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【カース・オブ・エンシェント・カンジ】

◇総合目次 ◇エピソード一覧
この小説はTwitter連載時のログをそのままアーカイブしたものであり、誤字脱字などの修正は基本的に行っていません。このエピソードの加筆修正版が、上記リンクから購入できる第2部の物理書籍/電子書籍に収録されています。また、第2部は現在チャンピオンRED誌上でコミカライズが連載され、コミックスが刊行されています。




 数年前。ネオサイタマの、とある繁華街。猥雑なLEDカンバンに映し出されたオイランと漢字が、重金属酸性雨に頬を撫でられる夜。

 デッドエンド。暗いビル街の谷間。ネオンサインが青い火花を散らす。その男は一本のカタナを左の鎖骨に抱え、薄汚い路地裏の壁に背を預けて座り込んでいた。遥か上空に浮かぶホロトリイの朧な輪郭を、その男は空虚な瞳で見上げていた。ぞっとするほど何の反射も返さない、虚ろで空しい瞳だった。

 男の身なりは浮浪者じみていた。だがいかなネオサイタマとはいえ、不吉なカタナを抱え、強いアルコール臭と返り血の染み付いたボロ服をまとう浮浪者は、珍しい部類に入るだろう。もう何日間も、あるいは何週間も、この裏路地が彼の家だった。彼の体は、冷たい重金属酸性雨にしとどに濡れていた。

 常人であれば、24時間を待たずして衰弱死していただろう。だが彼は死なない。ニンジャソウル憑依者だからだ。

 その男はピラミッド最深部で、太古のカタナとニンジャソウルを手に入れた。それと引き換えに、彼は生きる目的を見失ったのだ。彼は虚ろだった。それでいて、抜き身のカタナのように危険でささくれ立っていた。彼はまるでカタナだった。振るわれるのを待つだけの、完璧な均整の取れたカタナだった。

 その新月の夜、黒塗りされたヤクザリムジン数台の列が、オスモウギャング団の抗争による交通規制を避けるべく、偶然にもその繁華街を通った。男が佇む裏路地の前を。

 荘厳な金装飾が施された4台目のヤクザリムジンが、不意に裏路地の前で止まった。ネオサイタマ暗黒経済界の帝王が、不意に停車を命じたからだ。「どうなさいました?」ゲイトキーパーと呼ばれる紺スーツの男が、後部座席に向かって静かに尋ねた。ソウカイ・シンジケートの首領、ラオモト・カンに。

 ラオモト・カンは答えない。分厚い紫色のシートに座したまま腕を組み、暗い車内でしばしパナマ産の高級葉巻を燻らせていた。この夜の彼は力と威厳に満ち溢れ、王者だけが放つことを許される圧倒的なニンジャソウルのオーラを身に纏っていた。

 やがてラオモト・カンは、何も言わずに席を立ち、独り車外へと歩み出た。黄金メンポに隠された彼の口元には、小さな笑みが浮かんでいた。アルマーニの高級スーツが重金属酸性雨を浴びる。ゲイトキーパーが後を追いかけたが、ラオモト・カンはそれを制止した。彼は独り路地裏へと足を踏み入れた。

「……面白い」と、ラオモト・カンは路地裏を進みながら独りごちた。彼がそのような表情を作ることは稀であった。彼は裏路地を悠然と歩む。上空を飛ぶコケシツェッペリンの青白いサーチライトが注ぎ、浮浪者じみた男の姿を照らした。周囲にはまだ新しいヤクザの死体が、十数体も転がっていた。

 男の空虚な瞳と、鎖頭巾に覆われたラオモトの視線が交錯した。いかなる言葉が交わされたのか、ラオモトにいかなる思惑があったのかは、解らない。もしかすると、両者は一言も発しなかったのかもしれない。ただ最終的に、ラオモトはカタナを拾うように無造作に手を差し伸べ、男はそれに応えた。

 …そうとしか推測できないからだ。最初にラオモト・カンが、次いでその男が暗闇から姿を現した時、一戦を交えた形跡は見当たらなかった。ゲイトキーパーは胸を撫で下ろした。未だ幼きラオモト・チバは、黒いガラス窓越しにぽかんと見ていた。その若い男の、ぞっとするほど空虚なハガネ色の瞳を。

 ……その日より、男は数年間に渡ってラオモト・カンの懐刀として重用された。彼と彼の振るう妖刀ベッピンは、ソウカイ・シンジケートとラオモト家に忠実に仕え続けた……。あの日が訪れるまでは……。

「あの日が訪れるまでは……」上等な紫のアルマーニスーツを着た少年が、防弾ガラス越しにネオサイタマの摩天楼を睥睨し、忌々しげに独りごちた。数年前のあの夜を思い起こしながら。「フジオ・カタクラめ。薄汚い裏切りの犬め。僕はお前を許さぬだろう……」そしてダークニンジャの名を呪った。

 そう、これより語られるは、魔剣を携えたかの暗きニンジャの物語。ソウカイ・シンジケートが壊滅し、ラオモト・カンが死んだあの夜、ダークニンジャことフジオ・カタクラは主君を裏切った。彼に信を置き、彼の名を呼ぶ者たちを裏切った。だが何故?

 それを知るには、時を遡らねばならない。妖刀ベッピンとハガネ・ニンジャ……そしてエンシェント漢字の呪いを背負うフジオ・カタクラの秘密を明かすために……。ヌンジャ……。とても謎めいた言葉……。



 目的のピラミッドまであとわずか1キロ弱というところで、ベンチャー冒険企業マレニミル社のセスナは撃墜され、右翼から黒い煙を吹き出しながらエジプト砂漠の熱砂へと不時着した。

 セスナに乗り込んでいたホソダ社長、唯一の社員であるフジオ・カタクラ、傭兵として雇ったフリーランス・ヤクザのデグチ、そして現地ガイドのアズラットは、素早くクリーム色のセスナ機の陰に隠れた。アズラット以外の3人は拳銃を抜く。セスナの機体は、ベーコンが焼けそうなほど熱されていた。

 200メートル先の砂丘の稜線から姿を現したのは、黒いローブに身を包み黒馬にまたがった、謎のエジプト人の一団であった。コワイ!全員が口々に何かを叫び、円月刀を掲げてセスナへ迫ってくる!「アイエエエエエ!何て言ってる?!」ホソダ社長が叫ぶ。「殺すそうです!コワイ!」とアズラット。

「どうすんだ、社長?」黒いヤクザスーツに身を包んだデグチが、分厚いサングラスに陽光を反射させながら聞く。何度も死線を潜り抜けてきた傭兵ならではの冷静さである。「迎撃しましょう」とフジオ。「やるしかあるまいな」ホソダも頷いた「奴らは恐らく、古代ニンジャ文明の秘密を守るカルトだ」

「ザッケンナコラー!」鎖を解かれた狂犬のように、デグチは破損していない左翼に飛び乗ってオートマチック・ヤクザガンを連射する。「グワーッ!」「アイエエエ!」カルティストらは次々と体を撃ちぬかれ即死!フジオとホソダは機体の陰から慣れない拳銃で応戦し、アズラットは恐怖に震えていた。

 敵は十数騎。左右に別れ、セスナの裏側へ回り込もうとしている。拳銃を握るフジオの手に、嫌な汗が滲んだ。マレニミル社の実態は、ほとんど違法行為を繰り返すトレジャーハンターである。マヤ、カッパドキア、死海、デスバレー……数々の危険を経験してきたが、今回のそれは明らかに桁外れだった。

「来るぞ、フジオ君!君が左、私が右だ!」タフネスが服を着たような、イノシシめいた体格のホソダも、これまでになく異常興奮している。「解ってますよ、社長!」フジオは銃を構え直した。……俺には使命がある。死んでなるものか。背中に刻まれたエンシェント・カンジが俺を導く限りは……!

 …数分後。砂漠にはカルティストと馬の死体がいくつも転がり、どす黒い血が砂に染みこんでいた。ハゲタカたちがどこからともなく飛来し、上空を旋回する。ホソダ、フジオ、デグチの3名はいささかの刀傷を負いながらも、襲撃者を皆殺しにしたのだ。アズラットは無傷だが、精神が悲鳴をあげていた。

「アイエエエ……アイエエエ……」アズラットはオハギのように丸まって失禁し、神に祈り続けている。「急ごう、敵の増援が来るやもしれん」とホソダ。「無理です、私は帰りたい!」アズラットは絶叫した「私は彼らが死に際に喋った古い言葉を聞いたのです!その中に、ニンジャというフレーズが!」

「ニンジャリアリティ・ショック…」ホソダ社長はかぶりをふった。このエジプト人の中に築かれた世界史観が、真の歴史、すなわち古代ニンジャ文明の痕跡により破壊されようとしているのだ。錯乱の可能性もある、危険な状態である。「置いていこう。フジオ君、彼の水をセスナに残しておくように」

「了解」フジオはホソダ社長の指示通り、セスナから食料や水、ノートUNIX、遺跡調査機具などを3人分の冒険リュックに詰め込んでいた。有能な助手だ。ホソダは彼方のピラミッドを見据える。デグチは頬から血を流しながらも平然とした顔で、セスナの日陰に座って四本指で煙草を吹かしていた。

 熱砂の広野を、サファリ服姿の冒険家2人とヤクザ1人が歩む。観光客もエジプト考古学調査隊すらも訪れない、打ち捨てられた崩落ピラミッドに向かって。「社長、9人殺したからな、9百万円だ」デグチが煙草を吐き捨てながら言う。「もちろんだ」先頭を歩くホソダは、想定外の出費に顔を歪めた。

 マレニミル社は、ネオサイタマ大学のウミノ考古学研究室で助手をしていたホソダが、5年前にアカデミズムの世界を飛び出して興したベンチャー企業である。古代ニンジャ文明説が、考古学会で嘲笑の的となったことがきっかけであった。同研究室にいたフジオも、この時に大学を中退し社員となった。

 3人は既に、ピラミッドの落とす大きな影の下に入っている。別世界のような涼しさだ。「入口の方向はどっちだ?」ホソダは後ろを振り向き、フジオに質問した。「やや左手です」フジオは歩きながらノートUNIXを開き、冷静に、無表情に返す。ホソダは改めて、不気味な男だ、と心の中で呟いた。

 共に行動し5年になるが、ホソダ社長は未だにこのフジオ・カタクラという若者の性格を掴めずにいた。多くの考古学者は、歴史的発見へ近づくと、鼻息を荒げ興奮するものだ……ホソダ自身のように。だが、フジオにはその様子が無い。あまりにも淡々としており、情熱的喜びを一切感じさせないのだ。

「いよいよだぞぉ、フジオ君」ホソダは少し歩を遅め、エネルギッシュな笑みを浮かべてフジオに語りかけた「いよいよ古代ニンジャ文明の秘密が明かされる……時価数十億の大量の財宝とともに」。「はい、いよいよですね」サファリ帽から漏れる灰色の前髪の下で、ハガネ色の瞳が作り笑いを作った。

 フジオ・カタクラは人間らしい感情を持っていた。ただそれを表向きに表現するのが、あまり得意でなかっただけだ。彼は実際、研究者として深い知識を持つウミノを尊敬していたし、ホソダの情熱や俗っぽいバイタリティを心強いと思っていた。ホソダがいなければ、自分はこの地にいないのだから。

「座標よし、この壁の向こうに通路が」フジオはピラミッドの壁に小型ドリルで穴を空け、手馴れた様子でダイナマイトを詰め込んでゆく。歴史的文化財へのリスペクトは無い。「へっ、ヤクザの俺が言うのも何だが、あんたらいつも、荒っぽいよな」デグチは銃の手入れをしながら皮肉めかして言った。

 カブーーーーム!硝煙が晴れると、そこには数千年の秘密を孕んだ石造りの通路が姿を現す。回廊の入口を守るように、両脇にはアブシンベル大神殿のファラオ座像めいた高さ2メートルの石像4個が並んでいた。だが、おお……ナムアミダブツ!それらの顔は、ニンジャ頭巾によって隠されていたのだ!

