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【マーク・オブ・ザ・デビル】

◇総合目次 ◇エピソード一覧

この小説はニンジャスレイヤー第3部のTwitter連載時ログをアーカイブしたものです。原作者による全面的なリライトが行われています。これはスピンオフ的な性質を持つ「報道特派員シリーズ」のエピソードのため、物理書籍未収録作品です。





「お願い、あなたの力が必要なの。この事件は……」「この事件はニンジャ案件ではない」イチロー・モリタは席を立ち、掛けていたトレンチコートを羽織ると、ハンチング帽を目深に被って背を向けた。「ナンシー=サン、すまぬが今回、力は貸せぬ」

「待って、ニンジャスレイヤー=サン!」ナンシーが立ち上がり、呼び止めようとする。だが彼はもうドアを開け、秘密アジトを後にしていた。ナンシーは独り、秘密アジト内に立ち尽くし……UNIXモニタの前に戻る。モニタには、問題のドキュメンタリー映像が、繰り返し映し出されていた。

『ハァーッ……!ハァーッ……!ダメだ……!奴が追ってくるぞ!アイエエエエエエ!アイエエエエエエエエ!』暗視モード撮影された夜の松林。激しい手ブレ。山道を逃げ惑う学生たちの悲鳴。『もうダメだ!ナムアミダブツ!アイエエエエエエエエ!アイエーエエエエエエエエ!!』

「……きっとここには、何かが隠されている」ナンシーは悔しさに歯噛みする。だが彼女は諦めなかった。不屈のジャーナリストの信念に突き動かされるように、IRC端末を握りしめた。「必ず……真実を突き止めてみせるわ」




【マーク・オブ・ザ・デビル】



 ブロロロロロー。ナンシーの運転する白い取材バンが、交通量の少ない峠の国道を登ってゆく。ここはネオサイタマの遥か南東、ヤマ山地。『おいしい』『とにかく反対』『少し』などの旧世紀カンバンが国道の路肩で錆び、朽ち果てている。

「どうやらこの辺りね。大丈夫?車酔いしてない?」ナンシーが問う。「ああ、大丈夫。それにしても、えらいとこまで来ちまったな。無線LANどころか、自動販売機も無いぜ」助手席に座る特派員助手、エーリアスが応える。ナンシーからIRCで呼び出され、カメラマンとして急遽雇われたのだ。

 陽は天頂。騒々しいバイオセミの鳴き声が車内にまで聞こえてくる。右手には鬱蒼たる松林と山。左手にはガードレールと崖と川。ゼンめいた松林の間には、細い農道がいくつか見える。蒸し暑い。ネオサイタマ市街とヤマ産地は、まるで別世界めいて気候が違う。

「農道に入るわ」ナンシーがハンドルを右に切る。取材バンは峠道から農道の一本に入った。左右を松林に挟まれた、細い農道だ。ガタン、ガタン。取材バンは荒っぽく揺れながら進み、古いトリイの近くで停車した。眩しい日差しは道の左右の木々に遮られ、それだけで体感温度は数℃も違う。

「ジャージーデビルが出没するのは、決まって夜。あのドキュメンタリー映像もウシミツ・アワーに撮影されている」ナンシーはエンジンを切ると、トレッキング・シューズの靴紐を確かめてから、取材バンのドアを開け、土を踏みしめた。「夜までは、下調べね」

「よし」エーリアスも助手席から降り、後部座席に仕舞っていたTVカメラと録音機材をかついで、ナンシーの後に続いた。「報道の仕事、一度やってみたかったんだよな」カラテは乏しいものの、エーリアスはニンジャである。この程度の荷物運搬ならば造作もない。

「どう、何か感じたりする?」ナンシーが農道を先へ進みながら問う。道端には破壊されたオジゾウが並ぶ。「え? 何かって、何?」エーリアスは、林間の赤トリイに吊るされた古いイカジャーキー・ブードゥーの残骸を、少しぎょっとした顔で見上げていた。この地方の民間信仰だろうか。

「そうね。例えば、何かの気配とか……」「ちょっと待ってくれよ。調べてみる」エーリアスは立ち止まると、右こめかみに指を当て、目を閉じて、左手をかざしながら……四方の松林をソナーレーダーめいて探った。

「……いや、これといって感じないな。それに、今回はニンジャ案件じゃないんだろ?」「そうね。でも、敵意を持つ大型動物が近くに潜んでいるとしたら、どうかしら?」「もちろん察知できる。俺はニンジャだし。その辺は任せといてくれよ」

「あなたの霊感、頼りにしてるわ」ナンシーが微笑んだ。「霊感ってのも、ぞっとしねえな」エーリアスは苦笑いする。「幽霊は嫌い?」「まあ、場所が場所だしさ……。ノロイとか、そういうの、ありそうだろ……。ちょっと苦手なんだよな」「大丈夫、幽霊なんていないわ。UMAはいるけれど」

 二人の特派員は臆することなく前進。TVカメラを構えたエーリアスは、常に周囲をニンジャ警戒力で警戒しながら、前方を歩くナンシーを撮影した。NSTV報道特派員に偽装したナンシー・リーは、時折振り返り、カメラに向かって調査の経緯を語った。

「このヤマ峠では、しばしば謎の車輌転落、行方不明、UMA目撃などの事件が発生します」つば付きのNSTVキャップに腕章、サングラス、小型のマイク。手慣れた変装と演技だ。エーリアスは思わず感心した。

「目撃情報によると、そのUMAは馬、コウモリ、蛇などの特徴をあわせ持ち、ジャージーデビルと呼ばれています。数週間前には、ふもとのオンセン街に下宿する大学生グループが、偶然これをビデオ撮影し……」「うわッ!?」エーリアスが不意に立ち止まり、斜め後方の空にカメラを振った。

「どうしたの!? 何かの気配!?」ナンシーが駆け寄った。「ちょっと待ってくれ」エーリアスは周囲を見渡してから、カメラ映像を巻き戻し、確かめた。「……ゴメン、何でもなかった。何かちょっと、ニューロンがゾクっとしてさ。たぶん……鳥の気配だ、あそこの奴」

 ナンシーはエーリアスが指差す方向を見上げた。木の枝に、黒い影。バサバサという羽音。ゲーゲーと鳴いて飛び去ってゆく。「ただの……カラスよね」「ああ、そう思う。気のせいだ。ファインダーを覗いてると、なんだか落ち着かないんだよな。見えてない部分がさ」「大丈夫、すぐ慣れるわ」

 二人は頷き合い、取材活動を再開した。バイオセミがまた鳴き始めた。二人の胸元に、じっとりと汗が滲む。ナンシーは再びマイクを握る。

「……最近では、水牛ミューティレーションや、悪魔崇拝の痕跡、さらには奇妙な鳴き声が聞こえた等の報告もあります。しかし、地元のマッポは取り合ってくれません。果たしてこれらの怪奇現象の原因は何なのでしょうか? なお、近隣にはヨロシサン製薬の私有地が存在します」

 そのままナンシーとエーリアスは脇道に入り、山道に残された馬めいた蹄跡、ブラックメタルまたは地元農民のフォークロアに基づくと思われる奇妙なブードゥー(魔法陣と砕かれたコケシ)、食い散らされたマンゴーやパイナップルの山などを撮影しながら進んだ。

「ナンシー=サン、この辺の薄気味悪いブードゥーは何なんだ?」「きっと、ブラックメタリストが〈黒の男〉を呼び出そうとした跡ね」「〈黒の男〉……ああ、ドキュメンタリー映像でも何か言ってたっけ」

