【ブラックメイルド・バイ・ニンジャ】
【ブラックメイルド・バイ・ニンジャ】
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「試作型ツェッペリンMG775の機体が……ほぼ無傷のまま発見されただと?」アサノ・ミツイ部長は、レイバン社製の最高級サングラスを上げ、ビーチチェアから身をもたげた。「ハイ本当のようです」彼のIRC代理タイプ専用に雇われたハッカーが、ハンカチで汗を拭いながら高速タイプを続けた。
「面倒な事だな」アサノは明らかに苛立ち、小麦色に焼けた肥満顔をしかめた。そしてオキナワ・ブルー・パインを運ぶオイランドロイドの柔らかなヒップを揉みしだいた。天井のデミ太陽光が燦々と輝き、カクテルの氷を崩した。カクテルグラスの側面を流れる水滴めいて、アサノも額に脂汗を滲ませた。
「発見したのはスマコチラ社か……テンプレート8で謝意を述べた後に、詳細を聞け!」「ハイ」アサノが命じると、ハッカーは両手を使って凄まじいスピードでタイプした。かなりの物理タイプ速度だ。少なくともスゴイ級のハッカーであろう。「墜落ポイントはキョート共和国との国境付近のようです」
頭上から照りつけるデミ太陽光により、明らかに快適とは言えないこの環境でも、ハッカーは襟元を緩める事すらしない。高温多湿のこの領域で、Tシャツ、ワイシャツ、ネクタイ、さらに3つボタンスーツのボタン全てを留めたスタイルだ。それでもタイプ速度は緩まない。プロフェッショナルである。
ここは何処か?オキナワなのか?……否。分厚いマッポー級汚染雲に覆われ、重金属酸性雨が降り注ぐネオサイタマである。アサノサン・パワーズ社第7社屋の最上階にある重役用の休憩ルームだ。ここには屋内プール、竹林、ミニゴルフコース、最新のトレーニング機器が揃ったジム・ドージョーがある。
(((クソッタレめ!空中爆発して木っ端微塵になったか、海の藻屑と化したと思っていたのに……!)))アサノは口髭を撫でながら心の中で毒づいた。下手に口に出すと、ハッカーがそれをIRC内でタイプし、関係各社に発言を見られる恐れがある。そのような失態をおかせば、ケジメでは済むまい。
「フウーム」アサノ部長は画面を見ながら思案した。……MG775試作機に搭載されたパワーズ社のハイブリッド・ニューク燃料炉には、実は重大な欠陥があった。機体が回収されれば、それが明るみに出る。アサノサン・パワーズ社の株価は確実に暴落する。故に、原因不明のまま消えて欲しかったのだ。
#DANGOU:YASU@SUMAKOCHIRA:どうしましょう |||
#DANGOU:ASANO@ASANOSAN:原因は何だったんですかね |||
#DANGOU:YASU@SUMAKOCHIRA:まだ解りません。追求したいです |||
#DANGOU:ASANO@ASANOSAN:そうですね |||
「フゥーッ……」アサノは画面を睨み、額に浮かぶ汗を拭った。腹の探り合いだ。迂闊な発言をすればIRCログに残り、後々に響く。アサノの発する言葉を瞬時に物理タイプするため、隣にいるハッカーは固唾を呑んで待機する。
#DANGOU:ASANO@ASANOSAN:しかし考えてもみて頂きたい。キョート国境付近というのは些か面倒では? |||
#DANGOU:IDEYASU@SUGOITECH:一理ある |||
#DANGOU:YASU@SUMAKOCHIRA:確かにそうですね|||
アサノは他の追随を許さぬ発言速度で、談合をリードした。有能なハッカーを抱える意味は大きい。彼はこの談合に参加中の関係各社の中で、実際リーダー的な立場にある。まして現在は、この手の談合を取り仕切っていたという闇の組織、ソウカイヤクザ・シンジケートも存在しない。彼の独壇場だ。
アサノは巧みにトピックを誘導し、相手の思考を読み取り……そして勝機をつかんだ。(((ははあ、どうやら奴らも、自社システムが原因だった場合の不安を拭えぬと見える)))アサノは眉根を吊り上げ、平安時代の兵法家ミヤモト・マサシのコトワザ「泥棒がばれたら家に火をつけろ」を想起した。
#DANGOU:ASANO@ASANOSAN:どうです、いっそ爆破しませんか |||
#DANGOU:IDEYASU@SUGOITECH:私もそう言おうと思っていました |||
#DANGOU:YASU@SUMAKOCHIRA:回収コストより安く上がりますね |||
「ヤッタ!」アサノ部長は小さくガッツポーズを作り、ビーチチェアに再びふんぞり返って、カクテルのストローを口元に運んだ。これでアサノサン・パワーズの株価は守られる。「謝辞をテンプレート5でやっておけ」それから盛大な音を立てて、一気にオキナワ・ブルー・パインを吸い上げた。
「アイエエエエ!」突然、ハッカーが叫んだ。「どうした?」アサノ部長が再びレイバンを上げた。ハッカーは汗を拭い、死に物狂いでタイプする。「IRC談合部屋から切断されました」「何だと?まさか敵性ハッキングか?」「いえ違います……!これは物理切断です!Pingがそう告げています!」
「早く何とかしろ!」「ハイ!」ハッカーは険しい顔で立ち上がり、UNIXのLAN端子を確かめる。アサノは周囲を見渡す。LANケーブルのもう片方の先端は、イミテーション竹林に隠されたサーバに刺さっている。今この広大な休憩ルームには、彼とハッカー、オイランドロイドたちしかいない。
「クソッ、何でこんな時に…!」アサノは、休憩中に緊急IRCが入った不運を呪う。この休憩ルームは完全なセキュリティ措置が施され、他の誰も入れない。「お前はこっち側を調べてろ!私がサーバの方を見てくる!接続復帰した時のために、お前は直ちにタイプできるようにしておけ!」「ハイ!」
アサノはプールサイドを走り、ゴルフコースの横を抜け、エメラルド色のLANケーブルを追った。そして涼しく、また見事な出来映えのイミテーション竹林をかきわけて進み……UNIXサーバを発見する。そして見た。ケーブル端子の爪が折れて抜け、先端が力無く床に横たわっているではないか!
「ふざけやがって!抜けてただけだ!おい、今すぐ復帰するからな!タイプの準備をしておけ!」アサノは額を叩いて笑う。そして屈み込み、LANケーブルに手を伸ばした。その時、黒い足が突き出され、LANケーブルの先端部を踏みつけた。「ア……?」アサノは顔を上げた。そこにニンジャがいた。
「ニンジャ……?」アサノはゆっくりと立ち上がり、サングラスを上げて眉根を寄せた。それは確かに、ニンジャのように見えた。黒いニンジャ装束の男が、目の前で、腕を組んで立っていた。「ハハハハハハ!おい、ちょっと待ってくれ、これは何のジョークだ?私の誕生日のサプライズか何かか!?」
アサノの思考は混乱の極みにあった。無理からぬことだ。ニンジャなど実在しない。フィクションの産物だ。「いや、待てよ……」しかし、十重二十重のセキュリティを突破し、ここに部外者が入るのは不可能。「まさか……」その時、ニンジャは足下に転がるゴルフボールを爪先で蹴り上げ、握った。
そしてカラテシャウトとともに、力をこめた。「イヤーッ!」「まさか……!」この男は握力だけでゴルフボールを割ろうと?そんな事ができるのは、ニンジャだけだ。アサノは相手の拳を凝視した。まさか本当にニンジャなのでは?やめてくれ。そんな事を証明しないでくれ。アサノの魂がそう懇願した。
そして、起こりえない事が起こった。「イヤーッ!」KBAM!ゴルフボールは粉微塵に掌握粉砕。ナムアミダブツ!「アイエエエエ!」そのカラテを見たアサノは失禁する。ニンジャだ。ニンジャが実在した。「ドーモ、アサノ=サン」ニンジャは恐怖を植えつけ終えると、嘲笑うようにアイサツした。
「アイエエエエエエ!な、なぜ私の名を……!?」「アサノ=サン、私の名前はブラックメイルです。私はより大きなビジネスを提案しに来た」「おい、セキュリティ……!セキュリティを……!」「アサノ=サン、生憎だが、セキュリティは来ない」「ナンデ?」「殺したからだ」「アイエエエエエ!」
アサノは死を覚悟した。ニンジャに対しての抵抗が無意味である事を、彼は本能的に悟ったからだ。逆らえば、あのゴルフボールめいた運命が待っている。「よかろう。アサノ=サン、MG775は墜落事故ではない。キョート側の手で撃墜され、キョートのメガコーポによって機体を回収されたのだ」
「何だって?そんな事実は……」「イヤーッ!」ブラックメイルは有無を言わさぬ力で、アサノ部長の人差し指を折った!「アイエエエエエエエエ!」「アサノ=サン、もう少し賢くなってもらいたい。その事実は“まだ”起こっていない。これから作るのだ。お前が爆発事故を作ろうとしたようにな」
「何だって?そんな事をしたら……」「イヤーッ!」ブラックメイルは有無を言わさぬ力で、アサノ部長の中指を折った!「アイエエエエエエエエ!」「確かにそんな事をすれば、両国の緊張関係は極めて高まるだろう。だが、お前に何の関係がある?お前に選択権は無いのだ」ナムサン!何たる横暴!
