【メナス・オブ・ダークニンジャ】
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ニンジャスレイヤー第1部「ネオサイタマ炎上」より
【メナス・オブ・ダークニンジャ】
濡れた土を踏みしめニンジャスレイヤーが歩く。ボンボリの弱々しい灯りが、ハラハラと落ちるモミジを金色に照らす。ネオサイタマにあるまじき静謐の空間。
この自然公園の詳細について、公的な記録は残されていない。地理的・電子的に隔離された小さな区画は、汚染された都市の只中にひっそりと穿たれた闇である。
ニンジャスレイヤーはマイを舞うような謎めいた動きで、ゆっくりと前進する。彼のその動きは、竹から竹へ、無数に張りわたされた「ナリコ」が為である。ナリコとは、ニンジャたちの間で伝承される危険なブービートラップだ。
ニンジャスレイヤーはこの地に仕掛けられたナリコは全て把握していた。目を閉じていても、彼は難なく通過することが可能だし、この危険なトラップの真ん中で堂々と昼寝をすることもできる。
彼の「マイ」の目指す先に、小さな庵が、おぼつかないシルエットをあらわした。
ヒュン、と風が鳴った。ニンジャスレイヤーは左手の人差し指と中指を垂直にかざし、飛来したスリケンを受け止めた。フイウチである!
直後、頭上からカタナをかざして飛び降りてくる影。ニンジャスレイヤーは振り向きながらの回し蹴りで、カタナを振り下ろす相手の腕を受け止めた。襲撃者はくるくると回りながら、ニンジャスレイヤーの目の前に着地した。
「ユカノ」……ニンジャスレイヤーが呼びかけると、襲撃者は鼻から下を覆うマフラーをほどいた。目元に幼さの影を残した、美女である。
「今日のアンブッシュ(不意打ち)には何点もらえるかしら?」ユカノは肩をそびやかした。ニンジャスレイヤーは庵に向かって歩き出した。「おれはセンセイではない、ユカノ」「ええ、そうでしょうね」
「センセイのご容体はどうだ」「……あまり、よくない」「そうか」ユカノが庵の障子戸を引き開けた。ニンジャスレイヤーは腰を屈めて、ボロ家に滑り込んだ。
粗末な室内である。床のタタミには色褪せたダルマの絵が描かれ、壁には幾つか、マキモノがかけられている。奥の壁には棚が設えられ、そこには大小無数の蝋燭に火が灯されている。部屋の中央、フートンから半ば身を起こした姿勢で、ミイラのように痩せた老人がニンジャスレイヤーを見上げていた。
彼こそ、ドラゴン・ドージョーのかつてのマスターにして「ローシ・ニンジャ」の異名を持つ男、ドラゴン・ゲンドーソーである。だが今や彼は、誰がみても明らかなほどに、死と隣り合わせの状態にあるのだった。
「ユカノ。これを」ニンジャスレイヤーが、ササの葉の包みを差し出す。「ヨロシサンが秘匿していたアンプルだ。これでセンセイもきっと、もちなおす」気丈なユカノの目に、涙がにじんだ。「フジキド……!」嗚咽をこらえ、ユカノは台所に立った。
「無茶を……しおって……フジキド=サン……」老人が咳き込んだ。ニンジャスレイヤーは首を振った。「たやすい事です。鉄の意志と、そしてこの」自らの胸を親指で差し、「この私に宿るニンジャ・ソウルをもってすれば」
「それが危ういのだ、フジキド=サン!お主に宿るそのニンジャ・ソウル、過去のなんというニンジャのものなのか、わからんのだぞ。そんな恐ろしいことは、『リザレクション』において例が無いのだ……!過信はならぬ」
ニンジャスレイヤーは頷かなかった。「しかし、あのとき我がもとにこの名無しのニンジャが降り来たらねば、私は妻と子の仇を討つ機会すら与えられず、雑草の如くに踏みにじられる運命だった」老人はこれには返す言葉が無かった。
「この力は私に与えられた宿命です、センセイ。この力で仇を討ち、ラオモトを討ち、すべての悪しきニンジャを殺す。私はそのために生かされています」ドラゴン・ゲンドーソーは何か答えようとしたが、そこへユカノが台所からチャを立てて戻ってきた。
ユカノはメレンゲ状に泡立ったチャで満たされた漆塗りの椀を、ドラゴン・ゲンドーソーに差し出した。「チャにアンプルが入っています、お爺様、これできっと……」「すまんな、フジキド、ユカノ……なんと口惜しきこの老体よ……」老人は震える手で、一息にチャを飲み干した。
そのときである。屋外で、なにかが爆発するような音が轟いた。空気が震え、不快な熱波が庵の中にまで届いてきた。
「ユカノ! センセイを!」ニンジャスレイヤーは障子戸を破って屋外へ飛び出した。ああ!なんという事か!竹林が燃えている!