「おお……ブッダ……恐ろしい……何たる背徳的な光景だ……」ホソダ社長はサングラスを外し、興奮と緊張を隠せないように手を軽く震わせた。「なあ……」そしてフジオを振り返る。そこには、4体のニンジャ坐像を前に呆然と立ち尽くす助手の姿があった。「おい……!フジオ君!フジオ君!?」

 ナムアミダブツ!確かに目の前に広がるのは常人を狂気へと誘う光景だ。だが、長年ニンジャ文明を研究してきたフジオが、本当にこの程度でニンジャリアリティ・ショックを起こしてしまうものなのか?……否。彼の背中の漢字が激しく疼き、フジオの意識を遠い昔のトラウマへと誘ったのである……

◆◆◆

「ねえお父さん、なんで僕やお父さんの背中には、漢字があるの?」幼きフジオ・カタクラは、ある眠れぬ寂しい秋の夜に、父親にそう問うた「ヤクザなのかな?」「ハハハ、まさか」暗がりで覗き込んでくる、顔の見えない記憶の中の父親は、乾いた笑いを笑った。

「ヤクザなんて言葉、誰から聞いたんだい?」父親の声がやや曇る。「保育園で言われたよ」フジオは勇気を出して言った。「悪い友達だね。これはヤクザタトゥーじゃないんだよ。父さんの家にずっと続いている、アザなんだ」「ずっと続いてるの?」「そうさ、父さんの父さんも、同じ。遺伝だよ」

「遺伝って何?」フジオは暗い寝室でフートンに潜ったまま聞く。初めて聞く言葉に何か不吉な感じを覚え、フートンで口元までを覆った。「そうだね、難しい言葉だね。クラスに背の高い子と低い子がいるだろ?」「いる」「それと同じだよ。最初から決められている、どうしようもできない事なんだ」

「誰が決めたの?」「さあ……ブッダかな」「ナンデ?」「ブッダにしかわからないさ」横に座り込む父親は、フジオをリラックスさせるために、フートンの上から胸をてのひらで軽くトントンとし、定期的なリズムで入眠を誘った。「嫌かい?」「……嫌だ」「なんで?」「僕のはお父さんのより濃い」

 しばし、父親は黙った。それから小さく笑って、フジオを少し安心させた。「じゃあ、取ろう」「取れるの?」「取れるよ。だってただのアザだからね。でも手術は大変だ。もう少し大きくなってからじゃないと無理だし、お金も掛かる。だからお父さんは仕事しなくちゃ。…安心したかい?」「…うん」

◆◆◆

 およそ2年後、旧家にて。フジオ親子は、3人で中国地方にある無人の旧家に来ていた。フジオにはまだ解らなかったが、それは旧家に残された家財を売り払うためであった。

「お父さん、見てよ!」フジオは蔵の奥で、年代物と思しき金属製のアミュレットを発見していた。幼いながらに、世紀の大発見だと思っていた。「光にかざすとね……壁に漢字が写るんだ。僕の背中にあるのと同じ!」「そうか……」父親の声に生気は乏しかった。行き詰まる事業のせいだった。

 フジオは落胆した。褒めてもらえると思って、当てが外れたからだ。「……僕がもらっていい?」「貸してみなさい」父親は手を伸ばし、それを品定めした。金銭的価値があるとは思えなかった「いいよ」。それからまた、鶴やタイガーが描かれたビヨンボに向き直って、ぶつぶつとUNIXを叩いた。

「ねえお父さん、これってどのくらい昔のかな?もしかすると、漢字の遺伝って、ずっとずっと昔、江戸時代よりももっと昔の……!」「もうあっちに行ってなさい」父親の背中から、苛立ちが感じられた。幼きフジオ・カタクラは、好奇心に輝かせた目を再び曇らせ、埃だらけの蔵に戻った。

◆◆◆

 2年後、クリスマス・イブの夜。ネオサイタマに降る重金属酸性雨が、灰色の雪に変わりつつあった夜。首からアミュレットを下げた小学生のフジオ・カタクラは、両親と共にネオカブキチョ近くのレストランに来ていた。家の経済状況が良くないことに薄々気付いていたフジオは、久々の贅沢に驚いた。

「いいの?こんなに贅沢。スゴイよね」さほど豪華な料理ではない。ただのタマゴ・スシやオハギ・スシだ。「いいんだよ」父親はあの夜のような、乾いた笑いを笑った。だが、力は無かった。スシが運ばれてくる。「お父さん、僕…」フジオは何かを伝えようとして、言葉に詰まった「ごめん、トイレ」

 ……フジオ少年がトイレから戻ると、両親の姿は無かった。不思議に思いながらも、彼はタタミに座り、胸のアミュレットを天井の光にかざして、テーブルに映し出されるエンシェント漢字を見ていた。少しして、煙草の臭いを纏った2人のヤクザが、彼の前に座った。「フジオ・カタクラ君だね?」

◆◆◆

「……オ君、フジオ君!?」ホソダ社長が助手の肩を揺らす。「アイエッ……!」小さい悲鳴を噛み殺し、フジオ・カタクラは正気づいた。そして肩で大きく深呼吸をする。風にまかれた細かい砂が喉に飛び込み、思わず咳き込んだ。ここはネオサイタマではない。海を超えた地球の裏側、エジプトだ。

 フジオは胸ポケットからバリキ入りの強い酒を取り出し、飲み干した「…フゥー、大丈夫です、遥かに良いです」「本当か?ニンジャリアリティ・ショックじゃないのか?!」「すみません、社長。たぶん太陽の熱と、ダイナマイトの爆音のせいで、少し意識が……でももう大丈夫です、遥かに良いです」

 やや冷や汗をかいてはいるが、フジオの顔つきは、いつもの有能で冷静な助手の顔に戻った。「よし、ではアミュレットを出したまえ」「了解です」フジオはあのアミュレットを、ノートUNIXにLAN接続された自動発光装置に繋いだ。漢字の光が方位磁石のように回転し、ピラミッドの中を指した。

「ビンゴ!ハッハー!」ホソダはガッツポーズを作った「推論が正しければ、この光の指し示す方向に古代ニンジャ文明の財宝がある!そして…おお、見ろ!フジオ君!」「アッ!」フジオは思わず息を呑んだ。漢字の周囲に今まで見たことの無い『スゴイチカイ』の神秘的ルーンカタカナが現れたのだ!

「行くぞ!先史時代の闇の中へ!人類の全文明を背後から操り続けてきた、半神的存在、古代ニンジャ文明の謎と財宝がすぐそこにある!」ホソダ社長は息を荒げて、ニンジャ坐像の守る回廊へと向かった。フジオとデグチがそれに続く。「デグチ=サン、そういえば君は大丈夫なのかね?」

「ア?何ですか?」デグチは細煙草をふかして平然と言った。「ニンジャリアリティ・ショックだよ!症状は出ていないか?失禁などは?」「ヘッ!」デグチはニヒルに笑った「社長、俺にゃア、古代ニンジャ文明なんてどうでもいいんです。奴らもう、すげえ前に死んでるんでしょう?なら怖くねえ」

「そうか、なら安心だ」想像力の乏しい人間は、ニンジャリアリティ・ショックを起こす危険性も低い。それが、ホソダ社長がこのフリーランス・ヤクザを雇った最も大きな理由であった。「俺が信じるのはね、カネと銃ですよ」デグチが細煙草を荘厳なニンジャ坐像の膝に押し付けて消した。その時!

「アイエーエエエエエエ!」突如デグチの足下の岩がフスマめいて左右に開く!おお、ナムアミダブツ!深さ10メートルに掘られたニンジャピットの底には、おそるべき四本のエンシェント・タケヤリが!アブナイ!このまま彼はキリタンポめいた死体へと変わってしまうのか!?

「アイエッ…?」不意に落下が止まる。フジオが素早く駆け寄り腕を掴んだのだ。「チーム……ですから…」フジオが無表情にそう言う。2人がかりで黒スーツ姿のヤクザを引き上げ、辛うじて彼を死の運命から救い出した。「なあ、社長……」座り込んだデグチは煙草に火をつけ直す「報酬5割増しだ」



 ネオサイタマの雑居ビルにオフィスを構える冒険カンパニー、マレニミル社。豊富な考古学知識とタフネスをバックボーンに、盗掘、UMA捕獲、オーパーツ転売など、ほとんど違法行為のビジネスを請け負う。彼らは今キョート・リパブリック経由で日本列島を離れ、地球の裏側にあたるエジプトにいた。 

 おそるべきニンジャピラミッド内の回廊を先頭に立って進むのは、砂色のサファリ服を着たホソダ社長。小柄だが逞しくエネルギッシュで、その髪型とも合間って服を着たイノシシを連想させる。ころころと表情を変え、即断即決で素早く行動を起こすが、しばしばその判断基準はギャンブルめいている。

 その後ろには、黒いヤクザスーツにサングラス、オールバックの男が続く。これまでにも数度、マレニミル社とビジネスを行ってきたフリーランスヤクザのデグチだ。オートマチック•ヤクザガン2丁を左右のホルスターに吊り、即座に抜き放てるようドスダガーが斜めにズボンの腹前に差し込まれている。

 最後尾は、砂色のズボンに白いワイシャツを着たフジオ•カタクラ。まだ二十代の青年だが、世界各地の冒険で鍛えられた肉体は必要最低限のしなやかな機能美を備え、また古文書などの解読に天才的能力を発揮する。孤児院から奨学金を得て高校、大学へと進学し、卒業前にマレニミル社に引き抜かれた。

「おお……なんと恐ろしい光景だ…!」ホソダ社長は、大回廊の天井に描かれた絵をマグライトで照らす。そこにはファラオの奴隷である人間たちが無数に並んでいるのだが、その最後尾……ファラオやエジプトの神々の背後には……ナムアミダブツ!カタナを構え玉座に座る、ニンジャの姿があったのだ!

「恐ろしい……ニンジャたちはやはり、世界各地の古代文明に忍び込み、それを背後から操っていたのか……。2人とも、大丈夫かね?正気を保っているか?」ホソダは後続の精神を気遣いながら進む。「俺は大丈夫だぜ」デグチは壁面に痰を吐く。「…問題ありません」フジオも不気味なほど無表情に答える。

「そうか。…フジオ君、これを見てくれ」ホソダは壁に埋め込まれた大きな黒曜石の一枚岩を照らす。それはロゼッタストーンのように、数種類の文字が刻まれていた。下からギリシャ文字、民間文字、神官文字……おお、これは何だ!?最上段にはエンシェント・カンジが入り混じった禍々しい文字列が!