「ジャージーデビルと同様に、この辺りで報告され始めた怪奇現象。UMA探しにやってきた人たちが、昼間、この峠の森の中で目撃するという、悪魔的な黒い人影……」「それって……心霊的なやつ?」「まさか。ただの見間違いか何かでしょう」「だよな」エーリアスは胸を撫で下ろす。

「怪物の目撃情報が増えるにつれ、この地域に足を踏み入れる野次馬も増えた。そうした人たちが、何かを見間違って、それに〈黒の男〉という名前をつけ、オカルト好きの間で増幅されて広まった。……そんな所ね。最近では、ジャージーデビルの昼間の姿と考えられるようになったみたい」

「で、ブラックメタリストたちがそいつを呼び出すために、悪魔崇拝めいた儀式を行ってる……」「そうね。彼らがそういうことをするのは、ヤマ峠に限った話じゃないけど。住んでる人にとっては迷惑な話よね」

「じゃあ、この辺の農作物も、ブラックメタリストとかに食い荒らされたのかな?」「あまりそういう習性は知られていないわね。それに……ちょっと待って。さっき撮影した、パイナップルの映像を出せる?」「ああ、もちろん」キュルキュルキュル。エーリアスがテープを巻き戻す。

「見て。パイナップルの硬い外皮が、刃物ではなく、食いちぎられているでしょう?」「本当だ。なら……動物か?それもけっこう大きい」「そういう事ね。歯形の大きさから考えても、馬や牛のような頭部を持つ生物と考えられるわ」


◆◆◆

 すぐに日は傾き、空が茜色に染まり始めた。UMA存在の決定的証拠は未だ見つからない。脇道から戻り、林間の農道を進んでいた二人は、松林の間に孤立した農家を発見した。手入れされた畑や、動物よけの柵がある。薪割りの音も聞こえる。逞しい髭面の男がマサカリを振るっているのが見えた。現地住人だ。歳は50前後だろうか。

「こんな時、カメラは下げておいてね。印象を悪くするわ。一方的にショットガンで撃たれることもある」ナンシーはエーリアスにそう耳打ちしてから、NSTV特派員証を提示し、臆することなく農夫に近づいていった。「……ドーモ、我々は怪しいものではありません! TV局のものです! 取材させてください!」

「TV……?」農夫の男はマサカリを振るう手を止め、汗を拭った。怪訝な目で二人を見る。「あんたら、ちゃんとした所だろうな……?」「ハイ、ネオサイタマTV社です。名刺もあります」「……わかった。カメラはやめてくれよ」ナンシーの名刺を受けとると、農夫はそれをポケットに仕舞い、自らをマイヨシと名乗った。昔から、ずっとここに住んでいるという。

 マイヨシは気難しそうな男で、目を逸らし、薪割りをしながら応対した。周辺の道を尋ねると、この峠の先にはもう農家も自販機も無く、北にはマンゴー農家の廃村跡があるだけだと答えた。マイヨシはよそ者に対する不信感をあらわにしながらも、ナンシーたちの取材に応じる姿勢を見せた。

「では、音声でのインタビューを開始します。こちらでは、何を栽培しているんですか?」ナンシーがリポーターマイクを向けて質問した。「何って……見りゃ分かるだろ……」マイヨシは薪割りを続けながら、しばし黙り込んだ。寡黙な男なのか、それとも言葉を選んでいるのか。

 少ししてマイヨシは、農道を挟んだ向かい側の畑を手で指し示し、ぶっきらぼうに言った。「マンゴーやパイナップルだよ……」「マンゴーやパイナップル……」エーリアスは録音を行いながら、手元では念入りにメモを取った。ナンシーはエーリアスの仕事ぶりを見て、満足げに頷いた。

「最近、農作物が荒らされて困るような事はありませんか?」ナンシーがまたマイクを向けた。「……」マイヨシはすぐには答えず、無言で薪割りを続けた。カッ、カッ……カコーン。そしてタオルで汗を拭った。タンクトップ、逞しい上腕二頭筋がのぞく。「……別に、困ってねえよ。……それよりさ、あんたらみたいなよそ者が、首突っ込んでくるのがさ……困るんだよ」

「スミマセン、困ると言うのは具体的に?」「……この辺はな、元々ガケ崩れも多いし、危険なんだよ。……あんたらもさ、ちゃんとしたTV局なら、ガキ共に伝えてやってくれよ。興味半分で、俺たちの生活を邪魔するなってさ……。たまに、そういう迷惑な奴らが……この辺まで来るんだよ……」

 ナンシーはこれを聞き、あのドキュメンタリー映像の撮影者や、ブラックメタリストたち、つまりはジャージーデビル伝説に引き寄せられた野次馬たちを指すのだろうと察した。エーリアスは録音とメモを続けながら、時折、こめかみに指を押し当て、周囲を警戒し続けた。

そういう野次馬連中が、夜中に峠道で事故を起こしても、マッポが困るだろうが……。俺の言いたいことは、それだけだよ……。ほら、もう日が暮れるし、あんたらもとっとと帰れよ。暗いんだよ、この辺は……」マイヨシは薪をまとめて、納屋に帰ろうとした。話はこれで終わりということだ。

 だが彼は……何かを隠している。ナンシーとエーリアスは視線を交わし、無言で頷き合った。ジャーナリストとしての直感が、そう告げている。

「最後に、ジャージーデビルについての考えを聞かせてください。このUMAは、実在すると思いますか?」ナンシーが意を決し、単刀直入に斬り込んだ。「……知らねえよ。いるわけねえだろ」マイヨシが目を逸らす。「ジャージーデビルは、マンゴーやパイナップルが好きなのでは?」「馬鹿馬鹿しい……」態度が硬化!マイヨシは吐き捨てるように言った!

「お願いです、答えてください……!犠牲者が増えているんです。それに、ここへ来る途中にも、何者かに食い荒らされたマンゴーやパイナップルを撮影しました」ナンシーがさらに食い下がる。「これらの特徴からも、ジャージーデビルの正体は大型化したバイオウマヅラコウモリではないかと私は考えて」「……クソッ、くだらねえ……」

 マイヨシは舌打ちした。そして二人に背を向け、納屋に向かって歩き出した。夕暮れの低い陽光が、松林の枝葉を抜け、マイヨシの腕を照らした。「あッ」エーリアスが、何かに気づいた。「おッさん、ゴメン、その左腕……!」「……ん」マイヨシはゆっくりと立ち止まった。

「その、左腕の、歯形みたいな跡」エーリアスは、マイヨシの左部に微かに残る、奇妙な傷跡のようなものを指差していた。「これか……?こいつは昔、飼ってた馬に噛まれたんだよ。……悪いかよ?」明らかにマイヨシの様子がおかしい。肩を震わせ、息が荒くなっている。「いや、俺さ、たまに分かるんだよ。なんていうか、その、普通じゃない事が」

「普通じゃない事が……わかるだと?」マイヨシは薪を放り捨てて振り返り、エーリアスを睨みながら言った。激しい感情を強引に押さえているようだ。「スミマセン、彼女はアシスタント歴がまだ浅いため、時々シツレイな事を……」剣呑なアトモスフィアを察し、ナンシーが謝罪に入る。

「なあ、本当は……その歯形のせいで、何か苦しんでるんじゃないか?」エーリアスは特派員を装う事も忘れ、衝動的に語りかけていた。「うまく説明できないけどさ、俺、鍼灸師メンキョとかも持ってるから……何か、力になれるかも知れないンだよ。だから……」わけが解らぬまま、エーリアスは懇願するように、深々とオジギしていた。

 これは尋常ではない。ナンシーはそう直感した。奇妙な歯型の大きさは、フルーツを荒らしたと思しき野生動物のそれと一致しているようだ。しかしエーリアスは明らかに、それ以上の何かを察知している。霊感じみたニンジャの力でだ。ナンシーはゴクリと唾を飲んだ。

(((もしあの歯形が、ジャージーデビルにつけられたものだとしたら、何故マイヨシはその被害を否定するの? UMAなど実在しないと言うのは何故なの?)))……ここはエーリアスに任せるしかない。ナンシーは額の汗を拭い、静観の姿勢をとった。……果たして、マイヨシの答えや如何に?

