤクザの死体と何十本ものバリキ瓶。

 歯噛みしながら運転手を務めるのは、タロ。彼の偽ニンジャ装束は以前のままだ。後部座席には、正しいニンジャ装束に身を包んだグリーンエレファントとガスバーナ。2人はジロとサブロという凡庸な名前を棄て、自ら考案したニンジャネームを名乗っていたのだ。彼らは兄を完全に見下していた。

 グリーンエレファントとガスバーナは各々、高級リアルオイランを膝の上に侍らせて抱きつかせながらスシを食い、3Dボンボリモニタの映画チャンネルを変えていた。手を動かす必要は無い。ジロは違法バイオLAN端子をインプラントし、車内エンタテイメントシステムとLAN直結しているからだ。

「もっとカネ欲しいな」とジロ。「いよいよ銀行、襲っちゃう?」サブロが楽しげに言う。「ワーオ! お前はイディオットか? 山ほどの万札をどうやって抱えて帰るんだ?」とジロ。「ダンブで」「ダンプはどこに置く?」「家……アッ、入らねえや! 兄ちゃん賢いね。じゃあ……そうだ! これ見てよ!」 

 3Dボンボリモニタにはちょうど、サブロが大好きなアクション映画「ハッカー吸血鬼シドヤマ」が映し出されていた。「ハッカーだよ、兄ちゃん! ハッカーを脅して、カネを銀行口座に振り込ませよう!」「ワーオ! すげえアイディアだ! たしかこのストリートに、ハッカー・ドージョーがあったぜ!」

「確か、反対車線だっけな……運転手サァン! Uターン重点ね!」ジロが笑う。オイランが嬌声を上げた。「……ハイヨロコンデー」タロは屈辱と無力感と、何かよく分からない言葉にできない気持ちが入り混じった声で、Uターンを切った。「ケンリュウ・ハッカードージョー」が、すぐ前にあった。




 ポンツクポンツクオーオオーギュワンギュワワーン、オーオンオーオンギュワンギュワワーン……ボトルネック奏法めいた電子シタールの音と電子マイコ音声のコーラスが、非人間的なデジ木魚のビートに乗って流れる。立ち込めるミステリアスな煙。ザゼンめいたアトモスフィアがひしひしと感じられた。

 ここは薄汚い雑居ビルの2階にある、ケンリュウ・ハッカードージョー。この階は完全に彼らのものであり、だだっ広い灰色の空間には、百枚のタタミが敷き詰められている。手前にはチャブが10個並び、それぞれ4台のUNIXが東西南北を向いて並ぶ。床には足の踏み場も無いほどのLANケーブル。

 ドージョー内は薄暗く、UNIXから漏れる緑色の電子光と、壁際に立つ燭台のロウソク群が、神秘的な光の調和を生む。サイバーグラスをかけた黄色装束のハッカーたちが20人ほどチャブの前に座り、修行僧めいて黙々とキーを叩く。彼らのタイピング速度はかなり速い。皆優秀なハッカーなのだろう。

 奥では数名がザゼン。その後ろの壁に掛けられるのは「ケンリュウ」「完全なコンタクトだ」などと書かれたショドー、難解なキーボード配置図、人体解剖図など。大型UNIXサーバーやメインフレームが立ち並び、その抑揚の無い定期的な非人間的動作音はそのまま、ハッカー達の息遣いのようだった。

 このドージョーは、ペケロッパ・カルトのような危険思想を持つ邪教徒に比べれば遥かに無害で、一般的なものだ。彼らは実際違法行為を行うわけではないため、マッポも無闇に取り締まれない。殺人方法を学んでいるからといって、全てのカラテ・ドージョーを潰せるだろうか?要はそういうことなのだ。

「…と、このように、我々のハッカー・ドージョーでは非暴力主義を貫き、主にザゼンかハッキングを行っておるのです」白く長い髭を生やした師範ソダワ・ケンリュウは、ヤマヒロに対する施設紹介をほぼ終えるところだった「というわけでフリーランスヤクザの方に用心棒を願えれば、たいへん心強い」

「ソダワ=サン、あんたは運がいいぜ」年代物の武者鎧を着たヤマヒロは、煙草を口元に運び火をつける。独楽のようにゆっくりと前後左右に揺れるチャブハッカー達を見下ろしながら、こいつはチョロい仕事だと内心ほくそ笑んだ「任せてくれよ。俺のカラテは20段に近い。元プロパーだから顔も利く」

「まずは、一週間分前払いで報酬をもらう」ヤクザはケジメされた四本指の右手を差し出す。ソダワ・ケンリュウは眉根を微かに吊り上げると、輪ゴムで巻かれた薄汚い定額紙幣の札束を差し出した。この街で生き残るには、強者の庇護下に入る他ないのだ。しかも提示金額は高くなく実際人道的といえる。 

 金を懐に入れながら、ヤマヒロは鼻で小さく笑う。一週間後にでも、ツテに頼んでスモトリ崩れか何かを2~3人このドージョーに殴り込ませればいい。そこへ自分が駆けつけ、一芝居打ち、腕を捻って退散させるのだ。以降は週あたりの金額が倍になる……グレーターヤクザらしい長期的経営展望である。

「さて、帰る前に……ここのセキュリティ体制を聞いておこうか。俺が四六時中いれるワケじゃねえ。だが一度仕事を受けた身だ。あんたにもしもの事があっちゃならねえだろ」ヤマヒロが狡猾な質問をする。これは後々スモトリを送り込むための布石でもあるのだ「……安心しな、コンサル料は無料だ」

「かなり堅牢です」と長い白髭をしごきながらソダワ・ケンリュウ「ヤマヒロ=サンも見たでしょうが、入口は1つしかありません。しかもパスワード入力式のキーボード、網膜認証、ハンコ・スキャニングの3段構えで対応しています。どれかに問題があれば、殺人的な電流を流すことができます」 

「ふうむ」ヤマヒロは短い顎鬚を掻きながら、少々厄介なセキュリティだな、と値踏みしていた。「何か問題点が?」とソダワ。「シミュレーションしていた。相手がダイナマイトでドアを破壊したり、クレーン車で2階に突撃してきたらどうするかを。俺はそういう過酷な世界に身を置いていたからな」

 ソダワはサツバツとした暴力的光景を思い浮かべ、思わず身震いした。「俺ァ、ツチノコ・ストリートで生きてきた。あそこに比べたら、ここはまるでニルヴァーナだな」ヤマヒロの言葉の半分はハッタリだ。だがそれを息を吐くように澱みなく行うのがプロフェッショナルのヤクザなのである。

 これはもう一押ししておくべきだなとヤマヒロは考え、勿体振りながら次の煙草をくわえた。「フゥーッ。まあ、そう心配しなさんな。仮にだぜ、セキュリティを突破し、誰かが侵入してきたとしよう。だが俺のカラ」「イヤーッ!」防弾フスマが突如破壊され姿を現す3人のニンジャ! ナムアミダブツ!

「アイエエエエエ!」悲鳴を上げるソダワ! チャブ前に座るハッカーたちは薬物と瞑想トリップのために反応が薄く、未だUNIXモニタを見つめてキーを叩き続けている!「ニンジャ! ニンジャナンデ!?」キーボード配置図の前で肉体鍛錬を行っていたハッカーが混乱してドージョー内を走り回った!