「一部が欠損していますね……」フジオは縁無しの眼鏡を胸から取り出し、指先で漢字やカタカナの列に触れ、それを読み解こうとする。広範な知識や経験ではホソダが上だが、古文書解読にかけてフジオの右に出る者は無い。「ゆえに我……ここに……封印するものなり……鍵、大いなる黄金立方体の…」

「黄金立方体!ビンゴだ!」ホソダ社長の顔が紅潮する「やはりこの地下に、古代ニンジャ文明が遺した巨大な黄金ピラミッドが眠っているに違いないぞ!時価数十億、いや、数十兆!」「……ヤマイヌ・ニンジャと……ファルコン・オメーンのホンダ・ニンジャと……これを託し……浄化を試みるも……」

「……お2人さん、お楽しみのところ邪魔して悪いねえ」デグチが静かに拳銃を抜いた「あまり良くねえ音が、上から響いて来てンのさ」……ドンコドンコドンドン、ドンコドンコドンドン……サイバネ手術で強化されたヤクザの聴覚は、邪悪な太鼓のリズムを確かに捉えていたのだ。加えて数名の足音!

「クソッタレ!連中が増援を寄越したな!」ホソダは壁のコケシ類似絵画を叩きながら、激昂した。世界各地にはごく少数、古代ニンジャ文明の秘密を守る人間のカルト教団が現存している。その大半は、自分たちが何を守っているのかすらも忘れ、ただ侵入者を排除する殺人集団に成り果てているのだ。

「先を急ぐぞ、フジオ君」ホソダ社長はロゼッタストーンを読み耽る助手の肩を叩いた。「あ……了解です!」フジオは一瞬だけ、ぞっとするほど冷たく空虚な目を社長に向け、それからすぐに、相手の欲求を読み解き期待に100%応えるベテランオイランのような、あの乾いた作り笑いの目に戻った。

 フジオは、ホソダ社長やウミノ教授を信頼し、尊敬してもいた。彼らにだけはある程度心を開いた。だが彼は……信じていた両親に裏切られ、棄てられ、ネオカブキチョの非合法商業施設に売られたあの夜以来、完全に心を開いたり、自然な笑みをかわし合うことが、二度とできなくなってしまったのだ。

◆◆◆

 ドンコドンコドンドン……ドンコドンコドンドン、ドンコドンコドンドン……ドンコドンコドンドン!ドンコドンコドンドン!威圧的な太鼓の轟きが、マレニミル社の通過した階段を駆け下る。「ハッハッウッハッハッハッウッハッハッニンジャ、ハッハッウッ……」教団員らの不気味なチャントが響く!

 邪教徒らの体はアラブ黒装束とローブに包まれ、強いニンジャ関連性を感じさせる。目元だけが露になっており、血走った両眼はワータヌキめいて異常に見開かれ、殺意だけをたぎらせていた。ホソダの学説によれば、人間にハッシシを教えたのはニンジャであり、そこからアサシンという言葉が生まれた。

「ハッハッウッハッハッハッウッハッハッニンジャ、ハッハッウッ…」教団員らは一糸乱れぬ動きでトラップまみれの回廊を駆け抜ける。カチリ!先頭を走っていた一人が、トラップ床を踏んだ!ナムサン!回廊の右手に描かれていたコブラの絵の頭部がフスマめいて左右に開き、スリケンが射出される!

「「グワーッ!」」後続2名の頭部にスリケンが命中!インガオホー!だが、邪教徒らは前進を止めようとはしない!スリケントラップの餌食となった2人も、血を流しながら平然と駆け続ける。コワイ!ハッシシはズバリめいた無痛興奮状態を引き起こすのだ!「……ハッハッウッハッハッハッ!……」

 殺人教団はマレニミル社が30分前に通過した地点を駆け抜ける。2名がニンジャピットに落下し今度こそ行動不能となったが、それでも彼らの勢いは止まらない。トラップの有無や正しい通路を確認しながら進まねばならないマレニミル社にとって、それはあまりにも僅かで頼りない猶予時間であった…

◆◆◆

「…次、トリイの前で左です」追っ手の接近を知ったマレニミル社は、隊列を入れ替えていた。先頭を早足で歩むのは、フジオ・カタクラ。ノートUNIXに繋いだアミュレットが指し示す光と、遺跡内予測地図データをもとに、まるで何かに導かれるように迷い無くピラミッド地下迷宮内を進んでいく。

 デグチは後方を抜かりなく警戒しており、敵の姿が見えればすぐにヤクザガンが火を噴くだろう。少し先には銃を構えたホソダ社長。デグチの存在は頼もしかったが、殺人ボーナスは極力抑えたいと彼は考えていた。マレニミル社の経済状況は悪く、今回の遠征は多大な借金を重ねた上での大博打なのだ。

 3人は、太古のエジプトの神々が腕をX字にした立像やロゼッタ漢字ストーンが左右に並ぶ、厳粛なアトモスフィアの回廊を進んでいた。神像の頭部はどこかメンポめいており、中にはテング・オメーンやキツネ・オメーンを連想させるような頭部を持つ、謎のエジプト神像すらも存在した。

 神の正体がニンジャだったのか、それともニンジャが神の姿をとって蒙昧な古代人を操作していたのかは不明だ。ただ、各国の古代文明を生み出したのがニンジャではないという点は、まず間違いなかろう。彼らは殺人者にして簒奪者であり、繁栄した文明を訪れ、果実を貪るようにそれを支配したのだ。

 3人はやむなくこの回廊を通過するが、ロゼッタストーンにも恐るべき真実が隠されていたはずだ。クレオパトラを暗殺したのは誰だったのか!?十二使徒の誰がニンジャなのか!?おお、ナムサン!読者諸氏の精神状態は大丈夫であろうか!?失禁等の症状が現れた場合は直ちに本書を閉じて頂きたい!

 ……そしてついに、マレニミル社一行は謎の大広間に行き当たった。50畳ほどの広大な空間だ。だが、装飾も黄金も存在せず、部屋の中央にニンジャの頭部を持った体長3メートルほどの奇怪なスフィンクス石像が鎮座するのみ。太鼓の轟きと松明の炎は、いよいよ回廊の突き当たりの壁を叩き始めた。

「恐ろしい…なんと恐ろしい石像なのだ……」人間の頭とほぼ同じ高さにある頭部を見据えながら、ホソダは脂汗を流した。邪悪かつ神秘的な表情をたたえたニンジャスフィンクスの細い両目を見ていると、ニューロンが焼け付きそうな錯覚さえ覚えた。「…フジオ君、まさかここで行き止まりなのか?」

「荒稼ぎさせてもらうぜ」デグチは広間の入口に仁王立ちになり、回廊に向かって銃を構える。「いえ、社長、どうやら…」スフィンクスと向かい合ったフジオは、UNIXとアミュレットを傾けながら不可解そうに言った「…斜め下に道が存在するようです」。「……何だと」ホソダは短く思案する。

「……ダイナマイトだ」ホソダは意を決して言う。コワイ!遺跡内でのダイナマイトはたいへん危険である!フジオは頷く。2人は冒険リュックから小型ドリルを1本ずつ取り出し、スフィンクスの両目に穴を穿ち始めた!キュイイイイイ!「スッゾコラー!」そこにデグチの怒号と銃声も混じり始める!

 石像が並ぶ大回廊は、およそ50メートル先でL字に曲がっている。LAN直結したヤクザガン2挺を両手に構えるデグチ。目元を覆うサイバーヤクザグラスの液晶面に緑色の発光マトリクスが現れ「暗闇で殺人行為」の電子文字が躍る。暗視射撃モードだ!突き当たりのL字路にいよいよ邪教徒の姿が!

「ザッケンナコラー!」デグチはヤクザガンの論理トリガを引く!「グワーッ!」「アーッ!」円月刀を構えて駆け込んできたニンジャ秘密教団員らは、猛烈な銃弾の嵐に出迎えられた!オートマチック・ヤクザガンの二挺拳銃射撃は、チャカガン装備のヤクザ1個小隊にも匹敵する瞬間火力を持つのだ!

 ナムサン!またしても殺人ボーナス獲得!甲高いヤクザガン弾装回転音の残響が、回廊に静かに響く。だがその直後、暗視サングラスに信じがたい光景が映った。「アッコラー……?」デグチは異変を感じ取る。腕や脇腹を弾き飛ばされたというのに、邪教徒らは平然と突き進んでくるのだ。コワイ!

「ブッダシット!薬物か何かを使ってやがるな…」大急ぎでリロードを試みるデグチ。ドンコドンコドンドン!ドンコドンコドンドン!テング・オメーンめいたエジプト仮面の首領がL字路の角で立ち上がり、片腕で太鼓を叩く!前方で倒れていた狂信者たちが動き出し、さらに後続が10人以上現れた!

「社長!まだかァ?」デグチは射撃を続けながら聞く「後続が増えてるぜェ!」。「まだだ!」2人はようやくニンジャスフィンクスの両目にドリルで細い穴を穿ち終えたところだった。「よしフジオ君、やるんだ!」「了解」フジオは意を決し、2本のダイナマイトをスフィンクスの両目に突き刺す!

「着火!」「了解!」フジオとホソダ社長は左右の導火線に火をつけ、大広間の部屋の奥に退避する。バチバチバチ!スフィンクス頭部に向け、導火線がレースを開始した!「デグチ=サン、あと30秒で爆発する!入口付近は危険だ!爆発寸前に合図するぞ!」ホソダは耳を塞ぎながら叫ぶ!