「……何なんだよあんたら。オカルトに興味ねえよ、帰ってくれよ……」マイヨシは息を整えると、二人を無視し、薪割り道具を拾い上げた。そして背を向けて納屋に向かい、電磁ショック門を固く閉ざしてしまった。失敗だ。

 二人の特派員は薪割り場に取り残された。再び、バイオセミが騒々しく鳴き始めた。次第に、エーリアスの緊張がほぐれていった。「ダメだったかァ……。そりゃそうだよな。何で俺、初対面の人にあんなシツレイなこと言っちまったんだろ……?」エーリアスは、ため息を吐いた。

「彼、もしかして、ニンジャなの?」ナンシーがエーリアスに問いかける。「いや、ニンジャじゃないと思う」「じゃあ、どうして?」「……直感としか言えないよな。あのマイヨシ=サンって人は、何か普通じゃない理由で、苦しんでる。やろうと思えば、もう少し強引に調べられたけど……でもさ、同意なしで人の心に深く踏み込むのは、良くないだろ」

「ええ、そうね」「……なンか、悪かったな、ナンシー=サン。初心者なのに出しゃばっちゃってさ。なんか俺、ここに来てから、ちょっと変だよな……落ち着かないし」こんな時、イチロー・モリタ特派員が側にいてくれたら、また展開は違っていたかもしれない。だが詮無き事だ。

「いいのよ。まだ時間はある。何事にも失敗はつきものだわ」ナンシーはエーリアスの肩を抱いて、励ますように微笑んだ。ふもとのオンセンには、調査のために一週間宿を取ってある。二人は取材バンを停めておいた農道に向かって歩き出した。夜の虫たちの歌う声が聞こえ始めていた。

「さっきまで夕方だったと思ったら、もうこんなに暗くなってら。ナンシー=サン、今夜はこれからどうすンだ? もうかなり疲れてきたし汗も……」「相手は夜行性のUMA。時間を無駄にはできない。国道にマンゴーを仕掛けましょう」





周辺地図、Twitter連載ログより



「相手は夜行性のUMA。時間を無駄にはできない。国道にマンゴーを仕掛けましょう」「何だって……!?」エーリアスでも、その意図を直ちには理解できなかった。ナンシー特派員は、ジャージーデビルが好むというフルーツを国道に仕掛け、おびき寄せる作戦を提案したのである。

「ヤマ峠で頻発する車両転落事故は、UMAによる仕業だと確信を深めたわ。取材バンの中には投光器とフルーツ、それにショットガンを用意してある」ナンシーはハンドヘルドUNIXをタイプし、周辺マップをエーリアスに見せた。「取材バンをそのまま北に回して、廃村の入口近くに仕掛けましょう」

「えっと、つまりジャージーデビルは、単純なバイオ生物って事だよな? 儀式とか、ノロイとか、そういうのは関係なく」「ええ。蹄跡、フルーツ、そして目撃情報から導き出される全体像。間違いなく、UMAの正体はヨロシサンの施設から逃げ出したバイオ生物、またはバイオニンジャね」

「なら良かったぜ。心霊とか苦手だしな」取材バンに戻るため、二人の報道特派員は元来た農道を引き返し始めた。途中、エーリアスが不意に足を止めた。「ン?ちょっと待ってくれよ、ナンシー=サン」「どうしたの?また何か悪い予感?」ナンシーが怪訝な顔で歩み寄る。

 エーリアスはTVカメラを振り、北の松林を暗視モード撮影した。「アッ、まただ」エーリアスは目を閉じ、顔をしかめた。「何か見えたの?」「シッ……静かに。俺の気のせいじゃなければ……聞こえた! 叫び声だ!

 ナムアミダブツ!エーリアスのニンジャ聴力は、松林の彼方から微かな叫び声をキャッチしたのである!「叫び声!?誰の!?」「若い男女の叫び声だ!助けを呼んでる!」

「……方向は!?」ナンシーはハンドヘルドUNIXで周辺地図を展開しながら問う!「北東……廃村があるって言ってた方向だ!」「古い農道が続いているはず。あぜ道を行きましょう!」「取材バンを回せないか?」「林の中を突っ切った方が早いわ!カメラは回し続けて!GOGOGOGO!」

 キャップライトを灯し、二人の報道特派員は暗い農道を駆ける!エーリアスの担ぐTVカメラ映像が激しく揺れる!

「ナンシー=サン!暗視モード、どうやるんだっけ!」「手元のボタン、上から二番目!」「……よし!俺の目よりよく見えるぜ!」エーリアスはナンシーの後ろを懸命に走り、暗視モードのTVカメラを回し続ける!報道特派員として、全てを記録に残さねばならないという使命感に燃えているのだ!

 数百メートルほどで、あぜ道は雑木林に呑まれ、走りづらい茂みに変わってゆく!「「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」」二人の報道特派員はエーリアスのニンジャ聴力を頼りに、荒れた松林を走り続ける!

「誰かいるの!?答えて!私たちは報道特派員よ!」ナンシーが息を切らし、呼びかける。重いTVカメラを構えたエーリアスの筋力が、限界に達しつつある!「ハァーッ!ハァーッ!こっちの方角だ!間違いない!」エーリアスの耳には、助けを求める若い男女の声が確かに聞こえていた!

 不意に、視界が開ける!松林の中を数百メートル走り続けた報道特派員たちは、林間の小さな空き地へと到達した!「アイエエエエエ!」「誰か助けて!助けてください!」「アイエーエエエエエエエ!」いまや若者たちの悲鳴は、ナンシーの耳にも聞き取れるようになっていた! 

「こっちよ!こっちに来て!」ナンシーがライトを振って林の中に呼びかけ、手を振る!前方の暗い林から、眩しいマグライト光が三つ、小刻みに揺れながら、ナンシーたちのところへ近づいてくる!若い男女で、撮影機材らしきものを持っている!果たして彼らは何者なのであろうか!?


◆◆◆


「……よし、OK」テープが新品に交換され、エーリアスは撮影を再開した。薄暗い林間の空き地には、三人の無軌道大学生がへたりこみ、息を切らしている。男二人はリーダーとカメラ係、そしてもう一人は軽装の女子大生だ。彼らはパニック症状も見せており、まだ喋れる状態ではなかった。

 エーリアスとナンシーは先に息を整え終えると、学生たちが投げ出した大型リュックと、そこからこぼれた中身を撮影していた。彼らが持っていたのは……撮影機材、馬のマスク、ヒヅメ跡を作る小道具! おお……ナムサン! ジャージーデビル伝説は、彼らの捏造だったのであろうか!?