「イヤーッ!」グリーンエレファントがスリケンを投擲!「アバーッ!」体を45度に傾け同じ場所をグルグル走っていたハッカーが即死!「アイエーエエエ!」恐慌状態に陥ったチャブハッカーが、チャブ上で狂ったように飛び跳ねる!「イヤーッ!」ガスバーナがスリケン投擲!「アバーッ!」即死!

「殺したらハッキングできなくなるだろ?」2人の後ろから、おずおずと非ニンジャのタロが言う。「るせえなァ、兄ちゃん」ジロが気だるそうに後ろを振り返った「俺らのやることにセッキョー垂れないでよ。そろそろ殺すよ?」コワイ! 弟が見せたその冷酷な目に、タロは思わず失禁しそうになった。 

 響き渡る悲鳴! ニンジャ達はさらに5人ほど、射的ゲームを楽しむようにハッカーをスリケン惨殺! ナムサン! 何たる非人道行為か! このジゴクめいた光景を後ろから見ながら、タロは恐怖に震えていた。これは本当に弟たちなのか?彼らはあの夜死んで、何か恐ろしい別のものに入れ替わったのでは?!

「よし、ガスバーナ、もういい。殺しすぎると、ハッキングができなくなるからなァ」グリーンエレファントが制止した。しぶしぶ従う弟ニンジャ。グリーンエレファントは大股で闊歩しながら、血に餓えた猛獣の目でドージョー内を睥睨する「おい、一番偉いのは誰だ!?そこの鎧着てる野郎かァ!?」

「アイエッ!」ヤマヒロは蛇に睨まれたカエルのように身を強張らせた。「……セ、センセイ、殺って下さい」同じく恐怖で身動きできないソダワが、押し殺した声で小さく耳打ちする「……殺人カラテでお願いします!」

「あんたがハッカー=センセイか?それとももしかして用心棒?」グリーンエレファントが鋭い目でヤマヒロに近づいてくる。「カラテ……殺人カラテをお願いします…! 2倍……10倍払います! 仇を……!」耳元で悲痛なソダワの声! 愛しい門下生が何名も殺されたが、ソダワに戦闘能力は無いのだ!

「……恐れ入りました。私とこの隣の爺さんが、ドージョーのボスです。何でもします。命ばかりは」ヤマヒロは突然ドゲザした。その顔は、恐怖と屈辱で赤子のように歪んでいた。彼はソウカイ・シンジケートが追っ手を差し向けてきたと考えたのだ。「センセイ!? 約束が!?」ソダワは困惑する。

「ワオ! 何だこいつ! ドゲザしやがったよ!」サブロはヤマヒロの兜を踏みつけながら笑う「殺しちゃおうか?」「やめとけ、ガスバーナ」ジロは懐からフロッピーディスク付預金手帳を取りだす「おい、爺さん! ここのハッカー全員使って、俺たちの預金通帳をカネで満タンにするんだ! 今すぐやれ!」


◆◆◆


 ズンズンズンズズキューワキュワーキュキュ! ズンズンズンズズキューワキュワーキュキュ! ハッカードージョー内に、鳩尾を殴られるほどの重低音サイバーテクノが鳴り響く。ゼンめいた神秘的アトモスフィアは無残にも引き裂かれ、雲散霧消していた。

「グワーッハッハッハッハ! グワーッハッハッハッハ!」最新鋭のUNIXサーバーに赤色LED表示される数字は、ひたすら上昇を続けていた! スゴイ!すでにジロが数えられる桁を突破している! だが彼はまだ満足していない!「もっとだ! 満タンまで入れろ! グワーッハッハッハッハ!」

 チャブの上に悠然とアグラをかき高笑いするグリーンエレファント。隣のチャブでは、サブロがニュービーハッカーの1人と向かい合って、殺人的な1対1のハッキング遊戯を行っていた。「ハァーッ! ハァーッ!」ニュービーは目を血走らせてUNIX画面を見つめ、死に物狂いでタイピングしている!

 ジロの座るチャブの横には、正座の姿勢を取るヤマヒロとソダワ師範。乱入から現在までの10分間、彼らはこれ以上無い屈辱を味わい続けていた。「……この薄汚い嘘吐きのヤクザめ!」小声で罵るソダワ。「相手はニンジャだ。これしか、ねえんだよ。俺たち2人が生き残るには…」震えるヤマヒロ。

「アイエエエ!」ハッキング対決を行っていたニュービーが、首の後ろのバイオLAN端子から煙を吐き出し死亡した。やはりニンジャのタイピング速度にはかなわぬのか。「フゥーッ……飽きたしちょっとトイレ」「アレーッ!」ガスバーナは胸の豊満な女ハッカーを小脇に抱えてトイレに向かった。

 こうした数々のマッポー的光景を、映画のスクリーンを見るような目で見ながら、タロはドージョーの隅でひとり、ヌンチャクを振り回していた。ブラックジーンズ、スニーカー、黒いダウンベスト、偽物のニンジャ頭巾……どこで何を間違ったのだろう。悪い夢をみているようだ。あの夜から、ずっと。

「……なあ解ったろ、ソダワ=サン」ヤマヒロはハッカー師範がやけを起こさぬよう、この世の道理を教え諭すように、小声で語っていた「ここはこらえるんだ。死んだら終わりだ。ニンジャには絶対に勝てない。一般人がヤクザに勝てないのと同じだ。蟻が人間に勝てないのと同じだ。食物連鎖なんだ」

「なあ、おい」突然、グリーンエレファントがチャブを下り、ヤマヒロに対して顔をぬうっと突き出した「俺のことバカにしてるだろ?」「アイエッ!? してません!」「俺に嘘ついてるだろ? だってさ、お前、ハッキングのこと何も命令してないじゃん? そこの爺さんだけいりゃ、いいんじゃないの?」

「実際そうです」ソダワが復讐心に満ちた老狐の目で言い放った「フリーランスヤクザの用心棒です!ハッキングには支障ありません!」。インガオホー! 門下生を惨殺されたソダワは、やり場の無い怒りをついに爆発させたのだ!ヤマヒロは全身の血が零下まで冷え切っていくような絶望感を味わった!

 ドージョーの入口を見張るタロは、撲殺されたマグロのように澱んだ目で、鎧ヤクザとジロのやり取りを遠くから眺めていた。ハッカーを逃がさないよう、弟たち命令されたからだ。あのヤクザは殺されるだろう……タロはま だ、人が目の前で死ぬということに対してまっとうな恐れを抱いていた。

「ハッキング完了まであと何分だ?」グリーンエレファントがソダワ師範に問う。「5分はかかります」苦々しい口調でソダワ。「よし、じゃあ、暇だし、あっちでカラテしようぜ。5分で殺してやるからよ」グリーンエレファントはヤマヒロの兜飾りを掴んで持ち上げた。無言で立ち上がるヤマヒロ。

 グリーンエレファントに背中を押されながら、ヤマヒロはゴルゴダの丘に向かうジーザスのごとき悲壮さで、あるいは十三階段を登る死刑囚の如き思いで、赤い畳で囲まれたカラテゾーンへと歩いていった。脱出手段を考えたが、皆無だ。後ろからは、嘘吐きは死ねと罵るソダワの声とニンジャの笑い声。