「スッゾコラー!」デグチは返り血を浴びるほどの距離で敵を食い止めていた。「あと15秒!」床をゾンビめいて這いよってくる両足無しの頭を左のヤクザガンで撃ち抜きながら、右手ではドスダガーを抜き放ち、円月刀の一撃を受け流す。液晶面には「ジリープアー」の戦力分析文字!「あと5秒!」

 さらに前方から2人の狂信者が突撃!ナムサン!彼らは死すらも恐れないのか!?「ウォーッ!」デグチは不利を承知で一歩退き、大回廊の角に向かって飛び込み前転を行った!直後、ダイナマイトが爆発!カブーム!猛爆発がスフィンクスを破壊し、狂信者2人の上半身を吹き飛ばす「「グワーッ!」」

「ゲホッ、ゲホーッ!」ダイナマイトの硝煙を払いのけながら、マグライトを掲げたホソダ社長がニンジャスフィンクスのあった場所へと走る。ゴウランガ!そこにはさらに地下へと続く斜めの階段が!「やはりスフィンクスは番人だったか!」社長に続き、マレニミル社の3人はさらなる闇へと潜った… 

◆◆◆


 3人は黒曜石作りの細い回廊を進んでいた。ピラミッド潜入から、じつに3時間以上が経過したことになる。空気は澱んでおり、砂漠の熱で疲弊した彼らにさらに追いうちをかけていた。「アミュレットの指す方向は…真っ直ぐです」とフジオ。「社長、2000万ほど追加だぜ」薬物を静注するデグチ。

「解っとるさ」前後から報告を受けながら、ホソダ社長は歯噛みした。ズバリ入りの強いスピリットを取り出し、呷る。万が一、この先に黄金ピラミッドが無かったらどうなるか。マレニミル社は倒産だ。クライアントであるエジプト反政府組織に消されるかもしれない。デグチに殺される可能性もある。

 だが、彼はこれまでに何度も危ない橋を渡ってきた。今回も何とか切り抜けてみせる、とホソダは自分にそう言い聞かせる。「稀に見る」とクールなテクノゴシック体で社名を刺繍された胸のポケットを開き、彼はスピリットの入った真鍮フラスコを押し込んだ。少しすると、開けた場所に行き当たった。

「何だ、ここは…?」ホソダが唖然とした口調で言う。そこは100畳ほどの大広間で、天井は見えないほど高い。さらに、回廊からまっすぐ中央へとタタミ1畳分の細い通路が伸び、浮き島状の祭壇に続いている。それ以外の場所に床は無く、入口から見て逆凹の字型に底無しのアビスが広がっていた。

 祭壇へと迂闊に近づくのは明らかに危険だ。大部屋の入口に立つホソダは、マグライトで上下左右を照らす。壁面には無数のニンジャ達が戦争を繰り広げる図、正面奥には様々な武器を持った巨大ニンジャ図、そして祭壇の上には……1本のカタナとその柄を大角で支える、鹿めいたエジプト神像の頭部!

 キイィッィィン、と、微かな音が聞こえてきた。鹿の角の上に備えられた抜き身のカタナが、ただそれだけで空気を切り裂いているのだ。直後、フジオの持つアミュレットが妖しい光を放ち始め、漢字ライトが自動的に祭壇の上のカタナを照らした。「あれは……ベッピン……?」フジオが呆然と呟く。

「フジオ君、今何と言った?!」ホソダがフジオの肩を叩く。「ハッ!?僕は今、何か……言いましたか?」フジオは忘我から返る。背中の漢字が疼き、彼の顔を歪ませた。「言ったとも!小さな声で、ベッピン……あるいは妖刀ベッピンと!君はこれを最初から知っていたのか?!」

「いえ、社長、そんなことはありません!」「本当か!?」ホソダが鬼気迫る表情で問い詰める。唾がフジオの顔に飛ぶほどの剣幕だ「君がこのピラミッドに黄金立方体があると言うから、危険をおしてやって来たんだぞ!事の重大さを解っているか!?カタナ一本見つけましたでは帰れんのだぞ!?」

 ホソダ社長はいまや、溜まりに溜まっていた疑念を全て剥き出しにしていた。というのも、ホソダは先程、確かに聞いたからだ。「……あれは、捜し求めたる妖刀ベッピン……」とフジオが不吉な声で囁くのを。当のフジオは、半ばトランス状態でそれを呟いていた。背中の漢字がそれを言わせたのだ。

 だがトランス状態から醒めたばかりのフジオには、それを全く理解できない。フジオに解るのは、ホソダが錯乱した動物のような表情で、彼に食って掛かってきていることだった。「社長、確かにあの古文書には黄金立方体の文字が!それをヌンジャに関連付けず、ピラミッドと解釈したのは社長です!」

「ヌウーッ!」ホソダは怒り狂ったイノシシのように真っ赤に激昂しながら、フジオの胸ぐらを掴んだ。そして逞しい両腕で突然、フジオのワイシャツを引き裂く!「社長、何を!?」抵抗するフジオ。だが腕力では敵わない。下手に暴れれば転落の危険もある。デグチは舌打し、事態の推移を見守った。

 うつ伏せで床に押し倒されるフジオ!「やはりな!」ホソダ社長は吐き捨てるように言った。彼はフジオの背中に刻まれた「ハガネ」を意味するエンシェント・カンジの存在を以前から知っていた。解明の手がかりも実害も無いので、敢えて放置してきたが……そのカンジは今、妖しく脈打っていたのだ!

「貴様の正体は何だ!?ニンジャカルティストか?!」ホソダ社長はフジオの腰をブーツで踏みつけ、動きを封じながら叫ぶ。「社長!何を言ってるんですか!?」体をひねり混乱するフジオ。「まあ何でも良い!黄金を出せ!黄金ピラミッドを!それさえ出せば!俺は満足する!早く俺を満足させろ!」

「社長、違います!裏切りません!信じてください!マレニミル社のことは!絶対に!」フジオは悲痛に叫んだ。ホソダの目は異常にぎらぎらと輝いていた。もしかすると、脈打つ漢字を見て急性のニンジャリアリティ・ショックに襲われたのかもしれない。だが、フジオがそれに気付く余裕はなかった。

 極度の緊張と興奮により、フジオの意識はニューロンの彼方へと飛んでいたからだ。……マヤ遺跡での死闘……学会で浴びる嘲笑とその後の乱闘……驚くほどの安寧と安らぎを経験した大学生活……孤独に満ちた孤児院時代……仲間たちと決死の覚悟で脱走した非合法商業施設……ソーマト・リコールだ!

「おい社長、あんた少し、おかしいぜ……?」デグチが後ろからホソダの肩を叩く。「カーッ!黙っていろ!俺が全て決める!殺人ボーナスが支払われるかどうかの瀬戸際なんだぞ!?」ホソダは両肩から湯気を立ち上らせ、ヤクザの手を払いのけた。「社長……信じて…くださ…」無意識で呻くフジオ。

 フジオの意識はさらに過去へとソーマト・リコールしていた。「……ねえお父さん、なんで僕の背中には、漢字があるの……?」「……これってどのくらい昔のかな?……もしかすると、漢字の遺伝って、ずっとずっと昔、江戸時代よりももっと昔の……!」「ごめんなさい……お父さん……」 

 ……小学生のフジオは、誰もいないレストランのトイレで鏡の前に立ち、ペンダントのようにつり下げたアミュレットの位置を直していた。それから、何度も練習していた言葉を、もう一度繰り返す。先程は、ごちそうと両親を目の前にして言葉に詰まり、やはりうまく伝えることができなかったからだ。

「ねえお父さん、お母さん、僕知ってるよ、家のお金が足りないってこと。だから僕、決めたんだ。いっぱい勉強して、大学に行くよ。成績が優秀なら、ネオサイタマ市がお金を出してくれるんだって。そして考古学を勉強するんだ。いっぱいお金を稼いで、それで……漢字の秘密も解いてみせるから!」 

 ……だが全ての信頼は砕かれた!!幼きフジオがレストランの扉を開けると、眩い光が溢れ……彼の意識はニンジャピラミッドの地底へと呼び戻される!イノシシめいたホソダ社長の顔が視界いっぱいに広がる!彼はフジオの顔を何度も平手打ちし、強引にその意識を現在へと引き戻したのだ!

 フジオは叫んだ。言葉にならぬ言葉を叫び、無我夢中でホソダの腹を蹴り上げ、体を起こした。何も聞こえない。世界がスローモーションで動く。ベッピンが空気を切る音だけが、心地良く彼の耳に聞こえた。フジオは祭壇へと走った。体を起こしたホソダがデグチに命令する。デグチは銃を構える。

 デグチは、ホソダ社長がニンジャリアリティ・ショックを起こし、一時的に錯乱していることに薄々気付いていた。ゆえに威嚇射撃を行った。だがフジオは止まらなかった。彼は叫び続け、鹿の角の上に安置された妖しい刀へと腕を伸ばした。ホソダは怒りに泡を吹き、体を起こして自らの銃を抜いた。

 ホソダの拳銃から立て続けに4発の銃弾が発射された。フジオにはそれが聞こえない。彼は無我夢中で妖刀の柄を掴み、それを高々と掲げた。「フジオ・カタクラよ!汝の呪いは解かれたり!」謎の声がフジオのニューロン内に響く!落雷を受けたかのような轟音が大広間に鳴り、フジオの体が跳ねた!

「我はハガネ・ニンジャなり!」背中の漢字はその言葉をフジオのニューロン内に刻み付けると、一瞬にして砕け散り消滅した!直後、その破片がオブシディアン色の線維と化してフジオの体の周囲を渦巻き、包み込む!ダークニンジャの誕生である!背後から迫る4発の弾丸!

 ダークニンジャはカタナのように冷徹な目とともに、背後を振り向いた。ずっと体の一部であったかのように、淀みない流麗な動きでベッピンを振り抜き、その刀身で4発の弾丸をひと薙ぎで切り裂いた。ワザマエ!真二つになった弾丸は、Yの字の軌跡を描きながら後方の壁に向かって消えていった!

 ベッピンを掲げていた鹿の頭がゆっくりと回転し、祭壇の中へと吸い込まれ……直後、ピラミッド全体が激しく揺れ始めた。「ウォーッ!やはり貴様!ニンジャ!ニンジャ!ニンジャーッ!」ホソダは銃を構え突撃する!「アイエエエ!ニンジャ!ニンジャナンデ!?」錯乱したデグチは回廊へと逃げる!

◆◆◆

 ……砂漠の蒼い月光が、崩落したピラミッドの上に無表情に投げかけられていた。空気をほとんど汚染されておらず、レーザービームもネオンライトも存在しない砂漠において、夜空は驚くほどクリアで広い。月と星の明りだけで、遥か彼方までを見通せる。

 崩れた石材の山の上には、妖刀ベッピンの波紋を月に照らしながら、脚を投げ出して石柱に背を預け呆然と座り込む、独りのニンジャが。彼はもう、数時間もここで動かない。どこまでも広がる砂漠の視界とは好対照を成すように、彼の運命は先の見通せぬ深い暗闇の中にあった。

 漢字の呪いは解かれた。驚くほどに呆気無く。そしてそれ以降、ハガネ・ニンジャも妖刀ベッピンも、なにひとつ彼に語りかけることはなかったのだ。「道は……示されないのか……?」オブシディアン色のニンジャ装束に身を包んだフジオは、ぽつりと呟いた。

 彼はニンジャの力を手にした。かつて世界古代文明を背後から支配した、半神たちの力を。だがそもそも、フジオ・カタクラはそんな力を求めてはいなかったのだ。「俺は……いつまでこうしているんだ?」フジオは乾いた声で言った。誰かを待っているのか?誰を?両親を。いや、あの2人は死んだ筈。

 切れ長の目から、ひとすじ、人間の涙が流れた。漢字の呪いを解いたならば、死んだはずの両親が現れ、優しい言葉と安らぎを与えてくれるとでも?フジオは自分の中に未だ巣食う、弱く脆い何者かの願いを看破した。そしてそれを否定した。弱い精神に向けてハンマーが振り下ろされ、打ち砕かれた。

 巨大な見えないハンマーが、上空から何度も何度も振り下ろされているようだった。フジオは自分の未熟な精神がアンヴィルの上に置かれ、運命という名の無慈悲なヤットコで掴まれて、ハンマーを打ち付けられているのを感じた。そのたびに、精神がカタナのように鋭く鍛え上げられていくのを感じた。