「解った、どうすれば……」「イヤーッ!」ブラックメイルは有無を言わさぬ力で、アサノ部長の薬指を折った!「アイエエエエエ!」無慈悲!アサノは己の無力を知った。完全屈服。カチグミ企業の重役……カネと地位で守られているはずの己が、サバンナでライオンに狩られる哀れな草食動物も同然。
「お前には質問する権利もない」ブラックメイルはアサノの胸ぐらを掴む。周囲を黒く縁取られた不吉な目……虹彩の無い細く黒い瞳が、アサノ部長を射竦めるように睨んだ。「このマキモノの筋書き通りに進めろ」ニンジャは懐から黒いマキモノを取り出し、低く押し殺したデスヴォイスでそう告げた。
そのマキモノにはアマクダリの紋!邪悪なニンジャ組織の印!「ハイ」だがアサノは知らぬ。深く知る気もない。震える手でマキモノを受け取るのみ。この地獄からポップしたような無慈悲な怪物は、交渉も買収も命乞いも通じまい……別種の生命体なのだ……そのようなモンドムヨーの絶望感とともに。
ブラックメイルはLANケーブルを接続し、復帰させた。「……行け。少しでもおかしな動きをすれば、スリケンが飛ぶ。私はここで見張っている」「ハ、ハイ」解放され後ろを向かされたアサノは、竹林からまろび出た。竹林の冷気は背後に消え、再びデミ太陽光が燦々と降り注ぐ屋内ゴルフコースへ。
「ヤッタ!接続復帰!」ハッカーの声がプールサイドから遠く聞こえる。「ああ……ああ…」アサノは白昼夢めいた心地で、ゴルフコースを歩いた。まるで無限の砂漠を一人で歩いているような現実感乖離。だが右手の痛みと熱が、彼を情け容赦ない現実に引き戻す。己はニンジャに脅迫されたのだ、と。
社を裏切ればどうなる。だが断ればニンジャに殺されるぞ。膝が笑い、走れぬ。後方を一瞥。竹林はもう遠い。ニンジャの姿は見えない。……だが解る。あの中にニンジャがいて、監視し続けているのだ。急がねば。恐怖で再び足がすくむ。アサノはやむなくゴルフカートに乗り、プールサイドへ向かう。
「アサノ=サン!あぶなかった、回線復帰があと数分遅れたら他社にイニシアチブ奪取可能性!」ハッカーはUNIXモニタを凝視している。「そうか、良かったな」アサノは息を切らし、小型カートでプールサイドに横付けすると、ビーチチェアに身を投げた。そして青ざめた顔でマキモノを熟読した。
「切断の謝罪を……テンプレート3で」「ハイ!」ハッカーが高速タイプする。「……それから、このようにタイプしろ。……切断中にザゼンしていて、考えが変わりました。爆破はやめて、回収しませんか。今回は全て弊社のコストで回収と運搬します……」「ハイ!」ハッカーが高速タイプする。
このハッカーは淡々とした、自我の希薄なプロフェッショナル者だった。だがそんな彼でも違和感をおぼえ、高速ブラインドタイプしながら振り向いた。そして威厳を失い変わり果てた部長のアトモスフィアに、息を呑んだ。「アサノ=サン、もしや身体の具合でも?」ハッカーは痛ましそうな顔を作った。
「転んだだけだ」アサノは蠅でも追い払うように手を振った。「スミマセン」ハッカーは向き直った。部長はマキモノの情報を咀嚼し、それをいかに遂行するか考えた。苦しげな溜息をもらしながら。そのような事は初めてだった。部長は己の地位のためならどんな非道行為もいとわない剛胆な男だった。
ただの疲労か?何か妙だ。アトモスフィアが妙だ。いつものあのパワーに満ちたアサノ部長はどこへ行ってしまったのだ。今の彼の状態は……カワイソウだ。「……アサノ=サン」そしていかなる脳内物質のケミカル反応か、ハッカーは己の胸までも締め付けられるような思いになり、再び振り返った。
「何だ」アサノ部長は重い溜息とともに返した。「アサノ=サン、今回の一件はきっと途方も無く大変なビズなのでしょう。ハッカーである私がこんな事を言うのは差し出がましいかもしれませんが、何か他に出来る事があれば、何でも、仰ってください。アサノ=サンには大変お世話になっております」
「イヤーッ!」「グワーッ!」アサノは突如ハッカーを殴った!ナムアミダブツ!「イヤーッ!」「グワーッ!」さらに殴った!ハッカーは椅子から転げ落ち、鼻血を噴き出す!「黙ってタイプ集中しろ、イディオットめ!計算の邪魔をするな!お前の下等なニューロンでは私の仕事の1%も勤まらん!」
「ス、スミマセン……」ハッカーは鼻血を拭い、タイピングに戻った。(((クズが……!おかしな動きをしたら俺はスリケンで殺されるんだぞ!お前の年収はいくらだ!?俺の何分の一だ!?)))アサノ部長は粗い息を吐き、再びマキモノに目を落とす。(((それが俺を哀れむだと!?クソッ!)))
「……キョート国境も近いので、刺激しないよう、御社の探索隊はとりあえず解散を」「ハイ」ハッカーが高速タイプする。おお……ナムサン!全てはアマクダリの筋書き通りだ!このままアサノ部長は傀儡と化し、多数の犠牲者を生むであろうキョート戦争の火種を作ってしまうのか!?……その時!
「イヤーッ!」フスマを開け謎の三人組が突如乱入!一人は拳銃を構えたサラリマン!続く二人は清掃員に偽装したスモトリとスラッシャー……殺人のプロだ!「死ね!アサノ=サン!死ねーッ!」BLAMBLAMBLAM!サラリマンは腰だめで歯を食いしばり、プールサイドに銃撃!ナムアミダブツ!
「アバッ!アバババババーッ!」部長への射線を遮る位置にいたハッカーが銃弾を全身に浴び、ダンスを踊るようにプールへと転落即死!プールに死体が浮かび、血が広がってゆく。薄汚いマネーに染まった、薄汚い血が。「アイエエエエエエ!」アサノ部長はゴルフカートの陰に転げ、銃弾をしのいだ。
「マ、マチカネ課長だな!ケジメのうえドサンコ支社に更迭されたはず!生きていたのか!?」アサノはハーフパンツにぞんざいに押し込まれていた拳銃を抜き、左手で闇雲に応戦!BLAMBLAMBLAM!「ピガガーッ!」運悪く射線上にいたオイランドロイドが被弾!頭部大破でプール転落死亡!
「そうだ!アサノ=サン!死ねーッ!」「イヤーッ!」「ドッソイ!」黄色い清掃員ツナギを着込んだプロ殺人者たちも銃を手に接近!とても凌ぎ切れぬ!「アイエエエエエエ!」アサノは絶望の叫びをあげた!その時!「イヤーッ!」竹林から黒い影がイナズマめいて飛び出した!ブラックメイルだ!
ハヤイ!何たる速度!アサノを守るため、黒い疾風の如くニンジャはゴルフコースを駆け抜けた!高く跳躍しスリケン投擲!「イヤーッ!」「アバーッ!」スラッシャーの脳天に命中!スラッシャーはプールへ転落即死!プールに死体が浮かび、血が広がってゆく。薄汚いマネーに染まった、薄汚い血が。
「アイエッ!?」スモトリは何が起こったのか理解できぬ。目の前にブラックメイルが着地し睨む!「イヤッ!イヤッ!イヤーッ!」「グワーッ!」三連続回転カラテキックでスモトリを圧倒!だがスモトリは打たれ強い。さらにサイバネ強化済。そう判断したニンジャは鋭いタント・ダガーを抜き放つ!
「マッテ!」スモトリが本能的恐怖に怯える。だがニンジャは止まらぬ。敵の膝を蹴り上がり、タントを首に突き立てる!「イヤーッ!」「アバババーッ!」スプリンクラーめいた血飛沫!スモトリはプールへ転落即死!プールに死体が浮かび、血が広がってゆく。薄汚いマネーに染まった、薄汚い血が。
スモトリの血飛沫を浴びながら、アサノは震えていた。恐怖にだけではない。ニンジャの無慈悲なるカラテ……黒く邪悪なワザマエ……情け容赦ない禁忌のウェポンが、自分を守るために戦っている喜びに!名状しがたい感情の爆発がニューロンで生じた!先程まで自分を脅迫していた相手だと言うのに!