 ニンジャとヤクザはタタミ3枚離れ、カラテ距離で向かい合った。「ドーモ、グリーンエレファントです」先にニンジャが嘲笑うようなアイサツを決める。ヤマヒロはもう死を覚悟していた。あとはどう死ぬかだけだと思った。そう思うと気が晴れた。勝ち目の無い戦いだ。せいぜい華々しくやってやる。

「……ザッケンナコラー!」ヤマヒロはファイティングポーズを取り、腹の底から声を搾り出した。レッサーヤクザだった頃のハングリーさが、彼の中で蘇ったのだ。続いて威勢のいいアイサツが、ハッカードージョー内に響き渡った「キルエレファント・ヤクザクラン所属! ヤマヒロ! ドーモ!」

「グリーンエレファントだと? ガキが、ふざけた名前付けやがって。象は俺だ! ムテキの殺人象だ! スッゾコラー!」ヤマヒロは理不尽への怒りに燃えて突き進む! クローンヤクザの台頭による経営破綻! 追い討ちをかけるように現れた新興組織ソウカイ・シンジケートとニンジャ! せめて、一矢報いる! 

 敵は彼を見下すようなノーガード姿勢。「ダッテメッコラー!」ヤマヒロは前方に駆け込みケリ・キックを放った! だが命中直前で彼の動きはぴたりと止まる!「……何だ、こりゃあ?」ヤマヒロの視線が相手の腹部に注がれた。敵の両手が、上下からがっちりと彼の足首をホールドしている。アブナイ!

「イヤーッ!」グリーンエレファントは、そのまま両手を左右に引き、ヤマヒロの片脚を軸にして強引に回転させた! ゴキリ! ヤマヒロの左足首が嫌な音を立てる! ヤマヒロの体は空中に浮き、独楽のように十二回転した!「グワーッ!」タタミに落下し、そのまま数メートルブザマに転がる鎧ヤクザ!

「手加減してるぞ、すぐ死なないようにな」ニンジャはせせら笑うように吐き棄てた「俺はヤクザが嫌いなんだ、偉そうだからな」。「……ウォーッ!ザッケンナコラー!」ヤマヒロは苦痛に顔を歪めながら立ち上がり、不屈の姿勢を誇示すべくヤクザカラテを構えた。左膝から下が無いような感覚だ。

「その態度が! ムカつくぜッ!」グリーンエレファントは激昂し、一気に間合いを詰める。半端なヨタモノとして表社会と裏社会の狭間を生きてきたマズダ三兄弟にとって、ヤクザは自分達を食い物にする天敵以外の何物でもなかったからだ!「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」

「イヤーッ!」グリーンエレファントのボディーブロー!「グワーッ!」まるでアフリカ象が逞しい鼻でメイスを振り回しているかのような重衝撃!オレンジ色の胴当てに大きなヒビが入り破片が飛び散る!「イヤーッ!」「グワーッ!」右フック! 兜が砕ける!「イヤーッ!」左フック!「グワーッ!」 

 その一方的リンチを遠くから観戦するタロは、何が起こっているのか理解できなかった。痛々しくて見ていられない。何故あのヤクザは反抗的な姿勢を貫くのか? 死ぬと解っているのに? ああ、また立ち上がった。顔は赤紫色に腫れ上がり、目もろくに見えないだろう。なのに、ああ、また立ち上がった。

「……アノ、スミマセンケド」呆然と殺人劇を見つめるタロの足元に、いつの間にか、背の高い黒人ハッカーが四つん這いで接近していた。タロは驚き、ヌンチャクを構えてでたらめなカラテ姿勢を取る。「……家族ガイルノデ、タスケテヨ。カエンナクチャ。スミマセンケド」黒人はドゲザし懇願した。

「…行けよ」タロは微かに声を震わせながら、わざと余所見をした。(((ジロもサブロも見てねえし、1人くらい死ぬ奴が減ったっていいだろ……)))。黒人は信じられない、といった顔を作り、そのままドージョーを脱出した。彼自身もヤマヒロと同じように、ヤバレカバレの賭けに出ていたのだ。

「イヤーッ!」「グワーッ!」無慈悲なケリ・キックが命中! ヤマヒロの胴鎧が完全に砕け散る! ヤクザはトランキライザー銃弾を数ダース撃ち込まれたインド象のようにたたらを踏み、仰向けに倒れた! ナムサン! いくらグリーンエレファントの手加減と武者鎧の守りがあったとしても、もはや限界か!

「まだ3分もあるぞ!」グリーンエレファントはヤマヒロの兜に備わった勇壮な象の角飾りを強引に引っ張った。「ああうう……ザ……ザッケンナコラー…」打ちひしがれたヤクザの手はだらんと垂れ下がっている。彼のカラテは実際10段程度である。ニンジャに一矢報いるなど、夢のまた夢であった。

「仕方ねェ、そろそろ殺すか……ん?」殺害方法を考えていたジロの視界の隅に、UNIXに隠れながらドージョー入口へと匍匐前進する3人のハッカーの姿が!不愉快な害虫の行列でも見るように眉根を吊り上げ、その先へ視線をやると……ブッダファック! そこには別なハッカーを故意に逃がすタロ!

「てめえーッ!」グリーンエレファントはヤクザを放り棄て、荒々しく駆け寄ってきた! 鼻を振り回してジャングルを暴走する巨大な緑色の象めいて!「アイエエエ!」「アバーッ!」途中にいる匍匐ハッカーたちは頭や腹を容赦なく踏み潰され即死!「アイエッ!」弟の接近に気付き、絶句するタロ!

「イヤーッ!」グリーンエレファントはタロをイポン背負いし、カラテエリアに向かって20メートル近く放り投げる! スゴイ!「アバーッ!」背中を強打し、息もできないほどの激痛に襲われるタロ! ニンジャソウル憑依から3日、ジロが兄に対して直接的な暴力を振るったのはこれが初めてであった。

 ヤマヒロのすぐ横に転がるタロ。「クソ兄貴よォ、またビビりやがって…」両目に明らかな殺意をたたえたジロが、ゆっくりとマウントを取る。タロは生涯最大の恐怖に襲われ、静かに失禁した。想像力に乏しい彼は、まさか弟たちが自分を殺すはずはないと、心のどこかで無邪気に信じていたのだ。

「アイエエエエエ! アイエエエエエ!」情けない絶叫を上げるタロ! そのブザマな姿に苛立ったグリーンエレファントが、制裁のグラウンドパンチを叩き込む!「アバッ!」顎骨が軋む! 粉々になった歯が数本、血の混じった飛沫となって飛び、ガマガエルめいた顔に変わったヤマヒロへと飛び散った!

「…助け……助けてくれ……」ヤマヒロの唇は悲痛な祈りを口ずさんでいた。だが、ブッダからは応答無しだ。寝ているのだろう。打つ手なしか。……だが、腫れ上がった目蓋の奥で光を失いかけていたヤマヒロの目は、ここで何の偶然か、UNIXサーバー筐体に備わる大型LED文字盤を見たのだ!