「…俺は剣となろう…」フジオは、まだ迷いをたたえた空虚な瞳で立ち上がった「…何者にも傷つけられぬ、虚無の剣となろう…」。冷たい砂漠の風が吹き、マフラーめいた首布を後ろに吹き流す。この後彼は、3年間に及ぶ放浪の旅に出、やがて掃き溜めのごときネオサイタマの路地裏に流れ着いた……



 ダークニンジャことフジオ・カタクラは、小休止から目を覚ます。暗く湿った洞窟の壁に背を預け、脚を投げ出して独り眠っていたのだ。その胸には、カーボンケースとフロシキに収めたベッピンの破片。タケノコめいた鍾乳石から垂れる水音が、長い回廊めいた地下洞窟で静かに反響していた。

 未だニューロンの奥には、色褪せ風化した過去の残響……人間だった頃の記憶がこびりついている。ダークニンジャはそれを否定も肯定もしない。いまや彼の精神はハガネの如く鍛え上げられ、カタナのように切れ味鋭くなり、妖しいカリスマさえも纏い始めていた。おびただしい血を吸った妖刀めいて。

 ダークニンジャは胸元の折れたる魔剣を確かめてから、ゆっくりと立ち上がる。ここは地下数百メートルの暗黒の世界。キョート山脈に立つ廃テンプルで平安時代の隠し階段を発見し、そこから北東に向かって長い地下洞窟をひたすら降下してきた。現在地点はおそらく、琵琶湖の真下だ。

 ブゥン……という小さなノイズを放ちながら、モーターチビが起動する。オムラ社が試作品として開発した握り拳大のデヴァイスで、12個のジャイロを備えた12面体フレームの中心に青色LEDが燈り、ハチドリのごとく飛び回りながらヒトダマめいた光を放つ。コンパスやIRC機能も備わっている。

 ダークニンジャは再び暗い地下洞窟を駆け始めた。ハイテク・ヒトダマがそれに続く。地下数十メートル地点でブッダ像を破壊し、さらにその先に道を発見して以来、階段のような人工的構造物とはお目にかかっていない。それどころか、鍾乳石の格子がたびたび行く手を阻んだ。

 だがカタクラの目は、人為的な痕跡を見逃してはいなかった。完全に天然の洞窟に見えるが、所々、強引な物理的破壊によって道を作った形跡があるのだ。しかも、鍾乳石の檻が育つほど昔……つまり平安時代にここを通った者がいるということだ!コワイ!「重点!」突然、モーターチビが警告を発する!

「何かいるな」ダークニンジャも、モーターチビのソナーレーダーとほぼ同時に、何かの存在を感じ取った。洞窟は次第に広がりを見せ、サッキョーライン地下鉄トレインが通れるほどの大きさになっている。奥から奇怪な物音と光が近づいてきた。「サンダーフォージが鍛えた門番……というわけか?」

 ニンジャとの遭遇を想定し、カタクラはジュー・ジツを構える。……だが闇の中から姿を現したのは、ニンジャではなかった。ましてやモータルでもなかった。……おお、ナムアミダブツ!闇の中から現れたのは、微かに紫発光する刀剣を構えた、中身の無い身長8フィートのサムライアーマーであった!

「ARRRRRRRRGGG…」甲冑のメンポから、オバケめいた声が漏れる。モーターチビは困惑しダークニンジャの背後に隠れた。距離はタタミ10枚。鎧武者の手には、太古のバスタード・カタナブレードツルギが握られている。刀身には平安時代のハイクが彫られ、それが紫色に発光しているのだ。

「言葉を解さぬ木偶か……」恐らくはジツで動く自動人形。異形のカタナからはニンジャソウルの痕跡を感じるが、鎧武者本体にソウルは宿っていない。ニンジャでないならば、何の価値も無い敵だ。フジオは電撃的な速さでクナイ・ダートを抜き、右腕をムチのようにしならせ投げ放つ!「イヤーッ!」

 ナムサン!メンポに四本のクナイが突き刺さる。だが全く動じる様子は無い!続けざま、ダークニンジャが高速接近し、胴当て部分に痛烈な連続カラテを喰らわせる。だがこれも効果無し!逆にケンドー・オートマトンは目の前のダークニンジャ目掛け、バスタード・カタナブレードツルギを振り下ろす!

 キィィィィンン!激しい金属音!ダークニンジャは両腕を交差してかざし、その重い一撃を受け止めた。バスタード・カタナブレードツルギが生み出す衝撃によって、ダークニンジャの両腕を包む装束が千々に切り裂かれ……ブッダ!下から現れたのは三神器のひとつ、聖なるブレーサーではないか!

「RRRRRRRR……!」ケンドー・オートマトンが初めて呻いた。バスタード・カタナブレードツルギが刃こぼれし、古代ハイク部分の内側から発せられる紫光が、漏電ネオンサインめいた明滅と火花を散らす!間髪入れず、回転チョップで敵の手首を切断するダークニンジャ!「イヤーッ!」

「ARRRRGGGGGHHH……」片手でも両手でも使える呪われた刃、バスタード・カタナブレードツルギが地に転がると、ケンドー・オートマトンの砕けたメンポの奥から断末魔の如き叫び声が上がった「……サヨナラ!」。そして中身の無い鎧もまた、糸が切れたかのようにがらりと地に転がる。

 真正面からぶつかり合えばより強い金属が勝る。何も不思議なことは無い。カラテと同じことだ。ダークニンジャは事も無げに門番の成れの果てを見た。バスタード・カタナブレードツルギのハイクは、八割方判読不能なほど光を失っている。カタカナを目で追うと……詠み人はやはりサンダーフォージ!

 ダークニンジャはバスタード・カタナブレードツルギを踏みつけながら先へと向かう。回廊めいた一本道の洞窟が終わり、境界を告げるように左右に古代の灯篭が並んでいた。先には広大なドーム状空間と巨大地底湖が広がっている。「灯篭重点!」モーターチビが警告する。「解っている、黙っていろ」

 ダークニンジャはモーターチビの電源を切る。もう必要は無くなったからだ。理由は解らぬが、ドーム球場並の広さを持つこの巨大な半球状空間は、淡く発光する地底湖の水によって照らし出されている。さらに湖の中心に向かって飛び石とトリイが続き、その先には小さなドージョーが立っていた。

 世界各地に残された数々の古代ニンジャ文明を渡り歩き、そこに残されたニンジャオーパーツを目にしてきたダークニンジャだが、さしもの彼もこの古事記的空間の出現には緊張を隠せない。慎重に飛び石を渡る。湖面は驚くほど静かで、底にはアルピノワニめいた生き物と兎の骨が眠りについていた。

 そしてドージョーへ。それは高床式で、タタミ100畳のドージョーの四方をショウジ戸が取り囲み、その周囲にはさらに鉄製の狭い床が渡されていた。奥ゆかしさと荘厳さ、そしてどこかゼンめいたミニマル感を漂わせる、ぞっとするようなドージョーであった。

 果たしてこのドージョーが築かれたのはいつの時代なのか?正面エントランス部分に掲げられた力強くも禍々しい「平安」のウッドショドーが、その問いに対し静謐のうちに答えを返していた。そしてこの奥には、神話的存在が待ち受けている。ダークニンジャは鋼鉄縁側に正座し、ショウジ戸を開いた。

 そのショウジ戸が開かれたのは、果たして何百年、いや何千年ぶりだったのであろうか。内部に篭っていた冷たく凛とした空気が漏れ出し、ダークニンジャの背筋がひとりでにぴんと伸びる。ダークニンジャの眼は、カタナ鍛冶ドージョーの中心で静かに正座する、異形のニンジャシルエットをとらえた。

 「……ドーモ、サンダーフォージ=サン。ハガネ・ニンジャのソウルを宿し者、ダークニンジャです」カタクラは緊張で激しい喉の渇きを覚えながらも、何とかアイサツを行った。彼に憑依したのがハガネ・ニンジャでなく下等なレッサーニンジャソウルであったならば、たちまち失禁していたところだ。

「ドーモ、ダークニンジャ=サン、サンダーフォージです」異形の鍛冶ニンジャがアイサツした。それはゆっくりと立ち上がり、煤けたニンジャ装束に包まれた、13フィート強はある筋骨隆々の巨体を露にする。そして……ナ、ナムサン!彼の背中からは丸太のように逞しい8本の腕が生えていたのだ!

「我、永遠に生きる呪いを負うたる者……」そのニンジャは胸の前で組んだ6本の腕も開き、計14本の腕に力強い握り拳を作った。筋肉が漲る。上半身は異常に長く、ムカデめいた印象を与える。ナムアミダブツ!彼は古代ニンジャ文明において、果たしていかなる神として崇められていたのか。

 ダークニンジャは立ち上がり、ジュー・ジツを構えた。手に汗が滲む。一瞬、神話級リアルニンジャの力をその身で試してみたいという衝動が彼の中で起こった。だがすぐに、冷徹な精神がそれを否定する。サンダーフォージとの力量差は歴然としている。ベイビーサブミッションどころの話ではない。

 ダークニンジャは胸元からベッピンの破片を取り出し、それを高々と掲げた。折れたる刃が妖しい光を放つ。「それは、ベッピン!」サンダーフォージは目を見開き、後ずさると、運命と宿命に両肩を押さえつけられたかのようにおもむろにドゲザをした。ダークニンジャは隠した口元を笑みで歪ませる。

「いかにも、妖刀ベッピンだ。お前の呪いを解く唯一の武器だ」ダークニンジャはベッピンの妖しい輝きで神話級ニンジャを屈服させながら、片時も油断せず近づく。「自らの手で生み出した妖刀を、今こそ鍛え直すのだ、サンダーフォージ=サン。代価はお前の呪いを解くこと。この契約に応ずるか?」

「我が呪いの因縁を知っておったか……」サンダーフォージが呻いた。



(あらすじ:ダークニンジャことフジオ・カタクラは、折れたる妖刀ベッピンをサンダーフォージに鍛え直させるべく、三種の神器の一つ聖なるブレーサーを持って、琵琶湖の地底へと向かった。魔剣に操られる空虚なる鎧武者ケンドー・オートマトンを倒し、ついに彼はサンダーフォージのドージョーへ……)

 冬の朝焼けにも似た、淡く青い光に照らされるドージョーの中で、2人のニンジャが睨みあい、激しい精神戦を繰り広げていた。14本の腕を持つ神話級リアルニンジャ、サンダーフォージはドゲザの姿勢を強いられ、頭だけを反抗的にもたげる。ベッピンの破片を掲げそれを見下ろすは、ダークニンジャ。

 この精神的つば迫り合いは、もはや1時間近くも続いている。ハガネ色の冷徹なる眼と、数千年の孤独を過してきた半神的ニンジャ存在の赤い眼が交錯し、今にも実際に火花が飛び散りそうなアトモスフィアが漂う。静寂のドージョー内で聞こえるのは、両者の粗い息遣いと、時折それに混じる低い唸り声。

 ニンジャ以外の世界でも、カラテや将棋のタツジンは、およそ20段を超えた者同士の戦いになると、しばしば実際に拳や駒を交えることなく、正座して睨み合うだけで決着をつけることもあるという。彼らはただ睨み合っているだけなのに、吐血したり失禁したり心停止するのだ。恐ろしい話である。

「……契約に応ずるか?……諦めろ、宿命からは逃れられん」ダークニンジャは精神集中を保ったまま、高圧的な言葉で斬りかかる。一瞬でも気を抜いたり、下手に出れば、やられる。英雄が巨大な獣の背に跨ってこれを屈服させるような、あるいはボンズが悪魔をエクソシストするような、危険な試みだ。

「ヌウウウーッ…」唸るサンダーフォージ。数千年を生きた者の思惑を読み取ることは、ほぼ不可能だ。マンダラめいて複雑怪奇かと思えば、BASICプログラムめいて驚くほど単純だったりする。「お前の真の名を知っているぞ」ダークニンジャは言う「カツ・ワンソーに呪われし、カジヤ・ニンジャ」

 フジオ・カタクラはその名を知っていた。マレニミル社時代、古代ローマカラテ文明の遺跡を探索していた時、彼はあるクレタ様式の壷を発見した。そこにはサンダーフォージに酷似した怪物の姿が描かれ、ギリシャ文字やラテン語やカタカナなどで様々な名が記されていたのを、彼は記憶していたのだ。

「グワーッ……そ、その名を……!」サンダーフォージは背中から生えた腕で顔を覆い隠す。パン!パン!ドージョー内に張り詰めていた拮抗アトモスフィアが乱れ、四方のショウジが次々破れた!「猛省」「不死」「永遠」などと書かれた数千年前のショドー・ペーパーが、風無き風によって舞い上がる!