「見覚えがあるわ。あなた達、ジャージーデビル目撃のドキュメンタリー映像を撮った大学生ね? 今日ここで何をしていたの? この道具は何? ……説明して」ナンシーが厳しい口調で問うた。学生二人は青ざめた顔で、もう一人のリーダー格の男を見つめていた。

「あなたがリーダーね。何から逃げてきたの?」「ハァーッ、ハァーッ……。話します。話しますから、その、カメラ止めてもらっても、いいですか?」リーダー学生が言った。「ダメよ。私たちには、ジャージーデビルの真実を突き止める使命がある」ナンシーは腕組みし、有無を言わせない。

 リーダーは観念し、項垂れ、嘆息して立ち上がった。「……スミマセン。僕らは調子に乗って、第二弾を撮影しようとしていたんです」「何の第二弾?」「その……フェイクドキュメンタリーの……第二弾です。ジャージーデビルの……儲るかと思って……それで……」

 ナンシーは眉間に皺を寄せ、エーリアスと視線を交わした。エーリアスは気まずそうに、無言で首を横に振った。

 リーダーは同意を求めるように、他の学生二人の顔を見て、頷き合った。「……この先の、廃村で……撮影中ちょっとした事故があって……。それで、パニックになって、逃げてきたんです。……でも、友達のサガワ=サンとはぐれちゃって……」

「はぐれた? まだ誰か森の中に残っているの……?」「おい、もう真っ暗だぜ。危ないんじゃねえのか?」エーリアスが不安げに言う。「アッ! そ、そうなんです! サ、サガワ=サンを助けに行かないと……!」座り込んでいたカメラマン学生が、急性ショックから覚めたように言った。

「もうダメだよ、サガワ=サンおかしかったし、きっと〈黒の男〉を見ちゃったせいで……」うずくまって泣いていた女子大生が、何かを言いかける。リーダー学生がそれを制止する。「だから、〈黒の男〉なんかいないんだって。関係ないんだって。話をややこしくするなよ」

「落ち着いて。あなたがリーダーでしょう?経緯をまとめて」ナンシーが汗を拭いながら、リーダー学生に質問する。「事故なんです、完全な事故です。廃屋が崩れて、そこで、怪物の影を見たんです。本物のジャージーデビルが出たんだと思って。それで僕ら、パニックになって……」

「怪物って、どんな」ナンシーが言い掛けた、その時。(((NEIGHHHHHHHHH!)))どこか遠い場所から、馬のいななきめいた音が響いてきた。林間の空き地を、不気味な静寂が支配した。

 全員がゴクリと唾を飲み、無言で互いの顔を見つめ合った。「あ、あの鳴き声です……!」カメラ学生が恐怖に震え上がった。「馬の鳴き声だよな、今の……?」エーリアスが言った。

「確かめに行きましょう」ナンシーは無軌道大学生らに向かって言った。「エッ……」カメラを握るエーリアスの手が、じっとりと汗ばんだ。

 ナンシーはTVカメラに向かって、毅然とした態度でリポートを行った。「私たちはこれから、廃村へ向かいます。そこで怪物らしきものと遭遇し、逃げ遅れた学生がいるようです。助けなくてはいけません」

「ぼ、僕らも行くんですか?」リーダーが無責任に言った。「もちろんよ。詳しい場所を知っているのは、あなたたちだけ。それに、行方不明のメンバーが怪我をしているなら、麓まで運ばないといけないでしょう?責任を果たしなさい」「アッハイ……!」

「車はある?その廃村の奥まで車は入れるの?」ナンシーは速やかに作戦を立てる。リーダーが言い淀んでいると、カメラマン学生が答えた。「僕が、麓から運転してきました。廃村まで車を入れるのは、無理です。道が荒れ果ていたんで……。僕らは国道側から入って、廃村の入口近くの空地に停めて……そこから、歩いて入りました。結構な距離を」

「つまり、あなたたちの車は、廃村を挟んだ反対側ね?」ナンシーがハンドヘルドUNIXで地図を操作する。「ハイ、そうなります」「……遠すぎるわ。なおさら一緒に行動したほうが安全ね。危険な野生動物がいるのなら、こんな暗い森の中で下手に分かれるよりも、大人数で動いた方がいいでしょう?」ナンシーはそう言いながら、エーリアスを一瞥した。

 確かにそうだ。エーリアスはニンジャである。このような危険な場所では、ニンジャと一緒に動くのが最も安全なはずだ。問題は、敵の正体が不明なこと。無軌道学生たちは単純に、野生動物か何かに遭遇してパニックになっただけなのか?それとも凶暴なUMAなのか?果たして、彼らを守り切ることはできるだろうか? 

 悩んでいる暇はない。人の生命が掛かっているのだから。エーリアスは報道特派員としての覚悟を決め、ドンと胸を叩いてサムアップした。「……ああ。少なくとも、俺たちと一緒に行動したほうが安全だ」それを聞き、ナンシーが力強い笑みを返した。「さあ、立って!急ぎましょう!UMAについての詳しい話は、廃村に向かうまでの間に聞かせてもらうわ」

「あの、それなんですが、僕らも記憶があやふやで……」カメラマン学生が、小型のハンディカメラをナンシーに手渡した。「ここに、今日撮影した映像、全部入っています。もしかすると、何か映っているかも……」


◆◆◆


 ……キュルキュルキュルキュル。ビデオが巻き戻される。昼間のヤマ峠の映像。車を降りて松林を進む、四人の無軌道大学生が映し出される。「じゃあテスト撮影開始です」「ワースゴーイ!」「セミがうるさいです」「ジャージーデビルでーす!」馬マスクを被った無軌道女子大生がネコネコカワイイジャンプめいて飛んだ。「カワイイ!」「ヤッタ!」「ワースゴーイ!」

「えー我々は、前回のドキュメンタリーが良く出来たので、新規メンバーも加え、ヤマ峠にあるマンゴー農家の廃村で、二度目のロケを敢行したいと思いまーす」「ワースゴーイ!」「おい、今の所ちゃんと後でカットな!」「アッハイ」「廃村はまだなの?」「この峠には、ジャージーデビルが出ると言われていてー」キュルキュルキュル。早送り。

「君たちさ、これはアート作品なんだから。真剣にやれよ、真剣に。真剣じゃないとダメなんだよ」リーダーの声。「さっきみたいな事したら、ホント怒るよ」「ハイ」「ハイ」「スミマセン」「本気でカネ稼ごうって思った事ある?」「ハイ」「スミマセン」「じゃあ、気持ち改めてさ、ヒヅメ跡作る所からやり直そうよ」キュルキュル。キュルキュルキュル。

 激しくブレるカメラ映像。時間がかなり飛んでいる。「今!見えた!絶対見えた!」「ウェイウェイウェイウェイ!」「あっち、あっちの一本松の影」「それってマジで〈黒の男〉じゃないの?」「ちょっとさ、ハンディカメラのほう映して」「何?〈黒の男〉って何?」「ブラックメタリストかな?」

「お前ら、前のビデオでちゃんと予習してないのかよ?」「〈黒の男〉ってのはさ、伝説によるとジャージーデビルが昼の間とる姿で」「森の中で、黒いローブを着てて」「何それ、聞いてないんだけど。馬コウモリじゃないの?」「いや、ジャージーデビルはさ」「何も映ってないよ、ハンディカメラには」「見間違いですね」「絶対居たって!こっち見てた!」

 キュルキュルキュルキュル。夕暮れ近く。霧深い廃村。一行は〈黒の男〉を見なかった事にし、立ち入り禁止のシメナワを越えて、廃村の撮影を続けていた。「ワースゴーイ!」「ちょっとこれヤバイ。なんていうかリアリティがスゴイ」「あれとかさ、天井崩れてるのナンデ?」倒壊しかかった家々。納屋。貯蔵庫。給水塔。生活の跡。