 それは預金通帳がセットされた大型UNIXであった。盗み出された膨大なカネが、赤色LED数字で目まぐるしく上昇している。……その上3桁は、893! ヤクザの勝利を暗示する神秘的な獣の数字893!彼は藁にもすがる想いで、最後の希望を呼んだ!「……助けてくれ……ヤクザ天狗=サン!」

 CRAAASH!! 窓が突如割られ、何者かがドージョー内へと突入してきた! ヤマヒロの悲痛な叫びが彼を呼んだのか!? あるいはネオサイタマの闇を徘徊していた孤独なるハンターが、偶然にもニンジャソウルを感知したのか!? それは常人の与り知るところではない! だがいずれにせよ彼は現れた!

「ザッケンナコラー!」ドスの聞いたヤクザスラング!唸りをあげる背負い式ジェットエンジン! 見よ! アクロバット回転飛行のまま、赤漆塗りのオートマチック・ヤクザガンが火を噴いた! BLAM! BLAM! BLAM!「グワーッ!?」側転回避を試みたグリーンエレファントの右肩が弾け飛ぶ!

 謎の侵入者はジェットエンジンの噴射を停止し、立膝状態でタタミに着地する。ワザマエ!「おお……そのテング・オメーン! ……あなたは、あなたはやはり……!」その男を指差すヤマヒロの視界は涙に曇る! 彼こそは孤高のニンジャハンターにして神々の使徒!「正義の執行人……ヤクザ天狗参上!」

「ウォーッ! 何がヤクザ天狗だテメェーッ!?」グリーンエレファントは狂乱したアフリカ象めいて突撃!だがヤクザ天狗の冷酷なるサイバーアイは、この未熟なニュービーニンジャの動きを瞬時に捕捉して脳内ワイヤフレームマトリックス上にトレスし、LAN直結した二挺拳銃へとIRC送信する!

「ニンジャはボーを振りかざし地を打った……」ヤクザ天狗は臆することなく論理トリガを引き、一歩も動かず重金属弾を射出! 皆さんにはこの意味がわかるだろうか!? 皆さんはメキシコジャングルで狂乱した象が木々を倒しながら突進してきたとしたら、銃を構えて冷静に立っていられるだろうか!?

 ビスビスビス! 前傾姿勢で駆け込むグリーンエレファントの体に、直径数センチの空洞がいくつも穿たれる!「ウオオオーッ!?」獣じみた咆哮をあげながらなおも突き進むニンジャ! 頭部への直撃は避けているが、腹部や両脚へと次々に被弾! 全裸でシベリアブリザードの逆風の中を駆けるが如き無謀!

 驚異的な耐久力を誇る敵は、残った片腕を伸ばし、ヤクザ天狗の喉笛を掻ききるべく猛然と迫る!その距離はタタミ1枚! その時、ニンジャの左腿に穿たれた何個もの丸い空洞がひとつに繋がり、千切れた!「グワーッ!」穴だらけのボロ布に覆われた肉塊は体を傾け、ヤクザ天狗の右手後方へと転がる! 

「……すると塵が舞い上がり、ブヨの大群が人と家畜を襲い、ニンジャはファラオの鳩尾を五度殴った」ゴウランガ! 銃口から煙を立ち上らせ、謎めいたモージョーを口ずさみながら、ヤクザ天狗は悠然と振り返る! 黒いヤクザスーツには傷ひとつない。一方のグリーンエレファントはまるでネギトロだ!

 タロはヤマヒロの隣に座り、まるでタチの悪いツキジゴア・ムービーでも観賞しているかのように、およそ現実味の無い眼差しで、この一瞬の出来事を見ていた。……テング・オメーンの男が現れ、自分を窮地から救った。しかしその代わりに、ジロが死のうとしている。彼に解るのは、それだけだった。

 グリーンエレファントにはまだ息があった。うつ伏せに倒れ、背後からのヤクザ天狗の接近を感じ取る。身を捻り、スリケン投擲を試みるが、その微かな動きを捉えたヤクザ天狗は、容赦なくオートマチック・ヤクザガンを敵ニンジャの心臓部と頭部に向かって論理トリガ連射した。

「アッ」タロは何かを言おうとした。ニューロンの中で複雑な想いがスパークした。ジロが死んでしまう。いや、死んだほうがいい。ジロはもう、自分の知っているジロではないのだ。でも、それで本当にいいのか。弟だぞ。そう迷っているうちに、グリーンエレファントは爆発四散した「サヨナラ!」

「…すまんな、本当にすまん」ヤクザ天狗は黒い焦げ跡に変わったグリーンエレファントを無表情に見下ろしていた。その低い声は、誰にも聞こえぬほど小さく厳かだった。「私は、お前達全員をジゴクへ送り返す。私があの日、お前達を解き放ったのだから…」そして彼は胸元の聖水瓶へと手を伸ばす。

 ヤマヒロは何が起ころうとしているのかを悟った。ヤクザ天狗はまた、奇怪なニンジャ祓いのエクソシスト的儀式を行おうとしているのだ。禍々しい光景から目を背けようとしたその時……ヤマヒロはガスバーナの存在を思い出した。「ヤクザ天狗=サン! アブナイ! ニンジャはもう1人いる!」

「……何だと?」ヤクザ天狗は聖水瓶を投げ捨て、二挺拳銃を握り直す。だが彼が索敵のために背後を振り向こうとしたその時! トイレから出てきたガスバーナの低空トビゲリが彼の体側面に直撃したのだ!「イヤーッ!」「グワーッ!」ワイヤーアクションめいて吹っ飛ぶヤクザ天狗! ナ、ナムサン!




 タロはヤマヒロと並んで畳に座り、ぽかんとその光景を見ていた。最新鋭のLAN直結技術によって、観客である自分がアクション映画プログラムの中に放り込まれたような感覚を味わっていた。三男サブロ、いや、黒いニンジャ装束に身を包んだガスバーナが、ヤクザ天狗目掛け矢のように飛んでいった。

 低空トビゲリがヤクザ天狗の左体側に命中!左腕の肉とサイバネ義肢が砕け、銃がグリップを逃れる! ガスバーナは後方へとムーンサルト回転着地!逆にヤクザ天狗はUNIXメインフレームに向かって直線的に弾き飛ばされた! アブナイ! 違法サイバネで強化されているとはいえ、彼は生身の人間である!

 鋼鉄トーフめいた黒いUNIX筐体が近づく!ヤクザ天狗の死を期待するかのように、ドージョー内に鳴り響いていたサイバーテクノはクライマックス的なループを迎えた! ナムサン!「……ッケンナコラー!」ここでヤクザ天狗は背中のジェットパックをIRC制御し、空中で体勢を立て直す! タツジン!

 ヤクザ天狗はオリンピック水泳選手のように体を一回転させ、両足の黒いヤクザシューズの裏でUNIX筐体を蹴った。微かに軋む膝サイバネ!息を呑むように鳴り止むサイバーテクノ! 前方回転の後着地し、ガスバーナに銃口を向ける!「スッゾコラー!」再びアップテンポのサイバーテクノが鳴り響く!

 ズンズンズンズズキューワキューキュキュ! ズンズンズンズズキューワキューキュキュ! グリーンエレファントと同じように、無鉄砲に突き進んでくるガスバーナ。ヤクザ天狗は残された右の銃で迎撃体勢を取る。だが網膜ディスプレイには「制御不能な」の文字が明滅! 先程の衝撃でIRC系に破損か!?