 サンダーフォージは古傷を抉られるようにもがいた。カツ・ワンソーから与えられたカジヤ・ニンジャの名が、かつて彼の働いた許されざる背信行為を鮮明に甦らせたのだ。「お前はベッピンを鍛えた!カツ・ワンソーを殺すカタナを!そしてそれを、他ならぬこの俺、ハガネ・ニンジャに捧げたのだ!」

 ダークニンジャは一気に畳み掛ける。「その俺に逆らおうなどとは頭が高い!従え!かつてのように!」これはハガネの言葉ではない。フジキドに憑依したナラク・ニンジャとは異なり、ハガネ・ニンジャはもう自我や記憶を有していないからだ。そのソウルはダークニンジャのカラテの一部となっている。

「……し、従う!我、サンダーフォージは、主君ハガネ・ニンジャのために再びベッピンを鍛え直し、その代価として死を得る!」「そうだ、それでいい……俺を満足させろ……」ダークニンジャは大きく息を吐き、再び口角に鋭い笑みを刻んだ。おお、ナムアミダブツ!かくして契約は結ばれたのだ! 

◆◆◆

 2人は白い巨大ワニの背に乗って地底湖を渡り、シメナワと大岩で封印されたサンダーフォージの鍛冶場に達していた。そこはタタミ10畳ほどの小さく丸い洞穴で、中央には巨大な黒いアンヴィルが据えられ、壁には様々な鍛冶道具が、「反省」「永遠」などのショドーと共に所狭しと吊られていた。

「再びこの鍛冶場を開くことになろうとは、何たるインガオホー」サンダーフォージは背中から生えた何本もの腕で、ハンマー、ヤットコ、ふいご、ヒシャクなどの様々な道具を取りながら、人間離れした声で言った。そしてダークニンジャからベッピンの破片と柄、さらに聖なるブレーサーを受け取る。

「俺には必要の無い物だ。全て鋳溶かしても構わぬ」カタクラは両のブレーサーを何の感慨も無く手渡す。ベッピンを鍛え直すために必要であると、マスタークレイン、マスタートータスから告げられたものだ。「その必要は御座いません、我が主君」とサンダーフォージ「共鳴させるだけでよいのです」

 ベッピンと三神器……両者には同じ素材が使われている。すなわちワンソーの骨を混ぜた鉄である。異形の鍛冶屋はブレーサーを自らの腕に巻いた。いつの間にか洞窟の隅の穴には赤々と輝く溶岩の水溜りができ、炉の中には炭が燃えている。ヤットコとハンマーを握る四本の手には、電撃が走り始めた。

「どれだけかかる?鍛え直すのに」ダークニンジャが問う。「すぐにはできません。重いものです」「……ならば俺は命ずる、俺のために全ての秘密を語れと。何故ベッピンが生まれたのかを。それを握ったハガネ・ニンジャがいかなる最期を遂げたのかを。そうだ、俺が持つ知識は限られている……」

 そしてサンダーフォージは語り始める。遥か遠い過去、神代の時代の物語を。洞窟鍛冶場の中には、鉄を打つ音と、サンダーフォージの朗々たる語りの声だけが響いた。地底湖では、それを遠雷の如く聞きながら、白い巨大ワニが再びまどろみの中に落ちていった……。

◆◆◆

 かつてこの世界に、ニンジャはカツ・ワンソーしかいなかった。彼は全ニンジャの祖であり、ニンジャにとってのニンジャ存在、すなわちヌンジャであった。

 平安時代以前の歴史は闇に包まれている。これらはニンジャ神話としてリアルニンジャの間に伝え残されたが、数千年の時の中でマキモノに記されたり、吟遊ニンジャの間で語り継がれたりするうちに、様々な変奏曲が生まれ、やがてどれが真実でどれが虚構か、もはや誰にも分からなくなってしまった。

 カツ・ワンソーは何人ものニンジャを生み出し、その多くは最初のニンジャクランの開祖となった。ニンジャたちは日本から世界中に散らばり、様々な古代文明を影から操った。カツ・ワンソーのカラテの前に敵は無く、さらに彼は木人トレーニングやチャドーをも編み出してニンジャたちに伝授した。

 カツ・ワンソーは様々な要素が渾然一体となった存在で、ある時は風のように穏やかに弟子にインストラクションを授け、ある時は林のように奥ゆかしく自らの非を認めてケジメを行い、ある時は火のごとく猛り狂ってニンジャや人間を殺し、ある時は山のように威厳に溢れた姿でザゼンしていたという。

 だがここでニンジャ大戦が勃発する。自らの師であり祖であるカツ・ワンソーを、生かしておいてはならぬ邪悪な存在とみなし、ハトリ・ニンジャらが叛旗を翻したのだ。ハトリ・ニンジャ、そしてハガネ・ニンジャを含むニンジャ六騎士が中心となって東軍を結成し、カツ・ワンソーの西軍と激突した。

 神々の戦争のごときニンジャたちの戦闘は世界各地で行われた。砂漠の地に十の災いが訪れ、チョップで紅海が割れ、フジサンが噴火し、大洪水が起こり、古代ローマカラテ文明が滅んだ。しかし人間の武器でもニンジャの武器でもカツ・ワンソーを殺す事はできず、東軍は次第に敗色濃厚となっていく。

 だがここで、番狂わせが起こる。西の鍛冶ニンジャであるカジヤ・ニンジャが、密かに東軍に寝返っていたのだ。アラス!ショッギョ・ムッジョ!何たる悲劇か!彼はハトリ・ニンジャの美しき娘に恋しており、このままでは彼女が東軍もろともワンソーに殺されてしまうと考え、暴挙に出たのである!

 カジヤ・ニンジャは西軍陣地内のジンジャに安置されていた「カツ・ワンソーのケジメされし左薬指」を盗み出し、ヌンジャの骨を鋼鉄に混ぜ、恐るべきインゴットを作り出した。そして人間の生き血を多腕で搾り取り、その血桶で熱を冷ましながら、ニンジャの力でひとふりの魔剣を鍛えたのだ。

 そしてカジヤ・ニンジャは、東軍が誇る剣豪ハガネ・ニンジャと密かに接触し、この恐るべきカタナを捧げた。その刀身には、数々の禍々しい漢字やカタカナとともに、自らが恋した娘、ベッピンの名が刻まれていた。彼はこのカタナの名で、自らの想いがハトリ・ニンジャらに伝わる事を願ったのだ。

 そして、溶岩流を吐き出すフジサンの麓で、ニンジャ大戦の最終決戦、バトル・オブ・ムーホンが始まったのだ。東西のニンジャらが激突する中心部では、ハトリ・ニンジャと、妖刀ベッピンを振るうハガネ・ニンジャとが、西軍総大将カツ・ワンソーと雌雄を決するための直接対決を繰り広げていた。

 三者の戦いは余りにも激しく、迂闊にも近づき過ぎた攻城スモトリ部隊は、一瞬にしてネギトロに変わったとも伝えられる。ハガネ・ニンジャが振るうベッピンはこれまでに鍛えられたいかなる武器とも異なり、ワンソーが繰り出すどんな攻撃にも折れることはなく、逆に彼の体を傷つけ、血を流させた。

 ワンソーに次ぐカラテ実力を持つハトリ・ニンジャとの挟撃連携で、ハガネ・ニンジャは自らの始祖を追い詰める。だが、勝利まであと一歩と迫った時、満身創痍のワンソーはヒサツ・ワザを放ちハトリとハガネを地に打ち据えた。ベッピンが弾き飛ばされ、ハガネをカイシャクすべくワンソーが近づく。

 ハガネが死を覚悟し、ヌンジャの威容を仰ぎ見た時……ワンソーの動きが止まった。ハトリが最後の力を振り絞って駆け、ベッピンを拾い、ワンソーの心臓にこれを突き刺したのだ。ゴウランガ!そしてその直後、誰もが予想していなかった事態が起こったのである!

 断末魔の叫びをあげるカツ・ワンソー!すると分厚い噴煙で覆われた空に、突如、謎の巨大黄金立方体が現れた。そしてワンソーの身体は一瞬にしてソクシンブツめいたミイラと化し、黄金の輝きを放つ彼のニンジャソウルは螺旋を描きながら黄金立方体へと飛翔していったのだ!スゴイ!