「誰かいますかー?」「誰もいないって。いたら余計コワイだろ」「アハハハハハハ」キュルキュルキュル。廃屋を外から撮影する。「こっちの表札はマイヨシ=サンですね」「あっちもマイヨシ=サンだった」「マイヨシ=サンばっかり」キュルキュル。「これマンゴーじゃない?」「食べカス?」キュルキュル。

 キュルキュルキュル。夜の帳が降り始める。明らかにアトモスフィアが変わっている。「おいヤバイ」「不法侵入ヤバイ」「マッポにバレたら捕まるって」四人組のひとり、サガワだけが崩れかけた廃屋の地下にいる。地上階の床板は腐って抜け落ち、地下室が映し出されている。

 サガワを上から撮るカメラ。頼りないアマチュア投光器の光。サガワは地下室で家探しを行っている。「こういう場所、絶対何か秘密があるんだって。ほら、これさ、日記あるよ。俺、読んじゃうよ」「サガワ=サン、もうやめろって!」「アイエエエエエ!」

 激しく揺れるカメラ。叫び声。「何だ、どうした!?何で叫んだ!」「い、今向こうで、馬、馬みたいな声が!」女子大生が声を震わせる。サガワはまだ地下だ。「おいサガワ=サン!何かヤバイ!帰ろうぜ!」だがサガワは一心不乱に日記を読み続けている。「おい、サガワ!上がってこい!」

「何てこった……ジャージーデビルの正体は……ウッ!」サガワが突然、へたり込んだ。日記にかかる、大量の鼻血らしきもの。「ヤバイヤバイ!」乱れる映像。「アイエエエエエエエ!」「オイ何だ、何だよこの音!」「逃げろ!」キイイイイイイン!「アイエエエエエエエエエエエエエエ!?」突如、廃屋の屋根が倒壊!「アバーッ!?」サガワの断末魔!

「アイエエエエエエエエエ!」カメラは激しく手ブレしながら逃げる。倒壊で生じた粉塵の中を。「サガワ=サン!サガワ=サン!」「アイエーエエエエエエエエエ!ダメだ、逃げろ!」「アイエエエエエエエエエ!あれ!屋根の上!屋根の上に!」カメラが振り返る。崩れ落ちた屋根の上には、翼を持つ謎の巨大生物の影が!「「「アイエエエエエエ!」」」 


◆◆◆


 そこでハンディカメラの映像は終了した。映像を確認しながら廃村へと進んでいた一行は、村の入口たるトリイの前で、足を止めた。

「……ちょっと待ってくれよ。これさ、全然話が違うよな。林の中ではぐれたって言ってなかったか?」エーリアスは声を震わせながら言った。「仲間を地下に置いて、自分たちだけで逃げてきてるよな?」エーリアスのTVカメラが、無軌道大学生一人一人の表情を順番に撮影した。「アイエエエ……」「スミマセン……」「記憶が混乱していたので……」

「もう一度、巻き戻して」ナンシーは額の汗を拭い、冷静に映像を確認する。「屋根との比較。体長は四メートル近くあるように見えるけど、一部は翼ね。本体は……それでも馬より遥かに大きい。予想より大型で好戦的だわ。……勝てそう?」「いや」エーリアスが首を横に振りかけた。その時。

「NEIGHHHHHHHH !」前方の暗闇から、不気味ないななき声が聞こえた!さらに荒々しい蹄音、コウモリめいた翼が澱んだ夜の大気を打つ音!「「「アイエエエエエエエエ!?」」」ナムアミダブツ!「ヤバイ!向こうから来やがった!」エーリアスはそのアトモスフィアから直感的に、勝ち目なしと判断!「逃げようぜ!

「「「アイエエエエエエエ!」」」一行は元来た道を引き返すように、松林を散会しながら逃げ始めた!「こっちよ!私に続いて!」ナンシーが先導する!「取材バンまで逃げれば、ショットガンがあるわ!」「急げ!」エーリアスが最後尾!誰もが無我夢中で走る!混沌!エーリアスのTVカメラの映像が滅茶苦茶に揺れる!後方の松林から、凄まじい物音が迫ってくる!

「「「「「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」」」」」逃げる!暗視カメラ映像が激しくブレる!エーリアスは必死で後方を振り返り、山林の闇の中に謎のUMAの影を探す!「NEIGHHHHHHH!」不気味な声と物音!だが姿はまだ見えない!「走れ!何か近づいてくるぞ!」「ナムアミダブツ!」「アイエエエエエ!」「追いつかれるぞ!」「アイエーエエエエエエエ!」

「おいダメだチクショウ、これちょっと頼む」エーリアスは最後尾のリーダー学生と並走し、TVカメラを手渡した!「アイエエエエ!ど、どうするんですか!?」「俺が何とか食い止めてみる!……だから走れ!」「ハ、ハイ!」大学生はカメラを受け取り、エーリアスを映す。エーリアスはサムアップする。大学生はすぐにナンシーの側に向き直り、走り出した!


◆◆◆


「ハアーッ!ハアーッ!ハアーッ!スミマセン!スミマセン!スミマセン!」リーダー大学生は涙を拭い、エーリアスに謝りながら、TVカメラを抱えて一心不乱に走り続ける!「イヤーッ!」遥か後方で、エーリアスのカラテシャウトが響いた!UMAと戦ってくれているのだ!彼らを逃すために!

 斜め前方に文明の光!農家だ!「おい……!」前方から野太い声が聞こえる!「誰だ?誰だよ!?」リーダー大学生が狼狽する!映像が乱れる!農夫だ!ショットガンを構え、ガンベルトを巻いている!「う、撃たれる!?」「アイエエエエ!」大学生らは恐怖し、立ちすくんだ!

「大丈夫、この人は味方よ!マイヨシ=サン!ジャージーデビルが出たの!」ナンシーが叫んだ!「国道まで逃げろ!車で逃げろ!」農夫マイヨシが応える!「あなたは戦うの!?」「決着をつけてやる!」マイヨシがショットガンをコッキングする!直後、松林の空が真っ赤に染まった!

「おい何だ何だ何だ」「アイエエエエ……」女子大生が後方の松林を指差した。「うわッ」リーダーが振り返り、TVカメラを後方の空に向けた。暗視映像が一瞬、通常モードに切り替わった。松林の中、何の前触れも爆発音もないままに、巨大な炎が発生したのだ。

 リーダー大学生が息を呑んだ。高性能TVカメラが自動ズームを行う。「HELL-O!」エーリアスに似た赤髪の女が叫び、松の木を蹴って高く跳躍。カラテシャウトを響かせた。直後、再び爆炎が渦巻き、黒いUMAの影を飲み込んだ。熱を孕んだ風が、遠く離れた大学生らにまで届いた。

「だ、誰だ……?」「立ち止まらないで!」ナンシーが叫んだ。リーダー大学生は我に返り、ナンシーの後に続く。「マイヨシ=サン!あなたも逃げて!」「俺がやる!奴は俺を殺せねえ!ARRRRRRRRRRGH!」マイヨシは荒々しく叫びながら、銃を構えて松林に突撃する!

「「「アイエエエエエエ!」」」」大学生らはナンシーに続いて逃げる!後方では銃声と叫び声が入り混じる!「NEIGHHHHH!」「ンアアアーーーッ!」BLAMN!BLAMN!ナムアミダブツ!「こっちよ!」ナンシーの声!細い農道を抜け、トリイの近くに白い取材バンが見えた!「早く!早く乗って!」ナンシーが手招きする!大学生ら三人が、次々バンに乗り込む!