脳内でアドレナリンが沸き出し、アサノは周囲の時間が遅行して見えた。ニンジャは鮮やかな着地を決めた。その向こうに、復讐鬼の形相のマチカネ課長が見えた。マチカネはニンジャへの恐怖を狂気で塗り潰していた。そしてニンジャに射撃した。「アブナイ!」アサノは拳を握り、そう叫んでいた。
銃弾が迫る。だが「イヤーッ!」立て膝着地姿勢のまま、ブラックメイルは強烈なニンジャシャウトを放つ。キィン!キィン!キィン!まるで全身が堅牢無比なるサイバネ装甲で覆われているかのように、ニンジャは銃弾を弾き返した。それこそは全身を鋼鉄化するジツ、ムテキ・アティチュードであった。
「バカな!!」マチカネ課長が目を剥く。拳銃がクリック音を放つ。弾切れだ。銃無しで常人がニンジャに勝利するなど、最早万にひとつも無し。ブラックメイルはムテキ・アティチュードを解き、突進し、苛烈な連続カラテを叩き込んだ。「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」
マチカネが武装集団のリーダーである事を見抜いていたブラックメイルは、彼を即座に殺しはしなかった。「イヤーッ!」イポン背負いでタイル床に叩き付ける。「アバーッ!」全身が痺れ身動き取れぬマチカネ。「こいつを知っているな?念のため意図を尋問しろ。手早くだ」ニンジャはアサノに命じた。
「ハイ!」確かにそれはアサノ部長がより適任であった。マチカネは狂熱にうかされ、ニンジャへの恐怖に抵抗していたからだ。「クズが!何故こんな事を!」アサノは銃を突きつけ唾を吐きかけた。「あ……あのプロジェクトの統括責任者であるあんたに……復讐するためさ……!」マチカネは呻いた。
「MG775か!」「ああそうだ」マチカネが言う。ニンジャは眉根を上げる。アサノは続ける。「十分な口止めマネーが支給された筈だ!なのに何故オッファーを認めずドサンコ更迭になった!?隠し通すのが怖くなったのか?君はそんなヤワな男だったのか!?それとも敵対企業に買収されたか!?」
「俺個人の復讐だ。ハ……ハハハハ……あんたには解らんだろう。一族のライバルたちと牽制し合い、家族も何も持たぬ、カネと地位だけの男には。愛するものを失う哀しみが……空虚が……」マチカネは乾いた笑いを笑った。「だから俺はせめて、お前のカネと地位を台無しにしてやろうと思ったのさ」
「狂人め!君が何故、私に復讐する権利がある!?」「俺は……もう離婚し独り身だが、別れる前に生まれた娘が……MG775に……スゴイテック社のオーエルとして乗り込んでいた」マチカネは歯を食いしばった。「第七開発部は試作ジェネレータ不具合を報告していた筈だ。だがあんたは強行した!」
「ハ!安心しろ。お前は実際運がいい。行方不明だったMG775は、さきほどキョート国境付近で無事発見されたぞ」ブラックメイルが言った。アサノ部長にUNIXに向かうよう促しながら。「なん……だって!?なら、俺の娘も……!?」濁り切っていたマチカネの瞳に混じりけの無い光が灯った。
「むろん全員、死体でな。イヤーッ!」ブラックメイルの痛烈なカラテキック!「アバーッ!」マチカネの首をサッカーボールめいてプールへと高く飛ばし即死させる無慈悲!「クズめが、メガコーポの関与でもないのなら、出てくるな。要らぬ時間を取らせおって」ニンジャはタイムロスに舌打ちした。
SPLAAAAASH!生首がプールに落下し水柱を上げる。「アイエエエエ……」IRCタイプしていたアサノは、それを見ながら再失禁した。一瞬だけ、ブラックメイルが味方であるような錯覚に陥ったが、違った。奴は血も涙もない怪物だったのだ。「談合をまとめろ」ニンジャは冷たく言い放つ。
マチカネの胴体がニンジャの手でぞんざいに放り込まれる。プールに死体が浮かび、血が広がってゆく。薄汚いマネーに染まった、薄汚い血が。「アイエエエ……」アサノはIRCした。この談合をまとめねば、次は自分がプールに浮く番だ。だがタイプが遅れる。徐々に他社にイニシアチブを奪われる。
「何をノロノロしている!死にたいのか!」ニンジャがUNIX画面をのぞき込み苛立つ。「アイエエエ……必死でやっています、しかし……」アサノは殴られるのを覚悟しながら、折られた指を見せた。専属ハッカーは死んだ。アサノは生体LAN端子を持たない。「ヌウーッ」ニンジャは舌打ちした。
時刻は刻一刻と過ぎてゆく。談合が失敗に終われば、アサノは社内での地位を失い、ブラックメイルもまた組織内での立場を危うくするだろう。「ス、スミマセン……」アサノは嗚咽し、ブザマに命乞いした。死にたくない。だが今生き残っても、談合が失敗すれば社からセプクを命じられる。万策尽きた。
ブラックメイルは競合他社のタイプ速度を確認し、その速さに舌打ちした。続いて中枢と連絡を取るための携帯IRC端末を見やり、首を横に振った。「論理タイプする。口述しろ」ブラックメイルは頭巾を脱いだ。後頭部の生体LANと、女性的な美しいうなじが露になった。男ではない。女性であった。
「アッ……!」アサノは思わず息を呑んだ。今なおメンポに覆われた顔の正面だけを見れば、女だとは解らぬ。だがその黒髪と首元は、確かに女性のそれだ。ニンジャはUNIXとLAN直結し、低く押し殺したデスヴォイスで言った。「クズめ、聞こえなかったか。私が論理タイプする。お前は口述しろ」
アサノは血でべっとりと濡れた顔で頷いた。「ハイ」そして談合の主導権を奪い返すため、口述を始めた。デミ太陽光は傷付き、危うげに明滅する。流れ弾を受けたオイランドロイドが、損傷回路からバチバチと火花を散らしつつ、笑顔でカクテルを運んで来た。プールには死体がいくつも浮かんでいた。
2
アサノ・ミツイ部長は、ケブラー・トレンチコートの襟を立て、ハットを目深に被りながら、深夜の社屋地下駐車場を歩いていた。時刻はウシミツ・アワーに実際近く、重役用駐車場に人影はない。あるのは、青いネオン軌跡を描くセキュリティ・トンボ・ドローンの奥ゆかしい飛行音とスキャン光だけだ。
コートの袖を上げ、ハンドヘルドUNIXのキーを叩く。ピボボッ。赤いレーザー光が照射され、カタナ・オート・チカラ社製の最新型ビークルが堅牢なドアを開いた。アサノは何かを警戒するように、地下駐車場をもう一度見渡してから、滑り込むように運転席に座し、自動操縦モードで車を発進させた。
駐車場の三重装甲隔壁が開き、黒い車体は夜のネオサイタマへと吞み込まれる。そして加速する。強化カーボンタイヤが、メガロハイウェイへ向かうカチグミ用有料道路の湿ったアスファルトを捉える。車内は無音。規則的なUNIX音と微かなエンジンの唸りだけが、無表情なアンビエントめいて鳴った。
ビークルはもう時速160キロにも達し、アサノサン・パワーズの社屋が遠ざかってゆく。「世界ベスト」「本格クリン燃料」「今一番売れている」……サイドミラーには、社屋壁面にモニュメントめいて映し出される荘厳な青色LED文字が映り込み、重金属酸性雨で朧げに歪み、後方へと流れて消えた。
かつて、それはアサノ部長の誇りであり、アサノサン・パワーズ社の社屋こそが己の神殿であった。だがいまや社のスローガン・ハイクは、ネオサイタマIRCに氾濫する無意味なコピー聖句にも等しい、ただの空虚な文字列としか感じられなかった。忠誠心とは何と儚く脆いものか、と彼は溜息をついた。
二週間前、彼はニンジャに脅迫されて、パワーズ社を裏切った。パワーズ社の株価を守るために爆破処理されるはずだった試作型マグロ・ツェッペリンの墜落機体は、幾つものダミー会社を介し、間もなくチョッコビン社の手で国境を超えようとしている。アサノは、何事も無く部長の座に残り続けている。
二週間前の惨劇は全て、マチカネ課長の凶行として処理された。手慣れたものだ。隠蔽と不祥事隠しこそが、アサノの最も得意とする分野だからだ。むろん、談合行為と隠蔽処理が終わるまでは、生きた心地がしなかった。だが実際終わってみれば、遅い来たのは虚脱感のみ。「…あれは、幻覚だったのか?」
あの後ニンジャは忽然と消え、二度と現れなかった。だが網膜の奥に焼き付いた、あの不吉な白い肌をどう否定する。「自我科に行こう……」アサノはダッシュボードにぞんざいに投げ込まれた強いテキーラ酒「コク8」のボトルを掴み、煽った。IRCをする気にもなれない。「そうだ……私は狂ったのだ」
だがアサノの理性と生存本能がそれを否定した。自我科に行けば、汚職が全て露見する。築き上げた地位と年収が全て失われる。アサノはサラリマンとして生まれてからこれまでの五十年間、己の幸福を、地位と年収以外のパラメタで定義することはなかった。「ならば……悪い夢だな」アサノは嘆息した。
「……生憎だが、貴様にはもう一働きしてもらう」突如、後部座席から押し殺したデスヴォイスが聞こえた。「アイエエエエエエエエエ!」アサノは目を見開き、恐怖の悲鳴を上げた。車内灯が後部座席を照らすと……おお、ナムアミダブツ!そこにはタント・ダガーを研ぎ澄ますブラックメイルの姿が!