燃え上がる竹とモミジの林を背後に、陽炎の中、ゆっくりと近づいてくる人影があった。ニンジャスレイヤーの心は千々に乱れた。尾けられた?なぜ!ミニットマンを返り討ちにし、尾行はすべて撒いた、発信機の類いなど……発信機!?
人影はニンジャスレイヤーに向かってオジギをした。「ドーモ。ニンジャスレイヤー=サン。ダークニンジャです」「ドーモ。ダークニンジャ=サン。ニンジャスレイヤーです」オジギ終了から0.02秒。ニンジャスレイヤーは跳んだ。後悔は死んでからすればよい。今は目の前の敵を倒さねばならない!
「イヤーッ!」先手を打った跳び蹴りは完璧なタイミングと間合いだった。しかし、ニンジャスレイヤーは次の瞬間、なぜかうつ伏せに草の上に倒されていた。「このときを楽しみに待っていた、ニンジャスレイヤー=サン。わがカタナ『ベッピン』が、貴様の血を欲して夜な夜な泣いていたものだ」
ダークニンジャの手には、不穏な凄みをもつカタナがあった。そのカタナに視線の焦点を合わせようとすると、視界がぼやけた。なにかのジツをかけられているのか?ニンジャスレイヤーは首を振った。
「さて、あのボロ家が貴様のアジトというわけか」「答える必要はない」……ユカノ、なんとか逃げおおせてくれ。ニンジャスレイヤーはじりじりとダークニンジャとの間合いをつめた。
「短い間に随分と暴れたものだ、ニンジャスレイヤー=サン」ダークニンジャが感情の希薄な声を投げかけた。「ボスは貴様の正体を知りたがっている。俺を遣わすほどに。だが、ソウカイヤの屑ニンジャどもを何人倒そうが、俺に言わせればなんの意味も無い」
ダークニンジャの刀が円を描く。ニンジャスレイヤーはそれを目で追おうとするが、視線が滑ってしまう。「本当のニンジャのイクサを見せてやろう、テロリスト」ダークニンジャが跳んだ。「イヤーッ!」「グワーッ!」
「イヤーッ!」「グワーッ!」不可解な一撃を左肩に受け、ニンジャスレイヤーは片膝をついた。ダークニンジャの幻惑的な太刀筋が、読めぬのだ!
「立て、ニンジャスレイヤー=サン。失望させてくれるなよ。これでは俺の『ベッピン』が静まらんではないか」ダークニンジャが切っ先を突きつける。……「Wasshoi!!」ニンジャスレイヤーはしゃがんだ姿勢から空高く跳ね上がり、宙返りした。
ニンジャスレイヤーが空中で放つ無数のスリケンを、ダークニンジャはカタナ「ベッピン」で素早く叩き落して行く。しかしニンジャスレイヤーはスリケンで勝負を決めようと考えたわけではない。攻撃を絶え間なく浴びせることで、反撃の機会を封じるのが目的だ。
着地したニンジャスレイヤーは土を蹴った。泥水が跳ね上がり、ダークニンジャはわずかな時間、視界を奪われた。それで充分だった。ニンジャスレイヤーが地面すれすれを駆ける。「後ろか!」ダークニンジャが吐き捨てた。
ダークニンジャの判断は正しかった。だが、わかっていても避けられない、それがニンジャスレイヤーのジュージツの恐ろしさである。ニンジャスレイヤーは背後からダークニンジャをがっちりと羽交い締めにしていた。「イヤーッ!」ダークニンジャを抱えたまま、ニンジャスレイヤーは垂直に跳び上がった。
垂直のジャンプ、その高さ、実に10メートルはあろう。頂点で頭が下になり、そのまま地面めがけて落下する。これぞ、ジュージツの禁じ手技、「アラバマオトシ」である!杭打ち機で打たれる車止めよろしく、ダークニンジャの頭部は地面に打ちつけられた。「グワーッ!」
転がって落下点から離れたニンジャスレイヤーは、注意深く、昏倒したかに見えるダークニンジャを見守った。
おお、しかし、見よ!地面をつかむダークニンジャの手に力がこもり、ぶるぶると震えたと見るや、ゆっくりとその身を起こしたではないか。その右手には、吸い付くように、かの「ベッピン」が握られている。
「なるほど、やるな。あまり遊んでいると殺されかねん」ダークニンジャは自分のアゴを押さえ、捻った。ゴキリ、と骨が軋む音が聞こえた。
今やふたりの周囲は火の海だった。もはやこの自然公園はおしまいだ。ニンジャスレイヤーは逃げたセンセイらを気にかけたかったが、このダークニンジャは恐るべき敵であった。「ゆくぞ、『ベッピン』」ダークニンジャがカタナを水平に構えた。刃が小刻みに揺れる......