「ヤッタ!」「生きてる!」「助かった……!」「行くわよ!」ナンシーが運転席に乗り込み、アクセルヲ踏み込んで急速発進!だが取材バンは突然パンクし、左右に大きく揺れて停止した!「「「アイエエエエ!?」」」「SHIT!」ナンシーがドアを蹴り開けて車から降り、タイヤをライトで照らす!「タイヤを調べて!」「ハイ!」大学生も降り、カメラをズームする!

「な、何か刃物のようなものが刺さってます!」「やられたわ!マキビシよ!」ナンシーが確認し、叫ぶ!ナムサン!何者かが非人道設置武器マキビシを敷設していたのだ!「おい!早く逃げろって言ったろ……!」後方から女性の声!鼻血を垂らしながら、傷だらけのエーリアスが駆け寄ってきていた!「ジャージーデビルはまだ生きてる!追って来るぞ!」

「取材バンはもうダメだわ!積んであるショットガンと投光器で……!」「ダメだ!ショットガンなんかじゃ敵わねえ相手だ!俺も……足をヘビみたいのに噛まれた!フラついて、うまく動けねえンだ!……おい!」エーリアスが大学生たちに呼びかける!「ハ、ハイ!?」「国道まで走れ!長距離トラックとかを拾うんだ!」

「MOVE!MOVE!MOVE!」ナンシーが峠道に向かって先導する!「こ、この時間帯は、もう殆ど交通量が……!」「アイエエエエエ!」「さっきの農家の人はどうなったんですか!?」大学生たちが泣き言を言う!「ツベコベいわずに逃げろ」エーリアスは大学生に任せていた重いTVカメラを引ったくるように受け取った。「カメラ、ありがとうな!振り返らず走れよ!」

「「「「「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」」」」」一行は僅かな希望に縋り、国道に向かって駆けた。先頭にナンシー。最後尾にはエーリアス。ナンシーは時折、後方の空に向けてショットガンで威嚇射撃した。大学生たちは無我夢中で走り続けた。「あと少しで逃げ切れるぞ!あと少しだ!」エーリアスはそう叫び、学生らを励まし続けた。

 だがここで、エーリアスの撮影するTVカメラの映像が左右にユラユラと揺れ始めた。彼女自身がフラついているのだ。「ハァーッ!ハァーッ……!クソッ……!こんな……!こんな所でかよ……」エーリアスの瞳が、麻痺毒で曇り始める。ペースが遅れ始める。

「ウソ……だろ……」エーリアスは足をもつれさせて転倒し、TVカメラとともに農道に転がった。ナンシーたちの光が、遠ざかっていった。


◆◆◆


「……見えたわ!国道よ!」ナンシーが叫んだ。「ヤッタ!」「助けて!」「僕らはUMAに襲われています!」国道に到達した無軌道大学生たちは、路肩でジャンプしながら必死に叫んだ。だが長距離トラックは減速すらせず無慈悲に素通りしてゆく。インガオホー!

「ダメだ!やっぱり誰も、助けてなんか……」無軌道大学生が諦めかけ、膝をついたその時。プップー!クラクションが鳴り、頼りないヘッドライト光が彼らを照らした。峠の国道を走る一台のタクシーが、接近し、路肩に停まったのだ。

「お願いです!私たちはブラックメタリストではありません!この子達を乗せて、ふもとのオンセンに行って!理由はあとで話すわ!」ナンシーがNSTV報道特派員証を掲げながら叫んだ。力尽き、道路に座りこんだ大学生たちは、祈るような気持ちでタクシーを見た。

 皆が固唾を呑んで見守る中、タクシーの運転席ドアが開いた。ナンシーは驚きの声をあげた。「あなたは……!」「ドーモ」運転席から降りたのは、トレンチコートにハンチング帽の男。おお……その胸には、NSTV報道特派員イチロー・モリタの特派員証が輝く!

「ナンシー=サン、この車で彼らを頼む。あとは私がカタをつける……!」



 ウィー、ウイ、ウィー。農道に転がった暗視モードのTVカメラが、うつぶせに横たわる報道特派員エーリアスと、その先の松林を自動ズームで映し出す。エーリアスはTVカメラに向かって必死で這い進み、自分を移すように向きを調整していた。

「ア……ア……」エーリアスの目は虚ろだ。自分が見たUMAについてカメラに語りかけようとしていたが、頭がうまく働かない。毒のせいで、全身の筋肉が弛緩し始めている。もうほとんど体の感覚もない。

「ヤバイ……。奴が……奴が来ちまう……」コウモリめいた翼の音、砂利を踏みしだく蹄音、そして獣じみた荒々しい息づかいが聞こえてきた。巨大な何かが、エーリアスの背後に、覆いかぶさるように立った。暗視モードカメラに黒いUMAの影が映し出された。ジャージーデビルだ。

「ヒッ……」エーリアスは恐怖で嗚咽した。荒々しい鼻息が、頭のすぐ後ろに感じられた。相手の背丈は、竿立ちの馬ほどもある。のし掛かられればひとたまりもない。エーリアスは祈るように目を閉じ、心を閉ざした。死んだフリだ。森で熊に出くわした時の対処法めいて。

 ……フッと、獣の気配が後方へと遠ざかってゆく。助かったのだろうか。エーリアスが安堵の息を吐いた瞬間、シュルシュルと、鞭のようなものが彼女の足に絡みついた!毒蛇の尾だ!「……アイエエエ?アイエーエエエエエエエエエ!」エーリアスの体が、後方の松林へと引きずられてゆく!

 ナムサン!ジャージーデビルは彼女を森へ連れ去ろうとしているのか!?だがその時!BLAMN!BLAMN!闇の奥からショットガンの銃声と、農夫の叫び声が聞こえた!「やめろーッ!キノシタ!もう終わりにするんだ!キノシターッ!」マイヨシだ!負傷し、白いタンクトップは血に塗れている!

「NEIGGGHHHHH!」散弾が命中したのであろうか!アクマめいた馬のいななき声が夜の松林を圧し、凄まじい音波でカメラ映像が乱れる!エーリアスの足首の拘束が解け、周囲の林からセミが一斉に飛び立つ!「キノシターッ!」散弾銃を放り捨て、マサカリを振りかぶって突撃するマイヨシ!

 だが次の瞬間!キイイイイイイイイイン!頭を割るような凄まじい怪音波がジャージーデビルから発せられ、エーリアスとマイヨシを襲ったのである!「グワーッ!?」マイヨシは斧を取り落とし、その場にうずくまって頭を押さえる!おびただしい鼻血だ!

「アイエエエエ!?」ニンジャ鋭敏感覚を持つエーリアスも、怪音波攻撃を浴びてのたうち回る!「……やっぱりこいつだ!ちくしょう!同じニューロンの感触だ!……最初、俺が気配を感じた時に……車にマキビシを仕掛けに行きやがったんだ……!こいつ、ニンジャかよ……!ちくちょう!」

「NEIGHHHHHHH!」キイイイイイイン!さらなる超音波がエーリアスたちを襲う!「ンアアアアアアーーーーーッ!?」エーリアスは歯を食いしばり、仰向けで足をバタバタと動かしながら、絶叫痙攣する!もはやこれまでかと思われた、その時!