「アイエエエエエエエ!」アサノは手を震わせ、自動操縦下のハンドルを握りしめた。果たしてブラックメイルは、いつから後部座席に!?走行中に侵入?有り得ない!駐車場で予め乗り込んでいたのか?最高級のセキュリティロックを如何にして解除した?そして何故、気配を察知できなかったのか!?
答えは無慈悲かつ明白だった。「……ニンジャだからか」アサノは諦めの表情を刻んだ。「常に暗闇から、ニンジャが貴様を監視していると思え」ブラックメイルはダガーの冷たい刃先を部長の首筋に這わせ、言った。「愚かな動きをすれば、死、あるのみ」「ハイ」アサノの声は再び恐怖にうわずった。
「……次の命令だ」ブラックメイルはタント・ダガーを収め、懐から新たなミッション・マキモノを取り出した……秘密結社アマクダリ・セクトの紋が刻まれたマキモノを。アサノはそれを受け取った。『右に曲がるドスエ』運転AIが無表情に告げ、ハイウェイへと向かう道を滑らかに右へと曲がった。
アサノはごくりと唾を呑み、マキモノを開き、呟くように読み上げた。「……墜落機工作の一件は後日第二段階へと進む。その間……アサノサン・パワーズ社の秘密帳簿を用い……(((何故それを知っている!)))……来週リロン・ケミカル社から分離独立して上場する、トロ精製企業の株券を……」
「全力で買え……なおこの新企業ミカケ・ケミカル社は半年後に……再開発予定スラム地区で爆発事故を起こし計画倒産予定……」ナムサン!何たる複雑に入り組んだインサイダー取引と暗黒マネーロンダリングの片棒を担がせしめようとする非道命令!パワーズ社にも致命的ダメージをもたらしかねぬ!
アサノは歯を食いしばり、人生を反芻した。地位だけではない。一族の誇りたるパワーズ社すら危険に晒す。(((だがもし取引を成功させれば……途方も無いカネが動く。私は有能さを買われ生かされるやも……そして……)))後部座席をちらりと見た。「ハンコを押せ」ニンジャが非情な声で言った。
「ハイ」アサノは答え、震える手でハンコを取り出した。マキモノにハンコを押し、それをニンジャに預けたとなれば、魂を人質に取られたも同然。だがそれでも、彼はハンコを……押した!恐怖のため、保身のため、そして……ニューロンに焼き付いた抗いがたい悪の魅力……パワーへの野望のために!
ブラックメイルはマキモノを受け取ると、満足げに頷き、アサノ部長を再びバックミラー越しに睨みつけて失禁させた。ニンジャの針のように細い瞳は、人間とは全く別種のクリーチャーを想起させ、彼の心胆を寒からしめた。「スミマセン」アサノは恐怖のあまり、目を逸らした。直後「イヤーッ!」
「アイエエエエエエエ!?」アサノは何が起こったのか解らず、狼狽した。後部座席からブラックメイルの姿が消えたのだ。「アイエエエエエエエエ!」一瞬だけ、凄まじい風と重金属酸性雨が車内へと叩き付けられた。「じ、自動操縦解除!」アサノはハンドルを握り、ビークルを路肩に急停車させた。
「ブ……ブラックメイル=サン!?」アサノは重金属酸性雨にも構わず、衝動的にドアを開けて道路に立った。ハイウェイの灯りだけが周囲を頼りなく照らす。……ニンジャは任務を終え、消えたのだ。「時速160キロの車から飛び降りたのか……?」彼は考えるのを止めた。「……ニンジャだからだ」
アサノは重金属酸性雨に叩かれながら、広大無辺なるメガロシティの夜景をぼんやりと眺めていた。幼い頃から見慣れた、猥雑たる薄汚いネオンサインの海は、何故か、いつもとは違って見えた。
◆◆◆
「ドーモ」「ドーモ」暗がりの中で、スーツを着た二人のサラリマンがオジギし、固いビジネス握手を交わす。暗さ故、両者の顔はほとんど判別できない。ただ、両者のネクタイには「天下」の文字を象ったプラチナ製の秘密結社タイピンが燦然と輝く。彼らは邪悪なるアマクダリ・セクトの一員なのだ!
「新規秘密帳簿の件、くれぐれもヨロシク!」相手の肩を叩き、力強く微笑むのは……アサノ部長であった。「大変お世話になっております!」その談合相手は……ナムサン!特別監査法人オメコボシ・アカウンティング社の会計人ではないか!アサノは新たな秘密帳簿を独断で開設する極限背信行為だ!
「では、ここは私が経費を持ちますから、楽しんで来てください」アサノがコートを着込む。「いいんですか?」「いいんですよ」「悪いですよ」「いいんですよ」「ドーモ」監査人は深々とオジギし、礼を述べる。アサノは巧みに餌を与え、優位に立った。見事なビジネスマナーと談合能力の融合だ。
アサノはハットを目深に被ると、ドアを開け、会員制秘密ニョタイモリ・バーから出てきた。たちまち、黒いLED傘を持ったクローンヤクザ数体が寄り添い、SPボディガードめいてリムジンまでの道中を警護した。彼らのヤクザスーツのボタンにアマクダリ紋が刻まれている事は、言うまでもない。
あれからアサノは何度も、一線を踏み越えた。すぐに罪悪感は消え失せた。彼の愛社精神は荒廃し、毎週の朝礼でも社歌を唱和しなくなった。「いや、私の人生など、初めから荒み切っていたのだ……」アサノは独りごちた。既に談合時のビジネススマイルは消え、冷酷なまでの無表情がそこにあった。
ブラックメイルの思考は未だ理解不能で、神出鬼没だった。ただミッションを終えると必ず現れ、理不尽な暴力と恐怖で彼を支配した。ある時など、彼のマンションに前触れ無く侵入し、室内で放し飼いにしていた番犬をさも当然のごとくスリケン殺害した後、悠然とスシを食しながら彼を待ち受けていた。
アサノは脇腹の痛みとともに、あの夜の恐怖と不条理を再び想起した。……あの夜、アサノは呆然とし思わず問うた。「殺したのか?」「殺した」「何故?」「邪魔だからだ」そして彼をカラテで殴りつけ「イヤーッ!」「アバーッ!」両目をスリケンで潰された哀れな犬の死骸の横に這いつくばらせた。
「また忘れたか、貴様に質問権利は無い」「アイエエエエ……スミマセン…」アサノは口元を押さえながら命乞いした。歯は何本も折れ、血が絨毯に滴っていた。ブラックメイルは彼の脇腹を蹴ってから、襟首を掴み上げた。「末端バッジを授かった程度で、対等の立場になったとでも思ったか?クズめが」
「アイエエエエエ!アイエーエエエエエエエ!!」アサノは首筋に押し当てられたスリケンの刃先に恐怖し、ブザマに失禁した。……事あるごとに、アサノは背筋が凍るような恐怖を味わった。そしてそのたびに、彼は己とニンジャの間に存在する、タマ・リバーよりも広く深い溝に気づくのだった。
……アサノは回想を終え、リムジンの横に到着した。クローンヤクザたちが仰々しくドアを開ける。これもまた彼が手にしたパワーの一端だ。アサノは高級オーガニック革張りの後部座席に座した。ドアが締められ、運転ヤクザがアクセルを踏む。アサノの隣にはブラックメイルが座り、彼を待っていた。
「満足したか」「ハイ」アサノは頷いた。非合法ニョタイモリ・バーの会員権は、セクトから授けられる成功報酬のひとつだ。他にも、アサノは様々な非合法報酬を受け取る事ができた。暗殺サービス券……旧世紀オーガニック冷凍マグロから抽出精製した最高級トロ粉末……非合法ゴルフ会員権……。
そのいずれにも彼は満足しなかった。代わりに彼は、さらなるミッションを求めた。彼の能力に目を付けたアマクダリの判断は短期間で証明されていった。セクトはニンジャ絶対上位の組織ではない。「…今回も見事な手際だった」彼の地位は向上を続け、ブラックメイルも彼に過剰暴力を加えなくなった。
アサノは次なる黒マキモノを受け取った。手に汗が滲む。車内には静寂と、ぴんと張り詰めた暴力の緊張感があった。アサノはそのアトモスフィアを好んだ。殺人の為だけに鍛え上げられた死の猟犬が隣にいる心地だった。それは美しかった。そして互いの道の先には破滅しかないことも彼には解っていた。
アマクダリは巨大な陰謀組織であり、全貌を見渡す事など不可能。タイピンを授けられてなお、全ての情報は黒マキモノを介して手渡されるのみ。そして強大にして無慈悲なるブラックメイルですらも、恐らくは、セクトの一構成員に過ぎない……駒に過ぎないのだ。アサノは隣の凶器を静かに一瞥した。
危険だが魅惑的だった。厳格なるIRCネットワーク・マナーと社訓によって調律されたアサノは、このような感情を抱いた事は無かった。かつて、幼い頃には分不相応な野望を抱いた事もある。だが一族内での過酷パワーゲームの中で敗北し、カチグミでありながら、早々に負け犬の思考を刷り込まれた。
「ハンコを押せ」「ハイ」アサノは微かに手を震わせ、ハンコを取り出した。己はマネーと地位以外に意味を見いださぬ、酷薄で無感情な男だと思っていた。そのような己に誇りすら抱いていた。だがそれは自分の属する暗黒メガコーポのせいだったとしたら。ニンジャの暴威でそれを突破できるとしたら。
(((こんな悪事がいつまでも続く筈は無い……)))折しも前方には「インガオホー」「祖先が監視中」などの電子カンバンが暗示めいて明滅していた。(((私の背信行為は露見し、絶対に破滅が訪れる。その時はどうなる……ブラックメイルは……彼女の組織は……私を救ってくれるのか?)))