 状況判断の時間は僅か2秒!インプラントされた演算装置が加速!UNIXタワーが立ち並ぶドージョー内でジェット飛行戦闘は危険。論理制御を失った銃でニンジャに対抗するのは自殺行為。時間を稼がねば。ヤクザ天狗はオートマチック・ヤクザガンを収め、使い込まれたドスダガーを懐から抜き放つ!

 両者のカラテが激突した!サイバーアイで敵ニンジャの動きを解析しながらドスダガーを振るうヤクザ天狗。だがいかにニュービーとて、ガスバーナの肉弾戦能力は片腕のニンジャハンターを凌駕していた。攻撃をブリッジやダッキングでかわしつつ、ヘビー級ボクサー並のカラテをヤクザ天狗に叩き込む!

「イヤーッ!」肩や腕をかすめた後、ヤクザ天狗の腹部そして胸部へと重い連撃!「オゴーッ!」ヤクザ天狗は吐血し、行き場の無くなった血液と嘔吐物の一部は、オメーンの両眼の穴から血涙か何かのように漏れ出した。コワイ! 網膜ディスプレイには「ジリー・プアー(徐々に不利)」の緊急アラート!

 タロはまだ呆然とその光景を見つめていた。つい先程までは、この謎のテング・オメーンの男に弟2人が始末されればいい、と思っていた。彼は想像力が乏しく、自分もまた始末される可能性を思いついていなかったからだ。しかし今、戦況は明らかにガスバーナが優勢。やはり最後はニンジャが勝つのか?

 その時不意に、タロの視界いっぱいに拳が飛び込んできて、揺れた。怒り狂って理性を失ったソダワ師範が、彼の顔面を殴り飛ばしたのだ。ソダワはタロの横にいたヤマヒロの胸ぐらを掴んで組み伏せると、マウント状態から拳を何発も叩き込んだ。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」「グワーッ!」

 ソダワは唯のハッカーだが、タイピング鍛錬によってそれなりの腕力はある。1対1のカラテではヤマヒロに勝てるはずもないが、相手が虫の息とあれば話は別だ。まずはタロを始末すべきなのだろうが、理性を失った彼の怒りの矛先は、汚い嘘吐きヤクザに向けられていた「イヤーッ!」「グワーッ!」

 タロはまた、何をすべきか決断を迫られた。一瞬だ。一瞬の判断だ。ヤマヒロが死ねば次は自分がこの老人に殴り殺される、などというUNIX並みの計算高さは彼には無い。ただ彼は反射的に、もう目の前で人が死ぬのを見るのは沢山だと思った。特に、無力な者が虫ケラのごとく叩き潰されるのが。

「ウオーッ!」タロは微かに残ったシャカリキの化学パワーに後押しされ、ソダワに背後から組み付いた。ソダワの肘打ちがタロの顔にめり込む!「グワーッ!」鼻血を噴出し倒れるタロ! カラテ攻防を続けるヤクザ天狗とガスバーナが近づき、ガスバーナは両掌にインプラントした火炎放射穴を開いた! 

「イヤーッ!」ニンジャ耐久力に物を言わせ闇医者に3時間でインプラントさせた軍事用サイバネ装置が作動し、火炎が噴出! 垂直ジャンプで回避するヤクザ天狗! 背後にいたソダワの上半身が運悪く丸焼きに!「アバーッ!」ムゴイ! 何たるアトロシティか! おお! ブッダよ! まだ寝ているのですか!?

 しかしガスバーナの火炎放射は数秒は持続できる。このままでは、ヤクザ天狗も丸焼きに!? だがヤクザ天狗は咄嗟の判断で背負い式ジェットパックを作動させ、空中制止していた。そこから体を捻り、ガスバーナの即頭部に対してボレーキック!「シャッコラーッ!」「グワーッ!」停止する火炎放射!

 しかしガスバーナの左腕は、ヤクザ天狗の脚を固くホールドしていた。痛烈な右肘打ちを振り下ろすガスバーナ。危険を感じ、ジェットエンジン噴射で逃れようとするヤクザ天狗。だが遅い! 骨とサイバネパーツが砕ける嫌な音が鳴り、ヤクザ天狗の右膝がネコネコカワイイ・ジャンプ姿勢で破壊された!

「アバーッ! アバーッ!」上半身を松明のように燃え上がらせながらドージョー内を走り回るソダワ・ケンリュウ! 彼は何が起こったのか理解できなかった。自分ではなく、手塩にかけて育てたハッカードージョーが、門下生たちが、そしてUNIX群が燃え上がっているように見え、錯乱していた。

「逃げろーッ! LAN接続解除ーッ! 他の者は構うなーッ! 1人でも逃げろーッ!」ソダワは絶叫しながら駆け周り、LAN直結トリップして注意力散漫になった門下生たちを正気づかせる。「アイエエエエエエ!」残留薬物で足をもつれさせながら逃げ出すハッカーたち! 急激に下がり始める預金残高!

 ガスバーナは目の前のヤクザ天狗をいたぶることに全神経を集中させていた。「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」ここで網膜ディスプレイに「制御下の拳銃だ」の文字。手を伸ばす! その銃をチョップで叩き落とし蹴るガスバーナ! タタミ上を滑る銃! LANケーブルが抜ける! 

 畳の上を滑った赤漆塗りのオートマチック・ヤクザガンが、ルーレットめいて回りながらタロとヤマヒロの前で止まる。ヤクザ天狗とガスバーナのカラテは一方的だ。彼が死んだら次に死ぬのは誰だ? 余りにも状況はケオスであり、高性能将棋UNIXでさえも次のアトロシティを予測することは不可能!

「おい、若えの」ヤマヒロがタロに呼びかけた。それは無謀な賭けだった。先程の仲間割れを見て、思いついた「その銃で、あいつら、撃てや。それしか、生き残る道は、ねえぞ。このままヤクザ天狗が死んだら、デッドエンドだ。出口無しだ。俺ァもう、目がほとんど見えねえ。ぼやけて、見えねえ」

「アイエエエエエ……オッ、俺には、無理です」タロが小さく失禁しながら即答した。自分はつくづく、死ぬ時まで偽物の半端者なのだと痛感しながら「怖くて、さっきから、手ェ震えてンです。無理です。人を殺したこともないンです。それがいきなり、こんなデカい銃でニンジャを殺せって、そんな」

 しかしヤマヒロは、いける、と直感した。彼もまたソダワと同じく、何人ものレッサーヤクザを育て上げた事務所経営者であった。彼はいままでに何人も、タロのような半端者を一人前のリアルヤクザへと変えてきた。生まれながらにしてヤクザであるクローンヤクザの導入を、頑なに拒み続けながら。

「俺だって、戦いたいですよ、鎧ヤクザ=サン、あんたみたいに。でも無理なんですよ。俺、生まれた時から、負け犬の運命なんですよ。カラテもできない、運も無い、半端者なんですよ」「若えの、いいか、聞け」ヤマヒロはゼエゼエと息を切らしながら言った「人は一瞬で男になれる。変われるンだ」 

「アイエエエ……」タロは一方的に殴られ続けるヤクザ天狗を見ながら、恐怖に声を震わせた。「…自分はもう、変われねえとか、変化には、長え時間が必要だ、と思ってる奴は、腰抜けだ」とヤマヒロ。我ながら皮肉な科白だと思いながら「…人は、一瞬で、変われる。良い方向にも、悪い方向にもな」