 すぐに黄金立方体は消え去った。ニンジャ達にも、何が起こったのか皆目見当が付かなかった。ある者は、ワンソーのニンジャソウルは上方世界に帰ったのだと考え、またある者は、いつか復活する時のためにワンソーは肉体を捨てて脱出し、あの黄金立方体の中にソウルを蓄えたのではないかと考えた。

 ニンジャたちはこの黄金立方体をキンカク・テンプルと名付けた。やがてこれは北欧でヴァルハラと呼ばれるようになったりしながら、永らくニンジャたちを困惑させ続けたが……その秘密が明かされたのはサンダーフォージが隠遁生活に入った遥か後の時代であったため、ここでは語られるべきでない。

 話をワンソーの肉体が滅んだ直後へと戻そう。黄金立方体の謎は残ったが、いずれにせよ東軍はニンジャ大戦に勝利した。ハトリは手を差し伸べてハガネを起こし、共にヌンジャのミイラと、その胸に刺さったままのベッピンを見ていた。それは破滅的戦闘を経てもなお折れず、傷一つ付いていなかった。

 ーーーーー「ならば一体なぜ」ダークニンジャが問う「それ程までの強さを誇る妖刀ベッピンが、あの時、折れたのだ」

 カィイイイイン、カィイイイイン、カィイイイイン、カィイイイイン……洞窟の中にはしばし、赤熱したカタナを叩くサンダーフォージの槌音だけが響いた。それから彼は答える。「……ひとつには、ベッピンが弱っていたのでしょう。おそらくは浄化か何か、そのようなニンジャ的儀式を受けて……」

 サンダーフォージは、刀身に刻まれた痛々しい傷を再び凝視しながら、こう続けた。「それでも、折れるはずはないのです。これは、そのように鍛えられたカタナなのですから。カツ・ワンソーにも折ることかなわぬように生み出されたのです。カツ・ワンソーでないとするならば……一体、誰が?」

「……ドラゴン・ゲンドーソーと、得体の知れぬ狂人のような野良ニンジャだ」ダークニンジャはあの夜の戦いを回想した「ドラゴン・ニンジャクランの末裔、ドラゴン・ゲンドーソーは、俺の手にかかって殺される前に、恐るべきヒサツ・ワザを放った。それによって、ヒビを入れられたのだろう……」

 ダークニンジャは仔細を語った。カィイイイイン、カィイイイイン……サンダーフォージは思案しながら、黙々とハンマーを振るう。振り下ろされるたびに、バチバチと刀身に電流が走った。「……どうもそうとは思えません、我が君主よ。もう一人のニンジャは、いかなるジツの使い手だったのです?」

「あの男か?取るに足らぬ下郎だ。ただ、復讐心だけは侮れぬ。失う物が何も無い……狂犬だ」ダークニンジャは言った。「憑いているニンジャソウルも謎だ。だが古事記にも、いかなるニンジャ神話にも、あのようなニンジャは現れぬ故、俺の宿命を阻むニンジャとは思えぬ。憎むべきはゲンドーソー」

「あのような事が二度とあってはならぬ。……カジヤ・ニンジャよ、カツ・ワンソーには折ることかなわぬだけで、リアルニンジャの力の前には無力なのではないか?」ダークニンジャは魂の奥に何かちくちくとした違和感と苛立ちを感じながら、そう返した。砕かれ失われたはずの感情のひとつだった。

「そんな筈はありません!」サンダーフォージは声を荒げた。しかすぐに、遠雷の轟きのごとき、低く静かな声に戻った。「……申し訳御座いません、我が君主よ。私がそのような生半可な心でカタナを鍛えたことは、ありません。我が主ハガネ・ニンジャよ、その下郎めの特徴を、なにとぞ今一度」 

 ダークニンジャは渋々ながら、そのニンジャソウルの仔細を語った。忍殺メンポ、センコめいた赤の眼、腕にまとう黒き炎など……だが、彼の導き手であるマスタークレインやマスタートータスも、そのようなニンジャの存在は知らず、ハガネ・ニンジャの宿命を遮る存在ではないと断言したはずなのだ。

 暫し、サンダーフォージは口を開かず。静かなる怒りを完全に押し殺し、ベッピンだけを見つめながら黙々と鎚を振るう。そして口を開いた。「……それはおそらく、ナラク・ニンジャ」「……ナラク・ニンジャ?やはり知らぬ名だ。カツ・ワンソーによって生み出された最初のニンジャにも含まれまい」

「彫らねばなりません。新たなルーンカタカナを、このベッピンの刀身に」サンダーフォージは背中に生えた一本の腕を伸ばし、邪悪なコケシの柄を持つノロイ・チゼルを掴んだ。「何だと?」「ナラク・ニンジャは恐るべき相手です。この刃がナラクによっても決して折られぬように、彫るのです」

 額から汗が流れた。異形ニンジャの動揺が、ダークニンジャの目から見て取れた。我が子を守ろうとする親か、あるいは愛する恋人を守ろうとする者の、捨て鉢な決意にも似ていた。彼が切り捨てた感情だ。「ナラク・ニンジャとは何者か。答えよ」ダークニンジャは僅かな不快感をおぼえながら命ずる。

「私も詳しくはありません」カジヤは頭を振った「私が反省の庵に隠れてから暫くして、六騎士の一人、ゴダ・ニンジャがここを訪れ、いくつかの話とともにその名をもたらしたのです。ナラク・ニンジャなる恐るべきオバケが出現し、それを封じたと。そして全ての文書から、ナラクの証拠を消したと」

「私が覚えているのはそれだけです」サンダーフォージは、チゼルで強力なコトダマを刀身に刻みながら言った。彼の言葉に嘘はない。契約の力により、主君に全ての秘密を明かさねばならぬからだ。「…あなたもそれを知らぬことでしょう、我が主ハガネ・ニンジャよ。あなたはすでに滅びていたが故」



「そうだ、俺が知りたいのはそれだ」ダークニンジャは、マルノウチ抗争の夜に殺し損ねたあの男に対して予想だにせぬ殺意を覚えつつも、サンダーフォージに問うた「お前は知っているな、平安時代にハガネ・ニンジャがいかなる最期を遂げたかを。そして古き漢字の呪いを。俺が知りたいのは、それだ」

「ハガネ・ニンジャよ、我が酷薄なる主よ!やはりそれを問うか!」サンダーフォージは苦悶した「……しかし答えましょうぞ。全ての秘密を。カツ・ワンソーの肉体が滅びた後、何が起こったのかを。何故このサンダーフォージめが、二重に呪われることとなったのかを!」

◆◆◆

 ……ヌンジャの肉体が滅び、そのソウルが黄金立方体へと吸収された後、まだワンソーの死を知らぬ東軍西軍のニンジャたちの間で、戦いは続いていた。その喧騒の中で、ハガネ・ニンジャとハトリ・ニンジャは、カツ・ワンソーのソクシンブツめいた骸を見下ろしていた。ここで、新たな悲劇が起こった。

 ハトリは、宿敵カツ・ワンソーの邪悪なニンジャソウルの一部が、どういうわけか妖刀ベッピンの中に囚われたことを察知していた。そこで彼は、この危険すぎるカタナをワンソーの死骸とともに滅ぼそうとしたのだが……ハガネ・ニンジャはこれを拒んだ。そしてカタナを抜き、ハトリを斬り殺したのだ。

 誰にも見られることなく裏切りを成したハガネ・ニンジャは、ハトリとワンソーの死体とともにフジサンを去った。妖刀ベッピンを担いで。そして他の六騎士に対しては「総大将ハトリはカツ・ワンソーによって殺された」と欺き、ハトリ・ニンジャを神聖なるシュライン「シックスゲイツ」で弔ったのだ。

 この暗い真実が解き明かされ、六騎士の一人であるソガ・ニンジャが彼を失墜させるまでの間、ハガネ・ニンジャは六騎士の頂点に立ち続けた。すなわち、全ニンジャの頂点である。暗黒時代は終わり、平安時代が訪れようとしていた。

 一方、カジヤ・ニンジャはどうなったのか?彼はバトル・オブ・ムーホンが起こった時、ワンソーの怒りを避けるように、自らの鍛冶場で武器を鍛えていた。だがカツ・ワンソーが滅びた時……ヌンジャ殺しのカタナを鍛えた彼の頭にワンソーの声が響き、永遠なる反省の呪いが降りかかったのだ。

 それは、永遠の罪の意識にさいなまれながら生き続けるという呪いであった。ハトリの娘ベッピンへの想いに衝き動かされて衝動的に魔剣を鍛えたカジヤ・ニンジャは、内心、それが本当に奥ゆかしく正しい行いだったのか不意に恐ろしくなり、鍛冶場に隠れていたのだ。呪いはそんな彼を大いに苦しめた。

 彼にとって唯一の救いは、東軍が勝利し、ハトリの娘ベッピンが生き残ったことであった。そこで彼はハガネ・ニンジャのもとを訪れ、正式に主従の誓いを立て、ハトリの娘と吊り合うだけの地位を得ようとした。カジヤは内心、ハトリ本人に仕えることを望んでいたが、ハトリはもう死んでいたからだ。

 だが、おお、ナムアミダブツ!何たる悲恋か!カジヤ・ニンジャがドゲザして主従関係を結ぶべくヘーアンキョ・キャッスル天守閣を訪れると、ハガネの玉座の横には、ハトリの娘ベッピンが妃として正座していたのだ!ニンジャ大戦の勃発前より、ハガネ・ニンジャと彼女は恋仲にあったのである!

「このカタナにかけて誓え」冷酷なるハガネ・ニンジャは、妖刀ベッピンを掲げながら言い放った。ショッギョ・ムッジョ!だがカジヤ・ニンジャは、怒りも悲しみも露にせず、ただドゲザし、事を荒げることなくハガネに忠誠を誓った。それが彼女の幸福のためなのだと、ひたすら自分に言い聞かせて。

 だが数年が経つと、ハガネ・ニンジャの行動が常軌を逸し始めた。彼のハガネ色の瞳には、妖刀が放つ光のような、紫色の輝きが宿り始めた。彼はさらなる力を追い求め、また少しでも気に食わぬことがあれば側近のニンジャさえ殺した。しかもハイクを詠む名誉すら与えず、必ず心臓を貫いて処刑した。

 心臓から生き血を啜るたび、ベッピンに宿るニンジャソウルの力は強まっていった。この妖刀は、殺した者のニンジャソウルを吸収していたのだ。最初にそれに気付いたのは、名をサンダーフォージと改めたカジヤであった。サンダーフォージは、そんなジツをベッピンに込めたつもりはなかった。

 恐らくは、妖刀ベッピンがカツ・ワンソーを滅ぼした時に、意図せずに備わってしまったジツであろうと考えられた。妖刀が強まるたびに、ハガネ・ニンジャ自身のカラテも強まり、実際すでにハトリのそれを超えていた。ハガネの目的は、さらに力を得て、自分自身が新たなヌンジャとなることだった。

 だがハガネ・ニンジャの支配は長くは続かなかった。他にも城を構える六騎士のうち、特に権謀術数に優れていたソガ・ニンジャが、謎めいたジツなどを使ってハガネ・ニンジャの暗い秘密を暴いたのだ。彼がハトリ・ニンジャを殺していたこと、そして妖刀ベッピンに宿っている危険すぎる力を!