車はカチグミ用有料道路に向かって、大きく右へとカーブを切ろうとしていた。アサノが黒マキモノにハンコを押そうとした。その時。「きやがったな……!」路地裏で引かれる論理トリガ!KRA-TOOOOOM!「「「グワーーーーッ!」」」ナムサン!リムジンに対し対戦車弾が打ち込まれ命中!
黒煙を吐きながらリムジンは路肩防壁に激突停止!「「「ザッケンナコラー!」」」戦闘サイバネ化したフリーランスヤクザ部隊が、廃ビルの暗がりから飛び出して包囲!物言わぬ鋼鉄火葬カンオケと化したリムジンに対しショットガン過剰連射!BLAMBLAMBLAM!「「「スッゾコラー!」」」
たちまちリムジンは産業スクラップめいた惨状と化す。死の静寂。黒焦げになった車体ドア残骸の隙間から、運転クローンヤクザの緑色の血が漏れ出した。「これはもう確実に殺しました、ドーゾ」隊長格ヤクザが冷酷な笑みを刻み、IRC無線機に報告する。「過剰殺害ボーナスとオキナワ旅券も……」
刹那、後部座席ドアが内部から爆発的に蹴破られた!「イヤーッ!」「アバーッ!」蝶番部分が破壊され殺人飛行鉄板と化したドア残骸が、手前のサイバネヤクザを弾き飛ばし殺す!「「ナンオラー!?」」2人のヤクザがショットガンを構え直す。だが車内から飛び出したのは、残忍な死の化身であった。
ブラックメイルの装束は襤褸布のごとき有様だが、体には傷ひとつ存在せぬ。如何にして?……ニンジャの力である。対戦車弾着弾とほぼ同時に、ムテキ・アティチュードで全身を鋼鉄化していたのだ。「イヤーッ!」彼女は鋭い四連続側転で散弾を回避した後、タント・ダガーを閃かせて飛び掛かった。
「イヤーッ!」「グワーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」殺戮が始まった。殺人のプロフェッショナルたちは狩られる側に回り、ブザマに叫ぶだけのトレーニング木人と化した。「イヤーッ!」「アバーッ!」ヤクザの死体が転がり、汚染粉塵の汚泥を血が汚す。薄汚いマネーに染まった、薄汚い血が。
「ゲホッ!ゲホーッ!」アサノは後部座席から這い出して地面にくずおれ、肺の中に溜まった黒煙に咽せた。軽傷。ブラックメイルが控えていなければ、確実に死んでいただろう。彼は雨の中で視線を上げた。「イヤーッ!」「アバーッ!」無慈悲なニンジャのカラテ軌跡が、ネオン光に反射していた。
……キィイイイイイイン。対戦車弾の影響で、アサノは聴覚と平衡感覚に著しい混乱をきたす。ブラックメイルは半殺しにした隊長格ヤクザを締め上げて指を折り、尋問を行っていた。そして何かを聞き出すと、カラテで殺した。血の染みがアスファルトに広がる。薄汚いマネーに染まった、薄汚い血が。
ブラックメイルが歩み寄る。アサノは助け起こされることを期待していた……車中では身を挺し、あたかも黒い鎧の如く己を護ってくれたのだから。だが、甘かった。彼女は苛立ち、アサノの襟首を掴んで引きずり上げ、尋問するかのような口調で何かを告げた。人外の瞳は明らかに、怒りを湛えていた。
聴覚がまだ戻らぬ。アサノは混乱した。ニンジャはアサノの首の後ろに手を回した。恐るべきカラテで首を搔き切られるのかとアサノは覚悟したが、違った。彼女の指はスーツの襟元に仕込まれた小型発信器を摘み上げ、それを見せつけた。位置座標のみを送信するヤマダ社の最新型装置YPS33だった。
ニンジャの声が断片的に聞こえ始めた。アサノ・ミツイは愚鈍な男ではない。全てを悟った。黒幕は、アサノサン一族の第3部長、アサノ・モチロウだ。ニューロンを怒りが駆け巡った。「奴を消す」アサノがふり絞るように言った。その邪悪な眼差しが、ニンジャの睨みと重なった。「今夜、今すぐに」
◆◆◆
「ナイスショットドスエ」キャディ型オイランドロイドが優しくプログラミングされた笑顔で拍手した。「そうだろう」アサノ・モチロウ部長はゴルフカートに座り、葉巻を咥えると、オイランドロイドの胸を揉みしだいた。「もっとしてください」オイランドロイドは頬を染めながらカートを運転した。
ここは何処か?オキナワなのか?……否。分厚いマッポー級汚染雲に覆われ、重金属酸性雨が降り注ぐネオサイタマである。アサノサン・パワーズ社第3社屋の最上階にある重役用の休憩ルームだ。ここには屋内プール、竹林、ミニゴルフコース、最新のトレーニング機器が揃ったジム・ドージョーがある。
「ミツイ=サンは愚かな男だった。突然社への忠誠心を失い、不相応な野心に目覚めるとは」彼の主催するノミカイの誘いを断った事で、それは明白だった。「胸のすく思いだ!」モチロウは葉巻を吹かし、バンカーの近くでカートから降りた。別のオイランドロイドが正座で待ち受け、彼の靴を磨いた。
「難しいショットドスエ」最高級オイランドロイドがクラブを仰々しく手渡す。モチロウがその胸を揉む。「アイエッ!」高度な羞恥心をプログラムされた最新型だ。モチロウは頷き、己の強大なパワーに酔いしれ、さらなる行為に及ぼうとする。その時。スターン!突如装甲フスマが室外から開かれた!
「アイエッ!?」モチロウが振り返り、目を凝らした。屋内プールを挟んだ向こうに、アサノ・ミツイ部長が立っていた。「何故だ……生きていた!?どうやってここに……!?」ミツイの生体認証権限ならば確かに、この福利厚生ルームにアクセスできる。だが、警備部隊を如何にして突破したのか。
アサノ・ミツイは答えず、怒りに満ちた表情で接近してくる。「DAMNIT!何でもいい!そいつを拘束しろ!」モチロウはプールサイドに控えていた私兵部隊に命じた。クローンヤクザが警棒を構えてアサノを狙う。だが「イヤーッ!」「「アバーッ!」」謎のカラテシャウトが響き、ヤクザ即死!
「アイエエエエ!」モチロウは戦慄した。果たして何が起こったのか。ミツイがやったのか?だが人間業とは思えぬ!実際、ミツイは息ひとつ乱さず、スーツ姿のまま歩み寄って来るではないか!重サイバネ迷彩刺客でも伴っているのか?!「撃て!撃てーッ!」モチロウは自らも銃を抜きながら絶叫した!