ダークニンジャが消えた。そして、直後、ニンジャスレイヤーの胸は斜めに切り裂かれていた。数秒遅れて、彼の傷口から血が噴き出した。「これがデス・キリだ。さらば、ニンジャスレイヤー」ダークニンジャの声は、遠のくニンジャスレイヤーの意識の中でおぼろげだった。
ニンジャスレイヤーは地面に手をつき、なんとか堪えようとした。流れる血とともに力が抜けてゆく。「「「驚かせてくれる、デス・キリを受けてなお死なぬとは」」」ダークニンジャの声が、近づく足音が、残響する。「「「ならば、カイシャクしてやろう!」」」
ダークニンジャがニンジャスレイヤーの首の上で「ベッピン」を構えた。カイシャク、すなわち、首を狩ろうというのだ!ああ、もうだめなのか、ニンジャスレイヤー。屈してしまうのか!
「「ソコマデダ!ダークニンジャ=サン!」」火の海を圧して、叫びが飛んだ。「「なにやつ……」」ニンジャスレイヤーは声の方向へなんとか視線を動かした。そして目を疑った。そこに立っていたのは、死に装束に身をつつんだドラゴン・ゲンドーソーではないか!
枯葉のように痩せた老人は、拳を固く握り、しっかりと大地を踏みしめて、火の粉の中に立っていた。額には三角の布が当てられている。死を覚悟した者の出で立ちであった。「センセイ」「クスリが効いたぞ、感謝する、『ニンジャスレイヤー』!」「センセイー!」
「ドーモ、ダークニンジャ=サン。ローシ・ニンジャです」ドラゴン・ゲンドーソーがアイサツした。「ドーモ、ローシ・ニンジャ=サン。ダークニンジャです」ダークニンジャは驚きを隠さなかった。「あのドージョーの爆発を生き延びておったのか?」「いかにも」ドラゴン・ゲンドーソーが頷いた。
「これは僥倖。アブハチトラズとはこのことか。俺の手土産が二つになるというわけだ」ダークニンジャはニンジャスレイヤーを蹴り倒すと、ドラゴン・ゲンドーソーに向き直った。「甘いわ、小僧」ドラゴン・ゲンドーソーは哄笑した。「この場を生き残るのはニンジャスレイヤーただ一人よ」
センセイは刺し違えるつもりなのだ!ニンジャスレイヤーにはしかし、どうすることもできなかった。デス・キリの傷は深かった。彼はただ傍観するしかないのだ。
ドラゴン・ゲンドーソーは天に向って両手を掲げた。その手のひらに、空気が渦を巻いて、炎と共に吸い込まれて行く。それにつれて、老人の目が、口が、太陽のようなまぶしい光を発し始めた。ダークニンジャはベッピンを水平に構えた。デス・キリでいきなり決着しようというのだ。
「イヤーッ!」ダークニンジャの体が揺らぎ、消えた。デス・キリだ!「グワーッ!」炎と風を吸い込み、白いエネルギーの塊と化したドラゴン・ゲンドーソーの体が、デス・キリを受けて爆発した。巻き起こった放射状の風が、炎を、ダークニンジャを、ニンジャスレイヤーを吹き飛ばした。
どれほどの時間が経過したのだろう?ニンジャスレイヤーは己の力を振り絞り、よろめきながら立ち上がった。胸と肩の深手の痛みが、すぐに彼を現実に引き戻した。経過した時間はおそらく数分だ。しかし周囲の様子は激変していた。そこは灰色の世界だった。
ドラゴン・ゲンドーソーが引き起こした爆発によって、炎は跡形も無く消しとばされていた。灰色の焼け野原と、頭上の満月……。虚無である。いや、違う!前方の影はダークニンジャのそれである。
「ローシ・ニンジャは死んだ」ダークニンジャはベッピンを構え直した。「貴様にも引導を渡してやろう」すすを被り、背中からは蒸気を発しているが、彼にさほどのダメージは無いようだった。万事休すである。
ニンジャスレイヤーはファイティングポーズを取ろうとした。彼に残された力はもはやない。彼は己の無力を感じていた。妻と子を目の前で失ったあの時のように。「フユコ……トチノキ……」走馬灯のように、あの時の無念の光景が視界に重なり合う。