 ---「そしてハガネ・ニンジャよ、あなたは妖刀を背負ってヘーアンキョ・キャッスルから逃げ出したのです」サンダーフォージは腕の一本を、洞窟の隅に置かれたハニワへと伸ばす。それを叩き割り、何枚もタリスマンが張られた大きなヒョータンを取り出した。すでに妖刀は1本の形に戻っている。

「それは何だ」「ジツで保存した人間の生き血です。遠い昔の」サンダーフォージは口で蓋を外し、すでに空気を焦がすほどの湯気を発するベッピンの刀身に黒い液体をかけた。「真水で鍛えた鋼鉄は、一見強く、しかし弱いのです。真の魔剣を鍛えるには、怨念や殺意の篭った生き血が必要なのです」

Ssssssssss……ヒョータンからかけられた血は、コブラめいた音を立てて一瞬にして蒸発し、鍛冶場の中を異臭で満たした。ベッピンの刀身に刻まれたカタカナや漢字の奥で、一瞬だけ、拍動するように紫色の光が光った。「何度も繰り返します」サンダーフォージは再びハンマーを振るう。

「夫が実は父の仇であると知った彼女は、混乱し、涙に暮れました。しかも我が君主よ、あなたは彼女を置き去りにしたのです」サンダーフォージは苦しそうに言った。槌音だけが響く。「……あなたを殺すための追っ手が何度も差し向けられました。そして、私に2個目の呪いが訪れたのです」--- 

 ハガネは正気を失っていたと考えられている。彼は山野に隠れ、追っ手を次々と殺しながら逃げ続けた。数週間が過ぎてもハガネは捕えられない。サンダーフォージはハトリ・ベッピンを慰めようとしたが、彼女は誰にも耳を貸さなかった。ある日、彼女はハガネを探すと言って姿を消し、戻らなかった。

 おお、ナムサン!これがサンダーフォージに降りかかった2個目の呪いであった。恋する女を守ろうと鍛えた剣が、最終的には彼女に災いを与えてしまったのだ!サンダーフォージは絶望し、セプクを試みた。だが、いかなる武器も彼を殺すことはできない。ワンソーにかけられた不死の呪いであった。

 ハガネ狩りは数ヶ月に及んでいた。ハガネはすでに日本を離れており、異国の地まで追っ手が差し向けられた。だが残された六騎士たちはいつしか政争を始め、ワンソーとハガネの脅威を忘れ始めた。サンダーフォージはソガに依頼され三神器を鍛えた後、静かに朽ち果てる道を望み、反省の庵に隠れた。

 ここでショドーをしつつ、サンダーフォージは飲まず食わずで猛省を続けたが、やはりその身が朽ちることはなかった。ハトリ・ベッピンの美しい横顔や豊満な胸、カツ・ワンソーが一度だけ自分に向けた笑顔などが何度もハナビのように浮かんでは消えた。やがて、ゴダ・ニンジャが彼のもとを訪れた。

「おれは死んだも同然の話し相手が欲しいんだ」と告げ、静かに笑うと、ゴダはサンダーフォージに様々な事を語った。その中に、ハガネの最期も伝聞として含まれていた。妖刀に魅入られたハガネは数十年、あるいは数百年に渡って殺戮と逃亡を続け、目の前にいる獣も人もニンジャも見境なく殺した。

 ハガネは歩く殺戮の化身と化していた。彼は世界を放浪し、通り道に森や町があれば、タツマキが通ったように倒木や血の道ができた。彼は人間たちに破壊神や竜とみなされ、バジリスク、フンババ、メデューサ、エイトヘッズドラゴン、黙示録の獣、ツチノコ、チェルノボグなどの神話の原形となった。

 ---ダークニンジャは、胸の底でのたうつ邪悪な衝動を自制しながら、話に聞き入った。背中のカンジ痕が、小さく疼いた。「そして、どうなった」「ついに討たれました」「どのニンジャに?」「ニンジャではありません」「……では誰だ?」ダークニンジャは片眉を吊り上げる。「人間です」---

 狩人のフードを被ったその男は、長きに渡りハガネを追っていた。そして一本の弓矢を引き絞りながら、松林の中で嵐の到来を待ち構えていた。彼の素性は解らない。ハガネに仲間を皆殺された野盗の頭領であるとも、ハガネに滅ぼされた王族の長子であるとも、ただの野蛮な猟師であるとも伝えられる。

 やがて空は不吉な黒雲に覆われ、恐れ入った水牛たちが悲嘆の鳴き声をあげ、ハガネ・ニンジャという名の嵐がやってきた。追っ手のニンジャ数名と激しく戦いながら。これらを薙ぎ倒したハガネは、地に倒れ伏すニンジャらの心臓にベッピンを刺し、血を吸い上げ始めた。その時、矢が放たれたのだ。

 この矢が、ニンジャを殺すために作られていた可能性は高い。ハガネ・ニンジャは自分の胸に突き刺さった矢を、意外そうに見ていた。そしてベッピンを取り落として仰向けに倒れ、両手を鉤爪のように強張らせてもがいた。男は素早く松から飛び降り、竜を踏みつけながらタケヤリでさらに腹を貫いた。

 ハガネは叫んだ。男はなおも竜の腹をタケヤリで突き刺した。まだ辛うじて息のあった追っ手ニンジャの一人、ヤマイヌ・ニンジャが、ヘンゲヨーカイ・ジツによって大きなジャッカルの姿に変身し、地に転がったベッピンの柄を素早く咥えて走り去った。男はなおも竜の腹をタケヤリで突き刺した。

 ついに自らの滅びを悟ったハガネ・ニンジャは、人間の男を睨み、呪いをかけた。「貴様の家系を末代まで呪う。漢字の呪いを背負え。遠き過去の世で、俺のために妖刀ベッピンを探すのだ」。だが男はなおも、ハガネ・ニンジャの腹を突き刺した。「サヨナラ!」ハガネ・ニンジャはついに事切れた!

 ホンダ・ニンジャはこの経緯を見届けてから、ファルコン・オメーンの奥で顔を苦痛に歪めつつ、ヤマイヌ・ニンジャの後を追った。人が、竜を殺した。ハガネ・ニンジャは未だ人型を保っていたが、人が怪物を殺したこの逸話は後に人間たちの間で曲解され、竜殺しの聖人伝説などの元となった。

 この先の物語をサンダーフォージは知らない。だがフジオ・カタクラには予想ができた。ハガネを殺したこの男が、戦利品か何かとして、アミュレットを奪い取ったのだ。そして彼の家系には代々エンシェント・カンジの呪いが現れ、しばしば悪夢を引き起こし邪悪なカタナのイメージを脳裏に投影した。

 ならばハガネは、ソウルをキンカク・テンプルに保存できたのか。漢字にソウルを篭めたのか。あるいはアミュレットに潜んでいたのか。いずれにせよ自我が不完全な形で保存されたのは間違いない。強い自我を保っているナラク・ニンジャとは異なり、カタクラの肉体を奪ってはくれなかったのだから。

「……終わりました」サンダーフォージが、鍛え終わった妖刀の柄を握り締め、その漢字やカタカナの輝きを確かめた。それだけで周囲の空気が鳴った。「ソウルの大半は、長い年月の中で消滅したようです。カツ・ワンソーのソウルの名残は、未だに感じられますが、他のものは小さすぎて解りません」

 カジヤは礼儀正しくベッピンを捧げた。ダークニンジャがこれを握る。背筋が冷え、肌が粟立った。同じカタナとは思えなかった。失われた伴侶を取り戻したかのように内なるソウルが昂ぶり、自らのカラテの再生を感じた。だが、内なる声は無かった。(((現金な奴だ)))フジオは冷笑的に笑った。

「では我が主よ、契約を」サンダーフォージが深々とドゲザする「ひとふりで我が首を撥ね、カイシャクを。ワンソーを殺すカタナならば、我がノロイも断ち切れるはず。私はもう長く生き過ぎました。ベッピンはもう二度と折れぬでしょう。全てを切断します。ノロイさえも。思い残すことは何も無い」

「ノロイさえも…」フジオはその言葉を小さく繰り返しながら、目の前でドゲザするカジヤを見た。ノロイに縛られれば、神話級ニンジャも何とブザマなことか。いや、それは自分もまた同じだ。思えば自分の人生とは何だったのか?生まれる前から凶運の宿命を定められていたのか?遺伝と同じように?

「……カイシャクしてやる、ドゲザしろ」ダークニンジャは、正しいカイシャクの姿勢を取る異形の横に立った。カジヤは額を床に押し付ける。「ハイクは詠まんのか?」「妖刀ベッピンこそが我がハイク」サンダーフォージは驚くほど穏やかな顔と声で言った。これから死ぬ者の表情とは思えなかった。

 ダークニンジャは魔剣を振り上げる。そして首をカイシャクするために振り下ろす!「イイイイヤアアアーッ!」おお!ナムサン!妖刀ベッピンを握る彼の腕は素早く逆手に持ち替えられ、サンダーフォージの首ではなく心臓を、背後から深々と突き刺した!ヤミ・ウチ!!「グウワアアアアアーッ!!」

 ドクン!ドクン!ドクン!ドクン!神話級ニンジャの心臓に突き刺された妖刀ベッピンの刀身を、血が重力に逆らって上る!刀身の漢字やカタカナが、拍動に合わせて紫の光を放ち、カタクラの体にもカラテの力を注ぎこんでゆく!フジオよ、妖刀に魅入られたのか?それともハガネ・ソウルの暴走か!?

 違う!フジオの目に紫色の光は宿っていない。またその心臓の奥に溶け込んだハガネ・ソウルも、ベッピンとの再会を喜ぶばかりで、フジオには何の言葉もかけはしない。これはフジオ・カタクラことダークニンジャが、初めて自らの運命と宿命とノロイに唾を吐くべく振るった、残忍なるカタナなのだ!

「グワーッ!や、やめてください!カイシャクの契約を!」サンダーフォージは恐怖に喘ぐが、ベッピンの力により体が言うことを利かない。腕に力が入らないのだ。「このままでは、ニンジャソウルが!ベッピンに!嫌だ!嫌だ!死にたい!死なせてくれ!」。だがダークニンジャはその手を緩めない。

「ふざけるな!」ダークニンジャは冷酷に言い放つ。ドクン!ドクン!ドクン!さらに血とソウルを吸い上げる速度が速まった。上に流れぬはずの血が、重力に抗い、柄をも朱に濡らす。「元を正せば貴様が俺の呪いの発端なのだ!色恋だと!?反省だと!?解放だと?!ふざけるな!三度呪われろ!!」

「グワーーッ!サ……サヨナラ!!」サンダーフォージの全身から生気が失われ、鉛色の死体へと変わってゆく。そしてがくりと白目を剥き、事切れた!「ハァーッ!ハァーッ!ハァーッ!」ダークニンジャは息を荒げながら神話級ニンジャの頭を踏みつけ、死後硬直で心臓に硬く抱かれたカタナを抜く。

 ガラガラガラガラガラ!その直後、地底湖全体が激しく揺れ始めた!おそらくは神話級ニンジャのニンジャ存在感によって守られていたこの庵が、崩落しようとしているのだ!そうなれば、ドーム天井を突き破って何千万トンもある琵琶湖の水が一気に流れ込んでくるだろう!ナムアミダブツ!

 ダークニンジャは吸い上げた血で半身を塗らしながら、小さく丸い洞窟を飛び出した。「死ぬわけにはいかぬ!俺の屈辱の時代はついに終わるのだ!呪われろ!呪われろ!呪われろ!宿命だと!?運命だと!?ノロイだと!?俺は全てを逆手にとってやる!!」そして暗黒カラテで地底湖の湖面を駆ける!

 ダークニンジャは地底湖を抜け、回廊に倒れている哀れなケンドー・オートマトンを一瞬視界の脇に捕らえた。魔剣バスタード・カタナブレードツルギの力で操られるだけの、自我無きデク人形を。崩壊する地底湖では、白い巨大ワニが眠たげな目で、砕け散り降って来る天井を見つめていた。



【カース・オブ・エンシェント・カンジ】終。後編である【……オア・ザ・シークレット・オブ・ダークニンジャ・ソウル】に続く



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