「でも」「乳臭ェガキの頃を、思い出せ。お前はある日、突然、立ち上がったろ。いきなりだ。そういう変化だ。俺は、何人ものレッサーを育ててきた。お前はいける。さっき爺さんに組み付いたろ。そういうガッツだ。ヤバレカバレだ。それが無エ奴もいる。そいつは、本物の負け犬だ。お前は、違う」

「そうだ、若えの、お前は違う。やれ、銃を握れ、撃て!」タロはヤクザの言葉に後押しされながら、赤漆塗りのオートマチック・ヤクザガンを握った。シャカリキやバリキの魔力は完全に消え去り、タロは自分自身の精神力だけでこの戦いに挑まねばならかなった。恐ろしいほど重く、大きな銃だった。

 タロは赤漆塗りのヤクザガンを構えた。UNIXメインフレーム筐体を壁代わりに、磔サンドバッグ状態にされているヤクザ天狗と、こちらに背を向けているガスバーナに対して、銃口を向けた。ヤマヒロの言うとおり、まとめて撃つしかない。……あとは、この重く冷たい物理トリガを引くだけだ。

 いける、とヤマヒロは確信した。こいつは殺人クエストをこなし、男になる、と。だが……おお、ナムアミダブツ!タロは銃口を下げた!泣き咽びながら、銃口を下げたのだ!「何だ?ビビッたか?お前ならやれるぞ!」「やっぱ……無理です……よ……。あいつ、ガスバーナ……俺の、弟なんです……」

「俺に貸せ」ヤマヒロが銃を渡すよう促した。タロは泣きながらそれに従った。ほとんど視界が覚束ない中で、大雑把にガスバーナとヤクザ天狗の方向に銃口を向けながら、ヤマヒロは一思いに物理トリガを…引く。「本人認証できませんドスエ」銃からは二人の茶番を嘲笑うかのような電子マイコ音声!

「アン? …何だこりゃあ? ちくしょうめ! ちくしょうめ!」ヤマヒロが引金を何度も引く。そのたびに電子マイコ音声がリピート「本人本人本人認証本人認証できませんドスエ」万事休すだ。ヤマヒロは銃を投げ捨て天を仰いだ。「……ほら、やっぱり、俺、最初から……」タロは鼻水を垂らして泣いた。

 おお、ブッダ! 惨すぎる! あまりにも惨すぎる仕打ち! だがこのアトロシティを止められる者はいない。ニンジャスレイヤーは死んだ! ソウカイ・シックスゲイツは温泉旅行へ! 末端のパトロールニンジャたちも、今宵は幹部らの不在をいいことに、オイラン遊びや私腹を肥やすことにかまけているのだ!

「イイイイヤアアアーッ!」ガスバーナの強烈なボディブロー!「グワーッ!」ヤクザ天狗はまたオメーンの眼から血を噴出し、2、3歩よろよろと力無く前進すると、そのままうつ伏せに倒れて痙攣を始めた。「フゥー! 手こずらせやがって」ガスバーナが汗をぬぐう「小便かけて焼き払ってやるぜ!」 


◆◆◆


 ……その30秒前。

 夜のサスマタストリートを走る、一台のクレーン車。車体にはウットコ建設のエンブレム。プロジェクト現場仕事を終えたドライバーは、急いで社屋に戻るべく、ケンリュウ・ハッカードージョー前の大通りを走り抜けようとしていた。いつも通りのつまらない仕事。いつも通りの帰り道。だがその時…!

 ヘッドライトは照らし出す!道路に立つ黄色装束の黒人ハッカーともう一人の脱出ハッカー! 彼らは口々に「ニンジャ! ニンジャ!」と叫ぶ! さらに入口からは、薬物中毒レミングス軍団めいて続々と逃げ出してくる新たなハッカーたち!「アブナイ!」ドライバーは急ブレーキ! ハンドルを右へ! 左へ!

 それだけではない。ウシミツ・アワーが近づく中、ネオサイタマの薄汚いビル街を駆け抜けるニンジャがひとり。偶然にも、ケンリュウ・ハッカードージョーの雑居ビル屋上で、灯篭を蹴り渡ろうとするところだった。道路でハッカーたちが叫ぶ「ニンジャ! ニンジャ!」の叫びを、彼は聞き逃さない。 

 クレーン車は操縦を失い、ハッカーを避けるために真下のビルに突っ込もうとしている!「Wasshoi!」そのニンジャは迷うことなく、クレーン部分の先端に向かって飛び降りた! その掛け声はまさか!? いや、彼は死んだはず! 中国地方でバンザイ・ニュークに呑まれ、跡形もなく消滅したはず!

 K-RAAAAAAAASH! クレーン車が雑居ビルに激突! クレーン部分が2階の窓、すなわちケンリュウ・ハッカードージョーに深々と突き刺さった! ガスバーナ、ヤマヒロ、タロ、そして逃げ遅れた全ハッカーが、クレーンの先端部分を見る。そこには腕を組んで直立不動の姿勢を取る、一人の男!

「ドーモ……」赤黒いニンジャ装束に身を包んだそのニンジャは、「忍」「殺」と彫られた鋼鉄メンポから憎悪に満ちた声を吐き出しながら、ガスバーナに対してアイサツを決める! ……おお、彼はあの戦術核爆発を生き延びたというのか!?「……ニンジャスレイヤーです! ニンジャ、殺すべし!」





「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン、ガスバーナです」ただならぬ殺気を警戒した彼はヤクザ天狗への止めを諦め、ニンジャスレイヤーに対してアイサツを返す。……オジギ終了から僅かに0コンマ3秒! ニンジャスレイヤーの腕が鞭のようにしなり、電撃的速度でスリケンを投げ放った!「イヤーッ!」 

 これこそは、恐るべきシックスゲイツの斥候ニンジャ、バンディットをも葬った、アイサツ終了直後の必殺スリケン! だが今回は、ガスバーナが反応するのに十分なほどの距離があった。「イヤーッ!」素早く側転を打つガスバーナ! 喉元を狙って投げられたスリケンは、ガスバーナの右脛へと命中! 浅い!

「イヤーッ!」両手を前方に突き出し、クレーン上へと火炎を浴びせるガスバーナ!「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは前方回転ジャンプの後、三連続側宙! UNIXメインフレーム筐体を蹴って三角跳びを決めると、ガスバーナの背後へ回り込んだ。そしてケリ・キック!「イヤーッ!」「グワーッ!」

 ガスバーナは辛うじて転倒を回避し、前方回転から側転タンブリングで体勢を整え、ジュー・ジツを構える。だがすでに、目の前にはニンジャスレイヤーが接近!「「イヤーッ!」」交錯する二者のカラテ!「すぐには殺さぬぞ、ソウカイヤ」ニンジャスレイヤーは冷酷に言い放った「痛めつけ、尋問する」

「ソウカイヤ? へっ! とんだ人違いだな。そいつは昨日、俺とグリーンエレファントで殺したぜ! イヤーッ!」ガスバーナはニンジャスレイヤーの回し蹴りをブリッジで回避し、足払いを放つ! これを辛うじてかわすニンジャスレイヤー! バンザイ・ニュークによるダメージが、未だ残っているのだろうか?