「イヤーッ!」「アバーッ!」ミツイに銃を向けたヤクザが突如死亡!その額にはスリケンが突き刺さっている。「ス……スリケン!?」モチロウは視界の端に、一瞬、恐るべき速度で戦うニンジャを見た。直後「イヤーッ!」「アバーッ!」モチロウの手首にもスリケンが突き刺さり、彼は無力化された。
「イヤーッ!」「アバーッ!」ブラックメイルによる護衛殺戮を、ミツイは冷たい目で一瞥しながら歩いた。マグロじみて転がる九個の死体。ツキジめいた惨状。血の染みがプールサイドに広がる。薄汚いマネーに染まった、薄汚い血が。「アイエエエエ!」モチロウは激痛と恐怖に塗れ、転げ回っていた。
「経費でずいぶんと高い買い物をしているな。オイランドロイドへの羞恥心の違法プログラムは重罪だぞ、モチロウ=サン」ミツイが荒廃した声で歩み寄った。「お、おのれーッ!負け犬の分際で……!」BLAMBLAMBLAM!モチロウは愛社精神を振り絞り、トリガを引き続ける!「死ねーッ!!」
だがヤバレカバレで放った銃弾は、ミツイの体に届くことなく、雨粒の如く弾き落とされていた。闇から躍り出たブラックメイルが立ち塞がり、ムテキ・アティチュードを行使したのである。「アイエエエエエ!?ニンジャ!?」暗黒社会で囁かれるニンジャ存在。その真実を前に、モチロウは失禁した。
「何が……一体何が。何故ニンジャがここに……!ミツイ=サン、何故ニンジャを伴って……!」「愚かな男だ、モチロウ=サン。貴様はアマクダリという強大な怪物の尾を踏んだ」「……ア、アマクダリだと……それは一体……」「立て」ブラックメイルが地獄から遣わされた処刑者めいた声で命じた。
「ハイ」モチロウは立ち上がった。「私はお前に復讐し、お前の薄汚い死体をあのプールに浮かべるつもりだった」アサノがぞっとするほど冷たく邪悪な声で言った。以前のアサノとはまるで別人だった。「アイエエエエ!」「だが、やめた」「そ、それは一体……!」「我々はお前とビジネスをしたい」
「わ、私に社を裏切れと……?」モチロウが言った。「何という堕落だ、ニンポで操られているのかアサノ=サン。考え直せ、こんな事をして……先には破滅しか待っていないぞ。私は屈しない」「娘さんは大学生だったな」「ヤメテ」モチロウは絶句した。「ニョタイモリ器研修させたいか」「ヤメテ」
「だがこんな違法ドロイド事実がスクープされたら、娘さんはカネに困るだろう」「ヤメテ」「家族のオナーは地に落ちる。司法もマスコミも我々の側だ」「ヤメテ」「ではハンコを押せ」「……ハイ」眼前のニンジャの恐怖と、同じ一族からの的確な脅迫……!合わせ技イポンによりモチロウは屈した。
「良い判断だ。それが社を守る事にも繋がる」アサノ部長は微笑み、背を向けて、オイランドロイドから葉巻を受け取った。「ハイ」モチロウは安堵の息をつく。この場さえ凌げば…そのような淡い希望が実際残っていた。そしてハンコを押したマキモノをニンジャに手渡し、ニンジャはそれを懐に収めた。
だが「イヤーッ!」「グワーッ!」突然のカラテ!ブラックメイルの理不尽な拳がモチロウの肥えた腹に叩き込まれる!「ナンデ!わ、私は言われた通りに…!」バンカーに倒れたモチロウ部長の襟首を掴み、ブラックメイルはさらに彼を痛めつけた。「イヤーッ!」「グワーッ!」恐怖を刻みつけてゆく。
「キューバ産の葉巻ドスエ」オイランドロイドが無垢な笑顔で点火サービスする。「フゥーッ……」アサノ・ミツイ第七部長は煙を吹き、窓から夜景を眺めた。「イヤーッ!」「アバーッ!」後方ではニンジャが情け容赦ないカラテを続け、第三部長は叫び声を上げるだけのジョルリの如く変わっていった。
(((……何故私がアマクダリに選ばれたか。理由は明白だ。こいつらは無能で愚かなイディオットだからだ。……家族などに判断力を乱される弱者は、どいつもこいつも、精神が隙だらけだ……)))アサノ・ミツイは荒廃した眼差しで、屹立するトックリ型のアサノサン・パワーズ第1社屋を見ていた。
「ハハハ……ハハハハハハハハ!」アサノは堪え切れず、笑いを漏らした。オイランドロイドがかしずいた。全身に権力とマネーの血が駆け巡る。彼は今日、初めて一族の者に牙を剥いた。これまで抑制していた愉悦が、脳内麻薬の如く彼の精神を蝕み、高揚させた。(((……いずれは、社長に!)))
だが突然、漠然とした不安という名の恐怖が鎌首をもたげ、アサノの高揚感は萎えた。この後何が起こるか、彼には予想がついていた。二、三日も経てば……すぐにまた虚脱感が襲うだろう。(((社長のその先は……?アマクダリの全貌は?ブラックメイルは?)))何も見えぬ。全ては黒い霧の中。
「……破滅しかない」アサノ・ミツイは無表情に、その言葉を繰り返した。そして、また静かに笑った。ドクロめいた満月が乱れ雲の間に浮かび、「インガオホー」と言葉を投げかけているようだった。
かくしてモチロウ部長を手駒としたアサノは、アマクダリ・セクトから下される命令に対して積極的に貢献し、社内に支配力の根を広げていった。そして、麻薬に餓える中毒者めいて、ブラックメイルから渡される次なる黒いマキモノを心待ちにした。同時に、これは決して永遠には続くまいと考えた。
……そして、ネオサイタマの死神が現れたのだ。
3
路肩に寄せられていた車が、オート運転を再開した。窓の外ではネオン光が重金属酸性雨に滲み、後ろへ後ろへと流れる。暗い車内で、アサノ・ミツイはミラーを見ながら襟元を正した。瞳孔はZBR中毒者めいて開き、まだ息が乱れていた。精神はもう驚くほど冷たく、電子デバイスめいて乾いていた。
もうブラックメイルの姿は無い。先程までの昂揚は、消え失せている。彼女は淡々と用件を済ませ、重金属酸性雨の中へと消えた。微かな残り香と黒マキモノだけが車内に残っている。スガタ社製サイバネ人工皮膚めいた白い肌と、黒く縁取られた冷酷な目が、アサノの網膜の奥にまだ焼き付いている。
アサノは乱れた息を整えながら、ミッション・マキモノに手を伸ばし、それを読み直した。アサノサン・パワーズ社CEO、アサノ・モンザブロの暗殺計画。二ヶ月後に行われる娘の結婚式に出席するモンザブロは、式場で開催される最高級オスモウ・ショウを間近で見る間もなく、親子仲良く死ぬだろう。
大勢の無関係な者もアノヨへ旅立つだろうが、アサノは何ひとつ顧みない。そもそもこの暗殺計画自体、アサノ自身が入念に企て、ブラックメイルに提案したものだ。……「私にはもはや良心など欠片も残っていない」「貴様にはそんなもの、最初から無かったのだ」……彼は数分ほど前の会話を想起した。
アサノが部長の地位を使い下準備を整え、ブラックメイルが暗殺を実行する。彼女はいわば一個の研ぎ澄まされた凶器だが、繊細さには欠けるがゆえ……いや、違う。彼女はニンジャなのだ。ニンジャがそのような細事に心を砕けば、暴威が鈍る。根回しは自分のような者の仕事だ。アサノはそう考えていた。
「最高にアブナイだ」アサノは笑っていた。「初めて自分が生きていると実感している。体の隅々まで血が流れ、脈動しているのだと感じる。もっと力が欲しい。オイランドロイドでもZBRでももう駄目だ。私はロクな死に方はしないだろう」「貴様を死なせはせん。損失だからだ」声が耳奥に残響する。
……アサノはフラッシュバック回想し、全身から冷汗が沸き出すのを感じた。それは、彼がこれまで為したどんな違法行為よりも冒涜的だった。前方には「インガオホー」「祖先が監視中」などの電子カンバンが暗示めいて明滅していた。……「探偵に気をつけろ」別れ際、ブラックメイルはそう言った。
「探偵とは」アサノは問うた。彼は既に、質問が許されていた。その他にいくつもの権限を。しばし不穏な沈黙があった。「私の隠蔽は万全だ。探偵ごときに何が……」アサノが冷汗を拭い、顔を上げた時、ニンジャはもう重金属酸性雨の中に消えていた。アサノは路肩に寄せた車のオート運転を再開した。
◆◆◆
数週間が過ぎた。アサノは数々の非道行為に手を染め続け、身辺警護にはアマクダリ・セクトから提供される最新型のクローンヤクザを配した。彼の陰謀を嗅ぎ付けようとする愚か者は、外部のジャーナリストであろうと社内の人間であろうと、容赦なくオートマチック自動的に殺させて口封じを行った。