虫けらのように妻子と自分を手にかけたあのニンジャは、不気味なカタナを持っていた、不気味なカタナ……不気味な……目の前のダークニンジャがベッピンを振り上げる……不気味なカタナを……「貴様か!」ニンジャスレイヤーは叫んだ。「貴様がそうか!」
ダークニンジャが手を止めた。「何?」「貴様がおれの妻と子を!」「これは驚いた。おまえはあのときのサラリマンだというのか。我々に楯突くニンジャが、あのサラリマンだったと?確かに時系列は一致する……」
『殺せ!殺せフジキド!己を捨てろ!仇を討ってやる!』ニンジャスレイヤーは内なる呼びかけを感じていた。
ニンジャスレイヤーはその呼びかけを知っていた。全てを失ったあの日、妻子を殺され、自らもまた死んで行こうとするそのときに、彼に力を与えた声。名無しのニンジャ・ソウルの声である。
『さあ、ワシに身を任せろ、ワシに体を貸せ!仇を討ってやる!』『ならぬ、フジキド。耳を貸すな』名無しのニンジャ・ソウルの声にかぶさるようにして、もう一つの声がニンジャスレイヤーに呼びかけた。「その声はセンセイ……!」
『これが最後のインストラクションだ、ケンジ・フジキド。ニンジャ・ソウルに呑まれるなかれ。手綱を握るのはおまえ自身、ほれ、このように。イヤーッ!』『グワーッ!』ニンジャ・ソウルの苦悶の叫びが脳内でこだました。やがて静寂が訪れた。
ニンジャスレイヤーは己の内奥から今再び湧き出す燃えるような力を感じていた。『さあ、この力でダークニンジャと向き合うがよい。これにてサラバだ、フジキド=サン。わが教え、ゆめゆめ忘れるなかれ。そしてユカノの事をたのむ』「センセイー!」
そしてニンジャスレイヤーの視界に現実の世界が戻ってきた。振り下ろされるダークニンジャの「ベッピン」が!
「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーはチョップでベッピンの刃を受けた。禍々しい炎につつまれたニンジャスレイヤーの手は、ダークニンジャの暗黒の剣を一撃で叩き折った!「バカなー!」
「地獄から戻ったぞ、ダークニンジャ=サン!」ニンジャスレイヤーは、得物を失いひるんだダークニンジャの頬に、禍々しい炎につつまれた右ストレートを叩き込んだ。「イヤーッ!」「グワーッ!」よろめくダークニンジャに、今度は左ストレートを見舞う。「イヤーッ!」「グワーッ!」
そして再びの右ストレート。「イヤーッ!」「グワーッ!」左ストレート。「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」
圧倒的であった。ダークニンジャは体勢を立て直そうともがいた。ニンジャスレイヤーは身を沈め、跳躍の予備動作をとった。その構えはジュージツのそれではない。考古学者であれば、あるいはその構えを指摘する事ができたやも知れぬ。その動きは、太古の暗殺術「チャドー」の構えであった!
「イイイヤアーッ!」ニンジャスレイヤーが斜めに跳躍した。きりもみ状に回転しながら両脚をカマのように振り、敵の首を狩る血も涙もない暗殺技「タツマキケン」が、ダークニンジャを直撃した。「ヤラレター!」断末魔の絶叫とともに、ダークニンジャの体はハンマー投げのハンマーのように吹っ飛んだ。
ニンジャスレイヤーの全身を覆っていた炎は、役目を終えると跡形も無く消え失せていた。「センセイ」ニンジャスレイヤーは己の手のひらを見つめ、嘆息した。
しかし別れをかみしめる時間など、ありはしなかった。夜空に複数のヘリコプターの爆音が轟きわたる。ソウカイヤの何らかの支援部隊が到着したに違いない。ニンジャスレイヤーは焼け焦げた木々の陰に身を滑り込ませ、その場から消え失せた。
秘められた凶悪な力を引き出し、辛くも宿敵を討ち果たしたニンジャスレイヤー。だが、失ったものはあまりに大きく、謎は今まで以上に闇を深めるのであった。……悲劇を超えて今はただ走れ、ニンジャスレイヤー!
【メナス・オブ・ダークニンジャ】終
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