「Wasshoi!」突如、ジゴクめいたカラテシャウトが松林に響き渡った! 赤黒い影が取材バンを蹴って高く跳躍したのだ! 四枚のスリケンが闇を切り裂いて飛ぶ! 命中!「NEIGHHHHHH!?」アクマめいた唸り声が響UMAの赤い返り血が飛ぶ!

「ドーモ、ジャージーデビル=サン、ニンジャスレイヤーです。ニンジャ……殺すべし!」赤黒の影は着地と同時にジュー・ジツを構え、アイサツを決めた!「NEIGHHHHHHH !」ジャージーデビルもアイサツめいて叫び、ひときわ強力な怪音波攻撃を浴びせた!

「イヤーッ!」ニンジャスレイヤーは紙一重の連続側転でこれを回避! 後方に並んだオジゾウが、音波の流れ弾を受けて順に砕け散る! ニンジャスレイヤーはそのまま側転速度を増すと、鋭いジャンプから松の木を蹴って一転攻勢! 見事なトライアングル・リープキックを繰り出した!

「イイイヤアアーーーッ!」ワザマエ!だがジャージーデビルも機敏なサイドステップでこれをかわす!着地したニンジャスレイヤーと怪物は、タタミ四枚の間合いで睨み合う! 

 直後、異形の怪物とニンジャ殺戮者の間で、凄まじいカラテ攻防が始まった!軍馬めいた荒々しい唸り声とともに、ジャージーデビルが襲いかかる!竿立ち姿勢から相手を叩き潰す、連続の蹄キックだ!「ヌウウーッ!」ニンジャスレイヤーは鋼鉄ブレーサーで防御を固め、乱打を凌ぐ!

「おい、マイヨシ=サン!大丈夫か!」死闘が続く中、エーリアスが辛うじて這いより、倒れたマイヨシに触れ、揺り起こそうとする。「ア……ア……」危険な状況だ!「しっかりしろ、マイヨシ=サン!死ぬなーッ!」「イヤーッ!」劣勢を覆す死神のカラテ・ローキックが、UMAの後脚に決まった!「NEIGHTHHH!」ジャージーデビルは唸り、怒り狂い、翼を広げて舞い上がる!

 怪物は満月を背に旋回し、飛行の勢いを増す。恐るべき滑空攻撃を繰り出さんとしているのだ。ニンジャスレイヤーは上空を睨み、情け容赦ないカラテを構えた。敵の空中突撃を迎撃しようというのか。「……キノシタ!やめるんだ、キノシターッ!」正気付いたマイヨシが、空に向かって叫んだ!

「NEIGHHHHHH!」ジャージーデビルが襲い来る!「イイイヤアアーーーーーッ!」赤黒の死神も、高く回転跳躍!そのまま対空チョップを繰り出し、ジャージーデビルの急降下蹄キックと激突!SMAAAAAAH!ヤマ峠に、この世のものとは思えぬ凄まじいカラテ衝撃音が響き渡った。

 ニンジャスレイヤーは松林へと弾き飛ばされた。ジャージーデビルもまた首の骨をへし折られ、地響きとともに農道に墜落した。それは呻き、苦しげにのたうちながら、黒いニンジャ装束の人型……〈黒の男〉へと変わった。〈黒の男〉はマイヨシらのもとへ這い寄り、手を伸ばそうとした。

「「アイエエエエエ!」」エーリアスとマイヨシが泣き叫んだ。カメラ映像が地震めいて揺れ、途絶えた。ジャージーデビルは、爆発四散したのだ。断末魔の叫び声が、激しいノイズとともにTVカメラのテープに刻まれていた。「サヨナラ!」と。

◆◆◆


 果たして、ジャージーデビルの正体は何だったのか。マイヨシが叫んだキノシタなる言葉には、いかなる意味があったのか。

 事件の夜から二日後……未だ解き明かされぬ謎の数々に突き動かされたエーリアスは、TVカメラと録音機材を携え、再びマイヨシの農場を訪れた。所々に包帯を巻いていたが、マイヨシは粛々と農作業に精を出していた。

「あ、ドーモ」エーリアスはオジギした。「……ドーモ」マイヨシが返し、汗を拭った。しばしの静寂。騒々しいセミの声だけが辺りに響いた。「マイヨシ=サン、あんた、もう大丈夫なのか」「……俺が作業しねえと、誰がこいつらの世話すんだよ」マイヨシの静かな視線はマンゴーに注がれていた。

「……何しに来たんだ。まだ何か用か?」マイヨシがぶっきらぼうに言った。余所者に対する攻撃的な態度は消え失せていたが、それでも未だ不穏なアトモスフィアを漂わせていた。

 エーリアスは少し躊躇してから言った。「あの夜のことなんだけどさ。死に物狂いで叫ぶあんたを助け起こそうとした時、偶然……俺の頭に、入って来ちまって」「……入って来た?」マイヨシが怪訝な顔で問うた。

「ああ、そうなんだ。見えた、っていうか……マジでその、悪気があったわけじゃないんだ。普段だったら、そんな事は絶対やらない。でもあの夜は不可抗力でさ、俺の中に入って来ちまったんだよ」

「……だから、何がだよ」「あんたの記憶っていうか、心がだよ。……キノシタ=サンって、あんたの弟さんなんだろ。マイヨシ・キノシタ=サン。それが、ジャージーデビルの正体なんだろ」

 マイヨシは観念したように、農作業の手を止め、背を向けて、家に向かって歩き始めた。そして振り返り、エーリアスを家のエンガワへと招いた。「……上がってってくれるか。まあ、長い話になるからよ」

 エーリアスは古い農家のエンガワに座り、出されたチャを呑みながら、台所でマイヨシがマンゴーを切って持ってくるのを待った。ふと、壁にかけられた古い家族写真のひとつを見ると、そこには〈黒の男〉に良く似た目元の男がいた。

 少しすると、マイヨシがカットフルーツを持ってやって来て、エーリアスの隣に座った。そして恐るべき過去の秘密を、懺悔めいて語ったのだ。

「……今から七年前のある日、突然、キノシタはさ、ニンジャになっちまったんだ……」マイヨシの記憶は混濁しており、どこからどこまでが真実なのかは、もはや彼自身にも解らぬという。「……それから徐々に、ジャージーデビルになったんだよ……」

 何たる哀しきニンジャソウル憑依現象であろうか。ニンジャとなったキノシタは、廃村にある旧家の地下室に籠るようになり、やがて完全にジャージーデビルと化したという。もう言葉は話せなかったが、マイヨシのことを確かに兄と認識しており、攻撃することはなかった。

 また、昼の間キノシタはニンジャの姿を取り、森を徘徊したという。これが〈黒の男〉である。恐らくは、ジツの力による無意識の変身であろう。ジャージーデビルが真の姿か、あるいは〈黒の男〉が真の姿だったのかは……最早誰にも解らない状態となっていた。

「あいつ、次第に凶暴になっちまってよ……国道で車とか攻撃してるのは解ったんだ。でも俺は結局、何も出来なかった。あの夜までずっと、あいつの好きなフルーツを育て続けてたんだ……」

「そうだったのか……。大変だったよな」エーリアスは何か言おうとしたが、うまい言葉が見つからなかった。

「なあ、報道特派員さん、俺は七年前に狂っちまったのかな。キノシタはもしかすると七年前のあの日、死んでいたのかもしれない。だから、ニンジャの死神が来て、全てを終わらせてくれたのかも……」

「大丈夫だよ、マイヨシ=サン。あんた狂っちゃいないさ。弟さんのためにも、多分、これが一番良かったんだ。でも、もし、あンたがまだその事で苦しんでいて……忘れたいって望むんなら……多分、できるかもしれない」「できるって、何が?」