ハンコスキャンにショドー筆跡まで用いた最高クラスの四段階認証システムを超えて、アサノの車は自宅カチグミ・マンションの駐車場へとしめやかに滑り込んだ。武装バンカーめいた灰色の最高級マンションは、彼の地位を象徴するかのように無慈悲な外観をたたえ、堅牢なセキュリティを備えていた。
がらんとした駐車場で、アサノは独りで車から降りる。ブラックメイルは1週間以上も姿を見せていない。珍しい事ではない。ミッションを遂行する時、あるいは新たな黒マキモノを手渡す時にのみ、姿を現す。だがミッションの達成具合から考えると、昨日には現れるはずだった。彼女は現れなかった。
いつものように無意識のうちに、アサノはコートの襟を立て、帽子を目深に被り、周囲に警戒しながら、エレベータへと向かった。アサノの手には、薄汚いマネーの結晶素子で購入した最高級ギョクロと、オーガニック・トロ重箱があった。ブラックメイルが現れた時のために、備蓄しておく事にしたのだ。
ドアを開いた時、アサノは奥から流れてくる冷気と重金属酸性雨臭の風を感じ取った。「何だ」アサノはリビングに向けて走った。『安い、安い、実際安い、コケシ、コケシ、コケシマート』コケシツェッペリンの耳障りな宣伝音が微かに聞こえる。三重ガラスで完全遮断されているはずの外界音が、なぜ。
アサノは破滅を察した。そしてフスマを開いた。「ハァーッ……ハァーッ……ハァーッ」そこには、革張りソファでセルフ応急手当を行うブラックメイルの姿があった。窓は割れ、カーテンは重金属酸性雨混じりの風を孕んで狂ったようにはためき、遠い雷光のフラッシュが暗い室内に彼女の輪郭を刻んだ。
「ブラックメイル=サン、一体何が」アサノは全身の血の気が引き、足場が崩れるような眩暈を味わった。ローテーブルの上には、砕かれたタント・ダガーが見えた。「ハァーッ……ハァーッ……」ブラックメイルは答えず、舌打ちし、一分一秒すらも惜しむように、粛々と応急ZBRキットを使用した。
「それを置け」ブラックメイルはアサノを睨みつけ、命じた。「ハイ」アサノは酷く混乱しながら、スシ重箱を置いた。ブラックメイルはメンポすらも外し、トロ・スを貪り食った。彼女は満身創痍であった。無敵の存在が、ニンジャが、何故こんなことに。アサノのニューロンはまだ理解を拒んでいた。
「ブラックメイル=サン、マキモノは……」アサノは呆然とし、混乱の中でそう質問した。愚かな質問だった。「無い」ブラックメイルは言った。「奪われた」「奪われた……そんな……まさか。一体誰が」アサノは己自身が打ち砕かれたかのような衝撃を味わい、がくがくと震えた。
「無駄口を叩くな、クズめ。ZBRの備蓄があるな。それを持ってこい。……何をノロノロしている!殺されたいのかイディオットめが!」ニンジャは瞬時に怒り、アサノを睨みつけた。「アイエエエエエエエ!」アサノは震え上がって書斎に向かい、本棚やUNIXを薙ぎ払い、備蓄ZBRを探した。
アサノは高純度ZBRと護身用拳銃を携えてリビングに戻った。そして改めて彼女を見た。無敵のニンジャがこれほどまでに追いつめられるとは。今の彼女は……カワイソウだ。「……ブラックメイル=サン」いかなる脳内物質のケミカル反応か、アサノは胸が締め付けられるような思いになり、言った。
「何だ」ニンジャは薬物注入を行い、筋肉の反応を確かめながら舌打ちした。「そんな玩具で何をする、イディオットめ」「何か恐ろしい存在が近づいているのだろう。私も死ぬまで戦う。何でもする。私がこんな事を言うのは差し出がましいかもしれないが……死なないで欲しいのだ。生きて逃げよう」
「イヤーッ!」「グワーッ!」ニンジャは突如アサノを殴った!ナムアミダブツ!「イヤーッ!」「グワーッ!」さらに殴った!アサノは銃を放り落として弾き飛ばされ、鼻血を噴き出す!「このイディオットめが!非ニンジャのクズに何ができる!貴様は足手纏いだ!消え去れ!視界から消え去れ!」
そのニンジャの姿は、何倍も威圧的で邪悪に見えた。だが思えば、初めからこうだったのだ。「アイエエエエエ!」アサノは床でもがいた。「イヤーッ!」「アイエエエエエ!」顔のすぐ横にスリケンが突き立った。番犬を殺された夜の恐怖がフィードバックした。失禁し、リヴィングから這って逃げた。
「……ハァーッ……ハァーッ……ハァーッ……!」アサノは嗚咽しながら、ブザマに這い進んだ。この後に訪れるであろう破滅について彼は悟り、情け容赦ないアマクダリ・エージェントの仮面とオーラは砕け、剥がれ落ちた。全ての時間が巻き戻り、あの屋内プールの夜に戻ったかのようだった。
『来客ドスエ!』不意に電子マイコ音声が鳴った。呼び鈴が押されたのだ。アサノ・ミツイは死刑宣告を受けた男めいてと立ち上がり、通話受話器を取った。殴り飛ばされた衝撃で膝に力が入らず、またブザマに床に転がった。「モシモシ、誰だ」アサノは受話器に問うた。「探偵です」と死神は答えた。
「帰ってくれ」とアサノは言った。鼻血がボタボタと白い受話器に垂れた。だが気がつくと、如何にしてかドアが開かれ、招かれてもいないのにトレンチコートの男が廊下を歩いてきていた。この世のものではないと解った。「ニンジャだな」アサノは探偵のコートの裾を掴み、言った。
探偵は何も言わなかった。重金属酸性雨と血の臭いがした。探偵は一瞬だけ立ち止まり、振り返ってアサノを見た。ハンチング帽の下には厳めしい目があった。「殺さないでくれ」アサノは懇願した。死神は何も言わず、リビングに向かって無慈悲に前進した。アサノは掴んでいた裾を失い廊下に崩れた。
「ああ、ああ」アサノは廊下に這いつくばりながら顔を上げ、遠くリビングへと向かう探偵を見た。情け容赦ないカラテが、大気にピンと張り詰めていた。雷が鳴った。リビングの前で、探偵がコートとハンチング帽を脱ぎ捨てると、その下には傷だらけの赤黒いニンジャ装束と鋼鉄メンポが隠されていた。
「ドーモ、ブラックメイル=サン」死神は言った。「来たか、ニンジャスレイヤー=サン。決着をつけよう。殺す」カラテを構えるブラックメイルの声は再び、邪悪な威厳に満ちあふれていた。マキモノを奪われたブラックメイルは、己自身の手で決着をつけようとしていた。直後、スリケンが乱れ飛んだ。
「ウーッ……」アサノは壁にもたれ、立ち上がった。そして鉛のように重い体を引きずり、リビングへと向かった。世界が回転し、音と風を感じた。ニンジャのイクサはあまりにも速く、無慈悲だった。見えない嵐がリビングで吹き荒れているようだった。不可視の怪物同士が暴れ狂っているようだった。
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」「イヤーッ!」姿は見えず、遠い暗闇の中で飛び散る火花と、凄まじいカラテシャウトだけが知覚できた。「死ね!ニンジャスレイヤー=サン!死ね!イヤーッ!」…アサノの胸を恐るべきカラテシャウトが突き抜け、彼は雷撃に打たれたかのように震えた。
これぞニンジャだ、私を魅了したニンジャそのものだ、とアサノは声にならぬ声で叫んだ。女でも、男でも、人ですらない。カラテと暴威の怪物。人間如きにはとうてい理解できぬ、埒外の存在!いかなる枷にも頸木にも縛られてはならぬ存在!「殺せ!ブラックメイル=サン!殺せ!……死神をも殺せ!」
アサノはブラックメイルの勝利を祈った。ブラックメイルは奥の手のムテキ・アティチュードを行使した。重金属弾の斉射すら凌ぐ、超自然のジツを。だが死神のカラテは、それすらも破った。「イヤーッ!」「グワーッ!」ブラックメイルは弾き飛ばされ、激突寸前で身を翻し、壁を蹴って飛び掛かった。
「イヤーッ!」「イヤーッ!」「グワーッ!」ひときわ壮絶なカラテシャウトが響き渡った。再び雷光が閃くと、死神の情け容赦ないチョップ突きがブラックメイルの心臓を深くつらぬくシルエットを刻んだ。ニンジャを殺す者が現れ、今まさに悪徳に破滅をもたらさんとしている事を、アサノは悟った。