「なるほど、ソウカイヤではないか……イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは表情ひとつ変えず、ガスバーナの顔面に右の高速カラテパンチを叩き込む!「グワーッ!」のけぞるガスバーナ!「いずれにせよ殺すのみ!イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」

 ヤマヒロは正座しながら、その戦いを見ていた。この新たなニンジャが何者なのか、見当もつかない。自分が死ぬのかどうかすらも。ただ、自分にできることはもうない。たとえ死ぬとしても、彼に後悔は無かった。ヤクザ天狗は、ニンジャを挟んだ反対側でうつ伏せに倒れ、動かない。死んだのだろうか。

 タロはどこへ? …彼はクレーン車が突っ込んできた直後、電気ショックを浴びたかのように驚き、手近にあったチャブの下へと電撃的に潜り込んでいた。巣穴に引き篭もって嵐が過ぎ去るのを待つ無力なプレーリードッグめいて、ガタガタと震えながら、謎の赤黒ニンジャに弟が殴られ続けるのを見ていた。

「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャスレイヤーの情け容赦ないカラテ!ガスバーナも反撃を繰り出すが、ジュー・ジツで弾き返され、またカラテを叩き込まれる!「ニンジャ殺すべし! イヤーッ!」「グワーッ!」ベイビーサブミッション! 

 ヤマヒロ同様、タロには状況が全く理解できなかった。恐怖と混乱で、ニューロンが焼ききれそうだった。……昨日の夜、三人で略奪を働いていた時に、ソウカイヤを名乗る末端ニンジャがスカウトの話を持ちかけてきた。だがジロとサブロは、彼をなぶり殺しにしたのだ。それが原因で、こんなことに?

「イイイヤアアーッ!」腰の捻りを利かせたニンジャスレイヤーのカラテ!「グワーッ!」体をくの字に折り曲げ、ワイヤーアクションめいて吹っ飛ぶガスバーナ! タロの隠れたチャブ上を飛び越えながら、20メートル先の壁に背中を強打する! ずるずると力無く落下し、壁にもたれかかるガスバーナ!

 ニンジャスレイヤーは死神めいた重く決然たる足取りで、獲物のもとへ歩み寄った。ガスバーナの四肢は破壊されており、再起は不可能。彼の戦意は崩壊していた。……血を吐きながら、ガスバーナはブザマに助けを乞う。……ブッダに? ……いや、己の兄に……「アイエエエ……助けて、兄ちゃん……」

 ナムアミダブツ! その声は、一瞬ニンジャソウルの支配を脱したサブロが放った純粋な叫びか? それとも彼に憑依した邪悪なニンジャソウルが、何としてでも時間を稼ぐべく用いた、狡猾な策略か? …その真意を常人であるタロは見通せない。だが彼はついに、逃げようの無い最後の決断を迫られたのだ!

 タロの脳内でソーマト・リコールが始まった。この悪夢のような三日間。(((…人様に迷惑掛けちゃだめよ……兄弟仲良くしなさいよ……長男でしょ…)))母の声(((…人は、一瞬で、変われる。良い方向にも、悪い方向にもな…)))ヤマヒロの声(((…助けて、兄ちゃん…)))サブロの声!

 弟たちは悪魔のような存在に変わってしまった。3日前のあの夜、本当は死んでいたのかもしれない。人の道を外れた残虐行為をいとも簡単に繰り返す。自分さえも殺そうとしてくる。……弟達は死ぬべきなのだろう。だが……だが……自らの手で、銃で決着をつける道を、彼はすでに放棄してしまった。

 ならどうする? タロは乏しい想像力で必死に考えた。ニンジャスレイヤーは、この赤黒の死神は、あと数歩で自分のチャブの上を踏み越えてゆくだろう。考えろ、考えろ! タロはニューロンに奮起を促した! 行動だ! 本当の行動を起こさなくちゃいけない! 誰の正義だろうと、知ったことか! 俺の正義だ!

「ワオオオオオーッ!……WASSHOI!」自らを鼓舞する勇ましい掛け声とともに、タロは立ち上がった! チャブを横に投げ飛ばし、ネオサイタマの死神の前に立ちはだかった!「駄目だ! 死ぬぞ!」遠くで見ていたヤマヒロが我を忘れて叫ぶ! ニンジャスレイヤーは反射的にジュー・ジツを構えた!

「アーポウ! 近寄るな! こいつは俺の弟だ!」タロは腰に吊った紛い物のヌンチャクを不恰好に振り回した!しかし汗で手が滑り、ヌンチャクは左手へと飛んでゆく! 丸腰になったタロは、ほとんど無意識のうちに両手でミスティック・サインを作った!「ニンポだ! ニンポを使うぞ! 近寄れば死ぬぞ!」

 ニンジャスレイヤーは無表情のまま、タロへと歩み寄った。その眼には愛する家族を失った哀しみと、全ニンジャへの黒い憎悪の炎が燃えていた。「ニンポだ! ニンポを喰らいたいのか!」タロは泣き咽びながら、でたらめなサインを作り続けていた。ニンポなど出るはずもない。無謀なヤバレカバレだ。

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーの拳がタロの鳩尾をえぐる!「アバーッ!」30センチ近く浮かび上がるタロ!彼はそのまま巧みなジュー・ジツで、タロを横へと投げ飛ばした。タロはタタミに転がり、仰向けでニンジャスレイヤーを見る。痛みは少ないが、体は麻痺している。そのようにしたのだ。

 ニンジャスレイヤーはタロから視線を逸らし、また無慈悲なる殺人者の目でガスバーナを睨んだ。そして歩み続ける。「俺を……殺さないのか……?」タロが声を絞り出す。ネオサイタマの死神は一瞬足を止める「……私に人を裁く権利はない」直後、スリケン投擲!「だがニンジャは殺す!イヤーッ!」

「グワーッ!」ガスバーナの両目にスリケンが突き刺さる!「イヤーッ!」さらに容赦のないスリケン!「グワーッ!」ガスバーナの喉元に深々と鋼鉄の刃が埋まり、壊れたスプリンクラーめいて鮮血を噴き出す! そして爆発四散!「サヨナラ!」

 声を絞り出そうとしたが、タロにはもう力は残っていなかった。幸運なほうだ。もし彼がカラテ有段者だったら、ネオサイタマの死神は彼を一瞬でネギトロに変えていたかもしれない。サイオー・ホースだ。「……オヌシを裁く連中が来る」ニンジャスレイヤーはそう言い残し、爆煙とともに消え去った。

 仰向けに横たわるタロの耳に、マッポビークルのサイレン音が聞こえ始めた。3日前のあの夜のようだ、とタロは思った。あの時止まった時間が、また動き出すのだと、彼は薄れ行く意識の中で思った。弟達はあの夜、死んだのだ。そして今、彼らに別れを告げられた。行動を取った。後悔のない形で。

 ニンジャスレイヤーが消え去った直後、満身創痍のヤクザ天狗も立ち上がった。熟練のニンジャハンターである彼は、あの赤黒のニンジャがシックスゲイツ並の化物であることを一瞬で察知し、あえて手を出さずにいたのだ。真のハンターは、勝ち目のない戦いには赴かない。それが彼の正義であった。

 かといって、マッポに掴まるつもりもない。神々から与えられた使命は、あまりにも崇高なものだからだ。折れ曲がった片脚でブザマに飛び跳ねながら、ヤクザ天狗は預金通帳が入ったUNIXメインフレームの前に立った。足元には「非暴力主義」のショドー額に潰されたソダワの焼死体があった。

「……」ヤクザ天狗はオメーンの奥で激痛に顔を歪ませながら、UNIX筐体のガラスを叩き割り、強引にイジェクトボタンを押下して、中に収められたマズダ三兄弟の預金通帳を引き抜く。さきほどまで数億円あった残高は、もはや数百万にまで減少している。破壊されたサイバネの修理代にやや不足。

「起きろ」ヤクザ天狗は血咳を吐きながら、ヤマヒロの胸ぐらを掴んで起こした「私を呼んだな。贖罪の戦いには、積極的ドネートが必要だ」「もうカネは……」「払えぬなら、お前を天狗の国へ連れてゆく」……階段を駆け上るマッポの靴音! ヤマヒロの返事を待たず、ヤクザ天狗はジェット噴射した!