「ああ」エーリアスは少し涙ぐみ、鼻を啜り、マイヨシの左腕に残された悪魔の歯形マーク・オブ・ザ・デビルに触れた。「ニンジャに刻まれた苦しい記憶とか痛みを、ニューロンからうまく取り除いてやることが……。でも、そう簡単なことじゃない。必要以上に消えちまうかもしれないんだ」

「……」マイヨシは左腕の歯型を見て、しばし思案した。幼い頃、弟と古井戸で仲良く遊んだ記憶。マンゴー栽培を始めた頃の記憶。弟が突然ニンジャになり、木人トレーニングを始めた日の恐怖。ジャージーデビルと化し、叱責する彼に噛み付いた夜の痛み。そして最後の夜、笑みとともに残した言葉。「……いや、いい」

「本当に?」エーリアスは問い直した。「ああ、いいんだ。俺が忘れたって、ジャージーデビルの伝説は完全には消えねえだろ……。そしたら、あいつが本当のジャージーデビルになっちまう、そんな気がするんだ……。ワケの解らねえ理屈だと思うけどよ……」マイヨシは顎髭を掻いた。

「……いや、解るよ、何となくだけど、解る。……あんた、弟さんのこと、大好きだったんだな」エーリアスはまた鼻を啜り、マンゴーを食べた。暗い秘密を共有した事で、重圧が消えたようだった。二人はしばらく、無言でマンゴーを食べた。

「……その代わりに、頼む」マイヨシが立ち上がり、エーリアスの目を見て言った。「あんたらは報道特派員として、ジャージーデビル伝説に終止符を打っちゃくれないか。これ以上、この峠に野次馬が来ないように。元の静かな峠道に戻るように。終わりにして欲しいんだよ……」

「解ってる。それが俺たちの仕事だ」エーリアスが強く頷いた。


◆◆◆


 ブルンブルンブルンブルン……白い取材バンが、松林の間で待つ。車内にはイチロー・モリタと、少し疲れた顔のナンシー・リーがいる。

 そこへ、カメラを抱えたエーリアスが、やり遂げた表情で戻ってきた。後ろには、段ボールを持つマイヨシもいる。二人は取材バンから降り、マイヨシにオジギした。マイヨシもオジギを返した。短く感謝の言葉を交わし合ってから、両者は別れを告げた。

 ブロロロロロロロー。白い取材バンは農道を走り始め、ヤマ峠の国道をゆっくりと下ってゆく。車内の後部座席には、マイヨシから渡された段ボールが積まれており、上等なマンゴーの甘い香りが漂っていた。

「話はうまくまとまったのね」「ああ、ナンシー=サンの読み通り、二人は兄弟だった。……哀しい話さ」「真実に到達できたのは、あなたのジツのお陰だわ」「いいや、ナンシー=サンが録音テープの違和感に気づかなけりゃ、俺も確信を持てなかったぜ」エーリアスは録音機材を撫でた。

『……興味半分で、俺たちの生活を邪魔するなってさ……』何気ないマイヨシの言葉と、インタビュー時にナンシーが感じた違和感。その答えは、『俺たち』という言葉にこそあった。遥か昔に廃村になった村。独りで暮らしているはずのマイヨシ。……ナンシーはあの夜の戦いの後、取材テープを何度も調べ、エーリアスと話し合い、この答えに辿り着いたのだ。

「結局、ヨロシサンのほうはどうだったんだ?」エーリアスが問う。「調べたけど、今の所、関連性はゼロ。ヨロシサンが絡んでいるに違いないという私の推論は間違っていた。まったく、反省しかないわね」ナンシーが言う。「ニンジャスレイヤー=サンも、ごめんなさい。あなたを無理に取材に参加させようとして……」

「……いや、いい」ハンドルを握るイチロー・モリタ特派員は、峠道をオンセンに向かって緩やかなカーブを切りながら、小さくかぶりを振った。「私もまた、あのドキュメンタリー映像だけから、ニンジャ事件ではないという決めつけで動いてしまっていた。私が初めから取材に参加していれば……」

「私たち、一度決めると、強情だから」「その通りだ」「良い点もあるけど、悪い点もある」……かのオゴポゴ事件で生まれた溝を埋めるように、二人は互いの過ちを認め、奥ゆかしく謝罪し合った。

「あッ、そういや、どうしてニンジャ事件って分かったんだ?」後部座席で撮影機材を調整しながら、エーリアスが運転席に声をかけた。「……気になって下の街のタクシー会社を調査し、崖の下に転落したという事故車輌の残骸を調べていた。微かだが、マキビシの痕跡があった」「なるほどね」ナンシーが頷き、伸びをした。「さあ、私たちもあと一仕事、頑張るわよ」

「なら、ひとつ食べたらいいよ。カットされたのがあるから」エーリアスがマンゴーの入ったタッパーを差し出した。「いいわね」助手席で爽やかな風を浴び、マンゴーを食べるうちに、ナンシー・リーは活力を取り戻し、ジャージーデビル伝説を殺すための計画を練り始めた。まずは、あの大学生たちに再び会う事となろう。幸い、オンセンにはまだ数日宿が取ってある。

 カメラを構えたエーリアスは、窓から少し身を乗り出し、美しいヤマ峠を……それから、ガケの遥か下を流れるヤマ川を撮影した。最後に、遥か後方の松林を名残惜しむように撮影し、鼻を啜って笑った。「……ナンシー=サン。俺さ、この仕事、なンだか好きになったよ」エーリアスの胸と腕には、NSTV報道特派員の特派員証と腕章が、誇らしげに輝いていた。


◆◆◆


 かくして、三人の報道特派員の手により、ヤマ峠のジャージーデビル伝説には終止符が打たれた。無軌道大学生たちは、廃墟から重傷で救出されたサガワを含め、その全員がNRS症状をきたしており、ニンジャとの遭遇の記憶を完全に欠落させていた。

 無軌道学生らは先のドキュメンタリー動画が捏造であることを認め、その謝罪動画を公開。その後、わずか一ヶ月ほどで、もはや誰一人もジャージーデビル伝説を囁く者はいなくなっていた。頻発していた不可解な車両事故も、怪物や〈黒の男〉の目撃情報も、ぷつりと途絶えた。この無慈悲なまでの移ろいと忘却こそが、ネオサイタマIRC-NETの常なのである。

 その後、ヤマ峠の廃村で不審な火災が発生したことはあったが、村には居住者もなく、これもすぐに忘れ去られた。もしかすると、マイヨシ自身がこの事件の痕跡を消すために、自ら火をつけたのかもしれない。

 いずれにせよ、この兄弟の秘密が表沙汰になることはなかった。マイヨシはその後も、自らの農場で独りフルーツを育て、弟の記憶とともに暮らした。ヤマ峠にジャージーデビルが現れることは、もう二度と無かった。

 この事件の真相に関する調査ファイルは、永遠に公開されることはない。それはナンシー・リーの電脳アジトの奥底で、そして報道特派員らのニューロンの片隅で、静かに眠り続けることであろう。




【マーク・オブ・ザ・デビル】終


N-FILES

ネオサイタマの南東、ヤマ山地でUMA「ジャージーデビル」の目撃情報が相次ぐ。報道特派員ナンシー・リーは、助手のエーリアスとともに調査に向かった。果たしてジャージーデビルはニンジャなのか? そこで彼らが遭遇した恐るべき真実とは……!

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