無論アサノの目には、カラテの全貌を見通すことなどできなかった。彼が知り得たのは、己の野心とブラックメイルの敗北だけだった。「サヨナラ!」ブラックメイルは爆発四散した。アサノ・ミツイもまた、ファイアウォールを突破されニューロンを焼き切られたハッカーめいて、白眼を剥き卒倒した。
◆◆◆
リビングの割れ窓から吹き込む風でアサノが目覚めると、もう、何も残されてはいなかった。死神は姿を消し、ブラックメイルもまた、影も形もなかった。血の染みも死体すらも残さず、まるで灰燼に帰してジゴクへと帰ったかのように、ブラックメイルは消えてしまった。
「私は夢でも見ていたのか」アサノは割れそうな頭を抱え、リビングを見渡した。ZBRアンプルが割れ砕けて絨毯に染み込み、護身用拳銃が転がっていた。彼は顔面を蒼白させながら、胸に手を当てた。アマクダリ・タイピンは無かった。全てはIRC自我希薄化症と薬物が見せた妄想では、と戦慄した。
「だがそんな筈は……」アサノが顔を上げると、割れた窓の彼方を飛ぶマグロツェッペリンの大型モニタに、深夜のオイランニュースが映し出されていた。『試運転中に消息を絶っていた試作型ツェッペリンが国境付近で発見。しかしチョッコビン社のスポークスマン発言には不自然な点が実際多く闇……』
「何だと」アサノは全身から冷たい汗が吹き出すのを感じた。『何者かがツェッペリンをキョート側の撃墜事故に見せ、不祥事を隠蔽しようとしていた可能性が、匿名公開された機密データからは窺えると発表……。当局はこの機密データの出所を詳しく……』「何だと」『関係各社の株価は乱高下……』
アサノは拳銃を掴み、立ち上がると、目を血走らせて書斎へと向かった。UNIXに謎のフロッピーが突き刺さり、ヤバイ級ハッカーの遠隔高速タイプによってIRCコマンドが実行され続けていた。彼が隠し持っていた陰謀に関する全てを、どこかへと送信していた。「……破滅か」アサノは拳銃を見た。
「おのれ……おのれ……!」BLAMBLAMBLAM!アサノは荒々しく叫び、歯を食いしばりながら、銃弾をUNIXに叩き込んだ。KA-DOOOM!爆発するUNIXを尻目に、汗を拭って廊下を渡った。アウトローめいた形相で、硬いオートマチック拳銃をスラックスに乱暴に突っ込みながら。
金庫を開き、未公開株券を取り出し、乱暴にバッグへ放り込む。「……足りんぞ!全く足りん!何としても逃げ果せてやる!」株券がバッグから漏れ出すのも構わず、コートの襟を立てて血眼で駆け、マンションの廊下に出た。そして息を切らして車に乗り、駐車場から暴走列車めいた勢いで飛び出した。
『危険ドスエ』「黙れ、黙れ、黙れ!」ダッシュボードを銃底で殴りつけて割り、自動操縦を解除すると、アサノはハンドルを握り、危険域までアクセルを踏み込んだ。後方からはマッポあるいはヤクザベンツが血の臭いを追うシャークの群れめいて迫っていた。ニトロブーストはそれを即座に引き離した。
自首する気など無い。セクトに始末される気も無い。カチグミ企業の部長クラスが用いる最高級武装ビークルは、深夜のハイウェイを暴走した。ストーンヘンジ神殿めいたアサノサン・パワーズ社の屹立ビル群が見え始めた。ハイウェイを降り、会社私有地前の無人武装検問で一か八かの賭けに挑む。
『オツカレサマドスエ』認証装置はアサノ・ミツイ部長を聖域のごとき会社私有地へと迎え入れた。まだ彼の悪事は完全には露見していない。彼の部長IDは未だ有効だ。巨大な装甲防壁と自動認識ライオット・ガンは、いかなる追跡車輛も寄せつけまい。アサノは己の社屋に向かい、最上階へ急いだ。
セキュリティを部長IDで突破しリラクゼーション室へ。髪は乱れ、連続強盗殺人鬼めいた形相!「アイエエエ!第七部長!いい所へ!ツェッペリン事件が大変な事に!」第七課長のホシゲが彼を認め駆け寄る。「そうだな」アサノは躊躇せずトリガを引き絞った。「アバーッ!」ホシゲは死体に変わった。
スターン!広大なリラクゼーション室のフスマが開かれる。デミ太陽光が燦々と照りつける。アサノは銃を握り、無人のプールサイドを駆けた。「ハァーッ!ハァーッ!」(((UNIXを操作してカネを秘密口座へ!そして金庫からありったけのカネと素子を持って逃げる!オキナワへ高飛びだ!)))
もはやどこまでが妄想で、どこまでが事実かなど、彼には問題ではなかった。「くそったれめ!私のIDもあと少しでブロックされるに決まっている!私にはもうカネしかない!カネだけだ!カネだけだ!私の命を買えるだけのカネを手にしてやる!」アサノは狂ったようにUNIXのキーボードを叩いた。
あと少しの所で『コネクション行方不明な』の文字。「AARRRRRRRGH!」アサノは拳が裂けるまでUNIXを殴り、死に物狂いでLANケーブルを辿り、ミニゴルフコースを抜け、イミテイション竹林へ。サーバにケーブルを接続し直し、ふと足下を見た。砕け散ったゴルフボール破片があった。
アサノ・ミツイは、得体の知れぬ衝撃を味わった。胸に巨大な風穴が空いたかのような喪失感を味わった。そのような事は、これまでに一度も無かったのだ。彼の生涯の中で、ただの一度も。「ああ、ああ……!」アサノはその場に膝をつき、慟哭した。……その時!
スターン!フスマを開け、謎の4人組が突如乱入!一人は拳銃を構えたサラリマン!残り3人はクローンヤクザ!「死ね!ミツイ=サン!死ねーッ!」BLAMBLAMBLAM!銃撃!ナムアミダブツ!それはアサノサン一族の第3部長、アサノ・モチロウだ!彼の胸元にはセクトのタイピンが光る!
「ARRRRRRRGH!」BLAMBLAMBLAM!アサノ・ミツイは拳銃を構え、獣の形相で突撃を行った。「アバーッ!」クローンヤクザ銃殺!だがもはや黒の鎧は存在しない。BLAMN!敵の銃弾が容赦なく彼の膝を打ち抜いた。「グワーッ!」彼はもんどりうってプールサイドに倒れた。
未公開株券がバラまかれ、アサノ・ミツイの周囲に散った。彼は覚束ない視界のまま歯を食いしばり、天上のデミ太陽光を忌々しげに睨んでトリガを引き絞り続けた。だが銃弾は尽き、クリック音だけが鳴った。「待て!そう簡単に殺すな!このクズは私が仕留める!」モチロウの無慈悲な声が聞こえた。
「クズめ、私を脅迫した愚かさを死の瞬間まで後悔させてやるからな……」モチロウは度し難い怒りと興奮と喜びで、物凄い笑顔を作っていた。「……お前のアマクダリ内の地位は私が継ぎ、いずれアサノサンCEOの地位を……」彼が何を言っているのか、アサノ・ミツイにはもうほとんど聞き取れぬ。
「……死ぬ前に泣き喚き、私とブッダと祖先に慈悲でも乞うてみろ……」モチロウが言った。背信行為は必ずや露見し裁かれる……たとえ生きている間に裁かれずとも、死後にサンズ・リバーでキング・エンマに裁かれる……頽廃のメガロシティでは風化して久しい古の時代の道徳規範が脳内に木霊した。
だがアサノ・ミツイには慈悲を乞う気などなかった。ジゴクこそが相応しいと笑った。狂人め、とモチロウは舌打ちし、一斉に銃弾を浴びせた。「グワーッ!」アサノ・ミツイは死体へと変わり、モチロウによってプールへと蹴り込まれた。
またひとつプールに死体が浮かび、血が広がってゆく。薄汚いマネーに染まった、薄汚い血が。その横には、ゴルフボール片が所在なく浮いていた。……窓の外、イカスミめいた乱れ雲の中に浮かぶドクロめいた月は「インガオホー」と言葉を投げかけているようだった。
【ブラックメイルド・バイ・ニンジャ】終わり
N-FILES
アサノサン・パワーズ社のアサノ・ミツイ部長は、邪悪なニンジャ秘密結社アマクダリ・セクトに目をつけられ、非道な脅迫を受けた。ブラックメイルと名乗るニンジャが彼に告げる……アマクダリの陰謀に加担せねば、死あるのみ、と。アサノは保身のため愛社精神を捨て、屈服した。脅迫は一度では終わらず、アマクダリの操り人形と化すアサノ。だが次第に、アマクダリの権力構造とブラックメイルの人外めいた危険な魅力が、アサノの中に眠る野心を刺激していった。ノーフューチャーめいた予感を覚えつつも、やがてアサノはブラックメイルとともに進んで悪事へと突き進むのだった……。メイン著者はフィリップ・N・モーゼズ。
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