 ヤクザ天狗は逞しい片腕でヤマヒロを抱え、飛び立った!「アイエエエエエエエ!」きりもみ回転しながら、2人のヤクザは窓を突き破り、重金属酸性雨降りしきるネオサイタマの闇へと消える! マッポたちが踏み込んできたとき、そこにはもうヤクザの姿は陰も形もなかった!

「はっ……払います! カネが、あります! 許して!」ヤマヒロは泣き喚いた。子供の頃聞かされた、天狗についての恐るべき民間伝承が彼を恐怖させたのか、あるいはヤクザ天狗の底知れぬ狂気を感じ取ったのか……いずれにせよ、彼は賢い判断をした。

 ヤクザ天狗は姿の見えぬ追っ手をまくように夜のネオサイタマを飛び回った後、ヤマヒロには解らないどこか人気のない路地裏へとやってきた。ヤクザ天狗はそこに隠されたベンツ型のヤクザモービルへと無線IRCを発信し、運転席と助手席の屋根を自動展開させた。

「アグウーッ!」助手席に落下したヤマヒロは、苦痛に顔を歪めた。車内のスピーカーが耳障りに鳴る。あの夜、ヤクザ天狗の手によってヤマヒロのヤクザスーツの襟の中に密かに仕込まれた小型発信盗聴器が、ヤクザモービル内の受信装置とハウリングを起こしたのだ。

 ヤクザ天狗は運転席に着地する。テング・オメーンの奥で、激痛に歯を食いしばった。彼もまた、先程の戦いでサンズ・リバーを渡りかけていたのだ。「カネは……」ヤマヒロが喋り、ハウリングが起こる。ヤクザ天狗はスイッチの1つを切った。まだ車内には微かな盗聴受信音が十数種類聞こえている。

 ヤマヒロには自分に仕掛けられた盗聴器を含め、まだこれらの音声の意味を理解できなかったが、このビークルの中が異常な世界であることはすぐに解った。窓や壁のいたるところに、古文書の切れ端や、写真や、手書きのメモなどが貼ってある。その中にはヤマヒロ自身の写真もあった。

「続けろ、カネはどこだ……。聖戦のための寄付金は。ニンジャ殺害報酬を支払え」ヤクザ天狗は片脚でアクセルを踏み込んだ。「アッハイ」ヤマヒロは懐から万札束を取り出す。用心棒料金の前払いだ。しかし、この程度のカネでヤクザ天狗が満足するだろうか? ヤマヒロは恐怖におののいた。 

「……」ヤクザ天狗は輪ゴムで巻かれた万札束を受け取り、ヤクザスーツに仕舞った「……足りんが、しばらく待ってやろう。ニンジャが出たら、また私を呼べ」「ハァーッ! ハァーッ! ハァーッ!」ヤマヒロは緊張の糸が切れたように、粗い息をした。「どうした? ニンジャの恐怖が残っているのか?」

「アイエッ」ヤマヒロは言葉に詰まった。目の前のヤクザ天狗に恐怖しているのだとは、とても言い出せない「……アッハイ、ニンジャが」「これを使うがよい」ヤクザ天狗は純白のオモチとセンベイを取り出して渡した「オモチを口に咥えて、センベイを額に当てるのだ。ニンジャの悪夢が浄化される」

「カネは……」「不要だ。私の個人的な贖罪行動だ……ゲホッ!ゲホオーッ!」ヤクザモービルは一段と速度を上げ、猥雑たるネオサイタマの夜を疾走した。「アッハイ……」ヤマヒロはヤクザ天狗が言うようにオモチを咥えセンベイを額に当てた。「どうだ、ピンク色の光が見えたか?」「見えません」

「そんなはずはない」ヤクザ天狗の厳しい声がヤマヒロを恐怖させた「目を閉じてみるがいい」。「……アッハイ」ヤマヒロはそれに従った。「どうだ、ピンク色の光が見えてきたか?」「……アッハイ、見えてきました……」ヤマヒロは嘘をついた。そうしなければ身に危険が及ぶ気がしたからだ。

「ニンジャの恐怖が薄れてきたか?」「……アッハイ、薄れてきました」「オモチを吐き出してみろ……よし、邪悪なニンジャソウルの影響が黒い染みとなってオモチに移った。見えるな?」「……アッハイ、黒くなっています」ヤマヒロはまたも嘘をついた。この男は完全に狂っているのだと思った。

「闇医者のところへ運ぶ」とヤクザ天狗。「カネがもう……」「ならば天狗の国に行くか? お前は優れたヤクザだ。鍛錬次第では、私のような聖戦士になれるかもしれん」「いえ、いいです……」もしやこの男は仲間を求めているのではないか? ヤマヒロはヤクザ天狗の狂気と、孤独な物悲しさを悟った。

 ある意味で、このヤクザ天狗という男の行動はタロに似ているのだと、ヤマヒロは直感的に悟った。ヤバレカバレでタロが見せた、あの狂気的行動。ヌンチャクを振り回し、ニンポを叫んだあの行動。あの一瞬の狂気を、この男は、何年以上も絶え間なく続けて……完全に狂ってしまったのだろう、と。

 しかしその一方で、この男の行動の端々にはまだ、一本芯の通ったフリーランスヤクザ的な信念がある、とヤマヒロは思った。それ以上のことを詮索したり想像したりするのは止めにした。自分もまた、底知れない狂気へと引きずり込まれそうな気がしたからだ……。

 重金属酸性雨がヤクザモービルのフロントガラスに叩きつける有様と、ぐにゃぐにゃに歪んだネオンサインの灯りが、ヤマヒロを深い眠りへと誘った……。顔を腫らし、拘束具をはめられてネオサイタマ市警へと運ばれるマズダ・タロの乗ったマッポビークルが、ヤクザ天狗の車と偶然擦れ違った……。

 ……数日後。ヤマヒロとタロは、スガモ重犯罪刑務所で再会した。ヤマヒロは胸の上にいくらかのカネを置かれた状態で救急病院に捨て置かれ、ヤクザ天狗はいずこかへと姿を消した。ヤマヒロは悪夢を見続けているようだった。いつか、遠い将来、またあの男の名を呼んでしまう自分を予想しながら……。


【アトロシティ・イン・ネオサイタマシティ】終


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